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春分_茫々たる庭
数年の間故郷を離れていたファン・シャオシーに対し、村人たちは過剰な警戒を見せた。チュー・バイは、ファン・シャオシーに危害が及ばぬよう守るため、その村に留まろうと決めた。そして族長からとある過去の話を聞くことになる。
[激怒する村人] ファン・シャオシー! 梁の上に登って何をやってる! 今すぐ降りてこい!
[激怒する村人] 他所で悪さするならまだしも、ここは「移山廟(いざんびょう)」だぞ!
[ファン・シャオシー] やだね!
[ファン・シャオシー] このオンボロ廟をうちの「三畝三(さんせさん)」まで移さなきゃならないなんて、いじめ以外の何だって言うんだよ? 周六(ジョウ・リュウ)、お前んとこに移さないのはどうしてだ?
[激怒する村人] お前みたいなガキに何が分かる! 移山廟は千年にも渡って謀善村をお守りくださっているんだ。移す場所だって慎重に選んだ結果なんだよ。
[激怒する村人] 村全体で決めたことなんだから、わがまま言うんじゃねぇ!
[ファン・シャオシー] ケッ!
[ファン・シャオシー] うちの「三畝三」は、最初は草も生えない荒地だったんだぞ。あの時は風水が良いなんて言わなかったろ? この数年間、親父がこつこつ水や肥料を撒いたことで、風水まで変わったとでも言う気か?
[ファン・シャオシー] 正直に言えよ! うちが余所者で、唯一苗字が違う家だから、いじめやすいだけだって。そうしたらこっちも言わせてもらうぜ、ふざけんのも大概にしとけってな!
[ファン・シャオシー] 親父がお人よしだからって、俺様も同じように甘く見んじゃねぇ!
[ファン・シャオシー] お前ら、このオンボロ廟に豊作祈願がしたいんだよな? だったら今から俺様がこいつをぶっ壊して、みんなが野良仕事できる場所を増やしてやるよ!
[激怒する村人] やめ──
[チュー・バイ] 自宅に帰った途端、大勢の人間に押しかけられるような人なんて、借金を抱えまくった博打中毒者くらいしか見たことありませんよ。
[ファン・シャオシー] ……
[チュー・バイ] しかし道中で話していたことは本当でしたね。村人たちは本当にあなたを歓迎していないようだ。
[ファン・シャオシー] だから家に帰るのなんてごめんだって言ったろ。
[チュー・バイ] しかしまだ聞いていないことがあります。どうしてこんな……
狭い庭は村人たちで溢れ返っていた。彼らは一言も言葉を発することなく、まるで追い詰めた珍獣に逃げられることを恐れるかのように、黙ってチュー・バイとファン・シャオシーを取り囲んでいた。
[???] ゲホッゲホッ……通してくれ……
[???] みんなでこんな所に突っ立って一体どうしたんだ? シャオシーの出産祝いの宴でもこんなに賑わっちゃいなかったろうに……
ざわめく群衆の中から一人の男が現れた。痩せっぽちで背が高く、ふらふらとした足取りで、ぜえぜえと荒い息を吐いている。木材を乗せたその背中は、腰から下げた弓と同じくらいに曲がっていた。
男はファン・シャオシーの姿を見た瞬間、驚いた表情を見せたが、すぐに目を背け、ゆっくりと身を翻した。
[ファン・シャオシー] 親父……
[張り詰めた村人] 猟師の……
[張り詰めた村人] あんた、忘れてないだろうな……
[猟師] 自分の言ったことを忘れたりはしないよ。
[猟師] だがシャオシーが帰ってきたのは三年ぶりだ。先に飯くらいは食わせてやってもいいだろう?
[猟師] ひとまず、みんなは畑に戻ってくれ。俺たち二人で、必ず村のみんなが納得のいく答えを出すから。
[猟師] それに元々畑仕事には遅れが出てるだろ? あと少ししたら春分も過ぎちまうしな……
[猟師] ……
[ファン・シャオシー] ……
[チュー・バイ] 道中あれほど喧しかったのに、父親を見た途端だんまりですか?
[ファン・シャオシー] 親父……いたんだな。
[チュー・バイ] ……
猟師は息子に返事をせず、白く乾いた唇をすぼめると、振り返って家の中に入っていき、背負っていた木材を壁際に置いた。
その場に立ち尽くす少年を、チュー・バイが剣の柄で小突いた。
[猟師] お座りなさい、お嬢さん。わざわざこの子を家まで送ってもらってすまなかった。水でも出そう。
[チュー・バイ] お気遣いなく。せっかく再会できたのですから、親子水入らずでお過ごしください。
[チュー・バイ] 私は村の方を見て回ります。
[ファン・シャオシー] 俺が案内するよ──
[チュー・バイ] ここでゆっくりしていなさい。
[???] お嬢さん、待っておくれ。
[チュー・バイ] ……
[穏やかな老人] 凛々しい女傑がシャオシーを連れてきたと、ジョウ・リュウたちから聞いたもんで、見に来たんじゃよ。
[穏やかな老人] その格好を見るに、お嬢さんは……
[チュー・バイ] 私はチュー・バイと申します。
[穏やかな老人] わしは周順(ジョウ・シュン)。村長であり、族長でもある。謀善村の住民は大体が周(ジョウ)という姓でな。
[年老いた族長] うちの村は炎国の外れ、北西の山奥ド田舎なもんで、外から来る人はめったに見ないのじゃ。
[チュー・バイ] ご安心を、族長。私はただの江湖を流れる者で、悪党ではございません。
[年老いた族長] いやいや、そういう意味ではないよお嬢さん……
[チュー・バイ] たまたま子供が一人でいるところを見かけたものですから、少し回り道をして家まで送り届けに来ただけです。
[年老いた族長] なんとまぁ、義侠心に溢れたお方じゃろう……
[年老いた族長] 遠路はるばる来てもらってすまんが、こんな寂れた村では、何一つおもてなしできる物がありゃせんのです……もし嫌でなければ──
二人のいる場所から数メートル離れた先に、井戸があった。
大きな音がして、そちらを見やると、吊り下がっている桶に何かがぶつかったようだった。釣瓶が空回りして、桶が井戸の中に落っこちていく。
次の瞬間、急回転する釣瓶を一本の長剣がやすやすと縫い止めた。桶に繋がる縄がぴんと張り詰めている。
チュー・バイは静かに桶を引き上げた。
[チュー・バイ] 駄獣の子供が慌ててぶつかったのか……
[年老いた族長] こいつは周大至(ジョウ・ダージー)んとこの仔駄獣じゃな……
[年老いた族長] あそこの母駄獣は難産で命を落とし、子だけが生き残ったんじゃ。母親がおらねば、人が躾けねばならないからな。おそらく何かに驚いて駆け出したんじゃろう……
[チュー・バイ] 傷は見当たりませんね。溺れかけて気を失ったんでしょう。
[年老いた族長] 時にお嬢さん、先ほどは瞬く間に井戸のすぐそばまで移動したが、あれはどうやったのじゃ? わしの目にはただ影がよぎったようにしか見えんかったが……
[年老いた族長] それが武術というものかね?
[年老いた族長] ……
[チュー・バイ] 井戸の中には泥水が溜まっているようですね。
[年老いた族長] うむ……先週は大雨が降り続いたゆえに、泥やおりが沈みきっておらんのじゃろう。
[年老いた族長] はぁ……ここ二年ほどの間は干ばつ続きで、畑の作物もほとんど死に絶えてしもうた。
[チュー・バイ] ずいぶん井戸の数が多いと感じましたが、そういうことですか……
[年老いた族長] まったく理不尽なものよ。一滴たりとも雨を降らさぬか、災害になるほどひどく降らせるか、どちらかしかないのじゃからな。
[年老いた族長] チューさんと言ったか、どこから来たのかね?
[チュー・バイ] 玉門からです。
[年老いた族長] しかし話し方は、姜斉の訛りがあるように聞こえるのじゃが……
[チュー・バイ] 生まれはそちらです。
[年老いた族長] なるほど……玉門ということは、北方からやって来たわけじゃな。南にもう少し歩けば、土石流で破壊された馳道が見えるはずじゃ。
[チュー・バイ] 全く、ままなりませんね。
掠れた唸り声を上げ、幼い駄獣が目覚めた。女剣客が手を緩めた隙に駄獣は素早く曲がり角の向こうへと消えた。二人の前にはただ、道端の枯れた槐の木だけが残った。
もう三月末だというのに、この北西の小さな村には未だに春が訪れていないようだ。
[年老いた族長] 本当にままならぬなぁ。お嬢さんがシャオシーに会った時には、一人だったと言う話じゃが、あの子もきっと外で辛い目に遭ったことじゃろうて……
[年老いた族長] 一つ聞かせてもらいたいのじゃが、シャオシーは……外で何か悪さはしとらんかったかのう?
[チュー・バイ] ……悪さというほどのことは何も。ただ荒野で一人道に迷っていただけです。
[年老いた族長] あの子は幼い頃から騒ぎばかり起こしとったもんじゃから……
[チュー・バイ] 族長、ファン・シャオシーについて、少し疑問があります。
[チュー・バイ] どうもこちらの村人は、あの子に対して敵意を抱いているような気がするのですが?
[猟師] ……
[ファン・シャオシー] ……
しばしの沈黙の後、猟師の男は身を翻して家の奥に入っていった。それから少しして、獣の骨や皮を腕に抱えて戻ってきた。
[猟師] 持っていけ。
[ファン・シャオシー] 親父、何だよこれ?
[猟師] 家に残ってる猟果だ。まだ春先で荒野にも獲物が少ないから量はないが、幾ばくかの金にはなる。これをあの女の人にお詫びとして渡してこい。
[ファン・シャオシー] ……
[猟師] これでも足りないか?
[猟師] といっても、これで全部だからな。何なら俺が頭を下げに行ってもいい……あまり話の通じそうな人じゃなかったが。
[ファン・シャオシー] あの人は取り立てに来たんじゃないってば!
[猟師] お前が人様の物を盗んだか、壊したかしたんじゃないなら、こんな遠くまでついてこないだろうが。
[ファン・シャオシー] ……
[ファン・シャオシー] 俺が悪さしかしないように見えるのかよ?
[猟師] 自分の素行を思い出してみろ……
[驚いている村人] ああっ! 門も、梁も……半分崩れ落ちちゃった……
[驚いている村人] 何百年もここで私たちをお守りくださっていた移山廟を、ここまでめちゃくちゃにするなんて……この罰当たり!
[激怒する村人] ご先祖様の像になんもなくてよかったぜ。おい、叩頭はひとまず後にしろ。こんな騒ぎを起こした張本人をとっ捕まえるのが先だ。
[驚いている村人] そうよ、ファン・シャオシーは? なんでいないの?
[激怒する村人] あのガキ、多分自分も爆発でケガしたんだろうな。血だらけのまま足を引きずって村から出て行ったに違いない。あんな大量の爆薬を使いやがって。自業自得だ……
[驚いている村人] 何ですって!?
[驚いている村人] たかが土地の問題なんだから、相談すれば解決できたはずなのに。こんな大ごとにするなんて、何を考えてるのよ……
[激怒する村人] 仕方ない。とりあえず族長に知らせに行ってくれないか。俺は猟師のところに行ってみる……
[驚いている村人] あの子、村の外へ逃げたんでしょ?
[激怒する村人] あんな大ケガだぞ。みんなに知らせて探しに行くしかないだろ!
[チュー・バイ] 爆薬を仕掛けて、村の廟を爆破した?
[チュー・バイ] 三年前と言えば、まだ十一、二歳かそこらの子供でしょう?
[年老いた族長] あの子の父は元猟師でな。手作りの旧式爆薬で野獣の巣を塞いだりしとった。あの子も小さい頃から機転が利いて度胸もあったから、父親の技術をこっそり覚えたんじゃろうな。
[チュー・バイ] それは私も身をもって実感しました……確かに彼のやりそうなことですね。
[チュー・バイ] 話に出たのは、あの村の入口にある廟ですよね。ここに来た時にも見かけましたが、とても特別なものであるように感じられました。奉られているのは一体なんですか?
[年老いた族長] 我が謀善村のご先祖様じゃ。
[年老いた族長] 昔々……とは言え、世代が替わるごとに語り継がれてきた物語じゃから、果たして何年前の話かはわしも知らんがのう。何百年、いや千年くらい昔になるかの?
[年老いた族長] とにかくその当時、ここは四方を大きな山々で囲まれておってな、道などどこにもなかった。羽獣すら飛んで来んかったほどな。
[年老いた族長] そんな中、ご先祖様はたった一人、鍬一本で山を切り拓き、土地を開墾したんじゃよ。そうして徐々にこの村が出来上がっていった。
[年老いた族長] この周辺数十里の痩せた土地を見たじゃろ。こんな寂れた山奥に、天災を避けられて、作物も採れる小さな農村を作り上げたことで、わしら百人ほどの人間が食っていけるようになったんじゃ。
[チュー・バイ] 一本の鍬で、己が定めを覆し活路を切り開いたのですね。
[年老いた族長] あの廟は「移山廟」という。あれを祀る理由は二つあっての。一つはご先祖様の恵みに感謝すること。もう一つは、わしら子孫が彼の持っていた心を忘れないようにすることじゃ。
[年老いた族長] あの廟は何百年にも渡って謀善村の安寧を守ってきたんじゃよ。
[年老いた族長] ただの土と木でできた建物が、天候や農作物の収穫に影響を及ぼすことなどありえん。それは皆よく分かっとる。
[年老いた族長] じゃが、謀善村の者たちは、先祖代々そうして生きてきたんじゃ。心の中で祈りながら、安らぎを求めながら……
[ファン・シャオシー] 親父、怒りたいんなら素直に怒りなよ。
[ファン・シャオシー] そんな風にずっと睨まれてたら、ずーっと怖いだけで何も分かんないよ。
[猟師] ……背が伸びたな。でかいとまでは言えないが。
[猟師] この数年間、外でろくに飯を食ってなかったんだろ。
[ファン・シャオシー] そんなことかよ……
[猟師] 生きてたんなら、それでいい……俺はただ心配だったんだ……
[猟師] 村にはどうやって戻ってきたんだ?
[ファン・シャオシー] 徒歩だよ。馳道に沿って歩いてきた。たまたま商隊に出くわして、ついでに駄獣や荷車に乗せてもらったんだ。
[猟師] 何日くらいかかった?
[ファン・シャオシー] 大体一ヶ月くらい。
[猟師] そんなに遠くまで行ってたのか……
[ファン・シャオシー] 親父は……
[ファン・シャオシー] ここ数年どうなんだ……?
[猟師] 食ってはいけてる。
[猟師] だが数年前から、なぜかどんどん不作になっててな。虫害で稲がやられたあとに、干ばつまで来た。雨がまるで降らないもんだから、井戸を掘っても水が湧いてこなくなっちまった。
[猟師] その上、今年の春分は、ちょうど種まきの時期になった途端、大雨続きだ……
[猟師] この大地はどこもこんな感じなのか、それとも単に神様が、こんな片田舎だけに難癖をつけてるってことなのかは分からんがな……
[猟師] じゃなけりゃ、移山廟のご先祖様が、もうこの村のことを守りたくなくなっちまったのかもなぁ……
[ファン・シャオシー] それもこれも俺があのオンボロ廟をぶっ壊しちまったせいだって、親父はそう言いたいんだろ?
[猟師] そういう意味じゃ……
[ファン・シャオシー] そんな風に考えるのは無能な奴だけだよ。
[ファン・シャオシー] 「畑仕事で頼れるものは、手に持った道具と、土の世話をする腕前だけだ。」昔そう言ってたのは親父じゃないか。
[ファン・シャオシー] 廟の中にある像が起き上がって動き出して、麦の刈り入れを手伝ってくれたりするか? そんなわけないだろ?
[猟師] そういう理屈の話じゃない……お前はもっと落ち着いて話すことを覚えろ。何を言おうが、先に迷惑かけたのはこっちなんだから……
[ファン・シャオシー] 親父がそうやって事なかれ主義だから、村の奴らが付け込んでいじめてくるんだよ!
[ファン・シャオシー] なにが、山が徐々に田畑を飲み込んでるから移山廟が埋もれないように移動するだ。ならジョウ・リュウんとこの傾斜地の辺りに移せばいいだろ。あそこは広いし、作物だって取れやしないのに。
[ファン・シャオシー] あいつらはただ、余所者の俺たちをいじめたいだけなんだよ!
[猟師] はぁ……もういい、その辺にしておけ。
[チュー・バイ] なるほど。村人たちがファン・シャオシーを見て、過剰な反応をしていたのも無理はありませんね。
[年老いた族長] ……
[年老いた族長] そうではないんじゃ。
[年老いた族長] わしらはてっきり、あの子はもう……
[チュー・バイ] ……
[年老いた族長] あの子が廟を爆破してから荒野へ逃げた時……大ケガをしていたと聞いたものじゃから。
[チュー・バイ] 捜索はしなかったのですか?
[年老いた族長] もちろん、した。
[年老いた族長] じゃが急いで人手を集め、何日もここら一帯を捜し回ったものの、結局見つからんかったんじゃ。
[チュー・バイ] ……
[年老いた族長] 江南の村は、どこもかしこも春の景色が大変美しいと聞く。
[年老いた族長] じゃが、この村で普段目に入る色と言えば、くすんだ黄色ばかり。冬に入れば一面真っ白で、人の住む家はまるでかくれんぼでもしておるように、すっぽりと雪で覆い隠されてしまう有様じゃ。
[年老いた族長] 未だに野獣が占拠しておる場所も少なくない。そもそもが歩きづらい上に、時折他所から逃げてきた盗賊に出くわすことまである始末じゃ……
[年老いた族長] そんな所で、小さな子供が大ケガまでしておったのでは到底……
[チュー・バイ] 今もああして元気に走り回っている姿を見るに、あの子はよっぽど運が良いんでしょう。
[年老いた族長] 無事であったなら何よりじゃ。
[チュー・バイ] 族長、一つ言っておきたいことがあります……
[年老いた族長] 何ですかな。
[チュー・バイ] 私はファン・シャオシーと偶然出会い、ここまで送り届けただけの部外者です。道理から言えば、あなた方の村のことに関して私が口を挟む謂れはないでしょう。
[チュー・バイ] しかし、シャオシーをここへ連れ戻した以上は、彼に対する責任というものがあります。
[年老いた族長] ……仰る通りじゃ。
[チュー・バイ] 私は決して自分が人を見るのに長けているとは思っていませんが、ここまで共に過ごしてきた中で、多少なりともあの子のことを理解したつもりです。
[チュー・バイ] 少しわがままで手を焼きますが、根は決して悪い子ではありません……
[チュー・バイ] どうか、あまり辛く当たらないでやってください。
[年老いた族長] はぁ、何を仰るかと思えば……
[年老いた族長] ご安心くだされ、お嬢さん。この謀善村は確かに貧しい村じゃが、わしらとて物事の道理はわきまえておるつもりよ。
[年老いた族長] もし何かを恨むとしたら……一体何を恨むべきか? この山々か、お天道様か、それとも……
[年老いた族長] わずか十数歳の子供一人か?
[年老いた族長] 先程お嬢さんもままならぬと仰られたように、廟を移すのは、村人たちの苦しみを和らげて心に安寧をもたらすためでしかない。今思い返せば、あの時の皆のやり方は配慮に欠けていたとは思うがの。
[年老いた族長] そもそも彼ら猟師一家に対し、先に非礼を詫びるべきはこのわしの方なのじゃから……
[チュー・バイ] 族長は是非の判断がはっきりしている方ですね。
[チュー・バイ] 私に対する説明は必要ありません。ファン・シャオシーが過ちを犯したのは確かですし、この三年で彼も十分苦しんだはずでしょう。これでもまだ懲りないなら、躾けてやるのは当然のことです。
[チュー・バイ] 過ちを犯して痛い目に遭い、その痛みを覚えて見識を広げる。その過程を経ることで、人は生き方を学ぶのですから。
[年老いた族長] チューさんは達観しておられる。
[チュー・バイ] とんでもない。
[チュー・バイ] 族長のお考えを聞かせてもらったおかげで、私も胸のつかえが取れました。
[年老いた族長] それは重畳、重畳……
[ファン・シャオシー] 廟をぶっ壊した張本人が、三年ぶりに舞い戻ってきたんだぜ。あいつらが根に持ってるって言うんなら、直接俺んところへ来ればいいじゃんか。
[ファン・シャオシー] もう一回同じことがあったとしても、俺は変わらずあの廟をぶっ壊してやるつもりだしな。
[猟師] ああもう、壊したきゃ壊せばいいだろう!
[猟師] 三年前にあれだけのことをやらかしたお前のことだ。今ならもっとすごいもんを見せてくれるんだろうよ。
[猟師] 何しに帰ってきたんだ? また爆発を起こして、逃げ出すためか?
[ファン・シャオシー] ……
[ファン・シャオシー] 分かったよ、もう言わないから。
[猟師] はぁ……
[ファン・シャオシー] 親父、この木材は何のために運んできたの?
[猟師] ……
[猟師] ……棺桶を作るためさ。
[猟師] 俺の身体は日に日に衰えてるからな。何年も前から貯め込んでた老後資金は、移山廟を修繕するために全額村に渡しちまったし。
[猟師] お前が生きてるか死んでるか、それすら分からなかったんだ。俺が死んだ後の寝床は、自分で作らにゃならんだろ。
[ファン・シャオシー] やめてくれよ親父……
[猟師] 俺はあの時、丸々一ヶ月もお前を探してたんだぞ……
[ファン・シャオシー] ケガしたまま馳道の辺りまで頑張って歩いて、ここまで来れば安心だと思ったら気絶しちゃったんだ……
[猟師] はっ、賢いな。
[ファン・シャオシー] 山の幸を買い取る商隊が俺を見つけて、エサを運んでた駄獣の背中に乗せてくれたんだ。気が付いた時には、移動都市の中にいたよ。
[猟師] 見つけてくれたのが野獣じゃなくて、心の優しい人でよかったな。
[猟師] ケガが治った後はどうしてたんだ?
[ファン・シャオシー] そ、その……立派な男になって何かを成し遂げてから帰ってこようと思ってたんだ。
[ファン・シャオシー] 親父は、俺が移動都市で何をやってたかは訊かないんだな……
[猟師] お前が本当に何かを成し遂げたんなら、剣客に引っ張られて帰って来るはずがないだろ?
[ファン・シャオシー] ……
[猟師] 前にも言っただろう。謀善村みたいにちっぽけな村ん中ですら大人しく暮らせないんだ。町や移動都市に行ったところでもっと辛い思いをするのが関の山さ。命があっただけでもめっけもんだよ。
[ファン・シャオシー] ……
[猟師] 俺は移動都市に行ったことがないから、実情はよく知らない。機会があったら教えてくれな。
[ファン・シャオシー] ……うん。
[猟師] で、今回もまた騒ぎを起こすつもりなのか?
[ファン・シャオシー] 誰もいじめてこなけりゃ、騒ぎなんて起こさないよ。
[猟師] またそんな減らず口を……
[猟師] お前が出て行ったあの日、族長は村のみんなをかき集めて、お前を捜すのを手伝ってくれたんだぞ。
[猟師] あれから俺が一人で暮らしてる間も、村の人に酷いことをされたりはしなかった。「三畝三」の田んぼだって、今までずっと使えてるぞ?
[ファン・シャオシー] 単に、あいつらにも最低限の良心はあるってだけでしょ……
[猟師] シャオシー、言うことを聞いてくれ……
[猟師] もう無茶なことはやめて……この村で静かに暮らしてくれないか……
[ファン・シャオシー] ……
[ファン・シャオシー] 分かったよ。
[ファン・シャオシー] もう行っちゃうんだ。次は江南に行くの?
[チュー・バイ] 私には私の行くべき場所があります。ここに寄ったことで、日程にもずいぶん遅れが出てしまいました。
[ファン・シャオシー] でもさ、もうすぐ日も暮れるし、急ぐことないでしょ。いっそ何日か泊ってってさ、ついでに俺に武術でも教えてから出発すればいいじゃん!
[チュー・バイ] ここへ来るまでに躾けた分じゃ不足ですか?
[ファン・シャオシー] ……
[ファン・シャオシー] 親父、なんか言ってやってくれよ……
[猟師] お嬢さん、息子を送ってくれてありがとう。何の礼もできず──
[チュー・バイ] お気になさらず。
[猟師] 急いでいるようだから、引き留めるつもりはないよ。
[チュー・バイ] ファン・シャオシー。この出会いも縁と言うものでしょう。別れる前にいくつか伝えておきたいことがあります。
[チュー・バイ] 江湖は厳しい場所です。深めるべき見識とそうでないもの、あなたはどちらもその目で見て来たでしょう。家に帰ったからには大人しくすることです。分別のないことは控えるように。
[ファン・シャオシー] ふん! どこにいたって、いつか立派な男になってみせるからな。姉ちゃんもきっといつの日か、江南で大侠客ファン・シャオシー様の名を耳にするよ。
[チュー・バイ] 悪名が聞こえてこなければ十分ですね。
[チュー・バイ] 今度悪さをして捕まっても、また私のようなお人好しに巡り合えるとは限りませんよ。
[ファン・シャオシー] お人好し……それ、誰のこと? はいはい、分かったからもう行きなよ。
[ファン・シャオシー] そうだ、侠客がよく言うあのセリフ、俺に言ってくれないかな? 小説なんかでよく出てくるアレだよ……
[チュー・バイ] 何ですか?
[ファン・シャオシー] 「さらば、また江湖で会おう」ってやつさ。
[チュー・バイ] また江湖で会おう。
[チュー・バイ] ……
[年老いた族長] チューさん、そこまで見送るぞい。
[チュー・バイ] お気遣いなく。
[年老いた族長] これくらいはさせておくれ。
[年老いた族長] 村の道は長らく整備などされとらんから、分かりにくい。わしが入口まで案内しよう。
[チュー・バイ] ……
早足で歩くチュー・バイの後ろを、老人がどうにかついて行く。二人の間にはもう会話はなかった。
辺りは徐々に暗くなってきている。奇妙な話だが、江湖の者たち――己の腕を頼りに世を渡る人々というのは、どうも夜間に道を急ぐ傾向がある。
村の入口には、新たに建てられた墓が縮こまるようにして夕闇の中に紛れていた。
[チュー・バイ] ……
[年老いた族長] 周四(ジョウ・スー)、全員揃ったか?
[傍観する村人] 族長、もう一度数えてみますんで……
[傍観する村人] ダーユァンは今日、畑仕事をしてる時に鋤で足を擦りむいちまって来れなくなりましたが、それ以外は全員揃ってます。
[ファン・シャオシー] 親父、村人全員集合なんて、少し大げさだよね?
[ファン・シャオシー] 前に廟の中で一族大会議を開いた時は、俺らの姓がジョウじゃないからって理由で仲間外れだったけど。
[猟師] はぁ……
[猟師] 今日のことは、俺たちにも関係のある話なんだよ……
[ファン・シャオシー] ……
三年の時を経て、ファン・シャオシーは再びこの廟の中に足を踏み入れた。今回は爆薬を持たず、隣にひどく老け込んだ父親がいた。
かつて彼が爆破した壁は新調されており、中央にある開拓の祖の像も修復されていた。だが、その修復が少々滑稽な出来栄えだったので、ファン・シャオシーは思わずくすりと笑ってしまった。
床は何か所も石のタイルが割れている。天井に架けられているボロボロの梁には、蜘蛛の巣が幾重にも張り巡らされて、古くなった木材と同じような色になっていた。
この廟が取り返しのつかない状態からいくらかマシになったのか、それとも一新された後で徐々に朽ち果ててこうなったのか。辺りが暗くてよく見えないせいで、彼にはしばらく判断がつかなかった。
[年老いた族長] ……
[年老いた族長] そういうことじゃ。
[年老いた族長] 先ほど、シャオシーが全員に謝罪した。当時はまだこの子も幼く、猟師のもこの三年間、移山廟の修繕に力を尽くしてくれた。これをもって不問に付そうではないか。
[傍観する村人] 族長、早く本題に入りましょう。
[ファン・シャオシー] ……
[年老いた族長] 猟師の、お前さんがこの謀善村に来てからどれくらい経つ?
[猟師] 今年いっぱいで、もう二十一年になります。
[年老いた族長] お前さんの家はこの村で唯一、外の姓を名乗っておってたが、村の女子を娶り、長い時をここで過ごしてきた以上、我々はもはや家族と言えよう。
[年老いた族長] 以前は諍いがあったり、互いに誤解が生じたりもしたが、すべては過去のことじゃ。
[年老いた族長] 今日より、我が宗家は正式にお前さんたち一家を受け入れることとする。これでご先祖様も我々と同じ様に、親子二人の平穏で豊かな暮らしをお守りくださることじゃろう。
[年老いた族長] 望むなら、シャオシーの姓をジョウと改めてやってもよい。
[ファン・シャオシー] は!?
[ファン・シャオシー] 何のつもりだよ……
[ファン・シャオシー] するわけないじゃん。俺は自分の名前が好きなんだから。理由もなくいきなり変えたりなんかしないよ?
[ファン・シャオシー] 族長、あんたら一体何が言いたいんだ? はっきり言いなよ。
[年老いた族長] とにかくじゃ……同じ家族となったからには、これからは共に苦難を乗り越えて行かなくてはならん。
[年老いた族長] 今日、村の皆を集めた真の理由は、あることを伝えるためじゃ。
[年老いた族長] シャオシー、村のために……死人になってはもらえんかね?
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