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三国志 中国 歴史 中国史 古典 年表 魏 呉 蜀 王朝 人物 戦争 晋 魏→晋 宦官 筆記者の熱き魂が伝わる項目
《注:細事は省いてある》
<西暦>[国名]
<八八>[後漢]
【章和二】
章帝が死去。和帝が即位。竇太后(とうたいごう)が摂政となり外戚の竇氏が政権を掌握。
<九二>【永元四】
宦官の鄭衆らにより竇氏粛清。和帝の親政が敷かれる。
<一三五>【陽嘉四】
宦官が養子を取ることが認められる。外戚の梁氏が台頭。
<一四六>【本初一】
梁驥が質帝を暗殺。桓帝を擁立し、専権を振るう。
<一五九>【延熹二】
単超以下五名が宦官の協力を得て桓帝が梁氏を誅滅。単超らが封侯され政治を私物化。
<一六六>【延熹九】
第一次【党錮の禁】
<一六九>【建寧二】
第二次【党錮の禁】
<一八四>【中平一】
黄巾の乱。各地で略奪行為が勃発。
翌年には鎮圧されるも、漢の衰退は目に見えて明らかに
<一八九>【中平六】
5月に12代皇帝、霊帝崩御。
少帝が即位するも、名族出身の袁紹、袁術らが宦官を粛清。更に隴西の雄・董卓が台頭。
董卓は少帝を退位させ挙句に毒殺。献帝を擁立し暴虐の限りを尽くす。
<一九〇>【初平一】
曹操、袁紹らが反董卓軍を編成。軍事行動を開始。董卓は長安に遷都。
しかし反董卓軍はまとまらず、最終的に瓦解。群雄割拠の時代に突入する。
<一九一>【初平二】
五斗米道の教祖・張魯が漢中で自立。宗教的王国を建設。
<一九二>【初平三】
董卓が養子の呂布に暗殺される。
荊州牧・劉表との戦闘で孫堅が戦死。孫策が後を継ぐ。
<一九四>【興平一】
<一九六>【建安一】
曹操が献帝を保護、擁立。屯田制を施行。
<一九八>【三】
曹操が李確を討伐。呂布を倒し絞首。
<二〇〇>【五】
曹操が自ら、袁軍食糧庫の烏巣を急襲。官渡にて袁紹敗れる。その後、後方支援をしていた烏丸を破る。
孫策が暗殺され、孫権が継ぐ。
<二〇一>【六】
曹操に敗れた劉備が劉表を頼り、保護を受ける。
<二〇二>【七】
袁紹病死。その後の後継争いで袁家は衰退。
<二〇七>【十二】
諸葛亮が劉備に仕える。
<二〇八>【十三】
劉表病死(老衰か?)、後継となった劉淙が曹操に降伏。荊州の全面的降伏。
劉備、民を連れて荊州を脱出。長坂の戦いで散々に敗れるも脱出、孫権と合力。
【赤壁の戦い】周瑜の活躍にて曹操大敗。南下が阻止される。
<二〇九>【十四】
劉備が荊州四郡を攻略、事実上の支配権を獲得。
【呉】
周瑜死亡(三十六歳)、病死であると思われる。
<二一一>【十六】
劉璋が劉備を迎える。
<二一三>【十八】
曹操が【魏公】に就任。
<二一四>【十九】
益州侵攻戦。劉備が劉璋から益州を取る。
<二一五>【二〇】
曹操が張魯を降し漢中を取る。荊州をめぐり孫権と劉備が対立。曹操の急な南下により荊州を東西に分割、それぞれを統治することにより両者が和解。
<二一六>【二一】
【魏】
曹操が【魏王】となる。
<二一七>【二二】
【呉】
魯粛死亡。呂蒙が代わる。
<二一九>【二四】
【蜀】
定軍山の戦いに勝利。漢中奪取。劉備、漢中王を称する。関羽が孫権に斬られる。荊州を失う。
<二二〇>【二五】【黄初一】
【魏】
曹操[武帝]が死没。曹丕が献帝より帝位を譲られ、魏王朝が成立。後漢帝国滅亡。
九品官人法制定。
<二二一>【黄武一】【呉】
孫権が魏から自立。<黄武>と改元。
これにより、魏、呉、蜀の三国分立状態が確定。
劉備の益州奪取後荊州に移り、呉の荊州奪取後呉にいた劉璋が死亡。
<二二三>【章武三】【蜀】
夷陵の戦いで呉に大敗。劉備、白帝城にて病没。<昭烈帝>
<二二五>【五】
劉備の遺命によって諸葛亮が蜀の政治を掌握、指導する。南征を行う。
<二二六> 【黄初七】【魏】
曹丕<文帝>崩御。曹叡が即位。
<二二七>【建興五】【蜀】
諸葛亮が【出帥の表】を上奏。北伐を開始。
<二二八>【六】
街亭の戦いで魏が蜀を破る。諸葛亮、泣いて馬謖を斬る。陳倉の戦いで蜀が魏を包囲。が兵糧が尽き撤退。
<二二九>【黄竜一】【呉】
孫権が帝位に就き、建業に遷都。呉帝国樹立。
<二三〇>【太和四】【魏】
司馬懿が大将軍となる。
<二三一>【建興九】【蜀】
蜀軍、第四次北伐。張コウを討ち取るなどの戦果を挙げるも撤退。
<二三四>【建興十二】【蜀】
諸葛亮、第五次北伐中に五丈原にて陣没。
これ以降蜀は北伐をしばらく行わなくなる。
<二三九>【景初三】【魏】
曹叡<明帝>死亡。斉王曹芳が即位。司馬懿、曹爽が補佐。
<二四一>【赤烏四】【呉】
諸葛瑾死亡。
<二四二>【五】
南方討伐。
<二四五>【八】
<二四九>【嘉平一】【魏】
司馬懿により曹爽一族粛清(高平陵の変)。大権を握る。
<二五〇>【赤烏十三】【呉】
太子、和を廃す。
<二五一>【太元一】【呉】
諸葛格が国事を統括。
<二五一>【嘉平三】【魏】
司馬懿死亡。
<二五二>【四】
司馬師が大将軍に就く。
【呉】【太元二】
孫権<大帝>が死没。
【建興一】
孫亮が即位。(このとき10歳)。
<二五五>【正元二】【魏】
司馬師死亡。弟の司馬昭が権力を継承。
<二五八>【太平三】【永安一】
孫亮が廃位され、孫休が即位。
<二五八>【甘露三】【魏】
司馬昭が晋公に昇る。
<二六三>【炎興一】【蜀】
後主・劉禅が魏に降伏。蜀滅亡。
<二六四>【咸熙一】【魏】
司馬昭、【晋王】に就く。
<二六四>【永安七】【呉】
孫休<景帝>死亡。孫皓が即位。
<二六五>【泰始一】
司馬昭、死亡。司馬炎が晋を建国。
魏滅亡。
<二七二>【鳳凰一】【呉】
西陵の戦い。呉軍が晋軍を破る。
<二八〇>【天紀四】【呉】
孫皓<末帝>が晋に降伏。呉滅亡。
【晋、中国統一】
<二九〇>【太熙一】【晋】
司馬炎<武帝>崩御。
【年表中には特に国事について著した。中には理解しにくいものも有るかもしれないが、その際は修正されたし】
【補足】
※【党錮の禁とは】
宦官は民から略取した金で新たな官職を買い上げ、中央の政事を操る。
一六六年(七、八)にこの腐敗しきった宦官による政治を排斥しようとする運動が【清流派】により行われたが、
宦官の子飼いの間者と朝廷内の綿密な情報網の前に露見してしまい、失敗に終わる。
見せしめとして首謀者の陳蕃、他百余名が惨殺され、およそ二千名が拷問を受けた。
【党錮】二度と官僚として登用しない、の意。
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- 横書きなので年の表記はアラビア数字にして、同時期の世界や日本でどんなことがあったかを書くとイメージしやすいかも -- 名無しさん (2019-02-21 14:23:14)
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