aklib_story_闇散らす火花_浮草のごとく

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闇散らす火花_浮草のごとく

義賊のヘイズは、秘密の情報を偶然盗み聞きしてしまい、逃走中にある店を火災に巻き込んでしまう。彼女は廃墟で自殺をはかろうとするスージーを説得するも、鉱石病の発作により昏睡状態に陥る。


1097年11月19日 p.m. 9:20

[警備員A] こっちだ。

[警備員A] この先だ。

[警備員A] もっと先だ。今そいつの姿が見えた気がする。

[警備員A] 待て、この道路標識、さっきも見なかったか?

[警備員B] ここを通るのは二度目だな。

[警備員B] 俺の言った通りだったな、あのフェリーンのアーツはおかしい。

[警備員A] 焦るな、この先は感染者地区だ。そいつはきっと中に隠れている。

[警備員A] 忌々しい感染者め……ここをひっくり返してでも捕らえてやる。俺たちから逃げられると思うなよ。

[警備隊長] いや追跡は中止だ、戻るぞ。

[警備員A] 隊長、このまま奴を見逃すんですか? 金とブツは──

[警備隊長] もういい、全部合わせたところで大した損害じゃない。この程度であれば全員で埋め合わせできる。

[警備隊長] それより旦那様から繰り返し釘を刺されているんだ。絶対に無駄な面倒事を起こすなと。

[警備隊長] 旦那様にいらぬ迷惑が掛かったら、解雇だけじゃ済まされないぞ。

[警備隊長] ひとまず撤退だ。

[ヘイズ] ふっふ~ん♪

[ヘイズ] ネコちゃんを捕まえたいなら、もうちょっと賢くないとねぇ。

[ヘイズ] ミンちゃん、いるかなぁ?

[感染者少女] 魔女のお姉ちゃん!

[ヘイズ] ほら、今日のご飯とお薬だよぉ。

[感染者少女] ありがとうお姉ちゃん。

[ヘイズ] いいから、ゆっくり食べな。喉に詰まらせないようにね。

パサついた一切れのパン。飢えをしのぐためのご飯。

あたしはいつから他人に与えるようになったんだろう?

自分の生活すらままならないのに。

[ヘイズ] ゴホッ……ゴホッ……

[感染者少女] お姉ちゃん……顔色が悪いよ。

[ヘイズ] そぉ? ……そんなにわかりやすい?

[感染者少女] お姉ちゃん、私いつになったらお姉ちゃんみたいにアーツを使えるようになるのかな?

[ヘイズ] 今はまだ無理かな~。

[感染者少女] えー……私も早く魔女になりたいよ、お姉ちゃんみたいに。

[ヘイズ] もうちょっとおっきくなったらねぇ、子ネコちゃん。

[ヘイズ] ゴホッ……ゴホッ……

ズキズキと痛む。

鉱石病の刺すような痛みが三ヶ月前から止まらない。

そろそろこの場所から去るべき時なのかもしれない。

結晶が粉塵化した時、周りの人を傷つけてしまうのはマズい。

いや、そんなことより。優雅なネコとして、魔女の森の術師として──

この世を去る時は、孤高で美しくなければならない。

[ヘイズ] 一軒、二軒、三軒……

[ヘイズ] 七匹、八匹、九匹……

[ヘイズ] ね。この感染者地区に、どれだけの酒場があって、何匹の野良猫がいると思う?

[ヘイズ] あたしはちゃーんと数えてあるよ。正解は酒場が八軒に、野良猫が三十二匹。

[ヘイズ] 酒場一軒が四匹のネコちゃんの面倒を見れば、ネコちゃんたちはみんな新鮮な鱗獣にありつける。

[ヘイズ] 自分がどれだけの都市を巡って、どれだけの感染者居住区に行ったか覚えてる?

[ヘイズ] あたしは覚えてるよ。都市が五つ、感染者居住区が八つ、それから脱獄は十七回。

[ヘイズ] たくさんの都市を見てきたけど、カレドンシティはなかなか面白い場所だねぇ。

[ヘイズ] みーんな一緒。夜が明ければ日銭稼ぎに行き、日が暮れればお酒を飲みに行く。眠る時に翌日の心配をしてる人はだーれもいない。

[ヘイズ] 感染者、非感染者。どこに違いがあるのかなぁ?

[ヘイズ] いつかどーんって音がして、都市や港全体が海の中に落っこちて何もかも終わっちゃう日が来るかもしれない。

[ヘイズ] だから、骨をうずめる場所として選ぶならここは悪くないにゃあ。

[ヘイズ] カレドンシティ全体を眺められる場所に行って、そこで全身が大きな石になって、「ぼーんっ」。

[ヘイズ] なんにも残さないで、誰にも知られない──それで、どこか遠くの場所がいいよね。粉塵が風に流されて飛んでかないように。

[ヘイズ] 体の中の石が落ち着いてきたみたい……

[ヘイズ] まだその時じゃないみたいだねぇ。少なくとも今日じゃないや。

[ヘイズ] 石になる日が来るなら、その前にまずは明日どこで遊ぶか考えないとねー。

[ヘイズ] にゃあ? いつの間にか、空が明るくなってたや。

[ヘイズ] おはよう、ヴィクトリア。おはよう、カレドンシティ。

[ヘイズ] さぁて、本日幸運にもネコちゃんのお眼鏡にかなうのはどこの幸せ者かなぁ?

1097年11月23日 p.m. 10:14

[ヘイズ] この辺の建物にはずっと人が住んでないみたい……廃棄地区に近いからかなぁ?

[ヘイズ] 古い倉庫があるね……ふ~ん……

[ヘイズ] 何か使えるものがあるかも?

[ヘイズ] 入っちゃおーっと。

[ヘイズ] 食べ物……はこんな所にないよねぇ。

[ヘイズ] 何かお金になりそうなのはないかな?

[ヘイズ] にゃ~ホコリっぽーい。オイル臭いし、可愛いものもない……

[ヘイズ] この花瓶はまぁまぁキレイかな──

[???] 勝手に触るんじゃねぇよ。

[ヘイズ] (!?)

[???] さっぱりわからねぇな。感染者を何人かと、ジジイ一人を拉致するだけだろ? こんな大人数が必要なのかよ……

[???] 黙れ。こっちは金をもらってやるだけだ、余計なことは考えなくていい。

[ヘイズ] (ふぅ……)

[???] ……武器はチェックしたか?

[???] 問題ない。あの老いぼれ議員をやるには十分すぎるぜ。

[ヘイズ] (武器? 議員? つまんなそうだなぁ……)

[???] 気を引き締めていけよ。例の雇った連中は信用してないからな。

[???] 爆発物は? あの源石爆弾とかはもういいのか?

[???] 爆発物は他の奴らがやる。構わなくていい。

[???] 俺たちは武器とアーツユニットの準備をするだけだ。三時間後には誰かが作業を進めに来る。

[???] 後はそいつらが仕事を終えるのを待って、ボイル区で落ち合えばいい──

[???] 誰だ!?

[ガタイのいい黒服] 聞こえたか?

[コソコソした黒服] おかしい……扉の鍵はかけたはずだが。

[ガタイのいい黒服] ハッキリと聞こえた。誰かが入ってきたぞ。

[コソコソした黒服] あ? 俺には見えないが、どこにいるんだ?

[コソコソした黒服] どうせネコかなんかだろ。こんな小さい部屋のどこに人間が隠れられるんだよ。

[ガタイのいい黒服] 確かにな、恐れ知らずのネコがいるようだ。

[ガタイのいい黒服] どれどれ、どこのネコちゃんがこんな来ちゃいけない所に来ちゃったのかな?

[ヘイズ] ちょっとぉ、ケチケチしないでよ。通りすがりの野良ネコに寝場所も貸してくれないわけぇ?

[ガタイのいい黒服] ……

[コソコソした黒服] ……

[ガタイのいい黒服] 何者だ?

[コソコソした黒服] 感染者? なんつータイミングだ。

[ヘイズ] だからぁ、ただの通りすがりの野良ネコちゃんなの。うっかりここに迷い込んじゃっただけ。

[ヘイズ] 花瓶は弁償するから、何も見なかったことにしてくれないかなぁ?

[ガタイのいい黒服] ……お前が何を見聞きしたかなど興味はない。ここに来たのが偶然なのかどうかもどうでもいい。俺たちに見つかった以上は、生きて帰れると思うなってだけだ。

[ガタイのいい黒服] 死にやがれ。

[ヘイズ] 「ネコを傷つけたら運が逃げる」って言葉聞いたことないのぉ?

[ガタイのいい黒服] 外した?

[コソコソした黒服] しかも反撃してきやがった……この黒い霧は一体──

[ヘイズ] ふふ~ん、そんな焦らなくていいんだよぉ。じゃあもう一つナゾナゾを出したげるねぇ。

[ヘイズ] 「石が花火に似ている」のはな~んでだ?

[ガタイのいい黒服] あっ! 逃げるな!

[ヘイズ] ここまで逃げれば、しばらくは大丈夫そうだねぇ……

[ヘイズ] うえっ……貴族の部屋に入ると、いっつも吐き気がするよぉ。

[ヘイズ] 肩が……あのこわーい人、射撃の腕はまあまあだねぇ……

[ヘイズ] よかった、骨は大丈夫そう……

[ヘイズ] (矢をつかむ)

[年老いた貴族] おや……お嬢さん? 君は?

[ヘイズ] !?

[ヘイズ] 動かないで!

[年老いた貴族] あっ──

[ヘイズ] シーッ! 声は出しちゃダメだよ! 別に殺すつもりはないから、すこーしだけここに隠れさせてもらいたいんだ。

[ヘイズ] 言うこと聞いた方がいいよぉ。おとなしくしてくんなきゃ、この矢で──

[年老いた貴族] 落ち着くんだ、お嬢さん、警戒しないでいい。

[年老いた貴族] け……怪我をしているのか? 手当が必要では?

[ヘイズ] 来ないで!

アーツによる黒い霧が部屋に充満した。老人は思わず後ずさると、つまずいて転ぶ。

[使用人] 旦那様? どうなさいました?

[ヘイズ] (緊張)

[年老いた貴族] 大丈夫だ。

[年老いた貴族] ……議案を書いているところだ。夜が明けるまで邪魔をするな。

[使用人] かしこまりました。

[ヘイズ] ……

[年老いた貴族] お嬢さん……ゴホッ……ゴホッ……

[年老いた貴族] 私の勘違いでなければ、君は感染者ではないのかね?

[年老いた貴族] 警戒する必要はない……君をどうこうするつもりはないよ……

[年老いた貴族] 私は……うっ!

年老いたサヴラの貴族は突然心臓の辺りを押さえ、苦しそうな声を出した。

[ヘイズ] ……何? さっきはただ、ちょこっとアーツで脅しただけだよ?

[ヘイズ] はぁ……面倒なことになっちゃったなぁ。

[ヘイズ] 誰か来て! 人が倒れてるの!

[ヘイズ] (はぁ、行くっきゃないかぁ……)

[使用人] 旦那様どうされました? 今の女性の声は……

[使用人] アンスト様! いかがなさいましたか!!

[ガタイのいい黒服] 何してる? どうして突入しないんだ?

[コソコソした黒服] バカか! この家に誰が住んでるのか知らねぇのか?

[コソコソした黒服] ここはあのアンスト議員の家だぞ!

[ガタイのいい黒服] 議員? 貴族サマの家か? なんでこんな場所に?

[ガタイのいい黒服] 感染者地区の近くに家を建てる議員なんているのか? しかもこの家は小さすぎるだろ。

[コソコソした黒服] ほら、くっちゃべってねぇで、別の方法を考えろ。

[ガタイのいい黒服] おい、あそこだ!

[コソコソした黒服] 出てきた? 手間が省けたな!

[ヘイズ] このふたり……しつこいなぁ……

[コソコソした黒服] 逃がすか!

[ガタイのいい黒服] 追うぞ!

[ガタイのいい黒服] あいつは矢を食らっている。遠くまでは逃げられないはずだ。

[ガタイのいい黒服] だがあのアーツには気を付けろ。殺傷能力があるか不明だが、知覚を混乱させてくる。

[ガタイのいい黒服] 一体どれだけの力を──

[ガタイのいい黒服] また霧がかかった? あいつの術だ!

[ガタイのいい黒服] そこに隠れたぞ。

[コソコソした黒服] 「グリーンスパーク」……バーか? そうは見えねぇが。

[ガタイのいい黒服] この辺りの古い家の構造はどれも同じはずだから、入り口は一つしかない。あいつは追い詰めたも同然だ。

[コソコソした黒服] 待て、焦るな。

[コソコソした黒服] 黒い霧に気を付けろ。あのフェリーンのアーツはやっかいだ。捕らえるのも、ぶちのめすのも簡単じゃねぇ。

[ガタイのいい黒服] だがあいつに付き合ってる時間は俺たちにはないぞ。

[コソコソした黒服] 焼夷弾はまだ持ってるか?

[ガタイのいい黒服] 燃やすつもりか?

[ガタイのいい黒服] 家屋が密集してるのは見ただろ、本気か?

[コソコソした黒服] ためらう必要はねぇ。感染者の生死なんざ気にする奴はいねぇよ。たとえ事が大きくなったところで、俺たちにとっちゃ証拠の隠滅に都合がいいだろ。

[コソコソした黒服] このミッションにゃどんなミスも許されねぇ。あいつを生かしちゃおけねぇんだよ。

[コソコソした黒服] あれこれ考えるな。さっさとやれ。

[ガタイのいい黒服] ……わかった。

[ヘイズ] ゴホッ……ゴホゴホッ……

[コソコソした黒服] こんなもんでいいだろ、行くぞ。

[ガタイのいい黒服] *スラング*、ゴミ感染者が、一晩も時間を無駄にさせやがって……

[ガタイのいい黒服] 感染者ってのは死んだら灰になって爆発するんだろ? まだ実際に見たことないんだが。

[コソコソした黒服] 無駄口叩くな、早く行くぞ。

[ヘイズ] ネコちゃんを捕まえたいなら……もうちょっと賢くないとねぇ……

[ヘイズ] あなたたちも……しつこいなぁ……

1097年11月26日 a.m. 9:27

ズキズキと痛む。

肺が痛い。胃が痛い。肝臓も痛い。

[ヘイズ] 普通の痛み止め……もう効かないなぁ。

痛みに苛まれたフェリーンは、古びた家屋の窓から空を見上げた。

濃い霧がカレドンシティを覆い、太陽の光すら通さない。

グレイヒルからドルン郡を経て、カイシャー郡からカレドンまで。

逃れ続け、彷徨い続けるうちに、仲間たちは一人また一人とこの世を去った。

進めば進むほど、失うものも増えた。

浮草もいつかは池底に沈むように……

ネコちゃんは、もう疲れたよ。

[感染者少女] 魔女のお姉ちゃん、大丈夫?

[ヘイズ] ゴホッ……ゴホッ……

[感染者少女] お姉ちゃん、それって血?

[ヘイズ] やっぱりなぁ……もう限界か。

[ヘイズ] ミンちゃん、これあげるね……

[ヘイズ] このコイン、どれがいくらかわかる?

[感染者少女] うん……

[ヘイズ] 毎日一枚ウィニーおばあさんの所に持って行けば、食べ物が手に入るから。

[ヘイズ] それとこれ。

フェリーンの魔女は、帆布の黒いつば広帽と、精巧な指輪を取り出した。

[ヘイズ] (はぁ、魔女の儀式なんか……今はもう何の意味もないかぁ。)

[ヘイズ] 我は「魔女の森」、百十三番目の魔女、ヘイズ……

[ヘイズ] グレイヒルに連なる先賢たちよ、すべてを見届けたまえ。

[ヘイズ] 新たなる者の加入を見届けたまえ……

[ヘイズ] 新たなる魂を見届けたまえ……

[感染者少女] ん?

[ヘイズ] 前に質問してくれたことを覚えてる?

[ヘイズ] あなたはもう魔女になったんだよぉ。

[感染者少女] ほんとに? 私もアーツを使えるようになったの?

[ヘイズ] あたしの言うことをよーく聞いてね。あなたは元からアーツが使えたの。とても才能があるんだよ。

[ヘイズ] でもこれからアーツを使う時は、必ずこの指輪と一緒にね。前にあたしが教えたみたいに、指輪なしで絶対にアーツを使わないこと。いいね?

[感染者少女] わかった……

[ヘイズ] それから、アーツは悪い人以外に使っちゃダメだよぉ。どうやって見分けるかは覚えてる?

[感染者少女] 覚えてるよ!

[ヘイズ] いい子だ……

フェリーンの魔女は立ち上がり、フラつきながら扉へ向かう。

[感染者少女] お姉ちゃん? もう行っちゃうの?

[ヘイズ] そうだよぉ……もう行かなきゃねぇ……

1097年11月27日 a.m. 3:47

カレドンシティの外縁部にある廃棄エリアは、この都市で最も静かな区画だ。

数年前に自然災害が都市を襲った後、長く修繕されていなかったこの区画は、都市の外縁部に移された。

崩れかけのビルと完全に壊れた地盤は、カレドンという都市の歴史を見届けてきた証人である。

廃棄エリアの高層ビルの屋上に立つと、遠くに果てしない荒野が見える。

[ヘイズ] う~ん。散る場所としては、悪くないねぇ。

[ヘイズ] この日が来るのは前からわかってたから、「まさかこんな早く来るとは」なんて言えないなぁ。

フェリーンの魔女は壁の隅に寄りかかり、目を閉じた。

鉱石病による刺すような痛みも徐々に薄れて、全身がだんだんと重くなっていく。

思い出が走馬灯のように、彼女の脳裏に浮かび上がる。

かつての魔女仲間たちや、優しかった大魔女グラント。ヴィクトリア軍の砲火が魔女の森を燃やしたあの晩。

荒野と都市の間を彷徨い、やむを得ず盗みをして暮らした日々。受けてきた数々の理不尽な迫害。

なにもかも、もはやどうでもよかった。

これですべてが終わる。

だがそう思う彼女の耳に、すすり泣く声が聞こえてきた。

[ヘイズ] どうして最後の最後まで、邪魔が入るんだろうねぇ……

[ヘイズ] こんな場所まで人がいるなんてなぁ。

聞こえてくる声の主を探して、廃ビルのフロアの端へ移動すると──

小刻みに震えるフェリーンの少女が窓辺に立ち尽くしていた。

[ヘイズ] ……はぁ。

[スージー] (すすり泣く)

[スージー] ごめんなさい……ごめんなさい、ママ……本当にごめんなさい……

[スージー] 私もう……どうしたらいいかわからないよ。

少女の顔にはやるせなさと絶望が色濃く浮かんでいた。崩れた床のぎりぎりに立ち、今にも飛び降りてしまいそうに見える。

[ヘイズ] そんなとこにいたら危ないよ〜。

[スージー] きゃっ!

[スージー] あ……あなたは誰……?

[ヘイズ] そんなことは今どうでもいいでしょぉ。

[ヘイズ] でもあなたが飛び降りる前に、いくつか言わせてもらおっかな。

[ヘイズ] もし飛び降りたら、とーってもブサイクになっちゃうから、本気でおすすめしないよ?

[ヘイズ] 明日の朝になって、お友達がそんな姿を見たら、きっとすっごく悲しむだろうしねぇ。

[スージー] ……友達……クー姉……

少女は迷いながらも、ゆっくりと床の縁から離れた。

[ヘイズ] よしよし。それでいいんだよぉ。

[ヘイズ] 子ネコちゃん、あなたのことはなんて呼べばいい?

[スージー] ……スージー……スージー・グリッター……

[ヘイズ] いい響きだねぇ。

[ヘイズ] あたしのことはヘイズって呼んで。

[スージー] ヘイズ……さん……

[スージー] ヘイズさんは……こんな遅くに、どうしてここにいるんですか?

[ヘイズ] 子ネコちゃん、あなたのことはなんて呼べばいい?

[ヘイズ] まぁいっかぁ、可愛い子ネコちゃんがここで遊ぶのは特別に許してあげるけど、飛び降りるのはダメだからねぇ。

[スージー] うっ……ううっ……

[ヘイズ] ねえちょっと、どうして泣くのぉ?

[スージー] ……いえ……私……

[ヘイズ] はぁ……いーよぉ、泣きたければ泣いても。誰も聞いてないから、我慢しなくてもいいんだよぉ。

[ヘイズ] まぁ、どうせここには誰も来ないし──お酒でもあればよかったんだけどねぇ。

[ヘイズ] おしゃべりでもしよっかぁ。ちょうどあたしも、あとちょこっと時間があるから。

[ヘイズ] なんでこんなバカな真似をしようとしたの~?

[スージー] 私……

[スージー] 私には……ずっと願ってた夢があったんです……

[ヘイズ] 夢? それっていいことなんじゃない?

[スージー] そ……その夢のために何年も頑張ってきたんです……

[スージー] それが、私の生きる意味のすべてだと思ってました……

[スージー] でも数日前、それが一瞬で、全部消えました……壊されてしまったんです……

[スージー] 理由もわからないまま……

[スージー] もう何も残ってません……何一つ……

[スージー] 私は感染者で……生きてるうちには、もう取り返しが……

[ヘイズ] 壊された、ねぇ……

[ヘイズ] それであなたが最初に思い浮かべたのが、自分の命を終わらせることだったのぉ?

[ヘイズ] それっておかしいよねぇ。

[スージー] え……え? なぜですか?

[ヘイズ] 自分で言ってたじゃない? あなたの生きる意味、大切な夢が他人に壊された……で、そんなあなたは今何をしてるの? 最後に残ったものまで壊しちゃうのぉ?

[スージー] いえ……そんなつもりじゃ……

[ヘイズ] 手を出して、あたしに見せて。

[スージー] え? えっと……何をするんですか?

[ヘイズ] 結晶はないね……感染はそこまで重症じゃないんでしょ?

[スージー] わ、分からないです…

[スージー] きゃっ、え、なんで叩くんですか!

[ヘイズ] まったくおバカな子ネコちゃんだねぇ。頭をポカポカやって目を覚まさせてあげなくっちゃ。

[スージー] ──!

[ヘイズ] 夢のために生きるなんて……感染者にとっては本当に贅沢な考え方だよぉ。

[ヘイズ] みんななーんにも考えないで、ただ死ぬまで生きてるだけだもん。

[ヘイズ] 「どうせ長く生きられやしないのに、なんで目標だ理想だって、そんな疲れる生き方をしなきゃいけないんだ?」ってね。

[ヘイズ] でもあなたは夢のために生きることを選んだ……これはすごいことだよぉ。それができる人は滅多にいないんだから。

[ヘイズ] いい? 生きている限り、何とかなるものなの。

[ヘイズ] あなたには自分が思っているよりずっとたくさんの時間が残されてるよ。あたしに比べれば……まぁこの話はおいといて。

[ヘイズ] このまま諦めちゃうのは、もったいないと思うなぁ。

[スージー] ……でも私に何ができるんですか……

[ヘイズ] あなたみたいな可愛い子ネコちゃんなら、きっとたくさんお友達がいるでしょ?

[ヘイズ] どうしてお友達に相談しに行かないのぉ? こんなところで一人でうずくまって考えてても、何もいいことないよぉ。

[ヘイズ] 何かを失ったら、探して見つけるんだよぉ。誰かに奪われたなら、何とかして取り返すんだよぉ。

[ヘイズ] このまま諦めたら、なーんにもなくなっちゃうよぉ?

[ヘイズ] 悪い人たちの思う壺じゃない? きっと上手くいったってほくそ笑んでるよ。……そんなの理不尽すぎると思わない?

[ヘイズ] あなたの夢を壊した悪い人たちこそ、ビルから投げ捨てられるべきでしょ、違う?

若いフェリーンはゆっくりと瞬きしながら、外に視線をやった。彼女の顔に浮かんだやるせなさは消えていない。老朽化した漆黒の廃ビルで、時間が静かに流れていく。

長くもあり短くもある沈黙と思考の後、彼女は深いため息をつき、疲れ切った笑顔を見せた。どうやら憑き物が落ちたようだ。

[スージー] ……ヘイズさんの言う通りです……

[ヘイズ] もしまだ辛いなら、大声で吐き出しちゃいな。どうせ他の人はいないしね。

[スージー] いえ……大丈夫です……ありがとうございます……

[ヘイズ] うんうん、よろしい~。

[ヘイズ] 前に大魔女様が言ってたんだぁ。「明日の太陽を見られるうちは、まだすべてに希望がある」って──

[ヘイズ] 少なくとも……まだ……あし……た……

[スージー] え、えぇっ! ヘイズさん! どうしたんです?

[ヘイズ] 危ないから……近づかないで……

[スージー] ヘイズさん! 大丈夫ですか?

[ヘイズ] 早く離れて……

[スージー] どうしたんですか、どうして体がこんなに熱いんです?

[スージー] しっかりしてください! 起きてください!

[スージー] 誰か! 誰か助けてください!

[スージー] ヘイズさん……頑張って、もう少しで、市街地ですから……

[スージー] お……重くてもう動けない……

[スージー] ヘ、ヘイズさんが重いって言ってるわけじゃないですよ、ちっとも重くありません。私がひ弱すぎるんです……

背中にいる少女の呼吸がどんどん弱まっていく。

一つの命が儚くなっていくのが、感じ取れた。

ぬめりを帯びた生暖かい感触が背中に伝わり、じんわりと広がっていく。

[スージー] 何これ? これは……

[スージー] これは……血?

少女の口と鼻から、黒みがかった血液が雫となって、地面に滴り落ちる。

それが何を意味しているかすぐにわかった。感染者なら誰でもわかることだ。

[スージー] やだ……嫌だ……やだよ……

[スージー] ヘイズさん……やだ……お願い……

五年前に故郷を離れてから、一度ならず、感染者がこの世から去るのを目にしてきた。

周囲の親しい人が消えゆくたびに、死に対する感覚はどんどん麻痺していった。

このような運命は、すべての感染者がいずれ向き合わねばならないものだ。

だが今回──なぜかわからないが、目の前の命が消えることを彼女は受け入れたくなかった。

[スージー] お願いだよ! ヘイズさん……お願い……やめて……

[スージー] 頑張って……もうすぐ着くから……

少女の苦痛を和らげるために、そっと地面に寝かせた。

横たわる少女の手を固く固く握り、顔に付いた血を拭おうと手を伸ばした。

努力を繰り返していた。少女に訪れる結末をどうにか防ごうとしていた。

──だが、目前に迫る死に対しては、すべてが無意味であるように感じた。

[スージー] 助けて……助けてください!!!

[スージー] 誰でもいいから……お願いします……

[スージー] 助けて……

[スージー] 助けてよ……

小さな慟哭が茫洋とした夜空を貫き、誰もいない廃棄エリアにこだまする。

──遠くからゆっくりと足音が近づいてくる。

[レイド] ……スージーさん? どうしてこんな所にいるんだ?

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