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お菓子の家
約束に従い、子供が夢のお城へ預けた宝物を返すためにやってきたアイリス。しかし、そこで思わぬ奇妙な依頼を受けることに。
[アイリス] ふーん、ふふーん♪……まぁ、ここですの?
[ベナ] そうよ。
[ベナ] そしてこれが――レイモンド・バーナード、彼が三十七年前に預けた品よ。
[アイリス] 一冊の童話集?
[アイリス] ふむふむ、小さな子供が自分で書いたようですわね。可愛らしい内容ですわ……
[アイリス] 稚拙ですけれど、印象に残る部分もありますのね。
[ベナ] そう?
[ベナ] どこどこ?
[アイリス] 「いつかはぼくの書いた童話を、全ての人によんでもらうんだ。」
[アイリス] 一ページ目にそう書かれていますわ。
[ベナ] 童話、ねぇ……
[ベナ] なのに今この場所には、息が詰まるような匂いと、道中出くわした無礼で恥知らずなゴロツキどもくらいしかいない。
[アイリス] 美しき幼き日々の夢と、目の前に広がる残酷な現実。
[アイリス] 毎度のことながら、不釣り合いな状況ばかりに直面しますわね。
[レイモンド] カギは開いてるよ……
[レイモンド] 前にも言った通り、今は金がないんだ!! !
[レイモンド] すまない……決して返す気がないというわけでは……
[レイモンド] だが心配しなくていい! もうすぐ金が入るから! したらすぐに返すって!
[ベナ] (小声)あれ……どういうこと? この時間帯は彼、ここにいないはずじゃ。
[ベナ] (小声)おばあちゃまが間違えちゃったとか?
[アイリス] (小声)それはどうかしら……けど、確かにこのような状況は珍しいですわ。
[アイリス] (小声)おばあ様があえてこうなるように仕向けた可能性もありますわね。
[ベナ] (小声)そりゃまたどうして?
[アイリス] (小声)そのほうが童話らしいから、ですわ。
[アイリス] (小声)妖精さんはいつだって、必要とされている時に現れてくれるものでしょう?
[アイリス] 御機嫌よう。私はアイリス、夢のお城の主にして、揺り籠の守り人ですわ。
[アイリス] 約束に従って、あなたがかつてお城に預けた物を返しにやって参りましたの。
[レイモンド] 何だ、セールスか……すまないが今は何も買いたくないし、買える金もない。
[レイモンド] それにしても、あんたらみたいな子供をこんな辺鄙な場所によこすなんて、オーナーの顔がみてみたいもんだ。
[アイリス] まったく、どうして大人はそうやって最後まで人の話を聞かないのかしら?
[アイリス] この童話集をご覧なさい。あなたがかつて夢のお城と交わした約束の品でしてよ。
[レイモンド] ……夢のお城? 悪いがそんなブランド名は聞いたことがないな。
[レイモンド] き……君たち、一体どこでこれを手に入れた?
[レイモンド] ありえない!
[ベナ] ちょっとあんた、いきなり大声出さないでよ。夢のお城と言えば童話に出てくるお城に決まってるじゃない。
[ベナ] アイリスはその夢のお城の継承者、子供たちのために素敵なひと時と希望を送り届ける妖精なのよ。
[ベナ] じゃじゃ~ん! 童話に出てくるお話は実在してるのでした~。
[アイリス] では、約束は果たしましたので……
[アイリス] 私たちはこれにて失礼させていただきますわ。今後は時おり、ご自分で書かれた内容を思い起こすよう願っておりますわ。
[レイモンド] 妖精さん……ちょっと待ってくれ!
[レイモンド] 待てと言ってるだろ!
[ベナ] 何するのよ!?
[レイモンド] す、すまない……悪気はないんだ。
[レイモンド] 君たちが本物の妖精さんかどうかなんて、俺には判別しようもないが……一瞬信じてしまうほど本物ぽいから、つい!
[レイモンド] その身なりも……今話したことも、何もかもが。
[アイリス] 失礼な発言ですこと。
[アイリス] 私たちがペテン師に見えますの?
[ベナ] お仕置きならあたしに任せて。
[レイモンド] 違う違う、実はな。
[レイモンド] 今日は……ある子供の誕生日なんだ。孤児院にいる子でね。
[レイモンド] そこでお願いがあるんだが、どうか君たちには妖精のフリをして、俺と一緒にその子の誕生日を祝ってもらえないだろうか。
[レイモンド] その子に……童話のような素敵な思い出を、残してやりたいんだ。
[レイモンド] これは、あの子の願いでもあるからな。
[アイリス] 子供の願いごと?
[アイリス] もしそれが本当なら……
[レイモンド] 本当だ! 嘘は言わない!
[アイリス] 子供たちの心に、永遠に残る素敵な思い出作りのお手伝い……
[アイリス] それは確かに、妖精としての務めですわね。
[レイモンド] その……やはりこれだけは言っておかなきゃと思って、今から会ってもらう子供は何というか……ちょっと変わった子なんだ。
[レイモンド] いや、いい子なのは間違いないんだ。ただ……
[レイモンド] とにかく、何があっても絶対に腹を立てたりしないでほしい。
[レイモンド] 何よりも大事なのは、芝居だってバレないようにすることだ。頼んだぞ!
[アイリス] その子のお名前は? 今年でいくつになるのかしら?
[レイモンド] 名前はユリアンだ。
[レイモンド] 年は……七歳、いや……八歳かな。
[アイリス] 子供の年齢すら覚えてらっしゃらないの?
[レイモンド] ハハッ……
[レイモンド] あの子は八歳だ……まだ八歳さ。
[ベナ] (小声)こいつなんだかヘンよ、本当についてくつもり?
[ベナ] (小声)まあ、いざとなったらあたしが守ってあげるけどさ。
[アイリス] (小声)大人であろうと子供であろうと、噓をつくものならすぐに見破られますわ。妖精の目を欺くことはできませんのよ。
[アイリス] (小声)彼が本当のことをすべて話しているわけではないのは事実ですけれど……
[アイリス] (小声)それよりも私が気になっているのは、子供の方ですわ。
[レイモンド] ユリアン。
[レイモンド] どこに隠れてるんだい?
[ベナ] こいつ、ずっとこっちをチラ見してくるわね。何かやましいことでもあるのかしら。
[アイリス] それは……あなたがずっとハサミを構えているからでは?
[ベナ] フンッ、大人はいつだって警戒してなきゃダメよ。
[ユリアン] ……
[ベナ] 気を付けて!
[アイリス] ……
[アイリス] ベナ、怖がらせてしまってますわよ。
[アイリス] ただの子供ですわ。
[ユリアン] ……
[ユリアン] きみは……青色。キレイだね。
[ユリアン] 紫色は……危ない……
[ベナ] (小声)なんですって!
[アイリス] (小声)なるほど、先ほど歳について尋ねた時、レイモンドさんが言い淀んでいたのもこれで納得ですわ。
[アイリス] (小声)永遠に過去のひと時に囚われてしまった子供……というわけですか。
[アイリス] こんばんは、ユリアン。
[アイリス] 私はアイリス、青色の方よ。
[アイリス] 天災の兆し一つない青空のような、ね。
[ユリアン] アイリス……青空。
[アイリス] あちらにいるのはベナ、紫の方ね。毒を持った紫色のツルといったところかしら。
[アイリス] 毒と言っても、悪事を企むような悪者だけが味わうことになる毒ですわ。
[ベナ] ふふ~ん。
[レイモンド] (小声)おい……なんで俺を見るんだよ!
[ユリアン] わるもの……
[ユリアン] わるものは、おじさんの方じゃないよ。
[アイリス] (この子、視線を合わせないようにしていますわ。特に、レイモンドさんから遠ざかろうとしているみたい。)
[アイリス] (それとその言い方。もしかして、悪者は自分だとでも言いたいのかしら?)
[アイリス] ユリアン、いい? 悪者というのは童話の妖精さんには会えないものでしてよ。
[アイリス] ところで、あなたのおじさんから聞いたのですけれど、今日はあなたの誕生日なんですってね。
[ユリアン] ……誕生日。
[レイモンド] そうだ、君の誕生日だよ!
[ユリアン] そう、誕生日!
[ユリアン] 今日はぼくの誕生日だよ! おじさん。
[レイモンド] だから童話に出てくる妖精さんたちが来てくれたんだ。君の誕生日を祝うためにね。
[ユリアン] 童話の……妖精さん……新しいおともだち?
[アイリス] ……
[レイモンド] あぁ……そうだぞ!
[ユリアン] こんにちは……
[ユリアン] ユリアン、傷つける……危ない。
[ユリアン] 会っちゃダメなの。
[レイモンド] ……
[レイモンド] あっ、ユリアン!
[ベナ] 逃げちゃった。
[ベナ] 今度はあんたが怖がらせちゃったのかねぇ?
[アイリス] 怖がらせてなどいませんわ。
[アイリス] (それよりも、孤児院だと言うのに、他の子供の姿を見かけないのはどうしてなのかしら?)
[アイリス] (ここには彼ら二人しかいないようですけれど。)
[レイモンド] ユリアン、いい子だから。
[レイモンド] このドアを開けてくれないか、な?
[アイリス] 今は一人にさせてあげましょう。
[アイリス] 無理に引きずり出すのは逆効果になりかねませんわ。
[レイモンド] すまない……あまりにも久々に知らない人に会ったから、ああなったのだろう。
[レイモンド] いつもはこうじゃないんだ……すごくいい子なんだ。
[アイリス] 童話の妖精さんに会って、誕生日を一緒に過ごしたい。
[アイリス] レイモンドさん、これは本当にユリアンの願いなんですの?
[レイモンド] ……
[アイリス] 先ほど見た限り、あなた、あの子に避けられているのではなくて?
[アイリス] 意図的に距離を置き、触れようともしない。
[アイリス] あの子、あなたのことを恐れているのですわ。
[レイモンド] 違う!
[レイモンド] そんなことはない!
[ベナ] (ハサミを開閉する)これ以上寄るんじゃないよ!
[レイモンド] あっ……すまない。つまりだな……
[レイモンド] ユリアンは少し、その……
[レイモンド] 気分が優れないってだけなんだ。
[レイモンド] 俺も随分と、あの子に構ってあげられてないから……
[アイリス] (これで確信しましたわ。)
[アイリス] (妖精の童話を望んでいたのはレイモンドさんであって、ユリアンではない。)
[アイリス] 嘘つきには童話は似合いません。そんな悪者は物語の中から追い出されてしまいますよ。
[レイモンド] 嘘じゃない!
[アイリス] この物語をここでおしまいにしたくないのであれば……
[レイモンド] ……
[アイリス] ここにはあなたとあの子の二人しかいませんの? 他の子たちは?
[アイリス] 正直に話してくださいね。
[レイモンド] はぁ……
[レイモンド] そこまで言うのなら。
[レイモンド] ……何年も前にある子供と出会って、どうしてもかわいそうだったんでつい引き取ってしまってね。
[レイモンド] それからというもの……引き取った子供の数が増えていき、いつの間にかうちは孤児院になってしまった。
[レイモンド] そんな中でまさかの実家が没落してしまって……しまいには、このザマだ。
[レイモンド] 以来、ほとんどの子供がここを出たが、最後に残ったのがユリアンというわけさ。
[レイモンド] あの子の様子を、君も見ただろう。
[レイモンド] あっ、どうやらケーキが届いたらしい。
[レイモンド] もう少しだけ残っててくれ、誕生日さえ一緒に過ごしてもらえればそれでいいんだ。頼むよ!
[レイモンド] 君たちの演技は本当に素晴らしい! 報酬を上積みしても構わないから! それでいいよな!
[ベナ] ホントひどい話ね。
[ベナ] あたしたちがヴィクトリアの劇場の大根役者みたいに、適当に金で雇える人間に見えるわけ?
[ベナ] 劇場と言えば、大人ってあんな出来過ぎた作り話をわざわざ観に行くのに、目の前に起こる童話は全然信じてくれないよね。
[アイリス] よく出来た作り話というのは、中身が現実とうまく対応しているものですわ。その内容はおおよそ予想のつくもの。出口へと続く道しるべをはっきりと示し、見つけた者に安心感を与えてくれますの。
[アイリス] 一方で、童話というのはあまりにも気ままですわ。結果を求めるべくして祈りを捧げるにも、そもそも祈る方法すら見つけられないというほどにね。
[アイリス] だから大人たちは信じようとしないのですわ。彼らに必要なのは、呼べば必ず駆けつけてくれるような、確実な仕事が保証されている便利屋さんだけ。
[アイリス] けれど子供たちは信じてくれますの。彼らにとって童話はいつだってそばにいてくれる頼れる仲間。童話があれば、たとえ暗い暗い谷底にいたとしても、孤独や恐怖を感じることはありませんわ。
[ベナ] ……
[アイリス] それにしても、あなたはまだ気付かないのかしら?
[アイリス] 妖精の存在を願ったのは、レイモンドさんの方でしてよ。
[ベナ] あんなやつが? 自分じゃもう童話を信じていないくせに?
[アイリス] 「妖精」は、いつだって奇跡をもたらしてくれる存在ですからね。たとえ彼が、それを童話によるものだと思っていなくても。
[アイリス] おそらく彼にとっては、ユリアンさえ信じ込ませることができれば――ユリアンが「完璧な誕生日」を過ごすことができたのなら……
[アイリス] それで十分なのでしょうね。
[ベナ] なんだかあいつに利用されてる感じね、あたしたち。
[ベナ] ちょっと様子を見てくるわ。
[アイリス] ベナ、下手に動いてはいけませんわ。
[ベナ] じゃあどうするのよ?
[アイリス] まずは辺りをよく観察してみましょう。童話のような夢を作り上げるのなら、当然ながら触れて、知って、理解しておかなければなりませんわ。
[アイリス] 何より、あの子はわざとあんなフリをしているわけではないのですから、なおのこと放ってはおけません。
[アイリス] もしレイモンドさんが本気で何か悪さを企んでいるのでしたら……
[ベナ] その時はあたしがあいつを痛い目に遭わせてあげるわ。
[ベナ] カシャカシャってね!
[レイモンド] ……
[レイモンド] 君たち、本当に少しも「待て」ができないようだな。
[貪欲な傭兵] 待てるわけねぇだろ、大儲けのチャンスだってのによ。
[粗暴な傭兵] さぁ早く出しな。今回はどんないいモンがあるんだ?
[レイモンド] ……
[レイモンド] 待ってろ。
[レイモンド] 今回はこれで全部だ。
[貪欲な傭兵] うっひょー!
[レイモンド] 声を抑えろ!
[貪欲な傭兵] 何だよ? あのバカに気付かれんのが怖ぇのか?
[粗暴な傭兵] 気付かれたって気にするこたぁねぇよ、殺っちまえば済む話だ。
[レイモンド] ……
[レイモンド] で、金は?
[貪欲な傭兵] ほらよ。
[レイモンド] ……
[ベナ] まったく……
[ベナ] おいたが過ぎるわよ、悪い子ちゃんたち。
[粗暴な傭兵] 誰だ!?
[アイリス] どうやら、ここにたくさんの子供たちがいたというのは事実のようですわね。
[アイリス] ほとんどの部屋が子供部屋の仕様に改造されている上、子供用の品も揃っていますわ。
[アイリス] けど、おかしいですわね……ユリアンの部屋だけ、他の子供たちの部屋から離れているのはどうしてかしら。
[アイリス] 同じ階ですらないなんて。
[アイリス] レイモンドさんの部屋には近いようですけど。
[アイリス] あら?
[アイリス] これは子供たちの集合写真かしら?
[アイリス] 一人……二人……
[アイリス] 合わせて十三人もの子供たちが写っていますわね。
[アイリス] ユリアンはこの中にいないのかしら?
[ユリアン] ふんふふ~ん♪ どうして~ぼくらは道に居るんだろう~♪ 町から離れ、村をいくつも越え、いつもいつも僕らは歩く~♪
[ユリアン] 誰も答えちゃくれない、誰もぼくらを気にかけない、牧者は駄獣を荒野へ残していくだけ~♪
[ユリアン] 落ち込まないで、悲しまないで……
[ユリアン] オードリー、こっちに座って。
[ユリアン] ピエールは、そのとなり。
錆びついた銀色のティーポットに、色褪せてしまった積み木……
これらの微塵も生命を感じさせない品に、ユリアンは一つずつ名前を付けていた。
ユリアンのあいまいな意識の中では、「彼ら」こそがかつての遊び仲間なのだ。
[アイリス] こんばんは、ユリアン。
[ユリアン] わっ!
[アイリス] あら、どうかしましたの?
[ユリアン] ぐちゃぐちゃだ! ぐちゃぐちゃになっちゃった!
[ユリアン] ぐちゃぐちゃにしちゃダメなのに!
[ユリアン] スプーン、ナイフ……
[ユリアン] フォーク、フォーク……
[アイリス] あっ、ごめんなさいね。
[アイリス] はい、これでキレイに並べられましたわね。
[ユリアン] うん……ぐちゃぐちゃにしちゃ、ダメ……
[アイリス] 私のことはまだ覚えてくれているかしら?
[ユリアン] うん、青の――
[ユリアン] 天災の色のない、おともだち。
[アイリス] そう、天災のない青空ですわ。
[アイリス] ここにいるお友達のこと、私にも紹介してくださらないかしら?
[ユリアン] ……ユリアン、さわるの、ダメ。
[アイリス] ……
[アイリス] まあ! 妖精さんがわざわざ会いに来てくれてるというのに、そんな態度をとるのはあまりにも失礼ではなくて?
[アイリス] こうなったら、仕方ありませんわね……
[ユリアン] わぁ……
[アイリス] 火よ灯りよ、導いてよ~♪
[アイリス] 小さなお茶会においでよ~♪
まるで舞台の幕が徐々に上がっていくかのように、その「子供」はまぶたをゆっくりと大きく見開いた。
遠い童話の中の森から、澄んだ朝の風が吹き抜け、窓辺のカーテンを揺らした。
優しい風に誘われて、燭台の炎も一緒になって踊り出す。
[アイリス] 守り人が歌って踊って~♪
[アイリス] ハサミを持ってカチャカチャ~♪
心が躍る。
体がはしゃぐ。
それは、子供に捧げる魔法。
[ユリアン] ……
[ユリアン] すごーい……すごくキレイ!
[アイリス] 子供であっても、誰もが妖精さんの魔法を見ることができるわけではありませんのよ。
[アイリス] あなたは特別なのですわ。
[ユリアン] 妖精さんは、新しいおともだち……
[アイリス] ええ、おともだちですわ。
[ユリアン] でもユリアン、おともだち、傷つけるから。こわいの。
[アイリス] 妖精さんは誰にも傷つけられませんわ。
[アイリス] ずっとそばにいてあげられるおともだちですのよ。
[ユリアン] うーん……
[アイリス] 嘘ついたら鉗獣になーる、ですわよ。
[ユリアン] ……
[ユリアン] こっちのは、オードリー、おしゃべりやさん。
[ユリアン] ピエール、よく一緒に遊んでくれる、おともだち。
[ユリアン] そっちのはジャネット、怒りんぼ、とても声が大きい。
[アイリス] (蓋のないティーポットは、お喋りのオードリーね。)
[アイリス] (色褪せてしまった積み木が、一番仲良しのピエール。)
[アイリス] (宝石のついたネックレスが、怒りんぼのジャネット。)
[アイリス] (みんなこの子の昔のお友達が残していった品なのでしょうね。)
[アイリス] ユリアン、いくつか私の質問に答えてくださらないかしら?
[アイリス] 嘘ついたら鉗獣になーる、ですわよ。
[ユリアン] ……
[ユリアン] うん、ウソついたらカンジュウになーる!
[アイリス] それじゃあ……
[アイリス] レイモンドさん、あなたのおじさんのことだけれど、彼はどういう方なのかしら?
[ユリアン] ……おじさん、ずっとユリアンのお世話を、みんなのお世話をしてくれたよ。
[アイリス] ならどうして、あなたはいつも彼のことを避けてらっしゃるの?
[ユリアン] おじさんが、いなくなっちゃうから。
[ユリアン] ぼく、わるい子だから、おじさんのこと傷つけちゃう。
[アイリス] ……あなたのおともだち――他の子たちはどうしてるのかしら? どこかへ行ってしまったの?
[ユリアン] ……
[ユリアン] おともだち……おともだちはみんないなくなっちゃった。
[アイリス] ……
[ユリアン] ユリアンがおともだちを傷つけたから! だからいなくなっちゃったんだ!
[ユリアン] みんないなくなっちゃったんだ!
[ベナ] ――カシャカシャ!
[ベナ] 悪い子を捕まえてきたわ!
[ユリアン] わるい子……ユリアン、やっぱりわるい子だったんだ!
[アイリス] あなたのことを言ってるのではありませんよ。
[ユリアン] ユリアンは、わるい子なんだ!
[アイリス] ベナ、一体何があったのです?
[ベナ] あとをつけて行ったら、美味しいバースデーケーキなんてどこにもなかったわ。
[ベナ] その代わり、ここにある金目の物をこいつがこっそりとおバカさんたちに売り払ってるところを目撃してしまったのよ。
[レイモンド] 待ってくれ! これには訳があるんだ!
[ベナ] あんた、こういうことは今回が初めてってわけじゃないんでしょ?
[ベナ] 他の子供たちはどうしたの? もしかしてあんた、その子たちまで売り飛ばしちゃったわけじゃないでしょうね?
[ユリアン] おじさん……
[レイモンド] ユリアン!? なぜここに!?
[レイモンド] (小声で懇願する)この話は別の場所でさせてくれないか?
[レイモンド] (小声で懇願する)せめてユリアンのいない所で。
[ベナ] ふっふ~ん、それは無理な相談ね。
[ユリアン] 紫色は……わるもの。
[レイモンド] ユリアン!
[ベナ] わわっ!
[ベナ] アーツですって!? この子、アーツユニットなんか持ってなかったよね!?
[レイモンド] ユリアン! ダメだ!
[アイリス] 危ない!
[アイリス] ベナ、あなたさっきレイモンドさんが物を売っていたとおっしゃいましたよね?
[ベナ] そうよ。
[アイリス] ユリアン、お待ちなさい!
[ユリアン] はなせ! おじさん、さわるのダメ!
[ベナ] 当たらないもんね~!
[アイリス] ベナ、ふざけるのはおよしなさい!
[アイリス] まったくもう、言うことを聞かない子ばかりですわね。
[アイリス] レイモンドさん、ちょっとこちらへ。
[レイモンド] どうした。
[アイリス] あの人たちはあなたのお仲間ですの?
[レイモンド] (小声)違うに決まってる!
[ユリアン] わるものめ!
[ベナ] カシャカシャ!
[アイリス] ユリアン、妖精さんの言うことはちゃんと聞くものですのよ。
[アイリス] さ、あなたのおともだちを探しに行きましょうか。
[ユリアン] おともだち!
[レイモンド] (小声)ここにまだ他の子供がいるというのか? 一体どこに?
[アイリス] (小声)フンッ、いたとしてももうとっくにあなたに売り捌かれたのでしょう。
[アイリス] (小声)いつも売りに出している品に紛れ込ませてこっそりとね。
[レイモンド] (小声)そんなバカな!? だって俺が売ってたのは……
[アイリス] (小声)ユリアンのお友達に対する想いと願い。
[アイリス] (小声)それらはすべて、お友達に関係する品々に集約されていたんですのよ。
[レイモンド] (小声)え?
[アイリス] (小声)昔、ここで一体何が起きましたの?
[レイモンド] どうだ?
[医者] それが……残念ながら、あの子は感染してしまったようです。
[レイモンド] そんな……他の子供たちはみんな無事だったんだぞ……
[レイモンド] 感染状況は? ひどいのか?
[医者] ひどかろうがひどくなかろうが、それは今あなたが心配することではありません。まずは自分の身を案じることをお勧めしますよ。
[医者] もし……ここに感染者がいることが公になってしまったら、法律上の問題だけでなく……
[医者] 他の子たちにも、何かと悪影響が及びますから。
[レイモンド] ……
[ユリアン] おじさん、もしかしてお出かけ? ぼくもお出かけする!
[ユリアン] 荷物持つの、ぼく、お手伝いするね。
[レイモンド] ……
[レイモンド] ユリアン、ちょっと来なさい。
[レイモンド] これからはこの階に引っ越すんだ。そうすれば……色々と君の面倒も見やすくなる。
[ユリアン] でも……
[レイモンド] 下の階に降りたい時は、おじさんに言うんだぞ。
[レイモンド] 遊びたい時は、おじさんが付き合ってあげるから。
[ユリアン] でも……
[レイモンド] でもじゃない!
血……おじさん、血が出てる。
ぼくのせい? これはぼくのせい?
ごめんなさい……ユリアン、わるい子だ。
[アイリス] あなた、今まで一度もお気付きにならなかったの?
[アイリス] あの子はお友達を見失う度に、ひどく悲しんで、慌てていたでしょうに……
[レイモンド] お……俺は、単に物を失くしてかんしゃくを起してるとばかり。
[レイモンド] 一人で退屈だから、物を相手にままごと遊びをしてたのかと……
[アイリス] 物ではなく、あれはみんなあの子のお友達なのですわ。
[アイリス] あなたがユリアンの傍から他の子たちを追い払った後の、あの子の大切なお友達だったのですよ。
[レイモンド] ……
[レイモンド] ……やめろ!
[レイモンド] 今更俺に何ができるっていうんだ?
[レイモンド] 貴族のくせに、こんな体たらくになり果てて……ハッ……
[レイモンド] それに、ユリアンのような子、他に引き取り先も見つからないだろうよ。
[レイモンド] こっちは本当に金がないんだ……だから値打ちのある物をどうにか売り払って日々をやり過ごすしかなかった。
[アイリス] レイモンドさん……
[レイモンド] 俺だって仕方がなかった! 仕方がなかったんだ!
[レイモンド] 鉱石病のことは正直よく分からない……ただ、他の子供たちにうつるんじゃないかって。
[レイモンド] それでも……ユリアンは放っておけなかったんだ。
[レイモンド] 俺は……
[ユリアン] おともだちを……傷つける……
[ユリアン] 近づいたら、傷つけちゃう。
[ユリアン] おじさんは、いい人だから。
[アイリス] ……
[レイモンド] すまない……君たちは良かれと思ってそうしてくれてるんだろう。
[レイモンド] 本当に君たちはプロそのものだよ。
[レイモンド] でも、偽物は所詮、偽物なんだ。
[ユリアン] にせもの……
[ユリアン] おともだちは……もう見つからないの?
[レイモンド] ……
[レイモンド] 芝居はおしまいだ。物を売って手に入れた金だが、全部持っていくといい。
[レイモンド] 君たちまで感染させてしまったらそれこそ償いきれない。ほら、もう行ってくれ。
[ユリアン] 妖精さん……青色は、にせものだったの?
[レイモンド] すまないユリアン、君に嘘をつくんじゃなかった。
[レイモンド] 本当は……
[レイモンド] 待てユリアン! 戻ってきなさい!
[アイリス] ユリアン!
[レイモンド] どこに行くんだ!?
[ユリアン] ここを出ていく……ユリアン出ていくよ。
[ユリアン] そうすれば……オードリーとピエールたちは……帰ってきてくれるから。
[ユリアン] だから、ユリアンは出ていくんだ。
[ユリアン] ダメ! こないで!
[アイリス] ユリアン、お待ちなさい!
[ユリアン] 青色、天災のない色。
[ユリアン] ダイニングルームの童話、ぼく、すごく好きだった。
[ユリアン] ありがとう。
[ユリアン] ユリアン、もう、おさえつけられない。
[ユリアン] 危ないんだ。紫色、危ない。
[アイリス] まったく仕方がありませんわね。
[アイリス] 言うことを聞かない子には、お仕置きをしなくてはなりませんわ!
[アイリス] (小声)ベナ、レイモンドさんをこっちに連れてきてくださいな!
[ユリアン] 暗い! ユリアン、どこにいるの?
[ユリアン] ここ、どこ?
[アイリス] 安心なさい、私がそばにいますわ。
[アイリス] 青色ですわよ。
[ユリアン] ……
[アイリス] 今あなたの手を握ってる人、その人は傷ついているかしら?
[ユリアン] 手……青色の……でも青色の手っぽくない。
[アイリス] どうなんですの? 傷ついてまして?
[ユリアン] ううん……それにすごく、暖かい。
[ユリアン] ぎゅっと握ってくれてる……ユリアン、心臓の音を感じる。
[ユリアン] すごく、ドキドキしてる。
[アイリス] そうですのね。では、目を開きなさい。
[ユリアン] ……
[レイモンド] ……
[アイリス] あなたの手を握っていたのは、あなたのおじさん――レイモンドさんだったんですのよ。
[アイリス] これでお分かりになって? あなたが誰かを傷つけることなんてありませんわ。
[レイモンド] オホン……
[レイモンド] 何だか……小っ恥ずかしいな。
[アイリス] ユリアンは、紫色ではありませんわ。
[アイリス] あなたも青色ですのよ。青色は何かしら?
[ユリアン] 天災のない、青空。
[アイリス] ええ、一番澄み切った青空ですわ。
[ユリアン] でも……ユリアンのおともだちが。
[アイリス] 私に祈ってくれた、あなた自身の願い事はまだ覚えているかしら?
[アイリス] あれはあなたと妖精さんが交わした約束でしてよ。
[アイリス] 約束したのなら、決してそれに背いてはなりませんわ。
[レイモンド] ……
[アイリス] それとあなたもですわ、フンッ。
[レイモンド] 俺?
[アイリス] あなた、せっかく子供たちのために、童話のお菓子の家を建ててあげたというのに。
[アイリス] それが少しずつ融けて崩れようとも、決してそこから離れることを選ばなかった……
[アイリス] にも関わらず、一番大事なことをあなた自身が忘れてしまっているなんて。
[レイモンド] 俺……何か忘れてたっけ?
[アイリス] はぁ……本当に頭の固い、気付きが悪い大人ですこと。
[アイリス] 夢のお城に続く道を見つけられる大人が久しく現れないのは、きっとみんながそうだからなのですわ。
[アイリス] お城へ預けたあの品ですが、今も持っていまして?
[レイモンド] え? あ、あぁ。
[アイリス] 子供たちは家の中に身を隠しましたが、恐ろしい獣はひと息で家の屋根を吹き飛ばしてしまいました。
[アイリス] 彼らは慌てて逃げ出しましたが、獣は軽く体当たりをするだけで、彼らの最後の安息の場所さえも破壊してしまいました。
[アイリス] 逃げ場を失った子供たちは、散らばったパン屑をたどって、森の中でお菓子の家を見つけました――
[アイリス] あなたがその子たちのために造ったお菓子の家は、まるで堅牢なお城そのもの。
[アイリス] 本当なら、ここで童話は結末を迎えるべきですわね。
[レイモンド] ……
[レイモンド] そうだな。
[アイリス] けれど、ただお城を持ったというだけで、一体何になるというのかしら?
[アイリス] 邪悪な魔女であれば、お城の全員を次々と呑み込んでしまう。
[アイリス] 残虐な暴君であれば、お城の全員を残らず奴隷にしてしまう。
[レイモンド] 大事なのは、城の中でどういった物語が紡がれていくかだな。
[レイモンド] ……
[アイリス] 一ページ目に何を書いたのか。まだ覚えてらっしゃる?
[レイモンド] 「いつかはぼくの書いた童話を、全ての人によんでもらうんだ。」
[アイリス] そう、童話を。
[アイリス] 美しく、そして希望に満ち溢れた童話を、子供たちの心の奥にある小さなお城で繰り広げるの。
[アイリス] そしてそのお城でしっかりと、その子たちを守ってあげること。
[アイリス] それがあなたの願いではなくて?
[レイモンド] でも、俺があの子たちに語ってやれたのは恐怖だけだ。
[レイモンド] 自分が書いた童話なんて、もうとっくに忘れてしまった。
[アイリス] けれど、あなたはそれでも信じていたじゃありませんの?
[レイモンド] ――!?
[アイリス] でなければ、私やベナがここに現れたりするかしら?
[アイリス] もちろん、ここに現れたのはあなたのためだけではなくってよ。
[アイリス] それはユリアンのためでもありますの。
[ユリアン] 青色……アイリス、青色はアイリスっていうんだね。
[ユリアン] アイリスは、妖精さん?
[ユリアン] 本当?
[アイリス] もちろんですわ。
「ぼくは一体どこにいるんだろう?」
森の中で目を覚ましたユリアンはふと思い出しました。残された痕跡をたどれば、夢のお城に通じる道が見つかるのです。
そうして歩き出したユリアンは、最初に蓋のないティーポットを見つけました。
それはお喋りなオードリーでした。
「ユリアン、ユリアン聞いて! あのね、昨日森の中で一匹の裂獣がハチミツを地面に埋めたところを見かけたよ。」
「それでね! それでね!」
「その裂獣はずっとそこでグルグル回ってたの! ハチミツが生えてこないかって回ってたの、あははは!」
オードリーはユリアンと一緒に歩き出しました。しばらく進むと、宝石のついたネックレスを見つけました。
怒りんぼのジャネットです。
「フンッ、このわたしをこんなに待たせるだなんて。」
「バカねユリアン、ハチミツを地面に埋める裂獣なんているわけがないじゃない!」
ユリアンとオードリーの後にジャネットがついてきました。またしばらく進むと、三人は色褪せた積み木を見つけました。
それは一番の仲良しであるピエールだったのです。
「ほら、早く早く!」
「夢のお城はもうすぐそこだよ!」
森の中を歩き続けるユリアンとオードリー、それからジャネットとピエール。
やがて目の前の森が開け、一本の道が現れました。
その先にあった夢のお城の大きな門が、ゆっくりと開きました。
青いドレスを身に纏った一人の妖精が、優雅に四人の前へと現れたのです。
「ようこそ、夢のお城へ。」
「私はアイリス。夢のお城の主であり、揺り籠の守り人ですわ。」
[アイリス] おばあ様と相談して参りましたわ。ユリアンを夢のお城に迎え入れることを許可してくださいましたの。
[アイリス] 幸運にも夢のお城へたどり着いた子供たちのお迎え役兼案内役としてね。
[レイモンド] ありがとう。ユリアンのためにここまでしてくれるだなんて、どうお礼をすればいいのやら。
[アイリス] 礼には及びませんわ。
[アイリス] これは子供が迎えるべき童話の結末なのですから。
[レイモンド] ああ、そうだな。
[レイモンド] 荘園もそこに残った物も全部売り払ったよ。今は街で新しい住居と仕事を見つけたんだ。
[レイモンド] 孤児院はこれからも続けていくよ。
[レイモンド] すべての子供たちに、俺の童話を聞かせてあげるんだ。
[ベナ] 夢のお城の預かりものにかけられる時間の魔法は、一旦持ち主に返しちゃうと効き目が切れるからね。
[ベナ] あんたのその童話集、これからは自分で大事に保管なさいな。
[レイモンド] ああ、必ず大事にするよ。
[アイリス] ユリアンも他の子たちも、きっと楽しみにしているはずですわ。いつか、あなたが子供たちのために書き下ろした童話を聞くのをね。
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