キングヘイロー(競走馬)

ページ名:キングヘイロー_競走馬_

登録日:2022/03/27 Sun 06:30:23
更新日:2024/06/18 Tue 11:43:48NEW!
所要時間:約 10 分で読めます



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キングヘイロー 競走馬 サラブレッド 牡馬 g1馬 98年クラシック世代 福永祐一 柴田善臣 種牡馬 高松宮記念の日に建った項目 大器晩成 無事之名馬 故馬 気性難 良血 鹿毛 お坊ちゃま king halo ウマ娘ネタ元項目 高松宮記念 ダンシングブレーヴ産駒 適性不明


2000年、高松宮記念。


その馬は、10度の敗北を超えて、血統を証明した。


敗れても、敗れても、敗れても、絶対に首を下げなかった。


緑のメンコ。不屈の塊。


その馬の名は…


2012年高松宮記念CMより



キングヘイローKing Haloは、日本の元競走馬・種牡馬である。


ウマ娘 プリティーダービー』におけるキングヘイローはこちら→キングヘイロー(ウマ娘 プリティーダービー)




【データ】


生誕:1995年4月28日
死没:2019年3月19日(24歳没)
父:ダンシングブレーヴ
母:グッバイヘイロー
母父:Halo
生産国:日本
生産者:協和牧場
馬主:浅川吉男
セリ取引価格: -
調教師:坂口正大(栗東)
主戦騎手:福永祐一柴田善臣
生涯成績:27戦6勝[6-4-4-13]
獲得賞金:5億26万6000円
主な勝ち鞍:00'高松宮記念



【5世代血統】


ダンシングブレーヴ
Dancing Brave(米)
1983 鹿毛
Lyphard
1969鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic
1954 黒鹿毛
Nearco
Lady Angela
Natalma
1957 鹿毛
Native Dancer
Almahmoud
Goofed
1960 栗毛
Court Martial
1942 栗毛
Fair Trial
Instantaneous
Barra
1950 栗毛
Formor
La Favorite
Navajo Princess
1974 鹿毛
Drone
1966 芦毛
Sir Gaylord
1959 黒鹿毛
Turn-to
Somethingroyal
Cap and Bells
1958 芦毛
Tom Fool
Almahmoud
Olmec
1966 栗毛
Pago Pago
1960 鹿毛
Matrice
Pompilia
Chocolate Beau
1958 栗毛
Beau Max
Otra
グッバイヘイロー
Goodbye Halo(米)
1985 栗毛
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason
1958 黒鹿毛
Turn-to
1951 鹿毛
Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance
1948 鹿毛
Blue Swords
Galla Colors
Cosmah
1953 鹿毛
Cosmic Bomb
1944黒 鹿毛
Pharamond
Banish Fear
Almahmoud
1947 栗毛
Mahmoud
Arbitrator
Pound Foolish
1979 鹿毛
Sir Ivor
1965 鹿毛
Sir Gaylord
1959 黒鹿毛
Turn-to
Somethingroyal
Attica
1953 栗毛
Mr. Trouble
Athenia
Squander
1974 鹿毛
Buckpasser
1963 鹿毛
Tom Fool
Busanda
Discipline
1962 鹿毛
Princequillo
Lady Be Good
5世代内の近親交配Turn-to 12.50% 5×4×5
Sir Gaylord 12.50% 4×4
Almahmoud 9.38% 5×4
Tom Fool 6.25% 5×5


【超良血のおぼっちゃま】


父は超軼絶塵の末脚でG1を4勝した80年代欧州最強馬。
母はケンタッキーオークス等アメリカのG1を7勝した伝説級の名牝。
何故この血統が日本で走ってるんだ?と疑問に思わざるを得ないほどの超良血である。
両親の間を取って日本ですねわかります


そしてこのおぼっちゃま、血統だけでなく馬体も一級品であった。
これは間違いなく走る!との見立てで、当初は「アサカヘイロー」で登録していた馬名を「キングヘイロー」に変更した*1という逸話も残されている。
デビュー前の春に同じダンシングブレーヴ産駒のキョウエイマーチが桜花賞を制していたこともあり、関係者からも大きな期待を寄せられていた。


順調に育ったキングヘイローは栗東の名伯楽、坂口正大調教師の元に入厩。
デビュー戦は1997年10月5日、京都芝1600mと決まった。
当初は「天才」武豊騎手を鞍上に迎える予定だったのだが、当日に東京競馬場での先約があったため断念。
思案の末、坂口師はたまたまその場に居合わせた気鋭の若手―――福永祐一騎手にキングヘイローの手綱を預けた。


……この決断がキングヘイローの、そして多くの関係者の運命を翻弄することとなる。


【現役時代】


以下、年齢は旧表記で統一する。


【おぼっちゃま、天才の子と出会う】


多くの世界がそうであるように、競馬界にも「天才」と呼ばれる人間が存在する。


この記事を読んでいる方々にとって、それはおそらく武豊騎手ということになるだろう。
上でも天才って書いちゃったし
少し年季の入った競馬ファンであれば、「元祖天才」こと田原成貴元騎手を思い浮かべたかもしれない。
しかし当時の競馬関係者にとって、天才の称号を冠すべき人間はもうひとり存在した。


数々の関係者をして「言葉や理屈では説明できない」「なぜあの馬で勝てるのかわからない」と言わしめた、類稀なる騎乗センス。
膨大なデータを網羅し、「歩く競馬四季報」とも称された明晰な頭脳。
茶目っ気に溢れ、周囲すべてから愛された一流の人間性。


……しかし、前途洋々だったはずの彼の運命は一瞬にして暗転する。


他馬の落馬事故に巻き込まれ、地面に頭部を強打。
命はとりとめたものの、彼の身体には重篤な後遺症が残った。
懸命のリハビリも実らず、騎手としての復帰はついに叶わなかったのである。


競馬の光と影を一身に背負った「悲劇の天才」―――福永洋一元騎手。
福永祐一騎手は彼の子息であり、母親の反対を押し切って騎手の道を選んだ。
そんな「天才の子」は周囲の期待によく応え、ルーキーイヤーからJRA50勝を記録。
デビュー2年目にして世界的良血馬の手綱を任され、クラシック制覇に挑む運びとなったのである。


新馬戦は先行して勝利。
続く黄菊賞、東京スポーツ杯3歳ステークス*2も制して3連勝。
期待通りの快進撃を見せる。
年末のラジオたんぱ杯3歳ステークス*3では1番人気に推されるも、ロードアックスの追い込みに屈し2着。
それでも4戦3勝2着1回は立派な成績であり、翌年のクラシックに向けての期待は高まる一方だった。
……競馬関係者の方からは。


ぶっちゃけてしまうと、このタッグは競馬ファンからはあんまり人気がなかった。
なにせ天才騎手の息子と世界的良血馬、一分の隙もないエリートさんの組み合わせである。
競馬ファンの大半は一般人なわけで、こいつら気に食わねぇと思ってしまうのも無理からぬことだろう。
また、競馬界ではこうした事前評価が高い馬があっさりずっこけてフェードアウトしていくのも割とよく見られるため、そうした「前評判倒れ」を警戒した……のかもしれない


そして年が明け1998年。
ここからキングヘイローと福永騎手の苦闘が始まることとなる。



【おぼっちゃま、挫折する】


1番人気で迎えた弥生賞。
ここでキングヘイローは終生のライバルたちと相対する。


小岩井農場の基礎輸入牝馬フロリースカツプから連なる母系に、時代を彩る名種牡馬たちを代々配した日本競馬土着の超良血。
しかし生後すぐに母馬を亡くし、人の手で育てられることとなった悲運のプリンス―――スペシャルウィーク


当時としても完全に時代遅れの血統に、まったく見栄えのしない馬体。
牧場の同期はほぼすべて外に売却され、父馬に至ってはすでに行方不明*4となっていた孤独の雑草―――セイウンスカイ


キングヘイローとは対照的な切ないバックグラウンドを背負った2頭に、競馬ファンは熱い視線を注いでいた。
レースは彼らの後塵を拝する3着。
クラシック本番の皐月賞ではスペシャルウィークを抑え込むも、マイペースで逃げたセイウンスカイを捉えきれず2着。
それでも「4歳3強の一角」という評価は揺らがず、キングヘイローは2番人気で日本ダービー当日を迎えた。


……しかし、ここで事件が起きる。


スタートからぐいぐいと前に出るセイウンスカイ。ダービーも皐月賞と同じ展開かと思いきや、なんと内からキングヘイローが強気にハナを主張。
セイウンスカイを抑えて先頭に立ってしまう。
……まあしかし、前年のダービーは逃げ馬サニーブライアンが勝っているわけである。
ミホノブルボンやアイネスフウジンだって果敢な逃げで世代の頂点を掴んだのだ。
何より、乗っているのは天才福永洋一の息子である。「やるじゃねえか洋一のせがれ!」と唸ったファンも少なくなかった。
……この時点では。


どんな馬であっても、2400mを最後まで全力で走り続けることはできない。
逃げるにしてもどこかで息を入れ、最後粘り切るだけの脚を溜めておかなくてはならないわけである。
そしてキングヘイローの走りはというと、ダービー史上でも2番目(当時)という空前のハイペース。
ぶっちゃけ意図した逃げではなく、騎手が馬を抑えきれなかった結果の大暴走であった。


この影響をダイレクトに受けたのがセイウンスカイで、道中うまく息を入れられず直線失速。
キングヘイロー共々スペシャルウィークに差し切られ、ダービー制覇の夢を絶たれることとなった。
東京競馬場が武豊のダービー初制覇に沸く中、キングヘイローは14着に撃沈。
福永騎手はダービー初出走だったとはいえ、さすがにこの結果では擁護のしようがない。
ファンからは散々に叩かれ、騎手としての評価を大きく落としてしまった。
後に福永騎手はこのダービーを振り返り、当時は東京の2400mを走った経験がまだまだ少なかったことや、スタート前から極度の緊張で頭が真っ白になっていたこと、
そのままの精神状態で逃げてしまったこと、最後の直線でようやく我に返って泣きそうになっていたことを明かしている。


秋は神戸新聞杯から始動。ここでは「名手」岡部幸雄騎手が騎乗し3着。
福永騎手が鞍上に戻った京都新聞杯も2着に終わり、どうにも気持ちよく勝ち切れない。
それでも本番勝てればよかったのだが、菊花賞ではセイウンスカイ乾坤一擲の大逃げ、芝3000m日本レコードの快走に屈し5着。
実はこの時、キングヘイローのタイム(3:03.9)も菊花賞旧レコードを更新*5しており、芝3000m旧日本レコードタイ*6の好記録だったのだが……。
年末の有馬記念も6着に終わり、結局1998年は1勝もできなかった。


この頃にはキングヘイローの評価も大きく落ち込み、「3強」という括りはもう過去のものとなり果てていた。
同期の外国産馬であるエルコンドルパサーとグラスワンダーが古馬G1を制していたこともあり、この世代のトップカテゴリーにキングヘイローを含める声は少なくなりつつあった。
福永騎手も先の失態を取り返せず、どうも父親ほどの天才ではないみたいだなぁ……との見方が支配的となっていた。
それでも、古馬になって活躍できれば十分おつりのくる話ではあったのだが……。



【落ちぶれたおぼっちゃま】


ここからは多少ディープな話になる。


人間の陸上選手と同じく、競走馬にも短距離向きな者と長距離向きな者がいる。
大きくは気性と馬体で決まってくるのだが、ここでは後者の方を取り上げる。


一般的な話をすると、短距離向きの馬(スプリンター・マイラー)は概して筋肉質で、胴の詰まった逞しい身体つきをしている。
逆に長距離向きの馬(ステイヤー)は身体が薄く、胴の長いすらっとした体型のことが多い。
現実の100m選手とマラソン選手の身体を想像してもらえればだいたいわかっていただけるはずである。


短距離馬長距離馬
筋肉ムキムキ薄い
詰まってる長い
太い細い

ちなみに同期のスペシャルウィークは典型的なステイヤー体型で、実際に中長距離のG1を4勝している。
以上を踏まえたうえで、キングヘイローの馬体を評価する。


短距離馬長距離馬キングヘイロー
筋肉ムキムキ薄いムキムキ
詰まってる長い詰まってる
太い細い太い

一分の隙もない短距離馬です、本当にありがとうございました。


……こんな素人目でもわかることを陣営が把握していなかったわけがないのだが、当時はまだ短距離蔑視の風潮が強いご時世。
実際に皐月賞で2着と好走しているし、クラシック路線に拘った判断を責めるのはさすがに酷であろう。
というか何で菊花賞5着に入れたんだこの馬


だがしかし、キングヘイローは世界的な良血馬である。
種牡馬としての供用も当然ながら想定されており、牝馬を集めるためにはどうしてもG1勝利の勲章が欲しい。
陣営は短距離路線への転向とともに、騎手の乗り替わりを決断する。


年が明けて1999年。
キングヘイローはベテラン柴田善臣騎手を鞍上に迎え、東京新聞杯から始動する。
ここは軽く勝利し、続く中山記念も制して2連勝。
短いところならいける!と思われたのだが……必勝を期して臨んだ安田記念はまさかの11着。
なぜか挑んだ宝塚記念は先行策から案の定息切れし、同期のグラスワンダーとスペシャルウィークに大きく離されての8着に沈んだ。


秋に入っても悪い流れは止められず、毎日王冠は5着。続く天皇賞秋も7着と4連敗。
この結果を受け、マイルチャンピオンシップではかつてのパートナー福永騎手が鞍上に戻る。
福永騎手は燃えに燃え、頭を丸めてレースに臨む気迫を見せたのだが……同期のエアジハードに1と1/2馬身届かず2着。
その後のスプリンターズステークスもブラックホークの3着と勝ち切れず。
結局この年は序盤の2勝のみで、G1を勝つことはできずに終わった。



【おぼっちゃま、栄冠を掴む】


迎えた2000年。
スペシャルウィークとエルコンドルパサーは前年限りで引退し、セイウンスカイは故障離脱。
グラスワンダーも体調不良による休養を余儀なくされ、競馬界の覇権は下の世代に移行しつつあった。


キングヘイローは鞍上を柴田騎手に戻し、ダートG1のフェブラリーステークスに参戦。
ファンは「とうとうダートかよ……」と溜め息を吐きつつ、でも他によさげのいないし、母がダート血統だからもしかして……ということで1番人気に支持した。
しかし芝がダメだからダートなんて考えでG1を勝てたら誰も苦労はしないのである。13着惨敗。


クラシックは無冠。中長距離はダメ。短距離も勝てず、ダートでも沈没。
もはやキングヘイローは超良血のエリートではなく、分不相応な舞台で諦め悪く走るだけの惨めな半端者だった。
だが―――何度敗れてもG1に挑み続けるキングヘイローの姿に、心を動かされるファンも増えてきていた。
「まだ走ってたんだ」「ローカル重賞にでも出ればいいのに」なんて口では言いつつ、内心では「G1何とか勝てるといいよなぁ」とエールを送ったりしていたのである。


そして迎えた高松宮記念。
キングヘイローは後方に待機し、植木アナに名前を呼ばれないという憂き目に会いながらも直線大外から進出する。
柴田騎手の気合に応え、父を彷彿とさせる剛脚を繰り出し―――



さぁ大外から、大外から、やはりキングヘイロー跳んできた!


キングヘイロー跳んできた!キングヘイローか!


キングヘイローが撫で切った!!


──植木圭一(東海テレビ)



先頭に立っていた福永騎手騎乗のディヴァインライトをクビ差捉え、遂に悲願のG1制覇を達成した。


G1に挑戦すること実に11度。
挫折したエリートが諦めず走り続け、ついにビッグタイトルを手にする。
ドラマティックなストーリーは競馬ファンの心をがっちり掴み、キングヘイローはいけ好かないエリートから不屈の名馬へと躍進した。
柴田騎手は大喜びし、坂口師も人目をはばからず涙を流した。


その後の京王杯スプリングカップは激走の反動か11着に敗退。
安田記念は香港馬フェアリーキングプローンの3着*7と健闘したが、秋は3戦してすべて着外。
年末の有馬記念を引退レースとし、久々の長距離に挑戦する。


この年の中長距離路線は「世紀末覇王」テイエムオペラオーの独り舞台で、なんとここまで7戦7勝。
有馬記念はただのグランプリではなく、前人未到の古馬王道グランドスラムがかかった大一番となっていた。


レースでは多数の馬がオペラオーの行く手を塞ぎ、「包囲網」とも称される集団を形成。
グランドスラムなどさせてなるか、という人の思惑を感じざるを得ない展開となった。
しかしその中で、集団から離れたところを追走する馬が2頭。
1頭は人気薄のユーセイトップラン、そしてもう1頭がほかならぬキングヘイローであった。


キングヘイローは直線大外に出し、スプリントG1を制した剛脚をフルに発揮。
距離適性を跳ね返しての4着に入り、現役生活にピリオドを打った。
6歳世代最先着。あがり3ハロン36.0秒は出走馬中最速。
包囲網に加わることなく堂々と直線を駆けた様は、王者の誇りに満ち溢れたものであった。


あまり注目されないが、この有馬記念入着によって「グレード制導入(1984)後のGIで初となる、SMILE区分*8すべてでの入着」という記録を成し遂げている。
あの三冠馬ナリタブライアン以来2頭目の達成であり、(2022年現在)3頭目が存在しない絶後の記録の持ち主となっている。


通算戦績は27戦6勝。G1勝利数1。
血統と実績が評価され、引退後は優駿スタリオンステーションにて種牡馬入りを果たす。
世界的な良血と不屈の闘志を受け継いだ産駒たちが、再びターフを沸かせてくれることを願いたい。





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格好よくまとめてはみたのだが、実情は180度逆。
キングヘイローの気性は以下の通りの困ったおぼっちゃまであり、不屈どころか何事も投げ出しがちの問題児であった。


  • 雨は嫌い
  • 砂も嫌い
  • もまれる競馬も当然嫌い
  • 夏は暑いから苦手
  • 矯正馬具はフル装備
  • 首は下げない(これについては後述)
  • 嫌になったらレースをやめる

日本ダービーで逃げを打ったことについても、福永騎手が極度の緊張から冷静さを欠いていたのが一番の理由というのは本人も認めているのだが、
実際は馬が馬群に揉まれてやる気をなくすことを警戒したのも要因だったのではないかと言われている。
とにもかくにも我儘な馬で、神戸新聞杯で鞍上を務めた岡部騎手に「ちゃんと調教してるのか?」みたいな苦言を呈されたというエピソードも残っている。


もはや説明するまでもないだろうが、フェブラリーステークスでの沈没は砂を被ってやる気をなくしたせいである。事実ダートでの調教は他馬に絡まれないのでちゃんと走っていた。
引退レースの有馬記念にしても、馬群の後方を追走したのはそうしないとまともに走ってくれないからというだけのことで、別に誇り高くもなんともない話だった。
こうした精神的な未熟さがなければ、あるいはベテラン騎手が早くから乗って厳しく教育していたら、もっと早くに評価通り、血統通りの活躍をしていたかもしれない。
秘めた実力を発揮することなく終わった、なんとも惜しい競走馬であった。



【おぼっちゃま、パパになる】


G1勝利は結局高松宮記念のみだったため、種牡馬入り当初の種付料は100万円前後とお安め価格であった。
同期のスペシャルウィークやエルコンドルパサー、グラスワンダーにはだいぶ差をつけられた格好である。
しかし世界的な良血と見栄えのする馬体、そしてデビューから引退まで大きな故障なく走り続けた頑丈さが高く評価され、幸いにも繁殖牝馬には恵まれた。
キングヘイローも生産者の期待によく応え、オークスと秋華賞を無敗で制したカワカミプリンセスや春秋スプリントG1を制し「父親越え」を果たしたローレルゲレイロ、NARグランプリ2018年度代表馬のキタサンミカヅキ等、芝ダート両方で様々なタイプの産駒を輩出。
キングヘイロー自身も距離適性がよくわからないところがあったが、産駒も実にバラエティ豊かであった。
また、自身と違い「中央がダメでも地方ダートで潰しが効く」産駒も多く、日本の各地でよく走ったこともバラエティの豊かさに拍車をかけた。
正直豊かすぎて馬券の取捨選択に困った
2022年現在ローレルゲレイロとキタサンミカヅキが後継として種牡馬入りしており、苦しいながらもキングヘイローの血を繋いでいる。


また、母父としても活躍馬が2021年頃からぐんと増加。
2021年のブルードメアサイアー成績は14位だったが、重賞戦線での勝利数及び勝率ではディープインパクトやキングカメハメハをも上回る好成績を記録。
特に「勝利数」がミソで、超一級種牡馬である上記2頭と比べたら重賞出走数の時点で1/4程度なのである。それで上回るのだから異常の一言。
ディープ産駒(全兄ブラックタイド産駒のキタサンブラックを含む)やモーリスなど、ヘイローとリファール双方の血が3~4代前(産駒から見ると4~5代前)に入っている種牡馬と相性が良いと言われている。
世界的な良血はやはり伊達ではなかったのだ。
母父の段階、それも間を置いて跳ねた要因としては、これが例えば「キングヘイロー×SS産駒を父に持つ牝馬」だと前述のインブリードが1つずつ濃くなるわけなので、世代が下って薄まった分がうまく作用したものと考えられる。*9
「どうせなら種牡馬現役のうちにこうなってくれればよかったのに」というのはちょっと無理な相談だったのだろう。


2019年3月19日、繋養先の北海道新冠町・優駿スタリオンステーションで死亡。享年24歳。
その5日後に行われた第49回高松宮記念では福永騎手の駆るミスターメロディが1着となり、かつてのパートナーに勝利を捧げた。



【さよならキングヘイロー号】


先述の第49回高松宮記念における、あるひとつの奇跡。


キングヘイローゆかりのレースで、キングヘイローゆかりの騎手が勝利を掴んだこの時、掲示板に表示された着版は3-4-7-13-5であった。


――そう、『さよならキングヘイロー号』と読むこともできる並びになっていたのである*10


あたかも5日前に没した名馬を悼むかのような複数の偶然の重なりを背に、王の名を持つその馬は天国へと駆けていった。


【創作作品での登場】

どこか押しが弱くてお人よしという、史実とはまた違ったタイプの「お坊ちゃん」キャラ。
ライバルであるスペシャルウィークとセイウンスカイがどちらも我が強いタイプのため振り回され気味であり、最終的に2頭とのライバル関係に危険を感じて短距離路線へと逃走した。


  • 『優駿劇場』

第65回日本ダービー回で三強の一角として登場。
好スタートを切り過ぎて差し馬なのに先頭に立ってしまい、慣れない逃げでの勝負を強いられる事となる。
しかし本人も気付かないうちにダービーのプレッシャーに蝕まれた結果、最終直線で限界を迎えて失速、この展開を読んでいたセイウンスカイに抜かれる事となる。


高飛車お嬢様キャラなウマ娘。
一見わがままでいわゆる「悪役令嬢」っぽくも見えるが、本質的には努力家かつ、優しく面倒見のいい性格で人に好かれるタイプ。実際に98世代とは別に取り巻きが4人(モブ2人、カワカミプリンセス*11、(寮が同室である)ハルウララ)も登場している。
おかげで「悪役要素が最初からない悪役令嬢」という褒めてるのか貶してるのかわからん評価がされてしまった
母親とのすれ違いや華々しく活躍する同期との差に悩みながらもあくまで「一流」を目指し続ける闘志の持ち主。
ウマ娘では特に鞍上要素が濃い一人であり、彼女の場合はデビュー時から現役中期までの主戦騎手を務めた福永祐一騎手(現調教師)の要素が盛り込まれている。実馬の方は悪い意味で「お坊ちゃん」だったのは内緒


【余談】


  • 走るフォームについて

一般的に競走馬は首を下げて走る方が効率よく力を使えるとされる。
しかしキングヘイローのフォームは明らかに首が高く、矯正馬具フル装備なこともあって非常に目立っていた。
項目冒頭で引用した「絶対に首を下げなかった」というナレーションにはお約束のように「いや首は下げろよ」とのツッコミが入る。


しかし実のところ、彼の母であるグッバイヘイローも同様の首の高いフォームだった。


どうやらこのフォームは遺伝によるものらしく、実際キングヘイローの産駒には彼同様に首の高いフォームで走る競走馬が多かった。そんなとこ遺伝しなくていいから……


なお、2022年現在ではこうしたフォームも馬の個性と捉え、無理に矯正しない厩舎が増えていることも追記しておく。


  • 福永祐一騎手

福永騎手のキングヘイローに対する思い入れは非常に強く、「負けて悔しかったレースは何か」という質問に対してもキングヘイローの勝った高松宮記念を挙げている。
「自分が2着だったからっていうんじゃなくて、これまで自分が乗っていたのに、なんでG1を勝たせてあげられなかったんだろう、っていう悔しさです」
「でも、馬のことを思って、『やっとタイトルがとれてよかったな』という気持ちもあって……複雑な心境でした」とのことで、非常に複雑な思いがあったことがうかがえる。


そしてキングヘイローのダービーから20年。
押しも押されもせぬ一流ジョッキーに成長した福永騎手は、ワグネリアンを駆って悲願のダービー制覇を成し遂げた。
ワグネリアンも福永騎手がデビュー戦から騎乗し、東京スポーツ杯を勝ったものの弥生賞、皐月賞で敗戦と、キングヘイローと同じような戦績を辿っている。
ダービー当日のTwitterトレンドにキングヘイローの名前が急浮上した事実は、それだけキングヘイローと福永騎手の関係を覚えていたファンが多かったことを示している。


福永騎手の活躍はその後も続いた。2020年にはコントレイルを三冠馬へ導き、2021年にはシャフリヤールでJRA史上2人目のダービー3勝目を達成。もはや立派なダービー巧者に。
スプリンターズステークスでは母父キングヘイローの新鋭ピクシーナイトに騎乗し、見事に勝利を掴んだ。
そして2022年12月、変わらぬ活躍を見せる一方で調教師試験に合格したことが報じられ、調教師免許が発行される翌年3月以降を以て馬に乗る立場から育てる立場への転身することが決定する。*12
彼の育てたキングヘイローの子孫がダービーを獲る日も、そう遠くないのかもしれない。


いまここにいる


どの道を選ぼうと

いつも誰かに追いつけず

別の誰かに抜き去られ


それでも落胆を抑え

焦りを隠しながら

ひたむきに進み続けた


そして、いまここにいる

熱望した場所で

遮るものもなく

憧れた景色を眺めている


JRA・名馬の肖像より


追記・修正は何度敗れても首を下げなかった人がお願いします。

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  • 作成乙 首は下げろ ……ハッ! -- 名無しさん (2022-03-27 11:31:08)
  • 最近増えてる競走馬の記事、ニコニコ大百科の記事をそのまま持ってきたようなのが多いけど同じ人が記事作成してるのかな? -- 名無しさん (2022-03-27 16:49:36)
  • ↑まあ参考にはしてるだろうな。盗用と言われない程度にあちらを改変する感じでしょ -- 名無しさん (2022-03-27 18:22:15)
  • ↑細かい表現は変えてるけど文章構成が元記事のまんまだし、これで盗用してないってのは正直無理がある。個人的には咎める気はないけどもし無断で持ってきてるんだったら後で揉めたりしないか心配 -- 名無しさん (2022-03-27 20:27:35)
  • うーん、複勝に絡むレベルでもない負けが続くと馬券的な人気が下がるのは僻みでも嫉みでもないと思うがなあ…。宮杯勝った時の雰囲気からしても馬の人気はあったほうだと思うが。 -- 名無しさん (2022-03-27 21:53:49)
  • G1走り続ける姿から人気出たよ。最後の有馬記念の本馬場入場も確か「ファンが多いキングヘイロー、これがラストランです」って言われてた気がする -- 名無しさん (2022-08-08 19:51:30)
  • 武豊騎手が自分のコラムか何かで「キングヘイローの騎乗依頼は自分も受けていてもし福永元騎手がデビュー戦落としていたら自分が手綱取る予定で、そのままクラシック路線まで進んで出走レースがかち合った場合スペシャルウィークかキングヘイローのどちらかを選ばなくてはならなくなってキングヘイローを選んでいた可能性も0ではなかった」というのは単なるリップサービスでハナからスペシャルウィーク以外には乗らないつもりでいたのかどうか? -- 名無しさん (2023-05-22 10:28:44)
  • 偶然そうなっただけの馬番を大まじめに取り上げて、よくわからない美談に仕立て上げてるところに競馬ファンの本質が見える -- 名無しさん (2024-06-09 16:50:56)

#comment(striction)

*1 あまり知られていないが、レースデビューする前なら競走馬の登録名は変更可能である。
*2 現東京スポーツ杯2歳ステークス。
*3 現ホープフルステークス。
*4 一応「この頃はまだ生きていて2005年前に他界した」なる証言はあるのだが、2020年になってセイウンスカイの出身牧場の現社長が「皐月賞前にセイウンスカイの父を呼び戻そうとしたが無理だった(意訳)」との発言をしており、真相は不明である。
*5 前レコードは1995年マヤノトップガン 3:04.4
*6 前レコードは1995年嵐山ステークスのメジロレノンズ 3:03.9
*7 地味に内国産馬最先着である。
*8 S=Sprint=1000-1300m、M=Mile=1301-1899m、I=Intermediate=1900-2100m、L=Long=2101-2700m、E=Extended=2701m以上。
*9 特にディープ・タイド兄弟についてはサーアイヴァーまでキングヘイローと重なり、あまりにも血が似通いすぎている。
*10 3、4、7でさよなら、13は高松宮記念当時のキングヘイローの馬番。そしてトランプでは13に相当するのはキングである
*11 産駒のGⅠ馬がカワカミ、ローレルゲレイロ、メーデイアの3頭いるのが由来?
*12 騎手免許と調教師免許を同時に保持することは禁止されているため、騎手が調教師免許を取得することは、騎手免許を手放してジョッキーを引退することを意味する。

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