登録日:2023/05/14 Sun 01:07:11
更新日:2024/07/05 Fri 13:24:49NEW!
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ネオユニヴァースとは日本の元競走馬。
2003年のクラシック二冠を制した優駿にして、あるイタリア人騎手に大きな転機を齎した運命の馬。
メディアミックス作品『ウマ娘 プリティーダービー』にも登場しているが、そちらでの扱いは当該項目参照。
→ネオユニヴァース(ウマ娘 プリティーダービー)
目次
【データ】
生誕:1999年05月21日
死没:2020年03月08日
享年:21歳
父:サンデーサイレンス
母:ポインテッドパス
母の父:Kris
生国:日本
生産者:社台ファーム
馬主:(有)社台レースホース
調教師:瀬戸口勉 (栗東)
主戦騎手:ミルコ・デムーロ
生涯戦績:13戦7勝[7-0-3-3]
獲得賞金:6億1337万6000円
主な勝鞍:03'皐月賞(GⅠ)、03'東京優駿(GⅠ)、03'スプリングS(GⅡ)、04'産経大阪杯(GⅡ)、03'きさらぎ賞(GⅢ)
受賞歴:最優秀3歳牡馬(2003年)
【誕生】
2000年5月21日生まれ、鹿毛の牡馬。
命名由来は日本のロックバンド"L'Arc~en~Ciel"(ラルク)の楽曲、「NEO UNIVERSE」から。
俳優の宮川一朗太氏が一口出資者になっていた。それがきっかけで離婚したらしいが。
社台ファーム代表の吉田照哉氏によれば、幼駒の時は馬体こそよかったものの脚がひょろりとした頼りない姿だと述べていたが、日本ダービー勝利後には遅生まれであったことや、体つきがサンデーサイレンスにそっくりであったと当時の見立てを改めている。
2歳になった2002年にオグリキャップなどを管理した瀬戸口勉厩舎に入厩。
遅生まれだったためデビューは3歳を予定していたが、調教が想定以上に早く進んだため11月にデビュー戦を迎えることになった。
【現役時代】
新馬戦は京都競馬場の芝1400m、鞍上は福永祐一。1番人気に支持されると2番手追走から抜け出し、2着に1馬身半差を付けて初勝利。競走後、福永は「今までにこんな男馬に乗ったことがない。GⅠ級ですよ」と瀬戸口調教師らに述べている。
中京2歳ステークスでは鞍上は池添謙一に乗り替わり。1番人気に支持されたが、最後の直線で2頭に交わされてタイム差無しの3着となり、年内を終える。
翌2003年は条件戦の白梅賞から始動。鞍上は再び福永祐一に戻り、好位から抜け出して2勝目。
さらに初重賞となるきさらぎ賞に出走。シンザン記念の1,2着馬が出走していたため3番人気であったが、最終コーナーで先頭に立つとそのまま押し切って重賞初制覇。
が、福永は「まだデビュー戦の頃の出来には及ばない。もっと良くなる」と語っている。
この勝利によって春のクラシック競走の有力候補に躍り出たが、ここで問題が発生する。
皐月賞のトライアル競走、弥生賞に前年の朝日杯FSを制していた同厩舎のエイシンチャンプが出走を表明、さらにその鞍上が福永祐一であったため、ネオユニヴァースが弥生賞に出走するとなった時、どちらに騎乗するかに注目が集まっていた。
相談の末、ネオユニヴァースは弥生賞を回避しスプリングSへ。エイシンチャンプの鞍上はそのまま福永祐一となる。
空席となったネオユニヴァースの鞍上は、吉田照哉氏の推薦で「短期免許で来日中の」ミルコ・デムーロに決定。
新コンビで迎えるスプリングSは2番人気で、1番人気は朝日杯FS2着のサクラプレジデント。
レースは中団を追走し第3コーナーから最終コーナーにかけて進出、2着サクラプレジデントに1と1/4馬身差つけて1着。
このレースでは、デムーロが折り合いと中距離以上でのスタミナを測る目的で意図的にロスとなる外側を回っており、後の回顧では「調教と同様にレースでも折り合いの不安がなく、素晴らしい瞬発力と持久力を併せ持っていることが確認できた」と語っている。
迎える本番、皐月賞。
混戦という下馬評のなか、ネオユニヴァースは3.6倍の1番人気。4.3倍の2番人気はサクラプレジデント、6.1倍の3番人気はエイシンチャンプ。
レースは前半1000mを61.7秒のスローペース。中団につけていたが、最終コーナーで馬群に囲まれあわや…と思われたところで、わずかに空いた隙間を縫って一気に抜け出し、先に抜け出したサクラプレジデントと馬体をピッタリ併せての熾烈な追い比べがスタート。そのまま2頭揃ってゴール板を駆け抜ける。
勝者……ネオユニヴァース。着差はアタマ差。3着エイシンチャンプとは3馬身半の差が開いていた。
ちなみに、喜びを見せるデムーロのゴール後の行動(俯くサクラプレジデント鞍上の田中勝春の頭をばしーんと叩いた)が物議を醸したが、デムーロ側に悪気は一切なく、励ましたつもりであったという。
皐月賞後、デムーロはイタリアに帰国。イタリアの厩舎と主戦騎手契約が結ばれていたため、そちらの意向次第で日本ダービーに騎乗できない可能性もあったが、厩舎側と話をつけてなんとか再来日。日本ダービーにも騎乗が可能となった。
ダービー当日は前日の台風の影響が残り、馬場状態は重。
ネオユニヴァースは2.6倍の1番人気、サクラプレジデントは2番人気。3番人気には青葉賞を制したゼンノロブロイ(鞍上:横山典弘)が入る。
スタートが切られ、ゼンノロブロイとサクラプレジデントは先行し、ネオユニヴァースは中団より後方につける。
第3コーナーから最終コーナーにかけて、ほとんどの馬が雨で荒れた馬場を避けるように外へ外へと進路をとるなか、ネオユニヴァースはガラ空きとなった内側を悠々と通り先団につける。
最終直線では先に抜け出したゼンノロブロイをらくらく交わして先頭に立ち、そのまま半馬身差押し切って1着。着差こそ半馬身だが、ゴール前でガッツポーズを見せるほどの余裕を見せていた。
「皐月賞・日本ダービーの二冠」は1997年のサニーブライアン以来19頭目、外国人騎手のダービー制覇はこれが史上初のことであった。
場内はデムーロコール一色。のちにデムーロはこう述べている。
その喜びは自国のダービーを制したときに比べても、勝るとも劣らないものだった。これだけ多くのファンに見守られ、大きな声援を送ってもらえる競馬なんてそうはない。まして今回は、その舞台がダービーだったわけだから。僕はまるで自分がサッカーのナカタ*1になったような錯覚に陥った。
二冠達成。このまま秋の三冠目にむけて休養が定石……と思いきや、なんと宝塚記念への出走を決断。
出走に際し陣営はダービー後の体調がよかったことや、負担斤量が古馬らと比較して5kg少ないことを理由に挙げている。
ファン投票では6位、当日の人気は前年の年度代表馬シンボリクリスエスに次ぐ2番人気。そのほか勇者アグネスデジタルやヒシミラクルなどファン投票上位のメンバーそろい踏みの豪華な宝塚記念となった。
が、スタートで出遅れ。後方に位置取り、徐々に進出し最終直線での追い込みを図るも、外を回らされた影響か伸びずにヒシミラクルの4着。1200万が約2億に化けた瞬間でもあった
そして偶然にもこの日行われたラルクのライブにおいて、「次にネオユニヴァースが勝つまで『NEO UNIVERSE』は演奏しない」と宝塚記念でネオユニヴァースの馬券買ってて外したMCが冗談交じりで発言したが、翌年の産経大阪杯を勝つまで本当にライブで封印されたという逸話がある。
その後は社台ファームで休養し、秋の緒戦は神戸新聞杯を選択。が、この時デムーロの短期騎手免許期間は春に使い切っていたため、鞍上は半年ぶりに福永祐一に戻ってくる。
1番人気には札幌記念で古馬を破ったサクラプレジデントが入り、ネオユニヴァースは2番人気。
道中はゼンノロブロイと並ぶように中団につけたが、後方からのまくりを見せたサクラプレジデントと、それをも抜き去ったゼンノロブロイに4馬身差をつけられての3着。
ただ、この時ネオユニヴァースは歯の生え変わりの時期であり、敗因もそれに伴って操縦性に影響するハミ受けが悪かったことと明確であったため、そこまで問題視されない敗北であった。
次走、菊花賞。
このレースに際して、JRAは制度の改定を発表。特例措置として「同一馬に騎乗して同一年にJRAのGⅠを2勝以上した場合、その年のGⅠで当該馬に騎乗する場合に限り、そのGⅠ当日のみ免許を発行する」というもの*2で、この改定によりデムーロを背に菊花賞に挑むことが叶ったのである。
1994年ナリタブライアン以来の三冠馬の誕生か。ネオユニヴァースは2.3倍の1番人気に推された。
1週間前の秋華賞ではスティルインラブがメジロラモーヌ以来17年ぶりとなる牝馬三冠を達成、2頭の三冠馬誕生にも期待が集まっていた。
道中は12番手を追走。2周目の第3コーナー、「淀の坂」でロングスパートを仕掛けてきたのは5番人気、ザッツザプレンティ(鞍上:安藤勝己)。これを追って2番手で最終直線に入る。
クラシック三冠は目の前……が、伸びない。
差を詰められず徐々に失速、ザッツザプレンティの粘りを許し、さらには後方から追い込むリンカーンにも交わされ、1馬身弱の3着。
三冠こそ逃したものの、クラシック二冠達成、古馬戦線に向けても実績十分。
が、なんとそのまま1か月後のジャパンカップにも出走。1番人気には前走の天皇賞(秋)をレコードで制したシンボリクリスエスが1.9倍で入る。
2番人気のネオユニヴァースですら7.0倍であるほどの1強ムードの中、前日からの雨により11年ぶりの重馬場開催となったジャパンカップが始まる。
最終直線まで13番手付近を追走し追い込みにかかる……が、はるか先でタップダンスシチーが2番手に9馬身つけて悠々と逃げ切り。ネオユニヴァースはザッツザプレンティとシンボリクリスエスに遅れての4着。
有馬記念のファン投票では10万票近くを集めて2位に選出されたが、出走はせず休養に入る。
JRA賞では287票中284票を集め、最優秀3歳牡馬に選出された。
年が明けて2004年はG2・産経大阪杯からスタート。重賞4勝の強豪バランスオブゲーム(鞍上:田中勝春)や前年エリザベス女王杯の勝者アドマイヤグルーヴ(鞍上:武豊)など猛者が集うなか、1.8倍の1番人気に。
最終直線では2番手につける前目のレースを見せ、逃げ粘るマグナーテン*3をアタマ差交わして1着、ダービー以来の勝利を飾った。
次走は3200mの天皇賞(春)。
1番人気には阪神大賞典を制したリンカーン、2番人気にネオユニヴァース、3番人気にザッツザプレンティ、4番人気にゼンノロブロイが入り、4歳馬4強の構図となった。
……が、勝ったのは道中で20馬身差はあろうかという大逃げを打ち「一人旅」で2着に7馬身差をつけた10番人気の伏兵・イングランディーレ(鞍上:横山典弘)。
4強の最先着は2着ゼンノロブロイ。ネオユニヴァースは10着、リンカーン13着、ザッツザプレンティ16着の大波乱となった。
大敗の後、宝塚記念に向けての調整中に右前脚に浅屈腱炎および球節亀裂骨折が発覚。放牧ののち治療が続けられたが、9月に現役を引退、札幌競馬場で引退式が執り行われた。
この骨折は天皇賞(春)のレース中に生じた可能性が高く、担当していた松久月広厩務員は「痛みをもっていることに気づいていれば、屈腱炎を併発することはなかったかもしれない」と悔いたという。
【引退後】
引退後は社台SSにて種牡馬となり、200頭前後の牝馬を集める人気の種牡馬となった。
2008年に初年度産駒がデビューし、初年度産駒のロジユニヴァースが札幌2歳Sを制し重賞初制覇、翌2009年にはアンライバルドが皐月賞を制しGⅠ競走初制覇&親子二代制覇も達成。
さらにロジユニヴァースが日本ダービーを制したことでこちらでも親子二代制覇を成し遂げている。
2010年にはヴィクトワールピサが皐月賞と有馬記念を制覇。ヴィクトワールピサの鞍上もデムーロであり、レース後に「ネオユニヴァースが素晴らしいクリスマスプレゼントをくれました。2頭はそれぞれ違う個性を持っていますが、いいハートを持っているところは共通しています」と語り、
さらに翌2011年には日本馬初のドバイワールドカップを制覇、東日本大震災で沈む日本に希望を届けた。
そのヴィクトワールピサも種牡馬入りすると、2016年桜花賞を制したジュエラーを送り出すが、そのジュエラーの鞍上もデムーロであった。
他には2017年の香港GⅠ・クイーンエリザベス2世カップを制したネオリアリズム、重賞未勝利ながら種牡馬となり産駒からオーストラリアG1馬ブレイブスマッシュを輩出したトーセンファントム、そして2015年有馬記念2位等で重賞未勝利馬最高獲得賞金を誇りネオユニヴァース産駒でもヴィクトワールピサに次ぐ獲得賞金第2位な「最強の2勝馬」サウンズオブアースがいる。
また母父としても2017年NHKマイルカップ馬アエロリット(父クロフネ)や2018年チャンピオンカップ馬ルヴァンスレーヴ(父シンボリクリスエス)を輩出している。
2015年に社台SSを離れ、レックススタッドに移動しそこでも種牡馬生活を続けたが、2021年3月8日、種付け中に牝馬が暴れたことで転倒、肩を骨折したため安楽死の措置が取られた。21歳没。
【創作作品での登場】
黄色いメンコの方(+社台勝負服の黄色?)を反映してか金髪碧眼で、髪の内側が水色のメッシュになっているほか、尻尾の先端が水色になっている。
名前から「宇宙」の要素が強くフィーチャーされ、勝負服デザインはまるで宇宙服。
そしてまるで宇宙人か何かなんじゃないかと思うような、頭脳明晰なのは確かだが意図不明な言動をする「普通の人間の言葉を喋れない」不思議な少女。
アプリの育成シナリオでは、主戦騎手デムーロとの関係性を強く想起させる色々と衝撃的な内容が展開された。
また、アプリ2周年時の登場にして社台系クラブ所有馬から初のウマ娘化を果たした存在であり、界隈に新たな宇宙の始まりを予感させた。
【余談】
主戦騎手を務めたデムーロによれば、身体面はもちろんのこと、「騎手なんて必要ないくらい」の頭の良さがあり、課題点に「彼が人間の言葉を喋れないこと」と語っている。
2005年のインタビューでは、ネオユニヴァースについて「"夢の馬"です。これまでの騎手人生の中でナンバーワンの存在です」と語り、同時に日本に本拠点を移すことも話しており、
実際に2015年には日本での通年騎手免許を取得、同年にドゥラメンテで皐月賞・日本ダービーの二冠を達成している。
さらに2013年のインタビューでネオユニヴァースについて聞かれると、
私の財産。皆さんも知っている通り、ネオユニヴァースでGⅠを勝っただけでなく、その子供のヴィクトワールピサでドバイワールドカップも勝たせてもらった。彼は私の人生を変えてくれたというか、人生の半分は彼に助けられている気がする。
と答えているほど、彼の人生を大きく変えたのであった。
最後に、ネオユニヴァースが亡くなった直後の2021年3月16日のインタビュー*4の一部を載せておく。
インタビュアー:3月8日、ネオユニヴァースが旅立ちました。種付け中の事故ということで、突然のお別れになってしまいましたね。
デムーロ:ネオユニヴァース…、僕が一番愛していた馬です。年齢も年齢だったけど(21歳)、ちょっと早い。もっと生きてほしかった。気分は最悪ですね。
インタビュアー:どういうタイミングで知ったのですか?
デムーロ:すぐに社台さんから連絡がありました。「ミルコ、残念なことがあった。今、ネオユニヴァースが亡くなった」って。本当にショックだった。
インタビュアー:以前、「毎年会いに行っていた」とおっしゃっていましたが、最後に会ったのは?
デムーロ:3年前かな。日本の騎手になってからは毎年会いに行っていたけど、2年前はどうしても時間を作れなくて、去年はコロナがあったりで。最後に会ったとき、ものすごく元気だったね。僕のことをジーッと見てた。そのときも、「めっちゃカッコいい馬だなぁ、やっぱりこの馬好きだなぁ」と思ったから、よく覚えています。
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*1 中田英寿。当時イタリアのプロサッカーチームに所属していた*2 デムーロの事例以外では、2019年にリスグラシューで宝塚記念と豪GⅠ・コックスプレートを制したダミアン・レーンが有馬記念において騎乗できたケースがあるが、現時点でこの1ケースのみ。
*3 父Danzig、重賞3勝を含む37戦12勝。獲得賞金4億5299万5000円は当時のセン馬の最高獲得賞金記録。
*4 netkeiba.comのコラム「最後に会ったとき、僕のことをジーッと見て…」――ネオユニヴァース、永遠に愛しています より
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