シンボリクリスエス(競走馬)

ページ名:シンボリクリスエス_競走馬_

登録日:2023/04/17 Mon 06:59:34
更新日:2024/07/05 Fri 12:38:25NEW!
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漆黒の帝王

JRAヒーロー列伝 No.55より


シンボリクリスエスSymboli Kris Sとは日本の元競走馬。


メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
シンボリクリスエス(ウマ娘 プリティーダービー)


目次


【データ】

生誕:1999年01月21日
死没:2020年12月08日
享年:21歳
父:Kris S
母:Tee Kay
母父:Gold Meridian*1
生国:アメリカ
生産者:Takahiro Wada
馬主:シンボリ牧場
調教師:藤沢和雄(美浦)
主戦騎手:岡部幸雄/オリビエ・ペリエ
生涯戦績:15戦8勝[8-2-4-1]
獲得賞金:9億8472万4000円


主な勝鞍:02'-03'天皇賞(秋)(G1)、02'-03'有馬記念(G1)、02'青葉賞(G2)、02'神戸新聞杯(G2)
受賞歴:JRA賞年度代表馬(2002-2003年)、最優秀3歳牡馬(2002年)、最優秀4歳以上牡馬(2003年)


【誕生】

1999年1月21日生まれ、黒鹿毛の牡馬。
母ティーケイをシンボリ牧場が購入し、アメリカの牧場に預託。生産者は預託した牧場ではなくティーケイの所有者、和田孝弘氏のアメリカでの名義"Takahiro Wada"になっているため、日本人の生産者ではあるが外国産馬の括りに入れられる。


この年、シンボリ牧場は3頭の幼駒を所有していたが、その2番仔はそれほど期待されていなかった。日本の調教師から管理の申し出があったもののそれを断り、40万ドル以上での売却を目指したが37.5万ドル止まりだっため主取り*2となった。
その3頭のうち最も期待されていた1番仔が日本に渡る予定だったが、日本に輸送する前に死んでしまう。
その代わりとして2番仔が代役として日本に渡ることになり、育成をアメリカで施されたのち、1番仔の入厩予定だった藤沢和雄厩舎に入ることになる。
売れ残った挙げ句に代役と言うと聞こえは悪いが、当時のレートで言っても4000万円以上の値はついていたわけで落ちこぼれの安馬というわけでもないという微妙な境遇である。
父にそっくりだったため、与えられた名は冠名「シンボリ」に父の名「クリスエス」をそのままつけた「シンボリクリスエス」。


が、ここで問題が発覚する。
おっそろしく身体が弱かったのである。
主戦騎手の1人たる岡部幸雄によれば「体が大きいだけで実は中身が弱くて強い追い切りができない馬だった、ちょっと強くやったら、次の日は反動で動けなくなってしまうほどだった」らしく、デビュー前の調教は遅々として進まなかったという。
調教の長期化によるデメリットを考慮した結果、十分に仕上げないままデビューが決定した。


【現役時代】

2001年10月13日の東京競馬場、芝1600mの新馬戦に出走し、クビ差制して初勝利を挙げる。その後休養に入り、翌年1月に復帰し3戦走るものの、全て後方からの差しが届かず3連敗。4月、500万円以下の山吹賞で先行策を取り2勝目を挙げる頃になると、成長とともに体質の弱さは改善していった。


4月27日、日本ダービーのトライアルレース、青葉賞に出走。ここまで岡部幸雄と横山典弘が務めていた鞍上だったが、両者とも同レースに出走する別の馬への騎乗依頼があったため騎乗できず、代役となったのが本番たるダービーで騎乗馬が既に決まっていたいつもの武豊。
1番人気に推され、残り200m地点から抜け出し後続に2馬身半つけて1着入線。重賞初制覇を飾った。
レース後、武は「この馬、秋になったら走るよ(意訳)」と藤沢調教師に伝えたという。*3


そして本命たる日本ダービーに出走を表明。鞍上は岡部幸雄に戻り、青葉賞制覇に導いた武は皐月賞とNHKマイル3着のタニノギムレットに騎乗。オッズはタニノギムレット、皐月賞馬ノーリーズンに次ぐ3番人気。
中団に位置取りし、最終直線では馬場の中央から前を全て差し切り先頭に立ったが、その後ろからさらにタニノギムレットが追い込んできており、1馬身つけられての2着入線。
余談だが、シンボリクリスエス→エピファネイア→エフフォーリアと、親子3代ダービー2着惜敗の珍記録…因縁の始まりでもあったりする。
また、青葉賞を制した馬がダービーを制覇した例はこれまで一度もない。


タニノギムレットへのリベンジに燃える藤沢師は休み明けでの関西殴り込みプランを練り、神戸新聞杯への出走を決定。夏の放牧先から仕上げのピッチを上げて万全の体勢で臨んだ。
しかし当の相手は過酷な松国ローテの反動か屈腱炎を発症し引退。目標不在の秋緒戦となってしまった。
レースでは最終コーナーで進路を失うも、直線で前が空いた途端に全て差し切り、後続に2馬身半つけて1着、重賞2勝目を飾る。
この時、シンボリクリスエスには2つの選択肢があった。
1つはクラシック三冠最後の戦い、3000mの菊花賞。もう1つは、秋の古馬王道G1の1つにして古馬との闘いになる2000mの天皇賞(秋)。
選ばれたのは天皇賞(秋)。神戸新聞杯の直後に藤沢調教師から提案し、オーナー側も即了承している。
この年は東京競馬場の改修工事に伴い、1967年以来の中山競馬場での代替開催となっていた。
出走18頭のうち、クリスエス以外は全員古馬。それも、1999年菊花賞馬ナリタトップロードや2001年の二冠牝馬テイエムオーシャン、2000年の二冠馬エアシャカールなど錚々たる顔ぶれであった。


スタートして中団の一番内側につけるが、第3コーナーから後方勢の追い上げが始まったため最終コーナーでも馬群の中にいたが、先団が抜け出した時のわずかな隙をついて末脚を発揮。この時後ろからナリタトップロードも追い上げていたが、3/4馬身差抑えて1着入線。
グレード制が導入されて以来、1996年バブルガムフェローに次ぐ2例目となる3歳馬の天皇賞(秋)制覇となった。
さらに走破タイム1:58.5はコースレコードタイであり、鞍上の岡部幸雄にとっては1990年ヤエノムテキ以来2回目の天皇賞(秋)制覇にして53歳11か月の史上最年長G1勝利記録を樹立*4する、記録づくめのレースであった。


次走はジャパンカップ。やはり今回も中山競馬場での開催となり、鞍上はオリビエ・ペリエに乗り替わりとなる。
ナリタトップロードやジャングルポケットらも出走するなか、1番人気に支持されるもゲートの中で暴れたことで出遅れ、最終コーナーから追い上げるも届かず3着。


本来であればジャパンカップで年内を終える予定だったが、オーナー側の意向により有馬記念にも出走することになる。鞍上は前走と同じペリエ。人気投票では約8万3600票を集めての2位で、1位はナリタトップロード*5であった。
1番人気はここまで6戦6勝、圧倒的な強さで秋華賞とエリザベス女王杯を制したファインモーション。シンボリクリスエスは2番人気となり、そこからジャングルポケット、ナリタトップロードと続いている。
序盤はタップダンスシチーとファインモーションがハナを奪い合う展開となる中を5,6番手の好位を追走。向こう正面で先頭がタップダンスシチーになり、最終コーナーもタップダンスシチーが先頭のまま。その差、8馬身
後続がその差を埋めるべく追い上げを開始するが、シンボリクリスエスは動かない。最終直線、外に持ち出してから追い上げようとしたのである。
ペリエの読みはドンピシャ的中。先に動いた馬は伸びあぐねており、そこを「他馬が止まって見えるほど強烈な速度」とまで言われるほどの末脚を見せ、ゴール板目前でタップダンスシチーを半馬身差し切って1着。
このレースでも各種記録を打ち立てており、

この目覚ましい活躍により、JRA賞では281票中277票を集めて年度代表馬に、また280票を集め最優秀3歳牡馬に選出された。


翌2003年の開始時点で宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念の4走に照準を合わせる。
この間に馬体はさらに成長しており、5月の終わりには日本ダービーに出走するゼンノロブロイとの最終追い切りにも参加している。


そして宝塚記念、「史上最高のメンバー」とされる中で1番人気に支持される。鞍上はケント・デザーモ。
その主な顔ぶれを挙げていくと、

  • この年の皐月賞・日本ダービーの二冠馬にして異例の3歳馬の出走となったネオユニヴァース(鞍上:ミルコ・デムーロ
  • ここまでG1級競走6勝、芝ダート不問の勇者アグネスデジタル(鞍上:四位洋文)
  • 前走の金鯱賞を制し、前年の有馬記念で半馬身差2着の激走タップダンスシチー(鞍上:佐藤哲三)
  • 前年の菊花賞と前走の天皇賞(春)を制したヒシミラクル(鞍上:角田晃一)

など、G1馬や後にG1馬となる8頭を含む優駿17頭が集った。


中団の内側に位置し、最終コーナーで抜け出しタップダンスシチーと競り合ったが、外から追い込むヒシミラクルやツルマルボーイに交わされて5着。
この敗戦に藤沢調教師は速いレース展開や右回りを苦手としていたことを挙げており、休養で一杯になったのでは、という予想を否定している。


放牧を挟み、東京競馬場での開催となる天皇賞(秋)へ直行。鞍上は再びペリエに戻っている。
やはり1番人気で、その後はヨーロッパ遠征を敢行したローエングリン、"香港魔王"エイシンプレストン、アグネスデジタルにツルマルボーイと続く。
1000m56.9の狂気的ラップで逃げるローエングリンとゴーステディ。後続につける差、およそ20馬身
当然最終直線では失速した2頭を追う後続が有利となったが、その中でも抜けた末脚を持つシンボリクリスエスが先頭に立ち、リードを保ったまま1着入線。
史上初の天皇賞(秋)連覇。さらに走破タイム1:58.0は改修前の東京競馬場で1999年にスペシャルウィークが記録したタイムと並ぶものであった。


そのままジャパンカップにも出走。外国調教馬9頭を含む18頭フルゲートで1.9倍の圧倒的1番人気。
中団につけ、直線で一気に追い込み抜け出すいつもの王道勝ちパターン……ではなかった。
抜け出すことができなかったのだ。
それもそのはず、ほぼ10馬身先*6でタップダンスシチーが悠々と逃げ切っていたのである。
タップダンスシチーはG1初制覇にして、グレード制導入以降最大となる9馬身差をつけての勝利となった。


そして有馬記念。種牡馬入りのためにこれが引退レースと予告されており、ファン投票では約12万5000票を集めての1位、オッズも2.6倍の1番人気。その後にタップダンスシチー、ゼンノロブロイ、ザッツザプレンティ、リンカーンと続く。
レースはいつも通り中団につける。ザッツザプレンティとアクティブバイオがハイペースで逃げていたが、2周目第3コーナーから中団勢が接近し、リンカーンが先頭に立つ。シンボリクリスエスはそのすぐ後ろにつけ、そのまま最終コーナーに入り、残り300m地点でリンカーンを交わす。そこからぐんぐん伸びていくが、後続はリンカーンすら交わせないまま独走し1着。
2着リンカーンとの差、9馬身
こちらもG1最大着差タイの記録として今なお残っているほか、有馬記念限定でもこれまでの1967年カブトシローの6馬身をも超える記録である*7
G1競走4勝目にして、スピードシンボリ、シンボリルドルフグラスワンダーに次ぐ史上4頭目の有馬記念連覇、さらに天皇賞(秋)・有馬記念のダブル連覇も達成。
そのうえ走破タイム2:30.5は1991年ダイユウサクの記録を0.1秒更新するものでもあった。
のちに、藤沢調教師はこのように述べている。


彼は3歳時の有馬記念で2着に半馬身つけた差を、4歳時では9馬身に広げました。『引退の決まっている最後の一戦なので藤澤*8が完膚なきまでに仕上げた』などと言われたりしましたが、それは大きな間違いです。種牡馬入りの決まっているお馬さんに対し下手に負荷をかけて壊してしまっては、馬主さんだけでなく競馬界全体に向ける顔がなくなります。つまり、最後の一戦で無理をさせないことはあっても、その逆はありえないわけです。


レース後には引退式が行われ、同日付で競走馬登録も抹消。
JRA賞では287票中220票を集め年度代表馬に、275票を集めて最優秀4歳以上牡馬にも選出され、2年連続の年度代表馬の座を得た。
通算戦績は15戦8勝(8-2-4-1)、獲得賞金は9億8472万4000円。


【引退後】

古馬となった2003年の時点で年内引退と種牡馬入りのために社台グループに所有権の半分が譲渡されており、社台SS入りし翌年から供用が開始。2015年まで年間3桁の繁殖牝馬と交配しており、2016年からは日高のブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動。
2019年に高齢による受胎率の低下や体調面を考慮して種牡馬も引退。その後シンボリ牧場にて功労馬として繋養されていたが、2020年9月に蹄葉炎を発症。12月7日には起立不能になったため、安楽死措置が取られた。21歳没。


2007年に産駒がデビューし、2008年にはダンツキッスイがアーリントンカップを制し重賞初制覇。同年7月にはサクセスブロッケンがジャパンダートダービーを制しG1級競走初制覇。同馬は翌年のフェブラリーステークスも制したことでJRAG1制覇も達成している。
さらに2011年にはアルフレードが朝日杯FSを、2012年にはストロングリターンが安田記念を制している。
ここまでのG1競走制覇は全て1600m以下の競走だったが、2013年にエピファネイアが菊花賞を制しクラシック競走初制覇、さらに翌2014年のジャパンカップを制している。
そのエピファネイアも種牡馬入りすると、初年度となる2020年から史上初の無敗牝馬三冠のデアリングタクト、翌2021年には皐月賞・天皇賞(秋)・有馬記念を制したエフフォーリアを送り出しており、令和初期を代表する種牡馬の一頭として高い種付け料で取引されている。
晩年には2017年全日本2歳優駿、2018年ジャパンダートダービー・マイルチャンピオンシップ南部杯・チャンピオンズカップを次々に制し、3歳にしてダートの頂点に立ったルヴァンスレーヴを輩出。ダート路線の大改革も追い風となり、こちらも種牡馬として高い期待を寄せられている。


母父としても非常に優秀で、“障害レースの絶対王者”オジュウチョウサン(父:ステイゴールド)や、2016年ホープフルステークス、2017年日本ダービー、2018年天皇賞(秋)を制したレイデオロ(父:キングカメハメハ)などがいる。


なお、彼自身は基本的に本命サイドにいた馬だが、子孫はロベルト系らしく当時の世界最強馬ジャスタウェイを4馬身ちぎったエピファネイア、ひとつ上の世代の無敗3冠馬コントレイルと2つ上の世代のグランプリ3連覇牝馬クロノジェネシス、現役最強マイラーグランアレグリアをそれぞれ倒したエフフォーリアと、ジャイアントキラーな側面を見せている。


総じて現代の日本においてはグラスワンダーと並んでロベルトの血を広く伝え、ヘイルトゥリーズン系の占有率の高さに貢献している種牡馬である。


種牡馬時代にはディープインパクトと非常に仲が良かったというエピソードもあり、放牧中に片方が先に帰るともう片方が寂しくなって探し回ったり、嘶いたりする動画が残されている。


【創作作品での登場】

アメリカからトレセン学園にやって来た留学生のウマ娘。
2022年5月5日の4thイベント横浜公演2日目において初公開。
「漆黒」だけに外国産仲間のヒシアマゾンと同じく褐色肌で、シンボリクリスエス号の特徴である大柄な体格や、子孫にも遺伝している半月型の通称「ボリクリ耳」が再現されている。
短編アニメ「うまゆる」にて本格に登場。
寡黙かつ威圧感のある風貌なため、他のウマ娘から怖がられがちだが、失礼なことをされても怒らず、むしろ他者の小さな気遣いに喜びを感じる、純朴で義に厚い性格。
レースにおいて勝率と効率を重要視するのも、これまで自身に関わってきた人々に恩を返すためのようだ。


【余談】

1985年生まれのシンボリクリエンスという競走馬がおり、紛らわしい名前としてしばしば話題に挙がる。
向こうも中山大障害連覇・JRA賞最優秀障害馬2回などの実績を持ち、今日ではさすがに「じゃない方」なのは否めないものの、相当な名馬である。
なおシンボリクリエンスは競走引退後に乗馬となり、福島県内の高校で馬術競技馬として活躍した。しかし2012年以降消息不明となってしまっている。



追記・修正は代役として異国に送られてお願いします。


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*1 シアトルスルー産駒
*2 買い手がいなかったor希望価格に達しなかったため、生産者が買い戻すこと
*3 なお藤沢調教師は内心「秋かよ!」とツッコんでいた。
*4 現在の記録は2023年大阪杯をジャックドールで制した武豊の54歳19日。つくづく恐ろしいレジェンドである。なお、岡部幸雄「騎手」にとって最後のG1制覇となった
*5 この年、G2を3勝していたがG1は未勝利であった。本来香港ヴァーズを引退レースとする予定であったが、ファンの人気が非常に高かったことから有馬記念へと出走している
*6 厳密には9馬身+3/4馬身
*7 次点で2013年オルフェーヴルの8馬身
*8 藤沢調教師の戸籍上の本名は藤“澤”和雄。JRA関連の報道や馬柱では旧字体が使えないルールになっているため「藤沢」という表記で目にすることが多い

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