「飛地」を含むwiki一覧 - 2ページ

下高野の小字 - 埼玉県の小字

川熊之面前熊之面道六神箕輪主殿新田裏主殿新田宮之下前堂之下(堂ノ下)志部杉内屋敷添佐内新田前佐内新田裏大堀向道下大堀向新道向新道向道下大堀向飛地小谷堀西[新設]小谷堀東[新設]堤合箕輪飛地参考文献・ 埼玉県報 昭和61年3月、昭和62年3月

上峰の小字 - 埼玉県の小字

ある。大門(大門耕地)(だいもん):1981年に上峰二~四丁目になった。大門遺跡、大門西遺跡、大門南遺跡がある。真土(真土耕地)(まつち):飛地組替により一部が山久保村、栄和村、中島村に編入した。1981年に上峰一・三丁目になった。真土館という城​館​跡がある。真土1・2号遺跡が

芝の小字 - 埼玉県の小字

6年に一部が芝西二丁目になった。大字芝に上谷沼調節池、上谷沼運動広場、上谷沼-2広場がある。 善前:明治14年の字届出書には記載がない。飛地組替により太田窪村に編入した。名称は編入先からの推測による。風間(かざま):大字柳崎字風間に隣接する飛び地。明治14年の字届出書には記載

大宮の小字 - 埼玉県の小字

目、大門町一丁目、宮町一丁目、桜木町一・二丁目、錦町になった。鐘ヶ谷戸の金偏は町名「錦町」に受け継がれている。鐘塚(鐘塚耕地)(かねづか):飛地組替により一部が大成村に編入したと思われる。1956、1957年に桜木町一・二・四丁目、錦町になった。桜木町一丁目に鐘塚公園がある。大仙

中小村田の小字 - 埼玉県の小字

1956年に桜木町四丁目になった。北(北耕地)(きた):鴻沼排水路の西側。1956年に桜木町四丁目になった。切敷(元加茂宮分)(きりしき):飛地組替により加茂宮村から編入した。三橋耕地整理に伴い消滅したと思われる。伝馬関(元大成分)(でんませき):飛地組替により大成村から編入した

山の小字 - 埼玉県の小字

、大字西山新田、大字見山になった。糀谷下(こうじやした):1977年に大字見山になった。高野原:現存。明治14年の字届書には記載がない。北原飛地:北原の東方の飛び地(二か所)。現存。明治14年の字届書には記載がない。 安台飛地:安台の西方の飛び地。現存。明治14年の字届書には記載

大門の小字 - 埼玉県の小字

六丁目になった。野原(埜原)(やはら):綾瀬川沿いの区域。現存。2017年に一部が美園一・五~六丁目になった。壱本木耕地(元戸塚分):現存。飛地組替により戸塚村から編入した。柳:飛地組替により戸塚村から編入したと思われる。1911年に戸塚村大字戸塚字柳に編入した。参考文献・ 北足

北原・行衛の小字 - 埼玉県の小字

962年に川口市に編入し、翌年に大字行衛字大尻になった。北谷ツ(きたやつ):北西の飛び地。現存。北谷ツ排水路がある。寺山下(てらやました):飛地組替により高畑村に編入したと思われる。下野田下(下ノ田下)(しものだした):北東の飛び地。1910年に大字大門字内町、大字下野田字新道下

曲本の小字 - 埼玉県の小字

)(ふかまち):1959年に浦和市に編入し、1975、1986年に西浦和四・五丁目、田島六丁目になった。平野(ひらの):荒川の堤外地。現存。飛地組替により沼影から編入したと思われる区域がある。1959年に一部が大字堤外になった。南耕地飛地(南飛地耕地、南飛地):飛地組替により田島

内谷の小字 - 埼玉県の小字

野(おおの):荒川の堤外地。現存。柳田國男「地名の研究」 で「美谷本村大字内谷字大野小字堂満」という地名が紹介されている。夏浜(なつはま):飛地組替により下笹目村に編入した。飛西原:荒川の堤外地。現存。飛地組替により下笹目村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治

大泊の小字 - 埼玉県の小字

間台東二丁目になった。桜井村の道路元標があった。雉子田(きじた):現存。1999年に一部が千間台東二丁目になった。海道向(かいどうむこう):飛地組替で大枝村、中野村に編入したと思われる。谷原新田(やはらしんでん):飛地組替で大畑村に編入したと思われる。八反田参考文献・ 越谷市大字

五関の小字 - 埼玉県の小字

村に編入した。1969年に一部が大宮市に編入し、翌年、翌々年に大字昭和、塚本町二・三丁目になった。1970年に一部が大字昭和になった。荊田:飛地組替により島根から編入したと思われる。1969年に大宮市に編入し、翌年に大字昭和になった。本目:飛地組替により島根から編入したと思われる

宿の小字 - 埼玉県の小字

・三丁目になった。1970年に一部が大字昭和になった。新田前(しんでんまえ):荒川の堤外地にある飛び地。現存。二重川(元側ヶ谷戸分):現存。飛地組替により側ヶ谷戸村から編入した。八貫野(元植田谷本分):現存。飛地組替により植田谷本村から編入した。 登記情報の表記では「元植田谷本村

大枝の小字 - 埼玉県の小字

ある。谷原飛(やはらとび):1916、1917年に豊春村大字谷原新田字下耕地、大字中野字新田、大字薄谷字土手外に編入した。大枝(おおえだ):飛地組替で平方村から編入した。1916、1917年に大袋村大字恩間字上新田、大字大枝字井堀外、大字大枝字井堀内、大字大枝字屋敷前に編入した。

上木崎の小字 - 埼玉県の小字

木崎→浦和町大字上木崎→浦和市大字上木崎現在の地名:さいたま市浦和区上木崎、皇山町、大原大原(おおはら):与野駅の周辺。飛地組替で浦和宿から編入した区域を含む。1967年に針ヶ谷三丁目、上木崎一~四丁目になった。大原新田として開発が行われた。この地にあった大原

横浜市 - 北海道と青森県の字

旧都筑郡西谷村 川島 上星川旧久良岐郡金沢町 町屋 洲崎 寺前 谷津 富岡 柴 野島 泥亀新田旧久良岐郡六浦荘村 三分 釜利谷 泥亀新田 (飛地) 峠旧鎌倉郡永野村 永谷 上野庭 下野庭 平戸 (飛地)旧都筑郡都岡村 上川井 川井 下川井 今宿 下白根 上白根旧都筑郡二俣川村 二

深作の小字 - 埼玉県の小字

ある。見沼代用水東縁に架かる稲荷台橋がある。深作稲荷台遺跡がある。 諏訪台(すわだい):稲荷台の北西。新原(しんはら):諏訪台の南西。綾瀬:飛地組替により堀崎村から編入したと思われる。1983、1985年に卸町一・二丁目、宮ヶ谷塔一・二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村

岸の小字 - 埼玉県の小字

る。南谷(みなみや):1964年に岸町三丁目になった。岸町三丁目にみなみや公園がある。高畑(たかはた):1964年に岸町二・三丁目になった。飛地(元砂新田分):現存。1976、2014年に一部が砂新田一丁目、中台元町二丁目になった。武蔵野(元松郷分):1976年に砂新田一丁目にな

新倉の小字 - 埼玉県の小字

rarr;大和町大字新倉→(一部)和光市大字新倉現在の地名:和光市本町、広沢、西大和団地、新倉、大字新倉雑丹袋(ぞうたんぶくろ):飛地組替により下新倉村に編入した。逆川(さかさがわ):現存。2004年に一部が新倉八丁目になった。隣接する下新倉にも字逆川がある。境田外(さ

丸ヶ崎の小字 - 埼玉県の小字

なった。海崎(かいさき):現存。1986年に一部が深作三丁目になった。深作三丁目に海崎公園がある。見沼代用水東縁に架かる海崎橋がある。 深作飛地:大字深作の中の見沼代用水東縁沿いに現存。明治14年の字届書には記載がない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいた

向畑の小字 - 埼玉県の小字

た。立野(たての):現存。皿沼(さらぬま):現存。本荒勺(本荒句)(もとあらく):現存。堤外(ていがい、つつみそと):現存。沼尻(ぬましり)飛地(とびち)参考文献・ 越谷市大字小字表・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 越谷市遺跡地図・ 埼玉県報 昭和43年10月

川越の小字 - 埼玉県の小字

にも字御成道町がある。二丁町(にちょうまち):1966年に御成町、氷川町、宮元町になった。隣接する東明寺、寺井にも字二丁町がある。味噌田町:飛地組替により北田島村に編入した。柳橋町(やなぎばしまち):現存。隣接する寺井にも字柳橋町がある。馬喰町(ばくろうまち):現存。飛地組替によ

円正寺の小字 - 埼玉県の小字

:さいたま市南区大字円正寺山崎(山崎町)(やまざき):現存。新田(新田町)(しんでん):現存。後新田(うしろしんでん、あとしんでん):現存。飛地組替により一部が柳崎村に編入した。後谷(後谷町)(うしろや):北西に点在する飛地。1991年に大字太田窪字善前南、大字大谷口字明花、字明

新右衛門新田の小字 - 埼玉県の小字

の地名:さいたま市見沼区大字新右衛門新田八幡久保(八幡久保耕地)(はちまんくぼ):現存。中川下(元高鼻分):大宮自動車教習所のあたり。現存。飛地組替により高鼻村から編入した。大字新右衛門新田にバス停「高鼻」がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地

粕壁の小字 - 埼玉県の小字

上町、仲町、新宿組、三枚橋、下組、大砂組などの小字があったが、地租改正により町並、町裏に統合された。粕壁東一丁目にまちなみ公園がある。八木崎飛地:飛地組替で新方袋村に編入したと思われる。参考文献・ 南埼玉郡町村字調(明治14年)・ 粕壁町略図・ 埼玉県火災保険特殊地図(戦前)粕壁

今福の小字 - 埼玉県の小字

013、2014年に一部が中台二丁目、中台元町一丁目になった。砂久保(元木野目分)(すなくぼ):現存。砂久保(元牛子分)(すなくぼ):現存。飛地(元砂新田分)(とびち):現存。下久保(下窪)(元南大塚分)(しもくぼ):2013年に中台三丁目になった。向台(向ノ台)(元南大塚分)(

宮戸・大原の小字 - 埼玉県の小字

大新田第一・第二遺跡がある。新立野(しんだての):新河岸川の旧流路の蛇行部に囲まれた区域。現在の新河岸川の対岸(志木市側)に位置する。新立野飛地:明治14年の字届書には記載がない。河川の流路変更により飛び地となった区域と思われる。中袋(元志木分)(北井房中袋):新河岸川の旧流路の

膝子の小字 - 埼玉県の小字

:現存。外新田(そとしんでん):現存。大縄場(大縄)(おおなわ):現存。大沼(おおぬま):現存。見沼(みぬま):見沼代用水東縁の西側。現存。飛地(とびち):飛地組替により南中野村に編入した。江川:現存。明治14年の字届書には記載がない。新田:現存。明治14年の字届書には記載がない

大谷口の小字 - 埼玉県の小字

字届書には記載がない。川口市柳崎三丁目にバス停「明花南」がある。前:向の南西の飛び地。明治14年の字届書には記載がない。柳崎(やなぎさき):飛地組替により柳崎村に編入した。明治14年の字届出書では大谷口村字柳崎、大正3年の行政文書では大字柳崎字柳となっている。参考文献・ 北足立郡

太田窪の小字 - 埼玉県の小字

(前耕地)(まえごうち):現存。向原(むかいはら):善前南の北方の飛び地。現存。古い地図では善前南の一部となっている。善前(元芝分):現存。飛地組替により芝村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 大浦和市全地図(昭和9年)・ 浦和南部土地区画整理事業

石神の小字 - 埼玉県の小字

る。雨堤(あまつつみ):仲道の南東、区域の東端。現存。北方(行衛字往還通を二分する区域)および南方に飛び地あり。大字石神に雨堤調節池がある。飛地参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500

針ヶ谷の小字 - 埼玉県の小字

なかやまひがし):1943年に北浦和町一・二丁目、針ヶ谷町一~三丁目になった。高沼:南西に点在する飛び地。明治14年の字届書には記載がない。飛地組替により大戸村に編入した。名称は編入先からの推測による。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県北足立郡浦和町全図

伊刈の小字 - 埼玉県の小字

存。1914年に大半が大字伊刈字牛田、大字芝字荒金(編入)になった。岡ノ台(おかのだい):西方の飛び地(二ヶ所)。現存。横枕(よこまくら):飛地組替により大谷場村に編入した。島在家(しまざいけ):明治14年の字届出書には記載がない。1914年に大字伊刈字中通に編入した。牛田(うし

上寺山の小字 - 埼玉県の小字

咫町になった。宮後町(みやごまち):上寺山墓地のあたりにわずかに現存。1908年に大半が大字上寺山字八咫町になった。堤外(ていがい):現存。飛地(とびち):大字池辺と大字小ヶ谷の境界あたりに飛び地として現存。西田(にしだ):現存。1908年に新設された小字。東田(ひがしだ):現存

片柳の小字 - 埼玉県の小字

丁目になった。東(ひがし):1987、1991年に片柳一丁目、片柳東、加田屋二丁目になった。安台:現存。明治14年の字届書には記載がない。 飛地:北西の飛び地。現存。明治14年の字届出書には記載がない。さいたま市地形図では西の一部になっている。大西:明治14年の字届出書には記載が

宗岡の小字 - 埼玉県の小字

に上宗岡一丁目、中宗岡一丁目になった。上宗岡一丁目に下の谷第1、第2児童遊園地、中宗岡一丁目に下の谷樋管、下の谷排水機場がある。 赤野毛飛地(あかやけとびち):新河岸川の旧流路の対岸にあった飛び地。現存。地形図等では下宗岡一丁目の区域となっているが、宗岡第三小学校 、宗岡第二

山城の小字 - 埼玉県の小字

:現存。狢ヶ谷戸(むじながやと):現存。1998、2016年に一部が日東町、藤倉一丁目になった。隣接する大袋、大袋新田にも字狢ヶ谷戸がある。飛地(とびち):2016年に藤倉一丁目になった。上ノ原(上野原)(うえのはら):1966年に南台一丁目になった。中原(なかはら):1965年

南元宿の小字 - 埼玉県の小字

伴い消滅した。町谷前(まちやまえ):町谷の中の飛び地。土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い消滅した。鈴谷前(すずやまえ):鈴谷の中の飛び地。飛地組替により鈴谷村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外地調査平面図 第10号(大正3年)・ 土合村耕地

白幡の小字 - 埼玉県の小字

る。白幡瓶尻自治会がある。 井堀向(いほりむこう):1975年に(旧)沼影二・三丁目、西浦和一丁目になった。砂原(すなはら):北西の飛び地。飛地組替により浦和宿に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県浦和耕地整理組合原形図(大正11年)・ 北足立郡

大戸の小字 - 埼玉県の小字

北遺跡、西谷鴻沼1・2号遺跡がある。高沼(こうぬま): 1980、1995年に大戸一・二・六丁目、新中里二丁目になった。高沼(元針ヶ谷分):飛地組替により針ヶ谷村から編入した。土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い消滅した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉

円阿弥の小字 - 埼玉県の小字

号遺跡がある。西浦(西浦耕地)(にしうら):1981年に円阿弥二・四丁目になった。西浦1~5号遺跡がある。八貫野新田(はちかんのしんでん):飛地組替により塚本村に編入した。松之木耕地(まつのき):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)

八王子の小字 - 埼玉県の小字

た。宅地遺跡、宅地南遺跡がある。白山(はくさん):1981年に八王子二丁目になった。八王子二丁目にある白山神社が由来。八貫野(はちかんの):飛地組替により塚本村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 与野西部土地改良区大字及字界変更図・ 与野市大字別地番

高鼻の小字 - 埼玉県の小字

55年に天沼町一丁目になった。社軍神下(しゃぐんじんした):芝川沿いにある飛び地。1955年に天沼町一丁目になった。中川下(なかがわした):飛地組替により新右衛門新田に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 大宮町全図(大正15年)・ 新大宮市街全図(昭和

下落合の小字 - 埼玉県の小字

年に新中里四丁目になった。高沼用水路に架かる浜の田橋がある。 高沼(こうぬま):鴻沼川に沿った区域。1963年に大字大戸字高沼に編入した。飛地(とびち):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理組合第二区第三区拡張区

北袋の小字 - 埼玉県の小字

。北袋新堀遺跡がある。道美木(道美木耕地)(どうみき、とうみき):南東に点在する飛び地。1932年に大字上木崎に編入した。下原(しもはら):飛地組替により大宮宿から編入した。1932年に一部が大字上木崎字下原になった。1954年に北袋町一丁目になった。かつて下原刑場があった。吉敷

中里の小字 - 埼玉県の小字

二・三丁目になった。高沼(こうぬま):南方の飛び地。1963年に大字大戸字高沼に編入した。西谷(にしや):明治14年の字届出書に記載がある。飛地(とびち):明治14年の字届出書に記載がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 土合村耕地整理組合第二区第三区拡張区

新開の小字 - 埼玉県の小字

荒川の堤外地。現存。さいたま市地形図では大字下大久保の区域になっている。櫃沼(ひつぬま):土美耕地整理組合に伴い消滅した。櫃沼(元鈴谷分):飛地組替により鈴谷村から編入した。土合村耕地整理(西浦耕地整理)に伴い消滅した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・荒川堤外

堀崎の小字 - 埼玉県の小字

うこうち):1961年に堀崎町になった。堀崎学校が由来か。下(下耕地)(しもこうち):1961年に堀崎町になった。綾瀬耕地(あやせこうち):飛地組替により深作村に編入したと思われる。北原(北原耕地)(きたばらこうち):1949、1961年に大字見沼、砂町二丁目になった。隣接する砂

大牧の小字 - 埼玉県の小字

地。現存。明治14年の字届書には載っていない。八町(はちちょう):明治14年の字届出書に記載がある。附島との混同か。井堀(元安行領在家分):飛地組替により安行領在家村から編入した。2002年に東浦和五丁目になった。登記情報の表記では「元安行在家分」となっている。参考文献・ 北足立

下野田の小字 - 埼玉県の小字

丁目になった。馬宮(うまみや):1910年に大門村大字大門字宮下、字内町に編入した。入部崎(にゅうぶさき):青山苑墓地の東部あたりの飛び地。飛地組替により中野田村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 行政文書