新撰武家百人一首 - いにしえwiki
の根を 今ぞみやこの 雪の曙 (従三位多々良義興卿)005.都出づる 名残は誰と 知らねども ひかるるとのみ 思ふ袖かな (兵部大輔藤原成宗朝臣)006.面影に たえずば何と 慕はまし 花散るあとの 峯の白雲 (右馬頭大江元就朝臣)007.世の中や 鳰の浮巣の みだれあしの 玉に
の根を 今ぞみやこの 雪の曙 (従三位多々良義興卿)005.都出づる 名残は誰と 知らねども ひかるるとのみ 思ふ袖かな (兵部大輔藤原成宗朝臣)006.面影に たえずば何と 慕はまし 花散るあとの 峯の白雲 (右馬頭大江元就朝臣)007.世の中や 鳰の浮巣の みだれあしの 玉に
とまる身の 待ほといかか あらんとすらん (三位源満仲)003.かくなんと あまのいさりひ ほのめかせ 磯部の波の おりもよからは (源頼光朝臣)004.かたかたの 親のおやとち いはふめり 子のこの千代を おもひこそやれ (藤原保昌朝臣)005.君ひかす なりなましかは あやめ
まる身の 待つほどいかが あらんとすらむ (贈従三位源満仲)003.かくなんと 海士の漁火 ほのめかせ 磯辺のなみの 折もよからば (源頼光朝臣)004.都には 花の名残を とめ置きて けふ白川に つたふしら雪 (源頼義朝臣)005.君ひかず なりなましかば 菖蒲草 いかなる根を
月をながむる 秋の夜は 何事をかは 思ひのこさん (具平親王)005.あたら夜の 月と花とを おなじくば 心知れらん 人に見せばや (源信明朝臣)006.とのもりの 伴のみやつこ 心あらば 此春ばかり 朝ぎよめすな (源公忠朝臣)007.白露の おくての稻も 刈てけり 秋はてがた
ひとさかり ありなば人に うきめ見えなん (承均法師)014.たれこめて 春の行方も しらぬまに 待ちし桜も うつろひにけり (典侍藤原因香朝臣)015.枝よりも あだに散りにし 花なれば おちても水の あわとこそなれ (菅野高世)016.春風は 花のあたりを よきて吹け 心づか
ごとに うちいづる浪や はるのはつ花 (源當純)006.あきかぜに こゑをほにあげて くる舟は あまのとわたる かりにぞありける (藤原菅根朝臣)007.立かへり ちどりなくなり はまゆふの こゝろへだてゝ おもふものかは (亭子院)008.みのうさを 思ひしりぬる ものならば
霞み渡りて 芦の屋の 里に音せぬ 春雨ぞ降る (冷泉為理卿)027.限りあれば 今日脱ぎ捨てつ 藤衣 果なきものは 涙なりけり (九条道信朝臣)028.豊かなる 世々を重ねて 墨田川 広き流れの 波もさわがず (葉室為胤卿)029.池の名の 広きをおのが 心とや 立ちも騒がで
(亀井矩賢)神妙集(亀井茲監)柿本人麿歌集(金子元臣)西本願寺本赤人集赤人集注釈山上憶良歌集(飯田季治)大伴家持集猿丸太夫集小野篁集在原業平朝臣集評釈業平全集(飯田季治)小野小町集遍照集敏行朝臣菅家御集(菅原道真)菅家御集菅原贈太政大臣家集菅家御詠集菅家全玉抄菅贈太政大臣歌集瑠璃
の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む (中納言行平)015.ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)016.秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風のおとにぞ おどろかれぬる (藤原敏行朝臣)017.年をへて 花のかがみと なる水は
澤小野の わすれ水 たえだえならで 逢よしもがな (藤原範綱)033.思ふには 深き山路も なきものを 心のほかに なにたづぬらん (平泰時朝臣)034.こひしのぶ 昔の秋の 月かげを 苔のたもとの なみだにぞ見る (法眼行濟)035.鐘のおとは 霞のそこに 明けやらで かげほの
菰の 水がくれて 日かずふる江の 五月雨の頃 (従二位宗城公)023.我が袖の 涕にやどる かげとだに 知らで雲井の 月やすむらむ (源義貞朝臣)024.はつ尾花 むすびそめける 夕露に 秋てふ風の 吹かずもあらなん (賀茂真淵)025.ゆるさめや 猶こりずまに かよふとも 関吹
合朱雀院女郎花合宇多院歌合本院左大臣歌合亭子院歌合陽成院歌合陽成院歌合陽成院歌合内裏歌合神宮本歌合亭子院有心無心歌合京極御息所歌合近衛佐定文朝臣家歌合前々坊帯刀陣歌合貞信公太政大臣殿歌合源順馬名合九条殿坊城右大臣家歌合天暦七年内裡歌合天暦九年内裡歌合天暦十一年歌合天徳内裡歌合応和
にも 思ふかな あすはわが身の 上に照るやと (吉村寅太郎)020.思ひきや 山田の案山子 竹の弓 なす事もなく 朽ち果てんとは (中山忠光朝臣)021.み簾ふかく 時のきざみの 言葉して 今や咲くらむ 九重のはな (藤本鉄石)022.君が為 みまかりにきと 世の人の 語りつげて
昼はをじまの いその波 夜は枕に 松風のこゑ (瑞巌寺 雲居)013.都にて ながめし月の 影つれて 独は越えぬ しら河の関 (右少将忠宗朝臣)014.わけのぼる 道は桜に うづもれて 高嶺の月を 誰にとはまし (伊達宗重 安芸)015.国たみも あまねくみちの おくなれば 猶
なりぬらん 頼めし人の おとづれもせぬ (兵部卿敦固親王)020.いかばかり 思ふらんとか 思ふらん 老てわかるる とほき別を (清原元輔朝臣)021.世中に うれしきものは おもふどち 花見てくらす 心なりけり (平兼盛)022.諸共に ゆかぬみかはの 八橋は こひしとのみや
おふる まつとしきかば いまかへりこむ(中納言行平)017.ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは(在原業平朝臣)018.すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ(藤原敏行朝臣)019.なにはがた みじかきあしの ふし
7 番歌 民困る 話もきかず アユタヤの 水害跡で カメコするとは ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平朝臣 Part2388-500 可愛い奥様 sage 2012/07/09(月) 20:46:20.27 ID:kml38ADH0OWD百人
ねにをふる まつとしきかば 今かへり来ん (中納言行平)017.千はやふる 神代もきかず たつ田川 からくれなゐに 水くゝるとは (在原業平朝臣)018.秋来ぬと 目にはさやかに みえねども 風の音にそ 驚かれぬる*6 (藤原敏行朝臣)019.春霞 たつを見捨て ゆく雁は はな
生る 松としきけば 沓の音とん (中納言ひらおくて)017.すはやとる 闇夜もきがす たつたもの から瓜畠 中くゝるとは (瓜原なりひらいの朝臣)018.冨士行の 法によるの身 はるものや 旅のかよひ路 人目よからむ (冨士行者年詣朝臣)019.所帯かた みしかき足の ふみしめて
う)013. (やうぜいゐん)014. (かわらの左大臣)015. (くわうこう天わう)016. (中なごん行平)017. (あり原のなり平朝臣)018.すぎし世の 石にほる名の せんがくじ むかしものゝふ 人もほむらん (ふぢ原のとし行朝臣)019. (いせ)020. (もとよ
のまねを しられけり まつとし聞けば 今歸りこん (中納言行平)017.千早振 神代も聞かぬ 御趣向を よくよみえたり 在五中将 (在原業平朝臣)018.とし行と いふはもつとも 住の江の 岸に寄る波 顔による波 (藤原敏行朝臣)019.難波がた みじかき蘆を 伊勢ならば たゞ濱
5 前参議教長卿集(貧道集)和歌部 436 前参議為冬卿集和歌部 437 前参議時慶卿集和歌部 438 参議時直卿集和歌部 439 藤原為頼朝臣集和歌部 439 大江匡衡朝臣集和歌部 439 藤原家経朝臣集和歌部 440 平忠盛朝臣集(故刑部卿詠)和歌部 440 藤原信実朝臣集和
内裏名所百首 だいりめいしょひゃくしゅ 順徳天皇 172 弘長百首 こうちょうひゃくしゅ 西園寺実氏 173 丹後守為忠朝臣家百首 たんごのかみためただあそんけひゃくしゅ 藤原為忠, 藤原俊成 174 木工権頭為忠朝臣家百首 もくのごんのかみためただ
原純友、海賊に依りて課せらるる語第三 源宛と平良文と合戰ふ語第四 平維茂が郎等殺されたる語第五 平維茂、藤原諸任を罸つ語第六 東宮大進源頼光朝臣、狐を射る語第七 藤原保昌朝臣、盗人袴垂に値へる語第八 源頼親朝臣、清原??を罸たしむる語第九 源頼信朝臣、平忠恆を責むる語第十 依頼信
の 影に吠ゆる 犬とし聞かば いまかへりこむ (中納言行平)017.力振る かけ手もきかず 化の皮 わづかのうちに 首くくるとは (在原業平朝臣)018.君の手の 奥にたくらみ 取るすべや ゆめも忘れじ こころおらむ (藤原敏行朝臣)019.思ふ方 みじかき冬の 暮の間も 打たで
は、「天皇」から「賜わった特別なもの」(数が増えた皇族を養えなくなったため、臣籍降下するために姓を賜るといった事項が実情のようである)。「源朝臣」・「平朝臣」・「藤原朝臣」・「橘朝臣」などがある。氏[]「氏(ウジ)」は、「苗字(ミョウジ)」ともいう。「苗字」は、「名字」ともいうが
す。その他の異系統については「平氏」をご覧ください。平氏(へいし/たいらうじ)とは、日本の皇族[1]が臣籍降下した氏族のこと。姓(かばね)は朝臣(あそん)。「平氏四流」とも呼ばれる。家系は京の朝廷に仕えた公家貴族(公卿貴族)と地方に下った武家貴族(軍事貴族)などに分かれた。主に桓
の2面BGM「閉ざせし雲の通い路」はこの和歌からとられている。空を行く船を追い雲海を進む背景に合った、浮遊感に満ちた曲である。17.在原業平朝臣千早ぶる 神代もきかず龍田川 からくれなゐに水くくるとはhr(height=3,color=#ff0000)こんなに龍田川が紅葉で真っ赤
物が本作で体調を崩していた理由についても明かされている。タイトルにある「から紅〈唐紅〉」は、紅色よりも濃く鮮やかな色を指す言葉で、「在原業平朝臣」の句「千早ぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」の中でも詠まれている。また同句は、作中にも犯人のメッセージのうちの
番号と作者プロローグ登場人物:藤原定家、宇都宮頼綱和歌物語 一ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川からくれなゐに 水くくるとは(17番 在原業平朝臣)登場人物:在原業平、藤原高子和歌物語 二筑波嶺の みねより落つる みなの川恋ぞつもりて ふちとなりぬる(13番 陽成院)登場人物:陽成
明門院〔重子〕御幸。御車同じき所によす。暫有て上皇出御。次相國。烏帽子直衣。公卿の座につく。次上七人。參議從三位行右近衞權中將兼美濃權守藤原朝臣忠信。正四位下行右近衞權中將源朝臣有雅。前陸奧守從四位上藤原朝臣宗長。雖為重服勘先例奉別勅着吉服。從四位下行左近衞權少將藤原朝臣雅經。小
主(御所)となった。このとき、家康の参内に随行した家老の板倉重昌も叙任された。徳川秀忠征夷大将軍の辞令(宣旨)『壬生家四巻之日記』權大納言源朝臣秀忠左中辨藤原朝臣總光傳宣權中納言藤原朝臣光豐宣奉 勅件人宜爲征夷大將軍者慶長十年四月十六日中務大輔兼右大史算博士小槻宿禰孝亮奉(訓読文
ヶ谷友則)ケロロ軍曹(生徒)こてんこてんこ(ヴァー(22話のみ)、作業員、衛兵)金色のコルダ〜primo passo〜(森宮薫)彩雲国物語(朝臣)009-1(ライダー)天保異聞 妖奇士(町人、光月)NANA(コンビニ店員、男、カメラマン)はぴねす!(小日向雄真)ひぐらしのなく頃に
菅原氏(すがわらし)とは、日本の氏族。約2系統が存在する。菅原氏 (朝臣) : 土師姓で、姓(カバネ)は菅原朝臣。大和国添下郡菅原郷[1]を拠点とした。同族に大和八嶋氏・秋篠氏・大江氏が、庶家に高辻家[2]・若江家・吉見家・美作菅氏[3]・美濃部氏・安武氏・新海氏・土師姓船橋氏が
記百首玄旨三百首詠百首(伊達綱村)詠百首(同)詠百首(同)詠百首(同)詠百首(田村顕建)詠百首和歌詠百首和歌左少将伊達吉村詠百首備前中将綱政朝臣百首和歌重村朝臣百首和歌百人一首句題(藤原隆従)隆義詠百首楽山公詠雑百首友諒百首和歌一日詠百首(児玉盛之)撰百首その他獅山公御撰武家新百
9 (ふちはらのよしたか)051.かくとだに ゑまはしんしやの さゝげもの しよくはんを結ふ せしゆのおもひを*50 (ふちはらのさねたか朝臣)052.まけぬれは とぢつ物とは かはなれど なをいたへきの うすいたのかす*51 (ふちはらのみちのふ朝臣)053.なに木つぐ ひと
立(富田礼彦)万葉集詠歌人名録(同上)万葉作者考(西村重波)万葉集作者部類(速見行道)万葉集作者一覧(佐佐木弘綱)人麿赤人伝(兼明親王)柿本朝臣人麿勘文(顕昭)柿本人麿事績考(大典)歌聖伝(上田秋成)柿本神事績部類(柳原紀光)柿本人麿事蹟考弁(岡熊臣)柿本朝臣人麿画像考(荷田御風
よとむ わすれ水 いくせをすきて 思ひ出づらん (橘俊宗妻)032.ちかはれし かもの河原に こまとめて しはし水かへ 影をたにみむ (敦忠朝臣母)033.三笠山 春日の原の 朝きりに 帰りたつらむ けさをこそまて (二条前太政大臣家少将)034.波の花 をきからさきて 散りくめ
月し 清ければ 雲かくせども ひかりけなくに (尼敬信)033.たれこめて 春のゆくへも 知らぬまに 待ちし桜も うつろひにけり (藤原因香朝臣)034.勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へむ (紀貫之女)035.袖ひぢて 植ゑし春より まもる田を 誰かは知ら
仏1宝月三蔵等1宝如意宝珠1定有子細歟1定善義一巻1安然和尚之1安楽行品等1安楽之五品1安房国東條1守護之善神1守護之力無1守殿一人計1守平朝臣泰1宅主内々心1学者能々眼1学者等自師1学者等智慧1学者等彼等1学仏法成等1孝養父母等1存外之次第1孔子等治国1孔子亦老子1子阿闍世王1
八十御賀前摂政関白五十賀和歌中院通茂卿七十賀記敬法門院七十賀記中務卿殿八十賀御会写類恭軒五十寿草西洞院大納言八十賀光顕卿八十賀和歌左中将吉村朝臣六十賀月次手鑑和歌岡崎国久卿九十賀和歌宝暦十賜将軍家和歌信寿院七十賀屏風之歌はしだてむらたけにひづゑともづる和歌みどり荷田御風大人五十賀
洞院摂政家百首()新勅撰和歌前宝治御百首()百首部類宝治御百首()百首部類弘長百首()群書類従172白河殿七百首()群書類従165丹後守為忠朝臣家百首()群書類従173木工権頭為忠朝臣家百首()群書類従174嘉元仙洞百首()百首部類文保御百首亀山殿七百首()群書類従166延元百首
家大納言入道今御所也。南庭に切立の事有き。下官相共に奉行を承る。然に彼の所行をみむがために。一向彼卿に打任せて一義をも不出。前修理權大夫時房朝臣。むねとさたせしむ。此說に在之。艮櫻。巽柳。坤松。乾鷄冠木なり。後に羽林敎韶朝臣。京にてきゝて以外難之。しかるに其後一卷書といふものを作
逐すると、その勢力は必然として、お互いに向かざるを得なくなった。初めの亀裂は献帝の処遇だった。長安からほうぼうのていで中原に逃げてきた献帝と朝臣たちを、迎え入れるか否かで、袁紹・曹操はともに悩んだ。確かに献帝を擁立すれば皇帝の権威と大義名分を得られるが、一棲両雄の禁を犯すことにな
注3)。 高祖城主・原田氏は、後漢靈帝(156-189)の末裔で、天慶3年(940)5月3日、伊豫掾 藤原純友を追討して功のあった大蔵朝臣春實を祖とする一族。大蔵春實は、戦功により征西将軍に任じられ、筑前・豊前・肥前・壱岐・対馬の三前二島の管領職となり九州に下向。太宰府に近
A. たつの市立御津中学校は、兵庫県たつの市御津町朝臣にある公立中学校です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%B8%82%E7%AB%8B%E5%BE%A1%E6%B4%A5%E4
後はり(不明)候べきよしを申て。勅使をかぶりたりし也。其後漸弟子の宗とあるにはかせなどしたりしをみて。行忠入道行景が嫡子法名寂緣。故少將敎雅朝臣。に懇望してゆりたりしより流布したる也。今はかへりて無念也。藍革藍白地は同位の色なれども。藍革をむねとする也。初參ごとくの時もはくべし。
院又着御あり。相摸次郞時村數相公の弟子として院參之時着之。大底下括て宗々臣。臨御會刻限て上絬之時着之。自宿所上絬て着たる例は少也。予云。宗繼朝臣自兼日上絬着事度々。結句卅余にて紅單を重たりとて諸人嘲哢也。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
の後に立かくれ。もしは便宜の所にゝげいでゝすベし。疊紙は廣くはせず。檀紙を四に折てすべし。三に折人あり。それは餘にひろくでわろし。予云。宗繼朝臣相州之亭會に。常に木に立ながら不憚高聲にかむ。諸人難之。歸聞歟之間後々止之云々。比興事也。タグ一覧: カウンターページ全体:今日:昨日:
傳あり。一、切立の事御厨子所預享保十六年九月晦日釆女正紀宗直宗直云。難波宗建卿ニ相尋之處。松下掃部助敎久作云々。寬永八年九月作之云々。右宗直朝臣本令借得書寫訖。安永三年二月大和守大伴積興〔右蹴鞠九十九ケ條以野宮家本(外題松下十卷抄)校合〕外部リンク 続群書類従第拾九輯中タグ一覧: