夢十夜(小説)

ページ名:夢十夜_小説_

登録日:2020/05/05 Tue 14:15:37
更新日:2024/05/17 Fri 13:06:55NEW!
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夏目漱石 短編 夢十夜 高校現代文 教科書 国語 現代文 掌編小説 短編小説 短編集 夢オチ集 こんな夢を見た 幻想文学






こ ん な 夢 を 見 た。




『夢十夜』とは夏目漱石の小説で、10の独立した掌編小説から成る短編集である。
1908年7月25日から8月5日まで「東京朝日新聞」にて掲載。
叙事的な小説の多い漱石作品の中では珍しく、幻想的な雰囲気を美しい文体で肉付けした物語になっている。
高校現代文では第一夜・第六夜が掲載されており全文を知らなくとも名前は知っている人も多いだろう。



各物語には「第〇夜」と副題があるが基本的にそれぞれに繋がりはなく、世界観や時代背景もてんでバラバラである。厳密には第八夜と第十夜のみ登場人物の一部がリンクしているが、どちらも独立したストーリーである。厳密にはどの作品も「語り手(=夢を見た本人)」が話が進めるため、その人物を共通の主人公と見ることも出来なくはないが、前述した世界観のバラつきから宛がわれている出自や役割は大きく異なる。
その為どの作品から読んでもその幻想的な雰囲気を楽しむことが出来る。
第一夜から第三夜まで、そして第五夜での書き出しである「こんな夢を見た。」は有名。




各章あらすじ



語り手が腕組をして座っていると、隣で仰向けになっていた女性が「これから自分は死ぬ」と言い出す。
外見だけを見るととても死ぬようには見えないが、語り手は彼女がそのように言うのを見てそうなのだろうと不思議に納得。
語り手はそんな状態の彼女から「100年後の再会」の約束を依頼され、墓の傍で待ち続けるが…



  • 第二夜

侍である語り手が和尚から「無を悟る事が出来ない」事でことごとく馬鹿にされ、怪しからんと思った事で部屋の置時計が次に音を鳴らすまでに悟ってみせようと意気込む。
もし悟れた場合は和尚の首を取り、悟れなければ恥として自刃を考えながら。
侍は部屋で一人「無」を現前させようと試みるがなかなか成就しない。



  • 第三夜

盲目の子を背負いながら夜道を歩く男。
しかし目が見えない筈の子は口を開くたびになぜか周囲の状況を毎回正確に言い当て、男の事をどこか嘲る様な話し方をする。
恐ろしくなって男は彼を捨てて逃げてしまおうかとすら思う。
うすら寒い恐怖心の中で暗い道を進んでいく内に男の「秘密」が明かされる……。



  • 第四夜

拾い土間にある至極日常的な風景。その中にいた酒に酔ったらしい爺さん。
語り手は禅問答じみたやり取りの後、爺さんが建屋から出るのに合わせて自分も外へ出た。
しばらく歩くと爺さんは浅黄の手ぬぐいを出して「これを蛇にする」と言い始め、笛を吹き始めた。
他にも蛇の出現の為に爺さんはあれこれ試していくが…。



  • 第五夜

時は神代。戦に敗れた語り手は生け捕りになって大将の前に引きずり出される。
大将は「生きるか死ぬか」と至極事務的な問いかけをする。生きる先にあるのは幸福、死ぬ道にあるのは精神の抵抗。
語り手は「死」を選び、それが即座に実行されようとするが、彼の内側にある「恋」の心が大きく揺れ動く。



  • 第六夜

運慶が護国寺の山門で仁王を掘っていると聞いて、語り手は散歩がてら見に行ってみる。
作成風景は鎌倉時代風のはずなのだが、見に来ている人達は誰も彼もが明治の人間ばかり。
しかも見物人たちが思い思いに感想を言っているのに対して、運慶は見向きもせずただ一心に仁王を掘っている。
語り手は考える。「なぜ運慶が明治の今になっても生きているのか?」というごく自然な問いの答えを……。



  • 第七夜

語り手は大きな船の中にいる。が、この船はどうも奇妙だ。
どこへ行くのか、何の為の船かが分からない。船員に聞いても謎めいた回答が来るばかりで要領を得ない。
先の見えない不安に煩悶する語り手。乗っているのは異人が大半。天文学の教養を問う者、悲しみを含み持つ者、などなど。
夜の闇を進む船の中でつまらなさと心細さは語り手の気持ちで膨れ上がっていく。



  • 第八夜

床屋に入る語り手。理由は勿論髪を切って貰う為。
座った席の前にある鏡からは後ろの窓からの外の風景、そして少し体制を変えれば外の往来も見える。
表を様々な人物が通り過ぎていく。パナマ帽を被って女を連れた(恐らく知り合いの)庄太郎、喇叭を吹く豆腐屋、まだ化粧を済ませていない芸者。
そんな中始まる彼の散髪。描かれるのは至極日常的な「夢」の風景。



  • 第九夜

戦争が始まりそうな雰囲気の時世。
家にいるのは母親と三つになる子供。父親は月の出ていない夜にどこかへ行ったきり帰ってこない。
子どもは父親のことが気になり母親に聞くも、母親にも彼の安否が分からない。
母親を意を決し、短刀を携え子供を連れて神社へと赴く。
母から聞いたとある話……。



  • 第十夜

庄太郎は突如女にさらわれ、一週間後にふらふら帰ってきて床についている事を健さんから聞く語り手。
庄太郎は正直で善良な男だが、パナマ帽をかぶりながら水菓子屋の店先で女の往来を、女がいない時には店の中の商品を見ているという趣味がある。
失踪の日もまたいつもの道楽にふけっていたが、そこに身なりの整った美しい女性がやってきた……。




余談



  • 上述した通り、第八夜・第十夜と共通して庄太郎という青年が登場し、作中描写からして恐らく同一人物である。素直に考えるならば、第八夜は第十夜の前日譚と見るのが妥当だが、「夢の話」と割り切って双方に繋がりはないとみるのも面白いかもしれない。

  • 「誰の夢なのか」「そもそも物語には何かモデルがあるのか」「どういった意図を秘めた作品か」などは気になるところだが、本作について研究した論文等は数が少なく、学者間でも議論がなされている。「夢」という曖昧な題材かつ幻想文学のテイストが濃い作品なだけに考察や想像の余地も大変広い作品である。

  • 2007年に『ユメ十夜』のタイトルで映画化された。各話ごとにキャスト・スタッフが異なるオムニバス作品で、原作に忠実なものもあれば、もはや原型を留めない程大胆な改変がされているものもある。

  • 「夢の中の出来事」というモチーフを流用した作品として、黒澤明監督の『夢』がある。監督自身が見た夢を基に作られており、各エピソードの前に、「こんな夢を見た」というテロップが表示される。

  • 夢を題材にした短編集という非常に創作しやすいテンプレである為、「第十一夜」などを自ら考えて作る人も多い。高校で現代文の課題として出された人もいるかもしれない。





第十一夜


こんな夢を見た。
目の前には記事がある。しかし誰が書いたのか、なぜこんなところにあるのか、皆目見当が付かない。
一通り書かれた文字の標本をぼんやりと眺めていると、家の中か、それともその近くか、誰かがしきりに烏を思わせる太い声で「これでは駄目だ。駄目だ。」と繰り返し騒ぎ立てているのに気づいた。
だが気付いただけでその声の方へは目をやらなかったので、何を駄目だと貶しているかは分からない。そして彼の声に受け応える者もない。だから声はずっと続く。


昼過ぎの部屋の中は雲で少し陰った陽の光でも十分に明るく、外からの風も程良く冷たい。


そんなありふれた穏便の中で誰かがしつこく例の騒ぎを立てるもんだから、そんなに駄目ならと妙な心持に動かされて、今、眼前にある記事を追記・修正することにした。



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  • 一と六は国語の授業でやったことがある。 -- 名無しさん (2020-05-05 14:27:02)
  • 第七夜は英国留学した時の漱石の不安と孤独感が投影されたと解釈されてる。 -- 名無しさん (2020-05-05 14:33:51)

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