登録日:2020/04/27 Mon 10:27:18
更新日:2024/05/17 Fri 11:28:38NEW!
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『ブロック・レスナー(Brock Lesnar)』1977年7月12日 - は、米国のプロレスラー、総合格闘家、元レスリング選手。
サウスダコタ州ウェブスター出身。
ドイツ系アメリカ人の家系に生まれる。
尚、現在は本籍をカナダのサスカチュワン州に移動させている。
本名:ブロック・エドワード・レスナー
WWEへの初登場は02年で、アマレスで鍛え上げた圧倒的な肉体を活かした怪物キャラで売り込みがかけられ、瞬く間に業界の頂点へと駆け上がった。
公称サイズは190cm、130kgと、非常にマッシヴなガチムチ体型をしている。
四肢や首の太さに加え、胸板の広さと厚さは特筆すべきものがある。
しかし、04年3月にアマレスと共に学生時代に打ち込んできたアメリカンフットボールでも頂点を目指したいとの考えから、身勝手な行動に対してファンから多くのブーイングを受けながらもNFLへの挑戦を理由に退団。
トライアウトを経て見事に合格は勝ち取るも、開幕ロースターに残れなかったことから試合に出場することなくアメフトは廃業。
その後は短期間だけ新日本プロレスに参戦した後に総合格闘技の方面に進み、此方でもチャンピオンとなるも、この期間中に大病を発症してしまい、復帰後の活動期間は短期に終わった。
そして、初登場から10年を経た2012年にWWEへの復帰を果たした。
復帰後は大舞台のみのスポット参戦となったが、WWEの強さの象徴として君臨し続けている。
妻は、元WWEディーヴァのセイブルことレナ・メロ・レスナーで、10歳差の姉さん女房となっている。
【プロレス以前】
5才からアマレスを始め、高校ではアメリカンフットボールでも活躍した。
卒業後、ビスマルク短大レスリング部でNCAA王座にも就くが、廃部になったことでミネソタ大学のレスリング部に迎え入れられ、そこでもNCAAディビジョン1で一度、ビッグ・テン・カンファレンスで二度優勝し、NCAAディビジョン1のオールアメリカンにも二度選出される等、素晴らしい成績を修める。
大学時代の通算成績は106勝5敗。
因みに、シェルトン・ベンジャミンはミネソタ大での先輩で、コーチ役として指導も受けた仲である。
実家は酪農家だったので、巨大な丸太を持ち上げたり転がしたりと、自然の環境を利用したトレーニングを実践しており、プロになってからもジムでのトレーニングに取り入れている。
主なキャッチフレーズと決め台詞は第一期が“Here coms The Pain”(苦痛を与えるぞ)
第二期からが“Eat, Sleep, Conquer, Repeat”(食事、睡眠、征服、その繰り返し)
“Suplex city”(スープレックス・シティ*1)
【WWE時代】
卒業後、本人曰く「金を稼ぐために」WWEのスカウトを受けてブラッド・レイガンズのジムでトレーニングを開始する。
この時のコーチは、同じくアマレス出身の先輩で、短期間で業界のトップに立った経験を持つカート・アングルだった。
先ずは、当時のWWEが新人育成の場としていた下位団体のOVWでデビュー。
その頃から、若いながらも規格外のパワーに注目が集まる。
また、優れた身体能力から巨体であるにもかかわらずシューティング・スター・プレスもこなせることも話題となっていたが、後述の理由から封印されている。
因みに、当時のOVWにはプロトタイプ(ジョン・シナ)やリヴァイアサン(バティスタ)も居り、レスナーは彼等と鎬を削っていたが、アマレスの下地を持つレスナーが、年齢は若いながらも一足先にWWE本隊へと登場することとなる。
レスナーは新人ながらグリーンボーイ扱いされず、“次代の大物”(The Next Big Thing)のキャッチフレーズを付けられると、ポール・ヘイマンをマネージャーに、数々のビッグネームをマットに沈めていった。
その勢いのままにハルク・ホーガンも破ると、当時の団体最高峰のベルトであった統一世界ヘビー級王座を持つザ・ロックを破り、WWE昇格から僅か5ヶ月で業界の頂点に立った。
SMACK DOWN所属となり、当初はストーンコールドとの対戦アングルが組まれる予定となっていたが、ナーバスになっていたストンコが拒否した為に同格のトップスーパースターであるアンダーテイカーが相手をすることになり、右手を折る等の下準備のアングルを展開した末に勝利した。
初登場から一貫して、傲岸不遜で傍若無人なヒールのキャラクターが付けられていたが、説得力の塊であったことからファンからの支持が高く、ヘイマンの裏切りによってビッグ・ショーに破れて王座を失うも、ストーリー上でもベビーフェイスとなる。
03年1月のロイヤルランブルではビッグ・ショーにリベンジを果たした上でロイヤルランブルにも出場して勝利し、王座を奪取していたカート・アングルへのレッスルマニア19での挑戦権を得る。
レッスルマニア19のメインとして行われた戦いでは白熱の戦いを演じるも、試合終盤にシューティングスタープレスを仕掛けた際、カートには届かずに頭から落下してしまうという衝撃的なアクシデントを起こしてしまう。
傍目からも試合続行も危ぶまれる程の衝撃であったが、何とか勝利を収めてレスナー時代の本格的な到来となった。
しかし、6月にカート、ビッグ・ショーとの三つ巴戦破れて王座を失うとビンス自らの介入によりヒールに戻る。
サマースラムでは、反対にベビーフェイスとなったカートのアングルロックの前にギブアップ負けを喫し、観客から“You Tapped Out!(お前はタップした!)”と弄られるようになり、プライドを賭けてアイアンマン戦*2に挑み、試合の最後にかけられたアンクルロックに耐えきり、1ポイントのリードを守り抜いて勝利。
以降、悪の王者としてビンスやGMとして帰って来たヘイマンと結託してやりたい放題をするも、04年2月のノー・ウェイ・アウトで思わぬ伏兵となったエディ・ゲレロのテクニックに翻弄され、更には乱入してきたRAWのゴールドバーグの乱入もあり王座から陥落。
こうして、自身にも付けられた無敵のキャラクターの先達でもあるゴールドバーグとの怪物対決のアングルが進められるが、本番を前にインターネット上に、実は二人共にレッスルマニアを最後にWWEを退団するという事実が流布されてしまい、世紀の対決は一転して大観衆からのブーイングに晒される異様な光景となった。
そして、破れたレスナーは尚も特別レフェリーのストンコに食って掛かるが、御祓のスタナーを食らってWWEから姿を消した。
【新日本プロレスへ】
WWEを退団したレスナーは、前述のようにNFLへと挑戦するも失敗。
この頃には本人からプロレスを馬鹿にしたような発言も出ていたのだが、失職状態となったことでプロレスへの復帰を薦める声がレスナーの踏み台になることを受け入れていたホーガン等からも挙がった。
05年1月に米国ではなく、来日して新日本プロレスに元WWEディーヴァで、婚約していたセイブルを伴って来場。
早速の参戦を期待されるも、実際に叶ったのは10月になってからと、勿体振った態度には不満も囁かれた。
東京ドーム興行にて、王者だった藤田和之、蝶野正洋とのIWGPタイトルでは初の三つ巴戦に挑み勝利。
所謂、暗黒期の新日本プロレスの目玉となるかと思いきやスポット参戦でタイトルが組まれるのみの扱いであった。
06年に入ると総合格闘技への挑戦を口にするようになり、7月にはIWGPベルトを所有したままで契約上のトラブルを理由に以降の参戦を拒否。
新日本プロレスはレスナーの王座を公式に剥奪する。
また、この出来事を機に新日本プロレスでは猪木の介入以降の混乱を敢然と批判する声が高まり若手が奮起し、棚橋弘至や中邑真輔等が台頭すると共に暗黒期から抜け出す下地が出来た。
因みに、レスナーが所有したままとなっていたそのためにもわざわざ新デザインにしていた三代目IWGPヘビー級王座ベルトは、後の07年6月29日のIGF旗揚げ戦にて、同じくWWEを離脱してTNA所属となっていたカート・アングルに破れて奪われ、新日本に参戦したカートより返却された。
レスナーは、この戦いの前の6月2日に総合格闘家デビューをしており、プロレスからの卒業のけじめの意味も大きかったのだろう。
【総合格闘技へ】
07年6月2日Dynamite!! USAで総合格闘家としてデビューし、キム・ミンスに勝利。
07年10月UFC77に来場し、正式に契約を交わしたことを発表。
08年2月フランク・ミアと対戦し一本負け。
08年11月復帰した王者ランディ・クートゥアに勝利してUFC世界ヘビー級王座を獲得。
09年7月流れていた暫定王者フランク・ミアとの王座統一戦が行われ、勝利。
しかし、ミアの地元のラスベガスでの勝利にブーイングが飛び、試合後のインタビューではUFCスポンサーのバドワイザーが何もくれないから、ライバル会社のクアーズ・ライトを飲むよと答えてしまい、直ぐに謝罪したものの物議を醸した。
09年11月の防衛戦を体調不良により欠場。
10年1月に延期されていたが、大腸憩室症を発症したことを公表。
医師からは現役続行は難しいと言われる程の病状であったが、半年の闘病から奇跡と言われた復活。
10年7月暫定王者シェイン・カーウィンに1R早々にダウンを奪われパウンドで追い込まれるも、2Rに肩固めで逆転勝ちし、王座防衛と共にサブミッション・オブ・ザ・ナイトを獲得。
10年10月ケイン・ヴェラスケスに破れて王座陥落。
ジュニオール・ドス・サントスとの対決が予定されていたが、大腸憩室症の再発から11年5月に大腸を30cm切除する大手術を受ける。
11年12月にアリスター・オーフレイムと対戦して敗北し、総合格闘技からの引退を発表。
【WWE復帰】
2012年4月にRAWに登場し、WWEの顔となっていたジョン・シナにF5を浴びせて電撃復帰。
以降、大舞台のみのスポット参戦となる。
元ジョニー・エースのジョン・ロウリネイティスGMとの友好的関係をアピールし、傲慢な暴君というキャラクターを構築。
強引に呑ませたシナとの対決では、圧倒しながらもレフェリーもダウンしており決着が付けられず、逆転勝利を許してしまう。
その後、レスナーの傲慢さと癒着を敢然と糾弾した御意見番のトリプルHと、親友のショーン・マイケルズや妻のステファニー・マクマホンも巻き込んだ抗争を開始。
ポール・ヘイマンも、この展開の中でレスナーの代理人として復活した。
8月のサマースラムで行われた決着戦では、キムラロックでトリプルHの腕を粉砕して勝利。
トリプルHには、シールドにCMパンクを擁護させていた件をビンス・マクマホンが糾弾するというストーリーの中でレッスルマニア29でも再戦して勝利した。
そして、復活後のレスナー最大のトピックスと呼ぶべきなのがレッスルマニアXXXに於けるアンダーテイカーとの戦いで、この試合にて三度F5を繰り出して墓掘り人を沈め、テイカーのレッスルマニア不敗伝説に21でピリオドを付けた。
この決着は、当日はレフェリーにすら知らされていなかったとのことで、レスナー自身も尊敬するテイカーからレッスルマニアで勝利を挙げることを固持していたというが、レスナーが入団した当時から目を掛けていたテイカー自身のたっての希望により、このシナリオが決定されたとのこと。
過去にもテイカーに勝利したことはあったが、過去の対戦とは全く意味合いの違う、レッスルマニア不敗伝説を終わらせる形での勝利により、以降のレスナーはWWEスーパースターズの中でも飛び抜けた強さを持つ存在として扱われるようになり、かつてのゴールドバーグと同様に、レスナー自身から勝利を挙げるにはアクシデントや、トリプルスレット形式で自身が関わらない形での敗戦でも無ければタイトルを奪えないという状況となった。
2014年頃から、元シールドのセス・ロリンズやロマン・レインズやディーン・アンブローズといった、王座戦線に絡む新しい世代のスーパースターが台頭してきたが、彼等を相手にしても圧倒が許されている程である。
15年2月にUFC184に来場。
3月のWWEとの契約満了が伝えられていたことから、再度の総合格闘技への復帰も期待されたが、WWEと契約更新したことを発表した。
【総合格闘技への再登場】
契約更新後、2015年は活発にWWEマットで活動していたが、16年6月にUFC199の放映中に流された次回のUFC200の告知映像に登場し、7月のUFC200にてマーク・ハントと対戦して勝利。
しかし、その後に行われたUSADA(全米アンチドーピング機関)による、抜き打ちのドーピング検査に陽性反応を示したことが発表され、再検査でも陽性反応が出たことから、試合を管轄したネバダ州アスレチック・コミッションより暫定出場停止処分を受けた。
12月にはファイトマネーの10%の罰金と一年間の出場停止処分の決定が確定され、試合結果もノーコンテストとなった。
2017年1月にもUSADAより一年間の出場停止処分を受け、総合格闘技からは現時点では完全に撤退した状態となっている。
【現在まで】
16年10月に、因縁あるゴールドバーグが電撃復帰してレスナーとの対戦をアピール。
そして、11月のサバイバーシリーズにて、レッスルマニア20から数えて12年ぶりに怪物対決が実現した。
前述の様に、総合格闘技を経て暴君ぶりを発揮していたレスナーだったが、復活したゴールドバーグに秒殺で敗北したことで驚きを呼んだ。
しかし、17年3月のレッスルマニア33ではWWEユニバーサル王者となっていたゴールドバーグに挑戦し、三度目の対決にして勝利して王座を獲得した。
以降は、同王座の代表的なタイトルホルダーとなる。
19年10月には同格のWWE王座を獲得していたコフィ・キングストンに秒殺勝利。
20年4月のレッスルマニア36で、ドリュー・マッキンタイアに破れて王座より陥落した。
【主な得意技】
- F5/バーディクト
レスナーの代名詞。
相手をファイヤーマンズ・キャリーで肩に担いだ後で、相手の首に回した腕を支点として相手の足を思いっきりぶん回し、足のロックを外すと共に自らも豪快に後方に倒れ込みつつ、相手をうつ伏せにマットに叩き落としていく。
時には、ぶん回した後で首にかけていた手まで離して空中に放り投げてしまうこともあり、これを利用して相手を実況席等に叩き込むこともある。
技名は米国に於ける“竜巻の最大等級(Fujita scale/Fujita-pearson scaleの5)”から。
因みに、この名称はWWEが商標登録している関係上、日本(他団体)では使えず、日本マットではバーディクト(評決)の名称が用いられた。*3
持ち前の怪力からビッグ・ショー相手にも仕掛けることが可能だが、日本で曙に仕掛けた際には肉体バランスの違いから失敗し、腰に大ダメージを負ってしまったことがある。
また、強烈な回転力を逆に利用されてエディ・ゲレロ等にスイングD.D.T.によるカウンターを受けて自身が大ダメージを受けたこともある。
- キムラロック
いわゆる腕がらみ(チキンウィング・アームロック)。
食らうと(アングルだが)骨折させられる。
- シューティング・スター・プレス
重量級選手でも、比較的(体を)回転させることが容易なムーンサルト・プレスを使いこなす選手は過去にも居たが、驚異的な身体能力を誇るレスナーは軽量級選手でも難しいこの技(前方を向いた状態からの後方一回転半してからのプレス)を習得していた。
OVW時代には主なフィニッシュとしている程だったのだが、前述のレッスルマニア19のカート戦にて汗で滑ってしまい、顔面から突き刺さるような形で落ちてしまった経験から封印宣言がされている。
- ブロックロック
マフラーホールド(相手の足を自分の肩に担いで締め上げる技)と、シングル・ボストンクラブ(逆片エビ固め)をミックスさせた技。
03年頃に開発されたが、強力だがプロレス的にも”返しようがない”とも評されていた。
その後、退団してしまったので実際に不破のままとなり、復帰後も再使用されていない。
- ベアハッグ
02年頃に使用。
ハルク・ホーガンとの対戦ではレジェンド相手に吐血させる程の威力を持つ技、というアングルを付けられていた。
- ジャーマン・スープレックス
以前から使用していたのだが、特に復帰後に得意技、必殺技としての印象を強くしている。
ブリッジが美しいとかではないのだが、とにかく強引に抵抗もお構いなしに相手をぶっこ抜いては次々と投げ捨てていくのが特徴。
1発でも危険なのに、強敵相手には一試合中に10発以上のスープレックスを見舞うこともあり、レッスルマニア31でレスナー自身が試合中に発したのが広まった“Suplex city,BITCH!”のフレーズと共に代名詞となっている。
この他、単純な打撃や投げも豪快で強力である。
また、元アマレス王者だけに純粋なレスリング技術も当然のように高く、元金メダリストでアマレスでも先輩格のカート・アングルとのスパーリングでは、他に付いていける者が居なかった程だったと、TAJIRIが証言している。
Addition Correction city,BITCH!
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*1 当初は“スープレックス祭り”と翻訳されていた。*2 制限時間内でどちらが多く3カウントかギブアップ勝利を奪えるか競うルールの戦い。
*3 当初は代わりの名前も付いておらず竜巻式フェイスバスターとも呼ばれた。
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