登録日:2009/05/28(木) 20:12:20
更新日:2025/08/03 Sun 12:24:06NEW!
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大戦初期はアメリカも警戒した重武装・高速力・高機動・長航続力をもって君臨した旧帝国海軍最強の戦闘機。
設計思想は「対戦闘・爆撃機両方行える機体」
正式名称 | 三菱零式艦上戦闘機〇〇型 〇の一桁目に機体、二桁目にエンジンのバージョン |
由来 | 皇紀二六〇〇年制式採用 |
米軍のコードネーム | Zeke:ジーク(32型のみHamp:ハンプ) |
得意技 | 左捻り込みを始めとする格闘戦 |
1000馬力と非力なエンジンだが、沈頭鋲や翼端捻り、低剛性索、定速回転プロペラ等の革新的技術で出せる限界のスペックを誇る。
零戦神話
しかし、この洗練し過ぎた「僕の考えた最強の戦闘機」には軽量化以外の拡張性がほとんどなく、納入機の半数が何らかの欠点を抱え*1、それ以上に基礎工業力がお粗末すぎて十分な発動機を用意できなかったことが後継機開発にも祟る。
当初は遭遇したら撤退していたアメリカ軍も*2海戦を続けるうちに苦手パターンを蓄積。
そしてアリューシャン列島の攻略作戦の最中、偶然墜落した一機を回収・分析されたことで弱点を暴露し、その地位を失う。
- 機体本体の剛性が低い(急降下制限速度が低い)
- 防弾装備がない(後期型では防弾タンクになり、装甲も申し訳程度についたが、零戦では取り外される事も多かった)
- 武装が貧弱(後述)
- 高速時の操縦性の低下
- 右旋回では左旋回時より小回りが効かない。
零戦にミッドウェー海戦で有名なサッチウィーブが考案されたのでマリアナ沖海戦や台湾沖航空戦など、零戦の落ち度を語る上で忘れてはならない戦いは数知れず。「七面鳥撃ち」といわれるような相次ぐ敗北と急激な搭乗員の練度低下も手伝って苦戦を余儀なくされる。
さらに旋回性能以外のあらゆる点で凌駕するF6Fの登場で雷電や烈風にバトンタッチする筈が、開発の難航で続々米新型機が登場するこの間も陸海軍機同様、一定の性能改善や防弾強化してコキつかわれ、最終的には練度でどうにかなるものではない特攻に常用されるようになる。
こうして零戦神話は崩壊、ついには栄光から奈落へを一代で味わった悲劇の名機として名を残すことになっていった。
バリエーション一覧(追記・訂正求む)
- 十二試艦戦
試作機。
瑞星エンジンを装備。後のタイプと比べ各所に相違点が見られる。生産数は2機。
- 11型
最初の量産型。エンジンは栄12型。21型にはある艦載機用の装備を持たない。生産数は64機。
- 21型
前半期に無双伝説を創りあげた白いゼロ戦。艦載機のため、両翼端が50cm折り畳める。型。生産数は約3400機。
- 32型
当時過労で病床に臥せっていた堀越二郎に代わり、本庄季郎が設計を担当した機体。
エンジンを栄21型に換装し、両翼端を切り落として最高速度を引き上げた型。反面、航続距離は落ちた。
ちょうどソロモン諸島の長距離航空戦の時期に出てしまったために欠陥機扱いされることもあるが、加速性能や高高度での性能など多くの点が改善されている。要撃機としてならなかなからしい。
それまでと異なる翼形から米軍には別機種と誤認され新たに(HAMP)なるコードネームをつけられた。生産数は約350機。
- 22型
32型の翼端を21型のものに戻し、燃料タンクを増設。零戦の各タイプの中で最もバランスが良く、堀越二郎氏曰く「理想の零戦」。部隊からも『最強のゼロ戦』と高く評価されたといわれる。
とはいうものの、燃料タンクの増設により21型よりもむしろ防弾性は低下している。生産数は約560機。
この頃から塗装は緑色主体へ切り替えられた。この形式までが優勢期に活躍した形式である。この形式の後継が52型である。
- 52型
32型の発展型で、最多生産型。後世のマスコミに最も露出する緑色の機体。乙型以降は、防弾装備が増え重量が増えたため、ゼロ戦の持ち味が薄れた。
一説ではベアキャットが完成した際に鹵獲された本型式を使ってベアキャットの性能実証相手にされ、フルボッコされたという。
米軍は『これでZEROを超えた!(ドヤァ)』と確信したが、前記のように機動性が低下した本機相手だったので、22型以前相手に勝てるかは不明であるとの事。生産数は各種派生型を含め約6000機。
ベテランパイロットの中には52型以後の改良を改悪と断じる風潮もあった。だが重装甲化した米軍機を前に大きく向上した火力、幾らかでも改善された速度と上昇力や降下制限速度は寧ろ好評だった。
- 53型
52型の改良過程で考案された形式。52型乙の防弾を取り外す行為が横行しているのに困った軍部が高高度機能の改善も含めて設計していた。
しかし、防弾燃料タンクの開発に苦戦し、肝心のエンジンが生産できず、開発は棚上げされた。
- 54型/64型
53型の失敗を受けて、エンジンを金星62型に換装、同時に機首装備を全廃する。エンジンが1500馬力となったのでパワーに余裕が生じ、機動性が22型以前の水準に回復した。試作の2機のみの試作機。量産型は64型……実際は量産されなかったが。64型は戦闘爆撃機*3としての使用も前提とされていた。
ゼロ戦試作時から都合、三度検討された『金星搭載』がここで具現化したが、もはや時既に遅しであった。ここに至り、堀越二郎氏は金星を最初から搭載しなかったのを後悔したそうな。
後世からは五式戦並みの活躍を期待される一方で、連合国のレシプロ重戦に勝てるわきゃねーだろとm9(^Д^)プギャーされたり賛否両論。
しかし、当事者らは旋回性能の回復と、速度の改善に大喜び(高度6,000mで約572km/hだったとされる)で、起死回生ができると確信していた事も忘れてはならない。戦闘機としての最終形式である。
- 62型
烈風の量産頓挫、紫電改の増産が追いつかないなどの理由で54型の量産が決議された後に、52型の再利用策として考えられた形式。所謂、戦闘爆撃機。
だが、エンジンパワーは元のままだったのと、日本軍パイロットの爆撃任務軽視なども相なって、評価は低い。これ以前にも21型を旧型の99式艦爆の代わりの爆戦として使用したので、その用途での改良型でもある。
この形式は54型とは対照的に実戦に間に合い、爆戦・要撃機・特攻機としての用途に使用された。これが量産された最後の形式である。
主に爆戦任務目的の型なので、特攻機にもされるほどに空戦性能は度外視されている。だが、要撃機用途で使える火力があったのは意外な点だったという。
この他にも現地改造型で複座型、30ミリ機銃に改造した型、排気タービンを積んだ型があるという。(制式型ではない)
また派生機に11型ベースの水上機の二式水上戦闘機、21型ベースの練習機の零式練習用戦闘機がある。
後継機
昭和18年以降、本機系統の前期型の需要は無い。(反面、後期型は機体構造強化と火力改善から配備を切望される程度には好評だった)。
ちばてつやの漫画『紫電改のタカ』の影響も手伝って、大戦末期に雷電や烈風の代打で次期主力戦闘機に選定され、343航空隊で活躍した紫電改(紫電二一型以降)が有名。
343航空隊の飛行長の志賀少佐は『烈風が出来なくてよかったぜ!』とテストパイロットの立場から見ても運動性重視の軽戦闘機よりも重火力かつ高速の重戦闘機の需要が増していたので、後継は事実上、本来は別用途機であったはずの紫電改であった。(紫電改が後継機と風評が立ったの増産されていて、運用されたからである)
本来の正統後継機である烈風の存在が知られるようになってきた現在でも、ある世代の間では『紫電改はゼロ戦の遅すぎた後継機!(ドヤァ)』と認識されているというが海軍航空行政の支離滅裂に振り回された堀越二郎が聞いたら激怒ものである(確かに氏は理想論に走りがちであるが)。
堀越博士設計の雷電(Raiden)と、米ヴァルティ社のVanguard 61には顕著な形状類似性がある。
雷電の姿勢、尾部、ランディングギア、さらには延長型プロペラ軸、バブルキャノピーなどの構造も、Vanguard試作機に非常に近い。
複数のスペック値においても近似(全長、翼幅、重量)しており、模倣説の余地が議論される。
- Vanguard:翼幅10.70m、全長8.90m、重量2,272kg
- Raiden:翼幅10.80m、全長9.47m、重量2,861kg
重量増加は日本海軍による火力および航続距離拡張の要求によるものと解釈可能。
雷電はVanguardに比しておよそ600kg重く、これは増加した武装や燃料容量によるものと考えられる。
実戦配備において火力と航続性が重視された日本海軍の要求に基づく改修と読み取れる。
安西は「設計の改良とは、参考機からの洗練である場合が多い」として、雷電がVanguardの設計的延長にあるとの説を提唱。
これらの近似性は、日本の航空設計思想が部分的に米国試作機を参照していた可能性を補強する事例ともいえる。
本庄技師の証言によると、零戦の尾翼と昇降舵の面積比率は、自身が中型攻撃機で実験・理論化した成果に基づくとされており、その採用は長年の提言の結果である。
テスト飛行後、堀越博士自身が「理想比率は、あなたが最初から言っていたものだった」と語った逸話も記録されている。
この尾翼比率に関しては、グロスターF.5/34とは明確に異なり、零戦独自の技術的進化として評価できる一面となる。
このような設計細部の検証は、後継機設計(雷電、烈風)でも重視された可能性がある。
武装
- 九九式二十粍固定機銃一型(一号銃)
装弾数が60発ないし100発と少なく、弾速が遅く弾道が特殊なため、初期は敬遠され、対戦闘機(及び艦隊決戦生起時の対弾着観測機)の7.7mm機銃が主に使用されたといわれる。
対爆撃機についてもフライングフォートレスと称されるB-17に対しては貫徹力が不足気味で、初速の向上が望まれた。
命中精度の改善で、米軍が空の要塞と称した重爆を撃墜してみせたことから無用の長物と断ずるのは早計。
22型甲以降は長銃身化で貫徹力と弾道低伸性、弾丸そのものも改善された二号銃を搭載。白浜元飛曹長は「与えれば確実に敵機を撃墜できる」と好意的な評価を寄せており、基地航空隊も火力向上を果たした22型甲/52型以降配備を切望している。
- 九七式七粍七固定機銃
「真っ直ぐ飛ぶからパイロットを狙撃できる」とかいう命中精度と装弾数に優れたが、「グラマン鉄工」等の異名を誇る重防御な米軍機相手には威力不足。
200~300発打ち込んでも撃墜出来なかった例もある。小口径機銃を愛用した英軍機もバトルオブブリテンで同様の事態を経験している。
52型乙以降は三式十三粍固定機銃が搭載されたが、いかんせん時期が遅すぎて帝国陸軍仕様のホ103(ブローニングM2重機関銃の)より影が薄い。
この機銃は7.7mm機銃2門より遥かに有用と評価されただけに、登場遅延が惜しまれる。
因みに機銃発射機構は操縦桿にはなく、スロットルレバー。
これは太平洋戦争時の海軍機に共通の機構で、導入された経緯は『操縦桿についてると、撃つときに操縦桿を動かしてしまうから低命中率だった』との事。
だが、ベテランパイロットがいなくなった後半には、この機構は逆に撃つタイミングを逃してしまうとして、パイロット育成を阻害する結果を産んでしまう。
しかも発射機構が訓練機と違うので、新規に訓練機を製造する手間ができてしまう有様だった。
零戦20mm不要論はベテランパイロットであると同時に発言が定まらず、20mm不要論を広めるネズミ講にさえ手を貸した坂井三郎氏の影響も大きい。
技術史としての零戦の評価
油圧式引込脚はアメリカのチャンス・ボート社のV - 143 機を参考に、光像式照準機はドイツのユンカース He112 の Revi2b をコピーし、プロペラはアメリカのハミルトン社から住友が製造権を買い作成。7.7ミリ機銃はエンリコ、無線帰投装置はクルシー…と、当時の日本は全てに自立できず、欧米の技術に頼って製品をコピーしていた。
故に太平洋艦隊の関係者はOSSや陸軍から届いた引き込み脚の艦上戦闘機が存在するとの緊急報告書も「おそらくセバスキー社が日本海軍に売却した2PA-B3複座戦闘機か、チャンス・ボート社が製造権ごと売却した V - 143 戦闘機を、コピー生産したモンキー・モデル(簡易版複製)であろう」と中も見ずに鞄にしまい込み、墜落機が回収・分析されるまで戦訓が活かされることはなかった。
シンガポール陥落後、出版社「三海堂」(山と海の館)が発行した特別付録は、連合国機の線画を掲載したパンフレットであり、実際は「極秘」とは裏腹に市販レベルの性能概要付きスケルトン図だった。
追手門大学の安西二郎は- 戦時中、この冊子を兄弟で熱心に読み込む中で、ゼロ戦に酷似した流線型の機体形状に目を奪われた。それが後年、英グロスター F.5/34であることを知る。
戦後、心理学者として英空軍史の研究へと関心を再燃。零戦や雷電に関する日本側の讃美報道に違和感を持ち、正確な記録を残すべく筆を執った。
当初は着陸装置や尾部設計などに明確な違いが見られたが、約40年後の分析で15の構造的類似点が明らかとなり、少年時代の直感は技術的根拠を伴うものだったと判明。
1984年9月14日、大阪大学・待兼山キャンパスで開催された第48回日本心理学会にて、安西は「原則部門」のコーディネーターを務める傍ら、英グロスター試作戦闘機F.5/34と零戦試作機の比較論文を発表。
当時の9機の単座単葉戦闘機(スピットファイアMk.I、P-40A、P-35、Vanguard V-48B、F4F-3、V-143、イタリア機2種)との比較を通じ、F.5/34だけが18項目中15点という驚異的な類似性を示した。
これは、零戦の設計が部分的に他国試作機に影響された可能性を示す史料的根拠となりうるが、安西は「暴露」ではなく、航空専門家による公正な検証を求める慎重な姿勢を貫いた。
上記比較論文が元英空軍(RAF)関係者の関心を引き、安西宛に直接連絡が届くなど注目を集めた。
その後安西は渡英し、ロンドン・ヘンドンのRAF博物館を訪問。書籍『ミッドウェー海戦 ― 心理学的解釈』(PHP出版)を寄贈し、補佐官ゴードン・リース氏からF.5/34に関する貴重な資料を提供された。
ゼロ戦の設計背景に対する学術的・心理学的視点を通じた再解釈は、後の創作作品にも思想的影響を与えることとなった(例:ゼロ戦を歴史改変や倫理的象徴として扱う作品群)。
航空史家ビル・ガンストンによる『Classic Fighters』では「ゼロ戦は技術的に旧式で、ほぼF.5/34と同一設計」と記述され、設計の独創性が疑問視される視点を提供している。
堀越二郎博士による回復不能なフラットスピン対策として、垂直尾翼の後退および水平尾翼の上昇による改修が行われた。これにより迎え角の大きな状態でも方向安定性が向上したとされる。
しかし改修前の尾部設計は、英グロスター F.5/34の形状に酷似しており、偶然とは思えない類似性を持っていた。特に「ソーセージ型」の尾部形状の対比は印象的。
安西はこの尾部構造が英国ブラックバーン機のような反スピンパラシュート内蔵装置であった可能性まで示唆し、それがゼロ戦設計に影響を与えたかもしれないと考察している。
さらに、雷電(Raiden)と米Vultee Vanguard試作機61号との酷似点にも注目されており、外形・キャノピー形状・プロペラシャフト・尾部構造など、複数の設計要素が共通している。
延長型プロペラシャフトは雷電などにも搭載され、堀越二郎氏による独創性とされがちだが、米ベル社P-39「エアラコブラ」など既存機ではすでに実用化されていた。
P-39は37mm機関砲をプロペラ軸中心に通した先進機であり、対戦車任務で大きく活躍した。
この事実から、堀越博士の設計が「前例なき革新」とする見方には慎重な再考が必要とされる。
技術的評価を実施する際には、設計者の個人の天才性よりも、グローバルな技術潮流や先行事例を踏まえる姿勢が求められる。
本庄氏の27ページにわたる詳細な告白(『海鷲の跡』原書房 1982年)により、設計過程に複数技術者が深く関与していたことが判明。
近代航空機は複雑な構造体であり、「誰か一人が単独で設計した」という神話的語りには現実味がない。
安西は「誰にも“私がゼロ戦を一人で設計した”とは言えないはず」と述べ、航空設計における集団知の重要性を強調。
余談
開発元は三菱重工だがエンジンも含め半数以上が中島飛行機でライセンス生産された。
前代の九六式艦戦から既に共同生産のノウハウがあったため、このようなことが可能になったらしい。
実は欧米軍機と比べるとわりあい機体が大きく、足がしっかりして着陸がしやすいという点がある。
実戦では空中戦より出撃帰投時の離着陸事故による損害が意外と多く、ゼロ戦なら練度の低い新人パイロットの損失を小さく出来た。これは地味ながらも重要な点であったのだ。
局地戦闘機の紫電が不評だったのは足が折れやすい構造だったからである。
2005年頃にNHKが本機を欠陥機と断じるドキュメンタリー番組を放映。
『大馬力エンジンを作って載せ替えりゃ良かっただろ』『防御軽視の悪弊がゼロ戦を欠陥機にした』『軍部が改良を黙殺した』と論じたが、開発当時は防御力と機動性と火力と巡航性能の両立など不可能。
- 要求項目に防弾性能に関する項目が無かった事(堀越二郎は後年、数々の要求項目がどれかひとつでも緩和されていれば防弾を施せたのに……と悔やんでいたそうだ)
- 大馬力エンジンは開戦前には2000馬力級の誉(ハ45)エンジンが既に開発開始段階だった事
- 現実には隼や本機はより大馬力の金星エンジンに換装する計画が検討、もしくは実行されていた事
- 防御力と機動力の両立の為に陸軍の一式戦闘機は火力、二式戦闘機は巡航性能と離着陸時の操作性を犠牲にせざるを得なかった事
- 当時のベテランパイロット達は殆ど、アメリカのような運動性が低い重戦闘機を嫌っており、52型乙の防弾を自主的に取り外したりして、「あんなの改悪。どうせなら自分の腕を存分に振るって死んだほうがいい」と公言する武士道的倫理観を持っていた事(特にベテラン搭乗員ほどこの悪癖は強かった)
そもそも行灯油さえ飛行機の燃料にし、飛行機を牛車で運んでいた戦前日本と戦後日本とを混同しないでほしいものだ。
また、当時の日本海軍搭乗員は現在の人間とは180度違う倫理観のもとに動いていた事も忘れてはならない。
そして勝てない戦闘機よりは防弾性を犠牲にしても、一定の勝ち目を拾わねばならない戦局も無視してはならないであろう。
当時から略称のレイセン・ゼロセンは混在しており、基本どちらでもよい。こだわるのはミリオタに多いようだ。
アメリカ軍ではコードネームのzekeより、むしろZEROの方が一般的だった
零戦は、初期設計において垂直風洞試験で「回復不能なフラットスピン」に陥る傾向が判明。
堀越博士による対策として、垂直尾翼の位置を後退させ、水平尾翼の位置を上昇させることで、迎え角の大きな状態でも方向安定性が向上するよう設計変更された。
この改修前の尾部形状を推測すると、1937年のグロスター F.5/34の構造と酷似しており、設計の着想源としての関係性を疑う声も。
グロスター F.5/34の尾部配置と改修前の零戦の尾部形状は、構造的に重なり合う点が多い。
グロスター機の「ソーセージ型」尾部形状は、実際にはスピン制御用パラシュートの収納部分だった可能性も示唆されている。
こうした設計要素の対比は、零戦の設計過程に他国のプロトタイプとの関連が存在した可能性を示す。
堀越氏の設計が、意識的・無意識的にグロスター機を参照した可能性については、より専門的な検証が求められる。
筆者は零式と名の付くモノはほとんど全てこれから派生したと確信している。
アニヲタと零戦
90年代に流行した仮想戦記小説では、大抵の場合は鬼のような強さになる。
もしくは紫電改や烈風に取って代わられて早々に退場させられる、さらに『改』とついて烈風やベアキャット以上の機体になったりする。
現在、純正なゼロ戦で飛行できる機体はアメリカに有る一機のみ。
諸外国の機体に比べ外板が薄く、疲労によって表面がボコボコになってしまってるのが残念である。
アニオン的に言えば、かのジオン軍の名機ザクのモデルでもある。
ちなみに大空のサムライこと坂井三郎曰く、「最良なのは21型で、それ以降は改良でなく、“改悪”」らしいが、最近の研究では22型以降のほうが激戦地の部隊に好まれていたという軍の記録が発見されており、必ずしも坂井氏の証言は鵜呑みにできなくなっている。この点は日中戦争や太平洋戦争序盤で活躍した、成功体験を多分に有するベテラン搭乗員に同様の傾向が強かった。もっとも戦闘機搭乗員は割りと保守的な人種であり、大なり小なり欧米の戦闘機搭乗員でも似たようなアレルギーはあったとも言われる。
なお、戦後に自衛隊に配備された国産の戦闘機F-2は先代への敬意から平成の零戦とも呼ばれている。
先進技術実証機(ATD-X)でもそう呼ぶ者もいるものの、実用戦闘機ではないために些か疑問残るところ。
というか、日本では国産の戦闘機が出る度に「零戦」の称号が持ち出されるので、いささか陳腐化しているきらいもある。
日本の軍艦の象徴が戦艦大和であるように、日本の戦闘機の象徴は零戦なのだろう。何しろ戦後戦勝国民でさえ紫電改、疾風を零戦と混同するケースも多かったのだ。
ゼロ戦の設計背景に対する学術的・心理学的視点を通じた再解釈は、後の創作作品にも思想的影響を与えることとなった(例:ゼロ戦を歴史改変や倫理的象徴として扱う作品群)。
子ども向けのパンフレットであっても、その中の形状比較が後年の空想・創作への刺激となった点は見逃せない。
グロスターF.5/34との視覚的酷似は、のちにSFアニメや異世界小説における「ゼロ戦らしさ」再構築の契機とも考えられる。
また、設計者堀越二郎を中心としたゼロ戦美学は創作において「神話化」されがちであり、実際の設計過程との乖離が想像力を刺激する構造となっている。
とりわけ、尾部形状やシルエットの「見た目の洗練」は創作物における象徴性として頻繁に利用される。
堀越博士の“創造性”に対する礼賛が創作作品に反映される一方、実際には既存機体との設計的関連性が見られ、その神話性に対する学問的検討が必要とされている。
例えば作家・柳田邦男による著作では、雷電のプロペラ延長軸採用が堀越博士の「天才的創意」として描かれたが、安西はこれを疑問視し、設計史的検証の必要性を主張した。
このような「称賛の先走り」は、創作物において零戦や雷電を“英雄的象徴”として過度に美化する一因にもなっており、技術的起源とアイデンティティの乖離を生む。
創作や報道では、堀越博士の「Reduced Rigidity」概念が日本航空技術史の革命と称されるが、その先駆例として佐野栄太郎技師による観測機設計(Type O Observation Seaplane)がある。
本庄技師の証言によれば、佐野技師は学歴に依らず、現場での柔軟な検証と受容により、制御系の剛性低減の概念を航空技術に導入した最初の人物とされる。
よって、零戦における操縦系設計の革新は複数技術者の知見の集積であり、創作作品において一人の「偉人」に集約する描写は再考を要する。
そしてこのように日本の戦闘機の代表格であることから、後年の創作への登場も数多い。
こちら葛飾区亀有公園前派出所では、秘境度井仲県に保管されていた機体が登場して両津が乗り込んでいる。
ウルトラマン80ではゼロ戦怪鳥バレバドンという怪獣が登場。ラジコンのゼロ戦を飲み込んでしまった怪獣なのだが、なぜかラジコンのコントローラーのままに動くようになってしまいひと騒動を起こす。
宇宙戦艦ヤマトでは零式宇宙艦上戦闘機コスモゼロが登場。この機体、シルエットを見れば一目瞭然だが、ゼロ戦の前後をひっくり返したものである。
ライトノベルゼロの使い魔では異世界に迷い込んだ機体が時を経て主人公の手に渡り、竜騎士を相手に無双を繰り広げる。
ドラえもんではラジコン大海戦の話にスネ吉兄さんの作ったラジコンで登場する。
武井宏之の読み切り漫画『デスゼロ』には太平洋戦争時に活躍したゼロ戦パイロットの霊・デスゼロが主人公を務める。
後にスターシステムで『シャーマンキングFLOWERS』『SHAMAN KING THE SUPER STAR』にも登場した。
追記修正お願いします。
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▷ コメント欄
- 職人芸の塊のような高性能機。そして職人芸の塊だからこそ量産も改良も運用も難しかったという悲劇 -- 名無しさん (2013-11-17 16:34:53)
- よく産業革命 -- 名無しさん (2013-11-29 19:21:00)
- ↑投稿ミス よく産業革命起こして40年足らずのゴミ工業力でこれほどの機体を作ったのは凄いと思う。しかし、その努力も100年のハンデを埋めるのは不可能だった -- 名無しさん (2013-11-29 19:26:40)
- 今の日本が本気で戦闘機作るとどうなるか気になるな
なんというか実にロマンある話だな -- 名無しさん (2013-12-12 18:54:04) - 対抗戦術を確立したサッチ少佐が「(F4Fで)生き残れたのは奇跡」とコメントするほど強い。軽量化をよく批判されるが、実はとうのF4F自体が「零戦と戦う時は余分な装備外して軽くしろ」と勧告されている -- 名無しさん (2013-12-12 21:00:04)
- 長時間の航空を可能にするためにとはいえ、発展性が無くなったのはアレ。 後期は多田野未亡人製造機に成り下がるし -- 名無しさん (2013-12-23 09:03:24)
- 発展性が乏しくなる背景は、軍の注文が滅茶苦茶だったから。それでいて傑作を作っちゃったほうも大概だが・・・(´Д`;) -- 名無しさん (2014-02-23 16:26:08)
- 大空のサムライ達の振るう『刀』、それが零戦だ! -- 0238 (2014-02-23 16:35:30)
- 早く日本で純国産戦闘機が復活しないかな。F-3の完成は何時になるやら。 -- 0238 (2014-02-23 16:42:20)
- アホなお隣さんが我が領土を脅かしてる今こそ零戦の魂を引き継ぐ純国産戦闘機を開発するべきだ(`・ω・´) -- 名無しさん (2014-02-23 18:18:29)
- 量産も改良もされまくってるんですが 発動機の問題で後継機が開発に苦戦したのが全て、三菱の社史では雷電が上手くいったらあれを艦上機にする予定だったとのことだし -- 名無しさん (2014-02-23 18:25:39)
- ↑2純国産戦闘機F-3(F-4)ゼロⅡとか? -- 0238 (2014-02-23 18:31:05)
- 米軍の物量飽和攻撃に耐えるために防弾性重視の52型が前線で求められたのは確かだけど、試しに新米に21型に乗ってベテランが52型乗ったら撃墜数では21型乗った新米のが多かったというエピソードもある。それを指示した部隊長が坂井氏と同じ意見の持ち主だから話半分で聞くべきだけど、ね。 -- 名無しさん (2014-07-27 08:06:40)
- 三菱が海外で色々と評価されたりいじめられたりするのは、これのせいかな? -- 名無しさん (2014-08-30 08:32:55)
- いや局戦のあんな重い着陸速度早い視界悪い雷電を艦上機とか無理だろ -- 名無しさん (2014-09-12 23:52:13)
- 極端な設計で海軍の要求を満たした代わりに要求された部分以外をすべて切り捨てたからなんとなく名機ではあるが傑作ではないきがする。あまりにも極端な設計すぎて量産兵器としてどうなんだろうと思ってしまうな -- 名無しさん (2014-10-12 09:15:29)
- 傑作というのはBf-109やFw-190、スピットファイアにムスタングみたいなやつのことを言うんだ。発展性ゼロのゼロ戦は凡作か駄作。 -- 名無しさん (2014-10-13 22:42:27)
- ↑ 君は当時の日本の工業力を考慮して言ってるのか? -- 名無しさん (2014-10-13 22:43:44)
- ↑は?駄作は駄作だろw -- 名無しさん (2014-10-13 22:45:37)
- ↑その駄作に戦争初期フルボッコにされてた連合軍戦闘機の悪口はそこまでだ。P-51はアリソンからマーリンに変わってますが、両エンジンそれほど差があるわけじゃないですし、スピットファイアの発展性ってグリフォンスピットを除けば概ね主翼が薄くて強度が強く作ってあってエンジン強化による高速化と武装強化にたまたま耐えられたという感じ、Bf109はどうにかした結果操縦性やらがかなり犠牲になってますが? -- 名無しさん (2014-10-13 22:54:03)
- 発展性云々で語るなら水冷式から空冷式に変えたら活躍した三式戦が傑作になってしまう -- 名無しさん (2014-10-14 21:29:51)
- ゼロ戦に発展性ないのは事実だけど、次世代機を完成させるまでの「つなぎの機体」だからねー。予定ではアメリカと早期講和して、それで得られた時間使って後継機を作る予定だったらしい。それが見事に泥沼化したのと烈風製作が遅延したのでゼロ戦を無理やり改造して使わざるを得なかったとか。 -- 名無しさん (2014-10-23 20:15:44)
- ゼロ戦が弱いんじゃないんだ。日本そのものが弱いんだ -- 名無しさん (2014-10-23 21:11:32)
- ↑ アメリカが異常なだけで当時は世界トップクラスの大国だったんだよ。列強の中で近代化がかなり遅れてたけどわずかな期間でこの戦闘機作れるようになったのは大したもの -- 名無しさん (2014-10-23 21:13:50)
- 坂井氏の意見は貴重ではあるけど「人間を超えた何か」の意見で凡人には適さないんじゃないかなって思ってる。坂井氏自体中国で経験を十二分につんでいるし、多くのベテランが消耗した中期には負傷で本土で療養したり訓練教官とかやってるし。 -- 名無しさん (2015-02-03 21:32:04)
- いや口だけとは言わないが、誇張が多すぎると思うわ -- 名無しさん (2015-02-12 10:57:35)
- これを使いこなせるパイロットを育成する能力がない当時の日本にとってよい兵器だったとは言えないと思う。兵器は扱う人間に対する要求レベル、生産能力と性能のバランスをとるわけでそれがとれてないゼロ戦は日本の兵器としてはダメだと思う。メカとしては素晴らしいと思うが -- 名無しさん (2015-02-12 11:32:21)
- ゼロ戦がダメというより空母がだめだった。簡単に沈みすぎ。紙製か? -- 名無しさん (2015-02-12 12:44:13)
- ↑↑わりとまじめに聞きたいんだが、当時(第二次大戦直前)の日本海軍において零戦以上に生産能力と性能のバランス(と、あとパイロットの育成計画)を行える機体ってどんな感じの物考えてる?(ぶっちゃけ俺には隼が候補に上がるぐらいなんだが) -- 名無しさん (2015-02-23 22:50:33)
- ↑それって九六式艦上戦闘機だろうねぇ。ぶっちゃけ零戦いらないくらいの性能はあったみたいだよ。 -- 名無しさん (2015-02-23 22:59:38)
- ↑「零戦いらないくらいの性能」って運動性だけじゃねぇか、96式なんて零戦以上に火力と防弾の伸びしろなさそうなのにそれで生産能力と性能のバランスが取れてるって言うのは本気で言っているのか疑いたくなるんだが… -- 名無しさん (2015-02-26 02:25:42)
- ↑パイロットの育成にはこっちのほうがやりやすいんじゃないの? 引き込み脚じゃないし速度も零戦よりは遅いし。総合的に考えなよ。 -- 名無しさん (2015-02-26 10:28:25)
- どちらかというとあの当時の日本の国力だと性能と生産性のバランスとってこれってのが問題なんだよ。自己ベストですが合格ラインではありませんってことなんだから。 -- 名無しさん (2015-02-26 10:44:24)
- ↑6 翔鶴は何度も大破しながらも戦場に復帰してるし、赤城も爆撃自体は耐えて寄港は可能だったが海戦の敗北で制海権と制空権を喪失したので自沈せざるを得なかった。戦争後期のアメリカの空母がなかなか沈まないのはダメコンよりも制海権と制空権を掌握してるという面が大きい -- 名無しさん (2015-02-26 10:53:29)
- ↑↑↑総合的に考えるって事は性能低下で零戦より2割被撃墜が増えたけど生産すうは25パーセント増し、パイロット要請に掛かる時間も零戦の8割までおちて性能低下で敵機の撃墜数も8割ぐらいに落ちるけど最終的に零戦よりは撃墜数が多くなると予測できる。って言う感じで考えたってことだよね?でも零戦より速度の速い雷電や二式単戦を経験の浅いパイロットのほうが乗りこなしていたなんて記述もあるわけで、零戦より96戦が訓練しやすい理由なんて脚の操作を覚える時間が無いってところしか決定的な差を感じないんだよ。火力も速度も零戦より低いから爆撃機を落とせない、返り討ちに合う機体は急増すると思うし、戦闘機相手も21型より運動性が上でも21型の時点で当時の敵を上回っているからそれ以上の運動性を得ても戦果向上に結びつくとは考えにくいし、21型で当時のP-40やF4F初期型を少し上回っていた速度が-70km/h。これでも総合的に考えて96の方が良いって考えてるの? -- 名無しさん (2015-02-26 19:35:22)
- ↑96式というのは、設計をした人や試乗したパイロットなんかが激賞してる名機だけど 零戦があまりにも有名になりすぎて歴史の中に埋もれてしまった感がある機体だよね。 零戦は確かに名機だけどミッドウェイでたくさんのエースを失ってからはさほど活躍できていないと思う。 つまり操縦は簡単ではなかったんだろう。内地なんかでの訓練では零戦じゃなく96式に乗っていた人が 多いと思うから、零戦に乗り換えてやはり何か違和感があったのかもしれない。 -- 名無しさん (2015-02-26 20:07:46)
- その「乗り換える」というのが結構、問題があったんじゃないかなと思うんだよね。 訓練の時に乗っていた96式そのままで出撃させたほうが結局は生還率が高かったのではないかと。 何事も「慣れ」って大切だと思うし。96式も、何もずっとそのままでないといけない理由はなく 零戦みたいに無理のない範囲で改造していけば少しずつ性能は上がるだろうし、そのほうが 「七面鳥撃ち」などといわれるような事態は避けられたのではないかと思うんだが。 -- 名無しさん (2015-02-26 20:08:05)
- この項目で「日本は鎖国から無理やり急速に西洋文明に適応し成長した」というのに改めて気づいて、そりゃ黄禍論も「せいぜい人真似ザル程度にしか思ってなかった奴らがいきなり発展を始め、ついには白人の大国とすら政治軍事で対等に渡り合える程度には成長してみせ植民地まで取るようになった。こんな奴らを中心にアジアがまとめられ、他の未開のアジア人共も第二第三の日本人になりうるかもしれないなら…」というのもわかる気がした -- 名無しさん (2015-02-26 20:23:35)
- ↑↑訓練は96式でやっただろうけど、零戦の部隊に配備された場合完熟訓練って普通やるはずだけどその時間がもったいない、完熟訓練しても最初に乗った機体の癖は絶対抜けないって考え方なのね。↑96式が名機であることは俺も認めるけど、零戦が940hpから1130hpになるのに3年掛かって1500hpの54型が終戦直前に登場してるわけだけど馬力を約1.5倍にするのに5年掛かってる。96式を無理の無い範囲で改造しても1936年の初期型460hp、日米開戦時に+50パーセントで約700馬力、終戦時にその+50パーセントで1100馬力超…零戦より初期設計は古いわけだから1000馬力以上のエンジンが左の単純計算みたいに積めるとは到底思えない。マリアナ沖海戦でF6F相手に1000馬力無い固定脚の96式改(仮)が零戦以上の戦果をあげて零戦以下に被害を抑えられるほど↑↑のいう「なにか違和感」が大きい要素であるのか?っていうところがこの話の問題になるのかな -- 名無しさん (2015-02-26 20:34:18)
- 96式改じゃ後続距離が足りないから、七面鳥撃ち以前の問題になったんじゃないか?マリアナ沖海戦では多少の戦果はあげてるけど、それすらなくなるだろ -- 名無しさん (2015-04-24 03:39:38)
- 渡り鳥君、零戦には気をつけなよ? -- 名無しさん (2015-12-25 12:29:56)
- 兵器としては二流だった、のかな。乗せてもらうなら零戦だけど戦争にいけというなら他の機体を選ぶ -- 名無しさん (2016-03-05 11:30:30)
- 俺は戦争に行けと言われたら零戦を選びたいな。自分の最期を飾るなら、こういう機体で華々しく戦って散りたい。 -- 名無しさん (2016-03-05 12:19:31)
- ↑2太平洋戦線で日本軍が運用するならF6Fだろうがスピットファイアだろうがフォッケウルフだろうが二流兵器だよ。最終的な結果は決まってるから -- 名無しさん (2016-10-08 21:55:43)
- >戦後の人命尊重の風潮を「バカバカしい」と回想録で記しているほど、彼らは「武士」だったのだ。 ……その防御軽視、攻撃偏重の姿勢で兵器が作られた結果、沈みやすい艦船と脆い戦闘機が生まれたわけなんだよなぁ。生存性の軽視が戦闘継続力の低下を生むという結果は示されたのだから、そこは反省すべきところだろうに。 昔は良かったと回顧するだけでなく反省もしろよと -- 名無しさん (2016-10-19 15:50:31)
- ↑零戦に防弾施せば航続距離は無い+のろくて機動性の低い役立たずができるだけだぞ。さらに、早期に米軍の戦闘機が20mmを装備するから史実と搭乗員の犠牲は大差なくなるぞ。あと沈みやすい艦船とは具体的にどれを指してるんだ?米軍の艦船の生還率が高いのはほとんどの海戦が勝ち戦だから曳航して安全地域まで後退させることが可能なだけだからな -- 名無しさん (2016-10-19 16:18:16)
- ↑ 零戦に対して米軍が戦果を挙げられるようになった理由は、初戦でボロ負けした後に、配備された機体と戦術の双方で対策がされたからだよ。その米側の対策に対して、日本側の新たな対策では追いつけなくなったという話(主に発動機の問題で)。 艦船の防御軽視は、アメリカやイギリスと比較しての話になるが、大和型のような例外を除くほぼ全てと言っていい。速度と攻撃重視は戦術思想の上での一つの回答だが、消耗を前提とした戦争(長期戦)を想定するなら良い判断とはいえない。日米戦争が日露戦争のような期間限定の(短気決戦ありきな)戦いなら、また違う評価となったかもしれないが -- 名無しさん (2016-10-19 16:48:52)
- ↑そもそも米軍相手に長期戦の想定なんかするだけ無駄だから当たり前なんだよなあ。旧軍のすべての兵器、戦略に文句いいだしたら300年間も引きこもって総力戦に耐えうる国家育成を怠ってきた日本という国自体が悪いという結論にしかならんし -- 名無しさん (2016-10-19 16:57:06)
- ↑ 想定するだけ無駄か。その後の結論まで投げやりだなぁ……。そもそも第2次大戦期とそれ以前の日本の歩みを全否定なんてしなくてもいいんだよ。 極端な自虐や、安直な自画自賛をせず、失敗や問題点を謙虚に省みればそれは糧となる……と、↑4では言いたかったんだ -- 名無しさん (2016-10-19 18:20:27)
- 攻略法が解析されるまでは暴れていた。つまり「初見殺し」「わからん殺し」機として優秀だったのかな。 -- 名無しさん (2016-10-19 18:47:57)
- ↑2 勝ち目0が分かりきってる長期戦に備えるよりも億分の1だろうが勝算が見込める短期決戦用の戦備を整える方が合理的なのは間違ってないし。反省はもちろん必要だけど当時の日本の状況を考慮すれば後知恵の方針転換を当時実施したところでかえって史実より悪化させるだけかもしれんしなあ -- 名無しさん (2016-10-19 19:12:52)
- だいたい世界的にみても戦闘機の防弾が実用化されたのなんて戦争後半の事じゃなかったか -- 名無しさん (2016-10-19 21:16:07)
- ゼロ戦のコンセプト的後継疾風が紫電改に需要で負けたり大戦後半はあらゆる意味で時代遅れになった悲劇の機体。極端な設計だからどうしようもないんだけどね -- 名無しさん (2016-12-21 19:14:38)
- そもそも関税自主権回復から30年足らず、無資源、無植民地、有色人種、貧乏等数えきれないハンデがあったのに自国で飛行機飛ばして5桁も生産する工業力つけたのってある意味異常だな。旧軍の技術や兵器を批判する人ってこの辺に全く目を向けてないと思う。 -- 名無しさん (2017-01-14 00:18:20)
- してようがしてなかろうが結局負けてりゃ世話ないわな -- 名無しさん (2017-01-14 03:03:25)
- 一式戦と一式陸攻が云々 -- 名無しさん (2017-02-27 02:04:53)
- 一式戦と一式陸抗が云々は間違ってないか?一式戦は早期から防弾されており戦争後半でも敵新鋭機にも互角に渡り合ったし、一式陸抗もそんなヤワな機体じゃない。 -- 名無し (2017-02-27 02:09:20)
- いまさらだが、東京湾での里帰りおめでとうゼロ戦。 -- 名無しさん (2017-06-08 21:48:44)
- ↑↑ 一式ライターは言われるほど燃えやすかったわけではない(するときに派手に爆発炎上するから目立つけど)とは言われてるな -- 名無しさん (2017-09-20 17:36:01)
- 防弾装備積んでたら飛行性能は低下する上早期に米軍機の機銃がHS.404になるから結局パイロットの犠牲は減らせないんだよな...米軍みたいに大量に潜水艦用意して救助なんて余裕もあるわけじゃなし -- 名無しさん (2017-10-12 16:27:25)
- 零戦と隼を見分けられるようになればミリオタの初心者卒業といっていいな -- 名無しさん (2019-01-08 13:14:40)
- 有名なので、日本を貶めたい連中(ここにも何匹かいるようだな)の標的にされがち。 -- 名無しさん (2019-03-13 16:52:49)
- 零戦は最強だからアメリカ軍機に落とされることなんてありえないし太平洋戦争は日本の圧勝でアメリカも本当は日本領土なんだよな、アメリカが同盟国というのはマスゴミの捏造 -- 名無しさん (2019-03-13 17:10:39)
- ダメ兵器とは言わんがブイブイ言わせてたのは最初の方だけでなのは事実だしなあ、戦争に頑張ったで賞はないんだし -- 名無しさん (2019-03-13 17:16:55)
- ↑山本五十六の対米戦の見込み「初め半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。然しながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ」を大筋でなぞったような戦績だよな。 -- 名無しさん (2019-06-13 18:47:36)
- 追記しました。64型は特攻機としての前提もそんざいしたので -- 名無しさん (2021-09-08 21:40:26)
- 響きが良いよね『ゼロ戦』って、言いやすくてカッコいい。 -- 名無しさん (2021-09-09 00:07:16)
- ↑4そもそも海軍の要求が滅茶苦茶過ぎてそれをやっとの思いでクリアしたって意味では優秀な機体で本来ならば後継機に順調にバトンタッチ、の筈が、そっちもグタグタなお陰で老醜を晒さざるを得なくなった悲運の機体、ってところだと思うよ -- 名無しさん (2023-03-22 16:09:25)
- アメリカみたいに革新的な新型機と堅実な保険機を同時開発するみたいな余裕はなかったからな。どのみちエンジンがないのと地震で工場地帯が全滅の最悪のコンボは覆せないが -- 名無しさん (2023-03-22 18:28:42)
- しかしいきなり「零戦神話(の崩壊)」からスタートするとか結構不親切な記事じゃないかしらん?もちょい見やすく加筆ついでに大幅にいじってもいいかなコレ・・・ -- 名無しさん (2023-03-22 19:14:19)
#comment
*2 嘘では無いが他の新型機にも同様の訓示は出されていたので注意。当時は敵機の解析が済んで対処法の確立までは無理に戦ってはならないという方針を徹底し、無駄な犠牲を生まないようにしていたある
*3 つまり特攻機
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