緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…

ページ名:緊急放送_盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで_

登録日:2022/05/11 Wed 18:37:18
更新日:2024/06/18 Tue 13:47:20NEW!
所要時間:約 4 分で読めます



タグ一覧
とんねるず フジテレビ 木梨憲武 石橋貴明 緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで… 追悼 野崎昌一





ここで倒れる訳にはいかない。


時として襲い掛かる悪魔と戦いながらも、輝き続けた青春の日々。



しかしそれは、あまりにも短い生涯であった…

(ナレーション:田中秀幸)




『緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…』とは、フジテレビで放送された追悼番組。


概要

人気お笑いコンビであり、1990年代に黄金期とも呼べる人気を獲得していたとんねるずのメンバーの木梨憲武。
彼は盲腸によって体調を崩したことから一時的に休養していたが復帰し、レギュラー番組の『とんねるずのみなさんのおかげです』の1991年10月31日の放送回から復帰が決まっていた。


しかし、1991年10月31日午後5時30分過ぎ頃、事態は急変して盲腸によって木梨は信じられないことになってしまった。
『みなさんのおかげです』は番組内容を変更する必要に迫られ、相方である石橋貴明と当時フジテレビアナウンサーの野崎昌一による生放送の追悼番組となった。
ショックを受けるスーツ姿の石橋や野崎の様子や、スタジオに置かれる菊の花に囲まれた巨大な木梨の遺影写真などの追悼セットは視聴者に衝撃を与えた。


木梨が信じられないことになった経緯

相方が信じられないことになった事態を受けて、相方の石橋は急な事態ながらも信じられないことになるまでの経緯について明かしている。


木梨は前日に当時日本テレビで放送されていたレギュラー番組『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』*1に生出演していたが、一応盲腸の手術後の仕事という事情もあってコンディションが完全になるまでは芸能活動は控えておいたほうが良いと関係者に忠告されていた。
しかし、本人の強い希望で番組への出演が決まり、番組中は非常に元気な様子を見せていた。


ところが、番組終了後に久しぶりのTV出演ということで『TIME3』をはじめとするワイドショーや週刊誌の関係者に木梨は囲まれる。
体調に関する質問だけならまだ良かったのだが、某女優*2との交際などの質問を受けて木梨は非常に怒ってしまう。
その後に病院に再入院する事態となり、すると容態が急変してしまった。


石橋のコメント

石橋は木梨が悔しい思いをしているだろうと語りながらも、本人は一生懸命に悔いを残すことなくとんねるずとしての活動をやり終えたと思うと評した。
そういった意味では、10何年か一緒にやってきた僕から言えるのは、禿げる前に死ねて良かったなと」「未来が開ける前に額が開けちゃった」「『みなさんのおかげです』のファンの方にも、木梨憲武を今日の一時間でですね、胸に刻んでほしい」「安らかに眠ってほしい」とのコメントを残している。
その頃2人の背後では、緑色のジャージを着た見覚えのある男が「なにやってんの?」「何刻むのねえ?」「眠んねーよこの野郎!」「傷口見るねえ?」などとぼやいていた…




追記・修正お願いします。


[#include(name=テンプレ2)]

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

[#include(name=テンプレ3)]



  • 安らかに眠ってほしい-- Iさん (1991-10-31 21:03:09)














本人はでも…一生懸命やったと思うんです。


…そうですね。




何が!?





[[木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編>緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで…]]


登録日:2022/05/11 (水) 18:37:18
更新日:2024/06/18 Tue 13:47:20NEW!
所要時間:約 4 分で読めます


タグ一覧
とんねるず 石橋貴明 木梨憲武 とんねるずのみなさんのおかげです フジテレビ 特番 ドッキリ コント 炎上 苦情殺到 伝説 不謹慎 追悼 生放送 本人より先に立てられた項目 野崎昌一 緊急生放送 石田弘 t鬼母の哀歌 木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編 追悼番組 信じられないことになってしまいました 緊急放送!盲腸で倒れる 木梨憲武さんを偲んで… 今ならアウト




オチ

石橋が木梨に対する追悼話を語っている最中、石橋の肩を叩きながらジャージ姿の木梨が登場。
スリッパで頭を叩かれても尚石橋は無視して喋り続けるが、ついに木梨に強くツッコミを受けた末に石橋に存在を認識される。
それでもなお「亡霊」などと弄られるが、「BGMおともセットも変えなさいよ」という木梨の指示によって派手な照明・BGM、キャノン砲から発射される紙テープと共にセットチェンジが行われて追悼セットは撤収された。


お察しの通り、あるいは後年の彼の活躍を知る者には言うまでもないが実は木梨は死亡しておらず、この追悼生放送はドッキリコントである第一「亡くなられた」なんて一言も言ってないし


これは、木梨が盲腸による休養で新作の収録がストップしてしまったため、その埋め合わせかつ視聴者を誤魔化すために組まれたドッキリコントである。
結局『木梨憲武盲腸記念'91 憲武を笑わせろスペシャル 爆笑総集編』という番組の総集編を放送することになった。


アナウンサーの野崎は『プロ野球ニュース』の司会の都合で夜勤だったことで呼ばれており、コント終了後はすぐに着替えてそちらの準備に向かうことになっていた。
野崎曰く、露木茂や野間脩平などのアナウンサーは逃げてしまったらしい。
石橋が言うには森光子もコントに呼ぼうとしたが流石に断られたとのこと。


このコントの元ネタはラジオ番組『吉田拓郎のオールナイトニッポン』における「吉田拓郎死亡放送事件」とされている。


反響

この緊急生放送の視聴率は23%を記録し、当時の世間では大きな反響を呼んだ。
当時はインターネットも普及していないどころか生放送だったこともあり、同局の人間ですらも信じる者が出てくる程度にはリアリティがあった。
ドッキリの放送時間こそは長くないのだが冒頭のインパクトだけで勘違いさせるには十分だったようで、放送中からフジテレビには抗議が殺到。早速最初のCM明けで二人が「頭のアレで随分フジテレビに苦情が来ている」と話題に出したほど。


後日、ドッキリの張本人である木梨も親戚に怒られるという事態に合ったようだ。
この企画を立ち上げたプロデューサーの石田弘は後のネットニュースの取材において、当時の状況について「悪ふざけもほどほどにしろ」と言われたようで、あれほど怒られたことがないと振り返っている。
次の週の放送ではエンディングで木梨が「新聞に載るほど度が過ぎた」としてお詫びのコメントをしたうえで、「木梨死んでおりません!」という一言で番組を締めた。


企画については今なお語り継がれており、「現在では無理なドッキリ」の代名詞として挙げられることも多い(まあ実際には当時でもヤバかったのだが)。
おふざけ企画でありながら、全く隙を見せずに深刻な雰囲気を演じた石橋や野崎の演技力について評価する意見もある。
木梨自身もこのドッキリから死亡ネタで弄られることも多く、ある意味木梨の評価に影響を与えたとも言える。


余談

  • 盲腸は大昔は高い死亡率を誇った病気だが、20世紀前半に治療法は大きく進歩し、1970年代には既に10万当たりの死亡率は1人未満というほぼ死に至るような病気ではなくなっている。
    そのため、冷静に考えれば盲腸で信じられないことになって追悼番組を放送するような状況になるはずもなく、ドッキリであると判断できる仕掛けにはなっている。
    と言っても絶対に死なないという訳ではないので、木梨の追悼も本当にドッキリではない可能性もなくはなかったのである。

  • ネタ明かし後のタイミングだったが、塗装業者の誘拐殺人で指名手配中だった容疑者が逮捕されたことを伝えるニュース速報テロップが流れている。

  • アニメ『銀魂』ではアニメオリジナルエピソード長いものには巻かれろ!!」にてこの出来事がパロディされた。

  • この回で使われた木梨の遺影は、木梨のパスポートである。 

  • この頃のオープニングテーマは『ガラガラヘビがやってくる』だったが、この放送の少し前にそれを収録したカセットテープを「抽選で3名にプレゼントする」と告知していた。*3この日の放送のエンディングではその当選者発表が行われることになったのだが、なんと4万通の応募はがきが来てしまいスタジオで透明の箱いっぱいにギッチリ詰められたはがきを箱を倒して取り出し名前を読み上げた。結局この生放送中に3通を超えて4枚以上の当選者名が発表され、さらに時間内に収まらなかった当選者も「賞品の発送をもって」として送られることになった。この時点で『ガラガラヘビ』はCD化されていない未発表曲だったが、翌年に急遽CDを出すこととなり、とんねるずの楽曲でもダントツトップの売り上げを誇る大ヒットソングとなった。因みに、その放送の約1ヶ月後に開催された「日本歌謡大賞」*4において「情けねえ」で大賞を受賞している。

  • オープニングの来歴を語る場面で使われたBGMはダイアナ・ロスの「If We Hold On Together」、スタジオの場面で使われたBGMはOVA『人魚の森』サウンドトラックに収録されている「人魚伝説」(川井憲次作曲)である*5

  • 石橋とともに進行役を務めた野崎はF1やプロ野球中継の担当などほぼスポーツ番組専門であったため、バラエティ番組への出演は稀有な例だった*6



追記・修正は追悼番組のドッキリをした後にお願いします。


[#include(name=テンプレ2)]

この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,13)

[#include(name=テンプレ3)]


  • アニメの銀魂でコレのパロやったことなかったっけ? -- 名無しさん (2022-05-11 18:43:49)
  • 「盲腸はかつては高い死亡率を誇った病気だが、このドッキリが放送された時期の医学では」 って書いてるけど、盲腸は戦後程ない頃からほとんど死亡しない病気扱いだよ。かつてがどれくらい前の事を言ってるかによるけど、当時の常識で言っても「盲腸で死んだ!?!?」って言われるレベルの認識 -- 名無しさん (2022-05-11 18:58:27)
  • 一瞬でも荒らしかと思ったくらいには、タイトルのインパクトがヤバすぎるw -- 名無しさん (2022-05-11 19:15:34)
  • フェイクのコメント欄まで用意する芸コマぶり -- 名無しさん (2022-05-11 19:29:57)
  • 立て逃げレベルだしなんちゅう項目を立てたんだ...と思ったらこれで大いに驚かされた -- 名無しさん (2022-05-11 22:08:48)
  • 後の総集編とかでしか見たこと無いけど、リアルタイムで見てたら確実に衝撃受けてただろう。 -- 名無しさん (2022-05-12 05:48:41)
  • 誰もやらなかっただけであって、当時でも当然駄目だわな -- 名無しさん (2022-05-12 08:28:20)
  • リアタイしていた もはや伝説 -- 名無しさん (2022-05-12 16:22:06)
  • 石橋さんが、まじで相方が死んだようにしか見えないコメントしてた -- 名無しさん (2022-05-12 18:19:04)
  • 当時は無邪気に笑ってたもんだが後々いろんな媒体見てると結構やらかしが多いよなぁ、みなおか… -- 名無しさん (2022-05-12 19:35:29)
  • こんなん今やったらボロクソに叩かれるだろうな -- 名無しさん (2022-05-12 19:44:23)
  • 盲腸と言ってる辺りで、ブラックジョークだってのはすぐに見て取れた。ショックや不快感は当然あった。 -- 名無しさん (2022-05-12 21:29:48)
  • 確かに「死んだ」とは一言も言ってないんだよな。 -- 名無しさん (2022-05-12 21:38:09)
  • 番組冒頭ナレの声優の田中秀幸氏は「おかげです」の最終回でも担当している。 -- 名無しさん (2022-05-13 01:07:33)
  • 葬式ドッキリってサザンもやって炎上してたよな?…なんかこう「やってみたくなる魅力」でもあるんだろうか。 -- 名無しさん (2022-05-13 13:09:26)
  • コント「タクシードライバー」もそうだけど意外ととんねるずはブラックなネタが上手い。二人とも天性の陽キャっぽいのに -- 名無しさん (2022-05-14 07:20:00)
  • ↑4まあ「偲んで…」と言っておいて「死んだとは言ってない」は通用しないといえばしないけどな -- 名無しさん (2022-05-14 16:23:06)
  • 地元じゃ遅れ放送だったから「ニュースでやってない、嘘だ」って冒頭の時点で気付いちゃったんだよなあ…。リアタイで見てみたかった…。 -- 名無しさん (2022-05-14 20:23:43)
  • 偲ぶ1 過ぎ去った物事や遠く離れている人・所などを懐かしい気持ちで思い出す。懐しむ。2 心引かれて、思いをめぐらす。慕わしく思う。3 物の美しさに感心し味わう。賞美する。(goo国語辞書)確かに死んだとは言ってない。 -- 名無しさん (2022-05-15 00:02:33)
  • 安倍の国葬がこれよりしょぼい -- 名無しさん (2022-09-27 16:23:44)
  • 報告にあった違反コメントを削除。 -- 名無しさん (2022-09-28 20:48:38)
  • ↑3 確かに総集編なので偲ぶが何も間違ってない -- 名無しさん (2022-10-17 09:00:16)
  • 日本昔ばなしで似たようなオチのエピソードがあったな。そう遠くない未来に・・・ -- 名無しさん (2024-02-15 17:22:56)
  • 盲腸はたいしたことないけど我慢が長引くと腹膜炎につながって深刻なことにもなるからお気をつけて -- 名無しさん (2024-02-15 18:59:40)

#comment(striction)

*1 1991年~2001年放送。出演者の発言を画面にテロップ表示する手法を初めて本格導入した番組で、この当時はスタジオからの公開生放送だったが後に収録のオールロケ番組となる。
*2 現妻・安田成美ではない。
*3 聴けばわかるがこの歌は『プレイボーイが女を喰いまくる」という隠喩を込めた歌詞であり、なまじ子供にウケたからこそ逆に販売には消極的だった。
*4 TBSの「日本レコード大賞」に対抗して創設された歌謡賞。TBSテレビ以外の民放4局が持ち回りで放送していた。1991年はテレビ朝日が担当していた。1993年をもって終了。
*5 BGMは1分強の長さのため5回繰り返して流された
*6 若手時代に当時のフジテレビの午後のワイドショーだった『3時のあなた』のサブ司会を務めたことがある程度である

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧