多層建て列車

ページ名:多層建て列車

登録日:2012/09/27(木) 03:32:06
更新日:2023/08/17 Thu 20:07:49NEW!
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鉄道 カオス 運用 分割併合 東北新幹線 山形新幹線 秋田新幹線 かもめ みどり ハウステンボス しおかぜ いしづち 多層建て列車




「多層建て列車」…と言われてもさっぱり分からない人が多いだろう。


具体的に言えば、一つの列車が二つに分かれて別々の終着駅を目指す、と言った運転方法である。
東北新幹線の「やまびこ・つばさ」や「はやぶさ・こまち」と言えば分かりやすいかもしれない。


途中の駅で切り離しを行って、切り離した車両がその駅で終点となる場合は厳密には多層建て列車ではない。


専門的には2方向へ向かうものを「2階建て」、3方向へ向かうものを「3階建て」と言うが、別に車両がMaxのように二階建て車両と言う訳ではない。二階建て車両も一部やってたことがあるけど。
少々紛らわしい言葉である。


また、変則的なパターンとして、切り離した車両がその駅で終点扱いになった後、後続のその駅始発列車に化けるパターンもある。



◎概要


この運用方式の長所として…



  • 乗り換えなしで目的地へ向かう事が出来る
  • ダイヤに余裕がない時、一つの列車に纏めれば線路の容量を有効活用できる
  • 需要に差がある幹線と支線で編成の長さを変えることによる輸送力の適正化



などがある。一方、短所として…


  • ダイヤの調整が難しく、一度ダイヤが狂うとたくさんの列車に影響が及んでしまう
  • 列車を切り離したり連結する際の手間が多く、停車時間が長くなってしまう
  • 間違えて別の目的地に到着してしまうお客さんが出てしまう
  • 分割併合を行う駅では特別な設備や余計な人員が必要となる。


というものがある。
また、国鉄当時はこういった運用を行うものは客車列車の他に、気動車列車が目立っていた。
乗り入れる支線の多くが非電化だったのもあるが、編成を自由に組める柔軟性が大きかったのも理由だろう。
そのため、電車による運転もあったのだが比較的少なく、
こういった運用を想定して581系や583系、485系に取り付けられた貫通扉は多くがお荷物となってしまった。


その後、新幹線の開業などで一時こういった多層建て列車は減少したのだが、JR以後はこのような運用を前提にした車両が多く造られる事となる。
先程取り上げた貫通扉も、JRの臨時列車などで有効活用された例も多い。



☆代表的な列車


◎現役の代表的な多層建て列車


  • やまびこ&つばさ
  • はやぶさ&こまち

現在の多層建て列車の代表格。ミニ新幹線への乗り入れのため、東北新幹線の列車と併結運転を行う。
福島駅や盛岡駅での連結・切り離しの様子をじっくりと見た人も多いかもしれない。


  • 踊り子

伊豆急下田行と修善寺行が東京から熱海まで併結運転。熱海駅では増解結作業が見られる。
1949年運転開始の準急『いでゆ』を祖に持つという、かなり歴史のある多層建て列車。


  • 富士回遊&かいじ

富士急河口湖行きと甲府方面行きが大月まで併結運転。
国鉄時代にも同じ区間を走る急行『かわぐち』『かいじ』で多層建てだったことがあり、その復活とも言える。


  • 成田エクスプレス

東京駅で新宿・池袋方面と横浜・大船方面に別れる。 むっちゃ深い地下ホームで行う。


  • ひだ

名古屋方面と大阪方面からの列車が岐阜駅から併結。
キハ85系の貫通先頭車が大いに活用されている。
この大阪発着のひだはかつて運行されていた急行たかやまの末裔。


  • はしだてorきのさき&まいづる

京都駅~綾部駅間で併結し、はしだては福知山駅から京都丹後鉄道経由で天橋立駅、きのさきは城崎温泉駅、まいづるは東舞鶴駅へ向かう。
車両は287系電車と京都丹後鉄道KTR8000形気動車が使用されるが、電車と気動車の併結運転は行われない。
なお、KTR8000形はJR区間しか走行しないまいづるにも使用される*1


  • サンライズ瀬戸・サンライズ出雲

東京駅~岡山駅間で併結し、岡山駅からそれぞれ高松駅と出雲市駅へ向かう。


  • しおかぜ&いしづち

宇多津駅または多度津駅~松山駅間で併結し、しおかぜは岡山駅、いしづちは高松駅へ向かう。


  • 南風&しまんと

宇多津駅または多度津駅~高知駅間で併結し、南風は岡山駅、しまんとは高松駅へ向かう。


  • 南風&うずしお

岡山~宇多津間で併結し、南風は高知駅へ、うずしおは高松駅経由で徳島駅へ向かう。
なお、このうずしおは快速マリンライナーのように瀬戸大橋線から直接坂出駅へ行かないため、宇多津駅と高松駅で2回方向転換(スイッチバック)を行う*2


途中区間で分割併合がある列車には、貫通扉を持つ30000系(EXE)や60000系(MSE)が使用されている。


  • 東武特急リバティ&アーバンパークライナー

春日部(アーバンパークライナー)、東武動物公園(リバティけごん&リバティりょうもう)、
下今市(リバティけごん&リバティきぬorリバティ会津)で併結・分割が実施される。


  • 関空・紀州路快速

大阪方面から日根野まで併結し、日根野で関西空港方面と和歌山方面に別れる。
指定席がない一般列車かつ空港方面と分割するため、多数の訪日外国人を和歌山送りにしてしまい一時問題視された。
なお、使用車両には貫通扉はあるが幌はなく、走行中に双方を行き来することはできない。


  • 大和路快速

大阪方面から王寺まで併結し、王寺で奈良方面と五条方面に別れる。
しかも関空・紀州路快速ともども大阪環状線をぐるっと一往復して回るものがあるため、日本人でも気が付くと和歌山or奈良送りという悲劇に見舞われることがある。特に夜は注意。
寝過ごしが怖い人はオレンジの塗装がある車両に乗りましょう。


  • 天理教祭典日直通列車(近鉄)

特定日に走ることが告知されている臨時列車。
尼崎から大和西大寺まで併結し、大和西大寺で奈良行きと天理行き臨時急行に別れる。
急行に化けるのは橿原線に快速急行がないためだが、臨時とはいえ現役唯一の種別ごと変更する多層建て列車。
公式に案内している中ではだが



◎廃止された代表的な多層建て列車

  • 京王線特急・急行

かつて京王帝都電鉄(現京王電鉄)のダイヤは、平日ダイヤ・土休日ダイヤの他特定月(主に行楽期)の土休日に設定されるシーズンダイヤの3種類があった。
シーズンダイヤでは新宿~京王八王子・高尾山口の特急列車と新宿~高尾山口・多摩動物公園の急行列車が運行され、併結・分割はいずれも高幡不動駅で行われていた*3


  • 東武快速・区間快速

リバティけごん&リバティ会津の前身で、あちらと同様下今市で併結・分割が実施される。
浅草発会津田島行きは私鉄の一般列車で最長区間を走っていたことでも知られる。
しかし、使用していた6050系が老朽化していたこともあり、リバティへと置き換えられる形で廃止された。


  • 近鉄特急

阪伊特急&京伊特急(大和八木~賢島)、京奈特急&京橿特急(京都~大和西大寺)などの併結が実施されていた。
黎明期には同じ経路の同じ行先同士で分割併合するという珍列車があった。*4


  • 近鉄南大阪線準急

古市駅で一部が橿原神宮前と富田林で併結・分割されていた。
現在は案内こそされないが、朝夕のラッシュ時などに古市駅で吉野・橿原神宮前方面の準急または急行(いわゆる化け急)と河内長野方面行きまたは御所行きで併結・分割されている。
やっていることは変わらないどころかむしろエスカレートしてるが、橿原神宮前&富田林以外は複数方向への方向幕も対応してる反転フラップ式発車標もないため仕方ない。


  • なは・あかつき

京都駅~鳥栖駅間で併結し、鳥栖駅からそれぞれ熊本駅と長崎駅へ向かう。
「あかつき」は時代によって熊本や佐世保発着の編成、さらに「明星」や「彗星」と併結していたこともあり、特急として登場以来廃止まで全ての期間で多層建て運転を行っていた。


  • さくら・はやぶさ

東京駅~鳥栖駅間で併結し、鳥栖駅からそれぞれ長崎駅と熊本駅へ向かう。


  • かもめ&みどり&ハウステンボス

1992年から2011年まで、当時日本唯一の三方面へ向かう「三階建て列車」として運用されていた。
かつては「かもめ」と「みどり」が連結運転を行っており、そこに「ハウステンボス」が加わった形となる。
その後「かもめ」が抜け「みどり&ハウステンボス」での運行となったが、一時期「有明&かもめ」で「かもめ」も二階建てになった。
みどり&ハウステンボスは大半の区間を連結走行するため、片側がノーズありでもう片側が貫通扉付きという列車を2編成用意して運行しており、貫通扉付きの部分を連結して中を行き来できるようになっている。


  • 国鉄時代のかもめ

国鉄時代の特急かもめはキハ82系投入後、宮崎行と長崎行を京都から小倉まで連結して運行していた。
このかもめは双方の行先に食堂車が連結されており、担当する会社も別々だったので味付けやメニューの違いから中には食べ比べをする乗客も居たという。
同じように食堂車を2両組み込んで担当する会社が異なるという事例は白鳥とつばさでも存在し、何れもキハ82系での運転だった。


  • 草津&水上

新特急として登場した2列車も多層建て運転を行っており、水上が臨時列車へ格下げされても草津との連結運転は守られていた。
しかし、2012年3月のダイヤ改正で水上が臨時列車よりも運転日数の少ない季節列車へ格下げされたため、連結運転が廃止された。


  • ひだ&北アルプス

名古屋鉄道の高山本線直通特急北アルプスは、キハ8500系の登場後は高山本線内でJR名古屋駅発着の特急ひだと美濃太田から先の高山線内で併結運転を行っていた。
JRの車両と私鉄の車両が日常的に併結運転を行っていた珍しい事例である。


  • アルプス&かわぐち

1962年に大月から富士急行線に乗り入れて河口湖を目指す急行かわぐちが設定された際、新宿-大月間は急行アルプスに併結された。
この区間は当時から既に電化されていたが、アルプス号は電化されていない中央本線甲府以西を走行するため、併結相手との兼ね合いもあり、電車会社の富士急行も国鉄キハ58系と同等の車両を発注した。
その生き残りのうち1両は有田川町鉄道公園で保存されている。
ちなみに、一時期はアルプス・かわぐち・白馬・八ヶ岳の4階建て列車が走っていた。


  • きのくに

上記の「かわぐち」と似た事例で、こちらは南海電鉄が気動車を保有、天王寺発着の列車と和歌山(旧東和歌山)で分割併合していた。このルーツは戦前の「黒潮号」にまで遡り、国鉄が大阪和歌山間の路線を有していなかった頃の名残りでもあった。
後期には気動車運転の「きのくに」で統一されていたが、それ以前は客車列車も存在し、南海線内は電車併結で運転されていた。白浜や新宮までの列車がほとんどだったが、最長では名古屋行普通(もちろん夜行)が存在した。


  • さんべ

山陰地方から九州まで乗り入れていた急行列車。そのうち1往復が、複雑な運転経路を有していた。


米子駅を発車した列車は、まず益田駅で小郡方面の列車を分割。
その後、長門市駅で再び二つに分かれ、それぞれ美祢線山陰本線を経由した後、なんと下関駅でもう一度連結し直し、九州方面へと向かうのである。
どちらのルートも距離がほぼ一緒という事で可能となったこの芸当は昭和50年代末まで続き、「再婚列車」とも呼ばれていた。
小郡方面の列車は切り捨てられたのだ…


  • しんじ

上記「さんべ」の別バージョン。こちらは山陰本線(長門市)経由と山口線(小郡)経由になっていて、やはり下関で合流して博多へ向かった。
ちなみに、この列車の始発駅は何と宇野。伯備線経由で、途中新見でも分割と併合を行っていた。果たして乗り通す人はいたのか…


  • 陸中

末期は三陸地方を走るローカル急行だったが、東北新幹線開業前は仙台からそれらの地域を結ぶ重要な列車であった。
ただ、その全盛期の運用は非常に複雑怪奇なものであった。
昭和43年時の運用を例にとると…


Ⅰ仙台~一ノ関間:「陸中(秋田行)・むろね(盛行)・くりこま(青森行)」
 三列車が連結して運転。


Ⅱ一ノ関~花巻間:「陸中(秋田行)・くりこま(青森行)・さかり(青森行)」
 一ノ関駅で盛駅へ向かう「むろね」が切り離され、逆に盛駅から来た「さかり」が連結。


Ⅲ花巻~盛岡間:「陸中(秋田行)」
 花巻駅から盛岡駅までの間は釜石線山田線経由で単独で運転。「くりこま・さかり」はそのまま東北本線を北上し、青森へ向かった。


Ⅳ盛岡~大館間:「陸中(秋田行)・みちのく(弘前行)」
 盛岡駅からは上野始発の急行「みちのく」と連結され、花輪線経由で大館駅まで向かった。


Ⅴ大館~秋田間:「陸中(秋田行)・むつ(秋田行)」
 そして大館駅でみちのくが分離、そこに青森駅から来た急行「むつ」が連結され、ようやく終着駅へと向かうのである。
ここまで旅の道連れにした列車数は5列車…お疲れさまでした。


ちなみに仙台~秋田間での所要時間は、かなりの遠回りをしたため13時間半と実に半日以上もかけて走っていた。
仮に単独運転で分割・併合による長時間停車を除いたとしても、12時間くらいはかかっていたのではなかろうか。
なお、最短の北上線経由で走っていた急行「きたかみ」が約4時間半で、この列車の3分の1程度しかかかっていない。



…ただ、こんな運用を取っていたのは陸中だけでは無い。


  • 急行みちのくは上野~鳴子・宮古・大館間という三方面の列車を途中駅まで連結して運用
  • 急行むつには途中駅まで急行「岩木」が連結

…当時の東北本線の気動車急行は、とにかく分割併合が頻発していたのである。
わけが分からないよ。
しかも、さらに年代が経つと運用はもっと複雑となり、「たざわ」「はやちね」「こまくさ」「千秋(せんしゅう)」など新手の急行列車が次々に加わり、
さらに途中まで普通列車となる区間も現れたりとカオス極まりない状況だったと言う。


結局これらの運用が解消されるのは東北新幹線開業まで待つ事となった。


ちなみに当然ながらダイヤが乱れれば列車の運休も起き、連結位置が変わったりもしたらしい。
どの列車もキハ58系だらけ、専用塗装も無ければヘッドマークすらないという状況で、当時の乗客は大変だっただろう。


流石に東北本線の陸中は特殊な事例…と言いたいところだが、紀勢本線も匹敵するカオスっぷりだった。興味がある人は調べてみてほしい。


  • 千秋&もがみ

上記の「陸中」の項にも登場しているが、この列車も特徴的。それぞれ秋田と羽後本荘を出ると、両方が交差する新庄で編成をシャッフル。千秋・もがみの仙台行と米沢行に組み替えて出発していた。当然、単純に分割併合するよりも手間と時間がかかっていた。
ちなみに、千秋は大曲まで仙台行(盛岡経由)の「たざわ」を併結していた。余計にややこしい。


  • 雷鳥&ゆぅトピア和倉

珍しい電車と気動車の多層建て列車で、国鉄では唯一の事例。ただし協調運転の技術はまだ無かったため、併結中は気動車のゆぅトピア和倉をトレーラーとして走行していた。ちなみに併結区間の停車駅が両者で違う(ゆぅトピア和倉だけ扉の開かない駅があった)という妙な特徴があった。
七尾線電化後も雷鳥・スーパー雷鳥・サンダーバードとして続いていたが、2015年の北陸新幹線金沢開業で多層建ては廃止に。






急行「アイン」・「ツヴァイ」・「冥殿」 (追記~修正・お願い・します)


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  • 今現在の「やまびこ・つばさ」は運転開始当初の「つばさ盛岡行き・秋田行き多層立て」への先祖帰りと言えるのかもしれない -- 名無しさん (2016-12-22 03:31:20)
  • 連書き失礼。更に「つばさ秋田行き」はこれまた同時青森行きと上野行きの多層立てだった「白鳥青森行き」と秋田駅で乗り換えて青森まで行けるという状況・・・ -- 名無しさん (2016-12-22 03:42:49)

#comment

*1 きのさきには使用されないが、きのさきの止まる豊岡駅には京都丹後鉄道経由で行くこともある。
*2 なお、日本の定期特急列車で2度方向転換するのは2018年現在うずしおが唯一である。
*3 運行当時、特急は北野駅を通過していた。
*4 当時上本町駅のホームが短く、そのままではホームをはみ出してしまうためだったとか。

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