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ウルサスの子供たち_夢の中で
悪夢から目覚めることができないズィマー。 彼女はいつもそんな悪夢を見る。と言うよりも、彼女はずっとそんな悪夢を見続けているのだ。
早朝、いつもと同じように自分の部屋を出た。
[母親] ソニア、顔洗って歯は磨いた?
[ソニア] 母さん、アタシはもう子供じゃないんだから。
キッチンから聞こえた母さんの声に答え、アタシは椅子に座った。あとは熱々の朝食がテーブルに並べられるのを待つだけだ。
朝食はいつもお粥一杯にパンとハムだった。母さんがダイエットを始めたとかで、お粥は贅肉がつきにくいと噂の押し麦粥だった。
と言ってもアタシはお粥の種類なんて、何でも良かったんだけど。
父さんはいつも通り新聞を読んでた。一面には相変わらずつまらない言葉が並んでいる。経済、政治、国、そんなものは大嫌いだ。
どうして新聞には、アタシの偉大な功績は載らないんだ?
[父親] ソニア、最近学校はどうだ?
またこれだ。
父さんは朝食と夕食の時だけ、こうやって形ばかりの関心を装う。毎日同じことを訊いて嫌にならないのか? それとも本当はどうでも良いのか?
[ソニア] ……普通。
[父親] お前ももう七年生なんだ。これまでのように暴れまわるのはやめなさい。
なんでだよ? 「まだ」七年生だろ。
[父親] それと、九年生を修了した後どうするかはもう決めたのか?
[ソニア] ……まだ。
九年生を修了したら、勉強を続けるか、技術学校に行って手に職をつけるか決めないといけない。
父さんは技術学校に行ってほしいと思っているはずだ。今からきっとアタシにそれを言うだろうな。
[父親] それならお前は……
[母親] 娘に向かって偉ぶるのはやめなさいよ。それよりあなたの仕事は?
朝食を持ってきた母さんが、父さんの話を遮った。
[父親] ……今日は面接が一つある。
職を失くしてから、父さんは母さんに頭が上がらないようだった。といっても、働いていた時も似たようなもんだったが。
[母親] ピョートル、いい加減ちっぽけなプライドは捨てたらどう? 尊厳でお腹は膨れないわ。
[父親] わかっている、やっているところだ。アンナ。
母さんは、本当は父さんよりも、私の学業のことを気にしてる。アタシが卒業した後も勉強が続けられるように、貯金も始めたみたいだった。
母さんの時代は、九年生までタダで勉強できるなんてあり得なかったらしい。いつもそんなことを言っていた。
そしてその話になると、決まって自分の幸運な経験を語るんだ。貴族のメイドになったって話を。
母さんは女学校を卒業したことで、景気が良いとは言えない社会状況でも、悪くない仕事が見つけられたそうだ。
アタシも母さんが言うような「良い子」になれればなんて考えることもあるが、残念ながらそれは叶えてやれそうにない。
[母親] 本当にわかってればいいんだけどね。さあ、ソニアは早く食べてしまいなさい。学校のバスに間に合わなくなるわ。
[ソニア] わかってるよ、母さん。
朝食を食べようと視線を下ろすと、不自然なものが目に飛び込んできた。茶碗の底に申し訳程度によそられたお粥に、半分にちぎられたパン、グロテスクな見た目のハム。
[ソニア] ……母さん、これは何だよ?
[母親] 何を言ってるの、ソニア。私たちが毎日食べているものでしょう?
[ソニア] こんなもの毎日食ってるわけないだろ!?
[ソニア?] 忘れたのか?
突然、アタシとそっくりな奴がテーブルの横に現れた。
[ソニア] 誰だオマエ、なんでアタシと同じ姿をしてるんだ?
[ソニア?] アタシはオマエだ。
こいつがアタシ? 笑えるな、だとしたらアタシは誰なんだ?
[ソニア?] オマエはソニアだ。
訳わかんねぇ。
でも変だ。ここにアタシが二人いるってのに、父さんも母さんも平然としてる。
[父親] ソニア、何をぼーっとしているんだ。さっさと食べなさい。
ああ、そうか。これは夢だ、そうすれば説明がつく。アタシはもっと恐ろしいものが出てくる夢だって見たことがある。今回はただ気持ち悪い食べ物が出てきたってだけだ。たいしたことじゃない。
[ソニア?] その恐ろしいものっては、漫画やゲームに影響された妄想のことだろう?
[ソニア?] これまでのオマエは、強大無比な力を持ったものが世界で一番恐ろしいものだと考えていたからな。
[ソニア?] 鋼鉄の奔流、巨大な怪獣、父親の平手打ち、なんて簡単でわかりやすい。
こいつは何を言ってんだ? なんで知ってる?
[ソニア] だったらどうなんだ? オマエもアタシの夢の一部なんだろ、じゃなきゃアタシの考えてることがわかるわけねぇ。
[ソニア?] 目の前のものをよく見てみろ。
[ソニア] 何を言って……!?
これはお粥じゃない。水に米と雑草を入れただけのものだ。母さんのお粥には遠く及ばない!
パンは……確かにパンだが、気持ち悪い臭いがしてる。不衛生な環境で何日も放置されてたんだ。
……どうしてアタシは、何日も放置されてたって知っているんだ?
ハムなんてまるで、巨大な肉の塊から無理やり剥ぎ取ったみたいに気持ち悪い形をしてる。しかも……食べ物とは思えないほどに生臭い。待て、ここについているのは……血!?
[ソニア] ……オエッ。
[ソニア] これはただの悪夢だ!
[ソニア?] だがこんな、細部にまで真実味がある夢は初めてだろう? まるで……
もうひとりのアタシはアタシを嘲笑ってるようだった。ふと、学校の先生が、嘲笑とは相手を傷つけることで快楽を得る行為だと言っていたことを思い出した。
だがあいつは少しも楽しそうじゃない。
何はどうあれ、これ以上あいつに喋らせるとマズイ予感がする。
食べ物が多少ひどいからって、この生活は悪いと言えるのか?
あいつを黙らせないと。そろそろ学校に行かないといけないんだ。
[ソニア] それ以上喋るな!
人を黙らせる方法なんて、わかりきったことだ。そうだ、拳を使うんだ!
[ソニア?] まるで本当に食べたことがあるみたいに。
アタシはあいつに向けて、拳を突き出した。だが一歩遅かった。
アタシの拳は、あいつじゃなく、前にいた奴の顔にめり込んだ。
骨と相手の顔がぶつかる感触に、なぜか安心感を覚える。
[学生A] ぐあっ!!
[学生B] つ、強すぎる。十何人いればどうにかなると思ってたけど、全滅するなんて……
[ソニア] *ウルサススラング*、腰抜けのくせして弱い者イジメか。もっと強くなって出直してこい。
[学生C] チッ、行くぞ。冬将軍、待ってやがれ、これで終わりじゃねぇぞ!
本当のところ、冬将軍ってあだ名は割と気に入ってる。
カッコいいから。
それにしても、あいつらはいつもアタシが昼寝してる時に限って、近くで騒ぎを起こすんだ。アタシが午後の授業はほとんど出ずに、ここで寝てるって知らないのか?
[イジメを受けた学生] あの、ありがとう、冬将軍。
[ソニア] ああ? まだいたのか。逃げろって言っただろ?
[イジメを受けた学生] でも今回はちゃんとお礼を言わなきゃと思って。
今回は?
[イジメを受けた学生] あの、私のこと覚えてないかな? 私はヴァレリア、前にも助けられたことがあるの。
ああ、言われてみれば、彼女が頭に付けてる黄色のリボンには見覚えがある。
先週? それとも先月だったか? とにかく彼女を助けたことがあるはずだ。多分。
[イジメを受けた学生] それに私の友達も助けてもらったことがあって、みんなあなたを尊敬してるの。
彼女の嬉しそうな顔を見て、アタシも少し嬉しくなった。だが、ここはクールに振る舞っておこう。
[ソニア] アタシはただ、あいつらが人数と腕っぷしの暴力で誰かをイジメるのが見過ごせねぇだけだ。
[ソニア] オマエも勇気を出して反抗してみろ。もしできれば、ビビって逃げるのはあいつらさ。
[イジメを受けた学生] うん……その通りね、やってみるわ。
[ソニア] よし、じゃあな。
[イジメを受けた学生] ええ、改めてありがとう!
彼女はそう言って走り去った。
[ソニア] ああ?
教室の机も黒板も薄汚れてしまったように見える。アタシの錯覚だろうか? それともこの教室は元々そうだったか?
まぁいい、気にすることじゃない。アタシは昼寝をするんだ。
アタシは椅子を四つ並べて横になった。
[ソニア] なんだこれ?
小さな何かが背中の下敷きになっている。
手を伸ばしてそれを取ってみると、黄色のリボンだった。
このリボンは見たばかりの気がする。でも記憶よりもひどく汚れていて、片方は千切れている。
[ソニア] なんだ!?
リボンの裏側には、黒々とした染みがついていた。それはまるで……
血……のように見えた。
[ソニア] ……きっとケチャップか何かだろ。
アタシはリボンを放り投げ、引き続き昼寝することに決めた。
眠りに落ちる間際、自分の声を聞いたような気がした。
[ソニア?] ――オマエはある教室でそのリボンを見つけた。
[ソニア?] オマエは知っていたんだろ、その持ち主はもう死んだって。
教室のドアが突然開かれ、アタシの眠りは妨げられた。
本を手にした眼鏡の少女が立っていた。制服を見るに、この学校の生徒ではないようだ。
[???] あの、この教室に他に人は来ますか?
[ソニア] ここはアタシの場所だ、誰だってお断りだ。
[???] すみません、ですが私と友人たちで落ち着ける場所を探していて……
[???] あっ、あなたは……ソニアですか?
[ソニア] オマエは……アンナか?
アンナは昔の隣人だ。とは言えあいつが引っ越してから、もう何年も会ってないが……
[ソニア] 他の教室を探せ。
実のところ、礼儀正しいあいつとアタシの関係は悪くなかった。だから本当は、そこまで拒絶したかったわけじゃない。
だが最初の火災が起きた後、学生たちの間に漂う雰囲気はこれまでよりもずっと危険なものになっていた。今日一日だけでも、もう三組も返り討ちにした程だ。
[アンナ] ソニア、迷惑をかけるかもしれないことはわかっていますが……
[ドアの外の声] アンナ、一人だけなら無理やり追い出せばいいじゃない。
ハハッ、その通りさ、それで良い。またケンカだな。
[アンナ] そんなことをすれば私たちもあの略奪者たちと同じになりますよ。絶対にダメです。
……アンナは昔と同じで、争いは好まなかった。
[???] そうだよ、えーっと、ラーダの料理の腕前に免じてお願い! ラーダがお礼に美味しいものを作って食べさせてあげるから!
その提案には心が動いたと言わざるを得ない。なにせここ数日は乾パンと缶詰しか食べてなくて、飽き飽きしてたところだ。
[ソニア] わかった、じゃあここに入れてやる。でも気をつけたほうがいい、このソニアに目をつけられないようにな。
[ドアの外の声] 待って、ソニアって……まさかあの「冬将軍」!?
[ドアの外の声] あの人の評判は私たちの学校にまで届いてるわ。公立学校に彼女の相手になる人はいないって。
[ドアの外の声] ウソ、じゃあ私たちもヤバイんじゃ……
畏れ敬われるのは嫌いじゃない。だがそれ以上に好きなのは、アンナみたいな真面目で大人しい奴が、アタシのヤバさを知って顔色を変える瞬間だ。
[アンナ] ありがとうございます、ソニア。邪魔にならないようにします。
……チッ、驚いてないみたいだ。つまらないな。
アタシの許可を得た後、アンナと後ろの奴らが、続々と教室に入ってきた。
前のほうには男も女もいた。服が少し破れていて、髪の毛も乱れていた。ひと目でちゃんと休めてないことがわかった。
そして後ろの何人かは……
なんだ!?
歩く制服!?
そして一番最後に、アタシと全く同じ姿の奴が入ってきた。
[ソニア?] 歩く制服か、本当に自己防衛の象徴みたいなイメージだな。
[ソニア] なんだと!? いや、オマエは一体なんなんだ!
[ソニア?] アタシはオマエだ、オマエは夢を見てんだよ。馬鹿野郎。
[ソニア] あ……ああ、そうか。
確かにこんなおかしな現象、夢に決まってる……。いや、それならどうしてアタシが自分にバカにされなきゃいけないんだ!?
[ソニア?] 確かに、頭のない歩く死体よりは、こっちの光景のほうが気持ちは楽だよなぁ。
[ソニア] 何を言ってんだ、頭のない死体ってなんだよ?
[ソニア?] だってあの後、オマエはあいつら全員を殺したじゃねぇか
殺した? なんでアタシがあいつらを殺さなきゃいけないんだ?
[ソニア?] あいつらがオマエを襲ったからさ、そうだろ、アンナ?
[アンナ] どうしようもないことなんです。先に手を出したのは彼女たちですから。
[ソニア?] ああ。アタシに言わせりゃ、理由さえあれば、暴力は受け入れ難いもんじゃねぇからな。
[アンナ] 本当にそう思っているんですか?
[ソニア?] 自分が正しいことをしてるって信じてるからな。
目の前の光景は夢とはいえ不自然だった。もう一人の自分が名前しか知らないような奴と急に親しげに話し始めた。普通に考えれば、あいつらはみんなアタシの夢の中の人物に過ぎないが。
そういえば、自分が夢の中にいることに気付いたからには、そろそろ目覚めるべきじゃないのか?
その疑問が生まれた瞬間に、もう一人のアタシを除くその場にいた全員と、歩く制服たちがこちらに身体を向けた。
彼女たちの顔は笑っているようで笑っていなかった。
彼女たちはアタシを取り囲んだ。
[全員] あなたは私たちのリーダー。あなたはここに残って、私たちを導くべきだわ。
アタシはもう一人の自分を探した。
しかし奴はもうどこにもいなかった。
[ソニア] うっ……
アタシはさっと起き上がった。
周りを見渡すと、やはり教室だった。もう夜も深い。他の奴らは教室の奥で眠り、アタシはドアの近くで眠っていた。
もう片方のドアは机で封鎖し、窓も全て塞いである。これでアタシの隣のドア以外からは、もう誰も入ってこられない。
アタシは今彼女たちのリーダーだ、彼女たちを守らなければ。
[アンナ] ソニア、眠れないんですか?
近くでアンナの声が聞こえた。
アンナとその仲間たちが加入してからもう三日経った。面白くねぇことも起きたが、アンナは結局アタシ側に立つことを選んだ。
[ソニア] ああ、悪夢を見ちまった。
[アンナ] ……あのことを気に病む必要はありませんよ。間違ったことはしていません。
悪夢の内容はもうあまり覚えてないが、アンナはきっとあいつらを夢に見たと思っているんだろう。
アンナは今回の件で辛い思いをしている。アタシを新たなリーダーに選んだことで、信じていた同級生たちがアタシを襲うことになるなんて、思ってもみなかったんだろう。
もちろん、そんな奴らはアタシが全員片付けたが。
崩壊はほんの小さなことから始まる。だからアタシは、グループに属することを避けてきたんだ。面倒な人間関係を築くより、拳で道理を語る方が性に合ってる。
[ソニア] 心配するな。
アンナはのそのそと立ち上がり、アタシの側に来た。
アタシを励まそうとしているのがわかった。だがアンナの方にこそそんな励ましが必要であることは明白だ。話題を変えよう。
[ソニア] アンナ、前は学級委員をやってたのか?
[アンナ] いいえ。
[ソニア] じゃあどうしてあんなたくさん連れてたんだ?
[アンナ] 皆さんを引率する立場には慣れませんでしたが、ラーダがずっと激励してくれていたので。それに私も……何かできることをやらなければと思って。
[ソニア] ハハ、何かできること、か。
[アンナ] 笑わないでください。
[アンナ] ……これまで私は、クラス内でのイジメを目にした時、間違っていると知りながらも、見て見ぬふりをしていました。
[ソニア] そんな奴らは殴り飛ばしてやればいいじゃねえか、オマエはすげぇんだから。
そう、静かで大人しそうな見た目でいて、アンナの腕っぷしはなかなか強い。ただそれを使おうとはしないだけだ。
[アンナ] 私にあなたのような勇気があれば良かったのですが。私はなかなか他人を批判できなくて……
アンナはアタシと話したことで、さらに落ち込んだみたいだった。人を励ますのは本当に苦手だ、どんな話をすればアンナを元気づけてやれる?
[ソニア] ……すくっ、少なくとも今オマエは立ち上がったじゃねぇか。
ちょっと噛んだか!?
[アンナ] ……それは、間違っていると思ったからです。少なくとも最初はそう思っていました。
[ソニア] 何が間違ってたんだ?
[アンナ] 今のこの状況です。
[アンナ] 私たちがこの学校に閉じ込められてもう八日になりますが、全てが少しずつ悪い方に変わってきています。
[ソニア] それは最初の火事が原因だろ、もしあの火事がなけりゃ……
火事で食料庫が一つ燃えてから、第四高校の貴族学生たちがグループを作り、もう一つの食料庫を占領し、それから略奪を始めた。
平民の学生たちの間でも、食べ物の奪い合いは頻繁に起きてる。
学校はもうそこら中、ケンカと落書きの跡だらけだ。毎日夜になっても、どこかから泣き声や叫び声、怒号が響いてくる。
[アンナ] 私もそう思います。ですが、あの火事は遅かれ早かれ起きていたものだとは思いませんか?
[ソニア] どうしてだ? たとえどんな状況でも、絶対に誰かが放火してたってことか?
[アンナ] 違います。ふむ、どう説明したらよいか……考えさせてください。
[アンナ] ……ええ、こう言うべきでした。あの火事がもたらしたものは、遅かれ早かれ現れていたものだと思います。
[ソニア] 余計にわからなくなったぞ。
[アンナ] もしあの火事がなかったとしても、結局なんらかの問題が起きて、今と同じようなパニックになっていたのではないか……私はそう思います。
[ソニア] それはおかしいだろ。火は絶対に悪人が放ったんだ、悪人さえいなければ……
[アンナ] 悪人はどこにだっています。
[ソニア] ……
その言い分は間違っていると思ったが、なんて反論すれば良いかわからなかった。
[アンナ] 前に本で読んだことがあるんです、人の天性は邪悪なものだと。
[アンナ] 読んだ当初は変だと思いました。私たちは文明社会を築き、秩序と道徳を守って生活しているのに、どうして邪悪なのかと。
[アンナ] そう思っていたからこそ勇気を出して立ち上がり、グループを作って秩序を保とうとしたんです。
[アンナ] ですが全てはどんどん悪い方向に進みました。そして私は何もできませんでした。
[アンナ] 秩序を組み上げることも、人を助けることも……もしあなたがいなければ、私はもう同級生たちに殺されていたかもしれません……
[アンナ] 私は役立たずです。
アンナの声に、泣き声が混じってきた。
ああああ、余計に話がこんがらがってきた!
社会も、道徳も、秩序も、アタシにはよくわからない。だが少なくともアンナが出した結論はわかる。やっぱり思ったことはそのまま聞いてみよう。
[ソニア] つまり、今のオマエは誰でもそのうち悪いことをするって思ってるのか? それはアタシも同じってことか?
[アンナ] ……そういう意味ではありません。
アンナの語気には驚きが含まれていた。きっとアタシの質問にどう答えれば良いかわからなかったんだろう。
アタシはケンカならよくするけど、弱い者イジメをしたことは一度もない!
[ソニア] ったく、もうくよくよするな。アタシが手伝ってやる。
[アンナ] ……あなたが?
[ソニア] アタシはオマエたちのリーダーだからな。オマエが良いことをしようとしてるんなら、当然手を貸すさ。
[アンナ] ……ありがとう、ソニア。
[ソニア] そうだ、リーダーが変わったんだから、新しいグループ名を付けないとな。何か良い案はあるか?
[アンナ] ……「ウルサス学生自治団」にしましょう。
……ああ、優等生のセンスになんて期待するんじゃなかった。
だが、たまには地味な名前も悪くないか。
[ソニア] わかった。じゃあ今からアタシたちのグループは「ウルサス学生自治団」だ。アタシがリーダーで、オマエが参謀だな。
[アンナ] ……はい。
[ソニア?] アンナの語気から安堵を感じ、当時のオマエは嬉しくなった。
[ソニア?] なぜなら、確かに何かを守ったんだと、人に信頼されたんだと、本物のリーダーになったんだと思えたからだ。まるで小説の中で語られる英雄のようにな。
オマエは誰だ?
[ソニア?] アタシはオマエだ、目が腐ってんのか?
こいつは確かにアタシとそっくりそのままだ、それは認める……でもそれならどうして、自分自身であるアタシを責めるんだ?
それにこいつの言うことときたら……。内容は確かにアタシが思ってることと同じだが、言い方が胸糞悪い。
[ソニア?] アタシもこんな言い方はしたくねぇよ。でもこの夜を思い出すといつも、自分に嘲笑われているような気がしてならねぇんだ。
[ソニア?] アタシが間違えたのか、それともオマエが間違えたのか?
[ソニア?] アタシにはわからねぇ、オマエに聞く勇気だってねぇ。
[アンナ] ……
[ソニア?] オマエが自分は間違ってたって認めるのも、オマエにアタシが間違えたって言われるのも怖ぇんだ。
[アンナ] ......
ふいに、足元が深淵に変わっていることに気付いた。
そしてアタシは、落ちていった。
落ちながら、途切れ途切れの声が聞こえたような気がした。
[???] アンナ、しっかり考えて。ソニアに頼るだけじゃ私たち全員は守れない。
[???] だから彼女たちの仲間になるしかないの。
[アンナ] ソニアは貴族を嫌っています、ヴィカ。
[???] だからって、ソニアに私たち全員の安全を賭けるの?
[アンナ] ですが……
暗闇に飲み込まれたと思ったアタシは、気付くと建物の中にいた。
二階の窓から飛び降り、難なく地面に着地する。
正門には奴らがいる。だからこのルートで行くしかない。
アタシには一つ、やり遂げなければいけないことがある。それはアタシにとって、とても重要なことだ。
アンナの気持ちはわかる。ヴィカの提案も筋が通ってる。アタシもあの貴族のろくでなし全員を、一人で相手にできると思うほど自惚れてはいない。
だがそれは真正面から戦ったらの話だ。
深夜の今なら、奴らはきっと眠っているはず。全員片付けてやる。
いや、全員ってのは言い過ぎた。奴らのボスを捕まえればいい。ボスを片付ければ……
[学生A] お願いっ、許して!
[学生B] 助けて!!
[学生C] 隠してる食べ物を出しなさい!
[学生A] 私たちは……もう食べ物なんて持ってない!
[学生B] 助けて、誰か助けて!
……あいつらを助けるつもりはない。
アタシにもまだやることが残ってるからってだけじゃなく、本当のところ、もうどうでもよくなってたんだ。
似たようなことはここ数日の間に、そこら中で起きてる。
何人かを助けたせいで、今あの教室にかくまってる学生は、アンナが連れてきた人数よりも増えていた。
だからアンナも、ヴィカの提案を考慮せざるを得なくなったんだ。
でもアタシは知ってる。アンナはアタシが貴族を嫌ってるってのを理由にしてるが、本当はあいつが一番貴族を嫌ってるってことを。
一つ目の食料庫が焼けた後、残ったもう一つの食料庫は貴族のろくでなしに占領された。他の学生たちはどうしようもなくなり、互いに奪い合いをし始めた。それはあいつが一番見たくない状況だ。
[ソニア] アンナも本当は、貴族たちの仲間になんかなりたくねぇんだ。
あいつが悩むことは止められない。だからアタシは思い切って、その悩みを根本から消してやることにした。
アタシは、助けを求める泣き声を背中に聞きながら、進み続けた。
[ソニア] あれは? あの木は昨日まで倒れてなかったはずだ、誰が木を切り倒すなんてつまらねぇことを、なっ……!?
突然、何かに脚をとられてつまづきそうになった。
足元を見ると、倒れた看板がそこにあった。書かれていた文字はよくわからない落書きで塗りつぶされていた。
[ソニア] チッ。
アタシたちがここに閉じ込められて十日も経ってない。だが学校の景色は、争いはじめて何年も経っているかのように荒廃していた。
デコボコに崩れた壁に、わけのわからない落書き、ゴミ、血痕……
こういう光景にはもううんざりだ。この日々はいつになったら終わるんだろうか。
アタシは頭を振り、前に進んだ。目の前に見えた倉庫が、貴族のろくでなしたちの基地であり、最後の食料庫だ。
そしてアタシはそこに、アタシが立っていることに気付いた。
[ソニア] オマエは誰だ?
[ソニア?] アタシはオマエだ。
どうしてかはわからないが、アタシは少しも驚かなかった。
[ソニア?] これから、オマエはこの倉庫に乗り込む。
[ソニア?] あいつらのボスを見つけ出そうとするが、潜伏行動が苦手なオマエはあいつらと騒ぎになって、最終的に、貴族学生たちに囲まれる。
[ソニア?] オマエは奴らの包囲を突破しようとする。ソニア、オマエは強い。
[ソニア?] だが――
[ソニア?] そそっかしいオマエは、燭台を倒してしまい、それで……
[ソニア?] ドカーン――
もう一人のアタシは突然消え、アタシの視界は火の海に包まれた。
[ソニア] アタシが二度目の大火事を起こしたんだ。
[ソニア] その大火事は、貴族のろくでなしたちの拠点を破壊したが、同時に学校で最後に残った食料庫を燃やしてしまった。
[ソニア] もう何もかも取り返しはつかない。アンナの言葉を借りて言えば、この火事によって、学生間の無差別の略奪や争いにおける、全ての障害が焼き払われてしまったんだ。
[学生A] 第四高校の貴族たちは全員消えた! 今がチャンスだ! 奪うぞ!
[学生B] あっちに貴族たちがいたぞ! 今のうちに全員殺してしまおう!
[学生C] どきなさい、私はもう三日も何も食べてないの! 邪魔するならアンタも殺すわ!
[学生B] んだとコラ!?
[学生C] 殺してやるって言ってんの!
[ソニア] 学校全体は火災が起きる前よりひどい混乱に包まれ、安全な場所はもうどこにもなくなった。
[ソニア] 一部の自治団員が行方不明になり、ヴィカも帰ってこなかった。
[学生A] 死ねっ!
[学生B] これは私のだ!
[学生C] がはっ、ああ、助け……
[ソニア] 何日目かなんてもう覚えちゃいないが、ある日突然レユニオンは姿を消した。
[ソニア] でも元々、レユニオンはアタシたちをここに閉じ込める以外、何もしていない。学生たちは奴らがいなくなったことに気付かず、混乱に身を投じ続けていた。
[ソニア] ――まるでその混乱を、楽しんでいるかのように。
[ロザリン] おい、学校を封鎖してたレユニオンがいなくなったみたいだ。
[アンナ] はい……
[ロザリン] もう逃げられるんだって。アンナ、何をシケた顔してんだよ。
[ナターリア] 今となっては、レユニオンのいるいないは関係ないわ。
[ナターリア] 最初の火災が起きてから、彼らの存在は、私たちにとって何の意味もなくなってしまったの。
[ソニア] 次の日、アタシたちが混乱を避けながら避難しようなんて考えに至る前に、天災がやってきた。
[ソニア] 天災は、全ての人を震え上がらせた。
[ソニア] その時になって初めて、みんな気付いたんだ。もうここを離れてもいいんだって。
[ソニア] そして、学校の外が中よりもひどいことになってるってことにも。
[ナターリア] まさか、あれは……
[アンナ] 一体何が起きたんでしょう……
[ラーダ] うわあああああ、怖い! 怖いよ!
[ロザリン] アンナ、今すぐに逃げないと!
[アンナ] ですが私たちは……一体どこへ逃げれば?
[ソニア] それからアタシたちは、源石が広がってない街へ向かい、難民やレユニオンを避けながら逃げ回った。
[ソニア] そして最後に、ロドスの小隊に救助され、ロドスに来ることになったんだ。
[前衛オペレーター] 誰だ!?
[ソニア] ……
[前衛オペレーター] 学生か!?
[前衛オペレーター] 武器も持っている!
[ソニア] ……死ね。
[前衛オペレーター] 待て、我々は難民の救援に来たんだ!
[ソニア] ……何だと?
[前衛オペレーター] 私たちはロドスという組織だ。君たちを助けに来た。君たちはもう安全だ。
[ソニア] アタシは生き延びた。アタシたちは生き延びたんだ。
[ソニア] そして、気付いた。アタシはアンナの悩みを消してやれなかっただけじゃなく、あいつの願いもふいにしてしまったってことに。
[アンナ] ソニア、もし火災が起きなければ、学生たちは今のようにはなっていなかったと思います。
[ソニア] ア、アタシはわざとやったわけじゃねぇ!
[アンナ] ええ、わかっています。あなたを責めはしません。ですが先に相談してもらえていれば……
[ソニア] アタシはただオマエを心から安心させてやりたくて……
[イースチナ] ズィマー、私は今でもあなたを信じています。
[ズィマー] だがアタシは、もうオマエとどう話せばいいかわからねぇ。
[ソニア?] オマエは罪人だ。
[ソニア] アタシは違う。
[グム] ズィマーお姉ちゃん、死んだほうがいいよ。
[ソニア] アタシの罪はそこまでじゃない。
[ロサ] 私を逃したのは罪悪感からね。
[ソニア] オマエを殺したくなかった。
[ロザリン] そんなマジになるなよ。ちょっとトチっただけじゃねーか。
[ソニア] それでも忘れられないんだ!
[アンナ] あなたを恨みます。
[ソニア] アタシは……
[ソニア] うわあああああ!!!!
[ズィマー] ……あああああああああ!
[ズィマー] オエッ……
[ズィマー] ゲエッ……!
[ズィマー] またこんな夢か。
[ズィマー] アンナ、アタシは……
[ズィマー] アタシは……
栗色の髪をした少女が、洗面台の窓から外を眺める。今夜の月は綺麗に輝いていた。
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