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名もなき花
恐れられ、拒絶されようとも、ハイビスカスは医師としての責任を放棄したことはなかった。そして災厄が訪れた時、人々から忌み嫌われるサルカズは、アフターグロー区最後の希望となった。
[アンダンテ] ハイビスカス──!
[アンダンテ] ハイビスカス! どこにいるの――
[ケガをした男の子] うう、痛い……足、痛いよぉ……
[ハイビスカス] 大丈夫大丈夫。じっとしてて、ちょっと見てみるから――
[ハイビスカス] うん、大したケガじゃないね。ただの打撲ですり傷もないし、骨にも響いてないみたい。お薬を塗ってあげるね、そしたらすぐ治るから。
[ケガをした男の子] でも……痛いんだ。ちょっと動くだけでものすごく痛いんだ!
[ハイビスカス] 痛いよね、わかるよ。私も子供の頃にね、転んで足を怪我したことがあるの。血もいっぱい出てたから、痛いし怖いし、それでわんわん泣いちゃったの。
[ハイビスカス] それに比べてあなたは泣かなかったね。つまりあなたは強い子ってこと、そうでしょ?
[ケガをした男の子] (目をこすって我慢する)
[ハイビスカス] だったら、ここでずっとうずくまったって、ケガが速く治ることはないのも、わかるでしょ?
[ハイビスカス] この冷たい雨の中でずーっと座ってるか、それともお家へ帰って、柔らかいベッドの上でゆっくりケガを治すか、どっちがいい?
[ケガをした男の子] そ、それは……
[ハイビスカス] さあ、私の手を取って、ゆっくり立ち上がって……うんうん、よく頑張ったね。自分で歩いて帰れる?
[ケガをした男の子] う……うん!
[ハイビスカス] ホントに強い子ね。それじゃ、お家に帰ろっか。パパもママも待ってるからね。
[ケガをした男の子] うん。あ、ありがとう、お姉ちゃん!
[アンダンテ] いた! ハイビスカス!
[アンダンテ] ねぇ、コンサートホールで一体何があったの? どうしてあなただけがここに?
[ハイビスカス] アンダンテさん……ちょうどいいところに。
[ハイビスカス] ゆっくり説明していられませんが、ここにいる負傷者の方々には先ほど簡単な応急処置を施したところで──
[ハイビスカス] ここ一帯の源石濃度が、とても高くなっていて……今すぐ、事務所へ彼らを搬送して、それから、も、もう一度検査を……
[アンダンテ] ちょっと、どうしたのそのケガは!?
[アンダンテ] あなた、他人の面倒を見てる場合じゃないでしょ!
[ハイビスカス] ケガ? 何のこと……
[おじいさん] お嬢さん、なぜ──
[ハイビスカス] ――私が盾になります。エーベンホルツさん、今です!
[ハイビスカス] そんな……あの時は確か防げたはずなのに……
[ハイビスカス] 大丈夫です。こう見えてもラヴァちゃんに特訓をつけてもらってるんですよ、こんなのはアーツで――
[アンダンテ] ハイビスカス──!
数日前
[ハイビスカス] こんにちは。ダロンさんのお宅はこちらでしょうか? 救急電話を受けて来たのですが。
[弱った男の声] なんであんたが……アンダンテさんは?
[ハイビスカス] アンダンテ先生は往診に出ておりまして、代わりに私が状況確認に参りました。ご安心ください、私も彼女と同じく専門の医師課程を修了していますから。
[ハイビスカス] よろしければ、中に入って診察をしても構いませんでしょうか? 基本的な検査だけで、採血はしな──
[弱った男の声] 俺の家に近寄るんじゃない!
[ハイビスカス] そう警戒しないでください。許可なく近づいたりはしませんから。
[ハイビスカス] ですが、見る限りお身体の状況はあまり宜しくないかと。すぐに検査をした方が──
[弱った男の声] あんたに何の関係がある!
[弱った男の声] ここんとこはずっと体調が良かったんだ。きっとあんたみたいなサルカズがこのアフターグロー区へやって来たせいだ。そのせいで俺まで病気になっちまったんだ!
[弱った男の声] 予言は間違ってなかったんだ……あんたらサルカズがここに災厄をもたらしたんだ!
[ハイビスカス] そんなことは……そのような話になったのは込み入った事情があるんです。説明するのに時間が……とにかく、今のあなたは急を要する状態なんです。ご自身の身体が第一でしょう?
[弱った男の声] もう構うな! たとえ病気で死のうと、サルカズなんかに助けを求めるもんか!
[ハイビスカス] ……わかりました。検査を受けたくないのであれば、強制は致しません。
[ハイビスカス] 使えそうな薬を置いていきますね。これはサルカズの助けなどではなく、ただロドスの使いで薬を届けただけですから、どうか使ってください……
[ハイビスカス] 玄関先のところに置きますね。後でご自分で取りに来てください、いいですか?
[弱った男の声] さっさと行け……でないと保安官を呼ぶぞ。
[ハイビスカス] はい、すみません……すぐに離れますから。
[ハイビスカス] とりあえず現時点で、アフターグロー区の見回りは一通り終わったかな。異常回復を起こしている感染者の数の多さ……このような特殊状況に対処するには、事務所の物資だけじゃ足りないな……
[ハイビスカス] 発注した薬剤はどうしてまだ届かないの……さっきの方、ちゃんと薬を使ってくれるといいけど。
[???] ハイビスカス──
[ハイビスカス] ……はい?
遠くから自分を呼ぶ声がしたような気がして、ハイビスカスはふっと振り返った。だがそこには誰もいなかった。
どこの家も扉を固く閉ざしており、数日前に歌い踊り、騒いだ光景はまるで記憶錯誤だったかのように思えた。
辺りを改めて見渡すと、古びた塀や、ボロボロになった青みがかったグレーの石畳は、どこか懐かしく目に映った――
[屋台の主人] ハイビスちゃん……倉庫に運んでおいてほしいって頼んだ食材は、明日必要な分だけだったのに、一週間分も運んじまったのかい? この子ったら本当に疲れ知らずだねぇ。
[ハイビスカス] ぜんぜん平気です! サルカズは力持ちなんですよ、おじさん!
[屋台の主人] わかったわかった……でもやっぱ疲れたろ。ほら、できたてのポテトと鱗肉のフライだ。二人分持って帰って妹さんと分けな。
[ハイビスカス] ありがとう、おじさん。でもお母さんが夕飯を作って待ってるだろうから、一人分だけもらいますね。あとでラヴァちゃんと分けっこします!
[果物売り] 言ったじゃないの、女の子にあんまり油っぽいものを食べさせちゃダメだって。
[果物売り] ハイビスちゃん、この果物を持って行きな。あんたのためにとっておいたんだからね、とっても甘いよ!
[ハイビスカス] ありがとうございます!
[果物売り] いいのいいの。いつもうちの子の宿題を見てもらってるし。またよろしくね!
[ハイビスカス] ダメダメ、思いにふけってる場合じゃない、しっかりしなきゃ……
[ハイビスカス] ただいま。
[アンダンテ] ちょっと、また外へ出て! ここ数日の調査は全部あたしに任せといてって言わなかった?
[ハイビスカス] こんな深刻な状況、あなた一人に任せるわけにはいきませんよ。
[ハイビスカス] それに、ただ薬を届けに行ってるだけですから、人目を引くようなことはしてませんよ。
[アンダンテ] ……また難癖をつけられたりしなかったでしょうね?
[ハイビスカス] (首を横に振る)
[アンダンテ] 医療オペレーターが外勤任務を行う時は、まず第一に自分の身の安全を確保しろってケルシー先生も言ってたでしょ。
[アンダンテ] この前の時とかみたいに、実際向こうが悪かったとしても、あんな風に先陣切って突っ込んでいくのは危なすぎるよ。
[ハイビスカス] ごめんなさい、あれから私も反省しました……あの時は完全に頭に血が上ってたし、焦っちゃって、何がなんでも言い聞かせなきゃって……
[ハイビスカス] でも後で思ったんです。なんて不毛な争いだったんだろうって。
[アンダンテ] 反省してるんだったらいいよ。とにかく、今度またああいうことをしたら、あたしから本艦に言い付けちゃうんだから!
[ハイビスカス] 本当のところ、皆さんにも悪気はないと思うんです。ただ最近色々ありましたから、それで不安になってるんでしょうね。
[ハイビスカス] 私が初めてアフターグロー区にやってきた頃なんかは、私をダンスに誘ってくれる人もいたんですよ。
[アンダンテ] その人、あなたのことをキャプリニーだとでも思ったのかな……
[ハイビスカス] それは違うと思いますよ。
[ハイビスカス] 私も最近知ったんですが、キャプリニーたちからすれば、サルカズとキャプリニーの角は、一目で見分けがつくくらい違うそうです。そんなに変わらないだろうと思ってたんですけどね。
[ハイビスカス] そうだ、面白い話があるんですよ。
[ハイビスカス] ヴィセハイムに来る前のことなんですけど、キャプリニーの女の子が路上で気を失っているのを見つけたんです。
[ハイビスカス] 薬と水を与えると、その子は目を覚ましたんですけど、私のことをサルカズだと見抜いたのか、すごく怯えているように見えました。
[ハイビスカス] 私はその子のことを驚かせたくなかったので、慌ててこう言ったんです。「怖がらないで、私もキャプリニーですよ!」って。
[ハイビスカス] でも全然信じてくれなくて……叫びながら逃げてっちゃいました。
[ハイビスカス] 今思い返してみると、おかしな話ですよね。サルカズが自分のことをそんな風に言うなんて。
[アンダンテ] それ、ちっとも笑えないよ。
[ハイビスカス] うぅ……
[ハイビスカス] 私が出ます。
[横暴な感染者] お前……?
[横暴な感染者] 今、俺の家から出てきただろ、覚えてねぇのか?
[横暴な感染者] 俺は息子だ! なに勝手に親父の血を抜いてやがる!
[横暴な感染者] アンダンテ先生は? 彼女に用があるんだ。
[アンダンテ] (「今いないと言って」というジェスチャー)
[ハイビスカス] すみませんが、どのようなご用件でしょうか? アンダンテ先生はただいまご不在ですので、私が代わりにお伺いします。
[横暴な感染者] 実は、えっと、その……
[横暴な感染者] た、頼む、親父を助けてくれ!
[ハイビスカス] シュナイダーさんのことですか? 何かあったんですか?
[横暴な感染者] 何日か前までは容体も落ち着いてたんだが、今朝からどうも様子がおかしくて。
[横暴な感染者] 熱が引かないし、しかも新しい結晶まで現れて……
[横暴な感染者] 先生! 頼む、助けてくれ──
[ハイビスカス] 私が行きます。連れて行ってください。
[横暴な感染者] ひ、引き受けてくれるのか……? ありが──
[ハイビスカス] 話している暇はありません、すぐ出発しましょう。
[弱った老人] (苦痛にゆがんだうめき声)
[シュナイダー] 先生、親父は──
[ハイビスカス] 症状を抑える基本的な処置を施しました。とりあえず危険な状態は脱しましたので、ぐっすり寝かせてあげてください。
[シュナイダー] 親父の病気、治るんだろうか……
[ハイビスカス] 正直に言いますと、お父さんの病状はあまり楽観視できません。
[シュナイダー] そんな……
[ハイビスカス] アフターグロー区の他の人たち同様、お父さんの身体にも異常回復の現象が起きています。一種の「疑似回復」と呼ばれるものです。
[ハイビスカス] 身体が損傷を受けていない部分を働かせて、損傷で失われた機能を補おうとするんです。ですがこの調節機能は、恒常的なものではなく、限界があります。
[ハイビスカス] お父さんは今、疑似回復後の「代償不全」と呼ばれる段階まで来ていて、その段階では鉱石病の悪化が加速するんです。高齢なので、一度バランスを崩すと後はどんどん深刻な状態になっていきます。
[シュナイダー] 確か、前も似たようなことを話してくれてたよな……
[シュナイダー] 俺のせいだ、もっと早く言うことを聞いてれば……
[ハイビスカス] 過去を悔いても仕方ありません。大事なのはこれからですよ。より注意してお父さんのことを看ていてあげてください。
[ハイビスカス] 食生活や睡眠時間、各種身体機能の状態をよく把握して、そのバランスを維持させるのです。こういう時は、患者さんを丁寧に看護してあげることが治療そのものよりも大切なんです。
[シュナイダー] わかりました、おっしゃる通りにします!
[シュナイダー] ハイビスカス先生……その、この前のことは──
[アンダンテ] ハイビスカス、今ちょっといい?
[アンダンテ] なんだか大変なことになったかもしれない、あたしたち──
[ハイビスカス] ちょっと待ってください。今患者さんのそばにいますので、外に出てから話しますね。
[ハイビスカス] アンダンテさん、何があったんですか?
[アンダンテ] さっきあなたが出かけてからすぐ、立て続けに十数人もの患者さんが事務所に運ばれてきたの。突然気を失った人もいれば、バイタルが急激に低下したっていう人もいたんだ。
[アンダンテ] 別の症状で訪ねてきた患者さんもたくさんいるんだけど、この短時間じゃ鉱石病の合併症かどうか判断できそうにもなくて……
[ハイビスカス] やっぱりシュナイダーさんの症状は特殊なケースじゃなかったんですね。となると、異常回復が起こった患者さんのほとんどが、すでに代償不全の段階にまで来ているかもしれません。
[ハイビスカス] ロドスの事務所の収容力では足りないでしょう。アンダンテさん、他の病院に何人か患者さんを移送できるか、それから頼んでおいた薬剤が予定通りに発送されるかどうか、確認しましたか?
[アンダンテ] もう確認済みよ。だけど、どこもかしこも何だかんだと言い訳をしてて……しかも……
[アンダンテ] クリフィーパティオ区への対応が最優先だって言うんだ。まずはそちらに十分な医療資源を確保してからだって。
[ハイビスカス] そんな無責任な!
[ハイビスカス] アンダンテさん、何とか持ちこたえてください、すぐに戻り──
[アンダンテ] ハイビスカス、まずは落ち着いて。
[アンダンテ] 今はみんなが一番不安になってる時期よ。デマを信じる人も少なくないから、あなたは無闇に人前に出るべきじゃない。
[ハイビスカス] でもそれじゃ──
[ハイビスカス] ……
[ハイビスカス] ……その通りですね。
[ハイビスカス] アンダンテさん、事務所の患者さんはあなたにお願いできますか?
[アンダンテ] 安心して。あたし、伊達に何年もアフターグロー区に駐在してきたわけじゃないから。
[シュナイダー] 俺も手伝います!
[ハイビスカス] でもあなたのお父さんは……
[シュナイダー] 少しの間なら、ご近所さんに頼めるので――今は人手が足りないんでしょう?
[シュナイダー] 俺にも何か手伝わせてください。何でもしますから、お願いです。
[ハイビスカス] わかりました。私が以前調べたこのリストに、異常回復の起こった患者さんの名前が載っています。
[ハイビスカス] あなたの方がこの区には詳しいでしょう。リストを参照して、病状が悪化している患者さんを集中治療するため、事務所に連れてきてもらえますか?
[シュナイダー] わかりました!
[ハイビスカス] 病院の方は、私に任せてください。
[ハイビスカス] 直接行って説得してきます。
[狼狽する感染者] 先生、た、助けてくれ……
[泣きわめく子供] うわぁぁん──おうちかえりたいよぉ……
狭苦しい空間の中、平時の数倍の患者がひしめいていた。
泣き声、うめき声、それに病気の匂いが空気中で混ざり合い、息も詰まるような網を織りなしていた。
[シュナイダー] ゴホゴホッ……なんだこの酷い匂いは──アンダンテ先生、患者を連れてきました。
[アンダンテ] この患者の数……いや、いくら何でも多すぎるよ。前に調べた異常回復者の数と全然合わないじゃない。
[アンダンテ] 応急薬が足りないどころか、こんな環境じゃもし交差感染でも起きたら……
[ハイビスカス] そうなんです。こういった状況下では、パニックが病気そのものをも上回る脅威になり得ます。
[ハイビスカス] 患者さんたちも自身の状態を把握できていません。本当に代償不全を起こしているかどうかとは別にして、誰もが体調を崩したというだけで、それを未知の恐怖によるものと捉えてしまっています。
[ハイビスカス] そのため、今は患者さんの身体異常の原因をチェックして、それぞれの対処を切り分けるのが急務です。
[ハイビスカス] 代償不全になった患者さんは、急速な身体機能の失調に陥ります。即時の採血検査が不可能な状況下では、体温の異常が最も直接的な──
[アンダンテ] ハイビスカス!? どうした? 大丈夫?
[ハイビスカス] だ……大丈夫です。
[ハイビスカス] アンダンテさん、事務所の方はひとまず頼みました。
[ハイビスカス] 信じてください。必ず薬を持って戻りますから……
[アンダンテ] わ、わかった! あなたも気をつけるんだよ!
[保安官隊長] 先生、面倒を起こしているのはその人ですか?
[クリニックの医師] お嬢さん、ここはプライベートクリニックですよ。たとえあなたがどこかの医療機関に所属する者であっても、許可なしではここへの立ち入りは許されません。
[クリニックの医師] 最後の警告です。今すぐ立ち去りなさい。
[ハイビスカス] 同じく医療に携わる者として、あなたたちのお仕事を邪魔するつもりはありません。
[ハイビスカス] ですが、単なる風邪の患者さん一人で、十人以上も収容が可能な空間を占有しているという状況が、あなたたちの言っている「物資不足、病床不足」なのですか?
[クリニックの医師] それは患者の特殊な身分を鑑みた上で、我々なりの判断を──
[リターニア貴族] 先生、一体何があったのです? そ、その女は予言に出てきた悪魔ではありませんか?
[リターニア貴族] だ、誰か! 助けてくれ! そのサルカズをこの部屋からつまみ出すんだ!
[ハイビスカス] もし、私が本当にその悪魔だったとしたら、ここにあなたを救える人間はいると思いますか?
[リターニア貴族] ヒイッ──
[保安官隊長] 動くんじゃない!
瞬時、十数本ものアーツユニットがハイビスカスに向けられた。
[クリニックの医師] 患者を脅かすのはやめなさい!
[ハイビスカス] 脅かしてなどいません。私はただ医療に携わる者としてあなたたちに勧告しているだけです。医師として持つべき道徳と、果たすべき責任を、どうか思い出してください。
[ハイビスカス] 今、アフターグロー区の多くの人が極めて危険な状態にあります。ただ協定に則って、必要な薬剤をロドスの事務所に提供し、一定数の患者さんを受け入れてほしいだけなんです。
[ハイビスカス] これは過ぎた要求でしょうか?
[クリニックの医師] 怪しいよそ者の分際で……例の予言が知れ渡っている中、なぜ貴様の言葉などに耳を貸さねばならんのだ!
[クリニックの医師] もういい、これ以上付き合ってはおれんよ。保安官さん、彼女を連れて行ってくれたまえ。
[ハイビスカス] なら私を悪魔と見なしてくれても構いません。
[ハイビスカス] 予言を信じてるんでしょう? 確かこんな内容でしたよね――
[ハイビスカス] 「血中の悪疾は隠れ潜んで、静かに死を蔓延させるだろう」……アフターグロー区が予言通りになっていく様子を、その目で確かめてみますか?
[ハイビスカス] 今、予言の中の悪魔が目の前に立っていますよ……私を捕えるも、駆逐するもどうぞご自由に。そうすることで我が身を守れると思うのなら、好きにすればいい。
[ハイビスカス] それから高貴なるクリフィーパティオ区の皆さま方が、災厄の中で果たして自分たちだけで生きていけるのか、確かめてみましょう。
[ハイビスカス] カールさん、体温正常。血液中源石密度は小幅ながら上昇。
[ハイビスカス] マルタさん、体温正常。血液中源石密度正常。
[アンダンテ] 症例がいっぱい……器材もいっぱい……もう……運べない……
[アンダンテ] 健康食はもうヤダ……お肉が食べたい……
[ハイビスカス] アンダンテさん、今日はご飯食べる余裕もなかったから、夢の中で食事してるみたいですね。
[ハイビスカス] ほら──アンダンテさん、よだれが垂れてますよ。
[シュナイダー] ハイビスカス先生……まだお休みになってないんですか。
[ハイビスカス] ただ患者さんの状況をまとめてるだけです。昼間はおいそれと顔を出せない状況ですから、夜くらいは何かやっておかないと。
[ハイビスカス] あなたも今日はお疲れ様でした。お手伝い本当にありがとうございました。特に用事がなければ、先に帰って休んでください。
[シュナイダー] いえ、俺はやっぱり、ここにいますよ……そうだ、水を持ってきました。
[ハイビスカス] 助かります。
ハイビスカスは手を伸ばしてボトルを受け取ろうとしたが、手から急に力が抜けてしまった。つかみそこねたボトルは地面に落下し、コロコロと転がっていった。
[ハイビスカス] ごめんなさい……私が拾います。
[シュナイダー] 大丈夫ですか?
[ハイビスカス] 大丈夫です、ちょっと気が抜けただけで……
[シュナイダー] 今日の午後、先生が出てからそんなにしないうちに病院が車を寄越して来たんですよ。一体どうやって奴らを説得したんです?
[ハイビスカス] どうやってって……情に訴えかけて、理詰めで説き伏せた……とは言えないような……
[ハイビスカス] まぁとにかく、事態に収拾がついてよかったです。この仮設の隔離区域も明日には片づけられそうですね。
[シュナイダー] ハイビスカス先生……その、一つお聞きしたい。
[シュナイダー] あなたはここへやって来たばかりで、俺たちとは何の関係もない。ましてやあんなひどいことまで言われたのに……それなのに、どうしてここまでしてくれるんですか。
[ハイビスカス] うーん、そうですね……そういえば、私が医師として扱われたのはこれが初めてなんですよね。
[シュナイダー] えっ?
[ハイビスカス] 本艦にいた時は、主に患者さんのお世話をしたり、医師の助手をしてましたから。主治医としての仕事をしたのはこれが初めてなんです。
[ハイビスカス] ほら、あなたも私のことを先生と呼んでくれるでしょう? なら、先生としての責任はきちんと果たさなきゃ。
[シュナイダー] そうは言っても……俺、この前あなたにあんなことまで言って、それも許してくれるんですか……?
[ハイビスカス] 許していないと言ったら?
[シュナイダー] ほ、本当にすみませんでした! 俺は大バカ野郎だ!
[シュナイダー] 気が済まないんだったら、そのフルートで俺を殴ってくれても構いません!
[ハイビスカス] あー、自分をぶったりしないでください。もういいんですよ、冗談です。
[ハイビスカス] うーん、全く気にしてないと言えば嘘になるかもしれませんけど、でも、気持ちはわかりますから。
[ハイビスカス] みんな恐ろしい危険を感じると同時に、未知の脅威に立ち向かっていたわけですからね。よそ者を警戒するのも無理はありませんよ。
[シュナイダー] 本当に、そんな風に思えるのですか?
[ハイビスカス] それに、もし私が感情に任せてそのまま立ち去ったら、まさに予言通りになっちゃうじゃないですか。アフターグロー区に災厄をもたらして消え去る悪魔……ってね。
[ハイビスカス] 憎しみはまた新たな憎しみを生むだけ。それでは永遠に分かり合うことはできません。
[ハイビスカス] 私はただ、自分が何か行動することで、みんなが偏見を捨て去り、少しでもいい方向に進めばと思っただけで……
[ハイビスカス] ごめんなさい、少しめまいが……何か変なことを言ってしまったかもしれません……
[シュナイダー] い、今は休んでてください。近くにいますから、何かあったらいつでも呼んでくださいね。
[ハイビスカス] ふぅ……ひとまずは何とかなったかな。
[ハイビスカス] 私も水を飲んだら、ちょっと横になって――
[やつれた病人] ゴホゴホッ──ゴホッ! ゴホッ……
[やつれた病人] 水……喉が……水を……
[ハイビスカス] あ、水ありますよ。はい!
[やつれた病人] ゴホゴホゴホッ──ふぅ……
[ハイビスカス] 気分はどうですか? 他に悪いところは?
[やつれた病人] なっ……あ、あんたはサルカズか?
[ハイビスカス] あなたさえよければ、キャプリニーと思ってくださってもいいですよ……
[やつれた病人] よせって、サルカズとキャプリニーの角くらい、一目で見分けがつくさ。
[ハイビスカス] やっぱりそうですよね。
[やつれた病人] 月が、まん丸だ……満月の夜にサルカズを見たってことは、俺にもお迎えが来たってことか……
[ハイビスカス] それはまたどういう噂話ですか? 聞いたこともないバージョンですね。
[やつれた病人] あいたた、頭が痛てぇ……うわ言まで言い出しちゃかなわんな。
[やつれた病人] 看病してくれてありがとう……サルカズでもキャプリニーでも、なんでもいいさ──一緒に歌を歌おうぜ。
[ハイビスカス] 歌ですか? 病状も安定してきたばかりですし、今は安静にした方がいいかと。
[やつれた病人] 周りが静かすぎるんだ……明日に死ぬんだとしても、今夜は音楽とともにありたい。
[やつれた病人] じゃあ俺が歌うから、あんたはそのフルートで伴奏してくれ。
[ハイビスカス] わかりました、それで少しでも気分が晴れるなら……
[ハイビスカス] でも私、本当はうまく吹けないんですよ。
[やつれた病人] 大丈夫さ、ただ俺のリズムに合わせてくれればいい……
[やつれた病人] いくぞ、ワン、ツー──
[やつれた病人] 澄み渡る空は青を湛え、そよ風はたおやかに歌う♪
[やつれた病人] 川の水面は絶えず姿を変えて、我が心は希望に満ちる♪……
細長く伸びる路地は、ひっそりと静まり返っていた。収容する場所のない患者のために、周辺の住民が率先してそこを空けてくれたのだ。
月の光に照らされて、途切れ途切れのフルートの音色と歌声がその中を伝っていく。それはまるで、先日の動乱によって傷ついた町を慰める、子守歌のようだった。
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