登録日:2021/12/19 Sun 04:12:55
更新日:2024/06/17 Mon 11:53:37NEW!
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91年、天皇賞(春)
メジロマックイーン
父子三代制覇
絶対の強さは、時に人を退屈させる
──2011年 JRA 天皇賞(春)CMより
メジロマックイーンとは、日本の元競走馬。
『ウマ娘 プリティーダービー』におけるメジロマックイーンはこちら→メジロマックイーン(ウマ娘 プリティーダービー)
【データ】
誕生:1987年4月3日
死亡:2006年4月3日
享年:19歳
父:メジロティターン
母:メジロオーロラ
母父:リマンド
調教師:池江泰郎
馬主:メジロ商事
生産者:吉田堅
産地:浦河町
セリ取引価格 -
獲得賞金:10億1465万7700円
通算成績:21戦12勝
主な勝鞍:90'菊花賞、91'・92'天皇賞(春)
【誕生】
1987年4月3日生まれの葦毛の牡馬。
父メジロティターン、母メジロオーロラ。半兄に1986年菊花賞・1987年有馬記念を勝利しラストランの1988年有馬記念でスーパークリークの斜行被害を受けたメジロデュレンがいる。
名前の由来は冠名「メジロ」とアメリカの俳優スティーブ・マックイーンより取られており、後にメジロマックイーンが「名優」の異名で呼ばれたのはこれが理由。
父系は現代サラブレッドの9割以上を占める「エクリプス系」ではなく、「ヘロド系」と呼ばれるかなり希少な血筋を引いている*1。
マックイーンの祖父メジロアサマは後にシンボリルドルフを輩出する名種牡馬パーソロンを父に持つ芦毛の天皇賞(秋)馬だったが、授精能力が壊滅的という障害を抱えており、その困難を乗り越え何とか生まれた産駒19頭の内、最大の期待を込めフランスの名牝との交配で生まれたのがメジロティターン。
また母メジロオーロラの父リマンドも長距離馬として知られており、日本では他にオークス馬アグネスレディー・ダービー馬オペックホース等を輩出している。
【脚質】
端的に言えば好位についた後の先行抜け出しがメジロマックイーンの基本的な競馬である。
この競馬は王道とも言える紛れが起きづらいものであるが、だからこそ簡単にできるものではない。常に前の方にいて最後は全力のラストスパートで勝つなど、いくらスタミナがあってもできるものではないからである。
だが、メジロマックイーンにはそれがあったのである。
メジロマックイーンのスタミナは他馬と比べて桁違いであり、それを武器に常にハイペースな競馬を常に他馬に押し付けてスタミナを削り、メジロマックイーン自身はダメ押しと言わんばかりに早期にスパートを仕掛けて、消耗した他馬を問題とせずにゴールする戦法が鉄板であった。いわゆるすりつぶす競馬である。
メジロマックイーンのハイペースに付き合ってしまえば最終直線で差すための脚が残らず、かと言ってメジロマックイーンを放っておけば逃げられてしまい、メジロマックイーンよりも前にいる逃げ馬は追い抜かれてしまえばそこで沈む。この他馬からするとクソみたいな択一は、机上の空論に近い競馬を現実的かつ勝率の高いものに昇華させている。
しかもそれを毎回レースで仕掛けて結果勝っているため、競馬民からすれば「コイツいつも同じ勝ち方してんな」と思われるのも無理はなく、現役時代は強いことは間違いないが差し・追い込み・捲りに比べて劇的なレース展開ではないので華がなく、人気は高くなかった。絶対の強さは時に人を退屈させると言われるのはこれが所以である。
こう書くとスタミナしか取り柄のない馬に思える。確かにメジロマックイーンは競馬に必須な能力である瞬発力に関しては並か中の上程度に収まっているものの、トップスピードに非常に優れ、現役後期のタイム上ではマイル環境でも勝負できるトップスピードの持ち主である。パワーにも秀でており、重馬場や雨にめっぽう強く、不良馬場による試合展開の荒れは影響が少ないどころかむしろメジロマックイーンにとっては有利なものであった。ついでに言ってしまえばこのような才能を持っていても賢くなければ毎レース展開できないため、結果賢くもあったと言われる。
要するにこの馬は瞬発力以外は持っており、特にスタミナが異次元めいて突出していたのである。
この才能は産駒にはうまく遺伝しなかったが、母父としては見事に引き継がれており、ゴールドシップには色濃く継がれている。
メジロマックイーンの心肺能力は日本競馬を振り返っても屈指のものであり、当馬比1.5倍サイズのクソデカ心臓を持つテイエムオペラオーの心拍数が25だったことに対し、メジロマックイーンの心拍数は驚異の20である。一流サラブレッドの平均が30~40であることを考えると異常とも言える才能である。いわゆるスポーツ心臓の極致とも言われるものであるが、デメリットとして心不全になりやすいというものがある。メジロマックイーンも19歳にして心不全で亡くなっている。
【現役時代】
3歳(現2歳)で栗東の池江泰郎厩舎に入厩するも、調教中に骨膜炎を発症してしまい、デビューはやや遅れて翌年2月に阪神競馬場のダート1700mに出走。
見事にデビュー勝ちを飾ったものの、デビューが遅れたことでクラシック三冠の内、皐月賞と日本ダービーには出走できず、世間では同時期に生まれたメジロライアンに注目が集まっていた。
しかし、なんとか出走にこぎ着けた菊花賞ではそのメジロライアンから1着を勝ち取っており、そこから新たな注目株となった。
1991年の天皇賞(春)では、祖父のメジロアサマと父親のメジロティターンに続き勝利し、親子3代での天皇賞制覇を成し遂げた。
続いて天皇賞(秋)制覇を目指すが、このレースでメジロマックイーンにとって不名誉な大事件が起こる。
このレースでメジロマックイーンは6馬身差の圧勝で1位入線したものの、スタート直後に斜行してしまい、18着のプレジデントシチーの進路を妨害したとして、18着に降着。*2
騎乗した武豊は進路の妨害を否定したが、結局審議の結果妨害とみなされ、2着馬であったプレクラスニーが繰り上がりで勝利となった。
その後、マックイーンはジャパンカップに参戦するも4着。
暮れのグランプリ有馬記念でも、順当なレース運びのはずが「これはビックリダイユウサク!」に差し切られ2着に敗れた。
このように秋以降は調子を落としたものの、その実力が評価され、1991年のJRA最優秀5歳以上牡馬に選出された。
年が明けて6歳となったマックイーンは、再び阪神大賞典へ。秋の不調はどこへやら、2着に5馬身差をつけての圧勝し、その勢いのまま天皇賞(春)へ出走。
昨年のクラシック二冠馬トウカイテイオーとの「TM対決」を制し天皇賞(春)連覇を成し遂げた。
しかし、絶好調だったマックイーンに悲劇が訪れる。
宝塚記念に向けての調整中に左前脚を骨折してしまったのだ。
幸い一命は取り留めたものの怪我は重く、1年近くの期間を治療と休養に充てる事となった。
それから1年後、無事に復帰したマックイーンはGⅡ大阪杯に出走。1年ものブランクを感じさせず、5馬身差で完勝した。
この勢いで天皇賞3連覇を目指すが、1993年の天皇賞(春)では昨年の菊花賞馬であるライスシャワーに敗北し2着。天皇賞(春)3連覇は達成できなかった。
しかしながら次走の宝塚記念ではキッチリ1着。続く京都大賞典ではコースレコードを出し後続を3馬身半の差をつけて圧勝した。
このレースによって、獲得賞金が合計賞金10億1465万7700円となり、当時の世界最高記録を樹立した。
続いて陣営は次なるターゲットを天皇賞(秋)に定めるが、天皇賞の4日前の調整中、歩き方に異常が見られ検査したところ、前脚部繋靱帯炎を発症していることが発覚。
現役引退を余儀なくされた。
通算成績:21戦12勝
引退後の1994年には、GI競走四年連続勝利などが評価されてJRA顕彰馬に選出された。
【引退後】
引退後は種牡馬となったがあまり良い結果は残せておらず、産駒最高成績は2008年目黒記念を制したホクトスルタンだが、2012年に障害競走中負傷し予後不良になってしまった。
そのため活躍馬からの後継種牡馬が出ることもなかった。
ただ有志の熱意により、マックイーン産駒最後の現役馬ギンザグリングラスが種牡馬として活動した(産駒は皆地方でデビュー)。なおこれで日本競走馬史上3例目の父系4代種牡馬入りとなった*3。
2023年に亡くなるまでに13頭という産駒の少なさからさらに先へとサイアーラインを繋げるのは困難と思われるが、希少な「ヘロド系」種牡馬でもあるため(2024年現在日本では他にトウカイテイオー産駒クワイトファインのみ)、何とか保護して欲しいものである。
代わりに母父*4としてはかなり優秀な成績を収めており、
特に父ステイゴールドを据えた通称『ステマ配合』と呼ばれる配合は、お互いの特性を上手く補完し合うのか様々なG1優勝馬を出しており、ステマ配合が周知されるまで持ちこたえていたらメジロ牧場は解散していなかった*5とまで言われている。
……まぁその彼にとって孫にあたる競走馬はドリームジャーニーにゴールドシップ、オルフェーヴルとどいつもこいつも先に記事が建てられてるぐらいの問題児ばかりなのだが。お爺ちゃんの心労やいかに……
マックイーンは心不全で2006年4月3日に他界しているが、その孫たちによって彼の血は2020年代に入っても広まっている。
【創作作品での登場】
祖母・母を継ぐ三代連続タイトル獲得を目指す「メジロ家」のお嬢様ウマ娘。
他の娘が良くも悪くもあまりお嬢様然としていないため、メジロ家のウマ娘としては少数派の「正統派お嬢様」。
一方でスイーツ大好きで野球スポーツ観戦を趣味とする側面も。ただ太りやすい体質の持ち主であり、スイーツ大好きなのにレース前は我慢しなければならないので悩んでいる。
またゲーム内メインストーリーの主要キャラであり、主人公が所属するチーム・シリウスがとある事情で彼女以外いなくなり、一旦瓦解した所から物語は始まる。
アニメでも途中からチームスピカの一員となる正妻メインキャラの一角。
二期ではトウカイテイオーと双璧を成す主役の一人にしてテイオーのライバル兼ヒロインとして活躍した。
【余談】
成績は21戦12勝。その内3着以下だったレースはわずか3回のみ。獲得賞金も10億越えと最高峰、まさに「名優」の名に恥じぬ活躍を見せた。
また競馬場に出ればその堂々とした振る舞いを見せており、当時タマモクロスやオグリキャップと並び「芦毛の最強馬」とされていた。
じゃあ人気があったのかというと実はそうでもなかったらしく、冒頭の「絶対の強さは、時に人を退屈させる」とCMでも語りが入っているように、寧ろ逆に強すぎて人気がなかったらしい。
だが逆に言えば当時それほどまでに圧倒的な強さを誇っていたということでもあり*6
その退屈なまでの強さに惹かれ、応援してくれた人たちもいたことは確かである。
引退後はめっきり老け込んでしまい、雄大な馬体は萎んでトボトボ歩くようになってしまった。隣にハツラツとしたトウカイテイオー(仲は良かったらしい)が居ることもあって「強いメジロマックイーン」を期待して来た見学者は酷く面食らったという。
……さてここまでがレース周りでのメジロマックイーンのお話である。
レース外ではヤンチャで甘えん坊だわ、暴れん坊だわ、頑固になるわ、調教嫌がるわで周りの人たちを困らせていた。
ある時はメジロ牧場総帥であった北野ミヤ女史の前で突如立ち上がって、あわや北野女史を踏みつけかねなかったという一幕も。
それなのに競馬場に顔出せば堂々とした振る舞いを見せてるわで性格を直すのは無理だとして匙を投げられたエピソードも。
当然、当時ネットなんてものは普及してなかったのでそんな話をしても誰も信じてくれなかったわけである。
因みに引退後に武豊氏が顔を出しに行ったらメジロマックイーンは「また走らされる」と思って真っ先に逃げてったそうな。
もう一つメジロマックイーンを語るに欠かせないのがサンデーサイレンスとの関係である。
このサンデーサイレンス、唯我独尊を貫く暴れん坊で、他の馬にも喧嘩売っていた。当然放牧地がお隣さんだったメジロマックイーンにも喧嘩売ったが彼はガン無視。
ところが月日が経つと何とそのサンデーサイレンスがメジロマックイーンにデレた。そして最終的に周りの人から恋人同士と言われるぐらいデレデレとなっている。
一応言っておくと、この2頭は牡馬。それなのに恋人同士と言われるって……。
まぁサンデーサイレンスの息子のステイゴールドもひどかったので何処かでウマが合っていたのかもしれないが。
サンデーサイレンスの死後は別所に移されたのだが、そこにいたサンデーサイレンス産駒のロサードに慕われていたらしい。なんかこう……うまく言えないが、父のにおいを感じ取ったのかもしれない
ちなみに先ほど挙げたステマ配合の孫たちが、その恋人と言われたサンデーサイレンス譲りの気性難ばかりなのだが、ゴールドシップだけは方向性が違って関係者から「メジロマックイーンそっくり」と言われている。
孫たちの気性難な性格も心労ではなく、むしろ若い頃の自分やSS様に似てるとして好ましく思っているかもしれない。
そんなサンデーサイレンスをガン無視してたメジロマックイーンだが、逆に彼は鉄の女と呼ばれていたイクノディクタスに想いを寄せていたらしい。
そうして生まれたのがキソジクイーンだが、残念なことにキソジクイーン産駒から繁殖入りする仔は現れず、現在その系譜は絶えてしまった。
ちなみに、イクノディクタスの父ディクタスはステイゴールドの母父にあたる馬でもあったり。イクノディクタスがなかなか発情しなかったので薬の力で無理やり発情させたらしいが
追記・修正お願いします。
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- 死亡フラグとか書いてるからライアンってクラシックで岡潤乗せたっけ?とか思ってしまった -- 名無しさん (2021-12-19 17:22:39)
- 早撃ちマック(スピーディーな種付け) -- 名無しさん (2022-12-06 13:14:19)
- ギンザグリングラスが逝ってしまった以上、その産駒から後継が現れないと存続の危機… -- 名無しさん (2024-01-30 06:59:21)
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*2 G1における1位入線馬の降着処分はこれが日本初の事例となった。
*3 なお歴史としてもメジロアサマが誕生した1966年からとなるため、現存父系では最古となる。
*4 母方の祖父。業界用語では「ブルードメアサイアー」略称「BMS」と呼ばれる
*5 ステマ配合が知られるきっかけとなったオルフェーヴルの3冠達成が、丁度メジロ牧場が成績不振によって解散した年に起きたため。
*6 実際、賭け的な意味での人気で言うなら1番人気でなかったのは21戦中僅か3回。因みにその全てにて1着を取っている
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