aklib_story_林は寒く風は温か

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林は寒く風は温か

グレースは難民救助の複雑な事情に気づいていた。貴族たちは無視を決め込み、救援は遅々として来ない。彼女だけが孤軍奮闘し支援を続ける難民集団は、一体いつまで持ちこたえられるだろうか?


ねえユーロジー――

わたくしがこの二百人のリターニア難民たちと行動を共にしてから……

もう何日過ぎたのか、分からないわ。

リターニアの辺境で、天災によって地震が起き、河の堤防が決壊したの。

可哀想な住民たちは故郷を失い、必死で高所へと逃げて、ここにたどり着いたわ。

間もなく冬が来る。難民たちの中には病に倒れた者も多い。わたくしたちにはもう、ここから動くほどの余力は残されていないわ。

木ぎれを組み合わせた隙間風の吹き込むバラックで、救援を待つことしかできない。

ここはヴィクトリアの北西で、イェラグの山のほど近く、あらゆる町から遙かに遠く離れた場所よ。

気温はどんどん下がっていて、食料はまったく足りないし、防寒着もなくて、薬だって使い果たしてしまったわ。

ユーロジー……こんなはずじゃなかったの。どうしてこれほど酷いことになったのかしら。あの人道主義者たち、篤志な男爵たちは、何をしているのかしら……

お父様……

わたくしたち、努力しているわ。だけど……多くの人が、緩やかに死に向かっている……わたくしは今そういう絶望の中に立ち尽くしていて、先が見えないわ。

ヴィクトリア北西の辺境 森の中

[グレース] (何だか、誰かにつけられているような気がするわ。)

[グレース] (ふふっ、見てなさい!)

[グレース] (よし……)

[グレース] あっ! この足跡は――!

[グレース] 雑食性の獣ね。牙はそれほどじゃないけれど、爪が鋭くて、獲物を切り刻んでから呑み込むのよね。

[グレース] 普段は人を襲わないけれど、冬に食料が不足すれば……単独行動の人間を狩ることも……この足跡はまだ新しいわ。近くにいるわね……

[???] えっ!

[???] ううわあああっ――!

[???] グレースお姉ちゃん――!!!

[???] ううぅぅ私を一人にしないでぇ!!!

[グレース] なんだ、やっぱりリタだったのね。早くいらっしゃい。

[リタ] グレースお姉ちゃん、あっちの木が動いたよ! きっと獣だよ! 私たち、ここで死んじゃうの?

[グレース] あはは、怖がらないで。さっきのは適当に作った話よ。

[グレース] 誰がコソコソ後をつけてるのかなって思ったら、あなただったの。

[リタ] う……

[リタ] グレースお姉ちゃん、驚かさないでよぉ!

[グレース] まぁ獣はいなかったけれど、こっそりついて来るのは危ないわよ。

[グレース] 教えて。どうしてわたくしの後をつけていたのかしら?

[リタ] ……

[リタ] お、お腹が減ったの。それで、何か食べ物が見つかるかもって。

[グレース] あなた、ずいぶん元気そうに見えるけど……こんなところまでついてくるほどお腹が減ってるの?

[リタ] お父さんとお母さん、食べるものがないの。最後の一口まで私にくれて……

[グレース] ……

[グレース] 採集隊の食料は?

[リタ] お母さんはずっと病気なの。お父さんが狩りで怪我をしてから、うちは人手を出してないし、食料を分けたくないって……

[リタ] 採集隊の人は、冬だから食べ物は見つからないって言うの。避難所の備蓄も足りなくて、もっと暖かくならない限り、食べ物は乏しくなるだけだって。

[グレース] (確かにそうね。状況は悪くなるばかりだわ。)

[グレース] (もしこのまま救援が来なければ……)

[リタ] それにね……採集隊に参加しても、私は狩りで役に立てないから、全然食べ物を分けてもらえないの。だから私、ここ何日も行ってない……

[グレース] あの人たち、そんな酷いことを!?

[リタ] うぅ……お父さんもお母さんもずっと寝込んでて、お家は寒くて、お腹も減ってて、大変なの。

[リタ] グレースお姉ちゃん、どんなものが食べられるのか教えて? 私、少しでも持って帰りたいの……

[リタ] 雑草だっていいし、おいしくなくてもいいよ。お腹を満たせればそれでいいから!

[グレース] ……

[グレース] 分かったわ、任せて! でもその辺で拾えるものだけじゃだめよ。本当にお腹を満たしたいなら、やっぱりお肉も食べなきゃ。

[グレース] この辺をうろうろしていくら食べ物を拾い集めても、長い目で見れば労力に見合わないわ。

[リタ] でも、獣なんて捕まえられないよ……

[グレース] そうよね……今日はもう時間がないから、この辺りで間に合わせるしかないけど、明日になったら、北の方へ連れて行ってあげるわ。そこで小さめの動物を捕まえてみましょう!

[リタ] 本当? ありがとう、グレースお姉ちゃん!

[リタ] よかったぁ……これでお父さんもお母さんもお腹いっぱいだね!

[グレース] まだお礼はいいわ。その代わり、今日はわたくしの言うことをよく聞いて、勝手にどこかへ行かないこと。いいわね?

[リタ] うん、分かった!

[グレース] ああもう、足元に気を付けて! 転ばないようにね。

[リタ] へへ……

[リタ] 食べられる山菜を探すんだよね? お父さんもお母さんも、私が食べ物を持って帰るのを待ってるんだ。

[リタ] あっ、これ山菜っぽいな。グレースお姉ちゃん、これ食べられる?

[グレース] いえ……それは食用の山菜に似てるけど、毒があるのよ。

[リタ] うっ、じゃあこっちのこれは?

[グレース] それもだめね。噛み切れなくて、口の中が出血しちゃうの。

[リタ] じゃあこれ! この鮮やかな実! これは食べられる?

[グレース] それは瘤眼の実といって、瘤獣の目に似たベリーの一種よ。

[グレース] だけど、それもだめ。見た目はおいしそうだし、食べたら甘いんだけど、お腹を壊しちゃうの。食べれば食べるほど体力を消耗するのよ。

[グレース] ヴィクトリアの貴族にはダイエット薬として使う人もいたけど、どんどん基礎体力が落ちて、免疫力も低下して色んな病気にかかるの……つまり、お腹がいっぱいになるどころか毒といってもいいものよ。

[グレース] でも、他の動物のお腹を壊して種を拡散させるなんて、ほんとに面白い進化の仕方よね。

[リタ] うぅ――じゃあどうすればいいの!? 食べられるものが全然見つからないよ。

[グレース] まあ落ち着いて。これね、実はだめだけれど、この葉っぱは食べられるのよ。ちょっと苦いけど、人体に悪影響はないわ。お湯で煮れば、多少は苦みを抑えられるしね。

[リタ] じゃあ葉っぱを少し採っていこうっと。

[グレース] あらこれは……ふふっ、今日は運がいいみたい! 見て。これも集めるといいわ。

[リタ] それ、石じゃないの?

[グレース] 石の表面に注目してみて。これは野生の苔麦よ。上の胞子は麦の穂に似てて、食べることができるの。

[グレース] ウルサス北原の農民がこういった作物を植えているって本で読んだけれど、まさかここにもあるなんてね。

[リタ] わぁ! じゃあ私も探してみる!

[グレース] 多めに採るといいわ。脱穀して洗えば、お粥を作れるからね。

[リタ] だけど全部採ったら、あとで食べるものがなくなっちゃわない?

[グレース] 苔麦の収穫期は短いのよ。収穫期が過ぎると糖分は吸収され、胞子構造が変化して、「麦の穂」の部分がしぼんでしまうの。そうなると苦みが増して、食べられなくなるわ。

[リタ] じゃあ今の苔麦が一番いいの?

[グレース] ええ。リタは本当についてるわ。だけど野生の苔麦だから、量は多くないわね。ここにあるもの全部採って、ようやく鍋ひとつ分ってところかしら。

[リタ] じゃあ頑張るよ!

[グレース] リタは本当にえらいわね。わたくしも手伝ってあげるわ。

[リタ] お姉ちゃんありがとう! えへへ。私、たくさん採って、こっそり隠しておくよ。それでお父さんとお母さんだけに食べさせてあげるの!

[リタ] 苔麦を採り終わったら、グレースお姉ちゃんの薬草採りのお手伝いをするね!

[グレース] ありがとう。それじゃあこの開けた辺りで採集をしてて。遠くへは行かないでね。わたくしは西の方を見てくるから、何かあったら大声で呼んでね!

[リタ] うん! リタ、言われたとおりにするよ!

[グレース] (雨だわ……)

[グレース] (寒くなってきたわね。石も滑りやすくなってるわ。)

[グレース] (リタを見に戻らなきゃ。)

[グレース] リタ――――!!

[リタ] こ――こ――だ――よ――

[グレース] (どうしてあんなに遠くから聞こえるのかしら?)

[グレース] リタ? どこにいるの?

[リタ] し――た――だ――よ――

[グレース] えっ!?

[リタ] うっかり滑って――落ちちゃったの――

[グレース] !!

[グレース] 怪我はない!?

[グレース] じっとしてて! すぐに降りるわ!

[リタ] あっ――気――を――

[グレース] あああ――

[リタ] あのね、そこはとっても滑るから、石を踏んで滑らないようにねって言おうと思ったの。

[グレース] この窪み、つるつるじゃないの!

[リタ] あはは、お姉ちゃん、頭に草が生えてるよ!

[グレース] あら? おすそわけしましょうか? よいしょっと。

[グレース] あ! ヒゲ!

[リタ] はくしゅっ! はっは――っくしゅん! う……葉っぱが鼻にくっついてムズムズするよぉ。

[グレース] ぷっ! あなたお鼻が、鼻水が出てるわよ!

[リタ] うん……

[グレース&リタ] あはははは!!

[グレース] ふふ、ふ……笑うのはこれくらいにしておいてあげるわ。だけど、こんなところで何をしていたの?

[リタ] 上はもう苔麦がなくなって、下を見たらまだあったから、降りてもう少し採ろうと思ったの。

[リタ] そしたら、うっかり滑っちゃったの!

[グレース] 怪我はない?

[リタ] 尻もちをついたところがちょっと痛いけど、他は大丈夫だよ。

[グレース] ふう、それならよかったわ。

[グレース] わたくしの言うことを聞くって約束よね? こんなところに来ていいなんて言ったかしら?

[リタ] だって鍋ひとつ分じゃ足りないもん。それに、もし明日採りに来た時に収穫期が過ぎてたら、もったいないよ?

[グレース] そうだとしても安全には気を付けないと。

[リタ] 分かってるよ……それと籠を上に置いてきたから、さっき集めた分をこぼさなくてよかった!

[グレース] さっき見えたわ。だからわたくしもそこへ籠を置いてきたの。

[リタ] リタの籠の隣に?

[グレース] そうよ、隣にね。

[リタ] へへへっ、よかったぁ。

[グレース] 雨が降ってきたわよ。さあ、これをかぶって。風邪を引かないようにね。

[リタ] わぁ、大きな葉っぱ!

[グレース] さっきとってきたの。ここに穴が二つあるから、角を突き刺して頭にかぶってみて。雨をしのげるから。

[リタ] 耳が冷たくて、何だか気持ち悪いよぉ。

[グレース] 取らないの。雨に濡れたら風邪を引いちゃうでしょう。あなたまで倒れちゃったら、誰がお父さんとお母さんの面倒を見るの?

[リタ] そうだね、今はリタがいなくちゃだめだもん! お父さんとお母さんに食べさせてあげなきゃ!

[リタ] あれ?

[リタ] お姉ちゃんは葉っぱをかぶらないの?

[グレース] ええ。

[グレース] 実はわたくし、今までほとんど雨に濡れたことがなくてね、何だか新鮮な気分なの。

[リタ] なんで? どうして今まで雨に濡れたことがないの?

[リタ] もしかして、ヴィクトリアってあんまり雨が降らない場所なの?

[グレース] ヴィクトリアでも、雨が降るのは珍しいことではないわ。でもわたくしは雨に濡れたことがあまりなかったのよ。

[グレース] それが今、秋の終わりの最後の雨が、ぽつりぽつりと髪に落ちてきて……

[リタ] じゃあ私の方がグレースお姉ちゃんより強いよ! 私はいっつも雨が降る中で洗濯物を取り込んだり、農作業をしたりしてるもん。

[リタ] 雨に降られるのは村長に叱られるのと一緒だよ。ほらこんな感じ。リタっ! ガミガミお前はガミガミ! どうしてガミガミ大人しくガミガミ――!

[グレース] あはははは。たしかにあの村長さんは、怒ると所構わず唾を飛ばしまくるものね。

[リタ] でも今はもう飛ばせなくなっちゃった……

[グレース] お年だし、それにもうお疲れだから。

[リタ] 私、知ってるよ。あの日もこっそりついていってたの。グレースお姉ちゃんが村長を背負って、必死で遠くへ連れて行って、背中から降ろしたらすぐ、村長は……

[リタ] 木を焼いたときに舞い上がる灰みたいになっちゃった……

[リタ] 私のお父さんとお母さんも、そんなふうになっちゃうの?

[グレース] ……

[グレース] 助けを呼びに行った小隊は二週間前に出発したわ。わたくしの描いた地図通り進んでいれば、きっともう付近の町を見つけた頃よ。

[グレース] それに今日は薬草が沢山採れたし、リタも沢山食べ物が取れたし。ご両親は絶対に大丈夫よ。

[リタ] そうだね! リタは頑張ったもん。お父さんもお母さんもきっと良くなるよね!

[リタ] でもさぁ、どうしてお姉ちゃんは他の人に薬草採りを手伝ってもらわないの?

[グレース] そうね……他の人もみんな、実はリタの家と一緒なの。今は食べるものにも事欠く有様だから、食料の確保が最重要なのよ。

[グレース] だからわたくしに手を貸す余裕なんてないわ。

[グレース] 雨がひどくなってきたわ。ご両親が心配するから先に帰ってて、いいわね? 必要な薬草は、わたくし一人で集められるから。

[リタ] うん! じゃあ私、先に食べ物を持って帰るね。お父さんもお母さんもきっとお腹をすかしてるだろうなぁ。

[グレース] 帰り道は分かる?

[リタ] もちろん!

[グレース] じゃあ今から押し上げるわよ。気を付けてね。

[グレース] それっ!

[リタ] 上がったよ!

[リタ] 次はお姉ちゃんが私の手を握って。上から引っ張ってあげる!

[グレース] あはは、お姉ちゃんはあなたよりずっと重いわよ! 安心して、自分で上がれるから。早く帰ってご両親の面倒を見てあげて!

[リタ] は~い。

[グレース] あんまり走っちゃだめよ! 気を付けてね!

[リタ] わかった――

[グレース] よし……次はこれからどうするか考えなくちゃ。

[グレース] 探していた薬草が、あの崖の上の方にあるのがさっき見えたわ。

[グレース] でも雨が降ってる。この窪みは問題なく上がれるとしても、あの崖は登れるかしら?

[グレース] うっ、滑り落ちた時にすりむいたくるぶし、思ったより痛むわ……傷口も大きいし、まずは止血しなくちゃ。

[グレース] でも、きつく包帯を巻くと、動きが悪くなって、ますます崖が登りにくくなりそう。

[グレース] いっつっ! 痛い……頭もクラクラしてきたわ。最近、疲れ過ぎかしら?

[グレース] それともどうにもならないことを考えすぎ? リタの母親の病状は思わしくないのよね。父親の外傷だって、応急処置をしたとはいっても傷口から感染するリスクが残ってるわ。

[グレース] それにしてもあの貴族たち、領地に難民が逃れてきていると気づいてるはずなのに、なぜ無関心なのかしら……もし追い出したいのだとしたら……なぜ姿も見せないの?

[グレース] 難民たちは医療品をとっくに使い果たしてるわ。治療は全てわたくしの薬草頼り。ここにあるものでは簡単な治療しかできないけど、少しでも多く集めれば、彼らの助けになるはずだわ。

[グレース] 小隊が救援を連れて戻るまで、持ちこたえられるといいけど。それから、ええと……

[グレース] ああ、もう考えてる場合じゃないわ。雨がひどくなったら、もっと崖が登りにくくなる! 早く採りにいかなきゃ。包帯はその後よ!

ヴィクトリア北西の辺境 難民の野営地

[グレース] ハンスさんの家の解熱剤は、これだけあれば大丈夫ね……

[グレース] ピーターの歯痛の薬は、痛みを一時的に止めることしかできない……この量じゃ、少し足りないもの。

[グレース] 虫下しの薬は……いけない、一つ採り忘れてる! お腹が減って頭がボーッとしてたせいなのかしら。また後で探しに行かなきゃ……でも外はもう暗いし、雨も上がってないわ……

[グレース] えっ? どうして入り口に人が……

[リターニア難民] グレースさん!

[リターニア難民] グレースさん!!!!

[グレース] はい! 今行くわ!

[リターニア難民] グレースさん、ああやっと戻って来た! きゅ、急患なんです、かなり深刻みたいで!

[グレース] なんですって!?

[グレース] (まさかまた村長と同じ情況じゃないわよね?)

[グレース] どこなの、早く案内して!

[リターニア難民] 着きました、ここです。

[グレース] ここは……?

[グレース] リタのバラック!?

[リタ] ……

[グレース] リタ? 大丈夫?

[リタ] ……

[グレース] 反応無し……手のひらに重度の火傷あり、腕には打撲傷、後頭部には腫れ。うん……熱もあるわね。さっきまでピンピンしてたのに。

[グレース] 彼女がこうなっているのをいつ発見したの?

[リターニア難民] たった今、二十分ほど前です。

[グレース] どうしてリタの家に来たのかしら?

[リターニア難民] うっ……

[グレース] リタの両親は治療区にいて、あの子は一人で両親の晩ご飯を準備していたはずよ。あなたは何をしに来たの?

[リターニア難民] そ……その……今日は彼女が採集隊に参加しなかったから、様子を見に来たんです!

[グレース] でまかせを! 採集隊が食料を分けてくれないから、あの子はここ数日ずっと参加していなかったのよ!

[グレース] もしあなたが本当にリタを心配していたのなら、もっと早く来たはずでしょう、今じゃなくてね!

[グレース] あの子が今日集めた食べ物はどうしたの? 部屋の中に見当たらないのはなぜ? まさか、あなたが押し入って奪ったとか?

[リターニア難民] ……

[リターニア難民] 私だって、家族の命を繋ぎとめなくちゃいけないんだ! もうほとんど食料がないんだ!

[リターニア難民] それがまさか……あんなに抵抗されるなんて……こんなことになるなんて……思わなかったんだ……

[グレース] ヴィクトリアの貴族はわたくしたちを見捨てたりしないわ。助けを呼びに派遣した小隊も、今頃付近の町に到着しているはずよ。

[リターニア難民] あなたの言うことが本当だとしても、うちの子供たちはそれまで耐えられないんだ!

[グレース] だからって、あんな小さな子の食べ物を奪うっていうの!? あの子が必死で集めてきたのに!

[グレース] リタの手の火傷は、あなたに奪われそうになって、熱い鍋を素手で抱えたせいでしょう?

[グレース] 腕の青あざは、あなたが掴んだのよね?

[グレース] 後頭部の腫れは、あなたに突き飛ばされてできたんじゃない?

[リターニア難民] 私だって……怪我させようと思ってやったわけでは……

[リターニア難民] リタの両親はもうどうしようもないんだ! あの子だけ生き延びてどうなるっていうんだ? ただ……孤児になるだけだ! 状況が好転したって、一人じゃ生きていけない!

[リターニア難民] うちの子供たちも、私も、まだ健康なんだ! 私たち一家が生き残る方が、はるかに大事なんだよ!

[グレース] そう。あなたとって、命の重さには違いがあるのね……

[グレース] それならわたくしは? わたくしの命の重みは、あなたの目にはどう映るのかしら?

[グレース] あなた方はいつもわたくしとユーロジーを観察して、わたくしの身分についてこそこそと議論しているようだけど。

[グレース] 教えてほしいの。わたくしのこの命の重みは、どれくらいかしら?

[リターニア難民] お、お嬢様! あなたは私たちの病を治し、救いの手を差し伸べてくださいました。ある者は、きっとヴィクトリアの貴族に違いないと申しております……ですから、あなたはここで一番尊い方です。

[グレース] それならわたくしが生き残れるように、あなたの食料をわたくしに差し出すべきじゃないかしら?

[グレース] わたくしだって――もう長いことまともな食事を頂いてないもの!

[リターニア難民] ……そんな……

[グレース] だけどあなたは渡したくない。そうでしょう?

[グレース] あなたの行動に論理性や、道理や、正当性なんてものは、はなからないのよ。ただの身勝手だわ。

[グレース] わたくし、利己主義者は嫌いなの。ましてや強盗なんて絶対に助けないわ。

[グレース] だけど今回は、少なくともこの件を報告してきたことに免じて、もう一度チャンスをあげる――

[グレース] 食料をリタに返しなさい、一粒残らずよ! 食べてしまったなら、代わりのものを用意すること! できないなら、救援隊の車にあなたの席はないと思いなさい。

[リターニア難民] はい……かしこまりました、お嬢様。

[グレース] ……

[グレース] あぁ、まさかわたくしが、脅しのためにあんな大それたほらを吹けるだなんてね。まぁいいでしょう、効果はあったのだから。

[グレース] リタ……

[グレース] 栄養不足、熱、外傷、炎症。

[グレース] この調合済みの解熱剤は、先にリタに飲ませましょう。もしも後で足りなくなったら、また採りに行って、治療区の人たちに届けるわ。

[リタ] う……お父さんの、お母さんのスープを取らないでっ……!!

[グレース] リタ! わたくしよ、グレースよ。お鍋をちょっと借りるだけよ。薬を煎じてあげるから、心配しないで。

[グレース] 待ってて。この薬を飲めば、少しは気分が良くなるから。

[リタ] お父さんお母さんの……食べ物……取られ……ちゃった……

[グレース] 心配いらないわ。食べ物はきっと返ってくるから。今はお姉ちゃんを信じて、しっかり休むのよ。

[リタ] うん……

[グレース] さあリタ、よく冷ましてあるから、少し口を開けて。

[リタ] ……あ……

[グレース] えらいわ、リタ! 少しこぼれちゃったわね、拭いてあげるわ。

[グレース] 少ししたら薬が効いてくるから、ここでしばらく寝ててね。他の薬を持ってくるわ。

[リタ] ……

[リタ] ……

[リタ] スゥ――スゥ――

[グレース] もう眠っちゃってるわね、薬の効きが良かったのかしら。すぐ戻るから、いい子で待っていてね。

[グレース] ひどい雨だわ……それに真っ暗……

[グレース] 急がないと。これ以上遅くなれば何も見えなくなってしまうわ!

[グレース] 脚が痛い……

[グレース] 確か、この辺にあの薬草が……矢じり型の葉っぱに、細かいギザギザの。あぁ! これかしら?

[グレース] よし! 綺麗に洗って粉末にしないと。

[グレース] うん……

[グレース] なんだか……力を入れると、目眩が……

[グレース] でもまだダメ……あと少し、頑張るのよ!

[グレース] 次は、ええと……薬の調合ね。

[グレース] あっ、薪が足りないわ!

[グレース] 温度が……薪を拾いに行かないと。

[グレース] うう……

[グレース] リタ、リタ、いい子ね。今、薬を飲ませてあげるから、口を開けて。

[グレース] 薬草の種を取り忘れちゃったから、少し苦いかもしれないし、急いで持ってきたから熱いかもしれないけど、辛抱して。

[グレース] 外用薬はもう貼ったわ。あとはこの抗炎症の薬を飲めば、すぐに良くなるわ。

[グレース] わたくしが、必ず、治してあげるからね……

[リタ] (……ゴクン。)

[グレース] ふふっ、リタは本当にいい子ね!

[グレース] ……やっぱりクラクラするわ……ちょっと無理かも……少し休んだ方がいいかしら?……

[グレース] リタ……

[グレース] リタ……リタ……大丈夫よ。必ず……

[穏やかな声] 彼女を見つけた時、すでにこの状態でした。うわごとのようにリタという名前をつぶやき続けています。

[穏やかな声] 全身泥だらけで、脚に傷があります。それに軽い鉱石病の症状も。感染したばかりでしょうか?

[穏やかな声] 鉱石病の感染も原因の一つですが、やはり空腹と極度の疲労のせいで倒れたのでしょう。

[穏やかな声] 倒れてから何日も経ったと聞いています。難民の中には、自分たちはこの少女に守られていた、と言う者もいました。この少女の尽力がなければ、これほど多くの者は生き残れなかったと。

[穏やかな声] 難民たちが健康を取り戻せば労働力になりえます。リターニアのグルクさんにお願いして、彼らに治療と住む場所を提供してもらいましょう。あのおかしな城の維持にも人手がいりますからね。

[穏やかな声] 難民たちの故郷はひどい被害を被っています。現時点では帰れないので、ほとんどの難民がこの提案を受け入れました。まずはグルクさんの元で治療を受け、状況次第で帰郷するそうです。

[穏やかな声] 難民を自国に戻すという正当な理由があればこそ、貴族関係者も妨害をしないのでしょうね。

[穏やかな声] あのリタという名の少女ですが、母親はすでに他界していました。しかし幸いにも障害のある父親は存命で、わずかながら労働力になります。

[穏やかな声] 付近の天災トランスポーターによりますと、ロドス本艦のアーススピリットさんとグルクさんは古い知り合いだとか。後で彼女に手紙を書いて、この親子が彼の領地に住めるように頼んでもらいます。

[鋭い声] ヴァルポの小娘の無謀なやり方は、なかなか印象的だ。だが拾った薬草と多少の臨床理論程度では、自身の鉱石病を抑制できないぞ。

[鋭い声] 彼女は難民を救うことを表面的にしか見ていない。あのように甘い認識では、遅かれ早かれ命を落とすことになるだろう。

[鋭い声] あとで付近のトランスポーターに連絡をして、手紙を二通出してもらうぞ。一通はロドス、もう一通はドルン郡宛てだ。

[穏やかな声] ……

[穏やかな声] お伝えしておきますが、ヴィクトリアの一部貴族は、領地争いのために難民たちを見殺しにするつもりです。万が一のことを考え、私たちはロドスの代表と名乗るべきではありません。

……ロドス?

[穏やかな声] 特にあなたはヴィクトリアの医学フォーラムから抜け出してきたわけですから、事態を複雑にするようなことは避け、なるべく行動を慎んでください。

[鋭い声] ああ、ここ数日のアレは医学フォーラムだったのか。てっきりドゥリン族のモノマネ愛好者による酒の品評会かなにかと思っていた。

[鋭い声] ふん。一部の貴族にとって、人道主義はある種のトレンドで、一時の熱に過ぎん。利害を秤にかけた上で、奴らはとっくに想定内の選択をしている。

[穏やかな声] 彼女はとても弱っています。すぐに治療をしなければ、さらに多くの病を併発し、鉱石病の感染も加速するでしょう。

[鋭い声] こうしよう。彼女は私の助手ということにして、ヴィクトリア一番の治療を受けさせる。

[鋭い声] もちろん私たちの正体は彼女に明かさない。それでいいだろう?

[穏やかな声] 助手? 彼女を手元に置いておきたいのですか?

[鋭い声] 私は傘を手に空から降ってくるヴィクトリアの何でも屋ナニーなんかじゃないぞ。

[鋭い声] 彼女の体調が良くなったら、然るべき機関に連絡して、医療技術の研修を受けさせる。私は他にやることがあるんでな。

[鋭い声] もし彼女が回復した後、引き続き愚直な人助けをしたいと望んだとしても、私は意見するつもりはない。

[鋭い声] だが医者の身で鉱石病を患ったんだ。選択の余地もなく、無謀なやり方を続けるわけにはいかない。少なくとも自分を守る方法を身につけるべきだ。その上でどうするかは、彼女自身が決めることだ。

[穏やかな声] どうぞお好きなように。まぁ、Scoutさんが任務完了したら、私は彼の小隊に合流する予定ですから。しばしの間、このヴィクトリア現地出身の少女にあなたに付き合ってもらうのも悪くないでしょう。

[穏やかな声] 可哀想なヴァルポ……

[鋭い声] 彼女の患者の治療は、お前よりも思い切りがいいぞ。

[穏やかな声] ええ。それに彼女の処方は鉱石病以外の治療においても、非常に有効です。

[穏やかな声] ……

[穏やかな声] なんとなく分かりました。

[穏やかな声] 善良で、芯が強く、正直で。若いのにかなりの腕前を持つ。

[穏やかな声] あなたは彼女にある種の可能性を見出しているのですね。

[穏やかな声] ああ、私も……彼女が今後どうなるのか見てみたいです。でも彼女が目覚める頃には、私はもうロドスへ戻っているでしょう。

……ロドス?

[穏やかな声] 勇敢なヴァルポさん。早く元気になるんですよ。

[穏やかな声] もっと多くの人があなたを待っています――私もあなたの成長を楽しみにしていますよ。

[穏やかな声] と言っても聞こえてないですよね……はは……

[穏やかな声] あなたの未来を見てみたいな、小さなヴァルポさん。

[穏やかな声] もし縁があれば、また会うこともあるでしょう。それはロドスかもしれないし、別の場所かもしれない……

ロド……ス……

ねえユーロジー――

ロドスへ来てから、私は二度とあの太陽のように暖かな声を聞くことはなかったわ。

アーススピリットさんとグルクさんは、今でも連絡を取り合っているの。リタの暮らし向きは良いとは言えないけれど、少なくともお腹を満たすことはできているみたい。

わたくしはロドスで……忙しく充実した日々を送っているわ。とても優秀な医者や学者の皆さんと、重要な課題に取り組んでいるの。

ユーロジー……身勝手なわたくしを受け入れてくれてありがとう。

そしてごめんなさい。わたくしは……

鉱石病を患ってしまったわ。

わたくしはこの鉱石病の蔓延する大地に立っている――

いつか……いつの日か、この先に終わりが見えたらいいわね。

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