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12月1日愛子誕生~2006年12月・Web東奥・皇室特集動画ページWebArchive(Mar 15, 2004 - Jan 16, 2008)(現在元ページは削除されています)
・第2日テレ報道部「愛子さま 悠仁さま にこにこアルバム」/2009年7月31日以降の「にこにこアルバム(移転)」
にも動画があります。

2001年12月1日午後2時43分、愛子誕生。身長49.6cm、体重3,102gだった。

誕生から約2時間後の午後4時半から、天皇陛下から新宮に守り刀を贈る「賜剣の儀」が宮殿の表御座所で執り行われたが、伝達役の古川清東宮大夫(当時)が「緊張のためか、古川大夫は箱を取り落とし、慌てた大夫が箱から飛び出した賜剣を踏みつけてしまう」事件発生。今後の暗雲を予兆するような出来事であった。
同日夕刻見舞いを両陛下に先んじて済ませてしまった小和田恒優美子が宮内庁にて「赤ちゃま」会見。
夜には多くのTV局が東宮家内親王誕生特番を組むものの、テレビ東京が唯一迎合せず放映した「鍋料理特集」が視聴率トップを記録。
……この誕生当日の夜、2ちゃんねる占い板では次のような書き込みがなされている。

皇太子妃御解任について占ってみよう<2001/04/17(火) 02:13に始まったスレッド>
ttp://salad.2ch.net/uranai/kako/987/987441195.html
http://mimizun.com/log/2ch/uranai/987441195/
73 名無しさん@占い修業中 01/12/01 19:40
知り合いの西洋占星術師のお話
  こんなに悪いチャートの持ち主を見たことがない。
  知恵遅れ 目の疾患 または 短命
 
曰く「自分の占い師の資質を問われてもいいから、はずれて欲しい・・・」

当時はあまりに不吉であるとしてまともに受け止められていなかったが、時を追うごとにその可能性にガクガクブルブルで、2ちゃんねる世界ではかなり有名な書き込みとして知られている。
また愛子教育方針については下のような記事が後に出ている;
愛子さまがお生まれになった当時、小和田家親族には「学習院でないほうがいいのではないか」という声もあったというが、 結局、天皇家の家風に沿った方針がとられることになった。(『週刊文春』2005年12月15日号<雅子さま新たなお悩みは愛子さまの「女帝教育」>、p.154より)

2002年5月9日東宮一家那須御用邸静養(8~14日)。9日には南ヶ丘牧場に遊びに行くのだが、当日は雨模様で、愛子を抱いた雅子に徳仁が傘を差しかけたりもする。また係員さんが愛子に可愛い仔ウサギを見せたりもするのだが、訳が分かってない愛子は腕を振りウサギにぽんとパンチをくれるという「ウサギパンチ」事件が起こる。
2002年7月26日積極的に公務をするのはいいのだが、東宮御所での第41次本土派遣沖縄豆記者接見公務に、なんと生後7ヶ月の赤ん坊である愛子を同伴して登場する事件発生。

参照:宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご日程 平成14年(7月~9月)

2002年8月16日東宮一家那須連山の沼原湿原散策、愛子も皇太子に背負われて足をぱたぱたさせるなど可愛い様子。

この当時手の甲を人に向ける「逆さバイバイ」の仕草を見せており、それが後々愛子に関する心配事と関連付けられるようになる。

2002年8月21-28日天皇皇后両陛下・東宮一家・秋篠宮ご一家揃って須崎御用邸静養。26日は海岸にて皇后陛下が愛子に渡した海草(ワカメ?)の切れ端を愛子ポイ捨てし、それに対し雅子は何のフォローもせず。→参考:女の夢
2002年9月11日生後9ヶ月の愛子を同伴して、東宮御所にて勤労奉仕団へのご会釈公務に出席して愛子見せびらかし。

参照:宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご日程 平成14年(7月~9月)

2002年10月15日生後10ヶ月の愛子を同伴して、東京・銀座の教文館書店で「藤城清治影絵展」鑑賞公務。しかしガラス越しではあるが、愛子に素手で作品を触らせるという絵画鑑賞としてはあまりに常識外れの行動が起こる。

参照:宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご日程 平成14年(10月~12月)

2002年10月22日生後10ヶ月の愛子を同伴して、東宮御所にて勤労奉仕団へのご会釈公務に出席して愛子見せびらかし。

参照:宮内庁HP 皇太子同妃両殿下のご日程 平成14年(10月~12月)

2002年10月29日御料牧場静養から帰京する新幹線にて、お手振りに夢中な雅子がぞんざいに左腕で抱いていた愛子、新幹線窓に顔を押し付け舌を出してガラスを舐めている姿が追っかけ一般人によって激写される。下唇や鼻先もガラスに押し当てとんでもない表情の「ちょっとヤンチャな愛子さまも可愛い!」グラビア一般人撮影画像(女性自身2003/12/16号)

同様の事件は翌年5月にも繰り返されており、雅子が全く子育てできてない事実を反映している。

2002年12月1日愛子満1歳誕生日。当時公開された写真はにっこり微笑んでいたり、手押し車で遊んでいるなど普通の1歳児に見え、特に心配など感想は起こらず。
2002年12月5日雅子の誕生日会見と、東宮夫妻オーストラリア・ニュージーランド訪問前公式記者会見開催。この場で雅子は「外国行かせろ」要求事件をやらかし、加えて「お陰さまで,(愛子は)とても今のところ身体が丈夫で,そしてまた,おおらかな性格といいますか,皇太子さまに似ましたのか,何ていうのかしら,ゆったりと,どっしりとしておりますので,その点健康に恵まれた子供を持っているということは,そうでない方もたくさんいらっしゃるわけなので,本当に恵まれたことだと思って有り難いことと思っておりますし,……」といった障害者に対する露骨な差別意識丸出し発言もしでかす有様。
2002年12月11~19日東宮夫妻オーストラリア・ニュージーランド訪問。豪州病院では下肢障碍の少年に対する“Like you!”発言をやらかし、この事件から窺い知れるように海外でも愛子の写真を見せびらかす]公私混同ぶり。
2003年1月1日新年ご一家画像発表。玩具がいっぱい置かれた床に座る愛子と雅子、そして同じく床に乙女座りで写真に収まる徳仁皇太子が非常に強い印象を残す。
2003年1月16日今上陛下が前立腺癌摘出手術のため東京大学医学部付属病院に入院される(2月8日退院)。
2003年1月雅子がこの時期、林田英樹東宮大夫に「お友達作り」の対応を要請、大夫は、港区役所子育て推進課や東京都庁福祉局子供家庭部に愛子の「お遊び友達」となれる母子数組をリストアップするよう依頼という、明らかに余計な仕事を命じる事件発生。個人情報管理の観点からも大問題。このルートでの「お遊び友達」作りは結局頓挫とのこと。→【林田英樹
2003年2月23日徳仁誕生日で一家画像映像(同月14日撮影)が公表。抱き寄せようとする雅子に対して顔をそむけ視線を合わせず、全身で拒否反応を示している愛子の姿が認められるが、この当時は雅子による扱いが下手だからという解釈が主だった。
2003年4月12-16日東宮一家葉山静養。一般人の前で雅子に抱かれた愛子が執拗に犬(名前ポポちゃん)の顔を弄り回し、犬の目に指を突っ込もうとして軽く噛まれそうになる事件発生。その間中母親雅子は娘を止めようとも犬との距離を取ろうともしなかった。2006年3月31日「子供に恐怖心を与えてはいけないとのお考えがあってのこと」とテレ朝ワイドスクランブルが報じ、無茶苦茶なマンセー擁護をしてみせる。

白犬ポポちゃん、愛子に急所の目を突かれかけて「これ以上やったら噛むよ!」と威嚇行動
]http://jp.youtube.com/watch?v=kz58BvSUmIM
黒いミニチュアダックス君の口元に愛子の指を突き出させる常識はずれの行動も。
黒ダックス君の口元に愛子の指を突き出させる光景(2:20あたり)
http://jp.youtube.com/watch?v=BeyZPvVoKSE
また同日地元の子供と遊ぶ中で、愛子が他の子供が手にしているペットボトルに興味を持ち取り合いとなり、なんと子供同士のことなのに雅子が娘に手を貸してペットボトルを奪い取る事件も発生。

2003年5月6日那須御用邸静養から帰京する新幹線にて、愛子がまたも窓ガラスを舐め、雅子がそれを全く窘めない事件発生。追っかけ主婦撮影による「ひじ掛けの上に座って窓ガラスに口をつけるなど、車内では活発なご様子です」画像(週刊女性2004/1/6・13号グラビアより)

昨年10月末の愛子新幹線窓ガラス舐め事件に続き、雅子にとってはこれは子供がやって当然の振る舞いのようである。

2003年5月13日林田英樹東宮大夫の反対を押し切って、赤坂御用地近くの「みなみもと町公園」で東宮一家が公園デビュー決行。
2003年5月23日午前10時、再び「みなみもと町公園」にて公園デビューするも、今回は噂があらかじめ伝わってしまい大騒ぎに。ビデオ撮影に成功した主婦の一部はテレビ局に自ら映像提供、翌24日ワイドショーが大々的に報じ広く世に知られることに。

『女性自身』2003/6/24号<皇太子ご一家・公園での「おふれあい」全会話!「愛ちゃん」とどんなお話、したのかな?>5/13・23についてのモノクログラビア記事
同日、桃華楽堂にて皇宮警察音楽隊創設50周年記念演奏会があったのだが、皇太子夫妻出席キャンセルする。→同日シリーズ

2003年6月10日湯浅利夫宮内庁長官が、東宮夫妻結婚10周年にあたり定例記者会見での質疑で「(皇太子ご夫妻の第2子への期待について)やはりもう一人ほしい」「多くの国民もそう考えているのではないか」と述べる。
2003年7月3日・14日大騒動となってしまっても依然東宮夫妻は公園で愛子が遊ぶことに拘り、今度は港区・神宮外苑児童遊園に出掛け愛子「公園デビュー」が続く。これらもやはりマスコミ取材殺到。しかし「反応が乏しいのでは?」と噂になる。この辺りから愛子の発達について心配だという声が上がり始める。

14日神宮外苑の児童遊園にて「公園デビュー」、養育係ハクションさんと滑り台で遊ぶ雅子と愛子【ハクション大魔王さん】

2003年8月12日この日、那須静養先で皇太子一家が散歩する様子を公開する予定だったが、愛子風邪に胃腸炎を併発した疑いを理由にドタキャン。以後フリーな形での愛子取材は一度たりとも行われていない(これが他皇族との決定的な違い)。 一、二分歩く程度の映像と編集しまくった宮内庁提供の厳選映像だけ。
2003年9月3日皇室会議の皇族議員・予備議員の任期満了に伴う選挙実施。前任は「皇族議員=三笠宮崇仁親王殿下・崇仁親王妃百合子殿下、予備議員=徳仁・常陸宮正仁親王殿下」の顔ぶれだったのが、選挙の結果、議員は三笠宮両殿下で変わらず、予備議員は常陸宮両殿下となり、徳仁が外れることに。
2003年9月4日雅子、愛子と共に小和田家に里帰り。夕方皇太子が合流しに行くという極めて異例の行動。小和田邸玄関で待ちかまえたマスコミの前、愛子は父親である徳仁を無視状態。親だと認識出来ていないのではと話題になる。この日小和田家では中華料理をケータリング

『週刊女性』2003年9月23日号<雅子さまと初めての小和田邸ご訪問は―白ワンピで「おめかし」>グラビア
「ひと足遅れて訪れた皇太子さまとご対面。ちょっと気恥ずかしそう。」=父親の顔も見ず存在も無視しているかのような態度だった愛子を無難な表現で記している。

2003年12月1日愛子2歳誕生日。宮内庁HPにて自宅東宮御所で撮影のうんこ座り・床に縫い包みを押し付け画像などが公表される(但し現在は削除されている)。

検診で身長84.5cm、体重12.5kg、上下8本ずつ歯が生え揃ったという。
また「パパ」「ママ」と話せるようになって、動物も犬が以前は「ワンワン」だったのが、最近では猫を「ネー」、うさぎを「ウ」、ペンギンを「ペ」と呼んでいるとのこと。

2003年12月3日雅子帯状疱疹の診断。4日夜から宮内庁病院に数日間入院。以後現在に至るまでの休業、静養状態が続いている。
2003年12月11日湯浅利夫宮内庁長官が、定例記者会見にて雅子帯状疱疹について「(ご負担が)病気にどう影響したかは分からないが、 公務に支障がある状況が続いたのは、我々にも責任がある」「今後はご夫妻の考えを伝えてもらって、必要な態勢を取っていきたい」と語る。

そして長官は秋篠宮ご夫妻のお子さまについて考えを記者から質問され、 「皇室の繁栄を考えた場合、3人目のお子さまを強く希望したい。多くの国民は歓迎してくれるのではないか」と期待を表明した。12月11日「秋篠宮さまのお考えはあると思うが、皇室の繁栄を考えると、3人目を強く希望したい」「姉妹との年齢差を考えるとできるだけ早い時期にと思う」と回答。

2003年12月12日湯浅利夫宮内庁長官会見翌日、雅子が来年春ごろまで公務を休み静養に専念すると、宮内庁発表。
2004年1月1日新年ご一家映像発表。玩具を持ち込み、床の上で秋篠宮両内親王を付きあわせ遊んでいる光景を撮影させる。既に満2歳になっているが発語している様子が全くない、無表情で遊ぶ愛子の様子で心配が高まる。
2004年3月25日~4月26日雅子、愛子を連れて軽井沢実家別荘に籠城。一ヶ月余り後帰京。軽井沢籠城期間には愛子を車に乗せて自らハンドルを握りドライブする姿が周辺住民に目撃され写真週刊誌などに記事となる。

『週刊新潮』2007年1月4・11日新年特大号 特集 かくも色濃い「皇室の憂愁」
p.30より引用
 ある皇室ジャーナリストが言う。
「殿下のご心配は絶えることがありません。03年12月に公務から離れられた雅子妃は精神状態が不安定な日々が続き、軽井沢の小和田家の別荘で静養されていた時には、別荘の外にまで聞こえる大きな声で叫んでおられることもありました。05年5月の人格否定発言の前には、思い悩まれた殿下が、両陛下と紀宮さまとの4人だけの食事の席で、美智子皇后とお二人だけになった時、皇后の手をとって泣かれたこともあったそうです。その後、人格否定発言があり、また、雅子妃が東宮幹部に電話で“私、皇太子妃、やめます!”と叫んだこともあった。情緒が不安定で、両陛下は、腫れ物に触るように雅子妃に気を使ってこられたのです」

この時期、徳仁が皇居へ出向き両陛下と夕食会、それが終わったあと母美智子さまと話をし、腕をとりさすりながら涙を流したとのこと。
参考:『週刊新潮』2005/5/4号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>より:一年前の「御所の一室で天皇皇后両陛下紀宮殿下とともに食卓を囲んでいた。アフター・ディナーの時、天皇陛下は御所のベランダに立った。雰囲気を察したのか紀宮殿下も続いてベランダに立つと、皇太子殿下は皇后陛下と話し始めた。が、そのうち、皇后陛下の手を握りしめ、涙を流した」という。話の内容は「雅子妃殿下のことだったのは間違いない」。雅子妃が実家に行ったり妹夫婦の家に愛子さまを連れて遊びに行き御所には戻ったのは夜の零時近かったなど「気まぐれな行動」に周囲がとまどっているという。
参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事より:人格否定発言の前、不調を訴えていた雅子さまは、実家・小和田家の別荘で静養された。「離婚では」という話も流れた。皇太子さまも行かれ、先に一人で帰ってきた。そして、両親がいる皇居に向かった。食事後、皇后さまと二人きりになった皇太子さまは母の腕をさすり、落涙されたという。悩みを打ち明けられるのは、母である皇后さましかない。

2004年4月雅子、実家に行き深夜帰宅、また愛子連れで妹夫婦宅に行き深夜帰宅。≪週刊新潮2005/5/4号>≫
2004年5月10日デンマーク・ポルトガル・スペイン訪問前の徳仁が人格否定会見。

「外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦労していました」
「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」
「細かいことは控えたい。なかなか外国訪問ができなかったことを、雅子も私もとても悩んだということをお伝えしようと思います」
…これが諸々の問題を表沙汰にする全ての発端となる。

2004年5月14日徳仁、デンマーク皇太子結婚式に出席、結婚式のスイーツ担当「Heibergs Dessertcirkus」のチョコレートをいたく気に入り2kg購入する。≪Part1461-189mixiでまた東宮の食べ物エピ発見、楽天でも「各国のVIPを魅了し、列席された日本の皇太子殿下も日本へのお土産としてお持ち帰りになられたそう」と宣伝≫
2004年5月21日英国タイムズ紙が「不躾ながら彼女(=雅子)は天皇ご夫妻に対して敵意を持って(hostile)おり、おふたりが死ぬのを待っている(waiting for them to die)。」と記事にする。

→参考:『週刊新潮』2004/6/10号<「鬱病」の雅子さまは「天皇・皇后に敵意」を持っている英高級紙>記事

2004年5月27日湯浅宮内庁長官が定例記者会見にて、「東宮夫妻の公務について見直しをするよう努力する」と述べる。徳仁の「人格否定」会見については「真意をうかがいたい」と面会を申し入れ、徳仁も会う意向を示しているが「具体的な日時についてはまだ連絡がない」とのこと。「人格否定」の発言をめぐり2人の歴代長官とともに13日夜皇居・御所を訪ね、天皇皇后両陛下からは「新しい公務を考えてほしい。力になってやるように」と言われたという。湯浅長官は「まずは妃殿下の体調回復が最優先。回復された後、具体的にどんなお仕事をやりたいと考えているのか、きちんと聞く必要がある」とした。≪共同通信5/27≫
2004年6月~大野裕・慶応大保健管理センター教授が皇太子妃の治療を担当(2006年7月28日オランダ訪問閣議了承に伴い公式発表)→参考:礼節姉妹

また伝蓋幼稚園から引き抜かれた福迫美樹子氏が愛子養育係として就任。位は女官よりも低い「仕人(つこうど)/出仕」。

2004年6月9日英国タイムズ紙が<Japanese Crown Prince demands palace reform>とのタイトル記事発表。その中で「愛子内親王が自閉症であるという噂がある」と触れられる。

引用:In this information void, wild rumours flourish. They include talk of the Prince and the Princess being estranged and of Princess Aiko suffering from autism. But the Crown Prince’s remarks yesterday set out the most credible reasons for Masako’s distress: the extraordinary difficulties of imperial life for a highly educated, cosmopolitan woman.

2004年6月18日林田英樹東宮大夫が定例会見の場にて、皇太子妃の病名がうつ病・強迫神経症というのは事実無根であるとの発表に合わせ、敬宮自閉症の噂について「全くの事実無根で不本意だ。大変健やかに成長されている」「(成長ぶりの映像発表については)検討している。しばらく時間が必要」と発表。
2004年7月3日夕刻、赤坂御用地内で職員がテニスをしているところに散歩中の徳仁と雅子が通りがかり、「いかがですか」と声をかけられ、普段着で10分ほどプレーを楽しむ。≪週刊現代7/31号≫
2004年7月3日外務省国際情報局長のご進講に雅子も同席したと、林田東宮大夫が同月9日定例記者会見で発表。但し、宮内庁HP公務記録では、徳仁単独出席となっている。≪週刊現代7/31号≫
2004年7月28日東宮御所にて徳仁が第43次本土派遣沖縄豆記者の小中学生と接見、その場に愛子を同行したお披露目光景画像が宮内庁HPに掲載される。

参考Youtube:20041004笑顔復活の真相4/6-沖縄豆記者
……しかし後日愛子が写った豆記者接見画像は、愛子が写っていない別画像に差し替えられる。理由は不明。同年9月24日に発表されたハープ映像ではこの時と全く同じワンピースを着用していたものの、服のキツキツ度合いにかなり違いがあり「影武者」疑惑が持たれる1枚となる。
参考Youtube:ハープ動画

2004年7月30日林田英樹東宮大夫が定例会見の場にて、雅子の病名が「適応障害」であると発表。
2004年9月4日東宮夫妻(雅子は4ヶ月半ぶり)皇居・御所訪問するも、同行予定だった愛子は久しぶりの車に「ぐずられて」訪問取り止め。]

→【おむずかり

2004年9月24日6/18東宮大夫定例会見での「(愛子が自閉症とは不本意、成長ぶりの映像発表については)検討している。しばらく時間が必要」の続きとして、皇太子夫妻の意向により愛子プライベートホームビデオが異例の公開をされる。絵本『うずらちゃんのかくれんぼ』を読んでいるかのようなシーンがあるが本は逆さま。本にない言葉を喋っている。思いついたことを独り言で言っているだけ。父母との会話は成り立っていない。ビデオ撮影している徳仁が発している言葉「おーい、もりよー」は『もりのこえ』という全く別の絵本という常識では考えられない異様ぶり。

合わせてハープ(雅子知人であるハーピスト長澤真澄氏のもの)で遊ぶ映像も公開。ハープを弾くのではなく、両の掌で弦をバンバン叩いたり上から下へチュルチュル滑らせるという、楽器どころか玩具扱いする随分と幼い印象の遊び。また子供好きな長澤氏が東宮御所階段で愛子と遊ぶ場面があるが、その間雅子はぼーっとしている状態。愛子が着ているワンピースのリボンが縦結びになってしまっている点も、東宮御所では愛子の格好に気を遣ってくれる人は誰もいないのかと訝る人も。自閉症疑惑払拭ビデオ公表のつもりが、違和感ばかり募らせる結果に。
参考Youtube:うずらちゃん動画/ハープ動画

2004年10月17日渡辺みどり著『美智子皇后と雅子妃 平民妃十年の苦闘』(講談社、2005)p161に、雅子が愛子を伴っての小和田家お忍び里帰りについての記述あり。

平成16(2004)年10月17日日曜日午後3時15分頃。三時間の里帰り。「所轄の警察もあとで聞かされて驚いたという」「お忍び中のお忍び」「この時は妹の池田礼子さんの姿も」「愛子さまを連れて里帰りをされたのは、前年九月四日以来のこと」
→危篤の母方祖母・江頭寿々子の見舞いか、恒も密かに帰国。皇太子は同行せず。

2004年10月20日皇后陛下古希の祝賀会に一家で皇居御所へ。愛子は1月以来9ヶ月ぶりの御所訪問。雅子は祝賀・祝宴行事欠席]。
2004年11月5-11日東宮一家が御料牧場静養。なんとこれに先立つ10月23日には新潟県中越地震]が発生しており、それを尻目に静養強行した形。なお、東宮一家が静養出発した翌日の6日には、両陛下が地震被災地に赴きお見舞いされている。

http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/02/h16/gonittei-2-2004-10.html
平成16年11月5日(金) ~ 平成16年11月11日(木)
御料牧場ご滞在(愛子内親王殿下ご同伴) お名前 ご日程
平成16年11月5日(金)
皇太子同妃両殿下 東宮御所御発 御料牧場御着 愛子内親王殿下ご同伴
http://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/h16/gonittei-1-2004-10.html
平成16年11月6日(土)
新潟県行幸啓 新潟県中越地震災害に伴う被災地御見舞 お名前 ご日程
天皇皇后両陛下 皇居御発

2004年11月18日来日していたデンマーク女王マルグレーテII世陛下と“非公式な”歓談に出席するため皇居へ参内する東宮夫妻。雅子は公式歓迎式典に晩餐会、答礼晩餐会(11/16)は欠席している。移動車内ではカメラを相当意識しているのか雅子の目付きが強烈なものに。]【押しかけ

参考Youtube:20041121デンマーク女王陛下歓迎晩餐会]

2004年11月20・21日雅子の祖母江頭寿々子氏死去(19日)に伴い、弔問と葬儀。小和田家弔問で入るとき、愛子が手をひらひらさせ雅子が慌ててその手を掴む様子の映像放映。
2004年11月30日秋篠宮殿下が誕生日発表会見で“公務は受身”との見方を表明する。
2004年12月1日愛子3歳誕生日。東宮御所の庭でつないだ両親の手を舐めたり、木の枝に乗せられたコアラ状態の写真に、「ひげじいさん」お遊戯に、更には両親である徳仁雅子までマサイ族の風習よろしくびょんびょん飛び上がったりする映像が公開される。親と視線を合わせもしないのに、カメラ向こうの誰かの真似をしてお遊戯をする愛子の姿に、いかにも仕込みくさく薄ら寒いと感想が目立つ。「熱い湯気の出ているスープをどうぞ」]などの優秀伝説も誕生日ニュースで追加発表。

愛子は誕生日恒例ご挨拶の皇居参内するが、雅子は母方祖母喪中のため同行せず、徳仁と女官が付き添う。愛子は車中でチャイルドシートに座らされるが、そのあまりのぐったり状態に見た人驚く。
宮中の風習で子供は3歳になるまでは色つき着物は着られないのだが、それが身に着けられるようになる頃には親王に「黒紅縫」、内親王には「御地赤」というお祝いの着物が贈られる。愛子も御地赤をいただいている筈なのだが、この参内では普通のお出かけ洋服であり、着物が無視された形に。
→比較参照:平成16年(2004年)12月1日愛子3歳誕生日挨拶参内と、平成21年(2009年)9月6日「黒紅縫」をお召しになっている秋篠宮悠仁親王殿下3歳誕生日ご挨拶参内

2005年1月1日新年ご一家映像発表。雅子の膝の上に乗せられて「ももたろう」を歌ってみせたりする。しかしカーペット床に直に座り込んで遊ぶのに秋篠宮両姉妹が付き合わされたり、かなり見苦しい光景に仕上がってしまう。また12月半ばの撮影でありながら、愛子のインナーは半袖である。
2005年2月21日東宮一家奥志賀スキー旅行。スキー好きの雅子は楽しげだったが、愛子は雪遊びをするでもなく無反応。自発行動の乏しいまま無理やり抱きかかえて滑り(画像その1/画像その2)、後日スレ住民に「文楽スキー」と評されることになる。TVで音声入り映像が当初公開されたが、付き添いの女性職員らが「宮様~~!」と黄色い声を上げる中「ぅぅぅぅぅ~」と愛子の苦しそうな呻き声が発される。

このとき合わせて公表された「雪だるまの隣でピンクのウェア姿にゴーグルかけたままの子供]」画像に「影武者」疑惑が巻き起こることになる。

2005年3月18日青年海外協力隊との接見公務を雅子欠席。そして愛子たちと庭の芝生の上で遊んでいたところを、庭に面していた東宮御所「日月の間」にて皇太子と接見中の隊員たちに目撃されるという事件発生≪週刊文春5/19号≫

→【同日シリーズ

2005年5月21-30日栃木県御料牧場にて一家静養。那須オルゴール美術館ショップで愛子、買い物籠2つにいっぱいの買い物をして五千円を出し支払ったとのこと。雅子は籠を山盛りにする愛子を見て膝を抱えるようにして笑っていたと『週刊文春』2005/9/1号記事伝える。

参考:『週刊文春』2005年9月1日号 pp.152-153より引用
 御用邸にほど近い那須ステンドグラス美術館に皇太子ご一行が現れたのは、12日の午後5時頃。雨が強い中、傘を差された雅子さまは愛子さまの手を引いて、中庭を通って美術館に入られた。(中略)
 愛子さまが「初めてのお買い物」に挑戦されたのもこの美術館のミュージアムショップでのこと。「カゴを持たされた愛子さまはうれしかったのか、品物をつかんではどんどん入れてしまうので、その様子を御覧になった雅子さまはしゃがんでひざを抱えるようにして大笑いされてました。カスタネットやお風呂で体を洗うときに使うマペット(人形)などを選んでいたようですよ」(観光客)

また移動の宇都宮駅でかなり大きな身体の愛子を駅弁抱っこして階段を上る雅子の姿が一般人に撮影され、後にテレ東皇室特番で流され、「駅弁抱っこ」がスレ住民に定着する。

2005年8月10日東宮一家那須御用邸静養。那須塩原駅でおさるのジョージの縫い包みが入ったバッグを手にした愛子が雅子に手を引かれて登場。ご挨拶の類は皆無。雅子が手で髪の毛を直しても全く視線を動かさなかった愛子が強い印象を残す。
2005年8月29日奥志賀静養に向かう長野駅前での東宮一家マスコミ撮影時、愛子の左腕内側やわらかい皮膚をくすぐり刺激しているような雅子の姿が画像に残る。
2005年10月20日美智子皇后陛下お誕生日。徳仁は皇居宮殿での祝賀・ご祝宴に出席するが、雅子は祝賀のみ。
2005年11月15-17日愛子が38度台の高熱を出したとのことで、17日黒田ご夫妻の挨拶と青山こどもの城お楽しみは取り止め。
2005年12月1日愛子4歳の誕生日。入園試験時のお洋服でミカン狩り映像が公表される。折り紙が好きなどの発表も。音声付の芋掘り動画も合わせて公表。愛子が片手だけで土の中からずるずるっと引っ張り出し掘り出したばかりにしてはきれいなサツマイモと、「すっっごぉぉ~」の雅子の声と、カラスの鳴き声が印象的。

皇居に向かう車中で「うさぎのダールン」縫いぐるみの腕を持ってのお手振り行動をする。
参考:『サンデー毎日』2006年6月4日号<優しさに包まれて>5/16遠足カラーグラビア
「(カメラマンの)みんな寒いところで待っていてくれるから、ワンちゃんの手を振ってあげましょう」、ン十年前のセンスでひねくりだしたとしか思えない奇妙な台詞で流布される「優秀伝説」。

2005年12月4日愛子発熱、その看病との理由で学習院OB管弦楽団第52回定期演奏会に雅子欠席。
2005年12月23日天皇陛下お誕生日を身内で祝う恒例の皇居夕食会前、愛子が「おむずかり」をし、それをなだめるため雅子が愛子を連れ東宮御所に移動しそのまま2時間50分ほど戻ってこず、天皇皇后両陛下を始めとする一同にとんでもない待ちぼうけを喰らわす「江頭2:47」事件発生。後に雅子擁護の友納尚子が「携帯電話で連絡を試みたが、御所の木々のためアンテナがつながらなかった」なるpgr主張をすることに。
2006年1月1日新年ご一家映像発表。巧妙に編集しているがよく見れば愛子は飛行機を折ってはいない。折る真似と、あとはもらったものを拡げたり投げたりしていることから、折り紙ではなく「開き紙」と評される。折ることより紙をぱらぱらさせることに関心がある模様。

皇居へ移動の車中で、髪を結って赤い着物を来た愛子が張子の犬のようなものを手にして“お手振り”行動をする。

2006年1月下旬愛子スケートを始める。2回目には職人を呼んでエッジの位置を調整させるなどしたと、2ちゃん書き込み情報あり。
2006年2月7日秋篠宮紀子妃殿下の第三子ご懐妊発表。以降、雅子&愛子登場の機会が増えだす。→【当たり屋東宮シリーズ

当日の国会審議の場にて紀子妃殿下ご懐妊兆候の知らせが齎されたが、民主党のジャスコ次男坊岡田克也は「のりこさま」と名前を読み間違え、自民党でも石原伸晃が紀宮出産と勘違い、武部勤に至っては佳子さまがご懐妊などと口走るなど、与野党皆gdgd状態を露呈。
岡田ジャスコ克也の「のりこさま」発言Youtube
http://www.youtube.com/watch?v=oyqTO33XnRQ

2006年2月10日紀子妃殿下ご懐妊発表後初の東宮大夫定例会見。この場で「また、東宮御所の畑で愛子さまが水やりなどをして育てていたコマツナを収穫し、皇太子ご一家で食べた。」と、意味不明な一文を付け加えての公式発表。
2006年2月23日皇太子誕生日記者会見発表。東大経済学部長神野直彦氏から収録数日前に紹介されたロー・ノルトの詩を朗読したり、優秀伝説を紹介したり、「私は感じ取ることができます」発言がされる。
2006年3月6日東宮一家が上野動物園行楽。通常は当然禁止されているサルへの餌やりが許されたり、ペンギンの前で動かなくなった愛子のために態々群れの中の一匹「ピンキーちゃん」を出して歩かせるといった露骨な特別扱いが、後日『週刊朝日』3/31号にて記事にされる(なおペンギンを乾いたアスファルトの上で歩かせるのは脚を傷つけることにつながる。ペンギン行進で有名な動物園でも雪と氷がある冬季にしかしないのは言うまでもない)。またTV番組の取材を受けた園長は「愛子さまが○○に反応した」という表現を用いインタビューに答える。

動物園行楽当日は、愛子誕生記念でタイ政府から贈られた雌ゾウの「ウタイ」に初めて対面しバナナを与えたりしたと報道されたが、実はこのゾウ、つがいで贈られ雄の「アティ」が2005年12月に飼育員を死亡させる事故を起こした曰くつき。但しそんな事故については完全に伏せられた形で、ウタイと愛子の触れ合いだけがニュースにされる。→【法則

2006年3月13日東宮一家、池田礼子親子等を同行してTDR行楽。ミッキーとのご挨拶には後ずさりや笑顔の出ない無表情ぶりだったが、コンフェ拾いは楽しんでいた模様。徳仁雅子愛子ら一行が入った売店の中から「キーッ!」というような奇声が聞こえたとの2ch書き込みあり。後日のTDR会長・アンバサダーのインタビューからも、当日愛子の発語がなかったことがわかる。
2006年3月15日皇太子メキシコ訪問に出かけるのを東宮御所玄関前で雅子と見送り。愛子は無表情、口モグモグカクカク、父親を認識せずあさっての方向を向いていることがあからさまで(ノД`)アチャーとなる人続出。雅子に腕を掴まれ無理やり背中を押されて強制お辞儀をさせられる愛子の姿が映像に残る。

なお愛子が右手に持っているのは3/13に出かけたTDRチケット(TVでも報じられた)、左手に握り締めているのは白いハンカチと思われる。お見送りという大事な場面で、躾の行き届いた家庭とは到底かけ離れた姿である。
最後に発車して去り行く皇太子の乗る車についても、進行方向とは真逆の方向に顔を向けたまま完全無視で終わる。
皇太子メキシコ訪問雅子愛子見送りYoutube

2006年3月20日2005年3月10日からこの日までに、高田装束研究所HPの業績紹介ページから、浩宮・礼宮・紀宮・秋篠宮家眞子佳子両内親王の「宮中着袴の儀御儀服調進」、そして敬宮愛子ちゃんの「御儀式御装束調進」情報がごっそり削除されるという、明らかに悪意が働いている、実に気味の悪い事件が発生する。
2006年3月21日メキシコ訪問を終えて帰国した皇太子を東宮御所玄関前で雅子とお出迎え。父親の姿を認め口を大きく開けたとても嬉しそうな表情を見せるが、足元がくねくね。後日『女性セブン]]』2006/4/13号により「おしゃべりな足元」と説明が添えられる。お見送り時とは全く異なる反応に、「(父親の)消失は理解できないが、出現は理解できるのでは?」と分析される。
2006年3月27-30日東宮一家葉山静養。天皇皇后両陛下も同じくご静養されたが一緒の行動はせず。葉山海岸での一家散策では厳重な撮影禁止、29日昼過ぎ~17時過ぎまでソレイユの丘苺大福作りとチューチュートレインを楽しむ。
2006年4月11日学習院幼稚園入園式。一家揃って幼稚園に向かう時、雅子が股間バッグ事件を起こす。

幼稚園入り口で出迎えた園長先生にまったくご挨拶しない愛子。浩宮の時とは異なり内部での入園式映像は公開されなかった。
参考Youtube:入園卒園入学-愛子さま http://www.youtube.com/watch?v=IwqzUMFr1-c
入園式で園児の名前を読み上げる際、小山久子園長が「敬宮愛子ちゃん“ちゃん”」と呼んだ事実がニュースで報じられる。
参考:学習院幼稚園に対する小和田家の考え
愛子さまがお生まれになった当時、小和田家親族には「学習院でないほうがいいのではないか」という声もあったというが、 結局、天皇家の家風に沿った方針がとられることになった。(『週刊文春』2005年12月15日号<雅子さま新たなお悩みは愛子さまの「女帝教育」>、p.154より)

2006年4月16日オール学習院の舞台を一家で鑑賞。「小学生の合奏では、大太鼓の音に驚いて耳を押さえる一幕もあった」と、自閉症の典型的症状の一つである聴覚過敏による耳塞ぎ行動が当日のFNNニュースで報道される。“耳をぴっちりふさいで「イヤイヤ」”とも。また予定外行動でヨーヨー釣りを体験、見物人やマスコミで危険なまでにごった返す。また一家がヨーヨー風船を3つもゲトしたと報じられ、「子供の玩具を大人の人数までガメてどうするんだ??」と強い違和感を残す。
2006年5月『女性自身』2006年5月9・16日合併号が「愛子さまは最近、三輪車から補助輪のついた自転車の練習をされるようになり、それを眞子さまと佳子さまが“コーチ”なさっているようです」との記事発表。
2006年5月1-2日幼稚園を微熱・咳といった風邪の症状が出たとのことでお休み。
2006年5月2日愛子に風邪の症状が出たとのことで3-6日御料牧場静養を取り止めと、1-2日休園と合わせ発表。
2006年5月10日?“Love子様ついに「やっちまい」ました”事件、しきりと話しかけてきた同級生の目に「突っ込んじゃった」、被害者は幸い目の下に傷を負っただけで眼球に異常はないとのこと。但し報道ベースでは未確認。

3年後、『サンデー毎日』2009年10月4日号<愛子さまが危ない!?名門学習院初等科で起きた学級崩壊と傷害事件>記事で、「★初等科1年生の★あるクラスで男子児童が後ろの席の女子児童の顔を鉛筆で怪我させ、幸い怪我は軽かったが、目にでも入ったら大変なことになるところだった」という、2006年の事件をまるでスライドさせたかような、老舗の私立名門小学校では有り得ない事件が報じられる。

2006年5月15日愛子が幼稚園を風邪でお休み(NNNニュース情報、またこれに先立った四谷奥様との情報とも一致)。
2006年5月16日新宿御苑の学習院幼稚園遠足へ雅子とともに愛子参加。御苑に愛子の手を引いて歩く雅子の様子だけがニュースで流され、「ロケ撮影」と称される。愛子は口半開き無表情と微妙なお手振り。一人で下を向いておにぎりとウインナー等おかずのお弁当をフォークで召し上がり、池の亀をじっと見るなどしたと報じられる。途中雨が降り出すなど不安定な天候だったが、雅子は他母親たちとコミュニケートすることもできずぼーっとしていて、レジャーシートを敷くこともままならず、傘も差そうとしないなど、あまりに鈍い当日の様子が後日複数雑誌記事で伝えられる。

当日の雅子は薄らぼんやりした様子だったが、何故か愛子「優秀伝説」は忘れず流布される。
参考:『サンデー毎日』2006年6月4日号<優しさに包まれて>5/16遠足カラーグラビア]、全く長さ調節していないリュックサックと水筒ストラップに注目。
「(傘が)ふたつあるから、ひとつ貸してあげましょう」、ン十年前のセンスでひねくりだしたとしか思えない奇妙な幼稚園児の台詞である。

2006年5月19日幼稚園通園路に警官がいないと四谷奥様情報(マスコミ発表は無し)
2006年5月24-26日幼稚園通園路に警官がいないと三日連続の四谷奥様情報。26日東宮大夫金曜定例記者会見で、愛子が溶連菌感染で幼稚園お休みと発表。23日深夜から愛子が溶連菌感染で発病発熱。そんな中で25日雅子は日本赤十字大会をサボった一方でテニスに興じていたと『女性セブン』2006/6/15号<皇太子妃雅子さま(42)赤十字大会ご欠席してテニスの波紋>記事で報じられる。愛子の熱は25日夕方に下がったということで、公務より、病気の娘の世話より、自分の娯楽であるテニスを優先させる母親失格ぶりに多くのスレ住民が呆れ返る。

→【OWDQN】、【同日シリーズ

2006年5月28日雅子愛子母娘が恵比寿ウo○○o○ホテルからワンボックスカーで出てきたとの目撃情報、レストランビ○○ー○のランチ貸切とのこと。
2006年5月29-30日幼稚園通園路に警官がいないとの四谷奥様情報。マスコミでは29日から通園再開とのこと。
2006年6月1日幼稚園通園路に警官がいないと四谷奥様情報。この週について公式情報なし。
2006年6月8日愛子が熱か何かでお休みかもと四谷奥様情報。
2006年6月18日皇太子学習院幼稚園父親参観日。傘をさしながらの父娘手繋ぎと、愛子の口ぴよぴよプップクプー表情画像が全世界配信される。

学習院幼稚園父親参観日で一緒に登園する皇太子と愛子Youtube

2006年6月22-23日愛子風邪の症状で学習院幼稚園お休みと東宮大夫6/26公式発表(後日四谷奥様レスでも、この6月はお休みが多かったとのこと)
2006年6月28日読売新聞夕刊第2面読売コラム「愛子様の写真」にて、愛子が手を引かれて歩いている写真ばかりだと痛烈な指摘。
2006年7月1日愛子、皇宮警察創立120周年記念作品展で2005年12月こどもの城で作った型押しタイル9枚(イタリア製の粘土)を出品。

夜、皇居で両陛下主催の「ホタル鑑賞会」があり東宮一家と秋篠宮ご一家が出席。その帰り際に徳仁が両陛下に直接「葉山(静養で合流)の件ぜひよろしくお願いします」と、オランダ静養を前に円満仲良し演出を目論み唐突な依頼をするも、葉山静養予定については野村一成東宮大夫が事前根回しをしておかず、あわてて渡辺允侍従長に打診するも宮中オク方式の拒否回答の空気を読めなかったことから、陛下から「今回は……」と拒否返答。自分たちの目論見が失敗したことにより、その場にいた雅子は「顔色を変えて横を向かれてしまった」事件発生。両陛下の葉山ご静養予定は中止となる。≪週刊文春7/27号≫

2006年7月12日『週刊新潮』7/20号が<特集 笑わない「愛子さま」>記事掲載発売。女性自身/女性セブン/週刊女性の3誌に掲載された愛子写真のうち、2003-2006年愛子が笑っていない写真は平均すると71.9%。それもじっくり時間をかけて撮影でき、沢山撮った中から厳選できる宮内庁嘱託撮影も含めての数字であり、これまでの他内親王と比べても笑顔のなさは際立っているという内容。またご挨拶のできない様も紹介。
2006年7月13日雅子と愛子が代々木ポニー公園に、皇宮警察・SPを引き連れ現れた姿を目撃される。雅子は群馬県行啓欠席、木曜の平日であるにも関わらず愛子は幼稚園欠席。
2006年7月24日~8月3日東宮一家那須御用邸静養、移動ワゴン車内でお手振りはできた愛子だが、那須塩原駅で雅子の呼びかけにも応えない・駅長挨拶にも反応しない・ぴよぴよ口遊び状態だった。那須テディベア美術館ショップで買い物籠いっぱいのお買い物再び、今回二千円と五千円札を愛子が支払ったとTBSニュース報じる。8/3帰京の那須塩原駅前で、ワゴン車からまたもや駅弁抱っこで移動をする。
2006年8月17日東宮一家オランダ静養へ出発。愛子はずっと雅子に片手を引かれたまま歩き移動、話しかける母親雅子と目を合わせず、見送りの野村東宮大夫らにもご挨拶できず体クネクネはこれまでと同様。

皇太子一家オランダ旅行出発Youtube
前日16日には出産を控えた秋篠宮妃紀子殿下が、前置胎盤に伴うリスク対策として愛育病院に入院されている。

2006年8月18日東宮一家とオランダ・ベアトリクス女王&ウィレム王太子ご一家、馬車庫での歓談光景が8分間公開される。4歳8ヶ月の愛子(2001年12月1日生まれ)は笑顔らしい表情を見せるが、左手は相変わらず雅子に掴まれたままでどうやって立っていられるのか不思議がられるほどの超クネクネポーズも見せる。2歳8ヶ月のアマリア王女(2003年12月7日生まれ)は手繋ぎなしでブーンと可愛らしい様子を披露。ちなみにTV番組にて愛子の足の大きさが「21cm」と報じられる。

また愛子のえへらえへらした感じの「笑顔」が異様だと話題に。ずっと手をつないでいた雅子の「ツボ押し」による、愛子への“笑顔でお手振り”指示疑惑がニュース画像・映像から高まる。
皇太子一家オランダ王室ご一家と馬車庫撮影映像Youtube

2006年8月23日愛子が城の庭にて日本から持っていったピンクのフラフープで遊んだり、一家三人動物園でイグアナに興味を持った等と報じられる。

また同日には、「ヘット・アウデ・ロー城にて小和田(恒・優美子)様ご夫妻 並びに渋谷(節子、雅子実妹)様ご夫妻の御訪問をお受けになった」との、要するに他国王宮内に、雅子が自分の身内を引っ張り込んだ事件発生。後日の宮内庁公式発表における小和田係累の扱いから、【準皇族】なる表現が定着する。

2006年8月24日東宮一家、オランダ皇太子一家とサル公園へ。『女性自身』9/19号に<愛ちゃん・サル公園で遊んだね!-皇太子ご一家オランダでの「リラックスな休日」独占フォト>とのタイトルでカラーグラビアが掲載され、皇太子が愛子を肩車したと記事になる。

参考:『週刊ポスト』2006/9/15号<紀子妃「厳戒のご出産 高まる男児誕生への期待」と雅子妃「サル公園の笑顔」>記事

2006年8月25日東宮一家がハーグ小和田夫妻宅訪問し愛子を預け、徳仁雅子は国際司法裁判所がある平和宮を訪問、ベアトリックス女王とマウリッツハウス美術館で絵画鑑賞、小和田夫妻宅で夕食を共にする。
2006年8月26日ベアトリクス女王ご自慢のヨット「緑の竜」号でのクルーズに東宮一家が招かれるものの、当日朝に雅子と愛子がドタキャン。
2006年8月31日東宮一家オランダ訪問より帰国。「愛子さまを抱いた雅子さまが、宮内庁幹部らの出迎えを受けました」と4歳8ヶ月の抱っこ帰国が報じられる。
2006年9月6日秋篠宮家第三子・悠仁親王殿下ご誕生。朝から激しくニュースが飛び交う中で、徳仁は「ご無事のご出産おめでとう。妃殿下の手術が無事に終わることを祈っています。両殿下も親王殿下もお身体をお大切に」と電話口で秋篠宮に対して言っただけで、正式祝いのコメント皆無。北海道行幸啓中の両陛下は現地でお祝いと感謝のお言葉を、黒田清子さんは宮内庁を通じ正式祝福コメント発表(【いとこ】参照のこと)

この日、雅子は学習院幼稚園へ愛子登園に同伴。夜には秋篠宮新親王ご誕生報道内で、愛子が英/仏/伊の原語で歌を唄うと、父親が外交官で雅子と親しいハープ奏者・長澤真澄氏証言という優秀伝説流布。この週6~8日は順調に登園と>四谷奥様]

2007年1月1日ご一家新春映像公開で秋篠宮内親王姉妹と楽しげな笑顔で双六に興じる姿が流される。ルールがどこまで把握できているかは不明。愛子隣の眞子様を押しのけ後ろから椅子に座った雅子が手を伸ばし、愛子の腕をむんずと掴み指示する様が動画]に残る。
2007年1月26日『週刊文春』02/01号“雅子さまの目の前で皇太子の恩師が「欧米流子育て」を大批判!躾を厳しくしなさい”タイトル記事発表。

昨年秋幼稚園運動会の登園時のこと「愛子さまの手を引かれた雅子さまは、園舎の正門前で小山久子園長に挨拶された。だが、園長が愛子さまに笑顔で話しかけているのに、愛子さまは挨拶をなさらない。その後、愛子さまは突然、雅子さまの手を離し、サッと園舎に入ってしまわれたのだという。」

2007年2月1日『選択』2007年2月号“これでよいのか皇太子家の「変容」■両陛下もさぞや気掛かりのはず”タイトル記事発表。

養育担当者が幼稚園の送迎などの際、「ありがとうは?」と挨拶代わりの感謝の言葉を相手に伝えるよう促したところ、「ありがとうは言わないもん」と愛子が返したとのこと。

2007年2月10日文藝春秋』3月号 天皇家の亀裂雅子妃の孤独:岩井克己・福田和也対談記事発表

昨年天皇誕生日記者会見での「残念なことに愛子は~いずれはうちとけて話をするようになることを楽しみにしています」当初案はもっと厳しい表現だったとのこと。
昨年12月宮内庁職員文化祭発表の愛子作宝箱と写真立てについて、両陛下がご覧になれなかったので東宮職が届けたが「よくできているが、でも本人が持ってきて見せてくれればもっとよかったにね」と陛下がおっしゃった。
昨年12/9雅子誕生日文書について「愛子にもかわいらしい“従兄弟”が新たに一人できました」が発表前原文の言葉遣いだったとも。

2007年2月10日『週刊女性』02/27号 気になる皇族がたのお稽古

愛子は補助輪“なし”自転車を練習中とのこと。一方眞子さまはピアノと乗馬、佳子さまはスケート。年齢の差はあるとしても「自転車ってお稽古?」との疑問が起こる。

2007年2月19日「17日昼すぎから38度台の熱があり、医師が診察した結果、急性へんとう炎と分かった。薬の服用で18日から熱が下がり、平熱に戻ったが、大事を取り(19日)幼稚園を欠席」と東宮職発表。

「愛子さまは風邪のため、6~9日も幼稚園を休んだ」とも毎日新聞報じる。

2007年2月23日皇太子誕生日映像発表。徳仁主役の筈だが何故か雅子がソファー中央に陣取り]、昨年に続きピッピとまり登場、愛子お股開き]。

2匹は室内でリードをつけられ、1匹は完全にダレた状態]で住民に違和感を抱かせる。
「ぐりとぐら」かるた遊びの愛子は笑顔も出て楽しそうだったが両親と目を合わせる場面はなし(雅子の足踏み]あり)。カメラ(の向こうのハクションさん%ca%a1%c7%f7%c8%fe%bc%f9%bb%d2">福迫女史(?)には微笑みかける。

2007年2月27日『週刊女性』3/13号「皇太子さま47歳誕生日 誕生日会見でわかったご夫妻の“八方塞がり”このままでは愛子さまが危ない!」記事発表。

どうせ愛子天皇になれないことでしょと大方が予想していたら“幼稚園を休みがちで必ずしもとけこんでいないと指摘、関係者談として「園児の輪に入れずぽつんとしていることも」”という内容。

2007年3月1日『週刊文春]]』3/8号 天皇陛下が不快感を示された愛子さま「写真撮影事件(皇太子会見のタブー)」

昨年12/14天皇ご一家新年発表映像撮影時、愛子養育係である福迫美樹子女史が愛子おむずかり対策で身内のみ入室が暗黙了解である撮影現場に入室。さすがに天皇陛下も不快な表情をされ、呆れたように「もうしょうがないね」と側近に洩らされた。実は前年度にも同じ事があり、そのときも陛下が「愛子はもう大きいのだから」と仰せられたにもかかわらず、東宮側が「どうしても」と出仕(=福迫)を連れてきた。今回は千代田側から東宮側へ「今年はダメだ」と事前にきつく伝えられていたのに東宮側はやはり出仕を同行させた…と福迫問題を大きく取り上げた記事に。
また愛子幼稚園欠席についてや、皇太子誕生日前に予定されていた両陛下との夕食会もキャンセルしたなど。

2007年3月6日『女性自身』3/20号 雅子さま(43)“孤独”を乗り越え奮起の「ママ友作り」―「愛ちゃんの小学校の友達をいまから増やしたい」タイトル記事発売。

「愛子さまはは皇居や東宮御所で催される天皇ご一家の大切なお集まりの機会でのご欠席が目立ちご健康も心配されています。(中略)このままでは『愛子さまのお風邪を、雅子さまが両陛下にお会いにならない口実になさっているのでは』、と受け取られることも懸念されます」by松崎敏弥
入園したころは愛子は集団生活に戸惑っている様子で、去年の運動会について、風邪で練習を休んだせいか(というフォロー付き)ダンス(=恐らくはとぽっぽ体操のこと)のときも「お一人で立ちすくんでしまわれたりしました」など、どこかほかの園児と馴染めない様子だったが、「最近は玩具をお友達に譲られたり」かなり幼稚園生活にも慣れてきたようで、その成長ぶりにほか園児ママたちも驚き。

2007年3月12日『AERAアエラ』3/19号「雅子さまと愛子さまの仲―東宮家の子育ては今/二人でも交わらぬ視線/背後から手をとり実技指導の数々/愛子さまが笑顔をみせる時の仕掛け/「未来の天皇候補」の母というプレッシャーの中で」タイトル記事発売。
2007年3月15日『週刊新潮』3/22号“美智子皇后「ご静養」で雅子さま「家族スキー旅行」への風当たり”タイトル記事発売。

「また愛子さまは最近、補助輪付きの自転車に乗り始めたそうなので」と松崎敏弥氏コメント。

2007年3月16日東宮一家奥志賀スキー行き。長野駅で相変わらず片手をがっちり掴まれ片手にバッグで愛子移動。

日テレザ・ワイドで「ママ(?)」or「ワンワン(?)」と雅子に話しかけ目線が初めて合う指差し姿が放映される。その他愛子が皇太子に片手を掴まれながら身体を斜めにして慎重に階段を降りる姿やお股のモコモコ姿]が指摘される。
「これが2歳児なら普通なんだけど」という感想多数。お辞儀・ご挨拶の類は、これまでと同様愛子についてはなし。
最後にワゴン車へ乗り込む福迫女史を、母親には向けたことのないような眼差しでじっと見つめる愛子の表情]が印象を残す。

2007年3月17日ゲレンデで2歳の子供と散歩していた人が雅愛と気づかず「ほら、お友達がいるよ。こんにちはしなさい。」と言ったら、雅子から「おいくつですか?」と訊ねられる。

そして、隣の愛子に凝視されたとのことで発語・ご挨拶の類はやはりない様子。後にアクセス数が急増したことを不審に思ったブログ主さんがアンチスレ降臨する。

2007年3月18日奥志賀スキーにて、池田礼子一家同行・愛子はフラフープを使ってのスキーレッスンを受けたとの奥志賀奥様目撃証言アンチスレ書き込み。

その後フラフープ使用レッスン画像がOhmyNewsサイトに掲載され証言が裏打ちされる。なおレッスン中、皇太子と雅子は別コースでスキーをお楽しみ。
またテレ朝ワイスクにて神田秀一氏が「雅子妃にとって愛子さまと手をつなぐのは負担になる」と解釈できるコメント発表]。

2007年3月20日奥志賀スキー旅行から東宮一家帰京。愛子の着衣が、16日長野駅でお股のモコモコ姿]を隠し切れなかったピンク色ショートコートから、若干丈の長い白いコート(画像その1]/画像その2])になる。
2007年3月23日スキー映像は文楽すら一切発表しないまま、野村一成東宮大夫定例会見にて「(奥志賀スキーで)愛子さまはキッズスクールに入り、20日にはリフトに乗りご夫妻と一緒に滑れるまでに上達したという」と発表。
2007年3月27日『週刊女性』4/10号 雅子さまを悩ます愛子さまの“しつけ批判”「あいさつ」「笑顔」「姿勢」 タイトル記事発表。

福迫美樹子女史などには触れていないもの愛子の「笑顔が少ない」「ご挨拶がなく人付き合いが悪い」「姿勢が悪い」という点を明確に指摘。

2007年3月29日『週刊文春]]』4/5号 「雅子さま」今度は愛子さまと横浜「こどもの国」にお出かけ? タイトル記事発表。

幼稚園新学年が始まる前に愛子を楽しいところに連れて行って思い出作りをさせてやりたいと、「ズーラシア」「子供の国」がお出かけ検討と。奥志賀スキーは春休みの思い出にはならなかった模様。

2007年4月6日秋篠宮家内親王の中等科・高等科入学式にぶつけるように、今頃になって奥志賀愛子スキー映像をTV放映。板はレンタルでなく自前とのこと。

既に画像が出ていたピンクウェア]でなく、黄色ウェア+ゴーグル]で影武者疑惑が再度噴出、フジ映像でテロップ日付(3月18日)とビデオ日付(3.20)と食い違い]もあり。
「えいごでたっち!」「ごっつんこしないで~」などのインストラクターの皇族相手にしてはぞんざいな言葉遣いも違和感を残す。
また昨年10月「来年愛子様がご入学されるとゆうことで安全面への配慮」で学習院初等科校庭へ屋外用防護マット【ラテリア】が納入された]と判明。

2007年4月7日東京・港区の中心部を回る路線バス「ちぃばす」で愛子、皇太子夫妻と一緒に約40分間の乗車体験。

雅子が「窓際」に座り愛子を膝の上に引き寄せるという異様な席位置]、愛子カメラを無表情+お口ポカソで凝視]。パスモ使用とのこと。

2007年4月15日オール学習院の舞台にて、愛子お歌と振り付けを無事こなし舞台の上でご挨拶もできたとのこと。]なお舞台に立ったのは愛子を含め51人であり、入園した男女それぞれ26人ずつ合計52名よりも1人少ない数字。これが単なる欠席なのかそれとも「2006年5月10日?やっちまいました事件」の影響なのかは不明。

舞台の後大道芸のバルーンショーで、ピエロが風船で作った赤いハートに白いプードルをつけた細工をもらっても握手できず。握手は1回目はピエロさんから手を差し出されて拒否、2回目は雅子さんが愛子の手をとったけど嫌がっていたとのこと。

2007年5月3日皇太子一家御料牧場静養、暖かい陽気に半袖ピンクワンピース姿の愛子は雅子に手を引かれてお手振り、ここでも舌出し]。「恥ずかしそうな表情」「はにかみながら」とお決まりのフレーズで報じられる。%ca%e4%bd%f5%ce%d8%c9%d5%a4%ad%bc%ab%c5%be%bc%d6">マイ自転車を御料牧場にまで持ち込んだとのこと。ハクションさん%ca%a1%c7%f7%c8%fe%bc%f9%bb%d2">福迫女史の二人とも同行していることが画像で確認される。]

また「先週1週間は風邪で幼稚園を休みましたが」とANN報じる。

2007年5月4日テレ朝ワイスクが昨日宇都宮駅前光景を報じる中で「少し眠そうなご様子の愛子さま」と表現する。日テレにこにこアルバムにも動画うp。昨日TBS動画と合わせ、雅子が愛子とつないだままの手でぐいと押して、愛子の肘間接に無理がかかっている痛そうな体勢で身体の向きを換えさせる「%a5%c9%a5%c4%a5%ad">ドツキ」行為がスロー再生で指摘される。
2007年5月6日御料牧場から帰京。雨降りの宇都宮駅前で傘を差した愛子と手をつなぐ雅子。]ちなみに愛子の傘はファミリアのもの。

また東京駅で元気にニラニラお手振りする雅子と手をつながれたままぐったりしている風の愛子の姿が一般人に撮影されブログに掲載される。

2007年5月15日学習院幼稚園遠足。愛子はお口半開き、ぶつぶつ言っている模様。雅子につながれてない側の右手を時折小刻みに揺する姿「エアギター」]や雅子の衣装コーディネイトが強い印象を残す。

毎日新聞は午前10時31分時点「愛子さまは同御苑内で友達と散歩したり、お弁当を食べたという」と報じる]が、日テレザ・ワイド「雨のためお弁当を食べることが出来なかったそうです」とのこと。また年長園児と母親は別々にお弁当食べると、学習院幼稚園元園長のコメント。時事記事やJNNニュースでは黄色い水筒と報じ、昨年の青水筒]と異なる。
またGW御料牧場静養について「子豚に興味を持ち、毎日のように牧場内の豚舎まで出掛けていたという」宮内庁発表。

2007年5月17日『週刊新潮』5/24号が、御料牧場静養5/5に一家が乗った馬車暴走記事を掲載。5/5午後4時過ぎ、一家が馬車に乗って牧場散策しているとき、羊の群れが前方を横切り馬が興奮して少し暴れたので御者が降りなだめようとしたところ馬が暴走、車輪が足を轢いて足指骨折し宇都宮市内の病院に運ばれた。一家に怪我はなかったが一瞬ヒヤッとさせられる事故であった。(2006/01の白勇号事件)御所内にある馬屋で厩務隊員が馬に腹を蹴られてケガをした事故も発生している。

なお1年ほど前にも皇太子の落馬事故が発生していたということだが、どれも外部には一切公に発表されていない。

2007年5月22日風岡宮内庁次長、皇太子一家御料牧場5/5の馬車事故を定例記者会見で発表する。野村一成東宮大夫ではなく風岡次長なので、東宮サイドではなく千代田サイドの意向による発表とわかる。
2007年6月5日『女性自身』6/19号、皇室のお稽古事記事で、愛子がGW御料牧場滞在でポニーを卒業して“大きなお馬”に一人で乗れるようになったと報じる。
2007年6月9日雅子と愛子、ポリープ手術で東大病院に入院中の皇太子の見舞いに。時事通信「愛子さま、パパの見舞いに」とのタイトルで記事]を書く。

珍しくセダン車に乗った愛子は前髪を上げておでこを出した髪形で、車窓から無表情でカメラをガン見。病院へ入るのに「雅子さまに手を引かれて」と報じられる。
顔の輪郭が5/15遠足に比べ、大分太ったような浮腫んだような様子であり、投薬の影響でもあるのかと噂される。
東大三四郎池を一家で散歩し、テレ朝が隠し撮り動画を放映。愛子は両手をガッチリ掴まれた状態。]病院に行ったワンピースからズボンに着替えている。

2007年6月10日この日も雅子と愛子お見舞い。TBSが池のほとりで鯉に餌を挙げている様子動画を放映。病院に入る二人を一般人が目撃し撮影した画像がブログに掲載され、ここでも着替えしていることが分かった。

また母親・雅子の持つ袋を後ろ手でまさぐり餌をとる愛子の姿や、雅子が鯉の餌の入った袋を逆さまにしてバババ~と撒き散らす姿なども動画]に残される。
雅子は例のごとく%a4%a6%a4%f3%a4%b3%ba%c2%a4%ea">うんこ座りだったが、愛子は膝を下ろしたきれいな座り方で親子で対照的な姿に。
『女性自身』7/3号が見舞い期間中、雅子は精養軒からエビフライ、カレー、ピラフを、愛子同行時はフレッシュトマトのナポリタン風トマトスパゲティやカツサンドを出前注文と報じ、後に%bd%d0%c1%b0%ce%c5%cb%a1">出前療法ネタとして認知されることになる。

2007年6月14日明治神宮御苑菖蒲園へ学習院幼稚園遠足、雅子も同行。愛子は笑顔も見られたとの目撃証言だが、ニュース等で画像や動画は見られず。

7月の年長組お泊り保育について『女性セブン]]』6/28号:学習院幼稚園関係者の話「例年7月中旬にあるのにまだ日程が決まっていない」と報じる。

2007年6月17日当日幼稚園父の日行事に雅子が愛子の「手を引いて」行ったとの『女性自身』7/10号記事情報。また同号は来月のお泊り保育についても、皇太子モンゴル訪問期間中に予定されていると記す。
2007年6月29日午後2時頃雅子と愛子が幼稚園帰りに目白駅から山手線に乗って代々木駅、総武線乗り換えで東宮御所最寄の信濃町駅下車して帰宅という山手線体験をしたとのこと(『女性自身』7/17号より)。


|-| 2007年7月3日| 『週刊女性』7/17号、福迫女史が辞めるらしいとの記事、元田雙幼稚園教諭の女性を既に東宮夫妻が面接して新養育係に決定したとのこと。|-| 2007年7月5日| 『週刊文春』7/12号、今年3月末からで新しい養育係・筒井美奈氏が増員された。芦屋大院卒の幼児教育研究者で幼稚園教諭免許持ち。福迫美樹子女史が辞任するといった表現はなし。
但しこの新雇用の裏に皇太子とも近しい学習院関係者が紹介した初等教育の専門家を野村一成東宮大夫らが面接までしてほぼ決まり状態にまでなっていたのが保留され、結果キャンセルされた経緯が存在していたとのこと。
|-| 2007年7月6日| 皇太子モンゴル訪問前記者会見。会見最後に相撲好きの愛子に絡めた質問を受け「本人もとてもモンゴルに関心を持っているような感じがいたします。」と、2006/2/23発表皇太子46歳誕生日記者会見での「%bb%e4%a4%cf%b4%b6%a4%b8%bc%e8%a4%eb%a4%b3%a4%c8%a4%ac%a4%c7%a4%ad%a4%de%a4%b9">私は感じ取ることができます」発言を髣髴とさせる表現を用いる。|-| 2007年7月10日| 『週刊女性』『女性自身』7/24両号ともに愛子の新養育係(筒井美奈)が芦屋大→芦屋大大学院と記事に記す。|-| 2007年7月12日| 『週刊文春』7/19号、池田礼子一家が7日七夕に東宮御所訪問して二家族7人で午餐会を開いたという記事に、雅子と皇太子(そして愛子)が朝食・昼食どころか夕食もほとんど別だという記述が。
皇太子と愛子は遅くても夜7時にはテーブルに着くが、雅子は早くて8時で遅いときには夜10時前後に夕食をとり、「何故わざわざ時間をずらすのかわからない」と東宮関係者語る。
参照:【食卓】|-| 2007年7月14日| モンゴル訪問の皇太子、朝青龍関の両親に案内され伝統的な遊牧民の暮らしを見学、相撲好きの愛子について「朝青龍関のファンで、本名のダグワドルジを覚えて呼んでいます」と話したことが複数マスコミ記事にて報じられる。|-| 2007年7月17日| 『女性自身』7/31号、愛子の幼稚園お泊り保育について記事に書く。園ママによると「ちょっと緊張したご様子でした」が、夕食はカレーを食べて友達と楽しまれたのでは、とのこと。
また皇太子がモンゴルから帰国、雅子と愛子が東宮御所玄関前でお出迎え。両手を雅子とつないだ愛子は肩トントンされ皇太子を見て嬉しそうな表情を見せるが「お帰りなさい」の言葉・仕草はなし。帰国した皇太子とも手つなぎした構図に。
TVニュースではいい感じに編集されていたが、にこにこアルバムノーカット映像]ではやっぱり心配な愛子。東宮御所内に入るとき、両手をつながれたままくるりんして「シャネル腕」状態]に。|-| 2007年7月19日| 雅子と愛子6/29に続き2度目の電車乗車(日テレとTBSが報じる)。愛子はチャッキー状態の険しい表情も見せる。]JNN動画では駅ホーム上で愛子だけしきりにピョンピョン飛び跳ねる姿]も。%c5%f6%a4%bf%a4%ea%b2%b0%c5%ec%b5%dc%a5%b7%a5%ea%a1%bc%a5%ba">同日は秋篠宮両殿下名古屋ご公務があり、それにぶつけてきた#footer-footnote1" name="footnote1" title="(( ;゚Д゚)">*1]]ガクガクブルブル とさせている|-| 2007年12月2日| 皇太子、恒例の学習院OB管弦楽団定演でビオラ演奏。今年は雅子の鑑賞は見送り(=欠席)。
合わせて「最近は、愛子さまも音楽に興味を持ち、バイオリンにも触られているという」と日テレニュース]で報じられる。|-| 2007年12月3日| 皇太子、水サミット開会式等公務で大分県別府市訪問、午後児童養護施設兼保育所等施設「PlazaPuer光の園」を視察、<職員が子供たちに「愛子さまのお父さんですよ」と説明しているのを聞くや、「愛ちゃんパパです」と笑顔で自己紹介された>と産経MSNニュース]報じる。同発言は『週刊文春』12/13号でも記事に。「愛ちゃんパパ」に多くの人がorz|-| 2007年12月4日| 朝日新聞が社会面「もっと知りたい!」にて「雅子さま療養4年回復は?」との島康彦氏・三橋麻子氏の署名記事]
記事文中では雅子の頻繁な外食や、愛子幼稚園送り迎えを皇太子に代行させることもあると紹介し、かなりインパクトのある紙面に。住民からは「あのアカピが?」「どうしちゃったの朝日?」と大層驚かれつつも喝采を受ける。|-| 2007年12月9日| 雅子44歳誕生日、1日愛子誕生日用と一緒に11/18撮影された映像画像が発表される。
昨年のような%a5%ba%a5%dc%a5%f3%b8%e5%a4%ed%c1%b0">ズボン後ろ前画像はなかったが、ズボンの腰周りが若干もこもこしている]という感想もあり。
ペアルックの父母に両手をがっしり捕まれた場面のにこにこアルバム映像]では、母親雅子が何度も声をかけるも完全無視でカメラ(の向こうの養育係?)をただ見つめる愛子。雅子が不審な手の動きを見せる場面もあり「また%a5%c4%a5%dc%b2%a1%a4%b7">ツボ押し?」とも言われる。|-| 2007年12月21日| 『週刊文春』12/27号で予告されていた通り、東宮一家が恵比寿ガーデンプレイスお出まし]でクリスマスイルミネーション見物+ディナー。
相変わらずのガッチリ両手つなぎが多かった愛ちゃん、昨年TDRと同様、雅子はとても楽しそうだったが小さな子供には理解できないようで楽しそうな様子も見せず。ニュースでは「ニッコリ」と笑顔を示す言葉が用いられていたが、見物時の大部分は無表情。両親それぞれカメラで撮影するシーンがあったものの、そのカメラを娘に渡して撮影させる素振りもなし。
何より両親は共にハイネックセーター&コートを着込んで防寒対策しているのに対し、愛ちゃんは赤いショートジャケットだけ]で寒そうな格好。クリスマスっぽい可愛い格好を見せびらかすために、寒さ対策をしてもらえなかったものと考えられる。|-| 2007年12月22日| 『AERAアエラ』2007年12月31日・2008年1月7日合併増大号 <雅子さまへ20の質問状>が月曜振替休日のためこの日発売。
雅子と大野裕医師との誰がどう見てもヤバすぎる接し方が記事になる。「食事も一緒にしない・幼稚園送迎も人任せ」も再度報じられる(記事その1]/記事その2])。
【引用】
 宮内庁関係者は言う。
「雅子さまは夜型。朝7時に散歩に出かける皇太子さまと生活のスタイルが違う。朝食もご一緒ではない日が多いようです」
 愛子さまに幼稚園まで付き添うのは、ほとんど養育係というのが実態のようだ。
 雅子さまの担当医は慶応大学保健管理センターの大野裕教授。週に1度のペースで東宮御所を訪れ、雅子さまと向き合っているとされる。ときには日付が変わるまで話し込む日もあるという。
 (中略)
 関係者によれば紀子さまの第3子ご懐妊で、雅子さまは心理的に不安定な時期もあった。担当医の大野教授と明け方まで話し合ったこともあったという。|-| 2007年12月23日| 天皇陛下誕生日、雅子は午前の一般参賀を3回全て出席するも、午後の祝賀の儀は欠席。
夕方の愛子内親王挨拶についても送迎は皇太子]一人が担当。隣に雅子がいないおかげか眼に生気がありリラックスした様子の愛ちゃんだったが、車中背もたれによりかかり、お口半開き表情]で、車窓外マスコミカメラに身体・掌を向けず左手お手振り。|-| 2007年12月24日| 東宮一家、クリスマスイブに雅子実妹池田礼子宅で晩餐会を楽しむ。小和田恒・優美子も一緒と『週刊文春』2008/1/17号報じる。|-| 2007年12月26日| 雅子は銀座老舗デパート(和光か?)へショッピング、行く予定でなかった愛子が急についていくとのドタ出をする≪12/27TBS、女性セブン2008/1/24号≫
『週刊新潮』2008/1/3-10号<まばゆさに包まれて-皇太子一家が恵比寿ガーデンプレイスを訪れた>グラビア記事掲載。嬉しそうにバカラにカメラを構える雅子、へらへら笑顔の皇太子、下を向いて無表情な愛ちゃんと、寒々しい一家の様子が記録される。|-| 2007年12月27日| 毎年恒例の両陛下主催昼食会に東宮夫妻出席。
同日宮内庁は『女性セブン』2008/1/3・10号<美智子さま・皇太子さまご夫妻お呼び出し12月1日の重大宣言>記事に対し、HP改装までして事実無根であると大々的に発表]。大変にエポック・メイキングな出来事であった。|-| 2007年12月28日| 東宮夫妻、夜8時半~翌日深夜1時近くまでミシュラン三ツ星の銀座「ロオジエ」で動物病院関係者とディナーを楽しむ。なんとこの日は御所での年末恒例餅つきがあったのだが、東宮一家はそれをドタキャンしていたと『サンデー毎日』2008/1/17号報じる。
当餅つきについては『週刊文春』2008/1/17号も行われなかったと記事に書くが、東宮家ドタキャンが主たる理由かどうかはサン毎と見解が分かれているようである。|-| 2007年12月29日| 午後、愛子と雅子らが青山円形劇場にて「タントさんのふしぎなレストラン2」リハーサルを鑑賞≪女性セブン2008/1/24号≫|}

==2008年

2008年1月1日新年ご一家映像発表。愛子は両親の間に座るものの、足をクロス]させたり変わった格好の指]をしたりでお行儀良いとは言えない様子。あげく話しかける雅子をガン無視で、その太股に右肘をついて肘掛扱いしている姿もにこにこアルバム映像]に収録。

床の敷物の上で秋篠宮の子供たちと愛子の4人が遊ぶシーンも映像になるが、無邪気に紙積み木(日本ユニセフ製)を手にしたり崩したりする悠仁親王に対し、6歳の愛子は紙積み木を順番通り積み上げることと、それを悠仁親王に崩されまいと手で押さえ力余って自分で崩してしまうといった、1歳3ヶ月の赤ちゃん相手に6歳児がむきになっているような余裕のない遊び方が注目される
参考Youtube:2008年の愛子さま ttp://www.youtube.com/watch?v=X9tu3CooAVo
冒頭収録の新年ご一家映像に、愛子が立方体紙積み木を手で押さえ力余って自分で崩してしまう場面収録。


またこの元日に「小和田家おせち事件」が東宮御所で発生する。

2008年1月2日新年ご挨拶で一家で皇居に。愛子は赤い着物を着て車内からお手振りするが、相変わらずのお口半開き]。
2008年1月6日東宮御所にこどもの城時代のリトミック友達を招いて「たこ揚げやもちつき、コマ回しなど伝統的なお正月の遊び(原文ママ)」を楽しんだと、MSN産経皇室ウィークリー1/12]報じる。

「12/28御所恒例のお餅つきはブッチしたくせに1/6になって餅つき?」「幼稚園の友達でなくどうしてリトミック友達を招待?」と疑問が持ち上がる。

2008年1月15日御所での新年夕食会に一家で参加。ワゴン車の最後列(奥)に皇太子が恒例のごとく座り、愛ちゃんは恒例のごとく口半開き]。
2008年1月16日歌会始の儀、大方の予想通り雅子欠席。皇族の和歌提出締切を明らかにオーバーした12/1愛子6歳誕生日内容が題材]の「ともさるる燭の火六つ願ひこめ吹きて幼なの笑みひろがれり」発表。

同日美智子さまのめまい等体調不良が皇室医務主管から発表される。

2008年1月17日愛子が急性結膜炎で17日・18日と幼稚園お休みと、野村一成東宮大夫発表。
2008年1月21日今度は風岡次長21日定例記者会見で、愛子がウイルス性急性胃腸炎(ノロウイルスか?)にかかったと発表。先週後半から風邪気味で、20日午後に嘔吐などの症状が見られたため医師の診断を受ける。21日に嘔吐は治まったが37度台の熱が出たため、通園している学習院幼稚園は休んだとのこと。
2008年1月24日宮内庁東宮職が『サンデー毎日』2/3号<美智子さまにのしかかる”三つの心労”>記事に対し、

 「元日,雅子さまは新年祝賀の儀を午前中に切り上げ,小和田家のご両親と東宮御所で昼食を共にされたとも。」とありますが,皇太子妃殿下には,そもそも,元日に宮殿で新年行事が続いている間に,ご親族と過ごされた事実はなく,したがって,東宮御所で小和田家のご両親と昼食を共にされたということもありません。
という、かなりピントのずれまくった抗議文]発表。
→【%be%ae%cf%c2%c5%c4%b2%c8%a4%aa%a4%bb%a4%c1%bb%f6%b7%ef">小和田家おせち事件

2008年1月26日皇太子夫妻長野県行啓(1/25-26)、25日に予定外行動までとった]雅子、26日関係者との昼食を欠席&冬季国体女子フィギュアスケート観戦をドタキャンする。→【とんかつ弁当と牛肉弁当】
2008年1月29日宮内庁が『週刊文春』1/31号<雅子さまと小和田夫妻『元日おせち事件』>記事に対し、正田夫妻の記述のみ相違点がある]と指摘。

→【%be%ae%cf%c2%c5%c4%b2%c8%a4%aa%a4%bb%a4%c1%bb%f6%b7%ef">小和田家おせち事件

2008年2月1日創価学会雑誌『第三文明』3月号発売、愛子のお気に入り力士・琴光喜がインタビューに登場]する。

同日は東宮大夫金曜定例会見であり、体調を崩していた愛子が1/31から通園再開と発表。1/26冬季国体観戦ドタキャンした雅子から「長野では県民の皆様より、温かく迎えていただきましたことを感謝しております。また小布施についても行くことができてよかったです。同時に予定しておりましたフィギュアスケートの観戦の取りやめを余儀なくされましたことを、残念に思っております」との感想発表≪MSN産経皇室ウィークリー2/2]≫。

2008年2月2日1/25長野県小布施町での雅子「アッカンベー」疑惑画像が、小布施住民ブログから発掘・紹介される。
2008年2月4-5日ヘラルドトリビューンやタイムを始めとする複数の海外大手マスコミが、雅子の訳分からんビョーキについて同時多発的記事発表。

→【大食い雅子さま】、【まいまい】参照

2008年2月13日羽毛田信吾宮内庁長官が定例記者会見にて、昨年の皇太子誕生日会見発言「(愛子が)両陛下にお会いする機会をつくっていきたい」]に対し、「(参内=皇居・御所を訪れる)回数は増えていない。両陛下も心配されていると思う」と、極めて異例の発言。

 羽毛田長官は会見の中で「天皇陛下は皇太子時代、当時の両陛下がご在京の際は、できる限りご一家で週に1回は参内されていた」と指摘。
 昨年1年間の皇太子一家御所訪問回数について「陛下がお招きになられる場合は行事に伴って参内されることはあるが、皇太子殿下のご発意で、ご一家で参内されるのは年2、3回にとどまっている」と述べた上で、「(皇太子)殿下ご自身が会見で発言されたことなので、大切になさっていただきたい」と続けた。
 羽毛田長官は皇太子にこの旨を既に伝え、皇太子からは「努力したい」と回答があったとのこと。

2008年2月19日2/13羽毛田長官発言から初めて皇太子がひとりぼっち皇居訪問、両陛下と夕食を共にする。
2008年2月21日学習院幼稚園お楽しみ会で、愛子が人形劇「赤ずきん」に出演、雅子はそれを鑑賞と『女性自身』3/11号伝える。なんとテープ音声に合わせて人形を動かすだけだったとのこと。この自身が発売される少し以前に2ちゃんねるニュース速報+板で書き込みされた情報と一致する点が注目される。

 その幼稚園で2月21日に“お楽しみ会”が催された。愛子さまは人形劇の『赤ずきん』に出演され、赤ずきんちゃんが自宅を出ておばあさんのお家に行く途中に森でオオカミに出合うシーンを担当された。愛子さまは、あらかじめテープに吹き込まれたセリフに合わせて、紙人形で手作りされた赤ずきんちゃんを、元気よく上手に動かされていたという。  『女性自身』3/11号p42より

【皇室】雅子さま、治療の一環で続けている乗馬をされる 学習院初等科の「父母会」は体調不良によりキャンセル
ttp://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1203737189/
326 名前:名無しさん@八周年 投稿日:2008/02/23(土) 14:33:54 ID:BD1DYytmO
愛子様のクラスメイトから流れてきた話。
学習院でお遊戯会があった時、愛子様のグループだけ台詞アテレコだったそうな。絶対に失敗しちゃいけないからなんだって。
他にもクラスの生徒の家族関係や休日何をしていたかまで全てチェックされるらしい。
およそまともな育て方じゃないな。やはり雅子様は病気だよ。
こんな親子が次期日本の象徴とか嫌過ぎる。

2008年2月23日徳仁48歳誕生日発表記者会見]。2/13長官“苦言”に対しても「家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと」と回答。

そのくせ愛子優秀伝説続編のつもりか、
 ・漢字に興味、難しい漢字も習得して特に人の名前を書くことに関心がある
 ・うちの犬やカメをかわいがり,昆虫なども好きで,生き物を大切にしている
 ・歌を歌うことが好きで,バイオリンやピアノにも関心を示している
 ・愛子と一緒に手を洗っているときに,私が手に石鹸を付けている間に,水を出しっぱなしにしてしまい,愛子に水を止めるように注意されたことがある
…等どう見ても、これこそ「プライベートな事柄、本当に家族の内の事柄」だと思われ、自分の都合の良いときだけプライバシーを盾にする徳仁に不信感高まりまくる。
また一家映像については、雅子が東宮家のボスよろしく中央席に座り]ピッピとまりも三度目の起用。愛子はニコニコいい笑顔も見せたが、視線を合わせているのは父親とだけ]。映像]において親子で会話している様子は無し。
一家で興じているドイツHABA社製「スティッキー」の棒色指定用サイコロが無い]ことが指摘される。また愛子の髪が腰まで随分と長くなり、分け目が太く真っ白]なことも指摘される。
同日夜に流されたNHKニュースでは、記者会見に答える徳仁が舌を出し映像が崩れ、見た人間が(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル となる瞬間]や、スティキーで取った棒を愛子が股に何度も何度も挿している様子]が放映される。日テレにこにこアルバム]では2分15秒~にこの棒股挿しシーンがある。

2008年2月25日今上陛下が前立腺癌治療の副作用で骨粗鬆症に近い状態、皇后陛下も眩暈等体調不良が続いている状態と診断、公務・祭祀のの負担を減らす等の方針を宮内庁発表]。プライベート発言で頼りにならぬ徳仁は切って、秋篠宮家クローズアップの前哨と思われる。

また『週刊朝日』3/7号中吊りの朝日新聞社HPで掲載されているもの](つまりコラでない)において、雅子&愛子画像にモザイクがかけられる。

2008年2月28日2週に一度の宮内庁長官定例会見で、羽毛田信吾長官が再び皇太子に「ご自分の発言を大切にしていただきたい」発表、「間違ったことを申し上げたとは思っていない」とも語る。最後通牒の念押しと推察される。

2/23皇太子誕生日発表会見での「(2/13長官発言に関しては)家族のプライベートな事柄ですので、これ以上立ち入るのは差し控えたい」に、「ああいう風に答えなければならないんだろうなと思う」とも羽毛田長官述べる]。

2008年3月2日読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」で東宮問題がテーマに。

皇太子ファンのホモカッチャンこと勝谷誠彦が「東宮は外務省に乗っ取られている」と発言、それに対し同じパネラー三宅久之が「止めた方がいいよ、きな臭くなるから。私もそれはかなり情報持ってるしね、その言いたいことあるんだけどね、もう止めなさい」
宮崎哲弥「東宮か外務省か知らないけれど、おそらく北京五輪に皇太子殿下がお行きになるというのは、今の段階ではかなり可能性が高い」
勝谷「雅子様もそこにはなぜか行けるんですよ」
たかじん「どうしても我々の中ではね、美智子妃殿下(当時)のすんばらしさを、どうしても(雅子と)比較してしまうという気持ちが」
勝谷「美智子様もですが、美智子様を送り出した正田家の素晴らしさです」
三宅「またそれを言うと、難しいんだよな」→全員大笑い
……との調子でたかじん祭り]となる。
 また同日両陛下が東宮の招きを受けて東宮御所に赴き、梅の花見と昼食会]をする。赤坂御所での梅見については、分かっている限りで2004年、'05年、'07年の3回は秋篠宮殿下が両陛下をご招待。'08年の今年はいきなり東宮がご招待した。

2008年3月4日サラゴサ万博視察等により、皇太子が7月中旬から約1週間スペインを訪問すると宮内庁発表。

スペイン雅子同行については“日程など「いましばらく様子を見た上で判断する」との皇太子自身の考え]”が存在していることが一部報道から窺い知れる。
なお6月中旬には「日本人のブラジル移住100周年」記念行事等のため皇太子ブラジル公式訪問予定となっているのだが、こちらについては、前年10月16日に、
「雅子さまは訪問先(=ブラジル)が遠隔地であることや、式典が相次ぎ訪問期間が長くなることが想定されることから、担当医の判断で同行は見合わせられる」]
療養中の皇太子妃雅子さまについては、遠隔地で移動が長時間に及び、行事や式典が相次ぐことから、担当医師が訪問は難しいと判断したという」]
来年六月、記念式典にご出席宮内庁発表雅子さまは同行されず]
……との調子で早々に雅子はイカネとの発表がなされている。要するに、スペインなら行ってやってもいいけどブラジルなんてイカネという、雅子のほとんどRACISMのごとき対応にニュース速報+板でもスペイン祭りとなる。
なお%ca%dd%b4%c9%b8%cb%a3%b5">このスペイン行きの裏には小和田にとってやばめの話があるらしいとも囁かれる。

2008年3月6日雅子&愛子、学習院幼稚園年長組おわかれ遠足で横浜市青葉区「こどもの国」へ。

ピンクのスモックを着てリュックを背負った愛子が相変わらずの調子で雅子に手を引かれ、チケットもぎりのある狭いゲートでも雅子は手を放さず移動しにくい様子]が映像で流される。
愛子は遠足に向かうのに特に笑顔も無く、また周囲に会釈などする様子も見せず。つながれてない側の左手が若干エアギターっぽい動きを見せる場面も。
白いスニーカーを履いた愛子の足がとにかくとても大きい]との感想多数。雅子着用ジャケットは「DOG DEPT.」]と思われる。遠足ニュースを報じたTBSピンポンでの室井佑月「愛子様は威厳が増した」発言がpgrされる。
NHKニュースは「にこやかな表情で集合場所に向かわれました」]と読み上げられ、その一方映像での入場シーンは表情無しと、これまた相変わらずの印象操作が見受けられる。FNNスーパーニュースでは愛子がポニーの「ゆうちゃん」に乗ったと報じる。なお翌日3/7とくダネ!は、%cd%bd%c4%ea%bb%fe%b4%d6%a5%aa%a1%bc%a5%d0%a1%bc">予定より1時間延長http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20080327081329.jpg <「男児ご出産」再チャレンジを決意された「雅子妃」>記事発表。
スケートやら奥志賀スキーやら7月スペイン訪問検討とは矛盾する動きに、「皇室から追い出されまいとするための発表では?」と囁かれる。「愛ちゃんはどうなるの???」

2008年3月28日秋篠宮ご一家が御料牧場へ、前日から牧場入りしていた両陛下と合流してのご静養。出向かえ場面で悠仁親王殿下が紀子様と手をつなぎながらとことこ歩き、同年代の子供に近づこうとしたり手を振ってバイバイしたり、階段を上がろうとしたりする場面が動画で公開]され、そのお可愛らしさは多くの人々を(*´Д`*)ホワワンとさせる。

そして同日産経新聞が、雅子の治療を盾にした取材配慮を求める東宮職医師団コメント全文を原文ママで発表。その無茶苦茶ぶりは多くの人々を(゚Д゚)ハァ?とさせる。文責名はやっぱり無し、相変わらずのだらだら読み難いつながった文面、「人間的な触れ合い」「治療的意味」「治療的意義」「私的な%a4%aa%c6%b0%a4%ad">お動き」と珍妙な言い回し、「(取材について)個別に東宮職とご相談いただければありがたい」と自分にとって都合の良いときだけマスコミ利用を企てる薄汚さが改めて注目を集める。

2008年3月29日東宮一家奥志賀スキー旅行へ。長野駅に現れた一家、愛子は新幹線で酔った]とのことで気分悪そうな冴えない表情。両手をつながれ階段を下りる愛子の右足が力なく、振ろうとした左手を雅子が取ろうとして振り払うシーンがニュース動画]やにこにこアルバム動画]で二度ばかり認められる。階段を下りたときに、雅子がひじの辺りでぐいぐい押して立ち位置を愛子に指示しているような動きも見られる。長野駅で30分休憩して奥志賀に出発予定が、1時間近く遅延したと各マスコミで報じられる。

後日東京駅で撮影された画像]がブログから発見され、愛子が新幹線に乗る前から具合が悪そうな顔色をしていたことが判明する。

2008年3月30日奥志賀で愛子たち一行がスキーレッスンを受けている場面がブログから画像発掘]される。

愛子はピンク色ピングーウエア(昨年]とは別物)、他に水色ウエアの小さな子供2人も一緒、礼子の息子たちと思われる。福迫美樹子女史はカメラ撮影係。

2008年3月31日テレ朝「ワイドスクランブル」で29日長野駅前シーンが流され、それについてのコメントをなかにし礼が求められる。話を振られたなかにし礼は言葉に詰まった様子で、何とかその場を穏便にやりすごそうという雰囲気が印象を残す。

奥志賀についてはネットライブカメラ]に注目殺到、黄色ウエアの子供が滑っている場面と、ピンクウエアの子供が別にいる場面が見られる。
→【%b1%c6%c9%f0%bc%d4">影武者

2008年4月1日『女性自身』4/15号、毎日新聞]、産経新聞]等が、愛子養育係の女官として小山久子元学習院幼稚園園長(3月末選択定年退職)が就任と報じる。養育専門の女官が就くのは初めてのことであり異例の人事。「実質的なカミングアウトでは?」と多くの人に印象を残す。また産経が、

 野村一成東宮大夫は「小山さんは人格、見識とも優れた方。養育面で過度の%c9%e9%c3%b4">負担が妃殿下にかかることで、治療の妨げにならないようにする点も考慮のなかにある」と話している。
…と記事にしたことで、「公務もほとんどしないで、%a5%d6%a5%b6%a1%bc">ブザー一つで家事の全てを職員にやってもらって、食事も子供と一緒に食べないでいて、たった一人の自分の子供を育てるのが負担かよ('A`)」と多くの人々に呆れられる。

2008年4月10日スレ住人の予想通り、朝のニュースで早速奥志賀スキー(3/29-4/2)映像が流される。昨年3/16-20奥志賀スキー映像が眞子様&佳子様入学式と同日4/6発表されたのはやはり当たり屋東宮シリーズだったと再確認される。

黄色いウエアを着た愛子がボーゲンをするシーンがあり、今回はゴーグルをはずした表情映像]も提供される。しかしそのボーゲンは時折腕がおっとっととバランスを取るように動き不安定]なものであり、昨年黄色ちゃん]がボーゲンでやっていた「英語でタッチ!!」のような余裕は見られず。リフトに乗っている場面でも、去年の黄色ちゃんが下に向かって元気に手を振っていたのとは異なり、隣に付き添うインストラクターとコミュニケートしている様子も無し。「今年の黄色ウエアは愛子だろうけど、去年の黄色ちゃんに比べて下手になってる、やはり去年のは%b1%c6%c9%f0%bc%d4">影武者では(今年も一部影子ちゃんが存在)?」との疑惑再燃。体格が違うのではと様々に画像比較]され、未だ疑惑払拭には至っていない。
 入学式は前日天気予報が雨だったこともあって「2006年6月父親幼稚園参観]と同じく傘差しながら手つなぎ?」とも考えられていたが、入学式の時間帯には雨が収まり傘無しで済む。しかし校門前記念撮影シーン動画]で雅子がつないだ手を強く揺らすと愛子がニィーと笑顔を見せ、また無表情に切り替わってしまうなど、2006年オランダ旅行馬車庫%a5%c4%a5%dc%b2%a1%a4%b7">ツボ押し笑顔の作り方と共通しているという感想多数。また愛子のお辞儀やご挨拶の類は相変わらず無し。
 午後には入学報告で一家が参内するが、車中で愛子はまたも口半開きのお手振り]をする。

2008年4月17日『週刊文春』4/24号が、友納尚子署名記事<雅子さま「愛子さま育児日記」-「お言葉が少ない」バッシング報道への苦悩>掲載。

友納著書『雅子妃の明日』の焼き直しのような内容、2004年タイムズに始まる愛子自閉症疑惑を「デタラメ」と従来より強く言い切り完全否定。マスコミ前で通常笑顔を見せない愛子、入学式で笑顔にさせたのが雅子の“魔法の言葉”「皆さんがおめでとうと言って下さっていますよ」と。
雅子はこれまでいつも寝る前に愛子に絵本を読んでいたが、愛子が絵本を卒業した為今は読んでいないらしいと記述があり、子育てを知らない人間が適当に創作したとしか思えない、また%b0%b2%b2%b0%be%ee">絵本博士養育係筒井さんが関わっている意味無しとしか思われない内容。
お手紙ごっこも好きで、最近では雅子に「○○へ行きたいですね」 という内容の手紙を書いているとのことで、「雅子が自分が遊びに行きたい口実にしてるだけでは?」と疑念湧く。
そして皆のツッコミが一斉に入ったのが「雅子妃がご病気になったきっかけは、いわゆるお世継ぎ問題と産後の肥立ちが悪いことがかさなったことだった。」
「雅子のあの体格]のどこが“肥立ちが悪かった”だって??」と呆れる声が多数上がる。

2008年4月21日雅子が愛子と手をつないで学習院初等科へ歩いて向かう光景が何故か突如ニュースとして報じられる。前日20日日曜には秋篠宮眞子内親王殿下が初単独ご公務を果たしており、それにぶつける意味合いだろと受け取られる。

愛子は膝まであるコート姿、雅子は相変わらずの首アトピー痕隠しか白ハイネックセーター姿]で、季節感のない格好。赤坂御用地を出る際に門に詰めている警備担当者に挨拶一つなく]、横断歩道を渡る前娘に一旦停止・左右確認・手を挙げることを教えもせず、当然のごとく交通規制した中を愛子の手を引いて渡る雅子の姿]に、見た人('A`)となる。

2008年4月28日宮内庁東宮職が愛子の水疱瘡を発表。25日夕方から体に発疹、26日には微熱、26~27日に発疹が増え水疱も伴い、27日に医師が診察し水疱瘡と診断]。25、26日に医師が診察しなかった理由は不明である。

愛子は1歳の時に予防接種を受けていて軽症、回復まで学習院初等科はお休みとのこと。30日初等科写生大会も欠席。なお学習院の写生大会とは、たとえ1年生であっても子供自身の力だけで絵を仕上げさせる方針のため、仮に当日書き終えられなかった場合学校が一時預かり、親の手は加えさせないという。

2008年5月1日THEMISテーミス』5月号<愛子さま「学習院初等科入学で噴出した難問」「養育選任女官」の異例人事は雅子妃の強い要望によるものだというが――>発売。

学習院初等科の「愛子様シフト」に、以前から雑誌記事に書かれてきたように担任教諭が本来男性社会化担当教諭だったのが、雅子の意向で女性国語教諭に突然変更されたことも改めて記事になる。小山久子元学習院幼稚園園長が養育担当女官になったことについて、これまでも園長経験者が女官になった例はあるが、内親王養育専門担当女官は前代未聞で、関係者の間では「宮中のルールを無視したも同然」と反発の声があるとか(【%b2%ed%bb%d2%a5%de%a5%bf%a1%bc">雅子マター】参照)。
また愛子の躾が全然なってない例として、
 ・幼稚園で小山氏が愛子様に挨拶をしているのに素通りする
 ・お友達に「あなたとは遊ばない」と言ったり廊下を走ったりなど普通の子なら注意されることもしてしまう
 ・御所でも皿に盛られたクッキーを手で払って床に落としても「やんちゃな愛子様を注意せずにニコニコして見ている皇太子夫妻は少し甘いのでは」という関係者の声がある
…など、躾を完全に失敗している悲惨な状況が伝えられる(【%a5%dd%a5%a4">ポイ】参照)。

2008年5月3日MSN産経皇室ウィークリーが<愛子さまの水ぼうそう、完治!ご登校も再開>]のタイトルで記事発表。4/28・30と5/1の3日間学校お休みして、2日に登校再開。しかし熱が出なくなったからといっても、第2類学校伝染病である水疱瘡は完全に感染力がなくなるまで様子を見るのが子育ての常識。「何としてでも御料牧場静養に出かけたい雅子が、2日に愛子を出席させたか???」と疑念噴出。

そして午後、新幹線にて一家は御料牧場静養へ。宇都宮駅前にて撮影された画像を見ても、愛子の顔や手足に、水疱瘡の治り際にできるはずのかさぶたが見当たらず、「本当に水疱瘡だったのか?4/30写生大会をサボる口実では?」とも疑念噴出。駅前で雅子に手をつながれた愛子はほとんどやぶ睨みのような不機嫌な表情]で、やはり体調が優れないのかもと言われる。
この様子について産経は「ご表情を見る限り、病気の影響はほとんど見られず、すっかり元気になられたようだ」]と、
TBSニュースは「この日は病み上がりのせいか少し疲れたような様子で車に乗り込みました」]と、
NHKニュースは「沢山の人たちの出迎えに驚いた様子で、雅子さまに手を引かれながらはにかんだような表情で歩かれていました」]と、それぞれバラバラな描写をする。愛子がつながれた手を離して、また雅子とつなぎ直す場面]もあり。
なお秋篠宮ご一家は2日から軽井沢入りでご静養、3日には悠仁親王殿下が万平ホテルの大型犬を撫で撫でする、東宮家とは対照的に可愛い光景]が報じられる。

2008年5月19日『AERAアエラ』2008/5/26号<雅子さま「いっぱいいっぱい」>]が発売される。内容は「宮内庁職員が凍った園遊会直前の行動/愛子さま「送り迎え日記」/異例 皇居から御料牧場へ馬(6頭)搬送」とのこと。同誌にて4/10~21の愛子送迎が表にされる(10日夫妻・11日雅子・14日夫妻・15-17日雅子・18日皇太子・21日雅子)。しかし4/22以降の送迎情報は記載されず。5/16には愛子が一人で通学したとも記事に書かれる。

当日は初等科遠足で葛西臨海公園へ。雅子と愛子が例のごとく手をつないで歩いているロケ映像が公表される。大股でスタスタ歩く雅子に引っ張られている様子の愛子]、一瞬笑顔を見せるが、また従来の表情なしに]戻り、雅子がしきりに話しかけても顔も向けず。手がエアギター状態で動いてしまうのを防止するためか、つないでいない側の左手は水筒ストラップを握り締めている。どう見ても長すぎる髪は水遊びするときには絶対先が濡れてしまうだろうとの推測の声が多く上がり、もはや小学生が普通に生活するには限界に達していると思われる。また付き添い雅子の紺ズボン+白カーディガンのダサダサ格好が注目を集める。
相変わらずの調子でお手振りする雅子だったが、マスコミを意識した動きが愛子には邪魔と感じられたのか、雅子に向かって手を振るのを止めされるような仕草がにこにこアルバム動画]などで確認され話題となる。
日経は「愛子さまは、やや緊張された面持ちだった」]とWeb記事に書く。昼TVニュース等で「お弁当は雅子さまの手作り」]と各局報じるが、「そんなの絶対作ってないだろ」との奥様方感想多数。
同日YTVミヤネ屋では、松崎敏弥氏が皇室ジャーナリストとしてコメント、曰く:
・愛子さまは初等科での生活を大変楽しんでいらっしゃる。仲のいいお友達ができたから。
・お友達ができて、朝早く登校して、30分でも40分でも校庭で遊んでおられるようだ。
・運動会は楽しみにしていらっしゃるだろう。
・愛子さまはどじょうつかみがお好き(しかしその割には今年オール学習院どじょうつかみイベントをドタキャンしている事実は無視)。それに対しミヤネが「愛子さん、もう安来節でも踊らはったらどうでしょうね」とツッコミ。
・トマト作りや花を植えたり様々なことに興味をもっている。
そして、愛子の無表情シーンで「笑顔より凛としてる表情が多い」とトンデモ解説してみせる松崎氏に、「完全に耄碌してしまったのでは」という住民感想。

2008年5月22日『女性セブン』2008/6/5号<愛子さま芽生えたリーダーシップ自立心育てられた雅子さま流<“お仲間教育”>発売。19日の葛西臨海公園遠足について、学習院関係者の談話として、

『雅子から離れてお友達と浜辺に行き、綺麗な貝を見つけると得意そうな顔で立ち上がり、それを持ってママ友と居る雅子の元へ見せに来る。それを周りの生徒が一緒について走ってる。リーダー的存在』
『お尻が濡れた時、今までなら「ママーーー!」と叫ぶなど大変だったが今回はそれもなく、そのまま昼食を食べていた。成長なさってる』
…といったことが記事に書かれる。お尻が濡れているのにそのままお弁当を食べたなんて可哀相過ぎるという感想多数。
また「いままでは“内側”が濡れてむずかっていたけど、今回は“外側”が濡れたので、濡れたことに気付かず、つまり逆防水で平気だったのでは??」ともオムツ疑惑再燃。

2008年5月23日高知新聞が、愛子にちなんで名付けられたアンスリウムの一種「プリンセスアイコ」が高知県立牧野植物園で国内初一般公開されたと報じる。先だって高知県を訪問した高円宮妃久子が園を訪れた際「愛子のお花ね。かわいらしいですね」と見入っていたとも、合わせて記事に書かれる。%b7%c9%b5%dc%b0%a6%bb%d2%a4%c1%a4%e3%a4%f3">格下宮家からも東宮家内親王に対する「~ちゃん」呼ばわりが確定してしまっていることが分かる。
2008年5月31日『諸君!』7月号が「総力特集 平成皇室二十年の光と影」大特集記事掲載で発売。

そのなかで皇室ジャーナリスト・高清水有子氏の「日本人の魂を癒す 秋篠宮家・悠仁さまのご成長を見守って」が、悠仁殿下が両陛下と合流された3月御料牧場静養で、お姉さまを真似されてきちんとお辞儀をして挨拶されたと記す。

2008年6月1日東宮一家が皇居御所に赴き両陛下と昼食会。珍しく映像・画像は公表されず(6/7になってやっとMSN産経皇室ウィークリー]によって公表される)。
2008年6月2日『週刊現代』6/14号が「皇位継承愛子さまか悠仁さまか」の大特集記事掲載]で発売。そもそも皇位継承順位が全くついていない愛子に未だに固執し続けるマスコミに、読んだスレ住民呆れ返る。

同日、週刊女性別冊・東宮夫妻結婚15周年記念写真集『雅子さまと愛子さま』の表紙画像]が明らかに。表紙から徳仁親王が完全にハブられてるところ、写真愛子表情の微妙さ等が住民に強いインパクトを与える。

2008年6月4日mixiにて学習院初等科学校説明会に行かれた方の日記があるとの書き込み情報(part1237]-457)。4クラスのうち3クラスは自由に見学可能で、愛子クラスだけは見学不可だったとのこと。

なお学習院初等科の学校見学は往復はがきによる事前申込が必要]とのこと。ファンやらなりすましのマスコミが殺到する心配はないということである。

2008年6月7日産経MSNの皇室ウィークリー]にて遅ればせの6/1参内写真が公表される。徳仁は相変わらずのワゴン車(奥)、雅子がホラー風味で恐ろしげに写っている画像であった。
2008年6月8日なぜか突然東宮一家が昼にメキシコ大使館訪問。FNN夜のニュースで独占報道]される。雅子が白い紙袋を手にワゴン車から降りて登場]、「皇族が紙袋てorz」となる人続出。中身は不明である。

愛子連れなので仕事風味でないことは明らかであり、日曜(メキシコに多いカトリック信者にとっては祈りを捧げる安息の日)に出かけてメキシコ大使館側に受け入れの仕事をさせる迷惑のかけっぷりも話題になる。

2008年6月9日宮内庁HPにて『WiLL』7月号に対する訂正文が発表]される。渡部昇一氏&日下公人氏対談において,渡部発言「ですが美智子様が皇室に入られたために,宮中に仕えていた女性がみんな辞めてしまったそうです」について、当時の人事関係資料からしてこれに該当する事実はないと真っ向反論。

・美智子さまが入内されて女官が全て辞めてしまった、という事実は人事異動記録からして存在しない
・浩宮の留学年数間違い(×4年 ○2年)
「訂正って、そこかよ!」的な発表であり、『WiLL』7月号に対しこれ以外の訂正要求は出されず。それは西尾幹二氏論文等掲載の『WiLL』5月号]&6月号]についてスルー、%c0%e9%c2%e5%c5%c4">千代田から文句なしということを意味する。つまり、雅子の輿入れに内閣機密費が使われたとする記述(6月号蒟蒻問答p91)や、雅子はH15年9月から宮中祭祀に一切出席していないという文面(5月号西尾論文p39)まで事実だと認めた格好に。

2008年6月12日『女性セブン』6/26号が、愛子が学校の休み時間に廊下で寝転がって大声で笑う…と記事に。

<P32より引用>「休み時間に教室の前の廊下でお友達と遊ばれていたとき、愛子さまは廊下に寝ころがれていたそうです。とても楽しかったんでしょう。大きな笑い声をあげられていたみたいですよ。ちょっぴりヤンチャな一面も見せられているんですね」(前出・学習院関係者)<引用終わり・太字原文ママ>
幼稚園児や超腕白ダンスィならともかく、これまで取り立てて活発だとも報じられもされなかった女の子である愛子でこれは…とますます心配ムードに。この記事と伸ばし続けている長髪のおかげで、愛子を指す表現として「モップ姫」といった語が使われだす。

参照:上越教育大学Psycho-Lab(障害児教育/心理学研究室)発行紀要『発達支援研究』での宮澤浩(2003)]論文:発達障害児の「床に寝転がる」行動が回数等観察記録されている。

併せて6/5東宮御所近くの公園で友達と遊ぶ約束をしていたのが取り止めになった件]について、子供達が時間前に既に集まって待っていたのに急に愛子は来られないと連絡がきた、つまりドタキャンであったと記事に書かれる。

2008年6月13日徳仁親王ブラジル訪問前のご挨拶をしに皇居御所へ午後6時50分頃参内。雅子と愛子は同行せず少し遅れて約10分後参内]し両陛下と夕食会。別行動になった理由は不明。また珍しく雅子はワゴン車窓からお手振りではなく会釈]をしてみせる。
2008年6月15日夕刻Yahoo!トピックスで<「眞子様萌え」に宮内庁困惑>]サイゾーニュースが取り上げられ、閲覧者が殺到したためかマコオタ掲示板]がつながらなくなる事態に。数時間後に復旧するも鯖は不安定。宮内庁は「皇室に対する誹謗や侮辱に関しては、相手に注意をすることもあるのですが……」「(イラスト等について)何とも言えませんね…特に中傷しているわけでもないようですし…」と困惑しつつも静観の構え。

しかし眞子さま萌えが2ちゃんで話題になったのは初等科卒業時]であり、4年以上も経過した今更のタイミングでニュースになったことにスレ住民もいぶかる。「マコオタHP潰しの意図か?」「逆にこれを機に%a5%d1%a5%f3%a5%c4%c3%cb">雅子トンデモ画像を目にする人が多くなり宣伝してくれてるのでは?」との両解釈あり。

2008年6月16日徳仁親王ブラジル訪問出発。午後3時20分頃、東宮御所玄関前では雅子愛子らの見送りを受ける。産経]等は愛子について「寂しかったのか、出発前はしきりにはなをすすり、涙ぐまれるような様子も見せた愛子さま。最後は別れを惜しむように皇太子さまの手をしっかり握り、雅子さまと一緒に手を振られていた。」と泣いていた描写で報じる。

確かに動画(参照:日テレにこにこアルバム]では両手をつながれた状態で少しえずいている様子だが、目も赤くなく涙も見えず。父親と別れる場面で視線も向けず、掌をポンと合わせただけで接触がおしまいになるなど特に悲しそうな様子も見えないので、えっえっとえずいているような様子は音声チック(=トゥレット]、自閉症と併発が多い)か?という見方もあり。
皇太子の口の動きから推察される台詞「パパまた戻ってくるから ママが送ってくれるから」、それに対する愛子の返事はなし。
ゲティでは、車に乗って去る父親に愛子が視線を合わせぬままお手振りしている姿が掲載される(ゲティ画像その1]、ゲティ画像その2])。
6歳半の愛子に対し「2~3歳児レベル、幼すぎる」との住民感想多数。ご挨拶できない記録が今回も更新される。
MSN産経皇室ウィークリー6/21]が16日見送りについて細かな内容掲載。それによると、東宮一家3人は職員や遠巻きにお出ましを待っている取材記者らが待つ中なかなか現れず、記者から姿が見えるところまで出てきたものの再び奥に引っ込む。そこから5分余りが経過してから、あの愛子えずき&抱きつきお見送り場面]になったとのこと。
相当おむずかりがひどかったのではという住民推察の声が上がる。
参考Youtube:2008年の愛子さま http://www.youtube.com/watch?v=X9tu3CooAVo
この動画の4分04秒から、東宮御所玄関内で愛子が雅子を突き飛ばし、雅子がよろける光景が収録。
東宮御所玄関内でおむずかり、暴れて雅子を突き飛ばす愛子gif動画]

2008年6月20日夜NHKの番組にて発達障害についての特集、学校の廊下でゴロゴロ寝ころんで遊んでる発達障害児の映像が流される。6/12発売の女性セブン記事を読んでいた住民の脳裏には、自ずと愛子との連想がされることに。→【モップ姫
2008年6月16日『週刊現代』6/28号<皇太子、雅子さま「それぞれの孤独」―ご成婚から15年>発売、トップに「皇太子と雅子様の私生活に関して『あっと驚くような』怪情報」。

・編集部は宮内庁筋から流れたとされる怪情報に触れた。詳細は不明だが東宮夫妻の私生活についてのことで、その噂を耳にした美智子様は激怒したというもの。複数の皇室ウオッチャーも同種の怪情報に接触している。
・雅子の病状について宮内庁筋は苛立ちを深めているが、徳仁も困惑を深めている(訪ブラジル前会見内容)
・雅子妃は機嫌が悪いと女官が呼びかけても『バタン!』とドアを閉めて閉じこもってしまい返事もしない

2008年6月25-26日『女性セブン』7/10号<雅子さま「お見送りから帰れない」朝礼も木陰で見守る母の心と周囲の困惑>とのタイトル記事。発売前日宣伝段階から「小学校朝礼を木陰から見守るなんて有り得ないキモすぎ怖すぎ」「雅子暇すぎ」「これじゃ鬼女でなく雅子が監視しています]状態だ」と早速話題沸騰。

発売された記事では、雅子朝礼監視は複数回行われていて、その度に何人もの警備陣が囲みものものしい状態とのこと、その異様さがますます話題となる。

2008年6月27日徳仁ブラジルから帰国。笑顔で嬉しそうな愛子だったが、ご挨拶が相変わらずできないどころか、「お帰りなさい」もなし。

てれんこてれんことした歩き方での登場、両手をそれぞれパパママとつないだ姿の足首がくねっているシャネル足なこと、大好きなはずのパパと視線がやっぱり合わないこと、とても大きな白い靴、着袴の儀の時と同様に東宮御所内へ戻るタイミングを愛子が決めてる(両親はそれを窘めることもせず)ことなどが注目を集める。
→参考: にこにこアルバム動画]

2008年6月29日徳仁ブラジルからの帰国挨拶で皇居御所訪問、ブラジル訪問前挨拶と同じく雅子とは別々の車で移動する。但し愛子の同行は今回はなし。
2008年6月30日宮内庁東宮職が、子供の夏風邪の一種「ヘルパンギーナおよび溶連菌感染症の合併」に愛子が罹り、同日学習院初等科欠席、回復するまでお休みと発表。28日午前、熱が38~39度まで上昇し喉の痛みも訴え、29日も38度台が続き、東宮侍医の診察結果、上記診断を受けたとのこと。30日朝は平熱に戻ったが、喉の痛みや水疱などが残っており、しばらく通学は控えるという。

小学校の廊下にごろごろ寝転がってしまうようではウイルス・細菌感染も無理ないわとの見方多数。6月末から始まるプール授業回避のためとの見方も。
同日YTVミヤネ屋では秋篠宮家ご結婚18周年記念特集、「秋篠宮家ではご挨拶がきちんとできるような教育に重きを置かれている」とか、笑顔も自然だと報じる。
TBS2時っチャオ!でも同じく秋篠宮家特集で「挨拶」「感謝」「伝統を大切にする心」をクローズアップする珍しい動き。眞子さま6歳初めてのお出かけでケーキ研究家展覧会へ、きちんとしたご挨拶と、本の11/30ケーキページを見て「お父様のバースデーのお菓子ね」とお話しされたという、こちらは当時きちんと会話もできたし誕生日の概念も完全に把握していらしたことが分かるエピソードも紹介される。


|-| 2008年| 詳細な時期は不明であるが、小和田恒が軽い脳梗塞を起こし、春から夏にかけて都内の病院で入院したと後に『週刊現代』2008/12/13号<雅子さま、公務復帰決意の陰に悲壮「父が脳梗塞闘病」>記事にて報じられる。
「今夏、雅子妃の父・小和田恒氏が、急病で倒れた。」(宮内庁幹部)
「小和田恒氏は今年の春から夏にかけて体調不良となり、軽い脳梗塞と診断されて、都内の病院に入院したと聞いています。その後、故小渕恵三元首相がかつぎ込まれた順天堂大学病院に再入院したのですが、これが、都内の病院からの転院だったのか、それとも、退院後に、二度目の発症があったことによる入院だったのかはわかりません。」
夏には療養とリハビリを兼ねた軽井沢別荘静養をすることに。|-| 2008年7月1日| 創価学会の聖教新聞が、第一面で徳仁ブラジル訪問パラナ州移住100年祭にてSGI青年部500人が演奏演技を披露と記事掲載。SGI副会長である池田博正(池田大作名誉会長の長男)と壇上で一緒の写真]もでかでかと紹介。
露骨な広告塔として利用されている徳仁の姿に「これまで東宮家と創価との関わりは半信半疑だったが…」と、これまで多少擁護風味だった住民奥様まで見方を改めるほどのインパクトを与える結果に。
『週刊朝日』7/11号では、6/21授業参観に雅子が姿を見せたと記事に記載。
<原文引用>学校行事では、愛子さまが離れたところからも雅子さまの姿を認めると、「ママ、ママ」と呼びかけることもあるという。<以上引用終り>
……と、いまだに「ママ」使用だとも記される。|-| 2008年7月3日| 『週刊新潮』7/10号<「異様な厳戒態勢」が続く「愛子さま」ご入学3カ月「教室に鍵」「監視カメラ12台」「フロア立ち入り禁止」皇太子殿下の時でさえ、こんなことはなかった!>発売。
・6/30「愛子ヘルパンギーナ及び溶連菌感染症の合併で学校欠席」報道について、普通なら誰かが風邪で欠席したら担任から説明があり、感染症なら尚更であるのに、学校からは全く説明が無かったため愛子と同じクラスの父兄たちは学校側の対応に強い不信感。
・登下校で雅子愛子の前後両側をSPや女官が最低8人ぐらいが囲み、御所の門から校門まで数メートル間隔で警官がびっしり並び、さながら大名行列。愛子の登校時や毎朝の校庭の朝礼でも初等科長(=校長)か副科長がわざわざ愛子を出迎えることも少なくない。
・学校内でも愛子所属の南組に鍵が取り付けられ、一旦下校すると即座に施錠し、児童や父兄が身分証を提示しても入れない。教科書忘れた子が取りに戻ったが身分証出しても教室に入れてもらえず、宿題ができなくて翌日先生に叱られたとか。
・保護者会で「愛子さまの写真を撮ったりしないように」と言われたその一方で、普通の子のようにと皇太子負債は望んでいるらしいと報道はチグハグの矛盾だらけ。
・校舎内にも愛子の護衛官(一応カジュアルな格好とのことだが)が数人常駐。南組の前後の入口にそれぞれ護衛官が立ってフロアの廊下の端にも2名の護衛官。他学年の生徒はそのフロアに一切立入禁止。
・教室で担任の女性教師から「これがわかる人、手を挙げて」と言われても愛子は挙げられず、心配した教師が以後、挙手をさせなくなった。しかも%d3%f1%a4%ad%a5%c6%a5%a3%a1%bc%a5%c1%a5%e3%a1%bc">授業中、担任はほとんど愛子の席の隣に立ち、何か囁いたりして、子供たちにとっては単なるえこひいきとしか見えない。
…のように、とにかく異様過ぎる愛子の初等科生活が記事にされる。初等科はほとんど監獄状態?との読後感想あり。|-| 2008年7月8日| 6月末から学校を休んでいた愛子、通学を再開。≪MSN産経皇室ウィークリー7/12]≫|-| 2008年7月13日| スレッドpart1272]に「昨年11月、雅子が愛子にミカンをゴロゴロ転がし犬扱いして遊んだ」と書くスネーク人物が登場。
なんともリアルすぎる内容に大衝撃。職員報告を受けた徳仁は「楽しく過ごしたんですね。」と、事の異様さを全く認識していない様子orz

Part1272]-586 可愛い奥様 2008/07/13(日) 00:30:49 ID:LmZzW4SXO
長い廊下にしゃがみこんでミカンをゴロゴロ転がして遊ぶ。
異様な光景を見かねて職員が「傷みますのでおやめください」と声をかける。
 
急に機嫌を悪くし、部屋に閉じこもる。
 
去年の11月の話。
 
620 可愛い奥様 sage 2008/07/13(日) 01:11:05 ID:LmZzW4SXO
iさんが遊んでほしくて寄ってきた所を、適当に相手するためにミカン転がし。
いかに真っ直ぐ遠くまで転がせるかに執心。
iさんを犬扱いして「とってこーい」「ワンワン」
職員ビックリ。
「おやめください」
丼機嫌悪。
iさん何が起きたか分からずボーっとする。
 
夜、盆にそれとなく報告。
「楽しく過ごしたんですね。」
こらダメだと職員諦め。|-| 2008年7月15日| 『女性自身』2008/08/05号<愛子さま・初めての「通信簿」!-学習院初等科4カ月>が発売。こんな記事タイトルだが、学習院初等科は1年生の1&2学期には通信簿がなく、3学期に三教科三段階評価がつくとのこと。|-| 2008年7月16日| 徳仁スペイン訪問出発、雅子が東宮御所玄関前で出迎えるも愛子は学校のため不参加。|-| 2008年7月17日| 女性セブン2008/08/07号 愛子さま「お昼休みのまっ黒靴下」「初等科伝統の花の冠」-もうすぐ夏休み が発売。
・入学約4ヶ月、当初は戸惑っていた様子の愛子も今ではすっかり慣れ、特に朗読では大きな声ではっきりと読み上げる
・初等科敷地には「近光園」と名付けられた所があり、ちょっとした小山ほどの盛り土や6年生が手植えする水田がある。愛子は昼休みになると友達と全速力でそこへ駆けていき、靴下が真っ黒になるほど遊び回っている
・近光園にはクローバー(シロツメクサ)が生えていて、冠の作り方を教わるのが初等科伝統。愛子も上級生から教わり楽しんで作られた
……てな内容掲載。
近光園については学習院初等科HPで画像付き説明]があり、初等科夏服靴下が白であることも判明。「“真っ黒靴下”とはまさかここで靴を脱いで遊ぶのか?」「“手や膝が真っ黒”なら普通の表現だがどうして“靴下”??」と違和感大。|-| 2008年7月23日| 徳仁スペイン訪問から帰国、雅子が東宮御所玄関前で出迎えるも愛子は現れず。「学校はなかったが風邪気味」と報道される。
MSN産経]「敬宮愛子ちゃんさまはこの日学校はなかったが、風邪気味のため、姿を見せられなかった。」
日経Web]「雅子さまが出迎えたが、夏休み中の愛子さまは風邪気味のため姿を見せられなかった。」
…などと、当日学校はお休みということはわかったのだが表現が食い違い、マスコミ情報が錯綜。ミヤネ屋は「24日終業式で25日から夏休み」と報じ、これが正解。
同日夕、宮内庁東宮職が「愛子さまは19日から気分がすぐれず、20日には38度台の熱が出た。22日には平熱に戻った」と発表。|-| 2008年7月24日| 徳仁スペイン帰国報告で夫妻が皇居参内し、両陛下と夕食会。愛子は同行せず。
24日終業式ニュースは終日出ずじまい。(後日7/26MSN産経皇室ウィークリー]が終業式欠席を報じる)。|-| 2008年7月25日| 野村一成東宮大夫が定例会見で唐突に「(雅子の治療に関して)皇太子さまの海外訪問に同行されないことについて繰り返し質問するのは精神的ご負担になり治療上マイナス」として、宮内記者会に記者会見での質問内容に配慮を求める東宮職医師団の見解を発表。
ワケワカメぶりがまたも炸裂している怪文書であるが、今回は「精神疾患のために治療を受けながら頑張っている人」と、雅子について明確に「精神疾患」という語を用いているところが注目を集める。
→参考:7/25MSN産経ニュース]|-| 2008年7月30日| 徳仁トンガ訪問出発で、今回は愛子出席の東宮御所前お見送り。淡いピンクのハイウエストギャザーワンピースの格好で、いつものごとくてれんてれんとした歩き方で愛子登場。始終雅子に手をつながれた状態でお辞儀もできず、お口も半開きの状態。
両親と視線も全く合わず、カメラのフレーム外にいる人を目で探しているような表情を見せる。雅子が繋いだ手を通じて合図を送っているような素振りを見せ、車へのお手振りはなんとかできたものの、ほどなく手をだらりと垂らす。
これまでで最も心配だ、愛子はこれでは幼稚園頃からまったく変化していないという感想多数。
→参考: にこにこアルバム動画]|-| 2008年8月3日| 『週刊現代』2008/08/16号<愛子さま学習院初等科「3度の長期欠席」で囁かれる「不適応」>にて、愛子の学校病欠が目立つこと、警備等のピリピリムード、引っ込み思案が記事となる。
・4月末のGW直前に水疱瘡、休日を含めると合計5日間欠席
・6月30日にも高熱を伴う夏風邪で病欠、再び登校したのは7月8日
・7月19日に風邪の症状が出、20日は38度台まで上がったが22日には平熱に戻ったが、大事をとってそのまま24日終業式まで欠席。つまり7月登校は8、9、10、11、14、15、16、17、18の9日間のみ、7月開校日数は17日間なので半分欠席。
・愛子は漢字の書き取りが得意で、すでに300字以上書けるとの内容が。小1段階で習得する漢字は100未満であるため、余りに多すぎる数に「優秀伝説どころか自閉症COだ」との声多数。
・渡辺みどりが「面倒見係が3人体制なのにしっかりご挨拶をしている映像もまだ見ていない」とコメント。「養育係/教育係」よりランクが低い印象がある語である「面倒見係」が飛び出す。
・学習院関係者目撃の雅愛母娘の光景として、雅子がしゃがんで目線を合わせ、愛子が何か言おうとするとすぐに雅子がそれを引き取って先回りして話してしまう、とも。
「雅子は子供の言葉を先取りしてしまう駄目母だ」「愛子は母親と一緒にいても一言も話さない」COかと印象を残す。
同日徳仁トンガ帰国で東宮御所玄関前お出迎え。にっこり笑顔も見せた愛子だが「お帰りなさい」もご挨拶もなし。雅子が御辞儀するよう促す素振りを見せるも、不成功に終わる。
→参考: にこにこアルバム動画]|-| 2008年8月4日| 米国の出版社SnapからTim O'Shei氏の著書として『プリンセス・キコ』]が8月発売情報。児童向け書籍で、ダイアナ元イギリス皇太子妃・グレースモナコ大公妃等と一緒]のプリンセスシリーズ。
アジア市場を見込んで日本の皇族が対象になったと推察されるが、何より題材として仮にも皇太子妃である雅子が選ばれず、秋篠宮妃紀子殿下が選ばれた事実が大いに注目される。
ハリボテ雅子に対する海外評価が露骨に反映されたためか、雅子擁護嵐が嫉妬で壊れ暴れまくる。|-| 2008年8月7-8日| 徳仁が富士山登山。『女性自身』8/19・26合併号で予定情報が記載されていたが、7日午後「富士登山、I子様もご一緒らしいよ。カッパ着てらしたとか。」とアンチ編スレに書き込みされる。いくらなんでも小学1年生には無理だろと疑念の目で見られていたが、別mixiにも徳仁登山情報が書かれる。翌8日に徳仁富士登山がニュースとなり、愛子同行はガセだったが、登山は一応本当だったことが確認される。徳仁は8日、八合目の山小屋で御来光を拝んだとのこと。
なお8日昼には多摩地方を中心に地震が、浅間山地震活動が活発となり警戒レベルが上がるニュースも発生。7日は「立秋」であり、「秋篠宮が立太子」との連想言霊も話題になる。
ちなみに9日には複数mixi書き込み「高速の中井PA出口封鎖」「(皇太子の)写真撮影したらSPに『御忍びなので…』と言われた」「富士登山一行は70名」など、TV局クルーまで同行させながらお忍びと言い張る、トホホな矛盾が発覚。
また9日午後、富士登山していた男性が落雷を受け死亡する不幸な事故が発生する。|-| 2008年8月17日| YTV「たかじんのそこまで言って委員会」でまたも東宮特集。
その中で雅子が祭祀してないこと、 公務を休んでその前後や当日に遊びに行ってること、治療の一環で行ったオランダで小和田家両親や妹と会ってた実家べったりぶりが改めて紹介される。
やしきたかじんが「われわれ庶民から見たら『むいてない』ちゅうことやね」と神発言。|-| 2008年8月20日| 東宮一家、那須御用邸静養出発で宇都宮駅前にて恒例のマスコミ撮影会。愛子のにっこり笑顔は見られたものの「年齢に比べ表情が幼すぎる」感想多し。ここでも雅子に手をつながれたまま登場で、お馴染みのとても大きな白い靴を履いた左足が隠し切れない強烈なシャネル足に。ご挨拶もなし。
日テレにこにこアルバム]はその強烈シャネル足をクローズアップするような不自然なカメラワークを用い(35秒~)、見た人々に強い印象を残す。
なお徳仁親王は30日に公務の為帰京するが、雅子&愛子はその後も静養続行と時事通信報じる。|-| 2008年8月24日| 天皇皇后両陛下が軽井沢静養へご出発。しかし静養のはずながらも大日向開拓地訪問、記念館を視察し引き揚げ者や子孫の人たちと懇談なさるというご多忙ぶり。
そして今回の静養には秋篠宮両殿下と悠仁親王殿下が合流されるとasahi.com]報じる。|-| 2008年8月29日| 皇太子八大行啓の一つである「全国農業青年交換大会」が財政難で開催困難、今年は開催しないと地味に報道。一応代替イベントを考えているというものの、実質的に八大行啓の一つが削減されるという動きであり、現在の東宮家の立場を反映か。
→参考:MSN産経ニュース]|-| 2008年8月30日| %c4%ab%c0%b8%a1%ca2008%c7%af8%b7%ee%a1%cb%a4%de%a4%c8%a4%e1">テレ朝「朝まで生テレビ!」<激論!これからの“皇室”と日本>放送。『WiLL』で一連の皇太子に対する提言論文を執筆した西尾幹二氏の本が出版されることになり、それ合わせのタイミング。西尾氏は明解でかなり突っ込んだ発言をなし、住民奥様方大賛同。
「一年ぐらい以内に、妃殿下は病気がけろっと治るんじゃないかと思います。理由は既に治っておられるからです。病気じゃないからです」「(皇太子は)小和田家と雅子妃にコントロールされ圧迫されている」といった発言が印象深し。
また同番組で香山リカが「雅子さまは頑張りすぎ、自分なら公務前に下調べなんかせずに笑ってお手振りだけしてる」「(憲法第9条があれば、自衛隊も日米安保も要らない)私は殺すより殺される方がいい」と(゚Д゚)ハァ?発言をする。|-| 2008年9月1日| 『週刊朝日』9/12号<悠仁さま2歳に、美智子さまとの「はじめてのやまのぼり」>にて、既にブログやmixiで発掘され池田礼子とその息子らが那須ファミリー牧場同行疑惑(8/26)が記事によって裏付けられる。8/28徳仁&愛子那須テディベア・ミュージアムに雅子が同行しなかったことも記載。
更に愛子の友達一家を招いておきながら会食をドタキャンするという呆れた事件も起きていたとのこと。

 28日は「那須テディベア・ミュージアム」に足を運んだ。夏休み中、御用邸の近くに呼んだ愛子さまのお友達一家との会食が続けて中止になったというが、この日も体調が悪かったのだろうか、どの入館者に尋ねても、館内に雅子さまの姿はなかったという。それでも愛子さまは、さまざまな『くまちゃん』のキャラクターに笑顔を見せ、お買い物。近くのリゾートホテルで食事をとった。
『週刊朝日』2008/9/12号28ページより引用

また同日午後9時30分、小和田家とつながりが深い福田康夫首相が緊急記者会見にて突如辞意表明。|-| 2008年9月2日| 『女性自身』9/16号<雅子さま・那須「笑顔復活の休日」にあった妹・礼子さん家族ぐるみの援護>発売、前日発売『週刊朝日』9/12号と同様、礼子一家が東宮家静養に合流していたと記事に。
また<レッツゴー!愛子さま-那須での夏をご満喫>とのカラーグラビアでは、那須ファミリー牧場の子牛を、愛子が前歯が抜けた大口開けた横目状態で見ている画像]も掲載。「たくさん撮った写真の中から写りの良いものを選ぶのが常道なのに、何故この画像が選ばれたの?」と感想を抱く奥様続出。嵐から見てもこの画像のひどさは否定しがたいようで、スレで暴れまくる。|-| 2008年9月3日| 雅子&愛子、那須ステンドグラス美術館へ。同日併設の教会(ショップ・カフェも貸切)での結婚式を見物、その場にて有り得ないボサボサぐちゃぐちゃ頭の雅子と無表情な愛子の画像]が後日一般人ブログから発見される。汚すぎる・まるでホームレス・浮浪者だとの感想しきり。水色シャツでカメラを携えている%ca%a1%c7%f7%c8%fe%bc%f9%bb%d2">福迫美樹子の姿も写っており、同行していたことが分かる。|-| 2008年9月4日| 雅子と愛子、那須静養から帰京。|-| 2008年9月5日| ミヤネ屋が悠仁親王殿下お誕生日前日で約14分間ほど映像紹介、愛子映像も抱き合わせで2分ばかり流される。その愛子映像BGMで使われたほのぼのインスト曲が、自閉症をテーマとした草なぎ剛主演ドラマ「僕の歩く道」サントラからだと実況スレで複数指摘される。|-| 2008年9月6日| 秋篠宮家悠仁親王殿下2歳のお誕生日。秋篠宮ご一家の温かな家族の風景、トンボを持ってみたり、虫篭を覗き込んだり、家族の先頭に立って一人でちょこちょこ歩いたり、木製電車玩具をつなげて遊んだりする可愛らしい悠仁親王殿下の姿が紹介される。MSN産経の写真コーナーでは愛子2歳時の写真も閲覧でき、当時の大量玩具ごちゃごちゃ汚部屋で縫いぐるみ踏み付け状態]やうんこ座り状態]と比較されることに。
同日MSN産経皇室ウィークリー]では、引越しに伴う愛子通学について「赤坂東邸から鮫が橋門までの直線距離は約500メートル。東宮御所からに比べて2倍以上になるが、赤坂御用地内は車で移動される」とのこと。初等科1学期に出された宿題について、野村東宮大夫は「当然、私は終わっているものだと思っています」との微妙談話。先日の那須御用邸静養についても「付属邸では雅子さまのご親族とも交流された」と記事にされる。|-| 2008年9月8日| ミヤネ屋で悠仁親王殿下お誕生日に絡め、木製電車玩具についてなど紹介。その中で41年前2歳の秋篠宮殿下映像と、そのお世話をしている美智子さまの注意を引くためか、%a5%c1%a5%e3%a5%c3%a5%ad%a1%bc">チャッキー顔をして何事か大声で喚く当時7歳9ヶ月の浩宮映像が流される。
この日は学習院初等科二学期の始業式があったが、雅子愛子お出ましニュースは放映されず。
また日テレにこにこアルバムトップページから、8/20那須塩原駅前シャネル足映像]につながるサムネイルが削除されていると、心配スレPart106]-46奥様により指摘される(→9/10にこにこサムネイル復活と心配スレPart106-323)。|-| 2008年9月9日| 大相撲力士の不祥事が相次ぐ中、デイリースポーツが東宮一家秋場所観戦予定中止と記事]に。大麻問題以前に時太山「かわいがり」暴行致死事件まであったのに関わらず観戦に出かける予定だったことにスレ住民一様に驚く。|-| 2008年9月12日| 秋篠宮両殿下と悠仁殿下が葉山ご静養。海岸に出て散歩中の飼い犬に興味をもったり、同じぐらいの年頃の子供に近づいたり、好奇心旺盛で可愛い姿を見せる。子供が手にしていた水車型玩具に触りたそうにするも、愛子ペットボトル事件]のように力ずくで取り上げるような真似はせず。またその子供の着ていた服のプリント「FREESTYLE」を指差し、そこに使われている色の名を「あお」「みどり」と可愛らしい声でお話しする。
参考Youtube
当ご静養は両陛下にご同行したものであり、東宮一家にも声をかけたが東宮仮御所引越し作業を理由に同行せずと9/13MSN産経皇室ウィークリー記事]。|-| 2008年9月13日| 連休明け発売の『女性自身』10/7号記事タイトルが<雅子さま「チーム愛子」に賭ける「キャリア皇女」への夢!/悠仁さま・美智子さまから贈られたのは養護学校の「ぬくもり玩具」>であると予告宣伝。「キャリア皇女」に笑う人あり、女帝路線断念かと判ずる人あり、天皇の娘でない愛子を皇女とは不遜すぎると憤る人あり、反応は様々。

またこの日は徳仁親王が学習院百周年記念会館で開かれたウルトラセブンイベントの<超ウルトラ>サプライズゲストとして登場]したと複数mixi情報≪Part1323]-522/773/836、Part1324]-435/444≫。
両陛下葉山静養合流のお誘いを「東宮仮御所への引っ越しもあっていろいろとお忙しいということではないか(MSN産経皇室ウィークリー9/13])」と断っておきながら、その真の理由はこれだったのかと住民orzとなる。なおこの13日には秋篠宮殿下も東大農学部での「三蔵経学術シンポジウム」に葉山から足を運び出席]されている。
→学習院HP<第57回学習院大学史料館講座「中央教室の思い出」フォトギャラリー>]>に、ウルトラセブンと会えてハッピーな笑顔を見せる徳仁画像ありorz|-| 2008年9月15日| 葉山御用邸にて合流静養中の両陛下と秋篠宮ご一家(佳子殿下のみ所要で在京)が早朝和船乗りをしたと地元民ブログにて画像つきで紹介。たいへん朝早い時間に出発し、天皇陛下自らが櫓を操り葉山の海に漕ぎ出るという、単なるレジャーではない雰囲気。「神事のようなものか?」と話題になる。
→【%c2%ad%c1%e6%a4%ae%a5%dc%a1%bc%a5%c8">足漕ぎボート】|-| 2008年9月22日| 『週刊女性』10/7号<みんなが知らない愛子さまのいまどきオフ生活 ママのお手伝い・オルゴール土産・災害救助ワンコ・クッキー作り>発売。コマツナや亀や雅子スパゲッティ作り手伝いといった、既出優秀伝説を改めてなぞる形。 その中で習い事として「皇太子さまからピアノを教えてもらっています」とあり、東宮家内親王なのにどうしてピアノ教授の一流どころ先生が付かないの?と疑問が。
9月からの登校は付き添いなし(SP付き)で、「別の児童の中には学校付近まで送られてくる子もあり、愛子さまはその子らよりは“自立”が進んでいるようだ」と露骨な比較表現が用いられる。その他、災害救助犬に興味を持ったり、月一程度皇居参内と幾分水増しされたり、1年生は掃除当番なしといった情報も。
『週刊現代』10/4号<雅子さまが待ちわびるカミラ夫人「歓迎晩餐会」-あの不倫略奪女と初対面>では、チャールズ皇太子&カミラ夫人来日で10/27に公式歓迎晩餐会で、翌10/28東宮晩餐予定とか、雅子がかなり張り切っている様子だとかが記事に書かれる。
『週刊朝日』10/3号<お騒がせ承子さまは、早大入学も「奔放な生活」>では、高円宮家承子女王が警護に非協力的で困りものだという内容。|-| 2008年9月23日| 午後、両陛下と秋篠宮ご一家とともに行う皇居でのアワ刈り取りに東宮一家が出かける。いつものワゴン車での移動で、雅子と愛子が真ん中の席に陣取り、徳仁は相変わらずの最後列(奥)の席。|-| 2008年9月26日| 同月11日放送のTBS「2時っチャオ!」による「秋篠宮家の眞子さまはジャニーズコンサートに行っている」報道内容に対し、宮内庁がHPでそのような事実はないと真っ向反論]。
合わせて一昨年秋に同じくジャニーズコンサートに眞子さまが出かけたという記事を掲載した『週刊新潮』2006/9/14号]に対しても、内容は事実と異なり既に抗議していると、気合の入ったGJ発表。|-| 2008年9月29日| 『AERA』2008/10/6号<雅子さま「心の人」失った-夏も万全でなかった体調>]発売。
雅子が「人の心」失ったと読み間違える人が続出、この8月那須静養の動きがかなり細かくまとめられ、実妹・池田礼子が雅子にべったりな様子もよくわかる内容。「心の人」とは雅子のちょっとした体調の管理をしていた女性とのことだが詳細は不明。スレではエステ業界のとある人物ではと芋掘りがいろいろされる。|-| 2008年9月30日| 『週刊女性』2008/10/14号<愛子さま「甘やかし派」と「きっちり派」養育無計画!>発売。
愛子甘やかし派の福迫美樹子出仕と、幼稚園児の躾に厳しいきっちり派の元学習院園長小山久子養育専門女官との対立が、愛子の養育に悪影響を及ぼしているのではという、当人はもうじき7歳にもなるのにトホホな内容。|-| 2008年10月7日| 『女性自身』10/21号<雅子さま順調ご回復の陰で東宮女官VS.ご養育係一触即発「女のバトル」>発売。
芸術祭にドタ出するなど回復に向かっている雅子だが、女官VS養育チームには不協和音が。女官は縁故採用などが多く、公務員としても身分が低い「出仕」である福迫美樹子が雅子に声をかけられたりするので、女官の中には(ヘッドハンティングされた)福迫さんたちへの嫉妬もあるらしい。女官たちは愛子を内親王としてふさわしいふるまいを、と考えているが養育チームは東宮夫妻の意向に沿って「普通の子ども」として関わっている…
…といったgdgd養育状況記事。あまりにgdgd過ぎて、「運動会でうまくいかなかった時に全部養育係のせいにするための布石か?」などといった見方もされる。
当自身記事では10/4に愛子が幼稚園OGとして運動会に参加、夫妻もその光景を笑顔で撮影したということも紹介される。|-| 2008年10月8日| 『週刊文春』10/16号<「とんでもないことだ!」雅子さま「運動会観戦」に朝日名物記者が噛みついた リレーの代表に選ばれた愛子さま。障害者スポーツ大会は皇太子に任せ、雅子妃は学習院の運動会に。記者の突然の怒りに東宮大夫は…>発売。
雅子が10/11八大行啓の一つである大分県全国障害者スポーツ大会公務を欠席し、学習院初等科運動会観戦と東宮大夫定例記者会見発表、それに対し%c0%e9%c2%e5%c5%c4">千代田から信頼を寄せられてもしている朝日新聞社の岩井克己記者が、先生が生徒に言い聞かせるがごとくの口調ながら、野村一成に鋭いツッコミをしてみせたという内容。野村東宮大夫は「開き直り的に話をすることではないが、依然体調の波があり苦しい状況も理解いただきたい」と苦しい答弁。当会見内容は天皇皇后両陛下の側近たちにも伝わっているとのこと。
愛子は1年南組(男女合わせて32名)女子の中で足が3番目に速く(つまり16名中3位)リレー選手に選出されたと、学習院初等科の父兄の一人による証言記述。ちなみに当初クラス編成は33名×4クラスの筈であったが、何故か32名と1名減であり、恐らく入学辞退者が発生したことによる数調整と推察される。
愛子は10/3運動会予行演習に出たが、開会式・閉会式の予行演習以外はトラックの外の席でポツンとお座りのまま参加せず、リレー練習も補欠の子が呼ばれ職員も生徒も『えっ!?』と驚いたという、本番当日が思い遣られる心配な様子が記事にしたためられる。

TBS「秋の皇室SP 皇后美智子さまの本懐」放送、どうせT豚Sのことだから雅子愛子ゴリ押し宣伝でしょとの住民予想をいい意味で裏切り、美智子さまの真摯な姿勢と感動秘話を伝えるGJ内容。
愛子については、高円宮久子妃に絶滅種の二ホンイシガメを貰い飼っている、8月那須静養テディベアミュージアムで1万円以上のベネロペグッズお買い物(前回はお釣りを貰わず下がった、との説明も)など。
りんどう湖ファミリー牧場のジュニアサーキット(幼児用ジェットコースター)について係員が当時の目撃情報を説明]。雅子に「ジェットコースターは速かった」という意味を手でグルグル8の字を書きながらジェスチャーで伝えていたとの様子に「まだ会話ができないのか」と危ぶまれる。当ジュニアサーキットについては、実物映像前列に愛子顔写真を合成して走らせるお間抜け合成も(参照:当該シーンYoutube])。
なおCMに創価学会があった!と報告する奥様もいたが、自分のとこではそんなのなかったよと証言する奥様もいたりで、ネット局により差異がある模様(近頃は創価学会・創価大学TVCMが増加している傾向にある)。|-| 2008年10月9日| 『English Journal』11月号掲載ヘイリーインタビューで、2005年東宮夫妻コンサート鑑賞後サインおねだりエピソード紹介、そこで使われたのが“Oh, no, oh, wait, we want you to sign something for us!”、上流階級にあるまじき下品な英語表現&「autograph」の単語すら知らないことに一同orz状態。このことから雅子DQN英語を指し「マサグリッシュ」という新語誕生。

皇居宮殿では北京オリンピックメダリスト&入賞者らを招いての公務、雅子は欠席。徳仁はフェンシング・フルーレ銀メダリストの太田雄貴選手に「愛子」話をしてみせる。太田選手証言]:「(皇太子さまと)愛子さまとフェンシングを見たよという話をしていただいて、ただ愛子さまがルールがまったく分からないという質問に対して、皇太子さまも『僕も分からない』とおっしゃていたので」
そんな愛子話をしてみせる徳仁に対し、「ルールも含めて少しずつ日本の中で広まればいいですかね]」と伝えたという太田選手。それは寧ろ選手をねぎらう側の皇太子が発すべき言葉。48歳徳仁より22歳太田選手の方がずっとしっかりしてるとorz状態になる奥様続出。|-| 2008年10月11日| 学習院初等科運動会の予定日であったが、東京地方が雨模様のこの日、終日報道なし。|-| 2008年10月12日| 学習院初等科運動会が順延開催。愛子の70m徒競争がニュースで報じられる。結果は4人中1位で、終始笑いながら走っていたこと、左手ひとさし指が走っている最中従来と同じくやっぱり伸びている]こと、訓練された綺麗な走り方のようだが足首にやはり違和感があることが印象を残す。リレーやポニョダンスは公開なし(参考:にこにこアルバム映像])。
時事通信は「ゴール間際では立ち止まり、他の同級生が追いつくのを待つしぐさも見られた]」と報じる。
……とは言え元気に楽しそうに走っていた愛子なので、運動会は楽しいものだったのだろうとスレ住民からは概ね温かい感想。
ところが、ニュース速報+板やヤフーニュースコメント]等では「愛子さま、駆けっこ1等賞=学習院初等科で運動会」に対し、「八百長・やらせ・接待徒競走・北朝鮮のマンセー報道か」との強烈且つ手厳しい書き込みで溢れかえる。アンチスレ周辺が愛子に対し一番優しい見方をしているという、これまでにない異常事態であり、世間による東宮家への見方が如実に変化していることを感じさせる。
八大行啓をサボって応援に登場した雅子については、とんでもなく目元顔輪郭が弛んだ表情で大口開け汚い歯並びを公開している姿]が映像公開され、「老けすぎ、醜い」という声が専ら。ニュー速+等の雅子に対する声も辛辣なものが大勢を占める。
ちなみに雅子が手にしているカメラはデジタルでなく、フィルムカメラの「PENTAX ESPIO 120SWII」]と判明。|-| 2008年10月16日| 『週刊文春』&『週刊新潮』10/23号発売。
『週刊新潮』10/23号<ワイド偏路 愛子さまの「運動会」に出席された雅子さまの「園遊会」>
ポニョダンスで愛子は緑と黄色のポンポンを持って踊っていた、ダンスの前何度も後ろを振り返っていた。おそらく雅子を探していたのではと初等科保護者の証言。
また同じく初等科保護者の目撃証言として、タートルネックを着込んだ雅子]が勝手に座った運動会一般席は 陽があたり暑かった様子、近くに控えている女官らしき人に「ちょっと、扇子持ってる?」(原文ママ)と声をかけ、扇子でパタパタ扇いでいた。愛子スタート瞬間をカメラで撮ろうとして「ああ、ダメだわ」(原文ママ)と漏らしていたとも。
園遊会は負担が大きすぎて欠席するのはほぼ間違いないようだが、雅子サマは目下「チャールズ皇太子夫妻を東宮御所に招くことを楽しみにされているそうです」とのこと。

『週刊文春』10/23号は、友納尚子<愛子さま初等科6カ月「全情報」-徒競争で一番!]>掲載。運動会について友脳は次のように記す:
 午前9時、愛子さまは髪を三つ編みにされ、赤い鉢巻きをまいて、元気に入場行進された。
 紺のスーツにタートルネックセーターを合わせた雅子妃は、保護者席で愛子さまを目で追いながら、そのご成長に微笑まれた。
 愛子さまも、雅子妃の姿を目で確認するとはにかまれたという。すぐに前を向かれ、行進を続ける愛子さまは、夏休みを挟み背も伸び、ご成長がうかがわれた。
 午前中のプログラムのダンスでは「崖の上のポニョ」を可愛らしく踊られた。両手にポンポンを持ち、腰には魚のヒレに見立てた飾りを巻かれている。これは雅子妃の手作りだという。(152ページから、原文ママ)
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また様々な優秀伝説追加:
・水泳の授業では潜水も出来るようになった
・カタカナ・ひらがなの他にアルファベットも書くことができる
・お習字で書く漢字も堂々たる字で、書道の先生や東宮夫妻も驚いている
・足し算、引き算の計算も速く、二桁でも暗算ができる
・愛子は小学校三年生向け・中学「年」対象の名作・童話までお読みになる
・愛子は自分の誕生日の星座に興味を持ち、家族や職員にも誕生日をよく尋ね、答えるとその月の星座や「性格など」(原文ママ)を言い当てられた。本物の星座にも興味を持っている、とのこと。
“愛ちゃん流自由自立法”との珍造語も登場、「興味の幅を広げ、自分で選択したことに責任を持って最後までやり遂げる」とのこと。そんなものは先ず雅子がやるべきことだろという、至極ごもっともな意見が出る。
ある職員が「宮様、学校は楽しいですか?」と尋ねると、「私も忙しいの。だって算数もやらなければならないし、国語の漢字でしょ。音読だってたくさんしなければ上手にならないのよ。ああ、忙しい、忙しい」(原文ママ)と答えたとのこと。やけに橋田須賀子ドラマ風年寄り臭い言い回しで「小和田優美子の作文?」との印象。そもそも小1の勉強を頑張らないとついていけないのもどうか?という声も。
雅子はこの1学期の学校行事にすべて参加することができた、愛子もその努力を知っているのか、「うちのお母様は本当にすごいのよ」(原文ママ)と同じクラスの友達に自慢している。 ←これが記事の〆。
これに対しては「ただの嫌な餓鬼としか思えない」という読後感想が大多数を占める。|-| 2008年10月19-23日| 運動会を記事にした様々な雑誌発売。
『週刊現代』11/1号・『週刊ポスト』10/31号(『テーミス』11月号も)が、運動会午前中には雅子がいなかったと記事に。
『サンデー毎日』11/2号は、午前中雅子は「1年南組」保護者応援席にいたと書く。
『女性自身』11/4号では「隣に座っていた男の子がはしゃいで後ろの子と話をしていたりすると、男の子の両肩を持って前を向くように促したり、足を大きくブラブラさせている子がいれば足を触ってやめるように促したり……」(別の保護者)
『女性セブン』11/6号は「愛子が走る時だけ、主管(担任の%d3%f1%a4%ad%a5%c6%a5%a3%a1%bc%a5%c1%a5%e3%a1%bc">囁きティーチャー)が出てきてゴールで愛子を待ち構えていた」by初等科保護者、等と記す。
週刊誌・ニュース情報を総合すると以下の通り:
・午前中、雅子が応援席に居たか居ないかは食い違いが大きく詳細不明
・午前の保護者参加玉入れ競技にお母様が参加されているか一生懸命探していた愛子、雅子不参加と分かりしょんぼり
・マスコミ取材が許可された13:40分前にSP40名ほどぞろぞろ従えて雅子入場
・初等科側で用意してあった貴賓席テント素通り⇒テント内一時騒然(学習院院長・初等科科長に挨拶なし?)
・雅子はそのまま知人がいる「2年白組」保護者応援席を簒奪して、愛子の駆けっこ観戦。フィルムカメラ](雑誌は全てデジカメと報じる)を構えるもスタートを撮り損なって「ああ、ダメだわ
・ハイネックセーターが暑かったらしく、傍にいる女官らしき女性に「ちょっと、扇子持ってる?」で扇子パタパタ。なおテーミスのみ池田礼子が14時半頃応援席の雅子と合流し、デジカメ撮影したりモニターを見たりしていたと記事に記す
・愛子は70m走でぶっちぎりの1位]だったけどゴール先には赤いパイロン装備]。何故か担任の囁きティーチャーが愛子の時だけゴールで待ち受けていた
・応援席では周囲の子に前を見ているように嗜めたり、足ぶらぶらを止めさせようとしたり、他の子のお行儀に厳しい愛子が目撃されている
・競技終了後、雅子は知人と30分程度立ち話。|-| 2008年10月20日| 皇后陛下74歳お誕生日。発表文書]は昨年に引き続き「敬宮」の使用はゼロ。その中で、

 この頃愛子と一緒にいて,もしかしたら愛子と私は物事や事柄のおかしさの感じ方が割合と似ているのかもしれないと思うことがあります。周囲の人の一寸した言葉の表現や,話している語の響きなど,「これは面白がっているな」と思ってそっと見ると,あちらも笑いを含んだ目をこちらに向けていて,そのような時,とても幸せな気持ちになります。

……と、愛子が言葉を話していないことがわかる内容が美智子さまによって記され、「まさかこれはCO?」と大きな反響を呼ぶ。秋篠宮ご一家の子供たち3人については同文書にて言葉を発していた様子が記される。また雅子について美智子さまは「皇太子にとり,また,私ども家族にとり,大切な人」と表現し、もはや「家族の一員」として扱われてないのではとも解される。
夕方、子供たち参加のお祝い茶会に愛子を連れて行ったのは徳仁。車内の愛子はお口半開きのぽやんとした表情]のまま。
→日テレにこにこアルバム映像]|-| 2008年10月25日| 日本橋高島屋ギャラリーでの写真展「皇后さまと子どもたち」を、開店前に一家三人で鑑賞。笑顔も出て機嫌が良さそうだったものの、いつものごとく雅子とガッチリ手つなぎ、時々足くねの愛子]。徳仁雅子が壁展示の写真を見ているのに、愛子だけカメラ側に視線を向けバラバラなところを見ている光景]が代表写真で公表される。
産経は“同じ年頃の皇太子さまのお写真を興味深そうに見て回り、「キャッ」と笑顔を浮かべられる場面もあった]”と、FNNニュースは“幼稚園のころの写真について皇太子さまが説明すると、愛子さまが「きゃっ」と声を出して笑うなど]”と、これまた愛子が言葉を発していない表現が用いられる。
11/1産経MSN皇室ウィークリー]では、高島屋から退出する一家が沿道の人々に近づきその折、<愛子さまは少し緊張したご様子だったが、雅子さまが促されると、同年代の女の子と向き合われた。雅子さまは女の子の母親と思われる女性に「運動会はまだですか」と優しく声を掛けられ、皇太子さまも「これから愛媛県に行くんですよ」と話されていたそうだ>と、ご挨拶どころのレベルにすら達していない、促されないと「向き合う」ことすらできない愛子の様子が記される。

同日、英国Times On Lineが雅子について強烈な記事<Sympathy turns to scepticism as courtiers whisper princess does not do her duty]>を掲載。『WiLL』連載の西尾幹二氏論文にも触れ、雅子サボリ実態は欧州で完全に知れ渡ったと考えられる内容である。|-| 2008年10月26日| 秋篠宮紀子妃殿下がお子様方と一緒に日本橋高島屋での写真展「皇后さまと子どもたち」ご鑑賞。
悠仁さまは幼少時の秋篠宮殿下写真を見て「おっきいパパ]」と声を上げたり、写真の天皇皇后両陛下を「ジィジ」「バァバ」]と指さして呼んだり、紀宮殿下が白い子犬を抱いている写真を見て「わんわん」と言い触りたがるなど活発なご様子。
前日の愛子「キャッ」とはえらく差がついてしまったという感想が専ら。
秋篠宮アンチが「パパ」だなんて下品だと必死で主張するも、愛子についての「自閉症報道は不本意」反論材料として2004年9月24日公開された「うずらちゃん」動画に「パパも」が存在することで見事ブーメランな結果に。

26日夜、雅子の妹・池田礼子が、節子との共訳本『幸せな子』(トーマス・バーゲンソール著、朝日新聞出版)を、自身のミドルネームでもある「Madeleine」をハンドルに、Amazonで星5つ絶賛自作自演]をしていたことが発覚。
また当日の秋篠宮妃殿下と眞子さま佳子さま悠仁さま写真展鑑賞ニュースで、ひたすら悪口雑言を繰り返す嵐がいた]のだが、礼子自作自演発覚とほぼ同時に姿を消し、翌27日朝には正体バレするきっかけとなったウィッシュリスト]全消去。礼子が2ちゃんを見ていて、荒らし行為もしていることがこれにて確定、ジエンヌ祭りでスレ住民盛り上がる。2ちゃんと特に関係のない一般お受験ママの間にも、礼子Amazon自作自演事件は広まっているとのこと。|-| 2008年10月30日| Yahooオークションにてまとまった数で皇室ゆかりの出品をしているtopukapu9denに注目が集まり祭り状態に。また別IDであるが、撮影画像背景のカーテンがほぼ一致しているkikueisya2008による皇室関係出品も関心を集める。
トプカプ宮殿が出品した中に徳仁&雅子額入りサインつき写真]があるのだが、その開始価格がなんと「498,000円」。たかだか写真1枚の癖に他の相当凝った工芸品等を上回る価格で出品]されていることから、明らかに雅子ageの人物であることは疑いないと目される。

この日の夜、英国チャールズ皇太子夫妻が東宮仮御所にて夕食。徳仁の出迎えはいつも通りだが、何と今回は雅子も「%bb%ba%b8%e5%a4%ce%c8%ee%ce%a9%a4%c1">産後の肥立ち」時期にも着ていた薄ピンク色スーツに身を包み、玄関前出迎えに登場。愛子お出ましはなし。女性誌で皇室ジャーナリストたちが期待していたカメラ前「カーティシーご披露」は結局なされず。
そんな雅子に対し先ごろから厳しい方向に路線変更している海外マスコミ(特に英国)は、キツい論調タイトル記事掲載。
タイムズ・オンライン:Elusive Crown Princess Masako all smiles as she dines with Prince Charles]
デイリー・テレグラフ:Prince Charles meets troubled Japanese royals]|-| 2008年11月6日| 『週刊新潮』11/13号<贋作かホンモノ流出か オークションに出品された「皇室の宝物」>発売。ヤフオクトプカプ宮殿騒動が4頁記事として取り上げられ、祭りにますます“滑車がかかる”状態。
既婚女性板のみならず、オークション板やニュース速報+板でもスレッドが立ち相当な勢いで進行。記事中に2ちゃんアンチスレッドタイトルがばっちり書かれ、当事件で小和田家に興味を持った人間は相当多いと推察される。
新潮は一応OWDクレーム除けか「小和田家関与説は事実無根の中傷」と書くものの、以前から雅子の母優美子が度々東宮御所に出入りしていたと書いてくれるなど、きっちり蒸し返す仕事をしてくれる。また出品画像に写りこんでいたカーテン等から同じ人物が出品しているのではないかと既に推理されていたトプカプ・菊栄について、新潮は同一出品者で架空の住所を用いていたとも記す。怪しさ満点。

『週刊文春』11/13号<紀子さまの父川嶋辰彦教授が「炎の行者池口恵観法主」に救いを求めた!><雅子さまが外務省に問い合わせたカミラ夫人の「大好物」><「イヤなことはやらない!」雅子妃主治医の書いた話題本>発売。
1つ目は高野山真言宗大僧正である池口恵観法主が、トレッキング協会を縁として川嶋辰彦氏と接触を持ったという記事。池口法主の信者である人物が調子に乗ってペラペラ喋ったと思しき内容。
2つ目は10/30チャールズ皇太子&カミラ夫人夕食会、愛子が東宮仮御所内でお二方に挨拶したとのことだが、詳しい内容はなし。「(愛子さまが)英語でご挨拶されたのではないか、と東宮大夫の会見でも質問が出たのですが、大夫は例によって秘密主義で明かしませんでしたね」(宮内庁担当記者)
3つ目の大野本は、ストレスに対しとにかくひたすら「開き直れ」と勧める内容。

同日スペイン王国フアン・カルロス1世国王陛下・ソフィア王妃陛下来日に際しての説明会(進講)があり、御所に向かう二人の姿が相当数の人に目撃される。しかし同日あった勤労奉仕団ご会釈は雅子欠席。相変わらずの露骨な白人好みのレイシストぶりに変わりなし。|-| 2008年11月10日| スペイン王国フアン・カルロス1世国王陛下・ソフィア王妃陛下来日歓迎式典。相変わらずのぼさーっと長い髪のまま、緑のつばに正面緑リボンのついた黒帽子]・2002年12月「外国行かせろ」会見]と同じスーツで雅子登場。
両陛下にカーティシーでご挨拶するも、せわしなく膝を曲げ伸ばして「まるで屈伸運動・スクワット・小銭拾いだ」との感想続出、優雅さの欠片もなし。雅子の手にキスを与えようとしていた国王陛下の顔に帽子のつばがぶつかりそうになるし、王妃陛下ともタイミングが合わず最後に雅子の方が頭が高い状態]に。「こんな無格好でよくもまあ『皇室外交やりたい』などと言えたものだ」と皆大呆れ。これをきっかけに、雅子の不恰好カーティシーを指す新語【ガッテシー】が誕生する。|-| 2008年11月11日| スペイン国王王妃両陛下主催の答礼晩餐会、前日晩餐会を欠席した雅子はこちらも当然のことであるが欠席。ところが、当日の秋篠宮妃紀子殿下のドレス姿画像をMASAKOとして掲載する海外メディア]出現。特にチリのEl Mercurio de Antofagasta]は悪質で、オリジナル画像]を左右反転させただけでなく、綺麗に髪を結い上げている紀子殿下の暗い背景をまるで雅子のボサボサ長髪と見まがう不自然な切り抜き方をして掲載、スレ住民奥様方の怒りを買う。とんでもない情報操作が海の向こうで行われている様子。|-| 2008年11月12日| 天皇皇后両陛下とスペイン国王王妃両陛下が列車で茨城県つくば市へ。帰京後、両国両陛下は夕食を共にされるが、なんと雅子が“急きょ”夕食後のお茶の場に押しかけ出席。美智子皇后もソフィア王妃もドレス姿]なのに、雅子は見苦しい押しかけ白スーツ姿]で、さぞや現場はちぐはぐな雰囲気になったものと察せられる。
11/15産経MSN皇室ウィークリー]では「雅子さまは同日午後9時過ぎごろに御所を訪問、夕食を終えられた両陛下と国王夫妻と、約30分ほど懇談された。宿泊先のホテルに帰る国王夫妻を両陛下とともに見送った後は、両陛下ともしばらくの間懇談されたという。」と、また『女性自身』12/2号は「スペイン国王王妃両陛下が宿泊先ホテルに戻られた後、30分ほど両陛下と話をした」と記す。

同日RCC中国放送が、大野裕医師が広島県で講演会をしたとニュースに、その中で2006年オランダ旅行にも同行した雅子の担当医とスーパー入り]で明確に報じる。|-| 2008年11月13日| 『週刊新潮』2008/11/20号が<雅子妃妹の翻訳本「ヤラセで絶賛」とネットはお祭り状態>として、Madeleine池田礼子自作自演事件を取り上げ、再びの燃料投下。ニュース速報+板にもスレが立つなど盛り上がる。|-| 2008年11月21日| 徳仁が東宮御所向かいにある青山ツインタワー内本屋(流水書房)にSPをぞろぞろ引き連れ買い物とNNN夕方ニュース]で報じられる。オバマ・バラク次期米国大統領自伝『マイ・ドリーム』等5冊購入。どう見てもプライベートな行為をTVカメラ呼んで撮影させるのは相変わらず。

本物スネークかどうかは不明だが、この日筒井美奈養育係セッティングによる愛子お出まし予定があったが中止になったという書き込みあり。
Part1396]-880 可愛い奥様 sage 2008/11/21(金) 22:46:29 ID:xOq0kVX70
愛子の代わり。
だって絵本博士がわざわry
あの方のジャンルに殴り込み凸鑑賞がお断わry
セッティングしたけど意味がなくなって愛子出すのも惜しいと?
オバマ本だけで2520円、普通に教養ある大人が40分吟味して5冊買う場面で
MAXが10000円の図書カード出す微妙。

なお同日は高円宮憲仁親王命日で墓所祭]があり、秋篠宮両殿下に黒田清子さんなど多くの人が出席したものの、東宮夫妻に高円宮家次女典子女王は欠席、理由は不明。|-| 2008年11月22日| 第60回高円宮杯全日本中学校英語弁論大会のレセプション](帝国ホテル)に久子妃と典子女王と徳仁が出席。当弁論大会には9月時点で雅子出席予定とスネーク情報あり≪Part1333]-64・Part1358]-736スネーク出席予定情報≫。結果は皇族が3人も同じ場に出席という奇妙な事態に。雅子ドタキャンが裏にあるか?
また某フリーアナウンサーさんmixiにて、同日開催された朝日新聞社「のびのび教育賞」贈呈式に徳仁出席予定が姿見えずと記載≪Part1397]-592≫。ダブルブッキングで天秤にかけた結果、久子妃顔立て英語弁論大会選択か?と物議をかもす。|-| 2008年11月29日| Part1402-255「鴨場へ四人」とのスネーク書き込み、以降鴨場をキーワードとする複数スネーク登場、当初スレ住民皆懐疑的だったが鴨場ご近所奥様証言により本物だったと裏付けられる。鴨場に両陛下や徳仁雅子夫妻その他の人々が集まって一体何の話し合い??とwktk状態でスレ盛り上がる。
同夜日経ネット]・MSN産経]により「菊栄親睦会」会員が集まっての鴨猟&昼食会と報じられるが、恒例行事でもない集まりはスレ住民に注目される。◆RHvnNvRpow凸奥様(Part1405-306)によると、宮内庁サイドも菊栄親睦会の鴨猟は初めてのことではないかと認識してるらしいとの感触。|-| 2008年11月30日| 秋篠宮殿下43歳お誕生日でご一家ほのぼの映像]公開。今年はご一家のトラッドな衣装に、紀子さま眞子さま佳子さまの女性陣お揃いブーツ]がお洒落と大好評。悠仁親王殿下は庭に落ちている花梨の実の受け渡し]をして遊んだり、撮影カメラにとことこ歩いて近づいたり]と無邪気で元気で可愛らしいご様子。
そんな中、昼のFNNニュース]で愛子が29日夕方から発熱、30日初等科祭欠席に12月1日誕生日行事を全て取り止めると、スレ住民ですら斜め上予想外の発表。「まさかまた当たり屋東宮シリーズ?」と疑念を持たれたりも。MSN産経は誕生日発表予定画像を1日早く公表。斜面を利用して身長をごまかそうとする徳仁]に、沢山撮影してその中から厳選されるはずが今回も足首くねりで微妙表情の愛子]の姿が画像配信される。|-| 2008年12月1日| 愛子誕生日、前日同様祝賀行事取り止め報道と合わせ、新作「優秀伝説」も公表される。
・毎朝東宮夫妻と愛犬2匹に大きな声で「行ってまいります」と挨拶してから登校、通学途中の交番警察官にも「おはようございます」と挨拶
・最近はピアノとバイオリンの練習にも少しずつ取り組み、ピアノで即興作曲し「妖精の歌」と題名を付け演奏も
・学校で習ったダンスを取り入れたオリジナル人形劇“シナリオ作り”も手がけ、夫妻に披露
・ピッピとまりが首に巻いているバンダナ作りを中心になって行う(NHK]・毎日新聞]は「フェルトを切って張り付けた」と述べる)
かつて愛子がやっていると報じられたフィギュアスケート補助輪付き自転車については全く触れられず。映像も公開されるが、愛子のあまりに超長すぎ髪の毛で「まるでオ○ム信者みたい]」とか、ピッピとまりが東宮一家に懐いてないことが丸分かり、すぐ脇に庭園の小道があるのにあくまで芝生の斜面を利用]する違和感、そしてもまたも日テレにこにこアルバム]が愛子足首ぐんねり瞬間で足をズーム撮影していることについての感想続出。|-| 2008年12月3日| 天皇陛下が2日夜クラシック鑑賞公務の後不整脈を起こしたということで、3-4日の公務を中止と宮内庁発表。全国ニュースで改めて陛下の激務振りが報じられる。2週間ほど前から胸の不調がおありだったとのこと。|-| 2008年12月5日| 天皇陛下はこの日も「ご執務」以外の公務お取り止め、6-7日も同じく中止。8日以降は検査結果を踏まえて判断とのこと。

Part1409]-817にて、9日雅子誕生日に元オリンピック選手であるスケートの先生が招待され滑りに行くとのmixi書き込み発掘。 奥様方推理から区内スポーツセンターでコーチをしている長久保氏の名が浮上、またスレ荒しも派手にされる。

MSN産経皇室ウィークリー]が、5日東宮大夫金曜定例記者会見内容紹介。野村東宮大夫によると、愛子は「3日に平熱に戻られた」がまだ咳が続いているため2-5日まで学校欠席。既報と合わせると、11/30初等科祭から休んでいることになる(12/1は初等科祭の代休)。来週からの通学については「今後の体調を見てご夫妻が判断」。まだ服薬中だが、野村東宮大夫は「今日も(医師に)会ってご様子をうかがったが、すっかりお元気になっておられるようだ」と説明。
同ウィークリー]は11/4撮影画像から、代わり映えのしないものばかり何と10枚も掲載、「まるで間違い探し」と評される始末。
また4月学習院初等科へ入学してからは、雅子と一緒に習字をする機会が増えたとの東宮職発表。以前公表された二人羽織習字光景]を無かったこととして扱っているようである。

また、この春~夏にかけて%a5%b8%a5%b8%a5%f3">小和田恒が軽い脳梗塞を起こし都内複数病院で入院治療→軽井沢別荘静養していたと記事にした『週刊現代』2008/12/13号<雅子さま、公務復帰決意の陰に悲壮「父が脳梗塞闘病」>に対し、自らの影響力が弱まることにつながると危惧したのか、かつての部下であった%a5%ce%a5%e0%a5%d2%a5%e7%a5%f3">野村一成東宮大夫に国際電話をかけ、定例会見にてそれを否定させる発表をさせたと『週刊文春』2008/12/18号<平成皇室の「試練」 天皇と黒田清子さん「お二人の時間」-美智子皇后が外された後も会話は続く ▼雅子妃父「脳梗塞」に「申し入れ」>が報じる。発売時期からしてこの5日東宮大夫定例会見であると推察される。週刊現代の恒脳梗塞記事について「事実無根のデタラメ」と国際電話でえらく強く怒りの弁で述べていたとのこと。但し宮内庁HP対マスコミ抗議・訂正ページ]を利用した発表は行わず。|-| 2008年12月8日| 3日から不整脈等の症状で公務を休んでおられた天皇陛下が、日本学士院会館での「第24回国際生物学賞授賞式」に美智子さまと共にご出席ニュース。午後には愛子の風邪が治り初等科登校再開ニュースも伝えられる。
ところが夜になって雅子が6日から風邪で37度台半ばの発熱や喉の痛みとのことで、翌日9日誕生日行事を全て取り止めとアサヒコム]や時事通信]ニュース。予想の斜め上すぎる事態にさすがに皆びっくり。
スレ荒らしは「愛子さまの看病で感染った」としきりに主張するも、2006年5月愛子溶連菌感染では、赤十字大会の公務を欠席して看病もせずテニスに興じていた事実からも説得力を欠くことに。
→参照:『女性セブン』2006/6/15号<皇太子妃雅子さま(42)赤十字大会ご欠席してテニスの波紋>記事]|-| 2008年12月9日| 雅子45歳誕生日当日、今年も東宮職医師団会見文書(共同通信掲載全文])が発表される。「引越のご準備と後始末をはじめとする多くのお仕事をこなされるなど、とても頑張られました」「妃殿下のこのような頑張りにもかかわらず」「妃殿下ご自身に頑張る気持ちがおありでも」
……てな調子の「頑張っている」の繰り返しオンパレードで、到底まともな医師作成文書では有り得ないという感想が専ら(参照:【頑張り過ぎ】)。
また前日誕生日行事取り止めニュース後の嵐と同じく「愛子さまの看病で伝染した]」との主張がマスコミを通じてなされ、子供を言い訳にするgdgdぶりにスレ住民皆呆れ果てる。
愛子誕生日と同じく11/4撮影の一家&ピピマリ映像も別バージョン]公開。ピッピとまりが首につけたアルファベット貼り付けバンダナをカメラを意識してかちょっと乱暴に伸ばし引っ張る愛子に、雅子に何か耳元で囁かれ急に犬の頭を撫でたりする愛子の仕草が目に付く。
最も注目されたのは雅子45歳誕生日発表文書]で、「お医者様」の使用は例年通りだが、「初等科入学後間もない頃は,ランドセルの開け閉め一つにも懸命に取り組まなければならない様子だった一年生の子ども達も」とのくだりがあり、「ランドセルの開け閉めに苦労するお子様は愛子だけ!!]」と断言する声が多数を占める。

同日陛下のご容態について宮内庁金沢医務主管診断結果発表があり、不整脈に加え、ストレスによる胃・十二指腸炎症もあったとのこと。|-| 2008年12月10日| 第51回宮内庁職員組合文化祭美術展についてのニュース]が報じられる。愛子は色粘土製の3羽の小鳥「なかよしのことりさん」]と、書道「犬」を出展。「大人の手が入ってる?」「いくら雅子が犬好きでも、書道の発表で“犬”を選ぶって('A`)」てなスレ住民感想。|-| 2008年12月11日| 羽毛田宮内庁長官が定例会見で、不整脈など体調不良が伝えらえる天皇陛下について、雅子が皇室そのものをストレスとしていることにストレスを持たれご病気につながったのではないかという、これまでになく直球で雅子の存在が問題と指摘]するものに(→毎日新聞掲載の羽毛田長官所見全文)。
また昨年の皇太子十二指腸ポリープ発見にも触れ、両陛下がポリープの大きさ(直径約2.5cm)に驚かれ、相当期間健康診断・検査がなされていなかったことに強い不安を持たれたと、東宮夫妻が健康診断を拒否していると暗示する箇所にも、大いに注目が集まる。

またこの日、スレ荒らしが「君主・皇室・王室・貴族(仮)@2ch掲示板」ができたから移転しろと激しく暴れまくる。|-| 2008年12月12日| 前日11日羽毛田長官発表について、TVニュースはほぼスルーのアンタッチャブル状態。
夕方、野村東宮大夫の金曜定例記者会見内容をアサヒ・コム等が報じる。“雅子さまの「適応障害」との診断に関し、「皇室そのものがストレスであり、病気の原因」との意見があることに、羽毛田長官が「両陛下は深く傷つかれた」と語ったことに対し、野村大夫は「まさに妃殿下ご自身が深く傷つかれている点であろうと思う」とし、「皇室の伝統もご公務も大切に考えておられ、それらを十分に行うことができるようにご治療に鋭意努めておられる」”
……という、「やりがいのない公務」は何なのか、祭祀等伝統拒否状態は何なのか、「適応障害」の原因は何なのか、完全に訳分からん回答。

同日夜、新年ご一家映像撮影で東宮一家と秋篠宮ご一家が皇居御所集合。相変わらず徳仁をワゴン車(奥)に押し込めニラニラ左手お手振りの雅子。「こんな反論を野村一成に発表させ喧嘩を売っているタイミングで新年映像撮影とは」と皆ガクブル驚愕。|-| 2008年12月16日| 宮内庁が毎年恒例の天皇陛下誕生日記者会見を行わないと発表。1989年の即位以来毎年記者会見に応じられおり、会見中止は初めて(99年は直前に即位10年会見があり、2004年は高松宮妃喜久子さまの服喪のため文書回答)。
なお前日15日に陛下は「賢所御神楽の儀」出席をお取りやめ、手塚英臣・掌典次長が代拝している。|-| 2008年12月17日| 雅子、午後6時頃宮内庁病院に入り健康診断を受ける。毎日新聞12/17]は「宮内庁によると、昨年3月以来で、当初は6月に予定していたが、東宮御所の工事で仮御所への引っ越しなどがあったため延期されていた」と、朝日新聞12/18は「当初は今年6月に予定していたが、公務の関連などで延期していたという。」と報じる。
6/28MSN産経皇室ウィークリーが報じた「(6月)23日午後に予定されていた定期検診を体調不良のため延期された」と食い違う結果が出たことにより嘘確定。
また病院入り時間が「午後6時頃」だったことから、1年9ヶ月ぶりの検査なのにさほど時間をかけていないことがわかる。|-| 2008年12月19日| 野村東宮大夫が定例記者会見で17日雅子健康診断結果について、「国民の皆さんにお知らせするべきことがあればお知らせしますが、今回はそういうことはございません。従って特に申し上げることはない」と逆切れ状態説明。診断で雅子の肉体に異常な点は認められず健康体な様子。≪MSN産経皇室ウィークリー12/20≫

同日には昨年同様恵比寿バカライルミネーション見物予定があったが、数日前に中止され、徳仁と羽毛田長官が話し合いを持つ。≪『AERA』2008/12/29・2009/1/5合併号、『女性セブン』2009/1/8・15号≫|-| 2008年12月22日| 宮内庁が天皇陛下の風邪症状のため、23日誕生日祝賀行事を一部短縮・取り止めと発表。恒例の夕方愛子ご挨拶参内も取り止めに(悠仁殿下も当日参内なし、26日参内予定とスネーク情報)。|-| 2008年12月23日| 天皇陛下誕生日文書発表「皇太子妃が病気の今,家族が皆で,支えていくのは当然のことです。私も,皇后も,将来重い立場に立つ皇太子,皇太子妃の健康を願いつつ,二人の力になっていきたいと願っています。」
憤慨ガカーリする人もいたものの、17日雅子健康診断で異常が認められなかったことを受けながら陛下が「病気」としたことで「頭のビョーキ」認定、「将来重い立場に立つ」を理由に千代田による東宮介入が始まるとスレにて解釈される。

一般参賀には昨年と全く同じ濃紺メートルドレス&ブローチで雅子(髪は結って)登場、ニュース映像では一般参賀お手振り中に隣の徳仁へ話しかけた雅子が短くあっさりあしらわれ、その意外さに動揺しているような表情を見せる。
また6年ぶりに宴会の儀にも出席。但し午後、外交使節団の長及びその配偶者との「茶会の儀」には欠席。夜のお祝い御前には東宮夫妻・秋篠宮両殿下・黒田ご夫妻が御所へ参内出席。|-| 2008年12月24日| 宮内庁HPにて「宮内庁長官と東宮大夫の記者会見をめぐる最近の皇室関連報道について]」なる発表。野村東宮大夫の動きを封じるような羽毛田長官らを始めとする%c0%e9%c2%e5%c5%c4">千代田]

2009年1月1日新年ご一家映像公開。注目された愛子位置であったが、前年同様雅子と同じ椅子に無理やり着席]。

今回は大小2つの木製玩具]が登場し、誰が持ち込んだのかと話題になる。いずれも北海道旭川の三浦木地工房]と判明、フクロウが上についた大きなツリー状玩具は恐らく150cm高の特注品]だろうと推察される。1/5北海道新聞]は「天皇、皇后両陛下が二○○七年、苫小牧市で開かれた全国植樹祭で三浦さんの作品を気に入られ、注文が来た。」と報じる。相当高額な玩具注文を両陛下がなさるのか?と疑念を抱くスレ住民もおり、2つの玩具配分が愛子と悠仁殿下でどのようになされたかも不明。
遊んでいる光景の動画(東奥日報]/日テレにこにこアルバム])では、7歳愛子にとって木製ドングリ転がしがかなりツボに入ったらしく、2個のドングリを独り占めし、2歳悠仁殿下に遊ばせてあげる素振りが見られないことも確認される(佳子殿下にドングリを渡すシーンは1箇所見られるが、悠仁殿下に渡す場面は全く存在しない)。佳子さまがドングリで遊ばせてもらえない弟を心配するような表情で見詰める場面も。愛子には「とにかく自分が思うままに転がしたい」「フクロウは正面を向かせたい」という拘りも。
かなりムキになって遊んでいる愛子を5歳年下悠仁殿下はかんしゃくも起こさず穏やかに見守るような様子で、「これでは体格を除けば、どちらが年上なのかわからない」という複数感想。皇后陛下が悠仁殿下を抱っこされている場面]も注目を集める。
また一緒になってパチパチ拍手する場面で雅子のやる気・共感の無さや、陛下に話しかける場面で激しく呼吸をしている様子が窺える。
最後に愛子と悠仁殿下が一緒に向き合って歩くという仲良し演出場面があるが、愛子は悠仁殿下と視線を合わせるどころか、視線は悠仁殿下の頭の上を通り越している状態。
参考:宮内庁HP掲載バージョン動画](こちらはかなり短く編集し、愛子の気になる点が目立たないようになっている)
2009年1月10日元旦公表された新年ご一家動画ではカットされていたもの。愛子がうんこ座りをしているシーン(2009/1/10皇室アルバムより)]【%a4%a6%a4%f3%a4%b3%ba%c2%a4%ea">うんこ座り
Youtube新年映像アルバム版]

元旦に東宮一家はセダン車で皇居参内。雅子はドレスにティアラ、愛子は初等科制服姿。但し雅子は前年同様マスコミカメラに車内ティアラ姿を撮影させるも、祝賀の儀を欠席]し挨拶のみ。

2009年1月2日天皇陛下ご体調に配慮して5回に減らし設定された新年一般参賀に雅子は皆出席。6年ぶりのことと報じられる。

着用していたのは紀宮殿下結婚式にも着ていたアイボリーホワイトドレス]で、髪を結わず垂らしっぱなし]。実際参賀に行かれた奥様感想でも、雅子はきょろきょろ落ち着きなくブツブツお喋り]していてモッサリヘアーが大層見苦しかったとのこと。
夜には一家で、両陛下と秋篠宮ご一家とともに御所“お台所”にて夕食会。

2009年1月7日昭和天皇二十年式年祭。大方のスレ住民による欠席予想が外れ、何と雅子が宮中三殿での「皇霊殿の儀」に出席。平成15年9月「秋季皇霊祭の儀」「秋季神殿祭の儀」以来、5年3ヶ月ぶりの祭祀出席と報じられる。 小袿に長袴といった装束での祭祀とNHKニュース]。雅子にしては珍しく移動車内でお手振りもせずニラニラ笑顔も見せてなかった]ことに驚く人も。雅子が移動中着用していたのは2002年3月愛子お宮参り時の半分襟立ちクリームホワイトスーツ]と思われる。モンタント着用を拒否しスーツを選択する姿勢が、着袴の儀とも同様にここでも確認できる。

2008/8/30放送「%c4%ab%c0%b8%a1%ca2008%c7%af8%b7%ee%a1%cb%a4%de%a4%c8%a4%e1">朝まで生テレビ]]」における西尾幹二氏発言「一年ぐらい以内に、妃殿下は病気がけろっと治るんじゃないかと思います。理由は既に治っておられるからです。病気じゃないからです」を思い起こすスレ住民も。
雅子と祭祀について、徳仁は平成18年(2006年)誕生日公式記者会見]で、「宮中で行われている祭祀については,私たちは大切なものと考えていますが,雅子が携わるのは,通常の公務が行えるようになってからということになると思います」…と述べており、明らかに通常公務より祭祀の方が雅子にとって負担が大きく出席が困難であると言明している。
なお前日6日に発売したばかりの『週刊女性』1/20号]は<年は明けても心は晴れず?今年も元日行事をご欠席!雅子さま“ブレず”持久戦>とのタイトル記事掲載、「雅子、ブレるの早っ!!!」と失笑を呼ぶことに。

2009年1月9日『週刊現代』1/24号渡辺みどり<再生&激変>’09年の論点/雅子妃には「離婚」という選択肢もありうるを掲載発売。世間に皇室ジャーナリストとして知られている人間が署名入りで、雅子に対し明確に「離婚」を勧める文章を発表したことで強いインパクトを与える。
2009年1月10日『文藝春秋』2月特別号]発売、【核心取材】秋篠宮が天皇になる日/保阪正康、【ドキュメント】昭和天皇の最期/佐野眞一が掲載される。電車中吊りや新聞広告からして多大なインパクトを世に与える。売行き好調で増刷とのこと。
2009年1月11日雅子が12/17に続き2回目の健康診断を宮内庁病院にて受ける。12日未明毎日新聞]が報じたもので、当初12/27予定が延期になっていたとのこと。どうして二度目の受診が必要だったのか、延期されたのは何の為か、何でこんな真夜中の時間帯になってやっと報道されたのか、理由は不明。
2009年1月15日歌会始の儀に雅子欠席。1年前のお題発表当時]から予想されていた「1年“生”」を用いた、「制服のあかきネクタイ胸にとめ一年生に吾子はなりたり」雅子和歌が発表される。皇太子は何と1994年中東訪問を題材にした「水もなきアラビアの砂漠に生え出でし草花の生命たくましきかな」。字余りしてまで盛り込んだ「草花」→「そうか」→せんべい!?との連想が話題ととなる。自分たち家族に関わることしか歌に詠まない東宮夫妻と、国民を視野に入れた秋篠宮両殿下の御歌との比較は、見事なまでに対照的な結果]を呈する。

皇后陛下は「生命あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り蚊(ゆすりか)の舞ふ」、そして天皇陛下御歌は「生きものの織りなして生くる様みつつ皇居に住みて十五年経ぬ」。現在の御所に住まったのは1993年12月からで確かに15年なのだが、雅子が嫁いでからの年数である「十五年」を明確に歌に織り込んだ事実が注目される。

2009年1月20日雅子ベトナム訪問欠席が公式に発表される。

この日、Part1456スレッド]に秋篠宮家眞子内親王殿下を誹謗中傷する捏造ブログを執拗にコピペする荒らしあり、ほどなく別の掲示板書き込みをパクったスライドだと発覚する。

2009年1月22日『週刊新潮』1/29号<皇太子を追い詰める秋篠宮天皇記事の仕掛け人>発売。なだめるようなニュアンスの記事タイトルとは裏腹に、『文藝春秋』1月号を更に焚き付け煽るような内容。

八木秀次氏が「あの記事にはがっかりした」というのも廃太子とか継承を秋篠宮に譲ると期待して読んだのにそうではなかったから…といった論調。英国エドワード8世の退位になぞらえた、日本版「王冠を捨てた恋」という文言が明確に記事に用いられたことも、強い印象を与える。

2009年1月23日雅子擁護&秋篠宮ご一家誹謗中傷派のスレッドがスレストを受ける。火病を起こした荒らしが暴れ回ることに。

スレストを受けたのは→アンチ+ヒソの発育が【遅い】件 7、秋篠宮紀子嫌いな奥様259 ユスリ蚊息子で皇室ゆすり、皇室のダニ・準盗賊小和田家ご一行①

2009年1月26日『WiLL』3月号発売、西尾幹二「皇室問題 文藝春秋の迷走 『文藝春秋』は腹がすわっていない」なる、先日「秋篠宮が天皇になる日/保阪正康」を掲載した『文藝春秋』1月号はまだ生温い!という論調発表。

昨年12/12野村東宮大夫発表「このような発言については妃殿下自信が深く傷つかれたことと思います」を“口答え”と断じ、また%c4%ab%c0%b8%a1%ca2008%c7%af8%b7%ee%a1%cb%a4%de%a4%c8%a4%e1">昨年の朝生TV]]で一緒になった雅子擁護の齋藤環医師についても、「医師は、治療のためには妃殿下が参内を控える判断が妥当であるだけでなく、皇太子が一人で参内するのも、愛子様を連れて参内するのも、彼女の孤立感を深め、精神状態にダメージを与えるからやってはいけないと言っているのです」とその危険性を指摘する。

2009年1月27日『週刊女性』2/10号が「雅子さま“不要論”の過酷」]なるタイトル記事を掲載発売。
2009年1月28日この日、「削除シャトル」氏によりpart1468がスレストを受ける。

スレストを受けたのは→皇室御一行様★アンチ編★part1468]
しかしその後「削除シャトル」氏の主張が二転三転するというブレブレ状態で、皇室四方山話のためのスレなのにそれができなくなるという迷惑をスレ住民奥様方蒙る。結局、スレ番号は継続、スレタイトルから「★アンチ編★」除去、templates">テンプレを整理して継続することになる。

 同日NHK総合22:00-22:43「その時歴史が動いた」では、水俣病をテーマに取り上げた<第349回 我が会社に「非」あり―水俣病・内部告発に挑んだ医師(チッソ水俣工場附属病院長 細川一博士)の闘い―>放送。
番組では明確に、水俣病の存在が発覚した「後」、なおも有機水銀入り排水の垂れ流しを続けたチッソ側に問題があったと指摘する。番組内では具体的に触れなかったが、その時期のチッソ社長は雅子の母方祖父・江頭豊である。

2009年1月29日宮内庁が陛下の負担軽減のために公務量見直しを発表。→宮内庁公式HP発表ページ
2009年2月2日『週刊現代』2/14号<それいけ「週刊現代」特捜隊/雅子さま、ベトナム断念で地中海クルーズ>、『週刊ポスト』2/13号<雅子妃の“女官”に妹・礼子さん「皇太子の決断」で新展開>が発売。

前日見出し発表時点から、「(両陛下金婚式がすんだ4月末に)公務のふりしてクルーズお遊び?」「実妹が女官?ありえない!」と、トルコクルーズ&礼子祭り状態に。

2009年2月3日宮内庁が、3月中旬から1週間程度の予定で皇太子がトルコ私的訪問予定と発表。第5回世界水フォーラム運営委員会の招待によるもので、雅子は招待されず欠席と発表。但し前日週刊現代記事の「4月末」と、宮内庁発表「3月中旬」とで時期がズレている理由は不明。
2009年2月4日YTVミヤネ屋、東宮家の飼い犬まりが死んだと番組内で報じる。更に夕方のFNNニュースでも同じく犬のまりが4日朝に死んだとニュースで報じ、Webニュース(魚拓)]でも掲載される。

どうして飼い犬の死亡が当日ニュースにまでされたのか、そのソースの出所は何なのか、スレ住民奥様方は皆まりの死を悼みつつも、いぶかしむことしきり。

2009年2月5日YTVミヤネ屋が前日に続いてまたも「まり」の死を取り上げる]。その死の数日前の午前零時頃東宮夫妻が動物入院に赴きまりを見舞ったとのこと。まりが亡くなった4日、愛子は小学校を1時間遅刻したとも。また雅子が銀座某ショップに直々に注文してシルバーペンダント(犬の後ろ姿にmari pippiネーム入り)注文情報も報じる。

同日皇太子ベトナム訪問前記者会見、お約束のように「長い目で見守って」「お医者様と相談の上」といういい加減聞き飽きた台詞がまたも登場。しかしその格好がしわしわよれよれスーツ]に、乱れた前髪]、弱々しいおどおどした口調、質問と回答が噛みあっていない]といったことが強い印象を残す。
→第2日テレ・ノーカット工房徳仁会見映像]

2009年2月6日昨日会見において、宮内庁東宮職(司会担当だった大森茂東宮侍従)が時間切れを理由に慣例に反して関連質問を受け付けず会見を打ち切ったため、宮内記者会が「国民の知る権利を尊重しないやり方」と文書抗議。%a5%ce%a5%e0%a5%d2%a5%e7%a5%f3">野村一成東宮大夫が同日「率直におわびいたします。今後、このようなことがないよう留意してまいります」と文書謝罪するという、前代未聞の事件発生。≪ttp://www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009020600777 時事通信]]、共同通信]、女性セブン2/26号、週刊ポスト2/27号等≫

同夜、小和田恒が国際司法裁所(ICJ)所長に選出されるというニュースが伝えられる。ICJ判事15人の互選投票で過半数獲得とNHKニュース]。任期は3年で、所長にはハーグ居住義務があるとのこと。

2009年2月9日徳仁ベトナム公式訪問出発。午後見送り光景がニュースで報じられたが、従来になく、東宮仮御所玄関前に秋篠宮両殿下・常陸宮両殿下・高円宮妃&長女次女女王が姿を現しお見送り。雅子以外の女性皇族は皆帽子着用でお辞儀。雅子ただ一人が無帽で、お辞儀をするもののさっさと頭を上げお手振りバイバイ見送り]。
2009年2月12日『週刊文春』2/19号が<「雅子さま」で悩んでいた東宮侍従長「辞任」の衝撃>記事掲載発売。2005年9月就任し、英国留学時代の徳仁とも交流があった末綱氏が辞任見込み。その原因は以前に末綱氏が雅子に“それはどうでしょうか”と意見したことによるとのこと。また子供の頃からの知り合いである野村一成東宮大夫にしても雅子とほとんど話ができず、直接話ができるのは大野裕医師ぐらいとも。

イエスマン以外はとことん排除という、雅子の我侭女帝ぶりが窺える内容である。

2009年2月15日ベトナムから徳仁帰国。最初に出た東宮仮御所玄関前出迎え画像]では「愛子が手つなぎなしで真っ直ぐ立ってる!」と見る人を驚かせ安堵させたが、後発動画では従来と何ら変らずご挨拶もお辞儀もできていないことが確認される。

またパパと握手した直後に愛子がまるで汚れを拭うかのように両手をごしごし擦り合わせる動作]がNHKニュースで流されたのにスレ住民驚く。ANN動画から「あれは愛ちゃんの手首を掴んだままお辞儀していた雅子が、手首を強く掴みすぎていたことによるのでは?」とも推測される。
日テレにこにこアルバム動画]では、最後愛子がさっさと屋内に戻ってしまい、それを両親がたしなめもせずただ後ろに付いて行く様子も収められる。この部分は「着袴の儀」当時と全く同じで進歩せず。

2009年2月16日テレビ朝日が夕方ニュースで唐突に“皇太子夫妻が考える新しい公務とは?”を特集。テロ朝のことだからどうせ東宮夫妻マンセーだろと予想されていたところ、これがageの振りしたsage風味。

・夫妻が求める“新しい公務”とは「環境問題に取り組む」「皇室親善外交」の2点。
・「国民のために祈る」という両陛下のスタンスに近いのは秋篠宮さま、両陛下と同じことはやりたくない皇太子
・皇太子は環境問題をやりたい→環境問題は利権まみれなので皇太子がこんなことやりだしたら憲法違反
・招待を待つのではなく主体的且つ積極的に皇室外交を行いたい→これも憲法違反ですが、何か?
……と見事にダメ出しをしつつ、最後には「皇太子さまの誕生日が待たれる」と〆。5日記者会見強引打ち切りでマスコミを敵に回したつけを払わされそうな雰囲気である。

夜には毎日新聞がベトナム訪問について、sage記事発表。日越関係者には「大きな戦禍に見舞われた同国の歴史にも触れてほしかった」との声があり、今後こうした要望を交流に反映していく努力も求められる]、との論調。「やっぱり単なるベトナム観光旅行だったのでは?」との声がスレ住民奥様方よりあがる。

2009年2月23日皇太子49歳誕生日]。5日ベトナム訪問前会見中断事件を受け、その会見発言に焦点が向けられる。

・陛下のご心労が削減されますよう心から願っておりますし、そのために私どもとしてできるだけのことは行ってまいりたいと思います。陛下をお助けする皇太子としての重要な務めを改めて心に留めております。←予想通り「皇太子として」ktkr
・(皇統について)私は発言を控えるべきであると思っております。(記者が関連質問で繰り返し質問したらやっと)重要な問題であると非常によく認識しております。
・今までの公務を否定するつもりは全くなく、時代の流れに沿って自ずと新しい考えが生まれてくる←“新しい公務”って具体的に何?
・雅子はこれまでできなかった公務(昭和天皇二十年式年祭)もできるようになった。←たった一度の祭祀で自慢モード、挙句この年の暮れに『AERA』2010/1/4・11号]にて「皇太子さまは2月23日のご自身の誕生日に向けての記者会見で、宮内記者会からの質問事項に『雅子が久しぶりに臨んだ宮中祭祀についてもぜひ触れてください』といった趣旨のご希望を述べられたそうです」by宮内庁関係者 とバラされる。
・「お医者様」は5回登場、「長い目で見守れ」は今回無し。
・(4日まりの死について愛子は)最初はとても悲しみましたが,幸い,割合と早くに気持ちの切り替えができたようで,私たちもほっとしました。←猛暑で夏バテしてるのに歩かせて動物病院見学してるし、最初から思い入れなんてなかったのでは?
・愛子は縄跳びの二重跳びができるようになった←映像無しなら好きなだけ優秀伝説言えるよね
・秋篠宮殿下を「おひげのおじちゃま」と呼んでいる ←近所の顔見知りのおじさんを呼ぶんじゃないんだから、それに東宮職員の顔とフルネームを全て憶えていて口にする]というのとは真逆では?
・徳仁による「(秋篠宮家の眞子・佳子)内親王様」発言←皇室内順位も把握できないのは「重大な事故」では?
・雅子は体調がよいと、どうしても頑張り過ぎる傾向がある。←お約束「頑張り過ぎる」キタ━(゚∀゚)━!!!!
「雅子ヒが頑張り過ぎるって何なのかkwsk」と関連質問3で勇敢な記者再質問、徳仁明確に回答できず、当初20分予定が30分にまで延長(前回会見打ち切りの埋め合わせを意識?)。そのまま会見終了ナル退場かと思いきや、約20分後カメラマン撤収作業中に「一言申し添えしたい」と再登場するまたも異例の事態≪産経2/23]、女性自身3/10号、週刊新潮3/5号、女性セブン3/12号≫
「雅子が会見舞台裏で監視してた?」と話題に。
参考:徳仁誕生日会見・日テレノーカット工房映像]

公表された一家3人東宮仮御所内画像はまたもお膝を閉じることができない愛子と珍しく中央席にお誕生日主役徳仁]、ピッピも撮影に参加。またも屋内でリードを付けられたピッピは、カメラ向こうで指示を出していると思われる「飼い主」と認識している職員さんにしきりと視線を向ける。]
「グローバル」演出小道具としてか英語地球儀が登場するが、その折に見せた愛子の変な方向に曲がる左肘]が奥様方を驚かせる。
一家が遊んでいたカードはこれまた「グローバル」演出か、3歳からのアルファベットを覚える知育ゲーム「Alphabet Zoop」]であるが、英単語を作っている様子もなくトランプの婆抜きをして遊んでいる風。愛子は、同じ種類のカードが2枚揃ったら脇に置くというルールは理解できているようであるが、カードを順繰りに引くという基本ルールが理解できていない様子。9分以上の長きに渡るにこにこアルバム映像にその光景が収められる。徳仁雅子は時折会話を交わしているのが分かるが、愛子の発語は映像中ほぼ皆無、時折うんと頷く程度。
参考:徳仁49歳誕生日にこにこアルバム映像]

2009年3月3日雅子が京王百貨店新宿店にて催された「第42回なるほど展」に10時35分頃到着]、40分間ほど視察]、早速TVニュースとして報じられる。当視察は、日野原重明理事長に「私が見る限り雅子さまはまったく普通でしたよ。周囲が病人にしてしまっているような気がしますね」と評されたことでお馴染みの、%bd%e0%b8%f8%cc%b3">2006/3/23聖路加視察以来3年ぶり単独外出公務。

雅子は「生クリームから1分間でバターを作れる袋」がいたくお気に召した様子]。また「子供が自分で被れる濡れ髪用タオルキャップ]」について、案内役の会長さんが「風呂上りの子供の髪が早く乾く工夫があるタオルです。髪の長い愛子さまにもいかがですか?」と愛子について話を振ってくれたにも関わらず、「私も髪が長いので、私にもいいかもしれません」と答える雅子。社交辞令が全く使えず、子供をすっ飛ばしてどこまでも自分本位な性格が現れている。「雅子ってばお風呂上りの愛子の髪を乾かしたこともないのでは?」という声も。(参考:Part1499-252奥様によるTBSラジオ荒川強啓氏番組でのやり取り紹介。後述『週刊文春』3/12号も同やりとり概要を記す)。
なお2/27華子妃殿下が、2/28紀子妃殿下が既にご視察済みで、同展は翌日4日で開催終了。「雅子のコレ、客寄せ宣伝としての意味無くね?」である。
FNNは当視察ニュースにて、5日WBC開幕戦を夫妻で観戦予定]と報じる。
当日新宿京王百貨店はおひな祭り集客が見込める時期にも関わらず、何故か「●3月3日(火)は棚卸しのため、全館午前11時開店]」であり、開店前では到底来られない朝寝坊雅子のためでは?と推測される。

この日民主党代表小沢一郎の公設第一秘書が西松建設政治献金タイーホというビッグニュース発生、高円宮恒久子妃話題で登場したことのある「エナック」もリンクするという胡散臭さ満点度合いである。

2009年3月5日『女性セブン』3/19号<もうすぐ2年生愛子さま リボンえんぴつのリーダーシップ>発売。

・縄跳び・滑り台がお気に入りで休み時間になると「一緒にやりましょうよ」と声を掛けて楽しそうに過ごす
・初等科では「敬宮さま」と呼ぶように指導されているが、親しい友達は「愛子」「愛子ちゃま」と呼ぶ
・初等科では3月11日に6年生を送る会が行われるが、その際1年生が6年生の胸ポケットにリボンを巻いた鉛筆を差して祝う慣わし。練習で愛子ちゃまは「少し斜めに差してあげると格好よく見えるのよ」とお友達に教えてあげたりリーダーシップ発揮←なんかもう全体的に橋田寿賀子ドラマ口調。誕生日家族映像]で全くお話していなかったお子様が一連の台詞を口にしただなんて、設定からして無理ありすぎ。拘りの強さを発揮して行動している愛子にべったり張り付いている%d3%f1%a4%ad%a5%c6%a5%a3%a1%bc%a5%c1%a5%e3%a1%bc">囁きティーチャーがアフレコして、周囲に説明フォローしているのでは?

『週刊文春』3/12号<熱狂の後始末/皇太子がオフ懇で「これにて一件落着」雅子さまはWBCへ>も発売。
・皇太子誕生日会見後オフレコ懇談会は大盛り上がり←オフレコをばらしている文春
・ベトナム訪問時にバレンタインチョコを差し上げたらしい女性記者に徳仁が「その節はありがとうございました」とお礼
・雅愛から徳仁にチョコが贈られ、また東宮職男性職員にもチョコが配られたと、東宮職関係者談
・中川会見の話題から「お酒はまあ飲みますが、甘いものはあまり好きではありません。“両刀遣い”じゃないんですよ」きわどい単語に記者びっくり。←それにしてもチョコをくれた女性記者を目前にそんなこと言っていいの?
・お開き時に「『これにて一件落着!』と、遠山の金さん(杉良太郎)ばりに、見得を切ってみせた」←これですべて無事に済んでチャラにできたと思い込む能天気さ、杉良影響受けすぎに奥様方皆('A`)
・3日なるほど展で、『子供が自分で被れる濡れ髪用タオルキャップ]」』について、関係者が「御髪の長い愛子さまに」とお勧めしたら、「私の髪も長いので」と笑顔で返す自分本位な雅子

当日雅子は東宮仮御所でのご接見(日本オリンピック委員会会長)、赤坂勤労奉仕団休所での勤労奉仕団へのご会釈に欠席するも、夜には夫妻で元気にWBC観戦の同日シリーズ。同席した読売新聞グループ本社渡辺恒雄会長・主筆によると、当初五回終了時までの観戦予定だったが、「夫妻の再三の希望]」により七回まで観戦の%cd%bd%c4%ea%bb%fe%b4%d6%a5%aa%a1%bc%a5%d0%a1%bc">予定時間オーバー
試合前に原辰徳監督、イチロー選手、田中将大投手と面会させてもらっただけでは飽き足らず、「(先発を務めた)ダルビッシュ投手にも会いたい」とご指名、七回終了時に対面実現するという、球界きってのイケメン投手をホストか何かと勘違いしたような事件発生。

2009年3月11日学習院初等科にて卒業する6年生を送る会実施。愛子が恒例行事として6年生の胸ポケットにリボン鉛筆を差してあげたら、「ありがとう、これからも頑張ってね」と6年生から声を掛けられ泣き出してしまった事件発生≪『週刊新潮』3/26号]、『女性セブン』4/2号、『女性自身』4/7号≫

前掲『女性セブン』3/19号<もうすぐ2年生愛子さま リボンえんぴつのリーダーシップ>と同一お子様とは信じがたい振る舞い。「練習時になかった予想外の事態でパニックを起こしてしまったのでは?」とのスレ住民奥様お察しの声が上がる。

2009年3月12日午前中、銀座伊東屋で雅子と愛子がショッピング。複数女性誌で事前報道がされるものの、買い物理由が「徳仁トルコ私的訪問のお土産準備のため」「愛子社会勉強のため」と一致せずいい加減。学習院初等科がこの木曜平日に臨時休日だったかは一切不明。

『FLASH』3/31号は伊東屋店内での雅子&愛子写真]を掲載するが、愛子の右手が、雅子が右手で持っているハンドバッグのハンドルを握り締め、そして雅子の身体の前に伸びているその愛子右腕を雅子左手が掴んでいるという状態。余りにも不自然な手の取り合いに驚く感想しきり。

2009年3月14日トルコ私的訪問(=旅行)に出発する徳仁を東宮仮御所玄関前で見送る母娘。愛子は手をつながれず一人で立って歩いての登場はでき、パパを見上げ笑顔も出た]が、肘の高さまでしか上げない掌を下に向けたまま1秒間程度の、やる気のないお手振りバイバイ]のみ。例のごとく突っ立ったままでお辞儀ご挨拶はできず]。バイバイ直後には首を触ったりする仕草も見せ「行儀が悪すぎる」という感想多し。

→日テレにこにこアルバム映像]
後日、『女性セブン』4/2号がこの徳仁トルコ出発見送り光景について、「車が見えなくなるまで手を振っていた」と大嘘を記事にしたためる。

2009年3月20日トルコ旅行から徳仁帰国。夕刻東宮仮御所玄関前で雅子が出迎え、愛子は当日朝から微熱があったとの理由でお見送りには出てこず。「大相撲中継でTVにかじりついて出てこないのでは?」とも、「玄関前お出迎えも出てこられないような虚弱体質な子を奥志賀スキーに連れてくだなんて無理ありすぎ」とも、要するに仮病であれ本物の体調不良であれ、愛子にとっては喜ばしくない事態と考えられる。
2009年3月24日かねてより雑誌記事で伝えられていた末綱隆東宮侍従長(60)退任が当日閣議で了承、31日付で皇宮警察本部長加地正人氏(55)就任発令で交代。

また同じくかねてより新幹線グリーン車予約状況等から予想されていた東宮一家奥志賀スキー旅行出発。愛子は長野駅前大階段も手つなぎなしで一人で歩いて降りる]ことができ、早速一家3人でお手振りしている画像]が公表されるが、にこにこアルバム映像]だとそれがどの場面なのかさっぱり不明、そしてPart1510-383奥様が「亀ですが、にこにこアルバムの1:48になった瞬間に一時停止すると、確かにこのニセお手振り写真]になる。」と指摘、露骨なマスゴミ情報操作に皆呆れ返る。
奥志賀への移動ワゴン車の席次は相変わらず徳仁が(奥)。“今回も数日間滞在するが、宮内庁東宮職は「静かな環境を確保するため」として、滞在先や期間を報道しないよう要請している。]”ともマスコミ発表されるが、定宿の%c9%d4%bb%e0%c4%bb">不死鳥なことは事実上バレバレ。
30日に現地で交通規制が予定されているとの書き込みがあり、「東宮侍従長新旧交代挨拶のためナルだけ独り先に帰京?」とも推察の声。

夜には、美智子皇后陛下が数週間前にテニス時左ひざを地面につき検査を受けたところ靱帯損傷と診断。26日からの両陛下御料牧場静養に同行しないと、東宮一家奥志賀スキー出発のこの日にわざわざ発表される。

2009年3月26日天皇陛下と秋篠宮ご一家(眞子さま佳子さまは27日合流)が御料牧場静養。美智子さまは膝靭帯負傷で同行されず。

悠仁さまは出迎えの職員に「こんにちは」と可愛くご挨拶。またご両親と一緒に牧場の馬と触れ合う場面も公開され、大きな馬にニンジンを与えられたり、可愛い仔馬に目を輝かせたり、柵の中に入りたがり紀子さまに何度も止められるなど元気な様子で住民皆(*´∀`*)ホワワンとなる。
参照:MSN産経皇室ウィークリー3/28]
   日テレにこにこアルバム]

2009年3月30日東宮一家奥志賀スキーから帰京。「満席」だった4月1日グリーン車が2009/03/31(火) 07:25:48 時点(part1513-743)で、4月2日「満席」が2009/04/01(水) 15:48:45 時点(part1514-724)で予約できるようになるなど、4月頭まで遊ぶ気だった疑惑濃厚。
2009年4月3日愛子養育係を務めた元伝蓋幼稚園教諭・福迫美樹子出仕が3日付で辞職となる。後任は未定。
2009年4月4日夜、東宮一家が新国立劇場での“こどものためのバレエ劇場「しらゆき姫」”を鑑賞したとの情報がブログにて発見される。この子供向きバレエ鑑賞は後日『週刊文春』4/16号でも皇室ジャーナリスト高清水有子氏証言として記事になり、「小和田家関係者によれば、その後も雅子妃は私的にお出かけ」とも書かれる。

参照:【翌日シリーズ

2009年4月5日たかじんのそこまで言って委員会「怒りだ“雅子妃・皇室”批判」]が放映される。西尾幹二氏発言に対し、司会辛坊治郎がしきりと絡み遮ろうとする様子が強い印象を残す。雅子について西尾氏は「とても言えないような凄まじい情報」とも、気になる言葉を口にする。
2009年4月8日『文藝春秋』5月号早読み情報投下、元盗撮カメラマン]雅子擁護ライター友納尚子が「雅子妃すべての悲劇の始まり―平成12年の皇太后葬儀。なぜ欠席を余儀なくされたのか」記事発表。

2000年7月25日香淳皇后斂葬の儀「夏バテのようなもの」雅子欠席事件について、いやあれは「化学的流産」だった、妊娠の可能性を大事にしていたからこその欠席だったとの珍説。2ヶ月前の5月28日雅子ゴーゴーダンス熱狂事件と完全に矛盾し食い違う頓珍漢な友納擁護ぶりに皆呆れ返る。当記事は古川清東宮大夫(当時)が公式会見で虚偽発表をしたと主張していることをも意味しており、今後が注目される。

2009年4月10日両陛下ご成婚50周年=金婚式、記者会見発表や祝賀儀式に記念茶会などが催される。

夜にはNHKスペシャル「象徴天皇 素顔の記録」が放送されたが(同月12日午後再放送)、非常に珍しいことに雅子のマの字もない、悠仁殿下が手にした木製象車玩具紹介の2008年新年ご一家映像]の端っこに写り込んでいた程度。
一方秋篠宮殿下は皇居内の生物学研究所の集まりで今上陛下と語らっている映像]が流される。
また2009年3月20日春季皇霊祭・神殿祭にテレビカメラが入り映像紹介、その際「外国訪問中の皇太子さま“など”を除いて、皇族方も参列されました」と、きれいに東宮夫妻が排除された祭祀光景]が放映される。
ご成婚50周年記念日に立ったスレはpart1522] (いい御夫婦) であった。

2009年4月15日関西テレビFNNスーパーニュースANCHOR「青山繁晴がズバリ!」が「皇室の2つの重大危機」]を取り上げる。両陛下結婚50周年にあたり、その記者会見のお言葉から皇室のあり方・伝統についてのお考えを分析。

皇室の危機(1)として皇室問題専門家たちの懸念「雅子妃の病状を理由に皇太子殿下は皇位継承権を辞退するかもしれない」と明確に表明。
青山氏は%c6%c5%cc%d3%c5%c4">羽毛田宮内庁長官について「元厚生省官僚だが、こんな心のきれいな人がいるのかと僕思うぐらい、本当に清潔な人であり謙虚な人(ノーパンしゃぶしゃぶ騒動は巻き込まれたか?)、羽毛田長官がこんな激しいこと(=2008年12月11日会見])言うってのはびっくりしたわけですよ」と、長官発言を「生命を懸けたもの」とその重大性を強調。
徳仁皇位継承権辞退の根拠を探るのに合わせて、皇室典範]第3条「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」を解説。
またご成婚の裏側をズバリ!として、皇太子妃になることに積極的でなかったとされる雅子が政府高官説得を受け、「私は国家と結婚します」]と言ったとも紹介。「お前はエリザベスI世か、ヒトラーか?」「男性として見られていない徳仁カワイソス」との住民奥様感想多し。
皇室の危機(2)としては、若い世代が皇太子・秋篠宮殿下そして悠仁殿下だけでは皇位継承が難しいのでは、今後を考えるとGHQ政策で皇室を離れざるを得なかった旧皇族の方々の復帰も視野に入れるべきではないかと述べる。

2009年4月16日午前中に秋篠宮両殿下が、日本橋三越本店で開催されている「両陛下と旅」写真展ご鑑賞。その後赤坂御苑にて春の園遊会。今回皇族女性は洋装であるが、美智子さまのみ2月に負傷した膝靭帯の負担軽減のためお一人だけ和装。

雅子は今回も園遊会欠席。そして何とその当夜、東宮夫妻が三越「両陛下と旅」写真展鑑賞に現れる。

2009年4月17日金曜の東宮大夫定例会見にて、19日横浜で開かれる八大行啓の一つ、第20回全国「みどりの愛護」のつどいに雅子も出席すると発表。当公務については9日時点で国交省が正式に皇太子のみ出席とマスコミ発表]しており、その後からねじこんだものと推察される。

この日は両陛下ご成婚50周年・ご即位20周年記念「春季雅楽特別演奏会」が催され、両陛下・東宮夫妻・秋篠宮両殿下・高円宮妃が出席。雅子以外の女性皇族お三方は皆和服姿、雅子一人だけ着袴の偽に着ていた白スーツ姿]。演奏会が始まる前のマスコミカメラ撮影中、雅子は隣の久子妃とお喋り]してばかり。
 JNNニュース]は「長期療養中の雅子さまは当初、欠席予定でしたが17日朝になって急きょ、合流することになりました」とドタ出を報じる。

2009年4月19日横浜動物の森公園にて開催の「みどりの愛護」のつどいに、17日東宮大夫発表通り雅子も出席。いつもの超ロン毛ボサボサマッコウ髪型]にベージュパンツスーツ姿で登場。関係者への挨拶中FNNテレビカメラが雅子のパンツスーツ足元を撮影し、裾がプレスもされず丈すら揃っていないというお粗末振り]が明らかに。素人による裾上げがされていると思われる。パンツスーツ姿の雅子は植樹場面大股開きでガテン系たくましさ]を披露。午後には横浜市港北区盲導犬訓練センターを夫妻で視察。

この日は2007年奈良県「これは中国の犬ですか」でお馴染みの一泊旅行公務に携わった奥様が、皇太子のみ招待したのに雅子がドタ出してきたと書き込み。リアルな横暴ぶりに読んだ人の怒りヒートアップ。→【保管庫05
翌20日には、毎日新聞の真鍋光之記者による記事で、この度の雅子ドタ出参加により「ご日程」冊子と「報道のしおり」を作り直すはめになり、105万円もの余計な税金の無駄遣いが発生したことが明らかに。→【ドタ出
また20日フジテレビ「とくダネ!」では、盲導犬訓練センターで徳仁がカメラで雅子の写真を撮っていたとも報じられる。視察公務中なのに観光気分お気楽振りに皆orz

2009年4月21日衆院決算行政監視委員会で河村建夫官房長官が皇室典範の改正について、「国家の基本にかかわる大事な問題なので、国民各層の意見を踏まえ慎重に検討する課題だ。検討時期を言うのは差し控える」と述べ、その上で「安定的な皇位継承を確保する意味では、将来の不安は解消していない」と述べ、将来の検討課題になり得るとの考えを示す(参考:MSN産経4/21記事])。いよいよ事が俎上に乗せられるようである。

昨年天皇誕生日での陛下による「皇太子妃は病気なので家族で支える」認定発表]はやはり重い意味だったと納得する向きも。

2009年4月24日野村一成東宮大夫が金曜の定例会見で、この1月と2月に雅子が赤坂御所内散策中に傷ついたタヌキを発見保護(捕まえたのは皇宮警察官)と、翌日25日から懇意の動物病院から譲り受けられた新しい柴犬雑種生後2ヶ月の仔犬「ゆり」を飼い始めると発表。訳わからん内容に皆( ゚д゚)ポカーソ。

「そんな簡単に傷ついたタヌキが見つかるものか?」「一時的とはいえ東宮仮御所内でタヌキを飼育ってどうよ?」「三笠宮百合子妃殿下とかぶる名前を飼い犬にわざわざつけるか?」「誕生日映像撮影に利用する小道具?」「GW御料牧場静養に一緒に連れていくんじゃないの?」等々、ツッコミどころ満点。

2009年5月2日東宮一家那須御料牧場静養へ。静養出発前から一部で予想がされていたが、なんと本当に生後2ヶ月の柴犬雑種仔犬「ゆり」を伴ってのお披露目移動。

宇都宮駅から出てきた当初、愛子が仔犬抱っこしている場面があったものの、いかにもやらされてる感ありありの、いまいち上手とは言えない微妙な抱き方。仔犬を抱いてないと両腕がウラメシヤ状態で浮いてしまう格好]にも。「7歳の女の子が仔犬と一緒に居て、犬を見ようとせずただ触るだけのあの無関心状態は、ほとんどCOでは」との感想多し。
満面ニラニラ笑顔で仔犬を抱きマスコミ撮影させる雅子の姿]に完全にイカれてると驚愕の声が多数。雅子は宇都宮駅前の群集(仕込み?)に態々近づき「ゆり」を見せびらかし、撮影カメラに向かって尻を突き出す姿]までもが記録される。
ゆりを雅子に渡した後、手ぶらとなった愛子は両手の中指と薬指を交差させた変わった手つき](自分の身体を使った一人遊びか?)や、更には親指を人差し指と中指の間に挿し入れる「手お●こ」]までやってしまうという放送禁止状態。
徳仁は「ゆり」を新幹線で入れるためのナイロンキャリーバッグを片手に提げ]、完全に単なる荷物持ち状態。飼い始めて十日にも満たない、ワクチン注射による免疫系がまだ不十分な生後2ヶ月の仔犬を遠距離移動させる非常識ぶりを印象付ける結果に。
→雅子のお尻を突き出した格好まで収めた日テレにこにこアルバム(5/4)]

夜にはテレ朝皇室特番「美智子さまが築いた家族愛~愛子さまと悠仁さまとすべて見せます感動名場面~」放送。奥歯に物の詰まったような表現が多すぎwだったけど、徳仁「テファニー」トホホ発言とその後各方面へのフォローに心を砕いた美智子皇后陛下の対応を紹介したり、雅子と愛子の異様なペアルックVS.眞子さま佳子さま“幼少のころの”ペアルックを対比し、東宮メンバーのいろいろなヤバさをビジュアルで判り易く示す内容となる。悠仁殿下3/26御料牧場到着時の「こんにちは」可愛らしいご挨拶音声付映像]も放映され、ますます差が際立つことに。

2009年5月8日岩波書店『世界』6月号が「岐路に立つ象徴天皇制」特集。その中に、森暢平「【全体性なき社会の皇室】島宇宙を漂流する「象徴」――〈眞子様萌え〉、そして「ドス子」と」掲載。

ついに「ドス子」がお固い雑誌に活字で登場、的外れなことを色々書いていたりもするが、煎じ詰めれば「森暢平宣伝乙」な内容。

2009年5月9日東宮一家が両陛下との粟の種籾蒔きに参内、なんと仔犬「ゆり」も連れて行く。移動のワゴン車内では徳仁が「ゆり」よりも後ろ]、いつもの(奥)席に座ることに。
2009年5月11日シンガポールのナザン大統領夫妻が国賓として来日。雅子は歓迎式典に出席するも、昼の時点で歓迎晩餐会には欠席とマスコミ発表。また歓迎式典も前日に出席決定したドタ出であると、当日昼TBSが伝える。

後日、珍しく結い上げた雅子の髪について『週刊女性』6/2号は<心機一転の髪型チェンジ 何があったの?雅子さま静養後初!%b7%e8%b0%d5">決意の「髪アップ」>と、擁護してるのか馬鹿にしてるのかよくわからないタイトル記事掲載。

2009年5月15日YTVミヤネ屋にて「▽秋篠宮さまご夫妻ヨーロッパご訪問」特集予定だったが、突如中止。当日急遽発生した大きなニュースはマッコウクジラが和歌山県で内之浦湾に迷い込んだことぐらい。マスコミへの圧力か?とニュース速報+板や実況スレ等でも話題に。
2009年5月16日gettyimages]が秋篠宮両殿下のハンガリーご訪問・工芸美術館ご鑑賞画像について、「Japan Crown Prince Akishino and his wife Princess Akishino」と記す。「Crown Prince」とは言うまでもなく、「皇太子」の意味である。

→参考画像1]、参考画像2]

2009年5月21日YTVミヤネ屋が15日秋篠宮両殿下訪欧特集放映予定だったが、新型インフルエンザのことばかりで翌日に再延期。
2009年5月22日YTVミヤネ屋が21日秋篠宮両殿下訪欧特集放映予定だったが、またも新型インフルエンザ特集で再々延期。

当内容は同月26日に放送される。→" class="outlink">http://www.youtube.com/watch?v=SDeBITulvJs]

2009年5月27日佳子内親王殿下の写メが、学習院男子中等科の生徒(初等科時代の同級生?)と思しき人物によりmixiにうpされる事件発生。写メそのものは普通に可愛らしいものだったが、皇族のプライベート画像が無断で、それもmixi規約の利用可能年齢に達していない中学生によりうpされたということで、お騒がせニュースに。

参考2ちゃんニュース速報+スレ:
【ネット】 「かわいすぎます!」 秋篠宮佳子様のプライベート写真?、コミュニティサイトにアップされ話題に]
【皇室】秋篠宮佳子さまプライベート写真ネット流出で波紋同級生男子が無断掲載教育的指導]
【皇室】「あってほしくないこと」佳子さまの写真流出で宮内庁長官]

2009年6月2日『週刊女性』6/16号が発売されるも皇室記事掲載無し。「“元女官”について宮内庁から注意を受けた??」「OWDが提灯記事を書かせる資金が尽きた??」と話題になる。

『女性自身』6/16号は<雅子さま“休養”3週間で浮上した「次のご公務」新たな不安!/佳子さま・写真がネット流出で学習院“ミクシィ”禁止“悩”通達>の記事掲載で発売。

2009年6月3日宮内庁が、テレ朝「ワイド!スクランブル」4/20放送内容についての反論を公式HP掲載発表]。

雅子1年3ヶ月ぶり地方公務(=4/19全国「みどりの愛護」のつどい@横浜)特集における元テレビ朝日所属皇室ジャーナリスト神田秀一氏発言:

1)「公務については天皇陛下から皇太子殿下に宿題が出ている」
2)「2009年1月から天皇陛下の公務軽減という措置を宮内庁が打ち出していてこれに関連して天皇陛下の公務の一部を皇太子ご夫妻ができるだけ代われるものは代わりましょうと」

…テロップ付きで出されたこれらにつき、「第1点及び第2点ともそのような事実はありません」と明解に否定。天皇陛下から徳仁への要望注文も無く、陛下の公務肩代わりも一切無しだという、完全ハブにされてる状況が見てとれる発表内容。

2009年6月4日夕方17時過ぎ、一家で「大恐竜展~知られざる南半球の支配者」(国立科学博物館)見学≪読売新聞6/5、MSN産経皇室ウィークリー6/6]、2時間以上雅子の趣味に徳仁&愛子が付き合った形と女性自身6/23号、閉館後と女性セブン6/25号≫

Part1566-217に「シルバーのアルファードが走ってて・・・車内灯から子供が寝転んだ姿」目撃mixi情報あり。

2009年6月9日東宮夫妻結婚記念日。夕食会には両陛下・秋篠宮ご一家・黒田ご夫妻の他に、池田礼子夫妻と渋谷節子夫妻が参加。

同日は『女性自身』2009/06/23号<雅子さま「心が折れたあの日」-知人明かす“最大の危機”と“苦悩の真実”>発売。その中で、愛子誕生後二人は以前以上にアイコンタクトが増えた。愛子が何かゴニョゴニョ言っていると徳仁氏が「いま歯が抜けているから聞き取りにくいでしょう。愛子は○○○と言ったんですよ」とフォローすると記事に。
ゴニョゴニョ」原文ママ表現に違和感を抱き驚く奥様続出。

2009年6月25日雅子のみ東大病院で午後6時半ごろから約1時間半にわたって健康診断≪女性セブン7/9号&7/16号、MSN産経皇室ウィークリー6/27]≫
2009年7月1・2日『テーミス』2009年7月号<皇太子ご夫妻が通う池田礼子邸の内幕>、『女性セブン』2009/07/16号<皇太子妃雅子さま・妹礼子さん宅頻繁ご訪問の理由-囁かれていた異変>と立て続けに雅子と池田礼子のべったりぶりが記事にされる。礼子宅があるマンション住人証言として、

・雅子はよく来る。ごく最近も来た
・礼子マンションにSPが5~6人いる日は住民が「あら、また…来てらっしゃるのね」と会話
・週に1度くらいの割合で来ていた時期もあった
・皇太子、愛子と一緒の時も
・月に二度ほど雅子が礼子宅をパンツスーツ姿で訪問
…のようにテーミス/女性セブンが揃って報じる。渋谷節子についても現在コンクリ御殿居住なことや、6/25雅子だけ東大病院健康診断は節子夫・渋谷健司が関係あるなどとも記される。とにかく実妹べったりなようである。

2009年7月3日両陛下がカナダ&アメリカハワイ州ご訪問出発。羽田空港貴賓室お見送り式典に雅子欠席]。タラップ下お見送りには雅子も登場するが、徳仁とお喋りでまともにお見送りせず]。画像は手を振った場面を専ら記録し一見まともそうな格好で写っているが、TV東京動画ニュース]で不真面目ぶりが放映される。

MSN産経は雅子の白スカートに食べこぼし油染みのようなものがついた画像]を掲載するが、海外画像配信のgettyimagesではスカート染み無し]。「gettyが気を利かせて染み消し画像処理した?」とも囁かれる。真実は不明。

2009年7月5・6日夜、地下鉄吊り広告]にて『週刊朝日』2009年7月17日号が<天皇の級友が進言! 皇太子さまの選択肢は「別居治療/離婚/廃太子」>なる記事掲載だと目撃奥様ご報告。翌日6日にはミニレポ奥様投下でスレが更に盛り上がる。

陛下のご友人・橋本明氏が関わる記事だが、廃太子が最も現実味があるとまで超踏み込んだ内容を発表とのこと。「別居治療/離婚/廃太子」の単語がでかでかと目立つ表紙]もインパクト大。
→ニフティにて週刊朝日同号記事配信]

2009年7月8日夜、東宮一家が神宮球場野球観戦予定と報じられる。愛子がWBCで野球に興味を持ったことによる観戦実現だと、愛子を全面に押し出した理由付けがされる。
2009年7月10日パシフィコ横浜「世界の子どもたちのための熱帯林に関する環境教育会議」に雅子ドタ出。当会議主催の国際熱帯木材機関ITTO公式HP式次第説明]に東宮夫妻登場情報は一切記載なく、夫妻揃ってねじ込み公務してる振り活動と察せられる。

金曜の東宮大夫定例記者会見にて、野村一成が『女性セブン』7/16号掲載の「雅子さまが宅を頻繁に訪れている」等記事について編集部に9日付で抗議文を送ったことを明らかにする]。ノムヒョン曰く「事実無根。十分な検証をせずこうした話を出すのはいかがなものか」。但し宮内庁公式HP]には抗議文面掲載せず。小学館女性セブン編集部は「抗議があったのは事実ですが、記事は取材に基づいて作成しており、その内容については、宮内庁東宮職に説明しました」のスタンス。
東宮サイドも妹宅への訪問はまずいことだと認識しているのが、この抗議発表から窺い知れる。

2009年7月12日神宮球場ヤクルト・横浜デーゲームを東宮一家が観戦。登場で周囲にしきりとお手振りする東宮夫妻と対照的に愛子はお手振りなし(退場前に両腕を一瞬上げる行為]あり)。14時開始から2時間半程度の観戦予定が、今回も%cd%bd%c4%ea%bb%fe%b4%d6%a5%aa%a1%bc%a5%d0%a1%bc">予定時間オーバーして3時間余り滞在することに。

当日貴賓席の一家の様子を撮影していた人が投下提供してくれた画像から、愛子が市販の紙パックリンゴジュースをそのままストローで飲んでいた]ことが明らかになり、皇族にあるまじき振る舞いと大衝撃。
また肘を突いたひどい格好で雅子と一緒に野球雑誌かパンフレットを見ているgdgd光景を収めた画像]もうpされる。ご挨拶も相変わらずできないわ、紙パックジュースやら肘つきやらで、見た奥様方orz状態。
この度は愛子が“横浜ベイスターズの内川聖一内野手”がお気に入りだとのことで、WBCで共に活躍したヤクルト青木宣親選手と合わせてご対面。内川選手のブログを見てるとか、実家で飼っている犬について持参した犬の写真を見せながら話をした]とのこと。
その中で「左打者が左投手を打つのは難しいでしょうね]」「お見せしたいものがあるんですけど、よろしいですか](と犬の写真も見せる)」と愛子が発言したとの記事が報じられるが、その一方で同じ左打者左投手発言を徳仁がしたとする記事]も存在。
5W1Hが基本であるニュース記事で、発言をしたのが誰なのかすら定まらない異様ぶりも注目を集める。
なおこの12日当日は大相撲名古屋場所の初日。かつてあれだけ愛子といえば相撲好きをアピールしていたのが嘘のような掌返しである。

2009年7月14日『週刊女性』7/28号<愛子さま「プロ野球に夢中」お気に入りはあの選手!>記事掲載。記事中では、愛子がWBCに夢中になり野球に興味を持ち球場観戦を熱望、デーゲームを選んだのは愛子のため、お気に入りの選手はレッドソックス松坂大輔投手と「ヤクルト青木宣親選手」と記す。

観戦当日ご対面ニュース記事で、愛子お気に入り選手は「横浜ベイスターズの内川聖一選手」と大々的に報じられたのと食い違う内容に。恐らく神宮がホームグラウンドであるヤクルト選手がお気に入りなのだろうと予想して書いた予定稿がそのまま印刷に回り、ビジターである横浜選手が本命だったのは週女予想の斜め上だった模様。印刷製本スケジュールで差し替えが間に合わなかったものと推察される。

2009年7月15・16日八大行啓の一つである献血運動推進全国大会のための長崎県訪問に雅子欠席。長崎独り旅の徳仁は佐世保市ハウステンボス見学で遊覧船に乗ったり]する。

第45回献血運動推進全国大会(アルカスSASEBO)では、7歳の息子さんを癌で亡くした母親が治療における子供の輸血体験を発表したのだが、その母親に対し徳仁は「うちの娘も7歳です」「寂しくないですか」とKY発言&質問。(゚Д゚)ハァ?となった奥様方の書き込みが大量になされる。

2009年7月17日夜、両陛下がカナダ・米国ハワイ州訪問からご帰国、羽田空港にてお出迎え。
2009年7月21日両陛下海外訪問の期間に国事行為代行していた徳仁が報告のため参内。ご報告の後は両陛下おねぎらいのご昼餐が催されたが、雅子は欠席。
2009年7月23日羽毛田宮内庁長官が、かねてから取り沙汰されていた2012年五輪開催東京誘致で東宮夫妻を看板利用することについて、「皇族利用は望ましくない、官邸に判断を委ねる」と定例記者会見発表。
2009年7月24日徳仁が午前9時半過ぎ~11時半過ぎまで、宮内庁病院にて独りぼっち健康診断≪毎日新聞7/24≫

前月健康診断を徳仁(6/24・29、宮内庁病院)・雅子(6/25、東大病院)が別々に実施しており、1ヶ月しか間を置かず再検査。「要精密検査? まさかポ様復活?」と訝り囁く声も。

2009年7月25日『月刊WiLL』9月号]が、天皇陛下御学友橋本明氏署名記事<「別居」、「離婚」、「廃太子」を国民的議論に>を掲載発売。その中に橋本氏が会食を共にして忌憚のない会話を交わした%a5%ce%a5%e0%a5%d2%a5%e7%a5%f3">野村一成東宮大夫について触れた箇所があり、「よくない時の妃殿下のお姿を外に出したら大変なことになる」と野村東宮大夫が語っていたとも記される。「良くない状態の雅子とはいったいどんな姿になってるのか??」とスレ住民奥様方の興味を集める。

p.36より引用
 さらに最近では、末綱隆東宮侍従長が辞めました。末綱氏と私の従兄弟である橋本大二郎は仲が良く、「末綱さんと会いますか」と聞かれたことがあります。
 そして末綱氏との会食となりました。そこにはなんと野村一成氏も一緒に来ていらした。偶然、東宮大夫と前東宮侍従長と私の三人で忌憚なく話をしました。
 野村氏と末綱氏は非常に気が合うようです。週刊誌では犬猿の仲とされているようですがウソです。良いコンビを組んでやっていたと言われてました。
 その時、野村氏に「妃殿下は一体なんの病気ですか」と尋ねたら、はっきりと「精神疾患」だと答えました。「適応障害」ではなく「精神疾患」だと言うわけです。今はいい状態の時のお姿しか外に出していない、よくない時の妃殿下は一切外に出していないともいう。「よくない時の妃殿下のお姿を外に出したら大変なことになる」とも言っていました。

2009年7月31日東宮一家三人が、丸の内ピカデリーでの『HACHI 約束の犬』親子チャリティー試写会に出席。登場した東宮夫妻はニラニラ笑顔を振りまきお手振りするが、愛子はいつもと同様挨拶に類する行為なし。

ともに試写会に参加した北大路欣也は「(愛子さまは)秋田犬が感情を表現する場面で、何度も何度も前に顔を出してご覧になっていた」と語り、北大路氏が秋田犬の子犬とともに一家を出迎えた際には、愛子が「子犬の足の裏をなでていらっしゃった」とのこと≪シネマトゥデイ7/31]≫
愛子の発語がこの場でもなかったことが分かる。雅子は、物語の舞台となっている米国東海岸に以前暮らしていたため「懐かしい思いも致しました」と迫本社長に感想を述べ、相変わらずの海外通アピール。
後日、日テレにこにこアルバムにて一家の入場場面映像が公開]されるが、「皇太子同妃両殿下、愛子内親王殿下がご来場されました。皆様お席をお立ちにならないようお願い申し上げます」とアナウンスが流れ、会場内の人々は誰一人立ち上がらず拍手もせず笑顔も見せず、カメラのシャッター音がカシャカシャ鳴る以外は静まり返った不気味な光景。あまりの空気の冷ややかさに、「招待されてもないのに押しかけで来たからか?」「10時半上映予定だったのに一家が遅刻して入ってきたからか?(実際、3人着席後そそくさと上映開始している)」などとも憶測の声が上がる。
参考比較:2009年1月27日秋篠宮両殿下「旭山動物園物語」試写会入場光景Youtube映像]

2009年8月3日東宮一家、東麻布の北京ダックとフカヒレが名物な高級中華料理店『富麗華』で外食お楽しみ≪週刊女性8/25号、THEMISテーミス9月号≫
2009年8月8日徳仁が第91回夏の全国高校野球選手権大会開会式臨席&第1試合観戦のため甲子園へ、前日7日からの兵庫県訪問。≪週刊文春6/25号「朝日新聞が徳仁雅子出席要請」≫

同日夜、東宮一家が池田礼子宅を訪問、また渋谷節子も合流し、東京湾大華火祭の花火鑑賞。≪女性セブン9/10号は花火鑑賞記録のみ、テーミス9月号に詳細な記事が掲載される≫
→参照:【同日シリーズ】【しょっちゅう会ってるシリーズ

2009年8月13日東宮一家が那須御用邸静養へ出発。予想通り飼犬「ゆり」も同行する。那須塩原駅から出るワゴン車窓から、雅子がゆりの右前足を鷲掴みにしてお手振り光景をマスコミ公開する「お犬様お手振り」事件発生。

※URLが変更になった同日駅前光景にこにこアルバム]

2009年8月17日東宮一家がロープウェイ利用で茶臼岳登山というかハイキング。後日女性誌にその光景紹介記事・写真が掲載される。カーブの多い山道を辿りロープウェイ麓駅まで車移動したため愛子が乗り物酔いになり、ロープウェイ山頂駅で1時間ほど休憩(週刊女性9/8号)、ハイキング途中にて雅子が真ん中を陣取り、足組んだ格好でお弁当バクバクといった貴人のランチとは思われない薄ら寒い光景(女性自身9/8号)等。

この日についてはmixiなどで朝早くから一家が車ででかけてたとか、午前中那須高原の南ヶ丘牧場に行ったなどの書き込みがあり、どんなスケジュールで1日動いていたか不明。≪Part1614-514・516、Part1618-548書き込み≫

2009年8月20日ステンドグラス美術館襲来、愛子は館内ショップでお付きの女性の手を引き、紙袋2つ分のお土産を購入(週刊女性)
2009年8月22日りんどう湖ファミリー牧場の遊覧船から徳仁雅子愛子が花火見物なお当日の花火はこの一家の為にいつもより豪華だったらしい。(ブログ記事)
2009年8月23日徳仁雅子愛子がテディベアミュージアム襲来≪女性セブン≫
2009年8月21日一家で花火大会を楽しみながらりんどう湖ロイヤルホテルディナー予定だったのが当日突然ドタキャンになったと、当ホテル中国人研修生が日本式情報管理を理解できなかったかブログ書き込み]し、それが発見される。≪Part1617-378≫

早速雅子擁護からホテルにちくりが入ったためか、1日も経たないうちに削除されることになるが、問い合わせた奥様に対してホテル広報は「従業員管理に不手際があった」と、ドタキャン事件を認める形に。≪Part1617-721≫
21日は秋篠宮両殿下がオランダ公式訪問へ出発される(~27日)。

2009年8月24日両陛下が軽井沢ご静養へ(~27日)。もはや東宮一家とは合流しないことが既定路線のようである。
2009年8月25日東宮一家が那須どうぶつ王国へ、ラクダライドをしている愛子画像]が今年も発掘される。またこの度も一家がどうぶつ王国レンタル犬を%a5%c0%a5%d6%a5%eb%a5%ea%a1%bc%a5%c9">ダブルリードで散歩させている光景が発見される。

飼犬ゆりを静養同行させ、どうぶつ王国は飼犬同伴可能エリアもある]のに、ゆりの姿はなぜか確認されないことに違和感を抱く人多数。

2009年8月25日東宮一家&飼犬ゆり、那須静養から帰京。
2009年8月26日『月刊WiLL』10月号<雅子妃のご病気と小和田王朝>]発売。当記事は橋本明氏&西尾幹二氏特別対談形式という、スレ住民奥様期待wktkの内容。橋本氏が末綱前東宮侍従長と野村東宮大夫と共に食事した際「友納尚子とはどういう人ですか?」と尋ねたら、野村東宮大夫曰く「私も一度も会ったことがなくて、全然知らない」。この程度であんな記事を書き散らすようではジャーナリストとして未熟であると橋本氏が友脳をバッサリ。その他母小和田優美子に妹礼節姉妹が東宮へ頻繁に出入りしてることも改めて蒸し返されたり、「今の問題の一つである天皇皇后両陛下と皇太子殿下の、親子断絶はなぜ起こったか。皇太子殿下が小和田の人間になってしまったからです」by橋本明 等々、期待を裏切らない内容。何より「小和田王朝」のキャッチコピーが強い印象を与える。
2009年8月28日『フライデー』9/11号が<秋篠宮ご夫妻「オランダ訪問ワガママ放題」のナゼ-外務省は右往左往>]なる記事掲載。内容はというと、日程がほぼ固まった約1ヶ月前7月中旬、秋篠宮サイドから三つの要望。

・船で運河を巡る予定を「暑いからやめてほしい」(蘭ウィレム・アレキサンダー王太子の関わってる水フォーラム周辺ってどうもダークなのよね)
・当初予定になかったのに「動物園に行きたい」(秋篠宮殿下は日本動物園水族館協会総裁でもあり、海外視察においては当然とも言える要望である)
・日程後半に予定されていた両殿下と随行員の食事会を「夫婦二人だけにしてほしい」とのことで随行員の慰労会がおじゃん(単に慰労にかこつけて外務関係者が税金使って飲み食いしたかっただけでは?)
…といった外務省関係者の愚痴。1ヶ月前の予定段階程度でワガママと言われてたら、当日ドタキャン・ドタ出だらけの雅子は??のブーメラン状態。

この日、徳仁が第80回都市対抗野球大会(東京ドーム)を単身観戦。25日になってやっと宮内庁発表されたもので、皇太子お出まし観戦に観客がいないと困るとのことで、関係各地に強引な応援動員がかかった模様。あちこちのブログ書き込みで対応に追われている旨の内容が発掘される。無理矢理ねじこんだ観戦と推察。
→参照:【保管庫06

2009年8月30日『テーミス』9月号定期購読奥様がレポ投下、東宮一家と渋谷節子が池田礼子宅を訪問し、東京湾大華火祭の花火鑑賞したと詳細内容が記事となる。

その中で、雅子が信頼しているある女官がマルチ商法まがいのネットワークビジネスに熱中していることが噂になっており、そのことで雅子が相当お怒りになっているという記載も。「これは大問題として発展する火種では?」と多くの奥様方が感じ取り、その予想は後続記事で裏付けられることに。
→2009年9月3日の項参照。

2009年8月31日7月末時点から予想されていた通り、東宮一家が奥志賀高原ハシゴ静養出発。今回は飼犬「ゆり」を伴わず。定宿ホテルグランフェニックス奥志賀は、有料ながらペット同伴可。GWと8月静養には連れて行ったのにどうして今回は止めたのか?と訝る声あり。奥志賀移動の長野県駅前では大階段を下る]ことになるため、犬を抱えたままではロケ撮影できないためだろう、つまりロケの小道具に使えないので連れて行かないのではと推察がなされる。

この日、宮内庁が来年度予算概算要求に皇居門改修で24億1700万円を盛り込むついでに、高円宮邸改修工事として概算要求に19億5700万円盛り込むと発表≪時事通信8/31<皇居の門4カ所改修へ=4年計画で-宮内庁>] / ttp://s04.megalodon.jp/2009-0908-2050-02/t2.ji ji.com/linkbox?userID=crossfm&area=BODY&newsNo=200908310864&groupID=M9003G0079&FWCS=lion&pageID=LB0351_NEWS 当該ニュース魚拓]]≫【恒久子

2009年9月3日『週刊新潮』9/10号<雅子さまを悩ませる東宮「マルチ・ビジネス」騒動>なる記事掲載発売。7月下旬、女官がマルチ商売をしているという悩みを雅子が落ち込みながら友人に語り、それがじわじわ漏れてきたというのがメイン内容。雅子曰く「東宮にいる方とは思えない」「他の省庁なら大変な問題になっているはず」「あの人に愛ちゃんを預けなければならないなんて……」「まだ何も片付いてない」「東宮の職員がそんなことをするなんて」「誰を信用して良いのか」「愛ちゃんがすごく懐いているんだけど、やっぱり愛ちゃんのことを考えると辞めてもらうしかないわよね」そして挙句、「(マルチ疑惑職員がいるので)また、地方公務になると愛子さまを東宮に1人だけで置いておくことになるから、地方公務には行けない、というお話もあったんです」byさる皇室関係者などという、小山氏雇用前でも後でも碌に地方公務してない雅子が頓珍漢な主張をしているという証言も。

問題のマルチ女官は、名前こそ直接出していないものの、説明からして'08年4月に学習院幼稚園園長を定年退職した後、異例の愛子養育専門女官として雇用された小山久子氏。%b2%ed%bb%d2%a5%de%a5%bf%a1%bc">雅子当人が希望して異例の雇用をしたというのに、たった1年3ヶ月程度で首切りさせるような噂を流すとは大問題。
スレ住民奥様方からは、もういよいよ隠し切れなくなった愛子の養育方針で激しく対立して、小山養育女官を疎ましく感じた雅子が身勝手にも辞職に追い込もうとしているのではとも推察の声。
ちなみに新潮記事におけるニュースキン女性会員のコメントでは「雅子さまが愛用者という事はだいぶ前に聞いた。利用者の間では半ば常識。婚約が決まってから使い始め、首周りにあったアトピーが綺麗に消えたのはニュースキン製品を使い続けたからだと聞かされた」とのこと。

2009年9月4日『フライデー』9/18号が、25日那須どうぶつ王国で撮影された東宮一家の姿]を掲載。雅子は右目アイプチ不調か弛んだ表情、カジュアルな場に不似合いな黒革バッグを蓋開けたまま持っていたり、後ろ手に持ったり。フラミンゴブース前で愛子は立ったまま半ば眠っているようなぐったりした無表情、ペンギンを前にしても見ようとせず興味を示さなかったと、雅子に引き摺り回される「静養」で疲れきっているカワウソスな様子がうかがえる。先に発売され同じく25日どうぶつ王国での一家画像を掲載した『女性自身』9/15号グラビア]と比較すると、黒と白で全く違う色のズボン着用だったことも判明。飲み物をこぼすかお漏らしでもして汚したか?と推察の声。

当記事最大注目点として、ぐったり愛子の隣には同じぐらいの年齢の女児が目線やボカシも入れられずそのまま掲載されており、まさかいつぞやの影武者ちゃん?とも話題になる。

当日は東宮大夫金曜定例会見、この場で飼犬ピッピが8月27日死亡したと発表]される。那須御用邸静養から帰ってきたその翌日が実にタイミング良く死亡日とされていることで、早速疑義噴出。相方「まり」が死亡した同年2月4日は当日ニュース]にまでされ、ピッピ死亡とされる27日の翌日8月28日も金曜定例会見日。発表しようと思えば27日当日・28日定例会見のいずれかで可能であった筈なのに、そうではなく9月4日発表されたのには、9月6日にお誕生日を迎える秋篠宮家悠仁親王殿下お祝いへ飼犬の死を利用した%c5%f6%a4%bf%a4%ea%b2%b0%c5%ec%b5%dc%a5%b7%a5%ea%a1%bc%a5%ba">当たり屋ではないかという声が上がる。

この日、宮内庁東宮職が前日発売されたばかりの『週刊新潮』9/10号に対し、超異例とも言えるスピード抗議声明]発表。
「東宮に出入りする職員が“マルチ・ビジネス”に関与…」との記述がありますが,このような事実は一切ありません。東宮職の職員の中で,ニュースキンの化粧品等やマルチ・ビジネスと呼ばれるような化粧品等を周囲に販売したり,勧めている職員はおりません。
…と、マルチ女官の存在を完全否定する内容であるが、雅子がそういう旨を触れ回っていたことについては否定せず。また雅子本人がニュースキン利用者だということについても否定せず。『テーミス』9月号でも同内容に触れられていたが(8月30日参照)、こちらについては抗議発表なし。
・ニュースキン本体は雅子が同社製品を使っている事実は無いと否定→でもニュースキン会員は雅子が使ってると証言
・宮内庁は東宮職員にマルチやってる人間なんていないと否定→でも雅子が語ったことについては否定せず。
……以上のことから弾き出される答えは、「雅子が嘘話をでっちあげて気に入らない小山久子養育女官に汚名を着せ追い落とそうとしている」になるのでは、という帰結がスレ奥様方の考えである。

2009年9月6日秋篠宮家悠仁親王殿下3歳お誕生日。佳子さまお下がりの赤い三輪車に乗ったり]、お父さま・お母さまのところにそれぞれ駆け寄る]というシンプルな映像が公開され、特にお父さまの胸に勢いよく飛び込む場面]は「インペリアル・ブーン」という表現がニュース速報+板などで誕生。撮影スタッフのカメラに興味を持って覗き込む仕草]も見せ、普通に元気な子供とはこういうものだと再確認。愛子との差がますます開いた形に。

宮中風習でこの年から初めて色のある御着物をお召しになるが、両陛下から新しく「黒紅縫」お祝着が贈られ着用映像]も公開。当日お誕生日ご挨拶参内にも悠仁殿下は「黒紅縫」を身に着けて車のチャイルドシートへ、付き添いの紀子さまも和服姿。改めて愛子3歳誕生日参内着用の、ただの洋服はやはりおかしかった]と判明。内親王には「御地赤」が3歳誕生日祝いで贈られているはずなのだが、2004年12月1日当時は登場せず(2005年元旦参内]で着用)。
japan headlines examinerは「The prince seems to be a happy,healthy,polite young boy.]」(プリンスは幸せで健康で礼儀正しい男の子のようだ) と記す。

2009年9月7日フジテレビ「とくダネ!」でおマキさんが悠仁殿下お誕生日特集を担当、その中でやたらと悠仁殿下を「チビ殿下」と連呼。それは秘密靴の人に冠するべきと憤る人多し。

また4日発表された飼い犬ピッピの死も週明けということでTV番組で触れられる。当たり屋の役割はそれなりに果たした形。

2009年9月10日羽毛田宮内庁長官が定例記者会見にて、近く発足する民主党政権に対し、「政権が変わっても、皇室が安定的に続いていくかどうかという観点から、問題含みの状態であるという意識は変わらない」「新しい政権が発足後、できるだけ早くこの問題について説明する場を持ちたいと思っている。そのことを検討していただき、対処していただく必要があると、お世話する者の立場から申し上げる」とコメント。
2009年9月12-16日両陛下が葉山ご静養。12日から秋篠宮妃殿下と悠仁親王殿下が合流、14日早朝は昨年同様ご一緒に和船漕ぎを楽しまれ、その映像がTVニュースとなる。朝7時前出発で眠たそうな表情の悠仁殿下だったが、紀子さまに抱っこされた状態でも撮影スタッフに向かって大きな声で「おはようございます!」とご挨拶。「下船時には陛下が悠仁さまを抱き上げられるほほえましい場面]」も。宮内庁によると「即位後陛下が和船に乗るのは昨年8月、今年5月(未公開)、そして今回で3回目でいずれも悠仁殿下ご同乗、様子がマスコミ公開されたのは初めて」とのこと。

参考Youtube:悠仁様和船090914] / 悠仁様和船090914maro]
日テレにこにこアルバム映像](音声なし、約6分半)

2009年9月16日2016年夏季五輪開催を目指す東京都招致委員会が、10/2コペンハーゲンIOC総会に東宮夫妻出席は絶望的]と発表。招致委副会長でもあるJOC竹田恒和会長は「恒例の行事に参加されるとのことで、(出席は)難しいと聞いている。残念だが、仕方がない」

恒例の行事とは八大行啓の一つ10/4長崎県「第33回全国育樹祭」、そんなことはスケジュール上とっくに分かりきっており、今になって諦めの悪い発表をするあたりも注目を集める。

この日雅子が学年父母会に出席したと、『サンデー毎日』2009/10/4号記事(19日の欄参照)になる。帰宅で学校を出た愛子は門から走り出し、追いかけるSPが慌てて走ってついてくるのが愉快なのか、振り返りながら走ったり歩いたりを繰り返していたとも。言葉を発しているような記述はなし。

2009年9月19日『サンデー毎日』2009/10/4号が<愛子さまが危ない!?名門学習院初等科で起きた学級崩壊と傷害事件>記事を掲載。傷害事件とは「初等科1年生男児が、鉛筆で後ろの席の女の子の顔を傷つけた、目に入っていたらたいへん」というもの。まるで2006年5月の“%ca%dd%b4%c9%b8%cb%a3%b6" >Love子様、ついに「やっちまい」ました。”書き込みを思わせる内容に読んだ人驚く。学級崩壊とは授業中歩き回ったり廊下に勝手に出たりする子も初等科2年生クラスにいるという内容。雅子が16日出席した学年会開催はこれらの問題を踏まえてのもの。

あくまで愛子所属クラスとは別であるという書き方をしているが、愛子が廊下に寝転がっている「モップ姫」事件も女性誌記事で既出なことから、初等科教育の危機を訴えるスライドでは???と訝られることに。

2009年9月25・26日以前からブログ等情報で推察されていた徳仁千葉県公務出発、本当に千葉県一泊だったと判明。

また夜には、翌週月曜火曜に東宮一家登山予定で地元はリハーサルに追われてるというブログ書き込み(Part1646-597)発見、「ハシゴ静養に加えてまたお遊びか?愛子学校はどうするの?」と驚かれる。長野県蓼科方面と推察される。
26日千葉県御宿町にて開催された「日墨交流400周年記念式典」はNHK等ニュースで映像放映されたが、壇上の徳仁前髪の真ん中部分だけがポワッとしたまあるい付け毛しているみたい]だと、たいへん大きな話題となる。

2009年9月27日徳仁が日本母性衛生学会50周年記念式典(横浜パシフィコ)に臨席。つい前日の千葉一泊公務といい、横浜公務といい、週明け長野県登山予定といい「雅子と一緒に居たくない?」と訝る声も。母性衛生学という性格からして普通妃殿下単独なのに(前回は秋篠宮妃殿下が単身ご臨席)、どうして徳仁が?とも不思議がられる。

夕方ニュースで壇上スピーチ映像が流され、前髪は普通に収まっていたが、顔にはゴルゴ線がくっきり入り]、スピーチの声色も低く生気がなく、暗くて怖い雰囲気との感想多し。
Part1648-393では「27日の学習院OB合唱団・前田幸市郎20年祭で、皇太子様がチェロを演奏なさる予定でしたがご都合で不参加となり残念でした]」といった書き込みも発見。筆者はビオラをチェロと勘違いしている模様。

この日、『週刊現代』10/10号発売前日で電車中吊り広告から<泣くな皇太子「要領がいい」弟夫婦との闘い-思い通りにならない妻 不信感を抱く両親 周囲の冷たい視線、そして……]>なるタイトル記事が掲載されると話題になる。

2009年9月28日『週刊現代』10/10号<泣くな皇太子「要領がいい」弟夫婦との闘い>発売。徳仁の5月俊友会オケドタ出参加や、92年八ヶ岳山小屋スリッパ事件や、大学オケ時代の屋根伝い歩き別室飲み会押しかけ事件に、今年3月友人が電話をかけてきてもWBCのTV観戦で出なかったりといった、様々な未発表事件が披露される。→【naru">浩宮徳仁伝説

結婚相手を探す際にも、昭和天皇に反対された小和田雅子に拘った徳仁は、「(結婚相手は)どうしても小和田雅子さんでなければ、話はいったんご破算にしましょう。 結婚を急ぐ気持ちはありません」と発言したとも。
一方、「要領がいい」と書かれた秋篠宮家については、その具体的根拠となるような記述一切なし。せいぜいが眞子さま佳子さまが美智子さまの養蚕を手伝っていることぐらい。記事中の渡辺みどりの解説で「お二人は最近養蚕の手伝いを始めた」と書かれるが、平成14年(=2002年)美智子さまお誕生日発表文書]で既にお二人の養蚕お手伝いは触れられており、明らかに誤った情報。
また“評論家・西部邁(原文ママ)が「皇太子さまへのご忠言」と題する記事を月刊誌に発表”と、西尾幹二氏と取り違えたこれまた明らかに誤った情報が記され、記事全体の信憑性を損なう印象に(西部邁については一部地域では修正済が販売とも)。

先日から予想されていた徳仁長野県登山の動きは終日見えず。そんな中、八ヶ岳の黒百合ヒュッテブログで、
「2009-09-26 10:21:38 今月28日(月)は団体さんご宿泊の為、貸切とさせていただきます。]」
「2009-09-27 12:02:47 9/28に入っていた団体さんがキャンセルになりました。]」
なる書き込みが発見され、どうやら徳仁登山はドタキャンされた模様。前日横浜公務での表情がやけに暗かったのはこのせいか?と推察される。Part1648-837ブログ書き込み「あの日は天候が良くないということで中止、明日(29日)だよ]」と、天候理由で1日延期されたとも。

2009年10月2日フジテレビが夕刻ニュースの時間にて、「皇室の味」なる特集を唐突に放送。

・今上陛下が皇太子時代、ご一家が召し上がったマーボー豆腐、エビチリ →東宮御所に中華料理を作りに行った
・陛下が召し上がったビーフシチュー →学習院同窓会が開かれたレストランで召し上がり、おかわりをされた
・美智子さまが絶賛されたパスタ →イタリア大統領来日時のレセプションパーティーで召し上がった
・昭和天皇お好みのドイツ風ハンバーグ →昭和61年山梨県かいじ国体行幸啓の皇太子ご夫妻(当時)が召し上がった(昭和天皇は体調不良で来場されず)
皇室のご公務に関する様々な料理が紹介される中、雅子と愛子が品川プリンスホテルのエプソン品川アクアスタジアム行楽後に私的外食で訪れた「アクアダイビング・トロピクス」が紹介される。フジ取材に応じる料理長は「雅子さまと愛子さまがお友達と遊びに来た(よく来る、いつも来ると連呼) 」コメント。また彼が主語を出さずに「魚に詳しい」と言ったら、 インタビュアーが「どなたが?」と尋ね、料理長氏が「愛子さまが」と応答。魚に詳しいのは愛子、という流れになる。しかしインタビュー終わりには、料理長氏が「(愛子さまと)直接お話はしてないんですけども」とも語り、愛子魚博士優秀伝説が眉唾物になる。

この日は金曜恒例の東宮大夫定例会見、野村一成は「皇太子さまは3日から全国育樹祭ご臨席などのため長崎県入りし、9日には全国障害者スポーツ大会などのため新潟県入りされるというハードなご日程となる。皇太子妃雅子さまは、いずれのご訪問にも同行されないことになった。」と明らかに。「医師に相談した上で、ご日程とか、ご体調を総合的に考えて、残念ながらご無理ということでございました」とも説明。どうせ欠席ならもっと早くに確定発表しろよ、関係諸方面に迷惑だろとの感想多し≪産経皇室ウィークリー10/3]≫

2009年10月3日徳仁が第33回全国育樹祭臨席等の地方公務のため、独りぼっち長崎県訪問(~5日)。

当夜、雲仙市内のホテルで開かれた全国育樹祭関係者懇談会で、関係者の一人で出席していた米国の絵本『葉っぱのフレディ』翻訳者で知られる「みらいなな」氏と話した際、徳仁がこの公務に同行しなかった雅子について「%c6%c1%bf%ce%a4%ce%28%8e%df%a7%a5%8e%df%29%8e%ca%8e%a7%3f%a4%ca%c8%af%b8%c0%a5%b7%a5%ea%a1%bc%a5%ba">元気にしています」と語ったとみらい氏証言≪MSN産経皇室ウィークリー10/10]≫
前日2日に野村東宮大夫が定例会見で語った「(雅子妃同行出席は)医師に相談した上で、ご日程とか、ご体調を総合的に考えて、残念ながらご無理ということでございました」という説明と思いっきり矛盾することを徳仁が口走っている事件である。

2009年10月4日原口幸市式部官長(68)が、新潟県糸魚川市雨飾山で宮内庁職員の「千代田山岳会」メンバー6人と登山していた昼食後に倒れ、心肺停止状態で病院に運ばれたが、午後2時45分頃死亡確認。

原口氏については以前には日朝国交正常化交渉担当大使だったり、もっと以前の外務省ロス総領事時代にはダークスーツに黒塗り公用車で、ロス訪問した創価学会池田大作ら一行を出迎えるという姿も目撃されているなど胡散臭さ満点の人物で、それが死亡したということで何だかガクブル印象に。
参考:『週刊新潮』1993/9/30号<外務省の「池田大作」機関>記事]

2009年10月5日『週刊現代』10/17号が今度は<スクープ!天皇・皇后が皇太子・雅子妃の新居「お披露目」にも行かれない理由>なる記事掲載。内容はというと、皇太子が両陛下・秋篠宮ご夫妻・黒田清子さんなどを招き、「新居お披露目」と「天皇即位20年お祝い」を兼ねたお祝いの会を持ちたいと考え、両陛下は夕食会を希望されたが、皇太子は雅子体調を考えて日中に行う『茶話会』を企画し日程調整に入っていた。ところが日中お茶会は両陛下ご多忙により決定には至らず、皇太子としては大変残念カワウソス、%c0%e9%c2%e5%c5%c4">千代田と東宮職にコミュニケーション不足の問題あり、というもの。

静養続きで最も暇な存在である雅子が、最もご多忙な両陛下に向かって自分の要望に合わせろと主張するスケジュール取りに憤慨するスレ住民奥様多数。また、新居お披露目と陛下ご即位20周年祝いをお茶会で兼ねるとはあまりにぞんざいすぎやしないかという感想も多数。
この『週刊現代』発売当日の夜、宮内庁風岡典之次長が定例記者会見]で、天皇陛下が皇太子から8月初めに「新居に移ったらお招きしたい」と招待を受けたがその後話が進まず、「雅子妃の健康に問題があるのではないかと天皇陛下が心配されていた」ことを明らかにした。
そして現代記事における、新居お披露目&お祝い茶会の招待を陛下が多忙を理由に断ったと報じた内容に対し、風岡次長は「断った事実はない」と否定発表。つまり「自分たちは招待してやったが%c0%e9%c2%e5%c5%c4">千代田の方から断ってきたから、千代田が悪い」とでも言いたげな東宮主張が流されたが、それはデマだと千代田が即日反論したという流れ。千代田の動きの素早さにスレ住民皆驚く。

なおこの5日には、愛子守り刀を製作した人間国宝の刀匠・大隅俊平氏が死去している。享年77歳。

2009年10月7日宮内庁が『週刊現代』10/17号掲載の、両陛下に東宮新居お披露目するのしないの記事について、5日宮内庁風岡次長定例会見に続き、改めて宮内庁HPにて正式に訂正発表]。

「皇太子が天皇即位20年のお祝いの会を家族でやりましょうと企画するも,それも(両陛下が)お断りになってしまった。」は全く事実に反すると完全否定。奥様方が憤慨していた「新居お披露目」と「陛下御即位20年お祝い」を兼ねるなんてことは、「趣旨が違うためあり得ない」と宮内庁キッパリ。
それに加えて、「皇太子同妃両殿下は,御即位20年及び御成婚50年をお祝いする御内宴を催される予定であり,先週末(10/3頃),具体的な候補日について東宮職から侍従職に連絡があった次第」と、東宮側の不手際を開陳するというきつーい攻撃ぶりである。

2009年10月8日11/12「天皇陛下御即位二十年をお祝いする国民祭典」で、なんとAVEXのEXILE]が出演決定と報じられ呆れ返る奥様続出。グループ名の日本語意味は「追放」である。
2009年10月9日徳仁が、八大行啓の一つである「第9回全国障害者スポーツ大会」開会式臨席等地方公務のため、ひとり新潟県へ出発。雅子欠席。
2009年10月10日徳仁が新潟県八大行啓公務中、学習院初等科運動会予定であったが、インフルエンザによる理由で17日に延期(雨天時は19日)。雅子の同日シリーズが未遂になったものである。

この延期、同月5日時点で学習院初等科HPにて発表]されていたのであるが、13日発売の『週刊女性』10/27号p160は「10日に行われた愛子さまの運動会には、保護者として参加されることを以前より決めていらっしゃったということで、公務をさしおいて私的なお出かけを…」云々の予定稿を修正することなくそのまま掲載。つまり%bd%ad%bd%f7">臭女がろくな情報収集もせず雅子記事を書いていることが露呈。

2009年10月17日インフルエンザ理由で延期になっていた学習院初等科運動会開催、予想通り雅子が同日あった祭祀を欠席して出席の【同日シリーズ】。午前11時半頃、神嘗祭に出席した徳仁と(ハクションさんも付き添い)途中入場。なお神嘗祭は昭和16年の記録によると、天皇陛下の拝礼が午前十時とのこと。

愛子の学年選抜リレー映像・画像が公開され、とんでもない長さの三つ編み髪を振り振り元気良く走っている]のはわかるのだが、走り終えた後の待機中にM字開脚うんこ座りで両手を力いっぱい握り振り上げている興奮しきった表情の「ガッツポーズ」愛子]の様子が配信され、「まるで野生児、ゴリラみたい、下品すぎる」との感想多数。目にして強いショックを受ける奥様方多数。M字開脚愛子画像が海外画像配信メディアのDaylifeで堂々紹介]されたことも追い討ちをかける(日本のマスコミは自主規制によるものか、M字開脚姿勢はカット)。後にこのひどいポーズには「光ポーズ」という名称が誕生する。愛子の下顎歯並びが、このままでは雅子と同じくひどい乱杭歯になることが画像]から確定。
M字開脚ガッツポーズの後には愛子が左手人差し指を伸ばし、手の甲を外側に向けて自分の鼻先に当てるポーズ]をとる。「一番」を意味しているとも思われたが、「逆さバイバイ」ならぬ、「逆さシーッ」ではないかという解釈も。皆落ち着いて座っているのに、ただ一人興奮していた愛子をなだめるために近くのお友達が「シーッ」したのを「逆さシーッ」で真似したのでは?という見方である。またついには立ち上がってしまった愛子の後ろからは、それをなだめ座らせるかのような腕が後ろから伸びている]ことが画像から確認でき、「自然な子供」ぶりが再確認される。
鼻の下を伸ばしたり]、目元を拭ったり]するなどのいろんな表情を見せながら観戦していた雅子、リレーも含む午前の競技終了後、いったん初等科を離れる際に雅子は「無事に終わって」と、笑顔で記者団に話したとのこと≪共同通信10/17]≫
『週刊新潮』10/29号は、「9時開会なのに、ご夫妻はやや遅れて11時過ぎに到着。ちょうど2年生の紅白対抗リレーの頃でした。」「閉会し、帰路へ就くとき5人のママが話しかけ、(雅子妃は)肌寒い中20分以上も立ち話を楽しんでおられました。」と報じる。雅子が20分間ものお喋りしていた間、徳仁がどうしていたかは不明。
『女性セブン』11/5号は、グラウンド生徒席にて男子生徒がずらりと並んだ真ん中で女子ただ一人の愛子笑顔カラーグラビア]を掲載。雅子擁護は「男子に人気がある愛子さま!女帝決定!!」などと喜んだ調子の書き込みを繰り返すが、男子生徒の中に女子が一人だけ着席しているのは常識的に考えても異様であり、「髪の毛に興味持って引っ張ったりするため、女の子の友達がいない??」「おむずかりや乱暴な動作をしても男子生徒の中なら目立たないから??」「お気に入りの%a5%a4%a5%b1%a5%e1%a5%f3%b7%af">イケメン君がいる席に勝手にふらふら寄って行った??」との声が上がる。

2009年10月20日皇后陛下75歳お誕生日。恒例のお誕生日文書]であるが、今回記者質問・それに対する回答は設けられず、美智子さまの所感のみを綴った形式。様々な世界・日本情勢に触れた内容になっているが、皇室に関することは秋の御即位20年周年についてのお祝いに感謝し、関連行事が滞りなく行われることを願っているというのみで、東宮一家に関する記述皆無。

昼前には東宮夫妻、秋篠宮両殿下がご挨拶参内]、雅子は参内車中でいつもの左手お手振り、徳仁も右手でお手振り(秋篠宮両殿下はご会釈のみ)。夕方には学校から戻った子供達がご挨拶参内で、徳仁が愛子に付き添い、愛子も左手お手振り。夜には東宮夫妻、秋篠宮両殿下、黒田ご夫妻が御所に集まりお祝い夕食会≪MSN産経皇室ウィークリー10/24]≫

2009年10月22日秋の園遊会が催されるものの雅子欠席。恒例の入場直前横並び光景で、徳仁だけが両陛下からやたら離れ、そして秋篠宮殿下に擦り寄るような近すぎる立ち位置]であるのも話題となる。

東宮職は定例会見にて、雅子出欠席回答を引き延ばしていた静岡県「第24回国民文化祭」開会式等について「静岡県側の理解を得て、ギリギリまで待っていただき検討いたしましたが、ご体調を含めて医師とも協議した結果、総合的に考えて、残念ながら、殿下お一方での行啓(ご訪問)ということになりました」と理由説明。そして宮内庁の羽毛田信吾長官は同日の定例記者会見で、この点について「私はやっぱり(雅子さまが)ご療養中、ということに軸足を置いて物事を考えていくのが正しいと思います。したがって、お体の状況がそうであれば、ご無理をなさって来る必要はないと思っております。ご回復をするためにどうあったらいいかということを、常に考えていけばいいと思います」と述べる≪MSN産経皇室ウィークリー10/24]≫
この羽毛田長官が口にした「来る」という動詞に注目が集まる。単に静岡公務を指しているだけなら「行かれる」が使われる筈であり、「来る必要はない」とは、皇居での祭祀やまた11月両陛下ご即位20周年祝賀行事等を指しているのでは、つまりもう雅子は完全お払い箱と考えてよろしいという%c0%e9%c2%e5%c5%c4">千代田の見方を反映しているのでは、という見方が囁かれる。

2009年10月23日秋篠宮家眞子内親王殿下18歳お誕生日。午前中はいつもの嵐が来つつも和やかにレスがついていたのだが、岡田克也外相が午前の閣議後、「(国会開会式での天皇陛下のお言葉について)陛下の思いが少しは入った言葉がいただけるような工夫を考えてほしい」と取材記者の前で述べ、陛下お言葉見直し検討を求める超異例発言]で大騒ぎ。

20091023NHKニュース「天皇陛下のおことば 見直しを」
ttp://www.youtube.com/watch?v=JCH4bVqVDLY



天皇の政治不介入は日本国憲法にも明示されている基本中の基本事項であり、国会開会お言葉は内閣府作成&内閣承認、宮内庁やまして陛下ご自身に問題を押し付けるのは完全に筋違い。
夕方の記者会見ニコニコ動画生中継(24日に同内容をアップしたTVJANページ])では「陛下のお心構えの問題」「陛下のご意思として従来のあいさつを続けるならかまわない」などの発言で、ますます火に油を注ぐ状態。
宮内庁の羽毛田長官も閣議後発言数時間後には「岡田外相の発言の趣旨を伺わないと何とも言えない」「国会開会式での陛下のお言葉は、各種行事でのものとは趣旨が異なり、国事行為に準じて内閣の助言と承認により行われる」「まずは内閣として、よくご議論をいただきたい」「毎回十分お心を込められて述べられていると思う」と早速の反論発表。
民主党の西岡武夫参院議院運営委員長は記者団に向かって「天皇陛下の政治的中立を考えれば、お言葉のスタイルについて軽々に言うべきではない。極めて不適切だ」と岡田氏批判。
20091023NHKニュース「おことば見直しは不適切」
ttp://www.youtube.com/watch?v=9JeDxxijSWE



社民党主・福島瑞穂内閣府特命担当大臣は「天皇陛下は国事行為を政治的機能として行う立場であり、『いつも同じあいさつ』と苦言を呈すること自体がおかしい。そもそも原稿自体内閣が作成し、閣僚が承認しているものだから、お言葉について宮内庁に苦情をいうのはどうかと思う。まして、天皇陛下のお心構えの話にもっていくのは、外相と言う立場以前に、憲法を遵守すべき国会議員の発言として非常に疑問だ。」とサヨクなりに真っ当な発言で、“みずぽがまともなことを言ってる!”とたいへん驚かれる。
鳩山首相はASEAN関連首脳会議出席のためタイ訪問中でコメント発表なし。
当夜のテレ朝・報道ステーションは、当岡田発言を完全スルーという、見事なまでの露骨な偏向振りを示す。

2009年10月24日タイ訪問中の鳩山首相が、岡田外相発言に対し「岡田大臣はそのように考えているのだろうが、陛下のお心は推し量れない。そうである以上、本来、やはりこういったコメントをあまりすべきではなかったと思う」と述べる。
2009年10月26日秋篠宮家悠仁親王殿下が、午前中ご両親と一緒に上野動物園(月曜休園日)を訪れ、園内「こども動物園」でウサギやモルモットなどと触れ合い]。「こんにちは」「おはようございます」と職員らに元気にご挨拶したとのこと。

「(ウサギは)どうやって持ちますか?」と、子供らしい高い声での可愛らしいご質問光景が昼のニュースにて報じられる。また9月に生まれたばかりで生後1か月のトカラヤギの赤ちゃんに草をあげて、「なんのヤギ?」「(ヤギの)お母さんは?」と好奇心いっぱいに質問されたとのこと。
→日テレにこにこアルバム動画]

昼に、徳仁が喉の違和感等風邪の症状のため、午後に予定していた東京国立博物館での特別展・天皇陛下ご即位20年記念「皇室の名宝-日本美の華-」見学を翌日に延期すると発表。熱やせきはないが、大事を取ったという≪ttp://s03.megalodon.jp/2009-1026-1744-38/www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009102600285 時事ドットコム10/26]]≫

午後には第173臨時国会開会式が参院本会議場にて天皇陛下をお迎えして開催。開会のおことばを巡っては23日岡田克也外相の問題発言があったものの、陛下は「国会が、当面する内外の諸問題に対処するに当たり、国権の最高機関として、その使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します」と普段通り。オカラ外相完全スルーの格好。

2009年11月1日東宮一家、御料牧場静養に出発。雅子と愛子(9日まで学習院初等科入試休暇)は7日まで、4日に公務が入っている徳仁はその日に帰京予定。お馴染み宇都宮駅前ロケ撮影では今回飼い犬「ゆり」が登場しなかったが、MSN産経皇室ウィークリー11/7]によると、ゆりは「体重が重くなったため新幹線には同乗できず、別途合流した」とのこと。

愛子は宇都宮駅前での駅長挨拶に対していつも通りお辞儀もご挨拶もできなかったのだが、ニュースでは愛子発語について下記の通り報じる;
・愛子さまは、駅員とのあいさつの際、女性駅員を見つけると、「先ほど、お茶を入れてくださった方です」と説明された。≪FNN11/1]≫
・愛子さまは、見送りの女性駅員に「さっきお茶を入れて下さった人だ」と近寄って会釈していました。≪ANB11/1]≫
・また、愛子さまは車に乗るとき、見送りのために立っていた駅の女性職員を見て、「お茶を入れてくださった方だ」と敬語を交えておっしゃったという。≪MSN産経皇室ウィークリー11/7]≫
全く挨拶ができないのに「説明」なのか「挨拶」なのかすら判別できない発語、映像証拠が一切ない「敬語」遣いに、「10/26悠仁殿下の上野動物園“うさぎはどうやって持ちますか?”敬語への対抗か??」という奥様方の声が上がる。
→日テレにこにこアルバム動画]

2009年11月4日徳仁のみ御料牧場静養より独りぼっち帰京。皇居宮殿にて文化勲章受章者・文化功労者を招いての両陛下主催お茶会に陪席。雅子はその間も静養中の同日シリーズ
2009年11月5日秋篠宮家眞子内親王殿下が国際基督教大(ICU)教養学部アーツ・サイエンス学科特別入学選考(AO入試)に合格されたと宮内庁発表。スレでは数日前に「眞子さまがICUに入学するらしい」との書き込みがあったのだが、当時はキリスト教系大学に神道元締め皇室内親王が進学???と不審視されていたが、それが正しかったという結果に。

ICUは創価汚染が少ない大学だからかとか、女性宮家創設が取り沙汰されているがそんなものは作らず、娘は将来降嫁して一般人になるという秋篠宮家の考えを反映しているのかとの解釈もあり。

2009年11月6日雅子が1月に赤坂御用地で保護したタヌキ(4/24東宮大夫定例会見)を自然に帰したと東宮大夫金曜定例会見発表。「専門家の意見を聞いた上で、先月(=10月)29日に赤坂御用地内で放した」≪ttp://www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009110600426 時事ドットコム11/6]]≫とのことであり、前回金曜定例会見があった10/30に発表できた筈。前日眞子殿下大学合格ニュースへの露骨な%c5%f6%a4%bf%a4%ea%b2%b0%c5%ec%b5%dc%a5%b7%a5%ea%a1%bc%a5%ba">当たり屋となった。
2009年11月7日御料牧場静養から雅子と愛子帰京。到着した東京駅貴賓室で15分程度休憩したと「区内町」情報。
2009年11月7-8日徳仁が単独京都1泊訪問。宮内庁HP日程ページ]では、大覚寺・京都御所・宮内庁京都事務所「視察」とのみ記載。

後に関係者と見られる人物がmixiにて「○覚寺の古文書などを勉強しにこられました。 プライベートって事だったので外部には一切喋らないようにとの事ぢゃったけど」と記した内容が発見される≪Part1675-614≫
7日は雅子と愛子が御料牧場静養から帰京した日だったが、それと入れ違いで東宮御所を留守にしている状態に。

2009年11月11日学習院大学創立百年記念会館で開催された中国人民解放軍総政治部歌舞団による歌劇「木蘭詩篇」を、芸術総監督を務めた彭麗媛氏と徳仁が私的鑑賞。彭麗媛氏は中国の習近平国家副主席夫人であり、中国要人の一人。

当鑑賞は公務日程ページ]に記録されず、19日に発売された『週刊文春』11/26号にて「中国側は今回の観劇をギリギリまで調整」「東宮職から取材自粛要請があった」「日本側は皇太子出席を否定」と報じられる。
日本側マスメディアは週刊文春以外だんまりなのに対し、中国本国Webニュースではかなり大きく取り上げられる(Part1675]参照)など、日本皇太子の政治利用色が濃厚なきな臭い歌劇鑑賞事件となる。
当中国歌劇のオケでは徳仁と音楽で繋がりの深い堤俊作氏が指揮を担当し、学習院が開催場所を提供。秋篠宮家眞子殿下が学習院大に進学せず、ICUを選んだ理由はこんなところにもあったのかもという推察の声上がる。
詳細は【習近平】参照のこと。

2009年11月12日天皇陛下即位20周年記念祝賀諸行事が執り行われる。同日発表された両陛下会見内容]として、

「皇位の継承という点で,皇室の現状については,質問のとおりだと思います。皇位継承の制度にかかわることについては,国会の論議にゆだねるべきであると思いますが,将来の皇室の在り方については,皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います。」
「このように今日の世界は,決して平和な状況にあるとは言えませんが,明るい面として考えられるのは,世界がより透明化し,多くの人々が事実関係を共有することができるようになったことです」といったお言葉が注目を集める。
祝賀にまつわる祭祀については雅子欠席、その後の両陛下へのご挨拶・祝賀の儀には単独参内し徳仁と合流し参加。夜にはEXILEらが登場の祭典開催。

2009年11月17日宮内庁が愛子(7)に発熱の症状が見られると発表。16日午後から「37度前後の熱」があり、学習院初等科は休み、簡易検査でのインフルエンザ反応は陰性だったとのこと。「37度前後」という、風邪引きとも言えないような理由での欠席に、「25日に東宮御所で開かれる両陛下ご即位20周年・ご成婚50周年記念内祝&改修済東宮御所お披露目内祝(『女性自身』12/1号情報)を休む口実にするのでは??」と囁かれる。

18日には平熱に戻ったものの、16~20日まで学校を休み、週明け授業に戻る予定とMSN産経皇室ウィークリー11/21]伝える。

この日雅子は東宮御所にて、韓国人女性として初の国連人権機関の長となった李亮喜(リ・ヤンヒー)国連・児童の権利委員会委員長と単独接見。当接見は、11月中旬李亮喜女史からユニセフを通じて「妃殿下のご都合がよろしければ、訪日の折にご接見たまわりたい」と宮内庁に要請があり実現したという、皇族に接見を求めるにしては余りに手際が良すぎる奇妙な流れがあったと『女性セブン』12/10号が記事に書く。また接見にて雅子が「(愛子は)学校にもちゃんと通い、元気に育っております」と語ったと、女性セブンの取材を受けた李女史証言。当日愛子は発熱で学校を休んでおり、いくら社交辞令とはいえ露骨な嘘を口にしたものである。

2009年11月25日東宮御所にて、東宮夫妻主催「天皇陛下即位20年・天皇皇后両陛下結婚50年」祝いの内宴開催。両陛下・秋篠宮ご一家(悠仁親王殿下を除く)等皇族・黒田清子さんご夫妻・旧皇族・親族ら、計46名出席。

「敬宮愛子ちゃんさまは、午後6時半の開宴から、9時半の終了まで同席されたという」≪MSN産経皇室ウィークリー11/28]≫
『女性自身』12/15号は<親族会の“憂鬱”を救った「ヴィオラ」と「愛のブーケ」>なるタイトル記事にて、シルクのスーツ姿の雅子は愛子に話しかけたり世話を焼いたりしていたが緊張していたのか、会場内は「微妙な雰囲気」 と記す。松崎敏弥は「皇室など旧家となれば独自のつきあい方がある。雅子さんは海外生活が長かったので、多人数の親戚付き合いにとまどいがあるのでは。庶民でも40人以上の夫側の親戚が来れば“鬱”になるもの」などと、西洋社会だって多人数の親戚付き合いはざらなのに、訳分からん擁護コメントをする。

2009年11月30日秋篠宮殿下44歳誕生日。発表映像は昨年と同じく、庭園をご一家で散策されるほのぼの光景。お母さまと佳子お姉さまに両手を持ってもらいぶら下がり遊びする元気な悠仁殿下]の姿に、見た人(*´Д`*)状態。

→日テレにこにこアルバム]
恒例ご夫妻揃っての記者会見では、秋篠宮殿下の「(今後皇族の数が少なくなるが?という質問を受けて)国費負担という点から見ますと,皇族の数が少ないというのは,私は決して悪いことではないというふうに思います」発言が注目を集める。「女性宮家設立などに対する牽制発言か?」という解釈も。また11/12両陛下会見における「将来の皇室の在り方について,皇太子と秋篠宮二人の考えが尊重されることが重要」発言に続き、秋篠宮殿下もまた陛下の考えに沿う立場を表明、「今後はそういう(兄弟で話し合う)機会を作っていく必要があるというふうに考えております」と語る。

2009年12月1日愛子8歳誕生日。発表映像についてスレ住民からは「飼い犬ゆりを起用?」「御料牧場静養乗馬シーンを撮影?」などと予想されていたが、当日朝出てきたのは東宮御所内で前月22日に撮影された、漢字の書き取りをひたすら続ける愛子と、脇に立ってそれを見守る東宮夫妻映像のみ。学習院売店で作ってもらったという「としのみや あいこ」ネーム入り新品鉛筆]と、真っ白で角のあるこれまたピカピカ新品消しゴムの印象が強く、撮影を強く意識してお膳立てした書き取りロケという感想多し。誕生日ニュースに合わせ優秀伝説も新作追加。夕方には両陛下へのご挨拶参内がされたが、この度も両親付き添いで移動のセダン車からナルマサがお手振り。愛子はお口半開きのぽやんとした表情]のまま。

→日テレにこにこアルバム]

愛子誕生日の同日、西尾幹二&平田文昭対談形式単行本『%ca%dd%bc%e9%a4%ce%c5%dc%a4%ea%a1%bd%c5%b7%b9%c4%a1%a6%c0%ef%c1%e8%a1%a6%b9%f1%b2%c8%a4%ce%b9%d4%ca%fd%a1%bd">保守の怒り―天皇・戦争・国家の行方― 』が草思社より発売。
平田文昭氏「戦後、大衆社会化が進むにつれ、サンパウロでなされたブラジル移民百年記念行事で、皇太子殿下が池田大作の息子と並んで壇上に立たれるまでに創価学会が入りこみました。由々しきことですが、斎藤吉久的に『多様な国民を多様なままで統合する』との世迷いごとになずんでいると危機感も湧いてこないかもしれません。」「東宮夫妻が隠し立てしている愛子様問題もいずれそうなる(=美智子さまにより体現されている完璧主義が崩壊する)でしょう。」「私は、国家国民の名において、小和田集団への取り調べを始めるべきだと思います。東宮御所の備品についても在庫照合すべきです。靖国神社へは、天皇陛下より勅使が差し遣わされ、秋篠宮、常陸宮、三笠宮、寛仁親王、高円宮、桂宮、宮内庁から玉串料が奉られているのに、そこに東宮の名はありません。こんなことで、いいのですか。」
西尾幹二氏「(小和田恒は)道鏡ですよ、弓削道鏡。」「雅子妃殿下の主治医のポストが長期にわたりひとりの医師の大野裕氏に私物化され、占有されたままであることの間違いを私は、再三言葉にしてきましたが、何ら変更されていません。何十年か経って取り返しのつかぬことにならぬように、当局は同医師の宗教信条や政治思想をご調査になるべきと思います。外国の情報部員はどこで何をしているのかわからないというのが世界の常識だということも付記しておきます。」
……等々に加え、単なる雅子問題に留まらない大胆且つ刺激的な皇室への見方が提示される。

2009年12月3日秋篠宮家悠仁殿下がお茶の水女子大学付属幼稚園に来春4月入園と宮内庁発表。3年保育で、小学校もお茶を検討しているとのこと。研究者(紀子妃殿下)を対象にした特別入学制度利用で、書類審査と行動観察などの入園検定を経て2日合格発表。

学習院大に進学せずICUを選んだ眞子殿下といい、学習院教育現場における東宮一家の影響による混乱(【敬宮愛子ちゃん】【雅子マター】【小山久子】【囁きティーチャー】【モップ姫】参照)や、中国人民解放軍歌劇鑑賞会に認められる中国の影響、囁かれる創価汚染?を懸念しての、たいへん慎重な選択と考えられる。

2009年12月4日宮内庁HPが<最近の報道に関し,宮内庁として,その経緯等について説明したもの>として、<昭和時代における香淳皇后の御活動について(平成21年12月4日)>]発表。

「最近,一部の雑誌の皇室に関連する記事の中に,両陛下が揃って御公務をなさることは昭和時代からの伝統ではなく,皇后陛下の御意思で天皇陛下と御一緒に御公務をされているものであるという趣旨の記述が散見されますが,これは,皇后陛下の御行動に対する誤認であると共に,昭和天皇のお側で数多くの公的行事に御出席になった香淳皇后に対し,極めて失礼なことですので,この際,宮内庁として,事実関係を説明することにしました。」の書き出しで始まり、今上陛下と皇后陛下の公務・祭祀活動は、昭和天皇香淳皇后から粛々と引き継いだものであると説明。「皇后なんて何もしないでただ存在していりゃいいんだ、香淳皇后のようにあqwせdrftgyふじこ」的雅子擁護論調に真っ向反論する内容。

この日は金曜恒例の東宮大夫定例会見があったが、『女性自身』12/22号は<「46歳お誕生日」直前、東宮大夫会見が大紛糾! 主治医が漏らした“本音” 雅子さま「治療チーム崩壊」発表できなかった「深刻ご病状!」>なる記事で、当会見で野村一成東宮大夫が “今年は(雅子46歳誕生日に発表する)東宮職医師団の見解が遅れている。誕生日までに間に合わない可能性がある”と述べ紛糾と記す。「東宮職医師団」がまとめた文書は東宮職のチェックを経て徳仁氏夫妻の了承を得るが、今年は病状についてかなり突っ込んだ表現をしたらしく、公表にあたって雅子の同意を得られていないとのこと。 東宮職医師団こと大野裕医師は辞意を漏らしているらしいとも。雅子と大野裕せんせぇとの蜜月が終に破局か?!と注目を集める。翌年『女性セブン』2010/10/7号<皇太子妃雅子さま・皇太子さまも動かれた主治医と決定的亀裂>が、医師団見解文書を巡って大野と雅子で意見が対立し、二人の仲が悪化しだしたと記事にすることに。

2009年12月9日雅子46歳誕生日。この年も文書形式で発表された感想]は、大方の予想通り陛下在位20年・両陛下成婚50年を祝う言葉が盛り込まれていたが「今年,天皇皇后両陛下が,御成婚50年,天皇陛下御即位20年という記念の年をお迎えになりましたことを心よりお喜び申し上げております」のように、「~おります」をつければ丁寧表現になるとでも思い込んでいるのか多用が目立つものに。

発表映像は1日愛子誕生日映像と同じ先月22日東宮御所室内で撮影したもので、飼犬ゆりがリードつきで参加、一家三人で双六する姿など。
注目の「東宮職医師団見解文書」であるが、やはり間に合わず、後日公表予定であると報じられる。9日雅子誕生日発表は最初から分かりきってるわけで、スケジュールに合わせて動くこともできない東宮gdgd状態が露呈することに。

2009年12月11日中国の%bd%ac%b6%e1%ca%bf">習近平副主席来日に当たって、天皇陛下に会わせろというルール破りの要求を民主政権鳩山首相~平野官房長官が認めてしまう事件発生。裏で小沢一郎民主党幹事長の影が限りなく濃厚。先月26日・当月7日の二度断っていた羽毛田宮内庁長官も、小沢→鳩山→平野から命を受け、認めることに。併せて「陛下の政治的利用につながる」「こういうことは二度とあってほしくない」と懸念を発表。

習副主席は、先月11日徳仁が鑑賞してしまった中国人民解放軍歌劇の舞台監督を務めた、同解放軍少将でもある彭麗媛の夫。

野村東宮大夫が金曜定例会見にて、雅子誕生日から引き伸ばしにしていた「東宮職医師団」見解文書を25日公表すると発表。23日天皇陛下誕生日発表会見等の様子を窺ってから調整する意図が見え見え。

2009年12月14日習副主席特例会見問題はますます紛糾。さしもの民主肩入れマスゴミも軒並み批判調子。夕方には中国共産党詣で旅行から帰国した小沢一郎幹事長が記者会見、特例会見問題をつつかれ激怒しめちゃくちゃ発言。

「30日ルールって誰作ったの?法律で決まってるわけでもなんでもないんでしょ」
「天皇陛下の行為は国民が選んだ内閣の助言と承認で行われるんです全て」
「もしどうしても(羽毛田宮内庁長官が)反対なら辞表を提出した後に言うべきだ。当たり前でしょう役人なんだから」
「天皇陛下にご自身に俺聞いてみたら必ず、もう『それは手違いで遅れたかもしれないけど会いましょう』と、私は天皇陛下は必ずそうおっしゃると思うよ」
詳細と反響は【習近平】参照のこと。
→小沢幹事長会見Youtube

2009年12月15日天皇陛下と習副主席特例会見当日。習副主席は予定より10分ほど早く、午前10時35分ごろ宮殿に到着。国家元首の場合は陛下が出迎えるのが通例だが、副主席は元首ではないので河村武和式部官長が迎える予定。しかしプロトコル破りの早すぎ到着により準備が間に合わなかったということで、肥塚隆式部副長が皇居宮殿玄関前で出迎える。予想通り習副主席はお辞儀皆無で突っ立ったまま陛下と片手握手。

→ANN特例会見ニュースYoutube

2009年12月13日学習院OBオケ定演が、両陛下ご成婚50年&陛下在位20年祝賀もプラスして開催。徳仁は最前列でビオラ演奏、両陛下と雅子が鑑賞]。TVニュースで雅子が隣席の美智子さまとやたら喋ったり笑顔を振りまいている姿が放映されるも、程なく演奏会後のレセプションに雅子が急遽欠席=ドタキャンしたことが報じられる。徳仁と両陛下、上位の人間を置き去りにして一人だけ帰るという信じ難い振る舞い。

後日『女性セブン』2010/1/7・14合併号が<皇太子妃雅子さま・皇后美智子さまを残して突然のお発ちに騒然>で記事にし、事前のマスコミ配布スケジュールでは雅子もレセプション参加予定だったが、職員もおろおろするほどの理由不明ドタキャン。合わせて「定演鑑賞時に美智子さまの隣で笑顔の雅子さま」といった回復期待報道をされるのもストレス=%c9%e9%c3%b4">負担だとまで書かれることに。

2009年12月18日来年3月上旬~中旬10日間ほど徳仁がガーナ・ケニア訪問予定と宮内庁発表。「目的は国際親善。アフリカ諸国とわが国との友好が深まる中で、訪問が実現することになった」との説明で、雅子については「移動距離や訪問期間などを勘案した結果、同行されないことになった」とのこと。スペイン訪問で散々出欠席回答を2ヶ月近く引っ張ったのとは全く異なる、%a5%ec%a5%a4%a5%b7%a5%b9%a5%c8">レイシストらしい即決態度である。
2009年12月19日横浜こどもの国に両陛下・東宮夫妻・秋篠宮ご一家・黒田ご夫妻が訪問。

悠仁殿下は仔牛に餌をあげたり、越冬する虫を観察するなど元気いっぱい。各局マスコミが入った自由取材により、「(仔牛が餌を)もっと食べたいよ」 「うさぎさんも食べたいよって」「これは何て虫?」といった色々な可愛らしいお喋りが音声入り映像で記録される。他にも「(自転車乗り場の係員さんたちに)ありがとうございました」「(出会った男の子に手を振って)さようなら」とお話しされたという証言も(→%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%bd%a9%bc%c4%b5%dc%b2%c8%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b9">マコオタ画像集(秋篠宮家関係)9参照)。
一方愛子は「風邪気味」との理由でただ一人欠席。音声録音ありのマスコミ自由取材と、非常に近い距離にいる一般大衆ギャラリーの存在に、「これでは愛子を連れてこられるわけない」「もうこれは完全にCO」との感想が専ら。
そんな愛子を置いて雅子もこどもの国訪問参加。悠仁殿下の仔牛の餌やり場面で、美智子さまや眞子&佳子姉君両殿下を差し置き、やたら接近する雅子の姿]が強い印象を残す。

2009年12月23日天皇陛下76歳誕生日。4月ご成婚50年・11月即位20年会見があったため、この度は文書発表のみ。冒頭から大不況に触れ、豪雨台風治山治水、裁判員制度、7月カナダご訪問についての感想を認められる。昨年12月は体調を崩したが今年は体調が良いといった内容も。但し東宮一家、民主党政権交代、中国%bd%ac%b6%e1%ca%bf">習近平]
2010年1月1日新年ご一家画像]映像公開(前年12月16日撮影)。いつもの皇居御所の部屋で例年通り椅子が6脚だけ用意されるものの、ますます身体の大きくなった愛子は相変わらず雅子と同じ椅子に半ケツ状態で座る]ことに。また今回はネフ社の色積み木が登場するが、悠仁殿下(3)と愛子(8)が同じレベルで積み木遊びしてみせるという、これまた%a4%aa%bb%a1%a4%b7%b2%bc%a4%b5%a4%a4">お察し状態。悠仁殿下は一人で熱心に積み上げるが、5歳年上の愛子は従弟に全く関心を示すことなく、逆に従姉佳子殿下に相手してもらうという、悠仁殿下よりも幼い印象を与えることに。

→宮内庁HPご近影ページ]

新年祝賀の儀等行事が行われるこの日、東宮一家は9:46頃皇居到着で遅刻ギリギリ疑惑。相変わらず移動車内ではレース鉢巻っぽいティアラにドレス姿で一応一人前に公務している印象を与える雅子]であったが、10:00-10:10の僅か10分間の挨拶のみに出席で、以降の儀式には欠席]。
参考Youtube:平成22年新年祝賀の儀 http://www.youtube.com/watch?v=vOZ3QvfYQs4

2010年1月2日新年一般参賀が全部で5回行われ、雅子は当初午前の3回だけ出席予定だったが、5回全てに出席。しかしお手振りしながら隣の徳仁とお喋り]するところは相変わらず。

夜には御所で新年夕食会。東宮一家と秋篠宮ご一家が参内。愛子は前年天皇誕生日参内時と同じ白ケープ?姿]で「中に来ている偽%b8%e6%c3%cf%c0%d6">御地赤隠し?」「サイズが合わなくなって着付けがちゃんとできてない?」という声も。

2010年1月6日TBS「新春皇室SP2010 愛子さまと悠仁さま 未来を担う子ども達へ美智子さま祈りの言葉」放送(関西地域MBSでは短縮版放映)。

番組冒頭は新年早朝から始まる天皇陛下の祭祀「四方拝」の紹介で、続いて前年12月「こどもの国」昆虫観察場面での悠仁殿下の可愛らしいお喋りほのぼの映像放映。徳仁が大袈裟に目を見開いた表情で「ようちゅうっ?!(幼虫)」と問い返す場面]がツボにはまる奥様方続出。
http://www.youtube.com/watch?v=bg_sbFj0vko


葉山海岸での両陛下&秋篠宮ご一家和船乗り映像も放映され、陛下の櫓漕ぎについても分析される。葉山洋上に出られる昭和天皇に対してお辞儀で見送られる香淳皇后の映像]が強い印象を残す。
http://www.youtube.com/watch?v=Yw4nd6wNDh4


愛子については、昨年7月神宮球場観戦についての内川聖一選手証言が、2009/12/23TBS夕方ニュース特集コーナー]の使い回しで再登場。愛子の書道「犬」「牛」]について、お馴染み書家・%be%ae%c0%ee%c5%ec%bd%a7">小川東洲が「左右均等に力を入れている」「運動神経の良さを感じさせる」と相変わらずの見る者がむず痒くなるような絶賛ぶり。加えて、%b8%f7%a5%dd%a1%bc%a5%ba">光ポーズが強い印象を残した秋の初等科運動会におけるリレー競争での愛子の走りについて、なんと五輪銅メダリスト短距離走者・朝原宣治氏まで引っ張り出して絶賛コメントをさせる始末。スレ住民に大不評である「優秀伝説」宣伝を止めるつもりは一切ないらしい。
但しそれ以外には雅子・愛子・東宮家を取り上げた内容はなく、美智子皇后陛下の業績を中心にした番組構成。カナダの病院訪問での「子守唄」、美智子さまのブローチ製作者である彫金作家藤原友彦氏、傷んでしまった尼門跡寺院文物の修復活動との関わり、そして日本における障害児教育の先駆けである石井筆子と滝乃川学園と「天使のピアノ」について紹介。美智子さまが子供たちへの教育と愛情について語りかける感動的な映像]が番組最後に登場するが、その最後の最後に昨年運動会での「%b8%f7%a5%dd%a1%bc%a5%ba">光ポーズ」愛子画像が登場、それで〆。見た人orz状態。「滝乃川学園→%b8%f7%a5%dd%a1%bc%a5%ba">光ポーズ愛子って、やっぱりお察し宣伝番組では?」という感想多し。

2011年1月7日前年(2009年)の昭和天皇二十年式年祭には出席して注目を集めた雅子だったが、この年は皇霊殿の儀・御神楽の儀を欠席。
2010年1月12日Part1710]-215にて、「愛子は毒を盛られ脳に障害が残った」という噂が広まってるという書き込み登場。その後も雅子擁護派による「愛ちゃんは毒を盛られてからヘンなことになっただけだよ。元は普通の子を遥かに凌駕するくらいにご優秀でご誠実でご立派な子供だったそうですよ。」という書き込みも現れ、「誠実な1歳児てw」とスレ住民の失笑を買う。また「昨年後半に霞ヶ関関係者のともだちのともだちから愛ちゃんがある宮家の陰謀でその手先の者によって毒を盛られたらしいという話を聞いた」ってなバージョンも。優秀伝説がもう使えなくなっているのではという感想が専ら。→【%ca%dd%b4%c9%b8%cb13">保管庫13

この日皇居宮殿にて講書始の儀があったが、この年も雅子欠席。

2010年1月14日歌会始の儀、この年も雅子欠席。発表順は例年通り、一般人・選者・皇族代表(持ち回りで決められ、この年は3年前御料牧場で目にしたカタクリの花を詠われた秋篠宮妃殿下御歌) ・東宮妃・東宮・皇后陛下・最後に天皇陛下。

雅子の歌は、冬に赤坂御所庭園を散歩して詠んだものとのことで「愛ちゃんを詠んだものじゃない!!」予想がはずれ皆驚き。平成19年(2007年)「~月あかくさす」に続いての「明(あ)かく」使用。
「池の面に 立つさざ波は 冬の日の 光をうけて 明(あ)かくきらめく」
徳仁は平成20年(2008年)8月富士登山を詠んだもので、これまた「赤く」が登場し、夫婦揃ってそんなに「赤」が好きなのか?という感想多し。富士登山しながら昇った朝日を見ているのに、「富士の山はだ」が赤いという山の麓からでないと見えない光景を組み合わせるなど、視点の不安定さが強い印象を与える作品に。
「雲の上(へ)に 太陽の光は いできたり 富士の山はだ 赤く照らせり」
特筆すべきは、徳仁歌発表時「~赤く照らせり」を詠み人近衛忠大氏が「赤く染め…」と言い淀んだ後、更に「染めたり」と重ねて詠む、TV画面テロップ「赤く照らせり」と一致しない不思議な間違い?事件発生。詠み人全員で詠唱する場面では「照らせり」であった。どうしてこうなったか理由不明。
http://www.youtube.com/watch?v=UsL-2NCVhnk

天皇陛下のお歌=御製は、「木漏れ日の 光を受けて 落ち葉敷く 小道の真中(まなか) 草青みたり」
「落ち葉」は秋の季語で秋篠宮殿下につながる言葉、「小道の真中草青みたり」は正統な皇位継承者である悠仁殿下を指しているのだろうという解釈が大勢。

2010年1月15日翌16日出発する兵庫県訪問に雅子がドタ出同行すると宮内庁発表。12日講書始&14日歌会始を欠席しておいて、神戸訪問に雅子ドタ出とは、神戸牛が目当てじゃないの?という声しきり。
2010年1月16・17日本当に雅子が兵庫県訪問ドタ出。羽田~伊丹のANA利用、16日伊丹到着時の出迎え挨拶で、雅子はハイネックセーターインナーに、ふっくら体型のためかジャケットボタンを締めず全開という緊張感ゼロのパンツスーツ姿]。

17日追悼式典会場入りは徳仁が10時過ぎに、雅子は12時前という夫婦別行動。一応髪を結い上げそれなりの衣装を着ていた雅子であったが、会場入り移動の車窓からは、相変わらず完全に空気が読めていないニコニコ笑顔で左手お手振りという、これから追悼公務に臨むにはあまりにも相応しくない姿]を晒す。
また着席して子供たちの追悼合唱曲を聞きながら目玉をぐるぐる回したり、生唾を飲み込むように喉をごっくんする仕草]を見せたり、式典中に白いハンカチで目元を拭う仕草]もしてみせたりする。しかしその視線はテーブル上のモニターをばっちりチェックしており、「犠牲者のために溢れる涙を拭われる思い遣り深い雅子さま」として映されている自分の姿をマスコミ宣伝してもらう気満々ではとの解釈が専ら(週刊文春1/28号グラビア]、同グラビア拡大画像])。
とりわけ、%bb%e0%b3%a4">1995年大震災発生直後に中東3カ国訪問を強行し、到着当日にはめでたさの象徴ともいえる紅白衣装に身を包み]マスコミ登場している事実からして「自己を美化するための嘘泣きでは」という冷ややかな見方多し。
遺族代表との懇談ではまるで噴出す寸前のような表情]を代表撮影で写される。
式典・懇談後の鳩山首相ら関係者との昼食会と午後の災害対策センター視察にはやはり雅子欠席。
夕方帰京のANA飛行機内で東宮夫妻が一般人に目撃されmixiに書かれるが、僅か50分に満たないフライトの間に彼らがプレミアムデリでサンドイッチを食べていたとも明らかに。→【保管庫06

2010年1月19日学習院初等科父母会に当初欠席連絡していたのにも関わらず、雅子ドタ出。『女性セブン』2/11号は記事タイトルを<皇太子妃雅子さま・取り戻された自信「欠席撤回」父母会の笑顔>と冠する。
2010年1月26-29日26日国連大学での「国際衛生年フォローアップ会議」基調講演聴講に、27日アフリカ関係の小田英郎・慶應義塾大学名誉教授ご進講に、28日小寺次郎・外務省国際情報統括官ご進講に、29日有馬朗人・武蔵学園学園長ご進講に、4日連続して雅子ドタ出

なお27日には学習院初等科父母総会があり、出席の意向≪女性セブン2/11号≫を示していたとのことだったが、直前になって欠席連絡のドタキャン≪女性セブン2/18・25合併号≫。
また27日からはくしろサッポロ氷雪冬季国体が北海道にて始まったが、東宮夫妻はかつて八大行啓だったこの催しに呼ばれず。

2010年1月29日東宮大夫金曜定例会見のこの日、野村一成東宮大夫が“昨年12月から発表延期を繰り返してきた雅子さまの病状についての「医師団見解」を、来週中に公表することを明らかにした”とのこと。
2010年2月2日天皇陛下の体調不良が報じられる。先月31日から喉の痛みなど風邪の症状があり、急性腸炎のような腹痛・不眠・脱水症状が見られるとのこと。3日から葉山ご静養予定だったが取り止め御所で休まれるとのこと。それでも2日夜には、御所にて閣議後に持ち込まれた書類への署名などを行われる。この閣議後のご執務も、旧来は閣議が午前中短時間で終了していたので午後の時間を使ってできたが、鳩山内閣ではgdgdと閣議時間が長くなり、夜に押されていると翌3日に報じられる。
2010年2月3日東宮御所での赴任大使(スーダン,ウルグアイ,パラオ,イエメン,モーリタニア)接見に雅子欠席。同日東宮夫妻は、学習院初等科授業参観に出席の同日シリーズ。2年生は「体育」の授業で、『女性自身』2/23号p59 は以下のように記す;

2月5日、学習院初等科の『小さな小さな音楽会』で愛子さまの歌声に癒された雅子さまだが、その2日前の3日には、2年生の授業参観にもご出席されていた。体育の授業だったが、こんなハプニングがあったという。「休憩時間中に、お友達の女の子を、愛子さまが急に背負われたんです。そして校庭を走り回られたのです。その愛子さまの屈託のないご様子に、皇太子ご夫妻も笑み崩れられ、ほかの保護者たちも微笑ましい気持ちになりました。 愛子さまが力持ちなのにも驚きましたが、お父さまとお母さまが見に来てくださったので、張り切っていらしたのでしょうね」(学習院初等科に子供を通わせる保護者)

2010年2月5日延期に次ぐ延期の果てに東宮職医師団見解文書が発表。しかし内容はこれまでの5年間をなぞっただけで、病名見直しどころか、責任担当医師名も出ない、ライフワークも相変わらず見つからない、公的訪問は無理だが私的海外訪問させろの要求ばかりで、医師が病状説明に用いるとは考えられないへんてこ単語・フレーズ満載。これまで異なる点は、従来一度も宮内庁HPに掲載されなかったのが、広報・報道>公表事項]として掲載されることに。1月にやたらドタ出公務・進講が続いたのは、女性誌などに見せ掛け回復アピール記事にしてもらうためだという見方多し。

また、1月末からの天皇陛下の体調不良は、ノロウイルスによる急性腸炎によるものと宮内庁発表。秋篠宮ご一家合流予定だった葉山ご静養お取り止め。
この5日には、学習院初等科「小さな小さな音楽会」に雅子出席。東京會舘での第55回青少年読書感想文全国コンクール表彰式と受賞パーティー公務には欠席した同日シリーズである。

2010年2月9日東宮御所にて国際連合教育科学文化機関(UNESCO)前事務局長との接見に雅子出席。『週刊文春』2/18号友納尚子記事は出席と書くが、11日建国記念日のため文春当号は10日発売。記事にできるはずのないスケジュールである。
2010年2月11日twitterで松屋デパート開店前に雅子目撃情報あり。当初「買い物?」と思われたが、一家で第25回東京私立小学校児童作品展「ほら、できたよ」鑑賞とのこと。≪MSN産経皇室ウィークリー2/13≫

また鑑賞前に玩具売り場に寄って「アクアビーズファイン」というビーズアクセサリー作成キットを購入したとのこと。≪女性自身3/2号≫

2010年2月16日通信社「サンテレフォト」元写真部長で、三十数年間皇室取材した報道写真家高野俊一氏による“皇太子ご一家の幸せを願って企画”した写真展「雅子さまの笑み」が、ギャラリーS-TRAIN ストレイン(東京都大田区大森西6の14の21)で開催。“今回は、平成5年に妃候補になって以来、退社するまでに撮影した雅子さまの写真からカラー約70点を選んで21日まで展示”とのこと。

京急梅屋敷駅から徒歩3分の下町にある模型工場を改造した小さな小さな会場であり、結婚〇周年でもなく、病気療養7年目の人物を主役にした平成5-6年の写真のみという、仮にも皇族写真展とは信じられない異様ぶり。加えて会場「ギャラリーS-TRAIN」では創価どっぷり画家がかなり目立った個展を開いている事実もあり≪Part1727]-723≫、この写真展開催には胡散臭い背景があるのではと目されている。
なお当写真展は3月7日まで開催延長されたと、『週刊文春』3/4号グラビア記事が伝える。
がに股姿が目立つ写真展「雅子さまの笑み」
http://www.youtube.com/watch?v=j_TUsaMBDc8

2010年2月18日ケニアのワンガリ・マータイさんとの接見に当日出席決定で雅子ドタ出。相変わらずパンツスーツのジャケット前ボタンを開けっ放しにしただらしない姿]でマスコミカメラ前に登場、横から見た姿が%c7%d8%bb%e9">背脂で真ん丸・胸より腹が出ている、女性にあるまじき雅子の体型は見た人を大いに驚かせる。

なおマータイさんはこの18日、国連大学にて創価大学・毎日新聞共催のシンポジウム「21世紀の環境と平和を語る」に参加している。≪毎日新聞2/18]≫

2010年2月23日徳仁50歳誕生日。会見で「本人が余裕が感じられるような環境が大切」と雅子サポート宣言したり、餅つき(2009年暮れにやったと週刊文春3/11号)等で両陛下と愛子の交流アピールしたりと、相変わらずの調子。

今回の誕生日映像は1月24日に庭園で飼い犬ゆりを伴い撮影されたもので、やたらとカメラを意識した不自然さ満載の仕上がりに。日テレにこにこアルバム映像]では、雅子愛子と一緒になってゆりを撫でようとしてみた徳仁がゆりに舐められそうになって、慌てて手を引っ込めそそくさと立ち上がるという、動物嫌いがあからさまになってしまう場面まで収録。

2010年2月23-26日「今週は愛子さまも微熱のため、小学校を休まれた日があったという」とMSN産経皇室ウィークリー2/27]伝える。この欠席は3月1日まで続き、同月5日の東宮大夫トンデモ発表につながることに。

東京新聞3/6は「愛子さまは37度近い熱が出て2月22日~26日の間で25日以外は学校を休んでいた」と記事にする。「37度近い熱って、子供なら平熱のようなものでは??」「バンクーバー冬季五輪フィギュアスケートの番組放映スケジュールと重なるから、学校サボってそれを見ていたのでは?」という声も。
→【病弱】参考

2010年2月27日この日の夜、雅子が赤坂サカス近くのシントミ赤坂第2ビル5階「一龍本店」にお出まし、焼肉外食する。≪Part1733-364ヤフーブログ書き込み]≫

徳仁愛子が一緒だったか、誰が同席していたかは不明。愛子が学校を休んでいる時期の出来事である。

2010年3月2日秋篠宮殿下がニワトリ家禽化研究活動のためタイとラオスに3/17-28私的訪問されると宮内庁発表。眞子殿下も23日から合流とのこと。ちなみにPart1732-431「ラオスの日本大使館、公使は大森元東宮侍従」と、元チーム大盛りについて少し気になる書き込みも。
2010年3月3日徳仁アフリカ(ケニア&ガーナ)訪問前記者会見。会見後の関連質問で「妃殿下のアフリカに対する関心,殿下からご覧になって,どういった部分に特におありでしょうか,お聞かせください」と問われ、「そうですね,アフリカが抱えている様々な問題,全体に対してあると思いますし,具体的にどの問題というのはなかなか難しいかもしれないのですけれども,もちろん貧困の問題ですとか,それから教育の問題,さらには環境問題なども含めて,非常に幅広くアフリカの問題に対して関心を寄せているというふうに,%bb%e4%a4%cf%b4%b6%a4%b8%bc%e8%a4%eb%a4%b3%a4%c8%a4%ac%a4%c7%a4%ad%a4%de%a4%b9">私には感じられます」と、具体性ゼロで夫婦会話ゼロを窺わせる回答をする。
2010年3月5日野村東宮大夫が定例記者会見で「愛子さまを含めた複数の児童が、同学年の別のクラスの男子児童たちから乱暴を受けて不登校になっている」と発表。様々な報道をまとめると、【2/23から3/1まで学校欠席が続いていた愛子、2日には「予定通り」4時間目国語授業だけ出席し早退、以後5日まで不登校状態が続いている】とのこと。

愛子は登校に不安を覚えているとのことで、記者の「その不安とはどのようなことについてか?」質問に、野村東宮大夫は「ご本人が経験されたことだけではないと思う。細かいことは直接把握してませんが、いろんなことがあるのだろう」と漠然としすぎているというか、大問題につながるという自覚がまったくない回答。
「SPや同行している養育係は何やってるんだ?」「どうして態々公式発表までするのか?!」「犯人とされた子供が名指し吊るし上げされているも同然」と、この会見発表に仰天する奥様続出。「愛子が別クラス男子から乱暴を受けている」なる主張については、「それって“愛子が”やっていることの%a5%b9%a5%e9%a5%a4%a5%c9">スライドでは?」との声も。ずっと以前から多くのスレ住民奥様方が予想していた「周囲のお受験入学児童たちについていけなくなって学習院退学転校&海外留学への布石」だろうと目される。
17時からは学習院の東園基政常務理事が会見。TVニュースでも大きく報じられ、会見の場で説明された内容とは、
・去年、別クラスの男子数名が校内で大きな声を出したり勢いよく走ったり物を投げたりするので、学年全体で注意を喚起して収まった
・今週月曜日に、愛子が四時間目だけ出席して帰ろうとしたところ、隣のクラスから給食(学習院は生徒が一つのホールに集まって給食を摂る)に遅れそうになった男の子が勢いよく走り出てきて、愛子にぶつかりそうになり(ぶつかってはいない)、そのことで、去年騒いでた男の子達の事を思い出されたようで不安になったようだ→登校拒否に('A`)
・物を投げたりする子供がいることも(ぶつけられてはいない)、愛子の不安につながっている
……それって自閉症の典型症状として急激な状況変化に弱い愛子がパニックを起こしたのでは?という見方多数。
事は海外でも大きく報じられ、2004年に愛子の自閉症噂を記事にした実績のあるTimes Onlineは、<Princess Aiko of Japan kept home from school because of panic attacks>]なるタイトルを記事に冠する。
愛子同情風潮に流される日本マスコミが多い中で、スポニチはいち早く「そもそも東宮大夫が態々こんな公式発表するってどうよ?」と疑問を投げかけるマトモ記事]掲載。そのスポニチ記事中に、“こうした反響に対し、東宮職関係者は「批判が出るのは分かっていた。発表しないでいい方法があるならそれが一番だが、『かぜで欠席』と言い続けることはできなかった」と胸の内を明かした。”なる文が。2009年12月愛子横浜こどもの国欠席理由の「風邪気味」が嘘だったと見なされても仕方ないのでは?という声上がる。

2010年3月8日不登校会見からの週明け月曜日、愛子が2日と同じく「当初の予定通り4時間目の国語授業だけ出席」、雅子が同行し授業参観、給食をとらず一緒に帰る。

宮内庁風岡次長は、野村一成東宮大夫が「天皇、皇后両陛下も案じておられるでしょう。自分から両陛下に報告したい」と申し出たとして、近く天皇皇后両陛下に面会し事情説明すると発表。

2010年3月9日4時間目の国語授業にだけ愛子と一緒に来校、授業参観する≪MSN産経3/9等≫

愛子不登校を特集する『週刊女性』『女性自身』3/23号それぞれ発売。
『週刊女性』は、愛子に対して暴言や持ち物隠しなどの陰湿なイジメがあると、「東宮関係者」証言掲載。
『女性自身』は、3/2走ってきた問題男児二人が愛子を足蹴にして暴言を吐いたと、「保護者」証言掲載。3/2学習院初等科に雅子が愛子の出迎えをしている事実からして、「この現場を見てきたように証言している“保護者”って雅子のことじゃね?」の声多数。

2010年3月10日5時間目の生活の時間を利用したお楽しみ会にだけ愛子と一緒に来校、参観する≪読売新聞3/10等≫朝の民放TVによると「10日4時間目は図画工作」、夕方のイブニングワイドで「国語は2時間目」だったとのこと。
2010年3月11日愛子不登校を特集する『週刊新潮』『週刊文春』3/18号がそれぞれ発売。

『週刊新潮』では愛子による同級生への胸倉掴みや、突き倒しや、幼稚園での挨拶皆無や、スネーク書き込み裏づけになるマフラー違反などなど、とにかくぶっちゃけた記事を掲載。
『週刊文春』は予想どおり友納尚子を始めとする、別クラス「乱暴」男子に責任を押し付ける論調記事掲載。特に友納記事には、愛子が医師に「学校に行くと食欲がなくて給食が食べられないから今日はお休みするの」と語ったとするなど、「友納どこでそれを目撃したんだよ!医師が守秘義務違反かよ!」と突っ込みたくなるような記述満載。
この日、両陛下に対して野村一成東宮大夫が9日事情説明したと宮内庁発表。天皇陛下は「いずれかが犠牲になる形で解決が図られることのないよう」とのお考えを示される。

2010年3月12日野村東宮大夫定例会見で、「愛子さまは通学への不安感を、依然としてお持ち」だとする考え発表。愛子が「乱暴」な行為を受けていたとした5日定例会見発表内容と、同日学習院の東園理事会見内容が食い違ったことについては「(愛子さまが)感じられたことに関して、学習院と私どもが十分認識を共有していない側面があったと思う。今はしっかり共有し、緊密な連携を取って対応を始めている」と述べたが、現在双方で共有している「認識」の内容・事実関係や対応策についての具体的な言及は避けた。また野村東宮大夫は、アフリカ訪問中の徳仁が帰国後、東宮夫妻が考えを発表するとの見通しを示唆する。

ケニア公式訪問中の徳仁は、同行記者団が天皇皇后両陛下も憂慮していることについて問い掛けたのに対し「それはまた…」とだけ話し、その場では質問に答えず。

2010年3月15日『週刊現代』3/27号が<雅子さまはモンスターマザーなのか]>記事掲載。

テレ朝ワイドスクランブルはこの日も愛子不登校を特集するが、その中で従来強硬な雅子擁護であったなかにし礼が「このやり方はファッショだ」と言い切る場面あり、見た人驚く。
この日、アフリカ訪問から徳仁帰国、雅子が東宮御所玄関前で出迎え、愛子は登場せず。この出迎え時雅子の満面ニッカニカ笑顔]が大変印象的であり、「ナルが帰ってきてこんなに嬉しそうな雅子を初めて見た」という感想が専ら。

2010年3月17日午後6時半頃、アフリカ訪問帰国挨拶で徳仁が単独皇居参内。

夜には学習院初等科が、次年度愛子クラス変えで、「乱暴男子」とは一緒にしない方針と報じられる。「雅子のワガママ要求が通ったってことか」と憤慨する奥様もいたものの、「乱暴男子」は最初から別クラスであるのだから、愛子不登校問題の解決にはなんら繋がらないよねとのクールな見方も。

2010年3月18日昼前、皇居御所に東宮一家参内。雅子は午前中皇居御所での進講を欠席し、愛子を連れて合流する形で訪問。両陛下と昼食会。当参内について、本来愛子抜きの予定だったが、愛子本人が「私も、私も」と自分からせがんだと後に伝えられる。昼食会の後に両陛下が愛子を連れ出しツクシ摘みをしたとも。

午後2時前に雅子と愛子は皇居を退出し≪NNN3/18≫、徳仁は「研究のため、引き続き、皇居内に残られた」とのこと≪FNN3/18≫、徳仁退出時間は不明。

2010年3月19日東宮大夫金曜定例会見にて、「愛子が学習院初等科をお休みしたことにつきまして」グダグダ日本語で始まる東宮夫妻コメント発表。しかし言わば公式会見とマスコミを利用して吊るし上げる形となった児童らへの配慮の言葉は皆無。

「勝手に世界中に向けて公式発表しマスコミを武器にした加害者の癖に、今度は被害者気取りするなんて、まんま人格障害の症状では」がスレ住民感想。そんな東宮夫妻配慮なしを記者たちからつっこまれた野村東宮大夫は「私の拝察する限り、両殿下はそう言われている児童たちのことを気にかけておられる」と空疎なフォロー。「気にかけてるならコメント内で分かるように表現するのが当然だろ」と奥様方ツッコミ。

2010年3月24日奥志賀スキー旅行に今年も東宮一家出発。雅子と愛子はよく似たミシュランマン雰囲気の淡色ダウンコートに黒パンツ姿

移動の新幹線内では、徳仁の姿はあっても雅愛の姿は見えず、席が別だとの複数目撃情報
いつもの長野駅東口大階段を下りるロケで、愛子は左手に傘、右手にバッグでお手振りなし。関係者へのご挨拶も相変わらずなしだったが、産経だけは「会釈をされた」と記事に書く。しかし階段上からワゴン車に乗り込むまでをノーカットで写した日テレにこにこアルバム]で見ても確認できず。「話しかけられて、ちょっとうなずくような場面がそれ??」と不明瞭状態。

2010年3月30日奥志賀スキー旅行から東宮一家帰京。24日と同様、長野駅にて新幹線で席が別という目撃情報あり。なお2009年に続きこの年も愛子スキー映像は世に公表されず。
2010年4月7日午後3時過ぎ、徳仁・雅子に付き添われ、愛子が制服姿で春休み中の学習院初等科に登校(TBSニュース動画キャプチャ連結画像])。

春休み中で他の児童がいない校舎内を教頭の案内でまわり、校庭の池を見たり校舎の中で学校側と話をするなど、約2時間にわたって初等科に滞在。愛子が3年生に進級するのを前に「通学をめぐる問題」について学校側と家族揃って話をした様子で、「皇太子ご夫妻は教師らに何度も頭を下げて学校を後にされました。」とのナレーション。しかし学校での映像は一切なし。

2010年4月9日学習院初等科始業式があったが、3年生になった愛子は式を欠席。その後のホームルーム「3学年の新しい生活に備えての授業の時間」には雅子とともに出席。

同日、悠仁殿下がお茶の水女子大学付属幼稚園(3年保育)入園式へ母紀子さまとご出席。

2010年4月10日午前中、東宮一家が愛子友人らと一緒に都内スケートリンクを貸し切りでお楽しみと報じられる。『女性自身』4月27日号では「千葉県」となっているが、『THEMIS』5月号では「都内」。「江戸川区スポーツランド」HPのリンク貸切記録では、4月10日午前中のリンク使用は非公開。
2010年4月18日第24回オール学習院の集いが開かれるも、愛子情報は全くなし。後日『週刊新潮』4/29号が高円宮家絢子女王のグラビアだけを掲載。さらに後日『サンデー毎日』5/9・16合併号が「オール学習院の集いに皇太子ご一家の姿はなかった」と記す。

同日には毎年恒例、陛下が稲・粟種蒔きをされたとニュースに。東宮一家と秋篠宮ご一家が皇居に向かうものの、窓を開けて雅子がニラニラお手振りするのが通例の東宮一家は、今回ワゴン車スモーク窓閉切りで移動。秋篠宮ご一家のワゴン車内における席位置にも注目されたい。]

2010年4月30日野村一成東宮大夫は定例会見で、愛子内親王の学習院初等科への通学状況を次のように説明;1日1時限しか出席できなかった新学期当初と比べ、最近は3時限程度出席できる日が増え、「がんばっておられる」と述べた。4月は風邪などで休んだ3日間(うち4月20、21日は風邪で欠席)を除くすべての日に登校、野村大夫はクラスの友だちや先生たちの配慮のおかげだとした。ただ、日によって波があり、雅子が引き続き登下校や授業などに付き添っているとのこと。

この30日当日、初等科では校外写生大会が行われたが、「長時間にわたるため」という理由により愛子は欠席。

2010年5月1日東宮一家が御料牧場静養。恒例の宇都宮駅前マスコミカメラ撮影現場に登場した愛子は、足元ふらふら・左手中指が突き出たおかしな手付き]、そして見送りの宇都宮駅長に対して「%a5%c1%a5%a3%a1%bc%a5%c3%a5%b9">チィーッス」状態のまともとはいえない“会釈”姿を披露する。あまりのひどさに、これまで「駅構内%b5%d9%b7%c6%bb%fe%b4%d6">休憩時間での愛子投薬仮説」に対して眉唾と思っていたというスレ住民奥様方からも、「これは%b8%fe%c0%ba%bf%c0%cc%f4">薬物を投与されているのでは」という声が上がることに。

参考Youtube:NHKニュースより <20100501宇都宮駅頭> http://www.youtube.com/watch?v=bBXzHdgRn3g

2010年5月12-17日「国際バラとガーデニングショー」が開催されたが、恒例の美智子さま・雅子出展の薔薇は無し。鑑賞にでかけた奥様が案内所で尋ねたところ、「今年は天候不良でバラの生育が悪く、残念ながらご出展いただけませんでした」とのこと≪Part1817-192・223≫

→【バラバラ

2010年5月15日東宮一家がまたも江戸川区スポーツランドでスケートお楽しみ「この日は、愛子さまのお友達家族10組くらいとご一緒でした」≪女性セブン6/3号≫13時まで健康ルーム(ジム)含め全館貸切予定がHP記録にあり。
2010年5月17日「17日は国賓のカンボジア国王の歓迎行事が皇居であったが、雅子さまは欠席し、愛子さまに付き添った」≪毎日新聞5/29]≫と、久々に派手な同日シリーズ
2010年5月19-20日秩父の長瀞にて行われた学習院初等科3年生一泊二日校外学習に愛子欠席≪女性自身6/1号にて保護者同行は基本不可と記載、MSN産経皇室ウィークリー5/22]≫

しかし後日『テーミス』2010年7月号が、「5/19~20の埼玉県・長瀞でのお泊り校外授業に、雅子と愛子は車で現地合流、川遊びなどして、宿泊せずに帰宅という“完全な特別扱い”。学習院初等科関係者は『正直そこまでするのか』と驚き」といった記事を書く。要するに楽しそうなお遊び部分だけ押しかけて、愛子の問題が露呈する可能性が高いお泊り部分は回避するという非常識ぶりが垣間見える形に。

2010年5月30日両陛下・徳仁・秋篠宮ご一家(お子さま3人勢揃い)が迎賓館赤坂離宮視察ニュースが報じられる。しかし雅子と愛子はマスコミカメラ撮影後に合流したためニュース映像画像に姿映らず≪FNN・NHK5/30等≫ 当初、雅子と愛子の迎賓館視察出席予定はなく、ドタ出だったとのこと≪週刊文春6/10号≫

視察後、秋篠宮邸で昼食会≪毎日新聞5/30、週刊文春6/10号≫が開かれるが、邸宅規模も職員数も充実している東宮御所が利用されなかった理由は不明である。

2010年6月3日『週刊新潮』2010年6月10日号<学習院コンフィデンシャル!日常になった「雅子さま一人父母参観」! イジメっ子対策で「給食に%b8%fe%c0%ba%bf%c0%cc%f4">向精神薬を混ぜては」と提案した「東宮」>発売。スレ住民奥様方の誰一人想像だにしなかった内容に、改めて雅子を始めとする東宮の異常ぶりを再確認。

当記事については、早速東宮職が宮内庁HPに抗議文を掲載]するなどの対応を見せているが、新潮側は「記事の内容には自信を持っているので、特に対応はいたしません」]とのこと。

2010年6月7日夕刻、東宮一家が上野国立博物館「大哺乳類展」を月曜休館日見学≪フジテレビとくダネ!6/9≫、池田礼子一家が同行≪女性セブン6/24号≫
2010年6月9日東宮夫妻結婚記念日であるが、記念夕食会は催されず。9日から11日に変更されたと『サンデー毎日』6/20号が記すが、結局11日も夕食会はなし。『女性自身』6/29号がドタキャンになったと記事にする。
2010年6月17-21日スウェーデンビクトリア王太子結婚式(19日)のため徳仁海外訪問≪雅子欠席と5/21閣議決定≫

結婚式に際して、独りぼっち徳仁はベルギーのアストリッド王女ご夫妻にまとわりついたり、ヨルダンのアリー・ビン・アル=フセイン王子とリム妃にくっついていたり、甚だしくはオランダ・ベアトリクス女王を尻目にカメラでパチパチ撮影したりという見苦しさ全開状態。結婚式の様子はYoutubeでも紹介]され、この徳仁の振る舞いについて「This time, the shrimp apparently cuts in the middle of another royal couple! lol.」とコメントがついたことにより、「徳仁=小エビ]」なる見方が定着することに。
→【マコオタ画像集(雅子関係)11

2010年6月19日学習院初等科全校授業参観があったのだが、散々同伴登校している雅子が欠席≪女性セブン7/8号≫するという訳分からんぶり。
2010年6月29日秋篠宮両殿下ご成婚20年周年記念となる日であったが夕食会は開かれず。後日、「食事会は東宮夫妻に遠慮して取りやめ」と『女性セブン』2010年8月19・26日合併号が記事にする。
2010年7月14-15日徳仁が第46回献血運動推進全国大会のため島根県訪問、雅子欠席。14日には松江市立母衣小学校ビオトープ見学をするが、当日はあいにくの強い雨。そんな中でも見学は強行され、%ca%dd%b4%c9%b8%cb14#content_9">小学生たちが合羽姿で雨の中池に入ってまでして小動物採取のパフォーマンスをさせられたとのmixi書き込み始業式後]突然の「ひとりで帰る」に学習院大パニック一部始終>
『女性セブン』8/12号<愛子さま(8)なぜ?警備も主管も振り切って炎天下に走って帰宅の胸の内>
『週刊文春』8/5号<愛子さま「おひとり下校」事件-雅子妃と東宮職が蒼ざめた>友納尚子記事
『サンデー毎日』8/15号<皇太子・雅子さまと学習院「和解」の中身 愛子さま遅れを取り戻す夏休み>
『週刊朝日』8/13号<愛子さま「おひとり下校事件」なぜ悪い>
『週刊女性』8/17・24合併号<愛子様須崎ご静養マル秘プラン>
『女性自身』8/17・24合併号<雅子さま“希望の光”を甦らせた愛子さまと「終業式の約束」>

2010年7月25日徳仁愛子+学友数名が日生劇場での「国際ファミリーフェスティヴァル2010こどものためのおもしろ狂言」午後の部お楽しみ。雅子はこの度も同行なし≪Part1872-580ツイッター・627・633・638・645目撃奥様書き込み、女性自身8/17・24合併号≫
2010年8月1日この日ツイッター≪Part1875-339・431・608等≫で、徳仁愛子父娘の日生劇場目撃情報が流れる。後日『女性自身』9/21号にて徳愛が国際ファミリーフェスティヴァル2010ミュージカル人形劇「おしゃべりなたまごやき」鑑賞と記事に書かれる。雅子はまたも同行せず。

http://www.bkyuyugekitai.com/ekken%20inntarview.html]
脚本家・佃典彦氏インタビュー(質問も自作)より:
Q. 佃さん、皇太子殿下と愛子さまに謁見されたそうですね。
A. はい。8月1日、非常に暑い日でした。私が脚本を書いたミュージカル人形劇「ぼくは王さまシリーズ おしゃべりなたまごやき」にご来場下さいましてね。SPが三十人ほど、ヤクザの集団かと思っちゃいました。(笑)
・・中略・・
Q. 愛子さまの印象はどんな感じでしたか?
A. 少し他の御学友に比べて引っ込み思案なところも見受けられましたが、途中からライオンの真似をされるなどして楽しそうでしたね。(挨拶もできず、感想一つ言えない愛子の様子が分かるくだりである)
皇太子殿下もその時ばかりは一人の父親という感じでしたねぇ。色々とご苦労もあると思いますが・・・まぁ、それ以上のコメントは勘弁して下さい。

2010年8月2-3日静岡県朝霧高原にて開催の日本ジャンボリー大会開会式に徳仁出席、雅子はいつも通り欠席。徳仁のゆるゆるネッカチーフ]に「東宮職は主人にまともな格好をさせることもできないのか」と嘆く声しきり。

またジャンボリー後に静岡県立がんセンターを視察することになったものの、視察先にまともにスケジュールが知らされないという体たらくが関係者ブログ(魚拓])で吐露されたり、現地では救急車が足止めされたなんてmixi書き込み(Part1876-525)も。

2010年8月4日東宮御所でのご会釈(勤労奉仕団)・ご接見(第49次本土派遣沖縄豆記者)・ご会釈(人事異動者)は徳仁のみ出席で、雅子は全て欠席。

夕方、東宮一家が須崎御用邸静養へ出発。伊豆急下田駅に到着し、出迎えた川勝平太知事が愛子に「お友達のお魚が待っていますよ」と声をかけると、雅子は「今回は愛子が泳ぐことにしています」とビミョーな日本語で話したとのこと≪ttp://www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010080400847 時事通信]]、朝日新聞]、毎日新聞]等々≫
FNNニュース]では「ご家族は、そろって笑顔で応えられていた」と報じたのだが、実際には徳仁雅子はギラギラ笑顔だったが、愛子は一貫して全くの無表情]。右頬にはかなり長く目立つ傷跡のようなもの]も。
歩いて移動している際に、愛子が左手を背中に回して長いお下げ髪の先を弄っている仕草を見せ、雅子は後ろからそんな愛子の背中をしきりと指先で押して歩かせるような光景が強い印象を残す。
→【マコオタ画像集(雅子関係)11】、日テレにこにこアルバム]

2010年8月7日愛子友人家族を須崎御用邸に招き、昼にはプライベートビーチ三井浜で海水浴≪女性自身8/31号]≫
2010年8月6日広島に原爆が投下され、天皇皇后両陛下にとって「お慎みの日」であるこの日、「皇太子、雅子様、愛子様に泊まってるホテルで会いました。初めてお目にかかりましたわ~≪Part1878-258ツイッター≫なる目撃情報。

後日、『女性自身』8/31号]や『サンデー毎日』9/5号により、東宮一家&愛子友人家族たちが須崎御用邸近くのホテルで極秘ディナーお楽しみだったと記事になり、目撃情報が裏付けられる。なお同6日には愛子友達らと石廊崎クルージング計画があったが、そちらはドタキャンになったとのこと≪女性自身8/31号]、週刊女性8/31号]≫
しかし雅子擁護色が濃厚である自身が<雅子さま母心が生んだ!! 自失の暴走…祈りの日に禁断の“親子極秘外出”>といったナルマサに対する非難めいた記事を掲載したことは、驚きをもってスレ住民に受け止められる。記事文面からは、東宮侍従から取材して得た情報をガセにされた自身側の苛立ちが伝わってくるようである。

『女性自身』8/31号]、p.41より引用
 前日の8月5日、ご一家のご静養を取材していた本誌のもとに、ベテランの東宮侍従たちが現れた。
 海水浴やお出かけなど、ご一家の予定について聞いた本誌記者に対して東宮侍従は次のように明言したのだ。
「明日は(6日)“お慎みの日”ですから、私の目の黒いうちは(皇太子ご一家のお出かけは)ありませんよ」
 東宮侍従はさらに、本誌記者に取材を切り上げて、東京に引き揚げるように要請したのだ。

2010年8月8日東宮一家が須崎から帰京。雅子は長髪を一つに括り、袖口折り返した白ジャケット姿。愛子はこの度も無表情]。
2010年8月9日夜に複数ツイッター・ブログで雅子&愛子目撃情報が流れる≪Part1789-475・477ツイッター、585mixi≫どうやら懇意にしている赤坂の動物病院に出かけた模様。
2010年8月10日雑誌に書かれてた軽井沢静養予定だが、新幹線グリーン席×=満席が△になるなど「出発ずらした?」の推測がされる。夕方には、両陛下主催の「香淳皇后をおしのびする会」が皇居・桃華楽堂にて開かれたとのニュースが流れる。地味に抑えた灰色お召し物の皇后陛下とは真逆、ピカピカ白衣装姿の雅子]は演奏会には出席したが、その後の懇談茶会は欠席≪共同通信8/10]≫
2010年8月12日東宮御所にて人事異動者ご会釈公務があったが、徳仁のみ出席で雅子欠席。

また、徳仁が学習院史料館に出向き、学内コンビニでそばを選んでたといった複数目撃情報≪Part1880-677・732ツイッター≫
そしてこの日、外部業者を入れて夜22時まで東宮御所で夏祭りが開かれたと、業務関係者mixi日記で明らかにされる≪Part1880-865「東宮御所 夏祭り」でmixi日記検索≫ ≫ 週刊文春8/12・19号にて屋台が出るようだと予告記事があったが、子供たちのお楽しみを謳いつつ夜22時まで開催という非常識さもさることながら、縁日もどきの屋台設置=要するにテキ屋利用、もんじゃ焼きを皿盛り、暗闇でスイカ割り、撤収スタッフの近くにいた雅子が手伝いはおろか声かけすらしない有様、夜遅くまで業務をしていた関係者上司が東宮御所に宅配%a5%d4%a5%b6">ピザを注文して遅い夕食=東宮サイドからの関係スタッフへの配慮皆無…といったgdgdぶりにスレ住民驚かされる。
後日、MSN産経皇室ウィークリー8/14]、とくダネ!8/16、週刊女性8/31号、女性セブン9/2号、サンデー毎日9/5号といった後追い報道記事が続々登場。週刊文春9/2号にて、宮内庁側が業者mixiについて細かな相違点はあるもののほぼ事実と認める。

2010年8月14日東宮一家が両陛下との昼食会で皇居に出向く。移動ワゴン車で徳仁は相変わらずの(奥)、雅子はニラニラ左手お手振り、愛子は無表情の無反応と、相変わらずの様子。

当夜、東宮一家が雅子妹池田礼子マンションを訪問し、第23回東京湾大華火祭をお楽しみ≪とくダネ!8/16、週刊文春8/26号、週刊女性8/31号]、女性セブン9/2号≫

2010年8月16日東宮一家が今度は那須御用邸静養に出発。恒例の那須塩原駅前マスコミ撮影では、ニラニラニラニラお手振りする父母・徳仁雅子と真逆に、愛子は非常に不機嫌らしい仏頂面横目表情でシャネル足ポーズ。ついにはお手振り両親にはお構いなしで、一人勝手にワゴン車へ向かって歩きだす始末。ワゴン車に乗り込んだ後も、車窓からニラニラ左手お手振りする母雅子とは反対の窓を向いて、撮影カメラではワゴン車内の愛子後頭部が写されることに。愛子のノー挨拶無作法振りは様々な雑誌媒体でも報じられることになるが、AERA9/6号が最も辛辣か。

→【マコオタ画像集(雅子関係)11
夕方、ブリンクカフェで雅子が目撃される≪Part1884-47ツイッター≫

2010年8月18-19日18日15時に東宮一家が那須ステンドグラス美術館訪問予定だったが、直前14時にドタキャン連絡≪女性セブン9/9号≫ 徳仁&愛子&愛子友達らが閉館後の那須テディベアミュージアムへ≪Part1884-281ツイッター、Part1884-478・549ブログ、女性セブン9/9号≫ 愛子友達に付き添う母親達を徳仁一人で相手し、またこの日去年登山したのと同じ山を下見予定が前日中止連絡by登山ガイド氏≪女性自身9/7号≫ テディベアミュージアムでは、大きなネコバスぬいぐるみに友達と入った愛子を徳仁が記念撮影≪週刊女性9/7号≫

翌19日東宮一家が那須ステンドグラス美術館(セント・ガブリエル礼拝堂)訪問、桂由美同席≪Part1885-129、Part1886-13・225ブログ≫となるが、ドタキャンした翌日に出かける直前になって今から行く=ドタ出連絡が入り、ステンドグラス美術館側は再度混乱≪女性セブン9/9号≫ 14時からのパイプオルガン生演奏を貸切お楽しみ、夜は御用邸附属邸に友人3家族を呼びディナー≪女性自身9/7号≫

2010年8月20日東宮一家と愛子友達3家族がりんどう湖ファミリー牧場船着場で20時頃までりんどう湖花火大会見物≪Part1886-921ツイッター、Part1886-969ブログ、週刊女性9/7号、女性自身9/7号≫

夜、ホテルに一家出現≪Part1885-483画像付ツイッター≫、一家は愛子友達宿泊ホテルに移動し退出したのは23時半頃≪女性自身9/7号≫りんどう湖ロイヤルホテルのスカイレストランでディナー≪週刊女性9/7号≫

2010年8月24日東宮一家、那須岳山頂貸切状態登山≪Part1887-343・479ツイッター≫

この登山には愛子お気にいり「のび太似」A君とその家族も一緒、登山帰りにはのび太君が東宮家ワゴン車に同乗≪女性自身9/14号≫するという余りに異様な扱いが報じられる。

2010年8月26日那須どうぶつ王国に皇太子ご一家が!!目の前にいるよ!! ≪Part1888-662ツイッター≫ 入場してみたらあちこちに「本日は皇太子ご一家がご訪問のため、乗り物などに制限があります」という張り紙が。≪Part1889-479gooブログ≫

どうぶつ王国お楽しみには、池田礼子一家・渋谷節子・節子知人+「のび太」A君らが合流、イタリアンレストラン「ベラビスタ」で礼子節子らと食事≪女性自身9/14号≫
節子知人が東宮一家に紹介された際、愛子はのび太君に抱きついたと『女性自身』9/14号が記事にする。駅前一般大衆前ではご挨拶皆無で不機嫌仏頂面の愛子が、お気に入り男子に非常に強い執着を見せているという内容に、「幼稚園年少年中なら異性の子供への抱きつきもわかるけど、小学校3年にもなって有り得ない」「理性が育たず性的発達ばかり進み、前々から危惧したようになっているのでは」「欲望が抑えられないなんて気持ち悪い」という感想を漏らす奥様が大半。

2010年9月1日東宮一家が那須御用邸静養から帰京。出発前時点から『週刊文春』8/26号が記事に書いていた「9月1日まで滞在」の通りに。

この帰京における愛子の無作法ぶりは相当なものだったようで、那須塩原駅前で車の陰にまで隠れるgdgdぶりが後日『女性自身』9/21号により辛辣な記事にされることに。従来のマンセーぶりがまるで嘘のようである。

http://jisin.jp/news/2460/1868/]
女性自身ホーム 芸能ニュース 2460号
雅子さま 新学期へ募る不安…「母娘の異変」に皇太子さま”公務休止”3週間の窮苦!
2010年09月07日 00:00
9月1日、那須でのご静養を終え、帰京された皇太子ご一家。だが、那須塩原駅に到着された際、お見送りの人々にお手振りをされたのは、ご夫妻だけ。そこに愛子さまの姿はなかった――。雅子さまが言い聞かせても人前にでることを断固拒否されたという愛子さま。母娘の間に生じ始めた距離をうめようと、皇太子様は約3週間、ご公務を休止されたのだが……。
学習院初等科の新学期を目前に迫った、”母娘の異変”と皇太子様の窮苦を総力取材!
→より詳しいものは【チィーッス】参照。

したらば掲示板:皇室御一行様避難所Part5]-659より (書き込み全文は【保管庫06】参照のこと)
一日、那須から帰京の三人組に東京駅改札で出くわした。
ナル、アイ、マサの順で三人バラバラと離れて登場。
愛子さんは出迎え、足止めの国民をシレーっと眺め見た後
クルッと頭を反転させ、顔なんて見せてやんないよとばかりに歩き出した。
片手を背中辺りに曲げ、もう片方の手はブラブラさせ、肩をゆすりながら
身体の協調性が取れてない安定感のない歩き方だった。
→当日の現場光景は「区内町の回覧板>2010.09.01]」さんで、愛子の幽霊状態左手首、ものすごいシャネル足などが確認できます。

2010年9月4日この日、半蔵門にてワゴン車で移動する雅子愛子](徳仁は未確認)の姿が一般人に撮影される。後、6日皇后陛下の咳・高血圧症状を報じるニュースにて、昼食会のため東宮一家が皇居に訪れたと判明≪日経新聞9/6]≫

皇后陛下は体調不良のため東宮一家との昼食会、また前日3日秋篠宮ご一家との昼食会を控えられたとのこと。

2010年9月6日秋篠宮家悠仁親王殿下4歳お誕生日。可愛らしい%b8%e6%c3%cf%c0%d6">黒紅縫のお着物姿をこの年も披露し、また那須静養で虫取りをしたり元気に走り回ったりする光景も紹介される。→【マコオタ画像集(雅子関係)11

なお恒例の両陛下へのお誕生日ご挨拶参内であるが、今回は皇后陛下が体調不良(8日続報で咳喘息と発表)ということで、天皇陛下のみにご挨拶。

同日は学習院初等科2学期始業式。当日朝愛子は「御所でぐずられたようで」≪週刊文春9/18号≫、正規の登校時間に30分以上遅刻し≪女性セブン9/23号、週刊文春9/18号≫、午前9時頃雅子は愛子登校に同伴し、1学期始業式・終業式に引き続き「15分程度で終了byサンデー毎日9/26号」の2学期始業式も欠席、ホームルームのみ出席で雅子はこれまた1学期同様教室で参観、午前10時半頃帰宅。防災訓練(保護者がIDカード提示で我が子を引き取る訓練)があったが雅子愛子参加せず≪女性セブン7/23号≫、訓練のため送迎車を学校玄関前に横付けできず、向かいの迎賓館前に停めた車に乗り込み徒歩10分の道のりを車で帰ったとのこと≪週刊新潮9/18号≫
しかしこの雅子同行&始業式欠席は大方のスレ住民奥様方が予想していたことであり、「この8月の長期静養が全然問題解決に役立ってませんけど?w 静養先にまで呼んだお友達との交流が効果なかったみたいですねpgr 愛子不登校問題解消に役立つと女性誌で“識者”が主張してたのはいったい何だったの?ww」てな感想がもっぱら。
雅子愛子学習院登校ニュースは、悠仁親王殿下お誕生日ニュースと抱き合わせにされる形でも報じられるが(ex:FNN9/6])、8歳8ヶ月愛子と4歳悠仁殿下との差がますます明確になってきたとの見方が多く、本スレよりも寧ろニュース速報+板などでの反応が顕著であった。
ニュー速+板:【皇室】悠仁さま4歳、三輪車「卒業」し自転車に](【補助輪付き自転車】も参照されたい)
ニュー速+板:【皇室】 愛子さま、雅子さまとご登校…新学期、始業式は欠席★2]

小和田恒・優美子が訪問、帰宅した雅子愛子と昼食、愛子は野球がお好きという話をしていたとか。≪週刊文春9/23号≫

2010年9月7-8日雅子付き添いで、愛子3・4時間目のみ授業出席し早退≪女性セブン9/23号、スポニチ9/10]、MSN産経皇室ウィークリー9/11]等≫
2010年9月9-10日8日午後に38度台後半の熱を出し、侍医から「夏風邪」と診断されたということで、9・10日愛子学校欠席。発熱以外の症状はなく、10日夕方には熱も下がったと報じられる。≪スポニチ9/10]等≫
2010年9月13-14日土日をはさんだ週明け、先週金曜10日には熱も36度台に下がったとの触れ込みだったが、愛子は学校欠席、理由は不明。≪毎日新聞9/15]、週刊文春9/23号≫

「子供が遠足で新宿御苑に行ったら、学習院の3年生が写生会で来ていたそうだ。(中略)愛子さまはお休みしてたらしい。」≪Part1899-856奥様のお子様証言書き込み≫

14日には、水関係公務で来日していたオランダのウィレム・アレキサンダー王太子と徳仁が、千葉県流山市運河水辺公園訪問、利根運河視察、茨城県つくば市宇宙航空研究開発機構「筑波宇宙センター」にも立ち寄る。オークラフロンティアホテルつくばでの昼食は、当初また雅子が%b2%a1%a4%b7%a4%ab%a4%b1">押しかけするのでは?とも囁かれていたが、それらしい動きは確認されず。

14日発売の『サンデー毎日』9/26号と『女性自身&週刊女性』9/28・10/5合併号が一斉に、愛子運動会参加が危ういという内容記事掲載。

2010年9月15日土日を除いた5日ぶりに愛子学校出席、雅子が付き添い登校≪毎日新聞9/15等]≫
2010年9月16日また愛子が欠席。「せき・鼻水の症状」で13・14日と合わせてこの週3日欠席したことに。≪朝日新聞9/17]等≫

この日、『女性セブン』10/7号<皇太子妃雅子さま・皇太子さまも動かれた主治医と決定的亀裂>が発売。2009年12月雅子誕生日病状見解文書を巡って、雅子と大野裕医師の仲に亀裂が入り、それを東宮職員から聞かされた徳仁が仲裁したものの、最近では順調にカウンセリングが行われていないとする内容。

2010年9月17日愛子は一部の授業に出席、雅子付添い。当日は運動会リレー選考会が予定されていたとのことだが、そちらへの出席状況は不明。この日金曜は恒例東宮大夫定例会見だが、愛子出欠席状況に加えて、「登下校時の週刊誌の隠し撮りに対し、日本雑誌協会に『愛子さまに静かな環境を』などと文書で要望した」とも発表。不登校と自分から騒ぎ立てておいて今更?との感想続出。ちなみに「登下校時の週刊誌の隠し撮り」とは、週刊新潮9/16号“大名行列”グラビア]。

また野村は「宮様(=愛子)は運動会は楽しみにしていらっしゃいます」「(愛子が参加するかどうかは)先の話なので…」とも。

2010年9月22日『週刊文春』9/30号<雅子さまと愛子さま「母子セラピー計画」>が木曜祝日のため繰上げ発売。内容はというと、2009年学習院初等科校医に就任していた聖路加病院副院長・細谷亮太医師が「愛子さまは発達障害などではない」と語ったとする伝聞表現や、不登校問題に実績のある小児専門医を宮内庁側が選定し雅子主治医大野裕と連携、母子一体でケアする計画があるとのこと。3/5不登校会見発表する直前に、会見すべきかどうか徳仁が%b7%c8%c2%d3%c5%c5%cf%c3">携帯電話で細谷医師に相談しようとしたがつながらなかったなんて記述もあり。

いきなり名前を出されてしまった細谷医師に対し、スレ住民奥様方からは「小児癌が専門なのにどうして発達障害かだなんて診断できるのか」「そもそも校医は東宮家の個別相談を受ける立場ではない、%c5%ec%b5%dc%bf%a6%b0%e5%bb%d5%c3%c4#content_1">東宮家お抱え小児科侍医がいるのに」「愛子の自閉症・発達障害否定材料として細谷医師が利用されたのでは」「多忙な身なのに、会見直前に携帯かけて相談しようだなんて、非常識にも程がある」「%cb%a1%c2%a7">法則]

2011年1月1日新年ご一家映像発表(前月14日撮影)、注目されていた愛子の位置取りだが、両陛下の後ろに眞子・佳子両内親王殿下と一緒に立ち]、それなりに言葉を交わしているらしい様子が確認される。しかし9歳女児にしては年下の「%a4%a4%a4%c8%a4%b3">いとこ」悠仁殿下の世話をしたがる素振りも興味を持ってる様子も見せず、持ち込んだ小道具である貝殻標本に一人没頭するなど、天皇陛下が前月23日誕生日発表会見で「残念ですが,交流としてお話しできるようなことはまだありません」と言及される]のも無理からぬ風体。

当日雅子はティアラ姿で参内]したものの、両陛下への挨拶のみ出席で、お約束通り祝賀の儀等には欠席]。

2011年1月2日新年一般参賀全5回に雅子出席。隣の徳仁とお喋りしたりは相変わらずだが、今回新調した首元ドレープ入り寸胴水色ドレス]に、画像映像を見た奥様方「雅子身体のくびれがなさすぎ腹出過ぎ胸なさすぎ太すぎ」「首元ドレープがまるでよだれかけみたい」「あの生地はドレープを作るのに適していないのでは?無理な注文をされたデザイナーが気の毒」といった声が多数。

参考Youtube:2011 01 02 http://www.youtube.com/watch?v=anwFkNTLgxM


なお全5回の一般参賀のうち午後の2回については「病気療養中の皇太子妃雅子さまは、午後の2回分の出席は未定としていたが、結局、体調を勘案してすべての回でベランダに立たれた」という、要するにドタ出。≪MSN産経1/2]≫ 夜には皇居御所でご一家夕食会、東宮一家と秋篠宮ご一家が車で参内するが、愛子はこの年も御地赤(?)の上に謎の白ケープ着用姿。

2011年1月4日新国立劇場にて大野和士指揮オペラ「トリスタンとイゾルデ」鑑賞に徳仁登場とツイッター情報が飛び交う。程なく鑑賞公務がWebニュースで報じられ、徳仁着席位置が当日画像]から1階席では?という推察あり。皇族の正式鑑賞公務で用いる2階正面最前列席が使えなかったドタ出疑惑。「この日の公演には、皇太子殿下も臨席されていました。(1F席後方に着座)」≪Part1983-475mixi書き込み≫ 「今新国サイトで見てきたら、会員先行発売は2010年7月10日だった。少なくともその時点では招待計画はなかったってことですかね。」≪Part1983-488≫

なお、かつて釣書きにて「クラシック音楽が好き」な設定だったはずの雅子は欠席。

2011年1月7日二年前(2009年)の昭和天皇二十年式年祭には出席して注目を集めた雅子だったが、前年(2010年)に引き続きこの年も皇霊殿の儀・御神楽の儀を欠席。
2011年1月11日学習院初等科三学期始業式のこの日、スレ住民奥様方の予想通り、雅子同伴車登校で愛子は式欠席、ホームルームのみ出席で徒歩帰宅≪共同通信1/11]≫

野村一成東宮大夫によると、「愛子さまは冬休み中は元気に過ごした」とのこと≪毎日新聞1/11]≫

2011年1月14日歌会始の儀にこの年も雅子欠席。発表歌はというと:

徳仁 紅葉する 深山にいりて たたずめば 木々の葉ゆらす 風の音(と)聞こゆ
雅子 吹く風に 舞ういちやうの葉 秋の日を 表に裏に 浴びてかがやく
徳仁は、紅葉の季節に登山した折の情景を、雅子は、不登校から付添い登下校続行中の愛子が通う学習院初等科校庭でイチョウの葉が散る光景を詠んでいるとのこと。
同日、雅子は愛子に付添い学習院初等科に登校するのだが、「いつもの10時半ごろより大幅に遅い12時20分ごろ」車が到着、そして愛子が車内から約15分間出てこないという篭城事件発生≪週刊女性2/1号 新学期早々ハプニング!愛子さま学校前で「15分間籠城」一部始終]≫ つまり一般児童の登校時間から遅刻しているだけでなく、更に2時間近く東宮御所でぐずり、更に更に車が学校に到着してもなお15分間篭城しぐずったという愛子のgdgd光景が繰り広げられたという内容である。【同日シリーズ
愛子車内篭城事件について『週刊女性』同号は、前年12月末の小山久子養育専門女官退任を取り上げ、「身近に甘えられる人や世話を焼いてくれるひとがいなくなったことに気付かれリズムを崩したのではby教育評論家・尾木直樹氏」と理由付けをしているが、「愛子にとって母親雅子は“身近に甘えられる人・世話を焼いてくれるひと”ではないのか」とますますスレ住民奥様方呆れ返ることに。

2011年1月15日江戸川区スポーツランド・スケートリンク10:00-13:00]全館予約した上で、愛子が徳仁に連れられスケートお楽しみとのこと。前日歌会始を欠席し、付添い登校した愛子が車内篭城事件まで起こした雅子は、スケートには同行せず。愛子をリンクに送った徳仁は山岳会イベントに出席。≪Part1968-25予約情報、Part1986-749「江戸川区民スネーク 警官が集まりだしてます。警察車両が停まってます。どうぞ。」、週刊女性2/1号]、女性セブン2/3号]≫
2011年1月17日雅子入内時に東宮女官となり、後に東宮女官長となった木幡清子氏がこの日付で退任。2010年12月末の愛子養育専門女官を務めた元学習院幼稚園園長・小山久子氏年度中途退任から間もない、これまた中途半端な退職時期である。このポストについては当面後任を立てず、岡山いち東宮女官が東宮女官長事務代行を務める形に。

そして小山氏が抜けた東宮女官の人員補充として、東大卒で一時期ベストセラーとなった『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の翻訳者の一人である木本彰子氏が決まったと『女性自身』2/1号]が伝える。この木本氏、創価学会と関わりの深い広中和歌子氏(数学者・広中平祐氏夫人)の実弟が亡夫だとも言われ、また『ジャパン・アズ・ナンバーワン』著者エズラ・ヴォーゲル]氏と日本ハンディキャップ論小和田恒との交友関係など、非常にきな臭いつながりを窺わせる人事である。
参考:【ハクションさん】の項に東宮女官一覧表あり。

2011年1月18日雅子が愛子に付添い登校し授業終了後父母会出席。愛子は前年7月23日以来初めて一人で下校したとニュースになる。≪毎日新聞1/19]、朝日新聞1/19]≫
2011年1月20日小山久子養育専門女官・木幡東宮女官長の相次ぐ退任について『週刊文春』1/27号]・『週刊新潮』1/27号]・『女性セブン』2/3号が東宮職員の退任が続いているという内容の記事掲載。その中で『週刊新潮』1/27号]が、

・東宮職で2004年から「事務主管補佐」に就いていた50代のベテラン職員がおり、2010年4月補佐の中でも上席である「総括職」という地位に昇格したが、彼は僅か3ヶ月で任を解かれ、7月初めには東宮から宮内庁本庁へと異動になった。
・東宮内の予算を取り扱う要職に就いたばかりの職員にとって、きわめてイレギュラーな異動。さらに異動先は本庁主計課の課長補佐。8月末の概算要求の提出期限を控えて大忙しのセクションで、この時期に人を入れ替えるなど通常では考えられない。東宮で何かあったのでは、ともっぱら職員の間で囁かれていた。(東宮関係者)
・ちょうどこの時期、皇太子一家は須崎の御用邸を静養で訪れていた。それにさきがけて、雅子さま周辺から滞在中に生じる経費についての要望があり、この補佐が首を縦に振らなかったのでは、という生々しい話も。彼は昭和天皇の時代から東宮職に籍を置き、皇太子殿下との付き合いも長く、殿下からの信頼も厚い。そのことから、雅子さま周辺との間に「何か」があったとの推測が飛び交った。(同関係者)
……なる内容掲載。静養滞在中の費用に注文つける「雅子さま周辺」といったら、小和田夫妻・池田礼子渋谷節子以外考えられないだろ!!と大きく注目されることに。

2011年1月24日徳仁がブルガリアのボリソフ首相と東宮御所にて接見、雅子は欠席。この接見の場でボリソフ首相がブルガリアへの招待をし(プロトコル的にこれは普通)、徳仁がそれに「2011年末~2012年初頭あたりに行く」と回答しちゃったと海外メディアで報じられる。あまりに軽率すぎる振る舞いにスレ住民orz

Japan's Crown Prince Naruhito to Visit Bulgaria(standartnews.com)]
The talks between PM Borissov and Japan's Crown Prince Naruhito continued twice than the previously planned time and passed in pleasant atmosphere as the rules of traditional protocol were quite flexible.
ボリソフ首相と徳仁皇太子との会見は当初予定されていた時間の2倍に及んだとも書かれており、いい加減なゆるゆる対応ぶりがうかがわれる内容である。
Japan's Crown Prince Naruhito to arrive on visit to Bulgaria by end-2011 or in 2012(focus-fen.net)]

2011年1月27日雅子が行きたがっていると評判の英国ウィリアム王子&ケイト・ミドルトン嬢の結婚式について、この日エリザベス女王名義で英王室儀典担当局長から宮内庁式部官長に対してファクスで天皇皇后両陛下をご招待の連絡がなされる(報道は28日)。外務省ルートを通していないこと、何かにつけ雅子が愛用しているFAXが使われたことなどが注目される。
2011年1月31日英国王室ウィリアム王子結婚式について、この日の宮内庁定例会見にて風岡典之次長が東宮夫妻出席の方向で調整を始めたと発表。極簡単な自分ち(=東宮御所)での勤労奉仕団ご会釈公務すら欠席の雅子に英国王室結婚式なんぞ行かせるのがおかしすぎる、まだ決定でもない調整段階で態々次長発表に踏み切るとはこれいかにと、久々にスレが物凄い進行を見せたり、宮内庁電凸する奥様続出、ついにはちらしまで登場といった事態に。→【%a4%a6%a4%c3%a4%ab%a4%ea">うっかり

小和田雅子・徳仁結婚前から、2001年12月敬宮愛子ちゃん誕生まで[]

『週刊女性』1981年9月15日号に浩宮妃候補として以下7名の女性名が出る:瀬川祥子さん 大橋真紀子さん、三井和子さん、山崎妙子さん、徳川慶子さん、伏見朗子さん、古河美佐子さん

p.28より引用
 あれは三年前のことだ。美智子妃殿下が四十四歳の誕生日をお迎えになる直前の記者会見を控え、これは浩宮さまのお妃問題のことを聞かれるだろうと思い、事前に浩宮さまと相談されたそうだ。
「どうお答えしようかしら」
 すると浩宮さまがこんなふうにいわれたそうだ。
「当方、若干十八歳、学生の身分ですのでとお答えすればいいでしょう」
 その浩宮さまももう二十一歳。三年前には美智子さまも、
「(浩宮さまの縁談は)遠い先の楽しいこととして、ふっと話題になることがございますけれど……」
 と答えておられたのが、今年の八月七日の皇太子ご夫妻の記者会見では、ぐっと現実味のあるお言葉に変わった。
「そのこと(浩宮のお妃選び)は、進展していても進展しているとはいえず、結果としてはウソをつくことになるのでお答えできません」

FOCUS』昭和57年(1982年)1月15日号 浩宮妃「候補リスト」総覧―宮内庁「極秘調査」の線上に浮かぶ17人

徳川慶子さん、旧皇族北白川家の尚子さん・宣子さん姉妹、山崎妙子さん、旧皇族伏見家の朗子さん・宣子さん、雅子さん三姉妹、草刈智子さん、北白川肇子さんの娘彩子さん、清水美佳さん・希美さん姉妹、坂本敦子さん、堤明子さん、三井和子さん・智子さん姉妹、瀬川祥子さん、旧皇族久邇家の晃子さん、久田恭子さん
……以上18名(記事タイトルは17人だが)が太字で記事に名が挙がっている。小和田雅子についてはこの時点では全く名前がなく、宮内庁からもマスコミからも皇太子妃候補としては全く考えられていなかったことが分かる。

『FRIDAYフライデー』昭和60年(1985年)9月13日号 本番!浩宮殿下お妃選びの「リスト」 旧華族・新貴族・民間令嬢競い合って

英国留学から帰国した浩宮が、帰国直後の記者会見で、望ましいお妃像として「身長・学歴・家柄などにはそれほどこだわらない」が「自分と同じ価値観の人」と明確に話す。→参照:【テファニー
以前ロンドン留学中での記者会見でも「スポーツ好きなこと」「語学ができること」「自己主張のできる人」という“お妃3条件”を話していた。記事に名前が挙がっている候補者:三井智子さん、徳川冬子さん、三井史子さん、久邇晃子さん、古川美佐子さん、古川純子さん、徳川恵子さん、服部聡子さん、小林詔子さん、伏見宣子さん、伏見雅子さん、以上の11名。ここでも小和田雅子の名前は全く出ていない。

昭和56-60年(1981-1985年) 小和田雅子がハーバード大学時代、自分がプリンセス候補だと友人に漏らしていたとのこと。

【こんなブログ(山崎淑子マリーカダン日記2005/5/1 WebArchive)]も】
雅子さまがハーバードの学部生の頃、私もサマーコースに通っていました。あまり知られていないことですが、「雅子さまが皇太子様のお妃にふさわしいのでは」という話題は、ライシャワー邸周辺では80年代初めから語られていたそうです。これが本当に、現実になりましたね!

昭和58年04月27日 決算委員会-9号

和田静夫君
浩宮様が留学中に、たとえば皇太子殿下が軽井沢でいまの妃殿下を見初められたように、女性を見初められるということは私はないわけではないだろうと、イギリスの皇室やヨーロッパではたくさんあることでありますから。その場合に、その相手の女性が外国人であった場合の宮内庁のこれからの取り扱いというのはどういうふうになっていきましょうか。皇室典範との関係ではそこは阻却されるものはないと思うんですけれども、そういうのはどういうふうにお考えになっていますか。

浩宮がもし外国人女性を見初めてしまったら、皇室世界と全く相容れない異質な女性が皇太子妃になってしまったらどうなるかという、現状を予感させるような危惧発言である。
昭和59年9月 浩宮が小和田雅子とフランス・アルザス地方のコルマールで会っていたという記事が後に一部マスコミに出る(但し事実関係は不明)。

参照その1:『週刊ポスト』1989/7/7号 <スクープ!5年前の極秘旅行(1984年9月・12月)を徹底追跡!!皇太子徳仁と小和田雅子さん「アルザスの恋」>岩瀬達也記事(上画像)]
参照その2:『女性自身』1989/7/18号、後述の通り小和田雅子皇太子妃候補の芽が完全に潰えていた時期であることに注目]
参考その3:『FLASH』1989/9/19号<来春婚約!?浩宮さまと小和田雅子さんに再び熱い視線>記事]
参照その4:『FLASH』婚約内定時期の1993/1/26号<2人は'84に逢っていた!?“アルザスの恋”とは>記事]

(浩宮が)仏独国境に近いコルマールという都市を訪問。それに女性を伴っていた。皇太子が泊まったブリストル・ホテルのオーナーでありコルマール市の副市長のリエム氏は「黒髪で魅力的な瞳の女性」と言っていた。試しに写真を10数枚見せたら、パッと雅子さんを指差した。(『皇室・家族論』芹沢俊介著 洋泉社発行 112ページより)
『小和田家の娘』現代(1993年3月号)岩瀬達哉

昭和61年8月目黒区洗足の江頭豊元チッソ社長敷地に、コンクリ御殿完成。
昭和61年10月学士入学(同年4月)した東大在学中、外交官試験合格。NHKにさっそく出演したり、新聞取材を受けるなどで全国に顔を売る。

参考:日本経済新聞7日付けで他記事に比してかなり大きな顔写真入りで宣伝される小和田雅子(1993/1/19婚約内定特集報道より、1986/10/6福岡県大任町長射殺事件から日付が推定できる)]
参考:当時22歳の小和田雅子、TVインタビューに登場光景]

昭和61年10月10日写真週刊誌『FOCUS』1986/10/17号で、コンクリ御殿カメラマンを招き撮影した写真で父娘2代の外交官誕生として2Pのアイドル顔負けのグラビアを飾る。なお、同号には何故かトップに浩宮の記事も併せて掲載されている。

『FOCUS』1986年10月17日号表紙と目次とグラビア記事:浩宮と小和田雅子が揃って同じ写真誌の同じ号に掲載される。
 <その夜の浩宮さま――渋谷のハウスレストランでご学友と“グルメ”>はっきりいってどーでもいい浩宮外食記事
 <外交官に「清原級」ルーキー――ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠>カメラマンにまで依頼し自宅コンクリ御殿にて大量撮影させた中からセレクションした写真掲載記事

昭和61年10月18日小和田雅子がスペイン・エレナ王女歓迎のレセプションパーティに飛び入りの形で出席、浩宮と顔合わせ。出席予定者名簿に名前は載っていなかったが急遽手書きで書き加えて参加するという飛び入りっぷりである。

『小和田雅子さん素顔の29年』永井雄一、データハウス1993年、p.162より引用
 外交官試験に合格した1986年10月、この同じ月に雅子さんは初めて皇太子殿下にお会いしていた。正確に記せば、試験に合格した12日後の10月18日、父の恒さんと共に当時の東宮御所(現赤坂御所)に出向いていたのであった。
 今では、すでに知られるスペインのエレナ王女歓迎のレセプションの席であった。
 タイプ打ちされた、そのパーティーの出席者名簿に、手書きで書き加えられていたのが、雅子さんであった。彼女を推薦したのは恒さんの上司にあたる中川融・元国連大使]であった。

『サンデー毎日』1993/1/24号<愛を“予言”し、初めての出会いをセット・高円宮憲仁親王殿下>] p26より引用
「お二人(=浩宮と小和田雅子)の出会いは八六年十月、東宮御所で開かれたスペインのエレナ王女の歓迎パーティですが、当時、東大の学生だった雅子さんを招いたのは、実は高円宮さまだったのです」
 こう明かすのは、ある皇室関係者。(以下略)

http://weekly-nagano.main.jp/ayumi/takemoto/
週刊長野記事アーカイブ
竹元正美さん
大使館公使や大使、宮内庁東宮侍従などを歴任。国際文化教育会理事長を務める竹元正美さんの半生を聞き書き。
http://weekly-nagano.main.jp/2016/09/16-27.html
16 スキーのお供 ~皇太子さまと岩手に 愛用された板を賜る~
 1986(昭和61)年夏に東宮侍従になって間もなく、スペインのエレーナ王女来日の関連行事を担当。その年の10月18日に東宮御所で開かれるお茶会の招待者リストを作成することになりました。元駐スペイン大使や日本スペイン協会などから話を聞き、官界、経済界、学術、文化など幅広い分野からリストを作りました。 リスト作りの中で、エレーナ王女が22歳と若いこともあり、日本側の招待者でお嬢さまがいる方もどうぞ、ということに。当時外務省で条約局長をしていた小和田恒氏は、外交官試験に合格したばかりの長女雅子さまを連れて来られました。このお茶会で、浩宮さまと雅子さまが初めて会われ、雅子さまの英国研修などを経てご結婚、現在に至っています。

昭和61年10月19日エレナ王女パーティの翌日、浩宮(26)は新宿区厚生年金会館で開かれた歌手・柏原芳恵のデビュー7周年リサイタルにバラの花を一輪携え参上]、大きな芸能ニュースに。

朝日新聞1986年10月20日朝刊14版p.22]より引用
芳恵さんバラをどうぞ 浩宮さまリサイタルへ
 浩宮さまは十九日午後、東京・新宿の厚生年金会館で開かれた歌手柏原芳恵さんのデビュー七周年リサイタルを楽しまれた。
 ご自身が柏原さんのファンで、英国留学中は自室に写真をはっておられたといわれ、主催者からのお願いに応じられた。
 白黒のツートンカラーのセーター、ベージュのズボンという気軽な服装で劇場に着かれた浩宮さまは、お出迎えの柏原さんからレコードや写真集を受け取られると、お返しに、用意された一輪のピンクのバラを贈られた。このバラは五十七年に来日したミッテラン仏大統領から皇太子ご一家に「プリンセス・サヤコ」と命名されて贈られた新品種で、東宮御所の庭に植えられたもの。同日朝、切り取ってお持ちになったという。

昭和61年11月エレナ王女パーティの一ヵ月後、英国大使館で開かれた日英協会主催のパーティに出席、ここでも小和田雅子は浩宮と顔合わせ。宮内庁の一部の関係者は、雅子に話しかける皇太子の表情や態度がそれまで出会った他の女性とは微妙に違っているのを察していたという。
昭和61年12月~昭和63年7月皇太子妃候補として世に注目されることを考慮して「アテクシ料理得意です」という演出のためか、和食料理教室「イカロス(=烏賊おろす)の会」に通う雅子。婚約時期には風呂吹き大根やサヨリの刺身などを作ったというエピソードが流布される。

参考:講師である銀座の割烹晴美の料理長山田寿男氏証言入り画像]
1988年5月料理教室「イカロスの会」で講師山田寿男氏を囲んでの記念写真、前列真ん中に陣取る小和田雅子]

昭和61年12月30日東宮御所での内輪のお茶会に小和田一家が招かれる。出席者はその他にも外務省関係者や広中平祐氏など学者家族、当時の皇太子ご夫妻・浩宮を囲み約二時間歓談。
昭和62年1月またも日英協会主催の新年餅つき大会でも、雅子と浩宮顔を合わせる

『小和田雅子さん素顔の29歳』永井雄一、データハウス(1993)、p.164より引用
さらに87年に入ってからは、再び日英協会主催の新年のもちつき大会でも、お2人は顔を合わせた。
「一度お会いした人に、再びお会いすることは珍しいこと。殿下が初めて恋心を抱いた女性」
と語る人もいた。

昭和62年3-4月小和田雅子、東京大学法学部中退(3月)、外務省入省(4月)]。
昭和62年4月25日小和田雅子が高円宮邸に招かれ、浩宮と歓談、高円宮夫妻・浩宮と小和田雅子、4人だけで夕食を共にする。この夕食会には英国人夫妻も招かれていたとのことだが、彼らは結局来ず、浩宮と雅子のツーショット状態が見事出来上がり、夜遅くまで歓談。

『FOCUS』1988年1月1・8日合併号<最強の「浩宮妃候補」登場―東宮に招かれた「女性外交官」>記事]
p5より引用
 ’87年4月、ある宮家で、浩宮様と雅子さんは、この集まり以前に、インド、ネパール、ブータンの旅から帰国した浩宮様を迎えて、ごく内輪の集まりが開かれた。皇族以外の出席者は雅子さんだけだった。
「雅子さん以外に、英国人夫婦が招待されていたが都合で欠席した。浩宮様は自分で写した旅のアルバムを持参して、楽しそうに彼女に旅のエピソードなどを説明していたそうです」(皇室担当記者)
 浩宮様と雅子さんは、この集まり以前に、あるパーティーで既に顔を合わしていた。これ以外にも何度か会う機会があり、宮内庁でも「ある音楽会で、同席されたことはある」と認めている。その上、(補足:1987年の)夏にも雅子さんは東宮御所を訪れ、10月末には浩宮様の親友で、旧宮家出身の賀陽正憲氏が、彼女一人を連れて、東宮を訪れています」(皇室ジャーナリスト河原敏明氏)

『美智子さまから雅子さまへ プリンセスへの道』河原敏明、ネスコ(1993年)]
pp.65-66より引用
 入省して三週間目の四月二十五日に、雅子さまは高円宮邸に一人招かれる。高円宮ご夫妻と浩宮、雅子さまの四人だけだった。英国人カップルも招かれていたが、「都合で欠席」とされた。
 お二人は、高円宮夫妻とともに会食した。浩宮は、同年三月に訪問したネパール、ブータン、インドのアルバムを用意していた。写真は浩宮がご自分で撮ったものである。
・・中略・・
 話ははずみ、たった四人のホームパーティは、数時間にもおよんだ。雅子さまがその日帰宅したのは、夜遅くなってからだった。

昭和62年8月8日河原敏明『皇太子妃雅子さま』講談社1993に、二人がデートしているとの記述があるが、詳細不明。

p.24より引用
六十二年の四月二十五日、八月八日、そして十月二十四日と、デートが大いに盛り上がっていたのに、十月を最後にピタリとデートをやめてしまったのである。

昭和62年10月24日浩宮が、東宮御所に学友(賀陽正憲氏)と小和田雅子を招き、夕食を共にする。
昭和62年12月18日指差し恫喝事件】勃発。小和田邸前に集まった取材カメラマンたち相手に指差し恫喝する小和田雅子の姿がバッチリ記録される。
昭和62年暮れ~昭和63年早々昭和天皇、他皇族、宮内庁から、水俣病やその他の理由で雅子さんはちょっと、と反対される。富田宮内庁長官の説得により浩宮一旦諦める。→小和田雅子、お妃候補からはずされる。

『皇太子妃雅子さま』河原敏明、講談社1993、pp.23-24より引用
皇太子の数年におよぶ“雅子コール”にもかかわらず、宮内庁はかたくなに反対しつづけていた。その好個の例が「週刊朝日」(平成三年三月八日号)で、元宮内庁長官だった富田朝彦氏の言葉が端的に物語っている。氏が現職中の六十二年の暮か、六十三年早々らしいが、
「小和田さんは、チッソのことが付随してまいりますので」
 と殿下に申し上げると、
「わかった」
 とおっしゃった、とその記者に打ち明けている。富田氏は警察官僚出身で、宮内庁に来るまでは内閣調査室長、つまり日本版“CIAの長官”である。いろいろと調べてのことだろうか。

昭和63年2月、小和田恒がOECD大使に就任。7月1日、雅子が外務省の英国オックスフォード大学院での在外研修に出発、ロンドンの日本大使館付となる。9月オックスフォード大学ベリオール・カレッジ留学開始。留学期間中にはボート部に在籍したりもするのだが、落水し風邪引いたとのことで半年で退部]したりも。
昭和64年1月7日昭和天皇崩御。
平成元年2月『消えたお妃候補たち』小田桐誠、宝島社1993年、p159より引用

 まもなく天皇が病床に就き、そして時代は昭和から平成にかわった。昭和天皇逝去後、浩宮は東宮として独立、皇太子という立場になった。一九八九(平成元)年二月、皇太子は側近に「小和田雅子さんではだめですか?」と尋ね、彼女との結婚にこだわりを見せたといわれる。

小和田雅子を妃として迎えることに反対していた祖父昭和天皇崩御後、チャンスとばかりに早速蒸し返す徳仁であった。

平成元年7-9月何故か唐突に5年前(昭和59年=1984年)の9月と12月に、徳仁と小和田雅子がフランス旅行をともにしていたという記事が複数の雑誌にて発表される。→【コルマール

『週刊ポスト』1989/7/7号 <スクープ!5年前の極秘旅行(1984年9月・12月)を徹底追跡!!皇太子徳仁と小和田雅子さん「アルザスの恋」>岩瀬達也記事(上画像)]
『女性自身』1989/7/18号<礼宮さま『テームズ川の恋』、皇太子さま『アルザスの恋』>記事]
『FLASH』1989/9/19号<来春婚約!?浩宮さまと小和田雅子さんに再び熱い視線>記事]
小和田雅子皇太子妃候補の芽が完全に潰えていた時期に発売された記事であることに注目。

平成元年9月28日留学先の英国で日本のテレビ局の取材を受け「私には関係ないと思っております」発言。お妃候補からはずされた状態でいるのでムカついてる雅子、逆ギレ中。取材陣に吠えまくりの噛み付きまくり。

http://www.youtube.com/watch?v=zVs_0E0_RAc&NR
この映像を見て「雅子さんはあんなに嫌がってたのに」と、現在もなお大きな勘違いをし続けている人多数。

平成元年12月頃徳仁が学習院大学で別の妃候補女性とデートを重ねる。しかしこの女性の親族が起していた事件により二人の仲はおじゃんに。

FOCUS』1993年1月22日号<「皇太子妃内定」7年の大逆転>p.13より引用
 雅子さんは'88年7月予定通りロンドンに旅立った。翌'89年9月、オックスフォードに留学中の雅子さんは、テレビ局の取材に「私は関係ないと思います」とハッキリ発言した。
 この発言の3ヵ月後、皇太子は学習院大学で別の候補女性と密かにデートを重ねていた。
「学習院卒の大変な美人でした。学習院の学長が、さり気なく、二人を会わせた。計4回は会っているでしょう。殿下も乗り気で、必要もないのに食事を一緒にとったりもした」
 ところが、この女性の叔父が、或る経済事件に関連して、脱税容疑で逮捕されていたのである。おまけに親族にテレビ局の幹部がいて、マスコミ・政治家の娘は好ましくないという選考基準からみても不適当とされた。この他、親族が軍人で「戦時中、植民地支配の責任者の地位にあった。国際問題になりかねない」と立ち消えになった女性もいた。

平成2年6月20日、結局修士号を取得し損ねた小和田雅子が英国から帰国。外務省北米局北米二課に配属。
平成3年夏6月、叔父である小和田統(おさむ)が海上保安庁次長に就任。8月2日、父小和田恒が外務事務次官に就任。そしてなんと恒の事務次官就任早々1ヶ月も経たないうちに、雅子の内規違反が発覚する事件発生。

参考:『FLASH』1991年9月3日号<小和田雅子さんと父親恒外務次官の内規違反が発覚!父親用に発行された「駐車許可証」で、外務省にマイカー通勤していた“有力お妃候補”の失点>表紙とトップ記事小和田恒アップ写真]
   『FLASH』1991/9/3号同上雅子の父名義駐車許可証利用マイカー通勤が外務省内規違反として発覚、8月14日には明らかになっていたという内容である。]

平成3年9月ピアニスト中村紘子リサイタル打ち上げに、高円宮が小和田雅子を招き、浩宮と引き合わせるのに一役買う。

『週刊新潮』1993年1月21日号<「皇太子妃内定」巷談 2小和田さんを承諾させた皇太子の「条件」>] pp.46-47より引用
 皇太子殿下と雅子さんの四年十ヶ月ぶりの再会は、昨年八月十六日、千代田区にあるその柳谷邸が舞台になった。
 そしてもう一人、この再会までを陰に日向に支えてきたと目されるのが、高円宮憲仁殿下である。
 七年前の出会いのときから、高円宮殿下の存在は知られてきたが、
「一昨年(=1991年)九月に東京芸術劇場で中村紘子さんのチャリティーピアノ演奏会があったのですが、その打上げの席に、高円宮さまが雅子さんを連れてきていたのです」
 と消息通が明かす。
「皇太子さまに年齢も近い高円宮さまが、皇太子さまの意を汲んで雅子さんとの間をつないできたのでしょう。
 高円宮妃の久子さん雅子さんの母親優美子さんも旧知の間柄という。

平成3年秋皇太子妃候補の中の本命とされる旧皇族久邇晃子さんと数回お見合いするも、徳仁拒否。

FOCUS』1993年1月22日号<「皇太子妃内定」7年の大逆転>p.13 p.15より引用
 宮内庁の“最後の候補”久邇晃子さんとも、'91年秋、数回お見合いしたが最終的に、皇太子のOKが出なかった。

平成4年2月13日日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせをする。
平成4年2月23日浩宮誕生日記者会見で「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが必要と思う」との言葉。
平成4年4月浩宮、学習院大学史料館の客員研究員に就任。

この時期に、雅子の父方祖父母である小和田毅夫・静夫妻が、茨城県水戸市の介護付き有料老人ホーム「ケアレジデンス水戸新館」に入居。

平成4年5月どうもこの時期に、小和田雅子を皇太子妃にという話が内々に固まりだした模様。

参考Youtube:1993/1/19婚約内定特集報道より http://www.youtube.com/watch?v=qh-8qaPByo8
解説委員?のコメント「祖父が窒素の役員に就任していた時期と、水俣病が発生したこととの関係がなくですね、刑法上の責任もないことに加えまして、皇太子さまの雅子さんに対する強い気持ちを酌んで、去年の五月の初旬、第三者を通しまして小和田家に雅子さんをお妃候補にしたいと言うことを伝えていたわけですね」

GWには田園調布雙葉中1からの友人と称される土川純代氏一家と「育児合宿」なる、「小和田雅子サンってば超インテリキャリアウーマンのイメージがあるけど、実はとぉーっても家庭的で子供好きな女性なの」演出プロモーションビデオ撮影敢行。
参考Youtube:1993/1/19婚約内定特集報道にて、土川さん自身の解説入り映像http://www.youtube.com/watch?v=lQnAu6UVNF8
参考ツッコミ入り画像:1992年5月伊豆高原にある土川家別荘にて撮影。大袈裟なゴム手袋姿でコンロに火を点けたままレンジ拭き掃除をしたり、手を拭いた後の湿った雑菌付きタオルをペーパータオルロールの上に置こうとする(当然タオルは落下)、どう見ても台所仕事に無知なことが丸分かり「家庭的女性演出PV」撮影乙な雅子の姿。後に雅子を皇太子妃として決定する皇室会議当日にこの映像がN○Kで放映されることになる]
↑画像続き:1992年5月「育児合宿」赤ちゃん抱っこ映像の続き、雅子の顔面にひたすらズームアップする場面。自分の可愛い子供をメインに映像記録に残すのが普通であるが、友人雅子がまるで主人公であるかのような奇妙な撮り方をしている(愛子誕生当日特集映像より)]

平成4年8月16日徳仁と小和田雅子、東京・五番町の柳谷謙介・元外務次官宅でセッティングされた5年ぶりの再会デート]。
平成4年10月3日両陛下地方行幸啓の留守]を狙い、浩宮と小和田雅子が宮内庁新浜鴨場(柳谷謙介同席)で極秘デート、浩宮はあずき色のワゴン車に隠れ東宮御所を抜け出して逢引したという手の込んだ工作だった。この場で浩宮はプロポーズをし、雅子は「お断りすることがあっても構いませんか?」と返事を保留する。

『6月のプリンセス―雅子さんと皇室記者の2000日』読売新聞社社会部、読売新聞社1993、pp.49-50より引用
 それにしても、その情報は驚くべき内容だった。
――天皇・皇后両陛下が山形国体の開会式出席などのため羽田をたった十月三日の昼前、皇太子さまは、後部座席を黒いフィルムで目隠ししたあずき色のワゴン車に身を隠し、赤坂御用地の巽門を出た。運転していたのは側近の職員。門を守る皇宮警察の護衛官も、皇太子さまが乗っていることには気づかなかった。ワゴン車の後ろには山下和夫東宮侍従長のマイカー、ベージュの「カペラ」が続き、高速道路を経由して千葉県市川市に向かった。やがて二台の車は、新浜香鴨場に到着した。
――そこで待ち受けていたのが、小和田雅子さんだった。ここはふだん、外交団などの鴨猟接待に使われる。皇太子さまは雅子さんと一緒に昼食を取り、野鳥が泳ぐ池の周りを散歩したり、輪投げをしたりして過ごした。そして最後にプロポーズをしたようだ。
――立ち会ったのは、元外務次官で国際協力事業団総裁の柳谷謙介氏や山下東宮侍従長などごく少数。皇太子さまが東宮仮御所内にいるような偽装工作もほどこしたから、侍従たちでさえ、この秘密作戦には気づいていないはずだ。

平成4年10月20日ごろOWDサイドから断りの返事がなされる。
平成4年11月28日一旦プロポーズを断ったはずの小和田雅子、のこのこ東宮仮御所を訪問する。
平成4年12月12日小和田雅子、またも東宮仮御所訪問、プロポーズ受諾の返事。

当日小和田恒・優美子・雅子は懇意である書家小川東洲氏の個展鑑賞に出向き、夜は皆で中華料理店にてパーティ]。雅子が実に嬉しそうな笑顔を見せていることが当時の記念写真]から確認できる。

平成4年12月19日皇太子と小和田雅子デートを重ねる。『FLASH』1993/1/26号<“長かった道のり”…小和田雅子さんに決まるまで>] p.7に「12月19日 デート」と記述がある。

この日、空輸された生フォアグラを材料に大膳が腕を振るった「ロッシーニステーキ」を食している可能性あり。
→【殿下の料理番】参照

平成4年12月25日夜7時半頃、雅子が東宮仮御所を訪ね、徳仁と夕食を済ませた後の天皇皇后両陛下とご対面。当時両陛下がお住まいだった赤坂御所に招かれるでもなく、また両陛下&徳仁の夕食会に招かれてもいない、プロポーズを受け入れた女性とその相手両親が引き合わされるにしてはどうにも不審点がありあり。2時間程度の四者歓談の後、両陛下は赤坂御所にお戻り。雅子は日付が変わる深夜0時遅くまで東宮仮御所滞在。

朝日新聞朝刊 1993年1月8日<Xマスの夜 天皇ご夫妻交え歓談>]
 皇太子さまと婚約が内定した小和田雅子さんは、プロポーズを承諾した後の昨年十二月二十五日のクリスマスの夜、皇太子さまの住まいの東宮仮御所を訪ねた。天皇ご夫妻に挨拶した後、皇太子さまと二人で深夜まで過ごしたという。
 天皇ご夫妻はこの日、夕方から仮御所を訪ねて、皇太子さまと三人で夕食を共にした。雅子さんはこの後の午後七時半ごろ、仮御所を一人で訪れた。四人で二時間ほど歓談。ご夫妻が赤坂御所に帰られた後も、二人は二十六日午前零時近くまでくつろいだ時間を過ごしたという。

平成4年12月26日以降雅子が小和田両親にあてて「一足遅れのクリスマスカード」を書いて贈る。後に婚約内定報道でこのカード画像が小和田家からマスコミに提供され美談秘話材料とされるものの、家族にむけて「Sincerly」を使っているなどツッコミどころ満点。
平成5年1月6日報道自粛申し合わせ協定が午後8時45分解除、マスコミが一斉に小和田雅子皇太子妃内定速報を流す。

『FLASH』1993/1/26号<“長かった道のり”…小和田雅子さんに決まるまで> p.7]より引用
 その報道協定も6日午後8時45分をもって突如解除となったわけだが、実はここにもちょっとした裏話がある。雅子さんは12月30日から新年2日まで福島県猪苗代町の箕輪スキー場に家族旅行に出かけている。その折り、父の恒氏がビデオを撮っていたというのだ。
「報道協定解禁後にテレビ局に配る心づもりがあったらしいのだが、突然の解除で、幻のビデオとなりそうなんだ。各局とも喉から手が出るほど欲しいところだがね」(皇室記者)

平成5年1月7日前日夜内定速報を受けて宮内庁に取材が向くも、宮内庁側は要請を拒否。職員たちも状況を把握していない様子。となると、前日夜の小和田雅子内定速報は宮内庁(千代田と言い換えてもいいかもしれない)の意向にはなかったものと推察される。

朝日新聞1993年1月7日夕刊<熱心に新聞読む職員宮内庁>]
 宮内庁はいつもと変わらぬ出勤風景だったが、各部局では「内定」を報道する各新聞を広げて熱心に読む職員が目立った。ある職員は「宮内庁のほうでは何もコメントしていないので、同僚とも表立った話はできず中途半端な気持ちだ。各課とも内々の勉強は進めていると思う」と話した。
 宮内庁記者会は、宮内庁に対し、藤森昭一長官の記者会見を求めるとともに、両陛下と皇太子さまの朝の様子を質問したが、いずれも断られた。

平成5年1月8日帝国ホテルへ皇室会議(1/19)に提出する写真撮影をしに母優美子と外出。雅子は18万5千円のキミジマピンクチェックスーツ、母優美子はこの当時既に動物愛護の観点からして顰蹙もののミンクコート]姿。
平成5年1月19日皇室会議で小和田雅子が浩宮妃として婚約内定。慣例で満場一致の形式をとったが、皇室からの選出議員である三笠宮長老殿下は反対したと伝えられる。

『消えたお妃候補たち』小田桐誠 著JICC出版局(1993/07発行) 宝島社 p.205]より引用
 (補足:1993年1月19日の)皇室会議では、皇族としてただ一人出席した三笠宮は、「雅子妃決定」に後続を代表する形で不快感を示したといわれる。二月八日の夕食会のことでも、自分たちがないがしろにされていると感じたのだろう。一度は、三月十七日に決まった納采の儀が引っくり返っている。(補足:納采の儀は4月12日に執り行われた)

同日小和田雅子と両親恒・優美子が、両陛下への挨拶に参内]、なんと優美子は常識はずれな福帯を締めて登場。
そして夜には婚約内定記者会見、雅子は「たくあん」真っ黄っ黄衣装で登場。「(皇太子殿下は)とても人間ができた方でいらっしゃる」「私の言葉で一言付け加えさせていただければ」「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」「家族でオーケストラを作るような……ほどの子供の数というようなことは、おっしゃらないでくださいね、というふうに申しました」といった数々の発言をやらかす。

平成5年2月8日小和田雅子を親類一同に紹介する両陛下主催の晩餐会で、天皇陛下の長姉である故東久邇成子さんの子供・三番目の姉である池田厚子さん・妹の島津貴子さん・皇后陛下のご兄妹・川嶋家・小和田家・天皇ご一家の方々が出席。しかし本来陛下は全皇族と民間妃親族を招待しようとしていたが、秋篠宮殿下を除き皇族方(常陸宮・三笠宮・桂宮・高円宮)は欠席。当時から既に小和田雅子が皇太子妃として歓迎されていなかった状況を反映していると考えられる。

→参考:『サンデー毎日』1993年6月13日号<ご結婚直前“菊のカーテン”から漏れてきた雅子さんへのブーイング>]

平成5年2月8日小和田雅子外務省退職。「皇室で外交をしてまいります」との台詞が有名に。
平成5年3月12日お妃教育がスタート。8科目50時間のご進講は、正田美智子嬢に比べ47時間も少なかった。神道の講義では英語テキスト『The World of SHINTO』を教材として求めたとのこと。
平成5年4月12日納采の儀(=皇室儀式に則り正式に婚約)、雅子は金ピカペラペラ中振袖で登場。余りのショボさに「OWDがお支度金をポッケナイナイしたのでは?」とも囁かれる。三方もまともに持てない]有様。

両陛下へのご挨拶で小和田夫妻と雅子が参内するが、退出してカメラ前に登場した雅子は「御婚約晴れ姿、お扇子ド真ん中挿し事件」を起こす。
この日美智子皇后陛下が真珠の指輪を贈られるが、コンクリ御殿へ帰宅する路上にて母優美子が「どれどれ、見せてごらん」と値踏みをするように見る下品な姿]をマスコミカメラ前で晒す。

平成5年4月17日小和田夫妻と雅子]、新潟県泉性寺へ「小和田匡利墓]」をお参り。雅子曽祖父である小和田金吉の父親と主張されているのがこの匡利であるが、匡利が14歳の時に金吉が次男として産まれていなければいけないという奇妙な時系列関係となっており、限りなく祖先ロンダリング疑惑がブラックな墓参りである。
平成5年TV生番組で皇室ジャーナリスト河原敏明氏が「小和田雅子さんは(指差し恫喝事件などあって)気が強い」と語ると、雅子母方祖母・江頭寿々子が「雅子はそんな子じゃありません」とクレーム電話をかける場面も。
平成5年6月1日金箔箪笥事件発生。生番組している最中のTV局に小和田優美子がクレーム電話をかける場面も。
平成5年6月3日嫁入り道具をセンコー引越しプラザ]の2tトラック5台でコンクリ御殿から搬出。センコー引越しプラザとは水俣病原因企業であるチッソの子会社である扇興運輸。言うまでもなく雅子の母方祖父・江頭豊と深~い関わりがある。
平成5年6月8日結婚前夜8時前、目黒区にて祝いの提灯行列が催される。地元の方から大きな花束を受け取り、とてもじゃないが嫌々嫁ぐ表情には到底見えない満面笑顔でカメラ目線の雅子]。
平成5年6月9日結婚当日。コンクリ御殿前で見送る小和田家の人間は涙を拭ったり神妙で悲しげな表情だが、出発する雅子はニヤニヤ嬉しそうな表情]。

成婚の儀で賢所に移動するにも十二単姿でキョロキョロしっぱなしのカメラ目線]を決めたり、首のアトピー痕隠しのためか妙なひらひらと前ボタン付き半袖ボレロドレス]で登場したり、パレード車上で大伯母に向かって手を振ったり]徳仁の肩をつついて知らせたり]、パレード終えた後に立ち位置を間違えたり]、儀式が終了した後の撮影で肘つき姿を披露]したり、とにかくしっちゃかめっちゃか状態な雅子。

平成5年新婚早々「三年間(二年間とも)は子どもをつくりません」と夫妻で両陛下に宣言、皇太子妃としての自覚なさすぎ事件発生。

参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事より:ある宮内庁関係者によれば、皇太子ご夫妻は新婚時代、「二年間は子どもをつくりません」と両陛下におっしゃったと言う。真実だとしたら、落胆したことだろう。

平成5年7月地方公務先で居眠りするなど、ある意味大活躍の雅子。
平成5年10月20日美智子皇后陛下お誕生日のこの日、失語症とのニュースが伝えられる。
平成6年1-2月1/17屋久島フォーラム以降、風邪で微熱が続いている状態という理由で公務を3週間以上長期欠席。風邪を理由にするにしてはあまりに長く休みすぎているので、2/4胸部エックス線写真撮影するまでの事態に発展。公務復帰後、2/21天皇陛下還暦祝賀音楽会では「お腹ふっくら」で妊娠と間違われる事件も発生する。

参考:『女性自身緊急増刊 新妻・雅子さま 輝いて「愛の1年」』、1994年1月14日唇ブルブル歌会始の後頃から雅子「風邪気味」で公務中止、東宮仮御所に引きこもり状態だったと伝える記事。「もしかして懐妊?」と記者が色めき立つも母親優美子がそれは根拠の無い噂だと雅子本人が話したと海外記者取材に証言]
参考:『週刊読売』1994/2/27号<雅子さま「ご病状」「ご懐妊」会見で放映されなかった部分>記事]
参考:『女性自身』1994/2/22号<雅子さま微熱3週間に『精密検査』を!>表紙目次]
参考:1994年2月21日「おなかふっくらご懐妊?」と間違われるほど急激に肥満した雅子]

平成7年1月17日、阪神淡路大震災発生。

それを尻目に20日~28日、東宮夫妻は夫妻中東3ヶ国(クウェート・アラブ首長国連邦、ヨルダン)訪問。最初の訪問国クウェートでは、紅白のめでたいとしか言えないロングドレス&ショール姿]でマスコミカメラ前に登場。
→【死海

平成7年結婚三年目、天皇陛下の「国民みんなが(あなた方夫妻に子供ができることを)待っているからね」と語りかけた言葉に対し、雅子が色をなして「私の友達にそんなことを言う人は一人もいません」と口答え、周囲は皆唖然とする事件発生。
平成9年皇太子夫妻が四年間も子宝に恵まれないことについて何の対策も取っていないことを両陛下がお知りになり、宮内庁御用掛で皇后さまの掛かりつけ医であった東大医学部名誉教授産婦人科医の坂元正一氏にご相談。ところが坂元氏が皇后陛下から信頼が厚いために皇太子夫妻から警戒されお手上げ状態。そこで東宮侍医長が代わりにお伺い、「東宮侍医長は温厚な人だったので苦慮したようですが、失礼なことは承知の上で、『基礎体温表を出していただけないでしょうか』とお願いに上がったのです。それが皇太子ご夫妻のご不興を買ってしまった。『他人が口をはさむものではない』 と厳しいご返事をいただいたと聞きました。その後、東宮侍医長は遠ざけられ、雅子さまへのお目通りは一切許さなくなり、連絡はメモのやり取りだけに限定されたそうです。彼はまもなく東宮御所を去ることになりました」という惨すぎる事件発生。

そしてこの年、鎌倉節宮内庁長官(当時)が坂元氏に依頼して立ち上げた、皇太子夫妻のための「不妊治療プロジェクトチーム」が発足。その中心メンバーとして東京大学医学部教授で、腹腔鏡を用いた不妊治療のエキスパートである堤治氏が非常勤医師に就任。しかしその直後、皇太子が坂元医師の説得に「自分たちで計画的にちゃんとやります」と断り、一旦消滅。

平成11年春-夏支持率低迷に悩む小渕恵三首相と連携する形で、鎌倉節長官の音頭により東宮夫妻不妊治療プロジェクトが再始動。

5月、堤治教授が再び非常勤医として宮内庁病院に復帰。
渋っていた皇太子夫妻もその説得のプレッシャーに耐えられず、夏過ぎには同意することに。

平成11年11-12月プロジェクトチームの成果か、11月26日頃(ベルギー出発1週間前)尿検査にて陽性反応が出て、妊娠5週目と判る。

しかし12月3日、ベルギー皇太子結婚式参列(4日)のためにそれを隠して、異例の医師同行で訪欧。ついでにベルギーの片田舎デュルビュイまでグルメ旅行をし飲酒。
12月7日、両陛下へのベルギー帰国ご挨拶は徳仁のみ参内し、雅子は取り止め欠席。
12月10日、朝日新聞が「雅子さま懐妊の兆候 近く詳細な検査」スクープ記事を第1面掲載。
12月13日朝日新聞のスクープ通り、宮内庁病院で超音波を用いた詳細検査。雅子が乗った移動の車は、カーテンを車窓だけでなく前後席仕切りにまで引いている。]
12月30日妊娠7週にて繋留流産手術。妊娠をスクープした朝日新聞に全ての責任をなすりつける風潮が発生する。
マコオタ画像集(雅子関係)04参照

平成12年5月28日、東宮夫妻が東京ローンテニスクラブのパーティ出席、雅子はゴーゴーダンスに熱狂する元気ぶりを周囲に見せ付ける。

7月25日、雅子が香淳皇后斂葬の儀を「夏バテのようなもの」で欠席する事件発生。

平成13年2月17日~21日、冬季国体等公務のため長野県訪問]。その中で20日を全く公務を入れないスケジュールにし、奥志賀にて私的にスキーを楽しむ]。

3月1日付で、堤治教授が宮内庁御用掛に就任(非常勤扱いでなくなる)。プロジェクトチームが不退転の覚悟でか再々始動。
4月16日、雅子に懐妊の兆候のありと宮内庁正式発表する。以降の雅子全検診に徳仁が全て付き添う]。12月1日敬宮愛子ちゃん誕生、同日夕刻見舞いを両陛下に先んじて済ませてしまった小和田恒・優美子が宮内庁にて「赤ちゃま」会見。



Part370-640 名前:可愛い奥様 :2006/02/16(木) 12:47:57 ID:L9YdplCr
柳谷謙介(旧制高校→東大法学部・元外務官僚・成城学園理事長)
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  年表でみる皇太子ご夫妻の歩み
(◆印は皇太子さま、★は雅子さま関連)
  " class="outlink">http://72.14.207.104/search?q=cache:8NzEvfmP8gEJ:w...]
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UTF-8

  1992年
  2月13日 ◆日本新聞協会が皇太子妃報道自粛の申し合わせ
2月 ◆記者会見で「(お妃の条件について)みんなが納得してくれる人というのが
必要と思う」
4月 ◆学習院大学史料館の客員研究員に就任
8月16日 ◆★東京・五番町の柳谷謙介・元外務次官宅で再会
10月3日 ◆★宮内庁新浜鴨場(千葉)で、皇太子さまがプロポーズ
12月12日 ◆★雅子さまがプロポーズ受諾の返事

雅子「発病」からの大まかな時系列[]

Part446-542 可愛い奥様 [sage] 投稿日: 2006/04/10(月) 13:21:18 ID:QjWQiE2F
>>526
こんな時系列になってます。

2003年春くらいから皇太子妃の具合が悪くなった。@新聞記事
2003年5月  「御所に敬宮を連れて来なくなった」@天皇陛下
2003年8月11日 那須御用邸にて愛子さん風邪に胃腸炎を併発した疑いとの発表。以降の牧場外出予定はキャンセル。
           またそれまで親馬鹿的に多くマスコミ露出していたのが一転、露出頻度が激減する。
2004年3月25日~4月9日 長野別荘滞在静養(その後26日まで延長)、敬宮同乗させてのドライブなどをする。
2004年4月24日 皇太子、吉野ヶ里での公務中?に泣く
2004年4月26日 延長していた別荘滞在からついに周囲が煩くなってきて夜帰京。
2004年4月   雅子、実家に行き深夜帰宅、
          雅子、愛子連れて妹夫婦宅に行き深夜帰宅。
          皇太子、家族の前で涙(母親の手を握って泣く)。
2004年5月10日 渡欧前の皇太子記者会見での「人格否定」発言。
2004年5月12日 皇太子欧州3カ国訪問出発。
2004年5月13日 湯浅利夫宮内庁長官、定例記者会見で「真摯に受け止める」発言。
2004年5月21日 タイムズ「うつ病のプリンセス」記事発表。
2004年6月9日 タイムズ敬宮自閉症の噂紹介記事を再度発表
2004年6月19日 林田英樹東宮大夫、皇太子妃の病名がうつ病・強迫神経症というのは事実無根であると、敬宮自閉症の噂については「全くの事実無根で不本意だ。大変健やかに成長されている」「(成長ぶりの映像発表については)検討している。しばらく時間が必要」と発表。
2004年6月 雅子「皇太子妃辞めます」で電話ガチャ切り、宮内庁離婚も検討し始める。(6月のどの時点で「皇太子妃辞めます」事件が発生したかは不明)

Part462(実質463)-601 可愛い奥様 sage 2006/04/21(金) 18:50:31 ID:N2OgjVnj
豚義理スマソ、
遅まきながら文春その他読んできました。ここで話題になってなかったと思う部分を少し。

なんと!!2003年5月のご会釈にはマサボは愛子さんも同伴したそうです。
40年間奉仕に来ていた奉仕団の中でも有名人の男性が高齢のために最後のご奉仕になったのを
どこかから知りわざわざ愛子さんも連れてきたという美談仕立てですが。

その頃は、こういう人物が今回の奉仕団にはいるとかそういう情報も東宮に伝わり
マサボも一応それに対応していたということですね。

しかも愛子さんも積極的に人前に出していた。
その後、2003年夏の静養から引きこもりがちになったのですよね?

女性セブンは既出だったらスマソですが
例のヨーヨー釣りの写真をトップに持ってきてましたね。
皇太子はヨーヨー担当のおばさんの話とは違って立ってマサボと愛子さんを見ていました。
愛子さんは上から撮っているので良く表情はわからないのですが
少なくともヨーヨーを真剣に取ろうとする様子には見えず、
マサボが手を添えて愛子さんの釣り針にヨーヨーの輪を入れてあげてる感じでした。

またオール学習院でも予定の時間を一時間オーバーしてお帰りになったそうです。

Part462(実質463)-606 可愛い奥様 sage 2006/04/21(金) 18:58:06 ID:pW0EIeOt
>>601
 >なんと!!2003年5月のご会釈にはマサボは愛子さんも同伴したそうです。

ほら、その時期は見せびらかしの絶頂でしたから。2003年初夏があの公園デビュー。

Part555-162 可愛い奥様 sage 2006/07/28(金) 10:57:08 ID:gm5lFODs
雅子さま治療兼ね、皇太子ご一家がオランダでご静養へ

 皇太子ご一家が雅子さまの治療を兼ね、8月17日から31日までオランダ
で静養されることが28日午前の閣議で報告された。
 ご一家は17日に民間機で出発し、同日アムステルダム経由でアペルドールン市
に到着。29日まで同地の離宮に滞在される。ご一家を招待したベアトリックス女王、
アレキサンダー皇太子らと懇談、30日にアムステルダムをたち、31日に帰国される。

 随員は11人で、平成16年6月から雅子さまの治療を担当している大野裕・
慶応大保健管理センター教授も同行する。

 アペルドールンは、アムステルダムの東約80キロにある市で、人口約16万人。
天皇、皇后両陛下も平成12年5月に訪問されている。

(07/28 10:40)

http://www.sankei.co.jp/news/060728/sha048.htm

平成16年(=2004年)6月から大野裕・慶応大保健管理センター教授が皇太子妃の治療を担当している事実がこれで公式に明らかになりました。

2001年[情報。

2006年9月7日テレビ朝日の昼の生番組「ワイド!スクランブル」にて、露骨なテレゴング捏造事件発生。
2006年9月8日雅子が子供の頃から好きな「世界の巨大恐竜博」見物に東宮夫妻揃って出かける。しかし同日あったブルネイ国王甥のアブドゥル・カウィ殿下との接見公務には雅子欠席。→【同日シリーズ
2006年9月10日東宮一家が大相撲観戦。愛子はまたもやご挨拶できず両親より先に着席。笑顔も出て大変楽しげな観戦だったが最後はクネクネ両手を引かれて退場。後日『週刊新潮』9/21号に愛子の貴賓席で肘付き・鼻糞ほじり白黒グラビア写真が掲載される。単に鼻をほじっていただけならともかく、すぐ隣にいる両親・徳仁と雅子どちらも注意する素振りを見せず。

皇太子一家大相撲観戦Youtube(1)

皇太子一家大相撲観戦Youtube(2)



2006年9月11日午後、東宮一家が東京都現代美術館「ディズニーアート展」鑑賞にお出かけ≪週刊ポスト9/29号≫

夕方、愛育病院へ秋篠宮親王誕生のお見舞い。愛子は手をつながれたまま皇太子の後ろに執拗に隠れる。ご挨拶は相変わらずできず。ttp://img117.imageshack.us/my.php?image=20060911xp7.jpg 唇周りも涎のようなもので濡れている]]状態。建物に入る直前、いつもの無表情とは違い、激しく顔を歪めた嫌悪感を示すような表情を見せる。愛子の口から出た言葉には「やめろよ」「やめろお」の説がある。その表情の激しい変化に「チャッキー」なる表現が定着する。「カメラきらい」と必死にスレにて宣伝する工作員と思しき存在も。
→2006年9月11日東宮一家愛育病院にお見舞い映像【高解像度(HQ)版あり】[HQ]ボタンをクリックして、その隣の画面サイズボタンも押すと高解像度大画面で視聴できます。
http://www.youtube.com/watch?v=Q_dkZLxnBk8

http://www.youtube.com/watch?v=xXcsojSR7AE 東宮一家愛育お見舞いYoutube動画

2006年9月18日トンガ行き皇太子を東宮御所玄関前で雅子と見送り、愛子は両手をガッチリ繋がれ登場し強烈クネクネ。手のツボ押し指示のためかお手振り成功するも父親が乗る車はシカト。

→見た人が皆ガクガクブルブル となったトンガ見送り光景・日テレにこにこアルバム動画。徳仁が乗った車を見送った直後からの愛子の足と雅子の引きつった表情に注目。この映像最後愛子の足の形から「シャネル足」という表現が誕生する。

2006年9月25日チッソ会長・母方祖父江頭豊氏死去について一家で小和田邸弔問。雅子がつないだ手を振りほどき徳仁の手を求める愛子。
2006年9月27日元チッソ会長江頭豊葬儀に徳仁雅子揃って出席。
2006年10月5日東宮大夫定例会見(なぜか従来の金曜でなく木曜)で、愛子が微熱など風邪のため2~5日まで幼稚園を休み、7日が運動会と発表。
2006年10月8日学習院幼稚園運動会。大玉ころがしのみ取材が許され、奥歯が見えるほど馬鹿笑いする夫妻の姿)がニュースで報じられる。

競技の前には「はとぽっぽ体操」があったのだが、それについては愛子が遅れがち・立ったままぼーっとしていてついていけない様子だったと、後に複数雑誌が記事で触れる。
参考:『週刊文春』2006/10/19号・『女性自身』2007/3/20号

2006年10月13日四谷奥様からいつもの場所に警官がいないと報告があったが、別スレで福迫女史が送ったとの情報齟齬発生。どうやら翌14日運動会へ行く光景をマスコミ撮影させる段取り練習するため、登園ルートが変わった可能性大。
2006年10月14日幼稚園年少組も見学する初等科運動会。運動会◆kXechWajpM奥様により「先生がつきっきりでお世話」報告される。

『週刊ポスト』2006年11月10日号<ロイヤルファミリーで祝う「美智子皇后誕生会10.20」に おふたりの姿だけがなく……「愛子さまも欠席」で囁かれる雅子妃の覚悟>によると次の通り;
 10月14日、秋篠宮家の二女・佳子さまが通う学習院初等科の運動会が開かれた。プログラムの中に幼稚園年長組による遊戯もあったため、愛子さまら年少組の園児も見学や応援に参加した。
 保護者のひとりが語る。
「運動会での愛子さまの様子が他の園児たちと少し違って見えました。小学4年生の短距離走が行われた時、園児席の他の子供たちはきちんと座っていたのに、愛子さまを含めた3人の園児だけが立ち上がっていたんです」
 雅子妃が保護者席に座っており、隣にいないため落ち着きをなくしているのではと受け取る保護者もいた。

2006年10月18日埼玉県江南町に幼稚園遠足芋掘りに母娘参加。「フジテレビのスーパーニュースで今日の芋掘りイベントの映像見ましたが、全くもって普通の幼稚園児でした」と嘘報告する人物が当夜出現(心配スレPart38-168)。FNNスーパーニュースはヤフー動画・フジHPにニュース掲載されるがそれがなく、完全に大嘘確定。

『週刊ポスト』2006年11月10日号<ロイヤルファミリーで祝う「美智子皇后誕生会10.20」に おふたりの姿だけがなく……「愛子さまも欠席」で囁かれる雅子妃の覚悟>]によると次の通り;
 周囲にうまく溶け込めない様子は、18日の親子遠足でも見受けられた。
「雅子さまと愛子さまだけが他の園児や保護者から離れ、ふたりきりで芋掘りをしていました。他の子供たちは一緒にはしゃいでいたのに、なんだか寂しそうに見えました」(参加した保護者)

2006年10月20日美智子皇后陛下がお誕生日発表文書にて紀宮と秋篠宮家内親王の「着袴の儀」の思い出、また儀が予定されている愛子について触れる。

発表文書より引用:「敬宮は,背もすくすくと伸び,おさげ髪のよく似合う女の子になりました。今年はもう着袴(ちゃっこ)の儀を迎えます。男の子の着袴(ちゃっこ)姿もそうですが,女児の裳着(もぎ)の姿も本当に愛らしく,清子,眞子,佳子のそれぞれの裳着(もぎ)の姿や所作は,今も目に残っています。」
また当日夜の夕食会は雅子&愛子ともに欠席。愛子はドタキャン、理由は「(当日普通に登園したのだが)幼稚園での疲れが出たため」≪週刊ポスト11/10号≫

2006年10月21日テレ東番組「オヒョイさんのイタリアで金魚すくい」にて、イタリア・クレモナのバイオリン工房日本人職人による愛子へのバイオリンが紹介される。

2007年2月に“Strings”October 2003,No.113]で、クレモナのTakashi Ishii(=石井高)という人物が愛子のヴァイオリンを製作中との記事が掲載されていたことが明らかとなった(ソース書込み])。

2006年11月1日赤道ギニア国ヌゲマ大統領夫妻との懇談途中に愛子を同席させる事件発生。会見後は一家で大統領夫妻を見送り。幼児を海外要人との公務に同席させるという非常識っぷり≪FNN・NNNニュース11/2≫。
2006年11月7日着袴の儀予行練習「習礼」。元々5日にやる予定が6日に延期と『週刊文春』11/30号報じる。再延期しての実施か。着付けはハクションさん福迫美樹子女史と見られる。

また愛子の瞼に不自然な点が見られ、アイプチ使用疑惑が起こる。

2006年11月11日着袴の儀当日。「深海のコンブ?ゴルフのスイング?」と評されるグンニャリお辞儀のようなものと、お口を開けて舌レロレロ姿が動画・画像で配信される。また新しい優秀伝説も追加される。その中には「愛子さまは最近、補助輪が付けられた自転車の練習を東宮御所の庭で始め」も含まれる。
2006年11月12日夜ご一家集合で着袴の儀内宴。当日夜の内宴の様子について書いた友納尚子署名記事が、翌13日発売『週刊現代』11/25号で掲載されるという摩訶不思議な事態発生。
2006年11月13日日テレザ・ワイド「着袴の儀がこれほど大々的に取り上げられるのは異例」「それだけ注目されていたということなんでしょう」by有田芳生氏

草野仁氏は「背が高くなられたと思いますね」とだけコメント。

2006年11月17日多摩動物園遠足。雅子は入り口まで付き添い、愛子は他の園児と手をつないで園内へ。口遊びする様子はこれまでと同様。『週刊文春』11/30号にて雅子が動物園売店で22,106円のお買い物をしたことが記事になる。
2006年11月24日赤坂御用地で愛子誕生日発表用の映像を、代々木ポニー公園から白いポニー=ミルク牡16歳と他一頭+インストラクターを態々借りて撮影する。
2006年12月1日愛子満5歳誕生日映像についてテレ朝ワイスク

皇室ジャーナリスト神田秀一氏「愛子さまのしぐさに皇族ならではのしぐさが見られるようになった、それは“時々取材カメラを見ること”」
週刊女性近重幸哉氏「(夫妻が揃いの)赤のタートルを着たのは白い馬にまたがる愛子さまを際立たせるための親としての配慮、オランダ静養から帰って来てから雅子さまは元気になったがでもすぐに公務完全復帰にはならない」
コメンテーター川村晃司氏「愛子さまが横に目線を移したりして何か知性が少しずつ感じられてきた」
日テレザ・ワイド草野仁氏は前日11/30秋篠宮誕生日で見せたにこやかさ・饒舌さとは打って変わって厳しい顔で一言もコメントせず。

2006年12月9日雅子満43歳誕生日。公表された東宮一家3人手つなぎ画像から「愛子のズボン後ろ前では?」との謎が発生する。
2006年12月11日ご一家集まっての正月発表用映像撮影と皇居夕餐会の予定だったが愛子の風邪を理由にキャンセルされる。幼稚園も11~14日欠席。≪週刊文春&新潮12/21号≫
2006年12月13日宮内庁職員組合文化祭に愛子の工作として、色紙粘土に貝殻を嵌め込んだ写真立てと宝箱が出展される。ピンクの写真立てに入っている、何だか不審点が目立つ「白百合の花の真ん中にとまったトンボの写真」は愛子自身による撮影と記事発表。
2006年12月14日11日から延期になっていた新年発表用映像撮影。その場に同席させる身分ではない福迫美樹子養育係(出仕)を愛子おむずかり対策で東宮夫妻が撮影会に連れてくることを強行し、天皇陛下ご自身に「もうしょうがないね」と言わしめた事件が発生する。
2006年12月18日『週刊ポスト』2007年1月1・5日合併号「(愛子様は)お辞儀やご挨拶などにも消極的という指摘もされている」
2006年12月23日天皇誕生日記者会見にて「愛子(“敬宮”の称号不使用)」「残念」「会う機会が少なく、話をしていない」との陛下の明確なお言葉が発表される。

午後、祝賀のご挨拶に上がる際には皇太子とハクションさんが愛子に付き添い(雅子は一般参賀に2回出席したがこちらは欠席)、車内でお口が開きっぱなしの様子もニュース映像で配信された。

2006年12月25日『週刊新潮』2007年1月4・11日新年特大号<特集 かくも色濃い「皇室の憂愁」>発売。愛子の自閉症を強く窺わせる記述がさりげなく盛り込まれる。

p.30より引用
 また、(補足:皇太子)殿下は、愛子さまについても心配されている、という見方もある。
「愛子さまは、極めてお小さな頃から、触られることを異常なほど嫌がる感覚過敏の様子が見られます。また、健康的な笑顔が少なく、感情の表し方に不自然な点が見られます。殿下が、愛子さまが大相撲の力士の下の名前や出身地まで諳んじていることを披露されたことがありましたが、ご自分の興味のある部分に対する“機械的記憶”に優れているという特徴もお持ちです。一方では、お遊戯でも他の園児よりアクションのテンポが一つずつ遅れている。親というのは、そういう細かなことが気にかかるものですから、殿下もご心配なのではないでしょうか」(宮内庁関係者)


2007年[のか??
また新養育係・筒井美奈氏と思われる人物の姿]が映像に残される。|-| 2007年7月22日| 東宮一家と雅子親戚(恐らく妹礼子?)親子が、日生劇場ミュージカル人形劇「小さな山神スズナ姫~大ナマズのひみつ!~」を鑑賞。出演していた米米CLUBジェームス小野田氏が後日、公式ブログにて東宮一家と楽屋で会った記事]をアップする。雅子の親類(恐らく妹礼子?)が米米ファンで秋コンサートを観に行く予定だとか、皇太子“高足下駄はいつから乗れたのか?”雅子“山神の衣装は重いのか?”などの質問を受ける。愛子が2幕目「JOショー」の時に拳を上げて「ナマズン!×7」とコール&レスポンスにも参加したとの内容だが、但し楽屋で会ったときに愛子が挨拶したとか何かを話したといった記述は皆無。|-| 2007年8月2日| 『週刊文春]]』8/9号が、東宮御所でプライベートな催しとして開かれた「子供会」について記事発表。7月23日、27日、29日、30日と一週間ほどで4回開催。 大人と子供を合わせると80名もの人が招待された。29日には落雷もあったなど外で遊んでいた子供はびっくりしただろうとも。|-| 2007年8月17日| 東宮一家那須御用邸静養。那須塩原駅前で足をくねくね]させたり(珍しく両手を離されたものの)意味が分かっていない様子のお手振り]をしたり車に乗り込む直前舌を出す]などといった、ますます心配な愛子の様子がニュース映像で流される。
(参考にこにこアルバム動画])|-| 2007年8月24日| 東宮一家with愛子の友達数名家族がりんどう湖ファミリー牧場で遊んでいる光景を画像付きで紹介しているブログ(魚拓キャッシュ])が発見される。両手を年長の子供二人に繋がれ移動する愛子]や、我が子そっちのけでメリーゴーランドに乗る雅子]の姿が強い印象を残す。|-| 2007年8月26日| 東宮一家那須御用邸静養から帰京。那須塩原駅前で雅子はなんと5歳8ヶ月の大きな愛子を駅弁抱っこ]してお手振りする(目撃ブログ魚拓キャッシュその1]/その2])。
→【駅弁抱っこ】|-| 2007年8月28日| 『週刊女性』9/11号、愛子と悠仁殿下の陛下とあった回数を比べ悠仁殿下が3倍にもなると記事。
『女性自身』9/11号はポニーに乗ったり]、仔牛にミルクをあげるなどしている愛子の姿]をカラーグラビア掲載し、もこもこおむつ疑惑が濃厚となる。なお同グラビアはラクダに乗る元気な雅子の姿]も掲載している。|-| 2007年8月30日| 今度は奥志賀静養に出かける予定であったものの、前日から愛子が風邪の症状が出たとのことで午前中の出発が再検討にされるといった、奥志賀を諦め切れない様子の東宮サイド]の動き。そして夜7時半頃、発熱を理由に静養を取り止めたという宮内庁発表が報じられる]。|-| 2007年9月3日| 『AERA』9/10号<雅子さま「再生と癒しの夏」-皇太子ご一家夏休み全20行事->にて那須静養の細かい動きがまとめられる。殊に8/22は知人と夜11時までホテル会食をして愛子を遅くまで引っ張りまわし、翌8/23は午前10時過ぎ~午後5時前まで那須どうぶつ王国で遊ぶという、東宮家静養の強行軍っぷりが明らかになる。|-| 2007年9月5日| 皇室会議]の皇族議員・予備議員の任期満了に伴う選挙実施。前任は「皇族議員=三笠宮崇仁親王殿下・崇仁親王妃百合子殿下、予備議員=常陸宮正仁親王殿下・正仁親王妃華子殿下」の顔ぶれだったのが、結果は「皇族議員=常陸宮正仁親王殿下・正仁親王妃華子殿下、予備議員=三笠宮崇仁親王妃百合子殿下・秋篠宮文仁親王殿下」のように大きな動きあり。予備議員に秋篠宮殿下が初めて加わり、2003年同選挙で予備議員から外れた徳仁の復帰なし。|-| 2007年9月6日| 秋篠宮悠仁親王1歳誕生日のこの日、一部の予想通り東宮家が当たり屋を仕掛けてくる。
フジテレビ夕刻ニュースでは先月23日那須どうぶつ王国でラクダに乗る雅子・皇太子・愛子の三人の姿がそれぞれ映し出され、ラクダではしゃぐ雅子と、上着を雅子に預けラクダに乗る皇太子、首をかっくんかっくんさせながらラクダに乗る愛子の姿]が記録される。
当ラクダライドについて、騎乗制限が年齢(小学生以上/HP掲載])によるのか体格(身長120cm以上体重80kg以下/Part994-675電凸奥様情報])によるのか不明瞭なことも指摘される。|-| 2007年9月10日| TBSが何故か今頃になって2年前2005年8月の那須静養でのメリーゴーランド映像を公開。場所は2007年と同じりんどう湖ファミリー牧場、メリーゴーランドに乗っているのに全然楽しそうではなく余りに無表情な愛子の姿]がインパクトあり。|-| 2007年9月11日| 『女性自身』9/25号が<雅子さま(43)「愛子(5)を天皇に…」小和田家の知人が明かす「切なる願い」>、雅子と徳仁が愛子を天皇にする気満々だとのトンデモ記事を発表、内容を知った人は皆( ゚д゚)ポカーソ状態に。
→表紙&記事画像]|-| 2007年9月22日| 一家で大相撲秋場所観戦@国技館。今年もまたもや愛子は出迎えの北の湖理事長の顔をじっと見るもののご挨拶できずシャネル足の横目状態]。貴賓席着席時に雅子が話しかけてきて「ママ、いい?」と応えたことが口の動きで推察される。昨年失敗した座るタイミングを相当訓練された様子。
視線を合わせての2語文(3歳前レベル)はクリアしていると思われ、頬杖やお口が開いてる表情もあったが愛子なりの成長が見て取れる。しかし今年3月奥志賀スキー映像内でしっかりとしたお手振りもやっていた黄色ウエアちゃんが「おかあさん」と言っていたのと食い違うことに。
「去年のご観戦の時は殆ど喋らずに、ご案内役の理事長にご質問することもなく、じぃーっともう土俵の方を見つめていらした」と中継のNHK刈屋アナ。
退場時には微妙なお手振りで「愛子さまは少しこう、遠慮がちに手を振っていらっしゃいます」と刈屋アナ。その微妙お手振り直後に、観客席にいる愛ちゃんより小さい一般人の子供がしっかり手を振っている光景]が流される。
昨年と同様愛子の手を引いた雅子が先に歩き出すが、皇太子が椅子の後ろを小走りに移動して慌てて雅子の先に立ち移動、中継最後に雅子が立ち止まりかけた愛子をぐいっと引っ張って画面から消え、昨年よりもとっ散らかった印象に。|-| 2007年9月27日| 『女性セブン』10/11号<雅子さま1月完全復帰!2つの理由-極秘シナリオ進行中>にて、来年の新年一般参賀に愛子も同席させる計画が出ているとの記事]に、皆( ゚д゚)ポカーソ状態。宮内庁は公式HPで一般参賀は「成年の皇族方」が出席と明確に規定]している。|-| 2007年10月1日| 『週刊現代』10/13号<愛子さまがドタキャンした“ポーランドのドラえもん”>
ポーランド大使からアニメ映画「おやすみ、クマちゃん」の招待状とクマのぬいぐるが東宮御所に贈られ、東宮御所から出向いてきて上映会を開いてくれないかと依頼あり。しかし機材の関係で断ると東宮側から9/14午後5時の部に見に行くと連絡あり。ただし観客の中にビデオ撮影をするような者がいればすぐに帰る、関係者は愛子さまに「どうでしたか」など話しかけてはいけない等注文付き。
日にちが迫っていたため、東京都写真美術館ホールは慌てふためきつつも、東宮夫妻及び関係者の20席分を確保。さらに同世代の子供がいた方が愛子さまも楽しかろうと配慮して、園児20人をサクラとして招待。
ところが14日当日午後1時(上映4時間前)になって突然のドタキャン。理由を尋ねても「それは言うことではない」と教えてもらえない。
関係者が「よかったら感想だけでも」とDVDを東宮に送ったが、返事はないとのこと。|-| 2007年10月2日| 『週刊女性』10/16号<おじぎ、お声があいまいのご挨拶、足をクネクネ…愛子さま「そろそろ皇族の品格を!」の声]>
問題だらけの43歳母・雅子の「皇族の品格」を問われるより先に、槍玉に上げられた5歳10ヶ月愛子(´・ω・`)カワウソス
→『週刊女性』10/16号記事]|-| 2007年10月6日| 学習院幼稚園運動会、愛子は笑顔の実に楽しそうな様子でお遊戯「こびとさん」をしてみせる。
だが従来報道の「はにかんでおられた」「緊張なさっているようだった」愛子像からかけ離れた、ハイテンションすぎる傾向もあり「今日はお薬なし?」とも囁かれる。
getty画像でペアの男の子とちょっと変わった手つなぎをしている]ことが確認され、手の使い方が気になるところ。他に玉入れとリレーも参加とのこと。
一方、観客席の皇太子と雅子は大口開けた「馬鹿笑い」]表情を全国放送で流される。雅子は「おおきなて」という楕円ボール転がし競技に参加とも。|-| 2007年10月9日| 『サンデー毎日』10/21号<秋の刈りたてワイド/来春は小学生、愛子さまが「お辞儀をしない」のナゼ?>
先月大相撲観戦]や夏の那須御用邸静養の地元県知事出迎え]で、愛ちゃんがきちんとしたお辞儀のご挨拶ができなかったことについての記事。昨年着袴の儀でも雅子が愛子の耳元で何かを言ったら〝イヤッ!〟というように首を振ったなど、躾やマナーの点で皇太子夫妻は甘いと、ある教育者の弁。同じく東宮家内親王として育った紀宮さまはきちんとお辞儀・ご挨拶ができたのに、愛子は…という比較もあり。
しかし東宮一家擁護でおなじみの碓井真史・新潟青陵大学大学院教授は珍コメント発表:
「愛子さまは、5歳児としてはごく普通のお子さまと見受けられますが、どちらかというと、慣れるのに若干時間がかかるのかもしれない、それだけのことだと思います」
「世の中が大きく変動している中で、皇族はこうあるべきという部分も変わって然るべきです。昔の皇族ができたから愛子さまにも、というのは違うような気がします」
読んだ人( ゚д゚)ポカーソ|-| 2007年10月11日| 『週刊文春]]』10/18号<愛子さま「いやな噂」を一掃した「弾ける笑顔」の理由>
幼稚園運動会でのハイテンションな愛ちゃんお遊戯についての記事。これまで「緊張されているご様子」「はにかんでおられる」と報じ続けていたマスコミもまた、一貫して「笑顔が無い」ととらえていた見方が露呈される。
しかしあの笑顔は珍しい部類のものだと東宮職関係者の談として紹介される:
引用:一時期「愛子さまは笑わない」という〝噂〟が雑誌の記事になったりもしたが、今度の運動会の笑顔でその噂も完全に払拭された。ただ、愛子さまが普段からよくお笑いになるのかというと、決してそうでもないようだ。前出の東宮職関係者が話す。
「最近になってよく笑われるようになった、という印象はありません。いまでも御所ではほとんど表情をお出しにならないんですよ。御所の中で宮さまに偶然お目にかかった際は、職員から『ごきげんよう』とご挨拶するのが決まりなのですが、職員からそう言われても、いつも愛子さまはは何も仰らずに、そっぽを向いてしまわれる。つい先日もそういうことがありました。相手が大人だと笑顔が出ないんでしょうか。でも恥ずかしがっているふうでもなくて、表情も変えずにじっと見つめたりなさるので、こちらもどうしていいものかわからないときがあります。いつかは愛子さまが笑顔で『ごきげんよう』と言ってくださるといいのですが」(東宮職関係者)|-| 2007年10月13日| 今年も幼稚園の授業として学習院初等科運動会見学、昨年と同じく初等科に向かう路上にて手引きロケ撮影]。何事か話しかける雅子に一切注意を向けない愛子。先週幼稚園の運動会で披露した「こびとさん」のお遊戯を、13日も同級生と一緒に踊ったと報道(年長組の恒例)。「愛子さまはこのお遊戯を大変気に入っていて、ご自宅でも皇太子ご夫妻や職員の前で披露されている」と宮内庁発表。|-| 2007年10月20日| 美智子皇后陛下73歳のお誕生日回答文書]発表。文書中で使用された「敬宮」は0回&「愛子」5回と、昨年発表文書]中の「敬宮」2回&「愛子」0回から明確に変化した姿勢を打ち出す。
「(ジュズダマを)毎年集めると,いつか針の持てるようになった愛子と,首飾りを作って遊べるかもしれません。」と昨年11/11着袴の儀ニュースでの「先月中旬の秋の遠足では、掘った芋を入れて帰る布袋に、自分の名前をローマ字で刺しゅうした。」と食い違うことを述べられる。昨年の愛子刺繍発表と今年の皇后陛下文書、どちらかが嘘を書いていることに。
夕方にはお誕生日お祝い挨拶に皇太子が付き添って愛子が皇居に向かったが、その車中にてお口ポカン&魂が抜けたような目で、先日元気にお遊戯していた子と同一人物とは思われない様子の愛子]が全国ニュース映像で流される。|-| 2007年10月25日| 『週刊文春]]』11/1号が記事にて「11月7日から東宮一家御料牧場静養」と報じる。11/7は平日水曜であり、学習院幼稚園入試=幼児選考11/6ー11/11の期間を利用しての静養と考えられる。|-| 2007年10月31日| 『週刊新潮』11/8号p138のTEMPO TOWNページ、「東宮御所」職員を感激させる「愛子さま」の記憶力
<なにより凄いのは、東宮御所で働く職員の顔と名前も全て覚えておられること。幹部は役職名まで、例えば“野村一成東宮大夫”と、きちんと言えます。職員とすれ違うときは、フルネームで挨拶をして下さるので、言われた職員は皆、感激しています>←記事文中の皇室担当記者コメントのママ
…つまり融通の利かない記憶力で一旦フルネームで記憶してしまった後、場に合わせた適切な表現(○○さん等)に切り替えられないということで、「ああ、やっぱりこれは………」とお察しする住民続出。|-| 2007年11月6日| 『週刊女性』11/20号<2泊3日完全密着雅子さま愛子さまへの藍染めシルクスカーフと海外公務への希望>
徳島県の藍の館にて雅子はハンカチを藍染体験]、愛子へのお土産として藍染館館長による藍染シルクスカーフを託された。
皇室担当記者によると最近の愛子は 絞り染めや絵の具を水に溶かす遊びをしているので喜ぶだろう、とのこと。また御所でひろったドングリを両殿下とともに「オブジェ風の工作」にしているとも。|-| 2007年11月1日| 徳仁親王が1日付けで国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁に就任したと宮内庁発表。日本の皇族が国連などの常設国際機関の役職に就くのは初めて。議長は初代が故橋本龍太郎元首相で、現在はオランダのアレキサンダー皇太子が務めている。この時期における国連事務総長は、韓国の潘基文氏。|-| 2007年11月7日| TBS秋の皇室スペシャル「笑う愛子さま(以下略)」]とインパクトのあるタイトル番組。
古くから雅子と親交のある書家小川東洲氏が、正月書初めで雅子が後ろから愛子の手を取って書いた字を「立派すぎる」と絶賛]、観た人('A`)|-| 2007年11月8日| 東宮一家、車移動にて那須御料牧場へ。『週刊文春』11/1号記事では7日出発予定だったが8日に。御一行様スレPart1054]にて「7日は中止。8日に車で。。。。」という謎の予言書き込みがあり、それが的中する。
愛子は「元気にお手振り」とのマスコミ報道だが、動画では無表情で右肘を高く上げ腕を横にした窓拭き的微妙お手振り]。|-| 2007年11月15日| 『女性セブン]]』12/6号<愛子さま・お手ふり5秒間のご成長―お友達のママにも自分からごあいさつを>
愛子はお友達のお母さんに駆け寄られ、人懐こい笑顔で「○○くんのおかあさま、おはようございます。」と挨拶するとのこと。運動会の際緊張している様子のお友達に「○○くん、おゆうぎがんばろうね。」と声をかける場面もあったとか。
→ツッコミ:「パパ・ママ」と報じられていたのがいきなり「○○くんのおかあさま」? 学習院の挨拶は「ごきげんよう」では??
11/8御料牧場に到着の際、報道陣のカメラに向かって自発的にお手振り。以前はとても緊張した様子&隠れる素振りを見せられていた愛子が、わずか5秒間程度であったものの自分からお手振りされたことで、報道関係者は感激したとか。
→ツッコミ:御用邸静養への移動等これまで見せていた愛子の「お手振り」は自発的なものではなかったというマスコミ証言か??|-| 2007年11月16日| 多摩動物公園への秋の遠足で園入り口まで雅子が付き添い。相変わらずのロケ撮影がされる。最初は笑顔を見せた愛子が、雅子に手を引かれつつ話しかけられたちまち無表情に、更にはお口を膨らませプップクプー]も。
またいつもの通り大きな靴で足を引きずるような調子でよたって歩いている]のも心配される。|-| 2007年11月20日| 『女性自身』12/4号<雅子さま・愛子さまへの感性教育-「お絵描き」「感謝の手作りアルバム」>
愛子さまが最近描く絵は色彩感覚に優れて緻密だとのこと←眞子さまに対抗?
雅子さまの熱心な感性教育のお陰でいつのまにか愛子さまは感性豊かなお子様にご成長された。←ほとんど原文ママw
松崎コメント「以前愛子さまが笑わないとかお友達の輪に入っていけないとか心無い噂や憶測がありましたが、その原因の一つは宮内庁の過剰なまでの報道規制のせいだった。」
その一方で合せて掲載されている学習院幼稚園保護者の一人のコメント:「去年の遠足の愛子さまはどこか緊張なされていた。去年の運動会のときもお一人でポツンとしていて、まったくお友達の輪に溶け込めないご様子でした」|-| 2007年11月29日| 秋篠宮殿下42歳お誕生日につき紀子妃殿下と一緒に記者会見](11/22)ならびにご一家映像(11/18)発表。
愛子について、秋篠宮殿下は「愛子内親王」、紀子妃殿下は「敬宮さま」と呼ぶ。
東宮一家が学校休みや夏に秋篠宮家へ遊びに来たことが明かされているが、その逆に東宮家が秋篠宮家を招待したというエピソードは紹介されていない(=向こうから都合のいいときには遊びに来るが、招待はしないということ)。
紀子妃殿下が悠仁殿下に接する愛子について「何となくそばにいらしてくださって」と表現されるなど、5歳の愛子が自分から赤ちゃんをあやそうという行動がないようで、自発的な関わりが乏しい様子が窺える。|-| 2007年12月1日| 愛子満6歳誕生日。多くの人々の予想通り東宮家の飼い犬(ピッピとまり)を起用した撮影映像が発表される。
ニュース編集映像では、昨年の大げさすぎるレンタルポニーに比べればほのぼの感のあるものだったが、にこにこアルバムでのロングバージョン]では6分以上に渡る映像で親子の会話が見受けられない寒い内容。宮内庁HPで公式発表された写真]もまっすぐきちんと立ったポーズが一つもなし。
その他犬をめちゃくちゃ触りまくる雅子に、犬に「伏せ」の命令をしても従ってもらえない皇太子の姿などが映像に記録される。
同日両陛下へのご挨拶に一家三人で参内したが、車中ではお手振りもなく無表情]で、以前と変わらぬ愛子であった。参内する車中の三人についてもにこにこアルバムで動画撮影されているが、その映像]冒頭に「たすけて~~」という声があり見る人を[して愛子が滑り台で遊んだとも伝える。
→日テレにこにこアルバム動画]
 また当夜は学習院幼稚園同級に脱出組がいて誓約書を書かされている?との複数書き込みがされ話題になる。

2008年3月10日『週刊現代』3/22号<雅子さまの最新「病状」と皇太子殿下の「決断」>にて、「小和田家は娘を引き取るべきだ」の声もあるとする記事を発表。2ちゃんねるニュース速報+板でもスレッドが凄い勢いで17まで進行する。
2008年3月11日皇太子、昨年に続きマーキングマラソン。今回は赤坂御所外を2周する。

当日雅子と愛子は幼稚園帰りに電車でGO!だったと目撃mixiあり。またマーキングマラソンを東宮御所の門前で応援した]とのこと。

2008年3月13日皇太子と雅子が御所参内、花山天皇についての進講を両陛下と受け昼食もともにする。]雅子はこれが2/13羽毛田信吾長官苦言後初参内。
2008年3月14日東宮大夫定例会見にて「電車でGO!」体験が11日・12日・14日にされたと発表、わざわざカメラマンに撮影させた]映像まで放映される。

昨年「電車でGO!」は3回行ったとのことだが、公開された11日映像]では雅子が愛子の手を取ってSuicaを自動改札にかざさせるシーンあり。
皇太子誕生日会見「家族のプライベートな事柄ですので,これ以上立ち入ってお話しをするのは差し控えたいと思います」発言があったのに対し、どう見てもプライベートでしかない映像公開に強い違和感を抱くスレ住民続出。

2008年3月15日愛子、同級生50人]と一緒に学習院幼稚園卒業式。入園は全部で52人だったので1名減。

午前中に出てきたWebニュースでは“両親と手をつなぎスキップして登園、園長先生に「はい」と元気よく返事して卒園証書を受け取りおじぎをした”とのことだが、日テレ、TBS、フジ、テレ朝、NHK、テレ東…昼ニュース全て愛子卒園扱わず。
ゲティ等で発表された画像での愛子は左手だけで卒園証書を持ち、右手はなぜか左手小指の先をいじり]、少しお腹を突き出して立っている]様子(スカート裾から判断)。
右足先が左斜めを向いていたり、三人記念写真撮影を切り上げる前に雅子と手をつないでいる様子]も画像に残る。靴の大きさ]がお別れ遠足に続き強い印象を残す。
雅子は娘が主役のはずの場で、真ん中を陣取り]記念写真におさまる。
午後3時過ぎにANNやJNN等で映像が公開されだすも、午前中に報じられた“スキップや式典での「はい」やおじぎ”はなし。雅子が愛子の制服を指でつまんで体の向きを換えさせるシーン]もあり、やはり言語による指示で動くことは難しいと思われる。また記念撮影で三人が立っている間に愛子の足首がくねっと曲がる瞬間]もあり、愛子シャネル足くねくね低緊張状態は継続中の模様。
動画では静止画像より更に愛子が心配という声が多数上がる。
→3/17発表日テレにこにこアルバム動画]
記念撮影中、愛子の足首がくねっとなったのに気づいた雅子と徳仁が二人揃って愛子に話しかけだす。そして「いやいや」の意を表すかのように雅子の右手をとる愛子(そのため右手同士をつないでいる格好に)、このタイミングでもう無理と判断し切り上げ、記念撮影が終わり建物内に戻るとあっさり手を離す雅子]、すかさず右から愛子に近寄るハクションさんの姿が確認できる。
参考Youtube:入園卒園入学-愛子さま ttp://www.youtube.com/watch?v=IwqzUMFr1-c

2008年3月21日雅子と愛子、リトミック時代の友達&その保護者らと青山「こどもの城」に遊びに出かけ、その後北青山イタリアンレストラン「セラン」で一緒にランチ。

翌日22日MSN産経皇室ウィークリーで「愛子さま、イタリアンランチに“舌鼓”」]との記事タイトルで報じられる。
なお雅子は前日20日の春季皇霊祭の儀・神殿祭の儀祭祀を欠席している。

2008年3月24日『女性自身』4/8号pp.38-39で、この日スケートに出かけたと記事に書かれる。また昨年スケートは「1度挑戦」だったとのこと。

<引用>そして、さらにその翌々日の24日には、愛子さまをお連れになって、明治神宮外苑アイススケート場へ。一般公開されていない午前中に、愛子さまはお友達とスケートを楽しまれる予定も組まれていた。
「スケートは秋篠宮家の二女・佳子さまがお得意なのは有名ですが、愛子さまも去年1度挑戦されています。仲良しのお友達とご一緒に練習されると聞いています」(皇室担当デスク)

2008年3月26日『WiLL』5月号発売で「西尾幹二・皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」]記事発表。その余りに踏み込んだ内容と切れ味鋭い文面に大変盛り上がり、WiLL5月号祭りとなる。

また同日東宮一家が2/13長官苦言以降、初の自主的参内で両陛下と2時間程昼食会。28日からの奥志賀スキー前挨拶と思われる。

2008年3月27日『週刊新潮』4/3号発売[の動きにwktk。

同日には池田礼子一家を東宮仮御所に招いてのホームパーティが開かれる予定だったが中止。≪週刊文春2009/1/1・8号、女性セブン2009/1/8・15号、週刊ポスト2009/1/16・23号≫|-| 2008年12月29日| 雅子&愛子、青山円形劇場ファミリーオペレッタ「タントさんのふしぎなレストラン」ゲネプロを“小和田家のかたがたが同行”して鑑賞≪女性自身2009/1/20号、女性セブン2009/1/22号≫|}

2009年[特例会見問題は皆スルー。

この度一般参賀は午前中に3回、雅子は全て出席。また昼の祝宴も出席。
夕方には4人の子供たちが祝賀挨拶に参内したが、徳仁が付き添った愛子は会釈どころかお手振りすらなく、ただ口を半開きにしてぼうっとしたままの表情]。

夕方にTBSが愛子と悠仁殿下の特集コーナーを放送。愛子特集は横浜ベイスターズ内川聖一選手らインタビューを中心にした野球内容]。その中で内川選手一人だけが貴賓室に呼び出されたが愛子とは話をせず雅子を介したとか、貰ったサインバットを愛子が「引きずりまわしている」といった、かなり変な証言が語られる。悠仁殿下については動物好きほのぼの内容]。

2009年12月中旬~下旬小和田夫妻が帰国。2008年春夏に軽い脳梗塞を起こして入院したこともあった小和田恒が、血栓治療で世界的に有名な大学病院にてバイパス手術を受けていたと、『女性自身』2010/1/19号が記事にする。手術日から約10日後の28日退院。23日には池田礼子一家が病院を見舞い病室でクリスマス会。「病院から出てきた礼子さんの2人の子供は、サンタクロースとトナカイの手作りお面を頭につけていた」と、病院訪問時に空気が読めないのかどうだかよく分からん光景が女性自身記事で紹介される。

30日には日本橋三越で小和田夫妻を目撃したとの書き込みもなされる。

なお12月26日東京新聞]で、「オランダのライデン大学大講堂で蘭日賞授賞式が開かれ、日本人として初受賞となる拓殖大学国際学部の長坂寿久教授(他1名)に小和田恒がプレゼンターとして授与」なる記事が報じられる。しかしこの蘭日賞授賞式、長坂教授在籍の拓大HPでは11月9日と記載](同大HP掲載も同日である)。つまり前月9日の出来事を、1ヵ月半経過したこの日に態々報じていることになる。長坂氏側は11月9日時点で受賞事実を公表しており、受賞日付すら明かさない形でなされた謎の1ヶ月以上遅延報道理由は小和田サイドに求めるのが妥当であろう。
どうやら、恒脳梗塞バイパス手術をあくまで秘密にしておくための、健康アリバイ作りと推察される。

2009年12月29日11年ぶりに復活した表参道ケヤキ並木のイルミネーションを、午後5時過ぎ東宮一家が車中見物≪毎日新聞12/30]≫

21日に恵比寿駅前バカライルミネーション見物&妹池田礼子一家とのディナーが予定されていたが、恒の入院バイパス手術の影響で中止。


2010年[が発見されたことにより、憤慨の声高まる。

2010年7月16日皇居御所にて菊栄親睦会晩餐会が開かれ、両陛下・徳仁・秋篠宮両殿下・常陸宮両殿下・三笠宮両殿下+旧宮家当主と配偶者が出席するも、雅子欠席≪MSN産経皇室ウィークリー7/17]≫
2010年7月17日福井新聞が、愛子担当看護師を務めた後福井赤十字病院に復職した中川直美さんのインタビュー記事を掲載。中川さんは1992年から3年間、皇太后宮職看護婦として香淳皇后お世話付きに、2001年12月から東宮一家健康管理と愛子保育看護スタッフに抜擢、宮内庁東宮職看護師長として派遣されていたとのこと。インタビュー内容は概ね当たり障りのない無難なものであったが、愛子について「(私が)庭でバランスを崩しそうになったときに手を差し伸べ、大丈夫ですかと気遣っていただいた。一方でユーモアにあふれ、虫が大好きな子どもらしさも兼ね備えられ本当にかわいらしかった」と、それが最も近くに接する立場の人間にとっての一番の思い出??と若干違和感も。また愛子についても、世間から常に注目が集まり「側につき、もっと守って差し上げられたら」と後ろ髪引かれる思いとのこと。当記事は早々に福井新聞HP上から削除されてしまい、魚拓]で閲覧可。

ニュース速報+板:【皇室】愛子さま担当看護師任期終え感想日赤の中川さん「もっと守って差し上げられたら」と]

2010年7月20日この日、徳仁と雅子が揃って愛子に付き添い登校、授業参観≪毎日新聞7/20]、毎日新聞7/23]≫ ついに徳仁までもが同伴登校したということでorzとなるスレ住民奥様続出。

同日、東宮御所にてバングラデシュのグラミン銀行ムハマド・ユヌス総裁と接見、雅子はドタ出参加する。父小和田恒と交流がある人物]だけに「特別な興味があった」とのこと≪thefinancialexpress-bd.com7/21]、thedailystar.net7/21]、theindependent-bd.com7/21]≫ 当初予定時間30分のはずが1時間以上に延長≪grameencreativelab.com7/20]、MSN産経皇室ウィークリー7/24]≫

2010年7月22日終業式前の休校日、徳仁愛子父子が愛子友人数名と共に東京体育館でのボリショイサーカスお楽しみ、雅子は同行予定だったが取りやめ≪産経新聞7/22]≫。目撃ブログでは「愛子さまのピンとした背筋はすばらしかった]」といった書かれ方をしたものがあったが≪Part1871-377≫、後日『週刊女性』8/10号で掲載された現場グラビア写真]によると、愛子の隣に座っている女児と男児はしゃっきりした良い姿勢だが、愛子はいまいち落ち着きのない格好。特にすぐ隣の女児は何故か愛子と似た髪形をしており、「目撃者はこの子と間違えたのでは?」という声上がる。

雅子はドタキャンしたと、『週刊文春』8/12・19合併号が記す。

2010年7月23日学習院初等科1学期終業式があったこの日も雅子が愛子に付き添い登校。愛子は式を欠席してホームルームにのみ出席。その後雅子は初等科長と懇談するが、なんと愛子が一人で勝手に帰ってしまうという事件発生。どのような言葉を発して愛子は帰ったのか、どのルートを通ったのか、その間随員・SPたちは何をしていたのか、様々な媒体で取り上げられることになるが情報錯綜状態。

愛子一人下校事件に触れた雑誌記事:
『週刊女性』8/10号<新聞・テレビが報じない 愛子さま[が氏の身に発生しなければいいけど」といった同情感想続出。

2010年9月24日野村東宮大夫定例会見にて、「愛子が10月に開かれる初等科運動会の練習に加わっている」「雅子付添いで一部の授業だけに出席する状況は変わりないが、学校での滞在時間は増えてきた」などと紹介。

加えて、『週刊文春』9/30号<雅子さまと愛子さま「母子セラピー計画」>に対し「事実誤認で遺憾」として編集部に抗議したこと、『女性セブン』10/7号<皇太子妃雅子さま・皇太子さまも動かれた主治医と決定的亀裂>に対しても否定発表する。≪共同通信9/24]、MSN産経皇室ウィークリー9/25]等≫

2010年9月25日深夜2時32分、毎日新聞がWebニュースで「愛子さま:徒歩で下校雅子さまと一緒に]」掲載。内容は、24日雅子と愛子が徒歩で下校したというだけのもの。二人の徒歩下校は愛子が3年生になって以降初めてとの説明付き。
2010年10月17日学習院初等科運動会。
2010年12月1日愛子9歳誕生日。この年初めて愛子一人の形式にて画像・映像が公表される。「寅」「由莉」といった字を半紙に毛筆で書いている書道光景]や一人でソファに座っている相変わらず手に違和感がある愛子の姿]が放映されるが、「筆の持ち方に癖がありすぎ」「文鎮をどうして斜めに置くのか?」「背中にクッションを置くなど姿勢が悪すぎる、まともな書道の先生がついていないのでは?」「もうすぐ寅年は終わりなのに何故寅?」「飼い犬“ゆり”の名をいきなり漢字で発表しなおしたのにどんな意味があるのか?」「寅は手本を見ながらだったのに、由莉に手本がないのはどうして?」という突っ込み多し。

愛子近況として野良猫親子を引き取って飼い始めたなるニュース]が流される。夕方には誕生日恒例の両陛下挨拶参内があったが、付添いの両親徳仁雅子はニラニラ笑顔・雅子左手振り・愛子の無表情ぶり]も相変わらず。

2010年12月7日学習院初等科3年生社会科見学で、神奈川県かまぼこ工場に他児童とは別の車で雅子同伴事件発生。≪毎日新聞12/9]、アサヒコム12/10]≫

雅子のドタ出参加ぶり、移動バス準備など横暴としか言えないほどの愛子特別扱いぶりについては『女性セブン』2011/1/1号]が記事にし、同月24日東宮職が抗議し「今回のご視察への妃殿下のお付き添い」]と言い出す。『週刊新潮』2010/12/30・2011/1/6号]は急遽愛子が行きたいと言い出したとドタ出参加を記す。

2010年12月9日雅子47歳誕生日。夜には恒例の両陛下・秋篠宮両殿下・黒田清子さんご夫妻・そして雅子実妹池田礼子夫妻&渋谷節子を招いての東宮御所夕食会が開かれる。≪MSN産経皇室ウィークリー12/11]、女性自身12/28号≫
2010年12月22日『女性セブン』2011/1/6・13号<皇太子さま、雅子さまを支える「正田家祖父母ぬかるみの土下座」の記憶>が発売。内容はというと……1965年礼宮誕生後、皇太子ご一家(当時)は軽井沢静養へ。一度でいいから孫を抱きしめたいと思っていた正田夫妻と、美智子さまたちが偶然出会ったというようにセッティングされる。間もなくご一家を乗せた車が到着すると連絡を受けた正田夫妻は、前日までの雨でぬかるんでいた道路で土下座。職員が立ち上がるように声を掛けても止めず。到着した車内から飛び出してきた当時5歳の浩宮は泥に汚れた祖父母の手を取り「おじいさま、おばあさま、どうか、おやめになってください。立ち上がってください」「私はおじいさまとおばあさまの孫なのですから、このようなことはやめてください」(原文ママ) ……てなことを語り、その徳仁の体験が現在妻雅子を庇い守る態度につながっているという、実に歯の浮きそうな美談記事。

当記事については「当時皇太子ご一家・美智子さまの動向は大きく注目され、事細かに報じられていた。正田夫妻のこんな振る舞いがあったなら報じられていないわけがない」「ぬかるみの中土下座して皇族をお迎えするなんて逆に失礼すぎ。孫が祖父母をいさめるのも違和感ありすぎ。これらをまともな美談として捉える感性は日本人のそれではない、朝鮮・中国方面がこの記事作成に関わっているのでは?」「1965年11月30日に礼宮が誕生して、同じ年に軽井沢静養? 出産後間もないのに冬の軽井沢静養なんて信じられない」と、ヘビー皇室ウォッチャー揃いのスレ住民奥様方からしてそんなエピソード全く聞いたことないし嘘くさすぎるという感想ばかり。実際この見方通り、同月28日には宮内庁から「記載のような事実は全くない」と完全否定されることに。
→2010年12月28日参照。

2010年12月23日天皇陛下誕生日。陛下会見(20日収録)]にて「今年は,学習院初等科3年になる愛子に,登校が難しくなるという思い掛けない問題が起こり,心配しています。皇太子,皇太子妃の心配も大きいことと案じています。そのようなことから愛子と会う機会も限られ,残念ですが,交流としてお話しできるようなことはまだありません」とのお言葉登場。平成18年(2006年)陛下誕生日会見]における「愛子は幼稚園生活を始めたばかりで,風邪を引くことも多く,私どもと会う機会が少ないことです」から事態は何ら進展していないことが明らかになる。ちなみに収録の約1週間前同月14日に新年発表用ご一家映像撮影会が執り行われており、「交流としてお話しできるようなことはまだありません」ご発言はその時の愛子の様子も受けているのではないかという見方多し。

祝賀や一般参賀には雅子も登場したが、茶会などには欠席の不完全公務。
雅子が茶会などの公務を欠席したこの日、愛子の友達を東宮御所に招いて遊んだとのこと≪女性セブン2011/1/20・27号≫

2010年12月24日引き続きこの日も、愛子の友達20人ほどを東宮御所に招いてクリスマスパーティを開いたとのこと≪女性セブン2011/1/20・27号≫

また同日、池田礼子宅を訪問してクリスマスパーティ≪女性自身2011/1/18・25号≫という、実にご多忙なお遊びスケジュールをこなすことに。

2010年12月25日またも引き続きこの日も、愛子の友達を東宮御所に招いて遊んだとのこと≪女性セブン2011/1/20・27号≫
2010年12月27日年度中途のこの日付で小山久子養育専門女官が退任。2008年4月1日着任から僅か2年7ヶ月程度の就任期間であった。理由は自身の体調のためとされているが、同月12日学習院大OBオケ定演で徳仁付添い姿を目撃されているなど、真の理由は不明。愛子のための養育専門女官でありながら、愛子にはまったく関係ない定演同行していた点も注目される。小山氏については愛子不登校問題について雅子と激しく対立していた様子が、年明け発売された『週刊新潮』2011/1/13号・『週刊文春』2011/1/13号・『女性セブン』2011/1/20・27号で記事にされることに。

ttp://sankei.jp.msn.com/culture/imperial/110108/imp1101080701001-n1.htm
【皇室ウイークリー】(166)愛子さまの養育専任ポストは“廃止” 天皇陛下のお忙しい元日…行事18件
2011.1.8 07:00
 宮内庁東宮職の野村一成東宮大夫は7日の定例会見で、皇太子ご夫妻の長女、敬宮(としのみや)愛子さまの「養育専任東宮女官」を昨年12月27日付で退官した小山久子さんの後任の女官を、小山さんと同様の養育専任とはしない考えを明らかにした。
 野村氏は、元学習院幼稚園園長の小山氏が、健康上の理由で辞めたことを改めて説明。代わりとなる「通常の女官」を人選中とした。
 養育専任東宮女官のポストを「廃止」する理由については「彼女は専任女官ということで採用しましたし、やっていただいたんですが、『もういいでしょう』という感じです。宮様のご成長もございますし、全体でしっかりとお支えするというほうがいいという判断です。侍従もしっかりとお支えをしておるわけで、東宮職という組織全体で対応することになります」と説明した。

2010年12月28日『女性セブン』2011/1/6・13号<皇太子さま、雅子さまを支える「正田家祖父母ぬかるみの土下座」の記憶>記事について、宮内庁が「今はもう故人となられた正田ご夫妻の名誉に関わることですので,念のため,天皇皇后両陛下及び皇太子殿下(当時5歳)に当時の事実関係について伺ったところ,記載のような事実は全くないとのことでした。」と完全否定発表]。また「1965年の夏休みに,軽井沢において,当時の皇太子ご一家が,正田ご夫妻と会われた際」と、当年正田夫妻と会った事実はあるが礼宮が生まれる前の夏のことであり、ここからしてセブン記事が当てにあらないことを主張。徳仁だけでなく両陛下にまで伺って事実確認するなど、実際洒落にならないとんでもない事態である。女性セブンにこんな捏造記事を書かせ発売されたそのバックはいったい何なのか、大いに注目されることに。

同日には両陛下主催職員たちとのお餅つきが皇居御所で行われ、東宮一家・秋篠宮両殿下&悠仁殿下・黒田清子さんら出席。「午前10時50分ごろ、皇太子さまが一人で皇居にご到着。その約1時間後に、皇太子妃雅子さまと愛子さまが車で半蔵門を通られた」≪MSN産経皇室ウィークリー2011/1/1]≫

2010年12月29日東宮一家が午後5時半前から青山通り~表参道~丸の内イルミネーション一家見物≪毎日新聞12/30]≫


2011年[】

2011年2月4日金曜恒例の野村一成東宮大夫定例会見にて、懸案の英国王室結婚式について招待状が東宮夫妻宛になるように連絡したと発表。そして“実際に雅子さまが出席するかなどについて、野村東宮大夫は「招待状を受け取ってから検討する」と話すにとどまっている”byアサヒコム2/4]

つまり、英国王室から東宮夫妻への招待状を貰っておくけど雅子が行くかどうかの返答はギリギリまで引き延ばすという内容であり、「こんなの一般庶民の結婚式でも失礼過ぎる・有り得ない」というスレ住民奥様方の感想が専ら。また先日宮内庁の風岡次長が定例会見で発表しているのに、どうして下部組織である野村東宮大夫までもがこの件について発表しなければならないのか意味不明という意見も。当野村東宮大夫発表は天皇皇后両陛下葉山御静養(2/3-2/7)の最中になされ、「ゲリラ的発表で徳仁雅子英国訪問決定を既成事実化させようとしている」という見方が大半。

2011年2月5日この日の午前、銀座松屋の開店前に雅子徳仁愛子の3人が「第26回東京私立小学校児童作品展」を鑑賞、愛子は「おばけ」の作品制作をし説明をしたとか。≪ttp://www.ji ji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011020500186 時事通信2/5]]≫

そしてなんと東宮一家3人が開店前にお菓子コーナーの方にだけ廻る予定が惣菜コーナーまで立ち寄っていたことが、銀座松屋の中の人のブログに記載される。≪Part2006-876ニフティブログ「皇太子様方」で検索≫
翌2月5日、皇太子一家は松屋銀座を訪問。『東京私立小学校児童作品展』を鑑賞したが、おもちゃ売り場にも立ち寄った。「愛子さまはアクアビーズファインの追加ビーズを購入されたそうです。雅子さまが、“昨年買ったものがあるのだから、それで遊んだら”と、追加ビーズの購入を愛子さまにお勧めしていました」(デパート関係者)≪女性自身2/22号≫
愛子友人家族も同行、10時開店前に撤収予定が45分予定時間オーバー≪週刊文春2/17号≫
午前8:50東宮御所出発、約1時間40分デパート滞在、開店時刻を大きく回った10:40頃出発。滞在時間延長理由は「楽しまれたから」by野村東宮大夫≪MSN産経皇室ウィークリー2/12]≫
『女性自身』2011年3月1日号<雅子さま、デパ地下お買い物で愛子様に教えた「思い出のチーズ料理」>]とFNN2/23徳仁51歳誕生日ニュース]でも東宮一家の購入品を紹介、雅子購入のチーズフォンデュレトルトセット(パッケージ画像から「ロルフ チーズフォンデュ ピアーノ]」と判明)を“一家団欒の味”“母の味”と無理やりな気持ち悪いマンセーぶりである。また「はちみつ専門店ラベイユ]の銀座のはちみつ(徳仁)+フランス産ブルターニュ(雅子)」も購入。

2011年2月11-12日天皇陛下心機能再検査で東大病院入院(皇后陛下お付添い)、その12日に雅子ら一行は江戸川区スポーツランドでスケートお楽しみ≪週刊朝日2/25号・週刊女性3/1号≫ スケートリンク含め全館10:00-13:00予約]「-お知らせ-2/12(土)は全館貸し切りの為13:00からの営業となります。」≪江戸川区スポーツランドHP]≫
2011年2月18日東宮夫妻が学習院初等科訪問、学校行事の「小さな小さな音楽会」で愛子合唱を鑑賞。午後からは「インフルエンザの症状で欠席や早退する児童が複数いたため学級閉鎖」≪毎日新聞2/19]、MSN産経皇室ウィークリー2/19]≫

そしてこの学級閉鎖、当初21日までの予定だったのが24日まで延長されることに。≪毎日新聞2/22]≫

2011年2月23日徳仁51歳誕生日。公開された映像画像では飼い犬由莉と飼い猫も登場し、珍しく一貫して徳仁がセンターの位置]。しかし夫妻はどう見ても普段着でしかないニット姿。愛子が飼い猫の両の後足をまとめて掴んでいる]といった扱い方が猫飼い奥様方に強い印象を残す。

会見で徳仁は不登校の愛子について「愛子は,学校で怖い思いや辛(つら)い体験をしましたが」と、問題を全く収拾する気のないことが判明。昨年3月東宮大夫による不登校会見を「するべきでなかった」とか徳仁が言っていたとかいうのはやっぱり嘘だったのでは?という見方も。雅子についても相変わらず「長い目で見守れ」主張状態。
補足:徳仁会見]で「雅子がやった公務」の例として取り上げているもの:
昨年の阪神・淡路大震災15周年追悼式典出席のための兵庫県への訪問=2010年1月16-17日
神奈川県への訪問=2009年4月19日、第20回全国「みどりの愛護」のつどい。当初欠席予定とされていた雅子がドタ出することになりパンフレット刷直し、105万円の損失発生。
長野県への訪問=2008年1月25-26日、第63回国民体育大会冬季大会(長野かがやき国体)開会式等。大野裕医師同行。なお女子フィギュアスケート観戦はドタキャンしている。【とんかつ弁当と牛肉弁当】【アッカンベー事件】参照。
徳島県への訪問=2007年10月26-28日、国民文化祭開会式等。大野裕医師同行。関係者との昼食会を欠席して自分だけホテルのカレーを食べたり]している。

当日の東宮御所誕生日祝賀行事は、「雅子さまも祝賀を受ける予定だったが、体調不良のため取りやめた」≪東京新聞2/23]≫とのこと。また両陛下への挨拶参内も同行せず。自宅での夫誕生日行事もできないようでは英国王室結婚式なんて到底無理すぎだろという声が上がるのも当然である。




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2002年の雅子夫人誕生日会見冒頭で飛び出した、彼女の愉快な日本語感覚をスレ住民奥様方全員に印象づけた言葉。そんじょそこらのお笑い芸人でもなかなかこうはいかないものである。なお宮内庁HPには当会見の英...

(奥)

画像説明文で皇太子徳仁の後ろに添えられる言葉。転じて、東宮一家の移動車両における徳仁の座席位置を示す表現。2007年3月11日東宮一家奥志賀スキー旅行前の両陛下へのご挨拶ワゴン車移動ニュースでよく知ら...

(○○に)謝れ

東宮夫妻を何かに喩えた書き込みをした後に、その比喩に使われたものに謝れとレスがお約束のように続くことを示す。ex.「床に胡坐かいて手掴みで物を食べるなんて、まるでゴリラみたい」→「ゴリラはそれが自然な...

黒バイ隊

雅子夫人がグルメやショッピングやドライブなど、私的外出をする際に警護として必ずつくSP集団のこと。『週刊新潮』2005年10月27日号にて報じられた。特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC...

鴨場接待

駐日大使夫妻らを宮内庁が管理する鴨場(埼玉県越谷市「埼玉鴨場」と千葉県市川市「新浜鴨場」の2箇所がある)に招き、皇族方が接待すること。「外交団鴨場接待」のように表現されることが多い。国を代表して訪日し...

高橋紘

東宮家を巡り雑誌等で発言が多く見られた、元・共同通信記者の経歴を持つ静岡福祉大学教授・高橋紘(ひろし)氏のこと。高橋氏は「象徴天皇にふさわしい皇位継承とは、国民に広く支持されるかどうかが基本」との考え...

駅弁抱っこ

先ずこの「雅子による見苦しい下手糞抱っこ」まとめ画像を参照されたい:手の甲乗せ、おマタ鷲掴み、お尻鷲掴み、お股おっぴろげ全開、駅弁抱っこ等々オンパレード画像(日付入り)まとめ画像その2:問題点指摘入り...

食卓

東宮家の中の人、徳仁・雅子・愛子がほとんど共にしないと報じられているもの。心凍るブリザード家庭としか思われないのだが、それでもなお一家円満を主張し続けているところが奇妙というか、必死すぎである。結婚当...

飛んでるぅ~

2008年1月25日長野県小布施町にある美術館「北斎館」にてを「駿州江尻」を見た雅子夫人が発した言葉(スレでは「ぅ~」を付与した形で定着している)。ttp://sankei.jp.msn.com/cu...

頑張り過ぎ

雅子夫人について夫徳仁が主張していること。「頑張り過ぎる」というのがお得意のフレーズである。同日シリーズやら翌日シリーズやらで雅子夫人の振る舞いを観察しているスレ住民奥様方からすれば( ´_ゝ`)フー...

順序が違うのではありませんか

平成24年(2012年)2月18日天皇陛下心臓冠動脈バイパス手術は世に大きく伝えられたが、その後のお見舞いを巡って、まともに打診もせずぐずぐずしていた東宮家の雅子が、秋篠宮妃殿下からのお見舞いスケジュ...

静養

MasakoCalendar作成奥様が組んでくださった、1993年1月婚約発表時期からの【雅子さまワクワク☆静養カレンダー】もご参照ください。雅子夫人についてのニュースにおいて、一緒に使われる確率が非...

青年海外協力隊

自らの知識・技術を活かしたいと考える青年を発展途上国に派遣する[ JICA(独立行政法人 国際協力機構)]の事業のこと。「エリート外交官家庭に生まれ育った私が発展途上国なんてpgr」という意識があるの...

霜鳥加奈

2011年7月21日付で愛子養育担当東宮家出仕となった女性。それまで愛子養育担当出仕には福迫美樹子氏、筒井美奈氏がいたが、霜鳥氏は3人目となる。ほぼ同時期に愛子養育担当人員として雇用された存在として、...

電車でGO!

学習院幼稚園に通っていた敬宮愛子ちゃんとその母雅子とが偶にやっていたこと。タイトー制作の電車運転シミュレーションゲームソフトのことではなく、雅子・徳仁夫妻の「(娘愛子に)一般の子供たちと同じ経験をさせ...

雅愛ウイークリー

]No.日付見出し注目内容2131.7元日にも陛下のご負担軽減策年末の表参道…東宮大夫「良かった」の理由は?新年行事について新年ご一家撮影会裏話、一同並んで撮影している場面ではしりとり新年一般参賀、女...

雅子マター

広義では「東宮家雅子夫人に関する様々な問題事」を表す。この単語は『週刊新潮』2008年4月10日号<男の担任も「横ヤリ交代」 学習院初等科「愛子さまご入学」シフト>記事中にて「雅子さまマター」で登場し...

雅子の迷惑外交武勇伝

Part826スレッドのとある奥様(レス番号371・377・379)が、以前ここに書かれていた「迷惑外交武勇伝」という言葉が気に入ったとのことで、海外における雅子のgdgd振舞い事件を端的にまとめてく...