ゴールドシップ(競走馬)

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登録日:2021/04/20 Tue 18:33:00
更新日:2024/05/27 Mon 10:41:10NEW!
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黄金の航路





ゴールドシップとは、日本の元競走馬、種牡馬。


データ

生誕:2009年3月6日
父:ステイゴールド
母:ポイントフラッグ
母父:メジロマックイーン
生産国:日本
生産者:有限会社出口牧場
馬主:小林英一 → 合同会社小林英一ホールディングス
調教師:須貝尚介(栗東)
主戦騎手:内田博幸
通算成績:28戦13勝[13-3-2-10]
獲得賞金:(中央)13億9776万7000円
主な勝鞍:12'皐月賞・菊花賞・有馬記念、13'-'14宝塚記念、'15天皇賞(春)
受賞歴:JRA賞最優秀3歳牡馬(2012)



勝つ時はその末脚と無尽蔵のスタミナを武器とした豪快な勝ち方で、'12年皐月・菊花二冠*1、史上初の宝塚記念連覇('13・'14)、史上6頭目となるJRA同一平地重賞3連覇*2を達成した阪神大賞典、4年連続GI勝利*3など、テイエムオペラオーとオグリキャップの12勝に次ぎ、オルフェーヴル(海外2勝含む)と並ぶ重賞レース11勝*4を挙げ、国際競馬統括機関連盟 (IFHA) が発表する世界の競走馬の格付け「WBRR(ワールド・ベスト・レースホース・ランキング)」*5でも現役時毎年120以上を誇り、2013年と2014年には世界11位を記録するなど、かの修羅揃いだった2012年クラシック世代の中でも筆頭に挙げられるほどの非常に高い実力を持つ。競走馬時代は須貝尚介厩舎所属(ちなみに須貝厩舎の重賞初勝利(2012年共同通信杯)・GI初勝利(同皐月賞)・通算100勝(同菊花賞。現在のJRA史上厩舎開業最速の100勝記録(3年7ヶ月21日)でもある)を飾った馬でもある)。


しかし、これだけならばただのレベルの高い「歴史的名馬」である。だが彼に関して特筆すべきは、高レベルの実力・実績を誇りながらも馬名に逆らうかの如く順風満帆とは行かない数々の「珍」エピソードを生み出し、メディアからは言葉を選んで『稀代の超個性派』『猛獣ゴルシ』と称される程の破天荒な癖馬的な性格と言った「歴史的迷馬」としての側面、そして特徴的な芦毛とピンク色の鼻など愛嬌のある見た目*6と人間の意思を理解してネタに走る何とも人間臭いキャラクター性からか、引退した今でも多くの競馬ファンから愛される迷馬にして名馬である。ついでに「競馬のふるさと案内所」のヘッダーアイコンでもおなじみ。


本項目含め、主に「ゴルシ」の愛称で知られる*7が、元担当厩務員の今浪隆利氏など一部からは他馬(特にゴールドシチー、次いでウマ娘での方やゴールデンシックスティ)との区別のためか「シップ」と呼ばれることもある。
そっちはそっちでルラシことルーラーシップなどとかぶってしまうが。
また、芦毛且つ名前が船絡みでクロフネ産駒と間違えられる事があるが勿論無関係。


ファンからの主な愛称は「苺大福」。
これは芦毛の白(っぽ)い馬体と鼻先にうっすら混じるピンク色という配色に加えて、デビュー5戦目から10連続で1着と5着だけ取り続けた挙句(特に11戦目から14戦目までは1着と5着を交互に取り)、デビュー15戦目に15着でオチをつけたエピソードに因んだもの。
その他体の頑丈さから名前に引っかけて「不沈艦」、一つ上の同父産駒の暴君をもじった「芦毛の暴君」、行動と成績の読めなさ(及び120億円事件でやらかした実績)から白毛馬を差し置いて揶揄と呆れと諦め(と、少しの愛情)を込めて「浮沈艦」「白いの」「シロイアレ豆大福と呼ばれる場合もあり、現在でも競馬では大抵それで通じる。なおその白さは唯でさえ早くから白さが目立っており、6歳時には完全に白くなっていた程(種牡馬入り後も年々真っ白になって行き、2023年時点で足に僅かな黒さを残すのみで馬体おろか鬣も尻尾も雪景色で放牧地へ行くと冬季迷彩と化す程完全に真っ白になっている)。



なお、Cygames社がアプリ・アニメなどのメディア展開を行っている『ウマ娘 プリティーダービー』でのゴルシについては、ゴールドシップ(ウマ娘 プリティーダービー)を参照のこと。



来歴

今やすっかり社台グループが幅を利かせる競馬界であったが、彼は出口牧場という中小牧場で産声を上げた。
この出口牧場、ゴルシ誕生以前は社台グループなどに押され最近はめっきり活躍馬を出しておらず、それまでの中央競馬重賞勝ち馬は1988年のアルゼンチン共和国杯(GII)、1986年のセントライト記念(GIII)を勝ち鞍とするレジェンドテイオー(獲得賞金1億8350万円)のみで、レースの総獲得賞金の約7割がゴルシによるものという規模と、お世辞にも有力な牧場ではなかった。そんな出口牧場であるが、とある牝系血統の保護を目的に彼の祖母にあたるパストラリズム*8を導入し、交配を行っていた*9


その血統とはゴルシの8代前にあたる、現在成田空港がある地に嘗て存在した宮内庁直営の「下総御料牧場」で六大牝馬*10として飼育されていた一頭である「星旗」*11であり、日本競走馬においては由緒正しい血統である*12。序に祖父メジロマックイーンもかの小岩井牧場のアサマユリを始祖とする牝系の血筋であり、「SS系」と「小岩井」・「星の血統」の日本土着牝系を全部載せで混ざった非常に珍しい血統である。


一方、馬主の小林英一氏は元々、俗に「ミスター競馬」と称された野平祐二*13のファンであり、野平が主戦騎手としていた星旗の曾孫にあたる風玲の仔であるスイートフラッグ*14に憧れ、氏の稼業が成功し馬主資格を獲得した後、スイートフラッグと同じ風玲の娘であるアイアンルビーの孫のパストラリズムを最初の保有馬とした。
そしてそのパズトラリズム2番仔と7番仔以外の馬主となり、そのうちの5番仔としてメジロマックイーンとの間に生まれたのが母であるポイントフラッグであった。


更にこのポイントフラッグは、須貝氏の父である須貝彦三氏の厩舎に所属し、須貝氏が騎手時代に騎乗していたと言う経緯がある。あと一歩重賞に届かぬまま怪我で引退してしまったが、その初仔であるハニーフラッグは須貝氏の騎手時代最後の勝ちレースの馬であり、須貝氏が彦三氏の定年により厩舎を引き継いだ際に3番仔のカントリーフラッグを預託されるなど懇親の仲であった。そして巡り巡ってゴールドシップが須貝厩舎に入厩すると言う色々数奇な運命を辿る事になる。


血統と誕生からデビューまで

ポイントフラッグ自体が520~530kgの大型馬だった故、産駒もみな大柄であり脚元の不安に悩まされた。特に初仔のハニーフラッグは500kgから470kgまで絞ってはいたが、予後不良に見舞われていた。この事から


  • 「小柄かつ頑丈」だが「気性の荒い」ステイゴールド
  • 「賢く癖が無い」「大柄で虚弱」なメジロマックイーン が父の牝馬

という組み合わせで怪我をし難い様に小柄な仔を産み出そうとした。


かつて小柄な馬はあまり人気が無く、おまけにステイゴールド自体が晩成型の長距離寄りの中距離向けと思われていた。が、この時点でサンデーサイレンス(SS)は存命ながらも、一大勢力となったSS後継種牡馬が望まれており、オグリキャップやトウカイテイオーは成績を残せず、SSに代わるであろうとされた海外勢でもピルサドスキーラムタラらを含めてSSの後継種牡馬候補が次々にコケて空席の状態。その中でエース格として2001年皐月賞制覇後早期に屈腱炎で引退・種牡馬入りしたアグネスタキオンがSS後継筆頭と持て囃される。


そんな中、ラストレースとなる2001年香港ヴァーズ(国際GI)を制して、紆余曲折あり「国内シャトル種牡馬」として種牡馬入りするのだが、種牡馬入りした2002年に当のSSが急死してしまう。
その上で初年度産駒よりマーメイドS勝ち馬のソリッドプラチナムを出し、次年度産駒にてステゴ産駒初のグランプリ馬で、ステマ配合最初の馬であったドリームジャーニーが1600mのGI朝日杯フューチュリティステークス制覇を果たす。
これを以てステゴは「小柄でも丈夫で幅広い距離に対応出来て、(アグネスタキオンやマンハッタンカフェら上位種牡馬と比べれば)安価で安定した受胎率を持つ国際GI制覇馬のSS産駒」と言う評価で一定の地位を確立していた経緯があった*15


そんなこんなで上述通りの狙いで交配を行う…のだが、生産者の狙いは外れ、ウマれて来た彼は関係者達の意に反し、その体躯は大柄であった。
産まれた時から人間の思い通りにいかない馬である。
それでも半兄・半姉よりは馬体重にしてだいたい20kg程軽く、この時点では最も小柄な部類である。
なお、同じ意図で交配されたステゴ産駒で母がディラローシェであるフェノーメノも、意に反して大柄になった経緯を持つ。


と言っても頑丈であったのは思惑通りであり、その巨体が功を奏した事(2013年の宝塚記念)もあった。加えて母方譲りなのか賢い馬でもあった。
……しかしそのメジロマックイーン、レースでこそ堂々としているが、レース外の調教では甘えん坊・暴れん坊だわかつ頑固で調教嫌いという一面があった。また、母ポイントフラッグ自体も3歳夏から性格が神経質になり、何とあのステイゴールドが彼女の気性のせいで芦毛牝馬全般が苦手になってしまった(といわれる)程の気性難。そこに父方の気性の荒さまであのような形で引き継いだ、親と祖父の特徴全部乗せ欲張りマシマシフルコースという悪魔合体事故そのもののようなとんでもない馬であるとまでは、さすがに予想外であったが。そうそうウマいこといかないものである。


なおこの『父にステイゴールド、母父にメジロマックイーン』という組み合わせはこの時点でドリームジャーニーを産出しており、後にその全弟で三冠馬のオルフェーヴル、そしてこのゴールドシップといった優秀な産駒を世に送り出したことでニックス(優秀な産駒が生まれる組み合わせ)とみなされ、父ステイゴールドの名も相まって「黄金配合」(またはステ イゴールド+メジロ ックイーンで「ステ配合」)と呼ばれ、一時流行した*16
ステマ配合が認知されたのはひとつ上の世代で、母を異にするオルフェーヴルとフェイトフルウォーが揃って重賞を制覇したのが要因であり、ゴールドシップが配合された時点では「ステイゴールド産駒は当たり外れはデカいが小柄で頑丈になる傾向がある」くらいにしか思われていなかったし、そもそも前述のとおりゴルシに関しては血統の保護及び産駒の小型化を狙ったのがメインでステマ配合の意図はしていなかった。
ところがそれらより大柄なゴルシの活躍から、五匹目六匹目のドジョウを狙ってこのステマ配合はさらに加速。
受胎条件で600万円まで跳ね上がっていた種付け料は800万円まで跳ね上がり、ステゴxオリエンタルアート・ポイントフラッグをはじめとしたステマ配合馬の種付けが繰り返され、中にはヤマニンリュウセイのような2x3(父父・母母父にSS)の強烈な近親交配に走ったケースまで現れた。しかしゴルシ以降40頭にも及ぶ馬は殆ど成績を出せずにブームは終焉。皮肉にもゴルシがそのステマ配合で大成した最後の馬であった。


ちなみにゴールドシップはドリジャ/オルフェ兄弟と違い、ノーザンテーストのインブリードを持っておらず、持ってるインブリードもその父ノーザンダンサーとナスルーラ産駒プリンスリーギフトがそれぞれ5x5と薄い。さらに、(数奇な運命の下生まれたとは言え)天下の社台ファームでぬくぬく育ったオルフェーヴルとは逆に、生まれた時から強力なバックアップがあるわけではなかった。そんな中小牧場が古来の血統を紡ぐために交配された馬が、競馬界を沸かせようとは誰も知る由は無かった。



デビュー前

デビュー前は福島県でトレーニングを積んでいたが、東日本大震災による預かり先の牧場の被災などから、北海道へ戻されたりなどあちこちを転々とし、最終的に石川県へ避難した。
この頃について、育成を担当した吉澤ステーブルの吉澤克己社長は『ゴールドシップは(落ち着いて育成できなかった分)馬運車に鍛えられたのかもしれない』と回顧している。
なお、この際にサイレンを何度も聞いたことでトラウマになっているらしく、(2023年現在はしなくなったが)サイレンが聞こえてくるなりヘドバンする様子を収めた動画もある。ボス馬気質からくる周囲への警告だとも言われているが、その意図は不明。


脚質

とにかく頑丈
父親も頑丈なことで有名だったが、馬体重500kgを超え、後述の脚質から無茶苦茶な走りを頻繁に行っているにもかかわらず、一番酷い怪我・病気が、2015年阪神大賞典後の自身の脚がぶつかったことによる蹄球炎*17で、
それも42日後の春天を回避するまでもなく治癒し、そして「ちゃんと走れば勝てる」と判を押された上で実際に(しかもいつもの無茶苦茶な戦法を用いて)勝ってみせたというデタラメすぎる頑丈さを誇る。


ウオッカ*18ジャングルポケット*19
「「なにそれ怖い」」


大きい体のせいでケガしやすいマックイーン系統の弱点をカバーしようとステゴをかけ合わせたのに、ステゴの脚の特徴まで引き継いで「大きいけどケガしない奴になった」と言うまさに合体事故そのものである。


近年では「競走馬のガン」と恐れられている屈腱炎も、「小型馬よりも大型馬」「一瞬の爆発力を発揮するスプリンターよりも長時間脚に負担をかけるロングスパートをかけるステイヤータイプ」「主にストライド走法を使う馬*20」が発症しやすいという定説が固まっているが、当の彼に関してはそれに起因する異常は皆無。寧ろ彼に競り掛けたライバル*21が次々に屈腱炎などの重篤なケガを発症、2012年ダービー上位組のディープインパクト産駒に至っては5着までの馬が全頭故障*22する事態に見舞われており、毎回最後方からロングスパートをかけている当のゴールドシップが平然としている辺りからも出鱈目な頑丈さは見て取れる。そのせいで一時期は「壊し屋」「日高の白い悪魔」と恐れられていた。


なおこうやって怪我引退したのが軒並みディープインパクト産駒だった一方で、先述のダービー2位のフェノーメノ(ステゴ産駒)は普通に無事だったため、ステゴ産駒の親父譲りな出鱈目とも言える頑丈さが強調されることになった。


その特殊な脚質の理由は岡田総帥曰く「緩めの関節と柔軟かつ力強い筋肉がショックアブソーバー(振動減衰装置)さながらに体への負担を軽減していたから(要約)」。しかもその筋肉は若い内から白くなった芦毛と相まってイヤでも目に付く、浮き出るほど太い血管で血液を筋肉へ大量に送り込める、人間のトップアスリートさながらのもの。そこから繰り出す筋力は、後ろ脚だけでその巨躯を数秒支えられるほど。後述の事件のダメ押しにもなったとか
また、鼻の穴の大きさが物語るように心肺機能の高さも彼の大きな武器であり、加えて蹄も母父譲りの大きさと丈夫さに父譲りの対称性も兼ね備えており、(右回りに限るものの)元からコーナリングが上手かった父の能力に加え、父の悪癖である斜行癖は引き継ぐことなく走り自体「は」安定していた。


しかしステイヤー向きとは決して言えない骨格と体躯に急加速の効かない関節とあり、ゲート適性を抜きにしてもどうしてもスタートで出遅れやすく、後方から普通にスパートをかけても上がり切れないのでやる気も中々出ないという欠点も抱えており、東京競馬場などの高速馬場は滅法苦手であった*23
おかげでスタートからの加速がてんで付かないというイメージが強いが、岩田康誠が騎乗していた際にはどういう訳か好スタートを切っており、岩田の騎乗4レース中’14・’15阪神大賞典では先行しての勝ちを決めている。



つまるところゴルシの基本戦法は、最後方から早々に加速を始め、ストライド走法でトップスピードを長く長く維持してゴリ押す、というものとなった。便宜上「追込」に分類されるが、一般的な追込とはまるで別物である。俗な分類ではあるが「差し寄りのまくり」とするのがより正確だろうか。
代表的なところで言えばディープインパクトやオルフェーヴルの追込に比較的近いが、あちらは典型的な追込馬の持つ切れ味を長持ちさせる馬であり、その切れ味が微妙なゴルシはさらに異質と言える*24
ゆえに残り800m(!?)程からじわじわグイグイ伸び、直線までに無理やり前目へ付けるような戦法は類例すらほぼ無く、ゴールドシップが競馬ファンの記憶に残った理由のひとつとなっている。また敗れはしたものの、2014年札幌記念(GII)*25では1000m58秒4のハイペースから、ロングスパートを掛けて斤量が5㎏軽い52㎏のハープスター相手に3/4馬身まで追い詰めている。
とはいえ末脚の切れは皆無という程ではなく、2012年有馬記念では内からキレある末脚で抜け出したエイシンフラッシュら8頭を残り1ハロンで一番外から強烈な二の足(通称:二段ロケット)を繰り出して一気に捻じ伏せ勝利している。
つまり本当にやる気があればピッチ走法*26を用いて末脚勝負もきちんとこなせるだけのキレはあった(寧ろこの二段ロケット炸裂で勝った事が殆どと言って良い)。


故に道中の出来が悪くなりがちな一方でやる気にさえなれば並大抵の不利は挽回してしまうため、「レース前半はゴルシを見なくていい」とまで評したファンもいた。


それ程のパワーとスタミナを有するゴルシがいくら(特にスタートの)急加速が苦手と言っても先行策を取れないわけではなく、2014年阪神大賞典ではスタートから通過順位を2-2-2-2で安定させて上がり最速タイムで圧勝しているし、13年・14年の宝塚記念などは第一コーナー時点でしっかり先頭集団に入ってきっちりライバルをすり潰して勝ち切る、母父メジロマックイーンを彷彿させるような非常に強い競馬を見せている*27
加速力に難がある以上、前目につけておいた方が勝負どころが図りやすく、スタミナを均等に配分することで筋力の消耗も少ないため、こちらの方が本来勝てる戦法だったと評する向きもあり、2013年宝塚記念でジェンティルドンナに騎乗した岩田は「あんな馬に先行されたら勝てるわけがない」と評している。
どのみち位置取りと他馬の状況に応じてストライドとピッチ両方の走法を使い分けられる*28ある種器用にこなせる馬だった訳であり、要するに、戦術に関してはゴルシのやる気と騎手の読み次第な上にスタミナにモノを言わせれば先行もまくりも問わない。この結果に尽きた。
ただし12頭立て以上且つレース間隔が2カ月以下だと、その気性からか成績が下落する傾向にあった*29
このように身体能力は当然ながら、ある種かのラムタラシンボリルドルフミホノブルボンのように精神面でも走っていた節もあったと言えよう。もしもあの故障知らずの馬体で性格がメジロマックイーンそのものだったら恐らく更なる天下を取っていたであろう。



デビューしてから

ともあれゴルシは被災を乗り越えて栗東トレーニングセンターに入厩し、2011年に函館の新馬戦へ出走。
ディープインパクト産駒のサトノヒーローに次ぐ2番人気の馬連5倍台という「逆転するならコイツしかいないだろう」という完全な一騎討ちムードでレースを迎えた。
……しかしいきなり、2歳馬のコースレコードを叩き出して快勝。そのスケールの大きさの片鱗を見せつける、鮮烈なデビューを飾った。
そこから2歳シーズンを4戦2勝で終え、翌年のクラシックシーズン初戦となる共同通信杯ではディープブリランテを捕えて府中唯一の勝利重賞初勝利。


そのままトライアルを経ずに牡馬クラシック三冠のひとつ・皐月賞に出走。当時のクラシック戦線は「主役不在」と言われるほど混戦気味であり、1番人気のグランデッツァすら3倍台な他、人気上位に「フジテレビスプリングS」や「若葉S」、「弥生賞」と言ったトライアル上位のメンバーが集結したため、当時まだ勝利馬を出していないジンクスだった「共同通信杯から中62日置いての皐月賞直行」というローテのゴルシは単勝7.1倍の4番人気に留まった。
加えてこの'12皐月賞開催前まで重賞7勝を記録するなど「世はまさにディープインパクト産駒時代」という風潮が強く、実際にトライアルでディープ産駒に勝ったスプリングスS馬アグネスタキオン産駒グランデッツァvs弥生賞馬の伏兵ロージスインメイ産駒コズモオオゾラvsディープ産駒という構図、中でも有力視されていたのはワールドエースvsグランデッツァであり、ゴルシはそこからはみ出す別路線からの刺客と言う構図で見られていた。



……しかし、この2012年皐月賞において、ゴールドシップはその特異な能力を見せつけた。



この当時の中山競馬場の路盤は中央10場の中でもワーストの排水性の低さであり、稍重表示レベルで内ラチ(インコース*30)沿いが半ば不良化する事でも知られていた*31。レース当日は前日に降った雨でぬかるみ、さらに皐月賞前のレースで他の馬が走ったことで、中山の内ラチ沿いは荒れ果てていた。
ただでさえ足への負担がかかる*32内ラチが荒れているとあってほとんどの馬がそれを嫌って外側を通っていく中、ゴルシ鞍上の内田博幸ジョッキーは大外を回されるのを避け、思い切ってまさにこの荒れた内馬場(のギリギリ)を突っ切る勝負に出た。
レース後のインタビュー曰く、「この馬は重たい馬場を苦にしない」という見立てがあってのことだったという。
果たして見事、読みは的中。最終コーナーでゴルシはがら空きとなっていた内ラチ沿いを突っ切り、跳ねる泥に白い馬体を汚されながらも最短コースを猛進。
コーナー前では最後尾だったのがあっという間に先頭集団に合流すると荒れ地を踏破してきたのにそのまま最終直線で加速。結果、17頭を一気にブチ抜いて2馬身差で見事優勝中山競馬場に観客の悲鳴が響いた。2着のワールドエースもゴルシと同様後方からの競馬で2着に突っ込んでいるが、こちらはセオリー通り荒れた内側を避けて大外から捲りを仕掛けていたため、結果的にコース取りの差がそのまま着順に響く形となった。
晴れてゴルシはスターホースの仲間入りを果たし、この時に見せた「ワープ」と形容される豪脚は今日も語り草となっている。
また、共同通信杯から皐月賞へ直行してどちらも勝利するのはこれが初であり*33、(理由がパワーがあり過ぎて早めに使ってしまおうと言う意図もあったが)内田の述べた利点「(弥生賞と比べて)府中の方が馬の能力を把握しやすく休養も取れ、関西馬は更に輸送適性も見られる」の実証もある意味で果たされ、そのまま『共同通信杯→皐月賞』はジンクスから定番ローテへ変化。以降もイスラボニータ(2014年)、ドゥラメンテ(2015年2着)、ディーマジェスティ(2016年)、エフフォーリア(2021年)、ジオグリフ(2022年2着)と11年で6頭の皐月賞馬を輩出しており、同ローテの開祖とも言える。が、コイツ以外の共同通信杯→皐月賞馬は皆関東馬であり、輸送適性的に関東有利である事を証明してしまった。


さて、続く東京優駿(日本ダービー)だったが、先行有利の高速馬場な上、皐月2着だったワールドエースをマークし上り33.8と最速タイで攻めたが、直線の仕掛けが遅れた事もあり、先行策を取ったディープブリランテに雪辱されての5着。苺大福の本格始動…ついでに上位5頭のうちコイツと2着だったマメちん以外のトーセンホマレボシとディープブリランテが右脚屈腱炎でターフを去り、ワールドエースは2年近く休養するハメに。


そこから臨んだ菊花賞ではオッズ1.4倍の圧倒的人気(オッズ2位のマウントシャスタは13.3倍)を気に留めてないようなこれまで通り鞍上のガシガシも虚しくスッと下げた最後方からの競馬となった*34が、京都競馬場の3コーナーにある高低差4.3mもある上り坂、通称「淀の坂」の手前でスパートを掛け出し、そのまま坂を駆け抜け前走する馬をごぼう抜きした末、ぶっちぎりで1着という常識破りなレースを展開。銀行馬券と化したオッズ通りの走りを見せた。奇しくもこの年の菊花賞のCMは、同じく淀の坂を全力疾走して完勝した1983年菊花賞のミスターシービーが放映されていた。が、下り坂で若干減速した以外ほぼそのまま同じ事をやってのけた。
この淀の坂の下からスパートを掛けて勝利した馬としては、件のミスターシービーの他に1995年第111回天皇賞・春でのライスシャワーぐらいである。おまけに2015年の天皇賞(春)でも同じ手を使っている為、彼は複数回淀の坂で仕掛けた唯一の馬でもある。


なお有名な舌ペロペロ事件はこのレースでの出来事であり、(坂を全力疾走したにもかかわらず)追い上げられてるのを確認し再度加速し出すなど、底なしのスタミナに競馬ファンは唖然とした。
レース後のインタビューで鞍上の内田は「少し早いとは思ったけど、早めにスパートしても持久力があって最後に伸びる器用な馬だから、ゴールドシップの強さを信じれば大丈夫と思った」とサラリと言ってのけている。ゴルシワープの件と言い、馬もイカれていればジョッキーすらイカれていた。


そして放牧の後、3歳馬ながらぶっつけで有馬記念に挑戦。しかし16頭フルゲートの中、主要4場で一番直線が短く僅か310メートルしかない*35中山において、抽選会では非常に不利となり7枠13番という不運な枠を引いてしまった。
さらにあおった大きく出遅れたルーラーシップの前、いつも通りの最後方からの競馬となったが、残り800近くから追い上げを始め、馬場の外側へ。そして名物310mの短い直線に入り200mの標識を示す2番ハロンを通り過ぎ、エイシンフラッシュとオーシャンブルーが飛び出してくる。勝敗は決した……、と思いきやその外側を同じく残り200mから、これまで見せたことないような二の足を繰り出して付いて来いと言わんばかりにルーラーシップを引き連れて一気に10頭もブチ抜き、2着のオーシャンブルーへ2馬身半付けての圧倒的ゴール*36
古馬すらすり潰すその無尽蔵のスタミナと豪脚にフジテレビで実況を行っていたアオシマバクシンオー青嶋達也が「ツヨオオオオオオオオイ!」と絶叫したのは氏の実況で比較的有名な話か。二冠馬はやはり強い。



以降、強烈な末脚と馬場を無視できるような*37スタミナを武器にゴールドシップ号は「突然爆発するおっかない追込馬」として、史上屈指のハイレベル世代と言われた同期の面々と覇を競い、ゴルシ世代(ないしゴルシ・ジェンティル世代)の通称で呼ばれる2012年クラシック世代は競馬界を湧かしていく。同じレース連覇した馬が2頭いる世代なんて後にも先にもこいつらぐらいだろう。


なにぶん例年であれば皐月・菊花の二冠馬且つ有馬記念を制した彼は、通常の基準なら間違いなく選ばれていたであろうJRA賞年度代表馬の座を、牝馬三冠と3歳牝馬初のJC制覇のジェンティルドンナに搔っ攫われた(結果的に3歳牡馬の年度代表馬は、2021年に共同通信杯→皐月賞→天皇賞(秋)→有馬記念を制したエフフォーリアまで10年掛かる事になる)。最終的にG1を7勝・6勝するこの2頭が同一世代であるという時点で特異と言わざるを得なかった。


そして3歳クラシック以降も、目覚めた気性難に悩まされ凡走を繰り返しながらも仁川こと阪神競馬場を根城に数多く好走し、(惨敗に終わったが)フランス凱旋門賞にも出馬。また、ジェンティルドンナ、フェノーメノとの12世代三強対決となった2013年と2014年の宝塚記念に加え、2013年-2015年阪神大賞典でそのレース初の(3)連覇を果たし、仁川巧者ぶりを示した。


そして古馬路線の勝ち鞍で特筆すべきは、ゴルシ劇場(ゴールド劇場)とも称される2015年天皇賞(春)である。
前走の阪神大賞典で足同士をぶつけてしまい、内出血を伴う蹄球炎が発覚。しかも阪神大賞典から春天まで間42日、当初須貝師は6月6日開催の鳴尾記念(GIII)を経由して宝塚記念へ向かう意向を示していた。
しかし、原因と箇所が明らかだった為4月9日時点で蹄球炎は完治して調教出来るまでに回復。
一転して「使えるなら使ってもいい」という意向になった事と、乗り替わり騎手*38の横山典弘(ノリ)が「秘策がある」と直訴したのもあり、3度目の春天出走が決定した。
後に明かして曰く「『(須貝師に)秘策がある』と持ち出した事が一番の秘策だった」。やった事は本当に秘策も秘策だったが。


紆余曲折あり42日後の5月3日のレース当日を迎えるが、ゴルシに関しては京都競馬場でのそれまでの戦績は菊花賞以来3敗と振るっておらず、ゴルシの勝利を予想する下馬評は少なかった(この際の1番人気はキズナでゴルシは2番人気)。


しかもこの枠入り時に今浪厩務員も同行したにも拘わらずゲート入りでゴネてしまい、後ろ歩きから振り向きざまに入ることすら出来ず結果的に尻っ跳ね・ラチ蹴り等実に3分半もの大暴れを展開した。通常ゲート入りで大暴れすると体力を消耗する。特にGI最長の長丁場である3200m、この時点で体力を使い切ってしまうのは致命的である。


が、勝ち鞍と書いた様に1着を獲ってしまった。


前ポツン代表格の1998年菊花賞でのセイウンスカイと並び、所謂「ノリポツン」の代表格とされるこのレース*39、3200mの長丁場でノリポツンがクリティカルヒット。問題はその内容である。
やはりゴルシの気分がノらず、必然的に1枠1番をかなぐり捨て最後方待機を余儀なくされる。そこでノリが採った戦法は、「1周目スタンド前まで観客席側に横ポツン(曰く歓声聞かせてやる気を出させようとした)」であった。これだけでも異常であるが、これはまだ序の口である。


観客の歓声を聞いてやる気が出たのか一周目のスタンド前からペースアップ、そしてノリが繰り出したのは「2週目向正面の残り1100m前後、2012年菊花賞の如く淀の坂の手前からスパートを掛けて上がって行く、淀の坂全力疾走の敢行」であった。一気に4番手までポジションアップ、下り急坂3コーナーでタイミングを見計らい最後の直線に入ってゴルシの十八番である二段ロケットが炸裂、残り50mで逃げるカレンミロティックをも追い抜き、更に外から猛追して来たフェイムゲームをクビ差でかわして勝利…。言ってる意味が解らないと思うが本当にやった事である。



とはいえ、上述したように逃げ・先行有利、仕掛けても早めの仕掛けで無ければ勝ちきれない京都での2度の天皇賞(春)や京都大賞典で敗れたレースでは、実質的な高速馬場で速い上がり展開により3コーナーからの捲りが届かず実質封じられると言う弱点を突かれていた。逆に言えば「早仕掛けを行って最後の直線で余力を残して末脚勝負に賭ける馬の脚を溜めるタイミングを消してしまう」と言う事も出来た。そこでノリはそれを珍しくゴルシへゲキを入れ、淀の坂全力疾走策に出たことで補い、スタミナ色を強めて行った*40事でゴルシは3度目の正直でようやく春の盾を得た。そして鞍の上もとい案の定、ノリの方がヘロヘロとなっていた


ある種ノリにより計算され尽くしたレース運びであったが、いうまでもないがこの走り、完治しているとは言え蹄球炎完治から調整まで含め3週間強の馬どころか、普通の馬にすら取らせればまずバテるか下手をすれば故障引退や予後不良のリスクがある、秘策にしても正気でやる戦略ではない狂気の騎乗である。しかもレース前にあの大暴れでこれである。まさにゴルシがスタミナの化け物だったのと、ノリがそんなゴルシを知っててイカれたような戦法を繰り出した結果とも言える。


そんな掟破り、否、常識破りのレース展開は、一部の物議はあった*41ものの、2020年代に入っても尚、ファンやメディアを含めて語り草となっている。また、2023年現在の春天勝利最年長記録でもある*42
こうして'13・'14と連覇していたフェノーメノが繋靱帯炎と屈腱炎で無念の回避・引退となってしまった分、同世代兼同父としての仇を取るかのように、世代単位なら3連覇でもあるGI6勝目を挙げたゴルシはこれでその約2ヶ月後に行われる彼の根城阪神仁川の宝塚記念で『最早敵無し』と言われるが、皆がご存じのあの伝説の大事件を起こしてしまい、そちらが一層の語り草となってしまっている。が、そちらは別途後述する。


そんなこんなで危うく出走停止処分となりつつもどうにか競走馬としてのキャリア最後のレースに据えたのは2015年の有馬記念。キタサンブラックら若き新鋭達を抑えて1番人気となり、レース中一旦は先頭争いに入って大歓声を湧かせたものの、戦法が空回ったか最後の直線からまるで燃え尽きたかのように脚が伸びない。実は最終コーナーの出口で、ゴルシの大捲りを読み切ったリバーライト(鞍上 蛯名正義騎手)が早仕掛けしてゴルシが先頭に立つのを阻止していた。これによりいち早く先頭に立ち、蓋をすることでペースを落として息を入れるプランが御破算になっていたのだ*43。これによりレースはゴールドアクターの8着に終わった。
が、その後の引退式でも誘導馬やインタビューで出た自分の名前に反応していななき、このレースの鞍上の内田氏のインタビューを中断させ、更に記念撮影を嫌がって5分程ごね続けるなど、最後までゴルシらしさ全開で振る舞って笑いを誘った後、どこか寂しげにターフを去っていった。


ゴールドシップとはつまり、多士済々の名馬ひしめく12世代の、文字通り第一線を張っていた馬でもあったと同時に、絶大な人気を誇っていた馬だったのである。
……と、ここまで彼の大まかな来歴と能力を記してきたが、ここからは彼の具体的な性分や逸話を記していく。



ゴ ル シ 伝 説

「たまにでもいいから真面目に走ってくれれば」

―――― 横山典弘(競馬騎手)



先程「走り自体『は』」と含みのある言い方をしてきたが、実はこの馬、勝敗予測が困難なことで有名な競走馬でもあった。


その気になれば他の馬を難なくブチ抜いて一人勝ちできる圧倒的ポテンシャルの持ち主、……というのがその走りからして決して嘘でないのは先述の通り。実際、豹変する前の'12年有馬までは実際に「メジロマックイーンの再来」・「最強ステイヤー筆頭候補」とまで言われていた(一応実際にメジロマックイーンの子でも為し得なかった春の盾を、芦毛の孫として現役最後の年の'15春天で獲っている時点で唯一の後継者と言えなくもない)。
しかし、4歳以降の気性難が顕在化してヤンキー化して行ったコイツの難しさはいつその気になるか誰にも予測できないという点にあった(後述総評も参照の事)。
「芦毛の暴れん坊(将軍)」、「芦毛の暴君」という二つ名があった点からもそれはうかがえるだろう。


とはいえ、ゴルシの血統表にはヘイロー、サンデーサイレンス、ステイゴールドと続く由緒正しい気性難一族であるヘイルトゥリーズン系に加え、父母父にディクタスアイでお馴染みの瞬間湯沸かし器ディクタス、そして母父に冒頭でも述べた、レース時とオフの調教での性格の切り替えが激し過ぎ「インテリヤクザ」と例えられた頑固者の”名優”メジロマックイーンと、気性難でステゴを辟易させた母ポイントフラッグ、といった錚々たる面々が名を連ねており、そんな名だたる荒くれ者揃いの血統ともなれば乱暴だったりわがままだったりするのは物珍しい話でもない。


なんならこんなんでも気性難揃いと評判のステイゴールド産駒の中では比較的マシな方
父・ステイゴールドが「馬だけど肉与えたら喰うんじゃないか」と囁かれる*44ほど荒くれ気質で凶暴だったことを鑑みると、賢くてひょうきんで気分屋、だけのゴルシはある意味大人しい方である。それこそステゴ産駒で美浦でドルジ(朝青龍)と呼ばれたボス格の馬だったのに人や他馬に優しくリードホースになったフェノーメノの方が珍しいと言える。



ともあれゴルシの「気性難」は単に暴れん坊というよりは、人目につくところを選んで故意犯的に奇行へ走る、自由奔放な芸人エンターテイナー気質とでも呼ぶべきものであった。
簡単に言えば、マックイーンのオフの時の気性の荒さが常時発動するようになったような繊細で荒っぽい気性と、馬というにはやけに高い知能とが合わさったもの、とでもいうべきか。
関わった人々も異口同音に「頭が良いのは間違いない」と証言しており、実際に人の意図や場の空気を理解しているかのような反応も複数目撃されている。
結果的にクラシック時の「本格派路線」から「強いがネタ馬」、「名馬にして迷馬」という風な評価に変わった事はいうまでもない。


ともあれ、彼は競走馬時代から種牡馬入り後(の現在)に至るまで「ゴルシ伝説」として箇条書きコピペが成り立つほどのエピソードを残し(続け)ている「稀代の癖馬」なのである。というよりこれが本来の性格とも言えなくもないが。
おそらく母方の血が、説明しづらいがとにかくこう……、……何か良い方向に作用したのだ。きっと。
気に入らないことを断固拒否する気難しさは母父由来とされるが。


箇条書きでざっと挙げると

  • 毎日遊んであげないと暴れる。遊んでやったらやったでシャツを破られる。
  • 騎手騎乗の調教などで無い限り調教は基本的にやる気が無いが、調教で出くわした馬を威嚇する時「殺る気マンマン
  • 好き嫌いが激しく、気に入らない人or馬の存在を察知すると暴れ出すが、気に入った相手に対しては全力でデレる。極端すぎるツンデレ
  • 基本何でも食べ、特に柔らかくてこってりしたものを好む。しかし硬いもの、特にリンゴが苦手。
    • 日刊スポーツ「会いウマ Vol.1」におけるBRF木村主任曰く、父ステイゴールドもそれは同様だったとの事。ただし、匂いだけでも嫌がりとうとう食べなかったステゴと違い、ゴルシの方は丸ごと齧って喰っている姿を目撃した者もいるなど、全くダメではない。
  • そのためか父ステイゴールドや他のステイゴールド産駒同様「飼葉を水でふやかしてから食べる(通称:お茶漬け)」。が、ゴルシはむしろ「飼葉で風味の付いた水だけをいただく」事も。
  • なのに自分で味を見つつふやかしたいらしく、飼葉を水に入れて出すと怒る。
  • 人だろうと気に入らなければ容赦なく蹴る。父系がゴルシに輪を掛けた暴れん坊で、気性難の馬には特に珍しい事例ではないのだが、ゴルシは2022年のAsian Racing Report*45による須貝氏への取材によると「6人を(入院込みで)病院送りにした」との事。ドリジャ「俺でもそこまでやってねぇぜ……ひでぇ事しやがる……」
    • なお種牡馬入りしてからは性格を早期に把握した為、事故はゼロとの事。
  • ほかにも差し出したニンジンよりそれを持つ手に噛みついて「ホワイトライオン」とあだ名され、馬房にも「猛獣注意」の札が掲げられている。ゴルシはルドルフ*46かカワカミプリンセス*47だった?
  • 生まれつきの気性の荒さを問題視した北村浩平調教助手が「一発かましたろ」と厳しくしつけようとしたら、その後ロデオ状態で振り落とされ右肩脱臼で病院送りに。当のゴルシは北村助手を振り落とした後(多くはそのまま逃げるように走っていくところを)彼に向かって笑い、その顔を見た瞬間北村助手は「こいつには絶対勝てない」と逆に理解らせられる
    • それでも北村氏はデビューから引退まで一貫して調教を担当していた為、今浪氏と共に彼を知り尽くした言わば相棒である事に変わりはない。なお北村氏は彼のデビュー1年半前に騎手を引退した転身組であり、彼に乗れなかった事が悔いとして残っている事と、乗るなら大逃げ戦法を取っていた事を挙げている。
  • 上記エピソードもあり「このままだと暴れすぎてゴルシかスタッフのどちらかが重大なケガをする」と判断されて、「とにかくさっさと体力使わせよう」とのことで皐月賞前に挑むレースが定番コースの弥生賞ではなく共同通信杯に。
  • 馬に対しても特にトーセンジョーダン*48にはあちらの方が歳上にもかかわらず、目に入れば必ずといっていいほど蹴りにいくほか、同じくステイゴールド産駒で同期のフェノーメノや、年下のワンアンドオンリーとも威嚇しあっていたという*49
  • 逆に、同じ須貝厩舎の馬房が隣で優等生的な性格のジャスタウェイとは何故かウマが合った(後述)。
  • その他、須貝厩舎のもう1頭の併せ馬だったタイセイモンスターが一緒にいる間も珍しく大人しかった。タイセイモンスターもまた穏やかな性格であり、彼が引退した時には体調を崩している。しかもタイセイモンスターが登録抹消されたのは2013年の11月6日付だった為、同月24日に開催された第33回ジャパンカップの15位で惨敗した一因に、彼の引退抹消によるガチ凹みも挙がっている。もっとも須貝氏の怒りを買って主戦騎手を下ろされたように、当時内田が騎乗ミスを犯した事も要因であるが。
    • ちなみにタイセイモンスターは引退後、その穏やかな性格から公益財団法人軽種馬育成調教センター(BTC)の研修馬として活躍している。なおゴルシを大人しくさせた馬・ゴルシの親友という事でこちらもBTCではネタにされているようである。
  • ビッグレッドファーム(BRF)入り後は、同じステゴ産駒のウインブライト*50と仲が良い模様。
  • 調教中だろうと牝馬を前にすると興奮して(時には何度も)立ち上がる。ただしジェンティルドンナには威嚇されてタジタジ。鬼婦人だの吉田沙保里だの言われる位大概な馬だったので牝馬扱いしようにもできなかったらしく、それらしいアピールは'13、'14宝塚記念での併走程度。レース中にするな
  • (元)担当厩務員の今浪隆利氏には、かまってアピールをしたり、レースで勝つとその直後でも(他の馬なら走った興奮で気が立ってるところを)甘えたりなど、やたら懐いている。
    • 対する今浪氏も「手の掛かる性格な分、とても可愛い」と評しており、種牡馬入り後もしばしば顔を見せては喜ばれているなど、ゴルシとは切っても切れない関係にある。とはいえ自分の世界を邪魔された時はその今浪氏でも手を付けられず、馬房から這って来て殺されるんじゃないかと思ったとも。
  • 一方で(元)担当調教師の須貝尚介氏のことは苦手としているのか、近づかれるとレース直後や写真撮影中だろうと露骨に離れるか蹴りに行きたがり、挙句同氏とのツーショット写真では目が死んでいる
    • その須貝調教師はゴルシに翻弄されすぎたせいか、2015年には円形脱毛症になっていた。ただし、引退式数日前のトレセンで須貝師にじゃれついていたりする。いわゆるツンデレである。
  • なおゴルシ以降、「あのゴールドシップを扱えたのだから」という理由で須貝厩舎に癖馬の入厩希望が多くなった。実際にローブティサージュ、クルミナル、レッドリヴェールあたりが入厩していた。なおほぼ同様の例として、かのステゴを担当した池江泰郎厩舎も「あのステゴを(ry」という理由で癖馬ばかり集まるようになり、定年により後を継いだ息子の池江泰寿も実際にドリジャ・オルフェ兄弟を担当している。
  • 須貝氏の(上述のAsian Racing Reportの)インタビュー記事で、タイトルにスーパープロデューサーと付いているように自身をプロデューサーと称し、調教師として担当して来たゴルシ・ジャスタウェイ・ソダシ(後述)を3大スターと例えるのだが、ソダシを「アイドル」、ジャスタウェイを「フォークシンガー」と例えているのに対し、ゴルシに対しては「ロックスター」と形容した。ところがゴルシに対しては更に「今考えたらクスリをやってるロックスターと言った方が正確」とまで言ってのけている。自身の担当馬を「狂暴」とまでは例えても「ヤク中」とまで例えるのは普通からしたらあんまりな例えであるが、同記事にはかの2015年宝塚記念で撮影された際の「どう見たってそのテの顔した舌出し変顔画像まで添付されていた」ので、ロックスターによくある「プロデューサーを鬼畜扱い」し出すような状況まで余計に説得力があるというヲチ付くのは、やっぱりゴルシらしいと言えばゴルシらしい。なお黒い服にネックレスと完全にそっちの芸能関係者みたいな服装でこう言ってる須貝氏も、最近はの今の将軍様だのサモ・ハン・キンポーに似て来たなどとネタにされている。
    • 正確には「今振り返ればロックスターに例えたらゴルシはそうだったけど、クスリをやってるロックスターと例えたら正確かも。それくらい彼はワイルドだった」という発言。
    • 更に「ショーに来たホテルで家具を窓からブン投げるみたいな馬」と、(ホテルの窓からテレビを投げるなどの奇行で有名な)「レッドツェッペリン」か、(ホテルに泊まれば必ず部屋を破壊するので有名どころのホテルを全部出禁になった)「ザ・フー」のキース・ムーンか(クスリや事件事故などのゴシップが多かった)「モトリー・クルー」か、みたいな物騒な事まで言っている。
  • 幼少期からデビュー前を知る人間は、「(許容範囲内のやんちゃさで、後々よりは)大人しかった」「他の仔馬達から少し離れてどっしり構え、仔馬らしからぬ落ち着きぶりでその様子を観察し、喧嘩があればすぐ止めに入ってた」などと口を揃え、現役時代も北海道で休養している間は静かで利口(引退後は言わずもがな)。
  • しかしレースが近づき滋賀に移るとやんちゃになり出す
  • ゲート入りを(後ろ歩きから振り向きざまに入ることすら)拒否した結果、目隠しをさせられた状態でゲートに押し込まれる。なのにそのレースでは当たり前のように優勝(in2015年天皇賞春)。そしてゲート再審査はいつも通り一発合格
  • ゴルシが厩舎に帰って来ると隣の長浜厩舎の馬がざわめく
  • レース中に並走しただけでビビってヨレた馬もいる
  • レース中に舌をペロペロさせながら走って余裕の圧勝(in2012年菊花賞)
  • というか舌を出す行為が「相手をバカにする、挑発する」行為だと理解してる節がある。
  • 歓声を浴びるのが大好きで、後述の凱旋門賞の欽ちゃん歩きの他、2015年の第35回ジャパンカップでは馬場入場の際に観客席の前まで歩いてピタッと止まり、観客席を見渡すような仕草の後に掛け出す(約13万人入った中山の観客は大歓声)など、エンターテイナーとして人気を掻っ攫う(横山典弘もその事を理解していた節があった)。
  • 体当たりして来たジェンティルドンナを逆に押し返した挙句ぶっちぎる(in2013年宝塚記念)。ちなみにジェンティルドンナと鞍上の岩田康誠のコンビは、前年2012年のジャパンカップでもオルフェーヴルに体当たりして強引に進路を抉じ開けた事で、騎乗2日停止が下されるなど物議を醸していた。が、オルフェーヴルが460㎏(かつ凱旋門賞から帰国したばかりであった)と軽かったのに対し、ゴルシは500㎏の大型馬だった上にスタミナのバケモンだった(+岩田が直近の安田記念でもロードカナロアでラフプレーをかましたために、鞍上の内田(元は南関エースジョッキーだったのでラフプレーには慣れていた)が「どうせ来るだろう」と構えていた)事から、470㎏のジェンティルドンナは逆に押し返されて失速している。
  • ゲート内で吠える(in2014年天皇賞(春))*51
    • そしてスタート時に皆逃げ出すようにスタートし、レース後に炸裂し(中継で抜かれ)た蛯名のモノマネエビダンス*52
    • むろん馬房に戻る迄、誰彼構わず他馬へ蹴りに向かう程キレ散らかしていた。
  • 凱旋門賞出走のためのフランス遠征中、調教へ向かうべく通った森で機嫌が良くなりすぎて今浪氏を置き去りにし、危うく迷い人にするところだった。
  • その調教中、崖に差し掛かったので止まろうとしたら立ち上がり、横山典弘が崖へ落ちそうになった。一緒だったジャスタウェイは自分から立ち止まったのに……。他にも休憩中だった馬群へ加速しすぎてまるで止まらず、鞍上に日本語で「逃げてー!」と呼びかけさせた挙句ゴミ袋の山へダイブさせている。
  • そして迎えた凱旋門賞での入場時には勝手に列を離れて観客へ欽ちゃん走りで愛想を振りまいてファンサービスし、そのまま走り出す(ついでに他馬もつられて走り出す)。もちろん大歓声。そのせいか本戦の結果もあってこの遠征は「凱旋門へショーをしに行った(凱旋門ショー)」だの「ジャスタウェイとのフランス旅行」などとネタにされている。なおこの時ジャスタだけは目を逸らし必死に無関係を装っていた。親友でも奇行を前にすると関わりたくなくなるのは馬も人間も同じらしい
  • 暴れ馬乗りの名手である横山典弘氏ですら「お願いですゴルシさん走ってください」と懇願しながら、そして囁きかけながら乗る。
    • 同氏曰く「賢いが故に反感を持つと意地でも従わなくなってしまうらしいので、とにかくゴルシの機嫌を損ねないことを優先した」とか。元々が「馬に合わせる」スタンスの騎手だった事もあってかこのご機嫌取り戦法で見事優勝をもぎ取っている。
    • なお「(今浪さんが一番大変だよと前置きして)ゴルシの馬房に入るなんて恐ろしくて俺にはできない」らしい*53
  • そのせいかレース前の騎手インタビューでは「どう戦うか」ではなく「(強さはご存じの通りなので)まともに走ってくれるかどうか」が焦点として語られていた。
    • これは横山氏の逆で立場を解らせてメリハリをつけるスタイルであった内田博幸氏も同様で、基本的に「馬が全部わかっているので馬を信じて僕が乗るだけ」('14春天レース前)とも語っていた。果ては須貝師も「ま、勝てるかどうかは…シップに聞いてみてよ」(2015年同レース1週間前のインタビュー)と発言している。
  • ゴール後に何故か馬よりも騎手の方がヘトヘトになっている
  • (特に種牡馬入り以降の)カメラを向けられた際の顔芸。おかげで番組や雑誌などといったプロが撮った綺麗なゴルシには(気付かれないよう)遠くから収めた姿が少なくない。
    • 逆に見学客などにはすまして決めポーズを取ったり、(中々カメラを下げないので?)写真でなく動画だと見るや走ってみせる事もあるなど、ターフを去って尚賢くもひょうきんである。寧ろ東京スポーツで秘蔵写真特集まで組まれた。しかも見出しが、ハリウッドの映画会社「MGM」のライオン風の構図に顔芸で舌を出しているシーンという拘りよう。
  • 種牡馬入りから写真や映像でよく撮られる放牧地の柵へのグイッポ*54癖であるが、ちょうど柵で良く目の所が隠れる為、よくテレビで犯罪者の目に掛かる目隠しのように見えるため「ゴールドシップ容疑者」だの「容疑者G」だの言われるハメに。
  • グラスワンダー*55がビッグレッドファームにいる間、隣同士だったその馬房の前を通るたびに立ち止まっては姿を見せるのを待っていた。グラスもグラスでそんなゴルシになぜか喜んでいた。(さながら「先輩へ欠かさず挨拶をする後輩の図」)
  • 輸入種牡馬で放牧地が隣だったアイルハヴアナザーとも相性が良いらしく、同じタイミングで歩いたり、先に帰ると鳴いたり、排便を見せつけられたりしていた。
  • 成人誌の竿役めいたレベルの紳士&絶倫&的中の種牡馬活動(後述)
  • JRAの機関広報誌「優駿」でもお馴染みの競馬写真家である関真澄氏によるゴルシのガチの写真集を作る為に800万円を目標にクラウドファンディングで募る→最後の最後で追い込むように集まり825万円に達して成功。黙ってすましていれば本当に美しい白馬である

などなど、いくつもエピソードがある。
そしてこれ(ら)を目の当たりにしたファンは、ある者は乾いた笑いを浮かべながら、またある者は自分に言い聞かせるかのように、皆口々にこう一言――。



「ま ぁ ゴ ル シ だ し」



中でもゲートとの相性は最悪の一言に尽き、上述のエピソードにもあるようにゲート入りを嫌がり、ゲート入りしてもゲート内で暴れたのはしょっちゅう。
岡田総帥曰く「ゲートの横後ろで騒いでいる馬がいると、ケンカを売ってるのかと思ってガンガン騒いで怒る」ため、「スタート直前まで目隠ししてスタート時に取ったら?」と敢行するも条件が合わず断念したとの事。


後年にゴルシがすんなりゲート入りしたり、入ってからすぐスタートできたりするだけで客席がどよめいていたのも、その気質の激しさ・強さを象徴するエピソードと言える、かも。
一応ゲートをブチコわしたりはしていないだけ、後に同じく極度のゲート難で有名になったブチコ*56と比べればまだ大人しい方ではあるが、何の自慢にもならないのはいうまでもあるまい
更に余談だが、そのブチコの娘で、ゴルシと同じく須貝厩舎所属のソダシ*57は、今浪氏に「あいつ(ゴルシ)に似てきた」だの「ゴールドシップより荒いかも」と言われた事がある。が、流石に「アイツに比べたら……。アイツは異常やったから」とも言われている。


ちなみに上述の「たまにでも~」は15年春天の後のコメント。とてもGI6勝馬にいうコメントとは思えない。横山騎手は2014年宝塚記念以降のレースを主に担当したが、この口振りからして、最後方から最初のコーナーに入る前に前方好位置に付きそのまますっ飛ばした2014年宝塚記念ですら真面目ではなかったようだ……。




【120億円事件】

ゴールドシップの三連覇か、それとも他馬が待ったを掛けるのか!



あーっ!?


ゴールドシップが立ち上がった!?



あーっ!!?


おーっと、立ち上がったゴールドシップ! 出ない出ない!


6万大観衆からどよめきーーーっ!!




そんなゴルシの特に有名なエピソードとして、ここまで阪神競馬場で7戦6勝(神戸新聞杯、阪神大賞典3回、宝塚記念2回)、残り1回もラジオNIKKEI杯2歳Sの2着のみと、重賞連対率100%、3歳以降はGII以上全勝という空前絶後の「大得意」*58で、「3連覇の懸かった」第56回宝塚記念(2015年)*59*60を、前走の2015年天皇賞(春)で悲願の盾を手にした上、その前には阪神大賞典の史上初の3連覇を成し遂げるなど、絶好調としか言えない戦績が後押しして、2番人気のオッズ5.1倍に対して1.9倍となった「圧倒的1番人気」で迎えたところ、ゲート内で立ち上がって約10馬身差もの特大出遅れをかまし、およそ120億円分の馬券全てを一瞬でただの紙屑にしてのけた通称「120億円事件」で、全くやる気のない無事の完走を優先した横山による走りもあり16頭中15着という自己最悪の結果を叩き出してしまった一件は欠かせないだろう。
むしろこれ無しにゴルシを語るべきではない
なお、重賞3連覇馬は冒頭で述べたように彼含め7頭いるが、JRAにおける同一平地GIを3連覇した馬は2023年4月現在未だに存在しない。
3連覇の挑戦権を得て出走したのは、マイルCSのデュランダル('05 8着)とエリ女のアドマイヤグルーヴ(同年 3着)、JCのジェンティルドンナ('14 4着)、そして一番近かったのがかの有名な93年春の天皇賞のメジロマックイーンである。


前走の反省から最初に目隠しの上でゲート入りさせられて長く待たされた挙句、スタート直前に隣でトーホウジャッカルにチャカつかれて気が立っており、しかもスターターがレバーを引くコンマ数秒前に(一度立ち上がってその時は待ったにもかかわらず再度)立ち上がってしまうという不運が重なってしまったとはいえ、(上記の須貝氏へのインタビュー記事の画像として載せられたように変顔はしていたが)この時はさすがに彼も場内の空気を察したらしく、怪我を不安がった須貝師が近寄るなり顔を気まずそうに「こんなつもりじゃなかった」とばかりに逸らしていた
この様子は写真にバッチリ収められている。終始この白いのに振り回されて最下位になってしまったアドマイヤスピカはマジで泣いていい。
ウマはヒトの怒った顔などの脅威たりえるものを左目で向て右脳で処理・判断をする傾向があるとされており、この時のゴルシが顔を逸らしていたのも右側、つまり左目を向ける形だった。そのため、気まずそうにしていると見せかけてしっかり須貝師を見ていたと思われる。
(同時に、それだけ自分のやらかしを把握していたとも言えるが…)
とはいえそのハチャメチャさと、このレースまでの順調さからやらかしを期待予想した者が多かったためか、ブーイングのほとんどは「金返せ白いのー!」、「ゴルシ金返せぇ!!」と、ゴルシに向いていた。
レース前にはゴルシ包囲網体制が敷かれる事が予想されていたとはいえ、まさかこのような結果になろうとは想像もしなかったであろうが。
また、鞍上だったノリやその他関係者にはむしろ同情的・擁護的な声の方が多く、このことについて他の紙屑化事件を知る者(特にその事件を起こした馬の当時の騎手)には概ね「馬の方ばかり責められてある意味羨ましい」と評されている。ノリは「じゃあお前が乗るか?」とその騎手達に振ったが断られた


競馬ファンの間では「競馬に絶対は無い」というある種の不文律があるが、この年の宝塚記念は(「シンボリルドルフには絶対がある」という格言との対比も含めて)その代表例の1つとして、同時に当時のゴルシのやらかしの意外性と人気の高さを示すレースとなったのだった。


なおゴルシ並、あるいはそれ以上の額の紙屑化事件自体は他にもある。
とはいえ、2019年有馬記念・アーモンドアイの200億円と2012年天皇賞(春)の同じステマ配合オルフェーヴルの150億円は単純な敗北、2002年菊花賞・ノーリーズンの110億円は落馬、1991年天皇賞(秋)・メジロマックイーンの140億円は降着によるもの。
対するこの件は強さとやらかしの併存で有名な馬がよりにもよって史上初の大偉業が懸かった宝塚記念で立ち上がってしまった(≒レース開始直後に紙屑化がほぼ確定した)せいで自己最低記録のブービーを叩き出し、更にゴルシ1頭にブーイングが集中したがゆえに有名となっている節がある。
ゴルシが1位を取った2012年有馬記念のルーラーシップも10馬身もの大幅な出遅れをしたが、ゴルシほど有名ではなく、こちらは奮闘のかいあって3位だった。


このようにあまりにもゲート絡みで問題を起こしまくるため、何度かゲート入りの再審査が課せられたが、その度に一発合格していたらしい。故意犯だと疑われるのもむべなるかな。


ただ、今でこそこうして笑い話になっているが、真面目な話をするとこうしたゲートでの警告行為が積み重なれば最終的に出走停止処分とされてしまう。
そしてゴルシはその時点であと1回の警告でアウト、有馬記念のラストランがおじゃんになってしまうという瀬戸際まで来ていた。
そのため最終的にファンはもはや勝ち負けの前に「とにかくまずは無事にゲートに入ってスムーズに出てくれ」と祈るようになっていた、という背景があったことも付け加えておく。


また、このレースでG1初勝利を果たしたラブリーデイは、春天で8着、その前の阪神大賞典では6着とゴルシに苦杯を喫していたが、鳴尾記念を制してこの宝塚記念を制した後も京都大賞典・天皇賞(秋)と連勝し、2015年JRA最優秀4歳以上牡馬にも選出された。どうしてもゴルシのやらかしの方が有名になってしまっているが、勝ち馬がその後大躍進を果たしたことも忘れてはならない。


この事件はゴルシの引退式に招かれた横山騎手が印象に残ったレースを聞かれた際、勝ち馬となった2014年の宝塚・2015年春の天皇賞や、惨敗にこそ終わったが出走できただけでも凄い凱旋門賞などではなく、この宝塚記念を挙げていた。むしろ忘れるほうが無理な話である
この回答に対し会場では爆笑の渦が巻き起こり、同時に「ゲートはちゃんと出て普通」とも答えるとこれに対しゴルシは唸っていた。
その引退式では加えて、涙ぐむ関係者へまるで「気にすんなよ」と言っているかのように反応する場面もあった。特に今浪氏が涙を流した際のリアクションを含めて涙を誘った……、つうかやっぱりこいつ頭良いわ。
なお、最後に関係者が並ぶ口取りの記念撮影では須貝師が隣だからゲート入りを思い出したのか最後まで列に入るのを嫌がり、'15春天さながらに後退してまたしても式典が中断。 観客席から「ええ加減にせえ! 最後くらいシャキッと締めえや!」とヤジが飛んだが、自分が悪く言われたことを察してか、「誰だ今言ったのは?」とばかりに声がした方を思い切り微動だにせず睨みつけている。


「盟友」ジャスタウェイ

ゴールドシップを語る上で、やはり同い年で同じ須貝厩舎の親友で盟友のジャスタウェイの存在は欠かせないであろう。
彼らの組み合わせに関しては、文藝春秋発行の総合スポーツ雑誌「Sports Graphic Number」937号(2017年10月)で特集が組まれるほど当時から人気の組み合わせだった(後にNumberPLUSの傑作選ムック本「名馬堂々。」(2021年10月)にも再録)事からうかがえるように、戦友としても有名であった。


誕生日が2日違いの同い年の2頭は、2歳時の5月にゴルシが、翌月にジャスタが入厩してその際に偶然馬房が隣同士になった。
やんちゃな暴れん坊「ゴールドシップ」と優等生「ジャスタウェイ」の性格が真反対な2頭が隣同士になるのだが、須貝師曰く「特に意図した訳ではなかった」らしい(ゴルシがジャスタに威嚇しても動じなかったからとも言われる)。ジャスタの真面目さを見習ってくれれば…と思うところだが、性格が真逆にも拘わらずそのまま仲良くなってしまった。基本的にトレーニングを嫌うゴルシもジャスタウェイが一緒にいればやる気を出した(その反面、放牧帰りで絶好調のとある日に重賞未勝利時のジャスタに併せ馬で負けた際にはガチ凹みして20kg程痩せた事も)。


この2頭が仲良くなった理由として「舎弟のつもりだったから」・「ジャスタウェイが芦毛フェチだったから」・「ジャスタのマイペースさがゴルシの機嫌を損なわなかった」など諸説あるが、「実際にこの2頭がいたからこそ成長した」旨を今浪氏が語っており、実際ゴルシと反対で体が弱めであったジャスタウェイが善戦マンであってもゴルシが早々と二冠・有馬制覇を達成するなど須貝厩舎的に余裕があった事から、2013年の春路線を捨て放牧リフレッシュさせるなどしてジャスタウェイの参戦計画にも余裕が出来たともされ、結果的に秋天・中山記念・安田、そしてWBRRレーティング130を叩き出し世界のジャスタウェイを決定づけたドバイデューティーフリー制覇への道筋が切り拓かれた。
凱旋門賞でもスタンドで愛想を振りまいていたアレに対して流石に他人のフリならぬ他馬のフリしてたけど飛行機の中でも仲は良かった(札幌記念の勝ち鞍でゴルシとワンツー獲ってレース後仲が良かったハープスターにちょっかいをかけないようジャスタが間に入ったとも言われてるが)。結局ゴルシ3着・ジャスタ4着のハナ差勝負で締めくくった2014年の有馬を以て引退したが、ゴルシも寂しがったらしく、対するジャスタもゴルシの面影を追ってか繋養先でクロフネやキャプテントゥーレと言った芦毛馬ばかり見ていたとか。芦毛フェチ疑惑の主要因。


ちなみに、2022年にジャスタウェイの仔であるアイワナビリーヴがゴルシと交配されており、2023年3月31日に芦毛の仔を出産。母父ジャスタウェイの父ゴールドシップと言う組み合わせが実現した。



引退後と現在

かくして良くも悪くも人のいうことを聞かなかったのが結果的に幸いしてか、ゲート内で暴れて筋肉痛になった時自身の脚がぶつかって蹄球炎を発症した時以外大した怪我もせず無事に引退している。
そのため元々言われていた賢さから「(単にめちゃくちゃ頑丈だっただけではなく)現役時代の舐めプに見えた仕草が実はゴルシなりの自己管理だったのではないか?」という疑惑すら浮上している。
奇しくも父にも同じような疑惑が持ち上がったこともあるが、一線を退いた今、もはや真実はゴルシのみぞ知る……。
この唯我独尊ぶりから、現役時代も28戦中のわずか3戦を除いて全て1番人気か2番人気という人気を誇り、その引退式には4万人ものファンが詰めかけた。


引退後2016年初頭から2023年現在まで、北海道のビッグレッドファーム(以降BRF)で牧場筆頭の種牡馬として活動している。なお、ゴルシに関して度々「オルフェ/ドリジャ兄弟がいる上に完全非社台なので社台入りが出来なかった」という話がよく挙がるが、実際には一応社台での繋養も取り沙汰されていた。ところが、BRFのトップであったマイネル軍団総帥こと故・岡田繁幸氏がステイゴールド産駒でありデビュー戦から注目し、『性格と瞬発力が父と非常に似ているので何とかウチ(BRF)に来ないかな、社台(この際は某グループとボカしていた)に行っちゃうんじゃ寂しいなと思っていた』と非常に気に入っており、加えて馬主の小林氏に何とか会い『日高の為にBRFへ持って行っても構わない』という回答を得た事が2017年阪神大賞典後のスペシャルトークにて語られており、更に2015年11月23日に東京競馬場で開催されたブリーダーズトークで『社台の吉田兄弟に「ゴルシはBRFで繋養する」と直談判し手を出さない事で何とか納得してもらった』と語っている(この話題の時だけ吉田照哉氏は一切笑っていなかった事から、色々あったようである)。結果、引退前に即刻70口からなる5年建て10億円のシンジケートローンが組まれた。なおグリーンチャンネルでの対談で吉田照哉氏もゴルシを評価していたが、岡田総帥に「社台はオルフェーヴルでいいじゃないですか」と言われている。


当初は繁殖馬としてはその気性の荒さが懸念されていたが、いざ繁殖入りすると一転して荒々しい振る舞いがほとんど無くなり、ドッシリした構えで普段から大人しい性格であるらしい*61。そして年々大人しくなっては種牡馬展示会の場や見物客の前で愛想を振りまくなどネタに走るようになり、時にはお披露目などで大人しくも出来る器用さ見せている。それでもやはり、大人しくしてても逆にネタとなるのはいうまでもない。


そして種牡馬としての彼は、(父さながら)非常に種付けがウマいことが判明し、相手が嫌がることも滅多に無いらしく(むしろガチ惚れされるケースもあるそうな)、種付け成功率は驚きの9割後半を維持。
これ自体はあくまで「最終的に種付けを行えた割合」であり、「これだけが高くても他が良くないと困る数値」なのだが、その他の種付け回数当たりの数値も産駒数ですら70%強、受胎率に至っては4年連続約80%というチン記録を達成。平均受胎率自体は70%弱とヒト(30%以下)には恐れ入る数値が出ているものの、ゴルシはそこに同世代種牡馬トップクラスの数値を叩きつけており、繁殖でも名馬という他無い。
その要因としては、相手の牝馬との顔合わせまでに自力で「臨戦態勢」に入る*62、種付けも早く済む、相手の牝馬に紳士的、若い方を好むのが「強いて言えば」で留まる程に相手の老若を問わない、牝馬が暴れてもその柔軟かつ大柄な体で対応できる事、彼にとって「(現役時代から)挫折と言うものが無く、体力的に自信を持っている」事などなど。「大丈夫大丈夫、痛くしないから」(ガチで実績豊富)


流石に社台の競合種牡馬との競争により高年齢牝馬需要への案件も多くなり近年は7割後半までに低下しているが、そもそも13歳以上の高齢繁殖牝馬は受胎率が4割弱になるので、高齢馬への種付けを含めて7割超えは控えめに言って凄まじいレベルである。


成人誌も真っ青な性豪ぶりに、引退後も種だけでなく更なる笑い話題を提供することとなった。


ちなみに祖父であるメジロマックイーンが引退後にすっかり老け込んでしまった事は有名な話であるが、ゴルシの方はむしろ種牡馬としての生活を気に入っているらしく、他の種牡馬が種付けに向かうのを見れば「自分も連れて行け」とばかりに騒ぎ出し、挙句「種付け」、「種馬」(単に「種」?)というワードを聞いただけで(ツアー客一行に撮影されている中だろうと)「臨戦態勢」へ突入するなど、実に愉快でファンキーなオッサンとなっている。
2019年6月に今浪氏と再会した際に現役時代の蹄鉄を見せると嫌がるそぶりを見せている為、競走馬時代は思い出したくない模様。やっぱりあれは自己管理だったのだろうか…? とは言え、メジロマックイーンも武豊を見るなり(また走らされると思ってか)逃げ出したエピソードがあるので、そこはやはり祖父の血なのだろう。


種付け当日の様子を撮影した映像には、牝馬の待つ建物へ向かう前に二本足で何度も立ち上がったり、スキップしているようにウッキウキで歩いたり、無事にお仕事が終わると先ほどまでのはしゃぎっぷりがまるで嘘のようにスッキリした様子で帰るゴルシの姿が収められている。


そして見学に関してもBRFの人気No.1種牡馬であり、冬季ですら見学客が途切れる事がないとの事。2021年のひだかうまキッズ探検隊「ビッグレッドファーム編」で登場した際も、大人しいながら貫禄のある姿で登場しては、『わざと』立ち上がるなど子供相手にきっちりファンサービスしており、直前まで変顔してたのにカメラのシャッター音が聞こえた途端にすまし顔へ戻るなど、ある意味必見。2023年に北海道放送(HBC)競馬部主催の80名からなるBRFとオジュウチョウサンが繁用されているYogiboヴェルサイユリゾートファームへのバスツアーが組まれた際も、彼目当ての人が殆どだった(何と彼目当てに参加した東京へ留学中の香港人と言う強者までいた)。もちろん彼は大人しく手慣れた感じで応じていた。近年の種牡馬展示会でも同様で、大人しく止まったり歩き回ったりして手慣れた感じでこなしている。ただし2023年には終わったと解ると早速種付けの血が騒いだようだが。



……やはり話題が絶えそうな気配は無い。


ただ、ゴルシだから笑い話のようになっているが、ウマも生き物なので本来は個々の趣味嗜好が存在し、意に添わない交合を嫌がって種付け作業が長引いたり、最悪頓挫したりすることも普通にありうる。
これは、ポストSSを狙える種牡馬候補として鳴り物入りで輸入されたウォーエンブレムのケースが特に有名だろうか。
栗毛の小柄な馬でないと中々「臨戦態勢」に入らないという厄介な性癖を抱えていたため種付けは失敗ばかりで、どうにか送り出せた数少ない産駒が非常に優秀な資質を見せたものの結局はアメリカへ返品され、しかも返品時、アメリカで義務付けられていた馬伝染性子宮炎の感染検査での種付けも拒み去勢されるというヲチ付きである。


おまけに種付けを繰り返しさせられているうちに例えば、元は穏やかだったが種牡馬になってから繁殖牝馬への噛み付きが常態化して(赤っぽい)栗毛馬を見ると暴れ出すようになってしまっていたスペシャルウィークや、精神的に荒んで粗暴となり、後年には好みの牝馬と会わせたり牝馬の尿を嗅がせたり、果ては投薬しないと発情しない程の人間不信へ陥っていたディープインパクトなど、不調をきたす馬も少なくない。
自身が嫌がらない場合でも、同じステマ配合のドリームジャーニーが(産駒成績こそ悪くないものの)小柄すぎる体格のせいか一回の種付けに90分以上かかったり、スッポ抜けて外出ししてしまう(のに足場の用意などのお膳立てが嫌い)など種付け自体が極端に下手なケースや、メジロファントムやロードバクシンのような精虫が少なすぎて種牡馬検査に受からない牡馬もおり、ゴルシの種付けのウマさや受胎率の高さが注目されるのは、そういった事情が背景にあることも留意しておくべきだろう。


また、現実的に他馬での種付けが不受胎に終わった牝馬の相手に、受胎率の高さを見込まれて指名を受ける事が多い*63。これは馬の種付けは受胎後11か月で出産するのが通常であり、競馬はその馬が生まれた年の1月1日から年齢を起算するルール(JRAでは2001年より)となっている為、早生まれ程能力に繋がるとされるので、種付けは毎年2月頃から始まり4月と5月がピークとなり遅くとも7月初夏頃までに種付けを行うのが通常であり、もし受胎出来ない場合は1年を無駄にしてしまう=種付け料以上の無駄な経費と費用が掛かり最悪生産牧場的に死活問題に繋がるのである(実際に彼の産駒に4月後半から5月生まれ、最悪6月初めの産駒が多いのはこれが理由)。


そう言った事情から安価(且つそこそこ走る場合も多い)なのもあり、高齢牝馬や不受胎牝馬のまさに種付け駆け込み寺としても高い定評を持つ。まさに性のターミネーターと言うか、お前は「精豪」チャイナロックか…


産駒の成績と傾向



ブラックホール

初年度産駒で、2019年札幌2歳S(GIII)を制したゴルシ産駒初重賞ウィナー(黒鹿毛)。母:ヴィーヴァブーケ、母父:キングカメハメハ。相沢郁厩舎(美浦)。


弥生賞ディープインパクト記念から牡馬三冠レースに皆勤し菊花賞で5着に入る活躍を見せるも、4歳時に左後脚浅趾屈腱(飛節アキレス腱)脱位の発覚により競争能力喪失で引退。一時期行方不明だったが、2022年夏の福島相馬野馬追に出ており、現在も福島で繋養されている。
総賞金で彼を上回る馬はすでに10頭以上いるものの、牡馬での平地重賞勝利やクラシック皆勤は未だ出ておらず、産駒にとっては切り込み隊長にして越えるべき高く厚い壁ともなっている。
ちなみにファンが作成した支援グッズでうどん屋の格好をしているのは、野馬追の際にはためく幟旗に驚かないよう慣れさせるために普段から馬房の前に置かれている幟旗がA-COOPの焼うどんのものだったため。


ユーバーレーベン

2018年産駒の青鹿毛牝馬。母:マイネテレジア、母父:ロージズインメイ。手塚貴久厩舎(美浦)。馬主はサラブレッドクラブ・ラフィアン。
2021年優駿牝馬勝ち馬にして、ゴルシ産駒初のGIホース。21牝馬クラシックでティアラを分け合った「USAトリオ」の「U」。オークス制覇時には「シロイアレノムスメ」*64呼ばわりされた。
ちなみに3歳年上の半兄にステイゴールド晩年の産駒マイネルファンロンがおり、こっちはオークスと同じ年に新潟記念を勝っている。また後述のマイネルグロンは母マイネテレジアの半弟だったりする。


母父のロージズインメイもBRFで繋養されているという純BRF産な(元)競走馬且つ、ラフィアン馬として岡田総帥にとっては長らく果たせなかった純BRF産による3歳クラシックレース初制覇という夢を(オークス2ヶ月前に逝去した為生きて見る事は出来なかったが)達成した馬でもあった。と言うよりも金薔薇配合で現状一番大成した馬でもある。なおオークス後は好走はするも勝ちは掴めず、2023年春前に屈腱炎で引退し、両親のいるBRFで繁殖牝馬入りした。


ドイツ語で「生き残る」という意味の馬名を付けられ、母・母父共に屈腱炎で引退した屈腱炎と切れない母方の重たい背景を伴って走っていた。しかしやはり彼女自身も比較的永らえたとは言え母方の血の方が強かったのか同じ運命を辿る事に。アレを以てしても頑丈さは受け継がれにくい事を物語る…と言うかやはりアレは色々と突然変異だったのでは


なお、「札幌2歳Sで実況にユー"ハー"レーベンと読み間違えられる」、「ニッカンにオークス前記事の写真をファインルージュと間違えられる」、「オークス優勝記念のグッズの写真をラヴズオンリーユーと間違えられる」、「オークス2着馬(実際の2着はアカイトリノムスメ)にさせられる」、「ウイポ9で芦毛にされる」、「ジャパンカップの追い切りで(3頭のどれが彼女か解からず)計測不能」、「サンスポにファン投票6万票をどっかに持って行かれる」、「ハヤヤッコと悪魔合体されて)ユーバーレーベハヤヤッコン」など何故か他馬と間違えられたりする誤植が多発(酷いものだと日刊ゲンダイに(クラウンプライドと間違えられ)ダートのチャンピオンズCに出走させられてる事になっていたり、2021年JCで実況にすらリッジマンと間違えられたケースも)する等、何かしらの認識阻害を起こす事でネタにされていた。また2022年札幌記念で、前走京都記念から32kg(!?)増というとんでもない数値を出した為に「(樫の女王を捩って)菓子の女王」、「(日本総大将シャフリヤールをもじって)日本総大福」とネタにもされた。


ちなみにオヤジの血のせいなのかソダシらとやり合って来たせいなのか、初年度は不受胎だった為群れの中に入れたところ数日で群れをシメてボス馬になったとの事。


ウインキートス

初年度産駒の黒鹿毛牝馬。母:イクスキューズ、母父:ボストンハーバー。宗像義忠厩舎(美浦)。
阿寒湖特別止まりだった祖父が勝った目黒記念(GII)の2021年度勝ち馬で、1988年メジロフルマー以来33年ぶりの勝ち牝馬。
なお目黒記念まで5勝を挙げているが、同時に2着6走・3着5走という善戦ホースでもあった。
特にミモザ賞と2021年オールカマーでウインマリリンとワンツーを飾っていたり(地味にウイン冠でのワンツーはこの2例だけ。ウインウインだ!)、ウインマイティー含めウイン三姉妹と呼ばれていた。


2023年中山金杯を以って引退、現在繁殖牝馬。


ウインマイティー

これまた初年度産駒の芦毛牝馬。母:アオバコリン、母父:カコイーシーズ。五十嵐忠男厩舎→西園正都厩舎(栗東、定年により転厩)。
母・アオバコリンのラストクロップ馬。2020年オークスで3着に入った後、秋華賞で馬群に揉まれ接触したことがトラウマとなったうえ、深刻なスクミ症を発症。強い調教をかければスクミが出て、休ませれば体が緩んでしまうというジレンマに陥った。勝ちきれない長い雌伏の時を経るも、通常の馬とは異なる調教メニューの試行錯誤が功を奏し2022年マーメイドステークス(GIII)で復活勝利した苦労の馬。何気に京都大賞典でも3着入りしており、エリ女では惨敗したが有馬と京都記念でも6着入りしている。
ゴルシ産駒らしい差し馬でもあるが、逃げも使える珍しいタイプ。
2023年チャレンジカップを以って引退、現在繁殖牝馬入り。


一緒に調教に出た牡馬を度々馬っ気を出させたと言われ魔性の牝馬呼ばわりされるらしい。またアレ同様カメラの前でポーズをとるのが好きとも。


ゴールデンハインド

2020年産駒の芦毛牝馬。母:オレゴンレディ、母父:シャマルダル。武市康男厩舎(美浦)。馬主はサラブレッドクラブ・ラフィアン。
母父はカルティエ賞最優秀2歳牡馬を受賞し英仏GI4勝を挙げたゴドルフィンのシャマルダル。元々ハーツクライと付けたが不受胎だったので、駆け込みでゴルシと種付けした結果受胎して産まれたと言う経緯を持つ。
2023年フローラステークスでソーダズリングの猛追を躱して逃げ切り勝ちしてゴルシ産駒のオークス参戦を4年連続へ延ばしたが、そのオークスでは逃げ脚を封じられて18頭中11着へ落とした。
と、ゴルシ産駒では珍しくステータスを完全な逃げに振った逃げ馬で今後の活躍が期待されたが、中山金杯で9着に終わったあとの次走で何故かダートの船橋クイーン賞に出走して9着惨敗。中山牝馬Sに向けて調教中に腰角骨折が判明、競争能力喪失により現役引退となった。


ちなみにゴールデンハインドの馬名自体は3代目にあたる(1982年生まれの牝馬(未出走繁殖牝馬)と、2006年生まれのクロフネ産駒の競走馬。しかもこちらも何の因果か大逃げ馬だった)。


マイネルグロン

2018年産駒青鹿毛牡馬。母:マイネヌーヴェル、母父:ブライアンズタイム。青木孝文厩舎(美浦)。
ゴルシ産駒初の牡馬GI馬で2023年JRA最優秀障害馬。例に漏れず6月7日と遅生まれ。ゴールデンハインド同様、元々ハーツクライと付けたが不受胎だったので、駆け込みでゴルシと種付けした結果受胎して産まれたと言う経緯を持つ。
母は2003年フラワーカップ覇者でユーバーレーベンの母の母(つまりグロンはユーバーレーベンの同い年の叔父でもある)、母父はもはや説明不要の日高の英雄でBRF産のマイネル血統。
マイネル軍団の御多分に漏れず柴田大知を主戦として芝路線に挑むもシルコレが続いた。
4歳時に障害転向し3戦目で未勝利から脱出するも善戦マンの時代が続き、雌伏の時を経て5歳時に2連勝を飾ったのち、2023年の東京ハイジャンプ(J・GII)でオジュウチョウサンの主戦騎手だった石神深一に乗り替わって早々、前年中山GJ覇者イロゴトシや中山大障害覇者ニシノデイジーら錚々たるメンバーを破って3連勝を飾り、ゴルシ産駒初の障害重賞制覇を成し遂げた。そして年末の大一番中山大障害(J・GI)で2.0倍の一番人気を背負い、石神を以てして「負けたら鞍上が悪い」と豪語し出走するが、前年覇者ニシノデイジーらを相手に10馬身差を付けて年間無敗の4連勝を以てGIホースに成り上がり、ゴルシへ産駒牡馬初のGIを送った。
ちなみにこの時ステイゴールド産駒でマイネル軍団の先輩マイネルレオーネが7着に沈んでおり、地味にステイゴールド産駒の連続重賞記録を17年で終了させた。
マイネル冠では2011年中山GJを制したマイネルネオス(父:ステゴ・母はマイネルーヴェルの母マイネプリテンダー)以来の障害GI馬であり、マイネルとして初の障害GI両タイトル獲りを成し遂げ、オジュウチョウサンの再来とも目される。
加えてJRAにおける6月生まれのGI制覇は2006年秋華賞のカワカミプリンセス以来17年ぶりであり、記録ずくめの勝利となっている。


メイショウタバル

2021年産駒鹿毛牡馬。母:メイショウツバクロ、母父:フレンチデピュティ。石橋守厩舎(栗東)。
調教師の石橋は現役騎手としての最後の勝利がメイショウツバクロであり、現役時代の代表的なお手馬がメイショウサムソンであると文字通りの調教師ゆかりの血統である。
新馬2戦目は若手の角田大河を鞍上に迎えるも4着と5着。
それにより浜中俊へと乗り替わると未勝利を突破して若駒Sに向かうが出走直前に歩様が乱れて除外。仕切り直したつばき賞をアタマ差で制すと皐月賞を目標にスプリングSへと矛先を向けるが今度はフレグモーネで直前回避。
幸いにも軽い物だった為翌週の毎日杯へとスイッチすると坂井瑠星鞍上*65で参戦すると、シンザン記念覇者ノーブルロジャーを向こうに回して逃げて上がり最速6馬身差の大圧勝
石橋調教師にも調教師11年目にして初の重賞制覇を捧げる事となった。
問題は勝ちタイムであり、勝ちタイムの1分46秒0は歴代2位タイのタイム、しかも他条件は全て良馬場56kgでの物であるにもかかわらず今年の条件は重馬場57kg*66
さらにそれまでの勝ちタイム歴代トップ5の3歳時の主な勝ち鞍がダービー*67ダービー*68ダービー*69有馬記念*70皐月賞*71と言う事実から将来が大きく切望されている。
しかしそうは言ってもこの馬、坂井瑠星曰く乗りやすい馬とは言うもののオヤジ程ではないがそこそこの気性難であり、レースになると気性が荒くなる言う
ある意味「らしい」産駒であった。結果、浜中鞍上に戻った皐月賞ではダノンデサイルの検査→除外で神経が高ぶったのか先頭に立つも、浜中も制御不能な程に掛かってしまい
前半1000m57秒5と言う、マイルレースのような狂気のペースで大暴走。結果、直線で逆噴射して17着最下位となってしまった。
その様はまるでツインターボを彷彿とさせ「マイラーなのでは」説まで飛び出すほど。
奇しくもこれが1着ジャスティンミラノの皐月賞レコード1:57.1を生み出す遠因になり、それどころか最下位の筈の当のメイショウタバルすら1:59.3と
2022年皐月賞のジオグリフ(と2着イクイノックス)すら上回る異常事態に発展した。


産駒の質はと言うと、ある意味ウインキートスのようなノーザンテースト系かユーバーレーベンのようなサンデーサイレンスを迂回したHalo系のアウトブリード系での血統強化で成績が見られる傾向にあり、産駒が晩成型ステイヤー気味が多いのではではないかと心配されながらも意外と早熟な産駒も多い(特に母父ロージスインメイの牝馬との配合の産駒は勝ち上がり率7割を誇り、俗に「金薔薇配合」と呼ばれる)。しかも非社台系種牡馬としては(同じステマのオルフェーヴルがいる関係で)社台絡みの血統が少なく、お世辞にも牝馬の質が宜しくないBRFの質が劣る牝馬に種付けをする事も多い中でこの成績はかなり優秀と言え*72、実質的に非社台種牡馬では優駿スタリオンのシルバーステートやレックススタッド*73のスクリーンヒーローに次ぐ成績を残しており、特に早熟馬を出して毎度クラシック戦線参戦馬も出すなどなかなかの成績を残している。
いわゆる「お試し期間」が終了し成績が下降しがちな3年目に加え、オルフェーヴルが種付け料を大幅にディスカウント(サイアーランキングは当然ゴルシより上の1桁台の順位であるが、2017年まで600万→500万→400万→300万、2021-2022年で350万)し日高の牧場へのセールスを強化した事と新入り種牡馬ウインブライトへのテコ入れのためBRFの自家繁殖が減ったため良い肌馬が集まらず、「谷間の世代」と言われた2019年産駒でも勝ち上がり率35%越えを果たしている。しかも定期的に重賞馬を出しているのも評価点であろう。
特にマイネル軍団傘下の「サラブレッドクラブ・ラフィアン」では2022年度のシンジケート募集馬の1/3が彼の産駒であり、しかもほぼ満口と言う盛況ぶりからも人気が見て取れる*74。実際に現状ラフィアン馬で歴代G1馬10頭のうち2頭を輩出(複数頭輩出はゴルシが初)しており、既にダンストンイレーネ(父ビッグアーサー 祖父サクラバクシンオーなど孫もいる為、90年来続く星の一族の血を継ぐ子の量産という浪漫的な意味でもこの先の活躍にも期待がかかる。


ただ頑丈さは遺伝しづらいらしく、ブラックホールやユーバーレーベンが故障引退し、他にゴールドミッション(右中手骨開放骨折)、スマイルパワー(左第1趾骨粉砕骨折)、ウインベイランダー(左前肢副手根骨粉砕骨折*75)、コスモホクシン(右前管骨開放骨折)の4頭が予後不良を起こしていたり、元々ユーバーレーベンのようにゴルシ(と父ステイゴールド)の頑丈さが遺伝されることを期待して怪我しがちな体質の改善を狙った配合の一例はあるが、後述するが母系に左右されがちの為古馬になり怪我をする産駒も少なくはない。


そもそもズル賢くペース配分が出来てたとされる上にクソ頑丈でヒールチート持ちのようなオヤジが異常なだけで比べてはいけないのではあるが。自己管理疑惑の論拠がまた一つ。



続いて産駒の適性を見ると、やはり父親譲りのスタミナ豊富な中長距離で強いステイヤーな傾向が強めだが、逆にジュニパーベリーのような1000m直線のスプリントレースに勝ってオープン昇格を果たす馬も存在するなど、似ても似つかないタイプまで登場するカオスな様相を呈している。
しかも何故かゴルシが宝塚連覇・阪神大賞典3連覇など大の得意としていた仁川(阪神競馬場)では勝率が極端に悪く、逆に彼が大の苦手としていた府中(東京競馬場)と言った高速馬場でやたら好成績だったりする(産駒芝平地重賞獲得5勝のうち3勝は府中)。
……要は彼とは逆に坂が緩ければ強い場合が多く、現に札幌・函館・福島・小倉の1800と2600の勝率がやたら良く(札幌と福島に至っては2023年時点で複勝率4割超え、福島競馬に至っては勝率15%)、極めつけはゴールデンハインドのように逃げで重賞勝ちしている産駒までいるなど、父親とは真逆の産駒が多いのもある意味特徴である。


先述した駆け込み寺需要からくる牝馬の幅広さを考えればある意味自然ではある。が、それに加えてゴルシの血統は父系のサンデーサイレンスこそかなりきつめのクロスになりやすい一方、母方が独自の長距離路線をひた走ったメジロの家系(近距離馬であったが産出される馬は中・長距離場パーソロン系)であることでインブリードしづらいため、良いも悪いも母方次第となりやすいのも(例:アベレージタイプの牝馬×ゴルシのスタミナ強化タイプ)一因とされる。


なお、従前から懸念されていたゴルシ似……もといステゴ系の気性難を継いだ馬はあまり聞かれず、寧ろ種付け・生産頭数に対し血統登録→デビューまできちんとこぎつける頭数の割合がかなり高い(=育成段階で矯正できなかった「凶暴でどうにもならないワル」が少ないことを意味する*76)。もっと言えばオルフェーヴル産駒のようにいろんな意味で濃いメンツが少なく大人しい産駒の方が多く、誘導馬デビューした馬まで出た。まぁ寧ろゴルシの気性が特殊なのでそれを持った産駒というのもある意味困りものであるが。


一方、はっきりと苦手な傾向があるのがダートとマイルである。
中央競馬のダートではマリオマッハー(オープン)とメガゴールド(3勝クラス→名古屋)、ジーマックス(2勝クラス→高知)が目立つくらいで、牝馬は2022年3月にウインメイフラワー*77が勝利するまで勝ち星ゼロだった。2021年には中央ダート出走107戦でわずか3勝と低迷している。
未勝利戦で勝ち上がれず地方に転厩を余儀なくされた馬でも3歳で2勝、4歳で3勝すれば中央の1勝クラスとして扱われるため復帰は可能(馬主がNRA、JRA両方の資格を持っているか、JRAの馬主資格所持者に譲渡した場合)だが、地方ダートで勝ち上がり復帰を果たせたのはウインエアフォルク、シュルシャガナ、ルリオウ、リーゼントジャンボ、コスモブライヤーとわずかであり、地方のダートに馴染めないままもがき苦しんでいる産駒は少なくない。
もちろん名古屋のツインシップやホウオウテーラー、金沢のマイネルリリーフ、川崎のゴールドフレイバー、浦和のトーセンフランク等と地方で根を張り着実に勝ち星を重ねている産駒もいるし、コスモナビゲーターのように、中央芝で全く走らず新馬戦から3戦連続で9着以下となり2歳のうちに抹消されるも、笠松競馬に移籍した途端に2戦目から3戦連続大差勝利の絶好調*78というような特殊例もあるにはあるのだが…。
ゴールドシップ産駒が中央で高い勝ち上がり率とまずまずのAEIを出している割に体調を崩したり嫌がりだすほどの種付け数にならないのは、こうしたダートの成績の悪さから、セレクトセールで希望額まで値が付かず、生産者が買い取る「主取り」になった場合、地方競馬で多く開催されている短距離ダートに活路を見出すことが多いため、ダート転向のリスクが忌避されてのことと思われ、母母父が同父同母父のオルフェーヴルはかの大種牡馬ノーザンテースト(≒ノーザンテーストの4x3インブリード)であるのに対しゴルシはプルラリズムという点も種付料が例年据え置きとなっているものと思われる。


マイルに至っては現状適性が手探り状態ではっきりしない新馬~未勝利戦以外ではクロノメーター(3勝クラス)しか勝っていない*79鬼門中の鬼門。マイルは短距離でもスタートダッシュの後一旦ペースを落として直線で再度加速といったスピードの変化が大きく、加速に時間がかかる傾向が強い産駒とは特に相性が悪い。


この状況への危惧もあってシビれをきらせたのか、ゴルシの馬主である小林英一HDはロータスランドやランドネ、プリファードランといった異血統かつそれらの不得手を埋め合わせられる牝馬を所有しており、特にロータスランド*80がゴルシとの交配を企図していると見られている。


なお、OP馬に関しては牝牡にあまり差はないが、2023年現在重賞獲得馬は6頭おりそのうち4頭は牝馬である為か現状フィリーサイアー(好成績が極端に牝馬に偏っている種牡馬)気味である。
一方、はっきり出ている傾向として、騙馬(去勢された馬)の成績は壊滅的と言っていいほど悪い。気性難を改善しようとしたら前進気勢まで失ってしまうパターンが殆どとなっており、現時点で去勢後に勝ち星を挙げられたのはメイショウイナセ(笠松→中央→門別)、ユリシーズ(盛岡)、テーオーラファエロ(高知)ホシハタノキセキ(高知)の地方勢のみでかなりお寒い状況。
ただしこれはゴールドシップに限った話ではなく、父親のステイゴールドでも見られた傾向で、ステイゴールドはリーディング上位種牡馬で産駒騙馬の成績では常時ワーストだった。


またゴールドシップ産駒に限ったことではないが、一口馬主クラブに所有された馬が逃れえぬ問題に、所属厩舎の関係と、最近主流となっている外厩の調整能力も挙げられる。


産駒のその他の面を見ると、その種牡馬適性の高さからか毛色も多様であり、(早々とどんどん白くなる点も含め)父親似の芦毛をはじめド派手な尾花栗毛、はたまたラビカーノ*81といったユニークな毛色から、珍しい白毛もいる。
しかもその白毛の第1号で2020年産まれのアオラキの白毛の由来は、ブチコやソダシでお馴染みのシラユキヒメ*82ではなく、母カスタディーヴァのそのまた母であるジオペラハウス(ジ・オペラハウス:The Opera House)*83である。
ちなみにカスタディーヴァがJRAに来たのは、とある馬主が「シラユキヒメ系以外の強い白毛馬の系統&白毛のディープ産駒を作ろう」という事で、2016年にニュージーランドのセレクトセールにて3300万で落札(消費税・輸送費含めて約5000万)し輸入したため。その産駒の初仔であるカスタディーヴァの2020(のちのアオラキ)は、言わば白毛の歴史に新たな1ページを刻む貴重な仔であった。
が、当の種付け予定だったディープインパクトは2019年の種付け開始直後に頸椎の問題で早々に種付け中止。
結局頸椎骨折で安楽死措置となった為、急遽その代わりとなるカスタディーヴァの競走馬引退後の種付け相手を立てることになったのだが、そこで選ばれたのがゴールドシップであった。閑話休題。
さらに彼の白毛産駒第2号となるサトノジャスミンの2022(のちのゴージャス)は、牝系の6代前はホワイトビューティー*84がルーツという歴史的白毛。さらに2023年1月に出産した仔も第3号となる白毛(牝馬)であった(なお2024年に産まれた仔は牡の鹿毛)。
日本産に限れば、白毛系血統との交配で複数の白毛馬を産出した種牡馬としては、シラユキヒメ系では同じ芦毛のクロフネが6頭(芦毛と鹿毛が1頭ずつ)、キングカメハメハから5頭(芦毛・黒鹿毛が1頭ずつ、鹿毛が2頭)、ハクタイユー系ではアドマイヤジャパンが2頭(栗毛1頭)輩出しているが、(既に白毛遺伝子を持つメンデルの法則上)白毛率が単純計算50%のところを現状4発中3発が白毛に産まれている*85ことと合わせ、白毛馬産出に関しては芦毛であったクロフネの後釜且つ現状存命の最有力芦毛種牡馬種とも言える。
ちなみに現状JRA登録可能な毛色8種類の中で、栃栗毛以外の毛色を産出*86しており、ディープインパクトから始まるホモ鹿毛の(特に栗毛への)圧力の中、多様な毛色の確保という意味でもファンの注目を集めている。


他には牝系の8代前がゴルシと同じ星旗というホッコーサラスターとの産駒にホシハタノキセキ(騙)がおり、その血統と馬名で一時期話題となったりもしている。


牝馬で大物が出ている事から、母父メジロマックイーンさながら、母父としてのポテンシャルが相当高いのではないかという期待もある。頑健なフレーム、柔軟な筋肉、頭の良さ、左右均等の大きな蹄などの特徴から多様な血統の基盤となる事が期待されており、サンデーサイレンスの登場以降、社台グループの生産牧場に対して格差がついてしまった日高の生産牝馬の質の向上において重要な役回りを果たすかもしれない。


また、先述したような受胎率の高さによる他馬での種付けが不受胎に終わった牝馬の駆け込み寺的需要、しかも遅生まれでもそこそこ勝ち上がり馬がいる事と重賞馬まで出してる事も、重要な強みとも言える。


総評

エンターテイナー精神を振るってそのレパートリー豊富な奇行ファンサービスなどでファンの心を掴んでおり、『迷馬』でググると真っ先に出て来る何とも憎めない馬である(どっちかというとマジメだったジェンティルドンナが世代代表馬でゴルシは世代のエンターテイナー枠にされるほど)。
特にその気まぐれぶりやイケメンぶり、牝馬への紳士ぶりから女性ファンが非常に多く、JRAのターフィーショップで販売されていたぬいぐるみが再販する度に1日で完売になる場合も多い。
その豪快なレースぶりから(選出には程遠いが)顕彰馬投票でも大抵票が入る常連でもある。
『ウマ娘』に登場しているものの、名前だけで検索すると他のウマ娘に登場している競走馬のほとんどはウマ娘の方が先に出るのに対し、「ゴールドシップ」では馬の画像から先にズラリと並ぶあたり、その人気やネタ画像のレパートリーの程が窺えるだろう。
とはいえ、「ゴルシ」で検索するとさすがにウマ娘の方が先に出てくるが。



先述したあれこれだけ見ると迷馬としか思えないが、グレード制の導入以後のシンボリルドルフから数えて9頭目のGIレース6勝、結果こそ惨敗とはいえ世界最高峰のレースである凱旋門賞にも出走するなどの実績を残しており、かの12世代の筆頭とされる時点で文句なしに名馬であることは間違いない。しかも生産元は天下の社台グループではなく地方の中小牧場、そして馬主も主要クラブ系でなくてこれである。
レース内容でもやる気にさえなれば雨で荒れた馬場をフルスピードで突っ切り、道中はやる気が出ず後方でぽつんと走っていたと思いきややっとやる気を出しいつの間にか先頭集団に紛れ込んでそのまままとめてぶち抜いていく豪快な走りは稀代のものであり、人々を魅了するに足るものであった。


しかし、ゴールドシップはその一方で気が乗らないとテコでも走らない、「体調が良くて、気力が充実してて、走りたいと思っている以外はいい加減(岡田談)」という、気まぐれを絵に描いたような馬でもある。
おかげで当時の競馬ファンの間では非難のことごとくが「ゴルシを信じた奴が悪い」と一蹴され、「(迷馬という他無いほど気分屋な)ゴルシ買う馬鹿、(無尽蔵のスタミナを誇る名馬な)ゴルシ買わぬ馬鹿」という格言(?)すら飛び出していた。
要はゴルシが勝てば「なんでゴルシを買わなかったの」とバカにされ、ゴルシがやらかせば「なんでゴルシを買ったの」と責められていた。どうしろと……。
これらもあって単純に調子が読めない馬である事は上述のゴルシ伝説の項冒頭でも述べた通りであるが、
これに加えてゴルシが勝つ場合は、必然的に他をスタミナですり潰すレースになることから、複勝圏内に連れてくる馬も上位人気な末脚自慢ではなく人気薄のスタミナ自慢というケースが多い(例:2012年の菊花賞の着順人気は1-5-7-10-11、2013年宝塚記念では2-5-1-3-4、2014年の宝塚記念では1-9-8-12-6、2015年の春天では2-7-10-5-16)。
そうでなくとも2012年の東京優駿よろしくレースペースに付き合った人気勢が撃沈……といったことが起きていた為、単勝・複勝以外で買う場合にも予想が困難であり、馬券師には厄介極まりない存在となっていた。
実際、岡田氏には「あのウマ、キャラクターとしてはウケるんですけど、経済的に関わってる人(馬券を買ってる人)はハラハラドキドキですよね」と大いにネタにされる始末である。


と、このように文句なしの実績もある名馬だが、負けるときは豪快で気紛れ。おまけに人間臭い賢さを持った種付けまでウマい芦毛の愛嬌たっぷりな馬という、恐らく今後十年単位で出て来ないであろうある意味唯一無二と言える『名馬にして迷馬』の代表格と言えよう。そんなにホイホイ出て来て貰ってもそれはそれで困るが。


だが、実際に須貝厩舎開業3年目でジャスタウェイと共に歩みクラシック勝利等を届け、須貝厩舎を名門厩舎に成長させ須貝氏の脳を焼いた嚆矢としての活躍を見れば、名馬に他ならないのもまた事実である。


(二次)創作上でのゴルシ

競走馬を擬人化した漫画「馬なり1ハロン劇場」では作者がキャラを掴み切れなかった事(ファンもまだネタ馬と認識していなかったという事でもある)もあってキャラ付けが迷走気味で、シルバーコレクターのジャスタウェイに円筒を着せて爆弾にするくらいしかネタが無かったが(しかもそれも初出では他の馬がしていたネタ)、
第151回天皇賞(春)と第56回宝塚記念を機にようやく奇声を上げて暴れ回るという持ちネタ(?)を得る事となった。ちなみに毛並みもリアルを反映してか第151回天皇賞から白色となっている。
しかし、宝塚記念後の登場が有馬記念後の引退式だったため特に出番の増加には繋がらなかった。
余談だが出番初回等では天上から子孫達に期待を掛ける祖父サンデーサイレンスとメジロマックイーンの霊も登場しており、サンデーの方は自分の孫が勢ぞろいした2012ダービーにて一時降臨して孫じゃない馬を威圧したため大御所が連行
マックイーンの方は全弟(後のゴールドフラッグ)の世話で母が手一杯なのに拗ねて家出したゴルシの全妹「ポイントフラッグの2014」(後のフラワーシップ)の前に現れ、天皇賞に出る兄の所に奇行は隠しつつ連れて行った引退式では孫そっちのけで「じゃない方」繋がりなゴールドアクターと会っていたけど
本作はゴルシに限らずリアルタイムの連載という事で、実際の馬が徐々に明らかになる性格で漫画内の性格と解離するの自体は珍しくないのだが、作者自身実際の馬が凄すぎてキャラに苦労したと漏らしたのには、かのオルフェーヴルも存在しており、奇しくも両者ともステマ配合である。
そんなわけで本編ではいまいち影が薄かったゴルシだが、2021年に現実の彼の人気を受けてなんとゴルシが登場する回を中心にした総集編が発売(電子書籍限定)。
同時期には続編『馬なり1ハロン!NEO』第105R「新たな光」(オークス回)で久々に登場し、遠くから中々勝てない娘ユーバーレーベンを案じていたそのせいでダノンバラードからかつて父がメインだった「ブロコレ倶楽部」への娘の入会を勧められたが
ちなみに過去に同様の総集編が出た馬はあのオグリキャップただ一頭のみである。
また作中の芦毛馬としては珍しく「白くなる過程」がある程度描かれているのが特徴で、
デビュー時~2014年頃までの芦毛色・2015年の鬣や首等に色が残った白色・『NEO』登場時のほぼ白毛風と時期ごとに色が変化し、2022年発売のゲーム『ウイニングポスト9 2022』コラボ4コマ時ではメンコ着用前後の鬣が黒から灰色に変わった姿が描かれた。


Cygames社の『ウマ娘 プリティーダービー』では、競馬を題材に実際の競走馬を(初の牝牡不問で)擬人化・美少女化させたキャラクターが登場しており、ゴルシもその中に含まれている。
当作では見た目こそ超美人だが言動は非常にハジケている、という強烈だがモチーフ元に忠実な個性を持っており、しかも宣伝担当と言う事でVTuberデビューまでしている為か、彼女の影響で実際のゴルシも競馬ファン以外からも認知され一躍「時の馬」になった。勿論あの120億円事件も含めて。
その実質ハジケリストと評されるとんでもないイカれキャラは、原作ゲームやアニメ版すら超えるイカれぶりとされるコミックス版「STARTING GATE!」を以てしても(先述のように画像検索で「ゴールドシップ」とだけ検索すれば馬の方からズラリと並ぶなど)アレでも本物の馬の方がまだキャラが濃いだの、果ては実馬が原作呼ばわりされる傾向がある中で「原作以上の二次創作は不可能」と言わしめ、上述の通り「ゴールドシップ」と検索すれば本馬の方がイヤという程出て来る為かMADやコラ画像等の二次創作で度々本馬の方の画像・映像が(寧ろ唯一と言って良いほどに)使われるなど…色々さすがとしか言いようがない。
アニメショップ「らしんばん」が2021年春に行った「ウマ娘人気投票」*87では、スタッフのお遊びで彼女の顔写真のみ本物のゴルシの顔も、それも首を傾げ舌を垂らした変顔が使われて話題になった程。なお、投票のシールは赤丸のシールを貼っていくという形式だった為、案の定というべきか本物のゴルシの両目にも貼られていた。


競走馬の軌跡を人間ドラマと交えて描く漫画『令和 優駿たちの蹄跡』(やまさき拓味)にも1巻の「移行帯(エコトーン)」で登場。
皐月賞を切っ掛けにゴルシファンとなった女性が仕事で疲弊していた時、ゴルシファンの後輩に誘われビッグレッドファームで気ままに暮らす引退後のゴルシに会いに行く様子が描かれている。
静かなムードの話なのだが、2人の会話内でちゃっかり120億円事件の説明も入るのもゴルシのゴルシたる所以かも知れない。


2021年度のネット流行語大賞では『ウマ娘 プリティーダービー』が1位に輝き、ウマ娘のキャラも2位のゴルシを筆頭に多数名を連ねているのだが、そんな中5位に馬の方のゴルシが(元)競走馬から唯一のランクインをしており、まさかの擬人化キャラとその元ネタが揃ってトップ10入りという珍事を引き起こした。
ついでに120億円事件もしれっと43位にランクインしていた。これで三冠


なお、二次創作ではないが上記の破天荒なエピソードの数々から、漫画『みどりのマキバオー』に登場するベアナックルになぞらえる声も散見される。


似たような馬

ゴルシの気性は唯一無二とも称されがちだが、ゴルシ並みの伝説と称されたGI名馬兼癖馬は他にも存在し、これらの馬と並んで名馬兼迷馬という意味でこれらの馬と共に語られる。



エリモジョージ

1972年産牡鹿毛馬。父セントクレスピン、母パッシングミドリ。
主な勝ち鞍は’76年天皇賞(春)・’78年宝塚記念。人気がある時はあっさり負け、人気薄の時はあっさり勝つ為「気紛れジョージ」と呼ばれた。
なお1974年夏に原因不明の出火で厩舎が全焼して奇跡的に生き残るも燃える馬房の前で立ち尽くした悲劇にも遭っている。


カブトシロー

1962年産黒鹿毛馬。父オーロイ、母バレーカブト。
元祖「競馬新聞の読める馬」。
こちらはたちばな賞の鞍上が暴力団との八百長に関わっていた通称「山岡事件」の当時馬だったせいか色眼鏡で見られる事となり、以降「人気薄で好走。人気になると凡走」。
しまいには馬主(セイウンスカイで有名な西山氏)が「地方で走らせる」約束で別の馬主に売った途端に(約束を無視して)8番人気で1967年天皇賞(秋)制覇、天秋勝利なのに4番人気だった有馬記念を6馬身差圧勝と「競馬新聞読んでやがる」とネタにされ、西山が激怒した事でも知られる。


ラニ

2013年産葦毛馬。父:タピット(USA) 母:ヘヴンリーロマンス(母父:SS)。
勝ち鞍:GII UAEダービー。
アメリカから逆輸入された馬。アメリカ三冠レース皆勤でも知られる。
引退後は日高のアロースタッドで種牡馬。
ダートを主戦場としていた事から「砂のゴールドシップ」の異名を持つように、彼も550kgを誇る巨体でゲート下手スタミナゴリ押しで調教嫌い、尚且つヤンチャな聞かん坊であった。
そこまではゴルシのような気性の荒い馬に過ぎないが、彼のヤバさの真骨頂は、

  • アメリカの至宝とまで呼ばれたカリフォルニアクローム*88をメンチ切り合戦の末に引き下がらせる
  • 栗東で調整中、しつこく絡んで喧嘩を売って来たトラヲサイゴニ(ヒルノダムールの半弟)に後蹴りを3発ブチかまして撃退する
  • 兄であるアウォーディーをはじめ所構わず噛みつく
  • UAEダービーコース入り初日に前の馬を蹴りに行った際にラチを跨いでスタック→ラチを破壊して自ら脱出

…など、蛮行をはじめとした数々の武闘エピソードも持ち、頻繁に馬っ気を出すわ、果ては「馬運車から下ろす際にお隣の馬運車と軽く揉め事になり、ラニの名前を出したら相手がビビって先に下ろす事が出来た(厩務員談)」と証言し、評論家から「これが純粋なアメリカの馬であれば騙馬になっていた」と言わしめる等々、アメリカを中心に「クレイジーホース」「ゴジラ」と称され、現地では完全に怪獣と化している風刺画が描かれたり同じくコラ画像も作られているなど、武闘の方でゴルシ以上に伝説の馬となっている点であろう。
アメリカではファンクラブまであったとか…世界は広い。
なお引退後種牡馬入りしてからは性格が丸くなったとの事。


シャトークア(Chautauqua)

2010年オーストラリア産芦毛牡馬→騙馬。父エンコスタ・デ・ラゴ、母ラブリージュブリー。
長期離脱を繰り返しながらも、最後方から切れ味の鋭い末脚で差し切る脚を武器に、TJスミスステークス3連覇(GI 2015-2017)、香港チェアマンズスプリントプライズ(GI)などGI6勝を含め重賞12勝を挙げ、オーストラリアで2年('15-'16,'16-'17)連続スプリント王に輝いオーストラリア屈指の名スプリンター。その偉業はオーストラリアのリステッド競走に名前を冠した競争がある程である。
…とだけ書けば非常に強い名馬を連想するであろうが、この馬とある問題を抱えていた。


致 命 的 な ゲ ー ト 難 である。


どれぐらいかと言えば、2017年のモイアステークス(GI)では何とゲート入りをゴネにゴネまくって出走中止する事態になった程。これでもあの120億円事件がカワイく見えるレベルであるが、何と2017年11月のダーレークラシックを最後に6連続ゲート出走に失敗する珍事件を起こして出場禁止処分が下ってしまい、2018年7月に特例で当時香港所属だったトミー・ベリーまで呼び戻して騎乗させジャンプトライアルを敢行した結果普通に出て2位になるも、次の公式バリアトライアル(ゲート試験)で何と出るどころか微塵も動かず平然と佇むと言う結果に終わり、その場で引退が決定した。それでも引退パレードが行われるなど皆から愛された馬でもあった。


余談

2009年の須貝尚介厩舎開業時に、当時同じく調教師で2011年の定年まで厩舎を持っていた父の須貝彦三氏から馬頭観音の掛け軸を譲り受けるのだが、その掛け軸に描かれている芦毛の馬体は白斑模様や銭形模様までゴルシと似ていたという不思議な縁もあった(当の掛け軸は、2021年11月発売の文藝春秋 『Number Plus』の「名馬堂々。」に収録されている)。それに似た彼が厩舎初重賞/初GI/クラシック二冠/JRA調教師最速100勝を成し遂げたのだからまさにドラマのような話である(須貝氏曰くゴルシをロックだの言っても「神様の馬」と称している)。




スタートダッシュで出遅れるΣ(゚Д゚)


どこまでいっても離される(;´Д`)


ここでオマエが負けたなら



おいらの生活ままならぬ!(´;ω;`)





追記・修正はスタート直前にゲートから立ち上がってからお願いします。


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*1 芦毛の二冠馬は1998年のセイウンスカイ以来14年ぶり且つこの2頭のみ、皐月・菊花の二冠は2000年のエアシャカール以来12年ぶりである。
*2 セカイオー('56-'58 鳴尾記念(現GIII))、シゲルホームラン('93-'95 セイユウ記念(同年を以て廃止))、タップダンスシチー('03-'05 GII金鯱賞)、エリモハリアー('05-'07 GIII函館記念)、マツリダゴッホ('07-'09 GIIオールカマー)に次ぐ記録。後にアルバート('15-'17 GIIステイヤーズステークス)も達成しており、2022年現在7頭。
*3 メジロマックイーン('90-'93)、メジロドーベル('96-'99)、アグネスデジタル('00-'03)、ウオッカ('06-'09)、ブエナビスタ('08-'11)に次ぐ6頭目。後にオジュウチョウサン('16-'22の7連覇)で現在7頭。
*4 うちGI 6勝、GII 4勝、GIII 1勝。
*5 各競走4着までの入線馬の斤量・着差・相手馬の実績を基準とした平均レーティング(単位はポンド。なおレースそのものの格付け基準ともなっており、GIは115以上を要する)からスコアを算出する。特にジャスタウェイが2014年にドバイDFで記録した単独世界1位記録となる130が著名。ゴルシの場合は2012年有馬記念・2013年・2014年宝塚記念の124(L:長距離部門)、2014年・2015年阪神大賞典の120(E:超長距離部門。2014年より天皇賞春の優先出走権付与につきリスト入り)を記録している。
*6 ちなみに原毛色(白くなる前)は栗毛であり、特に当歳時は既にピンクがかっていた鼻先とそこへ額から通る大きな流星もあり、父の母であるゴールデンサッシュを彷彿とさせる外見であった。
*7 なお「ゴルシ」の名前を付けた馬名として、メイショウの冠名で知られる松本好雄氏の保有馬であるメイショウタラチネの2020年生まれの初仔に(どストレートにも)「メイショウゴルシ」と名付けたケースが存在する(松本氏もよくこの名前を付けようと思ったものであるが、メイショウタラチネはダート馬でありながら父父にHalo系のタイキシャトル、母方にマルゼンスキーとノーザンテーストの血統があり、SS系が混じってない近代では珍しい血統である。なお母同様短距離ダート馬であるが2023年の甲山特別(園田競馬で行われるJRA交流戦)で勝っていたりする)。
*8 父:プルラリズム、母:トクノエイティー。ゴールドシップの祖母にあたり、馬主が小林英一氏で、主戦騎手が横山典弘であった。
*9 2012年05月25日付デイリースポーツ刊「馬三郎」"北海道発定期便 日高の夢を背負うゴールドシップ"より。なお同記事では祖母が曾祖母のトクノエイティーとなっているが、仔であるパストラリズムが別の牧場生産である為、馬名の誤記と思われる。
*10 日本競馬初期における有力馬の購入・生産は資金力と交渉力・血統に関するノウハウのある三菱財閥の小岩井農場が購入していた。御料牧場も小岩井農場から馬を借り受けて生産していたが、日清・日露戦争で良質な軍馬の重要性を認識した事と、当時グレーゾーンだった競馬が旧競馬法の成立によりブームとなった事から帝国直々に購入する事になった。それらの馬のうち、1931~32年に掛けて(ダートが主流の)アメリカから輸入された6頭(この馬の血統は俗に「星の血統」と呼ばれている)。トウカイテイオーの先祖である「星友」を除きすべて牝馬。
*11 星の馬の6頭のうち最初に輸入された牝馬。1935年春の帝室御賞典(現在の天皇賞)を制した女傑「クレオパトラトマス(月城)」、第8回日本ダービーを制した「クモハタ」と言った名馬を生み出した。かの社台の創設者であった吉田善哉氏が女王と仰ぎ「ああいう馬が欲しい」と述懐し憧れを持った馬でもあった。
*12 なおゴルシは、星旗の直系牝系において1971年菊花賞を制したニホンピロムーテー以来41年ぶりにG1制覇を為した馬でもある。
*13 1928-2001。騎手としてはスピードシンボリ等で名を馳せ、調教師としてはかのシンボリルドルフを育て上げた事で知られ、騎手・調教師ともに成功し、騎手時代フェアプレーを信条にしていた事から「ミスター競馬」と呼ばれた。2004年騎手顕彰者。
*14 父:ダイハード、母:風玲。勝ち鞍は牝馬東京タイムズ杯(現在のGII 府中牝馬ステークス)など。シンボリ牧場の和田共弘が保有していた事で知られる。
*15 なお性格面について「中和させようとして配合した」と語られることがあるが、企図されたのはあくまで(母父にマックイーンが来る)小柄かつ頑丈な仔の産出だけであり、そもそも性格を近づけるという事はあっても、血統理論上中和させる事は血統の複雑さ(+それによる市場価格変動)を含めて生き物である以上不可能である。現に細かな性格を狙った交配が無駄なことは、かのドリームジャーニーの性格が相棒の池添謙一をして「(同じく母オリエンタルアートの全弟)オルフェーヴルより狂暴」と言わしめた時点で明白であった
*16 ちなみに社台自体はステゴを初年度産駒次第で見限り売ろうとしていたし、母オリエンタルアートもメジロマックイーン産駒を追放・淘汰した中で唯一(全兄シュペルノーヴァがオープン入りした為)白老ファームに残っていた所にステゴが付けられた経緯があり、お世辞にも期待されていた訳ではなかった中でドリジャ/オルフェ兄弟が産まれ活躍した為、社台は間一髪でその恩恵を受けると言う奇跡とも皮肉とも言える結果となっている。
*17 蹄の後にある蹄球部が挫傷する事で起こる炎症。所謂「ツキアゲ」。疼痛・跛行により発覚する事が多いが、進行した場合裂蹄する事もある。
*18 蹄球炎により4日休んだものの調整に遅れが生じて2か月後の凱旋門賞を(この年流行した馬インフルエンザの影響もあり)断念。
*19 蹄球炎で引退。
*20 ディープやクロフネ、ウオッカが有名な、大きな歩幅を取る走法。歩幅を大きく取るためスピードを出しやすく体力を温存出来るメリットがあるが、地面に着地した際の衝撃が増す為故障しやすいと言うデメリットもある。
*21 2013年阪神大賞典4着のベールドインパクト(福永のコントロールが完全に効かず無謀にもゴルシにスタミナ勝負に挑みに併走した結果、最後の直線で失速の末重度の右前脚屈腱炎で引退)、2012年の菊花/有馬で出走したスカイディグニティ(有馬後に右前脚屈腱炎発覚で全治9か月)など。
*22 1着のディープブリランテ(7月のキングジョージ6世・クイーンエリザベスステークス出場後に右前脚屈腱炎で引退)、3着のトーセンホマレボシ(右前脚屈腱炎で引退)、4着のワールドエース(彼と同じ上がり最速タイで攻めた結果、左前球節炎→左前脚屈腱炎で約1年半強休養)。
*23 なおその逆は同世代のディープ産駒ジェンティルドンナであり、東京競馬場と2014年に路盤改修で高速馬場化した中山競馬場では、その加速力を活かして強さを発揮した一方、阪神・京都を制したのは桜花・ローズS・秋華の牝馬戦(もといヴィルシーナの絶妙なペース配分の恩恵)であり、阪神では宝塚でゴルシに2度、京都では京都記念でデスペラードに敗けるなど苦手としていた
*24 ゴールドシップ以外では同じ芦毛の菊花賞馬ヒシミラクル(血統的にはゴルシの従兄弟違い)もこのような戦法を取ることがあった
*25 札幌記念の中でも凱旋門賞前の前哨戦一騎打ちとして札幌競馬場に21世紀に入って初の4万人台(46000人)の観客が詰め掛けた世紀の一戦としても知られる。
*26 距離を歩数で稼ぐ走法。ストライドとは逆にダート・短距離・小回りで有利とされており、ドリジャやタイキシャトル、グラスワンダー、アストンマーチャンなどが有名。
*27 なお宝塚記念に関しては諸説あり、ジェンティルドンナの後を(追い抜き方が癪に障ったかナンパでもするつもりだったのかは兎も角)追いかけたとも言われている。
*28 走法の使い分け自体はオルフェも(手前の左右の切り替えともども)やってはいた。
*29 競馬評論家の井崎脩五郎氏曰く「頭が凄く良くて繊細過ぎて調子に波がある」とし、レースペースが遅いと「付き合ってられるか!行かせろ!!」、出走頭数が多いと「ごちゃごちゃしてんなァ…」、レース間隔が短いと「この前走ったろ!なんでまた走らせるんだ!!」という感情になっていたのだろうと語っている。
*30 競走馬が走るコースの内回りの柵のこと。外回りの柵の方は『外ラチ』。『埒が明かない』の埒もこれ。
*31 2014年5月に路盤を改良し高速化が行われた結果、以降の皐月は一度も不良馬場になっておらず、稍重や重馬場(改良後の皐月では2023年のみ)になったとしても多少不利にはなるが内側を通れるようになった。
*32 内ラチに沿って走れば距離が縮むため当然有利なのだが、旋回角度がきつくなって足への負担が大きくなるため、苦手とする馬は少なくない。先行して楽なコースを取ろうにも、それもまた簡単なことではない。
*33 間に別のレースを挟むならカブラヤオー、ミスターシービー(2頭とも弥生賞)、ナリタブライアン(スプリングステークス)も共同通信杯と皐月賞の双方を制しているが、創設された1967年からの44年の間、共同通信杯を制して皐月賞へ直行し、同じく勝利した馬はおらず、2012年以前ではフサイチホウオーとジャングルポケットの3着が最高順位であった。
*34 京都競馬場の3000m/3200mコースでの重賞レースは18頭前後で開催される為、馬群が密集して終始外を回らされ大幅に距離をロスしてしまう。そのため『通常は』逃げ馬でない限り内枠が有利とされ、追い込み馬では仕掛けが遅いと致命的な負けに繋がりやすく、1枠1番をかなぐり捨てる事は無謀な行為でしかないところだが……。
*35 故に2008年のダイワスカーレットのような大逃げをしない限り、大外枠は非常に不利。
*36 16頭フルゲートで7枠が勝利したのはここ20年でゴルシのみ。更に2013年・2014年も7枠14番(勝ち馬である2013年のオルフェーヴルは3枠6番、2014年のジェンティルドンナは2枠4番)と不運としか言いようのない枠選びにも拘わらず、双方で3着と馬券へ絡んでいる。なお過去20年で7枠以上での3着以内も、2020年の2着サラキア・3着フィエールマン、2008年の勝ち馬ダイワスカーレット・2着アドマイヤモナーク(双方8枠。14頭立て)と2023年の2着スターズオンアース(8枠16番)、2005年の3着リンカーンのみという鬼門中の鬼門枠である。というよりもコイツのせいで10年間「7枠にもチャンスがある」というてんでアテにならないデータが使われていた。
*37 ただし、彼の出走全レースのうち稍重だったのは2011年の札幌二歳S(2位。勝ち馬はグランデッツァ)と、かの2012年皐月賞のみで他は良馬場だった。しかし一応2014年の宝塚記念では直前に大雨レベルの通り雨があった(須貝師が雨乞いした事でも有名)事もあった。
*38 本来の騎乗は岩田康誠であったが、アドマイヤデウスへの騎乗の先約があった為に乗り替わりとなった。
*39 なお後方追随且つ横ポツンで勝利したレースは2000mまでで複数例あるが、長距離且つ重賞以上での後方&横ポツンは未だこれが唯一。
*40 2着7番人気のフェイムゲームも3着10番人気のカレンミロティックもハーツクライ産駒でゴリゴリのスタミナ血統であり、そうでない人気馬が軒並み撃沈する事態になった。
*41 当時1週間の間、前日まで晴れ、そして天気予報で当日も晴れが予想された為、芝の保護を目的として毎日散水が行われていた。ところが、当日は8レースまで曇りだった事から、芝が水を多分に含んだ状態になり鞘重に近い良馬場となってしまった。これが事前に知らされていなかった事でゴルシに有利に働いた(乃至は1番人気のキズナに配慮した)のではないかとして、一時「ゴールドシップ散水事件」と呼ばれるスキャンダルに発展した。
*42 生誕日含め6年59日。2位はアンバーシャダイの6年51日(1983年)、3位はライスシャワーの6年50日(1995年)。
*43 ゴールまで一息入れるタイミングが作れなくて追いっぱなしになったため流石に途中でバテた。全盛期を過ぎていたという見方が多かったが状態はそれまでと比べても遜色なく、担当の松井装蹄士は「まだ衰えていない。むしろ磨きがかかっている」とまで評している。父のステイゴールドは「引退直後が全盛期」と武豊が評しており、非常に息の長い馬だったことを考えると未だ全盛期を過ぎていなかったのかもしれない。坂でパワーを温存できる先行策をとれていたら、もしくは距離をしっかり測って最終直線でまくりあげる戦術なら勝利する可能性は十分あったという者もいる。
*44 ちなみに基本的に馬は草食であるが、肉を食べても若干量なら消化可能であり、共食いも目撃・撮影されている。
*45 Asian Racing Report 2022年9月4日付「The rockstar, the singer-songwriter and the pop princess: Naosuke Sugai – Japan’s super producer」より。
*46 厩舎では乱暴者で、ついたあだ名が「ライオン」。尤も厩舎外ではそんな様子を見せることなく常に堂々とした立ち振る舞いをしており、勝手気ままに振る舞える場所とそうでない場所をきちんと認識していたとされる。ゴルシから見るとセカンドノホシを通じた義父。
*47 非常に気性が荒く、馬房にも「猛馬注意」という札が掲げられていた。ゴルシにとっては産駒の一頭アクシノスの祖母でもある。
*48 (あの池江厩舎でドリジャの後を継いだ)栗東の大ボスで、ゴルシが入厩時に彼から威嚇され、一方的に仕掛けていた模様。
*49 宝塚記念前の栗東での坂路調教中にも威嚇していた事が日刊ゲンダイにより報じられている。また同時にサンライズメジャーにも威嚇していたとも報じている。
*50 ゴルシ同様芦毛の牡馬。現役時代は中山巧者で通り、その白くなる途上の模様から「眉毛君」とも。ステゴ産駒ながらゴルシやフェノーメノよりも大人しい。
*51 ウマが「鳴く」「嘶く」というレベルではなく、ヒグマのソレを思わせる(というよりほぼそのままの)まさに「吠える」ような野太い声である。その吠えように騎手のほぼ全員が覗き込み、その場にいたスタッフも後に「馬が吠えるのを初めて見た」と証言。更に当時中継でレポーターを担当していた細江純子女史すら取り乱し、後に「寒気すら感じたほど恐怖した」と言わしめている。なお今浪氏は隣のフェノーメノを威嚇したと推測しているが、他方でゲートイン時に誘導員がゴルシの尻を軽く叩く様子も目撃されており、これが原因(主要因)とする見方もある。
*52 競走後、勝ち馬のフェノーメノに騎乗していた蛯名正義騎手(2022年から調教師)がその様子を絶叫混じりでマネしていたもの。
*53 横山典弘騎手は若かりし頃よく酒を飲んで酔っ払って顔を出した厩舎の馬房で寝込む事が頻繁にあった。
*54 柵に前歯をひっかけて空気を吸い込み胃腸に入れる「さく癖」の通称。馬はゲップが出来ず、通常命の危険に係わる疝痛(腹痛)の危険がある為矯正させる事もある。なお2022年10月に彼も疝痛になったらしく、さく癖防止用の口かごを装着しているのが目撃されている。例によって1日2日で外れたらしいが。
*55 ゴルシのラストランとなった2015年有馬記念を制した『ゴールド』アクターの祖父でもある。
*56 奇しくもともにサンデーサイレンスの孫であり、またブチコは鹿毛のぶちが入ってたとはいえ白毛、つまり芦毛のゴルシ以上の「白いの」である。
*57 2018年産白毛馬(父はクロフネ、母ブチコの父はキングカメハメハ)。主な勝鞍は2020年阪神ジュベナイル/2021年桜花賞で、'21牝馬クラシックでティアラを分け合った「USAトリオ」の「S」でその筆頭。白毛馬としては世界初のGI競走・クラシック制覇・国際平地芝重賞勝利馬である。母方の祖母シラユキヒメから続く非常に珍しい白毛のサラブレッドで、ブチコと違いブチも無い「真っ白い馬」である。なお担当厩務員が今浪氏のチームゴルシ体制であり、そのせいかゴルシ産駒と間違えられる事がある。と同時にゴルシのような略称と勘違いされる事があるが正式な馬名である。
*58 俗に「阪神巧者」「仁川の鬼」とまで称されていた。
*59 宝塚記念は6月末~7月頭に行われる関係上、天皇賞(春)・安田記念などから直行する場合が多く好調を維持しづらく、加えて梅雨時の夏季である事から馬場が悪くなる場合が多い。そのため、宝塚記念の50年以上の歴史において連覇ですらゴルシが初で、2022年現在でもクロノジェネシス(2020・2021)しか達成できていない。なおクロノジェネシスは3度目の2022年宝塚記念より前、2021年有馬記念で引退したため、3連覇への挑戦に至っては未だゴルシのみ。
*60 加えて前年・前々年の宝塚記念ではいつもの後方からの捲りではなく最初から先行して4角で抜け出す安定安心の横綱相撲で勝利を掴むというのをそれぞれ別の鞍上で実践しており、やる気が出るか次第ないつもの後方からの競馬を展開する予想も少なかった。
*61 BRFの担当スタリオンスタッフ談。なお当人はステゴも担当しており、「ステゴなら襲われていた」とも回想し、身構えていたら意外な程おとなしかったと語っており、早期からゴールドシップの意思表示を理解した事から大人しくなったとの事。
*62 ゴールドシップの「お仕事風景」を撮影した動画で頻繁に立ち上がる姿が見られ「仕事が楽しくてテンションが上がってる」とか「仕事前の準備運動」とも言われている。
*63 代表的な例がウッドシップであろう。2015年よりゴールドアリュールと付けていたが2年連続不受胎→ゴルシと付けたら一発受胎しツインシップが産まれたと言う経緯を持つ。なおこのせいか6年連続彼の仔を受胎且つ2022年時点でのデビュー馬4頭全頭勝ち上がりを果たしている。
*64 オークスで2着に入ったアカイトリノムスメ(父・ディープインパクト、母・アパパネ)の捩り。主な勝ち鞍は2021年秋華賞で’21牝馬クラシックでティアラを分け合った「USAトリオ」の「A」。なおアカイトリは母名の由来であるアカハワイミツスイ(アパパネ)というハワイに生息する鳥の事である。2022年に阪神牝馬Sで跛行→後に右第三趾骨の骨折で引退し現在は繁殖牝馬。
*65 浜中は同日中山開催の日経賞でボッケリーニの先約があった。
*66 2024年より斤量が軽かった2歳3歳限定戦等が1kg増えるようになっている
*67 シャフリヤール:2021年ダービー、22年ドバイシーマクラシック勝ち馬
*68 ディープスカイ:2008年ダービー、NHKマイルカップ勝ち馬
*69 キズナ:2013年ダービー勝ち馬
*70 ブラストワンピース:2018年有馬記念勝ち馬
*71 アルアイン:2017年皐月賞、2019年大阪杯勝ち馬
*72 なおこれでも種付け料が300~200万円と控えめなのは、馬主である小林氏がBRFへ種牡馬入りさせるに当たって岡田氏に「中小牧場応援も兼ねて、値段は控えめ且つ種付け頭数控えめとする事」という条件を承諾させたからである。
*73 岡田総帥の弟である岡田牧雄氏が運営している種牡馬牧場。
*74 なおラフィアンでは、クラブにおいてレックススタッドのスクリーンヒーロー・ゴルシの産駒での二大巨頭が形成されているが、当のスクリーンヒーローの種付けが上手くない上に受胎率が低い事が課題となっていた為か、不受胎になった際にはゴルシが駆り出されてしかも殆どが受胎・出産する事態になっており、結果ゴルシ産駒に募集満口が偏ると言う弊害が発生、2023年を以ってスクリーンヒーローが種牡馬を引退した為傾向が注目されるところである。
*75 ただしこれは障害飛越に失敗して土台に強打したことによるもので、通常の走行で自然発生したものではない。
*76 ただし問題はむしろその先で起きており、ビビりで馬群で揉まれる事が苦手だったり、先頭に出てしまうと仲間が近くにいないか気になって集中力を欠いてしまい減速(いわゆるソラを使う)したり、絶好のポジションで直線に入ってもふざけてハミを取らずにスパートをかけず勝ちあぐねる産駒も多い。
*77 ウッドシップの子で全兄にツインシップとメガゴールド。母母ブライトウッド牝系は全産駒の芝の勝利僅か1勝、牡馬の芝未勝利絶賛更新中というコッテコテのダート家系
*78 解説者に「もっと上でやれる馬」と早くも太鼓判を押された
*79 その彼とて乗る騎手に悉く「マイラーではない」と指摘され距離延長を進言されている始末である。
*80 2017年産米国産鹿毛牝馬、父・ポイントオブエントリー、母リトルミスマフェット(母父:スキャットダディ)、栗東辻野厩舎所属。なお父ポイントオブエントリーは母父系がミスプロ系、父父系がヘイルトゥリーズン系で産駒は彼女含めJRAで6頭全部勝ち上がっており、母リトルミスマフェットも父母系がミスプロ系、母父系がロベルト系という良血である。本文に書いてある通り小林氏がゴルシとの交配を目的に吉田直哉(社台の吉田一家とは遠戚)がアメリカで経営するウィンチェスターファームから購入した馬であり、俗に「ゴルシの許嫁」とネタにされているのであるが、血統の通り実力の方も短距離を中心に2021年関屋記念に勝利しサマーシリーズチャンプになったり、2022年京都牝馬S(共にGIII)を勝ち鞍としてる他、2022年高松宮記念(GI)の勝ち馬ナランフレグをクビ差まで追い詰めたりと活躍。尚且つ不良馬場・重馬場・鞘重馬場で勝ちを捥ぎ取るなど非常に高い(その為か引退=嫁入りが伸びており、ゴルシが種牡馬引退or天国へ行くのが先かとネタにされる事も)。
*81 2019年産駒のウインマイルート(1勝クラス)と2020年産駒のデイバンカウボーイが該当。登録上は栗毛だが、腹の部分は白いサシが入り、おまけに尻尾の付け根はアライグマのように縞模様になるというなかなか愉快な見た目である。
*82 1996年産白毛馬、父:SS、母:ウェイブウインド。黒鹿毛と鹿毛の両親から突然変異で生まれた牝馬であり、競馬史上初の白毛馬重賞勝ち馬であるユキチャン・同G1勝利馬ソダシの母であるブチコなど10頭もの白毛馬を生み出し、日本初の白毛牡馬であるハクタイユーと並んで一大白毛血統を築いた事で知られる。俗にいうW14系。
*83 カスタディーヴァ共々南半球はニュージーランドの出身であり、加えてカスタディーヴァは後にJRAの白毛馬初の南半球産まれともなっており、こちらも中々属性過多。
*84 1963年産白毛馬、父:ケンタッキーカーネル 母:フィリーオマインの純アメリカ産。栗毛と黒鹿毛の両親から白毛が産まれた為、態々カリフォルニア大学でDNA検査まで行った結果DNAの突然変異である事が解かり、米ジョッキークラブで新たに白毛が登録される契機を作った。俗にいう白毛W2系の元祖。
*85 その3回は連続であり、確率は単純計算12.5%。
*86 少なくとも全8種類を達成しているのはサンデーサイレンスキングカメハメハ、アドマイヤジャパン、モーリス、ノヴェリスト位しかいない。なおヴェローチェオロやジャジャマーチャンの2023のように栃栗毛に近い色をした馬はいるが、JRA実施のDNA検査は厳格であり栗毛で登録される場合も多い。
*87 結果は2位のライスシャワーと40票差の309票でぶっちぎりの1位。
*88 2011年産栗毛馬。父:ラッキープルピット、母:ラヴザチェイスの純アメリカ産。勝ち鞍:2014年アメリカクラシック二冠馬(ケンタッキーダービー・プリークネスS)・2016年ドバイWC圧勝などGI級7勝。’14/’16年の全米年度代表馬にも選ばれアメリカの至宝と称された。引退後はアメリカ・テイラーメイドファームで種牡馬+南半球のチリでシャトル種牡馬という生活を送っていたが、2019年に日本の日高のアロースタッドに種牡馬として売却され、何の因果かラニの同僚となっている。

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