ナリタブライアン(競走馬)

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登録日:2021/12/11 Sat 13:03:53
更新日:2024/06/14 Fri 13:59:44NEW!
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94年 菊花賞

ナリタブライアン

7馬身差の衝撃

群れに答えなどない


──2011年 JRA菊花賞CM




ナリタブライアンNarita Brianは、日本の元競走馬、種牡馬。
ファンからの主な愛称は「ブライアン」「ナリブ」。
シンボリルドルフに続く中央競馬史上5頭目のクラシック三冠馬であり、「シャドーロールの怪物」の異名で親しまれた名馬である。


ウマ娘 プリティーダービー』におけるナリタブライアンはこちら→ナリタブライアン(ウマ娘 プリティーダービー)


◆もくじ


◆データ

誕生:1991年5月3日
死亡:1998年9月27日
享年:8歳(現馬齢表記:7歳)
父:ブライアンズタイム
母:パシフィカス
母父:ノーザンダンサー
調教師:大久保正陽
馬主:山路秀則
生産者:早田牧場新冠支場
産地:新冠町
セリ取引価格 -
獲得賞金:9億4,742万円
通算成績:21戦12勝
主な勝鞍:93'朝日杯3歳ステークス*1、94'クラシック三冠(皐月賞(G1)・日本ダービー(G1)・菊花賞(G1))・有馬記念


◆血統

父のブライアンズタイムは、サンデーサイレンス・トニービンと並ぶ、平成を代表する名種牡馬。
早田牧場がサンシャインフォーエヴァーというアメリカの馬を種牡馬として導入しようとするも交渉決裂したため、その従兄弟である彼が種牡馬として輸入された。
ナリタブライアンは初年度産駒であり、本馬や同じく初年度産駒であるチョウカイキャロル(オークス馬)らの活躍で、ブライアンズタイムは一躍有力種牡馬に躍り出た。


パシフィカスイギリス生産馬。20世紀最大の種牡馬ノーザンダンサーの産駒であり、血統面は優秀だったが、競争成績の悪さなどから早田牧場は安値で購入することができた。
このため、ナリタブライアンは当時としては比較的珍しい母父にノーザンダンサーを持つ馬となっている。*2
なお、輸入前にイギリスでシャルードの仔を受胎しており、日本に到着した直後にブライアンの半兄(異父兄)ビワハヤヒデが誕生している。
またパシフィカスの半妹(父ストームキャット)キャットクイルも日本に輸入され繁殖牝馬となっており、キャットクイル産駒のG13勝馬ファレノプシス(父ブライアンズタイム)・ダービー馬キズナ(父ディープインパクト)はいとこにあたる。


早田牧場の社長である早田光一郎氏は、種牡馬入り後も考えてアウトブリードを好んでおり、「ノーザンダンサーの血が入っていない」ブライアンズタイムと「ノーザンダンサーの産駒」であるパシフィカスが交配されたのは必然だったと言える。


◆生涯

デビュー前


怪物の片鱗


1991年5月3日、早田牧場新冠支場にて誕生。
庭先取引によって「ナリタ」の冠名で知られる山路秀則氏が購入。冠名と父の名から命名された。


当初は特に特徴があるわけではなかったが、1歳時の初期調教では他馬よりはるかに優れた柔軟性や敏捷性を見せつけ、「半兄のビワハヤヒデより素質が上かもしれない」と調教師たちに感じさせたという。


2歳(旧3歳)になり、栗東の大久保正陽厩舎に入厩。
主戦を務めた南井克巳騎手はブライアンに初めて乗った際の感想を、「加速時にグッと重心を下げている。追い切りでオグリキャップに乗ったときのようで、すごいと感じた」と語っている。


ただ、すぐれた運動能力の反面、水たまりに映った自分に驚いて騎乗者を振り落としたり、自分の影を怖がったりと、臆病かつ繊細な精神性を持ち合わせていた。この気性が、本馬のトレードマークであるシャドーロールに繋がっていくのである。
また、栗東では常に興奮しがちで、レースが近づくと一層顕著になっていたようであり、エネルギー発散のため、のちのやや過密なローテーションに繋がったという。

三歳


怪物爆誕


1993年8月15日に函館競馬場の3歳新馬戦芝1200mでデビュー。
デビュー戦こそ2着に敗れたものの、続く未勝利戦は圧勝。才能を見せる。
しかし、3戦目の函館3歳ステークスでは着外の6着。続くきんもくせい特別は勝利するも、その次のデイリー杯3歳ステークスでは3着と、なかなか能力の高さを発揮できていなかった。


原因はその気性にあった。先述した臆病さのせいで影を怖がっており、レースに集中できなかったのである。
そこで、当時としては比較的珍しかった馬具であるシャドーロールを着用させて、下側が見えないようにした。


その効果はてきめんで、才能が一気に開花。京都3歳ステークスにおいては堂々とした姿を見せ、これまでのレースレコードを1.1秒も縮める完勝劇を見せつけた。
続いて2歳王者決定戦、朝日杯3歳ステークスに出走。見事な中段抜け出しで快勝し、兄が取れなかったタイトルを獲得してみせた。
この勝利により最優秀3歳牡馬に選出され、この年を終えた。


なお、成長するにつれて精神面も安定していき、シャドーロールを付ける必要はなくなったというが、*3すでに彼のトレードマークとなっていたため、着用したままレースに臨んでいたという。

四歳


皐月賞3 1/2馬身、


ダービー5馬身、


菊花賞7馬身。



3歳初戦の共同通信杯を兄ビワハヤヒデとの連日重賞制覇で飾ると、続くスプリングステークスも勝利。その強さから、シンボリルドルフ以来の三冠の可能性すら取り沙汰され始めた。


オッズ1.6倍の1番人気で迎えた一冠目、皐月賞。
サクラエイコウオーの逃げでハイペースとなる中、最終直線で好位から抜け出し、3半馬身差つけて勝利。
この時叩き出したタイム1分59秒0はレースレコードを1.2秒、コースレコードを0.5秒も縮める凄まじいタイムであり、アグネスタキオンの登場まで皐月賞馬が2分の壁を破ることはなかった。


続く日本ダービーも1番人気。大外17番からのレースとなった。
隣のゲートの馬が暴れるのも気に留めずに高い集中力を示すと、レース本番では3コーナーからまくりをかけ、直線にて大外から一気に加速。
鞭一発を入れた瞬間からとんでもない末脚で他馬を置き去りにして、そのままゴールイン。豪快な走りで5馬身差の圧勝劇を飾る。


夏は札幌、函館にて調整。パドック展示も行われている。
ただ、猛暑からかここで大きく体調を崩してしまい調整スケジュールに狂いが生じる。結果、秋初戦となる京都新聞杯は圧倒的1番人気ながらスターマンの2着に敗れてしまった。
ただ、この1戦で状態は良化。1.7倍の1番人気で最後の一冠、菊花賞に向かう。


このころ期待されていたのが、兄ビワハヤヒデとの対決であった。
去年はBNWと呼ばれるクラシック3強の1角だったビワハヤヒデは、この年に入ってからは1強状態。京都記念、天皇賞春、宝塚記念、オールカマーと連戦連勝を飾る。ブライアンの活躍も相まって、宝塚記念では「兄貴も強い!」という実況が飛び出していた。
圧倒的な強さを見せつけた兄弟のどちらが強いのか。これが当時のファンの最大の話題であったことは言うまでもない。
しかし、ビワハヤヒデは菊花賞直前の天皇賞・秋の後、屈腱炎が判明。そのまま引退を余儀なくされたことで、兄弟対決は幻に終わった。


迎えた菊花賞本番、小雨によって馬場は鞘重に。
スティールキャストが大逃げを打つ中で中段を追走し、最終コーナーで猛烈に加速。ヤシマソブリンをかわすと、他を一切寄せ付けないすさまじい走りで、後続との着差をどんどん離していく。



「弟は大丈夫だ!弟は大丈夫だ!」


「10年ぶりの三冠馬!ナリタブライアン、三冠馬ー!」



つけた着差は実に7馬身。クリフジの大差、メイヂヒカリの10馬身に次ぐ歴代3位の着差で、昨年に兄が叩き出したタイムを超えるレコードで勝利した。
ここに、シンボリルドルフ以来となる第5代の3冠馬が誕生したのだ。
3冠レースでつけた着差は実に15馬身半。歴代3冠馬の中では最大である。


その後は年末の大一番にして初の古馬戦となる有馬記念に挑む。
このレースにてG1勝ちのあった古馬は天皇賞馬のネーハイシーザーとライスシャワーのみであり、しかも前者は距離不安があり、後者は故障明け。3歳勢は連戦連勝中のヒシアマゾン、彼女と激闘を繰り広げたオークス馬チョウカイキャロルがいたが力不足と見られていた。
こうした事情から、ナリタブライアンは1.2倍の圧倒的一番人気に推される。


JRAからの推薦で出走したツインターボが大逃げをかます中、先行して3、4番手からレースを進める。
迎えた4コーナー、「ツインターボの先頭はここで終わり!」いつもの逆噴射後退していく中、スッと抜け出して先頭に立った。
これに対してヒシアマゾンが強烈なまくりから上がり、いったんは並ぶ勢いであったが、ブライアンもクラシックと同じような鬼脚を発揮して引き離す。その後は全く差を詰めさせることなく、3馬身差をつけて完勝。シンボリルドルフ以来となる3歳4冠を達成したのであった。
武豊騎手はこの時のブライアンについて「スプリンターが2頭リレーのように走っても、この時のブライアンを倒すことはできなかっただろう」とまで語っている。
なお、2着のヒシアマゾンは16年ぶりに牝馬として有馬記念で連対している。


この年の大活躍から、文句なしの年度代表馬に選出。ただしノースフライトに1票が入っていたため、満票選出は逃した。



五歳


狂った歯車


翌年は阪神大賞典を初戦とする。
単勝元返しでここは7馬身差楽勝。本番の天皇賞・春も勝利間違いなし、と誰もが思ったことであろう。


しかし、ブライアンの競争生活に、大きな黒い影が差した。
調整中に右股に股関節炎を発症してしまったのである。このため、春は全休を余儀なくされた。


復帰戦は天皇賞・秋。南井騎手が落馬で騎乗不可だったため、的場均騎手が代打となった。
1番人気にこそ推されたが、怪我の影響で調教がなかなか行えず、ファンには不安が広がっていた。
その不安は的中し、最終直線で失速、12着に惨敗してしまう。
続くジャパンカップでは武豊騎手を鞍上に迎えて挑み、良い手ごたえで4コーナーを迎えたものの、そこから伸びずに6着に敗戦。2戦連続で着外という結果に終わってしまう。


1番人気をヒシアマゾンに譲って迎えた有馬記念でも伸びきれずに4着。この年は重賞1勝のみであった。道中までは良い手ごたえを発揮しつつも、直線であの爆発的な末脚が見られなくなってしまっていたのだ。
このころになると「能力のピークを過ぎた」「ケガを恐れてしまっている」といった声も上がるようになる。
一方、負けても1着とのタイム差は小さく、しかも成績は上向いてきている。その凄まじい走りを知るファンの間に「ブライアン復活」の予測、あるいは願望が出てきたのは当然のことであった。



六歳


最後の輝き


翌年初戦は前年に勝利した阪神大賞典。
昨年度に菊花賞と有馬記念を制して年度代表馬となったマヤノトップガンも出走。2頭の同父の年度代表馬同士の対決に界隈が沸き、土曜日開催としては異例なほどの観客が阪神競馬場に詰めかける。
ただ、ブライアンはここまで勝ちきれないレースが続いており、しかも直前追い切りの成績も不調気味だったため、勝利は不安視されていた。
オッズは2.0倍の1番人気にマヤノトップガン、2.1倍の2番人気にナリタブライアン。完全に人気を分け合う形で、98年毎日王冠と並ぶ「史上最高のG2」とまで呼ばれた伝説の一戦が始まったのであった。


中段付近で両馬が進みつつレースが進行。第3コーナーにてマヤノトップガンはロングスパートをかけて先頭に立ったが、マークしていたブライアンも抜け出す。


「2頭が並んでいる!完全にマッチレースになるのかどうか!」


あっという間に後続を引き離す勢いで、2頭の年度代表馬の壮絶なマッチレースが始まった。
内からはトップガン、外からはブライアン。後方に大きな差をつけながら、両者全く譲ることはない。


「マヤノトップガンとナリタブライアン!この2頭が並んでいる!並んでいる!」


「依然並んだままゴールイン!すごい歓声が沸き上がりました2頭のマッチレース!」


壮絶な叩きあいをアタマ差で制したのは…ブライアンの方であった。名勝負とともに、彼は1年ぶりの勝利をあげたのである。なお、この時の3着との着差は実に9馬身、まさしく一騎打ちであった。


…ただ、この時のマヤノトップガンは本番に向けて7、8分仕上げであり、ナリタブライアンも本来のレースぶりは発揮し切れておらず、関係者の中には「名勝負とは言い難い」という人も。
なお、マヤノトップガンに騎乗していた田原成貴騎手は、後のメディアインタビューでほんの僅かに仕掛けが早かったことを惜敗の要因に上げており、「一呼吸待っていれば勝っていた。二呼吸待てばクビ差で勝っていたよ。あそこで負けたのは覚醒剤に手を出したことより後悔しているね」*4と語っている。また、別のインタビューでは「もしブライアンが本調子であれば、トップガンはスタンドまで吹っ飛ばされていたよ」とも語った。
ブライアンに騎乗していた武騎手もゴール後には「ゴールした瞬間、鳥肌が立った」とコメントしたが、後日のインタビューでは「勝つには勝ったが、あれっという感じもした。ブライアンの全盛期はあんなものではなかったし、本当の姿をもう一度僕が呼び戻せればと思っていた」という趣旨のことを答えている。


ともかく、ブライアンが1年ぶりの勝利を手にしたのは確かな事実であった。


しかし、結果的にはこれが最後の輝きになってしまった。
先のレースと主戦南井騎手の復帰が重なったことで1番人気で迎えた春の天皇賞。
ややかかり気味ながらマヤノトップガンが後退していく中で先頭に立ち、完全復活を果たした…かに思われた。
その外から突っ込み、先にゴール板を通過したのは、同じく怪我に苦しみつつも現役を続行した遅咲きの同期サクラローレルであった。
その後は宝塚記念…ではなく、なんとこの年からスプリントGⅠになった高松宮杯(芝1200m)に出走。調整として短い距離のレースを使うのは欧米の競馬では珍しいことではないが、日本の三冠馬が、何の前触れもなく短距離のGⅠに出走するのは前代未聞のことあり、あらゆる方面から驚きの声が上がった。


ファンの間では「陣営は高松宮杯が距離短縮されたことを忘れていたのではないか?」という普通なら絶対にありえないような言説まで囁かれる始末であったが、そうとでも考えなければ納得いく説明がつかないようなローテーションだったのである。


ナリタブライアンを管理していた大久保正陽調教師は、この出走を決めた理由に関して競馬関連の著書内で何度か説明しているものの


「長い距離だと走ることを馬自身が加減していたので、短い距離を試そうとした」


「実際は加減せずに走れていた。短距離を走らせたのは強い馬ならどんな距離でも適応できると考えたから。」*5


「4月終わりの天皇賞(春)から7月はじめの宝塚記念までの間隔が開きすぎるので、叩きのレースが必要だった。中京競馬場のお客さんにブライアンが走っているのを見てほしいという気持ちもあった。」*6


などなど、その内容は著書によって二転三転しており、現在は大久保師が鬼籍に入ってしまったため、ハッキリとした理由は分からずじまいになってしなった。


ひっどいファンファーレとともに始まった本番では後方からレースを進めて抜け出したが、4着に終わる。中長距離型の馬がフラワーパーク*7、ビコーペガサス*8ヒシアケボノ*9に続く4着ってのもすごい話ではあるが。


しかし、レース後に屈腱炎を発症してしまい、復帰への努力が行われたものの、ついに引退が決定。
東京、京都競馬場にて引退式を実施し、ターフに別れを告げた。



引退後

引退後は1997年からCBスタッドにて種牡馬入り。
ノーザンダンサー系と合わせづらいというデメリットこそあったものの、後にダイワメジャー・ダイワスカーレット兄妹を産むスカーレットブーケ、桜花賞馬ファイトガリバー等良血、好成績の繁殖牝馬が多く集められ、滑り出しは良好。持ち前の賢さでスマートに種付けを行っていたという。


しかし、彼には時間が与えられなかった。


2回目の種付けシーズン後の1998年6月に疝痛を発症し、腸閉塞と診断される。手術で快方に向かったが、数か月後に疝痛が再発。この時には胃破裂を起こしており、すでに手遅れの状態だったという*10
牧場側でもナリタブライアンのために24時間カメラ監視付きの専用馬房を用意したりと、出来る限りの手は尽くしていた。だが、運に恵まれなかったとしか言いようがない。


1998年9月27日、8歳(現馬齢表記:7歳)での安楽死処分。残した産駒はわずか2世代、早すぎる死だった。
それでもエルコンドルパサーやドバイミレニアム*11のように残された産駒が大活躍…と都合よくはいかず、
重賞は未勝利で一番いい所まで行ったマイネヴィータ(阪神ジュベナイルフィリーズ5着)とダイタクフラッグ(皐月賞4着)は条件馬に留まり、オープンクラス入りしたのが牝のブライアンズレターだけだったため、後継種牡馬は1頭も残されることがなかった。
なおクラシック三冠馬で後継種牡馬・中央重賞ウィナー産駒を輩出出来なかったのは、2022年から種付け開始予定のコントレイルを除くとナリタブライアンだけである。
母父としてG1には届かなかったものの重賞馬(2016年にチャレンジカップを制したマイネルハニー等)が出ているのが幸いだろうか。


その墓は晩年を過ごしたCBスタッドに彼の記念館と共に建立されたが、2002年にスタッドの親会社でもあった故郷早田牧場が倒産し*12、スタッドの敷地は別会社の種馬場「優駿スタリオンステーション」の管理下に。
2008年には記念館も閉館しオグリキャップを扱う「優駿記念館」にリニューアルされ、2021年現在、母パシフィカス等名馬達の碑*13と共に彼の眠る地は優駿記念館を内包する「優駿メモリアルパーク」となっている。



半兄ビワハヤヒデ・同じ血統を持つ全弟ビワタケヒデ(G3ラジオたんぱ賞勝利)もまた種牡馬として失敗した事もあり、現在、彼の血統を継ぐ馬の活躍は見られないかもしれない。
それでも、クラシックにて彼が残した衝撃的な強さは、私たちの心に残り続けることだろう。


◆創作作品での登場

実在競走馬がキャラクター化している本作では、三冠を達成しても大人しめな気のいい弟キャラとして登場。
スプリングステークスではその前にも数回対戦していたサムソンビッグ(きさらぎ賞馬)と知り合い、菊花賞後唯一三冠レース全てで自分と競ったサムソンからの熱い友情に思わず「菊花の契り」を交わした。
…が、強すぎてつい無自覚に他を置いてきぼりにするせいでサムソン以外の友達が少なかったり、引退後全弟ビワタケヒデへの優位を巡って半兄ビワハヤヒデと喧嘩したりしており、
ラストランの高松宮杯は何と「ショートコントに初挑戦するも失敗」(そして親から応援されたフラワーパークは大成功)なんて話になってしまった…。
生前最期の出番となる12巻(1998年夏)では腹痛に斃れるも無事復帰し、兄と共に菊花賞前のビワタケヒデに発破を掛ける所で終わったが、直後急逝したため追悼イラストも掲載された。

  • 優駿たちの蹄跡

第91~92戦「思い出を土の中に」で登場。
急逝した彼の墓穴を掘る当時のCBスタッド場長佐々木功氏の視点で、現役時代の軌跡とCBスタッド時代の思い出、そして急逝するまでの経緯が描かれている。

  • 優駿劇場

記念すべき第1幕「1996 第44回 阪神大賞典」でマヤノトップガンとの一戦が取り上げている。

最終章である競馬編でナリタブライアンがモチーフのナリタブライオンが登場。
ラムタラがモチーフのアーネスエイジことラムタルと死闘を演じる。

同じくナリタブライアンがモチーフのアマゴワクチンが登場。
主人公であるミドリマキバオーのライバルにして前年のクラシック2冠馬ピーターⅡの弟。
白いシャドーロールなど外見はそっくりだが、経歴などはむしろ半兄のビワハヤヒデの方が近い。

ウマ娘達の学校であるトレセン学園の副会長を務めている。
トレードマークのシャドーロールは鼻に貼ったテープおよび勝負服の襟元という形で再現されており、テープが無いと落ち着かないとのこと。
クールかつ硬派な性格だが、非常にずば抜けた闘争心とそれに裏打ちされた圧倒的な実力の持ち主。一方でそれ故に満たされない渇きを抱えており、それを満足させる存在が現れることを望んでいる。
偏食の気があり、ウマなのに野菜嫌いで肉を好む。
育成上のレースで見かけることも多く、特にライバル枠として登場するマヤノトップガンの育成シナリオでは目標達成を阻む大きな壁の一つとなっている。
なお初期設定では実馬同様臆病で繊細な一面があるという要素もあったが、現在では削除された代わりに幼少期の要素としてそれらが取り込まれている。
また、半兄ビワハヤヒデもウマ娘化しており、こちらでは姉妹関係にあたる。
詳しくはナリタブライアン(ウマ娘 プリティーダービー)の項目を参照。


◆評価

現役時代は非常に優れた肉体を持っており、ビッグレッドファームの総帥こと岡田繁幸氏は「20年に1頭の馬体と筋肉の持ち主」「ああいう馬を作るために私たちは苦労している。理想的な馬」と絶賛していた。
また、蹄鉄のすり減り方が同じになるような非常に優れた身体バランスを持ち合わせており、さらに独特な球形の蹄によって不良馬場をもろともしない強さがあったという。
賢いが繊細な馬であり、さらに興奮しやすい一面があったという。集中力や精神力でも優れた面があり、「精神力のサラブレッド」とも評されたことがある。


全盛期の衝撃は凄まじく、
ラムタラでも簡単には勝てないだろう」(武豊騎手)
「衝撃的な馬。全盛期は世界クラス」(O.ペリエ騎手)
「現時点では(ルドルフより)ブライアンのほうが上かな」(シンボリルドルフの調教師の野平祐二氏、ダービー後のコメント)*14
「気持ちをガっと出さないから、傍から見てもわからない部分が多い。なんとなく走って、それですごい結果を残している」(岡部幸雄騎手)
『こんなに強くなるのか』という気持ちがあった」(杉本清アナウンサー)
と非常に高く評価されていた。
スタートの上手さ、先行して折り合いをつける賢さ、巧みなコーナリング、そして低重心のフォームで他馬を引き離す末脚。まさしく競走馬の理想形ともいうべき走り方であり、3歳時の暴力的な強さは不毛な最強馬議論でも必ず引き合いに出される。


何より惜しむらくは、古馬になってから付きまとった故障。
恐ろしいまでの実力を見せつけたクラシックの時期に対し、精彩を欠いた古馬時代、そして早逝と産駒の不振。まさに「悲劇の三冠馬」と呼んで差し支えないだろう。



◆余談

  • ナリタブライアンの初G1となった朝日杯3歳ステークスだが、この後朝日杯勝利馬がクラシック戦線で勝利を飾るのは、なんと19年後の2012年に勝ったロゴタイプ(2013年皐月賞馬)まで待つこととなる。朝日杯と日本ダービーを制する馬に至っては、2021年朝日杯覇者のドウデュース(日本ダービーは2022年に制覇)まで実に28年間現れなかった。
    歴代三冠馬中「2歳G1」を三冠前に勝利した例は彼の他、後のコントレイル(2019年ホープフルステークス)がいるだけで、牝馬三冠を入れても他にアパパネ(2009年阪神ジュベナイルフィリーズ)くらいと実はかなり貴重な戦歴だったりする。
    何の因果か、この3頭「勝利G1が2歳G1・三冠・古馬G1一つで総計5勝」という変な共通点も存在していたり(アパパネの時期阪神JFは「Jpn1」だったが)。

  • 怪物と喩えられたナリタブライアン号だが、担当厩務員からは「ブー」と言う可愛らしい呼ばれ方をしていたようだ。

  • 当時のテレビ番組でのオークション企画において、ブライアンのたてがみが出品されたことがあった。
    現役の競走馬のたてがみを抜くのは不幸につながるというジンクスがあるらしいが、実際この数か月後にブライアンは股関節炎が判明している。ただこの際の毛は厩舎内に落ちていた抜け毛だったという話もあり、真相は不明である。

  • 天皇賞(秋)の敗戦後、涙を流していたことがあるという。

  • 明石家さんまのテレビ番組『さんまのナンでもダービー』のポニー競馬企画にて、「ナリタブラアン」という名の馬が出演したことがある。
    プロの調教師にしっかりと育てられた結果、見事な競走馬に成長。ハンデをもろともしない強さを見せつけ、「史上最強のポニー」とまで呼ばれることになったのであった。

  • ハイパーヨーヨーの技の一つに『ライド・ザ・ブライアン』という技が存在するが、
    名前の元ネタは何を隠そうこのナリタブライアンである。
    当時発売された公式の書籍に、名前の由来まできちんと掲載されており、
    簡単ではあるものの「伝説の名馬」的な栄誉ある記述がなされている。

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  • 銀と金ではナリタブライオンの名前で登場した -- 名無しさん (2021-12-11 14:14:17)
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  • 群れにいたら写真判定で勝者が -- 名無しさん (2022-06-17 12:24:09)
  • ↑ようやくわかるが、群れから抜け出た一頭なら一等賞がわかる、という意味なのかも。 -- 名無しさん (2022-06-17 12:27:30)
  • 我慢強い馬だったと言う。我慢強いから腸閉塞や胃破裂の痛みも我慢してしまった...そこは我慢しなくてよかったんだよ...! -- 名無しさん (2022-08-06 20:13:17)
  • 動画見たら走り方がまじでキレイでびっくりした -- 名無しさん (2023-02-19 23:37:49)
  • 「甦れブライアン!」の実況が切実だったな... -- 名無しさん (2023-04-22 15:42:34)
  • 予後ってもおかしく無かった両前脚骨折から蘇って天皇賞春と有馬記念制したサクラローレルと、そのサクラローレルの前に屈した事で1200のG1走らされて屈腱炎で現役生活に終止符打つことになったナリタブライアンの明暗はその2頭が対決した天皇賞春で分かれた? -- 名無しさん (2023-07-19 21:00:48)
  • 「力をセーブすること」が苦手だったんだろうなぁ。だから古馬になった時点で知らず知らずのうちに蓄積されていたダメージが出てきてしまった。 -- 名無しさん (2023-08-18 08:43:31)

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*1 現・朝日杯フューチュリティステークス
*2 当時ノーザンダンサー系の有力な母父はノーザンテーストやマルゼンスキーなど数多く存在していたが、ノーザンダンサーそのものというのは少なかった
*3 実際、4歳の春以降はシャドーロール未使用で調教をしていた
*4 田原騎手は騎手引退後、覚醒剤所持による逮捕をはじめとする様々な不祥事を起こしており、このインタビューも更生してから久々に公の場に姿を現した際のもの。
*5 このコメントに対しては「強い馬ならどんな距離でも勝てるという考え方は、競馬番組や距離体系がしっかりしていなかった過去のものであり、それが整備された現代に当てはめるのは大きな間違い」という反論・批判をする競馬評論家もいた
*6 ただし、当時は6月前半に芝2000mのGⅡである金鯱賞が中京で開催されており、宝塚記念が芝2200mであることを考えると、前哨戦としては明らかにこちらの方が適切。よって、仮にこのコメントが本当だとしても、他の理由も同時に存在した可能性が高い
*7 高松宮杯勝利の同年、秋の短距離G1スプリンターズステークスにも勝利している。
*8 G1こそ未勝利だったものの、サクラバクシンオーやヒシアケボノを相手に2着3回
*9 スプリンターズステークス勝ち馬。超大型馬として有名
*10 元々野生動物である馬は、出来る限り痛みや傷を隠して堪えようとする本能があり(弱みを見せるということは、群れの仲間に見捨てられて肉食動物に捕食されるため)、ナリタブライアンは他の馬以上にそれが顕著であったという。本来なら悪いことではないのだが、彼は我慢しすぎてしまったのだろう…。
*11 奇病による急逝で1世代しか産駒を残せなかったものの、遺児ドバウィが競走戦績・種牡馬成績双方で成功している。
*12 一時期は社台グループに次ぐ大手牧場だった早田牧場だが、実はビワハヤヒデとナリタブライアンの活躍以前から急激な設備投資が祟って資金繰りが厳しい状況に置かれていた。加えて、ナリタブライアンの急死や1999年に完成した育成施設「天栄ホースパーク」に対する20数億円に上る巨額投資もそれに追い打ちをかける結果となり、ブライアンズタイムの交配数増加による種付け料収入の増収で打開しようとするも叶わずに倒産に追い込まれる結果となった。なお、天栄ホースパークは早田牧場を母体にしていた一口馬主クラブ「シルクホースクラブ」(主な活躍馬はシルクジャスティス、アーモンドアイなど)が買収して運営を引き継いだ後、2011年にシルクホースクラブが社台グループと完全提携したことでノーザンファームに売却され、現在は「ノーザンファーム天栄」として運営されている。
*13 余談だが優駿スタリオンステーションゆかりの名馬オグリキャップ・マヤノトップガンに関しては墓の他に馬像も存在している。
*14 後に不振となった姿を見た際には「ルドルフという馬の真価が分かった気がした」と語っている

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