登録日:2009/09/05(土) 15:38:24
更新日:2023/12/08 Fri 13:50:29NEW!
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戦争 計画 ロシア ベルギー シュリーフェン シュリーフェンプラン
概要、というか全て
ロシアが総動員したらベルギーに軍隊を突っ込む計画
シュリーフェンプランとはドイツ帝国の軍人であるシュリーフェンが計画し、小モルトケが改良を加え第一次世界大戦に於いて実行された戦争計画である
特徴
第一次世界大戦前のロシア、フランス、ドイツの三国はそれぞれ
ロシア:第19号計画
フランス:プラン17
ドイツ:シュリーフェンプラン
という戦争計画を持っていたがシュリーフェンプランは露仏のそれとは違い、動員計画だけでなく攻勢計画をも含んでいた。
動員計画とは国土に散らばる軍隊を戦争に合わせ再配置するための計画、攻勢計画は実際に軍隊が敵地に攻め込む計画。
これはつまり一度計画を始めたらそのまま戦闘へと走り出してしまう事を示している。
前提
この計画が成された当時フランスとロシアは同盟関係にあった(露仏同盟)。つまりドイツがフランス若しくはロシアと戦争状態になったさいは二正面戦争を余儀なくされる、そしてどちらかを早く倒さなければドイツの勝利は期待できない。
またロシアの動員はその国土の広さ故にフランスに二ヶ月程遅れる。
計画内容
フランスとロシアの動員速度の差二ヶ月の間にドイツ陸軍の八分の七を西部に回し防御の厚い独仏国境では無くベルギーを通りパリに到達する。
また国境のドイツ軍団(左翼)はベルギーを通る軍団(右翼)よりも薄くしあえてフランス軍に突破させる。
右翼はパリに到達した後、東進し左翼を突破したフランス軍を包囲、殲滅する。
以上を49日間で完遂する。
この計画の問題点
ベルギーがドイツ軍の通過を許すことが前提
実際は激しく抵抗されて全面戦争になってしまった。
戦前は過小評価されていたベルギー軍は脅威の粘りを見せ、大半の領土を占領されたが北部の残された領土で奮闘、大戦終結まで全土陥落を許さなかった。
ベルギー通過後にフランス軍に連戦連勝し進撃を続け包囲殲滅を成功させるのが前提
実際はフランス軍の遅滞戦術とドイツ軍自身の兵の疲労、そして兵站の限界によって途中で力尽きてしまった。
すっかり疲弊して前進が難しくなったドイツ軍は踏み止まって塹壕を掘り、西部戦線は緒戦の流動的な戦況から一転し動かない塹壕戦となった。
ロシア軍の動員が二ヶ月程遅れるのが前提
実際は一ヶ月経たずに完了しドイツ東端の東プロイセンに侵攻を開始、東部戦線は一時的に危機に晒されてしまう。
タンネンベルクでの奇跡的な大勝利が無く大戦序盤にロシア軍が押しに押していれば、ベルリンに帝政ロシアの旗が翻っていたかもしれない。
つまりシュリーフェンプランは前提を間違えた計画だった。
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▷ コメント欄
- 机上の理論ってやつだな。二度の大戦で二度も通り道になったベルギーに合掌 -- 名無しさん (2014-01-13 13:59:46)
- ↑机上の空論だな -- 名無しさん (2014-01-13 14:23:05)
- オデッサ作戦におけるジオンの戦略に通ずるところがある -- 名無しさん (2014-01-13 15:06:08)
- 結果論だけど逆だったら(対露攻め・対仏守り)勝てたような気がする -- 名無しさん (2018-04-27 20:30:51)
- もう少し内容濃くした方が良いんじゃない? -- 名無しさん (2019-11-20 22:03:00)
- ↑×2 ドイツ陸軍の父と呼ばれた大モルトケはそのプランだった 逆にこの計画考案者であるシュリーフェンは大モルトケから「馬鹿で想像力もないから参謀本部の要職につけてはいけない」と言われた人物 -- 名無しさん (2022-04-06 08:22:31)
- 東西ニ正面になる状況の時点で詰んでるからそもそもプランの善し悪しでどうにかなるレベルじゃない -- 名無しさん (2023-03-12 20:17:59)
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