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統合戦略3 エンディング2
『大いなる静謐』が再び訪れた。最後の騎士は、決して勝ち得ぬ敵へと立ち向かっていった。
[ミヅキ] ううっ……
[最後の騎士]お前ハ、波ヲ、引き、寄セ、る。
[ロシナンテ](低いいななき)
[最後の騎士]否。同類と、違ウ、土ノ香、り……
[最後の騎士]種ガ、海、に落チ、紺碧ノ、花が開ク……
[最後の騎士]コレ、は……波、デは……なイ……
[ロシナンテ](警戒するように耳を澄ます)
[最後の騎士]大、波は――
騎士のひとり言は唐突にそこで止まった。
押し寄せる波音が、羽獣の鳴き声が、吹き荒れる風の音が……
すべてが、この瞬間に消え去った。
嵐が起こり、静寂が訪れる。
一瞬の沈黙の後、波が立ち、災厄が再び降臨した。
イシャームラが、大群を率いて潮の中から姿を現したのだ。
イベリアはもはや唯一の被害者ではなく、この大地のすべてが――
『大いなる静謐』の中に沈んでいくことになるだろう。
騎士の耳には音が届かなくなっていた。彼は手綱を引き寄せ、槍を海の彼方へと向ける。
そうして、頭蓋が震えるほどに大きな声で咆哮したが、鼓膜に届いたその音は、奇妙な叫び声でしかなかった。
腕は震え、呼吸は荒くなり、ロシナンテはしきりに頭を左右に揺らしている。
シーボーンの本能が、同族同士の無意味な殺し合いに抵抗しようとしているのだ。
だが騎士は、そうした生理的反応の背後にある残酷な現実など気にも留めなかった。それは己の心がもたらした抑えきれない高揚感によるものだと、頑なに信じ込んでいたのだ。
なぜなら――
目の前の怪物こそ、彼が長年追い求めてきたものだからだ。
それは天命の終点であり、大波の根源の根源でもあった。
Ishar……mla……彼は今なお、その名を覚えている。
波風を引き起こすのは「それ」であり、潮を操り陸地を呑み込むのもまた 「それ」だ。いわば「それ」は、海の代弁者と呼ぶべき存在なのである。
となれば、この壮大な生命を終わらせることができたなら――
海は永久に沈黙し、波一つ立たぬ場所になるだろう。
海水が鎧を打ち付け、鋼鉄の巨獣は大地を砕かんばかりの轟音を上げる。
呼吸に混じる鉄錆の味は雨水に薄められていたが、生臭い悪臭は鼻孔に潜り込んできた。
大波は長槍を擦り潰さんとし、水流は彼を陸へと押し流そうとしている。
世界のすべてが、騎士を阻もうとしているのだ。
麦穂が揺れ、ザクロの花が呼んでいる。
忠実なる相棒は鼻を鳴らすと、不満げに頭を海面へと打ち付けた。
静寂の中で、狂人は高らかに笑い声をあげる。
最後の騎士が躍り掛かった。
現在時刻は午後8時。空は暗雲に覆われて、豪雨は絶え間なく地面を打ち付けているのだが、人々は天の怒りなど意にも介さず、ただ機械的に、どこか麻痺したような様子で歩みを進めていた。実際、生への希望や死の恐怖に比べれば、雨の中を歩くことなど大したことではないだろう。それに彼らは、ほかの多くの人よりはるかに恵まれていた。荒野へ逃げた仲間たちがシーボーンに虐殺されている中、彼らはもうすぐ堅牢そうな都市へ辿り着こうとしているのだから。
......
ケルシーが感情を表に出すことはめったにない。だが、壁の上から地平線まで延々と続く難民たちの列を見渡した今は、固く寄せられた眉根が緩むことなどなかった。
イシャームラの完全な暴走に伴い、『大いなる静謐』は初めにすべての海岸線を飲み込んで、その後テラの大地から音という音を消し去った。シーボーンと恐魚は群れを成して陸地へ進軍し始め、海中に孤立したエーギルからの連絡が途絶えると、各国の軍隊も連鎖的に瓦解していき、テラのすべては混乱に陥った。
事ここに至れば、もはや団結は無意味に等しい。カジミエーシュ大騎士団とリターニア法律守護団の連合陣形ですら、シーボーンの波を前に一日と持たなかったのだ。他方で皇帝の利刃が命と引き換えに築き上げた『国土』による防衛線は、確かに人類のためにわずかばかりの時を稼いでくれたものの、それも撤退までの時間を作るにとどまった。数ヶ月後、シーボーンが『国土』の性質に適応し、それを通り抜けてしまった時、人類はふと、もはや頼みの綱など一つもないことに気付いた。クルビアの先端技術とサーミの古代のアーツを用いてさらなる退路を開こうと試みる一方で、炎国を含む各国の残存部隊は人類最後の防壁を築き上げようとしていた。軍人たちは一致団結し、決死の覚悟を胸に要塞に立っている。一日でも長く持ちこたえられたら、より多くの命を救えるのだ。旗が地に落ちるまで、不屈の意志で死闘を続けた炎国最後の天師は、遠方に列を成して去っていく人々を眺めながら、短くも永遠に近い悲しみの中で死を迎えた。
『大いなる静謐』が再び訪れたあの日から、ケルシーは人類の滅亡を予見していた。だがドクターの奇跡に近い生還と、人類を守るという責任感が彼女を動かし、何とか人類を延命させようと、都市を築き上げるに至ったのだ。
彼女は数頭の巨獣に懇願し、さらに数名の獣主と契約を交わすことで古代人類の技術をいくつか回収し、とうとうこの壮観な建造物を作り上げた。
これこそが、人類最後の都市なのだ。
その技術も、連結方法も、エントロピーの原則に逆らう応用の一つ一つが、特筆に値する物だった。しかし、元は人類に課された束縛を打ち砕く希望だったはずのそれが、今や人類を監禁する牢獄と成り果てている。そして、それ以上にケルシーの心を乱したのは、ここまでしてもなお、すべての生存者を収容することはできないという事実だった。
それはすなわち、都市が人で溢れかえった時は、門を閉じねばならないということだ。
つまりは相当数の人類が、希望の裏に隠された絶望に直面することになるのである。そして運よく生き延びた人々も、目の前で起こる悲劇を黙って受け入れるしかないのだ。
これは善意や慈悲、あるいは熱意によって先送りにできるようなことではない。ゆえにアーミヤはこのために幾度となく涙を流していた。彼女は、心を痛めながらも決定を下さねばならず、さらにはその後都市内で発生しうる混乱にも対処しなければならなかった。
これはひとえに、彼女がロドスの最高責任者だからというだけのことなのだ。
ケルシーは、これがあまりにも残酷であることを知っていたが、彼女でさえもこの地獄への解決策を持ち合わせてはいなかった。
これが仮に、一人の犠牲があれば解決できるようなことならば、ケルシーは自らの永遠に近い生命を手放すことも厭わないだろう。
だが、大勢を犠牲にしてまで、わずかな人類を存続させる可能性にすがることは果たして正しいのだろうか?
……理論面でも実践面でも、彼女は最善を尽くしていた。
ロドスにできることは限られている。
遠くを見やるケルシーは、土砂降りの雨に降られているにも関わらず、鼓膜には何の音も届かない。雨粒は絶え間なく、彼女の身体を粉々に砕こうとするかの如く打ち付けていた。やがて彼女はため息をつき、そばにいるドクターに向かって、戻って雨宿りをしようと手振りで示した。
......
その時、ケルシーには知る由もないことが、はるか遠くにある、かつてのイベリア王宮の中で起きていた。
イシャームラが空間を超え、ケルシーの隣にいるドクターを「見つめて」いたのだ。
その行為だけが、唯一彼女に残された人間性の発露であり――
ゆえにこそ、彼女は絶え間なく大群を急き立てていた。一刻も早くドクターの元に辿り着くために。
スカジは、自分が親しい人を近くに置きたいと思うそれだけのことが、種族全体を破滅に導こうとしていることなど考えもしていなかった。
人類という集団が、ドクターと呼ばれる個体を除いて誰一人いなくなるその時まで。
最後の騎士がイシャームラの眼前で崩れ落ちた。静謐はすでに訪れており、シーボーンたちは待ちきれないと言わんばかりに、陸地へ向けて進軍していく。
ミヅキは触手で恐魚を払いのけ、ドクターに危害が及ばないよう懸命に守り続けていた。
海神が目を覚まし、大波が天を衝いて荒れ狂う今、ドクターを海中の小島に置き去りにすることは、その命を絶つことにも等しい。
ドクターを生かすために、ミヅキはドクターを背負い、陸に向かって泳いでいた。
しかし、恐魚程度ならまだ対処もできたものの、シーボーンに行く手を阻まれ、大群全体から質問責めにあった時、ミヅキは絶望的なプレッシャーを感じた。
集団に属する一個体が、その集団の意志に逆らうことなどどうしてできようか?
イシャームラのフェロモンは、彼の脳に直接命令を下してきた。
「それ」は、この人間を置いていくよう求めてきたのだ。
――そんなことは絶対にできない、と彼は思った。
ドクターのことは必ず、生きて陸地に帰さなければならない。
ミヅキは人類の命運などを気にかけたことはないが、ドクターのことは気にかけていた。彼の知るドクターは、人類の滅亡を見届けることなど決して望みはしないだろう。
ゆえに彼は海神を――大群を拒絶して、ドクターを陸地へ送り返すと決めたのだ。
同胞たちが作った封鎖線を突破して、浜辺にドクターを下ろすと、彼は笑ってこう告げた。「僕がシーボーンの進軍を遅らせるから、仲間たちにもそう伝えてあげて。」
「僕もシーボーンだから、向こうも信じてくれるはずだよ。」
ありがたいことに、ドクターはその言葉を信じて去っていった。
こうして、ミヅキはようやく、ドクターの、ロドスの、そして人類のために少しの時間を稼ぐことができるようになった。
ミヅキは大きく息を吐き、自らのフェロモンを操作した。
一瞬、シーボーンたちは混乱に陥った。なぜ同胞が突然大群に明確な敵意を示したのかが理解できなかったのだ。
しかしその混乱のあと、大群はこの敵性個体の排除を優先することにした。
シーボーンたちは即座に向きを変え、海の奥へと泳いでいくミヅキのほうへ押し寄せて行った。
そうして果てしなく長い間、ミヅキの敵意を帯びたフェロモンは、大群の意識の中で鮮明に浮かび上がっていた。
それは白紙に落ちた血のように、長く消えずに残っていた。
けれどもついに、彼は消えた。
ミヅキの意識は海の中へと広がっていく。
彼はもはや、人の姿を保つことなどできなかった。
肉体は次第に形を変え――
クラゲのようなシーボーンの身体が水中に現れた。
臓器はいまだ最低限の生命維持をしているが、それも長くは持たないだろう。
恐魚とシーボーンが血の匂いに吸い寄せられるようにして、ミヅキの周りをくるくると旋回し始めた。
それは同胞の完全な死を待っていた。その時が訪れてはじめて、同胞の血肉を分かち合い、大群の循環の輪へと回帰させることができるからだ。
ミヅキはゆっくりと沈んでいく。
そのうちに待ちくたびれたのか、あるいはイシャームラの呼びかけに応じてのことか、恐魚とシーボーンはその一個体の生死に執着することをやめ、海面へと集まっていった。
沈み続ける彼だけを残して。
......
肉体に残されたわずかなエネルギーを使い果たしたあと、ミヅキの中核をなす臓器はついにその鼓動を止める。
死はひっそりと訪れた。
その肉体は萎縮し始め、伸ばしていた触手も水圧で球状に押しつぶされていき――
絶え間なく縮み、退行し続ける。
そうしてついには小さな細胞へと変じ、彼は海流に乗って深海を揺蕩い……
......
やがて、一本の枯れ枝の上に落ちた。
それは死せる深海の巨獣、シーボーンの先導者たる『蔓延の枝』だ。「それ」の意識はミヅキと同じくとうに死を迎えており、本能に従い絶えず生長し続ける巨大な身体がそこに残されているばかりだった。
「それ」はもはや、生の意義など忘れていた。新たな枝が生えたとて、それも枯れ枝にすぎないのだ。しかし、数多のシーボーンたちを育んできたのは、まさしくこの朽ち果てた巨獣であり……
今この瞬間も、「それ」は幾千ものシーボーンの幼体たちの餌となっていた。
ふと、一匹の幼体がミヅキの細胞を見つけ、尾ひれを揺らして、この同胞からの贈り物を飲み込もうとした。
しかし、口器がその細胞に触れる前に、一本の枯れ枝が広がり、ミヅキを幾重にも覆い隠してしまった。
すると幼体はすぐに泳ぎ去って行った。ここには食料が有り余っていて、ほかにも選択肢はたくさんある。尊敬すべき死者と争ってまで養分を得る必要はないのだ。
かくして、ミヅキの旅は終点に至った。
......
そして数年後、朽ち果てた枝の上には――
紺碧の葉が萌え出でていた。
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