登録日:2014/11/29 (土) 03:56:00
更新日:2023/12/21 Thu 13:40:42NEW!
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大日本帝国 海軍 戦闘機 夜間戦闘機 月光 月光刑事 いらない子からやればできる子へ 斜銃 小園安名
『月光』は、大日本帝国海軍で運用された双発夜間戦闘機である。連合軍のコードネームは「Irving(アーヴィング)」。
本機以降に海軍の命名基準が変わったため、「月光」は愛称ではなく制式名称。
ぶっちゃけなくても数奇な道を辿った機体である。
性能諸元(月光一一型)
機体略号:J1N1-S
全幅:17.00m
全長:12.13m
全高:4.56m
主翼面積:40.0㎡
自重:4,56t
過荷重重量:7,53t
発動機:栄二一型(離昇1,130hp) 2基
最高速度:507.4km/h(高度5,000m)
上昇力:高度5,000mまで9分35秒
航続距離:2,547km(正規)~3,778km(過荷)
武装:上向き20mm斜銃2挺、下向き20mm斜銃2挺(携行弾数各100発)
爆装:胴体に250kg爆弾2発
乗員:2名
開発経緯と戦歴
日中戦争において、自軍の戦略爆撃部隊が敵戦闘機の邀撃により大損害を受けたことを鑑み、海軍はより高速・重武装の十二試陸上攻撃機の開発を進める一方、
その護衛専任の長距離航続性能を持った双発戦闘機、十三試双発陸上戦闘機計画要求書を提示する。
これを受け、中島飛行機は九七艦攻の開発主任を務めた中村勝治(後、病気により大野和男と交代)を中軸に設計チームを編成、開発に挑む。
どうして海軍が陸上機を欲しがるのかとか、何で海軍が戦略爆撃やってんだとか、そういった当然すぎる疑問点に関しては各自ググっていただきたい。
いちいち説明していたら日が暮れるし、ページが余裕で埋まるので。
開発に関しては栄二一型をエンジンに用い、長大な航続距離を稼ぎ出すために大面積の主翼を設計するなど、半ば爆撃機じみた発想のもとで行われた。
そもそも栄二一型は隼二型や零戦五二型に用いられたエンジンなのだが、長大な航続距離と空戦を行うに足る運動性、そして火力を全て備えさせるには圧倒的に低出力だった。
なんせ2基でようやく2,250hpと言う低出力エンジンで、4.5tからの重量機を振り回そうというのだ。もしかしなくても→無謀
そもそも、燃料どか食いする双発機で航続距離を稼ごうと思ったら、必然的に爆撃機の類似系にならざるをえない。
ちなみに双発戦闘機ブームは第一次大戦後に欧州で発生したものだが、その理屈は
「双発機なら運動性落ちても上昇力と速度でカバーできるし、機首に機銃ドカ盛りできるから重火力!搭載量にも余裕ができるから簡易爆撃機にもなるぞ!素敵やん!」
というものだった。ま、多少上昇性能と速度が上がっても、運動性には勝てなかったよ……なのはBf110なんかが実証してくれたわけだが。
P-38?あれは大正義アメリカ合衆国製造なのでノーカン。
とにかく、空戦なんぞ無理無茶無謀としか言い様がない……のだが、作れと言われれば作るしかない。
で、完成したプロトタイプを飛ばしてみたわけだが、これがまたメッタクソに酷いものだった。
速度や航続力は要求をほぼ満たしていたのだが、案の定運動性がお察しお察しアンドお察し。
その速度にしたって、エンジン2基使って隼とようよう互角、零戦未満という体たらく。
火力も零戦と同じか、7.7mm機銃の数でちょっと上回るか?程度。
ついでに零戦が既に長距離護衛機としてバリバリに活躍していたのも仇となった。
遅い、鈍いとあってはとてもじゃないが戦闘機としては使えない、と見事にお蔵入りコースを突っ走ることに。
しかし、さすがにこんだけやらせといて「やっぱりポイーで」は金と面子が許さなかったのか、海軍は本格的♂陸上偵察機の後継機として、
自衛もできる強行偵察ユニットになりうるという名目で試作5号機から7号機を偵察機へと改修し、実用試験を敢行。
結果、いらない子街道驀進中だった十三試双発陸上戦闘機は、まさかの二式陸上偵察機として制式採用されることとなる。
だから何で海軍が陸上偵察機欲しがってんだよ、と言う突っ込みは禁句。
そもそも、現代の米海軍や海上自衛隊でも陸上哨戒機を保有していて、偵察や哨戒、対潜掃討、電子戦支援*1に運用しているし、長射程の空対艦ミサイルで単独行動中の軍艦なら大破させられるだけの戦闘力を有している。
制式採用直後の1942年7月に実用試験後の試作機3機がラバウルに進出、前線司令部の目としてガダルカナルなどを中心に頑張るが、
元々戦闘機としては鈍亀な機体だったので強行偵察後の追撃は振り切れず、米軍の戦力増強に従って基地上空の哨戒がメインになっていく。
そして年は明けて43年、豊橋で再編中だった第251海軍航空隊(元・台南海軍航空隊)司令の小園安名中佐(当時)が重爆撃機対策として発案した斜銃を上層部の反対をガン無視&押し切り、
自隊の二式陸偵に装備させた改造夜間戦闘機を導入する。
251空はこの改造機を引き連れて5月にラバウルへ再進出、初戦で夜間爆撃にフォイフォイやってきたB-17を2機叩き落とし、その後も次々と空の要塞をシバキ倒しまくる。
これには海軍も掌ブロウクンマグナム。
即座に251空保有の二色陸偵全機の改修許可と改装機の制式化内示が伝えられ、8月23日に夜間戦闘機《月光》として制式採用される。
なお、この成功のせいで小園中佐は斜銃厨と化し、部隊に配備された機体すべてに斜銃を取り付けようとしてあわや大惨事になりかける、
という無駄にカオスかつどうでもいいオチも待ち構えていたりする。配備機レイプ!斜銃厨と化した小園司令
月光無双のおかげでラバウルへの夜間爆撃は一時押さえ込まれるが、戦力比の以下略で連合無双となると非効率な夜間爆撃はほぼ廃止されたため、
逆に月光の方が夜間襲撃をやるようになる。実際、この時期に月光に搭載されていたのは対水上電探だったりする。
そして本土防空戦にも参加するが、P-51参戦まではB-29の昼間迎撃にも参加してたものの、高々度性能の不足や迎撃機数の少なさなどもあって、十分な戦果は挙げられなかった。
月光が本土防空戦で戦果を挙げたのは、アメリカの誇る最終鬼畜ド外道がB-29に夜間低高度爆撃させ始めてからだったりする。
横須賀航空隊の黒鳥四郎少尉&倉本十三上飛曹機など、一晩にB-29を5機も叩き落とすという大功を挙げている。
この頃になるとほぼ全機に対空電探が装備されていたが、取り扱いへの不慣れや信頼性の低さから、特に効果はなかったようだ。当時のレーダーの基礎作ったのは日本人だったんだがなぁ……
とまぁ、斯様に数奇な運命を辿り、産廃からひと花咲かせた月光だったが、元の配備数の少なさも相まり、総生産機数は陸偵込みで477機と少ない。
ちなみに終戦時残存機は40機で、戦後に接収された横須賀航空隊のヨ-102号機が修復の上でスミソニアン航空宇宙博物館に展示されている。
バリエーション
○十三試双発陸上戦闘機
初期計画要求に基づく護衛戦闘機型。機首に20mm機銃1挺+7.7mm機銃2挺、後方上面に遠隔操作式7.7mm動力旋回連装機銃2挺、後方下面に手動式7.7mm単装旋回機銃1挺を備える。
試作機のうち5-7号機が陸上偵察機試作型に改修された。ちなみに三座機。
○二式陸上偵察機一一型
後方の動力旋回機銃を撤去し、操縦員席と燃料タンクに防弾装備を追加した偵察機型。
○月光一一型
夜間戦闘機型。最初期の陸偵改装機の他に、陸偵と並行生産された前期型とその生産終了後の後期型がある。
初期のものには20mm斜銃が上下各2挺装備されていたが、後期には上向き2挺のみ。
これは、下面のものは夜間襲撃任務も考慮した装備で、本土防空戦投入時には不要になっていたため。
ちなみに、何故か上面斜銃は胴体右寄りに設置されている。下面のは機体中心に付いているのにね。
○月光一一型甲
下面斜銃をオミットし、上面斜銃を3連装にしたもの。
アニヲタ視点の月光
とりあえず月光刑事は最低限押さえておこう。ネタ的な意味で。
地味だからか知らんが、ウォーシミュレーションかフライトシムくらいにしか登場しないし。
追記・修正は十三試双発陸上戦闘機のテストパイロットを務めてからお願いします。
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▷ コメント欄
- こち亀にはコレに乗って現れる刑事がいるww -- 名無しさん (2014-11-29 11:52:23)
- この月光=特殊刑事なんだよなw -- 名無しさん (2014-11-29 12:05:34)
- 正直、こいつらで月光のことした人は多いと思う。 -- 名無しさん (2014-11-29 13:17:58)
- 最低限に押さえておこうといわれても、もうコレしか思いつきませんがな。 -- 名無しさん (2014-11-29 13:24:45)
- これを見るとどうしてもMGS4のGECKOを思い出すな -- 名無しさん (2014-11-29 14:06:12)
- スペシャルの時は無理矢理にでも出てくるからなあいつら -- 名無しさん (2014-12-01 08:35:06)
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