島の小字 - 埼玉県の小字
地。鉄道用地にごく一部が残存。1961、1969、1996年に砂町一・二丁目、東大宮一・二・七丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和36年4月、昭和36年9月、昭和44年8月、平成8年1月
地。鉄道用地にごく一部が残存。1961、1969、1996年に砂町一・二丁目、東大宮一・二・七丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和36年4月、昭和36年9月、昭和44年8月、平成8年1月
思われる。1956、1958年に桜木町四丁目、櫛引町一丁目になった。櫛引町一丁目にバス停「尾ヶ山北」がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和31年12月、昭和33年8月、昭和34年5月・ 行政文書 市町村制(昭和15年)
。鉄道用地にごく一部が残存。1956、1957年に寿能町一丁目、盆栽町になった。盆栽町に定慶稲荷神社がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和27年10月、昭和31年3月、昭和32年12月、昭和33年3月、昭和35年2月、昭和36年9月、昭和36
原耕地)(きたばらこうち):1949、1961年に大字見沼、砂町二丁目になった。隣接する砂にも字北原がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和26年4月、昭和36年9月、平成8年1月
在する上内野にも字戸中がある。水崎(みずさき):1959年に宮前町になった。混在する上内野にも字水崎がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和34年11月・ 行政文書 区域内変更(昭和34年度)
(しんめい)坊下(ぼうした)堤崎(つつみさき)堀揚(ほりあげ)入(いり)山在(さんざい)稲荷原(いなりばら)参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和33年8月5日・ 行政文書 区域内変更(昭和33~34年度)
の飛び地を含む。現存。北(北耕地)(きたこうち):現存。流(流耕地)(ながれこうち):現存。流作場:荒川近くの飛び地。現存。 明治14年の字届書には記載されていない。常光橋:北の中の飛び地(二か所)。現存。飛地組替により上野本郷村から編入したと思われる。前参考文献・ 北足立郡新座
では大字西遊馬の小字となっているが、誤りと思われる。上新田:江戸尻土地改良区事業により新設された小字。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 馬宮村のあゆみ・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和59年6月・ 行政資料 江戸尻土地改良区
村に編入した。下谷原(したやはら): 荒川の堤外地の飛び地。八百野(はちひゃくの): 荒川の堤外地の飛び地。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 大宮西部地区 旧新地番対照表・新旧地番図
たやはら): 荒川の堤外地の飛び地。現存。八百野原(元上野本郷分):飛地組替により上野本郷村から編入した。原参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 大宮西部地区 旧新地番対照表・新旧地番図
):現存。飛地組替により上野本郷村から編入した。下谷原(元戸崎分):現存。飛地組替により戸崎村から編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 大宮西部地区 旧新地番対照表・新旧地番図
に日進町二丁目になった。日進村の道路元標があった。宮ノ入(みやのいり)天神前(てんしんまえ)貝塚(かいつか)参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和33年8月・ 行政文書 区域内変更(昭和33~34年度)・ 大字上加 旧新地番対照表
伴い鐘塚(元大宮分)の「元大宮分」が外れたと思われる。1957年に大成町一丁目になった。切敷(元大宮分)切敷参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県日進耕地整理組合第一・二・四区整理確定図、日進耕地整理組合換地説明書・ 埼玉県報 昭和31年12月、昭和32年9
谷原(したやはら): 荒川の堤外地の飛び地。現存。八百野(はっぴゃくの): 荒川の堤外地の飛び地。現存。宮脇参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和59年6月・ 大宮西部地区 旧新地番対照表・新旧地番図
耕地)(きたごたんだ):現存。嵪欠(嵪闕耕地)(ままかけ):大宮開成中学・高校 芝川グラウンドの近く。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)
に大字三崎になった。悪水向(あくすいむこう):芝川の対岸側の区域。現存。大野(おおの):北方の飛び地。現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和29年8月、昭和54年3月・ 行政文書 区域内変更(昭和32
出書には記載がない。1969年に東大宮二・四丁目になった。東大宮二丁目に東北原公園がある。東北原遺跡がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和26年4月、昭和32年12月、昭和33年3月、昭和36年9月、昭和44年8月、平成8年1月
やま):1979年に柳崎四・五丁目、北園町になった。赤堀排水路(大間木排水路)に架かる丸山橋、丸山上橋、丸山下橋がある。外記:明治14年の字届書には記載がない。1979年に柳崎一・四丁目になった。六ヶ村用水に架かる外記橋がある。外ヶ原(そとがはら):1979年に柳崎一丁目、北園町
入した。向(元加々皿沼分):飛地組替で加々皿沼村から編入した。1924年に大字弥兵衛新田字外菅原に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 大正13年7月、昭和12年2月
字高木に編入した。町張(ちょうはり):飛地組替により前川村から編入した。1914年に大字芝字中田に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 埼玉県報 昭和33年5月、昭和35年3月・ 行政文書 町村制(大正3年)、町字区域変更(
町一・二丁目になった。六反畑(ろくたんばたけ):前田からの編入と思われる。1937年に朝日町三丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和12年2月
口市地形図では大字伊刈の区域になっている。岡ノ下(おかのした):小谷場公園のあたり。現存。台(だい):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 行政文書 町村制(明治44年、大正3年)・ 川口市(第15次)住居表示 新旧対照案内図
937年に十二月田町、朝日町一丁目になった。芝原(しばはら):1937年に十二月田町、元郷町一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和12年2月
一丁目、十二月田町になった。堤外(つつみそと、ていがい):1937年に朝日町一・二丁目、十二月田町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 大正13年7月、昭和12年2月
大字伊刈字中通に編入した。牛田(うしだ):現存。1914年に新設された小字。藤右衛門川に架かる牛田橋がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500・ 行政文書 町村制(明治44年、大正3年)、町字区域変更・住居表示(昭和54年度)・ 川口
畑(たはた):現存。大字赤井にバス停「赤井田畑」がある。赤井田畑遺跡がある。谷田(やだ):現存。赤井谷田遺跡がある。台:現存。明治14年の字届書には記載がない(代わりに台甲壱、台甲二がある)。1981年に一部が赤井三丁目、東本郷二丁目になった。大字赤井にバス停「赤井台」がある。赤
丁目に川口市みんななかまバス(神根・青木・芝循環)のバス停「丁張」があったが、2013年に路線が廃止された。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和11年4月
口市大字大竹前(まえ):現存。後(うしろ):現存。大竹後遺跡がある。大六天(だいろくてん):花栗に編入した。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
007年に一部が新堀町になった。後(うしろ):現存。沖田(おきだ):現存。越戸(こえど):現存。丸野(まるの)参考文献・北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県市街地図集 人文社 1967・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第21次)住居表示 新旧対照案内図
字前野宿→川口市大字前野宿現在の地名:川口市大字前野宿上野(かみの):現存。下野(しもの):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市地形図 1/2500
二丁目にバス停「南山梨」がある。北山梨(きたやまなし):現存。2007年に一部が榛松三丁目、新堀町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第21次)住居表示 新旧対照案内
三・四丁目になった。西割(にしわり):花栗に編入した。東割(ひがしわり):庄左衛門新田に編入したと思われる。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第11次、第14次)住居表示新旧
東本郷一丁目、本蓮一・二丁目になった。市道(いちみち):1986年に本蓮一丁目になった。曽根(そね):現存。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974・ 川口市地形図 1/2500・ 川口市(第11次、第14次)住居表示新旧
井三丁目、江戸袋一丁目、本蓮二丁目になった。北谷(きたや):1981年に江戸一~三丁目、赤井二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ ゼンリンの住宅地図 川口市(北部) 1974 ・ 川口市(第11次、第14次)住居表示新旧対照案内図
(むこうだ、むかいだ):1937年に新井町、弥平町になった。瀬ヶ崎(せがさき):1937年に新井町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 大正13年7月、昭和12年2月
川(えかわ、えがわ):1937年に青木町五丁目になった。孫七(まごしち):1937年に青木町五丁目になった。芝原(しばはら):明治14年の字届書には記載がない。1937年に青木町一丁目になった。端戸(はしど):幸並中学校のあたり。1937年に青木町四・五丁目になった。西青木端戸町
さんおう):現存。1977年に一部が大字西山新田になった。沖割:1977年に大字三浦、大字西山新田になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和52年12月
(下綾耕地)(しもあやこうち):綾瀬川沿いの区域を上中下に分けたもの。現存。1985年に一部が宮ヶ谷塔一丁目になった。綾瀬: 明治14年の字届書には記載がない。 1983、1985年に卸町一・二丁目、宮ヶ谷塔二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さ
地組替により堀崎村から編入したと思われる。1983、1985年に卸町一・二丁目、宮ヶ谷塔一・二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年) ・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和58年7月、昭和60年7月、昭和61年8月、昭和63年1月
988年に一部が深作一丁目、宮ヶ谷塔四丁目になった。 新田(しんでん):1985年に宮ヶ谷塔一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和60年7月、 昭和61年8月、昭和63年1月
になった。深作三丁目に海崎公園がある。見沼代用水東縁に架かる海崎橋がある。 深作飛地:大字深作の中の見沼代用水東縁沿いに現存。明治14年の字届書には記載がない。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 昭和47年
市営霊園のあたり。現存。区域を流れる内田川がある。小池下旧加田屋参考文献・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 平成9年3月
:大宮自動車教習所のあたり。現存。飛地組替により高鼻村から編入した。大字新右衛門新田にバス停「高鼻」がある。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
た。八石(はちこく)内田(うちだ):思い出の里市営霊園のあたりに現存。1990年に一部が染谷一丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市 地形図(縮尺2,500分の1)・ 埼玉県報 平成2年3月
宮下一・二丁目になった。中里遺跡がある。新西(しんにし):現存。参考文献・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 埼玉県報 昭和56年10月
現存。風渡野往還上西遺跡がある。往還上東(往還東上)(おうかんひがしかみ):現存。門前下(もんぜんした)寺下参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ さいたま市地形図(縮尺2,500分の1)
青木、上青木西、西青木、前上町町張(ちょうはり):1936年に上青木町二・五丁目になった。堅川に架かる丁張橋がある。 堤外:明治14年の字届書には記載がない。1936年に上青木町四丁目になった。雁丸(がんまる):1936年に上青木町二~五丁目になった。 昭和11年の埼玉県告示で
):1939年に飯塚町二丁目になった。中ノ郷(なかのごう):荒川沿いの区域。1939年に(旧)緑町になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市大字横曽根大字飯塚字名称新旧対照図・ わたしたちの郷土うきま : 浮間についての資料集・ 埼玉県報 昭和14年5
った日光御成道沿いの区域。1935年に(旧)本町一・二丁目、(旧)金山町になった。川口町の道路元標があった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市(旧川口町)新旧字区割対照図・ 埼玉県報 昭和10年4月
年に(旧)緑町になった。丁張(ちょうはり): 塚越から編入したと思われる。1939年に仁志町二丁目になった。参考文献・ 北足立郡新座郡各村字届書(明治14年)・ 川口市大字横曽根大字飯塚字名称新旧対照図・ 埼玉県報 昭和14年5月