登録日:2018/09/07 Fri 05:09:35
更新日:2024/03/22 Fri 12:43:43NEW!
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昔話 改変 賛否両論 教育 童話 グリム童話 水曜日のダウンタウン 創作 あるあるネタ グロ 現象 コメント欄ログ化項目 大人の事情 マイルド化 本当は怖いグリム童話 ディズニーと教科書の功と罪 昔はよかったというわけではない コンプライアンス
子供の頃読んだ昔話を、懐かしく思って最新版で読み直した時、こんな風に思った事はないだろうか?
「あれ?この話こんなストーリーだっけ?」
そう、昨今の昔話は、ストーリーが大幅に改変されているケースが少なくないのだ。
ここではそんなストーリーが変更され、マイルドなストーリーになった昔話について触れていく。
概要
特に伝統的な昔話は、暴力的だったりして「教育的によろしくない」と判断されることが多い。
そのため、「死」に関わる演出については大きく変更されることがザラ。
また、下品・性的・差別的だったりする部分も変更される傾向にある。
これらの現象を「伝統的なストーリーを破壊している」と非難する向きもあるが、
そもそも大抵の昔話は伝承されていくうちに多かれ少なかれ改変されているものである。
竹取物語のように「正典」が残っている物ならともかく、口伝えなら代を経るにつれ変わっていくのは当たり前だ。
それぞれの時代に合わせた改変を受けるのは、決しておかしなことではないだろう。
その一方で「あくまで伝統的なストーリーにこだわる」タイプの昔話を掲載している本も存在する。
子供にどちらを与えるのかよく考えるのも親の責任ではないだろうか。
日本編
かちかち山
この手の話になると、大抵真っ先に名前が上がる昔話。
というか、元のストーリーがとても子供に聞かせられるようなものではないので、改変を受けるのは仕方ないことだろう。
元々は、タヌキはなんとお婆さんを殺して鍋にぶち込み婆汁にして[[お爺さんに騙して食わせる>カニバリズム]]という、
悪意100万パーセントのえげつない殺人行為を犯しているためうさぎの放火→傷口に唐辛子→泥船で海に沈める→櫂で殴打→溺死という
陰湿極まりない復讐劇にもそれなりの正当性があった。
一部伝承によれば「婆さんの皮をはいで成り代わった」という代物まである。
特に最後の「助けてやると言いながら櫂で滅多打ちにして殴り殺す」という復讐はタヌキの残虐行為が前提にあるからこそである。
だが、最近の絵本だとタヌキの行為は「怪我をさせて寝込ませた」程度にマイルド化されていることが多い。
最終的なウサギの復讐も泥船に乗せて溺れさせ、ようやくタヌキがこれまでの所業が反省するところで終わり、最後はちゃんと助けてやるか、タヌキが自力で岸まで泳ぎ逃げていく…という筋である。
ちなみに漫画『鬼灯の冷徹』では主人公の鬼灯がこの件に言及しており、こちらの世界では兎(芥子)は同様の復讐(=狸殺害)を完遂している。
ただ、その代わりに狸が無茶苦茶トラウマになっており、「狸」のワードだけでブチ切れ、通りすがりのぶんぶく茶釜にまで手をかけるほど。
中盤のかちかち山の下りは、そんな簡単に着火できてたまるかバーローというマジレスはさておき*1知恵比べのようなものであまり残虐ではないためか、
あまり改変はされない傾向にある。まぁここ変えたらタイトルの意味わからなくなるし……。
猿蟹合戦
登場人物そのものが変更される。
蟹の仇討に同行するのが、「栗、蜂、臼」まではほぼ共通するのだが、
最後の一人が昔のバージョンだと「牛糞」、現行のバージョンだと「昆布」などになっていることが多い。
確かに牛糞よりはマイルドであるし、「そもそもなんで牛糞が仇討に協力するのか」という部分からして疑問なのでこの改変は自然とも言える。
しかし今度はなんで山のど真ん中に昆布がいるのかという別の疑問が生じてしまっている気が……。
また地域によっては更に油だの包丁だのといった仲間が登場することも。
ちなみに芥川龍之介の「猿蟹合戦」*2では蟹に同行したのは「臼・蜂・卵」という設定になっている。
なお一般的な伝承としては「臼は屋根から落下し、猿は圧死。これにて復讐終了」だろうが、
実は本来の伝承では子蟹が死にかけた猿の頸動脈を鋏で切り落として失血死させている。
復讐譚の割には助太刀した臼がとどめを刺している不自然な流れなのもこのエピソードがカットされたのが原因か。
また、こちらも柿をぶつけられても蟹の母親は怪我をするだけで死ぬことはなく、猿も押し潰されても死なずに反省し蟹と和解するする流れになっていることが多い。
ちなみにタイトルも「合戦」は穏やかではないので「さるかにばなし」になることも。
『鬼灯の冷徹』では、この猿と桃太郎の猿(柿助)は同一人物として扱われており、この時痛めつけられたことはトラウマになっている様子。
桃太郎
この日本一有名な昔話も改変されることが多い。
鬼退治のシーンは、なんと話し合いで解決したという筋になっている絵本もある。平和主義の弊害
また、原作では鬼のため込んだ宝を桃太郎はそのまま持って帰ってしまうが、最近の絵本ではちゃんと村人に返すパターンが多い。
更に桃太郎も「犬猿雉と一緒に船をこぎ、戦いでは最前線を突っ切り、金銀財宝の荷車も自分で曳く」とこれでもかというほど聖人君子化されているケースがある。
竹取物語
ご存知日本初の長編小説。
昔話絵本等では、五人の貴公子&帝がかぐや姫に求婚しに来る下りや、かぐや姫が月に帰った後の話、
かぐや姫が地球に来た理由(月で罪を犯した事による島流し)の説明などがカットされている事が多い*3。長いからね。
浦島太郎
こちらも原典のエピローグやエロティックなシーンが削られたパターン。
絵本等では竜宮城での乙姫との性生活の描写が無く、最後も浦島太郎が老人になった所で話が終わるが、
元々は浦島太郎は老人になった後に続けて亀もしくは鶴になる。
鶴パターンの場合、竜宮城へ自力で戻り、乙姫に故郷が様変わりしていた事と自分が鶴になってしまった事の説明を要求、
事情を説明した後亀に変身した乙姫と結婚してめでたしめでたし……という何が何だかさっぱり不明なストーリーとなっている。
仏教研究家のひろさちや氏は「300年分年を取っても死なないように、残り700年or9700年分の寿命をやったら鶴や亀になった」と言う説を提唱している。
(まあこの人は何でもかんでも童話を下ネタに結び付けるんで話半分に提唱してるんだろうが)
なお絵本では「浦島太郎はお爺さんになってしまいました」とだけしか語られない事がほとんどである。
しかし冷静に考えれば、これは数十年分の寿命を一気に削り取られたという事なのだが、その恐ろしさに触れられる事もあまりない。
この点も一種のマイルド化と言えるだろう。
ちなみに、開けてはいけないと言われた箱には2人が再会できるよう縁を結ぶパワーが込められていたが約束を破って箱を開けてしまうと、
箱から雲をともなう美しい姿のなにかが天に昇っていき、それを見て二度と再会できなくなったことを悟る、
という悲劇的結末を迎える風土記に記されたバージョンもあり、これが源流なら老人化&鶴化で再会できるのもマイルド化と言える。
また、「老人になって途方に暮れた浦島は同じく竜宮城被害者の方々と共に、ふと見つけた若返りの泉で子供に戻る。その後例の亀を見つけ出し復讐のためにいじめていた所を若者が「やめろ」と言うのでやめた」…という、どう見ても無限ループにしかならないコピペもあるとか。
余談だがかぐや姫が中盤の悪の親玉として出てくる漫画『YAIBA』では、ヒロインの峰さやかが龍神の娘=乙姫と浦島太郎の子の末裔とされている。
あ、やることはやってたんですね浦島さん…。
金太郎
日本3大「登場人物は覚えているが話の大筋がよくわからない」昔話*4のひとつ金太郎である。
仮面ライダー電王のスピンオフアニメ「イマジンあにめ」でもそのことをネタにされ、なんとその際はWikipediaのページのスクショを丸々持ってきた。
まんが日本昔話での大まかな話は
「足柄山に母と暮らす金太郎は幼少期より大層力持ちで、動物とも仲良しでまた母の手伝いをよくする良い子でした。
ある日山で熊と出会うも持ち前の怪力で熊との相撲に勝利、熊とも仲良くなりました。
これは将来、頼光四天王の一人となる坂田金時の子供のころの話です。どっとはらい」
であるが…
このあらすじはものすごくマイルドな部分だけを合わせた「平和な金太郎」である。
なにせ、金太郎の母は山姥だとか
その山姥を後の上司である頼光たちが成敗しに来たとか
母を成敗した一行の一人を幼子の金太郎が撲殺したとか
さらにその撲殺された相手は唯一山姥と対峙していなかったり
そのことを頼光に咎められ、詫びは身体で払って貰おう(部下的な意味で)!させられたり
と、ぶっちゃけ熊にまたがり馬の稽古と頼光四天王の坂田金時です!以外は話の共通点が薄すぎる。
舌切り雀
原作では、お婆さんの家事の邪魔をして舌を切られて追い出された雀だが、近年ではその行為が残酷とみなされて、
舌を切られずにそのまま追い出されるというタイトルの意味を無くしかねない改変がされたりする。
こうなった場合タイトルが「雀の宿」や「雀の恩返し」などさるかに合戦以上の変更を受けていることも。
さらに老人が雀の宿を探すために人に道を聞くたびに、条件として馬の血や牛の小便を飲まされる等の下品で残酷な要求をされているが、
絵本等では当然牛や馬の洗い汁を6〜8杯飲む(こちらもこちらで大概だが)とか、馬や牛の体洗いの手伝いとかに変更されていたり、
お爺さんが自力でお宿を見つけるなど丸々カットされたりする。
また大きなつづらを開けてお化け(蜂やマムシ、ムカデなどのパターンもある)を出してしまった老婆は、原作ではお化けに食い殺されるとされているが、
たいていの絵本等では逃げ切って改心するか気絶するだけという改変をされる。
更に最近ではそもそもお婆さんもそこまで悪辣な人物ではなくなっている場合が多く雀も追い出されたというよりは、驚いて逃げてしまったという描写が増えている。
本によっては雀が宿からお爺さんと一緒に帰ってくるなんてパターンも存在する。
一寸法師
一般には桃太郎のような英雄として扱われている一寸法師だが、
原作の一寸法師は、姫を手に入れるために自分が貯えていた米を姫が盗んだという濡れ衣を着せ、姫が家から追放されるように仕向けるという卑劣な行為をしている。
また家を出た理由も、老夫婦から全く大きくならないが故に化け物ではないかと気味悪がられたためとされている。
絵本等では、前者のような英雄らしからぬ行為は当然カットされているし、家を出た理由は「武士になるために京へ行きたい」とされている。
先述した『鬼灯の冷徹』でもこの話が拾われ、鬼退治の功をもってしても天国に行けず*5地獄で働かされている設定になっている。なお、打出の小槌は閻魔大王に破壊されたらしい。
花咲か爺さん
「枯れ木に花を咲かせましょう」のフレーズで有名なお話だが、これも近年様々な改変が目立つようになってきている。
基本的に優しい老夫婦と欲張りな老夫婦と犬(童謡ではポチだが本によってはシロだったりすることもある)が出てくるのは変わらないが、
欲張りな爺さんが優しいお爺さんから犬を借りるもゴミしか見つからずに癇癪を起こし犬を殴り殺してしまう点が、
近年では罰として木に結び付けられたり、犬を叱りつけてそのまま家に帰る、出てきたゴミに爺さんが驚いてる隙に犬が逃げ出すといった風に犬が死なないことが多くなっている。
これに伴い、犬の亡骸を埋めたところから生えてきた木から臼を作る話がカットされたり、木の出所が変更されていたりする。
終盤の展開こそ大きく変わらないが、木に巻く灰が遺灰ではなく、なんの変哲も無い灰(出所は様々)になっており、
犬が一晩灰の上で寝てたら不思議な灰になったとか灰に向かって吠えたら不思議な灰になったといった具合に犬の不思議な力が強調されたような描写が多くなっている。
欲張りで意地悪な隣人の老夫婦も最後には主人公の老夫婦を真似て花を咲かせようとしたが、灰を撒いてお殿様(大名)に恥をかかせて投獄されたりと自業自得な結末に終わることが大半だが、主人公の老夫婦が褒美を辞退する代わりに隣の老夫婦を許す(もしくは罪を軽くする)ように懇願して、殿様は彼らの思いやりの心に感激して2人を放免することにする。このことを聞いた隣の老夫婦は主人公の老夫婦と犬の墓前にこれまでのことを深く謝罪し、それからは他人に親切に接するようになるという救いようがある結末に描かれることもある。
寿限無
落語の演目だが民話にも似たような話があるのでここで挙げさせていただく。
原話では「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る処に住む処、やぶら小路の藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助が井戸(もしくは川)に落下、名前を呼びながら助けに向かうが長すぎて間に合わず寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る処に住む処、やぶら小路の藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助は溺死する」というオチだが、救いがないため後に改作されて「寿限無、寿限無、五劫のすりきれ、海砂利水魚の水行末、雲来末、風来末、食う寝る処に住む処、やぶら小路の藪柑子、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助が友達の金ちゃんを殴りコブを作るが、名前を呼ぶ内にコブが引っ込んでしまう」という暴力的だがいくらか平和なオチになった。
日本神話のほとんど
我が国に伝わる日本神話だが原典の時点で性的な描写や残酷な描写が多いため
マイルド化現象の煽りを受けていることで知られる。
イザナギ・イザナミの神生み・国生みの時点で性的な描写がある為、
その話をカットして天沼鉾で混ぜ合わせて国を作るという描写だけにされていたり、
イザナギが妻を死に追いやったカグツチに怒って殺す話は原典ではカグツチを[[首チョンパ>首ちょんぱ/首切断]]して殺すのだが子供向けの本等でその描写は流石に
まずいからか単に斬り捨てたという描写になることが多い。
スサノオ関連の逸話も例を挙げるだけで
- 田んぼのあぜ道を踏み荒らし、社で糞を撒き散らす
- 皮を剥いだ馬を投げ入れてそのショックで機織り女が陰部を刺して死亡
- オオゲツヒメが尻や口から食物を出す光景を見て怒ったスサノオがオオゲツヒメを斬殺
といった話があるのだがこれもカットされてしまうことが多い。
海外編
こちらは「本当は怖いグリム童話」という本が刊行されたことでも有名。
元々が海外の作品と言うこともあり、日本で知られているものはかなり改変されている部分が大きい。
シンデレラ(フランス/シャルル・ペロー、グリム兄弟)
そもそも元になった話に「ガラスの靴」というものは登場しない。恐らく「革の靴」の誤訳だろうと言われている。
考えてみりゃあんな重いわ硬いわ割れそうだわな素材で靴を作ること自体おかしいわな。(だったら斧や鞠を黄金で拵えるのはどうなんだ? え!?)
有名なディズニーバージョンやその原作とも言えるペロー版『サンドリヨン』等では継母と義姉たちの運命はだいぶマイルドになっているが、
グリム版『灰かぶり』では義姉は無理矢理靴を履くために自分の足を切り落とすという凶行に走り(当然血でバレる)、
オチではシンデレラを助けた鳩に目をつつかれ盲目となった。
また、グリム・ペローのさらに前に書かれたバジーレの『灰かぶり猫』ではストーリーに登場する継母は二人目で、
一人目の継母は(後の二人目の継母となる家庭教師に唆された)シンデレラの手で衣装箱に挟まれて殺害されている(『トリビアの泉』でも紹介された)。
この辺は改変されても仕方ない部分だろうが……。
白雪姫(ドイツ/グリム兄弟)
シンデレラと並ぶメジャーな海外童話の本作であるが、こちらも色々と改変が多いことでも有名。
詳しくは個別項目も参照してほしいが、王子が実は死体愛好家(ネクロフィリア)だったり、
お妃が毒リンゴ以外にもリボンで絞殺だの、毒の櫛で刺し殺すだの、白雪姫を様々な方法で殺そうとしたり、流石に騙されすぎだろ白雪姫
お妃は最後に白雪姫の結婚式に招待されて、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて踊りながら死んだとか……
ねむり姫(フランス/シャルル・ペロー、グリム兄弟)
有名なグリム版の『いばら姫』では「姫(&お城の人達)は王子様が来て目を覚ましました」でハッピーエンドなのだが、
ディズニー版がヒロインの名前「オーロラ姫」のみ採用したペローの『眠れる森の美女』では後日談が存在。
王子様の母親は文字通りの人食い鬼婆で、オーロラ姫と王子との子供をも食べようとして王子を遠ざけるも、
危機一髪の所で王子が間に合い妻子は無事救出、人食い鬼母も狂い死んでめでたしめでたしとなっている。
かえるの王様(ドイツ/グリム兄弟)
「お姫様が池に落としてしまった毬を取る代わりにお城に泊めてもらったカエルですが、
寝室にまで上がりこもうとするカエルにお姫様がキレてぶん投げて壁に叩きつけると、魔法が解け王子様に戻りました」
という強烈なグリム版から、近年では
「カエルにされていた王子はお姫様のキスによりもとに戻りました」
と改変されている……と言いたいところだが、
2010年頃に有志が調査した結果によると、日本の絵本40種余りで「壁に叩きつける」例が殆どで、
一冊だけ「シーツをかけると魔法が解ける」があったが「お姫様のキス」は一つもなく、
作品外でだけ「カエルにお姫様がキスすると魔法が解ける」が主流だという謎のような結果が出たらしい……。
一説によればスウェーデン版ではキスしているらしい。別の説では、「白雪姫(ディズニー映画)」公開から日本において
メルヘン世界の状態異常は大体キスで治るという認識が広まったせいだとも。
余談だが、これら絵本では原作のオチとして
「王子様が元に戻った後、王子様を迎えに来た家来ハインリヒの胸から、『心臓が絶望で裂けないように』と嵌めていた鉄の箍が喜びではじける音がしました」
という部分もよくカットされるが、こっちは本編とあまり関係ない部分なせいかあまり話題になっていない。
赤ずきんちゃん(フランス/シャルル・ペロー、グリム兄弟)
実は原作のペロー版では狩人は登場しない。お婆さんと赤ずきんちゃんは狼に食われて終わりである。
そもそもペロー版の教訓は「森の中で知らない人の言うことを聞いてしまったために悲惨な運命を迎える」・「優しさの裏に狼を宿した男にご注意を」という、
「知らない人の言うことは聞いてはいけない」というものだったので、因果応報ではある。
そのため、グリム童話の狩人登場バージョン自体がマイルドに改変された結果であると言える。
最近の話では、お婆さんは食べられずにクローゼットに閉じ込められるだけ(後で祖母孫丼にでもするつもりだったのか)、
狼の腹に石を詰め込まず、狩人の早朝バズーカならぬ早朝猟銃に驚いて即逃走、
面白い所では鳩時計を飲み込ませ、狼の位置が飛び出してくる鳩の音で分かるようになった為、森の生き物達も安心して過ごせるようになったというオチになるなどというストーリーもある。
そもそも、「腹を切ったままにしておけば失血死したんじゃないか?」「狼がそんなに食べるか?*6」とか突っ込むのは野暮である。
ラプンツェル(ドイツ/グリム兄弟)
詳細は項目参照だが、グリム童話初版時性的描写に関するクレームが来たので、再版時性的描写が削除されている。
ヘンゼルとグレーテル(ドイツ/グリム童話)
お菓子の家に夢見た人も多いであろうこのお話も所々変わって来ている。
まず、兄妹が森へ行く理由が貧困(ジャガイモ飢饉の隠喩)によって両親に捨てられたという悲惨な理由から
両親からお使いを頼まれて森へ行くだったり、森へと2人で遊びに出かけたという自発的なものに変更されている。
これによってヘンゼルがパンをちぎって家への道標を作る話も単に迷子になってしまったという理由付けになっている。
肝心のお菓子の家も本によっては美味しい匂いが漂う森の小屋程度にランクダウンをしており、
魔女を倒す方法も昔は鍋や釜、暖炉で焼き尽くす(NHKで放送中の、仮面ライダーキバ似のヘンゼルが色々なお菓子を作るあの番組の「かまど」もコレである)ところを
最近のものは杖や箒を焼いて魔法を使えなくする、縄で縛ってこらしめるなどやんわりとした解決方法になっている。
ラストの兄妹のお父さんが兄妹を捨てるように言ったお義母さんを見限って探しに来てくれるオチも、
両親の設定が変わっている場合お父さんが探しに来て、兄妹はお母さんが待っている家へと帰り着くというなんとも暖かい締めくくりとなっている。
お母さんがお父さんの再婚相手であった場合は、ヘンゼル達が不在時にお義母さんが急病をわずらって死んでしまい、お父さんが後悔していたところでヘンゼル達が帰宅し再会を喜んで幸せに暮らすというパターンが多い。
ハーメルンの笛吹き(ドイツ)
話の大筋はとある町に大量発生した鼠を、1人の男が笛の音色だけで町から鼠を追い払う*7も、町長が男に報酬を出し渋ったために
報復に男が町中の子供達を笛を使って誘い出しどこかの山奥へと隠してしまうという、
(一部では嘘を付かない大人になって帰ってくるというフォローが入るオチもあるとはいえ)、なんとも後味が悪い結末の話*8だが、
近年ではこの行為が誘拐を連想させるため結末に手が加えられ、子供達の親達が嘆くのを聞いて男が子供達を返し、親達が代わりに報酬を払うとか
町長が男に謝罪をして報酬を払い子供達を返してもらうといった具合の和解エンドに変更されている。
しかし、一部では町中の人達が怒り狂って男を見つけ出してみんなで袋叩きにして子供達の居場所を聞き出すという
恩を仇で返すという男が完全な悪者扱いを受けている変更がされていることも。
まあ、男が実は悪魔だったと解釈している神学者もいるしな…。
千匹皮(ドイツ/グリム童話)
「後妻は自分より美しい人でなければ認めない」と遺言を残してお妃が亡くなって数年、
条件を満たす唯一の女性として実の娘が選ばれてしまい、姫は千種類*9の獣の毛皮でできたスーツなどの難題を課すが、王はそれらを全てクリアしてしまう。
姫は千匹皮を着て城を抜け出し、人語を解する珍獣として城の下働きに雇われ、
毛皮を脱いでは舞踏会に出て千匹皮が美女であることをそれとなく王に知らせ、ついには王と結婚する。
と、原作が現代の目で見ると率直に言って納得し難い話*10のため、「結婚した王は親とは別の王」などの辻褄合わせが為される。
人魚姫(デンマーク/アンデルセン)
泡になって消える……というよく知られた悲恋エンド自体が実は改変されたもの。
原作ではもう一段階オチがあり、そこまで読むとまだ救いがある。
最近のバージョンでは、『リトルマーメイド』などの影響もあり王子様と幸せに暮らしたハッピーエンドバージョンも多いようである。決して某青タヌキが改変した結果ではない……と思う
三匹の子豚(イギリス)
元々は、藁の家と木の家を建てた兄豚は家を吹き飛ばされた段階で狼に食われている。
生き残るのは末っ子豚だけである。
狼が煙突からの侵入を試みる前に、蕪取りだのリンゴ取りだのに誘う等、あの手この手で末っ子豚を家の外に誘き出そうとするなんて下りもあったり。
また、結末も末っ子豚は煙突から落ちてきた狼をそのまま鍋で煮て殺し、夕飯に食べてしまうというもの。
これも最近のバージョンでは兄豚は吹き飛ばされた時点でレンガの家まで逃げてきて生き残り(ディズニー版ではこっち)、
最後も狼はやけど程度で済み、トムとジェリーのオチのように逃げて行く……というパターンが多い。
間違っても鋼鉄要塞で抵抗するような真似はしていない。あれなんで支柱だけ木製だったんだろ
ジャックと豆の木(イギリス)
イギリスの童話であるが、本来の伝承ではジャックが空の巨人から琴やら燭台やら金の卵を産む鶏やら盗めるだけ盗んだ挙句、カンカンになって襲ってきた空の巨人から逃げ出し、降りてくる豆の木を切り落とし巨人は転落死、
ジャック母子はウッハウハというただの強盗殺人自慢話であった。
これじゃさすがにまずいからか、ジャックが母子家庭だった理由として空に住む人食い鬼(オーガ)に父を殺され、
大事にしていた宝物も奪われたという設定が追加されるケースもある。
ジャックからしてみれば親父の相続権を全然知らない極悪人に分捕られた話になるため、自力救済やむなしといったそれなりに筋は通っている話になる。まあ倫理的に「人食い鬼」というワードもどうかというところはあるが
近年では巨人を倒した前後に金の卵を産むメンドリもハーブも消えてしまい、母親がジャックに「本当の幸せは、人からもらったものや奪ったものに頼らず毎日額に汗を流して、自分の力で手に入れるものだよ?」と諭し、自分の欲深さを反省したジャックは再び真面目に働くようになるという結末が多い。
ピノキオ(イタリア/コッローディ)
正確には伝承ではなくれっきとした「小説」だが一応ここに。
ピノキオと言えばディズニー映画が有名であるが、
原作であるカルロ・コーロッディの小説「ピノッキオの冒険」においてはこのピノキオは元々とんでもねぇクソガキであり、
生まれて早々邪魔になったゼペット爺さんを冤罪で逮捕させ、映画では後々まで活躍するいたいけなコオロギを冒頭で木槌を投げつけ殺害した挙句、
最後は狐と猫に騙されて首をくくられ木に吊るされて殺されている。
本来ここで物語は終わっているのだが好評により完結編が作られ、女神様により復活した際には嘘をつくと鼻が伸びる設定や、ロバの島での冒険などが書き足された。
ピノキオが人間になるという目標を持つのもこの完結編から。
ちなみにゼペットを飲み込んだのは映画ではクジラだが原作ではサメ。
他にも駄々をこねるピノキオの躾に成功した唯一のキャラである「死神の使いの黒うさぎ」に脅されて薬を飲んで回復するシーンや
腹の中で助けたマグロに乗って脱出するシーンもあったのだが、映画では省略されており、
以降の絵本などでもウサギやマグロの存在は抹消されていることが多い…。
西遊記(中国/呉承恩)
中国で最も有名な昔話であるが、こちらも絵本などにされると話がマイルド化する。
そもそも西遊記は全100章もある長編小説であり、話を簡略化すると
「悟空が仙術を得て、天界で暴れる」「お釈迦様に負けて封印される」「三蔵法師、八戒、沙悟浄に出会う」くらいで物語の尺を殆ど使い切り、
最後は金銀兄弟か牛魔王夫妻でも懲らしめて、さっさか天竺について仏になっておしまい、とならざるを得ない事情がある。
そのため絵本では牛魔王が悟空の兄貴分であることや、金銀兄弟など多くの妖怪変化が堕天した天界の神仙であることなどはカットされることが多い。
また原作には
- 三蔵の弟子と馬が唐を出発した直後、妖怪三兄弟のお腹にペロリンコ
- 出家した直後の悟空が、襲いかかってきた盗賊たちを肉みぞれに。三蔵に「あんまりだ」と嘆かれたら逆切れ(観音菩薩が悟空に金輪を嵌める切っ掛け)
- 悟空が猿山(花果山)に攻め込んできた人間たちに仕返しとして天変地異をプレゼント
- 三蔵一行の寝ているお堂に放火した妖怪に悟空が激怒し、風を起こして自分のいるお堂以外全部燃やして汚物を消毒
- 妖怪に犯されて生まされた王子様を「[[大きくなっても邪魔だし>鋼鉄ジーグ(松本めぐむ版)]]」と言ってその妖怪の眼前で地面に叩き付け転落死させる
- 紅孩児(牛魔王の息子)が化けた赤ちゃんを妖怪だと見抜いた悟空が、三蔵法師を撒いた途端にタコ殴りにする(紅孩児は脱皮して脱出した)
- 猿豚河童トリオが「変装するうえで邪魔だから」と言う理由だけで道教三聖の像をトイレに投げ捨て、ついでに聖水を小便と差し替え妖怪に飲ませる
- 蜘蛛女の風呂に八戒が躊躇なく特攻し、逃げ惑う彼女たちの×××をナマズに変身してすり抜ける
といった非常にアレなシーンが数多く記されており、児童向け媒体などでもこれらは丸カットの憂き目に遭うこともある。
空飛ぶ絨毯(千夜一夜)(イスラエル/千夜一夜物語)
無礼に対する沸点の低いシャイパルに会った王と家臣一同がその異様な風体に思わず無礼な態度をとってしまい全員が撲殺されるという凄惨な場面があるが、
子供向けの話では王様によからぬことを吹き込んでいた者だけが吹っ飛ばされる(金棒で起こした風で吹き飛ばされることも)という話になっている。
アリとキリギリス(ギリシャ/イソップ寓話)
そもそもキリギリスではなくセミである。
これはイソップさんの地元でメジャーなセミが、他国に伝わった際に馴染みがないためキリギリスに変更されたため。まず冬に凍える前に寿命で死ぬだろうし
そしておおかたの予想通りセミ/キリギリスは死ぬ。
ただし近年は冬に凍えるキリギリスにアリが情けをかけて食べ物を恵むというオチに改変されている。
そのお礼にキリギリスが磨いた音楽の腕を披露するというおまけがつくことも。
教訓的には「怠け者は後で痛い目を見る」というものだが、『実は「遊びに興味を持たず貯蓄を続ける守銭奴は餓死しそうな人にビタ一文払うことはないだろう」という教訓を表しているのでは?』という説もある。「もうすぐ餌(死んだキリギリス)が手に入るので」という理由でキリギリスを突っぱねるネタもある。
マッチ売りの少女
原作が余りにも悲劇的過ぎるのでさぞかしマイルドになっている…と思いきや、最終的に少女が天に召される展開だけは今になっても変わっていない。
少女の父親が実は娘の事を思っていたor大事な存在と気付き探し回ったり、少女に同世代の友達がいたりするが、結局彼らにも不幸な彼女を救うことができず余計に悲劇となっている。
既に遺体となった彼女を神父が手厚く葬り「二度とこのような少女を生み出してはならない」と教訓のような言葉を言うオチもあるがやはり亡くなった事には変わりない。
一応、アメリカの絵本は主人公の少女は死ぬ直前に心優しい金持ちに出会って救われるというオチもあるが、ごく少数と言えるだろう。
それどころか最後に連想するのがクリスマスの情景で亡くなるのがその一週間後の大晦日である…が、それがわかりにくいということでクリスマスに亡くなると死期を早められている。
追記・修正は伝統的な昔話を忘れないようにお願いします。
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*2 ただしこの作品は所謂「昔話の猿蟹合戦」の後日談を描いた作品。
*3 ただし罪状に関しては未だ議論が続いているらしい。「男女関係のもつれ」だとか「結婚詐欺で流刑にされたが地球でも懲りずにやった」だとか「月で禁忌とされたことを犯した」などの説がある。この辺はかぐや姫をモチーフとしたキャラが出る作品によって変更されることもしばしば。
*4 gooランキングが2018年に行った調査によれば、ベスト3は金太郎、ぶんぶく茶釜、座敷わらしだった。
*5 理由は姫の米泥棒の件。落とされた地獄は「人を騙して貶めようとした罪」の人間が落ちる『大叫喚地獄』。
*6 実際には赤ずきん1人食べれば満腹するだろう。空想科学読本で取り上げられた時には最初は「ヒグマ程度の大きさ」だったが、丸呑みできるほどの大きさとなると中型肉食恐竜並みに大きくなった。
*7 池に沈めて溺死させるのが殆どだが、ディズニー版では巨大なチーズの幻を出し、一匹残らず飛び込んだ所でチーズを消滅させる、というものになっている
*8 そもそもこの話は何らかの悲劇的な史実を記したものと考えられているので、後味が悪いのも当然
*9 ちなみに現在見つかっている哺乳類は5000種であり、ほとんどはアフリカとか南北アメリカ、オーストラリアといった中世ヨーロッパ社会からしてみりゃ魔界もいいとこに生息しているのでかなり無理ゲーである。
*10 おそらく「前半と後半が別の話に由来」だとか「インセストタブーを形式的に避けるための儀式的なもの」とか言われている
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