ダイヤモンド・ダラス・ペイジ

ページ名:ダイヤモンド_ダラス_ペイジ

登録日:2017/04/27 Thu 23:43:49
更新日:2024/02/06 Tue 11:02:10NEW!
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『ダイヤモンド・ダラス・ペイジ(Diamond Dallas Page)』は米国の元プロレスラー、俳優。
1956年4月5日生まれ。ニュージャージー州出身。
本名ペイジ・ジョセフ・フォルケンバーグ・ジュニア(Page Joseph Falkinburg Jr.)


リングネームの頭文字を並べた“DDP”の通称と、決めポーズ“セルフ・ハイ・ファイブ”で知られる。
※DDPの代名詞。自分の手を組み合わせてダイヤの形を作る一人ハイタッチ(ハイファイブ)。


特に知られた決め台詞は“ YO It's me It's me It's D・D・P”


WCW時代の入場テーマ曲がNirvanaの「Smells Like Teen Spirit 」の丸パクりである*1ことも有名で、WWF移籍後はアレンジ使用もされていない(※入場テーマ曲と元曲を繋げてBGMにしたカッターを決めるシーンを集めたMADがあるが必見)。


プロレスラー引退後に主宰しているヨガ教室は、医師にもう歩けないと宣告された退役軍人を回復させる等、その健康効果について高い評価を受けており、嘗ての同僚であるスコット・ホールやジェイク・ロバーツのリハビリにも役立った*2との話も伝わっている。


WWF(現:WWE)との月曜視聴率戦争を戦ったWCW全盛期~末期を代表するトップ選手の一人であり、必殺の“ダイヤモンドカッター”のインパクトは当時から現在まで多くのレスラーに影響を与え、多数の変形技も含めた流行技となっていることからも窺える。
現在の、この系統の技の第一人者であるランディ・オートンの“RKO”もオートンがペイジに直接の使用許可を得てから使い初めた技である。


【略歴】

1979年にカナダでプロレスラーとしてデビュー。
レスラーになる以前は長身を活かしてバスケットボール等の経験があったらしい。


しかし、この時はレスラーになる為の準備が充分では無かったらしく、早々に故障を抱えてしまうと業界から離れることになってしまう。
その後はナイトクラブの経営等をしていたらしいが、プロレスへの未練は断ち切り難かったのか、1988年にAWAでマネージャーとして業界に復帰した*3。因みにこの時マネージメントした選手には後の“Mr.パーフェクト”ことカート・ヘニングがいる。
この頃から、ナイトクラブ経営等に携わっていた経験からのアイディアだったのか、専用の女性マネージャー“ダイヤモンド・ドール”を従えて活動しており、後のトップ選手として活動したWCW時代の“ダイヤモンド・ドール”に、元妻でタレントのキンバリー・ペイジが居る。


その後は、マネージャーのみならずFCWやWWFでカラーコメンテーター、アナウンサーとして短期間ながら活動。


そんなペイジの体格に目をつけ、元々プロレスラーとしても経験があったことを知ってか知らずか声を掛けたのが、元NWA王者でWCWでは御意見番として君臨していた“アメリカンドリーム”ダスティ・ローデスだった。


ローデスの誘いに心を動かされたペイジは最後の挑戦として、1991年に30代半ばにして再びプロレスラーとして活動することを決意。
マネージャーを務めていたダイヤモンド・スタッド(スコット・ホール)とタッグを組んで、選手としてWCWマットに立った。
当初は新人とはいえ、既に故障持ちでロートルの年齢でもあるペイジは、まだまだプロレスも下手であった為か負け役(ジョバー)の役回りで、相変わらずマネージャーとの兼業であった。


しかし、元々マネージャー業をしていた為か時間を掛けて自己プロデュースの方向を模索したペイジは決めポーズ“セルフ・ハイ・ファイブ”を開発。


そして、知人のジョニー・エースの指導により、彼のオリジナル技であった“エースクラッシャー”を伝授されると共にフォームに改良を施し、自らのリングネームに掛けたオリジナル技“ダイヤモンドカッター”を開発。
これに伴い、フィニッシュを決めるまでの展開だけに集中すればよくなったペイジは試合の組み立ても上手くなり、94年からは選手に専念出来るまでになった。


更にペイジにとって好機だったのは、90年代中頃からWCWの舵取りをしていく事になるエリック・ビショフとは御近所同士という繋がりがあった事であった。
ビショフは自らが主導した黄金時代~末期WCWに於いてペイジを重宝し、ペイジは遅咲きの実力者として世間に認知されていくことになる。


派手な色のコスチュームの痩せ型の長身で長髪を振り乱しながら決める一点特化型の必殺技“ダイヤモンドカッター”のビジュアルのインパクトは凄まじく、トップとなるまでに磨かれた高いプロレスセンスに支えられた試合内容でもペイジは抜群の存在感を見せつけた。


こうして、個人としてもストーリー上でのプッシュや人気主導には留まらない支持を獲得し、NWOには与しないベビーの大物ポジションとして活躍するが、放漫経営が仇となってWCWは00年に崩壊してしまう。
WCW王座には3度手が届くも、末期WCWのカオスの頃でなければもっと正当な評価を得ていたのでは……と言われるのが残念な所である。


WCW崩壊後の2001年からは元WCW勢の一人としてWWFに登場。
アンダーテイカー…というか彼の当時の妻であるサラさんを狙うも敗れる。


その後は、常に笑顔を浮かべて前向きな発言をする自己啓発キャラにギミックチェンジ。
ストーン・コールド・スティーブ・オースチンの“スタナー”と同系統の、90年代後半を代表する流行技である本家“ダイヤモンド・カッター”の使い手としてWCW時代から引き続き観客の支持を集める人気者ではあったが、この頃には既に以前から抱えていた首と腰のダメージが深刻な事になっており、02年には首の負傷を理由に惜しまれつつも離脱してしまっている。


……その後は、04年と05年にはTNAにも登場したが、レスラーとしてはセミリタイア状態となり、WWFを離れて以降はヨガ教室や人脈を活かしたイベント等を主宰している。
(因みにこのヨガ教室の効果は絶大でかつてAJ・スタイルズが腰を負傷し新日本の東京ドーム大会への出場が絶望的と言われた時には治療に取り組み見事短期間での復帰をサポートし、また重度のアルコール中毒で廃人寸前状態であったスコット・ホールの治療も行い、その甲斐もあって彼はWWE殿堂に参加出来るようになるまでに復帰した…など数々のエピソードがある)
\ママのヨガとは一味違うぜ?/


だが、12年の『RAW』1000回記念放送を前にゲストとして久々にWWEに登場し、ヒース・スレイターにダイヤモンドカッターを見舞い歓声を受ける*4


15年のロイヤルランブルにもサプライズ出場。
観客と共に“セルフ・ハイ・ファイブ”を決める。
恩人であるダスティ・ローデスの息子であるスターダスト(コーディ・ローズ)にちょっかいを出されるが、ダイヤモンドカッターを炸裂(そうした関係からの絡みだったのかもしれない)。
更にファンダンゴ、ブレイ・ワイアットにもカッターを見舞うもルセフに排除された。


そして、17年にWWE殿堂に迎え入れられると、インダクターとしてエリック・ビショフが登場。
スピーチでは、同時期のWCWで苦楽を共にした先輩であり、WCW王座を初戴冠した時の相手でもあるリック・フレアーへの感謝を述べている。


【得意技】


■ダイヤモンドカッター
相手の頭部を背中越しに肩に担ぐ様に抱え込み、そのまま自らの身体を片足を振り上げつつ前方に水平方向に流し倒れ込む勢いを利用して、相手をうつ伏せにマットに引き倒しつつ顔面を肩口、またはマットに打ち付けていく技。
2m近い長身であった事もあり、落差が美しい技であった。
ペイジはこの技の流行のキッカケを作り上げた張本人であり、この系統の技を必殺技として定着させた本家である。
前述の様に、この技の元祖は現WWE役員で、90年代の全日本プロレスの常連外国人であったジョニー・エース(ジョン・ロウリネイティス)のエースクラッシャーであり、親交のあったペイジがエースクラッシャーをよりダイナミックな形でオリジナル技としたとされている。


基本は相手の頭を抱えてから身体を流す様に決めるが、背後から走り込みつつ決めるランニング式や、現在の主流である飛び付き式、相手を抱え上げておいてから旋回、または回転させて決める、コーナーに据えた相手を引きずり落とす雪崩式……等、ペイジは多くのバリエーションを披露している。
どんな体勢にしろ、最終的にこの技を決めればいいという事がペイジの試合展開に一貫性を持たせ、試合巧者のイメージを付けた要因となったと言える。


■ダイヤモンドボム
スパイラルボム。
相手を担ぎ上げ、ぐるぐると回転させてから叩き付ける。


■ダイヤモンドドリーム
高角度DDT。


■ディスカス・クローズライン
ショートレンジから自らの身体を回転させて勢いを付けて打ち込むラリアット。







この追記修正は悪いことじゃない……むしろいいことだ!!


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*1 他にもWCWではレイヴェンやnWoウルフパックの入場曲にもパクリ疑惑がある…
*2 ともに重度のアルコール・ドラッグ依存によって体がボロボロになっていたが、どちらも後にWWE殿堂の場においてスピーチを行えるほどに立ち直っている
*3 なおプロレス界においてマネージャーとは、ヒールのプロレスラーに帯同して対戦相手を挑発したり、レフェリーを欺いて反則攻撃をサポートするなど、エンターテインメントとしてのプロレスを考えるうえで重要な役割を果たしている。後述するが、この時に自己プロデュース能力を磨いたことが、後の大ヒットに繋がっていたと言っても過言ではあるまい
*4 この前後には1000回を前に数多くのレジェンドが登場しており、日本でも有名な方だとアニマル・ウォーリアーやベイダー、ボブ・バックランドが姿を見せている

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