aklib_story_壊れない壁

ページ名:aklib_story_壊れない壁

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壊れない壁

お人好しと言えど頑なに譲れないものはある。メンツが潰れようと飯の種を失おうと、ウンは理不尽に頭を下げるのだけは嫌だった。だが時には、いくら頭からぶつかろうと壊れない壁があるものだ。


[通りすがりA] おはよー、ウン。今日はまだ仕事に行かなくていいのか?

[ウン] ハハッ、ちょっと色々あってね、今日は行かないよ。

[通りすがりA] なんだおい、病気か? だったら早く家に帰って養生しなよ!

[ウン] 違う違う、そんなんじゃないから……それじゃ。

[通りすがりA] っておい、待てよー、そういや新しい仕事はどうなんだー?

[通りすがりB] (小声)よしなって。あのしけた顔を見ればわかるでしょ? きっとまたクビになったんだよ。

[通りすがりA] (小声)えぇ、またぁ? 何度目だよ……融通は効かないけど、根はやさしい奴なのになぁ。

[通りすがりA] (小声)やっぱこのご時世じゃあさ、お堅いのより柔軟な奴が得すんだって。

[通りすがりB] (小声)そうよねぇ。何があるかわからない世の中だもの、変化に対応できないと、取り残されるだけだわ。

[ウン] ……

[社長] 坊ちゃんよ……俺はてめぇになんつった? 余計なことには口出しすんじゃねぇって教えたよな!

[社長] それともお坊ちゃん生活が長すぎたせいで、下々の者の言葉は理解できないか?

[社長] この龍門で商売するつもりだったらなぁ、頭が柔らかくなきゃダメなんだよ! 柔らかく! わかるか?

[社長] 取引まで漕ぎつけるのに、どれだけのワイロやコネが必要だったかわかってんのか?

[社長] それをノータリンのお坊ちゃんは、ブツの出所が不明ってだけでチクりやがって! 正義の味方を気取るのも大概にしとけや!

[ウン] でも社長……あれはヤバい物だったんですよ。ヤクザになんて売り渡したら、後でどう使われるかわかったもんじゃ──

[社長] 知ったことか! 金さえ儲かりゃいいんだよ! クソッ、てめぇ一体何様のつもりなんだ!? 俺に指図するな!!

[ウン] いやでも……

[社長] でも? でももへったくれもねぇ、今すぐ出てけ! 二度とそのツラ見せるんじゃねぇぞ。

[ウン] すみません、社長。俺はただ……

[社長] さっさと消えろってんだ! ったく、てめぇは本当に親父そっくりだな。ざまぁねぇぜ、奴が破産したのも当然の結果だってんだ!

[ウン] 社長、そんな言い方はないでしょう。俺の親父はこの件とは関係な……

[社長] だから出てけッ!

[ウン] (腹の鳴る音)

[ウン] (はぁ……とりあえず何か食いに行こう。腹に何か入れてから別の仕事を探せばいいや。)

[街頭広告の音] いらっしゃいませーいらっしゃいませー! 本場尚蜀の麺! 掛け値なしの本場の味! 本場の尚蜀麺が、ただいまオープン記念でなんと二割引き! いらっしゃいませーいらっしゃいませー……

[ウン] (ポケットの中の小銭入れをまさぐる)

[ウン] うん、たぶん足りるよな。ここでいいか。

[麵屋の店長] へい、らっしゃい! お客さん、何になさいます?

[ウン] えーと、ちょっとメニューを見てから決めるよ。

[麵屋の店長] うちの看板メニューの「八麺六臂」なんていかがです? お肉も野菜も、色々入ってますよー。味も本格派ですぜ。

[ウン] なるほど。でも俺は素のラーメンにするよ、ありがとう。

[麵屋の店長] 素のラーメン? 具もいらないんですかい? 飲み物とつまみは?

[ウン] 大丈夫、それだけもらえるかな。

[麵屋の店長] (口をゆがめる)ふーん、そうですかい……じゃあ番号札を持ってあそこで並んでてくだせぇ。

[ウン] ……どうも。

[リー] 店長さん、注文いいかい? おれは一見なんだがね、お勧めはあるかな。

[麵屋の店長] 当店自慢の特別メニュー「八麺六臂」が一推しですぜ。食った人はみんな口々に、うまいうまいって褒めてくれまさぁ。

[リー] いいねぇ、じゃあそいつを一つ。

[麵屋の店長] ハハッ、お客さん気風がいいねぇ。はいコレ、番号札。少々お待ちくだせぇ、すぐ席までお持ちしますんで。

[リー] ん、どーも。

[リー] そっちのお兄さん、この店にはよく来るんですかい? 味の方はどんなもんで?

[ウン] いえ、俺も初めてです。味はまだなんとも。

[リー] じゃあ尚蜀料理を食べたことは?

[ウン] 小さい頃に親父と酒楼で食べたことがあるかな。とてもうまくて、俺も大好きでした。

[リー] ハハッ。けど、大きな酒楼よりもその辺の食堂のがうまいってことも結構あるんですよ。

[麵屋の店長] へい、お客さん、お待ちどう。お口に合うかどうか、食べ終わったらぜひご意見を。

[リー] はは、うまかったらもちろん褒めますとも。

[ウン] 店長、俺の麺はまだかな……?

[麵屋の店長] まぁ、慌てなさんな。茹でるにも時間がいるんでね。

[ウン] でもこの方の麺が茹で上がってるんなら、俺のもできてていいはずなんじゃ……

[麵屋の店長] はぁ、こりゃ妙なことを言う人だな、お二人が頼んだのはそれぞれ違う麺でしょうが。

[麵屋の店長] まったく最近の若いモンは我慢が足りんなぁ。良い料理ってのは、それだけ待たされるもんなんだよ。

[リー] コホンッ、あのう店長さん? この店はオープンしたばかりで忙しいんですよねぇ?

[麵屋の店長] え? あーそうそう、とっても忙しいんですよ。お客さんもどうぞごゆっくり。すぐ作りますんで。

[ウン] (うなずいて謝意を示す)

[リー] 気にしなさんな。

[ウン] ふぅ……

[ウン] (まあいいか、気にせず待とう。)

[ウン] (にしても凝った内装だな、これが尚蜀風なのか。)

[ウン] (子供の頃、いつか尚蜀に連れてって本場の尚蜀グルメを食わせてやるって、親父がいつも言ってたっけ……いや、もういないんだ、こんなこと考えても仕方ない。)

[ウン] (ん? あの人、キョロキョロしてどうしたんだ?)

[ウン] (紙袋……懐に紙袋抱えて何するつもりだ──待て、今、丼の中に何か入れなかったか?)

[ウン] そこの方、今何を──

[チンピラ] おい、店長、ちょっとこっち来いや!!

[麵屋の店長] はいはいただ今、何かご用で?

[チンピラ] おめぇんとこの店は商売する気あんのか、あぁン? 麺に虫が入ってんじゃねぇか! ほら、この黒光りしたでけぇヤツがまさか見えねぇとは言わねぇよなァ?

[麵屋の店長] お客さん、そいつはありえませんって。この掲示を見てくだせぇ。この店の衛生水準は最高ランクですぜ。こんな不始末をしでかすなんて絶対にありえないことでさぁ。

[チンピラ] デタラメこくのも程々にしとけや。今まさに、この丼の中に証拠があんじゃねぇか。これでもまだ言い逃れする気か?

[麵屋の店長] 言い逃れ? とんでもねぇ。あんたの方こそ強請るつもりだな? この店には防犯カメラがついてんだ。誰がデタラメこいてんのかは自ずと明らかになるってもんだ。

[チンピラ] (テーブルをひっくり返す)防犯カメラが何だってんだ! おめぇケンカ売ってんのか、あぁン!?

テーブルがひっくり返った拍子に、できたての湯麺の丼がちょうど麺をすすっていたリーの方へ飛んでいったことに、口々に罵り合う二人は、どちらも気づかなかった。

[リー] んん?

[リー] (やれやれ、まぁ慌てる必要はない、こいつをすすり終わってからでも十分躱せる。)

[ウン] うおっ、あちちっ!

[ウン] そこの人、大丈夫? スープはかからなかった?

[リー] なぁに、問題ない。むしろお兄さんの方が熱々のスープをもろに顔面に受けちまって、災難でしたねぇ。ほら、このハンカチで顔を拭きなよ。

[リー] (ふーん、義理堅い男だ。どうやら借りができちまったな。)

[ウン] どうも。

ウンは顔についた麺や野菜を払い落とすと、リーが渡したハンカチを広げて、顔を手早く拭った。

スープまみれになったハンカチを見て、そのまま返すべきか一瞬悩んだ。本人に訊こうと顔を上げると、リーが自分の頭を指さしているのが目に入った。

[リー] ここ。ここにまだ何かついてますよ。

ウンが頭の毛をまさぐると、何やら硬い物体が手に触れた。それを掴んで目の前に持ってきてみると、黒光りする一匹の虫が手の中で縮こまっていた。

[ウン] ……

[チンピラ] ピーチクパーチクうるせぇんだよ、痛い目に遭いてぇようだなァ?

[麵屋の店長] うっ、こ、この手は何のつもりだ!

[チンピラ] おめぇとのおしゃべりはもう飽き飽きだ。どうやら拳で語り合った方が早ぇみてぇだからよォ。

[麵屋の店長] ううっ、こ、ここは一つ、お客さんのお代は頂かないってことで、どうですかい?

[チンピラ] ナメたことほざいてんじゃねェ! ここまで事を大きくしたんだ、一杯分のお代程度で手打ちにするわけにゃあいかねぇよなァ?

[麵屋の店長] だったら──ぐっ、手を放してくだせぇ、い、息ができない……

[チンピラ] だったら何だ? おめぇ──

[ウン] 聞こえただろ? 手を放せって言ってるんだ!

[チンピラ] 誰だおめぇ? 口出しすんじゃねェ。おとなしく自分の麺を食ってやがれってんだ。

[ウン] 聞こえなかったのか? 手、を、は、な、せ、と言ってるんだ。

[チンピラ] この犬っころが、おめぇも痛い目に遭いてぇようだなァ!

[チンピラ] あんちゃん、ううっ、あ、あんちゃん悪かったって、俺っちがいけなかったってばよォ。もう勘弁してくれ、二度としねぇからよォ。

[ウン] わかったから泣き止んでくれるかな? まるで俺の方がいじめてるみたいじゃないか。

[ウン] (ふぅ、頭にきて少しやり過ぎたな。この人大丈夫かな……)

[ウン] ケガ、平気かい?

[チンピラ] (おいおい、ケガを心配するたぁどういうつもりだァ? まだ強請りを仕掛ける気かどうか疑ってんじゃねぇだろうな?)

[ウン] なぁ……大丈夫なのかい?

[チンピラ] 平気です、大したケガじゃねぇですから。ぜ、全部俺っちの不注意でぶつけちまっただけで、あんちゃんとは関係ありやせん。

[ウン] えっ、ぶつけた? いや、それは俺がさっき……

[チンピラ] いえいえいえ、心配いりやせん。なにぶん目が悪いもんですから。ホント、俺っちって奴ぁ、ハハハッ。

[チンピラ] そ、それじゃあ俺っちは用があるんで、お先に失礼しやす!

[ウン] あっ、足を引きずってるじゃないか……もっとゆっくり歩きなよ。

[麵屋の店長] いやはや、こちらのお兄さん。なんて感謝すればよいのやら……お兄さんのおかげであのチンピラを追い出せました。うちは小さい店ですから、ちょっとの無駄遣いも命取りなもんで、ええ。

[ウン] 店長、あの人にケガさせられたりしてない?

[麵屋の店長] お兄さんのおかげで、傷一つありませんよ。

[ウン] (お腹の鳴る音)

[ウン] 店長、ところで……俺の麺は?

[麵屋の店長] おおっといっけねぇ、さっきのいざこざですっかり……どうぞ座ってお待ちくだせぇ、すぐ持ってきますんで。

[リー] いやぁお兄さん、助かりましたよ。あんたがいなきゃ、汚れた格好で家に帰ってうちの娘っ子に小言を言われるところだった。

[ウン] 旦那、家で娘さんが待ってるのかい?

[リー] いや……うーん、まぁおれの娘って言えなくもないか。

[ウン] ハハッ、何なんだよその言い方は。

[リー] これには深いワケがありましてねぇ。ちーとばっかし説明が難しい……ところで、お兄さんずいぶんと鮮やかな身のこなしでしたが、誰に習ったんです?

[ウン] 買いかぶりさ。ただ親父からカンフーをちょっと教わっただけで、大したもんじゃない。

[リー] やっ待てよ、そういえばあんたみたいな擒拿(きんな)術を使ってた人が龍門にいたなぁ。たしか数年前まで警備会社を営んでて、苗字は……はぁまったく、歳ですかねぇ。すぐに出てきやしない。

[ウン] 高(ガオ)って苗字なら、俺の親父だ。

[リー] あーそうそう、ホントにその人なんだな。お父上は元気ですか?

[ウン] 昨年末に……亡くなったよ。

[リー] そうでしたか、そいつはお気の毒に。

[ウン] ご丁寧にどうも。ま、もう過ぎたことなんで。

......

[麵屋の店長] はい、お兄さんお待ちどうさま! 何も入ってないのもつまらんだろうから、肉のトッピングをおまけしといたよ。

[ウン] おお……店長、ありがとう。

[ウン] (割り箸を二つに割る)

[麵屋の店長] お兄さん……

[ウン] (箸を置く)どうしたの店長? 何か言いたいことでも?

[麵屋の店長] お兄さんも知ってんでしょう? この街の高ぇ場所代じゃあ、商売すんのも一苦労だってことくらいは。

[ウン] ああ、そりゃまぁ……

[麵屋の店長] たしかにあんたは、さっきのチンピラを追い払って助けてくれた。だけど、その大立ち回りのせいで、店ん中はかなりめちゃくちゃになっちまった。

[麵屋の店長] あんたが助けてくれたのは事実だから、この一杯分は私のおごりにしときますよ。だが、それとこれとは別の話だ……

[ウン] つまり?

[麵屋の店長] 壊れた物についてですよ。どう弁償するつもりなんで?

[ウン] (拳を握り締める)俺はただ、助けるつもりで……

[麵屋の店長] おいおいおい、そんな風にげんこつ握って、何をするつもりだい?

[麵屋の店長] 殴るんですかい? だったらあんたもあのチンピラとおんなじだ。ご自慢のカンフーを振りかざして思い通りにしようってか。

[ウン] 違う……そんなつもりじゃ……

[麵屋の店長] じゃあさっさと弁償してくれや!

[ウン] 店長、そんな風に人を威圧するのはダメ……えっと、良くないことだよ。

[麵屋の店長] 良い悪いはあんたが決めることじゃねぇ。人様の物を壊したら相応の代価を支払う。こいつは天が定めたこの世のルールですぜ。

[ウン] それは……

[ウン] 親父、今日は調子どう? あー、またちょっとしか食べてないじゃないか。そんなんじゃ身体ももたないよ?

[病に伏せた男] おいおい、小言はやめてくれ。隣のベッドの人から、あんたんとこの息子は、うちの娘よりおせっかいだなって毎日笑われるんだよ。ゴホゴホッ。

[ウン] そんな弱った肺で一緒になって笑ったりしてないよな? 何か他に食べたいもんとかある? リンゴでも剥こうか? 夜にお腹の中が空っぽだとよく眠れないだろ。

[病に伏せた男] そういえば、もうずいぶんと卵チャーハンを食ってないな。なんだか食べたくなってきたような……

[ウン] それはあんまり良くないんじゃないか? また消化不良で胃がもたれたりして、夜中に辛い思いをするよ。

[病に伏せた男] まーた小言が始まった。言ってみただけだ……わかったよ、じゃあリンゴでも剥いてくれ。

[ウン] ああ、じゃあ今から……

[病に伏せた男] お前……最近、仕事はどうなんだ? 李(リ)さんから何か言われたんじゃないのか?

[ウン] 問題ないよ。リおじさんは俺のことを真面目だって言って、とても良くしてくれる。

[病に伏せた男] 俺の目をごまかせると思ってるのか? お前のその浮かない顔から察するに、叱られたんだろ? 俺に隠し事なんかするんじゃない、話してみろ。

[ウン] ……実は、この間リおじさんと意見が割れて、口論になったんだ。ほんのちっぽけな利益のために、お客さんにあんなことを……リおじさんのやることは筋が通ってないと思ったんだ。

[病に伏せた男] ったくお前ってやつは、俺に似て融通が利かん……俺が落ちぶれたのはまさにそのせいだ。俺はもうどうしようもないが、お前はちゃんと俺の失敗から学ぶんだ。

[ウン] 何言ってるんだよ、親父。俺が子供の頃、何が正しくて何が間違っているか、自分の心の中では白黒ハッキリさせろって教えたのは親父だろ?

[病に伏せた男] この体たらくを見ろ! これがハッキリさせ過ぎた末路だよ! お前はまだ若い、二十代なんて今からが一番良い時期じゃないか。俺みたいに後先考えないで満身創痍になる必要はないんだ……

[ウン] 親父! なんてことを言うんだ!

[病に伏せた男] 希声(シーシェン)、父さんの言うことをよく聞くんだ。時には沈黙を保て。頭から突っ込んで行くような真似はもうするな。でないと、最後には痛い目に遭うぞ。そんなのはみっともない話だ。

[麵屋の店長] なぁ、お兄さん。ぼーっとしたってしょうがねぇだろ? 締めて一万五千だぜ。いつ払うかここで言ってもらうよ?

[ウン] (拳を緩める)

[ウン] ……店長、手持ちもちょっとしか残ってないんだ。この店で働いて返すってことじゃダメかい?

[麵屋の店長] ふん……まぁいい。ただ働きのバイトを拾ったと思えば悪かねぇ。その力なら、磨いた皿はピカピカになるだろ。先に言っとくが、住ませてやるとこはねぇし、まかないも出ねぇからな。

[リー] ごちそうさん。お代はここに置かせてもらいますよ。

[麵屋の店長] はいはいどうも、またのご来店を。

[リー] そうそう、店長さん。食べ終わったら意見を聞きたいとか言ってましたよねぇ? 実はさっきとんでもないことに気づいちまったんで是非話したいんですがね。

[麵屋の店長] すいませんね、お客さん。今はちょっと立て込んでまして。

[リー] いやいやどうぞごゆっくり、おれは別にいくらでも待てますから。しかしあなたにその猶予がありますかねぇ?

[麵屋の店長] なっ……いいでしょう。だったらお客さん、そのご意見とやらを聞かせてもらおうじゃありやせんか。

[リー] さっき麺をすすってるときに、ここの消防設備の数を数えてたんですがねぇ。そしたら何と三つありました──きっかり三つです。いやぁ数え間違いかと思いましたよ。

[リー] なにしろおれの記憶が正しければ、先月制定された消防法じゃ、この規模の店なら消防設備が最低でも六つは必要なはずだ。不足の場合は――一つごとに五千の罰金。

[リー] ちーと計算してみましょうかねぇ。足りないのは、ひいふうみい……おおっと、締めて一万五千だ。

[リー] 聞いた話じゃ、最近の消防署はどうも取り締まりも厳しいらしいですよ? ちょいと電話をかければすぐに飛んでくるはずだ。店長さん、足りない三つを用意する時間があんたに残されてるかどうか。

[リー] あーあ、こいつは困りましたねぇ。

[麵屋の店長] お客さん、そこまで言っといて今更とぼける必要はねぇでしょう。

[リー] 確かこの店もオープンしたてで忙しいんでしたよねぇ? 波風は立てないに越したことはないでしょうよ。

[麵屋の店長] 何なんだと思えば、助け舟を出そうってか。悪いことは言わねぇ、余計なことには関わらないほうが身のためですぜ。

[リー] いんや、余計なってことはないでしょう。本当に火が出たら一大事ですよ。おれも龍門の一市民として市の消防安全のために尽くす義務がありますしねぇ。

[麵屋の店長] チッ──てめぇ!

[麵屋の店長] クソッ、今日は厄日だ! おい、運が良かったなこのノロマ野郎、助けてもらえるみたいだぜ。何ボサッとしてやがる、さっさと出て行きやがれ!

[ウン] ……

[リー] お兄さん、店長さんがこう言ってんだから、もう行きましょう。

[ウン] 旦那、助けてくれてありがとう。何のお礼もできないけど、力仕事が必要なら俺を使ってくれよ。

[リー] ハハッ、いーんですってそんなこと。ちょっと口出しただけだし。

[ウン] 待ってくれ、旦那!

[リー] ほんとに礼はいらないんだってば。

[ウン] そ、そうじゃなくて!

[リー] ん、まだ何か話があるんですかい?

[ウン] 旦那、その……俺にいろいろと教えてくれないかな!

[リー] 教える? おれがあんたに? ご冗談を……大体何を教わろうってんです?

[ウン] 俺は今まで、この世の中で何が正しくて何が悪いかなんて、火を見るより明らかだと思ってた。

[ウン] でも今は……いろいろ経験してからは、それがまるで壁に映る灯りの影みたいな、不確かなものだと思えてきたんだ。

[リー] ほう、そいつはまたどうして?

[ウン] 龍門にはたくさんの人がいる。金を求める人、義を求める人、生を求める人、楽しみを求める人、見せかけを求める人、真理を求める人、それらみんながこの街に集まってる。

[ウン] 無数の人がいて、それぞれの言葉があって、そしてその言葉は、それぞれの道理を持っている。みんながみんな違っている。

[ウン] 他人の中では、自分が信じる道理は道理じゃなく、自分の中では、その人の道理は通じない……だからその人に自分の道理を無理やり押し付けるしかない。

[ウン] だったら本当の道理は、道義ってやつは、一体どこにあるんだ?

[ウン] ……旦那の知ってることを俺に教えてはもらえないだろうか。俺は頭から突っ込んで痛い目に遭うのは嫌だけど、理不尽なことに頭を下げるのはもっと嫌なんだ。

[リー] お兄さん、あんたはまだ若い。わからないことがたくさんあるのは当たり前でしょうよ。

[リー] しかし、あんたの知りたいことは、おれにも教えられない……

[リー] 何せおれも、その「無数」の中の一人に過ぎないですしね。

[ウン] でも、俺は……!

[ウン] (お腹の鳴る音)

[リー] ……だけど、それ以外のことなら色々と教えられますよ。たとえば卵チャーハンの作り方とかね。塩が多くも少なくもなくちょーどいい塩梅で、粒が立ったパラパラのやつです。

[ウン] えっ、卵チャーハン?

[リー] ええ、どうです? 学ぶ気はありますかい?

[ウン] 俺は……はい、ぜひ教わりたいです。お願いします、先生!

[リー] ハハッ、じゃー行きますか。この時間ならまだ、市場で新鮮な卵と葱が買えますしねぇ。

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