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壁
外勤任務を終えたばかりのアシッドドロップは、とあるクルビアの都市で休養を取っていた。地元の警官が副業で行っていた宣伝を耳にした彼女は、よくわからないままストリートアートコンテストに参加することとなった。
[???] おい、そこの君! ちょっといいかな。
[アシッドドロップ] ……ボク以外誰もいないけど。
[???] ああ、君に用があるんだ。
[???] 表の通り沿いの壁、あそこに落書きをしたのは君かい?
[???] な、スケボーで逃げる気か!?
[???] 止まりなさ――違った。待ってくれ、捕まえに来たわけじゃない!
[アシッドドロップ] だったら何の用だよ?
[???] いや、その……ストリートアートコンテストに参加してみる気はないかなと思って。
[アシッドドロップ] は? 冗談はよせ。今どき誰がそんな、自分から進んで街の景観を破壊するようなイベントを開くってんだ?
[???] これを見てみろ。
[アシッドドロップ] フライヤー?
[???] 油断させた隙にひっ捕らえるんじゃないかって心配してるんなら、フライヤーだけここに置いておくからさ。自分で取ってくれ、な?
[アシッドドロップ] アーバン……ストリート……カルチャーフェスティバルだって? ストリートアートコンテスト、スケボーレース、ストリートダンスバトル、パルクール――高額賞金も? それにライブ中継まで?
[アシッドドロップ] おいおい、これは一体どういう風の吹き回しだ? あんたら市議会は揃って脳がショートしたのか?
[???] 知らん。俺は雇われて宣伝してるだけで、ただの使い走りだから。
[アシッドドロップ] 嘘だね。
[アシッドドロップ] 路地裏で「君、ちょっといいかな。」で人を呼び止めて、そのまま尋問を始めるような人が、ただの使い走りのわけがない。
[???] そいつは、職業病ってやつだ。
[アシッドドロップ] 自分が警官だって認めてるのか?
[警官] 非番のな。今の俺は小遣い稼ぎをしてるただのビラ配りさ。
[警官] 興味があるなら、このフライヤーを持って申し込みに行くといい。ついでにそれに載ってる番号を記録してもらえば、大会中はずっと無料でミネラルウォーターが飲めるぞ。
[アシッドドロップ] そんであんたもコミッションがもらえるってわけか?
[警官] ……お嬢ちゃん、これは覚えておけ。尋問されるのが嫌いなのは警官も同じだ。それが勤務中であろうと退勤後であろうとな。
[アシッドドロップ] あ、いや――
[警官] 参加したくないのなら別にそれで構わないが、探偵ごっこは他所でやるんだな。俺だって金が入用じゃなければ、器物損壊がどれだけ人様に嫌われる行為か教えてやりたいところだ。
[アシッドドロップ] (警官の肩をポンポン叩く)
[アシッドドロップ] 悪かったよ、しつこく聞いたりして。
[アシッドドロップ] 申し込みたかったら、ここに書かれた場所に行って、そんでこのフライヤーを見せればいいんだな?
[警官] (ためらいつつもうなずく)
[アシッドドロップ] 今もまだ受け付けてるのか?
[警官] ……オールタイムで受付中だ。
[スタッフ] 以上で登録が完了しました。他に何かご不明な点はございますか?
[アシッドドロップ] こんなコンテストをやろうだなんて、一体どこのどいつが思いついたんだ?
[スタッフ] そうですね――このコンテストの趣旨は、若者の思想や、若者に人気のストリートカルチャーを都市全体にアピールすることで、彼らに対する理解をより深めるよう促し……
[スタッフ] 同時に、若者にもっと都市の建設と維持に参加してもらおうと、市議会議員のクーパー氏が……
[アシッドドロップ] はいはい、わかったわかった。そのクーパー議員が主催者、そういうことだな?
[スタッフ] そう理解していただいて構いません。
[スタッフ] 他にまだ何かございますか? 後ろにもう一人、申し込みに来た方がいらっしゃるので、特になければ……
[アシッドドロップ] えっと、じゃあ最後に一つ。
[アシッドドロップ] フライヤーをくれた人に聞いたんだけど、このフライヤーを持って申し込みに来れば、これを配った人にお金が入るんだって?
[スタッフ] はい、もし明日の予選にご参加いただければ、翌日には報酬がその方の口座に振り込まれます。その後、決勝に進出し優れた成績を収められれば、さらに追加の報酬を獲得できます。
[スタッフ] もしかしてコンテストの宣伝にご興味がおありで?
[アシッドドロップ] いや、ちょっと気になっただけで。
[スタッフ] そうなのですね。ちなみにこちらが報酬表です。宜しければぜひ……
[アシッドドロップ] へぇ、誰かをコンテストに参加させるだけで、こんなにお金がもらえるなんて。そのクーパー議員って人は相当お金持ちなんだな。
[スタッフ] (微笑む)
[スタッフ] ここでタイムアップ! クーパー議員と各審査委員は本グループの作品の採点をお願いします!
[スタッフ] 採点終了まで、選手の皆さんは敷地内を自由に行動していただいて構いません!
[参加者] ねぇねぇ!
[アシッドドロップ] ん? ボクを呼んでるのか?
[参加者] そうよ! 私はアルバ、あなたは?
[アシッドドロップ] アシッドドロップ。
[アルバ] ふ~ん、ここに住んでるんじゃなくて、会社の出張で来てるだけなのね……なんだかついでに参加しただけのあなたが優勝しちゃいそうな気がするよ。
[アシッドドロップ] そんなことないって。そっちこそ、この黒い……えーっと……
[アルバ] 墨汁よ。
[アシッドドロップ] そう、墨汁。で描いたモノクロのグラフィティもなかなかクールだと思うよ。
[アルバ] 実はね、うちのお爺ちゃんが炎国人で、炎国画を描くのが趣味なのよね。それで子供の頃に教わったこともあったんだけど、私、半月で飽きちゃって。
[アルバ] でも、このコンテストのために、またお爺ちゃんに教わりに行ったのね。今回は三ヶ月も猛特訓したんだから。
[アシッドドロップ] 今日のコンテストのためだけに?
[アルバ] 今日のコンテストのためだけによ。
[アシッドドロップ] クールだね。
[警備員] そちらのお二人、お待ちください。これより先はパルクールの会場となります。
[アシッドドロップ] おっと、ごめんごめん。ここで立って観戦してもいいか?
[警備員] 会場内に入らなければ、もちろん構いません。
[アルバ] あれがパルクール?
[アシッドドロップ] そう。この人、結構いい線行って――
[アルバ] バク宙? あれって体操の動きでしょ!?
[アルバ] 頑張って、お兄さん! いけるよ!
[アシッドドロップ] でも彼……ただの体操選手だね。
[アルバ] え?
[アシッドドロップ] 派手なひねりや宙返りをたくさんやってるけど、着地時のロールはまるでなってないからさ……
[アルバ] ロールってそんなに重要なの?
[アシッドドロップ] もちろん。
[アシッドドロップ] 彼がやってるような着地の仕方じゃ、そのうち膝がイカれちゃう。
[アルバ] そうなんだ……うーん、そこんとこはまだ分からないな。
[放送の声] グレイソン選手の最終タイムは三分十七秒! 本大会新記録です!
[アシッドドロップ] ……
[放送の声] 体操競技を引退した後、グレイソン選手は本市のパルクール協会を設立しました。彼の素晴らしい成績に敬意を表しつつ、パルクール協会により多くの若者たちが参加してくれることを期待して……
[アシッドドロップ] (小声)パルクール事業に身を投じるだって? パルクールはいつから事業になったんだ?
[アルバ] なになに? あのグレイソンって人、ズルでもしたの?
[アシッドドロップ] いや、してないな。彼はあくまでフェアな戦いをして勝ったんだ。
[アシッドドロップ] ただ何て言うか……そういうのはあまり、クールじゃない。
[アシッドドロップ] 他のとこを見に行こう。
[放送の声] ……スケボーの選手……第七位の成績で……スケボー協会は毎週土曜の午後に……
[放送の声] ……に輝き……進出……ストリートダンスにおいては……より正式なストリートダンスバトル、より厳密な採点基準を……
[アルバ] アシッドドロップ、あなたの言いたいことが大体わかったわ。
[アルバ] このストリートカルチャーフェスティバルとやらは、確かにどこかおかしいわね。
[アルバ] 妙に色んな協会の宣伝ばっかりで――
[放送の声] ……アルバ選手……
[アルバ] え?
[放送の声] ……アシッドドロップ選手……
[アシッドドロップ] ……
[放送の声] 以上の選手は決勝進出が確定となりましたので、ストリートアートコンテスト会場にお戻りください。これより出場者に向けて注意事項の説明が……
[スタッフ] (小声)クーパー議員、決勝進出選手が全員揃いました。
[クーパー議員] コホンッ……
[クーパー議員] ファイナリストの皆様方、本大会の主催者、クーパーと申します。
[クーパー議員] 慌ただしい中での開催となったコンテストのため、大会中ご不快に思われた点もあるかと思います。まずはこの場を借りてお詫び申し上げたいと思います。
[アルバ] 慌ただしい中? 何ヶ月も前から宣伝してませんでしたっけ?
[クーパー議員] それは……私を含む主催者側の経験不足によるものでありまして、皆様には重ねてお詫び申し上げます。
[選手たち] ……
[クーパー議員] こうして皆様にお集まりいただいたのも、あるお知らせをここで発表し、私たちの行動によって皆様に謝意を示すためです。それでは発表いたします――
[クーパー議員] 明日のストリートアートコンテスト決勝は、市庁舎の外壁にて執り行いたいと思います!
辺りは騒然となった。
[せっかちな選手] 本当か? 俺たちをおちょくってるんじゃないのか?
[派手な選手] 市庁舎の外壁に絵を描けだって? 本当にいいんだな? あんたが自分で言ったんだからな!
[クーパー議員] 皆様お静かに、お静かに願います!
[クーパー議員] このような進行となったのも、この私が特殊な申請手続きを踏み、市議会に迅速に許可を獲得した結果なのであります。ですから、どうか落ち着いて話を聞いてください!
[クーパー議員] 今回のコンテスト開催にあたって、私は非常に大きなプレッシャーを抱えております。皆様にはどうかこのチャンスを大切にし――
[クーパー議員] (人々を見渡す)
[クーパー議員] 明日の決勝で披露する作品の内容に関し、しっかりと構想を練っていただきたいと思っております。
[クーパー議員] 私からは以上です。
[クーパー議員] ではこの後、スタッフから皆様に集合時間と場所の説明をいたしますので……
[アルバ] 市庁舎の外壁、か……クーパーのやつ、相当つぎ込んだようね。
[アシッドドロップ] なんだ、市庁舎の外壁ってそんな貴重なものなのか?
[アルバ] そうでもないけど、何せすべすべした白い壁だからね、絵を描くのにもってこいなのよ。これまでは警察が毎晩のようにそこで待ち伏せしてたくらいなんだから。
[アシッドドロップ] 絵を描くのにもってこいの壁か……あっ……
[アルバ] その顔……まさか、あなたが落書きをしてバレたのって、ちょうどあそこだったとかじゃないでしょうね?
[アシッドドロップ] さぁ、まあ確かにすべすべで白い壁だったけど……
[アルバ] ともかく、あの壁を巡る警察とグラフィティライターの攻防はもう一年以上も続いててね。白いペンキで塗りつぶされては何かが描かれ、そしてまた削られてペンキが塗り直されるという繰り返し。
[アルバ] だからあの壁に絵を描かせるのって、市庁舎や警察の顔に泥を塗るようなものよ。クーパーはどうやって説得したのかしら? もしかしたら何か企んでるのかも。
[アシッドドロップ] 明日行ってみればわかるだろ。
[アルバ] 行くの?
[アシッドドロップ] 行かない理由がないじゃないか。
[アシッドドロップ] あの議員の思惑が何であれ、決勝戦が中止されない限り、ボクたちが表現したいものを、合理的かつ合法的に描かせるしかない。誰もボクたちに干渉できないんだ。
[アシッドドロップ] あんたの水墨グラフィティを期待してるよ。きっと今日よりもクールなものを描いてくれるんだろ?
[アルバ] ……
[アルバ] そこまで言われちゃ、私もしっかり準備しなきゃね。
[アルバ] あなたもだよ、明日は絶対に一番すごいのを見せてよね。
[アシッドドロップ] 誰だ?
[スタッフ] 遅くにすみません、ストリートカルチャーフェスティバルでスタッフをしている者です。少しお時間よろしいでしょうか。
[アシッドドロップ] もうベッドに入っちゃったんだ。用があるなら明日会場で話してくれないか。
[スタッフ] とても重要なことなんです。中でお話しさせてもらえませんか?
[スタッフ] ――ありがとうございます。
[アシッドドロップ] で、何の用?
[スタッフ] 私どもは、ストリートアートコンテスト優勝の最有力候補は、あなたと見ています……
[アシッドドロップ] 褒めたって何も出ないよ。自分の実力ならわかってるし。
[スタッフ] では単刀直入に申し上げます。あなたが首を縦にさえ振ってくれるのであれば、私どもは今大会におけるあなたの優勝を保証することができます。
[アシッドドロップ] 首を振るだけでいいの?
[スタッフ] そう焦らずに、まずは話を聞いてください。優勝すれば、賞金の獲得だけでなく、本市のストリートアート協会の初代会長に就任する権利も付随されて――
[アシッドドロップ] ちょうどよかった、気になってたんだよね。あんたたち、色んな協会を作ってるみたいだけど、一体何がしたいんだ?
[スタッフ] もちろん、より多くの人にストリートカルチャーを届け、より多くの若者にストリートカルチャーに親しんでもらい、より多くの年長者にストリートカルチャーを理解していただくためです。
[スタッフ] あなたが熱愛するグラフィティも、協会の設立により、合法的な非政府組織の資格が得られます。そういった組織に所属すれば、法律に守られながら自由に考えを表現することができるのですよ。
[アシッドドロップ] たとえ他人の所有する財産の上に表現したとしても?
[スタッフ] 協会は固定の活動拠点を設けます。
[アシッドドロップ] 仮にボクが、お店の商品を盗んだと濡れ衣を着せられ、監視カメラもたまたま壊れていたと店主に主張されたら……
[スタッフ] それはこの話題とは関係ないのでは――
[アシッドドロップ] ……本当はボクがその店のショーウィンドウに描こうと思っていたものも、「活動拠点」にしか描けなくなるってことだろ?
[スタッフ] ……
[アシッドドロップ] どうやらボクの予想は正しかったみたいだ。
[アシッドドロップ] 店主が足を踏み入れるだけで靴が汚れると思うような「活動拠点」でしか、ボクは「合理的かつ合法的」に「きちんと」自分の怒りを表現できなくなるってわけだな?
[スタッフ] 協会設立後、最初の合法的な活動拠点となるのは、市庁舎のあの白い壁です。市庁舎ですよ、アシッドドロップさん。そこならあなたの言う、その架空の店主の目に映らないはずがありません。
[アシッドドロップ] ……本当か?
[アシッドドロップ] 市庁舎のお偉いさん方は、自分たちに反対するような絵があの壁に描かれることを許すのか?
[スタッフ] アシッドドロップさん、そう悲観する必要は――
[アシッドドロップ] 今日の昼、あんたたちのパルクール協会の会長を見たんだ。あんなのを見たからには、悲観せずにはいられないね。
[スタッフ] ……本当に意思の強いお方ですね。それとも頑固と言うべきでしょうか。
[スタッフ] もしあなたが今の立場を貫くというのならば、明日のコンテストは辞退することをお勧めいたします。お互いが後味の悪い思いをせずに済みますから。
[アシッドドロップ] 忠告ありがとう。考えておくよ。
[アシッドドロップ] あーあ、ウンザリしちゃう……
[アシッドドロップ] それにしても、連中は本当に市庁舎の壁を差し出したりするんだろうか?
[アシッドドロップ] ダメだ。気になる。
[アシッドドロップ] げっ、本当にこの壁なのかよ……
[アシッドドロップ] 水の音?
アシッドドロップは路地に隠れ、そこからそっと顔を覗かせた。
壁には彼女のグラフィティ以外にも、いくつかの絵がまばらに描かれていた。自分の後にまた誰かが描いたのだろうと、彼女はぼんやりと考えた。
そしてそこには、昨夜出会った警官らしき男、それともう一人の見知らぬ人物が、壁に向かって水をかけていた。
バシャッ。
アシッドドロップは思わず目をこすった。
バシャッ。
水を二回かけただけで、彼女の塗った顔料はぐちゃぐちゃに溶け、壁に汚らしい水の跡を残しながら流れ落ちた。
警官が、別のバケツの中から様々な色が染み込んだ雑巾を取り出して壁を何度か拭くと、すぐさま元の黄ばんだ色が現れた。落書きの跡は少しも残っていない。
[警官] なんか路地の方に人がいるような……
[見知らぬ人] しょうもない物音をいちいち気にしてんじゃねぇ。こっちは時間が惜しいんだ。さっさと片付けて引き揚げるぞ。
[警官] ……
[見知らぬ人] どうしたよ、今さら嫌になったのか? あの落書き小僧どもと一年間やり合っておきながら、まさか情が湧いたとか言わないよな?
[警官] そんなわけないだろ。
[警官] ただこの新型塗料が……本当にすごいなと感心しただけだ。
[警官] あらかじめこいつを壁に塗っておけば、あの若造どもがここに何を描き散らかそうと、ひと拭きするだけで跡形も残らないなんてな。
[見知らぬ人] そりゃそうだ。これが進歩ってやつさ。
[見知らぬ人] 警官さんよ、これであんたも、二度とあのバカどもに頭を悩まされずに済む。
[見知らぬ人] 協会ができれば、あいつらはここでおとなしく有り余るエネルギーを発散するだろうよ。何といってもここはクルビアだからな。法のお墨付きが欲しくない奴なんていやしないだろ?
[見知らぬ人] そんで、俺たちがやるべきことは、毎日監視カメラをチェックするだけ――そのカメラも明日届く――そうすりゃ、一体どいつが厄介な思想の落書きをしてるのか一発で丸わかりだ……
[見知らぬ人] 俺の仕事はその落書きに水をかけることで、あんたの仕事はそれを書いたやつを牢屋にぶち込んで目を覚まさせてやることさ。
[見知らぬ人] そうすりゃ、勝手気ままに落書きをするあのバカどもも、ちっとは我らがクーパー先生の役に立てるってもんよ。
[見知らぬ人] もし協会ができる前の「自由な日々」を懐かしむ厄介者がいりゃ、そいつを「ストリートアートカルチャーのイメージを壊す」悪者として非難の的にできる……ハッ、完璧だ!
[警官] ……
[見知らぬ人] 選挙も近づいてる。クーパー先生のこの一手はきっと多くの若者の票を集めるだろうな。
[見知らぬ人] 若者におとなしく言うことを聞かせられるだけじゃなく、数多くの票まで集められるとは、まったくクーパー先生は天才だ!
[警官] 天才、ああ、確かにそうかもしれん。
[警官] だが俺は今後、署で奴らをどう教育すればいいんだ?
[見知らぬ人] 誰を?
[警官] 落書きした奴らをだ。
[警官] これまではあいつらには、好き勝手に絵を描くことは他人の財産に対する侵害だと言ってきた。
[警官] 壁の前に連れていって、壁をこすらせ、白いペンキを塗るのを監督した。そうやって汗だくになるまで働かせて、他人にこうむった迷惑の後始末を自分たちでやらせたんだ。
[警官] だが今後はもう……「合法的な落書き」をしなかったことを咎めることしかできなくなる。
[警官] しかも悲惨なことに、たとえ「合法な落書き」であっても、捕まらないとは限らない。
[警官] その時、俺はどんな道理でもってそいつらを教育すればいいんだ?
[見知らぬ人] やめとけ、くだらないことは考えるな。
[見知らぬ人] 金が入用なんだろ? 黙って働けばそれでいいんだよ!
[アシッドドロップ] ……
[アシッドドロップ] とんだ見世物だ。見に来なきゃ損するとこだったよ。
[アシッドドロップ] 大会が終わったら、オニオンリングが食べられるところを探さないとな。でもこの都市に美味しい店なんてあるのか……
[アシッドドロップ] あんまなさそう。
[アシッドドロップ] ま、そん時になってから探すか。
[アルバ] 来たわね、アシッドドロップ!
[アルバ] ねぇ、昨日の夜、誰か訪ねてこなかった?
[アシッドドロップ] (うなずく)
[アルバ] やっぱり!
[アルバ] 適当に参加者を何人か捕まえて聞いてみたけど、スタッフが訪ねてきた人と、きてない人がいるみたい。
[アシッドドロップ] ふーん。で、スタッフから話を聞かされた方は何て?
[アルバ] なんかみんな……合法的に絵が描けるのは……いいことだって思ってるみたい。
[アルバ] だけど私は協会なんかに管理されたくないし、誰かを管理したくもない! 協会を作るとか言ってるクーパーがどんな魂胆かわかったもんじゃないし――
[スタッフ] すみません、アルバさんとアシッドドロップさんでしょうか?
[アルバ] な、何か用!?
[スタッフ] いえ、ただお二人に間もなくコンテストが始まりますので、各々の準備エリアに入っていただくよう伝えに来ただけです。
[アルバ] あっそ、わかったわ。
[アシッドドロップ] アルバ、もう一つ――
[スタッフ] アシッドドロップさん、開始時間が迫っています、早く準備エリアへ移動してください。
[スタッフ] (小声)結局来たのですね。
[アシッドドロップ] ああ。
[スタッフ] (小声)それはつまり、考えを改めたと理解してよろしいですか?
[アシッドドロップ] 昨日あんたが帰ってから、ずっと考えてたんだ。まあ確かに、考えが変わったと言えば変わったかな。
[スタッフ] (小声)それはよかったです。
[司会者] ……さあ、この決勝戦、激しい戦いはますます熾烈な展開を見せています!
[司会者] 邪魔にならないように配慮しつつ、こちらの選手の途中経過を見ていきましょう――
[司会者] これは驚きです、彼女はなんと炎国の……えー、黒汁を用いて作品を描いています!
[アルバ] (笑いをこらえる)
[司会者] 素晴らしい、優れた炎国の水黒人物画です!
[司会者] お尋ねしてもよろしいでしょうか? 作品の下の方に、クーパー議員の名前と一緒に炎国の文字が書いてあるようですが、これはどういった意味なのでしょう?
[アルバ] これはねぇ、そうね……*スラング*って意味らしいわよ。
[司会者] は?
[アルバ] 聞いたことない? 有名な炎国スラングよ。あなたたち、炎国映画くらいは見たことあるでしょ?
[スタッフ] 画面切り替えて切り替えて!
[司会者] えー続きまして、こちらの選手の様子を見てみましょう――こ、これは! まさに芸術です!
[司会者] この知性あふれる目、引き締まった口元、堂々とした顎の輪郭がその毅然さを物語る……
[司会者] これは間違いなくクーパー議員です! 何という完璧な肖像画なのでしょうか! 簡素なカラースプレーによって描かれた作品だとは思いもよりません!
[アルバ] アシッドドロップ、まさかあなたまで――
[アルバ] 放して!
[司会者] さて皆さん、真のストリートアートの王者は誰か、高額な賞金を手にする人物は誰か、答えはまもなく、最後の選手の作品の完成と共に明らかになります!
[司会者] まずはこちらの明るい少女が描かれた作品! 採点をどうぞ!
[司会者] 得点は、7.5点!
[司会者] 続いてはこちらの……えーっと……水黒……
[司会者] 水黒の落書きの右にある……これは自分のサインでしょうか? をそれっぽく殴り書きで描いた……作品、です。
[司会者] 得点は、1.0点!
もしその場に目のいいギャラリーがいたならば、アルバの作品の下にあったはずの炎国文字が、いつの間にか消えているのに気がついていただろう。
しかし先程の混乱により場外へとつまみ出された後、もう一度中へ押し入ろうとするアルバ自身も、それに気付くことはなかった。
[司会者] 続いては、こちら……
[司会者] 10点満点という最高得点により、ストリートアートコンテスト優勝はアシッドドロップ選手に決定です! おめでとうございます!
[司会者] アシッドドロップ選手、こちらが本コンテストの優勝者に贈られる賞金の小切手です。どうぞお受け取りください。
[アシッドドロップ] ……
[司会者] それでは、優勝した感想をお聞かせください!
[アシッドドロップ] ……
[司会者] アシッドドロップ選手?
[アシッドドロップ] はぁ……
[アシッドドロップ] 市庁舎の真っ白な壁に落書きさせてくれるなんて、ちょっと前のボクなら、きっと最高にクールだねって言ってたと思う。
[アシッドドロップ] でも、このコンテストとか言ってるものはさ……
[アシッドドロップ] (手で巨大な賞金パネルのような小切手の重さを量る)
[アシッドドロップ] ほんと、「クール」って言葉とは無縁だよ。
アシッドドロップは突然小切手を空高く投げた。
人々の視線がくるくる回る大金に釘付けになった瞬間、あらかじめ開けておいたミネラルウォーターのボトルを掴むと、壁に描かれたその知性と毅然さに満ちた顔に向けて、中身を一気にぶちまけた。
バシャッ。
そしてその顔は、一昨日の夜にアシッドドロップが気ままに描いた落書きと同じく、濁った水となった。
舞台下のスタッフがすぐに反応し、壇上に駆け上がろうとするも、群衆の中でボロ雑巾を持った警官の足につまずき、わけもわからず顔面からすっ転んだ。
[アシッドドロップ] これでよし……クーパー、選挙が終わるのを待たなくても、ボクが代わりにこの新型塗料の性能をみんなに披露しといてあげたよ――
ほとんどの人間が何の反応もできない中、群衆の中から突然何かが飛んできた。アシッドドロップは飛び上がると、それをしっかりと手でキャッチした。
それは様々な色が染み込んだボロ雑巾だった。
彼女は続けてその雑巾で軽くひと拭き。すると一瞬にして本来の黄ばんだ壁が現れた。
[アシッドドロップ] 少しの水と雑巾だけで壁の落書きを跡形もなく消せるなんて、技術の進歩はほんとにすごいね。
[アシッドドロップ] 正直に言えば、カルチャーフェスティバルを利用して若者から票を集めるアイディアは結構クールだと思うよ。それがあんたの本心から出たものだったらね。
[アシッドドロップ] でも残念だ。あんたが本当にやりたいのは、落書きを一瞬で消せるこの壁でしか表現できなくさせること、つまり「合法的な組織」でもって若者たちのスプレーノズルをしっかり管理することだ。
[クーパー議員] 言いがかりだ!
[アシッドドロップ] クーパー、あんたはもう好きに弄べる壁を手に入れた。そして好きに弄べる協会がすぐにでも手に入るんだろ?
[アシッドドロップ] その後であんたが一体何をしたいか、もしくはクルビアの議員先生さまが何を企んでるのか……もうボクが説明しなくてもみんなわかるよね?
[クーパー議員] あいつを捕らえろ! あいつはコンテスト妨害の現行犯だ! 不満を煽るテロリストだ!
警備員たちの動きはぎこちなかった。コンテストにこのような内情があったとは、彼らも思わなかったのだろう。
[アシッドドロップ] もしあんたがボクの行為を器物損壊だって訴えるなら、まだちょっとは恥じ入ったかもだけど、そうはしなかったからな。
[アシッドドロップ] それじゃ、サヨナラ。
[クーパー議員] スケボー!?
[クーパー議員] 誰か! やつを止めろ――
警備員たちは建前上、数歩程度は走ってみせたが、タイヤの付いた乗り物を足で追いかけたいと思う者などいない。
彼らはアシッドドロップが前方の階段で躊躇するのを、あわよくば転んでくれるのを願った。
しかし、スケートボードはまるでアシッドドロップの足の裏に吸い付いているかのように彼女と共に宙を舞うと、階段の手すりの上に着地した。
手すりをやすやすと滑り降りたアシッドドロップは、急カーブして密集したビル群の中へと消えていった。
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