「飛地」を含むwiki一覧 - 3ページ

(植田谷領)在家の小字 - 埼玉県の小字

翌年に(大宮市)大字昭和になった。1970年に一部が(浦和市)大字昭和になった。八貫野(はちかんの):荒川の堤外地にある飛び地。現存。鰻沼:飛地組替により島根村から編入したと思われる。1970年に大字昭和になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 荒川堤外地調

中野田の小字 - 埼玉県の小字

):現存。中野田堀ノ内遺跡がある。島ノ前(しまのまえ):現存。中野田島ノ前遺跡がある。入部崎(元下野田分): 青山苑墓地の東部あたり。現存。飛地組替により下野田村から編入した。入部崎:入部崎(元下野田分)の飛び地が耕地整理に伴い、区域変更とともに「元下野田分」が取れたものと思われ

高畑の小字 - 埼玉県の小字

二か所ある。綾瀬川に架かる平沼橋、平沼排水路とそれに架かる平沼上橋、平沼中橋、平沼下橋がある。隣接する横根に字上平沼、字下平沼がある。八雲:飛地組替により染谷村から編入したと思われる。2017年に美園一・三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕

寺山の小字 - 埼玉県の小字

ある。寺山天久保東遺跡、寺山天久保西遺跡がある。中郷(なかごう):現存。本村(ほんむら):現存。寺山本村遺跡がある。蓮川(はすかわ):現存。飛地(とびち):南西の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 野田耕地整理組合整理確定図・ 野田土地改良区 現形

側ヶ谷戸の小字 - 埼玉県の小字

に井刈古墳がある。間ノ谷(あいのや):大宮国際中等教育学校のあたり。1959年に三橋四丁目になった。間ノ谷遺跡がある。二重川(ふたえがわ):飛地組替により宿村に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・三橋耕地整理組合確定図・ 埼玉県報 昭和34年5月・ 行政

加茂宮の小字 - 埼玉県の小字

72、1976年に宮原町三・四丁目になった。宮原町三丁目に構の名前が入ったマンションがある。 十六:1961年に宮原町三丁目になった。切敷:飛地組替により中小村田村、大成村に編入した。油田源太郎薬師原参考文献・ 埼玉県報 昭和27年10月、昭和36年12月、昭和37年11月、昭和

中野林の小字 - 埼玉県の小字

袋橋、新袋橋がある。中野林袋遺跡がある。 中郷(なかごう):現存。大字飯田にバス停「中郷」がある。条敷(じょうしき):現存。簀子(すのこ):飛地組替により塚本村に編入した。前田:大宮光陵高校のあたり。現存。明治14年の字届書には記載がない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明

峰岸の小字 - 埼玉県の小字

地名:さいたま市西区大字峰岸南(南耕地)(みなみこうち):現存。北(北耕地)(きたこうち):現存。峰岸北遺跡がある。貝塚中(かいつかなか):飛地組替により西貝塚村に編入した。堤外(つつみそと):荒川の堤外地の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年) ・ さ

飯田新田の小字 - 埼玉県の小字

存。大字飯田新田に荒工(あらこう)第1、第2公園がある。道北(みちきた):現存。川(かわ):現存。中丸(なかまる):現存。巣ノ子(すのこ):飛地組替により塚本村に編入した。川通(元植田谷本村新田分):1892年、1907年に大久保村大字塚本字川通(元植田谷本村新田分)から大字飯田

沼影の小字 - 埼玉県の小字

影一丁目 にバス停「家附(いえつき)」がある。吉原(よしはら):1975年に(旧)沼影二・三丁目、西浦和二・三丁目になった。平野(ひらの):飛地組替により曲本村に編入したと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 浦和市全図(昭和26年)・ 浦和西南土地改良

植田谷本の小字 - 埼玉県の小字

(権現堂耕地)(ごんげんどう):現存植田(植田耕地)(うえた):1971年に大字三条町字上敷、字押付田に編入した。八貫野耕地(はちかんの):飛地組替により塚本村、宿村に編入した。山本:現存。明治14年の字届書には記載がない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さ

指扇領辻の小字 - 埼玉県の小字

)(ながれこうち):現存。流作場:荒川近くの飛び地。現存。 明治14年の字届書には記載されていない。常光橋:北の中の飛び地(二か所)。現存。飛地組替により上野本郷村から編入したと思われる。前参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年) ・ さいたま市 地形図(縮尺2,500

(浦和領)根岸の小字 - 埼玉県の小字

。久保入(くぼいれ):1980年に神明二丁目、根岸四丁目になった。JR武蔵野線の第1・2久保入ガード(架道橋)、久保入道路橋がある。 北原:飛地組替により大谷場村から編入したと思われる。1980年に神明一丁目になった。南本町二丁目に根岸北原公園がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各

宝来の小字 - 埼玉県の小字

:滝沼川およびその支流の西堀川に沿った細長い区域。現存。明治14年の字届書には記載されていない。八百野(西貝塚分):荒川近くの飛び地。現存。飛地組替により西貝塚村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)

田島の小字 - 埼玉県の小字

渡しと呼ばれる渡船場があり、後年その場所に秋ヶ瀬橋が架けられた。秋ヶ瀬橋の北方に秋ヶ瀬公園があるが、字秋ヶ瀬の区域からは外れている。 南飛地耕地:明治14年の字届書には記載がない。飛地組替により曲本村に編入した。名称は編入先からの推測による。櫃沼(元与野分):飛地組替により与

大谷別所の小字 - 埼玉県の小字

、1972年に別所町、吉野町二丁目になった。別所町に滝宮公園がある。新田(しんでん):1960、1972年に別所町になった。小山(こやま):飛地組替により一部が川村、西宮下村に編入した。1960、1973年に別所町、宮原町四丁目になった。別所町に小山公園がある。山王前参考文献・

上内野の小字 - 埼玉県の小字

。水崎(みずさき):宮前小学校のあたり。1959年に宮前町になった。混在する西内野にも字水崎がある。宮前川に架かる水崎橋がある。雉子ヶ谷戸:飛地組替により清河寺村から編入したと思われる。1959年に宮前町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭

西谷の小字 - 埼玉県の小字

日進町三丁目になった。新田(しんでん):1958年に日進町三丁目になった。雷電下(らいでんした):1958年に日進町三丁目になった。半在家:飛地組替により奈良瀬戸村から編入したと思われる。1958年に日進町三丁目になった。堂前(どうまえ)神明(しんめい)坊下(ぼうした)堤崎(つつ

櫛引の小字 - 埼玉県の小字

校のあたり。1958年に櫛引町二丁目になった。三島(みしま):1958年に櫛引町二丁目になった。櫛引町二丁目に大宮三島公園がある。 尾ヶ山:飛地組替により加茂宮村から編入したと思われる。1956、1958年に桜木町四丁目、櫛引町一丁目になった。櫛引町一丁目にバス停「尾ヶ山北」があ

一ノ割の小字 - 埼玉県の小字

1年に大沼五丁目になった。大沼五丁目に上沖小学校がある。 谷原(やはら):現存。1981年に一部が大沼三~六丁目になった。谷原(元平方分):飛地組替で平方村から編入した。1916、1917年に豊春村大字谷原新田字大沼耕地、豊春村大字谷原新田字立沼耕地、大字一ノ割字上沖に編入した。

中釘の小字 - 埼玉県の小字

谷(うしろや):現存。根貝戸(ねがいと):南東の飛び地。現存。下谷原(したやはら): 荒川の堤外地の飛び地。現存。八百野原(元上野本郷分):飛地組替により上野本郷村から編入した。原参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・

清河寺の小字 - 埼玉県の小字

中原」、中原西公園がある。北原(きたはら):現存。高木北原遺跡がある。東谷(ひがしや):現存。須場(すば):現存。雉子ヶ谷戸(きじがやと):飛地組替により上内野村に編入した。下谷原(したやはら): 荒川の堤外地の飛び地。八百野(はちひゃくの): 荒川の堤外地の飛び地。参考文献・

新方袋の小字 - 埼玉県の小字

て現存。宮川耕地(宮川)(みやかわ):現存。2006年に一部が西八木崎三丁目になった。新方袋に宮川小学校がある。宮川自治会がある。 八木崎飛地(やぎさきとびち):飛地組替で粕壁宿から編入下と思われる。1917年に大字新方袋字上縄耕地、大字新方袋字内耕地に編入した。参考文献・ 南

中野(武里中野)の小字 - 埼玉県の小字

入した。谷原(やはら):1917年に大字薄谷字土手外、大字薄谷字谷際、大字一ノ割字谷原に編入した。海道向(かいどうむかい、かいどうむこう):飛地組替で大泊村から編入したと思われる。1916、1917年に豊春村大字谷原新田字下耕地、大字中野字新田に編入した。参考文献・ 春日部市遺跡

スペイン - インディ・ジョーンズ非公式wiki

ベリア半島に位置し、同半島の大部分を占める立憲君主制国家。西にポルトガル、南にイギリス領ジブラルタル、北東にフランス、アンドラと国境を接し、飛地のセウタ、メリリャではモロッコと陸上国境を接する。本土以外に、西地中海のバレアレス諸島や、大西洋のカナリア諸島、北アフリカのセウタとメリ

大字田向の小字 - 北海道と青森県の字

よって字向河原は本当に新井田川の右岸のみ(大字十日市側)になってしまったが、もともとその土地も田向と陸続きで、昭和40年代の流路変更に伴って飛地化したものである。住所変更前は現在の田向五丁目付近も字向河原であった。土岡河原読みは「つちおかかわら」だが、明治まで新井田川を土岡(とを

大字柏崎の小字 - 北海道と青森県の字

るが、大正3年測図の八戸東部の地図には描写されていない。宇和田城下が成立した為、15年程八戸駅(現在の本八戸駅)の西側にある唯一の小字として飛地状態になっていた。「宇」は家の軒下の意味。家は八戸城と考えると、台地の下だからか。「和田」は川の曲流部のやや広い平野を表す。川は根城方面

大字鮫町の小字 - 北海道と青森県の字

沢が多く、冷水周辺も例外では無かった。冷水は文字の通り冷えた湧水が出る場所の意味。林通そのままで良い。林に続く道の入口。二見町を挟んで三つの飛地を有するが、これは二見町や忍町が後に新設された事による。福沢久保「福」は「フケ・フク」で湿地の意味。窪地の沢で尚且つ湿地であった。小長根

大字大久保の小字 - 北海道と青森県の字

の寺沢で新井田川に合流する。川の名前は不明。小松平小松は松に親しみを込めて「小」を付けたもの。松が生えている平地の意味。余談だが、字小松平は飛地が存在し、北高の西側にも存在する。古地図を見ると、北高ができる前はグラウンドを横切るように畔道が存在し、ここが町道との字界となっていたと

和賀氏 - 日本通信百科事典

担して、翌永享8年(1436年)まで続く『和賀の大乱』までに発展した。この争乱の結果、和賀氏は加美郡や志田郡と栗原郡方面にあった間接的統治の飛地領を手放すこととなり、須々孫氏は義村の次々代の義和から没落して、黒沢尻氏に至っては実質的に滅亡していた。安土桃山時代の天正18年(159

葛飾区 - 北海道と青森県の字

大字柳原 大字下千葉 大字堀切 大字砂原旧奥戸町 大字中平井 大字上平井 大字下小松 大字上小松 大字奥戸新田 大字奥戸 大字諏訪野(新宿町飛地) 大字細田 大字曲金 大字鎌倉新田

本郷の小字 - 埼玉県の小字

rarr;ときがわ町大字本郷現在の地名:ときがわ町大字本郷※ 本リストは作成中です。情報が不完全な場合がありますが、ご了承ください。山根川北飛地北坂下岡岡前鈴宮殿ヶ谷戸沢口竪街道下久保上サ高尾根参考文献・ 都幾川村史 資料1 地誌 I

旧岩槻市の通称地名 - 埼玉県の小字

れている。府内一丁目にバス停「元浅間」がある。元浅間第一~第三自治会がある。六番町:同上。城山(元城山):同上。城町二丁目に城山霊園がある。飛地:同上。裏小路:明治から大正にかけて太田町(大字太田)で用いられていた通称町名。同名の小字がある。天神小路:同上。同名の小字がある。江戸

養老郡池辺村 - 北海道と青森県の字

段割、堀割、南屋敷大字釜段吉田、吉田西割、宮前、替地南、菖蒲原、新開、亀井屋敷割、中島、徳崎、宮方、亀井島崎、新田、福角、野税場、徳田新田、飛地大字駒野新田苗代割、六段地、江西、五畝割、台所地、竜骨、三軒屋

養老郡広幡村 - 北海道と青森県の字

戸、赤池、東畑、圦ノ戸、段割、空町、堤外、平大字西岩道中新白、下新白、戸井ノ口、笹墳清水、東浦、村前、西川、道ノ上、茶ノ木原、六段長、中道、飛地、下中道、長代、南屋敷、東屋敷、北屋敷、西楽畑、中楽畑、川北、村北、井敷大字岩道村内、林、挿柳、広田、小橋、一本木長代

羽島郡川島町 - 北海道と青森県の字

雁場、雁場前、三ッ屋、三ッ屋前、神明東、河田島浦、河田島東、河田島前、山神西、山神前、太助屋敷、神明屋敷、出来野、出来野西切、六八野、河田島飛地大塚、広江、南渡、城屋敷、堀屋敷、茶売屋敷、兵部屋敷、寺屋敷、小谷島(渡島地区、旧円城寺村)道北、古屋敷、道南、野方(嘉左ェ門島、北山地

多摩 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

かく広い。大学と大学生が多く財政難。高尾山がある。2015年4月に東京都内で初めて中核市に移行した。立川市八王子市と並ぶ規模の大きい都市。立飛地区がものすごく発展している。武蔵野市住みたい街ランキング上位の常連でもあり、多摩地区有数の繁華街でもある吉祥寺を抱える。東京都武蔵野区?

チューレ空軍基地とはなんですか? - クイズwiki

A. チューレ空軍基地は、グリーンランド西北部、カーナーク(Qaanaaq)の未編入飛地に位置するアメリカ宇宙軍の軍事基地です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AC%E7%

広島県 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

百選で上位に入っている井仁の棚田など。また山間のレジャーであるスキーやキャンプ場などもある。またこの町も神楽が有名。●山県郡北広島町北海道の飛地ではなく,広島の北部にある田舎町。広大な大地を生かし,芸北国際スキー場などのスキー場やゴルフ場の娯楽施設や酪農業が盛ん。国道433号はこ

頂法寺 - 巡礼 Wiki

正面に本堂、右手に「へそ石」、親鸞堂、納経所、本堂裏には聖徳太子沐浴の伝説にちなむ人工池や太子堂がある。鐘楼は山門から公道を隔てて向かい側の飛地境内にある。また、境内北側には、華道家元「池坊」の本部ビル(11階建て)がある。本堂[]平面六角形の屋根を二重に重ね、手前には入母屋造、

浮島村 - 架空都市 Wiki

錦島郡にあった村。現在の錦島市の離島部分にあたる。南陽町と橋で繋がっているため錦島市内から浮島へ直接行くことが出来ない。よって浮島は錦島市の飛地ともいえる。目次1 概説2 交通2.1 道路2.1.1 県道2.1.1.1 主要地方道3 教育3.1 小学校3.2 中学校4 関連項目概

大西市 - 架空都市 Wiki

道路4.1.2 国道4.1.3 その他の道路4.2 鉄道概要[]地域[]錦島県山間部にある市で、西へ行くと北錦島市と東川町と河内村と隣接する飛地(田谷地区)が存在する。教育[]小学校[]市立中央小学校市立大西小学校市立田谷小学校中学校[]市立大西中学校市立田谷中学校高等学校[]大

飛地 - 架空都市 Wiki

飛地(とびち、飛び地)とは、一つの国の領土や行政区画の内、地理的に分離している一部分である。土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれる。目次1 概説2 国家の飛地3 行政区画の飛地3.1 日本民国(錦島)概説[]Aの領域がA以外の領域によって、複数に分断されて

石見銀山 - なんでもある Wiki

せ、石見の江の川以東を中心とする地域(石見銀山の所在地、邇摩郡大森を中心に安濃郡・邑智郡・那賀郡の4郡146か村と、美濃郡・鹿足郡で6か村の飛地)を幕府直轄領(天領)とし、翌1601年(慶長6年)8月に初代銀山奉行として大久保長安を任命した(なお、初代奉行については『石見銀山旧記