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『水戸黄門』(みとこうもん)は、TBSテレビとその系列局で月曜20時 - 20時54分のテレビドラマ放送枠『パナソニック ドラマシアター』(2008年9月まで『ナショナル劇場』)において放送されている日本の時代劇である。
里見浩太朗が演じる水戸黄門(5代目)
1969年8月4日に『ナショナル劇場』枠で放送を開始し、2003年12月15日で放送1000回を迎えた。世界でも類を見ない長編TV番組である。再放送も、TBS系列各局(一部地域を除く)やBS-TBS、CS放送・TBSチャンネルで行なわれている。なお、1978年にテレビと同じキャスト、スタッフによる映画『水戸黄門』が製作された。
1969年の放送開始から2000年の第28部までは放送期間が必ずしも一定していなかったが、2001年の第29部からは原則として半年間、現代劇ドラマ(3か月)と交互に放送されている。
音声形式は第25部まではモノラル放送だったが、第26部からはステレオ放送で放送されている。第39部では地上デジタルテレビジョン放送において、第1話に限り5.1chサラウンド放送を実施されたものの、第2話目以降は通常の2チャンネルによるステレオ放送に戻っている(第40部でも同様)。
2008年10月よりスポンサーの松下電器産業がパナソニックへ社名を変更したことに伴い、放送枠の名称も現在の『パナソニック ドラマシアター』へ変更されている。
なお、TBSではブラザー劇場枠において1964年11月から1965年12月まで、戦後に東映が製作した水戸黄門漫遊記の映画シリーズで主演していた月形龍之介が映画と同様に光圀役で主演する本作と同名の時代劇『水戸黄門』が放送されていたが、本作とは設定や製作スタッフも異なり直接の関連性は存在しない。月形は後に1969年12月8日放送の本作第1部19話「どっこい生きてた湊川」でゲスト出演している。
2011年12月19日(第43部)で42年間続いたゴールデンタイムの水戸黄門が幕を閉じる。放送開始から2011年3月までの42部まで約1200回の平均視聴率22・5%[1][2]。最高視聴率は1973年に記録した43.7%で、積木くずし最終回の45.3%に次いで民放ドラマ史上2番目の高さだった[3]。
テンプレート:予定2011年4月期よりNHKの土曜時代劇ドラマ枠が消滅したことにより、地上波での時代劇ドラマは水戸黄門と大河ドラマだけとなった[4]。水戸黄門終了により、地上波での時代劇はNHK大河ドラマを残すだけとなった。テンプレート:ネタバレ
水戸黄門、助さん、格さん(JR水戸駅前)
以下は本作における基本的なストーリーの流れである。
水戸光圀(水戸黄門)が家臣の佐々木助三郎(助さん)、渥美格之進(格さん)らとともに諸国漫遊の旅先で世直しをする。光圀の道中での名は石坂浩二シリーズを除くと「越後の縮緬問屋の隠居・光右衛門」であるが越後国内では、越後と同様に縮緬の産地として知られる「丹後の縮緬問屋」を称したり「京都・江戸の和菓子屋」と称した事もある。身分は旅の町人であるが、供を複数連れ、服装も立派で人品卑しからぬ雰囲気を醸し出しているので、旅の先々ではそれなりに敬意を以て扱われ、単なる浮浪人といった扱いを受けることはない。助さん、格さんは相手が真剣で立ち向かってきても素手で対応できる超人的な武道の達人という設定である。時には光圀も杖で真剣と渡り合うこともある。
多くの場合、光圀一行が旅の途中で事件の被害者と出会うところから始まる。被害者との出会い方にはいくつかのパターンがあり、以下にその代表例を挙げる。
光圀一行が状況を察し、出会った被害者や近親者に事情を訊ねている最中に、悪徳商人や被害者の上司などの有力者が(手下や護衛を率いて)自ら被害者の許に現れ、被害者に最後通牒を突きつける(暴力に訴えてきた場合は、助さんと格さんが食い止める)。有力者が引き上げた後、事態に窮した被害者や近親者は光圀に詳しい事情を明かし、光圀が問題の解決を約束する。近年では、このとき被害者が「御隠居様はいったいどのようなお方なのでしょう?」と訊ね、光圀が「お節介焼きのただの旅の隠居ですよ」と返すのが定番化している。
被害者から聞き出した事情に光圀一行は不審な点を見出し、事件の裏に隠された真相の調査に乗り出す。多くの場合、有力者が藩の高官と結託しており、光圀の手下である密偵が悪事の決定的な証言や証拠を探り出す。
証言や証拠が集まり事件の真相が判明したところで、有力者が強硬手段に出る(期日が設定されている場合は、その期日となる)。関係者が一堂に会し、被害者にとって最悪の状況に追い込まれたとき、制止する光圀の声が割って入り、光圀一行が現れる(最初から光圀一行が許しを得て同席している場合もある)。
光圀が関係者一同の前で全ての真相を暴露すると、光圀の正体を知らない悪人一味は「おのれ、黙って聞いておれば田舎じじいの分際で! 構わん、一人残らず斬り捨てい(召し取れ)!!!」などと言って光圀一行に襲い掛かる。対する光圀は「助さん! 格さん! 懲らしめてやりなさい!!!」と成敗を命じ、光圀一行対悪人一味の大立ち回りとなる[5]。一味が粗方打ちのめされた頃合に光圀が「助さん! 格さん! もう良いでしょう!!!」と言うと助さんまたは格さんが「静まれ、静まれぃ! この紋所が目に入らぬか!!!」と葵の御紋の印籠を掲げて[6]「こちらにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも前副将軍(さきの・ふくしょうぐん)・水戸光圀公にあらせられるぞ! 一同、御老公の御前である、頭が高い! 控え居ろう!!!」と一喝し[7]、悪人一味は土下座して平伏する。
そこで光圀は裁きを仰せ渡し、悪人一味が「ははぁ!!畏れ入り奉りました!!」と観念する。光圀の裁きの代表例を、以下に挙げる。
一方、被害者である忠義の若侍や孝行の百姓・町娘に対しては御褒めの言葉が掛けられ、家名再興や適わなかった結婚、藩医による難病の治療といった願いが叶えられる。また被害者自身に、酒に溺れ仕事をしない・博打好きなどの悪癖がある場合は、これを機会に改心する。
最終場面では、恩を受けた者(一家、集団)が並んで見送りに出、そこで「それでは、助さん、格さん参りましょうか」という光圀の声がかかり、一行が旅立つ場面で物語りは終結する。
このような筋書きの黄金パターンが確立されているのは『遠山の金さん』や『暴れん坊将軍』といった人気時代劇シリーズに共通するものであるが、シリーズ第1話などで印籠の登場しない回もある。
詳細は水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)の登場人物一覧を参照
第21部にてシリーズ初の2時間スペシャルが放送されてからはしばらくはスペシャル版はなかったが、第24部にて久しぶりに放送され、28部以降は2時間スペシャルが年1回 - 3回放送されている。再放送時、2時間スペシャルの場合は前編・後編にわけて放送される。[8]しかし再放送されるのは、ほとんどが第1話と最終回のみでありシリーズ途中のスペシャルは再放送されないことが多いテンプレート:要出典。また、過去の作品で現代では放送禁止用語となっている言葉が使われている場合、再放送ではその部分を無音にするなどして対処している。
一般に、主演(水戸光圀役)の交代をシリーズの節目として扱うのが通例のため、各部の詳細は以下の個別記事を参照。
部 | 放送期間 | 回数 | 通算 | 水戸光圀 | 佐々木助三郎 | 渥美格之進 |
---|---|---|---|---|---|---|
第1部 | 1969年8月4日-1970年3月9日 | 32回 | 32回 | 東野英治郎 | 杉良太郎 | 横内正 |
第2部 | 1970年9月28日-1971年5月10日 | 33回 | 65回 | |||
第3部 | 1971年11月29日-1972年6月5日 | 28回 | 93回 | 里見浩太朗 | ||
第4部 | 1973年1月22日-1973年9月17日 | 35回 | 128回 | |||
第5部 | 1974年4月1日-1974年9月30日 | 26回 | 154回 | |||
第6部 | 1975年3月31日-1975年11月3日 | 32回 | 186回 | |||
第7部 | 1976年5月24日-1977年1月10日 | 34回 | 220回 | |||
第8部 | 1977年7月18日-1978年1月30日 | 29回 | 249回 | |||
第9部 | 1978年8月7日-1979年2月5日 | 27回 | 276回 | 大和田伸也 | ||
第10部 | 1979年8月13日-1980年2月11日 | 26回 | 302回 | |||
第11部 | 1980年8月18日-1981年2月9日 | 26回 | 328回 | |||
第12部 | 1981年8月31日-1982年3月1日 | 27回 | 355回 | |||
第13部 | 1982年10月18日-1983年4月11日 | 26回 | 381回 | |||
第14部 | 1983年10月31日-1984年7月9日 | 37回 | 418回 | 西村晃 | 伊吹吾郎 | |
第15部 | 1985年1月28日-1985年10月21日 | 39回 | 457回 | |||
第16部 | 1986年4月28日-1987年1月19日 | 39回 | 496回 | |||
第17部 | 1987年8月24日-1988年2月22日 | 26回 | 522回 | |||
第18部 | 1988年9月12日-1989年5月1日 | 33回 | 555回 | あおい輝彦 | ||
第19部 | 1989年9月25日-1990年4月16日 | 29回 | 584回 | |||
第20部 | 1990年10月22日-1991年10月7日 | 48回 | 632回 | |||
第21部 | 1992年4月6日-1992年11月9日 | 32回 | 664回 | |||
第22部 | 1993年5月17日-1994年1月24日 | 36回 | 700回 | 佐野浅夫 | ||
第23部 | 1994年8月1日-1995年5月15日 | 40回 | 740回 | |||
第24部 | 1995年9月11日-1996年6月10日 | 37回 | 777回 | |||
第25部 | 1996年12月9日-1997年10月27日 | 43回 | 820回 | |||
第26部 | 1998年2月9日-1998年8月17日 | 26回 | 846回 | |||
第27部 | 1999年3月22日-1999年10月18日 | 30回 | 876回 | |||
第28部 | 2000年3月6日-2000年11月20日 | 34回 | 910回 | |||
第29部 | 2001年4月2日-2001年9月17日 | 25回 | 935回 | 石坂浩二 | 岸本祐二 | 山田純大 |
第30部 | 2002年1月7日-2002年7月1日 | 25回 | 960回 | |||
第31部 | 2002年10月14日-2003年3月24日 | 22回 | 982回 | 里見浩太朗 | ||
第32部 | 2003年7月28日-2003年12月8日 | 17回 | 999回 | 原田龍二 | 合田雅吏 | |
1000回記念スペシャル / 2003年12月15日 | 1回 | 1000回 | ||||
第33部 | 2004年4月12日-2004年9月20日 | 22回 | 1022回 | |||
第34部 | 2005年1月10日-2005年6月6日 | 20回 | 1042回 | |||
第35部 | 2005年10月10日-2006年3月6日 | 20回 | 1062回 | |||
ナショナル劇場50周年SP/2006年3月13日 | 1回 | 1063回 | ||||
第36部 | 2006年7月24日-2006年12月18日 | 20回 | 1083回 | |||
第37部 | 2007年4月9日-2007年9月17日 | 23回 | 1106回 | |||
第38部 | 2008年1月7日-2008年6月30日 | 24回 | 1130回 | |||
第39部 | 2008年10月13日-2009年3月23日 | 22回 | 1152回 | |||
第40部 | 2009年7月27日-2009年12月21日 | 20回 | 1172回 | |||
第41部 | 2010年4月12日-2010年6月28日 | 12回 | 1184回 | |||
第42部 | 2010年10月11日-2011年3月21日 | 21回 | 1205回 | 東幹久 | 的場浩司 | |
第43部 | 2011年7月4日-2011年12月19日(予定) |
1995年5月22日から9月4日(第23部と第24部の合間)に由美かおるが演じるかげろうお銀を主人公とするスピンオフ作品『水戸黄門外伝 かげろう忍法帖』が放送された。
詳細は水戸黄門外伝 かげろう忍法帖を参照
「あゝ人生に涙あり」 作詞・山上路夫 作曲・木下忠司
長年にわたり2桁視聴率を維持してきたが、2008年10月20日放映回の平均視聴率は9.7%(関東地区、関西は10.2%)で、1969年のスタート以来40年目で初の視聴率1桁を記録した。2009年8月17日放送分では9.1%であった。1シリーズ平均でみると、近年は10%台前半になることが多いが、2010年放映の第41部では9.2%と、シリーズ平均で初めて1桁視聴率を記録した。
数字はいずれもビデオリサーチ調べ、関東地区。
本作の誕生やキャスティング等の経緯は文献によって大きく異なる記述がされている。「(ドラマ)水戸黄門の生みの親」といわれる[10]当時松下電器の広報課長で、当番組プロデューサーでもある逸見稔の著書『黄門様はテレビ好き』[11]によると、『水戸黄門』の前作も逸見が手掛けた『S・Hは恋のイニシャル』という青春コメディーで、これが好評であったため、まわりからは同じ路線を踏襲するものと思われていたが、松下幸之助から「世のため人のためになるような番組を提供せよ」という至上命令が出されていて、この命題に逸見が出した答えが「水戸黄門」であった。「水戸黄門」は3年前に同じTBSで『水戸黄門』という30分番組が放送されていて、前作と180度方向転換して時代劇、それも一度やっている『水戸黄門』を一時間枠でやろうと提案したためTBSからも反対された。しかし松下幸之助も出席した松下電器の常務会で松下の決済も得て、TBS側から「番組内容は逸見に任せる」という約束をもらっていた事をたてに、TBSにも最終的に提案を飲んでもらった、と書いている[12]。
逸見は週刊現代のインタビューで「『水戸黄門』は『七人の孫』を時代劇に置き換えて、黄門様をおじいちゃんに、助さん格さんを孫に見立てて創っているんです。そうやってホームドラマ型にすることで、男性指向、老人指向だった時代劇を女性にも子供にも興味をもって見てもらえるようにした」[13]。『黄門様はテレビ好き』でも、「とかく男性のものとされていた時代劇を、女性や子供にも見てもらおう!」「それには、時代劇のホームドラマを創るのだ!」という発想から『七人の孫』の時代劇版をイメージした。だから光圀さま役には森繁久彌以外には考えられず、すぐに交渉し森繁から快諾を得ていた。懸案したのは本格的な時代劇はやはり京都(東映京都撮影所)でなければならないということであるが、すでに東映の岡田茂常務にお願いして、任せておけと胸を叩いてくれ、制作現場の態勢を整えてもらっていたと書いている[12]。この辺りは岡田茂の著書『悔いなきわが映画人生』[14]にも、当時東映の時代劇をテレビ制作にシフトさせていた岡田のところへ逸見が来て、「松下が一人スポンサーになるから一緒にやろう。協力してくれ」と頼みに来たと書かれ一致している[15]。しかし森繁が鬘合わせを済ませた段階で、東宝のプロデューサー・藤本真澄がクレームを付けてきた。当時、森繁は藤本とトラブルがあり古巣の東宝を離れ松竹で映画に出演していたが、紆余曲折があり結局東宝と再契約。「森繁黄門」は幻となった。本作は最初から東映で撮影することが決まっていたものと見られ、五社協定は崩壊間際だったとはいえ、他の映画会社と専属契約した俳優が出演することは出来ない。初期の出演者は東映の専属俳優か、新劇俳優かフリーの俳優、あるいは映画関係以外の事務所のタレントなどである。監督(演出)は、東映の時代劇映画からテレビ映画(東映テレビ等)に移った人たちが中心。「森繁をイメージして作った黄門像を、ほかのスターで追ってみても仕方がない、となれば180度方向転換しかない。事態を逆手にとって、脇役の存在から黄門さまを探すことにした。ここでインスピレーションがひらめいた。東野英治郎さんにお願いしようと考えついた」と、逸見は著書に話している。ところが前述の岡田の著書では、岡田は光圀役は片岡千恵蔵にしようと、逸見と一緒に千恵蔵を口説きにいったが、「まだまだ。映画の現役だ。テレビに出るのは早い」と千恵蔵が断ったので、発想を変えて東野英治郎にしたと書いている[15]。また本ドラマで初代・佐々木助三郎役を務めた杉良太郎は、スポーツ紙の取材に対し「森繁さんが出演できなくなった際に、私が東野英治郎さんを推薦した」と語っている[16]。
さらに『テレビヒーローの創造』[17]や、『月光仮面を創った男たち』[18]では、まず「スポンサーの松下電器さんから時代劇をやりたいとお話があった」と、製作のC.A.Lの西村俊一に話があり、黄門役の東野英治郎は西村が発想し抜擢した、助さん格さんなど、サブキャラクターのキャスティング、時代劇のホームドラマ的発想や、「印籠」で決める勧善懲悪のパターンなどの「テレビ映画」的なフォーマットも全て西村が考えた、と書かれている[19][20]。これらは完全に逸見の記述と食い違う。逸見がやったと言っていることが、全て西村がやったことになっている。逸見は初代黄門役の東野英治郎、二代目・西村晃、三代目・佐野浅夫の他、サブキャラクターのキャスティングも逸見自身が決めた、風車の弥七など、さまざまな新しいキャラクターを自身が登場させた、旅に出たことのない黄門さまを旅に出すという、時代考証をあえて無視し、ドラマの面白さに重点を置いた等と著書に書いている[21]。逸見の著書『黄門様はテレビ好き』にはC.A.L、及び、西村俊一のことが一行も書かれていないので、逸見とC.A.L及び、西村との間に、どういうやりとりがあったのか、なかったのか、全く分からない。
元TBS編成企画部・田原茂行は著書『テレビの内側で』[22]で、「電通の営業担当は、われわれのよりどころとする編成権以上の切り札をもつ存在になっていた。とくに月曜8時の松下電器の枠の編成に関しては、スポンサーと電通の意見は絶対的といっていい力をもっていたが(中略)テレビ史上最長のヒット番組である『水戸黄門』は、松下電器の担当者と電通が松下幸之助の好みを意識してもちこんだとみられる問答無用の企画であったが、この番組の成功は、やがてこの時間枠の企画決定の主導権争いに終止符をうつウルトラCとなり、われわれの入れない領域が生まれる結果になった」と述べている[13]。ここでの電通というのは『水戸黄門』の製作C.A.Lのことではないかと考えられるが、逸見の著書にC.A.Lのことが一行も書かれていない理由として以下のような理由が考えられる。『水戸黄門』は製作がC.A.Lで、制作協力が逸見の会社・オフィス・ヘンミ、東映→東映太秦映像で、撮影はほぼ全編東映京都撮影所で行われている[23]。東映京都撮影所といえば、時代劇製作の本丸であり、月形龍之介主演で『水戸黄門漫遊記』シリーズ(1954年~1961年)として過去に14本『水戸黄門』の映画を作ったことがある。この月形主演の映画版『水戸黄門』でも、天下の副将軍・水戸黄門が助さん格さんなどをおともに連れて諸国を漫遊し、土地の人々を苦しめる悪代官や陰謀団などをやっつけ、クライマックスで、葵の御紋が入った印籠を見せ身分を明かし、悪漢どもが恐れるという勧善懲悪のパターンが大衆にアピールして息の長いシリーズになったといわれており、主要なフォーマットは古くからあったものと見られるが[24]、時代劇製作のノウハウは豊富過ぎる程持っている東映にとって、テレビ版『水戸黄門』の製作は容易いことと考えられ、C.A.Lと東映の関係は、東映の方が下請けになるのであろうが、実際の製作を主導したのは東映ではないかと推定される。逸見の著書にはC.A.Lのことは書かれていないが、東映のことは書かれている。
当番組においては綿密な時代考証より「わかりやすさ」「ストーリー性」の方を重視して製作しているため(要は江戸時代を表現するという意味で)、以下の相違点を始め、史実と異なる点が含まれる。
テンプレート:ネタバレ終了
現在、第3部までがソフト化(VHS、DVD)されているが、レギュラー版の第4部以降と1000回スペシャルのソフト化は未だになされていない。その他には、水戸黄門名作選其之壱(歴代の五代黄門の作品それぞれの中での最高視聴率獲得回を収録)。水戸黄門名作選其之弐(歴代の五代黄門とゲスト女優(松坂慶子・斉藤慶子・水野美紀・三船美佳・佐藤江梨子)の共演を収録)。水戸黄門名作選、由美かおるスペシャル(レギュラー以前のメイン&ゲスト3話を収録)のソフトが発売されている。
パナソニック ドラマシアター#ネット局も合わせて参照
テンプレート:水戸黄門ko:미토 코몬
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