紀州鉄道

ページ名:紀州鉄道

登録日: 2013/10/27(日) 22:06:49
更新日:2023/12/04 Mon 13:41:46NEW!
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 紀州鉄道は、日本各地でのホテルやリゾート業の経営や、和歌山県での鉄道路線の営業を行う会社である。
 本社は東京都にある。


◆歴史

 1931年に開業、1934年に全線が開通したこの路線は、かつて「御坊臨港鉄道」と言う会社が所有していた。紀勢本線の御坊駅から離れていた御坊市(かつては御坊町)の中心部までのアクセス路線の役割を担うべく誕生したと言う。紀州鉄道となった現在も「臨港」と云う名で呼ぶ人も多いとか。


 水害で大被害を受けた事もあったが何とか復旧し、貨物用の専用線も開通して戦後は旅客・貨物共々賑わいを見せた。だが、60年代に入り、日本が車社会に突入すると乗客は減少、貨物の輸送量も減ってしまい、廃止の危機に瀕してしまった。
 しかし、幸いにもこの路線は何とか生き残り、1973年に御坊臨海鉄道は磐梯電鉄不動産の買収を受け「紀州鉄道」と名を改め、現在も地域の足として活躍している。


 なぜ、不動産会社が鉄道を買収したのか。磐梯電鉄不動産は、経営破綻で倒産した磐梯急行電鉄の旧経営陣の会社だが、目的はあくまでも不動産での商売であった。
 阪急電鉄系列の阪急不動産、東急電鉄系列の東急不動産をはじめ、鉄道会社は沿線開発の一環として不動産業を手がけ、沿線外にも商売の手を広げている会社が多い。そこで、「鉄道会社の不動産会社」には、ある種の信用が生まれていた。この信用を利用するために、「不動産経営のために鉄道会社を買収」する、逆転の発想が生まれた。
 1979年に鶴屋産業傘下となり、現在では会員制リゾートホテルを中心とした不動産業が、主な収入源となっている。鉄道部門の赤字は、広告料として割り切っている状態である。


 とは言えやはり鉄道収入の減少は無視できないようで、貨物列車は1980年代で廃止され、路線も1989年に西御坊駅~日高川駅間が廃止されている。


◆路線

 紀勢本線の御坊駅から西御坊駅まで向かう非電化路線。現在も御坊市内のアクセス路線であり、田園地帯から住宅スレスレの所まで様々な車窓を楽しむ事が出来る。
 前述の通り、かつては西御坊駅の先にある日高川駅まで走っていたが1989年に廃止された。ただし一応の復活の見込みはあるようで線路はほぼそのまま残されている。


 廃止以後現在まで総延長は2.7kmと非常に短く、かつては「日本で一番路線の短い鉄道会社」の異名も持っていた。だが2002年に開業した千葉県の芝山鉄道にその記録を抜かれてしまい、現在は日本で二番目になってしまっている。しかし、芝山鉄道の場合、京成電鉄という大規模な路線の実質的な延長路線であり、途中駅も存在しない。また路線の延長も計画されており、近い将来再び紀州鉄道が「日本一のミニ私鉄」に返り咲く可能性は十分にある。
 ちなみに、これはあくまで普通の鉄道の記録であり、ケーブルカーなども含めると日本最短は1kmにも満たない路線延長の鞍馬山のケーブルカーだとか。


 なお、御坊駅の次の駅の名前は「学門駅」と言い、名前にあやかった記念乗車券やグッズも発売されている。ちなみに名前の由来は近くに高校や中学校があるからだとか。


◆車両

 現在の在籍車両は3両しかなく、日本の鉄道会社では最も少ない数字である。


・キテツ1形(キテツ1、キテツ2)
 バスそっくりの小さな車体を持つレールバス。かつて兵庫県の「北条鉄道」で活躍していた車両であり、2000年と2009年にやってきた。
 形式名の「キテツ」は「紀州鉄道」の略である。
 キテツ1は老朽化のために運用を外れ、2017年に有田川町鉄道公園へ譲渡。キテツ2も老朽化を理由に同年に営業運用から退いた。


・KR301
 2015年10月に信楽高原鐵道で廃車となったSKR300形SKR301号車を譲り受け、キテツ1の後継車として2016年1月より運行を開始。当初外観は信楽高原鐵道時代に描かれていた信楽焼の狸のイラストを宮子姫のイラストに変更しただけであったが、2019年に緑とクリームのツートンカラーへ塗り替えられた。


・KR205
 2017年2月にこれまた信楽高原鐵道で廃車となったSKR200形SKR205号車を譲り受け、4月より運行を開始。2021年に塗装を信楽高原鐵道時代の白地に緑の帯から赤とクリームのツートンカラーへ塗り替えた。


・キハ600形(キハ603、キハ604)
 かつて大分県に存在していたローカル私鉄「大分交通」が廃止となった事で紀州鉄道にやってきた気動車。
 1960年に製造された後、40年以上も一線で活躍し続けたベテランだったが、冷房がついていない事や老朽化が進んだ事で、キテツ1形とバトンタッチする形で引退した。末期のキハ604はキハ603の部品確保用という扱いで、2010年12月に解体。キハ603は2012年6月に廃車となったが、2017年11月に紀伊御坊駅近くに保存された。


・キハ600形(キハ605)
 同じキハ600形だが全然関係なく、こちらは廃止された「岡山臨港鉄道」からやってきた小型気動車。
 予備の車両として導入され、色々な改造も行われたのだが、いざ走ってみると振動が凄まじく大きい事が判明し、予備車どころか完全に放置プレイという状態になってしまった。その後10年以上に渡って車庫の隅で倉庫にされてしまったが、2000年に各地の鉄道車両の保存運動に携わる『ふるさと鉄道保存協会』に譲渡された。現在も、紀州鉄道と同じ和歌山県にある「有田川町鉄道公園」でその姿を見る事が出来る。



 このように非常に散々な扱いを受けたキハ605だが、それ以前の車両も色々とアバウトな扱いを受けていたようで……


  • 車体に間違えて「108」と書かれてしまうも最後まで直されないままだった「キハ103
  • 形式名は「キハ41000形」、車号は「キハ40801」なのに車体表記は「キハニ40801
  • 社紋まで入れられたのに放置プレイのまま解体された「キハ202

 ……とグダグダな事態がよく発生していたと言う。


 他にも、貨物営業を行っていた頃はディーゼル機関車も在籍していた。



 追記・修正お願いします。



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 ……もうちょっとだけ続くんじゃ。



◆『紀州鉄道』誕生の秘密


 冒頭の文章で察知した方はいるかもしれないが、現在、紀州鉄道のメインとなっているのは鉄道業では無く「不動産業」である。
軽井沢や伊豆などの観光地や大阪市内など各地にホテルを有している他、ゴルフ場やスキー場を利用した会員制のリゾート事業も幅広く展開している。公式ホームページを見ても、前面に押し出されているのは全国に展開しているホテルやリゾート業であり、この項目で取り上げている鉄道事業に関しては右側の小さなスペースのみにある状況だ。
 つまり、『鉄道』と言う会社名は建前、鉄道路線は完全におまけと言った様相なのである。


 これは一体どういう事なのだろうか。その真実を探るには、1973年まで遡る必要がある。




 前述の「歴史」欄でも述べた通り、紀州鉄道の路線は元々『御坊臨港鉄道』と言う鉄道会社であった。水害や戦争にもめげず地域の足として活躍していたこの会社でも、60年代以降から始まったモータリーゼーション、つまり自家用車の急速な進歩には勝てず、赤字がどんどん貯まっていき、とうとう廃止の議論まで巻き起こるほどになってしまった。


 だが、そんな瀬戸際に置かれた鉄道を狙う、怪しい存在が蠢いていた。実業家「薬師寺一馬」率いる『磐梯電鉄不動産』と言う名の不動産会社である。



 名前からも推測できるかもしれないが、磐梯電鉄不動産の経営陣たちは、かつて『磐梯急行電鉄』と言う名前の路線を所有していた事があった。一見すると格好いい名前だが、実体は福島県の山の中、磐越西線川桁駅から沼尻駅までをガタゴトと走るローカル私鉄であり、電車はおろか電化すらしていなかった。おまけに軌間762mmの軽便鉄道というありさま。そして、この鉄道もまた赤字に追い込まれていた。近くにあった硫黄鉱山が潰れ、収入源となっていた硫黄輸送が無くなってしまったからである。
 そんな今にも消えそうな鉄道の経営権が「薬師寺一馬」らによって掌握されたのは1960年代中ほど。彼はこの鉄道を「観光路線」へと変え、沿線に牧場やスキー場、別荘など様々な開発を行う事を計画したのである。そして、小さなローカル私鉄も近代化させ、電車がじゃんじゃん走る大型路線へと変貌させる事を宣言した。もとは日本硫黄沼尻鉄道という名前だったのを『磐梯急行電鉄』と言う大それた名前も、これが由来である。一応、信号システムは当時の地方私鉄としては破格のCTCを導入していたのだが。


 ……だが、はっきり言うとその計画は「無謀」極まりないものだった。当然だろう、赤字で悩んでいる会社がいきなりこんな物凄い大掛かりなプロジェクトなど出来る訳が無い。当然、資金も銀行や福島県から融資してもらったり土地を売ったりする完全な自転車操業状態であった。
 しかも、彼らはそれだけに留まらなかった。沢山の利益が出る!と大風呂敷を広げるわ、赤字路線にも関わらず株主に多額の配当を渡すわ、やりたい放題の限りをつくした。その甲斐もあってか次々に会社の株は買われ、薬師寺らの懐はどんどん暖かくなっていった……




 もうお分かりだろう。こいつらは赤字の鉄道会社を救うために買収したのではなく、金儲けのために利用しただけだったのだ。完全に『詐欺師』と言っても過言ではない状況である。


 程良く金が溜まった所で薬師寺らは会社を倒産させ、従業員たちが途方に暮れる中、この小さな鉄道路線は突如として消えていった。当然スキャンダルもあったりしたが、福島に残された人々が苦労を強いられるのを尻目に、彼らは『磐梯電鉄不動産』と言う名の不動産会社を築き上げた。そして、次なる金儲けのターゲットに選ばれたのが、この『御坊臨港鉄道』だった。鉄道会社の一部門という形をとれば、不動産会社としての信頼度は格段に上がり、抜群のネームバリューを得る事が出来るからである。



 こうして1973年、磐梯電鉄不動産に買収された御坊臨港鉄道は、新たに『紀州鉄道』と言う名前に生まれ変わった。そして、そのまま会社は「不動産業」をメインとし、鉄道路線はその「看板」と言う形になったのである……。



 ……ただ、このとんでもない「災い」は、紀州鉄道の路線に対しては「福」に転じた。



 新たな鉄道路線を手に入れた後も、薬師寺ら経営陣は各地でやりたい放題をしていたようだが、ある時を境に彼らは突然消え去った。1979年、長年堅実に不動産業を続けていた鶴屋産業が紀州鉄道を傘下に置き、経営陣が一気に交代したのである。つまり、恐るべき『詐欺師集団』は完全に追い払われたと言う事であり、その後薬師寺らの行方は一切明らかになっていない。勿論、今の紀州鉄道は健全かつ堅実な経営を続ける優良会社であるのは言うまでも無いだろう。
 とはいえ、その後も現在に至るまで紀州鉄道のメインは不動産業であり、鉄道路線はあくまで小さな一部門、悪く言えばおまけのような形になっている。しかし、この「おまけ」である事が、現在もこの路線が残る大きな要因となった。日本各地のホテルやリゾートがメインであると言う事は、すなわちそこから得る収入でも小さなローカル私鉄を十分に運営できると言う事にもなるのだ。


 また、それ以外にも理由がある。
 1989年に一部路線が廃止になって以後も、紀州鉄道は赤字が続き、100円稼ぐのに350円以上の経費が必要と言う数値が出るような状況となっている。ダイヤも減便されている状況だが、「廃止」と言う言葉が出る事は一切ない。日本中にある不動産の看板役を担う、紀州鉄道にとって非常に大事な部門だからであろう。
 形はともあれ、この小さな路線は「廃止」という運命から見事に救われたのである。



 そんな大きな役目を担いつつ、小さなローカル私鉄は今日ものんびり走り続けている。



 紀鉄ホテルに泊まった事がある人、追記・修正お願いします。


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