カセットビジョン

ページ名:カセットビジョン

登録日:2020/04/18 (土) 01:53:26
更新日:2024/05/17 Fri 11:20:59NEW!
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カセット時代のテレビゲーム





カセットビジョンとは、エポック社より発売された家庭用ゲーム機。


【解説】


1981年7月30日発売。ゲーム機の世代的にはあのファミリーコンピュータ(以下、FC)よりも前の第2世代に分類される。


エポック社は日本のゲーム機市場の黎明期から内蔵型のゲーム機を開発及び発売していた。
ゲーム機開発のノウハウを積み上げると、カセット交換式ゲーム機開発へと着手することになる。
エポック社は後にPCエンジンに関わることになるNECをパートナーとし、カセットビジョンの設計を行わせた。


カセット交換式ゲーム機は、本機の発売以前にエポック社が海外市場からアタリVCSを『カセットTVゲーム』という名前に変更して売り出していた。
ところが57,300円という価格設定が原因で不振に終わり、カセット交換式ゲーム機の市場形成には失敗していた。
カセットビジョンは、この失敗に対する反省とリベンジの意図もあったかもしれない。
他社では、バンダイが『TV JACK アドオン5000』という19,800円と比較的安価なカセット交換式ゲーム機を売り出していたが、こちらもカセット交換式の普及には繋がらなかった。


ゲーム機市場も未成熟な環境で完成したカセットビジョンというハードは、当時の基準でも比較的貧弱気味な性能のゲーム機だった。
しかし、性能の弱さという欠点と引き換えに当時としては異例の13,500円という価格設定を実現し、「カセット交換式ゲーム機は高すぎる」という当時の常識を覆す。
衝撃的な低価格に加えて、ソフトラインナップも人気ソフトを展開した。


低価格路線によって順調に売り上げを伸ばし、最終的に販売台数は45万台を記録した。
エポック社は第2世代ゲーム機市場のシェアの7割を獲得し、ゲーム機一番の王者に君臨することになる。


しかし、1983年に任天堂がFCが送り込むとそちらは大ヒットを飛ばし、売りだった価格に関しても他社ハードへの優位性が失われていった。
エポック社は同時期に低価格路線の完成形とも呼ぶべき廉価版の「カセットビジョンJr.」を送り出すが、成果は残せなかった。
だが、エポック社は既にカセットビジョンの次世代機の開発に着手しており、その次世代機においてFCに本格的な勝負を挑むことになる。
そして、カセットビジョンの名前を引き継いだスーパーカセットビジョンを送り出すが…。結果はリンク先にて。


時代の古さ、FCの実績や驚異的な普及率、後継機の末路などから、トップシェアハードだったにもかかわらず現在では微妙に歴史の影に埋もれがちな面もある。
しかし、カセット交換式ゲーム機の普及に貢献したカセットビジョンは、日本のゲーム史において非常に重要な存在に位置づけられることは疑う余地はない。


【本体外観】


コントローラなどは別個に存在せず、ゲームにに必要なボタンは全て本体に組み込まれている。


カセット挿入口を挟むように本体の左右には4つの操作ダイヤルが配置され、4つのプッシュボタンやレバースイッチなども存在する。
本体中央にはセレクトボタンとスタートボタン以外に謎のボタンが存在するが、「カセットによって使う場合がある」などと説明されながら使ったソフトは出なかった。
謎のボタンの真下の位置に置かれているのが、周辺機器を接続するためのコネクタ。


【本体性能】


CPUなし
解像度75×60ドット (※)
発色数8色

※Wikipediaによれば『月刊コロコロコミック』1983年10月号を出典とした、「54×62ドット」の値が知られるが、恐らくTV画面内に収まる分を縦×横で示したものであろう。ブラウン管TV時代には映像信号の90%ほどしか画面内に表示されないものだった。


低価格の影響もあってか性能面は低く、本機種よりも前のハードであるアタリVCSにすら劣っている。


そもそも上記の表を見てもらえば分かるだろうが、このゲーム機はCPUを搭載していない
ソフト側にCPUを搭載することで、エポック社の以前までのゲーム開発の技術の流用のしやすさと本体の低価格化を実現した。
これと似たような思想で低価格化を図ったハードとしては、後の学研のTVボーイが存在する。


独特で大きく抽象的なドットだが、これはコスト削減の為にテレビのチャンネル表示用ICを流用しているためとする説があるが、当該チップがカセットビジョン以外に使われたという資料は見当たらない。あり得るところではチャンネル表示用ICの仕組みを流用して当該チップを設計したくらいだろうか。
雑なドットに加えて背景やキャラクター表示は単色でとにかく雑な画面だったのだが、一応画面の表示が判別しやすいという利点は発生していた。


本体に周辺機器である光線銃を使うための接続コネクタが存在したため、やろうと思えば拡張機器によるスペック向上は不可能ではなかったとも言われている。
まあ結局は光線銃でしか使われなかったため、机上の空論でしかないのが寂しい話だが…。


1チップ仕様もあってぶっちゃけ詳細なスペックは長らく不明であった。
CPUビット数についても、Wikipediaでは「1チップに集約されているため、いわゆる”何ビットマシン”であるという言い方は、内部構造に通じた方でなければわかりません。」という発言を引いて「何ビットと定義するのは難し」いとし、
開発者曰く多分8ビットスペック、当時の雑誌や後世の研究者の間でも、4ビットなのか8ビットなのか見解が統一されていない。12ビットと認定されたこともあるし、48ビットという値が開発者から出たこともあるなど様々な数値が飛び交っていた。
こういった特殊なハードスペックは、開発機の少なさも重なってソフト展開にも悪影響を与えたと言われる。


ところが発売40年も経とうという2020年頃になって大きな動きが出る。当該LSIの開発に携わった小口哲司氏の協力の元、MAMEに向けたエミュレータ開発が動き出したのだ。
それに伴って小口氏のWebサイトにかなり詳細な資料が公開され、CPUの仕様もかなりの部分まで明らかとなった。
簡単にまとめよう。

CPUビット数7bit
命令ROM1905(127×15)ワード×12bit = 22860bit
RAM(32×4)ワード×7bit (うちスプライトメモリ 25×4ワード)
スプライト7×7・8×7ドット、画面中25個、斜めドット表示・XYリピート機能あり
スプライトROM(7×7×14 + 8×7×2) ×7 = 5586bit

順に説明し… な な ビ ッ ト !?
マジである。レジスタ幅およびALU幅が7bitであり、疑いようもなく、世にも珍しい7bitCPUである。
なお命令長は12bit。上で出た12bitの値はこれを勘違いしたものと思われる。命令帳をもってCPUのビット数とすることは無い。
また、スプライト情報1個分に相当する7bit×4本のメモリをレジスタとの間で一度に読み書きすることが出来て、これだけでバス幅が28bit、命令バスの12bitを足したり他にもなんやかんや足せば、48bitの値はこのバス幅を指していたものと思われる。通常、レジスタやALUより広いバス幅をもってCPUのビット数とすることは無い。
命令セットは、演算命令が加算/減算/And/Or/右シフトだけなど非常に非力。
ROMはチップに組み込まれたマスクROM。命令とスプライトで別。命令ROMが不思議な構成だが、プログラムカウンタが回路の少なくて済む線形帰還シフトレジスタ式のため下位7bitが128より1少ない127の状態しかとらないため。
RAMはスプライトの情報に1個あたり4ワードを使うため、4ワードづつ扱う不思議な構成。
スプライトは内容は固定で、7×16=112個の定義領域の内、7×7ドットが14×7個、Xリピート用の8×7ドットが2×7個ある。Yリピートはマスクで選択可能。
特徴的な斜めドット機能は、パターン番号の上位4bitに対して斜め機能のOn/Offがマスクで決まっており、パターン番号の最下位bitで斜めの方向が決まる。このスプライトのパターン番号の特定のbitを表示スタイルの選択に使う設計は気に入ったのかスーパーカセットビジョンでも使われている。
1つのスプライトは右斜めまたは左斜めの片方にしかならず、左右の斜めや垂直を同時に含む絵を出すためには複数のスプライトを重ねて使う。この際の重なったスプライトの表示のされかたについては謎が多い。



【対応ソフト】


ゲームソフトに関しては全11本発売された。以下、全ソフトリスト。


No.ソフト名発売日価格備考
No.01きこりの与作1981年7月4,980円カセットビジョン版がシリーズで一番知名度が高い
No.02ベースボールカセットビジョンJr非対応
No.03ギャラクシアン1981年8月後にナムコへ版権料を支払う事態に
No.04ビッグスポーツ121981年10月カセットビジョンJr非対応
No.05バトルベーダー1982年3月
No.06パクパクモンスター1982年7月
No.07ニューベースボール1982年6月カセットビジョンJr非対応
No.08モンスターマンション1982年10月
No.09アストロコマンド1983年8月
No.11モンスターブロック1984年3月
No.12エレベーターパニック1984年8月3,980円カセットビジョン最後のソフト/価格やメディアの色が他の専用ソフトと異なる

実はNo.10が欠番しているが、これは本来は『グランドチャンピオン』というソフトが発売される予定だった。
当時も発売が告知されていたのだが、発売寸前に致命的なバグが発見されるという不幸が発生し、バグ自体は修正されるが発売中止の判断が下されたのである。
そのため、本来のカセットビジョンのソフトリストは全12本になるはずだったのだ。


カートリッジには操作の説明を記載したシールが貼られていた。
ちなみに、ラストソフトとなった『エレベーターパニック』では、カートリッジの色が白色になるという変更が加えられている。


アーケードで人気だったソフトを移植したことで、『ギャラクシアン』は18万本売り上げるなどカセットビジョンの発展を支えた。
一方でソフトリリース自体は遅く*1、トップシェアハードの割には他ゲーム機と比べると数に劣った。


【主な周辺機器】


光線銃

  • 発売日:不明
  • 価格:1,800円

ビッグスポーツ12のガンゲームにて使用する銃型周辺機器。受光装置で当たりを判定する。
実態はエポック社が以前発売していた内蔵式ゲーム機『システム10』の専用光線銃を流用した物である。


【マイナーチェンジハード】


カセットビジョンJr.

  • 発売日:1983年
  • 価格:5,000円

カセットビジョン末期に発売された廉価版ハード。
5,000円という脅威の低価格を実現したが、つまりは一般的な専用ソフトと同じ値段のハードを出すという偉業を達成している。


本体の大幅な小型化に成功。また、カセットビジョンではかなり多かった操作ボタンも一気に整理したことで分かりやすくなった。
しかし、ダイヤルコントローラを廃止したことで一部ソフトとの互換性を失ってしまった。


【余談】


  • 国産初のカセット交換式ゲーム機はカセットビジョンではなく、1977年にタカトクから発売されたビデオカセッティ・ロックである。
    開発者の堀江正幸氏はそれを知らなかったらしく、開発者インタビューにてビデオカセッティ・ロックに言及された際には驚いていた。
    ただしこちらはアメリカのゼネラル・インスツルメンツ社が開発・供給するLSI交換式ゲームシステムの「GEMINI」シリーズの普及モデルを搭載したもので、氏も驚いた直後に「(でも)ソフトは日本製じゃ・・・ない(笑)」とも指摘したが。



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  • 『宇宙人のいる教室』って児童文学で、「木こりが木を切っていくゲーム」が登場したけど、コレのことだったのか…30年越しの疑問が解決したぜ。 -- 名無しさん (2020-04-18 19:01:55)

#comment(striction)

*1 一応フォローしておくと、当時のゲーム市場が現在のようにハイペースでソフトがリリースされるという状況でもなかった一面はある

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コメント

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