古瀬駅

ページ名:古瀬駅

登録日:2016/12/29 (木) 21:55:19
更新日:2024/02/01 Thu 13:56:02NEW!
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jr北海道 根室本線 秘境駅 鉄道 北海道 廃駅 板張りホーム 白糠町



ふるせ
  古瀬 K46
<●   Furuse   ●>
おんべつ     しらぬか
Ombetsu     Shiranuka


〜道東随一の秘境駅〜



古瀬駅とは白糠町にあったJR北海道・根室本線の駅の一つ。
そして道内では「キング」こと小幌駅に次ぐ「No2」にして、全国ランキングでもベスト10に入っている秘境駅であった(2016年度)。
2020年3月14日廃止。


  • 概要

道央と道東を結ぶ大動脈である根室本線、そのうち浦幌-白糠間は寂寞とした光景を突き進む区間である。
この区間には「廃屋立ち並ぶ山間の集落の駅」「石炭産出で栄えた記憶も原野に還った駅」といった趣のある秘境駅が複数存在した。
そしてその中でもトップの秘境度を誇るこの古瀬駅は人家どころか人の気配すらない森林の中にあった。
一応、外部からの訪問ができるという意味では小幌駅や尾盛駅よりマシである。だが駅は国道からは遠く離れ、砂利道を走った林の中にある。知らなければ行けない、そんな駅だった。
更に列車による訪問も困難であった。この辺りの駅で時刻表を見れば普通列車の運行を示す数字も少ない。更に大半の数字の横に「古瀬通過」と書かれていた。つまり古瀬は普通列車すら平然と通過してしまう駅であった。行き当たりばったりで列車で来ようとしても難しいので、事前に調べておく必要があった。知らなければ行けない、そんな駅だった。


このように「静かな林の中」「人家は遠い」「駅前通りは未舗装」「列車では到達困難」と秘境駅にふさわしい要素を備えているがゆえに、ランキング8位(2016年度)という全国屈指の秘境駅とされていたのである。


  • その姿

では実際に訪ねてみよう(もう叶わないが)。
こんな辺鄙な場所へやってくるという物好きな客人を迎えてくれたのは板張りホームだった。ちなみにこのホームはほぼ全て木製。一種の芸術品の域に達していると言ってもいいものだった。
上り側(音別・帯広方面)にあるホームの近くに建物があったが、どうやら職員用の設備らしく鍵がかかっていた。
客が待合室として利用できそうな空間はなく、たとえふざけた悪天候でも雨風にさらされなければならなかった。*1
また下り側(白糠・釧路方面)の離れた所にもう一つホームがあった(詳しくは後述)。そこへ行くためには一度駅前通りへ出なくてはならなかった。その駅前通りは林道(もちろん未舗装)である。
ちなみに果たして使う人がいるのかと疑問が浮かぶほどの駅であるが、いっちょまえに構内踏切には遮断機があった。もちろん列車が来ればアナウンスとともに遮断機が降り警報が鳴りだしたのだ。


  • 注意点

外部からの道がある以上、古瀬駅へは自動車などで行くことができたが、鉄オタとしてはやはり列車で訪問したい(それはもう不可能だが)。その場合、注意しなければならない点は2つあった。
一つはスッカスカの時刻表からも分かるように、しばしば普通列車に通過されてしまう駅であるということであった。
事前に行きの列車のみならず帰りの列車の時間も確認してから行くことが必要不可欠であった。
もう一つはホームが2つあることであった。それだけなら他の駅でもよくあることなのだが、古瀬駅の場合はやたらと離れていたのである。
や た ら と 離 れ て い た の で あ る 。大事なことなので二度(ry
その距離は数字にすると100mほどだった。だが、これはあくまで直線距離の話。
更なる問題として、もう一つの乗り場に行く時には一度駅前通りまで出なければならなかったという事実がある。*2
そうして遠回りをしてようやくもう一つの乗り場へ行くことができたのだ。
歩く道のりとしては200mぐらいはあっただろうか。地面は砂利道だし、もっと遠いように感じるかもしれない。
このように移動だけでかなり時間を食うので、もしうっかり乗り場を間違えたらかなり危なかった。
列車で訪れた場合は必ず降りた時に時刻表を見て、帰りの列車がどちらのホームにやってくるかを確認するのが必須だった。


  • FAQ
    • なんでこんな所にあったの?

なぜこんな人気のない場所に駅があったのか。これを考えるためまず歴史をたどっていこう。
1901年に白糠-釧路間に鉄道が敷かれた。更に1903年に音別まで延伸、そして線路はどんどん伸びていった。それからおよそ50年後の1954年、音別-白糠間に古瀬信号場が設置された。
つまり古瀬駅が乗る客もいないような場所にあるのは、そもそも元は駅ではなく信号場、旅客の需要からではなく運転上の必要に応じて作られた存在だったからである。
ちなみにかつて信号場が有人だったころ(1971年まで)は職員の住む官舎が併設されており、まったく人の気配がしないという訳ではなかったようだ。
ではなぜこの場所だったのだろうか。駅の規模としては比較的大きめの音別と白糠、その間16kmのどこかで行き違いのできる場所(=信号場)が必要だったのであろう。
もしかするとかつて音別-白糠間にあった波若信号場*3が廃止されていたために、新たに信号場が必要だったというのもあるのかもしれない。
そして同区間のほとんどは人の気配のない原野もしくは山林からなる光景である。
かくして1954年に後者の場所、こんな人里離れた山の中に古瀬信号場が作られたのである。


    • なんで駅になれたの?

どう見ても乗客側からの需要があるようには思えない場所に古瀬駅があるのは、前述の通り元は信号場として設置されたからである。
しかしなぜそんな信号場が駅となってしまったのだろうか?
それは1987年4月1日、国鉄が分割・民営化されJRとなったのがきっかけである。
この時、「仮乗降場」や「臨時乗降場」、「客扱いのある信号場」といったものが駅に昇格している。古瀬信号場も「客扱いのある*4信号場」であったため、どさくさにまぎれて駅となったのである。
なお、この時に駅となったものの多くが後に秘境駅と認識される駅であり、利用者の少なさから廃止されたりその対象候補となっている駅である。


    • 使っていた人はいるの?

駅前の光景を見る限り、とても人の気配がする場所ではなかった。むしろ野生動物の方をよく見かけた(……気がする)ほどだ。
ただ、それでも駅前通りを進んでいった先には牧場が何軒か存在する。
どうやら、それらの牧場の子供達が中学や高校に通うためにこの駅を使っていたらしい。時刻表*5から考えて白糠や釧路の学校だろう。
このような中学・高校生達は地方の小駅そしてJRにとって重要な利用者であったのだ。(しかし末期にはその通学利用もなくなっていたようだ。)
後は鉄オタ。特に鉄路を使うことをよしとする原理主義者。


    • なぜ廃止までに時間がかかったの?

駅の廃止報道が鉄道ファン界隈を(悲鳴で)賑わせているのはここ最近である。その傾向が最近のことのように思うのはあまりに流れが急激*6だからだ。
実はそれ以前にも利用者がごく少数のマニアぐらいしかいないために廃止された駅が全道で見れば複数存在する。
それらの駅はやはり「周辺集落の過疎が高度」「そもそも人がいない場所にあった」がために「利用者がいない」という最近の流れと同様の理由で廃止されている。……ただ、最近の方がその列挙が頻繁かつ数が多いだけで。
奇跡的にも古瀬は長らく存続していたが、廃止の対象となる要素は傍目で見れば十二分だった。「そもそも人がいない場所にある」、「極端に利用者が少ない」駅だったから。
また古瀬の晩年のメインの業務は「ホームもなく列車の扉も開かない」信号場でもできるお仕事であった。
すなわち上り・下りの双方から来る列車同士が出会う時に、2本の線路を用いてすれ違わせるのである。その姿はおよそ30年前、信号場であった当時とほぼ変わらなかった。
ではなぜ信号場ではなく駅として、わざわざ扉を開けて客の乗り降りができるようにする必要があったのだろうか。
それはもちろん使っていた人の存在であろう。前述の通学需要のことである。
一見、誰も使っている人がいないように見えても実際にはちゃんと日常的に必要とされていた駅だったのだろう、多分。
地方の小駅が存続しているのは現地の子供達のおかげと言っていいだろう。*7


    • なんで2つのホームがこんなに離れていたの?

ごめん分かんない。
一説によるとかつての尺別駅から出る、石炭をたっぷり積んだ貨物列車の存在が関与していたというが……でもだからってホームをここまで離す必要はなかったような。
※もし理由を知っている方がいらっしゃいましたら指摘・修正お願いします。


    • 駅ノートはあったの?

多くの秘境駅に設置されている駅ノートであるが、大体の場合駅舎内・待合室内といった屋内に置かれている。
しかし駅舎・待合室を持たない駅の場合、果たしてどこに置かれているのだろうか? そもそも駅ノートは設置されているのだろうか?
結論として言うとそのような駅の場合、どちらの可能性もある。駅ノートがない可能性が大きいが、ある駅も中には存在するのだ。
例えば小幌駅の場合、駅ノートは駅名標のそばに置かれているらしい(冬期以外)。もちろんノートが野ざらしになっているというわけではない。ふたがきっちりしまる容器に入れられ、更にその中で丁重に袋に入れられて設置されているという。
そしてこの古瀬駅もほぼ同様であった。駅ノートはふたがきっちりしまる容器の中、更に袋に入れられた状態で存在していた。
ではその容器はどこにあるのか?
それは上り側(音別・帯広方面)にあるホーム、近くに建物がある方のホームの下であった。
ホームを作っている足場の下の空間をのぞくとプラスティック製の容器が置いてあったのだ。それを開ければ中に丁重に袋に入れられたノートが見つけられた。それが古瀬駅の駅ノートであった。
……まるで発見難易度の高い隠しアイテムかのようだった。



追記・修正は列車に乗る際に乗り場を間違えてえらいことになった経験のある人にお願いします。




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*1 以前は掘建て小屋のようなオンボロ待合室があったらしいが、取り壊されている。
*2 線路脇を歩くのは危険なのでやめて下さい。結構貨物列車も通る路線なので。
*3 古瀬と音別の間、馬主来沼という大きな沼のそばにあった信号場。
*4 かつて併設された官舎に住む職員の家族のために客扱いをしていたらしい。
*5 朝に白糠・釧路方面の列車の設定が見られた。逆に午後は音別・帯広方面の列車が充実していた。
*6 1年で10駅ぐらい廃止……多すぎるだろ。
*7 ただ、中には通学客がいるにも関わらず廃止が決定してしまった駅が存在する。同じく釧路地方にある五十石駅である。廃止された理由によると「3人の通学客のうち2人は今度の3月に卒業し、残る1人は隣駅からでも通えるから」ということらしい。それを踏まえると、古瀬が残っていたのは通学に使う駅が隣駅で代用できなかったからなのだろうか。確かに音別-古瀬:9.7km、古瀬-白糠:6.3kmとどちらも遠いし。

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