登録日:2013/02/27 Wed 11:00:00
更新日:2023/08/17 Thu 14:44:19NEW!
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hr/hm 音楽 伝説 ドラッグ 天国と地獄 ロニー・ジェイムス・ディオ バンド ハードロックバンド メタルバンド へヴィメタル 黒い安息日 解雇してないのに辞めていく アイアン・マン パラノイド 13日の金曜日 オジー・オズボーン トニー・アイオミ
Black Sabbathは、イギリスのロックバンド。
幾度ものメンバーチェンジを経ながら40年近くに渡って活動している。
現在でも多くのハードロック・ヘヴィメタルファンはもちろん、ヘヴィロックやグランジなどの界隈からもカルト的な人気を誇っている。
■概要
1969年にオジー・オズボーンが新聞紙に新バンド結成のためのメンバー募集の公告を出したことがきっかけで結成。
その後メンバーの脱退を経てオジー・オズボーン、トニー・アイオミ、ギーザー・バトラー、ビル・ワードの4人となる。
バンド名は当初「Earth」と名乗っていたが、黒魔術や悪魔に興味があったギーザーの影響で、
1964年に公開されたマリオ・バーヴァのホラー映画『BLACK SABBATH』から取ってブラック・サバスと改名。
以降「人を怖がらせる音楽を作る」というコンセプトで音楽を作り始める*1。
やがてデビューアルバム『Black Sabbath』を1970年2月の"13日の金曜日"という曰くつきの日付に出しちゃった。
そして、この怪奇路線が成功し瞬く間に爆発的かつカルト的人気となり、
本当の黒魔術師に誘われたりwwwオジーのドラッグ問題で毎日爆笑ものの伝説を大量生産していた。
しかし、超悪徳マネージャードン・アーデン(オジーの義父)のせいで、
5枚目のアルバム『Sabbath Bloody Sabbath』の頃から人気に最初の陰りが生じると共に莫大な借金を押し付けられる。
以後、借金返済の為にアルバムを制作していく事になると同時に、この頃オジーのドラッグ・アルコール問題が深刻になっていく。
そして、オジーは一度脱退→ソロ活動を始めようとするも上手くいかず→すぐ復帰という迷走をして1979年に脱退。
その後、後任に元RAINBOWのロニー・ジェイムス・ディオを迎えて、
様式美メタル路線に転向して名作『Heaven and Hell』を生み出して大ヒットし、第二期黄金時代を迎える。
しかし、長くは続かず82年にロニーがドラムのヴィニーを引き連れて脱退しDIOを結成する。
その後まさかのイアン・ギランやグレンヒューズと組んだりして迷走を続け、気付いたらオリジナルメンバーはトニー・アイオミ一人になってしまう。
そしてしばらくトニーのソロ活動みたいになっていたが、91年にロニーが一時的に復帰したのを契機に、
オリジナルメンバーの瞬間再結成を経て1997年にオリジナルメンバーによる完全な再結成を遂げ、度々休みを入れながらも活動を続ける。
2006年には三度ロニーとHEAVEN AND HELLという別名義で再結成した後、再びオリジナルメンバー(2013年現在、ビルは脱退)によって活動再開し、
新作アルバム『13』を出し、バンド結成以来初となるビルボードチャート全米&全英1位を獲得する。
スゲェ~
2017年2月を以て活動を休止。
トニー・アイオミ曰く「完全に終わったつもりはない」らしいが、果たして…?
■オリジナルメンバー&黄金期メンバー
ボーカル
- 初代:オジー・オズボーン
愛すべきバカ。彼のドラッグに起因する数々の奇行はもはや伝説的。
間違っても良い子は精神安定剤・LSD・幻覚キノコ・コカインを一緒くたにして、
それをさらに「瓶に虫の入ったテキーラでまとめて飲んだ」なんて馬鹿なマネしないでね。
「その後一週間、自分がどの星にいるか判らなくなった」なんて事になっちゃうよ。
バンド解雇後、ソロ活動が大成功する。
詳しくは項目参照。
- 2代目:ロニー・ジェイムス・ディオ
オジー脱退後のサバスに様式美をもたらし再び蘇らせた凄い人。
詳しくは項目参照。
2010年、がんにより死去。
ギター
- トニー・アイオミ
唯一結成時からバンドに在籍し続けるオリジナルメンバー。
彼もご多分に漏れず他のメンバー同様ドラッグ・アルコール中毒時代があったが、他のメンバーと違って奇行に走る事はなく、作曲・バンド運営に専念。
最初のオリジナルメンバーによる瞬間再結成後の1985年から1995年までは、実質的に彼のソロバンドであった*2。
左利きでレフティギターを使用している。愛器はギブソンのSGモデル。
リフ作りの神様であり、彼のリフメイカーとしての才能は素晴らしい。ただし、アクの強さから好みが分かれる。
実は右手の中指と薬指の先端部分を失っている。なんと板金工時代に誤ってプレス機械に手を入れてしまい、指を切断してしまったという*3。
致命的な事故であったが、工場の監督が彼を励ますために聞かせたジャンゴ・ラインハルトのアルバムと、
監督の「凄いだろ。指が不自由でもこんなプレイが出来るんだ*4。君も夢を諦めるな」という言葉に奮起。
右手の指の先端に洗剤のプラスチック容器を溶かして作ったチップをはめることでハンディを克服した。
さらに僅かな力でも弦を押さえられるよう、弦のテンションを極限まで下げたことにより、まるで潰れたような特徴的な音色を生み出したのである。
つまり、結果論ではあるが、この不慮の事故により、ヘヴィメタルの特色である「硬質感のある重低音」が生まれたことになる。
ベース
- 初代:ギーザー・バトラー
「黒魔術」「オカルト」をバンドに持込み、バンドの方向性を決めたもう一人の中心人物。作詞も担当し、在籍中の楽曲のほぼ全ての作詞を担当。
彼の「荒ぶるベース」プレイはこのバンドの象徴の一つ。
だがベースプレイ同様気性が荒く3回脱退しており、脱退する際にいつも「トニー・アイオミはバンドを独占している」という捨て台詞(?)を言っていく。
その割には飛び入り参加もしちゃうツンデレ。脱退中はソロ活動やオジーのソロ活動に参加したりしている。
ドラム
- 初代:ビル・ワード
オリジナルメンバーの中で一番地味。ジャズ寄りのドラムは決して上手くなくもたついてる。
意外とボーカルの才能があり、サバスでも2曲で歌っている。ソロ活動でもDsと兼任ではなく専任Voをやってる。
オリジナルメンバーの中ではオジーに次いでドラッグによる奇行が多く、
その後遺症か常に健康が不安定で全メンバーの中で一番脱退しており、なんと7回も脱退している*5。リック・ウェイクマンか、おまえは。
94年に一時復帰した際には見事な激太りし、上半身裸で叩くその姿はさながら「ドラム缶がドラムを叩く」と形容された。
96年にサバス名義でツアーを行った際にはオリジナルメンバーにも関わらず呼ばれもしなかった。
97年には念願のオリジナルメンバーによる再結成を実現するも98年には心臓発作で倒れ、代わりにヴィニーに叩いてもらった。
2006年のHEAVEN AND HELL結成の際にも当初は名前が挙がっていたが、ヴィニーの曲が叩けないという理由で土壇場で不参加に…
2011年の復活の際にも、当初は参加していたものの、金銭面とオジー側のマネージメントとの諸問題により脱退。ファンを失望させた。
結局解散まで戻る事はなかった。
- 2代目:ヴィニー・アピス
カーマイン・アピスの弟。人生の半分以上をロニーと共に過ごしたさながら「ロニー専属ドラマー」みたいな人。
ビルと違ってメタリックで手数が多いプレイが特徴。
98年にビルが心臓発作で倒れた時、落ち目だったDIOを脱退して代わりに参加した。
その為長らくロニーと絶交状態だったが、HEAVEN AND HELL結成の際に和解した。
キーボード
- 4代目:ジェフ・ニコルズ
ロニーの頃から参加。加入した当初はギーザーが一時的に失踪していた為ベースだったが間もなくギーザーが復帰した為、キーボードに転向。
この事から分かる様に「Heaven and Hell」のベースラインはギーザーではなく彼が作ったものである。
道理でギーザーの割には大人しいベースラインなわけだ。
その後2004年まで25年もの長きにわたりアイオミと共にサバスを支え続けた苦労人。実はオジーより長く在籍してる。
キーボード以外にリズムギターも担当している。
因みにベースに関しては、86年に1回だけライブで披露している。
いつもステージ裏で演奏しており、1985~6年を除いていつもその姿は見せない。
みんなよく1985~6年を除いていつも’サポート・キーボード’だと勘違いしているが、彼が’サポート・キーボード’なのは1983年までで、
その後はアルバムのクレジットを見てもらえば分かる様に、ロニーやオジーがいる時以外はずっと正式メンバーである。
脱退後は元メンバーのトニー・マーティンのソロ活動に参加していた。
2017年1月28日、肺がんにより死去。
■その他元メンバー&現メンバー
ボーカル
- 本当の2代目:デイヴ・ウォーカー
最初の黒歴史。
ブルース出身の人でオジーが一度脱退した時参加。
TV用の2曲を歌った後あまりにサバスに合わな過ぎて脱退。
彼の歌ったテイクを聴くと確かに合ってない。
- 3代目:イアン・ギラン
言わずと知れた元パープル。
82年のパープル再結成を見越して取らぬ狸の皮算用でGILLANを解散させたはいいが、
肝心の再結成が失敗して路頭に迷っていた為アルバイト感覚で加入。
84年に念願のパープル再結成が成功した為、さも当然の様に脱退。
彼特有のシャウトを用いて歌うHeaven and HellやParanoidは、
オリジネイターのオジーやロニーとは全然違うものの後任のメンバーとは一線を画すほどの独特のアレンジとなっている。
彼の参加したアルバム「Born Again」は賛否両論の珍作だが、イギリスでは全英4位(「Heaven and Hell」より上)であり、
メタリカのラーズ・ウルリッヒが絶賛したりしている。
う~ん。
以外にもアイオミとの仲は最高らしく、パープルを解雇された後の89年にライブに2回飛び入り参加してる。
- 4代目:グレン・ヒューズ
2代目黒歴史。
本来なら実力もキャリアも申し分ないのだが、
加入した頃は自他ともに認める「暗黒時代」で、オジーレベルのドラッグ中毒状態だった。
アルバム収録は何とかなったものの、ツアーでは
新曲以外の歌詞が覚えられない。(…というか覚えない)
↓
バンドミーティングもろくに行わないからアレンジしようにもアレンジが固まらない。
↓
だからきちんと歌詞が出てこない上に、ドラッグ中毒症状で呂律が回らない。
↓
従ってちゃんと歌えない(つーか、歌詞を覚えてない部分は意味のないシャウトを連発してごまかす。)
↓
歌えないから、「自分は本来ベースを一緒にやるはずだったのに‥」と駄々をこねても全く相手にされない。
↓
余計に不貞腐れてドラッグ・アルコールに走る…。
↓
以下(ry…
初日からこの状態で、Heaven and Hellの様な長い曲に至ってはジェフ・ニコルズが代わりに歌う有様…
とうとうライブ5日目で解雇される*6。
ニコニコ動画に彼の数少ないライブ音源が残ってるが、「誰、この人」レベル。
後にドラッグを克服し見事な「ゴッド・オブ・ボイス」を取り戻した後はアイオミのソロに参加したりしている。
2010年にロニーが亡くなった後、追悼の意味を込めて行われたHeaven And Hellの最後のライブにゲスト参加し、
アイオミとサバスで25年振り*7の共演を果たした。
この時のライブでは素晴らしい歌唱を聴かせてくれた。
- 5代目:レイ・ギラン
グレン解雇を受けて加入。
念の為言っとくけど、イアン・ギランとは何の関係もない。
ツアー3日目から突然起用されたにも関わらず、3日間でライブセットの全曲を覚え、ライブでは素晴らしいボーカルを魅せたものの、
アルバム制作でプロデューサーと衝突し脱退。
彼のテイクは現在公式化されている。
その後ジェイク・E・リーやエリック・シンガーとBADLANDSを結成するもエイズで1993年死去。
- 6代目:トニー・マーティン
コロコロ変わっていたボーカルも彼で漸く安定する。
「ロニーに似ている」と言われるが、彼の声は90年辺りまでは本当に素晴らしい。華はないけど。
しかし、ロニーの復帰によって泣く泣く脱退させられたり、オリジナル再結成が失敗したら呼び戻されたりなど、便利屋扱いさせられてる一面もあった。
復帰後の94年以降、声の高音部分が全く出なくなったことで、まるで別人のように変わってしまい、あまりの変わり様にファンは驚く。と同時に、段々薄くなっていく前頭部をファンは嘆いていた。
結局、オリジナル再結成と同時にお払い箱になり、現在ソロ活動中。
- 7代目(?):ロブ・ハルフォード
ご存じJUDAS PRIESTのメタルゴッド。
丁度バンドを脱退して暇な時にロニーがオジー引退ツアー最終日の前座に出演するのを拒否した為、代わりに参加。
まだ、ギリギリ全盛期だった為素晴らしい声を披露し無事前座を務めた。
それから12年の月日が経ち…JUDAS PRIESTに復帰しオズフェストに出演していた2004年8月26日、オジーが気管支炎でドクターストップがかり、
急遽12年振りにロブがサバスのボーカルを務めるダブルヘッダー状態に…
その日ロブはJUDAS PRIESTのステージを終えるとシャワーを浴びてすぐにサバスのステージに立つという離れ業をやってのけた。肝心の内容は‥お察しください。彼に罪はないんです。
ベース
- 2代目:デイブ・スピッツ
ダン・スピッツの弟。在籍していた頃が一番黒歴史だった為、覚えてる人は少ない。
ベースプレイはいたって普通。
- 3代目:ボブ・デイズリー
RAINBOWやオジーのソロ活動で有名な人。
丁度オジーのソロアルバムに参加した後、サバスのアルバムに参加。
「The Eternal Idol」はクレジットされてないが、実は彼がかなり作曲している。
その作曲力と演奏力を買われ正式参加を打診されたものの、当時給与支払いもストップしていた程カオス状態だったサバスに魅力を感じなかったのか、
逆にエリック・シンガーを引き抜いてゲイリー・ムーアのソロ活動に参加する。
- 4代目:ジョー・バート
ボブがゲイリー・ムーアのツアーに参加した為ツアーのみ参加。文字通り臨時雇用。
- 5代目:ローレンス・コットル
「Headless Cross」のアルバムのみ参加。
ニールがVOW WOWから脱退してサバスに参加するのに時間が掛った為、その代わりに参加する。
後にアイオミやトニー・マーティンのソロアルバムに参加している。
- 6代目:ニール・マーレイ
WHITESNAKEや日本でも有名なVOW WOWで活躍した人。
ベースプレイは歴代メンバーの中では一番うまい。兎に角コージーとの相性が素晴らしい。
ドラム
- 3代目:ベブ・べヴァン
ELOの人。さすがにELOだけあって上手いけど目立たない。
87年にちょっとだけ復帰している。
- 4代目:エリック・シンガー
アイオミの当時の恋人リタ・フォードのバンドにいたのをアイオミがレンタル移籍させてそのまま加入。
タイトなプレイでかなり上手い。「The Eternal Idol」制作後に脱退。
脱退後レイ・ギランとBADLANDSを結成したり、ゲイリー・ムーアの所を経て現在KISSで大活躍中。
- 5代目:テリー・チャイムス
元クラッシュ、ハノイ・ロックスの人。ジョー同様この人も臨時雇用。
- 6代目:コージー・パウエル
言わずと知れた「渡り鳥」。
兎に角目立つ特徴的なツー・バスドラムが有名。
アイオミと共にソロプロジェクト状態だったサバスの再建に尽力し、再びバンドとしてサバスを蘇らせた。
彼が初めて参加した「Headless Cross」はサバス後期の名作。
90年に落馬が原因で一度脱退するも95年に再びサバスに加入した。
長い彼のドラマー人生で唯一2回在籍したバンドはサバスのみ。
98年事故死。
- 7代目:ボビー・ロンディネリ
元RAINBOWの人。レインボーでもサバスでもコージーの後任というのは因果なものだな~
- サポート・ドラム:マイク・ボーディン
96年の活動でビルを呼ばなかった為、オジーのソロ活動メンバーからそのままスライドして参加。
ドラムは全然ビルっぽく叩かず自分流の叩き方に徹した為、
オリジナルファンから大不評で、流石のオジーもビルを雇用せざるを得なくなるほどだった。
その意味では完全オリジナルメンバー再結成の立役者でもある。
オジーのソロ活動では、あの悪名名高い「Crazy Train」「Diary Of Madman」のリズム音源差し替え音源で叩いてる人である。
- サポート・ドラム:トミー・クルフェトス
元ロブ・ゾンビ
ビルが脱退した為、現オジーのソロ活動に参加しているこの人もそのままスライドして参加。
今の所ツアーのみ。
- サポート・ドラム:ブラッド ウィリク
RAGE AGAINST THE MACHINEの人。
「13」のプロデューサーであるリック・ルービンが何故かトミー・クルフェトスが大嫌いで、
「ビルっぽく叩けるかつて一緒に仕事した人」と言う事で「13」のアルバムのみ参加。
キーボード
- 初代:リック・ウェイクマン
YESであまりに有名な人。
アルバムのみのゲスト参加。
詳しくは項目参照。
- 2代目:ジェラルド・ウッドルフ
この人もゲスト参加。けどツアーも参加している。
- 3代目:ドン・エイリー
コージー同様神出鬼没な「渡り鳥2号」
RAINBOWに参加する前にちょろっとだけ「Never Say Die」に参加していた。
- 5代目:アダム・ウェイクマン
リック・ウェイクマンの次男。
オジーのソロに参加してる伝手で2006年から現在まで参加。
オジーのソロ同様親子2代で参加している。
おお~
■余談
当初はジャズやブルースを基調としたバンドだった為、サックスとかがいた。
2000年と2014年にグラミー賞を受賞している。
2006年に「ロックの殿堂」入りを果たした。
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▷ コメント欄
- 再点火したな? -- 名無しさん (2013-08-20 00:11:50)
- 日本におけるブラックサバスの歴史はディオ加入から始まるなんてどこかで聞いたことがある。 -- 名無しさん (2021-12-07 09:49:11)
- お薬好き好きなのは「sweet leaf」からお察しできる -- 名無しさん (2022-06-15 18:37:56)
#comment
*2 92年のオリジナルサバスの瞬間再結成やロニー復帰時を除く
*3 彼の役目は工場で鉄板をプレス係に送り出すことであったが、その工場を退職する日にプレス工が無断欠勤していたので、プレス係と送り出す役を兼務する羽目になり、作業に慣れていなかったことで機械のスピードについていけず、事故が起きたという。
*4 1928年にキャラバンの火事を消そうとして半身に大火傷を負ってしまい、一命は取り留めたものの、右足は麻痺し、左手の薬指と小指には障害が残った。診察した医師が「ギターの演奏は二度と無理だ」と思うほどの怪我であったが、ジャンゴは練習を積み重ねることによってハンディを克服すると同時に、独自の奏法を確立したという。
*5 HEAVEN AND HELLをカウントにいれると8回
*6 サバスの歴史の中でも解雇されたのは彼とオジーだけ
*7 ライブでの共演自体は96年に実現しているので、正確には14年振り
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