aklib_story_樹影にて眠る_揺らめく木陰

ページ名:aklib_story_樹影にて眠る_揺らめく木陰

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樹影にて眠る_揺らめく木陰

一行は森林地帯に住む友好的な部族のもとで宿を借りるも、その晩、マゼランは自分が影に狩られてしまう夢を見た。他方で部族は族樹を呼び起こす儀式をし、サンタラはその手伝いをした。ついに大樹が立ち上がり、部族と共に歩き出さんとする中で、マゼランはその影に既視感を覚えていた。


[ティフォン]吸って。

[マゼラン]すぅ――

[ティフォン]吐いて。

[マゼラン]ふぅ――

[ティフォン]さあ、これを食べろ。

[マゼラン]わかった――って、すっぱ……

[ティフォン]不味くはないだろう。慣れれば平気だ。

[ティフォン]ほら、これも。

[マゼラン]あむっ――ん? この果物、どうして空っぽなのかな?

[ティフォン]泡のようだろう?

[マゼラン]んー……確かに。

[ティフォン]だから我々地元の人間はこれを「泡」と呼んでいる。食べた気はしないが、山を登るのなら必需品だ。

[ティフォン]これで少しはマシになったか? 頭痛はどうだ?

[マゼラン]んっと……うん、もう大丈夫。この果物、高山病の薬よりもよく効くね。

[マゼラン]これってどういう作用で効くのかは知ってる?

[ティフォン]知らない。こうして食べれば効くんだから、それでいいだろう?

[マゼラン]それじゃダメなんだって。ちゃんとメモを取って、サンプルを持ち帰れば、薬の研究開発をしてる同僚がきっと興味を持つだろうし。

[サンタラ]マゼラン、今その薬は持ってる?

[マゼラン]高山病の? 持ってるよ。

[サンタラ]だったら、それの主成分を見てみるといいわ。

[マゼラン](荷物を漁る)

[マゼラン]あった!

[マゼラン]ええと、主成分は……地這いホオズキ、バブルフルーツのエキス……えっ、これもしかして!?

[サンタラ]サーミとクルビアの主な貿易品目の一つに医薬品の原料があるの。

[サンタラ]聞いた話だと、クルビアの企業は医薬品に必要な成分を人工的に精製できるようになったり、別の場所で原料を栽培できるようになったりしたら、それまでの貿易相手を切り捨てるそうだけど……

[サンタラ]残念ながら、そのやり方はサーミ相手には通用しないのよ。

[マゼラン]栽培環境を再現できないからってこと?

[サンタラ]いいえ、もちろんできるでしょうね。だけど環境を再現できたとしても、植えられた植物は違うものへと育つの。

[サンタラ]その原因はシンプルよ。

[ティフォン](サーミ語)すべてはサーミが与え給うたものだからだ。

[サンタラ](サーミ語)そう、すべてはサーミが与え給うたもの。

[マゼラン](たどたどしいサーミ語)すべては……サーミが……あたえたもうたもの?

[ティフォン]お前は本当に言語の習得が早いな。出会ったばかりの頃には、お前が何かサーミについて話そうとするたび、シモーネの通訳を待たねばならなかったのに。

[マゼラン]えへへ~。

[マゼラン]でも、君のクルビア語もすっごく流暢だよ。

[ティフォン]アルゲスが物知りなおかげで、わたしも多少わかるようになっただけだ。

[サンタラ]さてと、もうじき森ね。これでもう山の民はちょっかいを出してこないはずよ。

[ティフォン]ふぅ、やっとうまい飯にありつけるぞ。

[マゼラン]森があれば美味しいものもあるってこと?

[ティフォン]山にいると、肉は悪くないが、まともに食える果物がないからな。

[ティフォン]その点、森なら食べたいものが何でも手に入る。

[マゼラン]おおっ。

[マゼラン]えっと、ノートノート……「森林地帯は食べ物が豊富……」

[サンタラ]ところでティフォン、この辺りに集落はある?

[ティフォン]ああ。それも木を持つ部族の集落だ。

[サンタラ]ということは、何年かここで平穏に暮らしている人たちね。

[マゼラン]木を持つ部族って?

[サンタラ]森に住む部族は、自分たちの「族樹」を持つものなの。

[サンタラ]……そうでない場合はその部族がまだとても若いか、あるいは族樹を失ってしまったか。どちらにせよ、笑いものにされてしまうわ。

[サンタラ]それで、その一族は話が通じるほうなのかしら?

[ティフォン]かなり温和な連中という印象だ。

[ティフォン]そもそも、森の民は山の民よりも親切で客好きだしな。

[マゼラン]えっ、そうなの?

[ティフォン]ああ。山の戦士たちはいつも北の化け物や敵対的なウルサス人を相手にしている分、当然ながら気性が荒い。

[ティフォン]だが、戦線を離れ故郷へ戻れば、皆自然と表情も柔らかくなる。

[マゼラン]それならよかった……

[マゼラン]さっき山の民とか言ってたけど、サーミの人はどういうふうに分けられてるの?

[ティフォン]最北の山に住むのが山の民、中央の森とその付近に住んでいるのが森の民、最南の沼沢地帯に住んでいるのが沢の民だ。簡単だろう?

[マゼラン]じゃあ、ティフォンちゃんはどこの民なの?

[ティフォン]わたしか? わたしは狩人だ。

[マゼラン]狩人? でも今言ってた分け方では、住んでる場所に合わせて呼ばれ方が変わるはずだよね?

[ティフォン]ああ、それは……わたしはサルカズだからな。特定の住処も属する部族もない分、どこの民でもないんだ。

[マゼラン]じゃあ、シモーネさんは?

[ティフォン]シモーネか……彼女は――

[サンタラ]言うなれば……ロドスの民かしら。

[ティフォン]……ロドス? 何だそれは?

[マゼラン]ここでは、ロドスに分類されることもあるの?

[サンタラ]そうなるわね。

[サンタラ]ほら、着いたわよ。

[マゼラン]うわぁ……!

[マゼラン]この木、まるで……垂直な移動都市みたい!

[マゼラン]こ、こんなの見たことないよ!

[マゼラン]早く写真を撮らないと!

[ティフォン]ここは以前と何も変わらないように見えるが……

[ティフォン]彼らはなぜ荷物を運び出しているんだ?

[森の民のシャーマン](サーミ語)ようこそいらっしゃいました、友よ。

[サンタラ](サーミ語)おもてなしに感謝いたします、大樹の従者よ。我らは北より参りました。こちらで一晩宿をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?

[森の民のシャーマン](サーミ語)もちろんです、親愛なるシャーマンよ。我らは常々、喜んで友人をおもてなししてきました。状況さえ許せば、宴を開いて皆様の来訪を祝っていたことでしょう。

[森の民のシャーマン](サーミ語)しかし残念なことに、ご覧の通り、我々は今居を移す準備をしているところでして。長きにわたり暮らしたこの地を明日離れることになっているのです。

[森の民のシャーマン](サーミ語)その分、樹上には空き部屋がたくさんありますので、今夜はあなたとご友人とで一つ部屋を選んでお休みください。大樹もそれを気にすることはないでしょうし。

[サンタラ](サーミ語)大樹とあなた方一族の寛大なお心に感謝いたします。

[森の民のシャーマン](サーミ語)お気になさらず。さあ、どうぞお入りください。

[森の民のシャーマン](サーミ語)ところで、一つお願いが。少し落ち着いたら、木の頂上にある祖堂へおいでいただけますか。知恵をお借りしたいことがあるのです。

[サンタラ]わかりました。

[サンタラ]一晩泊めてもらえることになったわ。お部屋は……梢に近い、あそこにしましょうか。

[マゼラン]はぁ……これでやっとお部屋で休めるよ……

[ティフォン]部屋で、という部分がそんなに重要なのか?

[マゼラン]お部屋でなら安心して眠れるからね。外じゃやっぱり不安だし。

[ティフォン]大したことでもないだろうに……わがままだな。

[マゼラン]わがまま言ってるわけじゃ――ちょっと、あたしの話も聞いてよ!

[マゼラン]防湿マットよし……寝袋よし!

[ティフォン]ぷっ。

[マゼラン]どうしたの?

[ティフォン]いや、何でもない。ただ眠るだけのことでお前が慌ただしくしているのが面白かっただけだ。

[マゼラン]一晩ぐっすり眠れる時間があるんだから、寝心地ばっちりにしておかないとでしょ。

[マゼラン]君も寝てみる?

[ティフォン]わたしにそんなものは必要ない。ローブに包まれば、どこでも眠れるしな。

[マゼラン]それはそうなんだろうけど、試してみてよ。中に寝転んで目を閉じてみれば、あたしがこうする理由もわかるはずだから。すっごく気持ちいいんだよ。

[ティフォン]そうなのか?

[マゼラン]うん。少し寝てみるくらいいいでしょ、減るものじゃないし。

[ティフォン]わかった……

[ティフォン]よいしょ。

[マゼラン]入るだけでもわかると思うから、ファスナーは閉めないでおくね。

[ティフォン]ふむ、柔らかいな。毛皮のようだが……それよりもっと軽い……

[ティフォン]んん……

[ティフォン]……

[サンタラ]食べ物を持ってきたわよ。はい、どうぞ。

[マゼラン]わあっ、ありがとう! ティフォンちゃんの分はこっちに置いておこうっと。

[サンタラ]あら、この子どうしたの?

[ティフォン]……

[マゼラン]寝袋を試してもらったんだけど、そしたらすぐに寝ちゃったの。

[サンタラ]……そう。

[サンタラ]私は少し出てくるわね。ここのシャーマンと話があるの。

[サンタラ]あなたも出かける時は、ティフォンについてきてもらうようにね。

[サンタラ]森の民は親切な人たちだけれど、ルールを守らない相手には怒りを覚えるでしょうから。

[マゼラン]うん、わかった。

[マゼラン]いってらっしゃい、シモーネさん!

[マゼラン]んーと……ねえ、ティフォンちゃん?

[ティフォン]……

[マゼラン]とっても疲れてるみたい。

[マゼラン]じゃあ、入口から外の写真を撮ろうかな……

[ティフォン]うーん……

[サンタラ](サーミ語)お待たせしました。

[森の民のシャーマン](サーミ語)ああよかった、お待ちしておりました。

[森の民のシャーマン](サーミ語)重要な相談事でして……ご存知の通り、我らは居を移す準備をしているところなのですが。

[サンタラ](サーミ語)山地から来る途中でも厄介ごとに出くわしましたが、こちらにも同じようなお悩みが?

[森の民のシャーマン](サーミ語)まさしく、仰る通りです。

[森の民のシャーマン](サーミ語)今はまだ、誰もその被害を受けてはいませんが、部族の者たちからはいくつも不吉な予兆の報せを聞いております。

[森の民のシャーマン](サーミ語)何より気がかりなのは、これです。

[サンタラ](サーミ語)「クローナ」、「フレイドル」……

[森の民のシャーマン](サーミ語)サーミのご意志はすでに明確なものとなりました。ゆえにいかなる懸念があろうとも、我ら部族はここを発ち、より良い土地を探すべきなのです。

[サンタラ](サーミ語)なるほど。

[サンタラ](サーミ語)それで、私をお呼びになったのは……?

[森の民のシャーマン](サーミ語)これをご覧いただきたく。

[サンタラ](サーミ語)そんな、いけません。これはあなたの部族の樹譜ですよね。

[サンタラ](サーミ語)私は単なる部外者なのですよ。

[森の民のシャーマン](サーミ語)承知の上です、友よ。

[森の民のシャーマン](サーミ語)私も、私の父も、祖父も、連なる先祖たちは皆、幼い頃よりこの森で暮らしてきました。

[森の民のシャーマン](サーミ語)しかし、あまりにも長くここで平穏に暮らしてきたせいで、樹譜はもはや単なる象徴や伝承のようなものになってしまったのです。

[森の民のシャーマン](サーミ語)その結果、これを開いて読もうとした時、私にはすべての言葉が理解できませんでした。

[森の民のシャーマン](サーミ語)家族にも相談しましたし、先祖とも心通わせ、すべての符号を読解しようと努めてきたのですが……

[森の民のシャーマン](サーミ語)それでも、何かが足りないのです。

[森の民のシャーマン](サーミ語)あなたもシャーマンなのですよね?

[サンタラ](サーミ語)かつてはそうでした。

[森の民のシャーマン](サーミ語)それならば、あなたの知恵は必ずや我らにとって助けとなってくださるはず。

[森の民のシャーマン](サーミ語)ですから、どうかお目通しください。我らには、あなたの助言が必要なのです。

[サンタラ]……

[ティフォン]……

[ティフォン]はっ!

[ティフォン]この寝袋というのは、確かに居心地が良いな……

[ティフォン]……マゼラン?

[ティフォン]妙だな……どこに行った?

[ティフォン]外が少し騒がしいような……

[ティフォン]んん……? 「よそ者が」……「勝手に族樹に触った」だと!?

[ティフォン]しまった! 間違いなくおまぬけ鳥の仕業だ!

[マゼラン]……

[ティフォン]……おい、何とか言え。

[マゼラン]ごめんなさい! サンプルを取っちゃいけないのはわかってたんだけど、木に触ることもダメだったなんて知らなくて!

[ティフォン]お前な……

[ティフォン]族樹というのは部族で最も年かさで、最も尊敬される存在なんだ。普通なら、よそ者がその樹上の部屋に泊まる機会を与えられることなどない。

[ティフォン]お前は無遠慮に記念碑に触れてもいいと思っているのか? あるいは族長に……いや、言い方を変えよう。お前たちの住む場所に、長寿で知恵のある者はいるか?

[マゼラン]えっと……大統領さんとか?

[ティフォン]「大統領」か。では、仮にお前がその大統領に勝手に触れようとしたらどうなる?

[マゼラン]多分、ボディガードさんたちに取り押さえられちゃうかな……

[ティフォン]では、大体それと同じようなものだと思っておけ。

[ティフォン]ここの連中はかなり気の良いほうだから、陰で色々と言われるだけで済んだが、これが血の気の多い部族ならお前は今頃斧で真っ二つにされてるぞ。

[マゼラン]ごめんなさい……

[ティフォン]出かける時には必ずわたしを連れて行けとシモーネに言われていただろう。なぜそうしなかった?

[マゼラン]最初はちょっと外の写真を撮ろうと思っただけだったの。でも、大樹さんがあんまり凄い木だから、ついつい近くで見たくなっちゃって……

[マゼラン]ん、あれ? シモーネさんに言われたこと、何で知ってるの? あの時は寝てたよね?

[ティフォン]寝ていても聞こえるからだ。

[マゼラン]じゃ、じゃあどうして呼んでも起きてくれなかったの?

[ティフォン]それはもちろん、寝ていたからな。

[マゼラン]えぇ〜……

[ティフォン]まあ、懲りてくれたならそれでいいさ。それより、うまい果物でも食べないか?

[マゼラン]そんなのあるの?

[ティフォン]森でたくさん見かけたんだ。

[ティフォン]シモーネの分までたっぷり採ろう。そうすれば、明日の道中にもつまめるだろう。

[マゼラン]うんうん、そうだね。

[サンタラ]あら、お帰りなさい。

[マゼラン]ん!

[ティフォン]新鮮な果物を採ってきたんだ。シモーネも食べないか?

[マゼラン]んんん?

[サンタラ]ありがとう、でももう寝る時間よ。

[マゼラン]ん。

[サンタラ]……マゼラン?

[マゼラン]ん?

[サンタラ]この子に何を食べさせたの? ティフォン。

[ティフォン]そいつが自分で食べたんだ。採ってきた実を見せて、毒があるかと聞いてきたから、ないと答えたらその途端口に突っ込んでいた。まだ話は途中だったというのに……

[サンタラ]口止め栗ね?

[マゼラン]ん。

[サンタラ]それならゆっくり休みなさい。眠れば良くなるから。

[マゼラン]ん……

[サンタラ]おやすみなさい。

[ティフォン]おやすみ、シモーネ。

[マゼラン]んんんんんん。

[マゼラン]んん!

[ティフォン]どうした?

[マゼラン]ん。

[ティフォン]寝袋ならお前が使え。わたしには必要ない。

[ティフォン]良い夢を見られるといいな。

マゼランはその時、ふかふかで温かい寝袋にくるまり、二人の規則正しい呼吸音を聞いていたことを覚えている。

それは静かで、心地よく、休息にはぴったりの環境だった。

しかし、次に目を開けた時、彼女は自分が森の中にいることに気付いた。

草木が腰までを覆っており、月光は木々に遮られ、辺りには一面の漆黒が広がっている。

ふと、彼女は喉の渇きを感じ、流れる水音に誘われて小川へと向かうと、頭を下げて川面をなめた。

そのすべては、彼女が水に映る己の姿に何の違和感も覚えないほど自然だった。

そう、水面に揺らめくその姿は――

一匹の鼷獣と化しているというのに。

[マゼラン]キキッ。

夜は深く暗く、恐ろしいほど静かだ。それゆえマゼランは本能的に危険を察知し、慌てて身をかがめ草むらを駆け抜けると、分泌物でマーキングされた「家」――巣穴へと登っていった。

[マゼラン]ジジッ!

そこは彼女の同胞や家族が住む安全な場所だ。彼女は木の枝に立って声を発し、返事を待った。

しかし、返事はない。

マゼランはいくらかためらったのち、木の幹へ飛び乗って、巣穴へと戻った。

その中では、彼女の母親が物陰でぐっすりと眠っている。

彼女は母に寄り添いこの夜を過ごしたいと思っていた。しかし両目が暗闇に慣れた頃――母と思ったそれが、欠損した獣の骨であることに彼女は気付いてしまった。

巣穴は広く、そして暗く、何かが彼女を待っている。

彼女が家に帰るのを。

その気を緩めてしまうのを。

そして、恐怖に支配されるのを――待ち続けているのだ。

......

何かが彼女の首筋を伝って――

[マゼラン]っ!

[マゼラン]う……ううん……

[マゼラン]……

先ほど見た悪夢にわずかな不快感を覚えたマゼランは、外へ出て一息ついて、気持ちを落ち着かせてから寝直そうと思った。

しかし扉から出た瞬間、彼女は目の前の景色を見て、まだ夢から覚めていないのではないかと思い始めた。

巨大な実体を持つ影が、この空間を漂っている。

人のようにも、あるいはいくらか木のようにも見えるその影はゆっくりと、それでいてしっかりとした足取りで、まっすぐどこかへ向かっているようだ。

天高く昇った月ですら、その影には光を遮られ、月光が大地を照らすことはなかった。

[マゼラン]これは……何?

[マゼラン]早く写真を撮らないと……!

カシャッ――

[マゼラン]!? そ、そんな……どうして……

マゼランが撮った写真はあまりに正常だった。そこには巨大な影など存在せず、月明かりは何の妨げもなく大地へと降り注いでいた。

けれど彼女の目の前では、今もその影が動き続けている。

何の音もなく。

マゼランは呆然と立ち尽くした。

何も起きなかったことにして、今すぐ部屋に戻って寝るべきなのか……

それとも、部屋から機材を取ってきて、有効な記録など残せはしないだろうこの超常現象を観測してみるべきなのか、彼女には判断がつかなかった。

そうして戸惑っていると、巨大な影が頭上を通り、彼女は本能的に後ろへ飛び退いた。と、同時に――

何かが彼女の首筋を伝って――

[ティフォン]ここで何をしているんだ?

[マゼラン]わあっ!

[ティフォン]おい、落ち着けマゼラン。大丈夫だ。わたしがついていれば、ここにお前を傷つけるものなどない。

[マゼラン]ふぅ……ふぅ……はっ……はああ~……

[ティフォン]焦って話そうとしなくていい。まずは落ち着くんだ。

[マゼラン]うん……

[ティフォン]とにかく座って水を飲め。遠くにいるあの大きいのは無視しろ。あれはただの影だからな。

[マゼラン]ふぅ……ふぅ……

[ティフォン]落ち着いたか?

[マゼラン]うん、ありがとう。でも、お陰ですっごくびっくりしたよ。

[ティフォン]お前は思ったよりも強いな。この辺りにいる人間が皆目を覚ますほどの叫び声を上げるものと思っていたんだが。

[マゼラン]そんなことしたら、村から追い出されちゃうんじゃない?

[ティフォン]いやいや、サーミフィヨドの心はそこまで狭くないさ。

[ティフォン]……お前、悪夢を見たんじゃないか?

[マゼラン]うん。

[ティフォン]巣に帰った幼獣が骨を見つけ、捕食されてしまう夢だろう?

[マゼラン]君も同じ夢を見たの?

[ティフォン]ああ。今日の午後に、寝袋の中でな。

[マゼラン]ごめん……

[ティフォン]お前のせいじゃない。わたしが気を抜いて休める安全な環境にいると訪れることなんだ。

[ティフォン]まるで歓迎しがたい友人のようにな。

[ティフォン]狩る者と狩られる者の循環が夢の中でも繰り返されるのは、サーミの悪いところだ。

[ティフォン]大抵の人間は、夢の中では獲物にしかなれないしな……

[マゼラン]じゃあ、狩人にもなれるってこと?

[ティフォン]それを試みるくらいなら、自分が掟そのものになろうとしたほうがいいんじゃないか?

[マゼラン]それは無理じゃないかな……

[ティフォン]わからんぞ。

[ティフォン]あるいはできるかもしれない。

[ティフォン]わたしたちがもっと成長して……

[ティフォン]あの大きいのを恐れなくなれば、あるいはな。

[ティフォン]では、あれに触れてみるとしようか。

[マゼラン]えっ? 危ないんじゃないの?

[ティフォン]お前は探検家だろう。何を恐れているんだ?

[マゼラン]あたしは出発前にちゃんと計画立てる派なの! あんなのどうやって備えたらいいかわかんないよ!

[マゼラン]って、引っ張らないで――

[マゼラン]うわわ! 木を踏んじゃってるよ!

[ティフォン]ここは幹ではないし、少しくらい踏んでも大丈夫だ。

[ティフォン]それに、誰も見ていないしな。

[ティフォン]よいしょっと。

[ティフォン]この辺りが良さそうだな。座ろう。

[マゼラン]ち、近すぎない……?

[ティフォン]近付かずに触れるはずがないだろう?

[マゼラン]ほ……ほんとに触るの?

[ティフォン]こいつはただの影だ。怖がることなどないさ。

[ティフォン]言い換えれば、今はまだ、単なる影でしかない――非常に浅い影だとでも言うべきか。

[ティフォン]いずれこれが、より現実味を帯びた脅威へと成長することもあるだろう。だが、その頃にはわたしたちも成長し、もっと多くの力を手に入れているはずだ。

[ティフォン]そうなればこんなもの、その時のわたしたちからすればやはり恐ろしくもなんともない。

[ティフォン]それに――食われる夢を見ている時、たまに声が聞こえるんだ。

[ティフォン]「お前を脅かすものあらば、すぐさまそれに反撃しろ。」

[ティフォン]「それに打ち勝てば恐怖にも勝つことができ、逃げれば永劫、恐怖に竦むことになるぞ。」……とな。

[ティフォン]ほら、こっちへ来い。

[マゼラン]でも……

眼前の帳のような影を見て、マゼランの心はざわついた。

夢の中で見た幻の残酷さと圧迫感が、今なお心にまとわりついているのだ。

直感は、危険を冒すなと警告したが――

彼女はゆっくりと手を伸ばした。

[ティフォン]そうだ、少しずつで構わない。

[ティフォン]わたしも一緒にやろう。

ティフォンは、マゼランの手の甲を自分の手のひらでそっと押す。

しかし、押した手に抵抗を感じたと同時にそれをやめ、マゼランの手をよけて、自分の手だけをまっすぐ前へ伸ばした。

そうして手を影に浸したあと、そこから引き抜くと、再びマゼランの手の甲に触れる。

[ティフォン]見ての通りだ。何も恐れることなどない。

[マゼラン]わかった……やってみるよ。

マゼランは手を少しずつ、少しずつ前へと伸ばす。その指先はやがて影へと沈み込んでいった。

彼女は、そうしたらきっと冷たく感じるか、何かに手を引っ張られてしまうか、あるいは指を噛まれるものとばかり思っていた。

だが、実際には――

何も感じなかった。

最初に指の節が、そして指そのものが、やがては手のひらのすべてが影に飲まれても。

その影は今なお動き続けているが、陰影の変化以外には何も起こらない。

ティフォンの言った通り……

これは単なる影なのだ。

[ティフォン]どうだ、言った通りだろう。

[マゼラン]ほんとだ……何も感じないや。

[マゼラン]んん~……どうしてこんなことが起きるのかな……

[ティフォン]また科学的な原理とやらにこだわっているのか?

[マゼラン]物事は理由もなく起こったりしないもん。

[ティフォン]へえ、そうか。

[ティフォン]だったら、お前や私の母から生まれたのが、ほかでもないわたしたちだったことにも理由があるとでも?

[ティフォン]これは、お前の言うところの「理由もなく起こった」ことに該当しないのか?

[マゼラン]そ、それは……

[マゼラン]……

[ティフォン]南の人間は何事にも理由を求めるのが好きなんだな。

[ティフォン]だがわたしにとっては、いつどこにいても、たとえ準備ができていなくても……

[ティフォン]未知に向き合えるようにしておくことのほうが重要だ。

[マゼラン]怖いとは思わないの?

[ティフォン]では聞くが、お前は怖いのか? 氷原で雪嵐に出くわした時や、山で雪崩に遭った時、あるいは一人で獣の群れに遭遇した時に、恐れを感じるのか?

[マゼラン]うん。……でも、怖くてもまだ、生きてられてる。

[ティフォン]恐怖を感じてもそれを生き抜いたのなら、お前はすでに何より難しいことを成したということだ。

[ティフォン]それなのに、何を恐れる必要がある?

[ティフォン]仮に目の前の影が実在の化け物に変わろうとも、怖くはないはずだろう。

[マゼラン]そりゃあ、実在してたら対処もできるからね。でも、これはただの影なんだよ。

[ティフォン]だが何であれ、存在するものには弱点があるんだ。

[ティフォン]待ち、観察し、弱点を見つけられるまで生き延びて、攻勢に移る。狩人たちは皆そうしてきた。

[ティフォン]お前も探検家なのだから、半分は狩人のようなものだし、こういうものにも対処できるさ。

[ティフォン]永久に変わらないものなどない。だからいずれは、お前が恐れていたものが逆にお前を恐れることもあるだろう。

[ティフォン]何にせよ、あまり考えすぎるなよ。明日も道を急がなければならないからな。

[ティフォン]ああそうだ、寝る前にひとつ。

[ティフォン]果物があるんだ。食べるか?

[マゼラン]ありがとう。でも、夜中に食べたら虫歯になっちゃうから。

[ティフォン]そうか、それなら好きにしろ。

[ティフォン]おやすみ。

[マゼラン]おやすみ、ティフォンちゃん。

マゼランは振り返り、徘徊する影と再び目を合わせた。

今度は不思議と、恐怖と空虚を表すものには見えなくなっていた。

それどころかその姿は、あてどなく大地をさまよう旅人のようにすら見える。

きっとあの影は、太陽が昇れば自分の家へと返り、こんこんと眠ることだろう。

カシャッ――

マゼランはもう一度シャッターを切った。しかし、やはりそこには何も映っていなかった。

彼女は少し考えてから、写真に一言書き加える。

――「ひとりぼっちさん」。

そうして、すべてが再び静寂に帰した。

さまよえる影を一人残して……

夜が明けるまで。

[マゼラン]そろそろ時間だね。

[マゼラン]何の儀式なのかはわからないけど……

[マゼラン]あっ、始まった!

[マゼラン]これもメモしておこう……「サーミ人の儀式は大樹を囲んで歌い踊ることから始まる。大樹に別れを告げるためだろうか?」

10分後

[マゼラン]うーん……

[マゼラン]「彼らの踊りは非常に独特だが、ルールはないらしい。全員が好きなように踊っている。」

[マゼラン]「さながらカーニバルのようだ。」

30分後

[マゼラン]ふわぁ~……

[ティフォン]シモーネはまだ来ていないのか?

[マゼラン]うん。大樹の下でシャーマンと話してるよ。

[マゼラン]見たかったら、望遠鏡を貸してあげようか。

[ティフォン]自分の目で十分見えるし、必要ない。

[マゼラン]ねえティフォンちゃん、これって一体何の儀式なの? あとどれくらい続くのかな? 君が来てくれなかったら、あたし今頃寝ちゃってたよ。

[ティフォン]わたしはサーミのサルカズであって、サーミのエラフィアではないからな。その辺りの知識はお前と大差ない。

[ティフォン]あとどれくらい続くか、についてもなんとも言えん。シャーマンがうなずくだけで終わる儀式もあれば、朝から晩まで終わらない集会もあるしな。

[ティフォン]儀式のことはさておき、これを見ろ。さっき森で見つけたんだ!

[マゼラン]これって……雪玉?

[ティフォン]アンマーの愛だ!

[マゼラン]アンマー? っていうと、おばあさんのことだっけ?

[ティフォン]覚えが早いな。

[ティフォン]その通り。お前たちの言葉で言うところの、「祖母の愛」に相当する言い回しだ。

[ティフォン]これはサーミフィヨドが何より切望する庇護でな。サーミのもたらす数ある慈悲の中でも、最も純粋で完璧なるものなんだ。

[ティフォン]お前にやるから、ポケットに入れておけ。

[マゼラン]でも今、サーミフィヨドが何より切望するものだって言ったよね。見つけたのは君なんだし、受け取れないよ。

[ティフォン]わたしはその価値をよく知っている。だからこそ、わたしにそれを持つ資格はないんだ。

[ティフォン]アンマーは貪欲な人間を守ることなど望まないからな。

[ティフォン]それにひきかえ、お前はアンマーについて何も知らないし、その無知は純粋さとも言える。しかもお前は誠実な魂の持ち主だから、お前に渡すのが一番ふさわしいんだ。

[マゼラン]じゃあ……もらったあとは、どうすればいいのかな?

[ティフォン]その存在を忘れて、何もなかったとでも思っておけ。

[マゼラン]そっか……何かお返しをしなきゃね。

[マゼラン]ちょっと待ってて……

[マゼラン]はい、これあげるね、タイフーンちゃん。

[ティフォン]今何と呼んだ?

[ティフォン]……まあいいか。で、これは何だ?

[マゼラン]燃焼式の照明棒だよ。蓋をひねって開けて、上にある紐を引っ張ると大きな音と光が出るの。君は狩人だから、どういう時に使えるかはわかるでしょう。

[ティフォン]ふむ、便利そうだな。今度試してみよう。

[ティフォン]ところで、あいつらの踊りが終わったぞ。記録するんだろう、早く書き留めろ!

[マゼラン]え? あっ! うん!

[マゼラン]……「40分間続いた統一感のないカーニバルのあと、儀式は次の段階に入った。」

[マゼラン]「シャーマンは部族の者たちに何か木の彫刻を見せ」……

[マゼラン]「高揚した口ぶりで何かを話している。」

[マゼラン]「そうして、木の杖を高く掲げると、大樹に向かって角笛を吹き、何かを唱え始めた。」

[マゼラン]「そばで補佐をしているもう一人のシャーマンも、共に唱えているようだ。」

[マゼラン]ティフォンちゃん、あの人が何て言ってるか教えてくれる?

[ティフォン]うーん……

[ティフォン]わからない。

[ティフォン]サーミ語で話しているようだが、明らかに日常会話で使うような言葉ではないからな。

[マゼラン]じゃあ、こうかな……「これはある種の祭事用語と思われる。」

[ティフォン]短い言葉の繰り返しだということもわかるぞ。

[マゼラン]「言葉を繰り返し」……

[マゼラン]「感情が重なり、声量が上がり続けて」――

[マゼラン]な、なに?

[マゼラン]地震かな? どこへ避難したらいいの!?

[ティフォン]違う……

[ティフォン]見ろ、大樹が……

[ティフォン](サルカズ語)なんてことだ。

[マゼラン]ええっ……?

[マゼラン]……!

大樹は根を大地から引き抜いて、ゆっくりと立ち上がった。

轟音が空の果てまで響き渡り、人々の叫びや呼び声はすべてかき消されていく。

それは周囲の木々の高さを超え、ゆっくりと伸び上がる。そしてバランスを保ったまま、根を一つにより合わせ、見たことのないような――人間の言葉で表現するところの、「運動器官」を形成した。

樹冠からは木の葉がいくつも落ちてきたが、サーミ人は怯えるどころか、むしろ興奮している。

実際、彼らにとってその歳月や歴史、そして記憶を担う祖霊の樹が地面から立ち上がること以上に、奮い立つことなどあるだろうか?

[サンタラ](サーミ語)おめでとうございます、従者よ。儀式は成功したようですね。

[森の民のシャーマン](サーミ語)先祖たちの残した「大樹と共に行く」という言葉は、単なる昔ばなしだとばかり思っていました……

[森の民のシャーマン](サーミ語)感謝いたします、サンタラの木の末裔よ。あなたのお力添えがなければ、この目覚めの儀式がこれほど円滑に進むことなどなかったでしょう。

[森の民のシャーマン](サーミ語)大樹は目覚めてくださりましたが、進む方角と行動の進言を待っておられるようです。もう一度、樹譜の内容を研究しなくては……

[サンタラ](サーミ語)大樹の目立つお身体を、北方の厄災が見逃すことはないでしょう。

[サンタラ](サーミ語)近頃は厄災の動きが活発になっていますから、共に大樹を守っていただけるよう、必ずサーミにお祈りしてください。

[森の民のシャーマン](サーミ語)ええ、ええ。もちろん、仰る通りにいたします。

[サンタラ](サーミ語)それと、方角についてですが、急ぎ南へ向かわれることをお勧めします。大樹に再び根を下ろさせ、厄災に付きまとわれずに済むように迅速にことを進めてくださいね。

[森の民のシャーマン](サーミ語)わかりました。ええと、樹譜には……

[サンタラ]……

[サンタラ](サーミ語)では、我々はこれで。あなたの部族が良き行き先を見つけ、皆様が二度と家を移す苦しみを味わわぬよう、サーミがお導きくださることを祈っています。

[森の民のシャーマン](サーミ語)あっ、もう行かれるのですか?

[サンタラ](サーミ語)まだなすべきことが多くおありでしょうから、お見送りいただく必要はありませんよ。

[森の民のシャーマン](サーミ語)ではせめて、皆様の前途が憂いなきものであるようお祈りいたしましょう。お力添えいただいて本当にありがとうございました、尊き友よ。……なるほど、大樹を歩き出させるには……

[サンタラ](サーミ語)それでは、また。

[???]定期報告を。

[サンタラ](ウルサス人トランスポーターの声真似をする)予定通りサーミに入り込むことができた。「フリエーブ鳥」と「黒印」の現在地を教えてくれ、どうぞ。

[サンタラ]フン……

[マゼラン]シモーネさん、シモーネさん!

[サンタラ]お待たせ、今戻ったわ。

[サンタラ]何かやることはある?

[ティフォン]ない。もう出るぞ。

[サンタラ]そう。遅くなっちゃってごめんなさいね。

[マゼラン]大丈夫だよ、行こう。

[マゼラン]そうだシモーネさん、あの儀式でなんて言ってたのかあとで絶対教えてね! あたしの研究にはすごく重要なポイントだから!

[サンタラ]じゃあ、歩きながら話しましょうか。

[マゼラン]やった~!

[サンタラ]あら、どうしたの?

[マゼラン]ちょっと待って、すぐ行くから!

カシャッ――

マゼランはそこを発つ前に、森の中に立ち上がった大樹を撮った。

不思議と、この太陽をも遮る巨大な輪郭に、どこか見覚えがあるようにも思ったが――

それについては深く考えず、この瞬間に思ったことをノートに綴るにとどまった。

そうして二人に追いつくと、再びサーミの南部に向けて歩き出したのだった。

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