登録日:2013/09/17 (火) 21:07:35
更新日:2023/11/20 Mon 13:38:35NEW!
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SLやまぐち号とは、JR西日本が運行する蒸気機関車牽引列車である。
概要
かつて、世界中の鉄道で主役の地位を築いていた蒸気機関車、通称「SL」。
しかし、鉄道黎明期から続いたその活躍も1950年代を境に終焉を見せ始め、今や現役を貫き通している車両は世界広しと言えども数えるほどしか無い。
だが、その存在感や功績に惹かれる人は21世紀になってもまだまだ多く、それに応えるかのように各地で一度は引退したSLが復活し、観光客を輸送して古き良き鉄道の時代を演出している。
勿論日本でも例外では無く、1975年をもって国鉄から引退し、1980年代には貨物専用の鉄道路線(工場内の路線など)から撤退する一方、時を同じくして各地で復活運転が相次いで行われている。
その中でもパイオニア的存在となっているのが、この「SLやまぐち号」である。
◆誕生まで
日本の蒸気機関車の復活運転の先駆けとなったのは、静岡県を走る大井川鐵道が1970年から運用を始めたSL列車である。
この頃はまだ短い路線しか走っていなかったが、1976年からは本線でSL列車「かわね路号」の運転が始まり、現在も盛況となっている。
一方、同じ年に国鉄では大阪~京都間に臨時SL列車「京阪100年号」を運転する事になっていた。
この頃は北海道に残っていたSLたちが引退した事で、国鉄のSLは京都にある梅小路蒸気機関車館(現:京都鉄道博物館)の車両たちが唯一現役の状態だった。
そこで、博物館の周辺の路線を利用してSL列車の本格的な保存運転を始めよう、と模索したのである。
1970年代は日本各地でSLが消えていくのと反比例するかのように人気が急加速し、鉄道マニアが一気に増大した「SLブーム」と呼ばれる時代。
引退後もその人気は覚めやらず、大人から子供まで多数のファンが見物や撮影に訪れていたと言う。
今の大宮駅に集まる鉄道マニアと同じような感じと捉えて頂くとありがたい……。
……その活気もマナーも全て含めて。いや、悪い意味で大宮駅以上だったかもしれない。
前述の「京阪100年号」は、SL列車を一目見ようとする大量の鉄道マニアのが押し寄せ、一部はルールなどお構いなしと言う感じで堂々と鉄道用地に入りこんでいたという。
そして、周りの注意を無視して線路内に立ち入り、写真を撮ろうとしていた一人の小学生が列車に接触、命を落とすと言う事態を起こしてしまったのである。
「京阪100年号」はSLでの牽引を中止し、電気機関車によって終点まで運転された。
SLの保存運転のきっかけを掴もうとした国鉄への衝撃は非常に大きく、大都市圏での蒸気機関車の保存運転を中止する事態になった。
その代わりに、都会から離れた地方都市を走る路線で改めて復活運転を行おう、と言う動きが始まったのである。
様々な路線の調査を行う中、白羽の矢が経ったのが山口県を横断する「山口線」。
復活運転については各地から引く手あまただったが、当時の国鉄は大赤字に悩まされていた。北海道や九州で運行しては皆飛行機で行ってしまうので収益にならない。
山口線は小郡駅(現:新山口駅)で山陽新幹線に接続し、競合交通機関が原則存在しない絶妙な距離に位置する。これに加え適度な勾配もあれば転車台もあり、近くに観光名所があったりとまさにイベント列車にはうってつけの路線であった。
こうして、1979年から運転を開始したのが「SLやまぐち号」である。
◆列車解説
新山口駅から、山陰の小京都への最寄り駅津和野駅までを結ぶ列車。
正確には「やまぐち」と言う名前の臨時快速列車である。主な運転期間は3月から11月。週末や祝日、夏休みやゴールデンウィークなどの長期休暇などの帰還に1日1往復が運転されている。
また、正月には特別列車が組まれるのが恒例行事となっている。
現在の編成は基本的に5両の客車をSLが牽引する形となっている。
SLが検査や故障した際はディーゼル機関車のDD51形が代行で牽引しており、列車名も「DLやまぐち号」に変わる。
後述の通り車内はレトロな感じとなっており、明治や大正、昭和初期など様々な時代の趣を味わう事が出来る。
両側の客車は展望スペースが備わっているのも特徴。
◆使用車両
○蒸気機関車
・C57 1
整ったスタイルで「貴婦人」とも呼ばれる、旅客列車用の蒸気機関車。
ボイラーや運転室が付いた車両と、「炭水車」と呼ばれる石炭や水がたっぷり入っている車両が連結されている「テンダー式蒸気機関車」である。
計201両が製造されて日本各地で活躍したのだが、そのトップナンバーとなったのがこの車両。
最初の頃は北関東や千葉県で活躍していたが、1950年代中盤以降は羽越本線など日本海沿いの路線に移籍した。
その中で一時土砂崩れの現場に突入してしまい、車両が大破し数か月も放置されてしまうと言う事態にも直面したが、長期間の修復で無事に復活。
1972年まで定期の普通列車などの牽引を務めたが、その後もお召し列車の先頭に立つなど華々しい活躍の舞台を得る事が出来た。
そして同年に千葉県で臨時列車の運転を担当した後、梅小路蒸気機関車館の開業に合わせてはるばる京都へ引っ越した。
そして数年後、国鉄初の本格的な蒸気機関車の復活運転に挑む事となる。それ以後は煙突から出る煙を抑えるために四角く大きな集煙装置を備え付けている場合が多かったが、見栄えが悪いと言う事で最近は取りつけない例も多くなっている。
神戸の工場で修理中に阪神・淡路大震災に直面する、運転中に重大な不具合を起こしてしまうなど何度も危機が訪れたが、その度に多くの人々の努力で修復され、復活から30年以上経った今も日本の蒸気機関車の代表格として活躍を続けている。
そして、この機関車は今まで一度も「廃車」された事が無く、文字通り生涯現役を貫き通している。
なお、現在の炭水車は2009年に新しく作られたもの。設計図が消えていた事もあり、改めて現物から作りなおしたと言う。
2020年10月の運行中にシリンダートラブルで擱座して以降運用から離脱しており、修繕のめどが立たないのか2023年現在も梅小路に留置中である。
ちなみに日本海沿いで活躍していた頃には、JR東日本でSL列車の牽引を担当している「D51 498」や「C57 180」とも肩を並べていたとか。
・C56 160
ローカル線を走る客車列車や貨物列車を牽引するため製造された小型のテンダー機関車で、「ポニー」と言う愛称も存在する。
そのラストナンバーがこの車両。
津山や鹿児島、横浜と日本各地を転々とした後、1964年からは上諏訪機関区を寝床に、小海線や七尾線など中部地方で活躍した。
そして梅小路蒸気機関車館の開業に合わせて京都へ引越し、こちらも一度も廃車にならないまま生涯現役を貫き通している。
小柄な車体を生かしてどんな場所でも走る事が出来、主に各地の臨時列車の運用で活躍している。
その範囲は広くJR西日本管内の他、定期のSL列車が無い四国および東海地方、そして遠く離れた関東、東北、北海道まで日本中にその足跡を記している。
その中で度々「SLやまぐち号」にも顔を出しており、2両のSLが連なる重連運転を見せた。
C57 1が故障した時のピンチヒッターを務める事もあるが、車体が小さくパワーが無いためにディーゼル機関車をお供に付けて運転している。単独の場合、客車2両を引っ張るのが限界だった。
ただ、あまりに各地で大活躍しすぎた事で老朽化が進んでいるらしく、本線運転からは2018年に退いた。本線から引退後は京都鉄道博物館でSLスチーム号を牽引している。
・C58 1
ローカル線向けに登場したテンダー機関車。C56よりも大きな車体で、客車も貨車も何でも牽引する事が出来る。
トップナンバーであるこの車両は長年北海道で活躍していたが、梅小路蒸気機関車館の開業に合わせて京都へやって来た。
そしてSLやまぐち号復活に併せ、主役級の車両として見事復活を遂げた……のだが、その後ボイラーの老朽化で故障が相次ぎ1984年に現役を引退。
その後は梅小路で静態保存されており、せっかくの復活運転も僅か5年で終わってしまった。
なお、同じC58形は1988年に秩父鉄道で「パレオエクスプレス」が、2014年からはJR東日本の釜石線でも復活した。
・D51 200
皆様ご存知、日本で最も多く製造された機関車「デゴイチ」の1両。
それまでも梅小路の保存列車「スチーム号」の先頭に立って活躍していたが、本線を走れる状態までの整備は行われていなかった。
しかし、SLの整備技術を後世に伝えるため、そしてC56形160号機の老朽化などの理由から本格的な復活が決定。
試運転中に起きたトラブルを解消した後、2017年11月25日から営業運転を開始。中国山地に久しぶりにD51形が帰ってきた。
2020年8月以降はメインであったC57形1号機が実質的に不動車になってしまったため、本機がメインで活動している。
本列車のほか、「SL北びわこ号」の牽引にも使用されていた。
○ディーゼル機関車
・DD51/DE10
客車が重すぎる、あるいはSL側に問題があって出力が出せないといった場合に補機として連結される。
また、先述した通りSLが使用できない場合は本務機として投入されることもある。
○客車
・35系4000番台
12系客車に代わり、2017年に登場した新型「旧型客車」。
こう書くと意味が分からないかもしれないが、要は「21世紀の最新技術で戦前の旧型客車を再現する」というコンセプトで生まれた車両である。
外見はまるっきり昔懐かしのレトロな旧型客車そのもので、形式名の「35系」というのも蒸気機関車全盛期に導入された客車のそれと同じである。
一方で電灯はLED照明、全車冷房&自動ドア装備、台車もJR西日本の気動車に使用されているものを基にした最新鋭の装備となっている。
編成は12系と同じく5両編成だが、新山口駅寄りの展望車「オロテ35」は「SLやまぐち号」初のグリーン車となっている。
また3号車には座席の他にSL運転シミュレータなど遊んで学べる様々なアトラクションが設置されている。
2018年鉄道友の会ブルーリボン賞受賞。
この年は同じJR西日本の「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」、JR東日本の「TRAIN SUITE 四季島」という強豪と得票数で競ったが両者を抑えて見事1位となり受賞に至った。
・12系
大阪万博に併せ、団体・臨時列車用に登場した急行型客車。
北海道を除く全国各地で使用されたほか、JR東日本でもSL牽引のお供に使用されている。
SLやまぐち号の運転開始当初は原型車が使用されていたが*1、JR西日本に移管された後に塗装を茶色に白帯と言う昔の客車そっくりの物に変更。
さらに1988年には大改造が行われ、展望車、欧風客車、昭和風客車、明治風、大正風と様々なテーマに基づいた車体や内装になっている「レトロ列車」として再登場している。
最初の頃は様々な塗装の客車が連結する格好となっていたが、何度かのリニューアルを経て茶色と白帯に統一され、整った見栄えとなった。
……ただし既に誕生から数十年が経過しており、2017年8月をもって「SLやまぐち号」から引退。引退後は静岡県の大井川鐵道へと譲渡され、第二の人生を歩むこととなる。
が、2023年現在、運用されることなく留置中である…ここの会社は大体こんなんなので気長に待つべし
・その他
1938年に製造され、長らく交通科学博物館で保存されたのちに1987年に車籍復帰した展望車「マイテ49 2」が連結されることがあったが、老朽化が進行したため2022年を最後に再度車籍が抹消され、現在は京都鉄道博物館に保存されている。
なお、上記の35系に連結されている「オロテ35」のモチーフはこのマイテ49形である。
また、「あすか」「サロンカーなにわ」「ゆうゆうサロン岡山」といったジョイフルトレインが使用されたこともある。
◆余談
- 山間を走るという事もあり、SLやまぐち号はよくトンネルを通過するが、その際には絶対に窓を開いてはならない。
もしうっかり開いてしまったら、トンネル内に充満した蒸気機関車の煙が、ススと共に一気に車内に入りこんでしまうのである。皆様くれぐれもご注意を。
(これはやまぐち号に限らず、どこのSLにもあり得ることだが)
追記・修正はC57 1の復活を待ち望む人がお願いします。
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▷ コメント欄
- 山口線の記事を作った者です。作ってくれてありがとう! -- 名無しさん (2013-09-17 21:34:27)
- あれ、C56が引退した理由って、新型ATS載せるスペースが無いからじゃなかったっけ? -- 名無しさん (2023-09-13 03:49:08)
- なんか記事の内容が変では? -- 名無しさん (2023-09-13 21:34:19)
- ↑どう直したらいいんすかね 因みにこのSLは休みの日に家で寝てるだけでも音を聞けます -- 名無しさん (2023-09-13 21:56:59)
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