登録日:2015/01/06 (木曜日) 22:01:45
更新日:2023/12/21 Thu 13:59:56NEW!
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スポーツ 水泳 勇者 チャレンジャー オリンピック 赤道ギニア シドニーオリンピック ウナギのエリック たった一人の挑戦 参加することに意義がある ぶっつけ本番 不屈の男 エリック・ムサンバニ
序文
4年に一度開催される、スポーツの祭典オリンピック。
世界各国のトップアスリートたちによる華麗な技の競演が大会を彩るが、オリンピックの見どころはそれだけではない。
出場する選手の中には、メダルや記録のためではなく、国家の使命を帯びて舞台に立つ者も存在している。
今回紹介するのは、そういった国家の使命のために死力を尽くして戦った一人の青年である。
概要
2000年に開催されたシドニーオリンピック、競泳の男子100m自由形予選において、ある一人の青年が世界中から注目を浴びることになった。
その青年の名はエリック・ムサンバニ。アフリカ大陸の東部、ギニア湾に面した国、赤道ギニアからこの大舞台にやってきた。
それだけならばさほど注目に値するものではないが、彼が世界から注目を浴びることになったのにはある事情があった。
実はこのムサンバニは、オリンピックのわずか8ヶ月前に本格的に水泳を始めたばかりの素人だったのである。
そんな彼が何故オリンピックという大舞台に出場することになったかというと、彼の祖国赤道ギニアは前述のとおりギニア湾に面してはいるが、
現地の人間にとって海は悪魔の住処だと言われているために、水泳をする習慣がなかったためであった。ムサンバニ本人も本来はバスケットボールの選手だったのだが、スポーツ施設を充実させるための支援を受けるために、赤道ギニア政府からの要請を受けて各国に設けられた特別出場枠を使って
出場することになったのである。
前述したように赤道ギニアには水泳をする習慣がないため、国内にあるプールはホテルにあるわずか17mのものしかなく、しかも一日に数時間しか
使用できなかった。さらには同じ理由により水泳のコーチもいないため、ムサンバニは独力で泳ぎ方を一から身に付けるしかなかった。
それでもなんとか見よう見まねでクロールを身に付けることはできたが、ターンの練習はほとんどしていなかった。
そして迎えたオリンピック本番、会場に現れたムサンバニの目の前には、未知の光景が広がっていた。
彼はこの時、生まれて初めて50mのプールを目の当たりにしたのである。
同じ組には、彼と同じく特別出場枠によって出場したニジェールとタジキスタンの選手がいたが、その二人はフライングによって失格となり、
ムサンバニはたった一人で大観衆の中100mを泳がなければならなくなってしまった。
そして号砲が鳴り響きムサンバニはスタート、そのフォームはどう贔屓目に見ても不格好なものであり、今にも溺れてしまうのではないかと
観客たちをやきもきさせるような泳ぎだった。
しかし、そんな中でもゴールを目指して力を振り絞って泳ぎ続けるムサンバニ。それが観客たちにも伝わったのか、いつしか地鳴りのような歓声が
会場全体に鳴り響いていた。そうして死力を尽くして泳ぎ続け、ムサンバニはついに100mを泳ぎ切った。そのタイムは1分52秒72。
当時の200mの世界記録をも下回るタイムではあったが、溺れそうになりながらも懸命に泳ぎ切った姿に、観客は万雷の拍手を送った。
後日談
このムサンバニの力泳は、会場の観客のみならず世界中に大きな感動をもたらし、オリンピックの創設者クーベルタンの
「オリンピックは、参加することに意義がある」という言葉を体現することになった。
また、メディアの取材によって前述した過酷な環境が明らかになると、様々なスポンサーから金銭や用具面での援助を受けられるようになった。
そのかいあって、4年後のアテネオリンピックの時には、ビザの問題で出場こそできなかったものの、57秒を切るまでに成長を遂げた。
結び
オリンピックにおいては、とかくトップレベルのアスリートたちによるメダル争いばかりに目が行きがちである。
しかしながら、創設者クーベルタンの言のとおり、オリンピックの意義は、勝つことではなく、参加することである。
その言葉を体現したムサンバニの名は、その不格好ながらも懸命でひたむきな泳ぎとともに、オリンピックの歴史の中で燦然と輝き続けることだろう。
追記・修正は不格好でもいいので一生懸命にお願いします。
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