登録日:2016/07/12 Tue 18:45:24
更新日:2024/12/14 Fri 00:02:59NEW!
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笑点 漫才師 講談師 笑いのスペシャリスト達 愛すべきジジイ達 笑点メンバー項目 笑点の歴史がわかる項目 名人芸 落語家 所要時間30分以上の項目 濃すぎるキャラクター性 お笑い芸人 漫談家 手品師 大喜利 くまモン チームマカロン 若手落語家←昔 おじいさんとおじさん←今
ここでは、「笑点」現在出演中の大喜利メンバーの他、歴代メンバーやその関係者、演芸コーナーの主な出演者などを紹介する。
※なるべく当時の雰囲気を再現するため、旧名の時期に起こったことは旧名表記といたします。
また、本人の強い要望により「6代目圓楽」ではなく「6代目円楽」とします。
【大喜利メンバーとは】
さ、お待ちどう様でした、大喜利のコーナーです。
まずはレギュラーメンバーの奴らのご挨拶からどうぞ。
大喜利コーナーに出演する落語家及びタレントのこと。
司会者1人、回答者6人、座布団運び1人の計8名で構成される。
司会者が3問出題し、回答者がお題に対する機知を利かせた答えを返し、座布団運びがその答えの出来に対し座布団の与奪を行う。
基本的には色紋付を着用するが、夏場は全員白い麻の着物やお揃いの浴衣、新春の挨拶を始めとする口上では全員黒紋付を着る。
また、各自いじりネタや答えの傾向にキャラクターが割り振られているのも特徴。
【概史】
元々は前身番組「金曜夜席」からの流れで二つ目から真打に昇進して間もない若手落語家がテレビでの顔見せに登場する場というコンセプトであり、2年くらいで回答者が入れ替わるほどに出入りが激しかった。
初代司会者の立川談志時代は「夜席」からの流れで回答者5人だったが、前田武彦が司会就任後は4人対4人の対抗戦方式(大喜利ナンバーワン)となり、後述する理由からしばらくして現在の6人制に変更。
更に三波伸介が司会に就任した辺りから色紋付が導入、定着するようになり現在に至る。
それまで落語家は、黒紋付を着て高座に上がるものと相場が決まっており、その中でカラーテレビの時代に合わせた色紋付の登場は広く世間に認知された。
各自単に好きな色を選んで着たところ、これが他番組や雑誌記事などで各々のイメージカラーとして定着してしまったそう。
その後もメンバーの入れ替わりと席替えを繰り返し、初回からほぼ通しで出演していたのは桂歌丸と三遊亭小圓遊の2人くらい。
1970年代には両端に座った歌丸VS小圓遊の罵倒合戦などが人気となり、以来「笑点メンバー」はお茶の間の注目を集めた。
この間1980年に小圓遊が、2年後には三波がそれぞれレギュラー出演中に急逝しており、いつしか「笑点に長く出続けるとよろしくない死に方をする」という曰くまでついてしまう。
このこともあって三波の死後、新春スペシャルの司会を務めた愛川欽也を始めとする方々に司会を打診するもすべて断られ、
談志が降板するにあたり「なるだけ噺家から大喜利の司会を出すな」という意向を出していたがそれをやむなく破り、三波時代に回答者の一人であった5代目三遊亭圓楽に司会を打診したことでこの件は解決した。
また、この圓楽就任に合わせて今ではすっかりおなじみとなった「大喜利開始時、テーマ曲に合わせて回答者と司会者が登場する」というスタイルが導入された。
圓楽司会就任後は「メンバー全員で一つの家族を形成している」という圓楽の意向からメンバー入れ替えが抑えられ、1986年1月にほぼメンバー・席順が固定化された。
この時点でかつて圓楽が長く座っていた4枠(左から4番目、右から3番目の席)には歌丸が座っており、以後20年この位置となった後、歌丸司会就任に伴い加入した春風亭昇太も同じ席に10年座り、
後に司会就任していることから
- 4枠に長く座った者は
極楽浄土に近付く司会者になる - 出世頭の4枠
と言われることも。その後、一番司会席寄りにいた7代目桂才賀が1988年に卒業し復帰した好楽と交代、
1992年にその好楽が圓楽に叱責されたことをきっかけに引退を考えるまでに落ち込んでしまい、見かねた小遊三が自身と席を入れ替えさせ、以後30年この席順となった。
メンバー入れ替えについては、こん平の病休による長期離脱に伴うたい平の代理出演(後に正式メンバー化)、圓楽勇退・歌丸司会就任に伴う昇太加入、歌丸勇退・昇太司会就任に伴う三平加入と、
個々のメンバーの健康上の理由から来るリタイヤに伴う入れ替わりのみに落ち着いていたが、2021年12月にその三平が「出直してくる」と卒業を宣言。
席替えについては2021年5月に司会である円楽の要望から29年ぶりに一回限りの席替えが行われ、
2022年1月に三平に代わるメンバーとして桂宮治が加入、企画を除いては30年ぶりの席替え(左から小遊三、円楽、たい平、木久扇、好楽、宮治の順)も同時に行われた。
しかし、それと入れ替わりに円楽が入院し長期休演、一度は高座復帰するものの程なくこの世を去ってしまった。
円楽休演→死去の間、総勢31名の落語家が東西問わずピンチヒッターを務め、2023年2月よりその中から春風亭一之輔がメンバーに抜擢された。
また、2023年8月の24時間テレビチャリティー笑点内で、50年以上に亘って出演を続けた木久扇が2024年3月末を以って勇退することを発表し、2024年3月31日放送分で卒業。翌週の2024年4月7日からは、若手大喜利出身で初代司会である談志以来*1となる落語立川流所属の立川晴の輔が加入。番組史上初めて落語協会、落語芸術協会、五代目圓楽一門会、落語立川流の江戸落語4団体全てからメンバーが選ばれる構成となった。
【現大喜利メンバー】
▷一覧
[[◇春風亭昇太>春風亭昇太]]
不愉快だから、もうおしまい!!
落語芸術協会第6代会長。
「煩すぎるチビ」(身長163cm)。その積極さで会場を沸かせるのに一役買う。
いい歳して50代ギリギリまで未婚だった「最後の砦」。
家にはペットの類しかおらず、孤独死フラグなどのネタにもされたが結婚により孤独死は無事回避された。2019年7月からは落語芸術協会の会長を務めている他、落語以外では俳優として「タイガー&ドラゴン」「おんな城主直虎」などに出演。また城マニア・旧車マニアとしても知られている。
出囃子は落語界でも数少ない洋楽の「デイビー・クロケットの唄」。
2016年に6代目司会者に就任するが、これも「スタッフに消去法で選ばれた」というのが格好のネタとなっている*2。
しかし実のところは98年7月に「大喜利下克上」として復活した若手大喜利コーナーの司会を大喜利メンバーになる前から一貫して務め、兄弟番組の「BS笑点」「笑点Jr.」でも7年半の放送期間で一貫して総合司会を務めた実績があり、2006年5月に本家大喜利の回答者に昇格してからも演芸の若手大喜利でも基本的に司会を続投。それを買われた結果といえる。
司会者としては自身の芸歴の浅さもあってか、目上回答者を力ずくで抑えるのが苦手で学級崩壊を許してしまうような「問題児を抱えた先生」スタイルであり、問題中の配役を無視したり、出題の裏をかいた回答には容赦なくダメ出しする。
前述通り、司会就任後、2019年に還暦を目前にしてようやく結婚した。また同年には前年に逝去した歌丸の後任として、落語芸術協会の会長に就任した。あの世で歌丸師匠も祝っていることだろう…
…が、結婚したらしたで今度は離婚ネタ(代表はたい平の「新・何かあったのか劇場」)を多用されるようになり、その度に座布団を没収している。一之輔や宮治、晴の輔ら若手大喜利OBメンバーの加入も相まってイジられる頻度が増加傾向にある。
[[◇三遊亭小遊三>三遊亭小遊三]]
人生はノーパンだ。はかない。
落語芸術協会参事。
自称「水色の着物を着た伊達男」*3。そして「便所でお尻を拭く会長」*4だがかなりのスケベジジイ。下ネタ・エロネタ担当。山梨県大月出身の田舎者。
男らしく威勢のいいべらんめえ喋りに定評があるが、それ以上にネタが兎に角危ない。
また掏摸・窃盗などの軽犯罪や銀行強盗ネタも事欠かない。もちろん実際にはそれ等犯罪を犯したことはないことに留意されたい。
2022年の席替えの際にも唯一場所が変わらなかった。
◇春風亭一之輔
何笑ってんだよ!?
落語協会理事。
6代目三遊亭円楽の後任として2023年2月5日放送分から加入。
本名は川上隼一。演芸界の名門とされる日大芸術学部出身で、卒業後に春風亭一朝に弟子入り。
2012年に21人抜きで真打に昇格し、年間900席をこなす「一番チケットの取れない落語家」として知られ、笑点メンバーになる前からニュース番組のコメンテーターやラジオパーソナリティとしても活躍しており、笑点入りに意外という声も上がった。
番組初出演は2011年6月5日放送分の若手大喜利で、その後2013年頃を最後にしばらく無縁だった*5が2022年9月25日放送分に円楽のピンチヒッターとして出演。
初登場から早くも「目が笑ってない」「態度が図々しい」といった、円楽の後任に相応しい毒っ気のあるキャラクター性を見せており、観客に対して吠えることもしばしば。最近では次期司会者ネタも使うようになった。
スキンヘッドがトレードマークで、大喜利では歌丸以来となる薄毛関連の自虐ネタも披露する。
桂宮治とはプライベートでも仲が良く、年齢は宮治が上だが真打昇進は一之輔が早いという非常に絶妙な間柄。そのため、加入後は宮治相手に罵倒合戦が繰り広げられるようになり、若手の新風を吹かせることとなった。
色紋付は加入後暫くは自前のものを着用していたが、2023年4月30日放送分より五代目圓楽が司会者時代に着用していたものに近い濃紺に定着した。
いずれ多くなりそうなので格納、「一番チケットの取れない落語家」の肩書は伊達じゃない!
(バランスボールを使ったお題にて)
な~んか…ちょっと思ってたのと違うんだよな~!
どうしたの?
『笑点』って言葉で勝負するもんだと思ったけど…チョイチョイこう言う物(小道具)持たされんだよな~!
『驚く結婚式』、「警察が包囲」。
(司会者・回答者共に忍者に扮したお題にて)
拙者、『笑点』メンバーになって早半年が経ったでござる。
やるでござるな!
慣れは怖いものでござる、こんな格好しても疑問に感じなくなったでござる。
(『撮影禁止』の看板を使ったお題にて)
あ~遊園地の裏はちょっと撮影禁止ですね~!
どうして?
今…着ぐるみが顔だけ出して煙草吸ってまからね~!
(水鉄砲を使ったお題にて)
好楽師匠の顔に…えいえいえいえいえい!
イケイケ!
顔を洗って、出直して来いよ。
岡本太郎さんが造った太陽の塔を建て替えるんだってさ!
そうなんだ~
ソーラーパネルを付けて電気が溜まると…爆発だ…爆発だ!
(桂歌丸師匠がテレビの画面から「帰ってきたぞ~!」と叫ぶお題にて)
帰ってきたぞ~!
亡くなった人まで働かして、『笑点』マジヤベェな。
(司会者・回答者共に秋田犬に扮したお題にて)
ワンワンワン!秋田に『笑点』が来たって言うから、見に行って来たぜ。
やるワン!
人間どもがなんであんなもんで喜んでるのか、理解できないぜ。
(今は亡き六代目円楽師匠に一言メッセージを送るお題にて)
円楽師匠~!『笑点』の毒舌担当は私が受け持ちますよ~!
私が受け持ちますよ~!
友達のいない担当は宮治が受け持ちますよ~!
日本中がザワつく時!木久扇師匠が「僕、やっぱり辞めるのを止めようと思うんだ」と言った時!
(司会者・回答者共に福袋に扮したお題にて)
助けてください!小遊三さんがハサミを持って近づいて来るんです!
どうしたの?
絶対、福袋と袋とじを間違えてる。
秋田の伝統のなまはげってのはすごいんですよ。
(お客さんから笑い声)
すごいねえ
何笑ってんだよ!
山田さん!持ってって一枚!
傷ついたよ!
何が傷ついたんだよ!
何にも言ってない、なまはげしか言ってないよ!びっくりした今、なんだアンタたち!
秋田のねえ、居酒屋とかに行くと壁に時々置いてあるよね
居ないよ!もっと生えてるよなまはげは!ボーボーなんだよ!
[[◇林家たい平>林家たい平]]
右の肘が痛いのも あばらや膝が痛いのも みんな山田が悪いのよ
落語協会常任理事。
師匠・林家こん平に毒を盛っての長期療養・休演に伴い、代役からレギュラーに昇進した埼玉県秩父市出身の噺家。落語協会所属。
美術大学卒で絵が上手い。しかしそれ以上に声やモノマネでも知られており、レパートリーは時事ネタだったり場末のパブ嬢だったりオカマだったり多種多様。特に動物の鳴きマネが非常にうまい。しかしながらそれを延々と披露した結果座布団を没収されるのが通例となっている。
1998年7月に「大喜利下克上」として復活した時からの若手大喜利のレギュラーでもあり、そこから本家の正式メンバー入りを果たした。
またふなっしーやねばーる君、ブブゼラネタを披露したりして周りを巻き込んだりもしており、昇太の司会就任後は回答者のリーダーポジションを担っている。
◇立川晴の輔 旧名・立川志の吉
落語立川流という暗黒集団からやって参りました
落語立川流所属。
2024年4月7日より、同年3月末で勇退した木久扇の後任として加入した立川志の輔の一番弟子。
本名は檀上晃一。兵庫県神戸市出身という、江戸落語家では珍しい関西出身者。
2010年前後より若手大喜利のレギュラーとして出演を続けており、本家大喜利にも6代目円楽が脳腫瘍で入院したのに伴い、2019年9月15日の大喜利に代理出演の経験がある。上記のセリフはその代理出演時の挨拶でのもので、また2022年7月17日放送の地上波大喜利にも6代目円楽の代理として再出演。
若手大喜利時代から時事・流行関連の綺麗な回答を持ち味としており、メンバー罵倒などでgdgdになった際は軌道修正を図る優等生ポジションを担う。が、東京農業大学出身ということもあり振られると名物の大根踊りを歌ったりと、どことなく前任者の雰囲気も残している。
所属する落語立川流や大師匠の立川談志をネタにするが、師匠・志の輔にだけは頭が上がらないきらいがあり、そこから師匠関連でイジられることもしばしば。
ちなみに本家大喜利に立川流所属の出演者が出たのは談志が降板した1969年3月以来およそ50年ぶりのこと*6。また江戸落語4団体(落語協会・落語芸術協会・落語立川流・五代目円楽一門会)所属者が全て揃ったのも初である。
若手大喜利時代は暗黒集団らしく黒い着物を着用していたが、『笑点』レギュラーになってからは薄めの黄色(正式名称は「鳥の子色」)の着物を着用する。
[[◇三遊亭好楽 旧名・林家九蔵>三遊亭好楽]]
中学に 上がった子供の ランドセル 捨てたくもあり 捨てたくもなし
現・5代目円楽一門会顧問。
正統派の優等生タイプだが本業よりフリーター仕事が多い事をネタにされるドヤ顔キングキャラ。ピンつま。
たぶんメンバーの中では1番の良識人だが、その反面周りが濃いメンバーなため影が薄くなりがちである。
自宅に併設する形で寄席「池之端しのぶ亭」を経営するが、師匠の寄席「若竹」と同様倒産・解体予定としてネタにされる。
また、落語の腕が素人レベルとネタにされることもあった。
たい平の一言によって宮治と「チームマカロン」を結成させられたことも。
[[◇桂宮治>桂宮治]]
私の場合、落ち着かなきゃいけないのが一番大事なことです。
好楽さんの場合は話にオチをつけることが大事だと思います。
落語芸術協会所属。
2021年末に突如発表された林家三平の卒業による後任メンバーとして2022年元旦、レギュラー出演していた若手大喜利から昇格。
営業マン出身であるためカメラ映えするスマイルを見せることが得意であり、たい平とよく似た明るく元気でやかましいキャラクターがウリ。
所属する落語芸術協会では昇太以来29年ぶりとなる抜擢真打*7という実力者である。
色紋付は2月6日の放送でお披露目され、歌丸が回答者時代に着ていたものに近い若草色(黄緑)に決定した。
好楽と「チームマカロン」を結成したことも。
[[◇山田隆夫 高座名・鈴々舎鈴丸>山田隆夫]]
歌丸師匠、楽天ってどういう意味だか知ってます?「楽」に「天」国に行ける。
座布団運びの山田くん。司会者以外で唯一座布団増減の決定権を持つ。
子役俳優・タレントによる「ちびっこ大喜利」のメンバーで、またかつてはそこから生まれた「ずうとるび」というアイドルグループで活動していたこともあり、2020年には久しぶりにずうとるびとしてのライブを行っている。
その後タレントとして活動後やや不振状態に陥ったものの、5代目圓楽からの指名で座布団運びとして笑点に戻り、クビとイジられながら四半世紀以上その任にあるので、芸能生活、そして人生を笑点と共に送ってきた人。経営者の顔も持ち、マンションや介護施設の運営も行っている。
なお、2014年頃から芸名を「山田たかお」に変更しているが、本番組では変わらずそのまま表記されている。
この他、山田君以外にも本番前後の前説担当や「例のもの」配りをするアシスタントも存在する。
あかね噺の監修を担当している林家けい木(木久扇の弟子)、春風亭昇りん(昇太の弟子)、林家あんこ(林家しん平*8の弟子)がアシスタントとして出演している(昇りんの紹介は若手大喜利の項目で)。
歴代のアシスタント経験者の殆どが若手大喜利への出演経験もある他、6代目円楽のようにアシスタントから大喜利メンバーに加入した者もいる。
ちなみにアシスタント陣の名前は長らく放送内ではクレジットされていなかったが、2023年7月以降オープニングに記載されるようになった。
大喜利メンバーだけではなく、笑点の縁の下の力持ちであるアシスタント達のこともどうか覚えておいてほしい。
【歴代司会者】
▷一覧
[[◇桂歌丸 旧名・桂米坊、古今亭今児>桂歌丸]]
山田くん、全員の全部持っていきなさい。
番組スタート時からほぼ50年間笑点に関わり続けた最古参の1人で出演期間も最長。
落語芸術協会第5代会長怪鳥であり、またの名を怪しい鳥。
5代目圓楽の勇退に伴い、その前の圓楽休演中の半年間の司会代行を経て回答者から司会者に出世した。ハゲチャビン。
回答者全員の座布団全部を一斉に没収する「歌丸ジェノサイド」は有名。
2018年7月に81歳で逝去。番組は彼の長年の功績から『終身名誉司会→永世名誉司会』に任命し、現在も先人たちと共に天国から落語界を見守り続けている。
[[◇三遊亭圓楽(五代目) 旧名・三遊亭全生>五代目三遊亭圓楽]]
酒は米の水 水戸様は丸に水 意見する奴ぁ向こう見ず
といったところで笑点お開き!!また来週のお楽しみ、ありがとうございました。
五代目円楽一門会総帥。
4代目司会者で、笑点の司会といえばこの人を思い浮かべる人も多いであろう。前身番組「金曜夜席」でも初期に司会を務めていた。
1977年に落語を極めるために一旦番組を卒業した後、1982年末の三波の急逝に伴い、翌年1月から司会者として復帰した。
司会期間は2006年5月までの23年間と、歴代の司会者で最も長く笑点黄金期を築いた。
その柔らかな話し方はまさに「お耳の恋人」。圓楽の名はこの人が大きくしたと言っても過言ではない。
若い頃は立川談志らと共に「若手四天王」と呼ばれており、そのイケメンさと相まって「星の王子様」また回答者時代には後に楽太郎に受け継がれる薄紫の着物を着ていたことから「ラベンダーマン」とあだ名されて多方面に進出。
後年は馬面や借金ネタでもいイジられた。それと同時に現在まで続く出世頭の4枠や、次期司会ネタの発端でもある。
司会就任後は「端」「お開き」と言ったゲン担ぎ言葉の徹底や、大喜利の回答にスピード感を出すなど時代に即したスタイルに移行。
2009年10月29日に77歳で逝去。追悼特番に加え本編の中で罵倒という名のお別れ会が行われている。
◇立川談志(七代目・自称五代目) 旧名・柳家小よし、柳家小ゑん
落語とは、人間の業の肯定である
言わずと知れた笑点創設者であり、初代司会者。本名は松岡克由。
16歳で5代目柳家小さんに入門。「立川談志」は代数を語る上では非常にややこしく、初代は江戸時代の二代目菅良助か宇治新口かで意見が分かれるほか、明治期の4代目談志が初代を名乗っていたとも言われる。
「北は北海道の函館から南は九州の鹿児島まで全国ネットでお送りする笑点…」*9
大喜利をメインにすえる形や、座布団による評価など後の長寿番組の基礎を築いた。
しかも初代回答者は二つ目を中心に「これから面白くなる」と言う若手をオーディションで選んで青田買いしている。
5代目司会者となった歌丸ですら大喜利デビューの頃は無名の二つ目であった。
木久蔵に「与太郎キャラ」の助言をしたことでも知られている。
笑点が放送開始してから7カ月後の1966年12月には「笑点」という著書を出版してるが、相変わらず自分の事は自画自賛している。
当時アメリカで流行っていたとされるブラックユーモアを好み、「大人の笑い」的な皮肉の利いたきわどい回答*10を出した者に座布団を与えていた。
しかし「日本ではまだ早い」「日曜夕方と言う時間帯にそぐわない」との指摘があった事などからスタッフや回答者たちとの間に軋轢が起き、その末に降板。
後年は落語協会を脱退して立川流を起こし、家元として後に「立川流四天王」と呼ばれる志の輔・談春・志らく・談笑を筆頭に多くの弟子達を育て上げる。バラエティーでは憎まれ役としてネタにされる事が多かった。
一時期はうつ病を患い、それに伴う自殺願望を公言していたが、「死ぬまで落語を続ける」という意思を誇示して2011年死去。
1990年代以降笑点とは疎遠になっていたが、最近の笑点に対してはある程度5代目圓楽や歌丸が作り上げた物であるためか、「どうでもいい」というスタンスだった模様。
◇一龍斎貞鳳
談志の収録サボリキャンセル時の代役司会。当時人気講談師であり、演芸コーナーの常連でもあった。
父親は国鉄の駅員で、落語家になる前の三遊亭圓歌の先輩にあたる。
圓歌は「貞鳳の父親が殴った野郎」と覚えており、後に「不思議な縁だ」と述べている。
1971年に参議院議員に当選以降、講談界とは距離を置いていた。
2016年12月27日没。
◇前田武彦
チー坊、歌丸に座布団一枚。
2代目司会者で通称「マエタケ」。昇太司会就任までは唯一、OPで一番最初に紹介されなかった司会者でもある。
視聴率低下や初代司会者立川談志と回答者たちとの軋轢で番組の存続が危ぶまれていたところに白羽の矢が立った。
当時「夜のヒットスタジオ」をはじめ多数レギュラーを抱えていた人気司会者で、フリートークという技法をテレビに最初に持ち込んだ人でもある。
大喜利ではそれまでの5人制を廃止、4対4の対抗戦方式に変更。
また「良い答え」の傾向をブラックユーモア系からアットホーム路線に転換したことが功を奏し、家庭でも見やすい番組となった。
また、スタジオを飛び出したロケ企画もこの時期から始まった。
歌奴と金馬が多忙により8人が揃わないことが多々あったため、しばらくして現在の6人制に変更、さらに色紋付を導入。この時はコスチューム大喜利を取り入れるなどしていた。
畑違い故か大喜利メンバーとはイマイチ反りが合わなかったため(歌丸曰く「落語家のシャレが通じないのでやりにくかった」)司会担当はわずか1年だったが、放送作家としての貢献は大きく、マエタケがいなかったら笑点はここで打ち切られていたとも言われている。
あの「笑点のテーマ」の作詞者として知られる。
1970年12月の降板後、1973年の衆議院総選挙である政党の候補の応援演説をした際、「当選したら夜ヒットで万歳します」と宣言、当選したため実際に行ったところ当時のフジテレビ社長の怒りを買って降板させられ、暫くテレビの世界から干されていたが、1980年代に入りTBS「朝のホットライン」で「お天気マン」として活躍し復活。俳優にも挑戦していた。
2011年8月5日死去。
◇初代 三波伸介
びっくりしたなぁ、もぉ。
笑点黄金期を作り上げた3代目司会者で、伊東四朗・戸塚睦夫と組んでいたトリオ「てんぷくトリオ」のリーダー。本名は沢登三郎。
上記のギャグは当時流行語となり、小学生がマネするほどのブームとなった。
「てんぷくトリオ」でゲスト出演した際、当時の司会である前田武彦が飛行機の欠航で収録に来れないという事態が起き、そこで代役として司会を務めたことがきっかけとなり、その後正式に就任した。
恰幅の良い図体に違わず豪快かつ慌しい親分肌であり、罵倒が激しい時には羽織を脱がせたりその場に立たせたりすることが多々あった。そのため、歴代の司会者の中では一番荒っぽい(ファン内では「牢名主」とも称されている)。
尤もこの司会進行についても毎回台本を徹底的に読み込み、流れをシミュレーションしたうえで臨んでいたという。
喜劇俳優ながら落語にも造詣が深かったことも回答者には好評だった*11。
現在まで続く司会者イジりは彼の代から始まり、自身はその体型から「豚」呼ばわりされるなどしていた。
また、客席に座って冒頭の挨拶をするようになったのもこの代から(それまでの談志と前田は舞台上から挨拶していた)。これは「『笑点』の顔として、お客様の中に入り一体感を持ちたい」という自身の考えによるもので、三波司会期は近くに座る観客にマイクを向けてインタビューすることも多く、その観客とのやり取りも番組の名物の一つとなっていた。
笑点以降、てんぷくトリオが戸塚の急逝もあって活動停止になったこともあり「夜のヒットスタジオ」「スターどっきりマル秘報告」(フジテレビ)、得意な似顔絵を活かした「減点パパ」で知られる「お笑いオンステージ」(NHK)など多くのバラエティ番組の司会を担当する人気タレントとなる。
メンバーの変遷が激しい中、歌丸に対しては「歌さん/ちゃん」、木久蔵に対しては「木久(ちゃん)」、こん平に対しては「こんちゃん」、楽太郎に対しては「ラッキー」「らっきょ」「楽ちゃん」など、夢之助を「夢ちゃん」、九蔵を「九ちゃん」、朝次を「朝さん」と、それぞれ愛称で呼び、松崎のことは長らく名前で呼ばず「オイ!」と言っていたが、晩年には「一ちゃん」とも呼んでいる。
テレビの人気者として多忙を極めていた中、50歳を過ぎてからはテレビの司会業を減らして*12喜劇俳優として本格的に舞台活動に注力する方針を立てていた。
しかしその矢先の1982年12月8日、家族が不在の間に自宅で突然倒れて解離性胸部大動脈瘤破裂により急逝。享年52歳。笑点では死去後に放送された収録済みの3週分(12月12・19・26日)を追悼の意を込めてあえてそのまま放送。12日放送分ではオープニング後の挨拶と前半部を差し替えて、残る笑点メンバー全員でこん平進行の元、三波との思い出を語る追悼座談会を放送した*13。19日までの2回は10月末に収録済みで、最後の出演となった26日分は死の4日前の収録だった。
ちなみに、現在でも春と秋に放送されている日テレ系人気番組の対抗企画の特番が三波司会期は正月に「番組対抗かくし芸大会」として放送されており、三波が亡くなった直後の翌年放送分でもエントリーする予定で、実際死の数日前に収録も終えていた。演目は『カルメン』で、クライマックスで三波は心臓を押さえながら最期を迎える…。だがその後は歌丸が「おお、カルメン」というと三波が息を吹き返し「呼んだかい?」と言ってお馴染みの「カルメン」の一節と共にラストを迎える、という笑点らしいオチに改変されていた。
しかし、三波の死を受けてエントリーを辞退しこの演目も放送される事は無かったが、この映像は長らく日テレに保存されており、2005年11月に発売された「笑点 大博覧会 DVD-BOX」に収録。ようやく日の目を見ることとなった。
早世は一説によると、もともとの肥満体系に加え年明けに控えていたドラマの役作りのためステーキを大量に食べて20㎏の増量をしていたらしく、これが原因ではないかとされる。またビートたけしは若手時代に覚せい剤のヒロポン*14を使用していたことが遠因ではないかと指摘している。
また妻・和子夫人曰く「よく死んだふりをして家族をからかうことがあり、この時もしばらくそうだろうと思っていたところ、息をしていないのに気づき救急車を呼んだ」とのこと。
その後、伊東四朗の勧めもあり「三波伸介」の名は長男・三波伸一が襲名した。実は上記のフレーズ「びっくりしたなぁ、もう。」は2代目の幼少期の口癖をそのままネタにしたもの。
2代目はスキンヘッドだが、カツラを被りいざ父親である初代になりきると周りが驚くほど瓜二つで、喋り方もそっくりな生き写しぶりである。それにまつわるエピソードとして和子夫人が亡くなる直前、危篤状態だった夫人に向かって2代目が「ガンバレ、オフクロ!」と叫んで取りすがったら、和子夫人が目を覚まして2代目の手を握りながら『お父さん、迎えにきてくれたのね』と言ったのだという。2代目が戸惑って医者のほうを振り返ると「そのまま。お父さんを演じてください!」と言われ、そのまま和子夫人が息を引き取るまで父親を演じたそうだ。また「BS笑点ドラマスペシャル」で初代を演じた際にもその生き写しぶりに当時のスタッフや出演者が驚いたエピソードもある。
その他名言・名回答集
いつものように問題を出します。10枚貯まりますとこれがなんと、「お風呂屋さんの番台に座れる」という楽しみがありますので、一つ皆さんはりきって早いとこ10枚貯めてくださいな
だったら私にも答えさせてください
うるせえっつんだよおめえは、年中ふんどし忘れてろこの野郎!ぶらぶらぶらぶらしてやがって本当に
陰で加えまして後一人、末広がりの八人目三波伸介もよろしくどうぞお願いをいたします。
◇愛川欽也
おまっとさんでした。笑点大喜利のコーナーでございます。
もともとは俳優だが声優・司会としてもおなじみだったマルチタレントのキンキンも、実は笑点に出ていたことをご存知だろうか。
三波の急逝により、1983年の正月スペシャルで司会を担当することになった。
正月だからというのもあるだろうが酔っ払いのごとく一人ではしゃいでいるような司会ぶりであり、
メンバーから「あんなのとはやってられない」と酷評されたが視聴者には好評であった。
そのまま正式な司会就任を要請されていたが、落語家をまとめるという重責から断っており、それ以外にも東八郎、山城新伍、三波の相方だった伊東四朗など当時司会で活動していた俳優やタレントにもオファーがあったが、いずれもやはり同様の理由から断っている。
2015年4月15日、肺ガンにより死去。体調が不安視されていた中での死だった。
【歴代回答者】
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[[◇林家こん平>林家こん平]]
会場の皆様にお知らせがございます、私の帰りのカバンにはまだ若干の余裕がございます!
「チャラ~ン!」でお馴染み。5代目圓楽や歌丸と共に第1回の放送から出演していた。
「肥溜めのこんちゃん」とあだ名されるほどの下品なネタが多い一方で、時折風流だったり高尚だったりする答えを出しては、圓楽から「たまに柄にもない事言うんだよね」と言われていた。
また声がでかい、大食い、出身地の新潟県千谷沢村、もとい「チャーザー村」ネタでいじられる事も多かった。
2004年8月、24時間テレビのチャリティー大喜利を終えた直後に体調を崩して救急搬送される。当初は声帯の不調と報じられていたが、5か月の入院の後に難病の多発性硬化症と診断される。休演中はしばらく空席になっていたが、後に師匠に毒を盛ったたい平が代役として登場。2006年の笑点40周年記念SP後にたい平がレギュラーになってからも、スタッフ・メンバーの計らいで降板ではなく休演中ということになっており、リハビリに励んでいた*15。
2020年12月17日、肺炎で77歳で逝去したことが4日後の21日に発表された。1回目の出演から令和まで存命だった唯一の回答者だった。
[[◇三遊亭円楽(六代目) 旧名・三遊亭楽太郎>六代目三遊亭円楽]]
うちの師匠圓楽はですね、お米の代わりに藁は食べますしね、
靴履かねえで蹄鉄打ってますしね、朝起きるといななくんですよ、
ホント。これが欠点ですね。
5代目円楽一門会幹事長。
もともと師匠の5代目圓楽の付き人兼座布団運びのアシスタントとして番組に関わっていたが、1977年、二つ目時代に6代目圓窓の後任として加入。
歌丸にはもちろん、師匠である5代目圓楽や他メンバーに対しても毒を吐く。肌も地黒だが「腹の底は真っ黒」。
たまに硬派なネタやハイテク機器ネタを延々としゃべり続けては途中で切られたり、座布団を没収されるのはお約束。
5代目圓楽司会時代には馬面や借金ネタ、歌丸がいた頃は死にネタ・ハゲネタを頻繁に披露していた(歌丸司会時代は当然座布団を綺麗に持っていかれており、昇太司会時代も歌丸関連ネタを披露しては座布団を没収されており、昇太が円楽の座布団を没収した事を歌丸に報告するのがお約束だった)。
昇太司会時代になってからは未婚ネタ、そして隙あらば司会を自分に交代するよう虎視眈々と狙うネタを精力的に出していた。
2022年1月下旬に脳梗塞により倒れ、それによるリハビリと既往症の肺がん治療・療養のため2月13日放送より番組を休演しており、後述する若手大喜利メンバーや上方落語家など自身と親交の深い人物が代理出演として空席となった2枠に座り回答者を務めていた。
8月11日に高座に復帰したが、わずか2週間後に肺炎にかかって入院。快方へは向かっていたものの、同年9月30日に肺がんのため72歳で逝去。歌丸や師匠の待つ天国の高座へ旅立った。
[[◇三遊亭小圓遊(四代目) 旧名・三遊亭金遊>四代目三遊亭小圓遊]]
歌丸さん、ハゲましておめでとう。
「ボクちゃん」「巷では」などのフレーズを用いた顔に似合わないキザな若旦那キャラ。またの名をフランケンブルドッグ。
歌丸とは両端で「ハゲ」と「オバケ」(「はけ」のどちらに濁点を置くかがミソ)、ふじこ夫人ネタ(偶然にも歌丸夫人が「冨士子」、小圓遊夫人が「藤子」で名前の読みが同じだったことから)など、現在のいじり合いが生ぬるく見えるほどの口喧嘩さながらの罵倒合戦を繰り広げていた。実際は仲がいいからこそ言い合える罵倒の仕方だったのだが。
だがそのような裏事情があまり知られていない当時の視聴者からあまりに過激すぎる罵倒合戦に「歌丸と小圓遊を和解させてくれ」というクレームも相次いだ。
晩年はそれなど自分の芸風に関する悩みなどから酒浸りで、1980年10月4日に食道静脈瘤破裂により公演先の楽屋で倒れ、ハワイ公演の放送日でもあった翌5日に43歳の若さで急逝。
2代目以外皆地方公演中に若くして急死したことから、以後小圓遊の名跡は誰も名乗らない「止め名・忌み名」状態になっている。
[[◇林家木久扇 先代・林家木久蔵、桂木久男>林家木久扇]]
奈良の娘と京都の娘 並んで古都古都 歩いてる
バカチャビン。司会者5人をあの世に送った最後の戦前生まれ。答えが単純すぎるなど与太郎キャラだが、実はインテリで実業家としての一面も持つ。
でも木久蔵ラーメンはしばしば酷評される(実際は土産物として非常に人気なのだが、「不味い」と言う方が注目度を集めるため)。
2024年の3月に「次の世代にバトンタッチ」ということで、54年4か月間出演した笑点を勇退した。
[[◇桂才賀(七代目) 旧名・古今亭朝次、桂文太>七代目桂才賀]]
初春の 朝にめでたき御来光 朝の次なら 古今亭朝次
小圓遊の急逝を受け加入、若旦那キャラの穴を埋めることとなった元自衛官。大物小圓遊の後釜としての重圧を避けるため、それまで九蔵が着ていたピンクの着物に。
松田聖子のファンであり、そこから顔に似合わぬ夢見る乙女キャラが定着した。
「キザで上品」の才賀と「スケベで下品」の小遊三とで罵倒合戦を繰り広げていた。
自身もその強面の容姿から犯罪者ネタが使われていたが、出刃包丁や強盗などの暴力系が多かった。
三波からはお気に入りと称されていたが、その三波が急逝し司会が圓楽に交代するとソリが合わず、ひどい時には答えが全部カットされてることもあったといい、これが好楽復帰へと繋がる。
座布団10枚獲得経験は2度あり、マッチ箱とハワイでのゴルフをそれぞれ獲得している。現在は刑務所への慰問活動を行っており、2008年には自身の慰問体験をつづった本を出版している。
[[◇林家三平(二代目) 旧名・林家いっ平>二代目林家三平]]
『入』に『三』で三平入りました。どうぞ、宜しくお願い致します!!
初代林家三平を父に持つ落語家一族・海老名家の次男。歌丸降板&昇太司会者就任の2016年5月から加入。
「ポケモンGO」「ガールズ&パンツァー」「NiziU」など、若者向けコンテンツをネタにすることが多く、観客の大半である高齢者からはウケにくい傾向にあった。
きれいな答えで座布団を貰えることも多いが、家族(特に母親の香葉子)の黒いネタでも座布団をゲットしている。逆に夫婦仲や幸せアピールをすることで座布団を取られるのがお約束。
ネット民を始めとする一部の視聴者からはターゲットにされており、データ放送では毎回座布団を0枚にされていた。
2021年12月末をもって、自身の修業のためと称して笑点を降板することを決意。
色紋付導入以降の回答者では唯一、座布団10枚獲得が一度もない状態での降板となったため、一部報道などからは「事実上の解任」である旨を指摘された。まぁあれだけ若くして大喜利メンバーからの降板というのは誰の目から見ても前向きな理由でないのは明白だが。
◇三遊亭圓窓(六代目)
死んでお詫びしようと、毒入りのお饅頭を全部食べました。
本名は橋本八郎。ダジャレクイズや謎かけを得意とする5代目圓楽の弟弟子。
キャラとして兄弟子に甘えることが多く、くだらない答えを言うと兄弟子の責任で圓楽の座布団が取られるのが一連の流れ。
1975年の年明けに座布団10枚の賞品で獲得したカレンダーが、後の笑点カレンダーの原型になっている。
1977年8月に圓楽に続いて降板。翌年師匠・圓生に従い落語協会を脱退するが、圓生没後に復帰した。
青山学院大学落語研究会の顧問をしており、圓楽のカバン持ちのバイトを学生達に持ち掛け、最終的に採用されたのが楽太郎(6代目円楽)である。
高座の傍ら、天狗連への指導や落語の演目研究にも力を入れていた。
2021年12月以降、圓生の弟子で存命する唯一の人物だったが、2022年9月15日に81歳で逝去した。
その他名言・名回答集
笑点とかけて、新婚夫婦と解く。
その心は?
一週間に1回じゃ物足りない。
何が!?
いや、なんでも…w
座布団持ってけこの野郎!とんでもないここどこだと思ってんだい!観音様の境内だぞこの野郎!!
うえーん!(木久蔵に泣きつく)
いちいち俺が喜びそうなこと言いやがってwあー一時はどうなるかと思った
奈良林(祥)先生の本を読んで実行して見つけました
どんな蛙?
寝ちガエル
バカだねえ、ほんとにwそのまんまやるなよw
(圓楽と握手し)2人でおにぎり結ぶの難しいわね
ありゃ兄弟弟子がみっともない、圓楽さんの2枚取れおい!
失礼しました。
小圓遊さんには歌丸
ちょっと待てこの野郎!何だ「小圓遊さんには歌丸」って
ここ(小圓遊)にさん付けてこっち(歌丸)には呼び捨てってw
歌丸さんには小圓遊師匠
ちょっと待てこら!!
マズいよw
何で俺がさんで向こうが師匠なんだよ!
それでいいんだよ!身分心得てるんだから大丈夫だよ
ちゃんとやんなきゃダメ
じゃあ、歌丸師匠には小圓遊大先生
待てコラー!!何で俺が師匠で向こうが大先生なんだよ!
圓窓さん、対等に言ってあげなさい、かわいそうだからw
はい、あの人はこの人
何だよ!
簡単にするなよ!
簡単すぎるんだよ!
名前呼び捨てにするんだよ
で、どうなったんだい、取組は?
取組、疲れたからやめます
そんな!
おい、座布団取れあの野郎!
この先、種馬としての活躍を祈る。
◇三笑亭夢之助
このままだと身の破滅と言いますか、破門になるので辞めます。
本名は佐藤信夫。当時他局のクイズ番組にも出演していた人気落語家。いや~どもども!
楽太郎と共に圓楽、圓窓の後任としてメンバー入り。
答えの巧さよりも一発ギャグなどの突飛な面白さを重視し、毒舌や失言も多かった。落語の人物で言うと「お調子者の一八」。
実は「黒ひげ危機一発」のルールを「飛ばした人の負け」として定着させた人でもある。
ある時大喜利中に「市販の風邪薬は効かない」と、スポンサーの龍角散を怒らせる発言をしてしまったせいか二つ目のままわずか2年で降板。その際に上記の台詞を発している。
しかし、その2年の間に3回も10枚達成するなど印象は強く残された。
2019年に突如所属する落語芸術協会を退会。
退会に至った経緯等は不明だったが、2021年に夢之助と同期入門で若手時代から親交のあった小遊三と桂米助が米助のYouTubeチャンネルの動画にて行った対談の中で、退会する少し前より肺気腫を患って寄席への出演を控えていたこと、本人も当初は講演などの活動を続ける予定だったが、最終的に協会宛に名跡返上と引退を申し出る手紙を出して完全に廃業となったことを明かした。
引退後は地元である北海道にて療養をしているらしいとのことだが、小遊三達も連絡が取れないため現在の消息は不明。
その他名言・名回答集
御用だ!
もう1回言ってくださいw
おい座布団取れこの野郎!
お願い!いきます
御用だ!
御用はない、あんたと初対面だ!
お前それを言うのに俺にわざわざ言い直させたのか?本当にもう帰っていいよお前もう、(サンフランシスコから)歩いて帰りな
じゃあできた人、手を挙げてちょうだい。しょうがねえなあ、若いの2人(夢之助と楽太郎)手挙げてやがるwそれじゃあの向こうにいる、夢之助っての、ドリーム之助っていうんだけどね、あそこ行ってあげて。あんまり言わないでいいからね、はっきり
桜の女王:I Love You
Oh,Mommy!
おい!座布団取れよ!何がマミーだよ南京豆みたいな顔しやがって
イヤサお富、久しぶりだな
まあ方方で楽をなすったんだねえ、そんなに太って…
全部取れこの野郎!!
三笑亭夢楽:夢之助!
はい
三笑亭夢楽:(獅子舞の絵を手に)お前いつになったら、人気はあるのは結構だけど、いつになったら人の頭になるつもりだ?
(門松の絵を手に)えー、それはね、もうちょっと、あの、何ですよ、あのー、まつてください
三笑亭夢楽:何言ってやがるんだいw
◇柳家つば女(六代目) 九代目・柳家小きん
第一回若手大喜利出演後、兄弟子であった談志と入れ替わりに大喜利メンバーに。
談志ネタに関するいじられ役に回されることが多々あった。息子は11代目柳家小きん。
武蔵野美術大学を中退後落語家になったという落語界でも例を見ない変わり種であり、たい平は大学の後輩にあたる。
オレンジの着物を着た初のメンバーである。
2004年6月12日死去。
◇春風亭梅橋(二代目) 初代・柳亭小痴楽
ヤクザの抗争とかけて、おっぱいとときます。
その心は?
すったもんだで大きくなった。
笑点初期メンバーの一人。なぞかけが得意であり、さらに今では放送できないような下ネタやブラックユーモアなどのきわどいネタも多かった。
歌丸と共に初の座布団10枚達成という功績を持つ。
梅橋襲名と同時に番組を卒業するが、番組がアットホームな方向に向いたためか他の4人が時期の差こそあれ全員笑点に復帰したのに対し以後メンバーとして復帰することはなかった。
歌丸曰く「当時降板直後に新設された東京12チャンネル(現・テレビ東京)の演芸番組にレギュラー加入したため、笑点に復帰するきっかけを失ったから」。
酒が原因のトラブルが多く、酔っ払って高座や生放送に出演していた事などから仕事が激減。さらにアルコール依存症を患い、糖尿病やそれに伴う腎障害にも苦しむようになった。
そして1984年1月25日、食道静脈瘤破裂により49歳の若さで急逝。
ちなみに酒が絡まない場面でのトラブルもあり、例えば「新宿末廣亭に出演した際、待ち時間に近くにある伊勢丹の屋上のペット売場に通い、そこの九官鳥に「三越」と向かいにあるライバル店*16の名前を話すように仕込んだところ、数日後には九官鳥が売場から消えてしまった」という話がある。伊勢丹と三越が後に手を組んで持株会社を設立するなんて夢にも思わなかった頃の話である。
◇鈴々舎馬風(五代目) 旧名・柳家かゑる
これからは、極道一筋に精進して参ります。まず手始めに、小遊三をみっちり鍛え直そうと
初期メンバーが1969年4月に降板後、同年11月まで務めたメンバー。
1980年代までは笑点以外でもバラエティ番組への出演が多く見られた。
降板した落語家はほとんど番組に来なくなる中、例外的に頻繁に出演し新作落語「会長への道」を披露、2006年に本当に落語協会会長に就任。会長退任直前に真打昇進披露口上で笑点に出た際、たい平から「会長退任後は組長と呼ばれる」とネタにされた。
若手大喜利メンバーとして活躍した鈴々舎馬るこの師匠であり、また座布団運びを務める山田隆夫に見習い生として落語界のルールを教えた人物でもある。
◇春風亭一柳 旧名・三遊亭好生
初期メンバーが1969年4月に降板後、同年11月まで務めたメンバー。
師匠・6代目三遊亭圓生に心酔するあまり立ち居振る舞いを似せて「圓生の影法師」と言われるまでになったが、そのため師匠からは「昔の自分を見てるようで不愉快だ」と嫌われ、落語協会分裂騒動の際は兄弟子の三遊亭さん生(現・川柳川柳)とともに落語三遊協会へ移籍せず落語協会に残った。
しかしそのことで破門となり、8代目林家正蔵の預かり弟子となった後に5代目春風亭柳昇の許可を得て改名。
圓生には愛憎入り混じった感情を持っており、死後には自宅に駆けつけ亡骸の前で号泣するも後年の自伝では「死んで嬉しかった」などと書くなど物議を醸した。
が実のところは、これで吹っ切るつもりがかえって自身を追い込んでしまったようで精神を病み、1981年7月9日に自宅マンションから投身自殺してしまった。
◇春風亭栄橋
初期メンバーが1969年4月に降板後、同年11月まで務めたメンバー。
若手大喜利の初期メンバーで、林家木久扇は3代目桂三木助門下の弟弟子に当たるが、栄橋の方が年下で、三木助が芸協から脱退する際に6代目春風亭柳橋に預けられたので一緒には学んでいない(木久扇は三木助の落語協会移籍後に入門)。
晩年はパーキンソン病に悩まされ、2010年1月12日死去。
◇三升家小勝(八代目) 旧名・三升家勝二
初期メンバーが1969年4月に降板後、1970年6月まで務めたメンバー。
6代目小勝の弟子だったが、師匠が亡くなると初代三平一門に移籍する。
初代三平死去時は既に真打ちに昇進していたため、三平の直弟子のこん平一門に入らず独立。
2016年、弟子の4代目桂右女助を残して落語協会を退会。その後の活動は確認されていない。
◇柳家さん吉
初期メンバーが1969年4月に降板後、1970年6月まで務めたメンバー。
2022年2月15日死去。
◇三遊亭圓歌(三代目) 先代・三遊亭歌奴
小さんが墓石売って俺が仏壇売ってだな…圓楽が線香売って見ろよ、寄席だか彼岸だかわかんなくなる
笑点8人大喜利時代のメンバー。元祖・色紋付。
眼鏡をかけて高座に上がった初の落語家でもある。
この頃、新作落語「授業中(別名山のあな)」で人気を博し、多忙による休演も多かった。
オールバックに黒縁眼鏡と描きやすい顔であったため、休演時には木久蔵が描いた似顔絵が置かれた。
後に日蓮宗の僧侶として出家し剃髪している。
常陸宮正仁親王殿下(上皇陛下の弟宮)に似ているとネタにしていたところ、本人がその放送を見ていたらしく、宮内庁協議の結果「天皇皇后両陛下(昭和天皇とのちの皇太后)をはじめ、各宮様にも御覧に入れてはいかがでしょう」となり、昭和42年御前公演の出演者という最高の名誉を得た。
あるんだねぇ宮様んちにもテレビが…日立テレビですかね?
この間これ松下幸之助さんの前で演って怒られちゃった。「圓歌さん、それナショナルに直らんか?」って
圓歌襲名後は基本的にテレビ出演を控えていたが、真打ち昇進披露口上などで時折出演していた。
現在の自宅は有島武郎氏の旧家。年寄りが6人いたためトイレも6つあるらしい。
2017年4月23日に死去。現在は弟子の三遊亭歌之介が4代目圓歌を襲名している。
めでたーいなめでたいな、ああいうのでいいんでしょ?
でも面白かったよね今の(米丸の答え)
ああいうのだったらできる俺だって
俺の師匠だよ
この際そんなこと忘れろよ!師匠であることを忘れることよりしょうがないよ
とっくに忘れてるよw
ああいうのでいいんでしょ?めでたーいなめでたいな、上野のお山に春が来て、名物ランランカンカンに、子供ができた夢を見た、あーめでたいなーめでたいな
◇三遊亭金翁(二代目) 四代目・三遊亭金馬
笑点8人大喜利時代のメンバー。
歌奴と同じく昭和4年生まれだが、1941年デビューなので大正生まれの桂米丸や三笑亭笑三より先輩である。つまり落語界でも数少ない戦中派。
前述の貞鳳、声帯模写の3代目江戸家猫八とともに「お笑い三人組」として一世を風靡した。
休演時には小きんが描いた似顔絵が置かれた。
2020年9月より息子である三遊亭金時に5代目金馬の名跡を襲名させ、自分自身も三遊亭金翁を名乗ることが決定した。
晩年はBSフジの人気番組『クイズ!脳ベルSHOW』に度々出演していたが、金翁襲名から2年後の2022年8月27日93歳で死去。現役の落語家としては桂米丸に次ぐ長寿であった。
ちなみに、孫は漫才協会・落語協会に所属する漫才コンビ「ホンキートンク」の遊次。
【歴代座布団運び・アシスタント】
▷一覧
◇桂文字助(四代目) 旧名・三升家勝松
あまり知られていないが初代座布団運び。この頃は表舞台のキャラと言うよりも黒子のような扱いであった。
そのため一部書籍では下記の毒蝮が初代座布団運びとして記述されることもある。
大変な酒豪(特に日本酒好き)として有名。
立川流では筆頭弟子であるにもかかわらず、外様のため肩身が狭かったのか、2015年に独立。
しかし開店休業状態が続いており、体調も思わしくなかったようだが、2021年10月16日に75歳で死去していたことが一部の関係者より明かされた。
◇毒蝮三太夫 本名・石井伊吉
オィババア元気か!?
談志の友人にして2代目座布団運び。
本名で笑点と「ウルトラマン」に出演していたところ「アラシ隊員が落語家に座布団配ってるのはおかしい」と日テレのみならずTBSにまで全国から子供たちの苦情が届いた。
そこで談志から「怪獣に負けないようマムシって名はどうだ?」と持ち掛けられさらに圓楽から「ただのマムシじゃ力負けするから毒をつけよう」と言われ今の芸名になった。
「何で俺が落語家なんかに…」などと毒づき、「俺がルールブックだ」と言い張ってつまらない答えを言ったメンバーの座布団を没収するなど威張りん坊キャラが定着した。
たまに回答者と並んで座布団を敷いて座ることもあった。
その後、TBSラジオで「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」を担当。街のお店や企業に出向いて、集まった聴衆や店・企業の人に「ババア、元気か?」と言ったり、配偶者のいる人に「奥さんに「愛してる」って言ってやれ」などとマイクロホンを通してメッセージを言わせたりするのがお約束。コーナー内包先の番組を変えながら50年以上にわたって続く人気番組となっている。
2016年5月8日放送の大喜利では卒業以来久々にゲスト出演。
ババア、元気か?
あなたの番組じゃないんだから、もっと上品にお願いします!
婆さん、元気か?
元気だども。一発試してみるべ?
やだよ、こんなの!
◇三笑亭夢丸(初代)
3代目座布団運び。歌奴チーム担当。
2015年3月7日死去。
◇三遊亭圓遊(五代目) 旧名・三遊亭笑遊
3代目座布団運び。金馬チーム担当。
当時から現在も丸眼鏡がトレードマーク。
◇戸塚睦夫
北海道収録時における夢丸の補佐役。後に司会者となる三波伸介が所属する「てんぷくトリオ」のメンバー。
1973年5月12日死去。
◇伊東四朗
北海道収録時における笑遊の補佐役。
「てんぷくトリオ」の相方2人が早世する中ただ1人存命しており、俳優業のほか、「ザ・チャンス!」を皮切りに平成に入ると「伊東家の食卓」「人気者で行こう!」(後の「芸能人格付けチェック」)などのバラエティ番組の司会、「タフマン」以来ヤクルトのCMキャラクターなどで現在も活躍している。
後に「あの時座布団運びが上手くできていたら山田くんは今出ていなかった」と語っている。なお三波の急逝の際には後任司会者の候補としてオファーを受けたが、重責故に辞退したという。
◇小野千春
チー坊って呼んでください。
4代目座布団運びを務めた女優。「チー坊」の愛称で親しまれた。
前田武彦の事務所の後輩であり、「前武の何でも入門」のアシスタントも兼任。
その美貌から今で言うセクハラに近いいじられを受けることが多かった。
それゆえ、父親代わりとしてマエタケからの注意が頻繁に入っていた。
1951年生まれで、2000年前後に若くして急逝したとされる。
◇桂米助 別名・ヨネスケ、鷲塚与太八郎
日本一の不法侵入者、米助でございます!
歌丸の弟弟子にして「突撃!隣の晩ごはん」で有名な人。
レギュラー時代は小野千春の補佐。司会が三波に代わってからチー坊一人では座布団のやり取りが困難ということで投入された。
上方の桂米朝一門やその弟子の桂米輔との区別のため、高座以外ではカタカナ表記の「ヨネスケ」と名乗っている。
野球ネタの豊富さではおおよそ落語界において右に出る者はなく、かの「古き良きパリーグ」で話題となる川崎球場と古典落語「寝床」を合わせた「野球寝床」などを得意の噺としている。
同じ野球ネタを得意とする小遊三とは同期入門と言うこともあり非常に仲が良く、不定期で2人でネタを披露することも。「笑点特大号」では小遊三と当時のヒット曲をカラオケを歌うだけという誰得甚だしい回をやったこともある。
昇太が回答者時代にしばしば「突撃!隣の晩ごはん」ネタの回答で彼のモノマネ(冒頭のフレーズ)を披露していた。真打昇進披露口上のゲストでたまに「笑点」に来ることがあるのだが、昇太が進行役のとき一回だけそれを本人の前でやったことがある。
「鷲塚与太八郎」という名はその真打昇進披露口上の際に自称することの多い名前で、時には同席する噺家にも自身が考えたあだ名(しかも大体外国人名*17)を付けて場を沸かすのも恒例。
新型コロナウイルスが蔓延した2020年にはYouTubeチャンネルを開設。当初は「隣の晩ごはん」に絡めて自身の晩ごはんの紹介等がメインだったが、徐々に落語界に関する内容へとシフトしていき、現在は次世代を担う若手落語家の紹介や来賓として招かれた真打披露パーティーの様子等をメインにアップしている。
2022年5月1日放送分では、療養中の6代目円楽のピンチヒッターとして紫色の着物*18で大喜利に登場。前述の台詞はこの時の挨拶で述べたもの。
◇松崎真
飛び出すな 車は急に 止まれない 松崎真でございます。
5代目座布団運びで山田くんの前任。元々は新東宝の俳優で、親類に「笑点」のプロデューサーがいた縁で座布団運びになった。別名「玄界灘のオニヒトデ」「球場に捨てられたポップコーンの袋」「夜明けのマンホール」「陸に上がったトドの死体」「夜店のライギョ」「仁王様の湿った草鞋」「片付け忘れたコタツ」「しまい忘れた電気あんか」「カラスにつつかれた熟し柿」「交通安全の守護神」など。ハワイ公演では「オオダコのルアウ蒸し焼き」と言われた(「交通安全の守護神」は5代目圓楽から、それ以外は全て三波から)。
「手を上げて横断歩道を渡りましょう」の挨拶で警察から表彰されたことがある、すごいおじさん。
自分の赤い着物を指して「赤信号では絶対に渡ってはいけません」と付け加えたこともしばしば。
この他にも、交通安全に関する標語を数多く口にしている。
本名は澤井一郎。三波伸介からは「おい」「お前」とばかり呼ばれていたが、末期には「松崎さん」とか、石坂浩二方式で本名からとって「一ちゃん」とも呼んでいる。
OPではローンレンジャーや坊主の格好で必ず「交通安全」の旗を持った姿で描かれていた。
一説には幼い息子を交通事故で亡くしたことがこの挨拶が誕生したきっかけとも言われている。
強面で大柄なことからドラマでは悪役が多かったが、笑点では常に笑顔だった。
良くも悪くも後の漫画等に登場する「見た目は怖そうだが内面は優しいキャラクター」のイメージを確立させたとも言われている。
山田くんよりも力持ちでほぼ一人で大量の座布団を運べた。しかしその分酔っぱらうと手がつけられなかったとか。
その後芸能界を引退し、交通安全に関する講演を行っていたが、2015年5月に亡くなっていたとのこと。
その他の名言、名回答集
信号機 壊れたときの 松崎さん あっちいったり こっちいったり
自分に「さん」付けるなみっともねえから。自分に「さん」付けるの与太郎とお前だけだよ本当に
いつものように座布団を配る男がおりまして、裸になってしもやけになったマントヒヒがご挨拶を致します。
どうも。今月になりますと、戸締り用心火の用心~♪とみんなが言いますが、私はそれでも「手を上げて横断歩道を渡りましょう」松崎真でございます。
[[◇三遊亭愛楽>三遊亭愛楽]]
ドキドキドキドキ、縄文土器!!
1998年から座布団運びアシスタントを務め、山田同様四半世紀以上その立場にいた言わば第二の座布団運び。
五代目円楽一門会所属であり、大喜利メンバーの好楽の弟弟子にあたる。
たい平同様、「大喜利下剋上」として1998年7月に復活した若手大喜利の初期メンバーでもあり、そこから2010年代にかけての若手大喜利のレギュラーでもあった。
元旦の東西大喜利をはじめ、チーム対抗大喜利の際には下手側チームのメイン座布団運びを担当していたため、メンバーからいじられることも多く視聴者からの知名度も高かった。
前述通り四半世紀以上出演し続け、アシスタントとして後進の指導にも励んでいたが2024年9月末でついに卒業。
【若手大喜利の出演者】
※詳細は該当項目を参照。
【主なゲスト】
▷一覧
1998年までは、ゲスト出演者もオープニングで2番目*19に紹介されていた。
◇上方落語家
笑点というと江戸落語家のイメージが強いが、東西大喜利などに出演する上方落語家も忘れてはならない。
東西大喜利ではゲストという立場上、西軍である彼らに軍配が上がることが多い。
また、基本的に大阪を中心に活動している彼らにとって笑点は関東進出するきっかけでもあったりするのだ。
◇笑福亭松鶴(六代目)
戦後の上方落語の第一人者。また後進の育成にも力を入れ、「四角い仁鶴がま〜るくおさめまっせ〜」でお馴染みの吉本の大重鎮仁鶴・後述するラジオの人気者鶴光・テレビタレントとしても有名な鶴瓶などの師匠でもある。
3代目桂米朝、3代目桂春団治、5代目桂文枝とともに上方落語四天王と呼ばれた。
1986年9月5日死去。亡くなった後も鶴瓶が番組の中で師匠とのエピソードを幾度となく語っていて、また大阪の帝塚山にあった松鶴の邸宅跡を買取り、「無学」という高座を建て月例の落語会を開いている*20。
なお、松鶴は7代目(笑福亭松葉)もいるが襲名を前に急死したため追贈となっている。
めでたーいなめでたいな、結婚式場の玄関で、鯛焼きが1つ落ちてました、それをうっかり踏んだなら、中から餡が飛び出した、これがほんまの…何やった?めでたいなー、あ、たいあんや
おい、1枚あげてくれよ!正直でいいよ。「何やったけなー」ってw
◇桂文枝(六代目) 旧名・桂三枝
ご存知吉本興業の看板タレント。前上方落語協会会長。
幼い頃から落語に憧れ、関西大学在学中に五代目文枝に入門。1969年開始の「ヤングおー!おー!」で一躍名を上げると、先に売れた笑福亭仁鶴・同時期に台頭した西川きよし共々吉本興業を代表する人気タレントに。大阪では「新婚さんいらっしゃい!」「パンチDEデート」「愛ラブ!爆笑クリニック」「国盗りゲーム」、名古屋では「うわさのミミンバ!」、東京では「クイズ!年の差なんて」や「FNS27時間テレビ」(1991年)など東名阪のテレビ局で数々の司会を務めていたが、2000年代以降は後輩の台頭もあってかタレント業は大幅にセーブし、2022年には「新婚さんいらっしゃい!」も勇退。本業の落語の活動を中心に据えている。
三枝時代の2008年まで東西大喜利に出演しており、五代目圓楽の療養中だった2006年から2008年までは歌丸とともにダブル司会を務めた。
ダブル司会時代は西軍の座布団のやり取りを決める役割を持ち、歌丸よりも手厳しい采配で笑いを取っていた。
その後は出演しなくなっていたが、2021年7月17日放送分の笑点にて、同年5月に骨折して療養中だった木久扇の助っ人として大喜利に出演。
ちなみに、好楽とは同期の間柄。
たこ焼き屋 ああたこ焼き屋 たこ焼き屋
いいねえ
何故か大阪に やたら多い。はい
はい、文枝師匠
串カツ屋 ああ串カツ屋 串カツ屋
いいねえ
何故か大阪に やたら多い。はい
はい、文枝師匠
ホルモン屋 ああホルモン屋 ホルモン屋
もういいです!山田さん2枚持ってって!
(座りにくいから)3枚持ってって
◇桂ざこば(二代目) 旧名・桂朝丸
中学時代3代目桂米朝の芸にほれ込み、卒業後一ヶ月の就職を経て入門。
旧芸名は桂朝丸で、同局「ウィークエンダー」のレポーターとしても知られた。
本名はあの大物司会者と同姓同名(ただし、読み方こそ同じだが下の名前だけ一字違い)な関口弘。
関西ローカルの番組でコメンテーターを多く務め、忖度なく本音でズバズバと発言するのが特徴だった。
やしきたかじんとは友人であると同時に5年間犬猿の仲でもあった。
いい意味でも悪い意味でも喜怒哀楽の感情が激しい事でよく知られているが、その分大切な人への思い入れも強く、特に師匠の米朝をはじめ、前述したたかじん氏や2004年に47歳の若さで早世した直弟子・桂喜丸の葬儀やお別れ会の際には号泣する姿がとらえられていた。
関西ローカルの番組では何故か逆に激昂しながら号泣する事があり、後述する『痛快!エブリデイ』ではそれが当たり前にあったせいか、生放送の情報番組なのに出演日の新聞テレビ欄に既に「ざこば号泣」と書かれている事も多かった*21。
元々喘息の持病を持ち、加えて脳梗塞で倒れるなど晩年は病がちだったが、精力的に活動を続けていた。
2024年6月12日、持病の喘息が悪化し死去。奇しくもこの時期は今くるよやキダ・タローなど関西のテレビ界やお笑い界の一翼を担った人物の訃報が相次いだ時期でもあった。
◇笑福亭鶴光
下ネタトークを武器にオールナイトニッポンで人気を博した松竹芸能の顔。
オールナイトニッポン以来長期にわたりニッポン放送で番組を持ち続けており、平日夕方の放送にかかわらずお色気ネタを入れまくった「噂のゴールデンアワー」が長期にわたって放送され、現在も不定期特番*22として復活している。
上方落語協会と落語芸術協会に籍を置いており*23、上方落語家では唯一、東京の寄席でトリを取る資格を持つ。
鶴光の読みは「つるこ」だが、自己紹介のフレーズは「つるこーでおま」でお馴染み。
東京を拠点にしていることもあり、笑点では正月特番の東西大喜利で西軍メンバーとして毎年出演しているほか、円楽不在時のピンチヒッターとしても3回ゲスト出演している。
レギュラー出演者ではない上、上方落語家にも関わらず古参の大喜利メンバーとは30年以上の付き合いがあるため、罵倒ネタやツッコミには一切の遠慮がない。ただ、日本香堂が笑点のスポンサーであることは知らなかったらしい。
可朝亡き後は大喜利に出てくるとき下ネタの小遊三、エロの鶴光という形でキャラの住み分け?をしている。
◇笑福亭鉄瓶
テレビタレントとしても有名な鶴瓶の弟子であり、近年は世の中のあらゆる人物を取り上げた「ノンフィクション落語」を売りにしている。
2024年の東西大喜利で初出演を果たす。
ちなみに、一之輔とは同期の間柄。
◇笑福亭べ瓶
上記の鉄瓶と同様鶴瓶の弟子。師匠に3回破門されながらも不死鳥の如く復活したという驚異の噺家。3回目の破門前は瓶成(へいせい)を名乗っていたが、復帰の際に改名した。
2020年の東西大喜利で初出演。
◇月亭可朝
カンカン帽がトレードマーク。
文枝とは「ヤングおー!おー!」以来の付き合いで、番組発の「ボインの歌」が代表曲となった。
東西大喜利ではスケベキャラで小遊三と張り合うことが多い。
賭博、ストーカーの容疑で2度の逮捕歴がある。たい平が警察ネタでいじると「警察から離れい!」と返した。
そんな彼でも米朝の葬式の際は泣き崩れて話すことができなくなってしまったざこばに代わって弟子代表として弔辞を読み上げた。
2018年3月28日死去。
◇笑福亭松之助(二代目)
東西大喜利の常連で、明石家さんまの師匠。「さんまの師匠」と書かれた羽織を作り、それを着て高座に上がったこともある。
4代目桂米丸と同い年の1925年生まれで、上方落語家としては最後の大正生まれであった。
2019年2月22日死去。
◇林家小染(四代目)
1978年1月2日放送分の鶴亀大喜利に出演。
関西では「ヤングおー!おー!」に桂文珍・月亭八方・きん枝とともにレギュラー出演し人気を博した。
酒癖が非常に悪く、1984年1月31日に酔った勢いで道路に飛び出したところをトラックにはねられて即死。
同年秋の四代目染丸襲名が決まった矢先の出来事だった。
笑点 大博覧会 DVD-BOXでは遺族の同意が得られなかったため出演シーンはカットされ、引きの部分でも彼の顔にはボカシが入っている。
◇桂小文枝(四代目) 旧名・桂きん枝
6代目文枝の弟弟子。
スキャンダルを理由に一度破門されたが、兄のように慕っていた小染の葬式で号泣する姿を松鶴が同情し、彼の師匠である5代目文枝に破門を解くよう助言し、復帰が許される。
東西大喜利では東軍から名指しされる度に兄弟子の6代目文枝に引っ叩かれるのがお約束となっていた。
◇桂小枝
6代目文枝の弟弟子。
長く『探偵!ナイトスクープ』で探偵を担当し、特に「パ~ラダイス」と「爆笑小ネタ集」でお馴染み。
◇桂雀三郎
枝雀の弟子で南光の弟弟子だが、歳は南光より上。
焼肉をテーマにした『ヨーデル食べ放題』を歌うことで有名。
◇桂文福
6代目文枝の弟弟子。
廃刊した相撲雑誌『van van相撲界』にコラムを連載していたほどの相撲通。
◇桂あやめ(三代目)
6代目文枝の妹弟子。
桂花枝時代に「スナックママ連続殺人事件」の犯人に襲われたとして話題となる。
◇桂文珍
6代目文枝の弟弟子。兄弟子の文枝同様に、『はなきんデータランド』や『クイズ地球まるかじり!』、日テレ系では現在も続く土曜朝の『ウェークアップ!』などさまざまな番組の司会でおなじみだった。初期の『笑っていいとも!』のレギュラーでもある。
『ヤングおー!おー!』では月亭八方、桂きん枝(現:四代桂小文枝)、前述の四代目林家小染と共にユニット「ザ・パンダ」を組んでいた。
アニヲタ的には往年の名作「さんまの名探偵」での殺人被害者として有名だろうか。
2022年2月13日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
◇月亭八方
可朝の弟子。テレビに出る度に阪神タイガースの話をしないと気が済まないくらいの熱狂的な阪神ファン。
それまでタブー視されていた楽屋ネタや内輪ネタを一般化させたパイオニアで、現在は関西の年末特番「楽屋ニュース」のMCでもおなじみ。
師匠同様の借金癖があり、最大で1億3000万にも上っていたとか。実は「笑っていいとも!」にレギュラーで出ていたが3ヶ月で降りたのは黒歴史
1999年秋の『オールスター感謝祭』ではそれまで泳げなかった水泳にチャレンジし、見事克服した。
2022年3月27日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
◇桂米團治(五代目)
桂米朝の直弟子にして長男。上方落語協会副会長を務めており、父の死後は兄弟子のざこばと米朝の孫弟子筆頭である桂南光と共に米朝一門のまとめ役を務めている。
2022年4月10日に療養中の6代目円楽の代理を務め、同じ二世落語家として前年末に降板した2代目三平を意識した挨拶・回答を行っている。
◇桂南光(三代目) 旧名・桂べかこ
上方落語の爆笑王・桂枝雀の一番弟子。
関西では自身が司会を務めていた「つっかい痛快!エブリデイ」における歯に衣を着せない暴言で知られたが、近年は丸くなった。NHKの法律番組「バラエティー生活笑百科」では上沼恵美子と共に初期から相談員を務めていたが、番組を離れた後に仁鶴が体調不良で降板したため3代目MCとしてカムバック、最終回までMCを務めた。
2022年4月17日と4月24日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
『痛快!エブリデイ』が開始してすぐに南光を襲名しているが実は4代目萬光*24を襲名するはずだった。ところがその読み方が「まんこう」で、ある放送禁止用語(もっとも関西では違う読み方をするが)と非常に紛らわしい読み方だった。レギュラー出演していた「生活笑百科」は全国ネットなので制作しているNHK側から「放送上無理がある」と突っ込まれて南光襲名に至った経緯がある。
(司会者・回答者共にミツバチに扮したお題にて)
情けないな~せっかく『笑点』に出してもろたのに…
本当?
なんでこんな格好せなあかんねんやろ!
こんなの我々ずぅーっとやってるんですよ!
◇桂三度
本名は渡辺鐘。山下しげのり(現:インタビューマン山下)とのコンビ「ジャリズム」のボケ担当としてお笑いの世界に飛び込み、解散後は放送作家を務める傍らピン芸人「世界のナベアツ」として、「3の倍数でアホになる」ネタで一世を風靡。その後以前から志していた上方落語に本格的に取り組むことを決意し、2011年3月に6代目文枝(当時は三枝)に弟子入りし落語家へ転向。
コンビでの漫才・コント、ピン芸だけでなく放送作家としても高い評価を得ており、落語でもNHK新人演芸大賞を獲得。また2013年には転向して2年目で落語家として10年ぶりのR-1ファイナリストになっている。
2022年6月26日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。問題には彼のピン芸人時代のネタが採用された他、番組の構成にも携わった。
◇月亭方正
笑点と同じく日テレ系日曜日の長寿バラエティ『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』のレギュラーとしてもおなじみ、奇跡のベビーフェイス。
いじられ芸を武器とするピン芸人として活動していたが、40代に入り「笑われている自分しかいない」ことに気づき自分を見つめなおすようになり、東野幸治が貸した桂枝雀のカセットテープを聞き落語に興味を持ち、事務所の後輩の八光の紹介で彼の父である八方に弟子入り。
2013年からは元来の「山崎邦正」から高座名に活動名義を統一した。
『ガキ使』内では頻繁にヘタだの弄られるが、実際には「熱中できるものを見つけた」と評されるくらいに熱心に取り組んでおり、その腕はきちんと評価されている。
笑点初出演は2011年1月1日の東西大喜利。同席した大師匠の可朝はそれまで彼の入門を知らなかった。
2022年7月3日と10日に療養中の6代目円楽の代理を務めた。
2024年の東西大喜利では、座布団で久方ぶりにお尻をしばかれた。
◇林家菊丸
上方の林家染丸一門の落語家。
基本的に元旦の東西大喜利の常連となっているが、2022年10月23日にゲスト出演。
亭号こそ同じではあるが前述通り江戸落語界の「林家」一門*25とは違う一門の出身のため、大喜利では「インテリの林家」を自称して木久扇をイジる事も多い。
◇桂雀々
桂枝雀の弟子。
師匠の死後米朝事務所を退所し、東京を拠点に活動している。
2022年10月30日にゲスト出演している他、元旦の東西大喜利の常連となっていた。
2024年11月20日死去。1ヶ月ほど前より持病の糖尿病の治療で療養に入っていた矢先の事だった。
◇月亭八光
月亭八方の息子。当初は父以外に弟子入りしようとしたがその度に反対され、結局父の元で入門。
関西では様々なテレビ番組のスーパーサブとして活躍する人気タレントであり、事務所の先輩にあたる邦正の落語界入りのきっかけを作った。
父同様に元日の東西大喜利の常連となっており、親子共演がお約束となっている。
2022年12月4日にゲスト出演したが、「10枚溜ったら阪神を優勝させてもらえませんか?」などと父親譲りの阪神ネタを披露した。
◇笑点メンバーの師匠・関係者
◇林家彦六 八代目・林家正蔵、三代目・三遊亭圓楽、五代目・蝶花楼馬楽
ばがやろぉ、早く食わねえからだ。
木久扇の師匠。好楽にとっては元師匠。
1971年から1981年まで不定期ながら出演していた。現在では木久扇がよく真似している人。
高血圧&お酒大好きでよくプルプル震えていたため、「陽炎が座ってる」だの「見てると酔っちゃう」だのとネタにされている。
このため、晩年はしゃがれた声と相まって声が非常に震えていた。しかし、最初の師匠である2代目三遊亭圓生から芝居噺を徹底的に鍛えられたため語尾自体ははっきりしており、これといって聞きにくいということはない。
怪談噺などが得意であり、「鰍沢」や「真景累ヶ淵」は情景がありありと浮かぶほど。是非聞いてみて頂きたい。
五代目柳家小さんの名跡争いに敗れたが、それでは小さんの名前が馬楽よりも下になるため、周囲から同格あるいは、格上の名前を襲名するように説得される。
この時、7代目林家正蔵が死去し、初代林家三平はまだ入門して2か月の新人で襲名できる状況ではなかったことから一代限りで林家正蔵を襲名した。
このため、ある意味外様の「林家」と見ることもでき、現在「林家」は彦六門下で唯一林家の亭号を持つ木久扇一門と7代正蔵や初代三平の一門との2流ある。
非常に弟子思いなエピソードが残っており、
- 入門してすぐ師匠の三木助を失った木久蔵に「三木助の弟子だったから『木』は残そう。私が正蔵(当時は8代目正蔵だった)だから『蔵』という字をあげる。そして長く久しくやれるように『久』の字も入れて『木久蔵』だ」と命名。
- 当時弟子だった九蔵が結婚するときには「祝言挙げるのに前座じゃ格好もつかねぇだろう」と兄弟子含め10人一気に昇進させた
- 挙げ句の果てには「師匠、死んじゃいやだ~!」と好楽(九蔵)が泣きついたところ「あんなに騒がれちゃおきるしかあるめぇ」と今際の際から戻ってきた。(円楽風に言えば「三途の川泳いでターンして戻ってきた」。)
- 簡単に破門を言い渡すが、すぐに謝れば「よし許す!」と撤回することも多々あった。
明治生まれの江戸っ子でとにかく律儀。その律義さたるや「彦六みたいな奴だ」と代名詞にもなるほど。
その一方で大正モダンあふれる一面もあり、イギリス風に洋服を着こなしてみたり、巡業の昼食がカレーだったりとお洒落な面もあった。その人となりは木久蔵の新作落語「彦六伝」でもうかがえる。
上述したようにすぐ破門を言い渡すほどの短気であったが、ある時全生(後の5代目圓楽)が自分の弟子の7代目橘家圓太郎と喧嘩しているのを目撃し、また全生が仲裁した自分、しかも師匠につっかかってきた事から自分以上に短気な全生を気に掛け、稽古をつけるようになる。その後全生の真打ち昇進の際に、4代目が死去し空き名跡となっていた、自分の前名の一つである「圓楽」を譲った。
このため、81年の師弟大喜利では3代目、5代目、そして後の6代目の「圓楽」が揃ったこともある。
現在の大喜利メンバーのうち、「林家正蔵」に関わっていないのは小遊三と昇太、宮治のみである(所属団体が異なるため)。
1982年1月29日死去。
◇三遊亭圓生(六代目)
あたしゃ20世紀の生まれでげすから…
5代目圓楽・6代目圓窓の師匠であり、孫弟子である6代目円楽に楽太郎の名を授けた。
落語界において、名人オブ名人たるその人。圓楽や楽太郎と師弟大喜利で共演するほかに演芸コーナーに出演していた。
人情、色艶、怪談全てにおいて隙はなく非常に聴きごたえがある。他人の高座を盗み聞きしただけで覚えていった噺も多く、その演目の多さは最多ではないかとも言われている。
また、明治33(1900)年生まれとギリギリ19世紀の生まれであるため、江戸末期の芸人の言葉遣いが残っているのもまた魅力の一つだろう。
これは年上の志ん生や彦六には見られず、また、方言や時代、職業による言葉柄の変化を苦もなく演じているのはまさに名人の為せる技と言える。
その一方で、古典落語至上主義であり、初代林家三平や春風亭柳昇など新作落語を得意とする一門をよく思っていなかった。
もっとも自身も幾つかの新作落語を創作しており、あくまで「古典落語こそ落語の基礎であり、その修行をしないまま新作を演じていれば中途半端な噺家になる」という考え方からである。
しかしその芸風は多くの落語家に認められる一方、人の好き嫌いが極端であったために彼の人間性を批判する声は多かった。
中でも前述の弟子であった好生は「圓生の影法師」とまで言われるほど芸風・容姿が似ていたが、その頃の圓生は「下手な真打」と揶揄されており
それを思い出させる好生を冷遇、それでも好生は敬愛し続けるも年月が経つにつれて関係はさらに悪化していった。
結局関係は改善されぬまま圓生は死去、「死んで清々した」と発言した好生もその後精神を病み、結局師の後を追ってしまった。
また、4代目橘家圓蔵門下で弟弟子だった彦六(年齢は彦六が5歳上)とも「あの人に6代目圓生が務まるわけがない」と彦六が酷評したことが起因して最後まで反りが合わず、犬猿の仲として知られていた。
しかし、なんだかんだ言って彦六は圓生の芸を認めており、ステテコ姿でスピーカーの前で噺に聞き入ることもよくあった。
1978年、当時の落語協会の真打昇進制度に異議を唱え、弟子の5代目圓楽やその一門と共に落語協会を脱退し、新団体「落語三遊協会」を設立する。
これが落語界の大事件「落語協会分裂騒動」である。
しかし分裂騒動の最中である1979年9月3日、79歳の誕生日に急死。葬儀には前述した好生を始めとする破門された弟子も出席し、中でも彦六は真っ先に通夜に訪れ*26、「こんな名人は二度と出てこないので褒めてやってください」と演芸研究家にお願いしたほど。
死因は協会分裂後に弟子を食わせるために営業の過密スケジュールを組み、その過労がたたったとされる。
前述した「落語協会分裂騒動」により生まれた落語三遊協会は圓生の死により解散し、
その後五代目圓楽により創設された「大日本落語すみれ会」がいくつかの名称を変えた後、現在の五代目圓楽一門会に続いているが、現在も圓生の名は止め名になっているなど分裂騒動のもたらした影響は残り続けている。しかし、2010年代以降は6代目円楽の働きかけもあり、年1回ペースでの2団体合同の圓生一門の交流が復活しているなど変化しつつある。
笑点関係ではBS笑点ドラマスペシャルに登場し、佐野史郎が演じた。
あーめでたいなーめでたいなー、5月1日メーデーで、皆揃って鯛を食う、メーデー鯛なー
もう、正月早々から5月の心配してくれるとはw2枚持ってきてよ
◇柳家小さん(五代目) 九代目・柳家小三治、七代目・柳家小きん、柳家栗之助
芸は人なり 全部噺の上に出てくるんだから 心は清廉潔白でなくちゃいけない
永谷園の味噌汁や墓石のCMでお馴染みの落語界の大御所。
所属協会の落語協会では7代目会長を務めたが、穏健すぎる性格から前述の圓生とは全くそりが合わず、分裂騒動の一因になったともされる。
元メンバーである9代目柳家小きん(6代目柳家つば女)の師匠であり、笑点でも時々演芸コーナーにて落語を披露していた。
1995年には落語家として初の人間国宝に認定された。
2002年5月16日死去。死去の前夜には「いなり寿司が食いたい」と呟いていたそう。笑点では追悼コーナーが放送された。
こちらも、BS笑点ドラマスペシャルに登場し、近藤春菜角野卓造が演じている。
2015年には生誕100周年を迎え、それに因んだ問題が出された。
息子は6代目柳家小さん。孫(6代目小さんの姉の次男)は柳家花緑で、後者は22歳での真打昇進という戦後最年少記録を持つ。
えー、栗きんとんに豆きんとん、栗きんとんがうまくって勝ち
1枚あげて。かわいいよ、師匠。師匠の顔見てると栗きんとんって感じでw
三遊亭圓楽:栗きんとんみたいな顔してるw
あーめでたいなーめでたいなー、湯呑み茶碗に茶柱が、1本ピンと立っていた、それ見てあたしも立っちゃった、あーめでたいなー、めでたいな
◇柳亭痴楽(四代目)
初代小痴楽(のちの2代目梅橋)の師匠。現在の若手大喜利メンバーの3代目小痴楽は孫弟子。
1967年の第1回の師弟大喜利に出演したが、当然ながら映像は残ってなく詳細は不明。
太鼓腹が自慢だったが1973年に脳血栓で倒れ長い闘病生活を送る。入院中に小痴楽から「私から酒を取り上げるからこうなるんですよ」と嫌味を言われるが、先に彼が他界。さらに22歳下の妻にも先立たれ、1993年に痩せた姿で復帰するも、その年の12月1日に死去。
◇桂米丸(四代目) 旧名・古今亭今児
昔むかしのその昔、花咲か爺さん灰まけば、歌丸頭に毛が生えた
歌丸の師匠で元兄弟子。
落語芸術協会の3代目会長にして2002年以降は落語芸術協会の最高顧問を務めた。
落語以外では『お笑いスター誕生!!』の審査委員長や『お笑いマンガ道場』の初代司会でも活躍。
弟子である歌丸とは対照的に90歳を過ぎてもフサフサの髪の毛に丸顔と若々しい見た目をしていた。歌丸とは正月の師弟大喜利で共演しているほか、演芸コーナーでは時々落語を披露していた。「お婆さんの今輔」と呼ばれた新作落語派の5代目古今亭今輔の弟子で、自身も最晩年まで寄席への出演を中心に新作落語の創作に励んでいた。
師弟大喜利では前述した若々しい見た目から歌丸の弟子と勘違いされるのがお約束だった。
歌丸の最後の弟子である3代目桂枝太郎も当初は米丸に弟子入りをしようとしていたが「僕は君が真打になるまで生きていないだろうから」と歌丸のもとへ紹介した張本人。実際は枝太郎の真打昇進どころか2018年には歌丸に先立たれ、葬儀では弔辞を述べる側になってしまった。
2024年8月1日に老衰のため都内の病院で死去。99歳での大往生だった。
極めて高齢である事から新型コロナウイルスが流行している2020年以降は寄席への出演を控えていたが、最後の最後まで現役の噺家として生涯を終えた。
なお、米丸師匠の逝去をもって、大正時代生まれの落語家は全員*27鬼籍入りとなった。
歌丸が売れてる割に大変腰が低く頭が低いのはいいんですが、ただ眩しいのが欠点です
◇三笑亭夢楽
夢之助の師匠。1979年の師弟大喜利に出演。当時は角刈りに色つき眼鏡と、師匠というより組長と言いたくなるような風貌だった。
2005年10月28日死去。
◇春風亭柳昇(五代目)
春風亭柳昇と申しまして、大きなことを言うようですが…今や春風亭柳昇といえば、わが国では私一人でございます…
昇太の師匠で、落語芸術協会の前々副会長。
歌丸が噺家へ進もうとし、憧れたその人。
アニヲタ的には「究極超人あ~る」の柳昇校長といったほうが通じるだろう。
演芸コーナーに出演したほか、昇太が真打に昇進した際には笑点内の真打昇進披露口上にも顔を見せた。
落語芸術協会の創設者である6代目春風亭柳橋の弟子。自身の兵隊時代の体験を落語にした「与太郎戦記」は映画にもなった。その他にも「カラオケ病院」「南極探検」「結婚式風景」など新作落語を創作し、人気を博した。意外なことにトロンボーンの演奏を得意としていた。
2003年6月16日死去。亡くなった今でもたい平が上記の挨拶を真似している。
後の歌丸同様、昇太がなかなか結婚しないことを心配していた。
柳八のいい所は、ちょっと大方が来ると心配でうちに電話を掛けてくること
春風亭昇太:はい、悪い所は?
それが全部コレクトコールで掛ける
春風亭昇太:師匠に1枚!
五明樓玉の輔:何だよそれ!
春風亭昇太:私の勝手だろ!
五明樓玉の輔:えー!
春風亭小朝:ちょっと待て、面白い前に(滑舌が悪くて)何言ってるかわからないよ!どうなってんだよ!
春風亭昇太:皆さんねえ、師匠よろけてるよw皆さんわかんないかも知れないけど、弟子はわかるの!
春風亭小朝:フランス語みたいだよw
春風亭柳八:師匠は何で仕事がない日も外出するんですか?
今の東京都の無料パスもらったから
春風亭昇太:柳八くんね、師匠は出掛けてるんじゃなくて、徘徊してるんだよw
林家たい平:ボケてるんじゃないですかw
◇林家三平(初代)
もう大変なんすから。正月早々、車と車がぶつかってガンターンな~んて
こん平の師匠であり、2代目三平と9代目林家正蔵の父にして大師匠。
また、正蔵と三平の間にはシンガーソングライターの頭に注射を打った泰葉を設けている。
ご存じ昭和の爆笑王。
弟子のこん平とは正月の師弟大喜利などで共演している。父は7代目林家正蔵。額にゲンコツをかざし「どうもすいません」と謝るギャグは当時爆発的な人気を博した。
父である7代目正蔵と比べられてバカにされていたものの、3代目三遊亭金馬は「あいつは大化けする」と将来性を高く買っており、後に「モンスターどころか大スターになった」と賞賛している。
小噺を羅列しストーリーやシチュエーションは全くない演じ口は「三平落語」と呼ばれ一つのジャンルと化している。
その一方で古典も演じることができる教養と技術を持っており、後に長男であるこぶ平は祖父の名跡である正蔵を襲名するに至った。
1960年代から1980年代にかけて歌謡番組やCMにも多々出演し、笑点の演芸コーナーにも不定期で出演していた。
1980年9月20日、肝臓ガンにより父と同じ54歳で急逝。死後、遺された弟子たちは直弟子では唯一真打であったこん平に弟子入りすることとなった。
弟子のネーミングセンスは狐顔だからこん平、たんこぶ作ってばかりだからこぶ平、北海道出身だからとんでん平(屯田兵)など単純であったが、それ故に弟子たちは「三平の弟子と覚えてもらいやすかった」と述べている。
いずれは正蔵を襲名する予定だったが、8代正蔵(彦六)からは自分が亡くなるまでに襲名するよう説得を受けていた。が、三平は8代正蔵よりも先に亡くなってしまい、遂に正蔵を名乗ることはなかった。
こん平、前へ出なさいよお前は
はい。学校かよw
師匠の言いつけだからね
前へ出なさいよとんでもない。これはねえ、先生
はい。あのー、聞いてくださいw
三遊亭圓楽:あんまり知らないんだよw
おい、1枚やってくれ。1枚あげてちょうだい
春風亭柳朝:あ、先生っていうのか
二度目からあげませんからね
校長先生
はいはいwいや、もうだめ。問題に入ってください師匠
三遊亭圓楽:早く答えなさいよ!
これはですね、あの新潟の生まれなんでございます。新潟の弟子になる時のこと聞いてください。はあー、佐渡、あんまり大きな声出すと表にいる人無料で聞いちゃうといけないんですよ
長所短所はどうなってるの?だめだ、座布団2枚取っちゃえ!
お餅を食べ過ぎて、太った女性とかけて
あ…
かけてって…
三遊亭圓歌:何でかけるんだよ!
相撲ですよ!なぞかけじゃなくて
と、それに対する…
対するって、おい座布団取っちゃえ!しょうがねえなあもう。何やってんだ、だめだ
三遊亭圓楽:ちょっと休みなさいよw
お獅子には三波伸介さんの顔。吹き出してお獅子の負け
全部取っちゃえ!全部外しなさいそこ!
私の師匠で…
いいから!ほんとに
じゃあ、誰かいませんか?スムーズなやつを
はい
あー、忘れちゃいけないのが手挙げたw
あー、めでたいなー、めでたいなー
あなたの頭がめでたいなー
あらめでたいなー、これ正調博多節だから
博多節じゃないですw
正調博多節って何だよw
あらめで、染之助さんよりうまい、あらめでたいなー
大丈夫なのかなー。ほんとに。師匠、三平さん、あのー、小噺一つやってくださいよ
もう大変なんですから。もう僕なんか昨日、2日の放送でしょ?
ええそうですよ
えー、昨日、まー自動車に乗ってたらうちの佐藤くんがバーッとぶつけちゃって、音がよかったですな
何ていう?
客:ガンターン!
あーっ!ガンタンって言おうと思っていたのに!
◇三遊亭圓遊(四代目)
小圓遊の師匠。幇間*28としても活動していた時期もある。
小圓遊の早世のショックから引退同然となり、1984年1月9日死去。
ねえ、小圓遊や
はい
(鏡餅の絵を手に)お前さんみたいにおかげさまでこう人気があってね、
林家三平:そんなことばかり言ってw
こう人気があるんだから、お金は私のように、えー、何だっけ?ちょいと後でやる。忘れちゃったよ
(全員ずっこける)
(中略)
今、忘れてたけどね
(全員ずっこける)
おい、1枚やってくれよw師匠、1枚来ました
絵がわからなくなっちゃったね
◇橘家圓蔵(八代目) 五代目・月の家圓鏡
早いといえば、圓鏡か新幹線か
1960年代から1980年代にかけて「ヨイショの圓鏡」の異名で、ラジオ番組や「エバラ焼肉のたれ」のCMで一時代を築いた。
頭の回転が速いことで知られ、バラエティではなぞかけを得意としていた。
兄弟子であった初代三平の「ヨシコさん」に対抗し妻・節子夫人をネタにした「うちのセツコが~」というフレーズで人気を博す。笑点でも時々演芸コーナーで顔を見せていた。
2010年に節子夫人を亡くしてからは高座出演を控えていたが、2015年10月7日死去。
亀蔵のいい所、僕がお風呂に入ってると背中をサーッと流してくれる、力いっぱい
春風亭昇太:ああいい弟子ですね。悪い所は?
悪い所は、一緒に入ると湯船まで壊しちゃう
春風亭昇太:何で立ってるんですか、圓蔵師匠、何立ってるんですか!
座布団…
春風亭昇太:あげないですよ。北陽くん、持ってって!何で欲しがるんですか、そんなもの。圓蔵師匠、座布団なくなったらますます見えにくくなりましたねw
◇春風亭柳朝(五代目)
彦六の弟子で木久扇の兄弟子。兄弟子2人が早々に廃業したため惣領弟子となった。
圓楽、談志、古今亭志ん朝とともに東京落語四天王と呼ばれた。
1979年の師弟大喜利は彦六(当時:正蔵)が旅行中のため木久蔵の師匠代理で、1981年の師弟大喜利は彦六もいたがレギュラーに木久蔵、九蔵と2人も同じ一門だったため九蔵の師匠役で出演。
弟子として後に笑点メンバーとなる一之輔の師匠・春風亭一朝や春風亭小朝達を育て上げた。
師匠彦六の死の同年暮れに脳梗塞に倒れ、重度の後遺症が残る。
9年に渡る闘病の末に1991年2月7日61歳で死去。
うちの舎弟の木久蔵は、
三遊亭圓楽:「舎弟」って、ヤクザじゃないんだからw
木久蔵はテレビで稼いでるのはいいんですよ。それで売れて大変ありがたいんだけどもね、落語が下手なのが欠点なのよ
◇古今亭志ん駒
朝次(のちの才賀)の兄弟子。
Wikipediaに師弟大喜利に出演経験があるとされるが、時期やなぜ朝次の師匠の古今亭志ん朝ではなく彼だったのかは不明。
2018年1月18日死去。
◇三遊亭洋楽
五代目圓楽の弟子。
1999年1月1日放送分の師弟大喜利のみの出演。
五代目圓楽から番組中に公開説教をうける羽目になる。
2006年から故郷の北海道函館市で政治家活動を始め、一門とは疎遠になる。
2017年12月28日に死去していた事が分かっているが、死因は不明。
◇立川志の輔
みどりの窓口の職員がなー、切符の入ってる箱を開けなかったんだ!!
談志の弟子。もしくは「ガッテン!」の人。
2024年4月から木久扇の後任としてメンバー入りした立川晴の輔の師匠。
真打に昇進した際には笑点の放送で談志も臨席した上で披露口上が行われた。
昇太とは同期の間柄の他、山田とは1992年~2011年に「ペヤングソースやきそば」のCMで共演していた。
最近では番組スポンサーである龍角散のCMでもおなじみ。
二つ目の時代からメディアへの露出も幅広く行なっていて、日テレでは『クイズ世界は SHOW by ショーバイ!!』で男性の吹き替えも含めたVTRナレーションを務めた。近年では「チケットの取れない落語家」の1人としても知られており、新作落語の「歓喜の歌」「大河への道」は映画・テレビドラマ化もされている。
2024年6月、落語立川流の一般社団法人化に伴い代表に就任。
◇立川志らく
談志の弟子。
兄弟子の志の輔や談春同様に近年は情報番組のコメンテーターを始め、本業以外でも幅広く活躍している。
現在の自宅は談志の自宅を改装したもの。
若い頃に自著内で『笑点』への批判をした結果バッシングを受けた事があったが、2022年、脳梗塞で療養中の6代目円楽のピンチヒッターとして5月15日と5月22日の2週、さらに円楽の死去後の2023年1月22日と1月29日にも出演し、代打・ゲストで出演した落語家達の中では出演回数最多となった。
なお、6代目円楽とは『プレバト!!』での共演経験もあることから親交があり、特に前述した笑点批判を行った後のあるエピソードから非常に恩義を感じていた事を明かしており、2022年9月30日に円楽の訃報を聞いた際には、「まだ恩返しもしていないのに」と嘆いていた。
2024年6月、志の輔の落語立川流代表就任の際に談春とともに副代表に就任。
◇春風亭小朝
「瞳をとじて」。……閉じるのは瞼でしょう!?
柳朝の2番弟子。
作家の花岡太郎氏を父に持ち、泰葉の元夫でもある。つまり三平と9代目正蔵にとっては元義兄で、こん平に代わって両者の襲名をバックアップした。
1980年に古今亭志ん朝と並び、史上最多の36人抜きで真打昇進。この頃から「オレたちひょうきん族」などのバラエティ番組に出演し人気を博す。
この実力から近代落語のみならず近代日本語の祖で現在止め名*29となっている別格の超大名跡「三遊亭圓朝」を、直系の子孫から襲名する話もあったが固辞している。
泰葉との離婚会見は今時結婚会見でもやらない金屏風をバックに実施し話題を呼び、泰葉が呼んだ「金髪豚野郎」の通称でも知られる。
弟子として若手大喜利メンバーの玉の輔、桃花らを輩出している。
2003年に昇太、9代目正蔵、志の輔、鶴瓶、柳家花緑とともに六人の会を結成。現在でも、演芸コーナーに出演し落語を披露している。
2021年7月11日、同年5月の骨折による療養で大喜利を休演した木久扇の助っ人として地上波大喜利に出演した。
さらに2022年2月20日には同年1月末の脳梗塞による療養で大喜利を休演した6代目円楽*30の助っ人として再び大喜利に出演。
五明楼玉の輔:師匠は競馬好きなんで伺いますが、喋る馬っているんですか?
僕もね、いないと思ってたんだけどね、(圓楽を見て)いたわw
春風亭昇太:はい、じゃあ、笑う馬(圓楽)に1枚w
落語ファンが望む3NO落語家です。稽古を怠らない、受けなくてもお客様のせいにしない、見込みのない息子に名前を継がせない
ちょっと!
あっ、いた? ごめんごめんw
師匠、なんか俺、当てはまってきました…
◇柳亭市馬(四代目)
5代目小さんの弟子で落語協会11代目会長。
美声の持ち主としても知られ、真打披露口上にゲスト出演した際にはたい平から振られて「俵星玄蕃」を歌い出したり、BSの特大号で放送された楽屋での映像では「東京五輪音頭」も歌った。
2022年3月20日放送分にて6代目円楽の代理を務めた際には、大喜利そっちのけで「今日は思いっきり歌います」と挨拶するほど。
◇瀧川鯉昇
昇太の兄弟子。元は8代目春風亭小柳枝の弟子だったが、小柳枝の引退に伴い大師匠の柳昇に引き取られる。
2022年8月14日放送分にて6代目円楽の代理を務めた。
◇桂文治(十一代目)
若手大喜利メンバーの3代目柳亭小痴楽の元師匠で、大喜利メンバーの宮治とは同じ一門。
2008年に当時桂ち太郎だった小痴楽の寝坊癖を見かねて破門。廃業を考えた彼に対し「お前を(5代目柳亭)痴楽さんから預かっていたんだから、親父さんの元に返すだけだ」と説得し落語家を続けさせた*31。
2022年11月13日・20日放送分にてゲスト出演。
◇桂伸治(三代目)
宮治の師匠。
2024年1月14日に放送された師弟ペア大喜利に出演。
宮治にはまだ弟子がいないため出演したものの、他のメンバーが連れて来た弟子・孫弟子と同じ並びに座る羽目になったため、「他は皆若手なのにあたしみたいなジジイがこの席に座っていいの?」と落ち着かない様子を見せ、宮治から突っ込まれていた。
◇春風亭㐂いち
一之輔の弟子で、現在は二ツ目。「喜いち」ではなくこれが正しい表記。これは一般的な漢字ではなく草書体を使っているから。
2024年1月14日に放送された師弟ペア大喜利に出演。かつては小林ユウキチの芸名で俳優をやっていたが、落語に興味を持ち2014年に弟子入り。
◇林家コタ
木久扇の孫で、二代目木久蔵の長男。まだ学生なので見習い。
[[◇TOKIO>TOKIO]]
言わずと知れた漁師・大工・農家の第一・第二次産業を得意とする国民的アイドル兼バンドグループ。
5人だった時代にお正月の「大笑点」などで共演を続けてきた。達也と長瀬の離脱以後はリーダーを除いて笑点から遠ざかっているが、音楽活動は実質ストップし第一・第二次産業に専念。城島を社長に会社を立ち上げている。
2014年9月28日放送では大喜利で対決し勝利した。
TOKIOの忘年会に行ってきました
どうなりました?
居酒屋建てるところから始まりました
◇長瀬智也
ヴォーカル兼リズムギター担当。
昇太とも共演したドラマ『タイガー&ドラゴン』で落語家を演じたことをきっかけに2006年の大笑点では6代目円楽の指導で「初天神」を披露、「芸度胸がある」と称賛された。
その後、2008年には昇太と二人落語で「ちりとてちん」を演じている。
元々俳優業において役にのめり込むなど高い才能があったがここでも活かされている。
なお、当時の木久蔵の名前の読みを「もくぞう」と思っていたようで、太一から「築何年だよ!」と突っ込まれている。
裏方への転身のため、2021年3月末でTOKIOを脱退した。
◇城島茂
リーダー・株式会社TOKIO社長兼リードギター担当
普段はしょーもないオヤジギャグで場を冷え込ますが、オヤジどころかジジババ多数の笑点では逆に大ウケ。
関西出身で、落語家ではないはずだが東西大喜利の西軍に加わっていることもあり、答えの上手さに加え、歌丸への禿ネタも使うなど「一人だけ向こう側」、「模範解答」と称された。
山田くんの座を狙っているとネタにされる。ここ数年は東西大喜利のメンバーとして出演するのではなく、お正月スペシャル内の演芸コーナーで芸人とのコラボネタを披露するのが恒例化しており、ネタの中でスペシャルの直後枠で放送される「THE 鉄腕DASH」元日スペシャルの告知を行うのがお馴染みの光景となっている。
◇松岡昌宏
ドラム担当兼株式会社TOKIO副社長(広報担当)
以前から時代劇ドラマに出演し、現在も必殺仕事人に出演している経験から後述するカンカラ、木久蔵と共にコントで登場。
宮本武蔵や石川五右衛門役で見事な殺陣を披露した。
たぶん、旧ジャニーズで唯一いやんばかん体操を踊り、木久蔵ラーメンと一緒に煮込まれた人。
円楽から5両で歌丸の暗殺を依頼されたが、歌丸の隙のなさに諦めざるを得なかった。
◇国分太一
キーボード担当兼株式会社TOKIO副社長(企画担当)
40周年スペシャルでは歌丸の一日弟子として師弟大喜利に出演。
「木久蔵ラーメンが歌丸で出汁を取ってる」と円楽がカミングアウトしたときはもう出汁出ねえよ!と鋭い反論をした。
2022年からは株式会社TOKIO-BA社長に就任。
◇山口達也
ベース担当。
「大笑点」では大相撲やスケートGPに出場したりと、スポーツマンの一面を見せた。
その一方で米を作り続けた農家としての自負もあり、「ご飯粒、一粒残らず食べましょう」と全国の子供に発信した。
2018年5月に不祥事を起こし、脱退。現在は3人とは別に会社を立ち上げ、2度目は逮捕までに至った不祥事をきっかけに分かったアルコール依存症の啓蒙とそれによって地に落ちた自身の経験を語る為、全国を周り講演活動を行っている。
◇演芸コーナーの常連
◇藤井恒久
チャラーン!
チャラーン!!
チャラーン!!!
チャラーン!!!!
藤井でーす!!!!!
こん平でーす!!!!!!
日本テレビ所属の元アナウンサー。現在は編成局宣伝部に所属。
アナウンサー時代はアナウンサー大喜利でほぼレギュラー。副音声を担当してることもある。
1993年入社以来、アナウンサー大喜利に出ていた同年代のアナウンサーが若手と交代して行く中で1人だけ残り続けており、
女子アナ大喜利と題した回でも藤井アナだけは出てくることがあるという謎の優遇。
近年は出番が減ったが、それでも20年くらい出演が続いていた。
アナウンサー大喜利で座布団運びを担当していたこん平と仲よくなり、
挨拶ではこん平と一緒に「チャラーン」をやって、回答でこん平をヨイショして座布団を貰うのがお決まりであった。
こん平が病気で降板後も挨拶では必ず「こん平師匠直伝」と銘打ち、
こん平の回復も祈りつつ「チャラーン」をやっていた。
アナウンサーとしては若い頃からバラエティや情報番組での登場が多く、ニュースを読むことは少ない。
アナウンサー大喜利ではこの、あまりニュースを読まない事情を逆手に取り、ニュースが読めない明るくて朗らかなおバカキャラとなっている。
入社時から終了まで担当し続けた「日テレの番組を宣伝する」番組「TVおじゃマンボウ」やプロ野球・K-1 JAPAN GPなどスポーツの実況も担当していたことがある。
2020年9月末でアナウンス部から編成局宣伝部に異動。「おじゃマンボウ」終了から16年を経て名実ともに「番組を宣伝する」仕事に就いた。よって、アナウンサー大喜利からも実質卒業となった。ちなみに宣伝部の社員になった後も番組改編会見で司会を務める時も第一声は「どうもー!!藤井でーす!!!!!」異動しても変わってないようで安心。
◇ケーシー高峰 旧名・大空はるか、坊られい
これをね、ドクタースランプって言うの。
本名は門脇貞夫。漫才コンビ「大空はるか・かなた」、ジャズ系司会者「坊られい」を経て1968年にケーシー高峰に改名。
芸名の由来は、海外ドラマ『ベン・ケーシー』と女優の高峰秀子氏から。
白衣姿でホワイトボードを用いて、難しい医学用語や(後述する持ちネタ以外の)流行語を織り交ぜつつも山形弁でエロ漫談を語るという「医事漫談」の創始者。
かつては「グラッチェ」「セニョリータ」など怪しげなスペイン語をはさむことがあり、これが流行語にもなった。
母方は実際に代々医者の家系で、母は生涯産婦人科医として働いていた。自身も日大医学部に入学したが、医師免許が取れず程なくして芸術学部へ転部。このことから医事漫談が生まれたと言われている。
2019年4月8日死去。
◇大木こだま・ひびき
んなこと言われたらアンタ、往生しまっせ~。
吉本興業に所属する正統派しゃべくり漫才を得意とする漫才コンビ。2000年代には持ちネタの「チッチキチー」が流行した。
2019年4月9日の「笑点火曜なつかし版(2010年7月11日放送分/2224回)」、翌4月10日の「笑点水曜なつかし版(2005年10月16日放送分/1988回)」、さらに翌4月11日「笑点特大号(2019年3月17日放送分/2654回)」と3日連続でBS版の笑点に出演するという珍しい記録を達成した。
◇おぼん・こぼん
漫才協会に所属する漫才コンビ。説の検証と見せかけて悪意ある演出を行う番組がきっかけで10年にわたって二人の仲が険悪な状態である事が周知されたが、紆余曲折の末2021年秋に晴れて和解した。
◇夢路いとし・喜味こいし
煮るもんより焼くもんがええなあ。
ほなら、ジンギスカンやってみ。
戦前から活躍する兄弟漫才コンビで、1970年代から2003年9月25日に兄のいとしが死去するまで演芸コーナーの常連だった。
関西弁を用いる上方漫才を代表する人物ではあるが、一家が旅芸人で住居を転々としているうちに生を受けたことから関東出身であるという珍しい生い立ち。
このため、吉本をはじめとする上方の芸人に粗暴で下品な芸風の者が多い中で「都会的な品の良さ」が見られるのも特徴だろう。
「ハンバーガーショップ」「湾岸戦争」「ポケベル」など放送当時の時事ネタを主題としつつも、あくまで自身の年齢に合わせたネタを披露した。
弟のこいしも2011年1月23日に死去。
最近では又吉直樹の小説「火花」の一説に二人の漫才を盗作した疑惑が浮上し話題となった。その後映像化に際して漫才の映像をそのまま流用するという吉本ならではの荒業を使って解決している。
◇江戸家猫八(四代目) 初代・江戸家小猫
蛙の子は蛙などと申しますが…
落語協会所属のものまね芸人。祖父は二代目、父は三代目猫八。妹は江戸家まねき猫。
ウグイスなど動物の鳴きまねの名手や、1994年~1999年までいっ平(現・三平)とともに「ゲーム王国」の司会を務めたことで知られる。
2009年に4代目猫八を襲名したが、2016年3月21日進行性胃ガンにより死去。
死去の13日前に長男の2代目小猫(現・五代目江戸家猫八)とともに出演した「徹子の部屋」が最後のテレビ出演となる。
◇海老一染之助・染太郎
おめでとうございま~す!!いつもより豪快に回しております!!
1980年代~1990年代にかけて演芸コーナーにちょくちょく出演していた兄弟曲芸師。
2000年頃には演芸コーナー最多出演のゲストとなっていた。
傘の上で毬や急須を回す芸や、「おめでとうございま~す」の名文句をご存知の方も多いだろう。
2002年2月2日に兄の染太郎が70歳の誕生日の翌日に胃ガンにより急逝、以降は染之助がソロorヨネスケを相棒に80歳を過ぎてからも糖尿病と闘いながら全国を飛び回っていたが、2017年12月6日に死去。
◇牧伸二
1970年代~1990年代に多々出演していたウクレレ漫談師。演芸コーナーでは2番目に出演回数が多い。
ウクレレの弾き語りで主に自虐ネタや当時の政治の風刺や当時流行していた出来事などを歌い、最後にオチをつける。この芸風は現在、ぴろきに受け継がれている。
2013年4月29日自殺。亡くなる一ヶ月前には茨城の筑波学院大学で行われたイベントに参加していた。
◇綾小路きみまろ
昔は男に襲われたこともありました…あーれーかーらー40年!!今襲われるのは息切れ・眩暈・動悸
芸暦は長いが、注目を集めるようになったのは2000年代辺りから。
長髪のカツラに赤の燕尾服で高齢化社会や倦怠期夫婦をネタにした漫談で50代~90代のファンから人気を博す。
「ジジイババアの養殖場」「中高年予備軍」など毒舌が多いが、最後は「一言多かったことをお詫び申し上げます」でネタを締めるのがお約束。
◇堺すすむ
ギターを弾き、フラメンコを演奏しながら謎かけの要領でクイズを出し、答えを言った後観客に理由を問いかけ
とんちが利いた答えを発するという「なんでかフラメンコ」が人気。
実は現在たい平がしている森進一のモノマネを最初に行った人だったりする。
他局の『うたばん』では西川貴教の顔が似ていることをしょっちゅうネタにされており、西川登場時に必ずセットでゲスト出演していた。
◇ナポレオンズ(ボナ植木&パルト小石)
新年あけまして、以下同文です。
1987年に初出演して以降、演芸コーナー最多出演を誇った大学同期生マジシャンコンビ。
ボナ植木が黙々と鮮やかなマジックを披露して、それをパルト小石が軽妙なトークで盛り上げるコメディマジックがウリ。
男性2人組マジシャンとしても2人組コメディマジシャンとしても日本のマジック業界では先駆者的存在。
2012年に還暦を迎え、40年以上を二人三脚で歩んだベテランのマジシャンである。
35歳と比較的若いうちに初登場してそこから演芸コーナーの常連になったので、衰え行く大御所らを抜いて出演回数トップになった。
小石が円筒状の小道具を被り、植木がそれを回すという「あったまぐるぐる」が有名。
空中浮遊のマジック(?)をする際は、「師匠初代引田天功が教えてくれた唯一の手品」という口上で始める。
植木はマジックのレパートリーが多くレベルも高いが、ナポレオンズとしては面白さ優先でショーを行うため、その実力を垣間見る機会は少ない。
ちなみに引田天功に師事したのは事実だが、空中浮遊を教えてくれたのはアメリカで出会ったとある胡散臭い大道芸人のオッサンらしい。
「金を払えばタネを教えてやる」と言われ、金を払ってタネを教えて貰ったらしい。
植木の実子・啓太は落語家で好楽の弟子の三遊亭好の助として活躍。
小石が2019年に白血病で入院以降はコンビで活動できなくなったため演芸コーナーには出演しなくなり、その後小石は2021年10月に死去。以降は植木がピンで活動している。
出演回数トップということもあり、笑点でも後日番組冒頭にダイジェストという形で小石の追悼特集が組まれた。
◇マギー司郎
あのね、縦縞がね、横縞になるのよ。
6代目円楽がよくモノマネするマジシャン。
「縦縞のハンカチを横縞にする」「麦茶を烏龍茶にする」などと先にネタばらしをして、
インチキ手品を行うも最終的には正統派マジックに戻るという芸風が人気。
一門を築いて弟子を14人育成しており、この中で一番弟子の隆司と三番弟子の審司がマジシャンとして大成している。
マジシャン業界自体が狭き門なのだが、それでも2人が育っただけでも凄いことであり、うち1人に自身の独特な芸風をキッチリ継承させているのは師匠として有能と言えるかもしれない。
テレビ界では最も有名な弟子である「耳がでっかくなっちゃった!」でお馴染みのマギー審司とともに舞台に上がって2人でマジックを披露したり、若手の弟子をアシスタントに伴うこともある。
◇東京コミックショウ ショパン猪狩
レッドスネーク、カモン!!
イエロースネーク、カモン!!
グリーンスネーク、カモン!!
1980年代~1990年代にかけて演芸コーナーに出演。
インド人(書籍などによってはアラブ人)のような衣装で上記のセリフを口にしつつ笛を吹き、3つある壷からヘビのぬいぐるみを登場させる「三蛇調教」で人気を博す。
1957年、鯉口潤一と「東京コミックブラザーズ」を結成。後に鯉口が脱退し、笑点に出演する頃には妻・千重子夫人と舞台を務めることが多くなった。
2005年11月13日死去。
◇テツandトモ(中本哲也&石沢知之)
「なんでだろう~」のリズムに乗せて日常のあるあるに突っ込む歌ネタを得意とする。
赤いジャージと面長な容姿が特徴のテツは会場を縦横無尽に動き回り顎にいろんなものを載せる芸を披露し、青いジャージと高い歌唱力がトレードマークのトモは弾き語りとボケを担当する。
2002年のM-1グランプリファイナルに出場し、1stステージで敗退するが、審査員であった立川談志から良い意味で、
「お前らは此処に出てくる奴じゃない」と評された。翌年には「なんでだろう?」で流行語大賞を受賞。以降は一発屋扱いを受けがちだが、ブームが去った後にネタが安定して万人ウケしやすいということがわかり、「偉大なるマンネリ」と評されるように。以降テレビの仕事は笑点を始めとする演芸番組や子供向け番組を中心にしている。一方の地方公演では呼んでくれた土地の情報を調べ上げて、そのステージ限定のご当地「なんでだろう」を披露する。それ故に評判が良くて色んな所から引っ張りだこなため、現在は笑点に年一度のペースで出演し、あとは地方公演でスケジュールがいっぱいになるほどである。
テツに顔が似ている円楽が混ざったこともある。
◇カンカラ(入山学・杉林功・石田武)
これは黒子じゃない、影だ!!
欽ちゃん劇団出身の3人によるお笑いグループ。
大江戸温泉物語など関東を中心に活動している。
笑点では水戸黄門のパロディコント等で木久扇と共演することが多い。
かつては鈴樹志保と松井天斗がいたが、2007年に脱退している(ただし鈴樹、松井ともに俳優としての活動は継続中)。
◇ナイツ(塙宣之&土屋伸之)
インターネットのヤホーで調べたんですけど…
創価大学落語研究部出身の2人によるお笑いコンビ。2021年現在ではラジオ在京2局で週6日・3本のワイド番組に出演している人気者(うち1本は帯での出演)。そのうちの1本は昇太も出演する「ラジオビバリー昼ズ」である。
女流漫才師で漫才協会元名誉会長の内海桂子の弟子。その漫才協会では2024年現在、塙が会長、土屋が常任理事である。
また、落語芸術協会にも所属しており小遊三一門に所属している。
塙がインターネットで調べたという設定でいろいろな人物や流行を発表するが、
ところどころ言い間違えて土屋からの訂正が入るという内容の漫才が人気を博す。
M-1でも2008年大会から3年連続で最終決戦まで進んでおり、2018年大会からは優勝経験こそないながらM-1と漫才にかける熱意が認められた塙が審査員を務めている。
塙の実兄は「佐賀県」が大ヒットしたはなわ。土屋の実母は元演歌歌手の津島明希。
お正月スペシャルでは桂歌丸や城島茂と共演したこともある。
◇ぴろき
頭のてっぺんを噴水のように結んだ、丸眼鏡に大きい蝶ネクタイにだぶだぶズボンという特徴的な風貌のウクレレ漫談家*32。自虐ネタが多い。近年の演芸コーナーでは出演回数が増えてきている。
◇くまモン
おなじみ熊本県のゆるキャラ。笑点の熊本ロケにたびたび登場。
ある時は山田君と一緒に座布団や大喜利の小道具を運び、そのまたある時はカンカラの時代劇コントに飛び入り参加した。
◇泉ピン子
「渡る世間は鬼ばかり」等の橋田壽賀子作品や2時間ドラマでおなじみのベテラン女優。
…というイメージが強いが、もともとは前述の牧伸二の弟子であり、歌謡漫談家として芸能界入り。
その後同局の「ウィークエンダー」のレポーターとして人気を博し、1980年代から女優として活動するようになった。
笑点では漫談家時代に演芸コーナーへの出演経験があるほか、平成期以降は正月の振袖大喜利で好楽とコンビを組んで出演し、楽太郎(→6代目円楽)とコンビを組んだ山田花子と罵倒合戦を繰り広げるのがお約束となっていた。
他にもドラマスペシャル「桂歌丸」に歌丸の祖母・タネ役で出演している。
◇綾瀬はるか
ホリプロスカウトキャラバン出身の国民的人気女優。
2017年以降、笑点メンバーの正月大喜利では最早恒例となったゲスト司会。
女優としては実力派だが素顔は天然気味であり、毎回のようにグダグダな司会進行や干支に扮するなどでお茶の間に暖かい笑いを届ける。
マイペースながらも1人で司会進行を行なっているので、なんやかんやで笑点の舞台には慣れている。座布団をあげてばっかりで1枚も取ろうとしないのはご愛嬌。
2020年正月の放送では落語「たらちね」を披露。指導にあたった木久扇も絶賛するほどの腕前を見せた。なお、笑点地上波での落語はこの企画を最後に3年以上も放送されなかった。
◇チコちゃん
NHK系列の人気番組『チコちゃんに叱られる!』のマスコット、永遠の5歳。
2023年3月12日放送回にて、スペシャルゲストで登場。
お約束の「ボーっと生きてんじゃねーよ!」も披露した。流石にコレを披露する時以外の顔はCGでは無かった。
では、Wiki篭りさんが追記・修正したところでそろそろ本項終了のお時間が来たようです。また来週お目にかかりましょう。どうもありがとうございました。
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▷ コメント欄
- うがあああ、7月3日の、圓楽さんが制裁くらう回、見逃したああああOTL -- 名無しさん (2016-07-12 19:05:22)
- ↑ BSは映るか?映るのなら水曜日21時から笑点特大号やってるから見るといい。ディレクターズカット版だからカットされてるのも見れる。2周間遅れだから明日は丁度その回のはずだな -- 名無しさん (2016-07-12 21:03:50)
- 演芸コーナー出演者を大喜利出演者の枠で括るのはあんまりだよ。項目名なんとかならない? -- 名無しさん (2016-07-12 21:52:43)
- 現役メンバーは元の項目に残すべきでは。 -- 名無しさん (2016-07-13 03:54:43)
- 今の大喜利メンバーは親記事で簡単に説明して詳しくはこちらみたいにすれば良いんじゃね?旧メンバーだけこっちに載せても親記事の肥大化は止まらないし。 -- 名無しさん (2016-07-13 15:49:51)
- ↑4 そうだったのか! それもまた見逃したああああOTL -- 名無しさん (2016-07-15 20:46:36)
- ↑すまん、見てたが間違えてた。どうやら来週7/20に放送のようだ。お詫びに座布団全没収&羽織も脱ぎます・・・ -- 名無しさん (2016-07-17 20:33:41)
- ゲストで上方のよく出る人の追加はどうでしょう -- 名無しさん (2016-07-19 17:23:16)
- 演芸はマギー司郎のイメージが強い -- 名無しさん (2016-07-23 19:52:46)
- 交通安全の守護神亡くなってたのか…ショックだわ -- 名無しさん (2016-08-04 15:46:35)
- 林家正蔵関係じゃないの昇太もじゃない? -- 名無しさん (2016-08-11 20:56:23)
- 小遊三の下ネタは半ケツ、座薬、今朝固め(のウンコ)が出た、そっちは女風呂だよなどこれぐらいならまだしもストリップだのセックスを連想させるネタなんかはこのご時世でメシ時に小学生もけっこう見てるのによくやれるなと感心するレベル -- 名無しさん (2016-08-23 06:50:52)
- そういえば一時期山田君の挨拶がカットされてたけどあれ何でだったんだろ? -- 名無しさん (2016-08-25 21:56:52)
- 挨拶どころが一か月程存在がカットされた時期があったね山田 -- 名無しさん (2016-09-02 19:09:07)
- 昨日のツッコミ もう反映してるのかw仕事はえーよ 乙 -- 名無しさん (2016-09-12 11:51:21)
- ようつべで見たけど、木久ちゃんが合いの手を挟ませないのって答えを先に言われることへのある意味予防線? -- 名無しさん (2016-10-05 17:29:35)
- 演芸出演者のところはナイツを忘れとったらいかんでしょう -- 名無しさん (2016-11-06 17:18:27)
- 「もう笑点」は今もやってるの? -- 名無しさん (2016-11-11 01:25:07)
- 「もう笑点」は一部地方じゃやってない。しかし増えたなwこの調子で上方の人たちも追加よろ -- 名無しさん (2016-11-16 18:06:15)
- これを最後まで読んだら笑点博士になれるくらい増えてきたなww -- 名無しさん (2016-11-17 16:26:52)
- ↑いいじゃん、まだまだネタはあるだろうからwww -- 名無しさん (2016-11-17 19:46:37)
- ちびまる子の作者・さくらももこは漫画家時代の木久扇師匠に弟子入りしようとしたことがあるそうな -- (2016-11-19 09:47:17)
- ジェノサイドは三波伸介が司会の時代からあったそうな -- 名無しさん (2016-11-22 07:21:42)
- 歴代司会者や回答者は現役とページ分けたらどうかな? -- 名無しさん (2016-11-22 15:55:07)
- 名言が次々と増えてきたなwwしかも貴重な三波伸介司会時代までw -- 名無しさん (2016-11-22 21:34:00)
- 日だの車輪には歌丸師匠のお顔←左じゃないですか? -- 名無しさん (2016-11-23 01:39:01)
- ページ更新乙。各出演者の名言集も面白いです。 -- 名無しさん (2016-12-12 13:16:56)
- この調子で演芸コーナーに多数出演している玉川カルテットやオール阪神巨人の追加もよろしく -- 名無しさん (2016-12-12 16:22:52)
- 総合相談所のほうで項目名の()はいらないのではって話が出てたよ -- 名無しさん (2016-12-17 22:48:48)
- STVで活躍しているようへい氏とは兄弟弟子らしい。あるラジオで、たいへい師匠から暖かい言葉を贈られたときには、ようへい氏感極まってた。 -- 名無しさん (2017-01-31 08:52:09)
- 昇太や歌丸の回答開こうとすると出演者の情報が閉じられてしまいます。修正お願いします。 -- 名無しさん (2017-02-11 08:39:26)
- まだ重いな…歌丸しb…師匠を独立させます -- 名無しさん (2017-04-02 21:12:01)
- テツトモには笑点のテーマにのせての顔芸も書いておいてほしいな -- 名無しさん (2017-04-03 17:08:43)
- 桂三四郎とヒロシといつもここからについて書きたいけど、この状況じゃまだ無理かな。 -- 名無しさん (2017-04-14 21:35:44)
- 圓生、彦六、先代三平、圓歌、先代小さんも独立項目建てた方がいいな。 -- 名無しさん (2017-04-29 20:05:01)
- 各流派のトップが集まっているという意味では、デルザー軍団と言っていい -- 名無しさん (2017-08-16 16:32:56)
- 昇太:芸協理事→会長 小遊三:芸協副会長・会長代行→参事、木久扇:落協相談役、好楽:五代目円楽一門会会長、6代目円楽:五代目円楽一門会幹事長、たい平:落協理事 とみんな偉い、三平だけだねなんもないの -- 名無しさん (2018-08-14 18:53:59)
- メンバーの三平いじりは、ちゃんと、三平の了承済み、後でフォロー前提でやってるのか気になるな。もしそうでなければ、三平がかわいそうだし、マスコミで問題になりそうな案件だし汗 相撲やらアメフトとかでそういった問題は事欠かないし; -- 名無しさん (2018-12-23 18:19:41)
- 今日の見たけど三平、4年前からまるで成長していない……。 -- 名無しさん (2019-11-03 18:40:03)
- 若手大喜利の出演者を若手大喜利の記事を作って独立させようかしら -- 名無しさん (2019-11-04 00:13:34)
- こん平師匠……復帰叶わずか…… -- 名無しさん (2020-12-21 18:57:07)
- いつもdボタンで座布団0枚の三平ェ… -- 名無しさん (2021-04-25 18:53:11)
- ゲストって毎年必ず出る枠か、ならオール阪神&巨人もだな 50周年記念本にもコメントあった -- 名無しさん (2021-07-11 21:41:33)
- 1週間経ってない情報は、記事に反映してはいけないのでは? -- 名無しさん (2021-12-27 18:59:44)
- ↑主にアニメとかドラマのネタバレを想定した内容なので該当するかどうかは意見が分かれるかも。少なくとも1週間以内の追加を推奨とまでは言えないと思うけどね。 -- 名無しさん (2022-01-26 22:53:57)
- メンバーの色にかつての歌丸師匠を思い起こさせる若竹色を選んでもらってる辺り、期待されてる…と言えるのかな宮治師匠は -- 名無しさん (2022-02-15 01:51:22)
- 桂三四郎は若手大喜利の出演歴があったのでそちらに移動しました -- 名無しさん (2023-02-19 20:30:44)
- 春風亭一之輔師匠とキュアバタフライ…個別記事が先にできるのはどっちだ!? -- 名無しさん (2023-06-15 19:12:07)
- 東西大喜利で「(出てくるなら)鶴瓶師匠が良かった」ってネタあったけど裏番組の都合で無理なのか -- 名無しさん (2024-01-08 20:33:53)
- 木久扇師匠、55年間お疲れ様でした… -- 名無しさん (2024-03-31 19:18:22)
- 鳥の子色薄くて読めねぇw -- 名無しさん (2024-04-14 18:49:03)
- 歌詞凍結だけは何としても防ぎたいが…歌系回答をどうするかで悩む。 -- 名無しさん (2024-05-28 21:47:30)
- 米丸師匠まで…… -- 名無しさん (2024-08-05 13:03:24)
- ここで紹介されてる方々も半数以上が鬼籍に入られたなぁ…それだけ歴史ある番組なんだなと思わせる -- 名無しさん (2024-10-18 21:45:35)
#comment
*2 なお、司会者就任後のオープニングでの登場順は歴代の司会者とは異なり、最初に紹介されていない(2024年4月現在は、好楽→小遊三→昇太…の順番で紹介されている)。
*3 他、自称キムタク似(笑)、反町隆史似(笑)、ヨン様似(笑)、福山雅治似(笑)etc、最近ではアランドロン。
*4 2005年1月から2019年6月まで落語芸術協会の副会長を務めたため。
*5 メンバー入りする前の集英社の企画で宮治と対談した際に当人が語った話によると、どうやら後述のキャラクター性が若手の頃から垣間見えていたせいか、当時の番組司会の歌丸からは不貞腐れているように見えてしまったせいでNGが出てしまい、若手大喜利に呼ばれなくなってしまったとのこと。
*6 正確には、談志が司会を務めていたのは落語協会時代であるため、立川流創設後に入門した落語家の出演は史上初となる。
*7 先代会長の歌丸が抜かれる人の立場を思いやり、在任中は抜擢による昇進を認めなかったという事情もある。
*8 元大喜利メンバーの林家こん平の弟子の1人。あんこ自身は林家時蔵の娘でもある。
*9 沖縄が入っていないのは、当時アメリカ領だったため。
*10 例題:「飲酒運転は何故いけないか?」→「轢いた時に充実感がねぇから」
*11 当時林家九蔵名義で出演していた三遊亭好楽は落語家への対抗意識から、舞台上で敢えて豪快なキャラクターとして振舞っていたのではないかと後に考察している。
*12 亡くなった1982年の4月には自身が司会を務めていた「お笑いオンステージ」を終了させている。
*13 この年に1人目の師匠・彦六も亡くしている九蔵(後の好楽)が終始かなり落ち込んだ様子で話して他のメンバーに励まされている様子も見られた。
*14 現在では当然違法だが、当時は疲労回復剤として普通に市販されており、特に芸能人は愛用者が多かったとされる。
*15 ただし死去直前の時期にあたる「リモート大喜利」初期の放送で記念の年ごとに番組を振り返る企画を行った際は、「降板」と説明されていた。
*16 閉店後も建物は現存し、ビックカメラとユニクロの複合店舗「ビックロ」になったのち、ユニクロ撤退後の現在はビックカメラのみが営業している
*17 例としては新宿末廣亭での6代目円楽の襲名披露口上の際に同席していた桂歌春を「キム・イルヨン」、小遊三を「モロゾフ・スコロビッチ」と呼んでいた。
*18 この放送回では円楽へのエールをこめて米助以外の大喜利メンバーと山田くんも全員紫色の着物で大喜利を行っている。
*19 司会者に続いてゲストの紹介パートを数秒映した後、歌丸の紹介に移る。
*20 なお、その鶴瓶だがかつては落語よりもタレント活動の方に重きを置いていたこと、さらに新世紀になり無学を建てたりと落語にも本格的に取り組むようになったらなったで「日曜日のそれ」というラジオ番組が笑点の裏時間帯に始まり、以来現在まで20年以上も担当し続けていることなどもあってか、笑点への出演経験はない。しかし、後述の「六人の会」に昇太などと参加している他、好楽を自分の番組にゲストで招いたり、逆に六代目円楽の「博多天神落語まつり」に招かれたりしているため、決してメンバーとの仲が悪い訳では無い。
*21 普通、生放送は予定の内容だけ書くのが通例で、似たような例としてはシンガーソングライターの泉谷しげるが出演する際の「泉谷乱入」がある。
*22 主に2020年から4期連続でプロ野球のオフシーズン(10月〜3月)にナイター中継枠の番組として放送中。シーズン中もナイター中継がない日に特番が組まれる事がある。
*23 鶴光の弟子達の多くは落語芸術協会に所属している。
*24 3代目が1917年に死去してからは空き名跡
*25 大喜利メンバーの木久扇の一門(彦六一門)やたい平の一門(根岸の林家一門)など
*26 分裂騒動の最中だったため、落語協会関係者は殆ど弔問に訪れなかった。
*27 大正生まれは他に弟弟子の柳家金三がいるが、彼は会費を払って芸協に名前を残しているだけで2011年を最後に姿を見せていない。
*28 お座敷や酒席で芸者さんや舞妓さんを補助して踊り等で場を盛り上げる職業。落語にもしばしば登場し、「男芸者」とも呼ばれる事がある。
*29 永久欠番のようなものと思われがちだが、落語界での本来の意味は亭号における最高位の高座名であり、三遊亭、なら圓生が該当する。
*30 同じ1970年に入門した同期の間柄で、前座〜二ツ目時代は同じ落語協会所属だった事もあり晩年まで非常に仲が良かった。
*31 この経緯もあって現在でも小痴楽との仲は大変良好であり、落語会での共演も多い。
*32 当初はギタレレという楽器を使用していたが、重いのか知名度が低いのか2016年からウクレレに変更。
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