登録日:2021/06/13 (日) 22:14:21
更新日:2024/05/27 Mon 13:47:22NEW!
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THE ALFEE(ジ・アルフィー)は1974年にデビューしたバンド。メンバーは桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦の3人。
●目次
<概要>
最大の特徴は、なんと言っても、3人が3人とも別のバンドに所属しているとしか思えないほど見た目の雰囲気からしてバラバラであること。
これはメンバーそれぞれの音楽的ルーツが異なっていたためであり、個々の音楽性は今なお基本的にバラバラである。
だが互いの音楽性を認め合い、やりたいようにやっているので解散の危機が訪れないとのことであり、フォークからロック、ダンスミュージックまでグループとして非常に幅広い音楽性を繰り広げることに成功している。その代わり、傍から見たらあまりにもしょうもない理由で解散寸前になったことがあるが。
こけら落としに呼ばれることが多く、得られたデータが後に建設されるコンサートホールの設計に活かされたという逸話がある。
<沿革>
桜井が明治学院高校に在籍中、同級生に誘われて結成したグループコンフィデンスがALFEEの前身となる。この時期、高見沢は別のクラスでロックバンドを組んでいた。
当初はコンフィデンスとしてメジャーデビューする予定だったが、株式会社オリジナルコンフィデンス*1及び同社が発行する業界誌と混同する恐れがあるとして名前をALFIEとし、1974年8月25日にデビューシングル『夏しぐれ』をリリース。この時のメンバーは現メンバーの3人に三宅康夫を加えた4人だったがデビュー、2nd共にヒットに恵まれず、1975年に三宅が脱退。
山本正之*2から提供された『府中捕物控』が当時時効寸前だった三億円事件をネタにしたコミックソングで「この曲をリリースしたら社の良識を疑われる」という当時所属していたビクターの一方的な意向により発売直前で中止となったのをきっかけに「流されてばかりではなく、自分たちの音楽性を持たなければダメだ」と考えてビクターを離れ、フリーランスとなる。*3
フリー時代は研ナオコ・由紀さおり・かまやつひろし等のバックバンドを務めながらライブハウスでの活動に勤しみ、高見沢が大野真澄に師事するなどしながらオリジナル曲の制作にも挑戦。1979年にALFEEと名を改めてキャニオンレコードより再デビューを果たす。
再デビュー以降は自分たちの音楽性を持つというポリシーに基づき、殆どの曲を高見沢が手掛けている。
1983年リリースの『メリーアン』のヒットによりNHK紅白歌合戦出場*4を掴み取り、その後も『星空のディスタンス』、『STARSHIP -光を求めて-』などで立て続けにヒットを飛ばす。
『メリーアン』以降、(THE)ALFEE名義でリリースした曲は全てオリコンシングルランキングTOP10入りを果たしている*5。30年以上1位から遠ざかっているものの、2020年代に入ってもTOP3入りをすることもあり、その安定感は抜群である。
21世紀以降は春と秋のツアー、夏のイベントライブに主軸を置きつつ、桜井以外ソロ活動も精力的に行っている。既にメンバー全員が還暦を超え、古希も近いがライブコンサート活動は桜井の肝臓が続く限り続けるとのこと。
1980年代から90年代にかけて覆面グループ『BE∀T BOYS』として活動していたこともある。BE∀T BOYSとTHE ALFEEの違いは
- 楽器がひけない!
- 踊りがうまい!
- ニューミュージック・フォーク・演歌・ヘビメタ・汗と涙と友情がキライ!
- アルフィーほど人が良くない!
- アルフィーの高見沢が大キライ!
とのこと。正体は一応伏せられていたが、視聴者・リスナーにはバレバレであった。
ちなみに、アルフィーを含め、オリコンで初ランクインを決めたのはビートボーイズ名義の曲だった。
<メンバー>
3人ともボーカルを担当することができるため、固定のリードボーカルは居ない。
桜井賢(さくらい まさる)
1955年1月20日生まれ。埼玉県秩父市出身で、実家は酒類を主に取り扱う商店を営む。
サングラスとヒゲが目印で立ち位置は左。リードボーカルの割合が最も多いが、ステージ中央に立つ事は少ない。
通称左の人、ヤクザの長、アルフィーの創始者、高校時代にアルフィーを作った男など。
高音を活かした美声でリードボーカルを取ることが多い。上記の出世曲『メリーアン』『星空のディスタンス』での印象が強いため、一般的にTHE ALFEEのリードボーカルでイメージされるのはこの人だろう。
で、その歌唱力は、年を取って衰えるどころか渋さも加わって磨きがかかるばかりである。ええぃ、このおっさんはバケモノか!
担当楽器はベース。ツアーにはベースを5~6本持っていく。ベースは基本指弾きでテンポの速い曲ではピック弾きを用いるが、スラップ奏法を披露することもある。高見沢ほどではないが、相当なレベルの変形ベースコレクターでもある。
初期の頃には12弦ギターを使っていたこともあったが、腕前は研ナオコの「マイクのスイッチが切ってあった」、高見沢の「エアギターは上手い」という証言から推して知るべし。
ベースを始めた理由はデビュー後にグループとしての音楽性を広げる必要に迫られたかららしい。または、デビュー当時、桜井の美声を高く評価していたプロデューサーが高見沢のイケメンぶりに惚れこんで手のひらを返し、強引にベースへ転向させられたとも語っている。
かつてテレビの生放送中にマイクスタンドで感電したことがある。その経験があってかマイクスタンドが自分の方に向かって倒れてくると絶対に触らずに避けるようになった。
高所恐怖症でもあり、コンサートでリフトに乗ると大体直立不動になる。
趣味は貯金・将棋・野球・手品・テニス・落語・F1。そして大の酒好きで他の2人から酒乱だと思われている。なお酒は元々そんなに好きではなく、酔った高見沢を介抱することが多かったが、高見沢の介抱に嫌気が差してから飲むようになったという。
F1に対する造詣はかなり深く、アイルトン・セナが事故死した時には相当なショックを受けていた。ライブ前のサウンドチェックの時には客席の真ん中へ陣取り、PAにF1の音声を収録したCDを大音量で流してもらうこともよくあるとか。
ALFEEメンバー内では道化・イジられポジであり、ツアーのアンコールでは法被とヘルメットを着用してハッピーおじさん、ヒッピーの扮装で怪しいTシャツを売りつけるヒッピーおじさん、麦わら帽子にアロハシャツの海の家おじさん、ジャイアンツおやじ、和装のお姉のゴンザレス桜井、狸の神様など様々なキャラに扮する。
坂崎・高見沢と異なり、ALFEE以外で音楽活動を行っていない。このためTHE ALFEEとしての活動が無いと公に姿を見せることが極端に減る。夏イベがない年の秋ツアーで「夏の間何をしていたのか?」とイジられるのがお約束。
未だにガラケーを愛用し、家にはパソコンもなければインターネット回線も引いていない。ガラケー以外の通信手段はFAXしかなく、これもネタにされる。
人前でサングラスを外さない。素顔は基本的にモザイク処理。
デビュー初期の頃は素顔で活動しており、当時のジャケットも素顔で撮影されている。2014年に発売された『青春の記憶[+2]』はAlfie時代の『青春の記憶』のジャケット写真を利用しているが、桜井にはCG処理でサングラスが追加されている。
「木綿のハンカチーフ」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの太田裕美と生年月日が同じ。レコードデビューが同じ年や埼玉県に縁がある点が共通している。
高見沢とは高校の同期生。
1度高見沢と加山雄三の父親が誰かということを巡り音楽性について文句を言い合うレベルの大喧嘩に発展したことがある。
その現場には坂崎も居合わせており、答えも知っていたがどんなに喧嘩が発展しても仲裁せず、答えも教えずマイペースにギターを弾いていた。止めろよ。
更に高見沢に「渡哲也みたいな角刈りが似合う」と酒の席で言われた冗談を真に受け、本当に角刈りにしてしまった。
そのせいでシングルのジャケット写真と本人の見た目が全く違うものになってしまい、宣伝担当とマネージャーにこっぴどく叱られ、テレビ番組出演時には視聴者から「今テレビで歌ってるあいつは誰だ!?」という問い合わせの電話がテレビ局に殺到と大変なことになり、根に持っているとのこと。
ブレイク後も彼のヴォーカル曲はオリコン1位をなかなか獲得でできなかったが、1987年の『サファイアの瞳』で初めてかつ現時点で唯一の1位を獲得した。ちなみに『ザ・ベストテン』では1984年の『星空のディスタンス』で最初の1位を獲得している*6。
坂崎幸之助(さかざき こうのすけ)
1954年4月15日生まれ。本名は坂崎幸二。東京都墨田区出身で、実家は酒屋を営んでいた。癖毛と眼鏡が目印で立ち位置は真ん中。1982年までグループのリーダーだった。
通称真ん中の人、幸ちゃん、フォークソングの介護士伝道師。
芸名は本名のインパクトが薄くて嫌だと思い、実家の隣が電器屋だったことから松下幸之助に因んでつけたとか。
アコースティックギター担当だが、時々シンセサイザーやパーカッションを担当することもある。でもエレキギターは滅多に弾かない。またレコーディングとライブで使用するギターを使い分けている。
『シンデレラは眠れない』等で演奏するシンセドラムも印象的で、ライブではアコギを抱えながら叩く場合が多い。兎に角色んな楽器を弾けるマルチプレイヤーで、桜井のベースや高見沢のスリーフィンガー双方を伝授したのが坂崎だというも有名な話。
中学1年生の時にアコースティックギターを購入し、毎日学校に持っていって休み時間に弾いていた。
高校では入学式の日にもギターを持ち込み、持ち込む理由付けのためにフォークソング同好会を設立。後に同好会は部に昇格し、後輩たちがTHE ALFEEの曲のレコーディングにコーラスとして参加している。
ギターは体の一部であり、風呂と寝る時以外ずっと身につけている。
幼少期は落語家を志し、更に初代林家三平に師事して話術を磨いただけあってトーク力が非常に高く、コンサートMCの台本は全て坂崎が書いているとのこと。しかしその喋りが社風に合わないとTOKYO FMを出入り禁止にさせられていたらしい*7。
めったに遅刻しないためたった5分でも遅れると心配されるほどだが、NHKのテレビ番組とラジオの収録でそれぞれ遅刻したことがある。ラジオの収録では共演する植木等を1時間待たせたらしい。
多趣味として知られ、両生類・爬虫類・猫をペットとして飼い、クラッシックカメラ、骨董品の収集、江戸切子のコレクターとしても知られる。ただしヘビを飼い始めたらALFEEは解散すると他の2人に言われているが、アシナシトカゲだったら許してもらえると思っているとのこと。
フォークソングの介護士伝道師と言われるだけあって日本のフォークソングに関する知識が非常に豊富で、2002年に新生ザ・フォーク・クルセダーズに新メンバーとして加入した時にはオリジナルメンバーの加藤和彦に「僕らよりもフォークルをよく知っている」と驚かれたとか。
THE ALFEEは現在に至るまでオリコンでシングル4曲が1位を獲得しているが、桜井・高見沢の各ヴォーカル曲が1曲ずつなのに対し*8、坂崎は2曲1位を獲得している*9。
高見沢俊彦(たかみざわ としひこ)
1954年4月17日生まれ。本名は読みが同じの髙見澤俊彦。埼玉県蕨市出身。
長髪と派手な衣装が目印で立ち位置は右。1982年以降リーダーを務め、THE ALFEEの曲の殆どを彼が手掛けている。ビジュアル面も含め、このバンドのフロントマンであることは桜井も坂崎も認めるところ。
通称右の人、王子、たかみー、アルフィーを育てた男。
ボーカル・エレキギター担当。光線銃の発射音を思わせるアーミングと即興的なフレーズでギター本来の枠にとらわれないプレイが特徴。曲によってはアコースティックギター・ピアノ・コーラスを担当することもある。
世界有数の変形ギターコレクターとしても有名で、ギターコレクションの写真集が発売されたこともあるほど。その中で一番いらなかったギターはネックが4本あるギターで、一番下のネックに手が届かない上とても重いとのこと。(1994年のライブで1度だけ使用)
坂崎に「お前の30代はデタラメだった」と言われるほど激しい遅刻魔で、レコーディングに3時間来ない、ザ・ベストテンで出番を忘れる、ライブに遅刻して桜井・坂崎2人の演奏を客席から見ていたなどの遅刻に関するエピソードがある。
普段料理を全くしないため、ライブパンフレット付属のDVDに収録する『ALFEE KITCHEN』の撮影で
- おにぎりを作ろうとして炊飯器に直接手を突っ込み、あまりの熱さに絶叫。当然手を火傷する。
- カツ丼を作ろうとして玉ねぎを切らずにまるごと煮ようとする。更に出来上がったカツを丼に乗せる時にカツを見事にひっくり返し、ごった煮にしてしまう。
などのポカをやらかしたことも。これらのポカはそのままDVDに収録されている。
天然らしく、料理以外でも
- トーク番組の最中に酢橘の皮を向いて食す。そしてあまりの酸っぱさに悶絶し、共演者のさだまさしをスダさんと呼んでしまう
- 靴の中にカセットテープが入っているのに1週間気づかない。
- 飛行機の機内備え付けイヤホンを外し忘れ、耳の聞こえが悪くなったと勘違い。
- 山手線が緑色1色で塗られた車両だった頃、全身緑色の服で統一して乗ったら車体と同化して車掌や駅員に見落とされ、ドアに頭を挟まれる。
- ラジオの収録で携帯電話の電源を切らないどころか、マナーモードやサイレントモードにもしない。結果、収録中に携帯が鳴る。
- 「改めまして」を「はじめまして」と誤読。
- ラジオ番組のエンディングでリスナーに「ありがとうございません!」と言う。
- 自己紹介が言えない。
- コンビニで買ったおにぎりを逆順で開けようとして吹っ飛ばす。
などのエピソードの持ち主。
ウルトラマンファンであり、シリーズに多数の曲を提供していたつながりから、円谷プロの協力でスペシャルショートムービー、『ウルトラマンタカミー』を製作したことも。
更に還暦祝いにウルトラマンとウルトラマンギンガからブラザーズマントをプレゼントされている。
大のヤマトファンでもありライブで『ヤマトより愛をこめて』を歌った事も。
西崎義展と意気投合し、ALFEEメジャーデビューとヤマトシリーズテレビ放送開始が共に2009年で35周年を迎えることから、映画復活篇エンディングに自身がメインボーカルを務める59thシングル『この愛を捧げて』が起用され、挿入歌の『宇宙戦艦ヤマト 2009』も歌唱することになった。(ただしヤマト2009のメインボーカルは桜井。)
特技はキャラクターデザインで、自身の公式サイトで自身がデザインした動物の可愛いオリジナルキャラクターが活躍している他、立川商工会議所や蕨市などにもデザインしたキャラを提供している。この他に英語の読み書きも得意としている。
趣味はバスケットボール。中学時代にはバスケ部のキャプテンを経験し、メジャーデビュー後もツアーにボールとゴールを持って臨んでいた事や、90年代に私設のバスケチームを持っていたことも。
アップル製品の愛用者であり、雑誌に連載企画を持っていたり、iPodやiPhoneの歴代全モデルを所有していたりする。
アニメ『けいおん!』を毎週視聴していたのはガセだが、『コードギアス 反逆のルルーシュ』・『反逆のルルーシュR2』を視聴していたのは本当で、DVDやゼロの仮面を所有している。紅蓮がお気に入りらしい。
またラジオで頻繁にコードギアスの話題を話していたら自身の番組内でパロディコーナーが出来たこともある。
ソロライブのDVD付パンフレットの収録内容に自身を攻略出来る乙女ゲームを特典で付属させたことがある。2021年現在入手困難なため詳細は不明だが、選択肢によっては
- ライブのアンコールでおにぎりを投げてくれることを約束してくれる
- 炊飯ジャーを小脇に抱えて「じゃあ、ジャー」と言って出かけていく
などカオスな内容らしい。
<主なライブサポートメンバー>
吉田太郎(Drums) 2006年~
2006年春ツアーからの参加。そうる透に師事。鎌田雅人らとロックバンドWaterでメジャーデビュー。コロナ過の2020年にYouTubeチャンネルを開設し、ALFEEを含め様々な楽曲のドラム演奏動画等を配信している。曲によってはコーラスも担当。
ただすけ(Keyboards) 2007年~
2007年秋ツアー終盤のアリーナ公演より参加。同年夏の高見沢のソロツアーにも参加していた。SMAPのツアーでプロデビューし、その後ポルノグラフィティのサポートでも活躍していた。吉田太郎と同様コーラスも担当。
長谷川浩二(Drums) 1983年~2005年
山石敬之(Keyboards) 1982年~1986年、1995年~2007年
菊地圭介(Keyboards) 1986年~1995年
そうる透(Drums) 1989年~1991年、2004年~2006年
以上の他、富岡義弘・相沢美彦・杉山卓夫が参加していた。
<脱退メンバー>
三宅康夫(みやけ やすお)
1955年1月30日生まれ。前身のコンフィデンスにギタリストとして参加。
ALFIEとしてデビュー後、ファーストアルバム『青春の記憶』に収録されている『一年目の春』で作詞を担当したこともある。
1975年に脱退。脱退理由はアルフィーメンバーの証言やエッセイなどを元に描かれた吉岡つとむの漫画『ドリーム・ジェネレーション』では実家の父親が倒れ、家業を継がねばならなくなったためとされている。
3人が彼のことについて語ることも皆無に等しく、4人時代のジャケットがテレビ画面に映される際も彼の姿だけ隠される事が大半な上、最初から3人で活動していたかのような発現も目立つため彼の事を知らないファンも少なくない。
<ライブツアー・コンサート>
1980年代から毎年のように全国を巡るライブツアーを行っており、最盛期には年間100公演オーバー、還暦を過ぎた後も年間60公演程度行い、2015年に累計公演数2500本を達成した。
概ね3月下旬から7月上旬までを春ツアー、9月中旬から12月下旬を秋ツアーとし、それぞれでステージセットやセットリストを変えている。春ツアー・秋ツアーと呼んでいるが、各ツアーの終盤は夏や冬のも含んでいる。
セットリストのチェンジが多いのも特徴で、1公演の3分の1の曲を入れ替えていた事もある。
また毎年夏にはツアーと別で野外コンサートを行っている。
主なライブツアー・コンサートの出来事
- FLYING AWAY-ALFEE IN YOKOHAMA STADIUM(1984年)
雨降りの中開催されたためステージが濡れて滑りやすくなり、高見沢が公演中に転倒。転倒した拍子にギターで胸を強打し、肋骨にひびが入る。
- TOKYO BAY-AREA(1986年)
現在フジテレビ社屋が建っている隣あたりで開催。船の科学館以外目立つ建造物のない当時のお台場に幅120m、高さ75mという巨大なステージセットが組まれた。
高所恐怖症の桜井だが、夜になると暗さで下が見えにくくなったためにステージの高いところまで一気に駆け上がっている。
- KING'S NIGHT DREAM(1994年)
大阪と横浜で開催。高見沢所有のトランプをモチーフにした4ネックギターを大阪で使用するも、重すぎたために使用したのはこの時だけ。
更に大阪で府中捕物控もお披露目された。
- Count Down '94 DREAMS(1994年)
12月24日の公演で桜井が殺陣をお披露目し、高見沢がセーラームーン(セーラーTakamiyムーン)のコスプレを披露。
- Final Count Down A.D.1999(1999年)
12月22日公演でかつて桜井と高見沢が大喧嘩をする遠因になった加山雄三がサプライズ出演。桜井1人だけ加山雄三出演を知らされておらず、ステージで唖然としていた。
- YOKOHAMA SWINGING GENERATION(2003年)
2days公演の両日とも大雨。
2日目には当時アニメ『ドラえもん』のエンディングテーマを担当していた縁で、ドラえもん、のび太、スネ夫、ジャイアン、静香の5人がゲスト出演。
- THE ALFEE 2004 love&peace(2004年)
『恋人達のペイヴメント』の演奏に入った際、たまたまヘリが飛来。ヘリの音のうるささに高見沢がキレて演奏を一時中断した。
- Neo Universe 2012 Final Series Catch Your Earth(2012年)
12月24日の公演にウルトラの父を筆頭に総勢8人のウルトラファミリーが出演。
- 40th Anniversary 2014 Final Series GENESIS FINAL(2014年)
12月23日の公演にふなっしーが出演するもステージから転落。
- THE ALFEE 2500回記念雷舞 祝!桜井賢還暦コンサート Presented by T.Takamizawa & K.Sakazaki(2015年)
桜井の還暦記念として開催されたスペシャルライブ。高見沢が桜井、坂崎の2人に内緒で女子高生風のブレザーにスカートとルーズソックス姿で登場した。
<主なディスコグラフィー>
- 夏しぐれ
- 青春の記憶
- ラブレター
- 通り雨
- メリーアン
- 星空のディスタンス
- STARSHIP -光を求めて-
- サファイアの瞳
- FLOWER REVOLUTION
- もう一度君に逢いたい
- 冒険者たち(アニメ『モンタナ・ジョーンズ』)
- エルドラド(アニメ『モンタナ・ジョーンズ』)
- Brave Love ~Galaxy Express 999(映画『銀河鉄道999 エターナルファンタジー』ED)
- 希望の鐘が鳴る朝に
- Justice For True Love(映画『金田一少年の事件簿2 殺戮のディープブルー』主題歌)
- 太陽は沈まない
- タンポポの詩
- この愛を捧げて(映画『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』ED)
- Final Wars!/もう一度ここから始めよう
- 英雄の詩
- 友よ人生を語る前に
なお『府中捕物控』は封印解除前からコンサートで時折歌われており、その様子は映像ソフトに収録されている他、2014年の武道館ライブの模様を収録したライブコンサートCDにも収録されている。
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▷ コメント欄
- アニソンとは結構縁の深いバンド。モンタナジョーンズの主題歌が忘れられない -- 名無しさん (2021-06-13 22:54:15)
- ライブ映像とか見るとほんと歌唱力がヤバい。普通にCD音源よりも上手いのなんなん…… -- 名無しさん (2021-06-13 23:07:04)
- 高見沢以外知らねえ -- 名無しさん (2021-06-14 00:20:10)
- 坂崎さんはLOVE LOVEあいしてるに出てたなぁ -- 名無しさん (2021-06-14 09:53:15)
- 高見沢さん作詞といえば「愛を守る」 -- 名無しさん (2021-06-16 11:48:33)
- アニソンに限らず意外とゲーム音楽にも関わってるんだよな -- 名無しさん (2023-08-17 03:24:36)
#comment(striction)
*2 タイムボカンシリーズと燃えよドラゴンズでおなじみ
*3 なおこの発売中止騒動に巻き込まれた形になるのがB面曲の「明日からよその人」。2014年に府中捕物控と共に封印解除。
*4 現在に至るまで唯一の正式な紅白出場。非公式では由紀さおりのバックバンドとして坂崎と高見沢が出演したことがある。但し、舞台裏での演奏だったため画面に映らなかった。
*5 但し、後述の『BE∀T BOYS』名義の曲はTOP10入りできなかった曲もある。
*6 オリコンでは2位。
*7 TOKYO FMも加盟しているJFN系で番組を持っているが、東京ではTOKYO FMではなくJFN系の特別加盟局であるInterFM897で放送されている
*8 桜井が1987年の「サファイアの瞳」、高見沢が1984年の「恋人達のペイヴメント」。
*9 1985年の「シンデレラは眠れない」と1987年の「My Truth」。
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