実体的意識性とは
仙波(2009)は実体的意識性を以下のように説明している。
人や物の実体的な存在を,感覚器官を介して知覚することなしに,無媒介的に直観的に体験すること。音や空気の流れなどの知覚によらず,生々しい実体感を伴った人や物の気配を感じる。〔…中略…〕直接なにも知覚していないので幻覚ではなく,また直接に体験しているので妄想や錯覚とも異なる。
例えば、音も聞こえないのに「誰かが後ろにいる」と身近にありありと感じることである。
実体的意識性とIC
ICと実体的意識性については様々な意見がある。
澤(2009)は以下のように述べている。
ICが「いる」という感じは実体のない所に感じる実在感なのだが、生々しい表象が伴っているためJaspersの言うところの一次的無媒介的に体験される実体的意識性とは異なっている。
「Jaspersの言うところの一次的無媒介的に体験される実体的意識性」とは、「病的な意識性はまったく一次的に現れ、非常に印象的に強烈で、確実で、実物的な性質を帯びている」とJaspersが言ったことだと思われる。
また、大饗ら(2007)は以下のように考察している。
何よりもICは患者にとって『ありありとした他者』として体験される(実態的意識性を伴う)のであり、それは自らの意志によって左右されたり、任意に変更したりできるものではない。
大饗らはICの存在を感じることは実体的意識性(本文では”実態的”になっているが)だとしている。
澤ら(2002)はこのように述べている。
またI.C.は、分裂病などにおける実体的意識性とは異なり、ある程度、具体的なイメージ(あるいはプロフィール)に裏打ちされている。つまりそれは、その存在が心に描き出されるたびに、患者によって、一人の同じ人物として同定されるのであり、「これこれこういった感じの人物」という具合に、あらかじめある性格づけをもって捉えられている。
統合失調症(分裂病)では、感じられた他者に妄想的な意味付けがされる。また、解離性障害でも実体的意識性は見られ、本人をまなざすものとして捉えられ、それが誰であるかにはこだわらないとされる。
ICにおける実体的意識性は、病的ではものではなく、表象や具体的なイメージを伴う「ありありと感じられる他者」であると考えられる。
参考文献・引用文献
- 澤たか子 『イマジナリーコンパニオン』 精神科治療学 24(8), 1013-1015, 2009.
- 仙波純一 『実体的意識性』 精神科治療学 24(8), 1011-1012, 2009.
- 大饗広之・浅野久木 『解離と Imaginary Companion 成人例について』 精神科治療学 22(3), 275-280, 2007.
- 澤たか子・大餐広之・阿比留烈 ・古橋忠晃 『青年期にみられる Imaginary Companion について』 精神神経学雜誌, 104(3), 210-220, 2002.