登録日:2015/09/18 Fri 20:37:20
更新日:2024/01/16 Tue 11:14:29NEW!
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Yuto Nagatomo oh oh oh oh
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ヴェスレイ・スナイデル(Wesley Benjamin Sneijder, 1984年6月9日~)はオランダ・ユトレヒト出身の元同国代表サッカー選手。
身長170cm。ポジションは攻撃的MF。
概要
類まれな戦術眼・サッカーIQと、正確な長短のパス・フリーキック・強烈なミドルシュートが持ち味である、ワールドクラスのテクニックを持った司令塔タイプの選手。行く先々のクラブ、そして代表でも栄光の背番号10を背負うことが多く、10番が板についた選手のひとり。しかし短気な一面がありラフプレーを見舞うこともある他、負傷離脱も少なくない(尤も、ラフプレーや負傷はスナイデルに限らずオランダ人選手によくあることなのだが…)。
日本ではとある日本人選手との親密さも話題となった。これについては後述。
クラブ経歴
祖父・父ともにサッカー選手であったというサッカー一家に生まれる(ちなみに兄のジェフレイ・弟のロドニーもサッカー選手である)。
1992年に育成に定評のあるアヤックスの下部組織に入団。
2002-03シーズンにトップチームデビューし、翌シーズンにはレギュラーに定着、ヨハン・クライフ賞(オランダ年間若手最優秀選手賞)を受賞した。2006-07シーズンには初めて背番号10を与えられ、このシーズンはリーグ戦でのゴールも18と激増した。
2007年夏にはレアル・マドリードに移籍。2007-08シーズンはリーガ30試合9ゴールという成績でチームのリーガ2連覇に貢献した。翌2008-09シーズンには背番号10を与えられたが負傷に悩み、更にその間タレントの女性と不倫を重ねていたことが明らかになった。*1
不倫騒動で裁判沙汰になったことで評価を落とし、2009年夏の移籍市場でチームがカカ・Cロナウド・ベンゼマらを獲得したこともあり2シーズンでチームから放出された。
そんなスナイデルに目をつけていたのが名将モウリーニョである。
彼の誘いに乗る形で、セリエA4連覇中であったインテルに加入し、瞬く間にチームにフィット。
スナイデルの活躍により、2009-10シーズンのインテルはセリエA、コッパ・イタリア、チャンピオンズリーグを全て制しイタリア初の3冠を達成した。
この年は後述のようにW杯での大活躍もあったが、FIFAバロンドールの最終候補3人に残ることができず物議を醸したほどであった。
その後は負傷や度重なる監督交代、さらに給料面でクラブとの対立があり難しいシーズンを過ごした。
2013年冬の移籍市場で、トルコ・スュペルリグの名門ガラタサライSKに移籍。
ガラタサライではこれまでと異なる左サイドハーフでの出場でありやや苦しんだが、2シーズン連続でリーグ2桁ゴールを記録。
何よりもスナイデルのテクニカルなプレーはアツい(アツ過ぎて色々なものが飛び交う)ことで知られるトルコのファンの心を掴んだ。
2016-17シーズンを最後にガラタサライを退団し、フランス・リーグアンのOGCニースに移籍(バロテッリとはインテル時代以来再びチームメイトとなった)。
しかし出場機会に恵まれず5ヶ月で退団、カタールのアル・ガラファに移籍した。
そして2019年8月12日、現役引退を発表。
これにより、ロッベン*2、ファン・ペルシー、ファン・デル・ファールトといった、2000年代を支えたオランダ代表の4人が半年の間にユニフォームを脱ぐことになったのだった。
代表経歴
各年代のユース代表を経験したのち、2003年にA代表デビュー。
EURO2004では予選突破に貢献するものの、システム変更により中盤の枚数が減ったこともあり本大会ではベンチを暖めた。チームは準決勝で開催国ポルトガルに敗れベスト4。
その後監督に就任したマルコ・ファン・バステンからも信頼を与えられ出場機会を確保し、2006年ドイツW杯の予選突破に貢献。
本大会にも出場し、チームは死の組と呼ばれたグループCを突破した。しかし、Round of 16のポルトガル戦が両チーム合計16枚のイエローが飛び交う荒れた試合となる。スナイデル自身も短気な所を見せてしまいイエローを貰い、チームも0-1で敗れた。
EURO2008ではチームは準々決勝敗退であったが、スナイデル自身は高いパフォーマンスを披露しUEFA選定の大会優秀選手23人に選ばれた。
特にグループリーグ初戦で、W杯王者であったイタリアを相手に1ゴール1アシストの活躍で3-0での勝利に貢献した。
そして2010年南アフリカW杯でスナイデルは覚醒した。
グループリーグの第2戦、チームは日本代表の挑戦を受ける。
後半8分、ファン・ペルシが落としたボールをペナルティエリア外から弾丸のようなミドルシュート。ボールはGK川島の手をかすめネットを揺らし、スナイデルにとってW杯初ゴール。そのまま1-0で勝利し、後の親友ら日本代表に力の差を見せつけた。
グループリーグで3連勝したのちは決勝トーナメントでも大活躍。
特に準々決勝では当時FIFAランキング1位の王国ブラジルに挑み、前半10分にいきなり先制されるも、後半8分右サイドからロングボールを蹴り入れ、これが相手のミスを誘い同点ゴール。*3スナイデルはテレビカメラにどアップで映りゴールを喜んだ。更に後半23分、コーナーからヘディングを決め(170cmのスナイデルに頭で決められるブラジル守備陣…)、2-1の逆転勝利の立役者となった。
チームは決勝進出を果たし、スナイデルはここまで5得点を挙げ得点王争いのトップタイとなる。
オランダの初優勝を懸けて挑んだ決勝戦の相手は、同じく初優勝の懸かった無敵艦隊スペイン。
しかしこの試合はチームメイトがラフプレーを連発、そのツケがたまって延長戦でオランダは10人になってしまう。
スナイデル自身は後半巧みなスルーパスでロッベンと相手GKカシージャスの1対1を演出するも、カシージャスの好セーブに遭い得点には繋がらず。
そして10人になった後、イニエスタのゴールが決まりスペイン先制、そのまま0-1で敗れた。
本試合の主審を務めたハワード・ウェブに(オランダ側にとっても)マズい判定がいくつかあったこともあり、スナイデルを含めた何人かの選手が試合終了直後から抗議を続けていたがチームスタッフに「もうよせ」とばかりに止められ、ピッチに座り込んで涙に暮れた…。
とはいえ大会を通して大活躍だったスナイデルはシルバーボール(MVP2位)とブロンズブーツ(得点王3位)を受賞。ダビド・ビジャ(シルバーブーツ・ブロンズボール)、トーマス・ミュラー(ゴールデンブーツ)、ディエゴ・フォルラン(ゴールデンボール)と共に得点王となったが、FWとしての出場がない選手が得点王に輝いたのは初の快挙であった。
EURO2012ではデンマーク・ドイツ・ポルトガルと同居した死の組に入り、3敗で大会を去った。
この頃のスナイデルはクラブでの不調を引きずり、代表で主将を任されるもスランプにあえぎキャプテンマークを剥奪されたりもした。
2014年ブラジルW杯では、何と前回決勝を戦ったスペインと同じ組に入った。
そのスペイン戦ではファン・ペルシのダイビングヘッドやロッベンの爆走もあり5-1の大勝。スナイデルはこの試合で代表戦100試合出場を達成した。
Round of 16ではメキシコに先制され試合終了が近づくも、後半43分に今大会絶好調の相手GKオチョアが一歩も動けない弾道の強烈なシュートを決め、その後の逆転勝利に繋げた。
準々決勝では大会のサプライズチームであったコスタリカの挑戦を受ける。試合中スナイデルのシュートがポストやバー直撃の連続という不運に見舞われたが、PK戦で3人目のキッカーとしてシュートを成功させ、2大会連続のベスト4進出に貢献した。
しかし準決勝のアルゼンチン戦、同様に縺れ込んだPK戦でスナイデルのシュートが相手GKロメロのファインセーブに遭ってしまう…。スナイデルのシュートコースは決して甘くはなかったため、ここはロメロを褒めるべきだろう。
続く3位決定戦では直前に負傷し出場できないというスナイデルにとってはやや不運な大会となったが、チームはミネイロンの惨劇のショックを引きずる開催国ブラジルに3-0で完勝し見事3位に輝いた。
2017年6月4日に行われたコートジボワールとの親善試合に途中出場したことで、ファン・デル・サールと並ぶオランダ代表歴代最多出場記録(130試合)を達成した。その5日後、自身の33歳の誕生日にW杯予選のルクセンブルク戦に出場したことで最多出場記録を更新した。
2018年3月に代表引退を表明し、9月6日のペルー戦が代表最後の出場となった。代表での通算記録は134試合出場・31得点であった。
大親友・長友佑都
2011年1月末、我らが日本代表・長友佑都がインテルに移籍したという衝撃のニュースが日本に飛び込んできた。
スター軍団の中に放り込まれた(?)長友は持ち前の親しみやすいキャラで主将サネッティやマテ兄貴らチームメイトたちの信頼を獲得。
中でも、スナイデルは誰よりも長友のことを気に入り、大親友となった2人の珍エピソードが次々と明らかになった。
ということで、以下のエピソードからスナ友コンビの親密っぷり&カオスさを味わっていただきたい。
- 長友と一緒に写ってる写真では、たいていスナイデルの表情が緩みっぱなしである(日本のネットでも「こんなによく笑うヤツだったとは…」との反応が見られた)。
- お互いの家に遊びに行くことは日常茶飯事
- チャンピオンズリーグの決勝もスナイデル宅で2人で観戦した
- 2人のあまりの親密ぶりに、スナイデルの奥さんが嫉妬したという話も…(スナイデル自身は「妻はユウトの良さをわかってくれないんだ(笑)」と冗談めかして発言したことがある)。
- スナイデルの数少ないTwitterのお気に入りに長友が出演しているCMの動画がある
- ちなみに本記事冒頭に記したのは、スナイデルが笑顔でくつろぐ長友の画像と共にツイートした内容である
- ある日本人がTwitterでスナイデルに長友がももいろクローバーZや澤穂希と共演した爽のCM動画を紹介した
- するとスナイデルは"niceeeee;)"とのコメントをつけて引用リツイート。長友出演のCMが地元のメディアにも紹介されるに至った
- 当の日本人はスナイデルからリプライが来て、自身のツイートが世界中に拡散されたことに驚いたが、「長友を使えばスナイデルすらあっさり釣れるとは…www」とも
- 長友の影響で週3は日本食を食べていた。今はトルコ料理に舌鼓を打っているのだろうか
- 長友がインテルで初めてゴールを決めた際には嬉しそうな顔して長友にタックル(体幹の強い長友は当然倒れたりしない)
- 2011年夏、インテルへの残留を表明した会見では、「素晴らしいチームメイト」とサネッティや長友の名前を挙げた
- 2012年にカッサーノが移籍してきてからはもはや三馬鹿状態
- ロッカールームでは隣同士であり、移動時の飛行機などでも隣同士の席であり、遠征時の宿泊先でも同じ部屋
- 但しチーム内人気の高い長友を巡って同室希望の競争率が激しく、そこはスナイデルの思い通り行かないこともある。しかし…
- ある時長友と過ごす特権を得たチアゴ・モッタ曰く「ユウトと一緒にいるのは楽しいね。ただ、スナイデルがしょっちゅう部屋に入ってくるんだ…笑」
- ある日長友が練習を終え、着替えたのち車で自宅へ帰る途中、高速道路で長友の股間がだんだん熱くなってきた。高速なので車を停めることもできず、長友はズボンとパンツを下ろしたまま運転を続ける羽目になった(さすがに車の外からは見えないだろうが…)。
- 実はスナイデルがロッカールームに放置してあった長友のパンツに鎮痛剤を塗っており、長友はパンツを穿いた瞬間には気づかなかった。高速で熱さに悶絶しながら「スナイデルにやられたな…」と思ったらしい。
- ミーティング中に携帯が鳴ると罰金を払わなくてはいけないため、長友は毎回電源を切ったことを確認していたが、ある日ミーティング中に長友の携帯が鳴りだした。「ユウト!」と注意はされるし、着信音がアヒルの鳴き声であったため恥もかき、罰金も払う羽目になり散々であった。
- 実はスナイデルがわざと長友の携帯の電源を入れ、ミーティング中に自ら長友の携帯にこっそり電話をかけていた。アヒル声の着信音が響き渡りスナイデルはクスクス笑っていたようである。
- 長友のシャワーシーンを携帯で撮り、「YouTubeに載せてやる!笑」
- 長友がナプキンを取ると、スナイデルが仕掛けておいたチーズがボロボロこぼれ、当然長友はチーズ塗れに…
- スナイデル「(レオナルド)監督が呼んでたよ」長友「マジか、行かなきゃ」
- 長友「失礼しまーす」レオナルド「? 呼んでないよ?」長友「…?」スナイデル(プークスクスwww)
現在はスナイデルが移籍したため新たなエピソードにはしばらくお目にかかれないだろうが、2015年夏に長友の移籍が報じられたときはスナイデルの口利きでガラタサライに行くのではないかという報道すらあった*4。
それにしてもスナイデルはなぜここまで長友のことを気に入ったのだろうか。
当時世界的に無名ながらW杯の対戦相手として好パフォーマンスを披露していた長友に興味を抱いたのがきっかけかもしれないし、もちろん他のチームメイトと同様に長友のキャラクターに夢中になったことが一番の大きな理由だろう。
しかしそれに加えて、長友がスナイデルと同じく小柄な選手であったという要素も看過できない。
考えてみてほしい。スナイデルは幼いころから磨いたサッカーのテクニックをもってしてCL優勝やW杯準優勝・得点王といった栄誉にあずかり、金・名誉・美人妻などの愛する家族といった世の男が羨むあらゆるものを手に入れた。しかしそんな中でも、平均身長の高い民族として知られるオランダ人に生まれながら小柄な自分にどこかコンプレックスを抱いていたのかもしれない。
そう思っていたところ(?)、スナイデルの目の前に自分と同じくらい、もしかしたら自分以上に小柄な日本産のクマのぬいぐるみが姿を現した。*5そんな彼を見てスナイデルがシンパシーを感じないはずがないのである。
とにもかくにも、長友とチームメイトであった約2年間、様々なエピソードで日本のサッカーファンの腹筋を壊し続けたのであった。
その他
- 名前は英語読みだと「ウェスリー・スナイダー」となる。名前の日本語表記は「ウェズレイ」「ウェスレイ」「スネイデル」など結構揺れている。
- 代表で同僚であるアリエン・ロッベンとは似たような境遇を歩んでいる。2人とも2007年夏にレアル・マドリードに入団するもその2年後に「不要品」として放出され、ロッベンはバイエルン・ミュンヘン、スナイデルはインテルに活躍の場を移した。2人とも移籍先で素晴らしいパフォーマンスを披露し、両チームは2010年5月のCL決勝で対決することになった。その会場は、皮肉にも彼ら2人を追い出したレアルの本拠地、サンチャゴ・ベルナベウであった。この時は前述のようにスナイデルを擁するインテルが勝利し3冠を掴んだが、2012-13シーズンにはロッベンの方がバイエルンを3冠達成に導く活躍をした。
- また2010年W杯ではスペインとの決勝戦を控え、スナイデルとロッベンは自分たちを見捨てたスペインサッカー界を見返そうと思いを共にしたという。
- ちなみにそのロッベンは長友のことをよく知らないようである(2013年に親善試合で戦った際のコメント)。
スナイデルさん教えてあげて
- 前述の不倫相手だったタレントのヨランテ・カバウさんとは後に正式に結婚、2010年W杯終了後に挙式を行った。長友に嫉妬した奥さんとはこの人のことである。
- インテル時代はサネッティとの関係も良好であり、スナイデルはサネッティの影響でカトリックに改宗した。*6
- ガーナ代表との親善試合の際、元チームメイトのムンタリにショーツをずり下ろすというイタズラを決行した。
小学生かっ
- JBL社のヘッドホンのCMではドイツ代表のジェローム・ボアテングと共演している。CMの内容は片方がもう片方にイタズラを仕掛けるというもの(2パターン制作された)。
共演相手が長友だったら彼が一方的にやられてたことだろう
追記・修正は足元の技術とイタズラの両方に長けた方にお願いします。
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*1 スナイデルは当時既婚者であり、不倫相手にも彼氏がいた*2 一度は引退を表明したものの、2020年、プロデビューを飾った古巣フローニンゲンで現役復帰を決断した
*3 この点は当初オウンゴールとされたが後にFIFAがスナイデルのゴールに訂正した
*4 長友はこの時は結局残留。その後2018年1月にガラタサライへの移籍が決まったが、その際はスナイデルやフェリペ・メロの助言も受けたという
*5 長友をクマのぬいぐるみと表現したのはサネッティである
*6 オランダではプロテスタントがメジャーであり、スナイデルも改宗前はプロテスタントであった可能性がある
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