水戸黄門_(パナソニック_ドラマシアター)

ページ名:水戸黄門_(パナソニック_ドラマシアター)

『水戸黄門』(みとこうもん)は、TBSテレビとその系列局で月曜20時 - 20時54分のテレビドラマ放送枠『パナソニック ドラマシアター』(2008年9月まで『ナショナル劇場』)において放送されている日本の時代劇である。

目次

概要

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里見浩太朗が演じる水戸黄門(5代目)

1969年8月4日に『ナショナル劇場』枠で放送を開始し、2003年12月15日で放送1000回を迎えた。世界でも類を見ない長編TV番組である。再放送も、TBS系列各局(一部地域を除く)やBS-TBS、CS放送・TBSチャンネルで行なわれている。なお、1978年にテレビと同じキャスト、スタッフによる映画『水戸黄門』が製作された。

1969年の放送開始から2000年の第28部までは放送期間が必ずしも一定していなかったが、2001年の第29部からは原則として半年間、現代劇ドラマ(3か月)と交互に放送されている。

音声形式は第25部まではモノラル放送だったが、第26部からはステレオ放送で放送されている。第39部では地上デジタルテレビジョン放送において、第1話に限り5.1chサラウンド放送を実施されたものの、第2話目以降は通常の2チャンネルによるステレオ放送に戻っている(第40部でも同様)。

2008年10月よりスポンサーの松下電器産業がパナソニックへ社名を変更したことに伴い、放送枠の名称も現在の『パナソニック ドラマシアター』へ変更されている。

なお、TBSではブラザー劇場枠において1964年11月から1965年12月まで、戦後に東映が製作した水戸黄門漫遊記の映画シリーズで主演していた月形龍之介が映画と同様に光圀役で主演する本作と同名の時代劇『水戸黄門』が放送されていたが、本作とは設定や製作スタッフも異なり直接の関連性は存在しない。月形は後に1969年12月8日放送の本作第1部19話「どっこい生きてた湊川」でゲスト出演している。

2011年12月19日(第43部)で42年間続いたゴールデンタイムの水戸黄門が幕を閉じる。放送開始から2011年3月までの42部まで約1200回の平均視聴率22・5%[1][2]。最高視聴率は1973年に記録した43.7%で、積木くずし最終回の45.3%に次いで民放ドラマ史上2番目の高さだった[3]

テンプレート:予定2011年4月期よりNHKの土曜時代劇ドラマ枠が消滅したことにより、地上波での時代劇ドラマは水戸黄門と大河ドラマだけとなった[4]。水戸黄門終了により、地上波での時代劇はNHK大河ドラマを残すだけとなった。テンプレート:ネタバレ

ストーリー

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水戸黄門、助さん、格さん(JR水戸駅前)

以下は本作における基本的なストーリーの流れである。

水戸光圀(水戸黄門)が家臣の佐々木助三郎(助さん)、渥美格之進(格さん)らとともに諸国漫遊の旅先で世直しをする。光圀の道中での名は石坂浩二シリーズを除くと「越後の縮緬問屋の隠居・光右衛門」であるが越後国内では、越後と同様に縮緬の産地として知られる「丹後の縮緬問屋」を称したり「京都・江戸の和菓子屋」と称した事もある。身分は旅の町人であるが、供を複数連れ、服装も立派で人品卑しからぬ雰囲気を醸し出しているので、旅の先々ではそれなりに敬意を以て扱われ、単なる浮浪人といった扱いを受けることはない。助さん、格さんは相手が真剣で立ち向かってきても素手で対応できる超人的な武道の達人という設定である。時には光圀も杖で真剣と渡り合うこともある。

関係者との出会い

多くの場合、光圀一行が旅の途中で事件の被害者と出会うところから始まる。被害者との出会い方にはいくつかのパターンがあり、以下にその代表例を挙げる。

  • 既に事件に巻き込まれ、悪人に襲われるなどしている被害者を、光圀一行が目撃し救出する。
    • 光圀一行のうち、理由があって別行動をしている者(別ルートを旅する密偵、旅費を受け取りに行った助さんなど)が被害者を救出し、光圀に引き合わせるパターンもある。
    • シリーズ第1話では、瀕死の被害者が光圀一行に後事を託し死亡するパターンもある。
  • 事件が起きる前、光圀一行が偶発的に事件の被害者となる人物と出会う。その人物は既に何らかの問題を抱えている場合が多く、その問題が事件へと発展する。
    • 光圀が自ら旅先の有名な職人を訪れ、その職人が被害者となるパターンもある。その場合、職人は腕が良いが家族の意見に耳を傾けない頑固一徹者と言う設定が多い。
    • 光圀一行に(病気や足を痛めるなど)些細な問題が起こり、それを助けた人物が被害者となるパターンもある。
    • 光圀一行が故郷へ帰る旅人と意気投合し、共に目的地へ到着すると、旅人の近親者が既に事件に巻き込まれているパターンもある。

光圀一行が状況を察し、出会った被害者や近親者に事情を訊ねている最中に、悪徳商人や被害者の上司などの有力者が(手下や護衛を率いて)自ら被害者の許に現れ、被害者に最後通牒を突きつける(暴力に訴えてきた場合は、助さんと格さんが食い止める)。有力者が引き上げた後、事態に窮した被害者や近親者は光圀に詳しい事情を明かし、光圀が問題の解決を約束する。近年では、このとき被害者が「御隠居様はいったいどのようなお方なのでしょう?」と訊ね、光圀が「お節介焼きのただの旅の隠居ですよ」と返すのが定番化している。

  • 例外として「偽黄門様」が登場するパターンもある。「光圀一行が身分を隠して訪れる」と噂されている地方で、光圀一行とは無関係の老人と2人の青年が、光圀一行と勘違いされると言うもの。
  • 1990年代前半ごろまでは、1シリーズに1話の割で「偽黄門様」「黄門様のそっくりさん」というストーリーが放映されていた。こちらは、本物の光圀一行が地方でたまたま出会った小悪党やお調子者たちに「黄門様を演じるよう」頼まれ、宴をあげたり、ならず者の土地の権力者たちに一泡吹かせる、というもの。ところが実は本物の一行だと知って、慌てふためき必死で許しを請う。しかし光圀は時に優しくユーモラスに「いやあ、なかなか楽しい酒の席でしたぞ」「お前さんの行いに免じて、これからは心を入れ替えて真面目に働く姿を、いつか見せてもらいますぞ」などと諭すというもの。このことは集英社発行『週刊少年ジャンプ』内の「ジャンプ放送局」においても読者から投書され、楽しまれていた。

事件の真相究明

被害者から聞き出した事情に光圀一行は不審な点を見出し、事件の裏に隠された真相の調査に乗り出す。多くの場合、有力者が藩の高官と結託しており、光圀の手下である密偵が悪事の決定的な証言や証拠を探り出す。

  • 藩の高官が女好きな性格の場合、女性密偵が探りを入れる。この際、藩の高官が(あるいは女性密偵が自ら)風呂や寝床へと誘い、油断したところで女性密偵が証言を引き出したり証拠の品を奪ったり(そして軽く制裁する)ことも多い。

証言や証拠が集まり事件の真相が判明したところで、有力者が強硬手段に出る(期日が設定されている場合は、その期日となる)。関係者が一堂に会し、被害者にとって最悪の状況に追い込まれたとき、制止する光圀の声が割って入り、光圀一行が現れる(最初から光圀一行が許しを得て同席している場合もある)。

  • 変形として、黒幕を含めた悪人一味を芝居小屋に招き、事件の真相を芝居仕立てで暴露するパターンもあった。この劇中劇は「水戸黄門漫遊記」の一篇と言う設定で、光圀が正体を隠したまま本人役を演じる。

クライマックス

光圀が関係者一同の前で全ての真相を暴露すると、光圀の正体を知らない悪人一味は「おのれ、黙って聞いておれば田舎じじいの分際で! 構わん、一人残らず斬り捨てい(召し取れ)!!!」などと言って光圀一行に襲い掛かる。対する光圀は「助さん! 格さん! 懲らしめてやりなさい!!!」と成敗を命じ、光圀一行対悪人一味の大立ち回りとなる[5]。一味が粗方打ちのめされた頃合に光圀が「助さん! 格さん! もう良いでしょう!!!」と言うと助さんまたは格さんが「静まれ、静まれぃ! この紋所が目に入らぬか!!!」と葵の御紋の印籠を掲げて[6]「こちらにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも前副将軍(さきの・ふくしょうぐん)・水戸光圀公にあらせられるぞ! 一同、御老公の御前である、頭が高い! 控え居ろう!!!」と一喝し[7]、悪人一味は土下座して平伏する。

そこで光圀は裁きを仰せ渡し、悪人一味が「ははぁ!!畏れ入り奉りました!!」と観念する。光圀の裁きの代表例を、以下に挙げる。

  • 多くの場合、「追って藩公より厳しき沙汰があるであろう、覚悟いたせ!」となる。
    • あらかじめ呼び付けておいた藩主や家老に処分を委ねる場合もある。
    • 天領では幕府機関に処置させる場合もある。
  • 稀に「もはやこれまで」と刃を向けて来る悪人に対しては助さん・格さん(まれに悪政を正す忠臣など)が「痴れ者(慮外者)!」といって成敗、あるいは刃を弾き飛ばして取り押さえられる場合もある。また自ら腹を切って果てる場合もある。
    • 黒幕が公家の場合は、自身より地位の低い光圀の裁きに反発するが、上位の公家が登場してようやく観念する。

一方、被害者である忠義の若侍や孝行の百姓・町娘に対しては御褒めの言葉が掛けられ、家名再興や適わなかった結婚、藩医による難病の治療といった願いが叶えられる。また被害者自身に、酒に溺れ仕事をしない・博打好きなどの悪癖がある場合は、これを機会に改心する。

最終場面では、恩を受けた者(一家、集団)が並んで見送りに出、そこで「それでは、助さん、格さん参りましょうか」という光圀の声がかかり、一行が旅立つ場面で物語りは終結する。

このような筋書きの黄金パターンが確立されているのは『遠山の金さん』や『暴れん坊将軍』といった人気時代劇シリーズに共通するものであるが、シリーズ第1話などで印籠の登場しない回もある。

出演者

詳細は水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)の登場人物一覧を参照

各シリーズの概要

第21部にてシリーズ初の2時間スペシャルが放送されてからはしばらくはスペシャル版はなかったが、第24部にて久しぶりに放送され、28部以降は2時間スペシャルが年1回 - 3回放送されている。再放送時、2時間スペシャルの場合は前編・後編にわけて放送される。[8]しかし再放送されるのは、ほとんどが第1話と最終回のみでありシリーズ途中のスペシャルは再放送されないことが多いテンプレート:要出典。また、過去の作品で現代では放送禁止用語となっている言葉が使われている場合、再放送ではその部分を無音にするなどして対処している。

一般に、主演(水戸光圀役)の交代をシリーズの節目として扱うのが通例のため、各部の詳細は以下の個別記事を参照。

  • 第1部 - 第13部:水戸黄門 (東野英治郎)
  • 第14部 - 第21部:水戸黄門 (西村晃)
  • 第22部 - 第28部:水戸黄門 (佐野浅夫)
  • 第29部 - 第30部:水戸黄門 (石坂浩二)
  • 第31部 - 第43部(完結):水戸黄門 (里見浩太朗)
  • スペシャル:水戸黄門

シリーズ一覧

放送期間回数通算水戸光圀佐々木助三郎渥美格之進
第1部1969年8月4日-1970年3月9日32回32回東野英治郎杉良太郎横内正
第2部1970年9月28日-1971年5月10日33回65回
第3部1971年11月29日-1972年6月5日28回93回里見浩太朗
第4部1973年1月22日-1973年9月17日35回128回
第5部1974年4月1日-1974年9月30日26回154回
第6部1975年3月31日-1975年11月3日32回186回
第7部1976年5月24日-1977年1月10日34回220回
第8部1977年7月18日-1978年1月30日29回249回
第9部1978年8月7日-1979年2月5日27回276回大和田伸也
第10部1979年8月13日-1980年2月11日26回302回
第11部1980年8月18日-1981年2月9日26回328回
第12部1981年8月31日-1982年3月1日27回355回
第13部1982年10月18日-1983年4月11日26回381回
第14部1983年10月31日-1984年7月9日37回418回西村晃伊吹吾郎
第15部1985年1月28日-1985年10月21日39回457回
第16部1986年4月28日-1987年1月19日39回496回
第17部1987年8月24日-1988年2月22日26回522回
第18部1988年9月12日-1989年5月1日33回555回あおい輝彦
第19部1989年9月25日-1990年4月16日29回584回
第20部1990年10月22日-1991年10月7日48回632回
第21部1992年4月6日-1992年11月9日32回664回
第22部1993年5月17日-1994年1月24日36回700回佐野浅夫
第23部1994年8月1日-1995年5月15日40回740回
第24部1995年9月11日-1996年6月10日37回777回
第25部1996年12月9日-1997年10月27日43回820回
第26部1998年2月9日-1998年8月17日26回846回
第27部1999年3月22日-1999年10月18日30回876回
第28部2000年3月6日-2000年11月20日34回910回
第29部2001年4月2日-2001年9月17日25回935回石坂浩二岸本祐二山田純大
第30部2002年1月7日-2002年7月1日25回960回
第31部2002年10月14日-2003年3月24日22回982回里見浩太朗
第32部2003年7月28日-2003年12月8日17回999回原田龍二合田雅吏
1000回記念スペシャル / 2003年12月15日1回1000回
第33部2004年4月12日-2004年9月20日22回1022回
第34部2005年1月10日-2005年6月6日20回1042回
第35部2005年10月10日-2006年3月6日20回1062回
ナショナル劇場50周年SP/2006年3月13日1回1063回
第36部2006年7月24日-2006年12月18日20回1083回
第37部2007年4月9日-2007年9月17日23回1106回
第38部2008年1月7日-2008年6月30日24回1130回
第39部2008年10月13日-2009年3月23日22回1152回
第40部2009年7月27日-2009年12月21日20回1172回
第41部2010年4月12日-2010年6月28日12回1184回
第42部2010年10月11日-2011年3月21日21回1205回東幹久的場浩司
第43部2011年7月4日-2011年12月19日(予定)

かげろう忍法帖

1995年5月22日から9月4日(第23部と第24部の合間)に由美かおるが演じるかげろうお銀を主人公とするスピンオフ作品『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』が放送された。

詳細は水戸黄門外伝 かげろう忍法帖を参照

スタッフ

  • 製作:C.A.L(TBSの連続ドラマの中で、TBSの製作クレジットが珍しくない)
  • 制作協力:オフィス・ヘンミ、東映→東映太秦映像
  • 企画:逸見稔
  • 監督:山内鉄也、内出好吉、船床定男、田坂勝彦、荒井岱志、松村昌治、石川義寛、鎌田房夫、鳥居元宏、小野登、松尾正武、菊地奛、居川靖彦、井沢雅彦、倉田準二、河野寿一、岡本静夫、矢田清巳、髙倉祐二、江崎実生、宮越澄、井上泰治、金鐘守、梅原重行、上杉尚祺、苫米地祥宏、森本浩史、和田圭一、齋藤光正
  • チーフプロデューサー:五十嵐通夫、中尾幸男
  • プロデューサー:西村俊一、郡進剛、逸見稔、大庭喜儀、山田勝、笠谷智之、樋口祐三、藤田知久、進藤盛延、小野鉄二郎
  • 原案:葉村彰子
  • 脚本:宮川一郎、窪田篤人、三好伍郎、鈴木則文、飛鳥ひろし、加藤泰、吉田哲郎、梅谷卓司、浅井昭三郎、津田幸夫(津田幸於)、中島貞夫、伊上勝、鈴木生朗、鎌田房夫、葉村彰子、稲垣俊、大西信行、山内鉄也、石川孝人、さわさかえ(廣澤榮)、池田一朗、安藤日出男、田上雄、柴英三郎、木下亮、櫻井康裕、吉田隆、大久保昌一良、芦沢俊郎、皿田明、加瀬高之、外山徹、田口耕三、土橋成男、佐藤五月、寺島誓、鶴島光重、井上泰治、藤井邦夫、益田昌一郎、沢橋凛、今井詔二、岡本さとる、小池康生、鹿水晶子、横山一真、吉本昌弘、石坂浩二、秋田佐知子、岩田元喜、山田孝行、よしだあつこ、小木曽豊斗、峯尾基三、小瀧光郎、金子成人、岡崎由紀子、水谷龍二、大原久澄、黒土三男
  • 音楽:木下忠司
  • 題字:朝比奈宗源
  • 邦楽監修:中本敏生、中本哲
  • 文芸担当:皿田明

主題歌

「あゝ人生に涙あり」 作詞・山上路夫 作曲・木下忠司

  • 主題歌は当初演歌調のメロディにする予定だったが、木下忠司が「軍歌みたいで嫌だ」といったため、ボレロ調のメロディとなった。またこの主題歌には、山上路夫でもその存在を忘れていたと言う「4番目」の歌詞が存在する。通称幻の4番。
  • 第1部から第3部のオープニング主題歌は本放送時は通常通り放送されていたが、現在の再放送では短めのインストゥルメンタル(歌なし)バージョンである。タイトル→サブタイトル→脚本担当者→監督名→主な配役→製作元のC.A.Lと、製作協力の東映までカットされて約30秒しかない(第3部はタイトル→サブタイトル→脚本担当者→主な配役→監督名→C.A.L→東映)。これは第1部-第3部の本編時間が現在より長く、再放送の際に現在の本編時間と合わせるため尺調整をした結果、物語に関係しないオープニングをカットしたため。カット部分はネガも存在しないため、二度と陽の目を見ることは出来なくなったが、再放送が欠番とされていた第2部25話「黄門様の子守唄」のみこの処置を免れていたため、第2部DVD-BOX発売の際に収録された[9]
  • 伴奏のアレンジは第1部 - 17部、第18部 - 28部、第29部 - 32部、第33部 - 41部、第42部第1話 - 11話、第12話-と6つのバージョンがある。第17部までは助三郎・格之進役が代わっても主題歌の伴奏が変わることはなかったが、第18部以降は助三郎・格之進役が代わるごとに伴奏も変更されている。第42部第1話では助三郎・格之進役が変更されたためアレンジも変更となったが、第12話からシリーズ途中にもかかわらず再収録されたものが使用されている。なお、第30部 - 32部までの橋幸夫バージョンのみ第33部 - 41部のものと同じである。
  • 第3部から助三郎役が里見浩太朗に代わったため、第3部の主題歌は一番・里見浩太朗、二番・横内正と思われがちだが、実際は一番・杉良太郎、二番・横内正である。これは一番・里見浩太朗、二番・横内正のレコーディングが第3部開始に間に合わなかったためといわれている。
  • 第29部25話『陰謀と裏切りの果てに』以降、数話を除いて2時間スペシャルのエンディングでも主題歌が使用されている。
  • 現在、サウンドトラックが2枚組で発売されている。ディスク1は「幻の4番(旧3番)」も収録した歴代主題歌集、ディスク2は番組スタート時の頃のBGM集となっている。

  • 第1部 - 第3部:一番・杉良太郎、二番・横内正
  • 第4部 - 第8部:一番・里見浩太朗、二番・横内正
  • 第9部 - 第13部:一番・里見浩太朗、二番・大和田伸也
  • 第14部 - 第17部:一番・里見浩太朗、二番・伊吹吾郎
  • 第18部 - 第27部:一番・あおい輝彦、二番・伊吹吾郎
  • 第28部:一番・あおい輝彦
  • 第29部:一番、三番・G3K(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)
  • 第30部 - 第32部:一番、三番・橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦(1人ずつ週代わりで歌う)
  • 第33部:一番・原田龍二、二番・合田雅吏
  • 第34部 - 第38部:一番・原田龍二、二番・合田雅吏(再収録)
  • 第39部 - 第41部:一番・原田龍二、三番・合田雅吏
  • 第42部第1話 - 第11話:一番・東幹久、三番・的場浩司
  • 第42部第12話 - 現在:一番・東幹久、三番・的場浩司(再収録)

視聴率

長年にわたり2桁視聴率を維持してきたが、2008年10月20日放映回の平均視聴率は9.7%(関東地区、関西は10.2%)で、1969年のスタート以来40年目で初の視聴率1桁を記録した。2009年8月17日放送分では9.1%であった。1シリーズ平均でみると、近年は10%台前半になることが多いが、2010年放映の第41部では9.2%と、シリーズ平均で初めて1桁視聴率を記録した。

  • 放送ごとの最高視聴率
第9部最終回(1979年2月5日放映)の43.7%。
  • シリーズごとの最高視聴率
第10部(1979年8月13日-1980年2月11日放映)の37.7%。

数字はいずれもビデオリサーチ調べ、関東地区。

エピソード

誕生秘話

本作の誕生やキャスティング等の経緯は文献によって大きく異なる記述がされている。「(ドラマ)水戸黄門の生みの親」といわれる[10]当時松下電器の広報課長で、当番組プロデューサーでもある逸見稔の著書『黄門様はテレビ好き』[11]によると、『水戸黄門』の前作も逸見が手掛けた『S・Hは恋のイニシャル』という青春コメディーで、これが好評であったため、まわりからは同じ路線を踏襲するものと思われていたが、松下幸之助から「世のため人のためになるような番組を提供せよ」という至上命令が出されていて、この命題に逸見が出した答えが「水戸黄門」であった。「水戸黄門」は3年前に同じTBSで『水戸黄門』という30分番組が放送されていて、前作と180度方向転換して時代劇、それも一度やっている『水戸黄門』を一時間枠でやろうと提案したためTBSからも反対された。しかし松下幸之助も出席した松下電器の常務会で松下の決済も得て、TBS側から「番組内容は逸見に任せる」という約束をもらっていた事をたてに、TBSにも最終的に提案を飲んでもらった、と書いている[12]

逸見は週刊現代のインタビューで「『水戸黄門』は『七人の孫』を時代劇に置き換えて、黄門様をおじいちゃんに、助さん格さんを孫に見立てて創っているんです。そうやってホームドラマ型にすることで、男性指向、老人指向だった時代劇を女性にも子供にも興味をもって見てもらえるようにした」[13]。『黄門様はテレビ好き』でも、「とかく男性のものとされていた時代劇を、女性や子供にも見てもらおう!」「それには、時代劇のホームドラマを創るのだ!」という発想から『七人の孫』の時代劇版をイメージした。だから光圀さま役には森繁久彌以外には考えられず、すぐに交渉し森繁から快諾を得ていた。懸案したのは本格的な時代劇はやはり京都(東映京都撮影所)でなければならないということであるが、すでに東映の岡田茂常務にお願いして、任せておけと胸を叩いてくれ、制作現場の態勢を整えてもらっていたと書いている[12]。この辺りは岡田茂の著書『悔いなきわが映画人生』[14]にも、当時東映の時代劇をテレビ制作にシフトさせていた岡田のところへ逸見が来て、「松下が一人スポンサーになるから一緒にやろう。協力してくれ」と頼みに来たと書かれ一致している[15]。しかし森繁が鬘合わせを済ませた段階で、東宝のプロデューサー・藤本真澄がクレームを付けてきた。当時、森繁は藤本とトラブルがあり古巣の東宝を離れ松竹で映画に出演していたが、紆余曲折があり結局東宝と再契約。「森繁黄門」は幻となった。本作は最初から東映で撮影することが決まっていたものと見られ、五社協定は崩壊間際だったとはいえ、他の映画会社と専属契約した俳優が出演することは出来ない。初期の出演者は東映の専属俳優か、新劇俳優かフリーの俳優、あるいは映画関係以外の事務所のタレントなどである。監督(演出)は、東映の時代劇映画からテレビ映画(東映テレビ等)に移った人たちが中心。「森繁をイメージして作った黄門像を、ほかのスターで追ってみても仕方がない、となれば180度方向転換しかない。事態を逆手にとって、脇役の存在から黄門さまを探すことにした。ここでインスピレーションがひらめいた。東野英治郎さんにお願いしようと考えついた」と、逸見は著書に話している。ところが前述の岡田の著書では、岡田は光圀役は片岡千恵蔵にしようと、逸見と一緒に千恵蔵を口説きにいったが、「まだまだ。映画の現役だ。テレビに出るのは早い」と千恵蔵が断ったので、発想を変えて東野英治郎にしたと書いている[15]。また本ドラマで初代・佐々木助三郎役を務めた杉良太郎は、スポーツ紙の取材に対し「森繁さんが出演できなくなった際に、私が東野英治郎さんを推薦した」と語っている[16]

さらに『テレビヒーローの創造』[17]や、『月光仮面を創った男たち』[18]では、まず「スポンサーの松下電器さんから時代劇をやりたいとお話があった」と、製作のC.A.Lの西村俊一に話があり、黄門役の東野英治郎は西村が発想し抜擢した、助さん格さんなど、サブキャラクターのキャスティング、時代劇のホームドラマ的発想や、「印籠」で決める勧善懲悪のパターンなどの「テレビ映画」的なフォーマットも全て西村が考えた、と書かれている[19][20]。これらは完全に逸見の記述と食い違う。逸見がやったと言っていることが、全て西村がやったことになっている。逸見は初代黄門役の東野英治郎、二代目・西村晃、三代目・佐野浅夫の他、サブキャラクターのキャスティングも逸見自身が決めた、風車の弥七など、さまざまな新しいキャラクターを自身が登場させた、旅に出たことのない黄門さまを旅に出すという、時代考証をあえて無視し、ドラマの面白さに重点を置いた等と著書に書いている[21]。逸見の著書『黄門様はテレビ好き』にはC.A.L、及び、西村俊一のことが一行も書かれていないので、逸見とC.A.L及び、西村との間に、どういうやりとりがあったのか、なかったのか、全く分からない。

元TBS編成企画部・田原茂行は著書『テレビの内側で』[22]で、「電通の営業担当は、われわれのよりどころとする編成権以上の切り札をもつ存在になっていた。とくに月曜8時の松下電器の枠の編成に関しては、スポンサーと電通の意見は絶対的といっていい力をもっていたが(中略)テレビ史上最長のヒット番組である『水戸黄門』は、松下電器の担当者と電通が松下幸之助の好みを意識してもちこんだとみられる問答無用の企画であったが、この番組の成功は、やがてこの時間枠の企画決定の主導権争いに終止符をうつウルトラCとなり、われわれの入れない領域が生まれる結果になった」と述べている[13]。ここでの電通というのは『水戸黄門』の製作C.A.Lのことではないかと考えられるが、逸見の著書にC.A.Lのことが一行も書かれていない理由として以下のような理由が考えられる。『水戸黄門』は製作がC.A.Lで、制作協力が逸見の会社・オフィス・ヘンミ、東映→東映太秦映像で、撮影はほぼ全編東映京都撮影所で行われている[23]。東映京都撮影所といえば、時代劇製作の本丸であり、月形龍之介主演で『水戸黄門漫遊記』シリーズ(1954年~1961年)として過去に14本『水戸黄門』の映画を作ったことがある。この月形主演の映画版『水戸黄門』でも、天下の副将軍・水戸黄門が助さん格さんなどをおともに連れて諸国を漫遊し、土地の人々を苦しめる悪代官や陰謀団などをやっつけ、クライマックスで、葵の御紋が入った印籠を見せ身分を明かし、悪漢どもが恐れるという勧善懲悪のパターンが大衆にアピールして息の長いシリーズになったといわれており、主要なフォーマットは古くからあったものと見られるが[24]、時代劇製作のノウハウは豊富過ぎる程持っている東映にとって、テレビ版『水戸黄門』の製作は容易いことと考えられ、C.A.Lと東映の関係は、東映の方が下請けになるのであろうが、実際の製作を主導したのは東映ではないかと推定される。逸見の著書にはC.A.Lのことは書かれていないが、東映のことは書かれている。


初期と後期の演出の違い

  • 東野時代の初期ではストーリーの途中で水戸黄門の正体を明かしていた。また、クライマックスでは悪人一味と立ち回りをせずに印籠を出すこともあった。(印籠出した後に立ち回りをする場合や背後に代官等が後ろ盾していない場合もある)
  • 当初のストーリーは訪れた地の藩主の愚行を正すというものも多かったが、次第に藩主は善、配下の代官や家臣が悪というパターンが定着。藩主が悪者(愚者)の場合、光圀の顔を見て「御老公様!」と気づく例も多かった。
  • 立ち回りの時、今では峰打ちが多いが、初期は真剣で斬ったり刺す事が多かった。またその過渡期には、峰打ちでありながら真剣で斬るSEが挿入されたままの回もある。
  • 第3部の悪役、薩摩藩城代家老・島津左京の目的は、藩政を牛耳るというレベルではなく倒幕であった。
  • 弥七が通常持つ風車の数は4本である。第2部2話では唯一風車紋の杯が登場している。
  • 東野時代は、悪代官がたとえ悪事に加担していても、光圀が「今回だけは許してやる」等と悪代官を処罰しない事もあった。西村時代以降はそのような事は基本的には無くなったが、現在でも稀にその様な事がある。また、悪人が牢の中に入れられた後のシーンも登場していた。
  • 放送開始当初は2話完結のストーリーが多かったが、高齢の視聴者が多いため、2話完結ではストーリー前半を覚えられない、2話目を見る前に死んだら心残りであるとのクレームがあり、第17部を最後に基本的に1話完結となった。近年、2話完結のストーリーは38部と41部で制作されている。本放送で2時間スペシャルの回が再放送では普通、前後2話に分けられる。
  • 第25部まではフィルム撮影だったが、26部からVTR撮影となった。これに伴い登場人物の内面描写の要素が薄れ、演出も極端にシンプルな紙芝居的なものに変化した時期がある。33部からはデジタルシネマ製作に対応した最新のHD撮影システムであり、番組スポンサーであるパナソニックが開発したVARICAMが投入され、HD製作へ対応するとともに、「テレビ映画」独特のフィルムの質感が再現されている。

漫遊先のエピソード

  • 『勧進帳』や『奥の細道』『忠臣蔵』等を元ネタにしたものが度々登場する。また、珍しいエピソードとして、太宰治の「走れメロス」をモチーフにしたものや、近年ではグリム童話の『シンデレラ』をアレンジした回もある。
  • 旅先では、今日に伝わる伝統工芸が生まれるきっかけに遭遇したり、時代的にも場所的にもありえない技術を生み出した職人が現れるも、その技術が事件・騒動の種になり生み出した職人が技術の封印・破棄するエピソードもある。
  • 劇中の老公一行のように諸国を旅した「松尾芭蕉」が登場し旅先で遭遇する話や、もはや存在が伝説とまでいわれる木彫りの名工「左甚五郎」が現れる話もある。
  • 賭場は主に弥七が世情や裏事情を探る舞台であるが、光圀が旅先で出会った流れ者(遊び人)にそそのかされて勝負するも、その賭場のイカサマによって素寒貧にされてしまうのが殆んどである(ただし、弥七が裏でイカサマを阻止したりお銀が壺振りでは有利な目を出して賭場の頭のド肝を抜く)。
  • 旅芸人一座と旅先で関わっている場合、光圀が劇作家として土地の悪代官・悪奉行・悪徳商人の悪事を滑稽に暴露した筋書きを書くのも多い。その場合、一行自ら役に扮して芝居を行う事もある。大抵、弥七が悪代官、八兵衛がその手下の悪徳親分に扮し、演者の中谷一郎・高橋元太郎は実に楽しげに生き生きと悪人役を演じている。

印籠の場面の定着と変化

  • 従来の『水戸黄門』同様、藩主や城代家老等が「梅里」と記された短歌を見て、御老公が御出でになっていたことを悟るという例もあった。第11部では鎌倉彫の職人が「梅里」の名を見て目の前にいる人物が光圀であることを悟っている。第12部などでも同様のパターン(備前焼の職人など)が用いられたことがある。異なるパターンとしては第6部では宿の主人に書き残した書き置きの名を見て光圀であることを悟っている。
  • 今では格さんが印籠を出すことが定着しているが、光圀、助さん、うっかり八兵衛、霞のお新、おるいも印籠を出したことがある。ちなみに八兵衛は「控えろ控えろ!」と石段を駆け上りながら印籠をかざした。( 第7部 第12話「忘れてしまった仇討ち -大館-」(1976年))
  • 公家が京などで悪事を働いているのを暴くが、公家は身分の違い等を理由に光圀に頭を下げないという場面が登場したことがある。一例は、蜷川幸雄演じる悪徳公家六条三位(中納言)が東野黄門に追い詰められたものの「麻呂は徳川の家来ではない、帝の臣じゃ」と突っぱねるが、そこに光圀の理解者である菊亭左大臣・梅小路大納言(有島一郎)が登場し、蜷川演じる悪徳三位を厳しく断罪した。このように、公家の処罰は菊亭左大臣・梅小路大納言に任せている。菊亭左大臣は10部・16部・18部、梅小路大納言は23部で登場している。なお菊亭左大臣と梅小路大納言は同一人物で、10部・16部は有島一郎、18部は加賀邦男、23部は武内亨がそれぞれ演じている。但し10部における悪徳公家六条三位は確かに菊亭左大臣に断罪されたが、黒幕の広幡右大臣は全く処罰されず右大臣の職を辞任し、出家したことがエンドシーンで語られるのみであった。
    なお、16部では主題歌と台詞では役職が異なっており、主題歌では梅小路大納言と表記されているが、台詞では梅小路左大臣と呼ばれている。嘗ては公家は武士とは埒外の立場にいるという解釈でアンタッチャブルという設定であったが、近年は光圀自身も朝廷では権中納言の位をもっているので、下級公家に対しては直接この権威を利用して屈服させる場合がある。


  • 長崎でのオランダ人が絡んだ悪事の際も、悪徳オランダ人が頭を下げないという場面が第22部19話であったが、オランダ商館長が登場し悪徳オランダ人を断罪した。これについてもオランダ人については商館長に処罰を任せているが、場合によっては本国のオランダ国王に処罰を任せる事もある。
  • 使用される印籠は、第34部までは和紙を厚く貼って漆を塗ったものだったが、第35部からは文部大臣賞など数々の賞を受賞した5代目若島宗齋が制作した、本物の輪島塗の印籠を使用している。全部で3個作られており、その価値は「値段が付けられない」との事。本編中でも「輪島塗の名人に新しく作ってもらった」という設定になっている。
  • 印籠シーンが午後8時45分前後に固定されるようになった背景には、2代目黄門役・西村晃の特攻隊時代からの友人である千玄室が印籠シーンの時間を一定にするよう西村に依頼したことがあるという説があるが、千玄室によると、依頼したことは事実だが西村はそのことをスタッフに伝えなかったそうである。

登場人物の初登場など

  • うっかり八兵衛(高橋元太郎)は当初、弥七に弟子入り希望をしていた盗賊の見習いだった。八兵衛が弥七を「親分」と呼ぶのはそのため。
  • 霞のお新(宮園純子)は弥七を父の仇と思い込まされ、御老公の命を狙う刺客として登場した。
  • かげろうお銀(由美かおる)も当初の目的は賞金目当てによる光圀の暗殺であったが、祖父に叱り付けられ改心した。なおこのときお銀を叱り付けた祖父(藤林無門)役は、後に3代目黄門となる佐野浅夫である。
  • 第29部から石坂浩二が4代目黄門となったことに伴い配役の若返りが断行され、うっかり八兵衛は存在(設定)自体が消滅したが、1000回記念スペシャルで復活した[25]
  • 第40部から林家三平が演じるちゃっかり八兵衛(第42部から八兵衛)が登場しているが、内藤剛志が2代目を演じる風車の弥七のような2代目うっかり八兵衛ではなく、あくまで2代目八兵衛という位置づけである。このため、40部の第1話と第20話ではうっかり八兵衛との共演が実現している。なお、林家が演じる八兵衛も弥七を「親分」と呼んでいる。

キャスト関連

  • 初代黄門役は当初森繁久彌が予定されていたが、東宝と専属契約していたため断念した。その後映画会社のしがらみが撤廃され、脇役でゲスト出演している。
  • 東野英治郎、西村晃とそれまで悪役を定番とする俳優が光圀役に起用され、成功した。特に第1部の成功は、それまで狡い悪役が多かった東野の起用が大きかった、と今では語られている。これは映画の黄門役で一世を風靡した月形龍之介にも共通する。佐野浅夫が黄門役になって以降、そのパターンは崩れた[26]
  • 初代光圀の東野英治郎は、西村晃が偽黄門で出演した際に「西村、おまえ、俺の役を取りに来たんじゃないだろうな」と語りかけた事がある。その言葉通り、間もなく東野は黄門役を降り、西村が2代目に選ばれた。
  • 1992年、2代目黄門役の西村晃が降板した際、スタッフは長年佐々木助三郎役で活躍した里見浩太朗に3代目黄門役を打診したが、老人役をすると若い役ができなくなるという理由で断られたため、代わりに佐野浅夫が3代目に選ばれた。里見が黄門役になるのはそれから10年後の2002年のことである[27]
  • 女優の中村玉緒は歴代の5代黄門様と全て共演している。
  • 番組最多ゲスト出演は内田勝正、高野眞二、川合伸旺等の悪役俳優で数多くゲスト出演している。
  • 第18部11話「姫様・馬子が瓜二つ」では、かげろうお銀の着物が18部のポスターのものではなく違う着物を着ている(見る限り17部のものと思われる)。
  • 第28部のポスターは、第27部で降板した中谷一郎が掲載されている。
  • フジテレビの番組『ズバリ!当てましょう』に、東野英治郎はじめ当時のご一行様が登場し、持道具の印籠(上記の和紙を厚く貼ったもの)の価格が出題されたことがあった。他局の番組ではあるが、ともにスポンサーである松下電器産業(現在はPanasonic)が番組企画段階から深く関わっていたからこそできたことである。
  • 同じくスポンサー関連で、2代目黄門である西村晃をはじめとした一行が松下電器の製品CMに登場する事もあった。ただし、本編の衣装ではなく現代の衣装での登場である。
  • サンソフトのファミコンソフト『天下のご意見番 水戸黄門』のパッケージには、当時の光圀役である西村晃が登場している。(ただし、このファミコンソフトは正確には番組のゲーム化ではない)
  • 佐野浅夫時代では、悲願成就した侍や町娘などやあまりにもやるせない結末を見届けた光圀が感涙する話が度々登場している。(佐野自身3代目黄門就任の際、「今まで黄門様は涙を流した事が無い。だから涙を流せる黄門様を目指したい。」とコメントしている。)
  • 1990年代に放送されたフジテレビの深夜番組『TVブックメーカー』で由美かおる(かげろうお銀)の入浴シーンは8時何分か?が番組内で賭けの対象になった事がある。それに発起したスタッフがその翌週から入浴シーンを入れるようになったという逸話がある。
  • 石坂浩二は史実に忠実な黄門様を目指し、「あごひげを不採用」「白髪の割合を縮小」といったそれまでのシリーズとの差別化を図る試みを提案したが、後の里見時代には元のスタイルに戻された。
  • 三波豊和の実父である三波春夫は、ブラザー劇場版の主題歌を歌った。
  • 2006年4月から7月まで同枠で放送された刑事ドラマ『特命!刑事どん亀』は、この番組の要素を取り入れている。里見浩太朗も第1話に警視総監役でゲスト出演した。

時代考証面での噂

  • 出演者(大半はうっかり八兵衛)がついうっかり劇中でコーヒーを味わう、明治以降に作られた歌を歌う、「ご隠居、ファイト!」と叫ぶ、「ご隠居、ここの宿はサービスがいいですね」「逃げるなら今がチャンスですぜ」と使われる筈のない言葉を使う…などというダウト場面があると都市伝説的にいわれているが、八兵衛役の高橋元太郎はこれらを否定。『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でこの噂が取り上げられた際、その時点で放送済みだった全てのエピソードを番組スタッフが確認したが、該当するシーンは発見されなかった。実はこれには元ネタがあり、第1部15話「旅烏の子守唄」に出演した渡哲也が、冒頭の茶店の場面において婆さんが盆に載せた湯飲みを受け取るや、思わず「サンキュー」と言って、ぐいっと飲み干してしまった。無論これはNGとなったが、愉快なエピソードとして長らくスタッフ間で受け継がれた事から、話に尾ひれがついて流布したのが真相と思われる。ただし、製作サイドも綿密な時代考証より「わかりやすさ」のほうを重視して製作しているのは事実で、例えば「この件は私のミスでした」「目から鱗」という台詞が出たり、「浜田屋」の「浜」の字が旧字体の「濱」ではなかったり(ただし当時も俗字として用いられた)している。また、他の時代劇と同様、手書きのひらがなが現代仮名遣いであることが多い。
  • 上記以外にも大和田伸也は別の番組の中で「(間違って)腕時計をしたまま、出演をし、そのまま放送されたことがある。」と発言するなど意図しない時代考証のミスは時折見られる。
  • 屋外ロケシーンでは一行が歩く砂利道に車が通ったような轍の跡が見えたり、遠くに送電線や飛行機雲が見られることもある

その他

  • 昭和天皇やプロレスラーのジャイアント馬場が好きだったテレビ番組のひとつとして知られる。
  • プロ野球中継や各種スポーツイベント、春秋番組改編期や年末年始の特番などで休止になることはあるが、第1回放映から40年近く経過しているにもかかわらず冬季・夏季オリンピックで放送休止になったことは一度もない。
  • 1986年には同局のテレビドラマ『うちの子にかぎって…スペシャル』(田村正和主演)に登場する子供たちが、本作の撮影現場に乱入し、それを田村演じる主人公が止めに入るシーンが放送された。このスペシャルの中で西村演じる水戸黄門が「あの先生にかぎって」と言っているほか、乱入した子供たちが「控えい」という場面もあった。[28]
  • 小学館の雑誌「小学五年生」2006年9月号から2007年3月号まで(2007年2月号は休載)、漫画版「水戸黄門外伝 DokiDokiアキの忍法帳」が連載された。主人公はアキで、風の鬼若と鳴神の夜叉王丸がアキと同世代に変えられた。テレビドラマ版と共通する登場人物はこの3人のみ。執筆を担当したすぎ恵美子は最終話掲載号発売直後に死去、これが遺作となった。単行本は2007年5月に発売。

史実との相違

当番組においては綿密な時代考証より「わかりやすさ」「ストーリー性」の方を重視して製作しているため(要は江戸時代を表現するという意味で)、以下の相違点を始め、史実と異なる点が含まれる。

  • 他の時代劇にも見られるため水戸黄門のみの話ではないが、「藩」や「藩主」といった名称は後世のものであり、江戸時代においてはそのような呼称は用いない。
  • 実在しない架空の藩名・地名が頻繁に登場したり、光圀隠居時には存在していなかった藩が登場したり、天領や藩内の所領が独立した藩になっている例が多い。詳細は下記参照。
  • 光圀の敵役として柳沢吉保が登場するが、実際の光圀隠居時には保明と名乗っており、吉保を名乗るのは光圀没後の1701年である。また、台詞や字幕で吉保の役職が老中となっているが、正式には老中に就任しておらず、実際の役職は側用人であった。なお、吉保は1694年に老中格という老中待遇の地位に就任している。
  • 水戸藩附家老・中山備前守と水戸藩国家老・山野辺兵庫が登場しているが、いずれも実際の光圀隠居時にはすでに没している。
  • 1部と37部で徳川吉孚の名前を「よしのぶ」と呼んでいるが、実際は「よしざね」である。
  • 1部で高田藩の越後騒動が登場するが、実際は光圀隠居前の1674年 - 1681年の話である。4部ではナレーションで越後騒動から14年後になっている。
  • 1部27話で白河が天領としての舞台となっているが、奥州白河が天領になるのは1866年 - 1868年2月、同年12月 - 1871年の間であり、光圀隠居時の白河は天領ではなく白河藩であった。また、この回では東北に山の多いことを説明して「白河以北一山百文」に類した話が出てくるが、この言い回し(考え)が使われるようになったのは戊辰戦争以降、東北を蔑視(もしくは自嘲)する文脈においてである。
  • 3部で島津光久が登場しているが、実際の光圀隠居時の薩摩藩主は孫の島津綱貴である。光久は1687年に隠居している。
  • 3部で柳沢吉保が光圀によって隠居に追い込まれ、甲府藩15万石を与えられているが、実際に吉保が隠居するのは5代将軍徳川綱吉の死去に伴い、徳川家宣が6代将軍に就任した1709年である。また、光圀隠居時の甲府藩主は徳川綱豊(後の家宣)であった。吉保が甲府に国替えするのは綱吉の後継将軍が家宣に決定し、江戸城西の丸に移り、その後継藩主として川越藩から国替えしてきた1704年である。
  • 4部で阿部正喬は阿部正武の次男となっているが、実際は正武の長男である。また、劇中では正武は下総守となっているが、光圀隠居時の正武の官位は豊後守である。
  • 4部で奥田昌能が、7部で織田信年が、34部で松平宗弘が登場しているが、実際の光圀隠居時には天童藩は存在していない。天童藩は1830年に織田信美が高畠藩から天童に移って藩を立藩している。なお14部での天童は宇都宮藩の所領として扱われた。
  • 4部22話で北上川地方が藩としての舞台となっているが、北上川地方には江戸時代を通して藩は設置されず、盛岡藩と仙台藩で統治された。なお、同話に登場している藩主・内藤政親は光圀隠居時は泉藩主であった。
  • 4部に「郡山2万石」が登場するが、江戸時代を通じて郡山市(福島県)が城下町であったことは一度もない。奈良県の大和郡山市は城下町の時代が長かったが、奥州道中を描いた4部に同地が出てくることはありえない。
  • 4部で奥平昌能が登場しているが、実際の光圀隠居時の宇都宮藩主は甥の奥平昌章である。昌能は1672年に没している。
  • 4部で本多忠良が登場しているが、実際の光圀隠居時の古河藩主は松平忠之である。忠良が古河藩主に就任するのは刈谷藩から転封してきた1712年である。
  • 6部と8部で竹姫が登場するが、竹姫が実際に薩摩藩に嫁ぐのは徳川吉宗の代の1729年である。また、薩摩藩は竹姫との間に今後男子が生まれても世子としない条件を出して婚礼を行なっている為、8部で竹姫に男子が生まれているが、お家騒動は発生しえない。
  • 7部で松前高広が登場しているが、実際の光圀隠居時の松前藩主は長男の松前矩広である。高広は1665年に没している。
  • 7部で高橋元太郎が横手藩の若殿役で登場するが、横手は久保田藩の所領になっており、藩は置かれていなかった。
  • 7部で松嶺藩が登場するが、当時の松嶺藩は出羽松山藩と称されていた。出羽松山藩が松嶺藩と改称するのは1869年である。
  • 7部で会津藩の姫君に後継ぎとして婿を迎える話が出てくるが、実際には婿を迎えず、八男の松平容貞が藩主・松平正容の跡を継いでいる。
  • 7部で水野忠周が登場しているが、実際の光圀隠居時の松本藩主は父の水野忠直である。忠周が松本藩主に就任するは1713年である。
  • 8部で紀州藩主・徳川光貞が光圀のことを伯父君と呼んでいるが、光圀と光貞の関係は従兄弟である。光圀と光貞の伯父に当たるのは結城秀康、徳川秀忠、徳川義直などである。
  • 8部3話で「桃浜の伝八」という人物が登場するが、「桃浜」という地名は当時はまだ存在しない。1954年4月1日に平塚市の土地区画整理によって誕生した地名「桃浜町」である。(平塚市平塚字東浜岳 → 平塚市桃浜町へ変更された)
  • 9部2話「死を賭けた武士道・いわき」とあるが、いわき市が発足するのは1966年である。それまでも「いわき」と呼ばれることはあったが、いずれも漢字で磐城(令制国名)、岩城(城主名)、石城(郡名)とされ、ひらがなで表記されることはない。
  • 9部で光圀が高田藩主・稲葉正往のことを伊勢守と呼んでいるが、実際の正往の官位は丹後守である。
  • 9部で川越を訪れた時に野火止用水の開削工事が出てくるが、野火止用水が作られたのは柳沢吉保より前の松平信綱の代の1655年である。
  • 10部で勅使饗応役を6千石の旗本が務めているが、通常、勅使饗応役を務めるのは外様大名が原則である。
  • 10部で青山因幡守が登場しているが、実際の光圀隠居時の篠山藩主は松平信庸である。青山家が篠山藩に転封するのは尼崎藩から移動した1748年である。また、ナレーターが篠山藩の石高を6万石と語っているが、篠山藩は1608年の立藩から幕末期まで一貫して石高は5万石であった。
  • 10部でナレーターが犬山藩の石高を2万3千石と語っているが、実際の光圀隠居時の犬山藩の石高は3万5千石であった。
  • 10部で土屋昭直が登場しているが、実際の光圀隠居時の土浦藩主は父の土屋政直である。昭直は土浦藩主に就任することなく、1690年に没している。政直の後任の藩主に就任したのは昭直の弟土屋陳直であり、1719年に藩主に就任した。
  • 11部で上杉吉憲が登場しているが、実際の光圀隠居時の米沢藩主は父の上杉綱憲である。吉憲が米沢藩主に就任するのは、1704年である。
  • 11部で牧野康道が登場しているが、実際の光圀隠居時の与板藩主は養嗣子の牧野康重である。康道は1689年に隠居している。
  • 13部で成瀬隼人正が登場しており、第1話の助さんの台詞の中に2代目成瀬隼人正という台詞があるが、実際の光圀隠居時の隼人正は3代目成瀬隼人正である。
  • 14部で南部藩の家督争いの話が出てくるが、実際は光圀隠居前の1664年の話である。
  • 14部で南部重直が登場しているが、実際の光圀隠居時の南部藩主は弟の南部重信である。重直は1664年に没している。
  • 14部と20部で南部直房が登場しているが、実際の光圀隠居時の八戸藩主は長男の南部直政である。直房は1668年に没している。
  • 14部で酒井忠温が登場しているが、実際の光圀隠居時の庄内藩主は祖父の酒井忠真である。忠温が庄内藩主に就任するのは、1766年である。
  • 14部で松平忠弘が登場しているが、実際の光圀隠居時の宇都宮藩主は奥平昌章である。忠弘は1681年に白河藩に転封となっている。
  • 14部で会津藩主・松平正容が光圀の喧嘩友達として登場しているが、実際の正容は光圀よりも41歳年下である。光圀隠居時の年齢は光圀は63歳、正容は22歳である。
  • 14部で牧野忠周が登場しているが、実際の光圀隠居時の長岡藩主は祖父の牧野忠辰である。忠周が長岡藩主に就任するのは、1735年である。
  • 14部で田辺藩士の妻女が登場するが、当時の田辺藩は正式な藩とは認められていなかった。田辺藩が正式に藩として認められるのは1868年である。
  • 15部で戸田忠真が老中として登場しているが、実際の光圀隠居時の佐倉藩主は父の戸田忠昌であり、老中は忠昌で、忠真は寺社奉行だった。忠真が佐倉藩主に就任するのは、光圀が没する前年の1699年であり、老中に就任するのは1714年である。
  • 16部で酒井忠義が登場しているが、実際の光圀隠居時の庄内藩主は息子の酒井忠真である。忠義は1681年に没している。酒井忠真は40部で光圀の姪・密姫の夫として登場し、酒井忠義の法要のため密姫が国入りしていたという設定になっている。
  • 16部で岩城宣隆が登場しているが、実際の光圀隠居時の亀田藩主は息子の岩城重隆である。宣隆は1672年に没している。
  • 17部で内藤忠勝と永井尚長が登場しているが、実際の光圀隠居時に二人の刃傷事件はなく、事件が起こったのは1680年である。また、鳥羽藩の石高が3万3千石となっているが、実際は3万5千石である。
  • 19部で溝口重元は溝口重雄の次男となっているが、実際は重雄の長男である。
  • 20部で京極高永が登場しているが、実際の光圀隠居時の豊岡藩主は祖父の京極高住である。高永が豊岡藩主に就任するのは、1726年である。
  • 20部で佐竹義格が登場しているが、実際の光圀隠居時の久保田藩主は父の佐竹義処である。義格が久保田藩主に就任するのは、1703年である。
  • 23部で毛利綱広が登場しているが、綱広は1689年に没している。
  • 24部などで蘭学医が登場する話があるが、光圀隠居当時は蘭学は禁じられていた。徳川吉宗がキリスト教に関するもの以外の洋書の輸入を認めてから、蘭学も容認され、盛んになる。
  • 28部で「月夜野藩」という藩が登場するが、実際には存在しない。
  • 29部と30部で肥前小城藩主・鍋島元武が光圀の親友として登場しているが、実際の元武は光圀よりも34歳下である。光圀隠居時の年齢は光圀は63歳、元武は29歳である。
  • 31部で「吉野藩」という藩が登場するが、実際には存在しない。
  • 31部と41部で「花咲藩」という藩が登場するが、実際には存在しない。
  • 36部で前田利久が登場しているが、江戸時代の前田利久は加賀藩主ではなく、富山藩主である。
  • 37部で高田城の天守が登場するが、高田城には天守はなかった。因みにロケ地の関係で劇中には石垣も登場するが、高田城には石垣もない。
  • 37部で「白石藩」という表記が見られるが、白石は仙台藩の所領であり、藩は置かれていなかった。
  • 38部に登場する「赤津藩」と「花崎藩」は両方とも架空の藩である。しかし、この両藩の争いには、モデルとなった事件が存在する。1715年に、周防長門の萩藩とその支藩である徳山藩の間で松の木一本を発端とした領界争いが発生。翌1716年、幕府によって「本家への非礼」を理由として徳山藩は改易された(徳山藩は1719年に再興を許される)。
  • 38部で新宮藩の夫婦が登場するが、当時の新宮藩は正式な藩とは認められていなかった。新宮藩が正式に藩として認められるのは1868年である。
  • 38部で「黒姫藩」という藩が登場するが、実際には存在しない。
  • 40部で富山藩主・前田正甫の息子が亡くなり、御落胤騒動が起きているが、実際には次男の前田利興が正甫の跡を継いでいる。
  • 40部で「桐山藩」という藩が登場するが、実際には存在しない。
  • 42部で松平頼豊が光圀の孫として登場しているが、実際は光圀の兄松平頼重の四男松平頼侯の長男であり、光圀と頼豊の関係は大叔父と大甥である。

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ソフト化について

現在、第3部までがソフト化(VHS、DVD)されているが、レギュラー版の第4部以降と1000回スペシャルのソフト化は未だになされていない。その他には、水戸黄門名作選其之壱(歴代の五代黄門の作品それぞれの中での最高視聴率獲得回を収録)。水戸黄門名作選其之弐(歴代の五代黄門とゲスト女優(松坂慶子・斉藤慶子・水野美紀・三船美佳・佐藤江梨子)の共演を収録)。水戸黄門名作選、由美かおるスペシャル(レギュラー以前のメイン&ゲスト3話を収録)のソフトが発売されている。

ネット局

パナソニック ドラマシアター#ネット局も合わせて参照

  • 月曜20:00-20:54 : TBSテレビ - 北海道放送、青森テレビ、IBC岩手放送、東北放送、テレビユー山形、テレビユー福島、テレビ山梨、新潟放送、信越放送、静岡放送、チューリップテレビ、北陸放送、中部日本放送、毎日放送、山陰放送、山陽放送、中国放送、テレビ山口、あいテレビ、テレビ高知、RKB毎日放送、長崎放送、熊本放送、大分放送、宮崎放送、南日本放送、琉球放送。(新作と再放送 【ただし一部の局は新作のみ】)
  • 日曜22:30-23:24 : 秋田放送、福井放送、四国放送。(秋田放送、福井放送は新作のみ)
  • 月-金曜14:00-14:50(翌日 9:00-9:50 ※金曜日14:00放送分は翌週月曜日9:00に放送 ):TBSチャンネル(旧作の再放送のみ)
  • 月-金曜18:00-18:54 :BS-TBS(現代劇も放送される「TBSプレミアムドラマ」の枠内で旧作の再放送のみ。2010年8月30日から第35部を放送。)

以前のネット局

  • 青森県 青森放送(第5部まで 第6部から青森テレビに移行)
  • 山形県 山形放送(第19部の初期まで 第19部の途中からテレビユー山形に移行)
  • 福島県 福島テレビ(第14部の中期まで 第14部の途中からテレビユー福島に移行)
  • 山梨県 山梨放送(第2部の中期まで 第2部の後半からテレビ山梨に移行)
  • 富山県 北日本放送(第19部まで 第20部からチューリップテレビに移行)
  • 近畿広域圏 朝日放送(第5部まで 第6部から毎日放送に移行)
  • 鳥取県 日本海テレビ(第3部まで 第4部から山陰放送の鳥取県の乗り入れ開始でそれに一本化)
  • 山口県 山口放送(第9部まで 第10部からテレビ山口に移行。テレビ朝日系列の番組の大部分がテレビ山口から山口放送へ移行したことに伴う編成見直しで、TBS系の番組をテレビ山口に一本化するため)
  • 愛媛県 南海放送(第21部の後期まで 第21部の末期からあいテレビに移行)
  • 高知県 高知放送(第2部の中期まで 第2部の後半からテレビ高知に移行)
  • 福岡県 TVQ九州放送(RKB毎日放送に時代劇の再放送枠が無かったため、特例として過去のシリーズを再放送)

脚注

  1. http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000001108040002
  2. http://www.news-postseven.com/archives/20110723_26612.html
  3. http://www.asahi.com/showbiz/tv_radio/TKY201108080176.html
  4. 「ズームイン」「フレンドパーク」…相次いで姿消す老舗番組の舞台裏 産経新聞2011年2月15日
  5. 助さん・格さんは峰打ちなどで打ち据えることがほとんどで斬り殺してしまうことはまれだが、弥七ら忍び上がりの供は町人やヤクザ者を殺傷してしまう場合がある。八兵衛などコメディリリーフは立ち回りに参加せず、被害者を安全な場所へ誘導する。
  6. 初期は一定しなかったが、印籠を掲げる役は格さんに落ち着いた。
  7. 初期はこのセリフは一定ではなく、現在のようにほぼ同じセリフとなったのは格さん役を務めた大和田伸也の提案であるという(2008年7月17日放送『ダウンタウンDX』での発言)。
  8. 局によっては編成上の都合等でそのまま放送する例もある。
  9. 当初、DVDの発売元は主題歌短縮の事実を知らず、パンフレットなどで「主題歌の起用は第4部から」と誤った告知をしていた。
  10. C.A.L監修『TVドラマ水戸黄門 我らが副将軍! 世直し40年』(白夜ムック331)白夜書房、2008年、p17
  11. 逸見稔『黄門様はテレビ好き』、近代映画社、1993年
  12. 12.012.1 『黄門様はテレビ好き』、p115-128
  13. 13.013.1 西野知成『ホームドラマよどこへ行く―ブラウン管に映し出された家族の変遷とその背景』、学文社、1998年、p138-143
  14. 岡田茂『悔いなきわが映画人生』財界研究所、2001年
  15. 15.015.1 『悔いなきわが映画人生』、p330-331
  16. 東京中日スポーツ・2011年7月16日付 22面
  17. 樋口尚文『テレビヒーローの創造』、筑摩書房、1993年
  18. 樋口尚文『月光仮面を創った男たち』、平凡社、2008年
  19. 『テレビヒーローの創造』、p66-74
  20. 『月光仮面を創った男たち』、p204-207
  21. 『黄門様はテレビ好き』、p115-187
  22. 田原茂行『テレビの内側で』、草思社、1995年
  23. 『TVドラマ水戸黄門 我らが副将軍! 世直し40年』、p129
  24. 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 1998-1999』、ぴあ、1998年、p640
  25. なお第29部以降はうっかり八兵衛の様なコメディーリリーフ的な役回りのキャラクターは登場しなかったが、33部からよろず屋の千太(三波豊和)が、36部10話からおけらの新助(松井天斗)が登場した。新助も弥七を「親分」と呼んでいるが、その理由は不明である。
  26. 佐野も若い頃には悪辣な人物を演じたことが多かったが、3代目黄門キャスティング時には良識のある老人役が多くなっていた。
  27. 里見浩太朗「水戸黄門26年」独占激白-TBSが突然打ち切り 週刊文春2011年7月28日号
  28. 西村は前年に『うちの子にかぎって… パート2』の後番組でスタッフも重複していたドラマ『もしも、学校が…!?』にレギュラー出演。また、父親に阪東妻三郎を持ち、京都で生まれ育った田村は当時は現代劇ばっかりだったが、デビュー時からテレビドラマや映画など時代劇出演多数で、この場面が演じられた東映京都撮影所でもなじみの顔。内輪ウケ的なものでもあった。

参考文献

  • 『「月光仮面」を創った男たち』(平凡社新書)

外部リンク

  • 水戸黄門(TBS)
  • 水戸黄門(C.A.L)

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