aklib_story_落水者

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落水者

勾呉城に別れを告げると決心した前夜、ウユウはとある事件に巻き込まれるが、その際に自らの同門に関する情報を得るのだった。


[チンピラ] 荊(ジィン)先生、いやジィン兄貴。この一杯はアンタの輝かしい未来を願って飲むぜ。願わくば兄貴が辻占いの生活とおさらばできますように! 乾杯!

[「ジィンさん」] ──乾杯。いや実はな、ちょうどそう考えていたところなんだ。

[チンピラ] おっ。どこへ行くかは、もう決まったのか?

[「ジィンさん」] いいや。ただ遠くへ行くことは決めたよ。その途中でチャンスを探すのさ。

[チンピラ] 勾呉城(こうごじょう)の中はもう見たって言ってたよな?

[「ジィンさん」] ああ、勾呉城もその周辺の町も全部見て回ったんだが、困ったことに腰を落ち着けられそうなとこは見つからなかったなぁ。

[チンピラ] ここらもダメなのか? 兄貴が来てからそんな経ってないよな。雲水町(うんすいちょう)の良さを知ったらさ、この町でも……まぁいいや。

[チンピラ] 誰だって生きてくのは難しいよな。俺だってほら、仕事見つかりゃしねぇしなぁ、ハハハ。

[チンピラ] さあ、もう一杯──

[「ジィンさん」] ああ、おい、飲むのは後にしてくれよ。あなたが酔いつぶれたら誰が手紙を書いてくれるんだ?

[チンピラ] おーそうだそうだ、手紙を書くんだった。じゃあちょっちょと書いちまってから、ゆっくり飲むか。

[「ジィンさん」] ほら、筆と紙。ちゃんと筆は持てるかい?

[チンピラ] もちろんだ! で、何て書けばいい?

[「ジィンさん」] そうだな……「弟弟子の楚(ソ)は、さる貴人のご指導を得て、めでたく出世することができました」と。

[チンピラ] かしこまり!

[チンピラ] えっと、「しどう」の「どう」の字ってどう書くんだっけ?

[「ジィンさん」] よし、机に書いてやろう。箸に酒をつけてっと……ほい、こうだ。

[「ジィンさん」] いや、違うって、そこはもう一画……まぁいいか、大したことじゃない。続けよう。

[「ジィンさん」] 「この度の都への旅は三千里もの道のり……お二人から遠く離れてしまうが、どうか心配しないでほしい」。

[チンピラ] はいよ。

[チンピラ] この、弟弟子ってのは武術かなんかのか? 出世したってんなら、兄弟子のあんたも一枚噛めないのか?

[「ジィンさん」] そいつはあれだ……一緒に鉗獣春雨鍋の作り方を学んだ弟弟子さ。あいつは腕が良いから、都で料理人の勤め口が見つかったらしい。私は料理人なんてのはごめんだね。

[「ジィンさん」] あれは厄介だぞ。料理は地域によって系統がずいぶん違うだろう、だから事あるごとに喧嘩するし、同系統同士でも本場の味かどうかでいがみ合うんだ。

[チンピラ] そんなに大変なのか?

[「ジィンさん」] チマキは絶対甘いの一択、塩味なんて言語道断、そういう人が都には大勢いるよ。どうだ信じられるか?

[チンピラ] それは確かにヤバいな。

[「ジィンさん」] だろう? 私は料理の腕はいいんだが、仕事となるとあんな稼業に踏み込みたくもないね。

[チンピラ] えーホントかぁ? 兄貴の露店をみてると占いだの風水だの豆腐の串揚げだの、料理人っぽさはまったくなかったぜ。もしかしてその弟弟子も、アンタが下手だから関わりたくないんじゃ?

[「ジィンさん」] おいおい、ずいぶん失礼じゃないか。

[「ジィンさん」] ……この弟弟子はな、修行時代、同門の者たちに結構世話になったんだ。だから故郷を離れることになっても、同門の絆ってやつを大事にしていたよ。

[「ジィンさん」] 一緒に上京してくれる者をずっと探していたんだ。その方がお互い助け合えるからね。けど険しい道だし、なかなか見つからなかったよ。

[「ジィンさん」] 結局最後まで見つからず、慌てて出発することになって、家族への手紙も他人に頼むしかなかったんだ。ほら、私が一番あいつと仲いいから、代わりにね。

[チンピラ] ふうん……まあ筋は通ってるか。

[チンピラ] で、あと何を書きゃいいんだ? その弟弟子的には、両親にいつか都へ遊びに来いとか、いつ頃実家に帰るとか?

[「ジィンさん」] いや……それはわからんな。

[「ジィンさん」] ……この一通はとりあえずこれでいい。あともう一通書いてくれ、飲みながらでいいからさ。

[「ジィンさん」] 番頭さん、酒のおかわりをよろしく!

[酒家の番頭] はいよ。

[チンピラ] さすが兄貴、気前がいいや。

[「ジィンさん」] そりゃもうな、私たちの仲じゃないか。旅立つ前に心ゆくまで飲んでおかないとな。

[「ジィンさん」] さあ、次はこうだ。「ご子息は亡くなられた。これからはどうか身を潜め、江湖のことには決して手出しせぬようご注意されたし」。

[チンピラ] ご子息は……亡くな……えっ?

[「ジィンさん」] しーっ……何も聞くな、ただそう書けばいいんだ。

[チンピラ] は? お、おう。

[チンピラ] ……ところでよ、なんで俺に書かせるんだ? さっき見たところアンタ結構達筆じゃねえか? どうして俺なんかに──

[チンピラ] えっ、ショ、ショバ代取りのやつらか!?

[「ジィンさん」] こっちだ!

[「ジィンさん」] ふぅ……怖い怖い。いやぁこの足が速くて助かった。

[チンピラ] ん……兄貴、ここどこなんだ? こんな裏道あったっけ?

[「ジィンさん」] まぁ、とっさに入ってきたから、私もどこだかわからないな。

[厳つい声] おい、早く酒を出せ!

[番頭の声] は、はい……

[厳つい声] なんだ、こんだけしか売り上げがねえのか?

[番頭の声] ここんとこ寒くて、客入りが……

[厳つい声] ショボい商売してるくせに、女は一丁前に選り好みしやがって……お嬢様はてめえみたいなやつでもいいと言ってくださってるのに、何が嫌なんだ? 薊(ジー)家に財力で負けてるのが悔しいのか?

[「ジィンさん」] (ジー家……?)

[チンピラ] はぁ、またあいつらかよ。

[「ジィンさん」] どういうことだ?

[チンピラ] 痴情のもつれってやつさ。勾呉城じゃ有名なジー家のお嬢様がここの番頭に一目惚れしたんだが、あっさりフラれちまった。で、お嬢様は下の者を使って店に時々ちょっかいを出しに来るんだ。

[厳つい声] フン、お前は別に想い人がいるってところか。何だこのダサい銀の腕輪、誰にやるつもりなんだ?

[番頭の声] 違います、それは──

[厳つい声] これはお嬢様の代わりに預かっとくぜ。

[チンピラ] はっ、どうかしてるぜ!

[「ジィンさん」] まったくだ! あの番頭さんは一体何が不満なんだ? 一発逆転で人生が変わるっていうのに。そんな大金持ちの家に婿入りできたら何でも思いのままじゃないか。

[チンピラ] って何言ってんだよ兄貴! 俺たちゃ貧乏人だが、貧乏人なりの意地を見せなきゃならんだろうが。

[チンピラ] 俺が合図したら一斉に飛び出して──

[「ジィンさん」] ──通報でもするとしようか?

[チンピラ] は?

[「ジィンさん」] いやはや、軽率な真似はとるべきじゃないよ。

[「ジィンさん」] あの番頭さんには恩がある。だが私はただの風水師、出しゃばったところでどうにもならんさ。

[「ジィンさん」] しかもジー家はこの勾呉城で有名な一族じゃないか。恨みを買ったら地の果てまで追いかけられて消されるだろうな。

[チンピラ] ……まぁ、それもそうか。番頭さん、すまねえ!

[「ジィンさん」] ジィン氏に伝わる秘伝の風水占いに針灸整体はいかがかね、そこのお客さん──

[「ジィンさん」] ──おっと、こりゃ番頭さん。へへっ、調子はどうだい? 打撲や捻挫、なんにでも効く湿布なんかはいかが?

[酒家の番頭] ……いいえ、風水を頼みに来ました。

[「ジィンさん」] よし来た! 土地占いでも厄払いでも、何でもお任せあれ!

[酒家の番頭] まさに、その厄払いをお願いしたく……

[「ジィンさん」] ほう、してその厄っていうのは……?

[酒家の番頭] ご存知でしょう、ジィンさん。

[「ジィンさん」] ……

[酒家の番頭] ジィンさんは確か、借金があってお金が必要なんですよね?

[「ジィンさん」] え? ……ああ、そうそう、まったくその通りです。

[「ジィンさん」] この間、私をころ……借金の取り立てにきた連中はそれはそれは恐ろしい連中だったんです、番頭さんが隠し扉を教えてくれたおかげで、どうにか身を隠すことができましたよ。

[「ジィンさん」] いやぁ、地に頭をつけて感謝してもし足りない、あの時は番頭さんに断られましたけど……ほら今からでも──

[酒家の番頭] 頭を上げてください、ジィンさん。その代わり、どうかあなたのお力を貸してください。私は財を投げ打ってでも、厄を払いたいのです。

[酒家の番頭] 実は昨日、古い腕輪を奪われましてね。

[酒家の番頭] 値の張るようなものではありませんが、母の腕輪で……

[「ジィンさん」] おや、それでは他の方への贈り物ではなかったんですね。しかしご母堂は確か……

[酒家の番頭] ええ、もうこの世に居ません。

[酒家の番頭] お金はいくらかかっても構いません。ただ、母の形見は絶対に取り戻したいんです。

[「ジィンさん」] ……それほど想いの詰まったものが、悪党に奪われるとは……実に痛ましい。

[「ジィンさん」] ただ……私としても非常に残念なんですがね、これは風水でどうにかなることじゃありません。私じゃお役に立てないでしょう。

[「ジィンさん」] 番頭さん、実は昨日の晩に事の次第を通報しておいたんですよ。だからもう少し待てば、何か進展があるはずです。

[酒家の番頭] あの連中は捕まらない加減を承知していて、適度に荒らすんです。私も何回か通報はしましたが、証拠もないし事件として成立するほど深刻な被害でもないと言われました。

[酒家の番頭] しかもたかが銀の腕輪一つ……ジー家の者からすれば、取るに足りません。適当に扱われて、どこかへやったりしてないか心配なんです。

[酒家の番頭] だから、ジィンさんにご助力いただきたい。私の代わりにあの腕輪を買い取ってほしいのです。

[酒家の番頭] 昨日はあなたも……一応その場にいたわけですから、あの銀の腕輪を気に入ったので買い取りたいと言えば、あの人たちも疑問には思わないはずです。

[酒家の番頭] もちろん、お金は私が出しますので。

[「ジィンさん」] いやぁ、その……私、多分そんな羽振りのいい人間には見えないといいますか……

[「ジィンさん」] 番頭さん、別の策を考えてみてはいかがかね?

[酒家の番頭] つまりジィンさんは、お力を貸してくれないと。

[「ジィンさん」] 生憎と、まだ死にたくないものでしてね。

[「ジィンさん」] それに、私みたいなやつが無駄に義侠心を持っても、行動に移すほどの力がないんじゃあ、ねぇ?

[酒家の番頭] そうですか……残念です。いつも扇子を持ってらっしゃるので、あなたも侠客(きょうかく)なのかと思っていました。

[「ジィンさん」] 私「も」?

[「ジィンさん」] 「侠客」ってあれですよね。弱きを助け強きを挫くあの「侠客」。今のご時世でもまだそう名乗る人がいるんですか?

[酒家の番頭] ええ。数年前に、ある若い女侠(じょきょう)がこの街に来たことがありまして。その方は、悪人を扇子の一撃で気絶させられるほどの腕前で、よく人助けをしていました。

[酒家の番頭] ですがどうもジー家の恨みを買ってしまったようで、いつの間にか姿を見なくなりました。

[「ジィンさん」] ……それは残念ですね

[酒家の番頭] それで、本当に何かこう、アッと驚かすような奇妙な技とか、秘伝のアーツといったようなものは使えないんですか?

[「ジィンさん」] できるわけないでしょう! そんなことができたら私はとっくに天師になっていますよ。

[酒家の番頭] じゃああなたがやってる風水は……

[「ジィンさん」] オホン、これは学問というものでございますね。

[「ジィンさん」] ところで、書なら多少自信があるのですが──扇子に題字でもいかがです? ほら「日進斗金」とか? それとも「和気生財」がお好みですか?

[酒家の番頭] 結構です、この真冬に扇子など使いませんから。

[「ジィンさん」] はは、そりゃそうだ。

[「ジィンさん」] で、番頭さん……そのジー家の用心棒ってのは、どこに行けば会えるんですかな?

[「ジィンさん」] やれやれ、車も調達したし、トランスポーターの身分も用意した。両親への手紙まで書いたというのに……面倒な事にならなきゃいいんだが。

[「ジィンさん」] ジーの奴は師匠と因縁があるが……番頭にちょっかいを出したのはただの用心棒みたいだから、私に気づくことはないはず。

[「ジィンさん」] 気づかれたとしても、また逃げればいいだけか。

[「ジィンさん」] ……姐さんは生きているんだろうか。せめて兄弟子と姉弟子たちの行方が分かれば、助け合うこともできるのに。

[「ジィンさん」] コホン、お二人さん、ちょいといいですか?

[ジー家用心棒] 占い師か? 何の用だ?

[「ジィンさん」] 実は昨日、お二人がお嬢様の代わりに如意酒家(にょいしゅか)の例の恩知らずな貧乏野郎を懲らしめた時に、たまたま居合わせてたものでして。

[ジー家用心棒] ……店の中にゃ誰もいなかったぞ。

[「ジィンさん」] ちゅ、厨房にいたんですよ!

[「ジィンさん」] それにしてもあの貧乏野郎は、本当に身の程を弁えない大馬鹿者ですね。お二人があいつにガツンと言っているのを聞いてスカッとしましたよ。

[ジー家用心棒] フン、用があるならさっさと言え。

[「ジィンさん」] おっ、じゃあお言葉に甘えて……あいつが持ってた銀の腕輪なんですがね、そう、そのカップ麺の蓋を押さえてるそれです! それを私に譲ってはくれませんか?

[「ジィンさん」] 個人的な意見なんですがね、こんなものをお嬢様に渡した方が怒られるんじゃないでしょうか?

[「ジィンさん」] その腕輪に使われてる銀は見るからに純度低そうだし、大した価値もないでしょう。お二人のご身分にもまるで釣り合わない品物じゃあございませんか。

[「ジィンさん」] ……正直に言いますとね、この腕輪を買い取っておふくろに贈って孝行したいんですよ。年寄りは流行りのものではなくて、こういう素朴なデザインが好きなものですから。

[「ジィンさん」] お代はこれでいかがでしょう。腕輪を譲っていただければ感謝感激の極み、一生恩に着ますよ。

[「ジィンさん」] そうだ、占いなんかはどうですか? こいつはサービスということで──

[「ジィンさん」] ……あれ?

[「ジィンさん」] 客桟(きゃくさん)なのに停電とな?

[「ジィンさん」] ──おっと。

[「ジィンさん」] (飛び道具か?)

[「ジィンさん」] いやーこれは参った! 私が来た途端に停電するだなんて、とんだ疫病神ですね。迷惑かけて申し訳ない!

[「ジィンさん」] (おかしい。なぜいきなり捕まえようとするんだ。番頭の代わりに来たってのがそんなに見え見えだったのか?)

[陰の声] 捕らえろ。

[「ジィンさん」] (……壁の裏に隠し部屋が?)

[「ジィンさん」] 大変失礼をいたしました! 今すぐひとっ走り帳場に行って修理の人を呼んできますので!

[「ジィンさん」] ……追って来ないみたいだな。

[「ジィンさん」] まあいいか。命はあるし、腕輪も電気が消えた時に、とっさに拝借して来れたし。

[「ジィンさん」] はぁ、でも番頭は、おそらくもうこの街にはいられなくなるな。

[「ジィンさん」] 自分が招いた災いに他人を巻き込むとは……私としたことが、一生の不覚。

[「ジィンさん」] ……それにしても、さっきの客桟で壁の向こう側から聞こえた声──あれは空耳じゃないよな?

[陰の声] ……傘使いがそれか?

[女性の声] ええ、ソという小僧です。間違いありません。扇子や拳法を使わずとも私にはわかります。

[陰の声] どうりで数人掛かりでも止められなかったわけだ。

[女性の声] ブツは私が追いましょう。

[「ジィンさん」] ……はぁ、これで姉弟子の行方を探る必要がなくなったかな。

[「ジィンさん」] この先はもう袋小路だろう。酒家に戻って腕輪を番頭に渡したら、夜のうちに逃げよう。

[「ジィンさん」] 番頭さん、ちょっと話が──

[「ジィンさん」] ……

[酒家の番頭] おや、ジィンさん、いいところに……ほら、こちらの方が昼間話してた女侠ですよ。まさか──

[「ジィンさん」] ──さてもこのような巡り合わせが用意されているのでしたら。そちらの女侠、是非手相を見せていただきたい。ささ、扇子は一旦置いていただいて、お手を拝借しますよ。

[女侠?] ……ジィンさん? へえ、そう。

[酒家の番頭] ええと、彼はその、おふざけが好きな方でして。どうかお気になさらず……

[酒家の番頭] この前この人に手相を見てもらった時に言っていた内容なんて、一つも合ってなかったんですから。

[「ジィンさん」] だからお代も取らなかったでしょう?

[「ジィンさん」] ご心配なく、この女侠とは一目で縁があると分かりましたからね。もちろんお代は結構ですよ。番頭さんもご希望なら、後でもう一回占いましょうか?

[女侠?] では、お願いしよう。

[「ジィンさん」] ふうむ、手相を見るに、あなたは若い頃勾呉城で過ごされたようですね。

[女侠?] ええ、その通り。

[女侠?] しかしその程度なら私にもできるわ。あなたも一目で勾呉城のご出身だとわかるもの。

[「ジィンさん」] まぁまぁ、こういうのは段階を踏まないと。続けましょうか……女侠には恩人がいらっしゃるようだ。

[女侠?] 他人に恩を受けたことのある者など大勢いるでしょう。

[「ジィンさん」] その恩人はご両親ではないが、女侠の人生に影響を与え続けた方──恩師でいらっしゃるのでは?

[「ジィンさん」] 察するにその方の口癖はこんな感じでしょう。「世の中は理不尽なことが多すぎる。誰かが正さなくては……」だから女侠は、この雲水町で民に認められる侠客になったのでは?

[女侠?] ……おおむね合っているわ。

[酒家の番頭] そんなのただの推理じゃないですか。誰だって学び舎には行くだろうし、先生からは道徳やら多少の人生観は教わるものでしょう?

[「ジィンさん」] いいや、これは推理なんかじゃありませんよ。

[「ジィンさん」] 実を申しますとあなたの手のこの部分に凶相が見えています。失礼ですが、ここ数年で恩師を訪ねたことは? ……その方のことを、今も気にかけておいでで?

[女侠?] ……その人は、もう死んでいるわ。

[酒家の番頭] 亡くなったのですか? それはなんとも残念な。

[女侠?] ……師はすでにご高齢だった。ある日、若い頃のように入江を歩いて渡ろうとしたのだけど、その日は満ち潮で、突然の高波に襲われて耐えきれず、そのまま吞まれてしまったわ。

[「ジィンさん」] ……

[酒家の番頭] それは……きっと気の迷いでも起こしたのでしょう。

[「ジィンさん」] 曰く「風を借りて、流れに沿うように舟を進ませる」。かくのごとく生きることこそ賢い、ということでしょうか?

[女侠?] そもそも水辺に行かない人こそが最も賢いのよ。数年前にも、潮の様子を見に行った者がいたわ。結局波に呑まれてしまい、未だに消息不明のまま。

[女侠?] ……いずれ見つかったとしても、きっと骨になっているでしょう。

[酒家の番頭] はぁ……役場は毎年注意喚起していますが、それでもちょいちょい事故が起きるんですよね。

[「ジィンさん」] 確かに残念ですねぇ……私も普段釣りをする時は、誰かが川に落ちたと聞くと思わず助けに行くんですが、結局ほとんど救うことはできません。

[酒家の番頭] ジィンさんにもそんな親切心が働く時があるんですねぇ。

[「ジィンさん」] まぁ、生死に関わることですから。

[女侠?] ジィンさんは義を重んじる人のようね。

[女侠?] ぜひ、私の未来も占ってほしいわ。

[「ジィンさん」] そうさね、どれどれ……

[「ジィンさん」] 未来は何とも言えませんねぇ。女侠の運命には峠が見えます。しかし越えるのはそう難しくはないでしょう。

[酒家の番頭] ジィンさん……金を払えば災いを避けられるなんてのはやめましょうね。言葉もちゃんと選んであげてください。

[「ジィンさん」] ……あなたは義侠心が厚く、人助けをして恩を与えたこともある。だから神様もこちらの女傑を災いからお守りくださるだろう──どうだいこれ、イイコト言えてるでしょう。しかもタダですよ?

[酒家の番頭] 人助けと人に恩を与えるのって、同じじゃないですか?

[「ジィンさん」] これがねぇ、違うんですよ。

[「ジィンさん」] ところで、店にきてからずうっとしゃべりっぱなしなんですが、酒くらい出してくれてもいいのではないですか?

[酒家の番頭] あっ、これは大変失礼を……頭がいっぱいで、接客するのを忘れてました。

[酒家の番頭] そういえば私からも女侠に聞いてほしい話があるんですよ。いいお酒を持ってきますね。

[「ジィンさん」] ……

[女侠?] ……

[「ジィンさん」] それじゃ、手を放しますよ?

[女侠?] 手合わせは久しぶりね、弟弟子。お手並みを拝見しましょう。

[「ジィンさん」] では、姉弟子……参る!

お師匠、ご飯できましたよ。この鉗獣春雨鍋はバイトしてた時に店一番の料理人から習ったんですよ。ぜひ味見してみてください。

はい、もちろん。もちろん考えましたよ。師匠も私が廉家武館(れんけぶかん)最後の弟子だっておっしゃっていたじゃないですか。私がいい仕事につけたら、師匠は安心して隠居できますよね。

兄弟子や姉弟子たちは一体どうしてるんでしょうね。ここ数年師匠に会いに来もしないし。はぁ、今どこで何をしているか聞いてみたいものですよ、コネでも使えたらちょっとは楽になるのに。

……師匠のおっしゃる通りです。今回の武道大会が終わったら、一度実家に帰って両親に会ってきますね。

本当に職が見つからない時は、実家に帰って、畑を継ぐことにしますよ。地元で野獣駆除でもしてやれば、廉家の技を学んだ甲斐があると言えますよね。

──廉家の技に、まだ教えていないものがあると?

[「ジィンさん」] ……勝ちを拾わせていただきました。

[女侠?] ……お前の最後の一手だけ見誤ったわ。

[「ジィンさん」] 託されたものを背負っているのでね、死ねないんですよ。

[「ジィンさん」] ……あの時、兄弟子や姉弟子はみんないなくなって、出来の悪いバカ弟子だけが道場に残りました。師匠は仕方なく、残りの技を私だけに教えたんです。

[女侠?] ……師匠の人を見る目は確かよ。

[女侠?] 彼女が私たちに最後まで教えてくれなかったのは、人の命を取る技ばかりだったわ。

[女侠?] なぜ途中でやめたの?

[「ジィンさん」] 手合せだったんですよね? なら寸止めするべきでしょう。「人に寛容たることは、己に活路を残すこと」と言うじゃありませんか。

[女侠?] 私がお前の仇の使いとして、命を奪いに来たことはわかってるはずよね。

[「ジィンさん」] もちろん。あなたの目的は二つ、一つは番頭さんの腕輪、もう一つは私の首でしょう? ……けれどまあ、取り逃がしたと報告すればいいのでは?

[「ジィンさん」] 追っ手をまいたのは一度や二度じゃないですし、私の逃げ足の速さは向こうも承知しているでしょう。軽功を使えないあなたが仕損じたところで何の不思議もない。

[女侠?] なぜ、私を助けるような真似を?

[女侠?] 「義侠心が厚く、人助けをして恩を与えたこともある」から?

[「ジィンさん」] だってそうでしょう? あなた方がまだ道場にいた頃、親が私の様子を見に来る度に、わざと手を抜いて私を勝たせていましたよね。おかげで家の者は未だに私が武術の天才だって信じ込んでますよ。

[「ジィンさん」] 師匠は私の地元の名産が梅の砂糖漬けだとご存じで、いつも多めに用意してくださっていました。そしてあなた方も遠慮してそれを取ろうとはしませんでしたね。

[「ジィンさん」] 私が恩を受けていない相手など、この一門には一人もいません。不肖の身なれども、そのことは決して忘れはいたしません。

[「ジィンさん」] ──それに大きな波に吞まれるとき、本人の力だけではいかんともしがたいものですから。

[女侠?] ふっ、どうにもならないとわかっているのに……お前は助けようとするの?

[「ジィンさん」] ……姐さん、師匠は、私のせいで死んだようなものです。

[「ジィンさん」] 裏でどんな陰謀が企てられていたとしても、あの拳士を手に掛けたのが私だっていうことは不動の事実なんです。師匠はこんな情けない弟子のために……私は一門の恥さらしです。

[「ジィンさん」] 私に師匠から教わった技を使う資格なぞありません。さきほどは弟子同士の腕比べとして、姐さんに見てもらいたかっただけです。

[女侠?] ……お前も大きな波に呑まれている様なものよね。誰か助けがくる見込みはあるの?

[女侠?] それに扇子の題字もはっきりと見えたわ。お前が師匠からそれを託された以上、信頼に応えるべきよ。

[「ジィンさん」] ……ならば尚更、あなたにとどめは刺せません。師匠から教わった技は、そんな不毛なことのために使うわけにはいきませんから。

[女侠?] 本当にそれでいいのね?

[女侠?] わかった。情けに感謝するわ、我が弟弟子。

[酒家の番頭] 女侠──あれ、女侠は?

[酒家の番頭] なぜあなた一人なんです?

[「ジィンさん」] 外で誰かがやりあってる音を聞いて、飛び出してったよ。

[酒家の番頭] なるほど。さっき喧嘩するような音や、扇子が開閉する音が酒蔵にまで聞こえました。さては女侠が悪を懲らしめてたんですね。

[「ジィンさん」] でしょうね。とばっちりを食わないようにちゃんと隠れてなきゃ。収まるまで外に出るなよ。

[「ジィンさん」] そうだ番頭さん、これを──あなたの腕輪です。

[酒家の番頭] ……本当に行ってくれたんですか?

[「ジィンさん」] だってご母堂の形見でしょう? 失くしたらどんなに胸が痛むことやら。わが身に置き換えるとどうもたまらなくて──あっ、でも番頭さん、報酬はキッチリ払っていただきますよ。

[酒家の番頭] もちろんです、ありがとうございます!

[「ジィンさん」] あ……それとしばらくは周りに注意を払うことをお勧めしますよ。あとできれば早いうちに雲水町から離れた方が……

[酒家の番頭] やつらを怒らせたんですか?

[「ジィンさん」] まぁ……結構な勢いで怒らせましたねぇ。

[酒家の番頭] ……

[酒家の番頭] それはどうも本当にあなたに感謝すべきですかね。

[「ジィンさん」] まことに申し訳ない! この通りだ番頭さん。頭も下げるし、おまけで占いも一回つけますから! タダで! どうかそれでひとつご勘弁を……ね?

[酒家の番頭] いいんですよ。どうせジー家に目をつけられたら、もうここでの商売はできませんから。

[酒家の番頭] 報酬もこの前言ってた通り、きちんと払いますよ。

[「ジィンさん」] おっ、毎度あり。

[「ジィンさん」] そうだ番頭さん……厨房の方で、梅の砂糖漬けなんか余ってたりしませんか?

[酒家の番頭] ええ、ありますけど、ご入用で?

[「ジィンさん」] ああ、ちょっと遠出するので、道中のお供にでもと思いましてね。

ソの野郎に逃げられたのか?

申し訳ございません。

……ですが、闇夜に紛れて、東の方角へ車で逃げて行ったのを確認しました。

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