大字鮫町の小字

ページ名:大字鮫町の小字

盛岡藩浜通村内、二子石浦・持越沢浦・鮫浦・白浜浦・深久保浦・種差浦・法師浜浦・大久喜浦

三戸郡鮫村大字浜通(1889 4/1~1929 4/30)

八戸市大字鮫町(1929 4/30~)

 

現存の小字

旧二子石浦

二子石(ふたごいし)

埋め立てられる前まで、線路まで海が迫っていた。その砂浜に二つに割れた岩があったことより。その岩は海を埋め立てる時に無くなった。

 

冷水

鮫の地名由来で、沢が多く沢が転訛して鮫になったと言われる程沢が多く、冷水周辺も例外では無かった。冷水は文字の通り冷えた湧水が出る場所の意味。

 

林通

そのままで良い。林に続く道の入口。二見町を挟んで三つの飛地を有するが、これは二見町や忍町が後に新設された事による。

 

福沢久保

「福」は「フケ・フク」で湿地の意味。窪地の沢で尚且つ湿地であった。

 

小長根

白銀平が終わる場所、即ち少し岬のようになっている。小さい長根。

 

ハンノ木沢

紛らわしいが字「ハン木沢」が隣り合っている。これは全く違う字名である。だが、所属していた浦が違うので同じだった地名が浦によって分割されてそれぞれ区別するために地名を少し変えたのではないか。

勿論地名由来はハンノキが生い茂る沢。

 

山四郎蒔目

山四郎なる者が耕作する巻目。

巻目、蒔目はアイヌ語のマク(山手・奥側・後ろ側)と、窪んだところの意味の「目」が合わさった言葉。

 

鉄砲平

鉄砲の訓練場があったか。同じ「音」で鉄砲という漢字に変わるのは考えづらいが、全国にはこんな田舎で…?と言うところに鉄砲畑やら地名があったりする。総じて更なる考察が必要である。

 

旧持越沢浦

持越沢

いまいち分からないが、持越は運ぶの意味であるので、何かを運ぶのにここの沢を通っていたのか?

 

上手代森

不明。

 

ハン木沢

旧二子石浦字ハンノ木沢を参照の事。

 

旧鮫浦

鮫 上鮫

鮫の地名は本来はここを示す。浮木寺があったり蕪島があったりと鮫町にとっては重要地点である。

鮫は沢からの転訛というのが通説となっているが、他の沢地名が鮫になっていないのはおかしい。沢→鮫になるのであればもっとあっても良いはずである。八戸市内に市川、湊、櫛引に鮫地名があるくらいだ、沢地名は50は優に超える。

鮫は「錆」の転訛若しくは「砂目」の転訛で砂鉄関連の地名ではないだろうか。三戸郡内の他の鮫地名をみても、川や海からそう遠くない。

 

大開

大館の妙にも同地名があり、新たに開拓した土地の意味。

 

下手代森

不明。

 

居合

入会地の転訛。

 

蟻子

不明。

 

上盲久保 下盲久保

「めくらくぼ」。盲は見えないの意味で、久保となっているため周りが暗く見えづらい場所である為。

 

上松苗場 下松苗場

そのまま松の苗が生えている場所であった。

 

綣久保

綣は「糸」を指す。糸のように細い久保、であろうか。

 

小舟渡平

「こふなどたい」と読む。長苗代に内舟渡の字名があり、こちらは「ないみなと」。

漢字が同じであるが由来は全く違う。鮫の舟渡は「ウナ・ト、オネ・ト」が転訛したもの。周辺より高台である意味。

鮫角灯台があったり茸毛崎があったり他地域より高いのは歴然である。

よって小(美称)、舟渡(高台)、平(平原)。高台の平原。

 

先祖ヶ久保

先祖の窪地?理解不能。墓場もないが、ここは大平牧場になってしまっているので、江戸期には墓場があったのかもしれない。

 

古馬屋 古馬屋尻

馬屋はそのまま野馬小屋が簡略された。昔、馬屋があった場所の意味。

今は西村牧場があるので、ある意味一旦無くなって、また牧場が来たことになる。

 

西子沢

大須賀海岸に流れ落ちる沢が多く存在するが、鮫部落中心から見ると東側に位置する。これは、沢の上流(西側)を指しているので問題は無い。「子」は「処」で、西に位置する沢。

 

旧白浜浦

日蔭沢

西子沢の南側に位置する沢は蛇行を繰り返し、東から日の出る朝ですら中まは暗かった為。

現在は茸毛崎から大須賀を通り白浜までの大きな小字となっている。

 

金屎

「かなくそ」と読む。鮫の項でも書いたが、砂鉄地名だとすると、製錬する時の屑が金屎と呼ぶので一致する。

三沢の金糞平も平安時代に鍛冶工が滞在した事からであり、六ヶ所から鮫までは砂鉄が取れるらしい。

 

姥懐

傾斜地に存在するためウバフ(奪)から、崩崖などの崩壊地形であると思われる。

奪う・処(ウバフ、トコロ)で姥懐。

 

妻ノ神

厄災が村に入ってくることを防ぐ道祖神(さいのかみ)を祭った賽之神神社が上側にある(住所は金屎)事から。

 

大岩

字大岩は西側に飛び抜けていて、金屎が入り組んでいる。そこは台地となっており、それを大きな岩に見立てた。

 

小清水久保

小さな清水(湧水)が小清水観音堂から出ている窪地。

 

中崎

栗沢から白浜に流れる小川が北から東へ湾曲する場所。中程の崎である為。

 

下栗沢 外栗沢 内栗沢

白浜から見ると外側にある沢が外栗沢、対比して内側が内栗沢。合流した後の小字が下栗沢。

栗(クリ)は崖を意味し、上流で渓谷になっていることから。

 

大草離

「オオゾウリ」と読む。履く草履とは漢字が違うが、同義として考えると沓掛と同じように、「この辺で草履を変えた方がいいよ」という意味か?

 

神子沢久保

神は「上」、若しくは「噛む」で土地が削れる崩壊地名。子は「処」。

白浜からみて台地側で上側の沢で窪地、若しくは土砂崩れが起こる沢で窪地。

 

亦窪

「またくぼ」と読む。神子沢久保と北側の支流の沢との合流地点で俣と同義。合流する窪地。

 

水上

神子沢久保や亦窪の北側の字名。ここも窪地で川の上流を表す。

 

浜道

道と通りは同義。ここは現在の県道1号線(浜街道)の旧道に面している。浜街道(浜道)の意味。

 

石株

白浜部落の中心地。石を取り除いて株(切り株)のように跡が残っていたのが由来か?

 

堀込

大祐神社(旧村社)があり、白浜の浜もこの範疇。海岸線が陸地を掘り込んだ形をしたためか。

 

小沢

「こざわ」の読み。白浜生活センター裏の池から流れる川を指す。

 

横道通

白浜から直接深久保漁港(浜街道沿いの深久保部落ではない)に出る道。浜街道から「横」に逸れた道の意味。

 

館越

中居林と田向の間に館越山があるが、「高館に引っ越した」の意味らしい。

こちらの館越は、岬の上に館(たいそうなものではなく豪族の屋敷レベルで考えて頂きたい)があり、深い窪地にある(深久保)部落を越えた先にある館、の意味であろう。この館は書物に載っていないので、それ相応のレベルの館であったのだろう。

 

二ツ石

不明だが、恐らく由来はそのまま。

 

旧深久保浦

番屋

牛子平

中道

須田

赤コウ

坂ノ上

舟渡ノ上

高森

 

旧種差浦

上須田 下須田

刈田沢

駒立 外駒立

大槻窪

大岩山

北ナシナ窪 南ナシナ窪

梨子木窪

立石

和山

膳ノ目平

堀込下 沢堀込

熊野林

葛ノ芽

棚久保

外ノ沢

館ノ下

種差

遙望石

 

旧法師浜浦

鬼場平

狐平

膳並平

高岩

海端

冷水平

槻ノ木

 

旧大久喜浦

石越

骨沢

上柏木森 下柏木森

シコシリ

安川目

子猪越

大作平

石仏沢

 

明治初期以降に新設

忍町

住吉町

日出町

二見町

日出町

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