実は言ってない台詞

ページ名:実は言ってない台詞

登録日:2016/04/11 Mon 19:15:00
更新日:2026/07/15 Wed 22:38:22NEW!
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偉人と言えば、名言である。
伝記や歴史番組などで目にした偉人たちの名言を、座右の銘としている人も多いだろう。


だが中には、実は本人はそんな事を言っていないという事例もかなりある。
その内実は大きく分けて

  • そもそも作り話
  • 他人の名言が別人のものとされた
  • 言ったことは言ったが、意味が違う

といったところである。
現代の人物の場合、都市伝説となる事もある。


本項ではこれらに当てはまる台詞を解説していく。
架空人物のものについてはこちらを参照。


なお、一冊丸々他人が偉人名義で書いた本などは偽書の項目で。
また、ある人物の画像に勝手に台詞を書き加えたのが広まった例はコラ画像の項目で。



目次



「実は言ってない台詞」の例

そもそも作り話だった

戦国時代を舞台にしたドラマや漫画では、このセリフが出たら一つのクライマックスになる。
実際には江戸時代中期ごろに成立した林羅山の『織田信長譜』にある「光秀曰敵在本能寺(光秀曰く、敵は本能寺にあり)という記述が初出とされる。
なお、時代的に頼山陽の創作とする説は誤り。


  • 徳川家康「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくがごとし」

家康の遺訓と言われており、紆余曲折を経て戦国時代の勝者となった人生そのものを語った名言とされ「東照宮御遺訓」として知られる。
実際には、明治時代に元幕臣が『人のいましめ』という1830年刊行の本を元に、家康の花押まで偽造して作成したもの。
これを、高橋泥舟(幕末の三舟の一人)などが各地の東照宮に納めたことから広まってしまったらしい。


徳川美術館館長にして尾張徳川家21代当主の徳川義宣の研究によれば、この言葉は水戸のご老公・水戸黄門こと徳川光圀の言葉として伝えられたのが初出であり、それが『人のいましめ』に載せられたようである。
さらにその『人のいましめ』自体も出版されたのは光圀が亡くなってから約130年も後の1830年であり、こちらも本当に光圀の言葉なのかは謎。


なお、他にも家康に関しては三方ヶ原の戦いで脱糞したエピソードやそれに関連した「しかめ像」など、近年の研究で長年言われていた通説が史実と大きく異なるケースが次々に判明している。


  • ガリレオ・ガリレイ「それでも地球は動く」

実際には弟子の創作であるとされる。
ガリレオは地動説を放棄することで刑を免れたのだから、実際にこんな発言をしてしかも記録されていれば無事では済まなかっただろう。
「周囲にわからないようにイタリア語ではなくギリシア語でつぶやいた」という逸話もあるが、これも俗説。
ギリシア語は当時ラテン語に次いで高等学問に必要な言語とされており、イタリアにおいても多くのインテリはギリシア語を理解していた。
屈指のインテリ揃いの裁判所でそんなことをしたならチャレンジャーすぎである。


ちなみに地動説論者は、当時のキリスト教から火炙りにされるなど主張さえ許されない激しい弾圧を受けてきたと語られているが、この点についても実際に確たる史料で弾圧を受けたと言えるのはガリレオが唯一レベルであり、一般の少数説を唱える相応の扱いだったのではないかと崩れつつある。
なぜガリレオがそうだったのかは、個人の政争問題に利用されたため、強硬に対立論者を攻撃したため(彼自身が当時の地動説を、事象に対して計算が合わない部分も多いにも関わらず改竄させて計算を合わせるなどあからさまにミスリードさせる手法が存在していた)などの特殊事情が考えられている。


近年作である『チ。-地球の運動について-』では、この辺を終盤のどんでん返し的に描写している。
地動説は宗教教義上で異端と必ずしも判断・迫害されるものではない(現在もそうだが聖書の解釈次第で矛盾は生じない)と示しつつ、作中の限定された場所での時の権力者の独断による異端判断など、歴史の記録上には残されずに迫害された作中オリジナルキャラクターのような人間が存在したことが、民衆には前述の勘違いを引き起こすに至ったのではないかと整合的解釈を試みてもいる。
が、もちろん史料的根拠には欠ける作品上の仮説に過ぎないことには留意すべきである。


  • ユリウス・カエサル「ブルータス、お前もか」

暗殺間際に言ったと言われるセリフだが、近い時代の資料ではほぼ即死に近い状況で、言葉を発することなく亡くなったとされている(諸説あり)。
ちなみに最も古い伝承では「お前もか、我が子よ?」というセリフであり、上記のバージョンを定着させたのはウィリアム・シェイクスピアである。


  • リチャード3世「馬をくれ!代わりに国をくれてやる!」

薔薇戦争のクライマックス「ボズワースの戦い」にて、破れたリチャード3世が今際の際に残した発言とされる。
これもシェイクスピアの戯曲「リチャード3世」が元ネタで、やはり史実の発言ではないとされている。


  • アルキメデス「私の図形をこわさないでくれ」

大数学者アルキメデスの最期の言葉で、地面に図形を描いて計算している最中にローマ兵士に襲われた際の発言とされている。
しかし、実際にはアルキメデスが最期にそんな発言をしたという記録は存在しない。
そもそも彼は計算中ではなく製図用の道具を運んでいる時に襲われたという説もあり、最期に図形を描いていたのかどうかすらはっきりしていないのが実際のところである。


  • ヴォルテール「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

表現規制問題に関する論争の際にしばしば引用されるセリフ。
これは後年に伝記作家のイヴリン・ベアトリス・ホールが創作したセリフであり、本人がそう書き残したわけではない。
初出はホール著『The Friends of Voltaire』(1906年)。それによると、ヴォルテールがその弟子にあたる思想家エルヴェシウスに対して向けた態度を(ホールなりの脚色を交えて)要約した表現のようである。


エルヴェシウスは『精神論』『人間論』の2冊の著作で知られる人物だが、彼の思想はヴォルテール、ルソー、ディドロといった同門の先人たちによって厳しく批判された。
しかし『精神論』出版当初、その内容が反キリスト教的とみなされ教会から焚書処分を受けるという事件があった時は、ヴォルテールらは一丸となって弾圧に反対し、彼の身を守るために奔走したという。
従って上記のセリフは創作であるものの、史実上のヴォルテールがとった行動はこの言葉の通りだと言うこともできる。
ただし当時の教会はもともとヴォルテールを含めた百科全書派全体と敵対していたため、「論敵を守った」というよりは「身内の若手を守った」の方が実態に近いかもしれない。


  • アルバート・アインシュタインの予言

「来たるべき世界政府の盟主は日本が担うことになるだろう」などと予言した300字程の文章。
元々はアインシュタインと無関係の法学者“ローレンツ・フォン・シュタイン”博士の発言とされていたものであり、実際はシュタイン博士の発言でもない、日本人による創作だったという二段オチ。
出典については諸説あるが、宗教家の田中智學が著書の中で、自分の思想を語るために発言を創作したという説が有力。
なおアインシュタインが親日家であったのは事実だが、彼が愛したのは日本人やその自然・文化の素朴さと繊細さであり、発言は本当に関係がない。


ちなみに「アインシュタインの予言」なるものはもう1つあり、こちらは本当とされる。
その内容は「第三次世界大戦ではどのような兵器が使われると思いますか?」と記者に聞かれた際に、「第三次世界大戦で使われる武器はわかりません。ですが第四次世界大戦で使われるのは石と棍棒でしょう」と答えたというもの。
予言というより、皮肉か警告のようなものである。


  • チャールズ・リンドバーグ「翼よ、あれがパリの灯だ」

世界で初めて大西洋を単独無着陸で横断したパイロットの言葉。ニューヨークからパリまでの飛行を成功させ、パリの灯が見えた時に叫んだと言われる。
実際には自伝のタイトルで、本人が言った言葉ではない。
何しろ彼はパリに着いた時にそこがどこかわからなかったのだから、言いようがない。
そしてその自伝も、英語の原題は『The Spirit of St.Louis』……つまり単に飛行機の名前であって、本文中にも『翼よ~』のフレーズは登場しない。
『翼よ~』というタイトルは洋画でもありがちな日本人が勝手に付けた邦題に過ぎず、当然ながら海外でそれに相当する言葉はほぼ知られていない。


日本の軍人から関ヶ原の戦いの東西両軍の布陣図を見せられた時に、この言葉を発言したとされる。
この発言の後、東軍側が西軍諸大名に対して盛んに調略を行った結果離反者が出て勝利した事実を聞くと、戦争で勝利するには調略と情報収集・分析が必要という事を指導する様になったと言われている。
しかし、このエピソードは司馬遼太郎の小説などでは確認できるが出典は判明しておらず、後世の創作の可能性が高いとされている。


  • チャールズ・ダーウィン「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残るのは、変化できる者である」

自然選択と適応を軸とした進化論を唱え、現代進化論の基礎を作り上げた科学者の言葉。かの有名な「種の起源」からの引用とされることも多い。
小泉純一郎(当時)首相が演説で触れたことから非常に有名になったが、このフレーズをダーウィンが言ったとされる証拠は挙がっていない。当然「種の起源」内にもない。
また、2020年には自民党の広報漫画でこの言葉の誤用が憲法改正のたとえとして使われたことから問題視され、日本人間行動進化学会が反対声明を出す展開に及んでいる。
レオン・メギンソンというアメリカの経営学者が、ダーウィンが「種の起源」で語った言葉として引用したのが最初ではないかという研究がある。


分かりやすくかつそれらしく見えるからか、ビジネス関連のコラムや指南で引用される事も割と多いフレーズである。
そもそもこれをビジネスなどに持ち出す事自体、《進化=進歩》というありがちな誤解に基づいている部分もある。


また、「ダーウィンの言葉ではないにしても、ダーウィニズムを簡潔に説明した言葉である」と解釈するにしても正直微妙である。
そもそもダーウィンの進化論では「先にランダムな変化があって、その中でたまたま環境に適応していた者が生き残る」のであって、環境に適応するために変化するわけではないし、ましてや変化したからといって必ずしも生き残れるとは限らない。
「環境に適応するために変化する」のは、どちらかと言うとダーウィン以前の主流学説で、現在は非主流派であるラマルクの進化論(ラマルキズム)の方である。
そしてそのラマルキズムにしてもメインは後天的に獲得した形質を次代に伝える遺伝の方で、変化その物は別に必須というわけではない。


そもそも勘違いされやすいが、進化論の肝は「進化はどのようにして起こるのか」という生物が変化するメカニズムの方であり、環境適応その物はあくまで変化の理由付けとして最もメジャーだから話題に上りやすいというだけの単なる外部要素の一つでしかない。
確かに変化を続ける環境下では特定の方向に特化したものより「変化できる」能力の方が有利だろうが、安定した環境下ではそのような余計な能力にコストを払わないものの方が有利かもしれない。実際、「生きた化石」と呼ばれる生物群がそれを傍証している。
敢えてダーウィニズム的にこの言葉に答えるなら、「想定する環境によってどのような生物種が生き残るかは変わります」という官僚的な答えが無難だろうか。


他にもダーウィンについては、進化論という主に宗教界から根強い反発のある分野の大家なので、「ダーウィンすらこんなことを言っているのだから進化論は怪しい」という主張のために発言がねつ造されることがままある。
「ハッハッハ、おかげで目が覚めたよ」という、本当にジョークとしてのみ扱われているネタもあるが……*1


  • マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス「カルタゴは滅ぶべきであると考える」

詳細はカルタゴの項目を参照。
ローマ史においては有名な大カトの持ちギャグ名言だが、恐らくは創作。
これが記された原初は『博物誌』(ガイウス・プリニウス・セクンドゥス著)。この資料、一見は真面目に自然や歴史について記載しているのだが、創作や空想と思われる内容が多い。
それに加えて、大カトが紀元前200年の人物であるのに対し、プリニウスが1世紀の人であるため、大カトの台詞もまた創作や誇張の一部である可能性が高いとされているのである。
ただし、大カトが真面目にカルタゴの脅威を懸念し元老院で発言をしていたというのは史実。後世の創作でふざけた感を出されてしまうとは大カトにとってはいい迷惑であろう。よって、私はカルタゴは滅ぼされるべきであると考える。


ちなみに田畑に塩を撒いて防病・防虫・防草を図ろうとする農法をカルタゴ農法と呼ぶ国があるらしいが、これはローマ人が焼き討ったカルタゴに塩を撒いたという逸話がもとになった言葉であり、実際にカルタゴがそんな農法をしたわけではない。
……というより、紀元前1000年頃のパレスチナ周辺に「打ち倒した都市への呪いの儀式として塩を撒いた」という記録はあるものの、植物が生えなくなるほど撒かれたかは定かではない上、紀元前150年頃のカルタゴ打倒においてカルタゴに塩が撒かれたかは記述されていない。*2
つまり、これは色々な意味で「実はやっていない農法」である(もちろん「それ破壊活動として行われたものに近いですよ」という多分に皮肉を含んだ言い種である)。


  • アーネスト・ヘミングウェイ「事実を事実のまま完全に再現することは、いかにおもしろおかしい架空の物語を生み出すよりも、はるかに困難である」

同じく梶原一騎原作の『空手バカ一代』の冒頭に登場する台詞であるが、ヘミングウェイの著作にこのような文言は存在しない。つまり、またしても梶原による創作である。
そもそも、ノンフィクションを大々的に売りにしておきながら(度々強調もしている)『空手バカ一代』自体に相当な創作が入っていたり*3、ましてや実在の人物の発言を摸造する必要性は面白さの追求という点でもなく、この漫画の理念や面白さは別に評価すべきだが、そこらの姿勢は微妙と言わざるを得ないだろう。


  • 張献忠「天生万物與人、人無一物与天、殺殺殺殺殺殺殺」

大明帝国の末期、当時頻発した貧農反乱の指導者の一人、張献忠が立てたと伝わる碑文に刻まれた漢詩。
中国史上最悪の虐殺者と名高い彼を象徴する一節であり、意訳すると「天は万物と人を生むのに
、人は一物として、天に与えない。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」くらいの意味になるらしい。
七殺碑と呼ばれて民間伝承としても大変流布した伝説であるが、きちんと現存している碑文の実物には「人無一物与天、鬼神明明、自思自量(人は一物として、天に与えるはなく、鬼神は明明にして、自ら思い、自ら量るべし)」と「淫祠邪宗に騙されんなよ」くらいのことが書かれており、内容は全くの虚構であることがわかる。
どうもこれはダイチン・グルンの自分たちが四川攻略で出した民衆への被害を張献忠に押し付ける一環として流布されたものらしい。
が、実際の張献忠の所業がどうだったかというと、張献忠に仕えていたイエズス会宣教師のガブリエル・デ・マガリャンイスや、大虐殺の生存者とされる欧陽直、幼少期に華陽県令の父親に連れられて四川に赴き、そこでの体験談を後年になって著した沈筍蔚が虐殺の現場ないしは張献忠が生きていた時代の事をしっかり書き残しており、ある程度は清朝の誇張があったにせよ、超規模虐殺それ自体はしっかり行われていたことは注意。


  • 夏目漱石「『月が綺麗ですね』と訳しなさい」

漱石が英語教師をしていた際、ある生徒が「I love you.」を「我、君を愛す」とそのままの意味で訳したところ、漱石は「日本人はそんな図々しいことは言わない。もっとロマンチックに『月が綺麗ですね』とでも訳しなさい」と言ったというもの。
だが漱石の著作を始め、関連する当時の記録にはそのような話は残されていない。さらに言えば、漱石やその周辺の人々からそういったことを聞いたという人の記録も存在しない。*4


上記の話と似たような話は1970年代末にも存在しており、そちらでは「『月がとっても青いなあ』『月がとっても青いから』などと訳した」とのことである。
しかしこちらも典拠が不明であり、恐らくは1970年代から都市伝説として語られていたのではないかと推測される。


  • アレクサンドロス三世「最強の者に」(τῷ κρατίστῳ)」

アレクサンドロスロマンを代表するセリフの一つであり、後のディアドコイ(後継者)戦争の呼び水になったとも言われる。
この言葉はプルタルコスの『英雄伝』やディオドロスの『歴史叢書』に記録されているが、当時の記録『バビロニア年代記』や『アレクサンドロス大王東征記』は断片的で、「最強の者に」の直接引用を裏付ける証拠が不足している。
研究者たちは遺言が側近(特にペルディッカス)の政治的意図を反映したプロパガンダである可能性を論じている。


  • ウィンストン・チャーチル「日本人は外交を知らない」

チャーチルはイギリスの軍人・作家・政治家で、何より第二次世界大戦中のイギリス首相を務めたことで有名な人物。*5
これは彼が日本の外交姿勢について語ったとされる350字程の文章の一節で、「我慢強く謙虚だが、限界を超えるとキレる」という日本人の性質を端的に表している。


日本人が抱く「日本人」のイメージに近い事から日本ではそれなりに引用される文章だが、実は原文が確認されていない*6上、当時のイギリス人の発言としては不自然な点が多く*7後世の日本人による創作か誤訳の可能性が高いとされている。
日本人が自分のイメージを元に創作した(あるいはそうなるように誤読した)文章なら、そりゃ日本人のイメージに近くて当然だろう。


  • ウィンストン・チャーチル「ダービー馬のオーナーになることは、一国の宰相になることより難しい」

これもチャーチルが言ったとされるもの。
ダービーというのはエプソム競馬場で行われる「ダービーステークス」のことで、世界各国の競馬場で行われる「ダービー」の元となった由緒あるレース。日本では東京優駿(日本ダービー)がこれに範を取って創設された。
毎年何千頭もの競走馬が生産されるが、そのうちダービーに出走できるのは3歳のみに限られる*8、ダービーに出走できるだけでも相当な競争率の上に生き残った競走馬だけである。
さらにそのレースで優勝できるのは1頭のみであることから、ダービーオーナーになることはどれだけ難しいかを語ったものであると信じられてきた。


が、当のチャーチルはそのような発言をしておらず、後世の創作であることが分かっている。
ちなみに第48代イギリス首相の第5代ローズベリー伯爵が首相在任期間、2頭のダービーオーナーになったことを自慢するスピーチをしたところ、「馬主と一国の宰相を同列に扱うな!」と批判された。


  • 池田勇人「貧乏人は麦を食え」

最初に断りを入れるが、「意味が違う」にも値する発言。
1950年12月7日に当時の大蔵大臣であった池田が答弁したとして騒然となり、マスコミにすっぱ抜かれて大騒動となった言葉。
実際には、「所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則にそった方へ持って行きたい」という発言が元。
「当時は米と麦の比率が所得に関係なくほぼ同じであり、その点を統制する現状はいかがなものか」という意見である。
これが翌日の新聞の見出しで「貧乏人は麦を食え」と悪意ある変換をされて掲載され、大ひんしゅくを買ってしまったというもので、本人はこんなこと言っていない。
池田は有能な大蔵官僚だったため大蔵大臣に大抜擢されたが、その大抜擢具合と過激な発言から国会やマスコミから格好の批判材料になってしまった面があった。
例えば「正常な経済原則に沿わないことをやって倒産し,さらに思い余って自殺したとしてもやむを得ない」みたいな発言を、「中小企業の五人や十人自殺してもやむを得ない」と報道されたりもしている。
もっともだんだんと慣れたのか、むしろテレビを利用し、出演して腰の低い様子を見せ、世論からの支持を取り付けられるようになった。
結果、総理大臣として高度経済成長の立役者の一人となったのは、読者のご存知の通りである。


  • 森喜朗「Who are you?」

内閣総理大臣を務めていた2000年にアメリカ大統領ビル・クリントンと会談した際、“How are you?”と言おうとして間違えて言ったとされる発言。
クリントンは機転を利かして、「I'm Hillary's husband(私はヒラリーの旦那です)」と返したが、森首相は「Me too」と答えてしまった……と続く。


首相時代の森は「無党派層は寝ててくれ」といった*9多くの失言などで内閣支持率7%という珍記録を出した。これは消費税導入とリクルート事件で大バッシングを受けた竹下登内閣と並び、歴代最低タイ記録である。
そうした森の数ある失言の1つとして週刊誌などで紹介されたが、実は彼の人気の無さをネタにしたただのジョークである。


このジョークは昔から政治記者らの間で知られていたもので、本来は「アジアの某国の大統領の逸話」として台湾で創作されたもの。
韓国では金泳三大統領(こちらも失言で知られていた)の発言という設定のジョークとして知られていた。
それを知っていた日本のとある記者が周囲に「森総理でも使えそうだな」と言ったところ、それが伝聞されていつの間にか事実として広まってしまったらしい。
つまり、最初から森総理を想定したジョークですらない。


森は繰り返しこの発言は事実無根だと批判している。
なおマスコミの中にもこの発言については懐疑的だった人が居たため、上述の経緯もそのような雑誌が検証した結果明らかになったものである。
また上述の記者にしても、あくまで知人に「こんなジョークがあるんだけど」という風に話しただけで、別にデマを広めようとしたわけではなく、自身も後に「森首相には申し訳ない」と述べている。


「人を殺したことがありますか?」という質問に対する回答とされる台詞。
実際にはこの様なやり取りはしておらず、別の質問に嘘の字幕が被せられただけである。
補足しておくと、この画像はウクライナ侵攻よりかなり前から出回っていたため、「実際の戦争についての不謹慎ネタ」や「ウクライナ支持・ロシア批判」を目的としていなかった可能性が極めて高いことに注意。


  • タモリ「ガキが…舐めてると潰すぞ」

タモリが司会を務める番組『ミュージックステーション』にガールズバンド「CHAI」が出演した際、タメ口で接した態度に対してタモリが発したとされた発言。
実際には、YouTube上に存在するゴシップ系の文字動画(コピペなどの文字だけが流れる動画)のサムネにおいてタモリの顔写真と共に表示されていた台詞で、タモリはこのような発言は一切していない。
しかし、「タモリが絶対に言わないような台詞であるが故の逆の意味でのインパクト」「どう見ても嘘なのにかなりの再生回数を叩き出している」という構図が面白がられ、ネット掲示板を中心にネタが広まってしまう。
結果として、「捏造発言が本気で信じられて広められた」のではなく「最初から捏造という前提で広められた台詞」という、実は言ってない台詞系としてはある意味珍しいパターンが発生した。


ちなみに、YouTube上に存在するゴシップ系動画は、芸能人の捏造発言などが週刊誌の捏造ネタ以上に観覧が容易で広まりやすい上に、捏造ネタで週刊誌よりも訴えられる可能性が少ないなどの投稿者のデメリット要素の薄さなどから、一時期は問題となった。
酷い時期になると、軽く情報収集をしようとするだけでYouTubeのトップページが「同じ記事」「同じサムネイル」「どの動画を開いても文字が流れるだけ」に占領されるという事態も多発するようになった。*10
近年ではそういったサムネイルの動画、レベルの低い動画はYouTubeの監視AIに広告を弾かれてしまうため、そういった動画が量産されることはなくなっている。
同様のネタとして、米津玄師に向けて北島三郎が発したとされる「レモンだ? 貴様この野郎」や、尾田栄一郎に向けて手塚治虫が発したとされる(イタコか何か?*11「尾田くん…見損なったぞ」などが有名。


  • さかなクン「あぁ? もっかい言ってみろよ!」

上記のタモリと似た例。
さかなクンの場合は、それっぽい画像に上記のテロップが載せられた画像がネット上に出回っていた。
普段温厚な彼がこのような暴言を吐くことはなく、「本当は怖い人なのではないか」との憶測まで浮上したが、これも本人が後に否定している。
この他、歌手の浜崎あゆみに対し「貴女のような人が『あゆ』と名乗るのは不釣り合いだから改名してくれ」と告げたという噂もあったが、もちろんこれも嘘。「そもそも会ったことがない」とのこと。
ちなみにNHKの『ギョギョっと☆サカナスター』など、実質的なさかなクン名義での冠番組であんまりにもくだらないオヤジギャグをしょっちゅう口にしているのは事実。それでも大半を魚名で韻を踏むように作っているのはさすがだが。


ネット上で数々の名言が拡散されているが、本人がそのほとんどを否定している。
いわゆる「江頭の発言とは思えない感動系の名言」はその大半がソース不明で、単なるギャップ狙いで作られたと思われるものが大半。
江頭自身が芸に真摯かつ真面目な性格ということは暴露されているので「江頭なら言ってそう」と思われるのも無理がないのだが、前述の通りデマを流すことはそれ自体が問題行為である。


江頭本人もネット番組「江頭2:50のピーピーピーするぞ!」で一連の噂を否定した際、
「これを言うことによってファンは減るかもしれないけど、そんなファンは初めからいらん!!」「どうせデマ流すならもっと面白いこと言え!!」と一通り叫んだ上で、「まあ真偽については自分たちで考えてほしい。ただ『善光寺はオレが守る』は言った」とたしなめて(?)いる。
また、江頭の公式YouTubeチャンネル「エガちゃんねる」でも同様の検証企画が行われ、
「目の前で悲しんでいる人を見つけたら何とかして笑わせたい。そのためなら警察に捕まってもいい。寿命が縮まってもいい」「恥ずかしいから自分のオンエア見ない」の2つ以外は「言ってない」「話が膨らんでる」と否定している。


ちなみに「1クールのレギュラーより1回の伝説」「お前ら俺を撮れ!俺がルールだ!」などの破天荒な信条はソース不要なほど本人が連呼している。


江頭同様に「実はいい人」という噂がネット上に流布された芸人達の一組。
その中のエピソードの一つとして、『ごっつええ感じ』の収録で倒れた松本の元に浜田が他の仕事をキャンセルして駆けつけ、「お前は俺が死んでも笑いに変えられる力があるけど、俺はお前が死んだら泣くことしかできへんぞ!」と泣いたのに対し、「俺も他の奴やったら笑いに変えられるかもしれんけど、お前が死んだら泣くしかできへんわ」と返したという話が流れていたが、
水曜日のダウンタウン』の中で「1mmもあってない」(松本)「ごっつの収録に二人そろっていないのはおかしい」(浜田)と揃って否定。
松本がインタビューで「無人島に一つだけ持っていくとしたら浜田」と答えたという話も「俺はゲイじゃない」と否定している。


しかし、「インフルエンザにかかったマネージャーに『松本の娘に移ったらどうするんだ!』と浜田が激怒した」というエピソードは「そんなにきつい言い方はしていない」と言いながらも浜田が認め、松本が素直に「ありがとう」と感謝の意を表している。


  • デーモン小暮閣下「お前は自分の子供に『人間』と名付けるのか?」

1993~1994年にかけて起こった「悪魔ちゃん命名騒動」の際、リポーターから「やはり子供には『悪魔』と名付けるのですか?」と聞かれた際の返答とされる。
常識人悪魔らしいデーモン閣下を象徴するような名言としてWikipediaにも載っているエピソードなのだが、そのWikipediaですら出典がつけられていない(なんというインタビュー記事で発せられた返答なのか不明)というなんとも怪しい部分がある発言。
「絶対に言っていない」と断言するのは難しいが、明確なソースが不明である以上は半信半疑ぐらいに受け取っておくのが無難だろう。
なお、その奇矯な見た目に反してデーモン閣下が非常に良識ある芸能悪魔なのは数々のエピソードからもわかる事実である。


ちなみに、自分の息子(九男)に「人」と名付けた戦国大名は実在する。


  • ひろゆき「面白くない人が居場所を主張し始める」「面白い人が見切りを付けていなくなる」

今なおネット文化の金言かのように度々引用される「コミュニティの一生」コピペの一節。
大元の書き込みは、2ちゃんねる創設者で知られるひろゆき(西村博之)が語った事で有名である。
しかしこのコピペを貼る事で場が白ける事は少なくなく、昨今ではコピペへの懐疑的な声も多い。


それもそのはず、元の書き込みに上記の文言はなく、一般的に知られているそれは後からコピペとして広めた誰かが付け足したものである。


元の書き込みは、よく知られているコピペにも書いてある「面白い人が集まる」「面白いので人が集まる」「つまらない人がつまらない事を始める」の3段階を提示している。
これはコミュニティの陳腐化を風刺しているものの、その衰退の原因については明言していない。面白い人たちのネタがコミュニティの毛色に付いていけなくなった場合や、人が集まってネタが出尽くした場合にも通じる書き込みとなっている。
しかし一般的に知られている方のコピペは新参を一方的に荒らし扱いする2行が追加されており、現在のコミュニティに飽きた先客が全責任を押し付けて“居場所を主張できる”ものに変化している。
有名な人物の発言が後の人物にとって都合良く改変され、本来の価値を損ねてしまうという典型的なケースである。


元の発言にしてもネット黎明期に生まれた理論であり、対象を「(2chの)雑談板」に限定して書かれている。つまり発端のレスは「2ch雑談板の一生」であり、実は「コミュニティの一生」として作られたものですらない。
現在ではコミュニティのあり方も多彩化しており、新参の質と無関係な衰退も珍しくない。*12
衰退したコミュニティから面白い人が消えるのは当たり前のことであり、結果だけ見て安易にコピペと結びつけるのは危険なところもある。


  • 小林強*13「SMSってTwitterのことですよね。皆さんがTwitterされてるとは限らないですし」

2019年7月1日にサービス開始したものの、アカウント乗っ取りによる不正利用が相次ぎ、たった3日でサービス停止となった決済アプリ「7pay」の緊急記者会見にて、当時株式会社セブン・ペイの社長だった小林がSMS認証について質問されたときの発言とされる。


言うまでもなくTwitter(現・X)は「SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」のひとつであり、「SMS(ショート・メッセージ・サービス)」とは全く違う。
かねてより専門家からセキュリティの脆弱性を指摘されていたにもかかわらず、7payのサービス開始を強行した会社の無知っぷりを象徴するとんでもない勘違いとされている。
だが実際には記者会見を全て見てもそんな発言はなく、実態はただのデマツイートだった。現在は削除済。


  • タイの女優「タイのものだったアンコールワットを奪ったカンボジア人は嫌い。アンコールワットはタイに返すべきだ」

日本での知名度は低いが、タイとカンボジアでは国際問題にまで発展した、伝説級の「言ってない台詞」。
2003年、カンボジアのメディアが上記の内容を「テレビで発言した」と報じたところ、これを読んだ首相は激怒。該当のテレビ番組を放送禁止にまで追い込んだ。
元々タイとカンボジアは国際関係があまり良くなく、これきっかけにカンボジア人3000人が首都の大使館前でデモを起こす事になった。
そのうえタイ国旗を焼き払った写真がタイ側のメディアに行き渡ると、タイの方でも大規模なデモへと発展し、収集が付かなくなっていった。
タイ大使館の職員全員が帰国を余儀なくされ、両国の渡航は制限がかかる事態にまで陥り、最終的にはタイ人1人が死亡、被害総額30億円という大惨事になったとされる。


しかしその後、報じた誌面の編集長の自供により発端となった発言は全く存在せず、聞き捨ての話を裏も取らずに掲載した事実が発覚した。
デマを流された女優も早い段階で否定していたが、多くの人は聴く耳を持たなかったのである。
いい加減な誤報により国際問題まで作り出し、あげく犠牲者まで出したという、本記事中のあらゆる「言ってない台詞」さえも行わなかった悪質なデマの真骨頂である。
騒動の数日後には誤報であることが知れ渡り、両国は和解とともに関係改善に努めたという。


  • 池上彰「天安門事件では一人も殺されていない」

元々池上氏は何かと誤情報を発信することがネット上で問題視されているのだが、逆に「池上彰がデマを流した」というデマも定番化しており、その最たる例がこれ。


BSジャパンの番組で中国政府寄りの陰謀論を発したとして拡散されているのだが、実際は「天安門“広場”ではなく別の場所で殺された」という旨の発言を、全く異なる内容に捻じ曲げたものである。
実際の放送では、殺されたことまで直後に述べている。


なお、これがデマだと理解した上で「天安門広場で殺されていないというのもどっちにしろデマ」と反論する意見もある。
現代の視点では概ね間違っていないのだが、天安門広場で死者が出たとする学説が提唱されたのは2017年なのに対し、該当の番組が放送されたのは2011年である。
つまり放送当時の見解としては特に間違ったことは言っておらず、この点で池上氏が責められる謂れもない。


池上関係の類似のケースとして「共産主義は理想」もある。
こちらは放送を見れば理想でしかない、実現しようのないことは少しでも現実的な視点で検討すれば容易に把握できたシステム……というニュアンスでの表現*14だったことは容易に理解できる。
だが、ここのテロップが出たところだけ切り抜いて「池上はガチガチの共産主義者(なので本来ならTVに起用してはいけない人材だし、それを黙認しているTV局も同罪)*15という誤情報として目にすることがインターネット上では多いだろう。


  • 松永浩美「甲子園は幼稚園の砂場」

ほぼ創作系の発言だが、一応意味が違う系の要素もわずかにはある発言。
当時阪神タイガースにトレード移籍してきた松永浩美が、在籍期間1年のみで当時新たにできたFA制度で福岡ダイエーホークスに移籍をする最中に松永が発言したとマスコミに報じられ、当時の阪神ファンの間で大騒ぎとなった。


実際には、スポーツ紙による全くの捏造発言であったとされる。
当時、阪神には盗塁が得意な選手がいなかったことで松永はグラウンドキーパーに「硬めにしてくれない?柔らかすぎて滑るんだよ」と要求。
その際にグラウンドキーパー側が「幼稚園の砂場くらいか?」と質問し、それに対して松永は「いや、そんなには……」と答えたという。
この時の両者の会話がいつの間にか歪められ、それを関西メディアが伝えたことでこの悲劇は起きたと言われている。
松永という人物も、自分が言いたいことはハッキリと言い出すという性格の人物で、これもマスコミとの相性が悪かったようだ。


なお、この当時は松永は1か月間誰にも会わないような体制をホテルで取っていたにもかかわらず、日々自分のコメントとされる発言が報道されたとのこと。
そのため、松永は滞在先のホテルで記者に質問を受けていたという行動もデマとされている。


この騒動は現在では、移籍する選手に対する地元マスメディアとファンの攻撃性が生んだ悪例として語られることが多い。*16


  • 無名の少年「嘘だと言ってよ、ジョー」

1919年、アメリカのメジャーリーグで発生した八百長事件「ブラックソックス事件」において、ファンの少年が発したとされる台詞。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、八百長に加担したとされるジョー・ジャクソン選手が、裁判所での聴取を終えて出てきた際、外で待ち構えていた少年がジョーにこう呼びかけ、これに対してジョーは“Yes, boy. I'm afraid it is.(いや、坊や。残念だが本当なんだ)”と返したという。
本来は“It ain't true is it, Joe?(あんなの嘘なんだろ、ジョー?)”だったが、この話が伝聞で西海岸に伝わる頃には“Say it ain't so, Joe!(嘘だと言ってよ、ジョー)”に変わっていた。
……が、後年ジョーが語ったところでは、そんなことは言われていないし、自分も答えていない。そもそも野次馬の中に子供はいなかったというのである。
ただ、「純真な少年が発した悲痛な台詞」としてあまりによくできていたため、「嘘だと言ってよ、○○」というフレーズは新聞の見出しやフィクションの台詞として多用されることになった。
OVA『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』のサブタイトルの一つ「嘘だと言ってよバーニィ」もその一つである(こちらもサブタイトルには使用されたが、劇中では言っていない)。


  • 小林英一*17「あなた方にはゴールドシップが優等生に見えるのですか? 一から作り直してください」
  • 大城敬三*18「谷水さん*19は許諾したんですよね?(氏の馬の)ウオッカより巨乳にデザインするのであれば私も許諾しましょう」

ウマ娘 プリティーダービー』に関するネタで、それぞれゴールドシップ号ダイワスカーレット号に許諾をもらうため、キャラ造形を見せた際にCygames側が言われた言葉……とされる。
現状一切「どうもこう言われたらしいよ」以外にソースがないものを信じるのはさすがに厳しく、また原案デザイン(スカーレットの固有勝負服にファーがついてるアレ)を見る限りではダイワスカーレットのバストはウオッカよりデカいどころか、当時の参戦決定馬ぶっちぎりレベルなので「盛れ」と言うのは不自然であろう。
むしろイラストレーターが変わったことで、現在の公式立ち絵は縮んだようにも見える。


なお、大城氏の発言は「ウオッカよりもかわいくしてください」としているバージョンもある模様。これならむしろ馬主として自然な感情ではある。
シップは言わずもがな。121億飛ばしたやつが…優等生……??


また、セイウンスカイ号ニシノフラワー号の権利者*20である西山茂行*21はダイワスカーレットに関する発言を指して、
「わしがハンコを押した時期から考えると、サイゲームスさんがあれを持って行ったのは大城さんがすでに非常に病気が重くなっていた時期ではないかと思う」「少なくとも大城オーナー自身は、あのダイワスカーレットの『こういうキャラになる予定ですよ』の絵はそもそも確認できるような体調ではなかった」
と発言しており、少なくともダスカに関しては関係者からの反論も出てしまっている。


ところで、史実のダイワスカーレット号関係者が「本物もこんな子だった。前に行こう前に行こうとする、レース大好き一等賞大好きな子だった」と発言したのは事実で、競馬番組において解説者の安藤勝己(現役騎手時代、ダイワスカーレット号の全レースに騎乗)がウマ娘版を確認した上で史実をこのように紹介。安藤氏がウマ娘ガチ勢になった今でもお気に入りのようだ。
『馬なり1ハロン劇場』の描写を挙げて「全部ひらがなで喋ってもいいくらいのアホの子だった」とも言われちゃったが*22


  • 権田修一「浦和に期待した僕がバカでした」

2010年、成績が低迷してJ2降格となったFC東京に当時所属し、日本代表でも活躍したGK権田修一がインタビューで言ったとされていた発言。


最終節に既に降格が決まっていた京都サンガに0-2で敗れたものの、残留争いのライバルであるヴィッセル神戸の勝ち点を上回っていたため、対戦する浦和が神戸に勝てば残留が決まるはずだった。
ところが試合結果は大方の予想に反して神戸が4-0で快勝し、最終節で順位を逆転されたFC東京はJ2へ降格。
この結果を受けて「神戸は4-0ですか……浦和に期待したボクがバカでした」と号泣しながら権田が発言したと報道され、ネット上で「自分たちが勝てば残留できたのに他チームに他力本願していた上、ヘイトをぶつけるのはいかがなものか」と炎上することになってしまった。


しかし10年後の2020年、権田本人のインスタライブにて、件の発言は「浦和に期待するほどバカじゃないですよ…」という発言がメディアにねじ曲げられたものであり、実際には上記のようには発言していなかったと告白した。
メディアによって印象操作された結果、悪印象を植え付けられてしまった被害者であることは事実だが、結果的に実際の発言も「他力本願では残留などできない」という意味合いではあるものの「浦和に対する敬意がないともとれる」と賛否両論となっている。


  • 桑原将志「負けて悔しくないんか?」

2024年日本シリーズは、ペナントレースで他チームを圧倒しクライマックスシリーズも無傷で勝ち抜けた福岡ソフトバンクホークスと、レギュラーシーズン3位から勝ち上がるも怪我人やポストシーズンの過密日程で満身創痍の横浜DeNAベイスターズの対決となった。
最初の2戦は大方の予想通り力の差が露わとなりソフトバンクの2連勝となったが、この結果を受けDeNAはチーム内で緊急ミーティングを開催。
そこで放たれた桑原のこの言葉により奮起したDeNAはそこから破竹の4連勝、逆転で26年ぶりの日本一に輝いた。
桑原当人も打撃では日本シリーズ新記録の5試合連続打点・歴代タイ記録のシリーズ6試合9打点を記録、守備でも得意のダイビングキャッチで何度も投手の危機を救うなど大活躍し、シリーズMVPを受賞。
「1人のベテランの言葉により日本シリーズの行方が変わった」というストーリーはメディアでも大きく報じられた。


……が、MVP授与式におけるインタビューにて桑原本人から「(『負けて悔しくないんか』とは)言っていない」との発言が飛び出す。
曰く「前回の日本シリーズに参加した選手として言葉を求められ、『全員で立ち向かっていこう』といったニュアンスのことは伝えたが、このような強い言葉は言っていない」とのこと。
出所が不明な割にほぼ事実のように伝えられ、1週間ほどの短いシリーズ開催期間中に野球ファンの間ではフレーズがすっかり定着したところからの真相判明……という顛末は世間でも大いに話題になった。
周囲の一部からは「このような発言はあった」と証言する声もあったようだが、同シーズンオフに公開された上記日本シリーズも含めたポストシーズン中のチームの裏側を追った公式ドキュメンタリー映画『勝ち切る覚悟』の当該場面を確認すると、桑原は「負けていることに対する悔しさを抱いているように感じ取れなかった」という趣旨の呼びかけこそしているが、本人の証言通り強い言葉遣いはしていない。
一方で東克樹の「さすがに指笛が気になる」とのアンパイアへの相談や、「指笛自体は否定しないが、でも投球モーション中は控えてほしい」という内容の本人SNSでの投稿はしっかり言っている。そしてこれが後にソフトバンクに対してとんでもない疑惑・陰謀論が持ち上がる遠因になってしまった


なお、DeNAでは翌2025年シーズン中盤に打線の中軸かつキャプテンの牧秀悟が怪我で登録抹消・長期離脱となった際、普段は寡黙なベテランの宮﨑敏郎が「全員がキャプテンになったつもりでやっていこう」とチームメイトを鼓舞、これがきっかけで貧打に喘いでいた攻撃陣が奮起し牧の抹消直後の試合に勝利した……とされていたものの、これについても宮﨑本人が「(『全員がキャプテン』とは)言ってないです」と否定するという事態が発生している。*23


ぶっちゃけこのセリフを一番言いたいのは、同年3年連続最下位となった中日のファンだろう


  • 矢作芳人「大地が彼のキャンバスになる」

牝馬初の春秋グランプリ連覇を達成したリスグラシュー、三冠馬コントレイル、日本馬として初めてブリーダーズカップを制したラヴズオンリーユー&マルシュロレーヌ……など、多くの名馬を管理してきたJRA調教師が言ったとされる言葉。
「彼」というのは、矢作の管理馬の一頭であるフォーエバーヤングのこと。ダート戦線を中心に活躍を続け、国内外で数々の重賞制覇を成し遂げた。


だが、そもそも矢作がフォーエバーヤングについてそのような発言をした事実はない。
むしろ実際には当初「イマイチパッとしない」「ゲート試験大丈夫か?」とあまりいい感触を得られず、レースでもダートではなく芝で走らせることを考えていたという。
この発言の出典とされるのは2025年のサウジカップ前にフォーエバーヤングの紹介PVとして放送されたアニメなのだが、この発言の他にもツッコミどころ多数な代物だったりする。
一方で十分に製作側の愛が伝わってくる作品でもあるので、ファンからは好意的に受け止められているようだ。なお、フォーエバーヤングが数々の名勝負と快挙を果たしてきたため後天的に事実となるというオチが
詳細についてはフォーエバーヤングの項目を参照。


  • 鳥山明「自分の子どもを賭博屋に売る人間がいますか?」

鳥山明が「寺田克也全部 -寺田克也全仕事集-」という本の424ページにも及ぶ対談コーナーで、「自分の漫画のパチンコ化を許可するつもりはない」という趣旨で言ったとされている。
実際には、そもそも同書に424もページ数はなく、対談が載っていたとされるページ自体が物理的に存在していない。
ちなみに同書のAmazonの商品ページを確認するだけでも、全部でおよそ300ページほどしかない事がわかる。
また、「鳥山氏がギャンブル嫌いだった」と語られることが多いがこちらも明確なソースがない。
後年はどう思っていたかは不明だが、デビュー直後にはパチンコ、競馬を嗜んでるとする発言もあり、少なくとも全くの無理解というわけではなかったと思われる。
一方で、経済紙のパチンコメーカー幹部のインタビューとして「鳥山氏がパチンコ化に関して首を縦に振らない」とする内容の記事もあり、そういった方面に慎重だったこと自体は事実のようである。


ちなみに、後にこの逸話の真偽を実際に検証したブログのコメント欄にて、コピペ制作者本人*24による釣り宣言と裏話の暴露が行われるという珍事が起きた。
その製作者曰く「まさか出典明記してる上わりとメジャーな本なのに誰もそれを読まず、あまつさえコピペされまくるとは思わなんだ」との事。
いくら有名な本でもかなり特定の界隈の人しか知らない&釣りと称しても悪質さには変わらず、あまり言い訳になっていないが。
とはいえ、「内容を確認せず一部分のみを見て拡散する」というのは近年のSNS上では多く見られる事象であり、注意が必要である。


  • 藤子・F・不二雄「よく『漫画家になりたいなら漫画以外の遊びや恋愛に興じろ』だとか『人並の人生経験に乏しい人は物書きには向いていない』だとか言われますが、私の持っている漫画観は全く逆です」

一時期ネットに出回ったコピペの一部で、元々は具体的なたとえ話を交えた20行にも及ぶ長文なのだが、発言の出典が一切明らかになっていない。
こんな文が本人の死後10年近く経ってから何の脈絡もなく出現し、さらに10年近く経っても実際に出典を確認した人物が現れないというのは、疑うなという方が無理な話であろう。


また、

  • 書かれている内容とF先生の作風が微妙に噛み合っていない。むしろF先生は漫画以外の凝っている遊びやネタを積極的に取り入れているように見える(例えば『ドラえもん のび太の恐竜』以前から先生は恐竜マニアだった証言がある*25、など)
  • F先生は一人称に「私」ではなく「僕」を使っていた(本人インタビューや、アシスタント経験者の回顧漫画などから確認できる)

といった指摘もあり、コピペ自体の出来もいいとはお世辞にも言い難い。
少しニュアンスが近い本人の発言もあるが、ネタはあっという間に枯渇するから創作でも人の話でもどんどん吸収してネタを蓄えろという話で、どっちかというと量の話である。


そもそも当のF先生ご本人は自著『藤子・F・不二雄のまんが技法』の中で、他のプロ漫画家と同じように、好奇心を大切にして漫画以外の遊びなどに触れ、積極的に引き出しを豊かにすること、人生経験の大切さを説いているため、嘘の可能性は極めて高いだろう。


  • 藤子・F・不二雄「のび太は副主人公なので主人公ではない」

「のび太は副主人公」までの発言は過去のエッセイや講演会で実際に行われており、この発言を理由にウィキなどではのび太を副主人公と表記するよう厳命するユーザーも現れがち……というかこのアニヲタWikiでもそういう傾向が見られていた。*26
しかし2024年に入り、ピクシブ百科事典*27のとあるユーザーがファクトチェックを行い、F先生がのび太を主人公と呼んでいるソースも大量に見つかることを提唱した。
発言のタイミングをまとめると、要するに「副主人公」とはドラえもんも同時に語る場合に便宜的な区別として使っているだけで、のび太が主人公では無いかのような扱いはしていない。
それどころか、初期のキャラクター紹介ではのび太のみを「しゅじんこう」として扱っているソースまで存在する。


  • 冨樫義博「ヒソカやイルミなら護衛団は余裕で倒せる」

人気漫画『HUNTER×HUNTER』の強さ議論で引き合いに出される話題で、作者の発言かのように度々引用されるが、ソースは見つかっていない。
広まった原因として考えられるのは、恐らく2014年頃に建てられた2ちゃんねるのスレである。
このスレは「(自称)作者の元アシスタントが作者とのやりとりを元に強さランクを作成した」と言う内容で、そこから広がってしまったのではないかと推測される。
当然スレ内で半信半疑の空気もあったのだが、まとめブログがそうした書き込みを削って紹介した事で浸透した可能性がある。


そもそも作中では護衛団の一人であるネフェルピトーとの接触をキルア=ゾルディックが振り返った際に、「薄気味悪いオーラだった…兄貴より…ヒソカより…」と直接的な実力ではないにせよ、ネフェルピトーの方が上だという趣旨の発言をしている。
なお、この件に関して「そもそも冨樫はアシを付けない」と言って否定する人もいるが、これは誤りなので注意。*28


かの有名な格闘ゲーマー・ウメハラが発したとされていた言葉。
後に『ファミ通』のウメハラ本人のインタビューにて、「小足見てから昇竜余裕なんですか?」という質問に対して、見えません(笑)。それは友人が言った『小足出すと確実に昇龍で返されるから、見えているんじゃないのか?』というのが一人歩きして広まったんだと思います」
と否定し、ニコ生でも同様の質問に「無理に決まってるじゃん」と回答していた。


このセリフが出た当時なので『スーパーストリートファイターⅡ X』の話だと思われるが、同作の小足は発生4~8フレーム。さらに対戦でデフォルトだったターボ3設定だと1.3倍速なので実質的には3~6フレームである。
人の操作の場合は「画面に表示されたのを見てから反応」する以上そこに最低1フレーム、さらに昇龍拳は623+Pと3回入力が必須で更に3フレームの入力時間が必要。
つまり合計4フレーム掛かるわけなので、3フレーム以下の小足に反応して昇龍を出すというのはゲームシステム上不可能。
そして、人間の反射神経の限界が0.1秒(6フレーム)、普通に鍛えられた人間でも10~12フレームくらいが限界なので、1フレーム反応と言うのは非現実的。
つまり「遅い小足でも6フレで飛んでくる『スパⅡX』の小足は『見てから反応』することはほぼ不可能」という結論に達する。
一応「ここで来そうという時に先にレバーだけ入れておいて、見えたら押す」であれば「右下を入れてから10フレーム以内に小P」で昇龍拳を出せることは出せるが、それでも5フレーム以内にモーションを見切ってボタンを押すというのは無理だとわかるだろう。
要するに単純に先読みしていることと、その精度がかなり高いことによる技能である。


両作の脚本を務めた荒川が言ったとされる発言。ファンの中にはこの発言に難色を示す者もおり、本当にあった発言だったのか度々議論の的になる。
しかし、これに関してはデマとも言い切れず、明確なソースが存在している。当時の次番組の公式ホームページにて、それを肯定する文言が書かれていた。
だが、これは別のスタッフが聞きづてに書いたものだったらしく、荒川本人が後に「言ってない」と発言を否定。
ソースがあるにもかかわらず、それが間違っていた事で「言ってない」に分類される特殊な例である。


  • 東野英治郎「アニメやアフレコは自分の尺で演技できない、芝居とは呼べない外道の所業」

東京新聞のコラム「“声”優に危険手当てを-他人の演技に合わす苦しみ」にて東野が発言したとされる。
実際には「外道の所業」という言葉を使っておらず、またアニメに関しても言及していない。
東野はこのコラムにおいて、「俳優は自分独自の方法で役を作るもので、演技は動くから自然に声が出て、声が出るから動くものなのだ」「他人の作った役の動きに声だけ当てるアテレコを続ければ、気を付けないと片輪になりかねない危険なものだ」(要約)といった趣旨の発言をしている。
確かに少々手厳しい意見と言えるが、東野本人は声優業という仕事に関して持論(懸念)を述べているだけであり、さらに同コラムにおいてはアテレコについて「最近はだんだんにうまくなってきている」と評価もしている。
しかし、このコラムについては反対意見も複数寄せられ、いわゆる「アフレコに苦言を呈する意見」の部分のみが独り歩きした結果、このような誤解が生まれたといえる。
また「片輪」という表現は現代だと差別用語なので、別の言葉に置き換えられてニュアンスが別物になったのかもしれない。


  • 任天堂このキャラクターは超能力が使えます。もし貴方とこのキャラクターが似ているというなら是非ここで超能力を使ってみてください」

任天堂が超能力者のユリ・ゲラーに名誉毀損で訴えられた際の裁判で、任天堂側の弁護士が言ったと言われるセリフ。ユリ・ゲラーはこの正論に反論できず敗訴したとされている。
しかし、ユリ・ゲラーが敗訴した事自体は事実だが、実際の敗訴理由は、「ユンゲラー」の名称は日本国内でしか流通しておらず(英語版の名称は「カダブラ」)、連邦法での訴訟の要件を満たさなかったためである。つまり却下に近い扱い。
ちなみにユリ・ゲラー本人は後年になって心境に変化が生じたらしく、訴えたことを謝罪した上で、ユンゲラー禁止処分要請の取り下げをTwitter(X)で宣言している。


  • 桜井政博「カービィに人型キャラは出さない」

星のカービィシリーズアドレーヌが長い間登場していなかったことについて、桜井が人間キャラを嫌っていたのが原因というもの。転じて、桜井が圧力をかけていたかのように評されることがある。
しかし、ゲーム作品に対してこうした発言をしたというソースは存在しない。


実際、アドレーヌはそのキャラ人気にもかかわらず長いこと顔見せしていなかったのだが、これは『星のカービィ64』初出のキャラほぼ全員に言えることであり、アドレーヌに限った話ではない。
具体的に言うと、アニメカービィではデデデの衣装やストーン能力に64の要素があるのにキャラだけは出番が無く(一方、桜井が関わっていない『2』や『3』のキャラは登場している)、『大乱闘スマッシュブラザーズX』では『64』出典のシールはあるのに64初出のキャラが映るシールは1枚も無いなど、64の要素が登場することはあってもキャラの露出だけが露骨に避けられていた。


2018年の『スターアライズ』発売時、スタッフの熊崎信也ディレクターは、64のキャラは事情があって長い間出すことができなかったことをゲーム雑誌のインタビューで語っている。
つまり大人の事情が絡んでいたのは確かだが、アドレーヌが人型のキャラである事とは全くの無関係である(『64』初出キャラは数十体近くいるが、その殆どは人型ではない)。
一方、桜井は2004年を最後にカービィ作品の開発に関わっておらず、その後に出たソフトにまで圧力がかかっているというのはいくらなんでも無理がある。
要するに人型であるかどうか以前に、そもそも桜井とは無関係にアドレーヌを出せなかった可能性が高い。


ただし、アニメカービィの登場人物については桜井がキャラ造形に縛りを設けていた旨の発言をしたことがあり*29、これが曲解されて上記の噂に派生してしまったものと思われる。


  • 野村哲也FF7では劇中で大々的に死亡するキャラの復活イベントを作る予定だったが、坂口博信氏が命の尊さを重視したため止められた」

人気ゲーム『FINAL FANTASY Ⅶ』の有名な裏話とされていたもの。
2021年時点でほぼ既成事実と化しており、あらゆるWikiサイトで事実のように書かれていた。
またゲーム中、このキャラが退場した後のシーンに専用イベントがあったことから「元々は生存ルートがあったのではないか」と噂されており、この逸話を補強していた。


しかし2021年、とあるTwitterユーザーが国会図書館等を通じてあらゆるソースを全て洗い出し、デマであると結論付けた。
その調査報告は93ページに及び、かなり本格的となっている。
デマの発端はとある小規模な掲示板にいた、思い込みの激しいクラウド×エアリス派のオタクだったとのこと。
この人物は自身が見たものを都合よく解釈する姿勢が見られており、この復活イベントも思い込みで作られた妄言だったようである。
しかしこの発言が当時の2ちゃんねるに伝わり、それがFFの大手Wikiサイトにまで載せられ、結果的に事実のように広まってしまったとされている。


またこの調査報告では、退場キャラがたどり着けない場所にイベントが存在した理由も考察している。
調査者が調べたソースによると、FF7のミニゲームは挿入場所を考えずに作られていたようで、当初は離脱後に挿入するか決まっていなかった可能性も十分にあるという。


後にこの調査者は、あるネットユーザーの不正やり込み疑惑の追及で大きな成果を挙げ、大きく知名度を上げることになった。


  • 富野由悠季「はっきり言います。SEED嫌です。本当に嫌でした」

初代『機動戦士ガンダム』監督による『機動戦士ガンダムSEED』批判の発言……と見せかけて、出来がいいものや自分の作品に縛られたものほどボロカスに言う富野監督の面倒くささ発言がアンチによって切り取られたものとされている。
実際には、2ちゃんねるのスレに書き込まれた「富野監督が言いそうなセリフ」が初出であり、本当に富野監督がこのような発言をしたというソースはない。
むしろ富野自身は、福田己津央監督がスポンサーの介入で困っている時にアドバイスを送ったり、劇場版『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』のクオリティについて直接福田監督を褒めたりするなど、『SEED』に対して割と好意的だったらしい(もっとも、富野監督は種フリ以前から「自分が携わったガンダム作品は嫌い・ガンダムブランドの創設者としてクレジットされただけで制作にはノータッチの作品は大好き」という基準で観ていることは指摘されていた)。
ちなみに富野監督が『新機動戦記ガンダムW』を「すばらしいアニメでした。あれはヒイロリリーナのセックスを見事に描き切っている」とレビューしたのは本当のようだが、これは氏がこういう場合に「セックス」と表現するのはカミーユ・ビダンに他の飛田展男の持ち役のセリフを嵌めていくアレではなく、エッチを前提にしないものも含めた恋愛全般なので別に矛盾してはいないし、それどころか『W』TVシリーズの内容を9割近くこの一言でまとめることに成功している名レビューですらあるだろう。


  • 宮崎駿「Anime was a mistake.(アニメは間違いだった)」

宮崎駿が2013年のドキュメンタリー『夢と狂気の王国』で言った台詞についた英語の字幕とされるもの。
本当は「(日本のアニメーションはね。観察によって基づいてない。ほとんど)人間観察が嫌いな人間がやってんだよ。だからオタクの巣になるんだよ」と言っていた。
2015年にTumblrユーザーが投稿した嘘字幕だったが、日本の萌えアニメばかりの現状を憂いて言っていそうだったため、海外のアニメファンの間で浸透してしまった。
言ってない台詞だということが発覚した現在も、台詞を改変したネタが用いられるなどしている。


杉田智和岸尾だいすけ八代拓など様々な声優にネタされるモノマネだが、当の本人は「言ったことない」と話題になる度に否定している。
元々特徴のある声なので若本規夫と並んでモノマネされやすい事もあり、「森久保のモノマネと言えばこれ」という状態になっている。


  • 尾田栄一郎「ルフィの母親は既に作中に登場している」

漫画『ONE PIECE』において、考察サイトなどで主人公のモンキー・D・ルフィの母親の正体推測の際に度々引用されるが、作者が明確に発言したというソースは存在しない。
ただし、北米版の『Shonen Jump』2009年12月号の読者コーナーにて、ルフィの母親に関する海外読者からの質問に対し“I think she's alive(生きていると思う)”との回答があるため、ここから尾ひれが付いた可能性がある。


ちなみに何故か『HUNTER×HUNTER』の方でも全く同じデマが広がっている。上記の噂に更なる尾ひれが付いたのかもしれない。


また同様に、ルフィ達の旅の目的の一つである『ひとつなぎの大秘宝ワンピース』の正体に関して「形あるもの(思い出などの抽象的なものではない)」と発言していたともされ、こちらも長らく真偽不明であった。
だが2014年発行の集英社のムック本『さくらももこ編集長おめでとう』にて、さくらももことの対談で同氏からの「ワンピースの正体は自身の心の成長とかじゃないよね?」との質問に「そんなオズの魔法使いのような展開にはしない、あれだけ頑張ったのだからキチンとご褒美をあげないと」と返答したことにより公式化した。
加えて2019年には『ホンマでっか!?TV』にて司会の明石家さんまとの対談で「(オズの魔法使いのような)これまでの冒険そのものが宝なんだというような展開は嫌い。ちゃんと冒険してきたんだから物をくれと思っているので絶対そういう結末にはしない」という旨の発言もしている。


  • 遊戯王OCGの関係者「まるで金を刷ってるようだ」

遊戯王オフィシャルカードゲームの爆発的ヒットに浮かれる遊戯王の関係者が漏らしたとされる言葉であり、なんらかのTCGがヒットするたびに引用される。
ところが、その時々で発言者が「原作者の高橋和希」「販売元のコナミの人」あるいは「印刷会社の人」とコロコロ変わり、また言い回しも「金」ではなく「札束」になったりする。
実際にはかってに改蔵」第206話での改蔵のセリフである。
ただし、このエピソードは当時のTCGブームを題材にした回であり、また全文も「まるで金を刷ってるようだ。と関係者は語ったとか!」であり、結局のところ遊戯王OCGがバカ売れしている様を揶揄する言葉に変わりない。


なお『改蔵』の描写を見るに、残念ながら作者のカードゲームに対する造詣はかなり浅いと見受けられる。
どうやら当時の遊戯王ブームでしか同ジャンルを知らないらしく、「唐突に流行った安易に金が稼げる子供騙しのおもちゃ」かのように扱う偏見が複数回描かれており、それ以前から大人向けのホビーとして高い評価を受けていた事を認識している様子がない。
「ファンが言われたくない事を突く」というテーマの回において、かなり的外れな煽りを描いた事もある。
同作はサブカル関連から時事ネタまでの幅広い知識をネタにしたギャグ漫画として高く評価されているが、カードゲームの知識はあまりないようだ。


  • 遊戯王OCGの問い合わせ窓口「カードが違うということです」

同じく遊戯王OCGより、あるカードの裁定とされるもの。「カードが違うとはどういう事ですか?」という質問に対するめちゃくちゃな回答となっており、コンマイ語の一種として広く知られている。
しかし、発祥とされる記述は遊戯王カードWikiを模したコラ画像であり、該当の記述は編集履歴に存在していない。
ネタで作られたものが勝手に広まってしまったようだ。
当然ながらOCG事務局も本気でこういった裁定を出すことはなく、状況的に「本当に『カードが別なので処理も別となる』つもりだったと思われる」ケースではまずどちらか片方が(処理が違うことで効果の文章が矛盾しないように)エラッタされる。


  • スティーブ・ウォン「プレデターのモデルはチェンジマンのブーバ」

しばしば「スティーブ・ウォンが認めた」と言われるこの事例だが、実際にはどんなに調べても書籍やインタビュー動画などのソースが全く出て来ず、唯一「雑誌『宇宙船』の『プレデター』公開当時に記事にて両者のデザインの類似性に触れた記述があった」ということくらいである。
その件が当時の特撮オタクの間で尾ひれがついて広まり、「デザイナー自身が日本の特撮好きでブーバをモチーフにしたことを認めている」といった話に置き換わったと思われる。
また同時期に公開された『ロボコップ』では、デザイナーが『宇宙刑事ギャバン』をモチーフにしたことを認めている*30のもこの誤解に拍車をかけていると思われる。


  • (任意の嫌いなゲームクリエイター)「簡単にクリアされたら悔しいじゃないですか」

元は『ファイナルファンタジー11 プロマシアの呪縛』のディレクター・河本信昭のものとされる発言。
しかしその発言を行ったとされるソースは存在せず、ただのでっちあげである事が分かっている。


同氏の発言として確認が取れているものは、本来「目標を何でも簡単に手に入れてしまうと、逆にユーザーのモチベーションが下がってしまうと思うんですよ」といったもの。
適度に歯ごたえのある難易度調整はゲーム開発としてごく当たり前の方針であり、これ自体は特に問題のある発言ではない……
が、当時の『FF11』「プロマシアミッション」は肝心のバランス調整で大失敗。適度な高難度を遥かに通り過ぎ理不尽の域に達しており、不満も噴出。
アンチと化したユーザーすら発生する中、「上記の発言を悪意的に捉えた結果“簡単に~”のフレーズが作られたのではないか」とも推測されている。


とはいえ、悪意的に発言を捻じ曲げて拡散する事に正当性は全くない。
そういった行為は結局のところ「開発者の精神性はこのような発言をするぐらい幼稚なものに違いない」という根拠のないレッテル貼りに過ぎないためである。
他者に対する不当なそしりである事はもちろん、実際のゲームバランスにきちんと向き合ったものでも到底なく、適切な批判としても成り立っていない。
近年では略して「簡悔」、あるいはそういった開発者の精神性を揶揄して「簡悔精神」などとも派生。別のゲームで「プレイヤーにとって納得しづらいような高難易度コンテンツ」に対する不満・恨み節として使われることもあるが……
結局それらの言葉が孕む欠陥は何も変わっていない。「簡悔」だけでは具体的な不満が伝わらないため、便利なミームどころかむしろ雑で不便な言葉と言える。


  • GREEの若い面接官「任天堂の倒し方知ってます? 俺は知ってるけど」

ソシャゲ制作会社・GREEの若い面接官の物とされる発言。話に尾ひれがつきGREE社長が言ったものとされる事もある。
当時絶好調だったソシャゲ開発者たちの、偉大なる先達を軽んずるまでに至った驕り。
しかし当然ながら任天堂がちょっとやそっとで揺らぐはずもなく、ネット上では「任天堂はいつになったら倒せるんですか?」などという皮肉も多く見かけられる。


ただし、そもそもこの発言のソースはGREEの面接に赴いたと自称する人物による「面接官がそんな事を言ってた」という2ちゃんねるへの書き込みだけ。
さらにそれを元にして夕刊フジの運営するウェブメディア「zakzak」が伝聞としてGREE批判の記事に記述したものがある。
夕刊フジ及びzakzakは過去にも2ちゃんねるの釣りスレ、ネタスレを元に記事を作成するタブロイド紙なので、内容の信頼性という点ではお察しであり、つまりそんな発言の事実は一切無い。


にもかかわらず事実のように広まったのは、「ソシャゲ」なる得体の知れない新ジャンル、あるいは調子に乗った生意気な新進を堂々と非難できると思った浅はかな人間がそれほど多かったのか。
この書き込みの数年後にはGREEもこの風評に言及、「面接でこんなことを言うわけがない」と真っ当に否定したものの、今でも事実のように扱われることがしばしばある。


GREE自体は悪評も多い会社であり「そんな発言をしたと思われるGREEの方が悪い」とする開き直りも多いものの、GREEの実態が何だろうとデマの拡散に正当性があるはずはない。
正当な批判とただの中傷を履き違えてはいけない典型例と言える。


  • 28歳腐女子「飛影はそんなこと言わない」

素人ものAVでスタッフに幽☆遊☆白書』のイメージプレイを要求した腐女子が飛影のスタッフに解釈違いを突き付けた際の台詞とされており、ネットではキャラ解釈の難しさを代表する台詞として広まっている。
しかし、実は件のAVにはそもそもそんなやり取りは収録されていない。
詳しくは個別項目を参照。


  • ゴルスタ運営「中高生がカセットテープを知っているはずはありません。年齢詐称と看做し削除します」

2016年、運営のあんまりな独裁体制が発覚して祭りとなったSNS「ゴールスタート(ゴルスタ)」において、その運営が規約違反理由として送ったとされるメッセージ。
同サイトが高校生のみを対象としていたこと、酷い理由で規制をかけていたことは確かだが、これについては有志が作成した規約違反テキストジェネレーターによるネタ画像である。
元画像にはURLが確認でき、ネタとして作られたことは容易に判別できたのだが、これを運営が本当に言ったと誤解される羽目になってしまった。


ちなみに「『仮面ライダースーパー1』を知っていることからBANとした」のバージョンは実際にゴルスタ運営からの通知のようだが、これも先述したいろんな意味で問題ある運営体制から、高年齢層が「どれだけ早くアカウントを削除されるか競う」のをこのSNSサービス自体をオモチャにするために行っていたことによるものと思われる。
そのため、BANの基準がおかしいという点で引用するのはやや不正確*31と言える。


第二次世界大戦中のドイツ軍の対地ウルトラエース・ルーデルが戦後米軍の対地攻撃機A-10 サンダーボルトⅡの開発に当たって意見を求められた際に付けたとされる注文の数々の中でも特に代表的なもの。


実際のところは「A-10開発の参考にルーデルに直接意見を賜りに行った」という話自体がデマ*32である。伴って「A-10の開発に当たってのルーデルの注文」が実際の発言である可能性はないだろう。
「嘘しか書かない」ことを旨とするアンサイクロペディアにおいて、ルーデルの記事はあまりに嘘くさい事実にこれ以上の嘘は吐けないという理由から「アンサイクロペディアすら匙を投げた男」「唯一事実しか書かれていない記事」などと持て囃されているが、
このようにA-10回りに関しては事実ではないため、そういった意味では別に「ルーデルの記事には嘘が書かれていない」わけではない


他人の発言が別人のものにされた

  • マリー・アントワネット「パンがないならお菓子を食べればいいじゃない」

おそらく「実は言っていない」系では最も頻繁に挙げられる部類であると思われる言葉。実際のマリーには当たらずとも遠からず。
これの由来は、アントワネットの前の時代の思想家ルソーの自伝内の「ある太公婦人」の発言。
「お菓子」でなく「ケーキ」と言われる事もあるが、原語は「ブリオッシュ」なので菓子パンに近い。*33
「パンを買う金もないのに菓子を買う金なんぞあるか!」と上流階級の金銭感覚の無さを嘲る用途で長年使われてきた。


まず、ルソーの自伝が執筆された当時のマリーは9歳そこらで、まだドイツ系オーストリア(ハプスブルク家)の王女として過ごしていた時期。彼女がフランスに嫁いだのは14歳の事なので、「ある太公婦人」はもちろん彼女ではない。*34


なぜこんな悪印象を持たれたかというと、

  1. マリーのそれまでの浪費が既に国中で知れ渡っており、「赤字夫人」だの「オーストリア女」だのと悪評が盛んになりつつあった
  2. ブルジョア(=市民・資本家)を中心とする革命家たちが、ルソーをフランス王家の汚点としたからだという。革命を推進した商工業者や一部の上流階級が、ルソーの本に書かれた「大公婦人」をマリー・アントワネットに仕立てた

……という理由があったため。


もとより当時の経済格差、自然災害(繰り返す冷夏と厳寒)、凶作、飢饉などで不満を溜め込んでいたブルジョアや村民はさらに煽られ、フランスでブルジョア革命を起こす大義名分へと繋がった。*35


なお歴史学上、マリー・アントワネットが舞踏会や演劇、夜通しの賭博やプチ・トリアノン宮殿増築などに散財していたことは事実だが、財政問題会議(「名士会」)が開催された1787年頃には私生活の節制を始めていたことも事実である。*36


「パンがないなら~」という言い回しは、マリーの宮廷生活をごく単純に要約している。
しかしもちろん彼女自身の発言ではなく、末期のフランス王侯貴族の経済意識を厳密に反映しているわけでもない。


なお、ネット上やカメリヤの公式サイトでは、「当時ブリオッシュはパンよりも安かった」「『パンの物価が高騰したらブリオッシュと同じくらいまで戻すように』という法律があった」を根拠に、「高い物が食べられないなら安い物を食べればいい」という趣旨の発言だったと言われる事もあるが、当時のフランス法におけるパンの価格統制は、小麦粉を自由価格での販売が許可された上等なパンばかりに消費して荒稼ぎする不正行為を防止するためであり、飢饉対策を意図したものではない。

ちなみにブリオッシュはヴィエノワズリーに分類にされる贅沢なパンとして扱われているが、フランス革命の頃は富裕層向けと大衆向けのルセット(レシピ)が存在していた。
富裕層向けは現在のブリオッシュ・フィーヌ、大衆向けはブリオッシュ・コミューンに相当する生地で、バターと卵のベーカーズ%(穀物粉の分量を基準にした配合率)に差があった。
フィーヌはバター70%以上・卵50~60%でタルトにも流用できるほどリッチだが、コミューンはバター20~25&・卵40%以下に抑えられ、風味も食感も大きく異なっていた。

いずれにせよアントワネットにとっては濡れ衣であるが。


ちなみにもっとずっと前の時代、中国の晋の第2代皇帝・恵帝(司馬懿から数えて4代目。切れ者揃いの司馬一族の中で例外的に馬鹿だったと言われる)にも、穀物の不作により民衆が餓死していると聞いて「(穀物がないのなら)何故肉粥を食べないのか」と言ったという似たような逸話がある。
マリーのような裏事情を想像しそうだがこっちは完全にアウト。最終的には皇帝がおバカすぎて皇族がドンパチを始め、晋は滅んだ
ここに上記の「大公婦人」の正体が不明である事も合わさって、「あの言葉はルソーがこの異国の皇帝の発言を自国に置き換えて作ったんじゃないか?」という珍説もあるとかないとか……


  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「貸借は友を失う」

実際には『ハムレット』第一幕、第三場 59行目 フランスへ旅立つ息子レアティーズに忠告するポローニアスの台詞からとったものである。
しかし、仙台市民には某定食屋の店内のいたるところにゲーテの言葉として貼られていたことで妙に有名ではある(現在は存在しない)。
ちなみにこの定食屋は前払い式なので、食べ終わった後に友人に奢らせるなんてことはできない。


  • ヨシフ・スターリン「一人の死は悲劇だが、百万の死は統計だ」

実際にはホロコーストにおけるユダヤ人移送の指揮を担い、後述する実験「アイヒマン実験」で有名なナチスの親衛隊員アドルフ・アイヒマンの発言であるとされる。
ナチスの行った事、そして彼のスタンス*37を考えればある意味頷ける発言ではある。


ただし、文献によっては本当にスターリンが発した言葉であるともされており、詳細は不明である。


ちなみにアイヒマンは先述したようにホロコーストの重要人物であったが、彼自身は人格異常者というわけでは全くなく、真面目に職務に励む一人の平凡な公務員だった。
これが裁判で明らかになったことで生じた「普通の市民であっても、一定条件下では誰でもアイヒマンのように残虐な行為を行うのか?」という疑問を検証したのが、1963年にアメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムが行った社会心理学を代表する「アイヒマン実験(ミルグラム実験)」である。


これとは別にドイツ人作家エーリヒ・マリア・レマルク(こちらは反戦主義者)が類似の発言をしていた、という説もある。


  • 織田信長「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」
  • 豊臣秀吉「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」
  • 徳川家康「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」

本人が詠んだわけではなく、各人の気性を現したもの。
もっとも古い表出は江戸時代の『甲子夜話』で、松浦静山が「人から聞いたがよくできた句」として紹介し、当世の武士を風刺した下の二首を付け加えている。
「なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす」「なかぬなら貰て置けよほとゝぎす」


歴史背景などを考えれば各偉人達が詠んだとするには明らかに無理があるので、ちょっと考えれば彼らの詩とする者は今も昔も少ないと思うのだが、『耳袋』では「故事にあるのか作り話かは知らないが」とあり、いつのまにか『ソース不明の発言』みたいな感じとして扱われていたのだと思われる。


ちなみに近年の研究では信長は割と温和で秀吉は結構残虐な一面があり、そして家康は逆に短気だったとも言われており、そういう意味では江戸時代に作られたイメージが現実にもたらす影響というものを考えさせられる。


  • 松尾芭蕉「松島や ああ松島や 松島や」

松尾芭蕉のことは知らなくてもこの俳句を聞いたことがある人もいるのではないだろうか。
俳句を知らない人には何がいいのかわからないかも知れないが、松島のあまりの美しさに言葉が出ない状況を現しているとされており、今風に言うと「松島が綺麗すぎてなんもいえねー」といったところか。
だがこの有名な句、松尾芭蕉の俳句ではない。
いやそもそも、「松島や ああ松島や 松島や」という俳句自体が存在せず、芭蕉は松島で俳句を詠んでいないのだ。
そういう意味では間違って覚えられている例でもあり、正しくは「松島や さて松島や 松島や」である。


この俳句の本当の生みの親は狂歌師の田原坊という人物。
当時の観光案内パンフレットとでも言うべきものの宣伝用のキャッチコピーのようなものが松尾芭蕉が詠んだ句として広まってしまったらしい。
ただし、芭蕉が松島で俳句を読めなかった理由は松島の風景があまりに見事だったからで間違いない。
それ故に『おくのほそ道』では、弟子の河合曾良が詠んだ句が変わりに収録されている。
そして、「さて松島や」が載っていた観光案内パンフレット……桜田周甫の地誌『松島圖誌』において、この芭蕉の逸話も「松島の美しさエピソード」として掲載されていた。
この「芭蕉は松島が綺麗すぎて俳句を読めなかったらしいよ」「松島や ああ松島や 松島や(松島の美しさたるや表現のしようもない)」という2つの話が混同された結果が今日の誤解の元なのだと思われる。
一方で「死にともな ああ死にともな 死にともな 深ぎ御恩の 君を思へば」という辞世の句を遺した武将もいる。
それはご存知ホンダムこと本多忠勝。忠勝は三重の桑名を領地としており、芭蕉の出身地である伊賀とも近い。
田原坊が詠む際に元ネタにした可能性もなくはないのである。


  • 福沢諭吉「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」

『学問のすゝめ』の有名な冒頭である。「人は皆平等なので差別はいけません」といった意味であり、アメリカ独立宣言の一節*38を意訳したものという説が有力。


しかし福沢の話はこの後「~と言えり」と続いているので、あくまでも引用文でしかない。
「天は人の上に~」の言葉をやんわりと否定して別の方向に展開するので、この言葉と『学問のすゝめ』の主張とはほぼ無関係。
大雑把にまとめると、「~と言われているけど実際は公平じゃない。なぜかと言うと、学ぶ奴は成功して学ばない奴は失敗するから。成功したいなら勉強しようぜ」といった感じに話が進んでいく。
要は話の導入に使われた文章だけが独り歩きしてしまったのであり、本の内容を大雑把に説明すると、タイトルが表す通り「がんばれ学生!勉強は大事だよ!」という事になる。


もっとも、『学問のすゝめ』文中では「大名の命も人足の命も、命の重きは同等なり」などという旨の文言も散見されるので、福沢自身も現実的思考・客観視・法を重視しているだけで、「天は人の上に~」の理念そのものは否定していないと思われる。
こうしたことを踏まえた上で、福沢の思想や『学問のすゝめ』の内容として引用すると不適切だが、この言葉単体で使う分には誤用でも何でもないと言える。


  • 福沢諭吉「我は心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」

独立の気概の無い中国、朝鮮とは縁を切って、日本だけで欧米と渡り合って行こうという『脱亜論』の締めの文章。
100年以上前から全く変わらない特定アジア2国への批判、それを見抜いていた福沢への賞賛(もしくはその逆の糾弾)として、近年頻繁に引用されている。
しかし、これは『時事新報』という新聞に1885年に載せられた匿名の社説であり、本来の著者は不明である。
さらに言うと話題になったのは1950年頃(福沢を研究する流れで取り上げた)で、有名になったのは1960年以降なので、迂闊に世情と関連付けて読み解くことは危険である。


福沢の文として話題になった背景としては『時事新報』は福沢が主催していた新聞なので、彼の思想からかけ離れた文章が載るとは考えづらく、
そこから「脱亜論の著者は福沢諭吉」という誤解が広まってしまったものと思われる。*39
しかし、福沢自身は近代化に消極的だった政府を批判している一方で、その国民に対してはむしろ親しみを持って接していたという話もあるため、関係が無いなんてことはないが、過剰に取り上げることはやはり危険である。


そしてこの「脱亜論」の内容に関しても「近代化(脱亜)に消極的な2か国と混同されて外交に影響が出るのを防ぐために、過剰になれ合うのを止めて他の外国と同等まで距離を置こう」という趣旨の文章であり、「各国国民の気風とは無関係」「国交断絶すべしという極論ではない」ことにも注意。


  • エイブラハム・リンカーン「人民の、人民による、人民のための政治」

奴隷解放を成し遂げた偉大なるアメリカ大統領の言葉。南北戦争の最終局面、ゲティスバーグにおける演説の一節。
民主主義の精神を謳ったものとして有名だが、リンカーンのオリジナルではなく、セオドア・パーカーという牧師の言葉を引用したもの。
また、この演説は非常に小さな声で祈るように行われたものであり、観衆はほとんど聞き取れず、新聞記者が記事に起こしたことで有名になったという。
人種の平等、民主主義の守護者としてリベラリストの崇敬を受ける大統領だが、
本人は別に奴隷を礼賛してはいなかったが、これで奴隷解放をするつもりではなかったとか、従来の路線を引き継ぎインディアンは殺しまくっていたとか、多数決を大統領権限でひっくり返した……
といった具合で当時のアメリカ文化や政治事情などの背景を見れば異常者ではないものの、現代での視点では清廉潔癖で聖者の様な人物ではなかったりする。


  • ウィンストン・チャーチル「25歳のとき自由主義者でなかったとしたら、あなたには心がない。35歳になって保守主義者でなかったとしたら、あなたには智慧がない」

これもまたチャーチルによるものとされる発言。左右関係の話題で引用される事が多い言葉だが、チャーチルが言ったという記録はない。
というかそもそもチャーチル自身が25歳の時点では保守党に、35歳の時点では自由党に所属という真逆の人生を送っており、本当に言ったとしたら自虐以外の何物でもない。


近年の調査により、アメリカ第二代大統領ジョン・アダムズが次のような発言をしたという記述が、トーマス・ジェファーソン(当時副大統領)の言行録(1829年出版)に収録されていることが発見された。
「15歳の少年が民主主義者でないならろくでなしだ。その彼が20歳で民主主義者であるなら同じことだ」
(息子たちはみな右派なのに、一番下の息子だけ民主主義者=左派なんだという相手の雑談に対して答えたもの)
会話は1799年1月のものとされ、文脈や会話相手の名前、ジェファーソンに伝わった経緯まで付記されていることから信憑性が高い


ちなみにアダムズ以外では、フランソワ・ギゾー、アンセルム・バトビーといった複数のフランス人議員が1860~70年代にかけて類似の表現を「引用」した記録があり、かつてはこのあたりが確認可能な最古の例と思われていた。
アダムズ説の出典が発掘されたことで最古記録が更新されたが、いずれにしてもチャーチルより100年以上古い表現であることは確実である。


  • アルバート・アインシュタイン「人間は脳を10%しか使っていない」

ネットではアインシュタインが言ったとされている事が多いが、実際はアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズの言葉。
さらに彼が10%しか使っていないと言ったのは「脳」ではなく「潜在能力」であり、要は「人間はまだまだ大きな可能性を秘めている。だから頑張ろう」程度の意味だったと思われる。
ちなみに脳に使われていない部分があるというのは科学的にも否定されている。


  • ダグラス・マッカーサー「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

原文は“Old soldiers never die, they just fade away.”。日本語では表記ゆれがあり、「単に消えるのみ」「ただ消えゆくのみ」とも。
総司令を務めた朝鮮戦争時にトルーマン大統領との対立により解任された後の退任演説の中の有名な一節であり、事実上の更迭であった司令官解任に対する無念や皮肉を込めたものとも、戦死ではなく勇退の扱いでキャリアを終えられた事への誇りを込めたものとも解釈される。
実際の演説に於ける前後の流れは「しかし、当時兵営で最も人気が高かったバラードの一節を今でも覚えています。それは誇り高く、こう歌い上げています。『老兵は死なず。ただ消え去るのみ』と」であり、マッカーサーのオリジナルではなく「Old Soldiers Never Die」という軍歌からの引用である。
とはいえその後は日本はもちろん、アメリカでもマッカーサーを代表する名台詞として流行語になったという。
ちなみに元々の歌の内容は、「老兵は無事に引退して行き、戦場で死にに行くのは俺達若い兵隊ばかり」という皮肉と風刺が込められた一種の反戦歌である。


  • ヨハニス・デ・レーケ「日本の川は滝である」

明治時代に来日したオランダ人技師で、日本の砂防工事の父と言われる。
この発言は日本の川がヨーロッパなどの川に比べて流れが急なことに驚いて言った言葉とされ、社会科の時間に先生に教わった人も多いかもしれないが、実際には富山県知事が内務大臣に出した上申書の中のフレーズが元ネタであると言われる(富山では、ここで触れられていた常願寺川についてのデ・レーケの発言として教えられてきた)。
いつの間にか発言者が入れ替わってしまったらしい。
なお、デ・レーケが実際に言った言葉は「日本の川が急流なのは滝がないからだろう」という言葉であり、これと混同された(もしくは誤訳された)という説もある。


しかし2020年になって研究は急展開。富山県議会の古い議事録を調べたところ、前述の上申書よりも前の1888年に「随行ノ外人ハ該川ヲ川ニ非ズシテ瀧ナリト云ヘリ」という発言が残っていることが判明した。
1888年ではまだデ・レーケは富山に来ておらず、「随行ノ外人」は同じオランダの土木技師ローウェンホルスト・ムルデル*40と考えられるという。
また、「該川」、つまり滝だと言われた川は常願寺川ではなく早月川であった。


  • 坂本龍馬「たとえドブの中でも前のめりに死にたい」

かつて漫画『巨人の星』で星一徹が引用したセリフであり、星飛雄馬も度々思い返したこの台詞。
『巨人の星』は宮本武蔵や鉢の木など日本史に由来するお説教がやたらと多いので、「この話も事実だろう」と思い込んだ読者は数知れないだろう。
バクマン。』でも孫引きされた有名な発言であるが、実際は龍馬ではなく吉田松陰が『講孟箚記』という書物に記した「志士は溝壑に在ることを忘れず」という言葉の意訳。
さらに言えばその『講孟箚記』は古代中国の儒学者・孟子の著作についての解説本であり、この言葉自体も孟子の言葉の引用である。


では、なぜ龍馬の発言とされたのかというと、これは司馬遼太郎が小説『竜馬がゆく』の中で、ドブの中で死んだ維新志士(架空の人物)を見て龍馬が「自分の死体が将来溝や堀に捨てられていても顧みられぬことを常に想像し(中略)そういう人物でなければ大事を行うことはできない」と考えるシーンを書いたから。
さらにこのシーンを元に一徹が勝手に台詞を捏造したことで、龍馬のものとして広まったのである。


『バクマン。』をよく読んでみると「漫画の中の坂本龍馬のセリフ」と登場人物が発言しており、暗に「これは事実ではない」と言っているに等しいシーンであることがわかる。


なお、上にも出てきた司馬遼太郎は歴史小説を得意としていたせいか、歴史資料をまとめている考察家で、史実に基づいた小説を書く人というイメージが非常に強い。
そのせいで氏の小説を一次資料として「なんとかは存在する」と主張する人が非常に多いのだが、大部分は氏の創作だったりする。
故に歴史学者は無駄な突き上げを喰らうことが多くうんざりしているとか。
逆に司馬遼太郎作品はエンターテイメント小説であるときちんと理解して普通に楽しんでいる読者層は、そのような風潮にうんざりしているとか。


  • ピエール・ド・クーベルタン「オリンピックは参加することに意義がある」

近代オリンピックの父・クーベルタン男爵のオリンピック観を表した言葉として有名。
本人のオリジナルではなく、1908年の第4回大会の際にエチェルバート・タルボットという司教が残した言葉が基になっている。
この大会ではアメリカとイギリスが(国力争いなどから)険悪な関係になっていたため、それを心配したタルボット大司教は「オリンピック自体がレースや賞よりも優れている」「月桂樹の花輪を身に着けるのはたった1人だが、誰もが試合の喜びを分かち合うだろう」と選手たちに説教した。
これに感銘を受けたクーベルタン男爵が自分の演説で改変して紹介した結果、「クーベルタン男爵の発言」として広まってしまったというのが真相である。


  • 高師直「若王ナクテ叶フマジキ道理アラバ、木ヲ以テ作ルカ金ヲ以テ 鋳カシテ、生キタル院・国王ヲバ何方ヘモ流シ捨奉ラバヤ」

現代語訳すると「天皇や院はどうしても必要なら木彫りや金の像で作り、生きているそれは流してしまえ」
室町幕府初代将軍尊氏に仕えた執事にして、日本史を代表する悪役の一人である武将(忠臣蔵の吉良も元々は彼がモデル)のセリフとして知られる。
見ようによっては日本史上屈指の暴言であり、師直の悪逆非道さを象徴するエピソードとして有名である。


だが、このセリフの出典は『太平記』において、高師直・師泰兄弟と対立関係にある者が、尊氏の弟・直義を味方に引き入れようと交渉する場面で「あいつらこんなこと言ってやがったんですよ!!」というノリで口にした伝聞情報である。


そもそも『太平記』自体が軍記小説であって細部については史実性は低いとされることに加え、物語の流れ的にも真面目な直義を煽るために元のセリフに尾鰭をつけて膨らませた・あるいは適当に全文でっちあげたと解釈しても不自然ではない。
さらに言えば、このセリフが師直・師泰兄弟のどちらが言ったのかについては、この讒言者も明らかにしていない。


師直は確かに強引かつ急進的すぎる面はあったようだが、そのような点が太平記の作者から否定的に評価されたために、実情以上に悪役にされたとも言われている。


  • 長谷川吉数「くたばってしまえ」

「誰?」という方も多いだろうが、『浮雲』で有名な二葉亭四迷の父親である。
文学の道に進もうとする息子への捨て台詞として吐いたもので、それが四迷のペンネームの由来になった。


……というのは俗説で、実際には二葉亭四迷自身が自虐的に言った言葉である。
エッセイ『予が半生の懺悔』によれば、処女作『浮雲』に自信が無く、先輩作家である坪内逍遥の名義で出版してしまったことに対する情けなさから自分で口にしたとのこと。


有名人の発言が、無名の人物のものにされたという、極めて稀な例である。


  • 一休宗純「迷わず行けよ。行けばわかるさ」

「この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し…」から始まる言葉の締め。
プロレスラーのアントニオ猪木が引退試合のスピーチで引用したことで有名。
猪木の自伝には一休さんの言葉として記されているが、実際には清沢哲夫という詩人の詩が原典。
清沢は寺の住職なので仏教文学というところだけは正しいが、共通点はそれくらいで時代から宗派から一休さんとは全く異なる。
ちなみに現在では猪木の発言として扱われるケースも散見される。間違えないように注意。*41


  • 六韜「外国から有能な使者が来たら冷遇せよ。無能な使者が来たら歓待せよ。そうすれば他国では有能な者が退けられ、無能な者が重用され、やがてその国は滅ぶ」

太公望に仮託した、中国の政略・軍略の書の言葉として、主に気に入らない政治家・政党を誹るために流布されているコピペだが、実は六韜にはこんな文章はない。
外国に対する方針としては「他国の大臣を買収し、我が国のために働かせよう(意訳)」とか、「ある使者にはAと言い、別の使者にはBと言い、別の事を言って他国を混乱させよう(意訳)」とか、
「君主と大臣の仲を裂いて他国を機能不全に陥れよう(意訳)」と言ったことが書かれているのだが、「無能な使者が来たら歓待せよ。そうすればその国は滅ぶ」はどこにもない。
恐らくこれは『韓非子〉の二十一・喩老編の末尾「周の文王が殷の紂王に秘蔵の宝を寄越せと強請られた際、文王は、最初に派遣された賢者には渡さず、次に派遣された佞臣には宝物を譲り渡した。紂王のもとで賢者が活躍することを忌めばこそ、愚昧な佞臣に宝を与えたのだ。名君は賢者も佞臣をも愛する」という話が真の出典。
この話の主体が文王だったため、同時代の太公望の六韜だと誤解されたのだろう。


  • マザー・テレサ「愛の反対は憎しみではなく無関心です」

ドイツの哲学者のカール・ヤスパースや、1986年にノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼルなどが同趣意の発言を残しているが、マザー・テレサがこのような発言をしたという記録はない。
このセリフが特に日本でマザー・テレサの発言という誤解が広まったのは、彼女の業績と一致しているように聞こえるのもさることながら、1980年代に放送された彼女を起用したACジャパンのCMナレーションで「私たちの最大の敵は無関心です」という彼女の言葉が引用されたことからの連想が大きいようだ。


  • プラトン「パンクラチオンは不完全なレスリングと不完全なボクシングが一つとなった競技である」

『セスタスシリーズ』などで有名な言葉。近年では氷室鐘までこの言葉を取り上げ「強烈な雄度!」と評価したとか。
プラトンの『国家』に後世の人が注釈を入れて、古代ローマの歴史家ィロストラトスの『体育論』での記述を引用したもの。
なお、ニュアンスもやや違っており、パンクラチオンを称えるのが本題。


  • 永野護「型式番号は リック・ディアス(MSA-099 もしくは RMS-099)の次なので100が予定されており、名称もそれに併せ、開発主任のM.ナガノ博士により「百年使えるMS」という願いを込めて百式と名付けられた」

「…といわれるがボクの記憶にはない(こら!)」 [Newtype1994年1月号より]
永野護の自デザインに対する自信の証拠と言われるこの設定だが、上記のように当人はむしろそれを否定している。
実際、この解説が付けられた百式(ANAHEIM-TYPE100)はアニメ設定とは似ても似つかない(むしろガンダムMk-Ⅱやエプシィガンダムに近い)、さらには色は金色ではなく明灰色。つまりこの時期にはすでにver.Naネタはあった。
実は百式のこの設定を作ったのは永野ではなく設定製作の高松信司である。


  • 安倍晋三「できない理由を考えるのではなく」

安倍元首相が銃撃される直前に演説で言ったセリフ。実際は直前に「彼は」とあるように、選挙応援に来ていた佐藤啓の言葉を引用したに過ぎない。


「ビートたけしのモノマネ」においてすっかり鉄板となっている言葉。
しかし2014年に1回限りで放送された、この言葉をそのままタイトルにした深夜番組内において
たけし、ダンカン両名から「言ったことない」「言われたことはない」と明かされた。
主な出処は松村邦洋がモノマネの際によくこの言葉を発していたことにあり、ダンカンが選ばれたのは「たけし軍団員の中でシンプルかつインパクトのある名前だったから」だという。


  • えなりかずき「そんなこと言ったってしょうがないじゃないか」
  • 市原悦子「あらやだ、死んでる」

これもモノマネに由来。
前者はモノマネ芸人のホリが『渡る世間は鬼ばかり』を見たことがなく、後に本人と会った際に「僕そんな台詞言ってないですよ」と言われたという。
後者は桜井ちひろのモノマネで広まったが、『家政婦は見た!』はサスペンスドラマながら人が死なないため、そもそもモノマネとして成立していない。
これも桜井が『家政婦は見た!』を見ていないことが原因と思われる(一応「あらやだ」とは言うが)。


  • 名古屋人「えびふりゃー」

当たり前だが、「エビフライ」は名古屋発祥の料理ではないし、他所から来た料理をわざわざ名古屋弁で呼ぶ理由などないので、名古屋でも「エビフライ」は「エビフライ」である。
一応、海老天を始めとして海老料理は元から盛んだったようだが。
実際、名古屋でも「元からえびふりゃーという商品名であるもの」を除き、エビフライはエビフライとしか言わない。
ではこれが何なのかというと、タモリが1980年代に「にゃーにゃー言う名古屋人」をネタにして発言したのが元とされ、それにグルメ界が便乗して「名古屋名物えびふりゃー」を定着させたのが実情らしい。
加えて、名古屋~岐阜あたりの方言では「どえらい」を「どえりゃぁ」と発音する事があるというのも定着を助長していると思われる。


アニメ『遊戯王デュエルモンスターズ』のアニメオリジナルエピソードドーマ編」に対して漫画原作者がストーリーを高く評価したことについてのコメントとされるもの。
しかし、実際のところソースが不明で都市伝説的なものとなっており、本当に本人が言ったのかどうかがよく分かっていない。
ドーマ編終了時の次回予告で真崎杏子「考えさせられる戦いだったわね」とコメントを残しており、これが原作者の代弁なのではともされるが憶測の域を出ていない。


  • 有賀さつき「いちにちじゅうやまみち」

江戸時代の五街道「旧中山道きゅうなかせんどう」を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたという笑い話の一種として伝えられている発言。
本当に「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたアナウンサーはいたことはいたらしいのだが、それは有賀ではなく、本人がXで否定している。
発端はとあるバラエティー番組で、業界人の読み間違いを紹介するコーナーで旧中山道を「いちにちじゅうやまみち」と読み間違えたというフリップが出た際に『きゅうちゅうさんどうですよね?』と有賀自身も間違えたことで「有賀さつきが旧中山道を読み間違えた」→「有賀さつきが旧中山道をいちにちじゅうやまみちと読み間違えた」と間違って伝えられたことが原因と思われる。


  • フジテレビ「嫌なら見るな」

韓流問題に対するフジテレビの公式見解としてしばしば誤解されがちだが、実際にはナインティナインの岡村隆史がラジオ番組で発したもの。
しかも岡村は俳優の高岡奏輔がフジの韓流偏重姿勢を自身のXで批判した問題について「見いひんねやったら、見いひんかったらええのよ。ただそれだけのことやのに、何で皆に言う必要あるのかと思ってしまう」と疑問を呈したに過ぎず、上記の発言もかなり歪曲されていると言える。


  • キアヌ・リーブス「復讐をしてもしなくても、大切な人は帰ってこないので、復讐した方がスッキリするんじゃないかな」

映画『ジョン・ウィック』のインタビューで発言したとされ、コラ画像も出回っているが、実際にはVTuber・電脳少女シロが『アニメやマンガのあるあるネタを即興でやったら負荷が高すぎた!』という動画内で発言した台詞を当てはめたもの。


声優・大塚明夫の自著「声優魂」のキャッチコピーに使われた文言。
同書は声優業界の厳しい側面にも触れた書籍だが、当該のフレーズはあくまで本の帯に書かれたもので、本人は発言していない。


ABEMA TVで2019年10月に放送された生放送番組で明かしたところ、「編集者が勝手にやったの。キャッチーにしたほうが炎上して売れるんじゃないか、ってことだったみたい」とのこと。
番組内では自身が言ったかのように勘違いされる事を気にしていた。
ただし、同番組の中では声優業界の厳しさについては改めて強調している。


  • HIKAKIN「下品だなぁ、そうに決まってる」

HikakinGamesにて初代『青鬼』のサウスパーク編を実況した際に発した台詞ではあるが、「そうに決まってる」は『青鬼』の登場人物であるたけしの台詞を読み上げたものである。
「全員あの化け物にケツから食われちまうんだ!そうに決まってる!」という台詞を読み上げた際にHIKAKINは何故か尻で人間を食う*42と解釈してしまい「ケツから!?口からじゃないの?ケツからなの!? 下品だなぁ…」と言った後に次の台詞である「そうに決まってる」を読み上げたため「下品だなぁ、そうに決まってる」として定着した。*43
昨今はMAD動画のせいで言ってない台詞が捏造され続けているが
見方によっては「言ったことは言ったが、意味が違う」系にも当てはまると思われる。


  • 林修「年収890万~920万ないと社会のお荷物」

「今でしょ!」でおなじみ林先生がテレビ番組で発言したとして拡散されている発言。
スクリーンショットまで拡散されているのだが、実際は文脈を無視した悪質な切り取りであり、本人はブログを通じて訂正した上で、悪質なものに対しては法的措置に及ぶことも述べている。


実際の放送内容は、「お荷物」と提唱した書籍の内容をあくまで一個人の見方として紹介しただけであり、林氏の思想ではない(ブログでは「全くそう思っていない」と言い切っている)。
しかし出回っているスクリーンショットは林氏の顔とともに該当の文章がテロップでデカデカと表示されており、ここから誤解が広まっていったらしい。
ひどいものでは悪意を持ってテロップを足したフェイクまで出回る羽目になっている。


  • 変態糞親父「みんな、邪淫って知ってるかな?」

岡山の文豪と評される変態糞親父のネタとして定着しているが、この台詞は彼のものではない。
オウム真理教ウォッチャーのサイト「VAJRAYANA 真理の探究」に掲載されていた「よい子の真理」と呼ばれた未就学児向けの説法(身も蓋もない言い方をすると、子供にオ○ニーをさせないための説法)が元ネタである。
変態糞親父のコピペの朗読動画の投稿者がこの説法の朗読動画を投稿したことによってネット上では有名になり、元ネタが元ネタなので誰も変態糞親父×オウム真理教のクロスオーバーネタを膨らませることがなかったため、いつの間にか「元ネタはわからないけど糞親父ネタでよく使われてるから、たぶんこれも氏の書き込みに由来するのだろう」という誤解が広まってしまった様子。
変態糞親父が元ネタというガセネタを広めるのはやめようね!


  • 岸田文雄「確かに致しました」

こちらは逆に変態糞親父の台詞が他人のものとされてしまったパターン。
2023年に投稿された、生成AIを用いてスーツ姿の岸田文雄首相が変態糞親父のコピペを読み上げた動画によって、あたかも本人が言ったかのように広まってしまった。
これがマスコミや政界が生成AIへの危機感を募らせるきっかけとなり、さらには首相本人にも知れ渡ってしまったらしい(後に政治議論系YouTuberとしての岸田本人が当該作品のサムネイルのパロディを行っているため、少なくとも退陣後の段階では知っていると思われる)。
変態糞親父本人は全く関わってないのに、官房長官だった松野博一の発言より「民主主義の基盤を揺るがした男」と不名誉なあだ名も付けられてしまった。


一方で元ネタを知っていれば容易にフェイクであることが見抜ける内容であったこと、また知らなくても当時の現職首相が自信満々に糞遊び(原文ママ。もっと具体的な意味合いは割愛)をしていたことを肯定するのは普通に考えて色々とおかしい*44ため、
もっとフェイクかどうかわかりにくい内容や、信じてしまう者が出たらより大きな問題が起きていたであろう内容……はっきり言えばかつての関東大震災における「朝鮮人が井戸に毒」のような、暴動(現代の目で見れば国際問題も)につながりかねない内容ではない動画が先に発覚・問題視されたのは、生成AIで実在政治家をネタにすることの危険性としてはかえってこの「変態糞総理」が問題視の第1号になって良かったのではないか*45という意見も見られた。
とはいえ、信じてしまう人が出ること自体が問題ありであるので、実在人物のフェイク動画はやめようね!*46


言ったことは言ったが、意味が違う

  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「もっと光を」

臨終の際のセリフとされる。
文豪・思想家・科学者・政治家として波乱の人生を送った人物の最期のセリフだけに、なにやら哲学的な意味を読み取りたくなるが、
実際には「部屋が暗いから光を取り入れてくれ」という程度の意味だったと言われる。
……という話が有名だが、そもそもこのセリフ自体がはっきりした記録がなく、創作に過ぎないという説すらある。


また、ゲーテは多くの言葉を残しているため、ヨーロッパでは「とりあえずゲーテ曰くと付けておけば説得力が出る」と認識されており、挙句には「ゲーテは全てを語った」なんてジョークまであったりする。


  • ハンムラビ法典「目には目を、歯には歯を」

有名な法典の一節であり、頻繁に引用されるが、その際は「やられたらやり返せ」とまるで復讐を推奨するかのような文脈で用いられることが多い。
まず、このフレーズ自体は旧約聖書を初めとしてラテン語圏に多く見られるものであり、決してハンムラビ法典のオリジナルではない。
解釈にもよるがこの法律は実際には「受けた被害を超える復讐をしてはならない」「正当な範囲内での復讐以外の禁止」が趣旨であり、むしろ復讐を戒める意味合いの方が強かったとも。あれ、じゃあ「地球をガチで滅ぼそうと行動を起こして被害も出した組織に立ち向かい、全滅させた」あの作品のOPでこれを引用しているのは法解釈としては正しい……?
また、「目には目を歯には歯を」の原則が通用するのは同等の身分同士の間だけであり、身分が上の者を傷つければ厳罰が課せられたり、他者の奴隷を傷つけた場合は金銭での補償が認められているなど、同罰による復讐が一律ではないことにも留意。


  • ジョージ・マロリー「そこに山があるからだ」

伝説的なイギリスの登山家が、危険を冒して山に登る理由を記者に問われた際の返答。日本では「なぜ山」問題としてもお馴染み。
登山家の藤木九三が著書で取り上げたことで広まったとされる。


発言の出所は長らく不明であったが、1990年代に1923年3月18日付けのニューヨーク・タイムズ紙と判明。
そのインタビュー記事の中で「なぜあなたはエベレストに登りたかったのか」という質問に「Because it's there.(そこにそれがあるからだ)」と答えている。
文脈的に「それ(it)」がエベレストを指すことは明白なので、「そこに山があるからだ」は誤訳である。
この誤訳故に哲学的だなどと言われがちだが、世界最高峰に挑戦する喜びをストレートに表現したもので、そこまで深い意味はないだろう。


  • ウィリアム・スミス・クラーク「Boys, be ambitious(少年よ大志を抱け)」

発言の存在自体が疑問視されていた時代もあったが、発言自体は講演の記録に残されており、どうやら事実だったらしいことが判明している。
ただし、後ろに「like this old man(この老人=クラーク博士のように)」という文章が続いていた。
全体を直訳すると、「少年よ大志を抱け、この老人のように」=「こんな老人でも頑張ってんだから、君たち若い者も頑張りなさい」程度のハッパの言葉の前半部分が切り取られ、名言として扱われたらしい(諸説あり)。
壮大ではないだけで、オリジナルの発言と意味合いはそんなに間違っていない様には思える。
また、「Boys」には「あなた達」の砕けた言い回しという意味合いもあるので、少年に限定した言い方ではないという説もある。


  • トーマス・パー(オールド・パー)「頭寒足熱」

152歳まで生きたと言われるイングランドの伝説的な長寿者で、その秘訣は「頭寒足熱」と言われるが、
原文は“Keep your head cool by temperance and your feet warm by exercise.Rise early, go soon to bed, and if you want to grow fat [prosperous] keep your eyes open and your mouth shut”
(節制によって頭を涼しく、運動によって足を暖かく保つ)であり、物理的な温度の話ではないようである。
東洋医学では気功でいう「偏差」や禅問答でいう「禅病」など、「頭が火照って手足が冷える不健康な症状」の概念があるので日本ではこれと混同されたという説も。
それにしたって生活習慣や意識の持ち方を改善して治すものであって、外から頭を冷やして足を温める健康法ではない。
ちなみに、寝る前に手足を温かくするのは放熱が促されて脳の温度が下がって安眠できるが、暖め過ぎると放熱どころか温度が上がってしまうので、低温やけどの心配がなくてもアンカこたつ湯たんぽなど暖房器具の使用しながらの睡眠は良くないとされる。


  • ユーリ・ガガーリン「地球は青かった」

前後の発言と共に引くと「空はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた。全てがはっきりと見えた」というものであり、あまり深い意味はなさそうである。


ただし、この台詞が名言とされた理由はいくつかあると推測され、
◆世界で初めて宇宙から地球を見た人間が、感想を端的に述べた(それもロマンティックに)。→多少短くなっていても、要件は満たしている。地球の全景がはっきり見えたというのもロマンティックではある。
◆どれほど机上の想像を重ねても、その目で見た人間の表現する美しさには敵わない。→実はガガーリンは地球が美しかったことは語っており、「太陽が地球の大気を通して地平線は輝いていた。刻々と移り変わる色合いはまるでレーリヒの絵画のように美しい」と絶賛している。*47
◆深い、趣がある。→上記の内容と被るが、この名言がこのような見方をされるのは、地球をその目で見たガガーリンが素直に吐き出した言葉であるからこそ。発言の意図を求めることの方がナンセンスなはずである。深い意味なく飛び出したからこその深さ、そういったものも名言とされる理由に含まれるだろう。
こうして要素を抜き出してみると、有名な見出し語が正確な全文ではないだけで、「名言としての意味」はそれほど間違っていないとも言える。


  • ユーリ・ガガーリン「神は見当たらなかった」

ガガーリンのもう一つの名言とされている。
はじめに付け加えると、「他人の発言が別人のものにされた」にも該当する台詞。
ガガーリンに次いで宇宙へ行った宇宙飛行士、ゲルマン・チトフがアメリカを訪れた際に言ったとされている。


ではなぜガガーリンと混同されたのか。そしてこの名言がこの項に並んでいるのか。
ガガーリンと共に最初の宇宙飛行士候補として選抜・招集され、自身もガガーリンと親友だったアレクセイ・レオーノフが、ガガーリンが言ったアネクドートとして紹介したものがある。
モスクワ総教主(ロシア正教会のトップ)「宇宙から神の姿は見えたか?」
ガガーリン「神は見当たらなかった」
総教主「神がいなかったことは秘密にしてくれ」
その後フルシチョフがガガーリンに同様の問いを投げかけた。ガガーリンは総教主の言葉を守った。
ガガーリン「神は見えました」
フルシチョフ「神がいたことは秘密にしてくれ」
フルシチョフはレーニン主義を継いで宗教を禁止していたから……というジョーク。
このジョークに則るなら、ガガーリンは確かに神はいなかったと言っている。ただし宗教的な意味で発言したのではなく、むしろ宗教ジョークとして、しかも作中のガガーリンの発言である。
レオーノフは、このジョークをガガーリンが好んで語ったとしている。
ガガーリンのこのジョークを受け取った人が多数いて、それらの人がさらに口づてに語ったのなら、そこからガガーリンがこう発言したという風説が生じたのかもしれない。


  • ワレンチナ・テレシコワ「わたしはカモメ」

世界初の女性宇宙飛行士が、宇宙から初めて発した言葉。
無重力空間の感覚を喩えたものと誤解されがちだが、この「カモメ」というのは無線通信で使われるコールサイン(アニヲタ民に著名なもので言えばアルファ、ブラボー、チャーリーとかああいう感じ)であり、「こちらテレシコワです」という意味の地上施設とのやり取りにすぎない。


それがたまたま同じロシア(旧帝政ロシア)出身の戯曲作家チェーホフの作品『かもめ』の一節と被ってしまったため、このように訳されてしまったというのが真相である。
もっとも、同じ帝政ロシア時代のチェーホフの『かもめ』においても、かもめが自由なものの象徴として描かれていることから分かるように、チャイカは伝統的に愛されたモチーフであることも確かである。
発言自体はただのコールサインで間違いないが、では世界初の女性宇宙飛行士に「かもめ」のコールサインを送ったことになんの含みもなかったのか?……と考えれば、ロマンが一つもないとは言い切れないかもしれない。


  • ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト「俺の尻を舐めろ」

かの音楽家モーツァルト作曲の「アレなタイトルの曲」として有名な一曲。
しかし、実はこのタイトルはあくまでも原文を直訳したもので、原題は当時ポピュラーだったスラングが元ネタとなっている。
スラングとして翻訳するとしたら「消え失せろ」みたいな罵倒の意味合いである。
英語においても「Kiss my ass」という似たようなスラングがあり、直訳すれば「俺の尻にキスしろ」となるものの、こちらも「クソったれ」「畜生め」「ふざけんな」といったニュアンスであり、それに近い。
ゲンブン先生のファンなら「バカモン 俺のケツをなめろ」でおなじみのあれである。
もちろん、モーツァルトが特殊な趣味を持っていたなんて話もない(下ネタ好きではあったらしいが)。


  • 織田信長「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」

信長本人のオリジナルではないという意味では「別人のセリフ」系にも含まれるケース。
「敦盛」の有名な一節であり、信長本人がこのフレーズを気に入っていたらしいことは史料から確認できる事実。
しかし、なぜか一部の作品では「燃え上がる本能寺の中で命を諦めた信長が敦盛を舞いながら炎の中に消えていく」というまるで信長の辞世の句のような扱いを受けている。
実際、信長自身が50歳を目前に討たれるというまさに「人間五十年」そのままなシチュエーションに見えるためそう取られているのだろう。


しかし、この「五十年」は具体的な年月のことではなく単なる例えであり、信長自身の人生に当てはめるにはやや不自然である。
また、「にんげんごじゅうねん」と読まれやすいが、この当時の読みでは一般には「じんかんごじゅうねん」である。
そして、ここでいう人間五十年の「人間」とは六道の人間道のことであり、どちらかというと「人間の世界で生きられるのは五十年」というニュアンスに近い。
そもそも信長の最期は明確な資料が乏しく、少なくとも信頼できる資料で「最期に敦盛を舞った」とは確認できない。
一応『信長公記』に信長が敦盛を舞ったことは書かれているが、それは桶狭間の戦いの前と伝えられている。


  • 柳生宗矩「剣術は人を斬る為だけのものではない(活人剣)」

元々は徳川秀忠とその息子、家光の剣術指南役をしていた剣豪、柳生宗矩が『兵法家伝書』にて提唱した思想。
戦国時代が終わりを迎え、剣術の存在意義を新たに求めたものであり、それまで主に戦場での一技法に過ぎなかった武術としての剣術を、人間としての高みを目指す“武道”に転換していく発端となった。


るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』などのフィクションで“不殺の剣”として取り上げられることも多く、『兵法家伝書』でもそのような意味と解釈されることがあるが、“不殺の剣”は現代になってからの意味である。


『兵法家伝書』ではこの後に「人ではなく、悪を斬るためのものである」と続く。
つまり「一人の悪を倒し(殺し)、万人を救う(活かす)ためのものである」という、いわば“一殺多生”の考えであり“不殺の剣”という意味はない。
ちなみに同書にはこのような思想だけでなく、実戦の際の心得なども記載されている。
そもそも『活人剣』は元々は禅語であり、『兵法家伝書』での意味だけでなく下記の通り複数の意味がある。

  1. 禅語の活人剣:仏教の禅宗でいう修行者の指導方法の一つ。剣法の真剣に例えたものであり、相手を受け入れて進ませること。
  2. 新陰流の活人剣:敵を動かし(活かし)、それに乗って勝つ技法。後の先のカウンター。
  3. 兵法家伝書の活人剣:一人の悪を殺して多数を活かす思想。
  4. 現代の活人剣:人を殺さず、人を活かす為の剣。

また1~3の読み方は正確には『かつにんけん』(4のみ『かつじんけん』と読む)で、対になる言葉は『殺人刀(せつにんとう)』である。
「活人剣」の対の概念としてよく出る「人を殺すための剣」というイメージの「殺人剣」は活人剣の意味が変遷したからこその産物であり、4以外には対の概念としては当てはまらない。


なお『殺人刀』も元々は禅語であり、『活人剣』と同様に禅語としての意味、新陰流剣術の技法としての意味、兵法家伝書での意味は全て異なる。
新陰流剣術の技法としての意味は構えや立ち回りによって相手の動きを「封殺」、然る後自分から切り込んでゆく「能動の剣術」を意味する。


推理作家のロナルド・ノックスが提唱した、推理小説における十ヶ条の事。
「本格推理小説が厳守すべきルール」として作られた真面目な物だと思われがちだが、実際には「その手のルールに縛られがちな本格小説」を皮肉ったジョーク的な意味合いが強く、別に「推理小説家はこのルールを守るべき」なんて意図で作られたものではない。
しかもノックス自身普通に十戒を破った作品を書いている上、後年「なんであんなもん考えたか自分でもわからない(意訳)」とまでぶっちゃけている。
自分より先に売れたアーサー・コナン・ドイルに対する嫉妬交じりの当てつけとも言われる。


同様のものに、奇しくも同年に推理作家のヴァン・ダインが書いた『ヴァン・ダインの二十則』があり、こちらは評論として真面目に書かれたもの。
ノックスに奮起されて作った可能性はある。
しかしこれも「俺が思う推理小説はこう」みたいな個人的な一意見にすぎず、これを破っているから駄作などという使い方は的外れもいいところである。
ましてやこれが書かれたのは1928年であり、到底現代の多様化した推理作品にそのまま適用できるものではない。


ただし「ノックスの十戒」のページにもあるように、これを故意に逸脱する前提でトリックや謎解きパートを構成するのが難しいの自体は否定できないのも事実である(特に双子入れ替わりトリックや「超常的な方法による」推理・証拠集め*48)。
ミステリ作家を目指すのならば把握しておいて損は全くない。


  • 犬養毅「話せばわかる」

5.15事件で暗殺された当時の大日本帝国内閣総理大臣の最期の言葉とされ、暴力を前にしては言論など無意味な一例とされたり、命乞いの台詞なんかで引用されることも多い。
だが実は発言した状況があまり知られていない上、最期の言葉でもない。


実際には、犬養首相は自宅に押しかけて来た青年将校たちを恐れるどころか堂々と出迎え、殺気立つ彼らと向けられる銃口を恐れるでもなく*49
客間に案内して煙草を勧め、「話せばわかる。話せばわかるじゃないか」と言って問答を始めたが、血気に逸った一人の将校が突然「問答無用!撃て!」と叫び、遅れて客間に現れた将校がその言葉を受けて咄嗟に発砲したことをきっかけに、問答をしていた将校たちも次々に発砲した……という顛末であった。
また、銃撃によって重傷を負ったものの、犬養首相は即死せずに意識もはっきりしており、治療されながらも心配する周囲の者を「胃にたまった血が出ただけだから大事無い」と逆に励ましかけ、駆けつけた女中に「私を撃った者を連れてこい。言って聞かせてやるから」とさらに彼らと話そうとする意思を見せるほどだったが、次第に衰弱し、その日の深夜に亡くなった。
つまり、これは言論による相互理解を最期まで信じた信念から発せられた言葉で、決して言論の無力を現した言葉ではない。


  • 平時忠「一門にあらざらん者はみな人非人なるべし」

現代語で直訳した「平家にあらずんば、人にあらず」は説明不要の日本史上屈指の名台詞とも言えるであろう。
このような他者を人とも思わない傲慢さによって、平家は滅亡へと向かった……


という風に捉えられることも多いが、このセリフの中の「人非人」とは「宮中で出世ができない人」という程度の意味だったというのが有力。
即ち「平家の一門でないと出世は無理」という程度のニュアンスであり、嫌味ではあるが直訳から受けるインパクトほどの暴言ではない。
他にも
◆他人から「いやー平家流石っすね。平家じゃなければ人じゃない勢いじゃないですか」とお世辞を言われ、「そーですなー」と相槌を打ったら時忠本人が言ったことになってしまった。
◆急に栄華を得た平家は宮中で睨まれている。平家以外を敵だと思う勢いで一門の結束を固めようという趣旨だった。
など、傲慢とばかりとは言えない解釈もいくつか指摘されている。


なお、このセリフはしばしば平清盛と関連付けられることが多いが、時忠は清盛の義弟であり、平氏は平氏でも血縁はものすごく遠い。
また、時忠は政治家としてはかなり優秀な人物であり、源頼朝も死亡の報を聞いた際には「能臣だったので平家全盛の時は様々に働いていた。今であっても惜しい人物だ」と評したほど。
平家滅亡後も策を駆使してなんとか命は助かり、能登(石川県)に流刑となって生涯を終えた。現地でもそれなりの扱いを受けており、息子は一度流罪になったが最終的に公卿に復帰している。
清盛も後年権力争いで苛烈な部分を見せてはいるものの、源氏一族の処刑はしてない(でなければ頼朝が政権を取れるはずもない)し、礼儀正しく身分が低い者にも優しかったらしいため、直訳と人格を結びつけるには無理があるので注意。*50


  • ダグラス・マッカーサー「日本人は12歳の少年」

日本ではマッカーサーバッシングにまで発展したマッカーサーの問題発言。
しかし、全文を読めば年齢にたとえられているのは開国後に限った話で「(過ちを犯したのは)物を知らなかっただけ」「まだ伸びしろがある」「幼いのでまだやり直しができる」といった風に、むしろ擁護する意図(ひいては自分の占領政策がぬるいという意見に反論する意図)で子ども扱いされている事がわかる。「日本人は12歳の少年のように弱い」という意味ではない。
というか、そもそもこの発言の本来の主題はドイツの方であり、「成熟していたにもかかわらず過ちを犯したドイツ」と対比させるために使われた表現だったりする。
「自分たちと同じ45歳ぐらいと既にいい歳してるのに過ちを犯した」とドイツに対して厳しいスタンスを取っている。


ただ、同じ日の公聴会の中で「日本人は12歳の少年」発言の前にマッカーサーは「東洋人は勝者に追従し敗者を最大限に見下げる傾向を持っている」「我らアメリカ人は自信、落ち着き、理性的な自制の態度をもって現れた」「極めて孤立し進歩の遅れた日本人が、アメリカ人なら赤ん坊の時から知っている『自由』を初めて味わい、楽しみ、実行する機会を得た」とかなり問題ある発言もしており、マッカーサーバッシングは必ずしも間違っていなかったという側面もある。


  • 卜部兼好「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。悪人の真似とて人を殺さば、悪人なり」

14世紀に活動した随筆家・卜部兼好(吉田兼好、または単に兼好法師)が『徒然草』の第85段に記した、同書の中では最も有名な文章のひとつ。
大意は「正常な人間でも狂人の真似をすれば狂人、悪人の真似をすれば悪人であることに変わりない」というもの。
ニンジャスレイヤー』でも引用されたように迷惑系YouTuberなどの炎上目的でわざと迷惑行為を行う人間を揶揄する際に使われるが、本来の趣旨は少し異なる。


この文の後には「驥を学ぶは驥の類ひ、舜を学ぶは舜の徒なり。偽りても賢を学ばんを、賢といふべし*51と続いており、「たとえ真似事でも賢人に学ぼうとする者は賢い」というのがこの85段の趣旨なのである。
「狂人の真似とて~」は、あくまで「形だけであっても真似れば本物同然である」から「狂人や悪人の真似をしてはいけない」という、後の文章(=だから賢人を真似よう)につなげるための例えに過ぎない。
要は真似すること自体を問題視しているのであって、行為の方は主題ではないのだ。
意味が違うわけではないので「狂人の真似とて~」を単独で使っても問題はないが、本来は「まずは見てくれだけでも真似て学ぼうとする姿勢」の大切さを説いているということにも留意したいところである。


  • 西郷糸子「アラヨウ、宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ!」

1898年12月18日、上野公園における西郷隆盛像の除幕式で西郷の3番目の妻・糸子が発したと伝わる発言。
西郷は写真嫌いで銅像も親戚を元に描かれたキヨッソーネの版画を元に制作したものだったために「西郷はこんな顔ではなかった」という意味と解釈される事も多いが、肥後直熊や床次正精など実際に西郷と面識のある人物が描いた肖像画はこの像と寸分違わぬ容貌をしており「西郷は礼儀正しい人であり、こんな着流しでブラブラと出歩くような人ではなかった」というニュアンスであったようだ。


  • 織田信長「天下布武」

厳密には発言ではなく「スローガン」に近いが、こちらに記載。


近年までは「現代人が考える日本国土統一」を意図した宣言だと考えられていたが、実際には「京の都を中心とした近畿一体を足利将軍家の意向で再編する」程度の地域を制圧するという意図だった模様。
漫画『ドリフターズ』において島津豊久に名乗られた信長が描いた「超かんたん日ノ本地図」は当時の世情という意味では結構正しく、近畿以外の地域は「田舎という名の何か」扱いでしかなかった。


  • 新約聖書「働かざる者食うべからず」

まず前提として、聖書から切り離された日本語のことわざとしてであれば恐らく本項目を読んでいる皆さんの考えているニュアンスで正しい
ことわざの辞典にはまず確実に「ニートな上に物乞いは道義的に許されない」、つまり「人として無職はダメだろ、ちゃんと働きなさい」の方を正しい意味として掲載している他、国語のテストやクイズゲームでも(「聖書の記載内容を問うている」と明示されていなければ)確実にこちらを正答としている。


……が、この言葉の出典である新約聖書の「テサロニケの信徒への手紙 2」では実はニュアンスが異なっている。
というのも、聖書で紹介されている聖パウロのエピソードでは*52、この言葉は誤った終末論、現代の言葉で言う終末系陰謀論を信じ込んだ結果、「滅びるんだからもうどうでもよくね?」とばかりに怠惰に過ごす人々にかけた言葉としてこの一説が登場しており、そもそも恒常的なニートや、あるいは「can'tの意味で働けない者」の話ではない。
となれば「不確かな内容を信じたり、それによっておかしな行動を正当化したりしてはいけない」という注意を与えるためにわざと強い言葉を使った……の方がキリスト教関係者たる聖パウロの行動として筋が通るだろう。
なので、本来は共産主義で引用された際の「資本家は労働者、すなわち有権者にあらず」や、文化としての日本語語彙で一般的であろう「働いていない者の権利は制限されうる」といった意味はなかったことになる。


現在では福祉政策をめぐる議論において再びこの言葉が引用されるようになっているが、この事情を反映してか「日本語語彙のニュアンスであっても、can'tの意味で働けない者をも想定した言葉として扱ってはいけないのではないか」という意見も増えてきている様子。*53
ちなみに反論として「2000年近く前の著作である聖書と現在の世情を同一視していいのか」が見られるが、新約聖書はコーランなど同様実在する宗教聖典なので、これに賛成している場合でも表現はほどほどに。


  • 三波春夫「お客様は神様です」

三波の職業を考えれば言うまでもないことではあるが、ここで言う「お客様」とは聴衆のことであり、三波の宗教観における観客の歓ぶ芸の披露とは、澄み切った精神で完璧な芸を披露する神々への奉納に等しかったという。
要は「わざわざ来てくれたんだから、神様にお見せしても恥ずかしくないような完璧な舞台を披露しなければならない」という事。特に芸事をやっている方は頷けるのではないだろうか。


断じて買い物客や営業先のクライアントは何をしたっていいという話ではないと、三波春夫オフィシャルサイトにわざわざ解説ページが作られている。
むしろモンスタークレーマーに対する警句とも取れ、近年では創作物でも「芸事をしている人物に対して『先人もこういう風に言ってるんだから、本番前で緊張しているからこそパーフェクトな芸を見せるつもりで行け』と激励する」といった具合で、本来の三波の意図通りに引用するケースも増えてきている。


  • 高橋利幸「ゲームは1日1時間」

親からしつけとして聞いた事も多いであろう。
元ハドソンの高橋名人こと高橋利幸が確かに言った名言であり、決してゲーム規制派の主婦や専門家などが提唱したわけではない。


1985年7月26日のダイエー香椎店で行われたイベントで、高橋は参加者に対し、
テレビゲームが上手くなりたいなら、1時間だけ集中してやるのがいいんだよ。後は外行って遊べ」Business Media 誠より引用。以下同)と話した。


この言葉はハドソン社内でも話題となり、以下のような標語が作られた。
「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人」
ここからは「長時間のプレイを辞めろ」というゲーム依存症への警鐘というよりは、「未来のために勉強して、外でも遊ぼう。成績が上がればゲームも楽しく遊べる」という趣旨が読み取れる。
つまり「ゲームとそれ以外を両立させなさい」という意味なのだ。


上記の発言・標語は全て本物であり、趣旨も基本的には正しい。
それ故「ゲーム時間を規制するための言葉ではない」と解釈されやすいのだが、それは間違いである。


高橋が回顧して語った事によると、件のイベントがあった当時、

  1. 子供は1つの事に夢中になりやすく、ゲームを1日に何時間も遊んでしまいかねない
  2. 特にこれからファミコンに触れる小学生は、ゲームセンターのインベーダーブームを知っている
  3. すると母親は、子供が大きくなったら(当時不良のたまり場として子供達が入場禁止になった)*54ゲームセンターに行くのではないかと不安になる。
  4. ゲームと不良が結び付けられ、母親に(あるいは社会的に)禁止・規制されてしまう

……という危機感があったが、「時間を制限して遊べ」と直に言っても守らないだろうと考え、「1時間だけ集中してやるのがいい」と口にしたのだと言う。
つまり、実際は1時間の規制ありきの言葉であり、子供にゲームを制限させるための言葉で合っているのだ。
もちろんゲーム嫌いが理由ではなく、子供からゲームを取り上げさせない=子供が納得できる内容で制限するための言葉ではある。
また、ゲームに健全なイメージを持たせ、世の中に広めていくための作戦だったとも言えるだろう。


一方で高橋は、
「「1時間でかっちりやめなさい」ということではなく、「みんながこれから覚えなきゃいけない遊びはもっといっぱいあるのに、テレビゲームしか遊んでなくていいの?」という点が重要」
「子どもたちが成長する過程で、鬼ごっこで外を走ったり、かくれんぼでどこかに隠れたりと、いろんな遊びで知恵を付けてほしいのですが、そういう時期にテレビゲームだけというのは良くないと思うのです」
とも述べているので、前述した「ゲームとそれ以外を両立させなさい(いろいろな経験を積みなさい)」という意味合いも確かに存在する。


つまり、「ゲームを健全なものとして売りたい」という会社的事情と、「子供には様々な経験を積んで欲しい」という高橋の想いが重なって生まれた言葉だったのだ。


ちなみに、ゲームと勉強の両立という点では「ゲームは1日8時間(……と、8時間以上勉強)」を浪人中延々繰り返し東大に入学、卒業まで果たした、格ゲープレイヤー「ときど」のエピソードが有名。
某カードゲームではフルバージョンで引用されている。


  • 中畑清「空が見えないところで野球をするのは寂しい」

東京ドーム完成当時の巨人軍の選手のコメントとして、「風雨や寒暖を心配する必要がなくなった」と多数の選手が歓迎するコメントをする中、中畑一人が屋根付き球場を喜ばなかったとする文脈で野球ファンの中で引用される。
しかし原典を確認すると、「空が見えないんじゃ星の数だけホームランを打ちたいなんて夢も湧かないんじゃない?」と、「寂しい」とするといささかニュアンスが強すぎるのである。
しかし元となったコメントもまた、野球の原点を認識させる名文となっており、なんだかんだで冒頭の引用句も間違いではないのである。


  • モンキー・パンチ「これは僕のルパンじゃない」

パンチが『ルパン三世 カリオストロの城』を試写会で見た後の台詞。
捉えようによっては、「これは『ルパン三世』と言えども、あくまで宮崎駿が作ったものなんだ、僕が作り上げた『ルパン三世』とは違う」という批判的な意見にも見える。
しかし、実際にはパンチは「これは僕のルパンじゃない。僕には描けない、優しさに包まれた、宮崎さんの作品としてとてもいい作品だ」と作品を絶賛しており、最初の一言のみが大々的に取り上げられてしまったことが原因である。*55
後にパンチは、
「(件の発言の)後半の部分が削られて、最初の一言だけが大きく取り上げられちゃいましてね(苦笑)」
「僕のルパンは毒って言うか、目的のためなら手段を選ばないところとか*56、欲望とか人間の汚いところとか持ったキャラクターですからね。あんなに優しくは描けないなあ」
とも語っており、どうやら以降の「宮崎設定準拠の」ルパンも大好きなのは変わっていなかったようだ。


  • ジョージ・ルーカス「俺の宇宙では出るんだよ」

本来なら真空中では音がしないはずなのに『STAR WARS』では音が出ている点を突っ込まれたルーカスが返した言葉とされている。
ネットでは創作のリアリティ問題に対する開き直りの言葉として引用されがちだが、元ネタと思われるインタビューにおける本来の趣旨は「世界観に『俺の宇宙では音が出る』というルールを設定したのなら、作者は常にそのルールに従うべき」という設定の作り込みの大切さを語ったものであり、決して開き直りの言葉ではない。
そもそもルーカス自身はあくまで現実のそれに縛られる必要がないというだけで、むしろリアリティは必要というスタンスをとっている。


  • Discord「NINTENDO FUCKKKK」

E3での任天堂が発表した少し後にボイスチャットツールDiscordの公式Xが発したコメント。原文ではKが文字数限界まで打たれている。
これは『あつまれ どうぶつの森』の発表にDiscordのスタッフが歓喜の勢いで呟いたものである。
まとめサイト(とくにゲハ系)では「スマブラへの新規参戦に対する歓喜などでサーバーが落ちたので任天堂にキレた」との解釈が目立つが、そもそもサーバーが落ちた記録はない。
さらに激怒の意味ならば「FUCK NINTENDO」とする方が自然で、このツイートのように名詞を先にするのは驚き・感動の意味合いの方が強い(日本語の「ヤバい」に近い)。
「くっそwwwwwww」と「クソが!!」の違いに近いだろうか。


色々な事があってオタクのことを嫌っているとされる声優・うえだゆうじが過去にネットで発言したとされるコメント。
確かにうえだはあるHPにおいてこの題名で記事を書いており*57、ド直球なオタクへの批判と受け取ってしまってもおかしくはない。
……が、実際にその記事の内容を要約すると、
「どうしてああも匂うんだろう。悪臭とかって意味じゃ無く、醸し出す雰囲気と言うか、立ち上る気のようなものがね」
「憧れの人に会いに来たはずなのに、どうして着るものにさえ無頓着でいられるんだろう。印象は良い方がいいだろうに」
「話しかけ方も変な人がいる。ちっとも相手に心配りなんかしていない。仕事に集中したり、くたびれたりしているはずだろうに、自分の事ばっかり。ちょっと自己顕示欲強すぎって感じ」
「大きいお友達って侮蔑的な意味でよく呼ばれているけど、子供のショーの前の方の列にたかっているのはやり過ぎ。ちっちゃい子が見えなくて可哀想です。質が悪いです」
と、立ち振る舞いや身だしなみ、自己中心的な態度やマナーなど、はっきり言ってしまえば「人としてどうなのか?」と思わせるような最低すぎるファンを痛烈に非難しているものである。
決してよくある根拠のないオタクバッシングとはわけが違うのである。上記の文章を読んで思うところがある方々は、少しでも生活習慣や他者への接し方を考え直してみるべきであろう。


  • ひろゆき「あなたの感想ですよね?」

ひろゆきこと西村博之を象徴する煽り文句一言となった台詞。
後に毎日新聞から「ひろゆき氏がYouTubeなどで論客を論破する際の『殺し文句』として使ったとされる」とまで記されており、今や相手の意見をただの感情論と決め付けて議論を放棄したり論破した気になれる魔法の言葉として一人歩きしているが、最初に発言された時に限れば一応筋の通った発言となっている。
ちなみにひろゆき本人も認めている通り、この発言自体は討論番組で1回使われただけである。


この言葉が発せられたのは「ネット規制は必要か」という議題の規制不要派として討論番組に出演したひろゆきが、規制必要派として出演した評論家・古谷経衡の


「『昔からバカな奴がいてそれが今可視化してきただけだ』という指摘は間違いだと思う。それは明らかにインターネットの生放送とか動画によってユーザーを巻き込む形でどんどんその投稿者とか生放送主とかいう人が快感を得ているので、僕はどんどん増えていってると思います


という発言に対して


「それ明らかじゃなくてあなたの感想ですよね?


と反論した際の発言である。
ここで何かの論拠が示されるかと思いきや、当の古谷は


まぁもちろんそうですけど実際にそういう事例はありますよね?」


と呆気なく自分の感想と認めてしまった。
ちなみにこれに続いてひろゆきが吐いた言葉が「そういうデータとかあるんですか?」である。


つまり、ひろゆきは「論拠がなく何かしらのデータにも基づいていない主観的な意見はただの個人の感想でしかない」「個人の感想だけで何かを決めつけるな」と指摘しただけであり、決して議論を放棄したり一方的なレッテル張りで発したわけではない。
ただし、あまりの響きの良さと実際に相手が黙ってしまった事から、上述の通り議論を放棄し相手を黙らせられる魔法の言葉として一人歩きしてしまい、ネット上でも一方的かつ主観的な意見やミスリードに対する定番の返答として定着した。
さらにはこれを真似する小学生が増えてしまったばかりか、2022年には「それってあなたの感想ですよね?」とやや言葉を付け足した文面で小学生流行語大賞に選ばれてしまった。
加えてひろゆき自身も「議論の場においては個人の意見・見識などを積極的に述べず、他人の発言の矛盾の指摘や意見を揺さぶることに終始しがちになる」という特徴もあるため、上述のような悪いニュアンスを持った言葉として定着してしまった節もある。
一方当のひろゆきは、後にこの件を振り返り


「当時関与していたニコニコ動画に対しデマを言われたので事実ではないと指摘したかった」
「不特定多数が利用しかつ一般的に正しい情報を提供する媒体だと認識されやすいテレビ番組の中の発言だった為、視聴者に対して『今のは事実ではない個人の意見ですよ』とちゃんと伝える必要があったからこういう発言をした」
「感想を事実のように言う人に『それってあなたの感想ですよね』と言って何が悪いのか。事実と感想をごっちゃにしてたら卒業論文は通らない」


と吐露している。


最後にこの発言を総括すると、「個人の主観をあたかも客観的事実であるかのように断定したことに対して『それは違う』『事実でなくて個人の感想だ』と指摘した台詞であり、経緯や会話の内容を無視して相手を黙らせられる魔法の言葉なんてものでは断じてない。
逆を返せば、この「あなたの感想ですよね」という指摘は論拠のない感情論を展開したり事実と感想をごっちゃにしている状況でしか正論としては成立しない事を忘れてはならないのである。


  • 東京都渋谷区「ハロウィーンを渋谷の誇りに」

2019年、渋谷駅前に掲示された看板のスローガン。
一見ハロウィーンを肯定しているように思えるため、2023年に「渋谷はハロウィーンイベントの会場ではありません」という掲示と渋谷区からの宣言がなされたことにより「たった4年で掌をひっくり返してしまったのか」と看板の比較画像でネタにされることに。
しかし2019年の方も「ルールやマナーを守り、ハロウィーンを誇りあるイベントにしましょう」という意味であり、元からハロウィーンイベント参加者への警告を促しているのに変わりはない。
なぜたった4年で「注意した上で開催」から「全面禁止」に踏み切ることになってしまったのか。万が一心当たりのあるかたはこんな比較画像に笑うことなく、考えを改めていただきたいものである。


  • タモリ「何か言いたいことがあるなら、会って直接話をする。だいたい、友達同士の大事な話を校内放送でするやつはいないだろう」

1986年にビートたけしがフライデー襲撃事件を起こした際、タモリがマスコミから「たけしに対して何か一言」と求められた際に言ったとされる……のだが、実はこの発言、フライデー襲撃事件とは全く無関係である可能性が非常に高い
と言うのも、元たけし軍団であるグレート義太夫が自身のXでこの発言について殿がバイク事故を起こした時のものと投稿。
このバイク事故とは事件から8年後にたけしが原付バイクで走行中に起こし、一時期昏睡状態に陥るほどの大怪我を負った自損事故のこと。
当の義太夫自身は件の襲撃事件に参加していた当事者の一人であり、覚え違いの可能性は限りなく低いことから、この発言は事件とは一切関係ない発言ということになる。
そもそもよく考えてみれば、活動自粛中の人間、ましてや「ゴシップ誌の編集部を襲撃して捕まった」人間に「会って直接話を」しようものなら、自身もゴシップ誌のネタにされるのは必至なわけで、そういった意味でもこの発言が事件と無関係であることがうかがえる。


  • アンミカ「日本は世界の恥」

アンミカは韓国出身ということもあり、保守系のネットユーザーが政治と絡めたデマを流すケースが往々にあり*58、その中でも有名なのがこれ。
日本を丸ごと非難したとしてこの発言を引き合いに出し、果ては反日家呼ばわりして叩き棒にする意見がネットに広まっているのだが、実際はLGBTに対する差別的な言動をした国会議員に憤り「こういう人が先頭に立っていては世界の恥だ」と涙ながらに非難したというものである。
日本を無条件で全否定したわけではなく、どちらかと言えば国会議員一人の非難に近い。反日どころか、むしろ日本の将来を案ずるようなニュアンスに近いものとなっている。


  • 立川談志「お前らここに出てくるやつじゃないよ。もういいよ」

お笑いコンテスト「M-1グランプリ」2002年大会の決勝にて、当時大ブレイク中だったテツandトモが「なんでだろう」のネタを披露した際、審査員の談志が事実上の最低点である70点とともに彼らへ突きつけた評。
近年ではこの台詞だけ切り取って談志を非難したり、今日のM-1でも度々物議を醸す「このコンビのネタは漫才なのか」問題に言及しているという意見が散見される。
しかし直後に「俺、褒めてんだぜ。分かってるよな?」と続けている通り、これは「面白くない」「漫才じゃない」という単なる酷評ではなく、「お前らは芸が既に確立されているのだから、M-1などの賞レースで争う必要はない」という、談志なりの最大限の称賛・激励なのである。
談志も伊達に高い評価をしているわけではなく、この後度々舞台でテツandトモと共演している他、このM-1の前にも『爆笑オンエアバトル』のチャンピオン大会で審査員を務めた際に出場者であった彼らを直接褒めたこともあったという。
後にテツandトモは出演をテレビから地方営業を中心に変えていき、20年以上地方営業で不動の人気を獲得していることは、ここで語るまでも無いだろう。


  • 高市早苗「馬車馬のように働いていただきます」

総裁戦での演説で言及された言葉で、国民に向けて放ったとされ物議を醸し出した。
しばしば発言で政治性で賛否が分かれがちで、容姿も含めた誹謗中傷が寄せられることもあり、この発言も批判が寄せられることになった。
発言自体は党員に向けられた言葉であり、人数が少ないという言葉や全員にという言葉からもそれが読み取れる。
馬車馬という言葉自体は昔から使われる言葉であるが、政治家という立場がやや反応が分かれる言葉になってしまったのだろう。*59


  • 桜井政博「……こりゃあ『マリオカート』でよいですね」

カービィのエアライダー direct』で桜井氏が述べた発言。
本来は『エアライダー』未経験者に向けた「『エアライダー』はレースゲームではない」「『マリオカート』とはまた違った魅力を楽しんでいただきたい」という発言への前フリなのだが、悲しいかなSNSでは『エアライダー』や他のレースゲームを引き合いに出して「これを遊ぶくらいなら『マリオカート』でいい」と自虐していると誤って解釈される事も多い。


  • とある格ゲープレイヤー「何だよ、このコンボ7割しか減らねーのか。安いな」

GUILTY GEAR』のチップを使っていた際に7割コンボを食らった直後に言った言葉。
「死ななきゃ安い」の語源となった言葉であり、その影響で例え体力が残りわずかでも諦めなければ希望はあるという意味で使われる事も多い。
しかし、実際にはこの言葉はコンボを食らって瀕死になった事に対する自虐ネタのつもりで言っており前述のような深い意味を持っているわけではない。


  • リゲインのキャッチコピー「24時間戦えますか」

実在の人物の台詞かは微妙かも知れないが、架空のキャラクターの台詞というわけではないのでこちらに記載。
今では24時間休まず働くことを推奨する社畜根性の現れという意味で使われがちだが、実はこれは誤用であり、実際は「オンオフを使い分けて1日頑張ろう」「遊びや休憩を含めた充実した24時間を過ごそう」という意味である。


  • JR東日本「重量半分・価格半分・寿命半分

209系電車のキャッチコピーとして有名になり、寿命半分ではかえって新車製造が無駄になるのではないかと一部で批判を受けた文言。
この寿命半分とは「旧来の車種(103系や201系、205系国鉄期ロールアウト車など)の半分しか運用せず、基本的には廃車前提」という世間に解釈されたニュアンスではなく、「旧来の車種の半分の期間があれば新車の目途は立っているだろうから、その半分の期間だけ主力が打てればいい。だから強度面の設計を軽量化などに回してエコ面の性能を上げる」という意味。むしろ総合的には環境負荷やランニングコストに優れた車種なのだ。
実際にこの目論見は当たり、かつてのスパンに比べれば早期にE231系がロールアウト。209系が主力を務めた京浜東北線系統の後継車種にも選ばれているため、まさに「国鉄期と同じ新車投入の感覚で設計した方がもったいない」、寿命は半分で十分という意味での寿命半分がハマったのだった。
また、あくまでも大規模なメンテナンスはしなくてもいいという意味での寿命半分であり、実際にはその大規模メンテナンス(全般検査)を受けたうえで走り続けたり、あるいは改造を受けて地方線区の高性能化のため各地に引っ越したりと、寿命がそもそも半分ではない個体も結構多めでもある。


間違って覚えられた

  • エドワード・ブルワー=リットン「ペンは剣よりも強し」

本来は「お前が剣を振るうより前に、処刑執行文書にサインをする方が早い」という、身も蓋も無い言い方をすれば『権力サイキョー』という感じの意図だったのだが、古今東西の「言論は暴力に勝る」という意図の格言とごっちゃにされてしまった結果、反暴力主義者の掲げる象徴的な意味合いの格言にされてしまった。


日本だと『ジョジョの奇妙な冒険 Part3 スターダストクルセイダース』に登場するホル・ホースの発した「銃は剣よりも強し」という改変も有名だろうか。


  • オットー・フォン・ビスマルク「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

本来の発言は「愚者だけが自分の経験から学ぶと信じている。私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む」
「他人の経験」を「歴史」と訳すのはかなりの意訳であるし、歴史の勉強を勧める発言ではない(しないよりはマシだろうが)。
ちなみにマムルーク朝のスルタンのバイバルスにも同様の逸話がある。


個別項目の余談を参照。


個別項目の「恐怖の大王」を参照。


  • ケネス・アーノルド「フライング・ソーサー(空飛ぶ円盤)」

恐らく世界一有名なUFOの目撃者である彼が、自分の目撃した物体を表現した言葉とされている。
昨今のUFO=円盤型というイメージを決定づけた言葉だが、実は後に彼自身がインタビュー内で「物体が円盤型だったと言ったわけではない」と否定している。
物体について「皿のようだった」と証言したのは事実だが、本来は「物体は水切りの皿のような飛び方だった*60」という意味であり、それが何故か「物体は皿のようなだった」と間違って報道されたというのが実際のところらしい。
肝心の物体の本来の形状の方はと言うと、一応当時の文書に「円形に見えた」という記述自体は確かにあったものの、同時に「すぐに形を変えた」という記述も残っている他、後年「一緒に三日月状の物体も飛んでいた」という証言まで出ており、結局は遠過ぎてよくわからなかったというのが実際のところのようである。


  • ユウェナリス「健全なる精神は健全なる身体に宿る」

当時のローマを「パンとサーカス」と風刺した『風刺詩集』の一節で、財や才能、力、長寿や美を願う愚かさを説き、願うとしたら健全なる精神が健全なる身体に宿ること。即ち忍耐と克己心を勧めるのが真意。
「身体を鍛えれば精神も健康になる(だから身体を鍛えろ)」みたいな使われ方をされがちだが、
本当は「慎ましやかに生きましょう」に近い意味であり、どちらかと言うと肉体の鍛錬より精神の修養を重視した言葉と言える。
前半を読めばむしろ、過剰な力や体力を求めた場合、それは「健全でない精神」ということになる。


ちなみに現在の意味で使われるようになったのは近代になってからの話であり、
各国*61が軍国主義化を進めるに当たり、兵士を鍛える際に都合のいい部分だけを切り取ってスローガンにしたのが始まりとされている。
なお、一時期ネット上では「原文では『健全なる精神は健全なる身体に宿れかし』であって、『健全なる精神は健全な身体に宿ればいいのに(でも実際はそうもいかない)』という意味だ」というトリビアが広まったこともあるが、ユウェナリスはローマ市民に健全な精神を獲得するよう強く求める文章の中でこの言葉を使っているので、明確にガセである(いわゆるガセビア)。
もっとも、無から湧いて出た誤訳というわけではなく、古くは太宰治が「正義と微笑」内で「原文は宿れかしであって皮肉である」と書いており、また小林よしのりも『続ゴーマニズム宣言』の中でそのように述べている。
こうした作家たちの誤解が、ガセを拡散する一助となったものと考えられる。


  • 古舘伊知郎「テレビはウソしか伝えていない」

アナウンサー古舘伊知郎が週刊誌で言った発言とされているが、実際には別の人物が彼の発言を要約したものである。
また、元の文章も「新聞も雑誌もテレビも」とテレビに限った話では無く、件の内容も本来は「表面的な事象だけで本質を伝えていない」という程度のものである。
この発言を古舘のものとして引用するのは不適切である。


環境問題を取り扱っていた作家の有吉佐和子が『テレフォンショッキング』に出演した際、有吉が長くしゃべり過ぎて後半コーナーが潰れてしまったことに対し吐いたとされる暴言。
実際には「これから俺とタモリさんのコーナーがあるから帰ってよ!」といった感じのやりとりをしていただけである。
放送2か月後に有吉が急死した為か、話として取り上げられた程度なのが引き金となり噂になってしまった。
さらに言えばこのテレフォン居座りについても演出の一環だったことを後に娘の玉青が明かしている。


  • 石田純一「不倫は文化」

正確な発言は「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」というもので、微妙にニュアンスが異なる。
どちらにしろ不倫に対しての開き直りにしかならない発言であるのには違いなく、これを正したところで彼の名誉が回復するかは怪しいが。
また、この発言自体川島なお美の受け売りだという話もある。


1989年の日本シリーズにおいて、近鉄バファローズが王手をかけた第3戦終了後に勝ち投手となった加藤によるこの発言がマスコミにより報じられた。
駒田徳広を始めとする巨人ナインがこれをきっかけに奮起して第4戦から4連勝を記録、大逆転で日本一となった。
以降近鉄は日本一の栄冠を手にすることができないまま球団が消滅してしまったため、結果的に日本野球史においても重要な位置付けとなってしまった屈指の迷言。


しかし、加藤曰く実際にはベンチ裏の囲み取材で「(この年パ・リーグ最下位の)ロッテより弱かったのでは?」と記者に半ば誘導尋問のような質問をされ、「巨人は投手はすごいが打線はイマイチ、ロッテの方が怖い」というニュアンスの回答をしたところ、メディアに誇張されてしまったとのことで「『巨人はロッテより弱い』とは一言も言っていない」という。
ただし、加藤はこの試合のヒーローインタビューにて「打たれそうな気はしなかった。(巨人打線は)たいしたことなかった」「シーズン中の方がよほどしんどかった*62などと過激な発言を残しており、「確かに『巨人はロッテより弱い』と直接的には言っていないが、それとほぼ同義ととれる発言は残している」ことは間違いない。
また、周囲の近鉄の選手も加藤の毒舌を咎める雰囲気こそあったものの「シーズン中よりは楽だった」と感じていたのは確かだったようで、同僚の吉井理人はV逸の遠因となってしまったそのムードを「若気の至り」と振り返っている。


  • 桂歌丸「一度でいいから見てみたい 女房がへそくり隠すとこ」

元々は『一度でいいから覗いてみたい』という言葉の後の7・5を考えて都都逸を答える問題だったのだが、大して意味が変わらないためかこっちで覚えられていることが多く、師匠が本人役として出演したアニメにもこの言葉が書かれた色紙が登場する。


第29回七夕賞における福島テレビの高橋アナの名実況。
しかし、実は「本来は別の実況だったが音質の関係で『吠えろ』と聞こえてしまった」という疑惑が持ち上がっている。
一方で何が正しいのかは依然として不明。音質の問題である以上確定もしにくく、本人からの証言もない。
一応、福島テレビの特番では「これがツインターボ!!」という表記になっていたが、別にこれが正解という保証はない。
「吠えろ」がやはり正しかった可能性も普通にある。


元々は「タマモクロスとマキバオーは境遇が似ているんですよ」。実際にはファンがモデルではないかと推察していただけ。
本当に発言している「カスケードのモデルはフジキセキ」と混同されたものと考えられる。
なお、『みどりのマキバオー 黒い稲妻 白い奇跡』というPSゲームが存在しており*63、JRAが運営しているサイト「Umabi」においても『「ミドリマキバオー」はタマモクロスがモデルと言われています」』と紹介されているなど当時から有名なネタであり、『ウマ娘 プリティーダービー』のファンがこの勘違いを推し進めているというのは誤解である。*64
後に『ウマ娘』のスピンオフ漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』とのコラボが行われ、(ウマ娘の)タマモクロスとマキバオーが併走しているイラストが掲載された事から*65少なくとも集英社は事実上黙認しているような状態となっている。
肝心の作者はこのコラボに関してどこか他人事のようなコメントを出しているため、なんとも言えないが。「うんこたれ蔵」なんて名前のキャラのモデルとは公言しにくいから言ってないとの説も。


ちなみに続編『たいようのマキバオー』の主人公・ヒノデマキバオーはモデルがハルウララであることが明言されている他、「フジキセキ、(ピーターⅡ・アマゴワクチンのモデルであろう*66)ビワハヤヒデ・ナリタブライアンと近い時期の競走馬」「東京優駿勝利」、そしてなにより「父タマーキン、母父マルゼニスキーはそれぞれトニービンとマルゼンスキーを指している」として「本当のたれ蔵のモデルはウイニングチケットではないか?」とする説もある*67が、こちらはそもそもつの丸の発言そのものがない。チケゾーは全然白くないし。
もしミドリマキバオーにモデルが存在するとしたら、「特定の1頭」よりも「複数の実在馬をミックスして創作した*68」の方が近いのかもしれない。


実際に『走れウマ娘ではではこれを反映して「アニメ版OP・『走れマキバオー』のミドリマキバオーの代役」としてタマモクロスとウイニングチケットが参加している……という説は実際に広く受け入れられていた。
ちなみに2026年のエイプリルフール企画、そして『マキバオー』アニメ30th&『ウマ娘』アプリ版5thダブルアニバーサリーのスペシャルコラボでは、チケゾーやタマではなく、たれ蔵とある共通点をもったメンバー……名前が「~オー」の面々*69とのオールスターコラボという体裁が取られており、今回は結果的にYesともNoとも取れないように仕上がっている。
……ただし、チトセオーが「マキバオーさんもウマ娘の姿になってみては?」と提案し、そしてたれ蔵がウマ娘っぽいシルエットにボワボワと変身した*70際に、ウマ娘のタマモクロスがつけているそれに酷似したリボンがシルエットのみながらなおはっきり確認できたため、最初からモデルになっていたのは怪しいだけで「結果的にたれ蔵とタマモクロスには類似点が見られるようになった」自体は『マキバオー』公式としても問題のないネタではあると思われる。


  • 吉田茂「バカヤロー!!」

1953年3月14日に起きた衆議院解散(通称「バカヤロー解散」)の発端となった台詞だが、吉田首相が激怒し「バカヤロー!!」と大声で叫んだがために議会が紛糾し解散に追い込まれたというのは誤り。
実際は同年2月28日の予算委員会で、社会党の西村栄一議員との論戦のさ中、席に着きつつ小さな声で「ばかやろう」と呟いた程度である。
それを西村議員が「ばかやろうとは何事だ!!」とまくし立てたことで騒動が広がった。
吉田は発言を撤回し、西村も受け入れたものの、社会党から懲罰動議が出された上に内閣不信任案まで可決されることとなり、解散となったというのが真実。
吉田茂を扱った作品ではやや誇張して描かれやすい*71のも誤解が広まる要因か。


当時の論戦は現在も国会会議録で読めるが、発言が撤回されたため、「ばかやろう」に当たる部分は「―」で伏せられている(つまり公的には「言ってない台詞」扱い)。


  • 毒蝮三太夫「クソババア」

高齢者を中心とした音楽ラジオ『ミュージックプレゼント』で親しみを込めてリスナーに暴言を吐くことで有名な毒蝮三太夫……だが、「ババア」「ジジイ」と呼ぶことはあっても「クソババア」と呼ぶことはない。
これは本人のみならずラジオスタッフや付き人も認めており、「基本的に蝮さんは元気な人にしか『ジジイ』『ババア』と言わない」という信念があってのこと。


  • 城島健司「利き手はやめろ!ブルガリア!ブルガリア!

2004年6月1日、千葉ロッテとの試合に先発登板した福岡ダイエーホークス(当時)の杉内俊哉投手は、2回7失点という大炎上の末にノックアウトされてしまう。
ベンチに戻った杉内選手は不甲斐なさのあまりベンチを殴りつけ、あろうことか両手小指を骨折、シーズンを棒に振る結果となってしまった。
この事件は当然スポーツ新聞各紙でも取り上げられたのだが、日刊スポーツがネット上に掲載した記事では、杉内選手を静止しようとした城島健司捕手が「利き手はやめろ!ブルガリア!ブルガリア!」という意味不明な叫びを発したとされていたのである。
「ぶん殴るな」の聞き間違いという一定の信憑性があるものから、杉内投手が「ブルガリア」と呼ばれていたという珍説まで様々な憶測がなされたが、この通称「ブルガリア事件」は主力選手の一人がつまらないことで戦線離脱(球団からは罰金も科されている)という内容が内容だけに触れられることは少なく、発言の真相も長らく謎とされていた。


そして事件から15年以上経過し、杉内、城島の両選手も引退した2020年に行われた城島選手へのインタビューで「『利き手はやめろ』の後に何を言ったかは覚えていないが、『ブルガリア』などというわけがない」との回答がなされ、恐らくは日刊スポーツの聞き違いであることが明らかとなった。


上記のように発言したとされる本人が明確に否定しているのだが、プロ野球ファンの間には完全に定着してしまっており、投手が物に怒りをぶつけて負傷したとのニュースが流れる度に「●●のブルガリア事件」などと揶揄されている。


2022年、読売ジャイアンツの坂本勇人選手が当時交際していた女性にLINE上で発言したとされているセリフ。
実際の発言は「今日けつあな確定な」であることが明確に読み取れるのだが、「な」が意味不明であることや語呂の良さなどから、いつしか「けつあな確定」が定着し、ネット上を中心に使用されるようになっている。
上記のブルガリア事件と同じく、こちらも内容が内容だけに本人や関係者は沈黙を貫いており、当初の発言の真相等は今のところ不明である。
2024年に坂本選手がキャバクラ代など計2億4千万円を必要経費扱いとしていたことを税務署に指摘された際には「けつあな確定申告漏れ」というパワーワードと共に発言が蒸し返されたが、こちらは正真正銘言っていない台詞である。


  • 鳥山明「悟空とクリリンとの間に友情はない」

ドラゴンボール』のブウ編での悟空本人の発言「殺されたみんなや破壊された地上はドラゴンボールでもとにもどれるんだ 気にすんな」などと並び、悟空の性格面を揶揄する文脈で度々引用される作者の発言とされるもの。
結論から言えば、作者は確かに「悟空には友情はないですよ」とは発言したものの、「クリリンとの間に」とは一言も言っていない。


そもそもの発言は、週刊少年ジャンプで連載を持っていた作家の作品制作秘話や制作風景を収録した別冊DVD集『ジャンプ流!』の鳥山明回でのもの。
その中で作者へのインタビュー中、「ジャンプには友情・努力・勝利という言葉がある」という話題に入った際、作者が「(ジャンプで作品を描くにあたり)それらの要素は完全に無視していた」と言及しており、『ドラゴンボール』に関してもインタビュアーの「(悟空には)友情の要素は自然に感じましたけど」との言葉に「悟空には友情はないですよ」「(強い奴と戦いたいという思いが一番で、)たまたま友情になってしまっている感じ」と返している。
ただ直後に「意識せずに描いて、たまたまそう(友情という結果に)なったらいいな」とも発言しているため、意味合いとしては「悟空というキャラを描写するにあたり、ことさら友情という要素を意識して描いてはいない(友情そのものを否定するつもりはない)」という解釈が正しい。


ではなぜクリリンが入ってきたかといえば、当該発言のタイミングで天下一武道会の悟空vsクリリン戦の試合直前のページが写されており、これを見た視聴者が「悟空とクリリンとの間にも友情はないんだ!」と解釈してネット上に流布した可能性が高い。
実際には作中でクリリンがタンバリンやフリーザに殺された際の激昂ぶりや、アニメシリーズを中心とした「オフ」の際のやり取りから、「悟空はクリリンに友情を感じていない」と解釈するのは無理があるだろう。


誰が言ったかわからない

  • 「無能な働き者は殺すしかない」

「有能な怠け者は将軍(司令官)にすると良い。有能な働き者は参謀にすると良い。無能な怠け者は兵士、または連絡将校にすると良い」……と来て、最後にこう結ばれる。
主にフィクションにおける軍隊の組織論で登場するが、文脈が簡潔で使い勝手がいいので「バカは何やってもダメなんだから、せめて大人しくしていろ」(あるいは本当に殺害する)という意味で頻繁に引用される。
しかしこの言葉、ドイツ帝国の軍人ハンス・フォン・ゼークトの言葉とされる事が多いが(ネット上ではとある軍事漫画にて上記の分類を“ゼークト流”と称し、兵士の配属について語る1シーンが有名か)、彼の著書にそれらしい記述はない。
またゼークトと同時期の軍人、クルト・フォン・ハンマーシュタイン=エクヴォルトのものが改変された……ともされており、比較的信憑性が高い説のようだが、こちらも証拠はない。
そのハンマーシュタインの理論も「愚鈍で勤勉な兵士には責任ある役を任せてはいけない」といった感じで、こちらも「殺すしかない」などとは言っておらず、意味合いは全く異なる。


そもそも一般に引用されている意味でも「働き者・勤勉」という表現で紛らわしいが、ここで言っているのは「自分で(勝手に)判断して行動する」ことであり、暴走以外にサボりや任務放棄も含まれる。*72
軍隊でそのような奴がいる場合、その時点で銃殺刑とまではいかなくても何らかの罰を食らうのは当然であるし、重大な違反を犯したならばともかく軽度の違反者や働きぶりが少し怪しいだけの者を皆殺ししていたら士気もダダ下がりな上に自滅する可能性も高いため、そのような軍隊が存続する可能性は極めて低い。


  • 「最近の若い者は(○○だ)」

約4000年前の古代エジプトの粘土板に書いてあったとされる碑文。
後生を見下したがる老人の決まり文句であり、「古代から老人が若者に説教したがるのは変わらない」という笑い話に使われるが、そんな碑文は存在しない。
エジプト中王国時代(紀元前2040年~紀元前1800年頃)には、「教訓文学」というジャンルの作品*73が多数書かれているので、似た文言が存在する可能性もあるが、今のところ見つかっていない。
その前代に当たるエジプト第1中間期(紀元前2180年~紀元前2040年頃)の風潮を嘆く『イプエルの訓戒』という手録もあるが、世は乱れ、王の墓は荒らされ、神官の呪文は民に流出し、王は廃され、貴族は奴隷となり、農民が立身出世を夢見て土地を捨て、人々がヒャッハーと略奪に繰り出し、無力な老人や幼児はいっそ自殺しようとするという、世紀末な当時の有り様を述べたものである。


古代ギリシャで活躍したピタゴラスやプラトンも若者について色々書いているが、そのようなニュアンスは含まれていない。
ただし、プラトンについては『アシモフの雑学コレクション』という本の中に、自分の弟子に対して「最近の若者は、なんだ」と言ったという話*74が出てくるので、ここから広まった可能性もある。


日本の古典にも同様の逸話があり、『枕草紙』に「最近の若者は、非常に言葉が乱れており嘆かわしい」という一節があるとするものが有名。
こちらは元ネタと思われる文章が実在する(188段)ものの、「男でも女でも、下品な言葉を使うのは良くないことです」という内容で、別に若者だけを批判しているわけではない。
吉田兼好の徒然草第22段『何事も、古き世のみぞ慕はしき』にも、「今様の人は言葉が乱れている」と嘆く文章が見受けられる。


  • 「嘘も百回言えば真実になる」

この項目の存在自体が、この言葉の証左とも反証とも言える。
名前を言ってはいけないあの民族の諺とも言われるが、明確なソースはなく、どこが初出なのかは不明。
アドルフ・ヒトラーの言葉という説も聞かれるが、これは彼が使った「大衆は小さな嘘より大きな嘘の犠牲になりやすい」という言葉と混同されたものと思われる。
またナチスの宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルスもこの言葉を使ったとされることがあるが、実際には言っていない。
さらに、実際にはゲッペルスが「もしあなたが十分に大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはその嘘を信じるだろう。(中略)真実は嘘の不倶戴天の敵であり、したがって、真実は国家の最大の敵だ」と著書に綴った言葉が元ネタであるなどという説がよく真相として語られるが、
これも出典となるドイツ語の原文の引用元が全くもって不明であり、ゲッペルスの言葉だとされる前はこれも「アドルフ・ヒトラーが自著『我が闘争』に書いた」などと説明されるケースもあったりするなど出処はよくわかっていない。


  • 「柔能く剛を制す」

元々は太公望が書いて黄石公がまとめたとされる、古代中国の兵法書『三略』に載っていた言葉。
しかし年代的におかしい記述が多々あり、本当に彼らが関わった物なのか疑問視されている。
また、現在では主に「柔らかくしなやかな者の方がかえって堅く強い者相手を制圧できる」的な意味で使われているが、本来の文脈では「柔和な者でもやり方次第で剛直な者を制御できる」という性格的な意味で使われた言葉だったりする。
ちなみに「剛能く柔を断つ」という言葉とセットになっている」というのは都市伝説であり、現在の意味になった(柔道が広まった)後に付け足された言葉だと思われる。
厳密には正しい引用とは言えないかもしれないが、柔道の理念・理屈の一つとしてはおおむね前者の解釈がふさわしいので、基本的には問題ない。


  • 「人間は無用な知識が増えることで快感を感じることができる唯一の動物である」

トリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~』の冒頭で、アイザック・アシモフの名言として毎回流れていたが、典拠は不明でアシモフ研究者もわからないそうである。
放送開始以前に出版された唐沢俊一(番組のスーパーバイザーも務めた)の著書『トンデモ一行知識の世界』にも同じくアシモフの名言として載っており、典拠はアシモフの一行知識の本と書かれているが、それに該当しそうな著書には記されていない。
この唐沢本は内容について疑義が呈されている部分が少なくなく、これも同様である。だがないことの証明は難しく、言ってないと断定はできない。


それが理由かは不明だが、放送途中でアリストテレスの『形而上学』1巻冒頭の文「全ての人間は生まれながらにして知ることを欲する」に変更された。


  • 「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから」

「思考を変えれば人生が変わる」という、いわゆる「引き寄せの法則」系の格言。SNSなどで主にうさんくさい情報商材屋の手で拡散され、頻繁に話題に上る。
日本ではマザー・テレサの名言として紹介されることが多いが、出典は不明。アメリカでは「中国の古い格言」ということになっているが、やはりこちらにも根拠はない。
その他にはブッダやガンジーが似た意味の言葉を残したと言われているが、いずれも後世の創作である可能性が高い。


  • 「ここに10万人の宮崎勤がいます」

1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(通称「宮崎勤事件」)の容疑者が逮捕された後、とあるニュース番組がコミックマーケットを取材し、その際にコミケの参加者を揶揄・非難して発言したとされる言葉。
確かにこの当時事件の犯人である宮崎勤とその他の無辜のサブカルチャー愛好家を同一視して「おたく差別」を行うメディアや言論人がいたことは事実だが、実際に「ここに10万人の宮崎勤がいます」と報道したニュース番組があるというソースは見つかっていない。


この言葉が有名になったきっかけとして、漫画評論家でコミケの創始者としても有名な米澤嘉博のコラムが挙げられ、そこでは「そのように書いた雑誌がある」と記されている。
しかし、雑誌その他紙媒体にしても「10万人の宮崎勤」という表現をした媒体は見つかっていない。さらに米澤氏の証言は後年に話が変わっているところもあり、信ぴょう性に欠ける部分がある。


リンク先も参照。


意訳により原文から意味合いが変わってしまった

本人の自伝『急降下爆撃』の一節で、ルーデルが部下を鼓舞した時の発言とされる。
ドイツ語の原文は「Verloren ist nur, wer sich selbst aufgibt!」であり、直訳すれば「失われるのは自分を諦めた者だけだ!」となる。
つまり「真に価値無き~」の部分は原文には含まれておらず、翻訳者の意訳により追加されたものである。
2019年に出た新訳版では「自分を見放したらそれこそ負けなのだ!」となっており、比較的原文に忠実な翻訳となっている。


  • 昭和天皇「私を殺せ」

太平洋戦争終戦後、1945年9月27日に在日アメリカ大使館にて行われた第1回マッカーサー・昭和天皇会見にて、昭和天皇がマッカーサーに対して放った台詞としてその手の界隈では有名な台詞。
これはマッカーサー側の通訳バワーズが後年テレビ番組で語った証言であり、彼が英語で語った昭和天皇の発言は「Kill me, but not those who acted in my name.」となっている。
流れに合わせて自然な日本語で訳すと「私が処刑されるとしても、私の名の下で働いた国民たちを処刑することはやめて欲しい」といったところが正確であり、「Kill me」だけを抜き出した上記の直訳ほどの過激なニュアンスではない。


しかしこの台詞は日本語と英語どちらで発言されたのかも不明であり、バワーズが語った文字通りの発言である保証はない。
「通訳」が立ち会っている以上は日本語で発言した可能性もあるが、その場合バワーズは日本語を英訳したものを証言したことになり、いずれにしろ昭和天皇の言葉をそのまま伝聞していないことになる。
そもそもマッカーサーと昭和天皇の会見は各当事者の証言が微妙に食い違う部分もあることから、この発言の真偽自体も疑う余地がある。
仮に昭和天皇がなんらかの発言をしていたとしても、バワーズが昭和天皇が日本語で話した言葉だけでなく、その姿勢や態度も含めて彼なりに英語に意訳した可能性も捨てきれず、いずれにしろ字面通りの発言ではない可能性が高いことに注意。


ロサンゼルス・ドジャースとトロント・ブルージェイズという顔合わせとなった2025年のワールドシリーズ、第2戦での先発登板を控えた前日会見での山本の発言。
……なのだが、この時彼が実際にコメントとして(日本語で)残していたのは、オリックス時代から自戒として口にしていた「何としても負けるわけにはいかない」というフレーズであった。
これだけなら必勝の意気込みを表明したととれるごく普通の発言だが、これをハリウッドで映画の翻訳などの経験がある通訳・園田芳大氏が「Losing isn't an option.(負けるという選択肢はない)」と英訳。
当初は「言い回しが芝居がかっている」という点でドジャースの同僚たちやアメリカのネット上でネタにされていたが、当の山本がその第2戦で2試合連続完投*75・1失点で抑え勝利投手となったことでその「(言ってないけど)有言実行」っぷりに賞賛の声が集まるようになる。
その後も山本は「負けたら終わり」の第6戦でも6回1失点で勝利、さらに延長戦にもつれ込んだ翌第7戦では前日に98球を投じているにもかかわらず9回裏同点一死一・二塁というサヨナラ負けの大ピンチの場面から志願の上リリーフ登板、これを凌いだ上で10回・11回も投げ切りドジャースのワールドシリーズ連覇を手繰り寄せるという大車輪の活躍。
シリーズ最多タイとなる3勝をあげたことで松井秀喜以来の日本人2人目となるワールドシリーズMVPに選ばれた。
早々に発言がTシャツ化され同僚たちが着用するなどしていたが、数々の劇的な展開から本人が(厳密には)言っていないのにこの年のワールドシリーズを象徴するものとしてこのフレーズが定着するに至った。


そして地元・ロサンゼルスに凱旋しての優勝パレードにて、シリーズMVPに選ばれたことについてインタビュアーから尋ねられた山本は、遂に「You know what? Losing isn’t an option!」と発言。
本人が正式にフレーズを口にしたことで「原文から意味合いが変わってしまった発言」から「本人が言った発言」に相成った。


ちなみに山本はこの例以外にも普通の発言がメディア、ファン、チームメイトの誇張によって妙に強気かつ劇的なニュアンスで伝えられてしまうことが間々あり、それらはネット上で「言っていない語録」なる呼び名でまとめられている。
「心配事は祝勝会の酒がオレの口に合うかどうかだけだ」」「困った チャンピオンリングを着用するための指は10本しかない」などのようにそもそも言ってないのではないかと思われるヤマモロ*76語録まで多数存在する。
そしてそういうことを言ってもおかしくないほどの活躍をするせいで説得力が強まってさらに語録が増えていく


  • ボードレール「結婚は人生の墓場」

現在では「結婚するということは墓場に入る事と同じ」つまりは「結婚した男は死人も同然」という意味で使われる言葉。
だが実はこれは誤訳であり、原文は「墓のある教会で貴方が愛した唯一の人と結婚しなさい」という意味だとされている。


元々存在しなかったが、後に本人が発するなどして「嘘から出た真」になった

  • 長州力「キレてないですよ。俺キレさせたら大したもんですよ」

くりぃむしちゅーの有田哲平や長州小力が物真似のネタに使った長州の試合後のワンフレーズ……という事になっているのだが、実は厳密に言うと長州はこの台詞を口にはしていない。


まず、そもそもこの2つの文は実際は別々の場面で発言したものである。
長州がとある試合に敗れた後にインタビューで「キレたんですか?」と問われて「俺キレさせたら大したもんだよ」と答え、その翌月の試合に勝利した後のインタビューで同じ質問に「キレちゃいないよ」と答えた……というのが正しい流れ。
つまり、この台詞は本来一連のものではなく別々のもので、時間軸的には後ろにきている「俺キレさせたら~」の方が先である。
なおかつ、上記の通りもう一方のフレーズも「キレてないですよ」では(ニュアンスは合っているものの細かく言えば)間違いである。
有田がこれらを混同したままネタにし、それを小力にアドバイスして後に小力がブレイク、さらにこのフレーズが流行った当初長州本人が元ネタとなるインタビューとその受け答えの内容を覚えていなかった……と悪循環になったことで間違った文面のまま広まってしまったのだ。


上記の経緯もあり、当初は長州も「あれはマスコミが作ったもの」と苦言を呈していたが、その傍らこのフレーズが元でプロレスブームが去りつつあった2000年代に長州が再び脚光を浴びたのも事実であるため、長州は小力に対し「小力のおかげで俺も覚えてもらえるし家族全員小力の大ファン、全然キレてないですよ」とのメッセージを残している。
さらに長州が「キレてないですよ」と言っているLINEスタンプまで配信された事もあり、結果的にこの名言は「嘘から出た真」になった。


また、この発言を巡って「長州、小力、有田が同席し元ネタとなっている当時のインタビューをビデオで確認する」という特集がテレビで放送された事がある。
その際上記の正しい経緯が再確認され、長州は全面的にこの発言を認めた他、有田や小力を咎めるような姿勢は見せなかったため、この発言を巡って三者でトラブルになるような事態には陥っていない。
有田も間違いを広めてしまったことには罪悪感を覚えており、かなりの年月が経過してからも度々一連の流れへの反省と長州の寛容さへの感謝を述べている。


なお、元々の長州のセリフは「キレる」という言葉が定着している現在では違和感のないものだが、発言当時このフレーズは長州のようなオジサンが発することのないようなバリバリの若者言葉であり、リアルタイムでファンが抱いた違和感について有田は「今で言えば『激おこぷんぷん丸じゃないですよ』と発言するようなもの」と表現している。


  • SUSURU「啜る~! 殺すぞ~!」

ラーメン系YouTuber・SUSURUが「濃厚とんこつ豚無双」と言う店をレビューした時の音声……ではない
ネタ系のツイートや動画をX上にアップしているラーメン珍道中による、あまり似ていないモノマネである。
穏やかな性格であるSUSURUが言いそうにない台詞*77が大いに受け、2021年8月時点までで約28000いいねと約12000リツイートを記録。
「SUSURUやラーメン珍道中の事はよく知らないけどこのコピペは知ってる」という人も増え、他作品のキャラクターによる二次創作イラストや多数のMADムービーが製作された。
これらの動画はSUSURUも見ており、翌月には本人による読み上げ動画が発表された。
下手をすればイメージを損なわれかねない内容であったにもかかわらず、快く協力をしてくれた事からSUSURUの知名度向上に大いに役立った……のかもしれない。
近年ではSUSURU本人が完全に自分の持ちネタ、代表的な発言として扱いつつある。


  • タモリ「髪切った?」

元々はコージー冨田が「目の前にある物をただ言う」というタモリの癖を発見していたところ、『ものまねバトル』にタモリの真似で出演した際、たまたま長髪を短く切っていたヒロミに話を振られて飛び出した一言だったが、いかにも本人が言ってそうなセリフとして定着した。
しかし『笑っていいとも』の終了直前に、テレフォンショッキングに出演したバナナマン・日村勇紀が「どうしてもタモリさんに『髪切った?』と言って欲しい」と本当に髪を切ってきた上で話を切り出し、タモリは「あいつが、コージーが言い出した事でね、俺はそんなに言ってない」と照れながらも最後ははっきりと「髪切った?」と聞き、会場を沸かせた。
ちなみにこの話の冒頭でも日村の話をぶった切って「いい時計してるね」と呟き、コージーが見抜いた癖通りのボケを見せている。


実は言っていた台詞

上記のような実は言っていないという風説が流布しているが、資料の再発見などにより「実は言っていたのではないか?」という説が有力視されている台詞も存在する。


  • 板垣退助「板垣死すとも自由は死せず」

暗殺未遂事件を報じた新聞社の創作という説が流れている。一説には秘書の内藤魯一の発言だとも。
何しろ襲撃当時は「痛いがーやきぃ、早よう医者を!」と叫んだと言われてたり、本人が自伝で「一言も出なかった」と回想している。
いずれにしても、刺されたその場でこんな発言が出たなら凄すぎである。


……と長らく言われていたが、なんと本当に言ったのではないかという説が近年になって再浮上している。
板垣の自著『我國憲政の由來』で実際にそう叫んだと述べられていたり、インターネットもなく迅速な情報共有手段もなかった時代にもかかわらず複数の新聞がほぼ同様の報道をしていたり、そして複数の目撃者の証言が一致し否定する証言も出なかったり、裏付けになりそうな資料が見つかっている。


ただし、「襲撃を受けた瞬間にそう叫んだ」のではなく、実際には「犯人が捕まった後に発言した」、「病院で見舞客に笑いながら言っていた」という説がある他、国立公文書館にある襲撃当時に駆け付けた警察官の報告書には板垣が「我今汝ガ手ニ死スル事アランモ自由ハ永久不滅ナルベキゾ」と言って笑ったという証言が残されているなど、証言者によって発言の細部などは異なっており、実際に板垣がどのタイミングでどのように発したかは諸説ある。


当たり前だが、言ったかどうかわからないからって、テストの穴埋め問題に「ぐへっ!」とか「ぎゃあ~!」と書くのはあまりにもしょうもないのでやめよう。
むしろ実際の記録によると柔術の達人だった板垣はとっさに肘打ちによるカウンターを襲撃犯に決めたという豪傑っぷりを見せている。


ちなみにこれは3回目の暗殺未遂事件の出来事。板垣は生涯計6回もの暗殺未遂事件に遭遇し、その全てを五体満足で生き残ってきた。
そして最終的に彼を死に至らしめたのは肺炎であった。享年83。上記の台詞から30年以上も経っていた。



余談

これらの言葉を偉人が言ったというのは創作に過ぎないにしても、それが名言として語り伝えられてきたのは、その言葉の力とその偉人の魅力の賜物に他ならない。
そういう側面は忘れてはならないだろう。
一番最初の言葉にどこか間違いがあったとしても、そこからの全ては紛れも無く本物であるのだから。


ただし、そうした「言葉の重さ」に適当に乗っかろうとした結果、時として赤っ恥をかく事になるのはそれを言う側である。
なのでやっぱり言った言わないも大事な事なのだ。主に我々の面子の為に。


また、中には当該偉人の負の側面などを象徴するエピソードとしてこうした名言───いや迷言が扱われるケースもある。
しかし、これらは後世やマスコミ、ネット民の印象操作等によって、正しい意図ではなく、捻じ曲げられて伝わってしまうケースも後を絶たない。


好意的な文脈で取り上げられる名言であれば、本人も「まあいいか」という大人の対応をしてくれる場合はあるかもしれない。
だが、「何がセーフで何がアウトか」を実際に判断するのは、我々ではなく「言った事にされた方」であるという事を肝に銘じておこう。



追記・修正は名言を正確に残してからお願いします。



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*1 映画『劇場版 仮面ライダーゴースト 100の眼魂とゴースト運命の瞬間』に由来するネタで、こちらは「ダーウィン本人の扱いだが、そもそも創作物」というパターン。本編ではこの後「ありがとう、タケル君」と主人公の天空寺タケルに礼を言って終わる。
*2 破壊の儀式としていくつかの都市に塩が撒かれたことは記述があるらしいが、カルタゴであるかは明言されていないし、実利的な破壊活動というよりは800年以上前の儀式になぞらえて勝利・征服をアピールしたという意味合いの方が強いと思われる。
*3 少なくとも大山が特攻兵だとか、過去にチンピラを殺しその妻子に罪を償うために一年間農作業をしていたとか、馬殺しを名乗る空手家と100人抜きをやったとか言うのは確実に嘘である。
*4 少女漫画「上杉くんは女の子をやめたい」でもこの台詞が引用されているが、発言主は「昔の文豪」となっており少なくとも夏目漱石の発言と断定されていない。
*5 なお終結間際の1945年7月の庶民院総選挙で、与党の保守党が労働党に敗北したことで辞任を余儀なくされている。
*6 本人の著書『第二次大戦回顧録』からの引用とされることもあるが、原文にそのようなくだりはない。
*7 「自国の要求を『無理難題』と表現している」「政府の外交姿勢の話のはずなのに一貫して表記が『日本人』」「日本語の微妙な言い回しがやけに正確」など。
*8 さらに言えば出走できるのは牡馬か牝馬のみで、騙馬(簡単に言うと去勢した牡馬)は出走できない。一応、過去には出走が認められていた時期もあった。
*9 ここから選挙に行かないことを「寝る」と称するネットスラングが生まれて、現在でも使われている。
*10 噂では「こんなことして楽して儲かる」的な動画作成の情報商材が出回ったという話だが、残念ながら証拠がない。
*11 手塚の没年が1989年、尾田の漫画家デビュー年が1997年なのでどうやっても年代が合わない
*12 ネタが過激化して先鋭的になりすぎた、外的要因でコミュニティが成立しなくなった、逆に古参が暴走を始めたなど。具体例として、一度崩壊寸前までいったアンサイクロペディアはこれが全て当てはまっている。
*13 セブン&アイ・ホールディングス役員。
*14 実際に起きた問題点で挙げれば「富の再分配を行うのも人間なので、ここに汚職や不正が入り込む余地が残る。また実際に入り込んだ場合には被害が拡大しやすい」、「基本システムの都合上競争原理がほとんど働かないので、資本主義の国との競争状態になると大幅な不利が発生する」など。もっとも、これに関しては資本主義の方にも「池上が言った意味合いでの『理想』」な部分も存在することには留意。
*15 これも現代の日本では共産主義思想が違法ではない(今は廃止されているようだが、冷戦期は欧米圏だと明確に法で禁じていた時期があった)以上、おかしくはあるが。
*16 なお、トレードで移籍されてきた松永は移籍年では故障するなど期待されていた程の優れた成績は残せておらず、またトレードの相手となった野田浩司はその年に最多勝を獲得、翌年以降は優勝に貢献したり1試合19奪三振の日本記録を達成したりとオリックス・ブルーウェーブで活躍していた。そんな状況の中で1年で阪神を出ていった松永に対して、発言に関係なく悪感情を持っているという阪神ファンの存在は現在でも少なからず見当たる。
*17 ゴールドシップ号の馬主。ベアリング製造メーカー創業者。
*18 ダイワスカーレット号の馬主。実業家。
*19 タニノギムレット号及びウオッカ号などの馬主で実業家の谷水雄三。なおかつてはカントリー牧場を経営するオーナーブリーダー(馬主兼生産者)でもあったが、カントリー牧場は2012年を以って解散し、馬主業も2022年6月を以って事実上撤退した。
*20 どちらも茂行氏の父で実業家・馬主であった西山正行氏の所有馬(セイウンスカイ号は後に名義を西山牧場名義に変更)の持ち馬であり、正行氏の死後にその権利を引き継いだ。
*21 実業家・馬主(オーナーブリーダー)で、ニシノデイジー号などの馬主でもある。ちなみにウマ娘プロジェクトに好意的な姿勢を取っていることでも知られ、娘さんもウマ娘トレーナーである。
*22 このためか、ギャグ系の二次創作ではダイワスカーレットが「(賢さが足りないので)ひらがなでしか喋れない」、さらには「率直に言ってもバカ」「見ようによってはウオッカよりよっぽど単純で子供っぽい」といった性格にアレンジされているものがみられる。
*23 ただ、この件は否定時に宮﨑は照れ笑いを浮かべていたとのことで、シャイさからの照れ隠しによる発言である可能性も存在する。
*24 厳密に言うと、コピペの原型となった書き込みを改変して現在の形にした人物。
*25 「当時アシだったむぎわらしんたろう先生に翼竜の作画を頼む→描く→先生が一瞥したら直後に「そこの関節はそれだと間違ってるよ」と怒られてしまった」など。
*26 一時期、多数のコメント欄にてのび太を副主人公にするよう要請する意見が立て続けに書かれていた。
*27 『野比のび太』の記事より。なお同サイトは著名なUGC百科事典の中ではトップクラスに運営が放任主義となっており、これと言った編集ルールがほとんど存在しないため、出典を伴ったファクトチェックが入念に行われるケースはかなり珍しい。なぜこのサイトで記述したのかは不明。
*28 「『幽☆遊☆白書』末期にストレス解消のため一人で書いた」などの発言は明確にソースがあるが、『HUNTER✕HUNTER』でもアシスタントを雇っていないというソースは存在しない。それどころか同作のコミックスではアシスタントとのお絵かき企画が掲載され、作中でもそれと同じ画風のモブが確認できる。また、王位継承戦突入後に『ジャンプ流』で取り上げられた際には、5人ほどのスタッフが確認されている。
*29 実際にアニメのレギュラーキャラには、そもそも人型ではないキャラと「明らかにデデデ大王以上に高頭身ではない人型キャラクター」しかいない。テレビ通話の画面をトリミングして普通の人型体形っぽく見せていたやつはいたが……
*30 東映側も氏が「連絡をとって了承を得た」のを言及している。一説にはここで「こちら側もロボコップネタを1作作らせてほしい」にOKが出た結果が『機動刑事ジバン』とされるが、これはソース不明。
*31 一応ゴルスタのサービスインが2016年に対して全話DVDの初回の発売が2004年であること、東映チャンネルでの放映が2014~2015年にあったことから、実際に高校生だったとしても知っている可能性は十分ある作品なの自体はウソではないが。
*32 ルーデルの著書を参考にした面はある模様。
*33 日本ではパン屋で売られている事もあるためパン扱いだが、フランスでは菓子パンなどの甘いパンはお菓子として扱われる。
*34 なお、ルソーの自伝が出版されたのは彼の死後であり、その頃のマリーの年齢は20代半ば。
*35 一方のマリーは、王家の味方を厳格な君主主義者だけに限定する傾向があった。彼女は民主制や近代的憲法を「唾棄すべき作品」と呼び、革命家を、さらには君主制をどうにか守ろうとする立憲君主主義者さえをも一まとめに「過激派」と呼んでいた。マリー曰くフランスは「唯一の指導者」に統治される君主国であり、「過激派」を倒すために実家オーストリアや諸外国に軍派遣を頼んでいた。彼女を処刑する理由は「機密情報の国外への漏洩」と宣告された。ただし、「首飾り事件」を含む多数の冤罪も押しつけられていた。
*36 王妃であるにもかかわらず子供たちのために家庭菜園や農園で食材を賄い、子供たちのおもちゃですら自作するなど。しかし経済政策は理解できておらず、財政問題解決にはならなかった。
*37 要約すると「ひどい事だと思うが、軍人である以上命令に従わないわけにはいかなかった。なぜ上の命令に従っただけで有罪になるのか」(実際には戦後にイスラエルで裁判にかけられ、死刑判決が確定)。また、この際には「『我が闘争』は読んでいない」とも発言している。一応付記しておくと「敗戦国側に厳しい・戦勝国側に甘い」というのは複数の戦争犯罪裁判において指摘されている問題ではある。
*38 「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、及び幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という部分。
*39 実際に、福沢諭吉の著者名義で『脱亜論』が後世に刊行されてしまっているケースが多い事も拍車をかけている節がある。
*40 漫画『普通の女子校生が【ろこどる】やってみた。』に登場するゆるキャラ「ムルデル君」の元ネタである。これは作品の舞台になっているのが千葉県流山市であり、当地の利根運河をムルデルが設計したことにちなむ。
*41 ただし、新日本所属選手が同じ内容を述べた際に、職業や立場の事情から「猪木さんの発言」としているようなケースもあるにはある。例としてオカダ・カズチカがマイクアピール内でこの文句に触れた際には明確に猪木の発言と扱った。
*42 実際には自分たちの尻が青鬼に食われるの意と思われる。
*43 ちなみに『サウスパーク』にはネズミや有名人を文字通り尻から吸い込む「スレイブ君」というキャラクターが登場する。
*44 糞土方側への事前知識を抜きにしても、「東京出身で国政選挙出馬としては一貫して広島1区の岸田が、一般人とプライベートで会うためだけに津山方面まで、しかも飲食店かなにかの予約を押さえることすらなくそのへんの河川敷へ出向くのは本当に不自然ではないのか」「(岸田本人は一部の他の所属者に比すればそこまで極右的ではないとはいえ)右派政党の党首なのに同性愛行為に及ぶのを明言するのは、党の方針上大丈夫なのか」などの不審点はあったといえるだろう。
*45 =このような内容のものが先に問題視されたことで、暴動やヘイトにつながることなく「さすがに必要であろう範囲の規制」が検討されることになった。実際に大手サービスだと実在政治家と性的な内容を組み合わせた内容は出力不可(利用ガイドライン抵触として出力できない旨のみ表示)になっていることは見られる。
*46 ちなみに当該動画は総理をネタにしたのとは別で「実在するニュース番組のロゴを無断使用」が問題視され、こちらの商標問題を理由にサイト運営により削除されたとされる。
*47 レーリヒの独特な青の色使いは「レーリッヒ・ブルー」と名付けられるほど著名であり、この辺りが混同されていたりもするのかもしれない。
*48 前者は本格的な作品にないわけではなく(『相棒』など)、後者は特撮ヒーロー作品のような「最初からそういった描写が許容されるシリーズ作品」で犯人当て要素をやる場合にはむしろお約束(『特捜戦隊デカレンジャー』のジャスミンの超能力捜査官設定、『仮面ライダーW』とその続編漫画『風都探偵地球の本棚など)だが。
*49 ちなみに襲撃犯の一人は出会い頭に銃の引き金を引いており、不発に終わらなければそこで自身が死んでいた可能性もあるにもかかわらず、「撃つならいつでも撃てる」と告げ、後述の通り「話をしよう」と彼らを部屋に案内したという。
*50 彼の悪逆非道さをアピールしている『平家物語』は小説に近いところがあり、鵜呑みは厳禁だとされている。
*51 「驥(千里を駆ける駿馬)に学ぶのは驥の同類であり、舜(中国神話に登場する有能な皇帝)に学ぶのは舜の同士である。形だけでも賢人に学ぼうとする者もまた賢人なのだ」という意味。
*52 「パウロが直接書いた/パウロ伝としては事実だが、文章としてはパウロの弟子がまとめ直した/パウロ伝としても創作」と諸説分かれているが、本項では簡便化のために聖パウロの伝記に相当する聖典としては信頼性があるとして執筆するものとする。
*53 キリスト教のとりまとめ団体として最も有名であろうローマ法王庁は、博愛主義・平和主義の追求として「弱者への福祉」を肯定している事もあると思われる。
*54 現代では信じがたいかもしれないが、当時はカツアゲ暴行なんでもありの店舗が報告されることもまあまあ珍しくなかった。
*55 この後のルパンは宮崎による「いざとなれば各種『やむを得ない、荒っぽい判断』は取れるが、本質的には優しく、また不必要な殺しや被害はあまり好まないルパン三世」で固まっていったのはご存じの通り。
*56 実際パンチ先生の原作のルパン三世は、アニメなら諦めて撤収する・次元や五ェ門に乗り物だけ破壊させて足止めするなど一時的に無力化するだけで済ませるような場面でも「スルーすると自分の身がマズいのでここで殺す」選択を取っている。
*57 2001年に書かれた文章だが、インタ―ネットアーカイブから現在も閲覧可能。
*58 テレビ番組のイメージ映像を鵜呑みにして「不法入国した」などと提唱したり、どん兵衛の新たなTVCMが放送されたのを見て「アンミカのCMは不評だったから降板させられた」と言い張る(そもそもアンミカのCMはウェブ限定)など。
*59 先述した「タイのものだったアンコールワットを奪ったカンボジア人は嫌い。アンコールワットはタイに返すべきだ」は言ったことにされた者・聞いた者ともに極端すぎる例ではあるが、政治の話において誤解を招くような言い回しはそうでない場合より高リスクとなりうるの自体は事実ではある。実際に少数ではあるが「ニュアンスは伝わったが、過労死など労働関係の社会問題が実際にある中なのを考えると他の語彙を選んだ方がよかったのでは、と言われるとそれも否定しにくいと思う」と高市の意図には賛成した上で総裁のスピーチとしては否定的な意見も見られていた。
*60 平たく言うと水面に石を投げて跳ねさせるあれの皿版である。
*61 イギリスの哲学者ジョン・ロックが論語の「衣食足りて礼節を知る」ぐらいのニュアンスで引用したのが発祥とも言われているが定かではない。
*62 この年は最終盤まで西武・オリックスと優勝争いを繰り広げていた。
*63 タマモクロスの実際の二つ名が「白い稲妻」、フジキセキが「黒い奇跡」である事が由来と思われる。
*64 なにぶん古い漫画なので、これまで知らなかった層に広めた一因ではあるだろうが。
*65 タマモクロスは『シンデレラグレイ』の主要キャラだが、主人公はオグリキャップである。
*66 こちらも明言はしていない。
*67 父トニービン、母父マルゼンスキーでダービー勝利はウイチケしかいない。
*68 『たいようの~』ではカスケード関連にシンボリルドルフ(「父の名」に苦戦するマウンテンロックや、その「父の名」をも継承することを種牡としての任務と解釈したダイナスティなど)やタニノギムレット(牝にもかかわらずGⅠで牡をも下しうる非常な強豪として描写されるファムファタール(≒ウオッカ)など)が元ネタと思われる展開が見られた例もある。
*69 トウカイテイオー、テイエムオペラオー、サクラバクシンオー、サクラチヨノオー、サクラチトセオー、カルストンライトオ。ライトオは史実の馬名規定が「現代仮名遣いのみ、カタカナのみ、9文字まで」のためで、英語表記では「オー」組に該当する。
*70 実際には「サクラ軍団組の変身させるためのパワーが不足していた」として結局ならずに終わる。このためウマ娘仕様のデザインはそもそも起こされていない可能性が高い。
*71 例えば2020年のドラマ『アメリカに負けなかった男』では、(怒鳴ってこそいないものの)西村議員に面と向かって「ばかやろう!」と言っている。
*72 例えばサボるのは「与えられた任務をするより、休んだり遊んだほうが自分にとってよい」と当人が判断したからサボったわけで、自分で判断して行動した「働き者」となる。もちろん通常こうした判断は間違い(体調が悪いなどの正規の理由があるなら上官に報告し、それが正しいか上官が判断すること)なので「無能」である。
*73 主に書記を目指す若者向けに書かれたもので、「王を敬え、文章はこう書け、そうすれば良い人生が送れる」などといった教えが記されている。
*74 元ネタと思われる文章が『国家』に登場するが、本来の文脈は「若者の欲望が政治体制を変えてしまうことがある」というもので、「最近の~」と付けるのは不正確。
*75 ミルウォーキー・ブルワーズとのリーグチャンピオンシップ第2戦に続く完投。ポストシーズンの2試合連続完投は24年ぶりであった。
*76 Yamamoto(ローマ字)はロサンゼルスの野球ファンには読みづらいらしく、山本はだいたいこのように呼ばれている。
*77 例として、入ったお店がわかる回では「美味しくない」「マズい」は絶対に動画内で言わないようにしている可能性が高いなど。一応SUSURU本人がこれダメだわと思っているらしき回はあるが、その場合は「……(具など)○○はいいですね」など褒める部分を探しているし、「全体的にも美味しかった」とも一言も言わないことで、暗に動画視聴者に行くかどうかの判断を委ねるようにしている。

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