メイセイオペラ(競走馬)

ページ名:メイセイオペラ_競走馬_

登録日:2020/04/26 (日) 21:30:00
更新日:2024/05/17 Fri 11:28:22NEW!
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99年、フェブラリーステークス
英雄は、東北から来た。
日本競馬史上ただ一頭、地方から中央を制した馬。
メイセイオペラ、栗毛の来訪者。
時代は外から変わっていく。


──2013年フェブラリーステークスCMより


メイセイオペラは、岩手競馬に所属していた競走馬。
日本競馬史上ただ一頭、地方競馬所属のまま中央競馬G1制覇という偉業を達成した名馬である。


生年月日:1994年6月6日
父:グランドオペラ
母:テラミス
母父:タクラマカン
オーナー:(有)明正商事
調教師:佐々木修一(水沢)
生産者:高橋啓
成績:35戦23勝(通算)
    2戦 1勝(中央競馬)
   33戦22勝(地方競馬)
主な勝鞍:フェブラリーステークス(1999)、帝王賞(1999)、マイルチャンピオンシップ南部杯(1998)
生涯獲得賞金:4億9498万5000円(通算)
       1億1173万円 (中央競馬)
       3億8689万円 (地方競馬)


■誕生~デビューまで

父はグランドオペラ。母テラミス、母父タクラマカン。と、お世辞にも名のある血統とは言い難いが、ある血量を持つ馬でもあった(後述のエピソードを参照)。
テラミスは岩手競馬で競走馬デビューしたものの引退までに2勝のみと到底繁殖入りできる成績ではなかったが、馬主である小野寺氏が持ち馬をとても大事にする人物だったこともあり、知り合いの伝手を頼って預託してもらえる牧場をなんとか探し出した。
グランドオペラも未勝利馬だったため血統のわりに種付け料が安く手頃だったことから、テラミスの交配相手として選ばれることとなる。


北海道平取町の高橋牧場で生まれたメイセイオペラだが、馬体は小さく、褒めるところを見つけるのが難しいとすら言われていた。そこで馬体を大きくしようと夜間放牧を試してみたところ、これが功を奏して見違えるほど立派に育った。
この成長ぶりには馬主の小野寺氏をはじめとした関係者に期待を抱かせ、当初は中央競馬入りさせる算段であったという。
しかし小野寺氏と交友のあった佐々木修一調教師がこの馬に惚れて、無理を言って自身のいる水沢競馬場に入れて貰うこととなった。


そんなこんなで地方競馬からスタートを切ったメイセイオペラ。
この時の選択が一つの伝説を創り出すことになるとは、誰も予想だにしなかった―――。


■メイクデビュー、降りかかる苦難の数々


新馬戦こそ期待に応えて勝利したメイセイオペラ。だが、次のレースを走る前に馬主である小野寺氏が急逝してしまう。
馬主資格は小野寺氏の妻がオーナーとなって引き継ぎ、メイセイオペラも引き続きレースに出走できるようになるが、初戦以降は若さが出て勝てない日々が続いた。
それでも暫くするとレースというものを覚え始め、6戦目で2勝目を上げるとそこからは連戦連勝の快進撃を続けることとなる。
年が明けて4歳(現在でいう3歳)になるとスプリングカップ、ダイヤモンドカップで地元の有力馬相手に圧勝。初めての重賞競走である東北ダービーではレースレコードを叩き出して快勝する。なお、このレースより鞍上を岩手の名手である菅原勲騎手が務め続けることとなる。
地元の不来方賞も圧勝したことで岩手No.1の座を揺るぎないものとしたメイセイオペラは、中央交流であるユニコーンステークスへの出走を決めた。


しかしここでも苦難がメイセイオペラを襲う。
未明頃、馬房で頭を強打し前頭骨骨折という重傷を負ってしまったのだ。
幸い命に別状はなかったがユニコーンステークスは回避せざるを得なくなり、しばらくは安静にしているしかなかった。
怪我から復帰後もすぐには調子も戻らず、ダービーグランプリ、スーパーダートダービーではともに10着と大敗してしまう。


それでも地元ファンはメイセイオペラを応援し続けた。暮れの桐花賞ではファン投票で1位に押され、その期待に応えて勝利を収めた。
度重なる不幸にも屈せず、何度でも立ち上がる岩手の雄は、次なる舞台へと羽ばたいていく。


■宿命のライバルとの出会い


怪我からも復調し、改めて中央勢に挑戦だ!
ということで南関東競馬で行われる交流G1の川崎記念へと歩を進めたメイセイオペラ陣営は、そこで後に永遠のライバルとなる船橋のアブクマポーロと出会う。
7歳(現在でいう6歳)となったアブクマポーロはまさに盤石といわんばかりの強さを誇り、当時の地方競馬のトップに君臨していた。
このレースでもその実力を見せつけ、なみいる中央勢を歯牙にもかけない強さで突き放して勝利を決めた。当のメイセイオペラは4着がやっとだった。


全国レベル、特にアブクマポーロの強さを思い知った陣営は力不足を痛感。上を目指すためには、メイセイオペラにまだまだ力を付ける必要があると判断した。
そこでよりよい設備のある福島の天工トレーニングセンター(現:テンコー・トレーニングセンター)に入れて、さらなるパワーアップを図ることとなる。
一流の施設で三ヶ月間の鍛錬を終えたメイセイオペラは、周囲が驚くほどの成長を遂げていた。


手始めに地元の重賞シアンモア記念を圧勝。続く帝王賞ではアブクマポーロへのリベンジ戦となるが、ここでは3着と善戦。
地元開催の交流G3であるマーキュリーカップでは中央馬を寄せ付けない走りで7馬身差の完勝。この辺りから並みの中央馬では太刀打ちできない実力を見せ始めている。


交流G1である南部杯ではアブクマポーロとの三度目の対決となるが、ここでメイセイオペラは逃げの戦法を取り、なんとアブクマポーロ相手に勝ってしまう大番狂わせを見せた。
時計も去年のコースレコードを1秒以上縮める1分35秒1。初のG1勝利を地元開催で、しかも驚異的レコードで逃げ切り勝利という形で収めた。
ちなみにアブクマポーロは3着だったが、苦手な長距離輸送により本調子が出ていなかったとみる人も多かったようだ。
一説には輸送中ののどかな風景に放牧だと思って気が緩みきっておりレースに身が入っていなかった、なんて嘘かほんとか分からない逸話が残ってたりする。


ともかく、砂の王者に勝ったメイセイオペラは改めて地方の雄としての存在感を強めることとなる。
だが、王者アブクマポーロの力量はこんなものではないと確信する人々もまた根強い。4度目の対決は暮れの大一番、東京大賞典で行われることに。


大井競馬場に中央地方の優駿が出そろう中、観衆の視線は雌雄を決するべく出走したアブクマポーロ&メイセイオペラによる一騎打ちに集まっていた。
そして、このレースのアブクマポーロはとにかく強かった。
先行でハナを切ったメイセイオペラを最後の直線でとらえると、とんでもない末脚であっという間に抜き去っていったのである。
そのまま1着でゴールイン。普段はクールな石崎騎手も思わずガッツポーズをする会心の走りであった。
メイセイオペラも二着をなんとか死守。三着には大井のコンサートボーイが入り、地方馬が3着までを独占するという結果に地方競馬ファンは大いに沸いた。


■地方の星へ


歳は明けて1999年。この時代におけるダートの主役はアブクマポーロとメイセイオペラ、二頭の地方馬であった。
好敵手として数々の名勝負を繰り広げていたこの二頭にファンは胸を熱くさせ、彼らの戦いは後に「AM対決」と呼ばれるようになる。
その戦いの中で、この1年間におけるダート交流G1を全てアブクマ&メイセイの二頭が制するという「地方競馬の黄金期」を創り上げていた。


そんな砂の王者アブクマポーロの次なるレースが川崎記念に決まったことで、メイセイオペラ陣営は二つの選択肢を迫られることとなる。
一つは同じ川崎記念でアブクマポーロとの直接対決に進む道。そしてもう一つは中央G1であるフェブラリーステークスに挑戦する道である。
打倒アブクマか、中央の夢か。悩みに悩んだ末、当初から目標だった中央挑戦を果たすため、フェブラリーステークスへの出走を決めた。
これは得意なマイルに出走したかったこと、メンバーが手薄だったこと、そして何よりアブクマポーロがいなかったことが決め手であろう。これが歴史を変える選択になるとは──


とはいえ中央G1、中央競走における最高格付けを受けたレースを制する競走馬はほんの一握り。高い壁に変わりはない。
くわえてアブクマポーロが出てこないのは中央勢にとっても同じ条件であり、フェブラリーステークスにはG1常連勢やダート巧者が多数集まることとなる。
さらに中央競走が未経験のメイセイオペラにとっては、未知の舞台でのレースという不安要素が残っている。勝負付けの済んだ相手でも、本番でどこまでやれるか未知数だった。


しかし東北の英雄は、そんな周囲の不安を跳ねのけるような走りを見せた。
東京競馬場特有の芝スタートに難なく対応すると、そのまま外め好位につけてレースを進めていき、余力充分のまま最終コーナーを回る。
そして最後の長い直線を力強く駆け上がるとトドメとばかりにラストスパートをかけて後続を突き放してのゴール。完璧なレース運びで2馬身差での快勝を果たした。
この時に観戦していた調教師は興奮のあまり前の観客の頭を新聞で引っ叩き、小野寺氏の妻は小野寺氏の遺影を掲げて「貴方の馬が先頭を走ってるわよ!」と勝利を報告したそうな。


この瞬間、日本競馬史上初となる「地方競馬所属のまま中央競馬G1を制覇した馬」が誕生した。
それは1995年から始まった中央競馬と公営競馬の交流から始まる、数多の地方の猛者が立ち向かった「壁」であり、そして追い求めた「夢」であった。
そんな地方競馬の悲願である中央制覇の夢が、このフェブラリーステークスでようやく叶うこととなる。


■宿命のライバルとの別れ。そして退く先は海を渡り。


中央G1を制したことで一躍時の人(馬)となったメイセイオペラ。一方のアブクマポーロも川崎記念を難なく連覇。
こうなると観衆は自然と次なる「AM対決」、そしてドバイ遠征への挑戦などに大きな期待を寄せることとなる。
しかし現実は時に残酷である。二頭の運命の歯車が少しずつ噛み合わなくなっていってしまうのだった。


シアンモア記念で凱旋勝利を飾ると昨年と同じく帝王賞に向かうのだが、そこにアブクマポーロの姿はなかった。怪我で休養中のアブクマは帝王賞への出走が叶わなかったのだ。
そのため地方の総大将としてメイセイオペラが一番人気に押され、その期待に応えるように圧倒的な走りで完勝してみせた。好敵手である王者の不在を、東北の英雄が守る形となった。


しかしその矢先、メイセイオペラに球節炎が発症。出走予定だった南部杯を回避せざるを得なくなってしまう。
さらに同時期にアブクマポーロが怪我の影響を受けて引退を表明。5度目の「AM対決」が訪れる日は永遠の夢となってしまった。
宿命のライバルが去っていった砂の舞台。メイセイオペラはここから不調に見舞われ調整が上手くいかず、暮れの東京大賞典では11着に沈んてしまう。
年が明けても調整不足が尾を引いており、2度目のフェブラリーステークスではハイペースな展開で必死に先行し続けたが4着がやっとだった。
帝王賞では14着と惨敗を喫してしまい、その後地元のみちのく大賞典を制したことで復調も期待されたが不幸にも屈腱炎を発症。このレースを最後に現役を引退することとなった。


生涯成績は35戦23勝。
デビューから引退まで岩手競馬所属のまま走り抜けたその姿は、まさに地方の星と呼ぶに相応しい。


引退後は種牡馬入り。種付頭数もそれなりに多かったが、さすがに彼のようなG1級は現れず、種付け数は年々減少していた。
そんな中、韓国へ輸出された産駒が軒並み活躍したことでメイセイオペラに熱烈なオファーがあり、2006年に韓国に渡ることとなる。
多くの種付けを行い、その中には韓国の皐月賞にあたるKRAカップマイルを制した産駒もおり、あちらでも一定の成功を収めたといえるだろう。
いつか彼の血を引く馬がこちらにやってきて「初めて韓国馬がジャパンカップを制しました!」みたいな感じで我々をびっくりさせてくれるかもしれない。


そして10年の歳月が経った2016年7月1日、繋養先の韓国にて心不全により死去。22歳であった。
少し前から体調を崩しており、関係者が帰国の準備を進めていた矢先での訃報であった。
苦難の壁を超えて、中央の壁をも超えたメイセイオペラは、国の壁も超えた異国の地より天へと旅立っていった。


■エピソード


  • 中央G1を制したメイセイオペラの活躍は中央でも一定の知名度を持つこととなり、中央競馬の企画にも度々登場している。
    • 2000年にJRAが実施した「20世紀の名馬」の投票では第54位に選ばれ、地方所属馬としては数少ない上位100に入っている。上位100頭に入った地方在籍馬は2頭だけで、もう1頭のツインターボは中央出身なため生粋の地方所属馬はメイセイオペラただ一頭だけである。
    • 2010年にはJRAプレミアムレースの「東京ウィンタープレミアム」の副題を歴代優勝馬からファン投票で選ぶ際、最多得票を集めたことで「メイセイオペラメモリアル」として行われている。
    • 2013年に放送されたJRAのレースCMシリーズ『THE LEGEND』では、フェブラリーステークスの紹介馬に抜擢された。冒頭の文章はこのCMから引用させてもらった。なお、中央競馬G1レースのプロモーションCMに地方所属馬が選ばれたのはメイセイオペラが唯一である(中央G1レース優勝馬が選ばれるので当たり前だが)。
  • メイセイオペラの活躍はテレビなどのメディアで取り上げられ、あのNHKの『プロジェクトX』でも題材となった。
    • ところで地方馬だからか副題に「雑草魂」などと付けられ恵まれない血統扱いをしていたが、血統図を見ればそこまで悪いわけでもないことをここに記しておきたい。たしかにテラミスは無名もいいところだが、グランドオペラは父ニジンスキー&母グローリアスソングとかなりの良血馬である。イギリスで1戦したのみの未勝利馬だったため種付け料が安くなっていたのだが、血統背景だけ見れば抜群といってもいいものだった。
      • ニジンスキーといえば父があの名馬ノーザンダンサーなのは有名だが、実は母方の血統にもノーザンダンサーが入っており、メイセイオペラはノーザンダンサーの4×3「奇跡の血量」を持つ馬でもある(この血量を持つ馬だとエルコンドルパサーがいるが、あっちもノーザンダンサーの4×3だったりする)。この「奇跡の血量」についてはプロジェクトX内でも触れられており、テラミスの交配相手にグランドオペラを選ぶ決め手になったと言われている。もちろん種付け料が格安だったのもあるだろうが。
  • 血統の話でいえば、メイセイオペラの血統には中々に荒い性格の持ち主が多い。母テラミスはその気性の荒さからレースであまり活躍できず、父グランドオペラの系譜もニジンスキーは激しい気性と神経質な性格で、母の父があのヘイローという気性難の権化である。そんな家系の下に生まれたメイセイオペラだが、彼自身は素直で大人しく騎手や調教師の指示をしっかり聞く賢い馬であったという。
    • ただしやや神経質な部分はあったようで、遠征先である関東の水道水をほとんど飲まず、遠征のたびに厩舎スタッフを苦労させた。そのため地元の水をタンクにつめて運んだり、市販のミネラルウォーターを買い込んだという話が残っている。


果断なる者


勝算と自身をわらう声に いまはまだ甘んじるとしよう。


けれどこれだけは確かだ。きっと君たちも認めざるを得なくなる。


無謀の先に未来はひろがり 挑戦の果てに偉業は成されるのだと。


──JRA『名馬の肖像』2018年フェブラリーステークス編より


地方から中央を制したことのある方、追記、修正をお願いします。


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  • 2000年のフェブラリーSは興奮したな~ 負けたけど、4コーナーで上がって来た時の歓声は凄かった -- 名無しさん (2020-09-12 21:12:28)
  • ロジータは見てないのでトウケイニセイとメイセイオペラが地方馬のファーストインパクト -- 名無しさん (2021-12-14 20:24:20)
  • この項目を読んで初めてヒノデマキバオーやアマゾンスピリットの凄さを理解できた -- 名無しさん (2023-10-18 11:45:48)

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