登録日:2023/06/07 (水曜日) 17:18:00
更新日:2024/07/05 Fri 13:56:18NEW!
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逃げ上手の若君 貴族 公家 野心家 無能 才能の無駄遣い 外道 戦車 弩 中先代の乱 南北朝鬼ごっこ 清原信濃守 火車鬼 戦闘神輿 国司
春は重税 ようよう温くなりゆく 我が懐
麻呂世界は今日も平和じゃ
清原信濃守とは、信濃に存在していたと伝えられる国司*1の事。
本項目では、史実を参考に創作されている漫画作品『逃げ上手の若君』における清原信濃守を解説する。
ステータス
レアリティ (1335年) | ☆☆☆☆ | SSR | |
能力 | 南北朝適正 | ||
武力 | 19 | 蛮性 | 70 |
知力 | 80 | 忠義 | 37 |
政治 | 39 | 混沌 | 46 |
統率 | 20 | 革新 | 86 |
魅力 | 4 | 逃隠 | 21 |
※ステータスの詳細
- レアリティ:その年代における人物の重要度。なのでステータス数値とレアリティが比例しない場合もある。
- 能力面
武力:刀、弓、馬術などの個人戦闘力
知力:知識、機転、戦略などの総合力
政治:内政、調略、権力争いを制する力
統率:政治体制や味方の軍をまとめる力
魅力:善悪に拘らず人を引き寄せる力
- 南北朝適正
蛮性:荒々しい時代を戦い抜く生命力
忠義:高すぎるか低すぎる時に力となる能力値
混沌:次々に変わる環境、状況への適応力
革新:古きに拘らず新しい世界を作る意思や発想力
逃隠:人の眼が行き渡らない時代に適応する能力
- 技能:公家の武
弓術10%上昇
- 技能:気概(乙)
確立で行動力を減らさず行動できる
- 備考:国司の酷使
民忠誠度と引き換えに税収を倍にできる
- 備考:早すぎた才
戦闘御輿と戦車を生産できる
また、長く生きるほど新しい兵器、建築物を発明出来る
概要
後醍醐天皇の命を受け信濃に派遣された新任の国司。信濃守護・小笠原貞宗の上司に当たる朝廷の貴族。
胡散臭さ満点な平安貴族メイクをした痩身の男で、元々は家格も実績のない下級貴族の出身。
着任早々朝廷の権威を傘に
- 鎌倉幕府時代に取り決められた税収をガン無視して自分勝手に重税を課す
- 重税を払えない者や自分に逆らう者から土地を強引に略奪
- 時には見せしめという名目で領民を何人も切り捨て殺害する
といった非道っぷりから、保科からは「貞宗以下の鬼畜生」と唾棄されている。
この清原の暴虐が保科の挙兵と反乱のきっかけとなった。
史実においては1333年~中先代の乱の頃に国司を務めた公家「清原真人某」及びそれと同一人物とされる「左近少将入道某」と思われる。
この時期は国勢が不安定だったため、国司がコロコロ変わっていたのだが*2、彼については名前すらロクに伝わっていない。そのため、他以上に好き勝手創作し放題の人物でもある
マーキング・パターンは「扇に桜」。
人物
一人称は「麻呂」。
諏訪の土地を「糞田舎」と吐き捨て、自身が統治する土地を「麻呂世界」と呼ぶ腐りきったアンチ北条派の悪徳国司。
そもそも信濃の土地に住む人間を「北条に与した」という難癖を付けてまともに人間扱いしていない。
無能、傲慢、非道と、悪役のテンプレ要素を兼ね備えており、お守りを課せられた助房からの評価も「クソ国司」と最悪。
実際ナレーションでも「後醍醐天皇から強めの権限を与えられてイキっている」とまで語られている。
一応救いようのない外道畜生という訳でもなく、国司に任じられる前は北条家に媚び諂い既得権益を貪る怠惰な公家達への強い不満を抱き、内心「自分ならもっと世界を変えられる」という強い情熱も秘めていた。
そして何より「天をも突く気概と野心」は後醍醐天皇にも認められるレベルに本物ではあった。
能力
戦術眼の欠片もないくせに戦場に指揮官として出しゃばり、その場その場で適当な判断をしては引っ掻き回す問題児。
結果1334年の戦いでは、確実に殲滅出来たはずの保科軍の大半を逃してしまうことになる。*3
そのあまりの無能さには「俺たちにとっても厄介だぞ…」と助房が戦慄するほどだった。
初戦敗退後は貞宗から弓術の手解きを行い多少は武力は増したが、それでも「所詮は公家の手習い程度」と戦場での戦力としては論外の評価を下している。
ただし丸きりの無能というわけではなく、戦闘に最適化した全く新しい武装を生み出す発想力、それを実現するための設計図や資材の手配を完璧に整える計画力といった「ものづくりの才能」は非常に優秀。
配下の貴族も「平和な時代に生まれていたらより輝く場所があった」*4と評しており、雫でさえ「生まれた時代と身分と信じた相手を間違えた人」と哀れんでいる。
後に付けられた異名は「火車鬼」。
※鬼について
- 火車鬼
葬式や墓場に現れ、亡骸を奪っていくとされる妖怪。
日本全国に伝承が残り、その正体は閻魔大王の命を受けて罪人の魂を地獄に連れていく獄卒とも、はたまた死体を貪り食らう妖猫とも伝わる。
『宇治拾遺物語』によると、火車は地獄の獄卒が罪人を奪い取りに来る時に使用する炎に包まれた車のことを指し、転じて獄卒そのものや、死人を蘇らせる魔性を持つとされる猫に関連づけられていったとされる。
また、経済の切迫具合を表す「火の車」の語源ともされ、経済的に余裕がない状態で巧く戦車を運用している部分にも掛かっていると思われる。
なお、信濃にも火車伝説は残っており、塩尻村にある虚空蔵山で武田信玄の家臣・多田三八郎が腕を斬り落とした「クハジャ」が火車鬼の一種とされている。
開発・運用した武装一覧
- 戦闘神輿
まっ平にしてくれるわ 賊ども
1335年の北信濃での前哨戦で使用。矢を射るための出窓がついた壁で四方を覆った輿。
金で雇った屈強な棒担ぎ兼護衛が掲げた神輿に乗った清原が一方的に敵を射殺すために開発された。
見た目こそイロモノだが、近接では屈強な鎧武者の担ぎ手の密集陣形で容易には崩せず、無理に近付いても至近距離から弓矢の餌食となってしまう。
また、否応にも目立つためヘイト役として戦術に組み込めるなど戦術的に意外と計算された代物。吹雪曰く「武士の常識を外れた戦術はハマると危険」。
しかし、奇想故に弱点も多く*5吹雪の献策を受けた保科、四宮両名の攻撃で崩された。
- 弩
あの哀れな信濃国司のような…武功が欲しい貧弱な公家には似合いの兵器さ
いわゆるボウガン。佐々木道誉が朝廷の蔵に眠っていたものを発見し、信濃に戻る清原に持たせた。
引き金を引くだけで矢が撃てるため素人でも容易に活用できる利点があり、日本では徴兵制のあった平安時代まで多く使われていた。
作中では欠点として「矢の装填に時間がかかる」ことが挙げられ、やがて速射性のある弓に熟達した武士が台頭することで廃れた。
清原は射ち手とは別に装填に奴隷を酷使することで欠点を強引に克服。
また後述の戦車で守りを固めることで人材不足を補い、弓の撃てない非力な貴族をも強力な戦闘要員に変えることに成功している。
- 戦車
逃げろ逃げろ可愛い賊共
我が戦車で地獄まで乗せて進ぜよう
中先代の乱における清原の最終兵器。
全三階層建ての巨大建造物に大量の車輪をつけた「動く城」であり、清原が陣取る天守が砲塔のように突き出た異形の代物。
この頃の国司の財政事情は戦闘神輿の頃から屈強な猛者を雇うこともできないくらいに逼迫していたが、車輪は牛車、外壁は盾、上部構造は仏塔…というように既存の部品の流用でコストを抑えて作成することに成功した。
驚くべきはその竣工スピードで、何と着工からわずか3日で実用化にまで持って行った。才能の無駄遣い…
内部には
- 車輪を動かしたり、弩を装填する大量の奴隷
- 奴隷をしばき倒して強制労働を指揮する武士
- 戦車の窓から弩を撃つ清原を含めた公家達
とそれぞれ役割分担させて配置。見事に役回りが噛み合った結果、戦場へ一方的に矢の雨を撒き散らし続ける化物兵器と化している。
戦闘神輿以上に盤面の支配率は高く、劣勢だった小笠原勢が戦車を基軸に戦術を組み直すほど。
弱点はあまりの巨躯から小回りが利かない上に動きが鈍く、木造りのため火矢で簡単に燃やし尽くせること……なのだが、清原は保科領内から浚ってきた多くの領民を外壁に貼り付けて肉盾とする「防御装置」によってその弱点を克服している。
総じて戦闘神輿の完全上位互換であり、頼重も「国司の知略は高みに達した」「攻防完璧の怪物」と高く評価している。無論「人の道を外れているという一点を除けば」という前置きを踏まえてだが……
なお、発想としてはヨーロッパ近辺で紀元前から使われていた「攻城塔」に近しく、部品の流用なども加味すればそこまで時代錯誤で荒唐無稽な代物ではない…かもしれない……*6
配下
- 和田米丸
罪人共には ミミズ一匹に至るまで所有権は無いと思え!
国司領の番人を代々務める武士で、国司の私兵“熾燃鬼軍団”国衙近衛を率いる男。米なのにアンパンマンみたいな顔立ちの巨漢で声の大きい乱暴者の悪人。「オラァ!」が口癖。
清原に忠実に従う一方で内心では「野心だけは超一流の無能」と見下しており、清原の野心と権力を利用して信濃でのし上がることを目論んでいた。
清原の権威を傘に北斗の拳のモヒカンじみた乱暴狼藉を諏訪の領民に対して働く下衆だが、近衛軍団の将として振舞えるだけの武芸と恫喝混じりの強い統率力が売り。
劇中では清原信濃守の命令に従い圧政を敷き、保科郎党の挙兵時には国司軍を率いる将の1人として対立。
川中島の合戦では弧次郎と戦い追い詰めたが、保科郎党のチームプレーで馬から引き摺り下ろされたところを狙われて弧次郎に頭をかち割られ戦死した。
※鬼について
- 熾燃鬼
餓鬼の一種。身体から燃える火に苦しみ、常に人里や山林を走り回っている。
生前に権力者に取り入って乱暴を働いたものがなるとされる。
顛末
冬は殺めて 反乱分子は言うに及ばず
敗戦後に京へ戻るも後醍醐天皇から覇気を与えられたことで再起、再び信濃に下ってきた時には貞宗から弓矢を習い、より磨きのかかった悪人面で怒りの表情を浮かべたまま民を射殺す残忍な性格に豹変している。
貞宗曰く「やる気も残虐さも五割増し」。
また、野望も「麻呂世界」から「帝世界」へと変化した。
そして、1335年の北信濃での前哨戦では新兵器「戦闘神輿」に乗って出陣。保科軍に思わぬ混乱をもたらすものの、結局突破され神輿から引っ張り出され敗走した。
瘴奸の奇襲で生じた混乱により命は助かったものの、遂に心が折れまたしても帰京。
帝からも見放されたが、今度は尊氏から神力を涎垂らしによって注入され再豹変。爆速で信濃に戻り、戦のための準備を整えた。
そして、信濃における中先代の乱の最終局面、館に迫る諏訪方に向けて密かに開発していた「戦車」に乗って出撃。
その際の容貌は目の白黒が反転し、顔全体の皺が寄せられた悪鬼羅刹の如き異形と化しており、遂に“火車鬼”の異名が付けられている。
戦車の出現は戦況を好転させるほどの猛威を振るったが、戦車を登り切った時行のパルティアン・ショットを食らってしまう。戦車の構造上、かすり傷にしかならなかったものの、その矢は頼重の神力が込められた黒曜石を使った破魔矢。体に巣食った“鬼”を浄化させるには、かすり傷程度で十分であり体を焼かれるような苦しみに悶絶。
堪らず窓から顔を出した隙を狙って放たれた四宮の矢で体を戦車に縫い止められて動きを封じられ、戦車を登り切った保科の一刀を以て首を刎ねられ死亡。
これまでの川中島の民へ振るわれた暴虐に対する因果応報となった。
麻呂はただ…世界を作りたかっただけなのに
…誰の?
麻呂の? 帝の?
尊
氏
様
あ
ぁ
あ
あ
ぁ
最期は自分自身の理想も、帝からの期待をも忘却し、ただ尊氏の名を叫びながら事切れた。
「イキリ散らすだけの無能呼ばわりされた貴族が」「時代のカリスマに翻弄された結果」「才能の目覚めと引き換えに鬼に堕ちた」という彼の末路は、
「暴力と残虐性に溢れる悪党が」「宿敵と上司に恵まれ」「武士として死ぬところまで辿り着けた」瘴奸こと平野将監と正反対に描かれている。
余談
前述通り、史実上の清原は名前すらロクに伝わっていない信濃国司に過ぎないが、彼の家系は『枕草子』で有名な清少納言を輩出したこともある清氏で間違いないと思われる(清少納言からの直接の氏族かまでは不明)。
冒頭の文言も先祖が記した『枕草子』の一節の改変ではあるが、悪政の正当化に使われるのは清少納言からしてもたまったものではないだろう。
そうだ国司殿は!? 追記・修正が必要かも…
心配無用とのこと
賊共があったら…麻呂が編集す と
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▷ コメント欄
- 敵の領民に対して犯す殺すは日常茶飯事だった鎌倉の世においてもドン引きされた男 -- 名無しさん (2023-06-07 17:37:10)
- 罪人を地獄に運ぶ火車を冠するのは、外道戦車の乗り手と末路を示したのかな? -- 名無しさん (2023-06-10 16:03:31)
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*2 小笠原貞宗も一時は国司の地位にあったという。
*3 実際は時行達の策によりもう保科軍の撤退が始まっていたので、想定した数を討ち取ることは出来なかっただろう
*4 この時、イメージ図として工事現場で穏やかな表情で指示を出すスーツ姿の管理職めいた清原が描かれている。相応の役職と資質が十分に活かせる環境さえあれば、ここまで悪逆非道にならなかったとも言える。
*5 左手で太刀を扱える者は少ないため左側が安定しない、上達したとは言え射ち手の実力は所詮公家の手習いレベル、神輿自体に衝撃を与えて崩せばただの箱…etc
*6 なお、日本では攻城の際に現地で櫓を建てることはあっても、地形の高低差の激しさからか移動式の攻城塔は使われなかったとされる。
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