新撰百人一首(明治) - いにしえwiki
に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫)006.かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける (中納言家持)007.天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (安倍仲麿)008.わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をう
に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫)006.かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける (中納言家持)007.天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも (安倍仲麿)008.わが庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をう
かくたまづさと 見ゆるかな かすめる空に 歸る雁がね (津守國基)026.昔みし 妹が垣根は 荒にけり つばなまじりの すみれのみして (權中納言公實)027.中々に 憂世は夢の なかりせば 忘るゝひまも あらましものを (權中納言國信)028.難波潟 たづぞなくなる これやこの
ゝに 露ぞこぼるる 後れにし 心もしらぬ なでしこの花 (上東門院)026.さしのぼる 朝日に君を 思ひ出ん かたぶく月に われを忘るな (中納言通俊)027.瑞垣の 久しかるべき 君が代は あまてる神や そらに知るらん (藤原為忠)028.磯菜つむ 入江の波の 立かへり 君みる
鹿の 聲聞くたびに 涙ぐみ 猿丸大夫 いかい愁たん (猿丸大夫)006.その儘に 置くしもの句を かり橋の 白きをみれば 夜ぞ更けにける (中納言家持)007.仲麿は いかいはぶしの 達者もの 三笠の山に いでし月かも (安部仲麿)008.わが庵は みやこの辰巳 午ひつじ 申酉戌
わけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき(猿丸大夫)006.かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける(中納言家持)007.あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも(安倍仲麿)008.わがいほは みやこのたつみ し
木曽の山路の 旅衣 夢は寝覚めの とこの松風 (権大納言源光友卿)015.行き/\て 峯越す程は 山もなし ただ一むらの 雲の通ひ路 (前権中納言源光圀卿)016.行く船は 島隠れぬも 海原や 霞のうちに やがて消ゆらん (好雪法師)017.移らじと 思ふだになほ 危きは 人の心
亭子院有心無心歌合 ていじいんうしんむしんうたあわせ 延喜16 181 内裏歌合 だいりうたあわせ 天徳4 181 堀川中納言家歌合 ほりかわちゅうなごんけうたあわせ 天延3 181 一条大納言家歌合 いちじょうだいなごんけうたあわせ 天延3 1
御詠撰集菅公歌抄菅贈太政大臣歌集紀友則集躬恒集躬恒集校異貫之集貫之集類題校異本紀貫之集紀貫之歌集深養父集大江千里集大江千里句題歌坂上是則集堤中納言集(藤原兼輔)兼輔集宗于集伊勢集表章伊勢日記証素性集敦忠集源公忠集頼基集(大中臣頼基)藤原清正集興風集九条右大臣集(九条師輔)忠岑集忠
ふ袖もや ありなまし 日数ぞ花の あらしなりける (三光院前内大臣)006.大ぞらに 山の端もがな くれやらぬ 春の日影の 中やどにせん (中納言雅康)007.つれなくて 露はさながら 明日の夜の 光におきし 朝がほの花 (前参議済継)008.いかにして おもはぬ人を しのぶらむ
山に もみぢふみわけ なく鹿の 聲きく時ぞ 秋はかなしき (猿丸太夫)006.鵲の わたせる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞ更にける (中納言家持)007.天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出し月かも (阿倍仲麿)008.我庵は 都のたつみ 鹿ぞすむ よを宇治山と
。御點の人數は。二條前關白。良基公。關白道嗣公。右大臣。通相公。内大臣。實夏公。按察大納言。實繼卿。右大將。實俊卿。前權大納言。忠季卿。園前中納言。基隆卿。藤中納言。時光卿。新藤中納言。忠光卿。二條三位。爲忠卿。難波三位。宗淸卿。平三位。行時卿。殿上人には爲遠朝臣。信兼朝臣。雅冬
一首6 番歌 アカサギに わたせるみめの 座の服の 白きをみれは 世もおはりける 鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける 中納言家持 Part2391-444 可愛い奥様 sage 2012/07/12(木) 13:25:33.33 ID:CpxzJ7Qw07
御はかまにくゝりをあけさせ給。又小くちの御はかまをめされたる例も有とかや。藏人左少辨經茂御さうかい御したぐつを柳筥にいれて持參す。あすか井の中納言雅親卿進よりて御前の砌にひざまづきて御あしをとゝのへ奉る。雅康朝臣枝のまりをとりてひつじさるのかゞりのもとにすゝみてふすべかはのまりを
皇から処分が下されるのを待っておれ)」と告げたため、一条(六条)三位も観念せざるをえなくなった。尚、前述のとおり、御老公も朝廷内部では従三位中納言の地位にある為、中納言より官位が低い公家相手であれば、直接この官位を用いて頭を下げさせる事ができる。そもそも「黄門」とは中納言の別名「
が、後に秀吉と信雄が仲違いして信雄が除封され、下野国に改易されたことにより、婚約は無効となった。秀吉から、羽柴氏の苗字を与えられた。その後、中納言に任命されて、「江戸中納言」と呼ばれた。1595年(文禄4年)に秀吉の養女・於江与の方(於江の方/小督/達子/崇源院)[5]と結婚する
)022. (ぶんやのやすひで)023. (大江のちさと)024. (かんけ)025. (三条の右大臣)026. (ていしん公)027. (中納言かねすけ)028. (源のむねゆき朝臣)029. (凡河内のみつね)030.あさくさの 御だうはひがし ごもんぜき あさぢまいりは よ
に取りかけ ゆく石の とらるる時ぞ われはかなしき (猿丸太夫)006.角番の 負けたるために 涌く胸の つらきを見れば 手ぞふるへける (中納言家持)007.敵の腹 割り裂き見れば おろかなる すみすみ山に 打ちし筋かも (安部仲麿)008.わが腕は みやこの仕込み こころ澄む
禄3年(1690年)、幕府の許可を得て隠居。江戸を離れ、水戸藩に作られた質素な隠居用の屋敷・西山荘で余生を過ごす事となった。 また同年、「権中納言」の位を授かっている。 『水戸黄門』に登場する先の副将軍・水戸光圀公はこれ以降の光圀がモデルとなっている。 また「黄門」と言う名前もこ
前立付兜自身が敵を撃破した時に追加で気が1増加(同種効果の重複なし)。射程内の城娘の攻撃速度が25%上昇、攻撃後の隙が20%短縮編成特技越後中納言部隊の関東・甲信越城娘の攻撃速度が3%上昇攻撃後の隙が3%短縮計略鳳翼の両飛雀60秒間対象の攻撃対象が2増加、射程が1.2倍攻撃が敵の
主のため 晴の供に出て 草履とる 我衣手に 土は落つゝ (奉公伝蔵)016.立わかれ 鞠場のあちの すみに生る 松としきけば 沓の音とん (中納言ひらおくて)017.すはやとる 闇夜もきがす たつたもの から瓜畠 中くゝるとは (瓜原なりひらいの朝臣)018.冨士行の 法によるの
思ひくらして 入相の 鐘をきくにも 君ぞ恋しき (八歳の宮)034.まれ人を 花もまちえて よろこびの 色をそへつつ 咲きにほふらむ (権中納言綱条)035.かたるべき 友もまれなる 老が身に ひとりむかしを 猶しのぶかな (頓阿法師)036.さくら木に うつせば唐の 言の葉も
跡をもとめず あくがれて あはれうき身の 友千鳥かな (法印公順)007.たかせさす 六田のよどの 柳原 みどりもふかく かすむ春かな (権中納言公經)008.鷲の山 いかにすみける 月なれば いりての後も 世を照すらん (法橋顕昭)009.心だに かよはゞなどか 鳰鳥の あしま
らんことを請ふ大岡出雲の出身将軍碁将棋を観る堀田相模の政治騙詐の賊松平大学の治績御蔵門徒の処刑奇特の農民竹内式部と山縣大弐秋元但州の剛直田安中納言父子の篤学明和の大火風雨と疫癘凌雲院大僧正の追放小宮山杢の始終大内吏人の処刑森家の騒擾松平右近将監の久任上州絹運上の乱浅間山の噴火田沼
しかはあれど 花をしみれば 物おもひもなし (忠仁公)011.わがためは 見るかひもなし わすれぐさ わするばかりの こひにしあらねば (中納言長谷雄)012.神な月 しぐれにあへる もみち葉の ふかば散なむ かぜのまにまに (大伴池主)013.みそぎする ならのをがはの かは
返歌の事七、御歌の徳にて雨はれし事八、宗房卿秀句の事九、高師直辨内侍を奪び取る事一〇、伊賀局化物に遇ふ事一一、同局吉野川にて高名の事一二、源中納言北の方發心の事一三、中納言藤房卿すて文の事一四、藤房入道高巣山にて讀經の事一五、藏王堂炎上に付御託宣の事一六、熊王發心の事一七、康方水
茸を食ひて酔はざる語第十九 比叡山の横川の僧茸に酔ひて諦經する語第二十 池尾の禅珍内供の鼻の語第廿一 左京大夫??、異名の付く語第廿二 忠輔中納言、異名の付く語第廿三 三条中納言、水飯を食ふ語第廿四 穀斷の聖人米を持ちて咲はるる語第廿五 彈正弼源顕定を出だして咲はるる語第廿六 安
たのは好色といわれる5人の公達で、彼らはあきらめず夜昼となく通ってきた。5人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。彼らがあきらめそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「女は男と結婚するものだ。お前も彼らの中から選びなさい」というと、か
くる「ちむぽ」だとか、和歌のクオリティが無駄に高いだとか、*1BGMが艦これだとか、突っ込みどころ満載。◆ 内容やりにけり。 投稿者 変態屎中納言(八月十六日 壬子七時十四分二十二秒)昨日の八月の十五日に明け暮れの不浪人の僧都(六十)と、先日、消息相遺つかはしける、汚きこと好みす
んどすえ?迫間健お美津:相原友子志賀屋清兵衛:北見治一牧野播磨:高城淳一蓮照尼:荒木雅子亥之松:出水憲司丑五郎:広瀬義宣大塚源内:西田良水戸中納言:市川男女之助酒井主水正:永田光男おせい:武田てい子岩松:小峰隆司杦太:小船秋夫おかん:岡嶋艶子農婦:富永佳代子家士:福本清三甚兵衛:
四条しじょう大納言だいなごん般若坂へと進軍する北畠軍に向けて後醍醐天皇が派遣した貴族。権威と地位に胡坐をかいて威張り散らす典型的貴族であり「中納言の顕家が強いのだから大納言の自分はもっと強い」という無茶苦茶な理論を振りかざす。また、別の中納言と少納言の貴族を追い納言してお供に連れ
4年8ヶ月6日5時間32分20秒3」というマラソン史上最遅のギネス記録も持っている*7 日本における衛門府の唐名。「執金吾」の略*8 黄門=中納言の唐名。水戸の領主の中納言という意味。*9 「深き者ども」という二つ名がイヤだったから*10 エンデュミオンクレーターでの活躍と、その
は持明院基家の娘・源師子。後宇多天皇の皇子・尊円法親王が弟。経歴建長3年(1251年)に参議となり、公卿に列する。文永2年(1265年)に権中納言となり、文永3年(1266年)に中納言となる。文永8年(1271年)に右大臣となり参考URL:https://ja.wikipedia
を働いているのを暴くが、公家は身分の違い等を理由に光圀に頭を下げないという場面が登場したことがある。一例は、蜷川幸雄演じる悪徳公家六条三位(中納言)が東野黄門に追い詰められたものの「麻呂は徳川の家来ではない、帝の臣じゃ」と突っぱねるが、そこに光圀の理解者である菊亭左大臣・梅小路大
ャック事件を追う大門軍団。ロケ日程:1984年2月24日~3月11日撮影協力:琵琶湖汽船 、宝酒造、エルシーウェア、兵衛向陽閣(有馬温泉)、中納言、カメラのナニワ、ワコール、シャロン、グリーンピア三木、神戸市(須磨ベルトコンベア)、大阪エアウェーズ、大林組制作協力:朝日放送(49
る よさの浦波 かけてのみ 思ふにぬるゝ 袖を見せはや (殷富門院大輔)036.あしからの 山の嵐の あとゝめて 花のゆきふむ 竹の下道 (中納言為相妻)037.煙たつ あさまのたけに あらねとも 絶えぬ思ひに 身をこかすかな (大蔵卿有教妻)038.ねさめして いく夜あかしの
をさげ。ちとはぬるやうに。一足にてけ渡なり。一、上鞠請とりにこうべからず。一、座の事。疊は大もん小紋赤へりの圓座しく也。大紋は大臣。小紋は大中納言公卿。赤へりは殿上人。圓座は地下又すへ/"\の者もくるしらず。自然ふとの御會のときは。疊しき皮などをもしかれ候。圓座は大臣も御着候。又
白以下參大后盃酌事616.道命阿闍梨詠杣麦歌事617.禪林寺僧正詠瓜歌事618.長谷前前大僧正與俊惠法師贈答綜歌事619.知足院忠實饗宴箏師中納言宗輔事620.左京大夫顯輔與証尊法印連歌事621.左京大夫顯輔與青侍連歌事622.式部大輔敦光與奈良法師作飛鳥味噌連歌事623.法性寺
58.二條右衛門佐重隆歿後為冥官事459.菅登宣夢中故式部權少輔成佐語地獄之苦事460.葬送鳥羽院之夜,西行法師詠歌事461.二條院崩御後,中納言實國參白川院而詠歌事462.高倉院女房出家後,大納言實國贈歌彼女房事463.後京極良經夢中會冷泉內大臣良通,和六韻詩事4
509.知定院關白忠實勘當侍事510.藤原有盛逢宇治左府賴長不及著用周章下車事511.藏人判官範貞不見知內覽大臣賴長事512.中納言家成與黑馬于下野武正事并所領沙汰者馬眠事513.下野武士正領治山崎事并負競馬而供酒餚事514.修理大夫行通昇任大藏卿時或
4.膽西上人造畢雲居寺事并和歌曼陀羅事165.道因法師於住吉社歌合事166.道因法師依廣田社夢告歌合事并左大辨實綱述懷事167.伊通公依不任中納言,不堪怨恨辭職事168.御堂關白道長遊覽大堰川時詩歌二船事并公任乘和歌船事169.白河院行幸大堰川時,帥民部卿經信乘三船事170.後三
かし 身にそふる かげをばいかで はなちやるべき (伊豆守仲綱)013.今までも あればあるかの 世の中に ゆめのうちにも 夢を見るかな (中納言教盛)014.難波がた 芦のまろやの 旅寝には しぐれを軒の 雫にぞしる (参議平経盛)015.見ずもあらぬ 名残ばかりの 夕ぐれを
十四 讃岐國多度郡五位、聞法(ほふをききて)即ち出家せる語第十五 公任の大納言、出家して篭居長谷語(はつせにろうきよせること)第十六 顕基の中納言、出家して受學真言語(しんごんをうけまなべること)第十七 村上の天皇の御子大斉院出家せる語第十八 三條の大皇大后宮出家せる語第十九 東
各話タイトル第一 北邊大臣と、長谷雄中納言との語第二 高陽親王人形を造りて田の中に立つる語第三 小野宮の大饗に九条大臣打衣を得る語第四 爪上勁刷返男、針返女語第五 百濟川成、飛彈の工と挑む語第六 碁擲寛蓮、碁擲つ女に値ふ語第七 典藥寮に行きて病を治する女の語第八 女、醫師の家に行
光生捕猿事并拒射猿而指牝鹿事701.近江國勝覺阿闍梨父飼牛呻阿彌陀經事702.野宮左府公繼一上時賜大外記師季牛犬鴨唐人烏帽子等事703.二條中納言定高於放生會借馬而贈和歌事704.宮內卿家隆以秘藏鴨荻葉寄收侍從隆祐事705.後久我太政大臣通光以秘藏鴨面長贈壬生家隆事
宮城百人一首の全首一覧001.いづるより 入る山の端は いづくぞと 月にとはばや 武蔵野の原 (中納言政宗卿)002.秋風の たつ唐舟に 帆をあげて 君かへりこむ 日のもとのそら (保春院殿)003.昔より 稀なる年に ここのつの 余るも夢の うちにぞありける (伊達成実 安房)
脇指も 刀もぬきて たつ時は なをる圓座の 脇にをく也030.びんずりや うつぼながしは 曲足の 中にもまりの 大事なりけり這三十首飛鳥井家中納言雅康。述作也。以前大納言雅章卿。本書写?合矣。同作之和歌百首也。其内五十首或卅首書分之本有之。仍三通也。今二通追而可写者也。寛文六季林
三十三回法楽経文和歌久昌寺御法楽和歌長歌宗祇追福和歌長雅居士追悼百首享保九年勧進和歌光広卿百年忌追善勧進三十首霊元院七回聖忌御追善五十首京極中納言五百回忌追善和歌敬法門院廿五回忌和歌桜町院三十忌和歌懐古編桃園院崩御の時落首柘植知清追慕和歌為村卿影前当座手向草蒼生子追悼和歌心のそら
半蔵(服部正成)丹波の赤鬼(赤井直正)井伊の赤鬼(井伊直政)鬼日向(水野勝成)鬼九朗(平塚為広)他嶋大臣(蘇我馬子)夜の関白(藤原顕隆)仰ぎ中納言(藤原忠輔)知恵伊豆(松平信綱)独眼竜(伊達政宗)朝日将軍(源義仲)薄雲中納言(源雅兼)鎮西八郎(源為朝)源三位(源頼政)乞食大夫(源
模)群書類従276 相模集 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879761/342恋昔百首和歌(?)源中納言懐旧百首恨躬恥運雑歌百首(源 俊頼)散木奇歌集 https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/1001803
照院准后御集和歌部 428 後福照院殿御詠草和歌部 428 後妙華寺殿御詠草和歌部 429 中園相国御集(洞院公賢公家集)和歌部 430 権中納言定頼卿集和歌部 431 権中納言為相卿集(藤谷和歌集)和歌部 432 入道大納言為兼卿集和歌部 433 前大納言為広卿集(清玉集 上冷