登録日:2011/11/26 (土) 21:54:36
更新日:2023/08/18 Fri 11:49:42NEW!
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競走馬 人馬一体 お祭り男 競馬 g1馬 サラブレッド 種牡馬 小柄 暴れ馬 鹿毛 ドリームジャーニー ステイゴールド自慢の息子 馬体が小さい 池添謙一 夢の旅路 オルフェーヴルの兄 兄弟で有馬記念制覇 兄弟でグランプリ連覇 07年クラシック世代 ステマ配合 グランプリホース 池江泰寿 サンデーレーシング 馬ーサーカー ステイゴールド産駒 気性難
先頭はブエナビスタか!?
ジャーニーだ!ジャーニーだ!夢への旅路だ!
ドリームジャーニー先頭に立った!
───2009年有馬記念実況(三宅正治)
ドリームジャーニーとは、日本の元競走馬、種牡馬である。
ステイゴールド産駒初のG1馬にして、三冠馬オルフェーヴルの全兄。
データ
父:ステイゴールド
母:オリエンタルアート
母父:メジロマックイーン
通算戦績:31戦9勝[9-3-5-14]
獲得賞金:8億4797万3000円
主な勝ち鞍
- 2006年
朝日杯FS(G1)
- 2007年
神戸新聞杯(G2)
- 2008年
小倉記念(G3)
朝日チャレンジカップ(G3)
- 2009年
産経大阪杯(G2)
宝塚記念(G1)
有馬記念(G1)
誕生
2004年2月24日、産まれは社台グループ始まりの地・白老ファーム。
父ステイゴールド、母父メジロマックイーンという、後に「ステマ配合」として有名になる配合の第一弾である。
しかし当時の認識としては、
- 父はサンデーサイレンス3年目の産駒でありながら勝ちきれないレースを続けた善戦マン。現役期間は5年に及び50戦7勝[7-12-8-23]、古馬王道3皆勤*1を含め月1ペースで重賞を走り、賞金を稼ぎ続けた末にラストランで漸くGⅠ制覇という、とてつもなく頑丈だったこと以外は非常に評価に困る個性派。そんななのでサンデーサイレンス血統の主流から外れた種牡馬の2年目。
- 母父は現役時代は最強の名を恣にし、顕彰馬にも選ばれた名馬。しかし種牡馬としては期待を遥かに下回り、関係者のバックアップにも関わらず散発的に重賞馬を出す程度でGⅠを制する者はなし。一応まだ現役であったものの、2000年頃には生産者から見切りをつけられていた。母父としてはオープンクラスすらいない。
- 母は23戦3勝で重賞未勝利、勝ったのは平場のダート戦だけ。未出走・未勝利も珍しくない繁殖牝馬にしては実績がある方だが、父は上記の通りで、牝系の近親も条件戦止まりと血統的な魅力に乏しく、社台グループの中でも足切りラインが低く設定してある白老ファームでも最低ランクに位置付けられ、初年度産駒の成績如何によってはセールに出される予定だった。
という、非常に渋い血統の産駒であった。
産まれた時点から群を抜いて小さく、しばらくは母親の陰に隠れていたが、生後1か月ほど経つとヒトをよく見分けるようになり、新人スタッフが近づくと激しく威嚇するという、賢くもやんちゃな性格を見せるようになった。ただ、身体は健康で怪我も病気もしないため、あまり手間はかからなかったという。
3月、この年開業したばかりで挨拶回りに来ていた池江泰寿の厩舎に入厩が決まる。池江調教師の父・池江泰郎がかつてステイゴールドとメジロマックイーンを管理しており、自身もまたステイゴールドの調教の乗り役(調教助手)を務めていた縁*2である。
離乳後はサンデーレーシングに卸され、1口50万円の40口(2000万円)で出資募集。
「夢のような旅路」という名は父がラストランで冠した香港名「黄金旅程」に肖ったものである。
デビュー
早来ファーム(現:白老ファームYearling)で育成調教を経て2006年9月に新潟競馬場で蛯名正義の手綱によりデビュー。小柄で有名な父よりさらに小さな馬体だったが、父とは対象的に新馬戦を快勝。
その後、芙蓉ステークスも勝利しエリートコース(重賞路線)を歩むことになる。
しかし、挑んだ最初の重賞、東京スポーツ2歳ステークス(G3)では当時、大器の相と呼ばれていたフサイチホウオーに敗れる。
そして、次走は2歳馬のG1朝日杯FSに出走する。
直線が短く追込み不利とされる中山競馬場で、三角から小回りを曲がりながら加速し続ける驚異の脚でローレルゲレイロを捉え、勝利を収める。
「軽く飛びましたね」とは鞍上の蛯名騎手。2週間後の有馬記念をラストランとするディープインパクトに準えた発言である。
これを以て父ステイゴールドは種牡馬として初めてのG1を獲得。
父ステイゴールドに、母父メジロマックイーン。
共に晩成且つ距離が長いほどよく走るステイヤータイプであり、そんな血統の産駒がキャリア僅か4戦でマイルのG1を制したのだ。
この快挙に業界は震撼し、ステイゴールドの種牡馬価値が大きく見直されるとともに、ある種の迷信染みた"馬格信仰"が取り払われたことは特筆すべきであろう。
また、母オリエンタルアートの身柄も確かなものとなり、更にいくつかの偶然が重なったことで全弟にして後の三冠馬・オルフェーヴルの誕生に繋がることになる。
年末には最優秀2歳牡馬に選ばれている。
クラシック
2007年、G1ホースとなったドリームジャーニーはクラシックを意識して、弥生賞(G2)から復帰するがブエナビスタの半兄アドマイヤオーラに敗れる。
そして、皐月賞(G1)と東京優駿(ダービー)(G1)は果敢に追い上げるもいずれも敗退。秋に備えて放牧することとなった。
秋は神戸新聞杯(G2)から始動。ここから武豊に乗り代わりとなる。
鮮やかに追い込みを決めて朝日杯以来の重賞制覇で弾みをつけて菊花賞(G1)に挑むが5着に敗れる。
古馬
2008年、マイラーズカップ(G2)を復帰戦に選ぶが、久々のマイルのせいか大敗を喫する。
安田記念では主戦騎手の武豊が先約のあったスズカフェニックスへの騎乗を優先したため、後に春秋グランプリを共に制する最高の相棒、池添謙一に騎乗を依頼。池添はかつて母オリエンタルアートの主戦騎手を務め、彼女の生涯ただ3勝を挙げた男であった。
そんな彼らが初コンビを組んだのは安田記念(G1)だったが、10着に敗れる。が、この時池添は何か強い手応えを感じていたという。
次の小倉記念(G3)では再び武豊とのコンビを…とする予定だったのだが、彼は前週に騎乗停止処分を受けていたため鞍上が空になってしまった。
そこに自ら打診して来たのが池添。夏の本拠地である函館での先約をキャンセルしてまでの熱意に、新たな主戦騎手として迎えることが決定する。
その後は小倉記念、朝日チャレンジカップ(G3)と連勝し挑んだ天皇賞(秋)(G1)だったが、完全にウオッカ、ダイワスカーレット希代の名牝二頭の一騎打ちとなりその歴史的な激闘に立ち入る隙もなく10着に敗れ、有馬記念(G1)もダイワスカーレットの華麗な逃げに屈してまたも4着に敗れる。
そして、2009年…。
彼らが光り輝く年が訪れる。
初戦こそ敗れるが、中山記念(G2)は後に最強のオヤジと讃えられるカンパニーの2着に好走し、次に走った産経大阪杯(G2)では、前年にキングカメハメハに続き変則2冠を達成したディープスカイを退ける。
余談だが、変則2冠とは日本のクラシックレースは皐月賞、東京優駿(ダービー)、菊花賞の3レースで構成されているが、皐月賞と東京優駿の間にNHKマイルという3歳限定のG1レースが設けられている。
このレースを勝ちクラシックのいずれかを勝つのをそう呼ばれる。
NHKマイルは1600mだが、東京優駿は半マイル増えて2400mを走る。
普通、マイルの適性を示した馬は長くて2000m、若しくはそれ以降はマイル~スプリント路線へ行く場合が多い。
現在は、キングカメハメハとディープスカイが達成しているNHKマイル→東京優駿の組み合わせのみ。特に、初代のキングカメハメハは両レースの当時のレコードを更新している。
完全に軌道に乗った彼らは、天皇賞(春)(G1)3着をステップに宝塚記念(G1)に出走。
見事な追い込みを決め、再びディープスカイをくだしグランプリホースの称号を手に入れる。
秋は産経賞オールカマー(G2)から始動したが、別定戦故に、その小さな馬体にはあまりに酷な59kgでの出走を強いられる。
この時のドリームジャーニーの馬体重は420kg台。平均は470~480kg。いかに、彼が小さいかが思い知らされる数値である。
そして、相手も悪く、差しを決めるも逃げを打った中山の鬼、マツリダゴッホを捉えきれず、2着に敗れる。
その後、天皇賞(秋)(G1)6着を経て有馬記念(G1)に出走する。
この秋の菊花賞馬スリーロールスが故障で競走中止するアクシデントが起きる中、最終コーナーで先行策で押し切りをはかる名牝ブエナビスタを半馬身差で捉えて史上9頭目のグランプリ連覇を成し遂げる。
その喜びを爆発させるかのように池添騎手が左手を天に掲げ、愛馬の背中で号泣しながらウイニングランを行った。
中山競馬場に詰め掛けたファンから池添コールが沸き起こり、人馬共に最高の栄誉を手にした。
しかし…
ここからが、苦闘の始まりだった…。
2010年の復帰戦、京都記念(G2)に出走するが59kgが応えたのかいつものキレを見せられずブエナビスタの逆襲に遭い3着に敗れる。
その後、産経大阪杯(G2)にも出るが再び59kgの壁に阻まれ、伏兵テイエムアンコールの3着に敗れたうえに球節炎を発症してしまう。
そのため、予定していた天皇賞(春)(G1)を回避しなければならなくなってしまい、ぶっつけで宝塚記念(G1)出走するが、同じステイゴールド産駒であるナカヤマフェスタに呆気なくかわされてしまい4着に敗れる。しかし、父であるステイゴールドにとってはドリームジャーニー以来2頭目のG1馬となり、後に凱旋門賞でワークフォースと死闘を繰り広げることとなる。彼もまた、自慢の息子と言えるだろう。
その後、去年と同じく産経賞オールカマー(G2)で復帰するも三度59kgに屈する。そして、有馬記念(G1)では去年のような末脚の爆発も見せることなく約1年ぶりに大敗をしてしまう。また、2011年も、大敗が続き宝塚記念(G1)を最後に引退。実績を讃えられて種牡馬入りを果たす。
引退後
種牡馬としては体の小ささから物理的に苦戦気味*3で、2016年に種付け中骨折した不運も重なって産駒自体が少なく、いまいち活躍する馬を出せていない。
「毛色以外は父親似」と言われたドリームジャーニーだったが、床上手だけは受け継げなかったらしい。
しかし少ないながらも以下の重賞馬を輩出している。
ミライヘノツバサ
初年度産駒、母タムロブライトは阪神JFを制し繁殖入りするも僅か3頭を産んで死亡したタムロチェリーの仔。
セレクトセールでは馬主は目星をつけていた馬を落札できず、偶然目に留まった馬を「幾らで持っていかれるか見よう」と面白半分で入札したところ1000万円で落札、そのままオーナーになった。
3歳未勝利で勝ちあがり条件戦を経て皐月賞に挑むも惨敗、その後は菊花賞を挟みながら条件戦を勝ち上がりOP入りするも重賞で好走こそ見せるも勝利することはなかった。
更には屈腱炎を発症し1年半もの長期離脱を余儀なくされてしまい、復帰するも足元不安もあり勝ちに恵まれなかった。
2020年になり流石に限界と見て調教師がJRAに相談し引退後は馬事公苑に就職が決まり、馬主も「もう1回使い10着以下に負けるようなら即、馬事公苑に引き取ってもらう」
という条件で白富士Sに出走したところ勝ち馬と0.6秒差の好走だったこともあり現役続行。次走はダイヤモンドステークス(GⅢ・東京芝3400m)を選択。
賞金順で除外の可能性も危ぶまれたが無事出走、大外スタートとなったが中団に着けてレースを進め、メイショウテンゲンとの叩き合いをハナ差で制した。
管理していた伊藤大士調教師にとって管理馬初の重賞制覇、ドリームジャーニーにとって産駒初中央重賞制覇、青森県産馬によるJRA重賞制覇は2008年ローズSのマイネレーツェル以来12年振り。
さらに単勝オッズは最低人気の325.5倍、重賞での単勝高配当記録としては1989年エリザベス女王杯のサンドピアリス(430.6倍)、1998年日経賞のテンジンショウグン(355.7倍)に次ぐ当時では史上3番目の高配当となった。
その後天皇賞(春)や目黒記念に出走するも惨敗、更に屈腱炎を再発したことで引退が決定、予定通り東京競馬場で誘導馬となった。
ヴェルトライゼンデ
2017年産産駒、半兄に菊花賞馬ワールドプレミアがいる。
新馬戦・OP戦を制するもその後はGⅠ・GⅡなどで好走止まり、更に屈腱炎で1年4ヶ月にも及ぶ休養を余儀なくされた。
復帰戦となった鳴尾記念(GⅢ・中京芝2000m)では休養明けながらも2番人気に推されジェラルディーナらとの接戦を制し勝利。
平地重賞では歴代一位*4・障害も入れると歴代二位*5となる前走から中495日での勝ちとなった。
次走オールカマーではジェラルディーナに敗れ7着、更にジャパンカップに出走し敗れるも3着の好走を見せた。
2023年は日経新春杯を選択、実績から斤量がトップハンデである59kgになるも見事勝利をおさめ重賞2勝目。
斤量59kgでの勝利は2011年に行われた京都大賞典で勝利したローズキングダム以来11年3カ月ぶりとなった。
スルーセブンシーズ
2018年産駒、母は通算4勝、母父クロフネと言う血統。
3歳時は紫苑Sの2着があるもののオークス、秋華賞ではそれぞれ9着、11着。4歳時は体質の弱さから3戦しか使えず未勝利と伸び悩み。
しかし5歳初戦の初富士Sを勝利しOP入りすると、続く中山牝馬Sを上がり最速33.8で差し切って重賞初勝利。
すると陣営は何を思ったか凱旋門賞に一次登録。さすがにこの実績では無謀、と思われたものの、続く宝塚記念では父と同じ鞍上の池添謙一に乗り替わると
後方待機からの直線勝負でこれまた上がり最速でイクイノックス*6をクビ差まで追い詰める大健闘の2着。
一気に日本でも上位の実力を証明した形となり、凱旋門賞へ向かえるだけの権利を手にしたと言える。
一方全弟のオルフェーヴルは初年度から重賞馬だけでなくGⅠを4勝したラッキーライラック、皐月賞を制したエポカドーロ
日本馬として初めてアメリカ・ブリーダーズカップを制したマルシュロレーヌと数々の名馬を輩出している。
彼は成績だけを見ればGⅠを3勝した名馬だがそれだけではない。数多くの名馬が屈した59kgのハンデにその小さな馬体で立ち向かった勇敢な姿が印象的だった。
成績以上にファンの記憶に残るロマン溢れる名馬であった。
また、2011年に彼の全弟であるオルフェーヴルが三冠馬になったことを筆頭に、その後もステイゴールド産駒は数々の栄誉を手にすることになる。
この栄光を手にできた一因が、ドリームジャーニーが父の種牡馬としての可能性を最初に世に知らしめ*7、その夢を他の産駒に繋いだことだったのは間違いない。
同時に、競走馬としては振るわなかった母オリエンタルアートが繁殖牝馬として注目されるきっかけとなり、彼女の運命を大きく変えた。
産駒のGⅠ制覇数はドリームジャーニー3勝・オルフェーヴル6勝の計9勝、これはダイワメジャー5勝・ダイワスカーレット4勝を輩出したスカーレットブーケに並ぶ最多記録である。
自身の活躍以上に陰から日本競馬の歴史を切り拓いた、まさに“夢の旅路”といえよう。
なお父は2015年2月5日に他界したが、相性の良かった母も僅かその1か月後の3月7日に後を追うかのように亡くなっている。
余談だがステゴ産駒の例に漏れず酷い気性難であり、相棒の池添騎手曰く「他の馬と違って牧場に行っても命の危険があるという理由で会う事が出来ない」
「他の馬は(馬視点では)あくまで戯れてるだけなのに対し、ドリームジャーニーは本気で殺しに来る」。*8
オルフェーヴルが厩舎入りした際は「あのドリームジャーニーの全弟」としてスタッフに恐れられたらしい。
馬付き合いは出来るのだが芦毛の馬だけは嫌いで、特にクロフネに対しては激しく威嚇したという逸話がある。クロフネは面倒見が良く、他の馬達から慕われていたのだが。
「ステマ配合は能力はともかく、気性面では期待できない。何故なら第一弾がドリームジャーニーだから」とか言われる事も。ひどい。そしてオルフェもゴルシもドリジャよりはマシと関係者やファンは口を揃えて言う。*9
追記・修正はロマンを感じながらお願いします。
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▷ コメント欄
- ドリームジャーニーが勝った09年の有馬記念って競馬に勝って勝負に負けた印象が強いんだよな。(先行馬不利のハイペースの中で先行して2着に喰らいついたブエナビスタの方が競馬には負けたけれど勝負には勝ったと称賛されていたし。) -- 名無しさん (2015-01-03 02:00:41)
- 親父の評価を上げただけじゃなく、放出寸前だった母の運命も変えた。マジの孝行息子なのよな -- 名無しさん (2021-07-10 23:39:58)
- ↑「よりによって全弟があのオルフェーヴル」という点が何かと印象に残ってしまうけれど“道を切り拓く者”、“さきがけとなる者”というまた異なる偉業を果たした者でもあったのか -- 名無しさん (2021-07-10 23:47:00)
- 有馬での「夢への旅路だ!」って実況好き -- 名無しさん (2021-12-13 13:23:45)
- 86年以降、有馬で勝った馬で一番軽いのがドリジャニ(426kg)、最重量がキタサン(540kg)らしい -- 名無しさん (2022-02-24 12:16:08)
- エピファネイアがウェイついて絡んできてブチギレた時は牧場スタッフ真っ青になってたそうで -- 名無しさん (2022-05-16 03:25:51)
- 産駒のヴェルトライゼンデが鳴尾記念(G3)勝利 -- 名無しさん (2022-06-04 23:15:11)
- 親父は普通競走馬は引退してるような歳になってからようやく大舞台で勝ち出した超晩成型だったのに、産駒初G1馬のドリジャは2歳G1馬とかほんとなんなのこの一族…… -- 名無しさん (2022-08-20 20:13:10)
- しかも5歳でグランプリ連覇という、早熟なのか晩成なのか -- 名無しさん (2022-10-08 18:46:17)
- 日経新春杯にて、産駒のヴェルトライゼンデが59kgを物ともせず勝利 -- 名無しさん (2023-01-15 19:37:46)
- ◯しに来たりと池添クリニックでも札付きなイメージがあるんだが、スルーセブンシーズで勝てずに相当数悔しがってるあたり、思い入れもあるんだろうなと改めて感じた次第 -- 名無しさん (2023-07-09 11:57:44)
- ウオッカと同期で何なら何度か対戦歴があることは忘れ去られがち -- 名無しさん (2023-07-17 16:09:58)
#comment
*2 ついでにオリエンタルアートの全兄シュペルノーヴァも池江泰朗厩舎に所属しており、ステイゴールドの一年後輩だった
*3 普通の馬なら遅くとも1分半程度しかかからない一度の種付けに90分かかる事もあるとか
*4 中461日で88年のオールカマー(当時GⅢ)を制したスズパレード
*5 2007年京都ハイジャンプ・テイエムドラゴンの中573日が最長
*6 キタサンブラックの初年度産駒の一頭にして、現在の代表産駒。3歳時の2022年牡馬クラシック戦線では枠や展開に泣かされながら皐月賞・日本ダービーで連続2着となると、古馬混合戦の天皇賞(秋)・有馬記念を連勝して一気に年度代表馬の座を射止めた優駿。4歳となったこの年では初の海外遠征であるドバイシーマクラシックで国内外の名だたる名馬を相手にコース・レース双方でレコードを叩き出して逃げ切り勝ちし、世界ランキング1位に上り詰めていた。
*7 初年度産駒に障害G1を制したマイネルネオスもいるが中山グランドジャンプを制したのは2011年、そしてこの年障害馬の絶対王者として君臨し同じステイゴールド産駒のオジュウチョウサンが誕生している
*8 ただし本馬基準では池添騎手のことがかなりお気に入りなようで、彼が訪れると機嫌が良いらしい。また、冗談交じりかもしれないが社台のスタッフから「(機嫌が悪いときに)池添さん呼んでくれないかな」とコメントされたことも。
*9 オルフェーヴルは「競馬に入ると」アレなだけで普段は相当大人しく、ゴルシもフリーダムなだけで別段殺しに来たりはしない。
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