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袁術とは、後漢末期の武将・群雄であり、仲帝国の皇帝である。
字は公路。
【来歴】
◆出生
予州は汝南郡・汝陽県(現在の河南省は周口市の商水県)に本拠を置く、名門貴族「汝南袁氏」の御曹司。
ちなみに、現在の商水県の東に隣接するのが項城市で、二千年近くのちにここから生まれるのがあの袁世凱である。
汝南袁氏は「四世三公」という言葉で知られる。
三公というのは、中国の官制における最高位の官職で、時代によって変わるが後漢時代は「司空・司徒・太尉」の三つを指す。
汝南袁氏は、四世代に渡って連続で三公にまで上り詰めたことで有名になった。
歴史そのものは、前漢の開祖劉邦の時代までさかのぼる曹家・夏侯家や、前漢の武帝に仕えた(そして謀反した)馬何羅を始祖とする馬家などには及ばないが、
そうした古代からの名門が長い年月で権力を落としていったのに対して、袁氏は後漢時代を通じて、現役で官界のトップを突っ走っていった家柄である。
その袁氏の祖は、後漢中興の祖・光武帝に仕えた袁良に始まる。袁良は県令止まりで、学問に励んだというが、彼と息子までは大した地位にはなかった。
しかし袁良の孫・袁安が官途についたことから風向きが変わる。
袁安は各地を転任しつつ厳格ながらも公正な裁判をいくつも成し遂げたことで知られ、さらに河南伊(都知事)を勤めたところ治安維持・秩序回復に大きな業績を果たした。
やがて中央政界でも太僕(車馬の管理)という閣僚クラスの重職をこなし、最後は「三公」司空や司徒をも歴任。
袁安の息子の袁敞も司空に、孫の袁湯(袁敞の息子ではなく、甥)も司徒・太尉まで昇進。
さらに袁湯の子・袁逢は司空、袁隗は司空を勤めた。
つまり袁氏は、一世・袁安、二世・袁敞、三世・袁湯、四世・袁逢&袁隗の四世に渡って、三公を勤めた。
官僚というのは封建領主と違い、親の地位を世襲することはできない。つまり彼らは、いずれも自分の能力を磨いて、それ相応の地位につけたということである。
さて、その「汝南袁氏」の五世目、袁術は、このうち袁逢の息子である。
この袁逢だが、彼には兄の袁成がいた。本来は彼が袁氏の次期当主だったのだが、早死にしてしまい、弟の袁逢が当主となった。
つまり、本来当主となりえなかった弟が、棚ボタ式に当主になったのである。
袁術はその袁逢の嫡男である。つまり袁術には、次期袁氏当主の目があった。
ところが、袁術にはやっかいな相手がいた。袁紹である。
この袁紹は、本来当主となるはずだった袁成の息子であり、場合によっては袁氏の次期当主となりうる存在だった。
また一説には、袁紹は袁術の異母兄であるともいう。その母親というのは卑賤な身の上で、ただでさえ「嫡出」の袁術にとってはうっとうしい「庶出」の兄である。
その袁紹が、本来本家だった袁成の家を継いだため、いきなり「自分と同格」になってしまったから、袁術の嫌悪感はますます増したという。
こうした出生と年齢の格差、次期袁氏当主の座、といったことから、袁術は袁紹を生涯に渡って敵視し続けた。
……まあ、実際のところ次期袁氏当主だったのは、袁術と同じ嫡流でしかも長男の袁基だったんだけどね!
◆官僚時代
袁術の若いころは、後漢朝の後期。官職を銭で売った霊帝をはじめ、各所でさまざまな腐敗と亀裂が生じ、かつての威光は衰えていた。
そのため、名門官僚の子弟といえども無頼で名を売るような連中が多かった。
青年時代の袁術もその例に漏れず、愚連隊を率いる総長のようなヤツだったらしい。
袁紹との対立もこのころからで、人気や人脈を巡って激突を繰り返していたという。
許攸など、袁紹の門下に行っても袁術には訪れない名士というのも多かったようで、袁術は不快感と嫉妬心が強かったという。
やがて侠客をやめて「名門貴族の御曹司」らしく振舞うようになり、順調に昇進していくかたわら人脈も築いていくようになる。
霊帝末期までには虎賁中郎将にまでなっており、大将軍何進麾下にて一端の将軍になっていた。
しかし後漢王朝の崩壊はもはや秒読み段階であり、霊帝の崩御から始まった帝位争いで、外戚だった何進が宦官に暗殺されるという大事態にまで至る。
このとき袁術は何進の護衛のために軍隊を率いてきていた。袁術はその場にいた袁紹や曹操とともに、この事態を一瞬で把握。
何進暗殺を「宦官の反逆」と即座に言い返して後宮に突撃し、長らく横暴を極めていた宦官を大粛清した。
◆董卓時代
ところが宦官たちが最後のあがきで、皇太子二人をつれて逃亡してしまう。
それがたまたま洛陽に接近していた董卓に拾われてしまったことで、帝位を巡る権力闘争は、外戚でも宦官でも朝臣でもなく、辺境の軍閥に握られてしまう。
董卓も自分の権力奪取があくまで僥倖に過ぎないことは把握しており、何進の残存兵力や、対立した丁原の軍団を奪い取るなどして、軍事力=権力を高める一方、権威を補完するべく名士を取り立てた。
袁術も、董卓から後将軍の官位を斡旋されている。
しかし袁術は董卓に心服しておらず、反乱の機をうかがっていた。
表向きは服従しつつも、先に董卓に刃向かった曹操の家族を保護するなどして支援し、やがてみずからも洛陽を脱出。荊州の南陽郡で旗揚げした。
袁術が南陽を選んだのは、南陽太守が孫堅に殺されたため、孫堅と組めば太守を名乗りやすかったことと、故郷の汝南郡がほど近く、袁家の戦力を動員しやすかったからだろう。
この袁術離反と同時に(おそらくタイミングを図ってのことであろう)、袁紹を中心とする「反董卓連合」が出現。
袁術は精強な孫堅軍団を傘下に加えつつ、汝南袁家の豊富な財力を動員して、連合軍における主力軍の一翼を担う。
しかし「連合」とは言葉を変えると「寄せ集め」であり、加えて盟主の袁紹が地縁のない河北で挙兵したばかりなため戦力を持たず、統率力がなかった。
しかも董卓軍は、分散・孤立した連合軍を精鋭部隊で各個撃破するという真っ当な戦略をとっており、曹操・鮑信・王匡らを個別に撃破。とくに曹操が敗れたため、彼を腹心としていた袁紹はますます自前の軍事力を失ってしまう。
その曹操を負かした董卓の名将・徐栄は、今度は南陽にて孫堅軍をも撃破。
孫堅は部下を囮にしてやっと逃げおおせたほどの大敗であった。
ところが、袁術は崩壊した孫堅軍に支援と補給を行なったため、孫堅は軍の再編成に成功。
追撃をかけてきた胡軫・呂布の軍を返り討ちにして華雄を討ち取った。
さらに袁術・孫堅のタッグは南方にて董卓軍を撃破し続け、ついには董卓が長安へと退却することになった。
北方からの連合軍はいまいち振るわなかったのに対し、南の袁術と孫堅は大躍進したのである。
ちなみに一説だと、孫堅が徐栄に敗れた直後、袁術は孫堅が強くなりすぎるのを厭って、兵糧補給を渋ったらしい。
しかし孫堅がすぐに猛抗議したため、袁術が詫びて補給をした。
また、反董卓連合結成の折に袁隗や袁基とその子ら中央に残っていた袁家の男は三族皆殺しに遭っている。
◆二袁時代
しかし董卓が洛陽を破棄して長安に逃げてしまったため、連合軍は限界に来てしまう。
長安一帯は董卓の本拠地と近く、連合からすると補給も届かない遠方である。
追撃しても疲弊は避けられず、そんな疲れきった軍勢で、増強された董卓軍と戦うのは無謀だった。
加えて、連合内部で主導権争いがさっそく勃発。
袁紹による「劉虞の皇帝擁立計画」に端を発する、袁紹と公孫瓚の対立、袁術と公孫瓚の接近や、予州刺史の座を巡る袁術と袁紹の対立、さらには劉岱が喬瑁を、曹操が王匡を暗殺するなどして、連合軍は自然崩壊。
さまざまないざこざが起きたあと、気づけば袁紹グループ(袁紹・曹操・劉表・劉虞)と袁術グループ(袁術・孫堅・公孫瓚・陶謙)が天下を二分する情勢となっていた。
リーダーが袁術と袁紹だったため、二人で「二袁」と呼ばれるようになった。
これに、西方で引きこもる董卓や、どっちつかずの孔融・張楊などが第三勢力としてからむようになる。
ところが袁術グループはのっけから大苦戦。
陣営の主力孫堅がいきなり劉表戦で返り討ちに遭ったのをはじめ、公孫瓚が袁紹に、陶謙が曹操に敗北を喫する。
袁術みずからも軍を率い北上するも、袁紹・曹操の連合軍により大敗北。しかも劉表に退路を断たれて南陽にも戻れず、東南の揚州に落ち延びる羽目になった。
このときの袁術は曹操に七回も追撃されてすべて敗れたとかで、コテンパンのボロボロにされたわけだ。
ところが、なんと袁術はその状態から軍を再編成。
謀略を縦横に張り巡らせて揚州の勢力図を攪乱し、素早く制圧して寿春を占領。
正規の揚州刺史・劉繇も、袁紹が揚州刺史にと派遣した袁遺をも撃退して、あらためて淮南にて大勢力を誇るようになった。
実は寿春は、袁家の本拠・汝南郡のすぐ東にあり、汝南-南陽間よりも近い。袁術にとってはより土地勘のある、活動しやすい土地だったのだ。
亡き孫堅の軍団も傘下で維持しており、まずは孫賁、次いで孫策を抜擢して、孫家軍団を復活させている。
袁術の攻勢はやまず、孫策を派遣して劉繇の討伐に当たらせる一方、みずからは北の徐州に狙いを定め、かつて傘下だったが自立した陶謙や劉備を攻撃。
流れてきた呂布とも連携して、あの手この手で勢力を広げようとした。
いろいろと陰謀も巡らせており、呂布を刺激して張飛の隙を突かせたり、陳宮をそそのかして呂布に背かせたりしている。
しかし袁術の徐州攻略は呂布の優柔不断もあってなかなか進まず、他方で孫策は従兄の孫賁を追い返したり独断で南下を始めたりと、自立の動きを見せ始める。
曹操は献帝を保護して名声、実力ともに高め、袁紹は河北で覇権を確立していく一方、袁術の情勢はますます悪くなっていた。
◆皇帝時代
この情勢下で、なんと袁術はいきなり「皇帝」を名乗り、国号を「仲」と定めた。
確かに後漢王朝は有名無実化し、献帝は「霊帝の子ではない」という噂が立つほど影が薄い存在であった。
かといって、南方でくすぶっていた袁術が皇帝になれる情勢ではない。むしろ部下たちには「落ち目の袁術から逃げ出す口実」を、周辺勢力には「袁術に攻め込む大義名分」を与える結果になってしまった。
皇帝を名乗ることで、袁術に「新しい時代のリーダー」というカリスマを与えるどころか、「空気を読めない愚劣なリーダー」であることを内外に告示してしまったのだ。
結局、「袁術皇帝」は曹操を初めとする勢力の集中攻撃や、孫策を初めとする傘下諸侯の離反という結果を招く。
さらに呂布との外交も失敗。使者まで殺されたことで怒り心頭に発した袁術は総力を挙げて攻め込んだが、この張勲大将軍の主力軍すらが壊滅してしまう。
他方、袁術は北上して陳国を攻め滅ぼし、なお弱小諸侯や皇族崩れでは手に負えないところを見せつけるが、すぐに討伐に赴いた曹操の猛攻で敗北。張勲と並ぶ大将軍だった橋蕤まで失う結果となった。
皇帝僭称により組織の名分を失い、いままた二度の敗戦で軍事力まで失った袁術は、いよいよ勢力を失っていく。
それでもまだ呂布とつながっていたものの、これはもう「呂布のほかには組む相手もいなかった」というだけで、その呂布との縁も(自分の使者を曹操に売り飛ばされたから)うまく行かず、結局呂布の滅亡を座視するだけだった。
このころの袁術は、かつての外交や謀略における精彩をすっかり失っていた。
◆皇帝の落日
呂布が滅んだあと、袁術は「もはや将来は袁紹と曹操のどちらかだ」と見切りをつけた。
そして最後に天下の情勢を分析し、有利なのは袁紹と見て、自らの帝号を譲る代わりに庇護を求める手紙を出した。
まあ、献帝を擁する曹操に降伏しても殺されるのは間違いないから、これは当然だろう。
一方袁紹も、帝号はともかく袁術を介して汝南を動かせると判断してか、長子の袁譚に指示して、青州方面から袁術を迎えるよう指示を出した。
しかし袁術が青州に行くには徐州を通らねばならず、当時曹操配下だった劉備に妨害されてしまう。
そうするあいだに、袁術は病にかかり危篤に。
部下には救援を拒絶され、食料も尽き、ついには飲む蜂蜜さえも尽きてしまったため、
「この袁術ともあろうものが、ここまで落ちぶれたか!」
と絶叫を残し、大量の血を吐いて没したという。
◆その後
かくして袁術は死に、彼の「仲帝国」も自然消滅した。
しかし、袁術の勢力は消滅しなかった。
まず、袁術の従弟であった袁胤が、袁術の家族を含めた残存勢力を率いて寿春を脱出。元袁術配下の劉勲のところに合流した。
その後、劉勲は孫策に攻め滅ぼされたが、このとき袁胤たち旧袁術勢力も孫呉に吸収されている。
そして一緒に孫呉に住まうこととなった袁術の遺族だが、これが意外なほどに厚遇されている。
袁術の息子・袁燿はそのまま孫呉に仕えて郎中にまで出世。
また、袁術の娘は孫権の夫人の一人となっており、皇后に立てられそうになるほど寵愛されていた(子供ができなかったことと、品行方正で誠実・謙虚だった本人の意向で、皇后にはならなかった)。
孫権の夫人…ということで二宮の変に巻き込まれはしたが、子がいなかった為か落命せず、恐らくだが慎ましやかに過ごし天寿を全うしたと思われる。
さらに袁燿の娘(袁術の孫娘)も、孫権の五男に嫁いでいる。
袁術の縁故者は依然として南方に多かったようで、孫権からは政略上それなりに重要な存在だと見なされていたようだ。
そもそも中央にいた一族は前述のように全滅しているし。
ほかにも袁術と深い関係にある人物はまだ残っていた。義弟の楊彪である。
楊彪は自身に至るまで「四世三公」の「弘農楊氏」の出で汝南袁氏に匹敵する名門貴族であり、袁術の妹と政略結婚した。
そしてその嫡男であり袁術の甥に当たる楊修は袁氏と楊氏二つの名門の血を引くスーパー御曹司である。
袁術と交友を持っていたかは不明だが曹操からは当然警戒されており、袁術が皇帝を名乗った時に楊彪は巻き添えで逮捕されてしまう。
これは後に許されたものの楊彪は表舞台を退き、楊修は曹植を推すポカをやらかし「鶏肋」などという難癖で処刑され袁家の血筋を活かすことはできなかった。
しかし子孫は高官に上ったという。
また、袁術と直接関係あるかは不明だが、袁氏の本拠地である汝南郡はその後も反曹操の狼煙を挙げている。
とくに袁術の死からほどない「官渡の戦い」では、袁紹がその辺りを扇動して曹操の背後を突いていた。
時期的に、袁紹が袁術を受け入れる気になったのは、このあたりの事情が関与していたと思われる。
袁術の勢力は名を失ったが、その血縁と風土は決して侮れるものではなかったのだ。
【評価】
同時代の群雄としてもかなり悪い部類に入る。
ほかに悪名高い群雄としては董卓と呂布がいるが、董卓は辺境にいたころは気前が良くて異民族に優しく、しかも戦争になれば勇猛果敢で知恵が回り、個人の武力も相当高い、と軍政・外交に通じた名将である記述が多い。
呂布に関しては政治手腕は袁術以下であるが、そもそも彼は圧倒的な武力が存在のほぼ全てなので「群雄」というには少し微妙である。
さらには「皇帝僭称」という大逆を起こし、曹操が擁立した献帝の権威に泥を塗り、その挙げ句が自滅のような末路と来ているから、救いようが無い。
史書を書く立場としても共感できる相手ではなく、かなりボロカスに書かれている。
皇帝僭称については後述するように、多少とも選択の余地はあるものの、それでもやはりろくでもない結論だったのは確かである。
ただ、それでも袁術は乱世前半において、かなりアクティブな行動をとっていた。
北は公孫瓚・劉虞、東は陶謙、南は孫堅、中部は呂布、とさまざまな軍閥を遠方から動かしており、行動力だけなら袁紹・曹操・劉備とならんで当時でも有数。
少なくとも、喬瑁・劉岱・王匡・袁遺・陶謙などといった、動きもしないで次々散っていったザコ諸侯とは、行動力が桁違いである。
そもそも三国志の「群雄」は、なぜか一州を得たあたりで満足してしまい、積極的に攻勢に出ようとしない。そして後手後手に回り、最後は飲み込まれる。
公孫瓚や董卓、劉表や劉禅もそのパターンだし、孫権でさえ、荊州を併合したあたりで「満足」してしまったフシがある。
結果として実を結ぶことがなかったとはいえ、袁術のように行動力を発揮し、外交で主導権を発揮しようとしたのは、ほかには袁紹や曹操、孫策と劉備、そして諸葛亮ぐらいのものなのだ。
また、外交における覇気に加えて謀略にもそれなりのキレがあり、袁紹・劉虞・公孫瓚で三竦みの状態であったのを、公孫瓚と袁紹のあいだで憎しみをあおったり、呂布の配下の陳宮をそそのかしたり、と意外にも知恵は回るほうである。
あるときには匈奴まで引き込んで戦ったこともあった。
統率手腕もなかなかのもので、曹操にさんざん打ち負かされたにもかかわらず、すぐに戦力を立て直して揚州を占領し、それから死ぬまで寿春は守り通している。
総合すると、やはり時代を牽引する「英雄」の資質はない。
しかしながら、彼は決してまったくの「無能」ではなかったのは確かである。
史書でボロカスに書かれたのもある種の誇張であろう。上述のように皇帝僭称という大逆を犯した上に三国志の主役とそのライバル、劉備・曹操・孫策・袁紹の四名全員の敵になったので擁護してあげる必要が全くないだけである。
とはいえ、その「誇張」も程度の差で、しっかり根拠あってのこと。ライバルであった曹操や袁紹がヤバすぎただけだが、そこにはやはり二~三枚分ほどの大差がある。
【余談】
◆袁術「皇帝」の意図
突拍子もないように見える袁術の皇帝即位だが、彼は二年前にも一度「皇帝即位」を議論したことがあり、かねてから考えてはいたようだ*1。
反董卓連合のさなかには、英邁・清廉で知られる劉虞*2を袁紹が「董卓の傀儡・献帝のカウンターパート」として皇帝に担ぎ上げようとしたことがある。
このとき袁術は長い理論で反論したが、あるいはこのころから「皇帝になるのは自分であるべきだ。劉虞のような実力者に即位されては、自分の帝号がかすむ」と考えていたのかもしれない。
つまり本人としては突拍子もない行動ではなかったということだ。
また、三国時代はなぜか帝号を名乗る者が少なかったが、別の時代なら乱世に入ると帝号を名乗る人間はいくらでもいる。
例えば「赤眉の乱」の時代には「皇帝」が八人も登場し、隋末には七人の「皇帝」と四人の「王」が爆誕した。元末にも多くの「王」や「帝」が誕生している。
秦末に陳勝が旗揚げしたときも、旧王族でもないのに王を名乗ったのが結構いた。
つまり中国史全体を俯瞰した場合、「王」や「皇帝」という称号はあまり重いものではなく、乱世になればだれでも名乗れるものに過ぎない。
むしろ、袁術のほかに名乗るものがほとんどいなかった後漢末~三国時代のほうが珍しい。
つまるところ袁術の「皇帝」即位は、「どーんと皇帝を名乗ることで、新しい時代が開けたことを内外に告示し、内は部下たちの統率を強め、外は外交の主導権を握る」、極論すると「盛大なハッタリ」だったのかもしれない。
閉塞感を打ち破るという意味なら、それは一つの選択肢だったろう。
そもそも袁術自身、本気で自分が「皇帝にふさわしい」とは考えていなかったフシがある。皇帝を名乗る前と後で、彼の行動には変化が見られないからだ。
もっとも、時代が「皇帝」を名乗ることをためらわせていたというのなら、それが「そういう時代だった」ということで、流れを変える実力もなしに真っ向から反する袁術の行動はやはり「致命的に空気が読めていない」といえた。
結局、袁術の行動は完全に裏目に出る。閉塞感・八方塞がりどころか、八方破れとなった。
袁術は華美な生活を好み、重税を課して収奪を繰り返したという。
あるいは、長くない人生で快楽の限りを尽くして満足して死ぬ、という粋な生き方を選んだ可能性もなくはない……
……が、そんな「荘子」の話*3のようなことをあの袁術が本気で考えていたわけでもあるまい……
◆仲帝国の規模
さぞかし貧弱で狭苦しい国家かと思いきや、当時の仲帝国の人口はざっと百万、総兵力は十万弱らしい。
蜀漢の人口は九十四万だったから、人口=国力と簡単に計算した場合、ほとんど変わらない。
仲は蜀と同等の強さがあったと言うべきなのか、蜀は仲ぐらいしか力がなかったと言うべきなのか……難しいところではある。
◆その他のエピソード
孫権に仕える陸績が六歳だったころの話。
当時から神童と言われていた彼が、あるとき袁術に引見された。このとき、彼は出されたみかんを食べずに懐に入れた。
おいしいみかんだから、母親に食べさせようと考えたのである。それを述べた陸績を、袁術は「そなたは優しい子だな」と、大いに誉めたということである。
このエピソードは「二十四孝」の一つに数えられ、広く民間にも膾炙されている。
重税と略奪で民を苦しめた袁術らしからぬエピソードであるが、もしかしたら意外と子供には優しかったのかもしれない。
【三国演義の袁術】
基本的には、ほとんど正史に準拠。
しかし、三国演義に正史要素を組み込む過程で、曹操が「もう一人の主人公」となってきたからか、「曹操のライバルの一人」として多少ともパワーアップしている。
演義版袁術を支える軸の一つが「伝国の玉璽」。
孫堅亡きあと、手元においていた孫策に独立を許したのが、この玉璽と引き換えにしたから、というものになっている。
袁術はこの玉璽を手に入れてからというもの、それにふさわしい身分=皇帝の地位につくことを冀求し、ついに帝号を僭称する、という流れである。
しかしその結果袁術は破滅。
しかも遺族は正史のように劉勲の元に逃れることもできず、盗賊に襲われて皆殺しにされる。
なんというか、うかつに玉璽を手に入れたばっかりに、かえって祟られたような扱いとなっている。
そもそも、玉璽を初めに見つけた孫堅も「玉璽なんて(本当は持ってるけど)持ってない! 証拠はない!」なんて声を張り上げたばっかりに、巡り巡って戦死した、といった雰囲気があり、
「持つべきものが持てば宝だが、持つべきでないものが持てば破滅する」というような感覚が見える。
その割に、曹操(献帝)の手に戻ってからは一言も触れられないんだけどな!
もう一つは「寿春の戦い」である。
徐州で全軍・二十万を動員して大敗した袁術は寿春に戻ったが、曹操は呂布や劉備に孫策まで加えて、寿春まで追ってくる。
袁術は財物と親衛隊を抱えて寿春から脱出する一方、部下の四将に十万の兵を預けて寿春に籠城させた。
面子から見て袁術の陳国侵略の焼き直しなのだが、なぜかこの場面の袁術軍は強く、寿春の鉄壁とあいまって、曹操・劉備・孫策・呂布の連合軍でも突破できない。
そうするあいだに数の多い連合軍の食料が底をつき、曹操も悶絶してしまう。
ついに曹操は、配給に使う枡を小さくして糊口をしのぎ、しかもその責任を、曹操の指示で枡を小さくした倉庫係に押しつけて処刑。
それを公開することで兵の怨嗟をなだめる一方、一瞬ながらも統制を取り戻した。
その一瞬を活かして総攻撃を開始し、曹操自ら矢玉を犯して土嚢を運ぶ、というなりふりかまわぬ死に物狂いの猛攻で、ついに寿春を落とす。
しかしそれだけやっておきながら袁術は取り逃がし、遠征軍は疲弊しきって追撃不能、得るものはなにもなく、そのまま引き上げ。その後袁術は再び寿春に入城、という結果となり、袁術が曹操に対して引き分けに持ち込んだことになっている。
その後、曹操の「敗戦・苦戦エピソード」で袁術に苦しめられた話が二回ほど挟まれるが、それはおそらくこの戦いを指す。
一方、徐州がらみで劉備と争ったことから、「劉備の初期のライバル」としても活躍。
反董卓連合で、劉備たち三兄弟の身分の低さを糾弾し、露骨に軽蔑したあたりから因縁がスタート。
袁術配下の紀霊が大幅に肉付けされ、あの関羽と引き分けに持ち込んだり、呂布・劉備と三者面談したり、袁術に呂布との婚姻を献策したり、最後には劉備軍に殲滅されたりと、やたら劉備との絡みが増えている。
なお史実では孫呉に助けられた家族達だが演義では全滅させられている。
確かに生きていてもその後への影響は少なかったがそこまでせんでも…。
【各作品】
- コーエー三国志
知力と武力は70前後とそこそこだが、統率力と魅力が40台と低めで、特に政治力がドンケツ。さすがに劉禅や劉璋なんかとは一線を画するが、どっちにしても恵まれない。
配下も中途半端な二線級武将ばかりな上に、年代や作品によっては文官を欠きがちでバランスも悪い。紀霊がマジで生命線。
その上周囲には強敵が多く、難易度は高め。
ただし、時期によっては伝国の玉璽を持っている場合があり、その場合は魅力や統率力が跳ね上がる。袁術の低めな統率力や魅力をピンポイントでフォローできるため相性が凄くいい。もし持っているなら大事にしよう。
なお、配下として見た場合、能力以前に義理最低・野望最高という変節漢なために極めて扱いづらい。
ここまで記事を読んだ人は察せるかもしれないが、勢力のイメージカラーはピンク・紅紫が多い。まったく似合わないけど、孫呉の赤に寄せた色というべきか。
三國志9と14には仮想シナリオ「皇帝呂布」が存在するのだが、袁術が急死して呂布に仲帝国を乗っ取られたという設定で
袁術の存在は呂布が皇帝という状況を作り出すための舞台装置でしかない。
特に14では袁燿がちゃっかり呂布の娘を妻に迎えており、女と引き換えに袁術の国を売ったとネタにされている。哀れ。
ちなみに、一作目のころは信じがたいことに武力と魅力が90台だった。
袁紹の影に隠れて長らくモブキャラとして登場。
ただしいち武将ではなく英傑のひとりだったこともあってか出番や台詞は結構多く、時にはすごく目立つ場合も。
虎牢関では孫堅に兵糧や援軍を出したり出さなかったりするのだが、そのシーンもいろいろ違いがある。
2にいたってはいきなり呂布に襲われ蹂躙されるという悲惨な扱い。しかも孫堅からは……
孫兵「袁術軍、いまだ動きません!」→孫堅「なんだと!? おのれ袁術、はめおったな!!」→袁術軍全滅!!ドン!! 冤罪だよ堅ちゃん……
3だと正史に倣って劉勲の客将として登場するのだが……
「世話になった劉勲どのを見捨てて、なにが漢か! この袁術! 天は掴めずとも、地を嘗めはせん!! いくぞ、我らは劉勲どのの背後を守る、ついてまいれ!」
ちなみに孫堅には「田舎武者め……」とうめいていた。
あまりにキャラが違いすぎるから、四コマでも袁紹から突っ込まれていた。
そして時は流れて「8」にてやっと固有のデザインを獲得し、NPCを経て操作可能武将に昇格した。
5~7までの大袈裟な頃の袁紹のテイストや荒ぶる名族のポーズを濃く引き継いだ上で、華やかな装いでありつつもどこか見栄を張っているようなデザインがなされている。
彼の物語では陸績にまつわるエピソードが触れられたり、「袁術皇帝」を名乗るも壮絶な逃走戦をする展開を追体験できたりする。
- 一騎当千
番長のくせして力もなければ無能で人望もないとあまりに酷い設定。
主人公が孫策だからかとっとと退場させられた。あと何故か楽就を孫策に持っていかれた。
アニメだと甘寧にぶっ殺される。その後甘寧は狂人に変わるが、これもこれで酷い。
仲天公路蒼天航路
袁姓だからということで、途中から本当に猿にされた。最初は普通に人間であったが、だんだん外見が猿寄りになって行き最後は全身毛むくじゃらで尻尾まで生えた完全に猿の姿になっていった。
正史準拠と言われる蒼天公路だが、袁術は玉璽を手に入れてから人間でなくなる展開になっており、なぜか演義タイプである。
ちなみに、封神演義だと「猿だから袁姓」の妖怪がいる。
- 恋姫†無双
真名は「美羽」。
袁紹の弟ということでか、金髪のじゃロリキャラとなっている。当たり前だがつるぺったん。……袁家の皇帝はロリ化するのだろうか?
麗羽(袁紹)とは従姉妹になっている。
雪蓮(孫策)にいきなりクーデターで放逐され、以後は七乃(張勲)とともに放浪する。
小柄で金髪でつるっぺたという共通項から華琳に変装することも。
本編では主人公とのエッチシーンも無いサブキャラだが、プレイヤー人気は高く、ソシャゲー版の人気投票で1位を取ったこともある。
- 三国志大戦
2より袁紹とともに袁勢力ごと参戦。袁勢力メインでプレイし皇帝ランクにまで登りつめれば成皇帝に即位できる。
能力は一貫して低めでステータスも低ければ計略もネタに走っており癖が強い。
なぜか攻城兵にされることも多く、自爆したり巨大化したりSATSUGAIしたりとやりたい放題である。しかも3Dモデルの再現度が結構高い。
また袁術軍は娘の袁姫、忠臣の紀霊以外はどいつもこいつもイロモノのようなカードイラストである。代表例は大将軍
リブート後はなぜか他勢力に回されてしまったが扱いは変わらない。
しかし2020年3月稼働のVer5にて上記された「侠客≒愚連隊の総長」をイメージさせるデザインで登場。
「ちょいワルイケメン」「腐敗した漢を憂い自らが国を作ろうとする野心家」「裏書もいい事しか書かれていない」という作内の…どころか「創作における袁術」として非常に珍しいキャラクター。スペックも悪くない。良いとも言えないが。
後にクラウザーさんも地獄から漢に帰還。俺たちの熱い魂が袁術のクラウザーさんを呼び戻したんだ!ゴートゥ三国志!ゴートゥ三国志!
袁術軍も数人参戦しているが大抵光ってすらない低レアリティであり、関係者で一番レア度が高いのは娘の袁姫(しかも呉所属)である。
ただしイロモノ揃いだった袁術軍配下はなぜかイケメン化が進んだ。特に雷薄、陳蘭の二人はその縁の下の力持ち的な性能もあって人気を博した。大将軍は相変わらずだったが。
2021年7月にはなんと群雄伝に「袁術伝」が追加された。
ストーリーは開幕からモブ女性に狼藉を働く部下を眺めて「俺はあの程度の女には食指が動かん」等と発言する事という衝撃的な始まりである。
ちなみにその部下は真面目な紀霊に斬り殺されました。曰く紀霊を呼ぶためにわざと襲わせたのだとか。
董卓に町を焼かれた民を見て口では彼らを心配するような事を言いながらも「民が泣くということは漢王朝の権威が無くなっている証拠」と確信し、野望を募らせていく。
やはり兄の袁紹とは仲が悪いものの、今までのイメージのような感情のぶつけ合いとは違い、向こうもこちらも不気味なほど冷静で知的な口論となっていた。
今までの「愚かな袁術」と違い、明らかに悪人ながらも「頭がキレ、己の野望のために突き進む袁術」という斬新なストーリーが展開される必見の内容である。
なお蜂蜜好きなのは変わりない。
一応陸績とのエピソードも再現されているが「こいつは良い泥棒になるぞ!」と褒める方向性が違うのはご愛嬌。
しかし史実が史実なのでやはり破滅の道を歩む。
皇帝を自称したら孫策を含め周り全てが敵になり、そんな状況でも権威を示そうと宴を続けるという亡国ムーブ自体に代わりはなく、結果的に曹操や孫策達に追い詰められ敗走。
その最中、元部下だった雷薄と陳蘭に襲撃された挙げ句、それに怒り狂っている姿がまるで猿のようだと煽られてしまう。
だがそれでも袁術は最後まで…妻子にすら弱みを見せず(娘の袁姫には見抜かれていたが)、己の思うがまま生き続けた。
灼熱の中、喉が乾いたと侍女に言う袁術。
彼女は普通の水を持ってくるが、袁術は蜂蜜を所望する。
しかし敗走中の軍にそんなものがあるわけはなく「もういい」と呟き一人歩き出す。
こうして袁術は最後まで「袁術」であり続けたのだが、実際にはやはり「惨めな死」以外の何者でもない。
だが袁術と同じように皇帝を自称するという行為は後に他の国々も行っており、「時勢が少しでも向いていれば、天下は袁術のものだったのかもしれない」と、もしもの話を述べながら、彼の物語は終焉を迎えるのであった。
ちなみにこの時玉璽を持って逃された袁姫はその後呂姫伝に登場、彼女と奇妙な友情を結ぶ事となる。
袁術が死んでも、彼の血は脈々と受け継がれていくのであった。史実じゃ袁姫は子供残してないとか言わない。
- 英傑大戦
旧袁術と新袁術を合体!巨大化して自爆する!
何が何やらわからねえ、史実ってなんだ?英傑ってなんだ?
安心しろ!元から巨人の奴も巨人になれる奴もいるからな!
巨大化といっても身長差があるのに一律なのはおかしいって?こまけえこたいいんだよ!
- BB戦士三国伝
演者はズサ。原作版には登場せず、アニメ版からの新キャラ。
袁紹バウの弟。ワガママでヘタレな子供大人といった感じで、周囲を振り回したり振り回されたりとフラフラしている。
また蜂蜜のエピソードが拡大解釈された事で蜂蜜大好きキャラになっており、プニキが持っているようなツボ入り蜂蜜を常に携帯している。
玉璽を手に入れた事で「十極呪導鎧」を纏ってパワーアップしたが、天玉鎧を手に入れた孫権ガンダムに割とアッサリやられる。
死後も兄貴の合体パーツとして蘇らせられるなどどこまでもかわいそうなキャラとして扱われている。というか多分龍将飛将のオマージュをやりたかったためだけに登場したキャラ。
- 覇-LORD-
外道番長。クスリやってんじゃね?
「グダグダうるせえんだよこの糞馬鹿ァ~~!袁紹が従弟、袁術の法!官だろうと民だろうと死んじめェば喋らねェ!逆らいもしねェ!!」というシーンだけが有名。
追記・修正には伝国の玉璽を発掘した人がお願いします。袁術陛下がご所望です。
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▷ コメント欄
- 陳国の劉寵さん・・・ -- 名無しさん (2020-01-17 22:30:45)
- リンク先の袁世凱とは何か関係あるのかな? -- 名無しさん (2020-01-18 00:30:23)
- 勝手に皇帝になるとか最早ネタとしか思えない -- 名無しさん (2020-01-18 00:36:26)
- ↑ 部下に乱発した役職や序列が保証できないから自分が皇帝になる事で・・・とどこかで指摘されていたな -- 名無しさん (2020-01-18 00:47:24)
- 創作では孫策に軽んぜられる描写が目立つけど、かなり長いこと互いに気を遣い合っているよね。 -- 名無しさん (2020-01-18 14:20:08)
- たいていの創作でろくな扱いされないキャラってイメージ。一騎当千と蒼天航路のせいだろうが -- 名無しさん (2020-01-18 14:23:34)
- 結局のところ軍事力で負けてたからジリ貧になるしかなかったってことかな -- 名無しさん (2020-01-18 19:09:52)
- 袁術と袁紹が仲良かったら普通に袁家が天下とってたのかもな -- 名無しさん (2020-01-18 21:38:08)
- ↑ そりゃアメリカとソ連が手を組んだら地球は支配できるぐらいの夢想だわさ。 -- 名無しさん (2020-01-18 21:53:22)
- 彼と劉禅どちらが無能かな -- 名無しさん (2020-01-18 22:00:01)
- 家系の重要性は現代の比じゃないし、何もしなければよかった袁術と何をしても手遅れな劉禅は比較できんだろ -- 名無しさん (2020-01-18 22:22:31)
- 劉禅は諸葛亮が用意した任せていい幕僚がいた頃は大過なくやれてたしなぁ 諸葛センとか黄皓みたいに任せたらダメな連中に変わってからはアレだけど -- 名無しさん (2020-01-19 12:20:50)
- そもそも袁術は内政が・・・ -- 名無しさん (2020-01-19 12:40:18)
- バイタリティーと行動力で乱世に一勢力を築いた群雄と、先代の遺産を食いつぶしただけで国まで滅ぼした二代目では、ちょっと比較するのも袁術に失礼だと思うぞ。立ち位置がそもそも違うんだから並列して評価するのは意味がない、と言われればまあそうだけど。 -- 名無しさん (2020-01-19 19:44:26)
- 蒼天公路 -- 名無しさん (2020-01-22 00:20:11)
- 三国になって簡単に潰せなくなってから皇帝になった曹丕劉備孫権と比べると、やっぱあの段階で皇帝名乗るのは無謀すぎるわ -- 名無しさん (2020-01-22 00:41:33)
- 部下に脳筋しかいないイメージ。頼りになる参謀は居なかったんだろうか・・・。 -- 名無しさん (2020-01-22 01:57:26)
- 即位するのを止めただけで軍師になれるぐらいアレ -- 名無しさん (2020-01-23 10:50:23)
- 三国志大戦のヨハネ・クラウザー袁術はいないのか -- 名無しさん (2020-01-23 11:06:02)
- 袁紹の元に逃げられたとしてもいずれ殺されてたんだろうな。そう考えると家族は南に逃げて結果孫権に庇護されて良かったのかも知れない。 -- 名無しさん (2020-01-23 13:47:55)
- 「評価」の項目が良い内容だな。自分も気付かなかったが、確かに袁術は行動力なら三国志の群雄でもかなりある方だよな -- 名無しさん (2020-01-23 14:03:51)
- 袁術人間らしくてすこすこのすこ -- 名無しさん (2020-08-12 22:23:12)
- クラウザーさんが魔界よりご帰還なされたぞ! -- 名無しさん (2020-09-28 05:02:36)
- 覇LORDだと容赦なく宦官に失敗した部下を惨殺するバイオレンスキャラになっていた、「グダグダうるせえんだよ!このクソバカ~~~~!」のインパクトは忘れられない -- 名無しさん (2020-09-29 21:22:35)
- 序盤は結構いい動きをしてたのが中盤以降やたら外してるのはなんでなんだろう。歴史上の人物にはちょいちょい見られる衰えだが… -- 名無しさん (2020-11-07 06:21:10)
- 軍事能力が勢力を立ち上げるには事足りるが群雄同士の戦争では全く足りない程度なのが悪いんじゃないかな -- 名無しさん (2020-11-13 23:56:40)
- 袁世凱が袁を名乗っていたのは、この袁術にあやかってのことか、それとも本当に袁一族の末裔だったのか……。まぁ、多分前者だろうけど、実は後者だという説もロマンを感じる。 -- 名無しさん (2021-01-11 13:54:05)
- 立派な参謀格を招けていたら、また違う結末があったかもしれないな。最も人格評価的にも袁紹には遥かに及ばなかったろうから、彼に粉骨砕身仕えてくれる名士は出なかったろうけども…。 -- 名無しさん (2022-06-07 21:21:40)
- 自称する王が多いのは陳勝が「王侯将相いずくんぞ種あらんや」って言ったせいだから…… -- 名無しさん (2022-10-20 09:45:50)
- 横山三国志では名もなき一農民にとどめを刺される袁術 -- 名無しさん (2022-12-03 16:15:03)
- 行動力とか命令書システムのあるゲームなら、その点だけは1級品にすることで再現できる…かもしれない -- 名無しさん (2023-04-28 13:17:58)
- 「エビアンくんできて」その言葉を最後に袁術は死んだ(SWEET三国志) -- 名無しさん (2023-04-28 15:14:13)
- 挙兵する事で、中央に残っていた目障りな親族を粛清させた可能性が・・・? -- 名無しさん (2023-04-28 19:08:33)
- 董卓もそうだけど歴史の神に愛された人物ではあるな -- 名無しさん (2023-04-28 19:40:30)
- とはいえ、クラウザーさんが演じるには、小物過ぎないか? -- 名無しさん (2023-04-28 19:56:03)
- ボカサ「いきなり皇帝名乗るとかwww」 -- 名無しさん (2023-04-28 22:37:39)
- ほぼほぼ魏の勝ちが決まっていた曹丕の時点でさえ世間からは批判の嵐だったので袁術の時点で皇帝を僭称しても -- 名無しさん (2023-08-21 19:21:35)
#comment
*2 と信じられていたのだが、彼が捕縛されたとき美しく飾り立てた妾が見つかったため、支持者が幻滅したとか……。
*3 夏の桀王や殷の紂王は、生きているあいだ贅沢と快楽の限りを尽くして殺された。禹王や武王や周公旦は身を粉にして働き、楽しいこともできず、結局死んだ。死後になって名誉を得たのは禹王のほうだが、人生を楽しんだのは桀紂のほうではないか、という話がある。
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